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日本保守党の百田尚樹が、 問題視されているのは、百田氏が8日に行った配信番組内の発言。「これはええ言うてるんちゃうで」「小説家のSFと考えてください」と述べた上で、「女性は18歳から大学に行かさない」「25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にする」「30超えたら子宮摘出とか」などと、少子化について独自の目線で語っていた。ということだ。 発言の内容がひどいのは言うまでもないが、「小説家のSF」というのが意味不明で理解できない。 ただ「SF」というのなら、暗い未来や管理社会を描いているものは珍しくない。 それを「小説家のSF」というのが理解できない。 「マンガのSF 」とか「映画のSF」とかいう表現があるのだろうか。「SFマンガ」「SF映画」と言うだろう。 この人は「SF」を「与太話」とか「妄言」とか「無責任な放言」という意味だと思っているのだろうか。 作家だということだが、SFに対する認識がかなりゆがんでいるらしい。 恥ずかしくないのか。百田尚樹氏「子宮摘出」発言巡るメディアの拡散にショック「誰1人、元の発言を確認していた人はいません」|Infoseekニュース作家で日本保守党の百田尚樹代表(68)が11日、自身のX(旧ツイッター)を更新。自身の問題発言について、切り抜き動画のみが拡散されている現状を嘆いた。問題視されているのは、百田氏が8日に行った配信番組内の発言。「これはええ言うてるんちゃうで」「小説家のSFと考えてください」と述べた上で、「女性は18…【全文を読む】百田尚樹氏「子宮摘出」発言にSF作家「根本の考え方のほうが何重にも嫌」|InfoseekニュースSF作家の小川一水氏が11日までにX(旧ツイッター)を更新。日本保守党の代表で作家の百田尚樹氏(68)による「30(歳)超えたら子宮摘出する」発言について言及した。百田氏は8日のYouTubeチャンネル「ニュースあさ8時!」に出演し、少子化対策の持論を展開するなかで、「小説のSFと考えてくださいよ」…【全文を読む】
2024.11.11
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朝熊山頂展望台から名古屋駅に向かう途中のサービスエリアのトイレで見たもの。 いかに外国からの観光客が多いかわかる。
2024.11.06
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ずいぶん前だが、新聞の投書欄に、中国人留学生の「叶開」という人の投書が載っていた。 内容は、日本の接客を高く評価しているというもの。 それよりも、名前が「叶開」という表記なのが目をひいた。 「叶」という姓は、日本での表記なら「葉」になるはずだ。「叶」は「葉」の中国の簡体字で。日本語の「かのう」とは関係がない。「叶」は国字ではないが、中国では使わないのだろう。 おそらく本人が「叶開」と表記したために、新聞でもそのまま使ったのだろう。 なお、「葉」は一般に音読みは「ヨウ」だが、姓の場合は「ショウ」と読むのが伝統的。 今では引退しているマリウス葉の姓は「ヨウ」と読んでいた。「ショウ」ではないかと思っていたが、本人が「ヨウ」だというなら「ヨウ」と読むべきなのだろう。 また、「叶」簡体字をそのまま使ったというのなら、名の「開」も「开」と表記しなくては統一がとれないのだが、これも本人の表記を尊重してそのままにしたのだろうか。 こういうのは本人の意向で決めるのが妥当だと思う。 中国由来の「井」という姓で「イ」と読む人がいた。「セイ」と読む方がいいのではないかと思ったが、本人が「い」と読みたいなら、それでいいのだ。
2024.08.20
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「偉そうに注意喚起するな」フジ社長、大谷新居への謝罪に批判殺到 “他人行儀”に疑問相次ぐという記事にこんな文章があった。 フジテレビは5月24日放送の『めざまし8』内で、ロサンゼルスの高級住宅地に大谷が購入した約12億円の豪邸の外観や間取りなどを詳細に取り上げた。近隣住民のインタビューなど“野次馬根性丸出し”の内容が批判を集めた。 会見では「新居に多くの観光客や地元の方が訪れる状況が発生しているということですので、今週、放送やホームページ上で視聴者の皆様に大谷選手の自宅をはじめ、プライベートな空間を訪れることはお控えいただくようお願いいたしました」といった発言も飛び出し、この“他人行儀”な内容にネット上では辛辣な声が並ぶ。 フジテレビがどんなに配慮がない報道をしても不思議はないが、これに対する批判が「他人行儀」というのは妙だ。 「他人行儀」は、親しい間なのによそよそしくすること。 自分が当事者なのに当事者ではないような顔をしているというのであれば、「他人行儀」ではなく「他人事《ひとごと》」だろう。 「他人事」を「たにんごと」と読むこともあるが、この語は「ひとごと」と読むべきだ。 もともと「ひとごと」で、それを「人事」と漢字表記したところ、「じんじ」と混同されるようになり、違いを明らかにするために「他人事」と表記するようになったものだそうだ。ところがその漢字表記につられて「たにんごと」と言うようになったそうだ。
2024.07.06
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大河ドラマ「光る君へ」の字幕で、中国語がカタカナ表記されたそうだ。 大河「光る君へ」吉高由里子&松下洸平の“中国語講座 記事によると、「ワィビィェン ヘンラン(外は寒い)」「ウォデェ゛ァフーチン シー ユェチィェンデェ゛ァ グゥォショウ(私は国司の娘です)」という具合だった祖だ。 日本で使われている漢字に直すと、 「ワィビィェン ヘンラン」→「外辺很冷」 「ウォデェ゛ァフーチン シー ユェチィェンデェ゛ァ グゥォショウ」→「我的父親 是 越前的国守」となる。 「的」が「デェ゛ァ」になっているのは、字幕担当者にはそう聞こえたからなのだろうか。「ダ」にするのが普通だと思うが、苦心の跡がうかがえる。
2024.06.10
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毎日新聞に、「塀の外、輝くために 佐賀の女性刑務所 メーク講座で社会復帰支援」という記事があり、その中にこうあった。「眉毛、太くないですか? 星飛雄馬(野球漫画『巨人の星』の主人公)みたい」 はあ。「星飛雄馬」に注釈が必要なのか。 そういう時代なのか。
2024.05.06
