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様々な随筆集から選んだものと単行本未収録のものをまとめたもの。 他の随筆でも触れていることもあるが、初めて知ったことも多い。 岡本綺堂の文章が読めることがうれしい。 内容もさることながら言葉が目を引く。 「お蚕様《こさま》」(p10)。磯部でのことを書いた文章。数年前に「三日月村」を訪れたときにまだ桑畑があった。 次のページに「護謨《ごむ》ほうずき」とあるが、「ほおずき」のはず。 「コウモリ」の話が何度か出てくる。「思い出草」では「かわほり」(p77)とルビを振っている。 ただし、「雁と蝙蝠」では、子供たちが蝙蝠に向かって叫ぶ言葉として、「こうもり、こうもり、山椒《さんしょう》食わしょ」(p187)と書いてある。 「湯屋」(p81)では、文字通り「湯屋の二階」に上った思いで話を書いている。実際に見ているのである。「石榴口」には「じゃくろぐち」とルビがついている。江戸の言葉なのだろうか。 「かれを乗せた愛鷹丸はヨナを乗せた船のように、ゆれて傾いた」(p108) 聖書に出てくる話らしい。岡本綺堂の文章を読むぐらいの人なら知っていることなのだろうか。 「この墓と会津の白虎隊の墓とはわたしに取って思い出が多い。」(p109) 「この墓」とは修善寺の頼家の墓のこと。岡本綺堂が白虎隊のことを書いたものは読んだ記憶がない。読んでみたい。 「栗の花」(p114)はロンドンでの話。「ベイカーストリートの停車場から運ばれてゆくと」(p115)というところがある。「ベーカー街」といえば、シャーロック・ホームズだ。半七を書くにあたってホームズを意識したことは本人が書いているのだが、ここではホームズのことは全く出てこない。「ベーカー街」とは違うところなのだろうか。 震災後の「郊外生活の一年」に「水を憂いずにはいられなくなった」(p171)とある。「憂えずには」ではない。江戸言葉か。 「雪の一日」には、芝居と違って、「普遍的の読み物のたぐいは、場所をかぎらず、時を限らず、人を限らず、全国到るところで何人にも自由に読み得られる」(pp216)とのべ、「先月初旬に某さっじから探偵小説の寄稿をたのまれたが」「それを急に書く気になって、わたしは机の上に原稿紙をならべた」と書いている。 半七誕生の背景には、こういうこともあったようだ。 「巴里《パリ》にはバジン・テアトル(芝居風呂)などと洒落《しゃ》れた名前を附けた湯屋もある。」(p292)ということだが、パリにも銭湯があったとは知らなかった。 岡本綺堂の芝居観。「芝居というものはイリュージョンを破りさえしなければいいので、何も有職故実《ゆうそくこじつ》をおぼえに来るところじゃない。」(p352) 小説と芝居ははっきり区別していたようだ。 「代官山の駅を下りて此方へ来る途中の古道具屋で、私も湯へ行ったり、髪結床へ行ったりして始終その前を通のですが」(p361) いくら何でも髪を結っていたとは思えないが、「床屋」ではなく「髪結床」と言っていたようだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.13
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「青空文庫」で岡本綺堂の「異妖の怪談集」が公開されているのに最近気づいて、一太郎ファイル化。 今日、上記の3作を「一太郎で青空文庫」で公開。 いずれも原稿用紙40枚ほどの短い作。 「影を踏まれた女」所収の「青蛙堂鬼談」の拾遺集。 いずれも怪異譚で、怪談であるから、謎についての合理的な説明はない。 四谷怪談のような大がかりな話でもない。 おそらく、明治時代の新聞で報道された世間話などがもとになっているものもあるのではないか。 そうであったとしても、小説としてきちんと完成させる力、発想力に感心する。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.22
