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ブログには、それを見た人が自由に書き込める欄がある。これは、ブログの管理者が一切の書き込みも拒否できる。また、特定の文字やアドレスの一部を書き込めない対象とすることも出来る。昨年末頃から、不思議な書き込みがこのブログにあり、私の知人が気に掛けてくれていた。私自身も意味不明、文章のつながりに乏しい、ブログの内容と関係のない書き込み、にはいい気分になれない。書き込みを制限したり、過去の書き込みを消去しようかと考えた。でも、一度、その書き込みの人に質問をしたことがある。回答は、ごく普通の内容だ。それでは、暫くこのままにしよう、という事にした。それと同時に、私の文章の何がその様な書き込みを惹き付けるエネルギーになっているのか。そんな事に思いを巡らしたりたりした。嫌なものは切り取り、消し去る。これって、外科的な考え方。原因は無視している。殆どの方々は好意的な内容の書き込みをして下さる。既に知っている人もいれば、全く面識のない人もいる。これは、自由で楽しいが、一歩、間違えば匿名で相手を非難できる。ブログでの書き込みはその両面を持っている。そして、強制措置を取るか否かは、結局、感性によるのだろう。
2009.01.31
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ようやく、風邪も峠を越えた。ここ4~5年は風邪を引いていなかったので、久しぶりだ。それも、一週間くらい前から始まった。喉が痛い、いがらっぽい。このまま治るかと思っていたら、同じような状態が続いた。そこで、抗生物質を飲んだが、全然かわらない。この数日で、喉の痛みが消失しないと、発熱したり、咳が出たり、全身症状へと進んでしまう。今回は、発熱、喉の痛み、咳、痰、全てが揃った。全身のダルサはきっと、発熱とインターロイキンが活躍しているのだろうと思っていた。ただ、インフルエンザの検査では陰性だった。経過から、インフルエンザとは考えにくかったが、38℃くらいまで熱が上がるとさすがに心配になった。インフルエンザなら、家にじ~としていなくてはならない。何でこの様になってしまったのだろうか。一つは、ここ数週間、家に帰る時間が遅い日が続いたこと。もう、一つは最初に飲んだ抗生物質が効かなかったこと。扁桃腺の炎症で苦しんで来たので、どの様に対応すればいいのか、分かっているつもりだった。飲んだ抗生物質は、7~8年までのもので、家にストックしてあったのを使った。この抗生物質が今回の炎症を起こした細菌には効かなかった。感受性がなかったのでは、と思えてきた。効かない抗生物質を飲んでも、当たり前だが、効かない。昨日、抗生物質を変えたら、とたんに状況が変わってきた。勿論、時期的に治る段階まで来ていたと考えられない事はない。昨日、喀痰培養をした。この結果が楽しみ。抗生物質と細菌とは何時も戦争状態だ。だから、古い抗生物質は細菌が耐性を持っている事が多く、効き難い。この、抗生物質を細菌とのいたちごっこは、続いていくのだろう。
2009.01.30
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価格と料金の違い。広辞苑で調べると価格:物のねうちを金額で表わしたもの。値だん。料金:物を利用・使用したり手数を掛けたりしたことに対して支払う金銭。保険診療での、診察代金はどちらに分類されるのだろうか。初診料、検査料など料がつく。料がつくのだから、「料金」かな。今までの医療は材料費などの値段が高い。薬代、CT検査、手術にしても、技術料が低く算定されている。技術料や診察そのものに対する価値は低い。幾ら一生懸命に患者さんの話を聞いても、再診では何百円の世界だ。もっと、もっと、価格から料金への転換を、保険点数などでも反映させなければならない。その点、自由診療は、料金により近い医療といえるのだろう。こころに関する話などは、どうみても価格では表わせないだろう。やはり、料金だ。
2009.01.29
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以前、診療の際には、直接患者さんが、診てもらった医師に料金を支払えばいい、という提案を聞いた事がある。医者はクリニックでも、まして、病院勤務などでは、自分が診た患者さんが幾らになっているか、などと考える事は殆どない。患者さんも、診療代金の30%ととか50%くらいしか窓口で支払わない。後は、保険でカバーされている。私は診察が終わった段階で、患者さんがその診てくれた医師に直接・・・・・円ですと、代金を支払いようにすれば、医者の意識もかなり変わると思う。特に、病院勤務の医師は、大きな病院になればなる程、診てあげているという意識になりがちだ。どんどん患者さんが訪れる。すると、どうしても態度が恩着せがましくなる。直接、患者さんが、診てくれた医師に現金を渡す事により、医者の意識も変わるように思える。余りにも、病院では分業化が進んでいるので、自分の一か月にどの位の収入を得たかも知らない医師が殆どだ。それは、厳密に一人の医師がどれだけの収入を得たかを、計算する方法が難しいからだ。チーム医療をしているので、個々に計算するのが難しい。でも、最近、医師を管理する立場から、一部の病院では一人の医師の収入を計算するようになりつつある。お金の受け渡しは、エネルギーの交換にも似ている。まあ、現実に病院での診察の後にいちいち、現金の受け渡しをするのは難しいだろうが、もし、そうすれば、何らかの変化が起きるように思える。