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NHKの朝ドラ「ブギウギ」を見ている。 笠置シズ子ならぬ福来スズ子の歌手引退記者会見があった。 その中で、引退の理由を「今までのようなパフォーマンスがでけへんようになってきた」のが一番だと言っていた。 「パフォーマンス」か。 笠置シズ子の引退は、1957年(昭和32年)だ。この時に「パフォーマンス」という言葉があっただろうか。 私が「パフォーマンス」という言葉を初めて耳にしたのは、一世風靡セピアが話題になった時だ。彼らが歌い踊るのを「パフォーマンス」と言うのを知って、どういう意味だろうと不思議に思って辞書を引いてもわからなかった記憶がある。彼らのデビューは1984年だ。 今では「コストパフォーマンス」というように、日常的に使われる語だが、日本語にしにくい語ではある。 もしかすると芸能界では古くから使われていたのかもしれない。そうでなければ、一世風靡セピアの活動を「パフォーマンス」と表現することもなかったはずだ。
2024.03.27
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近江市場のコロッケ屋さんで見た説明。 コロッケは「炸丸子」。なるほど、丸くまとめて油で揚げたもの、ということ。 「昔風」を「老式」はなかなか名訳。 こちらは「コロッケ」を「炸肉餅」と訳している。形が違うのか。 「メンチカツ」が「門七勝」になっているが、「門七(menqi)」は音訳だが、「カツ」が「勝」なのは日本語の音。しかも訓読み。ちょっと苦しいな。 中国語表記がフォントがちゃんと簡体字でそろっているのには感心した。中国語で入力したことがわかる。
2024.03.25
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「椿三十郎」やNHKBSでの山本周五郎作品ドラマの再放送を見たのをきっかけに、「一太郎で青空文庫」に、山本周五郎の短編を収録しようと思い立った。 「雨あがる」「はたし状」に続いて「日日平安」を一太郎化した。 「椿三十郎」の原作だ。 この小説が原作であることは知っていた。しかし、山本周五郎はずいぶん読んだはずなのに、これは読んだ記憶がない。 今回、「青空文庫」にファイルのダウンロードに行って驚いた。 ずっと、題名は「ひびへいあん」だと思い込んでいたのだが、「にちにちへいあん」だったのだ。なぜ「ひび」とは読まないのかわからない。 そう言えば、「日日是好日」も「ひびこれこうじつ」だと思っていた。これは、「にちにちこれこうじつ」と読むのが一般的らしい。 ただ、「好日」を「こうじつ」と漢音で読むのなら、「日日」は「じつじつ」と読むべきだと思うのだが、「じつじつ」とは読まないようだ。 「にち」と呉音で読むのなら、「にちにちこれこうにち」と読むべきだと思ったら、前後としてはこう読むらしい。 「ひびこれこうじつ」と訓読みと音読みを混ぜて読む読み方もあるらしい。 なかなかやっかいだ。
2024.03.16
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「読売新聞」の「本よみうり堂」で芥川賞作家の玄侑宗久の著書が紹介されていた。 記事の中に、福島県三春町の名刹《めいさつ》福聚寺《ふくじゅうじ》に生まれた。とあった。 「ふくじゅうじ」である。 芥川賞を受賞したときの紹介記事で、「福聚寺」に「ふくじゅじ」とルビが振ってあって驚いたことがある。 言われてみれば、「聚」は「聚楽第《じゅらくてい》」のように「じゅ」と読むのが普通だ。 辞書を引いたら、漢音が「シュ」、呉音が「シュ」、慣用音が「シュウ」「ジュ」だった。 念のために「福聚」で検索してみたら、「福聚」で「ふくじゅ」と読む語があった。 したがって、漢字の読みからすれば「ふくじゅじ」なのだが、地元で「ふくじゅじ」と呼ぶ人は一人もいない。誰もが皆「ふくじゅうじ」と呼ぶ。 今回の記事は、本人に読みを確認したのか、本人から申し出があったのか知らないが、地元の人にとっては本来の読みのルビがついていた。 また、「福聚寺」で検索したら、「ふくじゅじ」と読むお寺があったが、なんとWikipediaに三春の福聚寺の項目があり、これでも読みは「ふくじゅうじ」となっていた。
2024.03.10
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今日の読売新聞「編集手帳」にこんな文があった。辞書によれば、二は<に、ふ、ふた、じ>などと読む。二男には「じなん」のほか、「つぎお」と読ませる人名もあるそうだ◆文章を書く仕事をしていて、洋数字の2を悩ましく思うことがある。昨日の当欄に、政倫審への出席の意向を伝えた議員を「二人」と表記した◆「2人」と書いてもいいのだが、洋数字を「ふた」と読むのはどうかという疑問を禁じ得なかったからだ。 一読しただけでは意味がわからなかった。しばらくして、「二人」と書いて「ふたり」と読むのは、「ふた・り」で、「二」を「ふた」と読み、「人」を「り」と読むのだと思っていることがわかった。 そんなはずはない。「人」が「たり」のはずだ。「三人」と書いて「みたり」、「四人」と書いて「よたり・よったり」と読む例もある。 引用した箇所にも、「辞書によれば、二は<に、ふ、ふた、じ>などと読む。」とあるように、「二」は「ふた」ではなく「ふ」なのだ。 洋数字であろうが漢数字であろうが「二」は「ふ」であって「ふた」ではない。 数字は算用数字を用いるようになっているらしく、通常は「ふたり」は「2人」と書くらしい。 しかし、「2人」では、「ににん」と読まれる可能性もある。「二人」なら、「ににん」よりも「ふたり」と読むのが自然ではないか。
2024.02.22
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「ブギウギ」を見ていたら、主人公の弟が出征する場面でのこと。 「行って参ります」と言ったところ、見送りに来た近所の人が、「参ります」は帰ってくる気があることになる、うちの息子は「行きます」と言って出征した、ということを言ったので、「行きます」と言い直していた。 なるほど、「参ります」は「戻る」「帰る」という意味があるような気はするのだが、「そちらへ参ります」「神社に参る」というように、「行く」という意味もある。 しかし、「行って参ります」を「行ってきます」と言い換えてみると、戻ってくるという意味が感じられる。 おそらく、出征や出撃の際には「行きます」というのが一般的だったという根拠があってのことなのだろう。 さて、「行きます」だが、この言葉から「アムロ、行きます」を連想した人は多いはず。 あの言葉も、出征・出撃の際は「行きます」というものだった、ということがあってのことなのかもしれない。
2023.11.21
