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歩いて体力を付けたいのに靴が劣化してしまい、歩きやすい靴がありません。しかも24,5の5Eなのでそこいらのお店で売っている靴では足が入りません(`・´)ハイアーチと言うものなんです。足の甲が高いんです。土踏まずがもの凄く深くえぐれています。偏平足の逆です。ブーツは入るものが見つかって喜びましたが歩きづらいです。半年以上経って諦めました。靴は履いてみないと分からないので冒険ですが、ネットで買おうと思います。だから靴の買い物メモです。送料無料 Rakuchine 249 552 レディース コンフォート スニーカー らくちん …価格:2,999円(税込、送料込)
March 17, 2016
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最近、にゃじ君は少しづつ穏やかさを身に付けたまには撫でても噛みつかなくなりました。少し前まではほんの少し撫でただけでがぶっ!がぶがぶがぶがぶ!!蹴りっ!蹴り蹴り蹴り蹴りっ!!とすぐに興奮して噛み付いて猫キックしました。なかなか撫でられませんでした。最近のにゃじ君は用事があるとすりっ♪と頭をすりすりします。用事がなくてもも通りすがりにすりっ♪と頭をすりすりします。家族に関しては誰にもえこひいきなくみんなにすりっ♪とすりすり甘えます。そして外出から帰ると殆どの場合で玄関にお出迎えしてくれます。そして足にすりっ♪とすりすりして甘えます。私でも夫でもピーさんでもみんなをお出迎えしてすりっ♪と甘えます。これは匂いをつけるだけではなく甘えてぐりぐり近くを歩き廻ります。オモチャのネズミを投げて遊んで欲しい時には私の近くに来て座り込み、じっと私を見つめます。私が作業に没頭している時には肘にすりっ♪と頭をすりすりします。万年筆で模様を描いている時にこれをやられると模様がぐにっとはみ出ます(;^◇^;)ゝ私が気付いて立ち上がろうとするとすぐにたたたたっと走って玄関の三和土に向かい、三和土の手前に身をひそめて狙いを付け私がネズミを投げるのを待つのです。目は爛々と光り身体を低く構えてすっかり狩りの態勢に入ります。そしてワクワクワクワクした目でこちらを見るのです。それで私は「ううう====っっ!!」と叫びながら場を盛り上げてネズミを投げます。すると身体能力の高いにゃじ君は飛んできたネズミを空中でしゅわっち!とジャンプしてバシッ!と叩きつけます。どんな所に飛んで行っても必ず探し出して咥えてきます。私の近くに咥えて来てポトリと落とします。そしてまた遊んで!と期待を込めて三和土にすさささささ!と走って行き低く身をかがめて臨戦態勢に入り、爛々と目を輝かせてネズ公が飛んでくるのを待つのです。それを5回6回7回と続けるのです。もうね、可愛くて楽しくて面白い猫です。まだ凶暴だけど| ̄m ̄) 毎日襲われているく~たんはすぐに威嚇して反応します。止めろ!と怒りまくります。シャーシャー威嚇しながらバシバシと猫パンチします。ですからく~たんに対してにゃじはある程度我慢します。だから少し離れて寝る事が出来るようになりました。く~たんの妥協の距離です。でも温和なマシロさんはにゃじ君の過激なお遊びに対してただただ逃げ回っています。ひたすら逃げるのでにゃじ君にしては楽しい遊びをしたい放題な訳です。家の中の廊下をマシロさんが右に逃げるとにゃじは八畳から廊下に先回りします。襲われたマシロさんは台所の方に逃げて来て玄関に逃げようとしますが、にゃじは頭が良いので高い身体能力を使って八畳を高速移動し、玄関に先回りしてマシロさんに襲いかかります。マシロさんは必死でギャアギャア鳴きながら兎に角逃げようとします。するとにゃじ君は楽しくて楽しくて全力を使って跳びかかり走り廻ります。マシロさんはどんどん追い詰められて悲壮な状況になります。にゃじ君はもう楽しくて楽しくてルンルン走り廻り襲います。私は途中で仲介しようと駆け付けるのですが何しろマシロの逃げの一手を追い詰めるにゃじの運動能力と攻めの行動に追い付けなくてマシロを守るのに困難を覚えるのでした。そうしてマシロに対してにゃじは遊ぶ存在としてだけの認識が強くなり、こちらの2匹が同室で寝る事はまだ叶わないのでした。この猫たちの行動を見ていて私は学んだのでした。受け身だけでいては自分を守れない。相手が図に乗ってしまうばかりで敬意を払う気持ちにはならない。やる時はやらねばならない。常にゴメンナサイ、ゴメンナサイの私はマシロと同じだ。これは恐怖感に襲われようと自尊心が潰れそうになろうとやる時はやらなくちゃならないんだ!と学んだのでした。頑張るぞぉぉぉ!!!そんな個性的なにゃじ君の「ごめんなさい寝」| ̄m ̄) 普段は全く謝罪から遠いにゃじ君の「ごめんなさい寝」可笑しい| ̄m ̄)プッ