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念願かなってやっと読むことができた。 半七老人の引き合わせて知り合った三浦老人から昔話を聞くという体裁で、「半七捕物帳」とは違って事件が起こり、それを解決するという形ではない。「こんなことがありました」というだけ。 江戸の香りを伝える、という意図が色濃く現れている。 最近、『風俗江戸東京物語』を読んだばかりなので気づいたが、『風俗江戸東京物語』に出てくるエピソードが使われている話もある。 大げさに言えば、江戸の実録なのだ。(講談社「大衆文学大系」第7巻所収。絶版)
2004.10.16
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白髪鬼 岡本綺堂怪談集(著者:岡本綺堂|出版社:光文社文庫) 「青蛙堂奇談」(『影を踏まれた女』所収)に続く怪異譚集。 当代の話もあれば江戸時代の話もある。 このうち「西瓜」は、ほかの何かで読んだ記憶がある。 怪談なので合理的な説明はされない。 どの話も、偶然と言えば偶然、必然と言えば必然と言えるような事が起こるのだが、どうやってこういう話を考え出したのだろうか。 中国の筆記あたりに着想を得た物もあるのだろうが、岡本綺堂の筆にかかると、いずれも、日本に土着した物語となる。 もっとも印象に残ったのは表題作よりも「妖婆」だ。やはり江戸時代物がいい。 解説は都築道夫で、これがまたよく出来ている。 実作者としての経験からの解釈あり、考証あり。 なんとなく読み流してしまった所も、都築道夫は気に留めていて、「停車場の少女」に出てくる「電報をかける」という表現、「白髪鬼」で「酉の市」と書いて「とりのまち」と読ませている所、「一の酉」ではなく「初酉」となっているところなど、岡本綺堂が江戸人であることを示す例としている。 ところで、本の題としては「白髪鬼」、副題が「岡本綺堂怪談集」となっているが、目次の前のページには、「近代異妖編」とある。もとはその書名で出ていたらしい。
2004.03.31
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江戸っ子の身の上(著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫) 芝居の話や身辺雑記の「江戸の芝居、東京の思い出」、旅先での思い出をつづる「旅すずり」、日清戦争での従軍記者としての体験談「非常時夜話」、古今の怪談や犯罪譚「怪奇探偵話」。 ほかの本で読んだものもあったが、いずれも興味深く読める。 仕事を持って一週間も温泉宿に滞在するなど、文人としては珍しくないのだろうが、うらやましくはある。 内容もさることながら、文章がいいのだ。 無作為にページを開いたところでも、「天は暗く、地は白く、風も少し吹き加って、大綿小綿が一面にみだれて渦巻いている」(p74)という文章が目にはいる。 当時としては普通に使われる言葉だったのかもしれないが、「罨法《あんぽう・えんぽう》」(p124)という語は読めなかった。 むやみに表記を改めていないのはよい点だが、「揺いている」(p73)が「揺いでいる」の誤植ではなく「ゆらめいている」と読むべきなのだと理解するまで時間がかかった。また、「曩に」(p340)が「さきに」だとは読めなかった。 本の編集は良心的だが、校正には見落としがある。 「文芸方面の振はないのはむりもなかった。」 (p254)の「振はない」は「振わない」だろう。 「思わず声を立てようとすると、丞相を制した。」(p320)は、前後から考えて「丞相が制した」のはずだが、これは底本のままなのだろうか。 「剛 を以て聞こえた」(p329)で、「剛」のあとに一字分空白がある。 「酉陽雑爼」の作者を「[暇-日]成式」(p330)としているが「段成式」だ。「段」の異体字と思えない字体で、特に造ったようなフォントになっている。
2003.09.10
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世界怪談名作集(下) (著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫)ドイル「北極星号の船長」ホフマン「廃宅」フランス「聖餐祭」キップリング「幻の人力車」クラウフォード「上床《アッパーバース》」アンドレーフ「ラザルス」モーパッサン「幽霊」マクドナルド「鏡中の美女」ストックトン「幽霊の移転」瞿宗吉「牡丹《ぼたん》燈記」 それぞれ趣向の異なる怪談集。 「廃宅」はいかにもホフマンらしい、難解な面がある。 「ラザルス」など、怪談と言うよりは哲学小説とでもいうべき雰囲気。 「怪談」だからといって恐怖譚とは限らない。 「幽霊の移転」など、山本周五郎の滑稽もののような味わいがある。 解説は種村季弘で、軽妙な書きぶりながら要所を突いている。 電灯の発明によって、ゴシック小説の夜と闇の世界が崩れたというのは、実際そうだったのだろう。 闇が消えたとき、新たな道具立てとして鉄道などが取り入れられた結果が、上巻の「信号手」なのではないか。