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いつもは疑問を抱くことが多い「チコちゃんに叱られる!」の説明。今回はよかった。 「なぜ漢字に書き順があるのか」ということを説明していた。 理由は、「先生が教えやすいから」ということ。 それまで、筆順には統一した基準はなく、人によってことなる筆順で書いていた。 それを昭和33年に、当時の文部省が基準を決めたという話。 筆順がバラバラでも誰も困らないのだが、小学校で教える際に、統一した基準がないと困る、という理由で基準が作られた。 その説明に出てきたのが、大学教授の松本仁志という人。 筆順については、ずいぶん前に、「「正しい書き順」?」で書いた。確認したら、なんと、その時もこの人が出ていた。 その時の番組では、文部省の基準で書くべきだということになっていて、松本教授もそれに同意しているような内容だった。(松本教授は筆順については番組とは異なる意見を持っていたようなのだが、番組内では番組の既定路線に合わせていた) 今回は、「正しい筆順はない」という結論になっていて、文部科学省が示している基準にある注意事項の、ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定するものでもない。という文言を紹介している。 簡単に言えば、「正しい筆順」などというものはないのだ。 筆順にとらわれる必要はないが、画数が変わる書き方をしてはいけない。画数が変わってしまうと、似ているだけの別の字になることがある。 例えば、果物の「柿」と、演劇界で使われる「杮《こけら》落とし」の「杮」。 「カキ」はナベブタを書いてから巾を書くが、「コケラ」は右側の縦画が上から下まで貫かれた一画だ。 それにしても不思議なのは、いわゆる「漢検」の問題で、漢字の一部をさして、それが何画目かを問う問題があることだ。その設問自体が文部科学省の方針に反しているのに、どうして文部科学省は放置しているのだろう。
2023.10.28
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13日の「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」の中で、「行」の「彳」の部分の部首名を答えさせる問題があった。 答えは「ぎょうにんべん」となっていたが、「行」は「行」自体が「ぎょうがまえ」という部首。「街」や「術」などに使われている。 「往復」や「径」の部首なら「ぎょうにんべん」だが、「行」の部首を答えさせるなら、正解は「ぎょうがまえ」だ。
2023.10.13
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東京電力・福島第一原発の処理水放出に関連して、中国からとみられる迷惑電話があちこちに懸かってきているという。 その音声がテレビで公開されているが、日本語で「バカヤロ」と言うのが興味深い。 どうやってこの言葉を覚えたのだろうか。 英語でもフランス語でも、会話の教本で「バカヤロ-」に相当する言葉を教えるものがあるだろうか。 学校で「バカヤロー」を英語で何というか習ったことがある人はいないだろう。 中国人にこの言葉を教えたのは、まぎれもない日本人だ。 戦争中のことを描いた中国映画に出てくる日本人、特に軍人は、ひんぱんに「バカヤロー」という。 甲高い声で言うことが多い印象がある。日本人と関わりがあった中国人にとっては、日本人といえば「バカヤロー」なのだ。ただ、「ロー」と伸ばすのは中国語では不自然なので、「バカヤロ」になるのが普通。 なんのことはない、中国人に「バカヤロ」という言葉を教えたのは日本人自身なのだ。
2023.09.01
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朝ドラの「らんまん」を見ている。 今週は日本統治下になった台湾へ行く話。 現地の人と現地の言葉で話そうとする場面があったが、どうも中国語らしく聞こえない。 台湾人役の人は日本人のような名前だが、おそらくネイティブの人ではないかという感じがする。 調べたら、台湾人の「陳志明」を演じたのは、朝井大智という人で、やはりネイティブだった。 どういう人物かということについてはここに詳しい。 また、そこには、「陳志明」は現地の発音では「ダァン・ジーミン」だと言う場面もあると書かれている。 「陳」は北京語では「Chen」なので、台湾では「ダァン」なのかと思って検索したら、台湾のローマ字表記では「Tan」になるのだそうだ。北京語では「T」は有気音だが、台湾では無気音なのだそうで、「ダァン」と聞こえるわけだ。 「台湾語」というのもずいぶん乱暴な話なのだが、そういうことを追求していくときりがない。
2023.08.31
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「THE 突破ファイル」という番組を見ている。 24日の放送で、気になることがあった。 「魔のT字路 何もない道でトラックはなぜ横転?」という話で、なぜトラックが横転したのかという謎を解くものだったのだが、その謎よりも気になったのは、「T字路」という言葉だった。 降格と思っている人が多いようだが、これは本来は「丁字路」。「丁寧(ていねい)」の「丁」の字に似ているから「丁字路」なのだ。 後で誤って「T」があてられたのが広まってしまったようだ。 どうしたものか。 丸組の内容は、ここで詳しく紹介されている。
2023.08.25
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「呼び出し先生タナカ」という番組で、「玉蜀黍」の読みを答える問題で、「とうもろこし」のみを正解とし、「とうきび」を不正解としていた。 どういう理屈なのだろう。 今でも「とうきび」という呼び方は残っている。「方言は正しい日本語ではない」とでもいうのだろうか。 私が育った地域では、「トウモロコシ」を「トウミギ」と呼んでいた。 そういうものだと思っていたが、大人になってずいぶんたってから「トウキビ」が訛って「トウミギ」になったのだろうと気がついた。 なぜ「トウキビ」ではいけないのだろう。
2023.08.08
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今日の毎日新聞の「毎日ことば」は「冷汗三斗」。 これは誤った読みが出てしまう語の一つ。 当然読みは「ひやあせさんと」だろうと思ってしまった。 解説の見出しは「ああ恥ずかしい」。 その見出し通り、「ああ恥ずかしい」という思いをすることになった。 正しくは「れいかんさんと」なのだ。 「冷汗」を「ひやあせ」と読んでしまい、そう読むものと思い込んでいたのだ。 恐らく、今までにこれは「れいかん」と読むのだ、と知ったことがあったと思うのだが、そのことは忘れ、「ひやあせ」だと思ってしまっていた。 幸い、人前でこの語を使うことがなかったので恥をかかずに済んでいたのだろう。いや、もしかすると、ひとまえで「ひやあせさんと」と言って恥をかいていたのに、気づいていなかっただけなのかもしれない。 「ひやあせ」と読む場合は「冷や汗」と表記するのが規範のようだ。しかし「うけつけ」と読んでも「受付」と送り仮名なしで表記する例もある。 しかし、これは「れいかん」と読むものらしい。 「ひやあせ」ではなく「れいかん」。 気をつけよう。