March 16, 2016
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去年庭の西側で育てていたトマトは冬の入口でもまだしっかり育っていました。でも寒さで枯れる事は避けようもなく、折角頑張っているトマトが可哀想なので一本だけ鉢植えにして家の中で冬越ししました。年越しする頃に小さな実を付けたトマトはその後も枯れずに窓際で頑張っていました。春まで行けるか?と思っていたら2月末に実が色づいて来て赤くなりました!ミニトマト大の小さな実でしたがしおれる前に私がパクリと頂きました。酸っぱいけどしっかりトマトの充実した味わいでした。自分で育てた越冬トマトはとても贅沢な味でした。そんな窓際の楽しみでした。これは1月の始めに、ピーがスーパーの地産農家のコーナーで見つけて買って来た大根です。「面白い大根だねぇ。 規格なんて気にしなくて、こんなの一杯あったら楽しいね♪」なんて言っていたのですが、後になって写真を見たらかなりエロくて笑ってしまいました。私は鈍いと改めて思いました。艶めかしい大根でした| ̄m ̄) 冬の野菜さん達頑張っています(⌒_⌒)
March 8, 2016
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『「人間って自分に騙されるらしい」1』の続き私は何十年も下手に記憶力が良い経験をして来た後で更年期障害の混沌にもまれて苦しみ、この食べ物が良いと聞けば食べてみてこのヒーリングが良いと読めばやってみます。母が亡くなった年にやって来た更年期障害も何とか少し脳まで血が流れるようになりようやくこの頃になってこの7年を客観的に見られるようになって来ました。それで、ようやく人の感情を優先的に考える事が出来るようになって来てなぜ人は私の映像のような記憶を嫌がるのか段々と分かるような気がして来ました。多くの人は正確な記憶や状況を求めているわけではなくその時に感じた自分の思いやその感覚が大事なんだと考えるようになりました。だから他の人が見聞きした事は大した問題ではないのです。何が起きたのかではなく何を感じたのかが大事なのだと思いました。すると人が感じた思いはどんな状況だろうとその人にしか分からないものだと思いました。何が気持ち良いのか、何が不快なのか、何が辛いのか、何が愉快なのか、何がきっかけでどんな感情が湧いてくるのか、何を見てどう感じるのか、それはその人にしか分からない事です。他の人には想像しようもない事です。人の心の中は見えないし話しをしても人によって「普通」も「当たり前」も違っているのでどこまで通じたかは誰にも分からないからです。つまり、人間の数だけ現実があると数年前から感じていた事の論拠が集まり、自分の中で確証が高くなってきました。同じ場所で同じ経験をしてもその人の感性や価値観や経験値などで印象深い事や大事な事や記憶に残る事は全く違っていて同じ経験をしたと言い切れないと思うのです。その視点で見ると、この世界はこの世界で生きている人数分だけの数の世界が存在すると思うのです。そして誤解や誤認が起きるのはきっと各自の認識の違いかもしれないと思うのです。人間は無意識のうちに自分にとって都合の良いものだけ見て記憶したりすると思うのです。そんな話しを夫にしていたら、夫が「確証バイアス」の話しをしてくれました。●確証バイアス(ウィキペディアより) 認知心理学や社会心理学における用語で、 仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、 反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1]。 認知バイアスの一種。 また、その結果として稀な事象の起こる確率を 過大評価しがちであることも知られている私の夫は機械が大好きで車の外から見ただけでエンジンの作りが分かるそうです。それで機械類・エンジン類・カーレースや車や飛行機のTV番組は特別興味津々で見ています。特にナショナル・ジオグラフィックチャンネルの「メーデー」と言う飛行機事故究明の番組は大好物です。日本では事故や事件が起きると誰の責任だ!誰が責任を取るんだ!どーしてくれるんだ!と罪のなすりつけ合いになりがちですが、飛行機事故の場合は原因を究明し同じ事故を起こさないための予防に活用されます。だから事故を起こした側の人間でも罪の追求ではなく原因の追求なので生きていれば正直に話をし、ブラックボックスに残された音声や飛行状況から事実が追求されて今後に生かされます。