2003.07.31
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世界怪談名作集(上) (著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫) 岡本綺堂編・訳による怪談集。 怪談とは言っても、、幽霊話とは限らない。 怪異譚もあればSFに近いようなのもある。「貸家」リットン 幽霊の登場する話なのだが、登場人物が妙に論理的・化学的に割り切って解決してしまうのに驚いた。「スペードの女王」プーシキン これは子供の時に、子供向けの本で読んだ。 しかし、ちゃんとした翻訳で読むと、社交界の人々の生態を描いた小説でもあったことがわかる。「妖物《ダムドシング》」ビヤース 怪異譚。結局謎は謎のまま。アメリカ開拓期には、こんな話はよくあったのかもしれない。「クラリモンド」ゴーチェ 怪談ではあるが、愛を描いた小説である。「信号手」ディッケンズ これもほかの本で読んだことがある。しかし、結局何が起こったのかはわからないのだ。 信号手だけが理解できたのだろうか。 これは、鉄道普及にともなって広く語られた話がもとになっているのではないか、という気がする。 たとえば日本でも、狸や狐が汽車に化ける話が各地にある。 イギリス人も、鉄道に何か危険なものを感じ、信号手の謎の死という話を作り出したのではないだろうか。「ヴィール夫人の亡霊」デフォー 恐怖はない。ただ、女性の亡霊が、親友の前に現れ、その親友がそのことを人に語って聞かせている、というだけの話。 山場も何もない話だが、細部まで描かれており、実話なのか創作なのかわからない。「ラッパチーニの娘」ホーソーン 古典SFとでも言うべき小説。 毒草に囲まれ、その吐く息までもが毒を持つようになった娘と主人公の恋。 SFでも、昔の、科学万能のお気楽SFであれば、めでたしめでたしとなるのだろうが、そうはならない。
2003.07.28
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江戸のことば(著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫) 書名から、言葉に関する考察かと思ったが、言葉をめぐるものはほんの一部。あとは「甲字楼夜話」「怪談奇譚」「明治の寄席と芝居」「創作の思い出」。 「明治の寄席と芝居」は、芝居の筋など、「近松翁は元禄を離れても生きられるように出来ている」(p193)という文学観は理解できるが、著者が想定している読者には自明のことと思われることは説明していないので、読んでも何がなんだかわからない点が多いのだが、岡本綺堂の文章を読める、というところにこの本の価値がある。 本としては良心的な作りである。巻末に、「初出誌紙・収録単行本一覧」があり、また、送りがなは底本のままにしてある。 底本尊重はいいのだが、そのためか、読めない語が多い。 「徐か」(p42)は「ゆるやか」と読むのだろうが、「弓に矢をつかえて礑を射る」(p44)の「礑」は読めない。「やぶらや」だろうか。「滾し抜いた」(p202)の「滾し」は「こんし」でいいのだろうか。 意味のわからない表現もある。 「どういう点について、翁の靴の紐を解くのか」(p179)、「今さらたずねて行って箸片し貰うても」(p222)の「箸片し」。 岡本綺堂が、記者時代に勝海舟や榎本武揚に会ったことがあるというのには驚いた。
2003.06.18