2023.06.19
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「スクール革命」という番組で、日本テレビのアナウンサーが「エレベーターの3階が鬼門」という話をしていた。 「3階」は「さんがい」で、「3回」は「さんかい」なのが難しいそうだ。 ほかにも、「3軒」は「さんげん」、「3件」は「さんけん」と読み分けているという。 意識したことがなかったので新鮮だった。 理由はわからないらしい。 「1階」から「9階」までで「がい」と読むのは「3階」だけだという。 出演者に「さんじゅっかい(30階)は?」と聞かれて、正しくは「さんじっかい」だと答えていた。 これは知っていたが、その話はそこまでで終わってしまった。 なぜ「かい」と「がい」があるのだろう。 「かい」と読むのが普通なのに「がい」になる例としては、「三界(さんがい)」が頭に浮かんだ。「世界」「界隈」「視界」は「かい」なのに。辞書を引いたら、「苦界」の「くがい」があった。 「三界」は「苦界」は仏教に縁がある語だ。音読みで清音と濁音がある時は、「下」の「ゲ」「カ」のように、濁音は呉音、清音は漢音なので、「ガイ」となるのは呉音なのかと思ったが、辞書を引いたところ、そういう訳ではないらしい。 ただ、「階」も「界」も呉音を「ケ」とする辞書もあるようなので、なにか関係があるのかもしれない。
2023.04.10
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「今夜はナゾトレ」を見たら、英単語の「spinach」は日本語では何かという問題が出た。 答えは「ほうれんそう」。 私は知らなかった。へえ、そうなんだと思った。しかし、その後の解説で「ネパールから伝わったから菠薐の字を当てた」という意味のことを言っていたので驚いた。 「菠薐」はペルシャのことだと思い込んでいたので、検索してみたら、ネパール説とペルシャ説があるらしい。 知らなかった。 原産地はペルシャの方が近いと思うし、ネパールから高山を越えて中国までもたらされたというのは難しいのではないか、とも思うのだが、河口慧海の故事もあることだし、あり得ることだ。 現代中国語では「ペルシャ」は「波斯」、ネパールは「尼泊尔」。 これだけ見ると「菠薐」はペルシャのように思えるのだが、ネパールのどこかの地方の名の音訳の可能性もある。 むずかしいなあ。 ホウレンソウは現代中国語では「菠菜」だそうだ。 なお、番組の内容を詳しく書いておくとこうだった。 「ホウレンソウ」を英語で「spinach」というが、これは、ペルシア語でホウレンソウを意味する「aspanakh」が由来だ。 一方、「ホウテンソウ」の由来は、ネパールから中国に伝わったことから、中国語でネパールを指す「菠薐(ホウレン)」が和名の由来。
2023.04.05
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「すみませんより申し訳ありません」「上司にはご苦労様ではなくお疲れ様」は、なぜ間違いなのかは興味深い記事だった。 疑問を感じたものもあれば、納得したものもあった。 簡単な疑問から。「全然」は口語では、否定的な表現を強調する副詞とされますが「全然寒い」「全然元気」というように肯定的な表現に使う人も増えてきていて、もはや受容された用法になりつつあります。 私も、「全然」は否定の語を伴うものだと思っていたが、そうではないらしいことは大人になってから知った。 何で読んだのか忘れてしまったが、否定の語を伴うようになったのは昭和になってかららしい。 例えば、芥川龍之介の「羅生門」に、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。という文章がある。書かれたのは大正時代だ。 敬語の問題について、なるほど、そういうところに気がつくのかと思ったことがあった。方言には中間の敬語がいまも数多く残っています。たとえば大阪なら「コーヒーでおます」。京都なら「来た」と「いらっしゃった」の間に「来はった」という表現もあります。どちらも丁寧ですが、同時に親しみも感じられて、使い勝手がいい。 最後に、もっとも「なるほど、そうか」と思ったこと。 「お疲れ様」「ご苦労様」についてはいろいろ言われている。目上の人には「お疲れ様」と言わないと失礼だ、という説もあるが、古くは目上の人にもご苦労様」と言っていたという用例もある。 しかし、問題はそれ以前のところにあった。目上の人に対して、労ったり慰めたりすること自体が敬意を欠いています。 まさに、蒙を啓かれるというのはこういうことなのだ。
2023.03.25
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「読売新聞」の「時代の証言者」。 楳図かずおへのインタビューを文章にまとめたもの。楳図の言葉の合間に、記者による解説などがある。 ある作品のセリフについてこうあった。胸に迫る名セリフ。楳図ホラーが怖いだけでないことを示す転換点になった これだと、ほかの作者のものには「怖いだけ」の作品があることになってしまう。 例えば、どんな作品だろう。 また、こういう文章もあった。「影姫」の結末は「猫面」と正反対で、余韻の深い美しいもの。「フレンド」時代の隠れた傑作と言える これでは、「猫面」の結末は、「余韻の浅い美しくないもの」になってしまう。 楳図かずおの作品を高く評価しているのはわかるのだが、評価するのは難しいと思わされる。 比較してしまうことがよくないのだろう。
2023.03.22
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読売新聞の「カトリック離れ 歯止めかからず…ローマ教皇 就任10年」という記事を読んでいて気になったこと。 こんな文章があった。小児性愛との因果関係が指摘される神学校での禁欲生活の緩和、教会組織への女性参加などの抜本的な改革には及び腰なままだ。 この文章だと、「因果関係が指摘され」ているのは「禁欲生活」なのか「禁欲生活の緩和」なのかわかりにくい。 おそらく「禁欲生活」だろうとは思う。 では、それをはっきりさせるにはどういう文章にすればよかったのか。 しばらく考えたが、いい考えが生まれない。 「神学校での、小児性愛との因果関係が指摘される禁欲生活」とすれば、少しはわかりやすいだろうか。
2023.03.20