飛行機事故が起きる度に原因が究明され予防に組み込まれて行くのに、やはり事故は起きます。そこには多くの確証バイアスがあるのだそうです。「~のはずだ」「~のはずがない」「~は当たり前だ」「~であるはずだ」「~であろう」飛行機事故の人為ミスの多くは確証バイアスによるものだそうです。高度な教育を受けて訓練を積んだパイロットでさえ確証バイアスに惑わされてしまうのです。人間は誰しも経験による先入観や思い込みによって無意識のうちに目の前の現象を自分に都合良く位置づけてしまいがちです。その事は、後になって気付いたり、気付かないで歪みが積み重なって行ったりします。この確証バイアスの認識は一般的な生活では見過ごされやすいので、私は端的に表現しやすい専門用語に出会えて喜びました。調べてみると「確証バイアス」は「認知バイアス」の一つでありものを見るとか、記憶といったものの不確かさを一層強く認識した次第です。人間てつくづくコミュニケーションが難しい生き物だなと思いました。だから誤解や勘違いや思い込みによって摩擦やストレスがふくらむ訳ですね。それでも頑張って頑張って生きている人間てみんな愛すべき愛おしい「いきもの」だなと思いました。誤解や勘違いや思い込みを前提として付き合えばこんな事もある、こんなすれ違いもある、理解し合えないのも仕方がない、と思うようになって常にストレスまみれの私は荷が軽く感じるようになりました。やっとやっとの一歩ですが少し生きるのが楽になった大切な一歩でした。―――― 終わり ――――
March 3, 2016
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私は以前、記憶力が良くて印象的なシーンでは動画のように記憶していました。だから同じシーンを何度も繰り返す事が出来るのでどんな所で、誰が何を言って何をしたのかを何度でも思い出せるのです。友人間で誰が何を言った言わないでもめると「○がこう言って次に○がこう言って・・・」と私が状況を伝える事がありましたが、正確に状況を記憶していても喜ばれた事はありません。大人になっても同じで、モノ探しの時は一瞬だけ喜ばれましたが殆どの場合は嫌がられました。特に記憶が曖昧、ほぼ忘れる人の場合あの時、○がこう言うとあなたはこう言ってこうした、なんて言うととても嫌がられました。その時その時の対応で反応している人は「あの時こう言ったよ」と言うとまるでその時に言った事の責任を取れ、と言われているように感じるらしくて憶えている私がいけない事にされるのです。夫に至っては、何でも「知らない」と言い「憶えている方が悪い」と断言していました。知恵のない私なりの努力として、状況をしっかり観察して記憶しておくとより立体的な情報になるので、その人なりその状況なりを判断するのにとても有用だと思っています。それに記憶力が良ければ知らない所でも、方位と通った道を頭の中で確認出来るので道に迷うと言う事はありませんでした。ですが、今まで殆どの人から記憶力が良い事では嫌がられて来ました。そしていよいよやって来た更年期ですが、元々血流が悪くて冷え性だったくらいなのに血流が益々悪化して手足どころか脳まで血が滞るようになりました。すると読書したり、パソコンで文字を読むと意識が遠退き30秒~3分くらい気絶してしまうのです。複雑な事の理解力、即時の判断力も落ちて家の物をどうして良いか分からなくなったり、初めての所や記憶の曖昧な場所で迷ったり間違った電車に乗ったりするようになりました。色んな事を理解するのも記憶するのも大変なので適当に流す事にしたのですが、流すと生活の中で色々面倒な事が溜まりました。そうすると凄く記憶力の良いピーさん(娘)にどんどこどんどこ責められてしまうのです。「さっき言ったじゃん!」「前にも同じ事言った!」「5~6回は聞いた。」「それ何度目?大丈夫?」なんだよその嘲りの眼差しは!!ああああ~~~~面倒臭い!!!仕方ないでしょう、憶えてないんだから。責められても脳に残ってないって言うか、取り出せない機能になったんだからどうしようもないっす!!って・・・ハッ!!これが夫の「憶えている方が悪い」発言か・・・。機能的にどうしようもない事を責められて窮鼠猫を噛むってね。自分を守るために人間は頑張る訳ですね。こうして忘れる人の立場と状況を身を持って経験し始めた私は「情報をより多く収集して、より正確な立体像にしたい」と言う熱望を脇に置いて、この人は今こう言う状態・・・とか今はこの状況・・・と言う具合に、そのままを受け入れる・・・というのを少しずつ体験して基礎に組み込めるようになって来ました。――――― 続く―――――
March 1, 2016
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