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江戸の思い出(著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫) 「江戸東京の思い出」「震災の記」「怪談奇譚」の三部からなる。 ほかの随筆集でよんだのもあるが、たいてい忘れているので面白く読んだ。 初出が明治四十三年の「思い出草」の一編「紙鳶」に、寒風の中でたこ揚げをしていた昔の子供にくらべ、あたたかい恰好をして「無意味にうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している今の小児は、春が来ても何だか寂しそうに見えてならない」(p43)というあたり、今も昔も変わらないのである。 綺堂の感性を示す表現。 「釣荵《つりしのぶ》は風流に似て俗であるが、東京の夏の景物として詩趣と涼味とを存分に併せ持っているのは、彼《か》の虎耳草《ゆきのした》である」(p89) 蕎麦屋の変遷。 「そばやでは大正五、六年頃から天どんや親子どんぶrまでも売りはじめた。蕎麦屋が饂飩を売り、更に飯までもうることになったのである。」(p128) 誤植? 「周囲の者どもを睥睨《ひげい》していた」(p138) 調べてみたが、「睥」に「ひ」の音はない。 「そこへ或《ある》人が三人ずれで料理を食いに行くと」 「三人づれ」の誤りのはず。 目についた言葉。 「見当り次第に沢山の塚を」(p324)。「見あたり次第にそこらの墓を」(p341)。 「みあたりしだい」というのは目新しい。手元の国語辞典類で調べてみたが載っていなかった。「見当たる」という語はあるから、「見つかり次第」という事なのだろう。 なお、「手あたり次第」は(p342)に用例がある。 この文庫はなかなか良くできていて、巻末に、「初出誌紙・収録単行本一覧」がある。 これを見れば、それがいつ頃書かれたものか、どの本と内容が重なっているのか分かる。
2003.01.29
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ランプの下にて(著者:岡本綺堂|出版社:岩波文庫) 歌舞伎作家でもある岡本綺堂の思い出話。 子供の時から歌舞伎に慣れ親しみ、役者との交流があったことがよくわかる。 こうでなくては歌舞伎は書けまい。 歌舞伎のことはさっぱり分からないのだが、何かに愛情を持ち、それに精通するというのはこういうことかと思わせる。 岡本綺堂の文章が読めるだけで楽しい。 半七捕物帖でもそうだが、時代小説で、着物の柄や素材の描写があってもよくわからなことが多い。しかし、それを着て生活していた人にとっては、特別なことではないのだ。 子供の時に、新富座見物に出かけたときの服装を、「鳶八丈《とびはちじょう》の綿入れに黒紋付の紬《つむぎ》の羽織を着せられて、地質はなんだか知らないが、鶯茶のような地に黒い太い竪縞《たてじま》のある袴《はかま》を穿《は》いていた。」(p25)という具合だ。 新知識も得られた。 「手をたたく者は一人もなかった。その頃には、劇場で拍手の習慣はなかったのである。」(p28) 「ハイカラという言葉はそれから九年の後、明治三十二年頃から流行《はや》り出したのであるから、念のために断っておく。その当時は専ら西洋かぶれといっていた」(p163) 言葉遣いでは、「見そぼらしくも感じられて」(p85)《『広辞苑』第四版には「ミスボラシイの転」とある》、「雁《かり》が飛べば蠅《はえ》が飛ぶ。昔からの諺《ことわざ》でやむをえなかも知れない。」(p125》などが目にとまった。 「劇場の運動場《うんどうば》」(p217)というのは、ロビーであろうか。 また、父親との会話で、父親が。「むむ。今度からここの相談役になったそうだ。」(p236)の「むむ」など、半七捕物帖そのままである。 三遊亭圓朝の落語にある「文七元結」は「ぶんしちもとゆい」だと思っていたが、この本では「ぶんしちもっとい」とルビがつけてある。(p299) 自分の人生については、新聞社に勤務したことでさらに歌舞伎との接点が増えたわけではあるが、自分ではそれでよかったとは思っていないようだ。「満十七歳二カ月にして新聞社に籍を置いたという事は、いろいろの意味においてわたしの不幸であった。今に至ってその感がいよいよ深い。」(p156)という。 どのように不幸だったのか、岡本綺堂自身の自伝を読みたいものだ。
2002.12.25
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