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「海運! なんでも鑑定団」を見ていたら、依頼主として、「峠田」と書いて「たおだ」という人が出ていた。 おお、「峠」とかいて「たお」と読む姓だ。 以前、「持ヶ峠」「中峠」 「峠」の読みというタイトルで、「峠」を「たお」と読むことについて触れたが、ここにも「峠」を「たお」と読む人がいた。 ATOKでは、「峠」の訓読みとして「たお」が採用されている。 何か根拠があるのだろう。 私が知らないだけで、実はさほど珍しくはないのだろうか。
2023.03.08
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朝、テレビ朝日のニュース番組を見ていたら、エンタメコーナーで、永瀬廉がドラえもんの話をしていた。 劇場版に出演したそうだ。 話している時に、アナウンサーに、「え」を高く発音していることを指摘されていた。 ドラえもん __ー__という風に発音しているようだ。関西育ちで、関西のアクセントなのだそうだ。 アクセント崩壊地区に育った私は気づかなかった。 改めて標準的なアクセントはどうかと考えたが、よくわからない。 ドラえもん ーーー__かと思ったが、 ドラえもん _ーーーーかな。
2023.03.03
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読売新聞のコラム「編集手帳」は、こういう書き出しだった。 「やじうまではない。やじんまだ」。先代の桂文治師匠は江戸時代の言葉遣いを弟子らに厳しく仕込んだ 「やじんま」という言い方は初めて知った。 江戸っ子は「やじうま」ではなく「やじんま」と言ったのだろう。いわば江戸方言だ。 これを読んで、最初は江戸方言かと思ったものがあったのを思い出した。「行灯」を「あんどう」と読む読み方だ。 岡本綺堂の「半七捕物帳」で初めて目にした。 「行灯」は「あんどん」だと思い込んでいたので気になった。 考えてみれば、「灯」は「トウ」と読むのが普通なので、「あんどう」と読むことに無理はない。 辞書を引くと、「あんどう」も「あんどん」も使われているようだ。 「灯」を「ドン」と読むのは唐宋音で、比較的新しくもたらされた読みで、現代の中国語に近い。今の中国語では「deng」で、「ドン」が近い。 ピンインで書いた時に「ng」で終わるものは、日本の漢音では「ウ」か「イ」で終わることが多い。「形」「清」「行」などがそうだ。 それに対して「n」で終わるものは「ン」で終わるのが普通。「券」「新」「感」など。 今ではどちらも「ン」と書いてしまうが、「n」と「ng」を聞き分けていたわけだ。 正しい読みなのに、訛りと思われているのもある。 「十手」を「じって」と読むのがそれだ。圧倒的に「じゅって」という人が多いが、正しくは「じって」。ずいぶん前に高嶋政伸主演で「十手人」という時代劇が放送されたが、その番組では正しく「じって」と言っていた。
2023.03.01
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23日の読売新聞「揺れる「パンダ愛」、友好のシンボルから日中関係の指標へ」という記事を読んでいたらこうあった。 「チウバン、チウバン」と来園者が中国語名で呼びかける。7歳の子供と訪れていた女性(42)は「秋浜が日本から来たとは知らなかった。愛らしく、中日友好に役立つ」と目を輝かせた。 以前、日本から返還されたパンダ「秋浜」が中国の動物園で公開されている、という部分。 「秋浜」は日本でつけられた名で、日本では「シュウヒン」と呼ばれていたが、中国では中国語読みで「チウバン」と呼ばれているそうだ。 おや、日本の地名の「横浜」は中国語読みでは「Hengbin」だから、「秋浜」は「チウビン」ではないかと思ったが、これはわたしの考えが足りなかった。 「浜」という字の読みは「bang」で、「小川」という意味。 日本の地名の「横浜」は正字体では「横濱」で、中国の簡体字では「横滨」となる。「滨」の読みが「bin」なのだ。「滨」は「水辺」という意味。 従って、「秋浜」と書いてあったら、現地の人は「チウバン」と読むわけだ。 ただ、「秋浜」という名は、南紀白浜アドベンチャーワールドで誕生したことからその地名にちなんで「秋浜」と名付けられたはず。 中国に返還する時に、中国語では「秋滨」という表記になると注意していればよかったのだが、そこまで気が回らなかったのか、すでに中国でも「秋浜」という表記で知られていたのか。 同じ漢字を使っていると思って油断していると、いろいろ厄介なことになるという例。
2023.02.26
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読売新聞の「編集手帳」にこうあった。 小林一茶は方言を織り込んだ俳句を数多く残している。<せなみせへ作兵衛 店だな の梅だんべへ>。江戸郊外の葛飾の人々はこんな言葉で話していたらしい◆<せな>は兄の意、<みせへ>は見なさい。「兄さん、見てちょうだい、あれが作兵衛の店の梅だよー」。 「せな」は子供の頃聞いたことがある。福島県で育ったので、東北の方言かと思っていたのだが、関東でも使われていたのか。 古語なので、少しずつ語義を変えながら関東から東北にかけて生き残ったのだろう。 今では死語だと思う。
2023.02.15
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「らじるらじる」で「タカアンドトシのお時間いただきます」を聞いていたら、冒頭に、リスナーから寄せられた方言の話があった。 北海道出身の方の話で、北海道の方言として「うるかす」を挙げていた。 この言葉は福島県出身のわたしも知っている。 「水につけておく」というようないみだ。ご飯のこびりついた釜に水を張っておいて洗いやすくするような時に使っていた。 アナウンサーには意味がわからないようだったが、タカアンドトシは北海道出身なので、意味がわかり、用例を挙げて説明していた。北海道での意味もわたしが知っているのと同じようだった。 ずいぶん前にNHK教育テレビで放送された方言に関する番組で、福島県の方言として取り上げられていたので、福島の方言かと思っていたのだが、そうではないようだ。 検索したら、東北から北海道にかけて広い地域で使われているらしい。
2023.02.10
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18日に放送された「日曜日の初耳学」を見たら、最初のコーナーで、「今年11月、沢口靖子さんや長澤まさみさんらが輩出した東宝シンデレラオーでションが開催」というナレーションが流れた。 これは珍しい。今は、「沢口靖子さんや長澤まさみさんらを輩出した」ということが多い。 これは、「排出」と同音であるために生じた混乱らしい。 「輩出」は「優れた人物が次々に出る」ということなので、「○○や○○が輩出」というのが本来の使い方。当然、一人しかいない場合には使えないのだが、それを知らず「○○を輩出」という人もいる。 珍しく、本来の意味を知っている人がスタッフにいたらしい。
2022.12.12
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24日に放送された「たとえ発掘バラエティ 後藤&河合はウリふたつ⁉」を見た。 知らないことも多く、勉強になったが、「王道」という言葉に本来の意味についての話には困ったものだと思った。 「王道は定番という意味ではなくて簡単な方法という意味」だと説明していた。 やれやれまたか、と思う。 「王道」を「簡単な方法」や「近道」という意味で使うのは、アリストテレスが若きアレキサンダーに言った言葉を英訳した「There is no royal road to learning.」の訳に基づくようだ。 このことは、前にも書いた。 しかし、辞書を引けば、最初に、「仁によって国を統治する政治のあり方」という意味が出てくる。「王道」の対義語は「覇道」だ。 プロレスで言えば馬場さんが「王道」で猪木が「覇道」だ。 こんなことは辞書を引けばわかることなのに、なぜ、番組制作者はその労をいとうのだろう。
2022.11.25
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新聞の広告欄を見ていたら、「10品を繰り返し作りましょう わたしの大事な料理の話 」という本の広告が載っていた。 「もう献立に困らない!一生役立つ料理術」と書いてあり、料理の入門書らしい。 気になったのは、「10品」に「じゅっぴん」と読み仮名が振ってあること。 これは「じっぴん」のはず。 「十」の音読みは、歴史的仮名遣いでは「ジフ」だ。これは入声音《にっしょうおん》なので、促音《そくおん》(つまる音)になると、「ジッ」になる。 「五十歩百歩」は、つい「ごじゅっぽひゃっぽ」と言ってしまうが、正しくは「ごじっぽひゃっぽ」だ。アナウンサーでも、「十回」を「じゅっかい」と言う人が多いようだが、ちゃんとした人は、「じっかい」と言っている。 もっとも、「じっかい」と言った方が間違っているように感じてしまう人の方が多いだろう。 ずいぶん前だが、高嶋政伸主演の時代劇で「十手人」というのがあったが、このドラマでは、「十手」を「じゅって」ではなく、正しく「じって」と言っていた。調べたら2001年のドラマだからもう20年も前のドラマだった。 出版社の編集者でも知らなかったのか、あるいは、「じゅっぴん」の方が自然でいいと思ったのか。 読み仮名を振っていなければ気にならなかったのだが、「じゅうしな」と読まれないように配慮した結果なのだろうか。そうなると、「じっぴん」と「じゅうしな」ではどう違うのかということが気になる。
2022.10.27
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新聞一面の下は書籍の広告。 「江戸」という言葉にひかれて見てみたら、「歴代老中が輩出」と書いてあった。 「輩出」を、本来の意味で使っている。 今は、「歴代老中を輩出」と書いてしまうことが多い。 「輩出」は『次々に出る」という意味なので、この「歴代老中が輩出」の方が正しいのだが、「排出」と同音であるためか、「歴代老中を輩出」とすることが多いようだ。 今や、正しい使い方の方が珍しい。
2022.09.11
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毎日新聞のコラム「余録」を読んでいたら、「公孫竜」に「こうそんりゅう」をルビが振ってあった。 WEBサイトでは次のようになっている。 「白馬非馬(はくばひば)(白馬は馬に非(あら)ず)」は外形で分類される馬と、色と外形双方で認識される白馬は異なる存在という主張だ。中国古代の思想家、公孫(こうそん)竜(りゅう)の論で論理学的には歴史的意義があるそうだが、人を欺く詭弁(きべん)を指す四字熟語として伝わってきた 「公孫竜」を「こうそんりゅう」と読んでいる。 「竜」という漢字は、その字だけだと「りゅう」と読むのが普通だが、「坂本龍馬」を「さかもとりゅうま」と読むことはない。「画竜点睛」は「がりゅうてんせい」ではなく「がりょうてんせい」だ。 音読みが二つあり、「りゅう」は呉音、「りょう」は漢音だ。 呉音と漢音では、漢音の方が由緒正しいというのも変だが、その音が日本に入ってきたときにはそれが標準的な音だと思われていたので、漢音で読むことが推奨されたはず。 したがって、「こうそんりょう」と読む方がいいのではないかと思う。 ただ、これはいろいろ面倒で、漢文の総元締めの「論語」は漢音では「ろんぎょ」なのだが、呉音で「ろんご」と読むことになっている。 困ったね。 ずいぶん昔のことだが、政治家の詭弁をとりあげた評論家の文章で、「夢に公先生が現れて」と書いていたのを見て驚いたことがある。 もちろん、「白馬は馬に非ず」という言葉を利用して政治家を批判しようとする文章だったのだが、そんなことよりも「公先生」に驚いた。 公孫竜は中国では珍しい二字姓で、「公孫」が姓なのだ。『水滸伝』にも「公孫勝」という好漢が登場する。その評論家はそのことをしらず、「公」が姓だと思っていたのだ。 これまた困ったことだ。
2022.09.10
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先日の「出流原弁天池湧水」で取り上げた、読めない字について、手元にあった辞書で確認してみた。 やはり、下の二字は「弁天」だった。 利用したのは児玉幸多・編「くずし字解読辞典」だが、私が持っているのは古くて、近藤出版社版。平成元年に発行された16版。 今は東京堂出版から出ているようだ。 こういう本が手に入るようにしてくれるのが、東京堂出版の偉いところだ。
2022.08.30
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テレビ東京の「ナゼそこ」という番組を見ていてびっくりした。 山口県の秘境に住む人を訪ねるという企画だったのだが、訪ねる相手の住んでいるところが「持ヶ峠」と書いて「もちがたお」と読む地域だった。 「たお!」 もう30年ぐらい前になるが、「峠」と書いて「たお」と読む姓の人に会ったことがある。 「峠」は国字だから音読みはない。「とうげ」としか読まないと思っていたので驚いた。本人も、なぜ「たお」と読むのか知らないということだった。 地名にある、ということは、何か由来があるのだろう。 「峠」という字の読みとして不思議に思ったのは、手賀沼の近くにある「中峠」。これで「なかびょう」と読む。「峠」がなぜ「びょう」になるのかわからない。アイヌ語の名残かと思ったが、私に答えの出せるものではなかった。
2022.07.23
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ジャイアント馬場さんの作り上げた全日本プロレスには「王道」という枕詞がついている。 これは儒教の考え方で、徳によって周囲が自然に慕い従うようになるような統治のあり方のことだ。まさに馬場さんである。 これに対して、力によって押さえつけ、屈服させて従わせようとするのは「覇道」である。まさにアントニオ猪木のやり方である。もちろん、アントニオ猪木の人間性に問題があると言うよりも、それが最も世間にアピールする方法だと思ってその方法を選んだのだろう。 しかし、世の中には「数学に王道なし」という言葉がある。この場合の「王道」は、英語の「There is no royal road to learning.」を訳したもので、「royal road」を「王道」と訳したことから誤解が生じてしまった。 大分前のことだが、テレビで、「王道」という語はこれに由来し、「安易な方法」「安楽なやり方」という意味だと説明しているのを見たことがある。これは明らかな間違いで、本来の意味は儒教での意味だ。 おそらく明治の人なら「王道」という語を知っていたから、「royal road」を「王道」と訳すことはなかったろう。漢籍に由来する語であっても、ほかの語を選んだはず。残念ながら私にはそれだけの知識がないので、適当な語が浮かばないのが残念だ。
2022.04.09
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毎朝、新聞のテレビ欄を熱心に見ている。 今は読売新聞を取っているが、定期的に毎日新聞と朝日新聞と変わる。これは、新聞販売所同士で話し合って勧誘しているのであって、私が特定の新聞を選んでいるわけではない。 20日に、例によって朝食を取りながらテレビ欄を見ていたら、「試写室」というコーナーで「これが定番! 世代別ベストアニメ」という番組が紹介されていた。 その紹介記事を読んで驚いた。 赤で傍線を引いた通り、「半端なく」という表現が使われている。 なんと、読売新聞はこの語を紙面で使うことにしているのだ。 産経新聞のように「日本語などどうなってもいい」と考えているメディアならわかるが、保守的な読売新聞で使われていることに驚いた。 どういう過程を経て許容することになったのか、と、読売新聞に問い合わせてみようかと思ったが、「半端ない」で検索したら、「毎日ことば」というのがヒットした。 毎日新聞の校閲記者が書いているらしい。(「らしい」というのは、このページから直接毎日新聞に行き当たらなかったから) 語彙が変化したり、新たな語が生まれたりして毎日苦労しているようだ。 毎日新聞は、かなり前に、「ずつ」を「づつ」と表記している記事があったので、「づつ」を許容することになったのかと問い合わせたら、見落としだったという丁寧な返信をいただいたことがある。 こうして校閲部の苦心や、日本語の変化についての考察しているのは立派なものだ。(もしかすると読売新聞もこういうサイトをもうけているのかもしれないが、見当たらなかった。)
2022.02.20
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朝4時から再放送している「クイズ! 脳ベルSHOW」を録画してみている。 BSで夜10時から放送している番組の再放送で、今は去年の7月に放送したものを再放送している。 クイズ番組だからと見始めたのが、40年前に発売された商品の名前や、30年前のヒット曲の歌詞の穴埋めを答える問題が出たりして、通常のクイズ番組とはかなり異なっている。ゲスト回答者が、その問題に答えられそうな年代の人が多く、独特の人選でそれが気になる。 アイドル女優だった奈良富士子とか、「キーハンター」に出ていた大川栄子とか、元「The Goodbye」のドラムの衛藤とか、今でも元気でいることがわかってうれしくなるようなゲストを呼んでいる。 今週は月曜火曜は九十九一が出たかと思うと、水曜木曜には天龍源一郎が出ていた。 バラエティにも大分慣れている様子。元気そうで何より。 答えが「藤波辰爾」になる問題があったのだが、回答せず、「答えたくなかった」などと言っていたが、本当はわからなかったのかもしれない。 驚いたのは、回答の仕方。 数多くのクイズ番組があるが、回答を書いて答える問題の場合、誰もが横書きで回答している。回答を記入するボードも横書きになっている。 ところが、天龍だけは横長のボードに縦書きで回答していた。 日本語は本来縦書きで書くようにできている。力士だったことが影響しているのかどうかわからないが、こういうところでも自分の道を貫く天龍らしい。
2022.02.04
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「なたは小学5年生より賢いの?」という番組を見ていたら、『』の名称は何か、という問題が出た。 そんなもの「二重カギ括弧《にじゅうかぎかっこ》」だろうと思ったのだが、選択肢は、A おおかぎB ふたえかぎC かぎかぎかっこの三つだったので驚いた。 知っているものがない。おそらく「ふたえかぎ」なのだろうとは思ったら、それが正解だった。 しかし、うまれてこのかた「ふたえかぎ」という呼び名を聞いたことがない。 初めて呼び名を知ったときがいつなのか覚えていないが、ずっと「にじゅうかぎかっこ」だと思っていた。 印刷業界の符丁ではないか、という気もするのだが、検索したら「ふたえかぎ」という呼び名は使われているらしい。しかし、なんだか釈然としないなあ。
2021.09.11
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「一太郎で青空文庫」に、岡本綺堂の「画工と幽霊」を追加。 明治35年には発表されたもので、「半七捕物帳」よりずっと前。また、イギリスの雑誌に発表されたものの翻訳。 一太郎化の作業中、珍しいルビが気になった。 「時宜《じき》」のように、今日でもそのまま同じに読む音読みのものもあるが、「邸宅《やしき》」「嚆矢《はじめて》」などは意味を当てた読みが多い その中に、こんなのがあった。・接《あつか》って 「接す」で「もてなす」と読む例があるようだから、意味としてはいいのだろうが、読めない。・宛《まる》で これも読めない。「宛」には「まるで」という意味はあるようだ。加之《しか》も 音読みなら「之加」で「しか」になるが、「加之」になっている。「之に加うるに」で「しかも」ということか。 検索したら岡本綺堂の用例が圧倒的に多かった。悶《じれ》ったそう 意味はわかるが読めない。高尚《けだか》い あえて「気高い」と書かないのはどうしてなのだろう。彷彿《ちらつ》いて 「ぼんやりと」ということなのだろう。俗《よ》にいう 「世」で固い印相があるのだろうか。前の方に滑《のめ》る ルビがなければ「すべる」と読むところだ。後妻《にどぞい》 「にどぞい」という言葉を知らなかった。浅猿《あさまし》さ 猿を「ましら」とも言うから、それで「あさまし」なのだろうか。検索したら「浅増」とも書くらしい。道理《もっとも》 まあ、意味は荘なのだが、あえて「尤も」と書かないのが気になる。 ほかの表記でも良さそうなのにと思うところがあるのだが、原文に沿うようにあえてこういう表記をしているのだろうか。
2020.12.05
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これも「青空文庫」で岡本綺堂を読んでいて出会った。 「こま犬」という話。こんな文章があった。僕の先祖もこの明神に華表とりいを寄進きしんしたということが家の記録に残っているから、江戸時代までも相当に尊崇されていたらしい。 ここでは「華表」に「とりい」という読みを施している。 私がこの言葉に初めて出会ったのは、30年以上も前に中国語を勉強し始めたときのことだった。 天安門前広場に「華表」というものがあるということだったのだが、これが何なのかわからない。 辞書を引いてもどんなものなのかわからない。当時はインターネットなどというものは無かったので、検索して画像を見ることもできない。 後に実物を見たら、装飾を施した石柱というか、石で作ったトーテムポールのようなものだった。 岡本綺堂はこの語は知っていて、これに「とりい」という読みを施している。 この語を知っていたというだけでもすごいことだ。
2020.10.14
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久しぶりに「半七捕物帳」を通勤電車の中で読むことにした。何度も読んだはずなのに新鮮で面白い。 ほかのものも読んでみようと思って「青空文庫」を見に行ったら、いろいろ増えている。その中の「探偵夜話」を読んでいたら、「山窩」という言葉が出てきた。 こんな文章。 山窩というものに就いて、関井さんは説明してくれました。それは山の中に小屋や洞穴ほらあななどを作って棲んでいる下等人種で、ときどきに里に出て、乞食をする、盗みを働く、人殺しなども平気でやるという始末に負えない浮浪者の群れで、この山のなかにも二三十人ほどは巣を作っているのだそうです。あまりに悪いことをすると、巡査が隊を組んで山狩りを始めるのですが、そういう徒やからですから、どこへか素早く逃げ隠れてしまって、なかなか狩り尽くすというわけにはゆかないそうです。この山林には桐の木が多いので、山窩の群れは時々にそれを伐り出して盗んでゆく。それを監視するのはやはりこの小林区署の役目で、盗伐者を見つけると取り押えなければならないのですが、相手が例の山窩ですから、まことに始末が悪いということです。そればかりでなく、山窩の或る者はここらの官舎へも食べ物などを貰いに来て、こちらが油断していると、そこらにあるものを手あたり次第に掻っ攫って行くそうです。 私が思っていたよりは、「山窩」というものがいる、ということは知られていたらしい。
2020.10.07
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新しい元号が発表された時の写真を見て違和感を感じたのは私だけではないだろう。 「令」の字体が変なのだ。 点は手描き風だが、その下が「マ」ではなく明朝体になっている。 毛筆で書いたのなら手描きの時の字体で書くべきだと思うのだ。これが明朝体。新聞も雑誌もこの字体になっている。明朝体というのはデザイン化されたものであって、手で確実用のものではない。これがPCに搭載されている教科書体。小学校の教科書はこの字体になっているはず。手で書く時はこう書くのが当然。 検索したら、「令和の「令」、正しい書き方とは? 書道界「字体の第一人者」に真相を書いてもらった 」という記事があり、書体のことを詳しく説明している。 ほかにも字体の違いに目を向けた人はいて、産経新聞には「「令」には異なる書き方が どれが正しいの?」という記事があった。結論としてはどちらでもいいということになっているのだが、書き手は明朝体と手で書く時の書体の違いを理解していないらしい。 また、この記事にはこんなことが書いてあった。官公庁や金融機関などで「マ」の方と書くと、「令」に書き直すように指示されることもあったという。 「あったという」とあるが、一体誰の体験なのだろう。同じ人が官公庁でも金融機関でも書き直すように指示されたのか、別の人なのかもわからない。 またこの書き方では単なる伝聞でしかない。本当にそういうことがあったのかどうか取材してはっきりさせるのが記者の仕事ではないのか。 この記事を書いた記者は裏付け取材をせず伝聞と憶測で書けばいいと思っているのだろう。
2019.04.06
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縦書きの看板と横書きの看板では「だ」の字体が違っている。
2018.12.18
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呉服屋さん。 「たこや」さん。「や」だけ普通のひらがな。
2018.12.14
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「始めました」ではなく、「始まりました」。ちょっとひっかかるが、どこにひっかかるのかうまく説明できない。
2018.12.12
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NHKの「日本人のおなまえっ!」でなぜ「餃子」を「ギョーザ」と読むのかということを取り上げていた。 中国語では「jiaozi」で強いてカタカナで書けば「チャオズ」か「ジャオズ」。 「ドラゴンボール」でも「チャオズ」だ。 番組では栃木での訛りかたによって「チャオズ」が「ギョーザ」になったのではないかと紹介していた。 しかし、一部の人の訛りが全国に広まるだろうか。 昔、中国語を勉強していた時、山東省に留学した経験のある人と知り合った。 その人は「山東ではギョーザと発音していた」と言っていた。 山東方言がもとになっているんじゃないのかなあ。 大陸で餃子を覚えてきた人が栃木にしか引き上げなかったとは思えない。
2018.10.20
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「ホテイアオイの苗 児童が植え付け 奈良・本薬師寺跡の水田」という記事があった。 ホテイアオイのような、水に浮くものを「植え付け」とは不思議な表現だ。 記事の本文にも、根から水面に落ちるように苗を投げ、植え付けた。とある。「投げ」て「植え付け」ることができるのだろうか。 「植え付けた」のではなく「撒いた」と表現すべきだろう。
2018.06.28
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