2009.01.28
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私たちは、毎日、毎時間、殆ど同じパターンで思考して、行動している。だから、殆ど、同じような考えが頭の中をグルグル廻っている。私たちは頭の中に空間を作る必要がありそうだ。17万8千回もの思考の連続で一日を終わらせて、その繰り返しで生きているだけでは、食べるために生きているようだ。思考をストップさせる時間が必要だ。それには、日常生活の中で、静寂の時間を意識的に作る必要がる。少しの間でいい。椅子に座ったままで、或いは、立ったままでもいい。静けさを意識する。その中で、何も考えない時間を何回か作る事が大切だ。内視鏡をしていても、患者さんと患者さんの合い間に、少しだけ、静かな現場を離れた時間を持つ。これが、心のチューニングで、それにより、自分自身から離れた存在とのつながりも感じる事ができる。ギター奏者はしばしば、演奏中でもチューニングを行っている。私たちも、もっと、日常生活の中で、心のチューニングが必要だと思うし、実践する必要がある。
2009.01.27
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クリニックに来て頂く患者さんは、西洋医学以外の道を求めてこられる人が多い。その患者さんたちは、精神的な事を大切にしている人たちだ。その立場から病気をとらえると、心身一如となる。この事は一般的な考えかたをすると、常識的ではなさそうだ。やはり、西洋医学的な考えかたからすると、心の問題は見えない世界であり、身体的に何らかの影響を与えていると思われても、ぼんやりした世界だ。これを私自身が学びながら、実践している。患者さんは、まさに私の教師だ。この考えかたは、未だ、未だ、一部であり、今後増えていくかもしれないが、相当長い道のりだ。病気に対する主体性を、医者に置くか、自分に置くか、この点が基本にある。本来、われわれは病気を動物と同じように、自分の体の不調は自分で治そうとしてきた。ところが、西洋医学は余りにも急速に発展し、また、感染症など、ある分野ではわれわれの想像を超える効果を現した。だが、やはり基本は自分の体は自分で管理する。面倒をみる事にあると思う。今後、われわれの生き方が、物質文明のいい点を取り入れながら、もっと自然に宇宙の中の一員としての自覚が見直されるだろう。それと同時に健康や病気に対する姿勢も問い直される時期が少しずつ訪れようとしているのだろう。
2009.01.26
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喉が痛い。元々、扁桃腺がよく腫れて、小学校時代に急性子球体腎炎になり、それが、慢性化して落第近くまで学校を休んだ。その時に、医者から「君は40歳までは生きられない」と言われた。その頃は気になっていたが、その後の検査で異常もないし、その不安は段々消えていった。実際、その年齢の1.5倍以上生きているのだから。小学生をつかまえて、いい加減な事を言う。医者になってからも、発熱を繰り返したので、局所麻酔で扁桃腺を切除した。それでも、年に数回喉が痛くなる。見ると咽頭が赤くなっている。昨日から、その症状が現れた。丁度、高濃度ビタミンCを試すには最適。看護師さんがいないので、自宅に点滴セットと薬を持ち帰り、自分で準備をした。誰も点滴をしてくれる人がいないので、自分で自分の点滴をした。そしたら、見事に失敗。漏れてしまって、その部位が痛い!!点滴を漏らした時の痛さを思い知った。そうか、こんなに痛いんだ、と。そこで、気づいた。そうだ、「ペンフィル」を持ってきたのだ。ペンフィルとは、注射を刺す皮膚に透明なパッチを貼る。約、30分で表面麻酔がされる。それをしてから、再度、挑戦。痛みが何もしないときの十分の一くらい。楽だ。点滴も無事終了。一人で点滴をすると、皮膚に緊張をかけにくいので、手際が悪くなる。ペンフィルは、透析の患者さんには保険適応になっているらしい。自費だと一枚50円。もっと患者さんに使いたい。でも、効果が出るまで30分かかるのがネック。今朝は、点滴のお陰か、調子はまずまず。
2009.01.25
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悩みを持って来られる人の多くは、幼少時にトラウマを抱えている。誰でもがトラウマを持っているが、現在の悩みを人に相談するような状況になると、その幼少時の体験が浮かび上がってくると言ってもいいのだろう。人間関係などの問題は、その幼少時に端を発している事が多い。そこで、身体的な問題も含めて、生まれてからの成長過程を聴く。そして、現在まで遡ってくる。ミニ自分史を聴き終わった後に全体をもう一度捉える。心を解放して下さる方は、いままで人に話せなかった事も思い切って話してくれる場合もある。そんな時は、それを言葉として話すことにより、自分の中のうっ積した悩みが軽減される事もある。小さい時に原因がある場合には、催眠を用いる事もある。それまでに1時間以上お話しをしているので、患者さんとのラポールは取れている。そして、その方が催眠に入り易い人か否かも分かってくる。つい先日も、自分が母親から愛されていない。余り、母親との会話がなかったという人の話を聞き。催眠に誘導した。自分のインナーチャイルドは、三畳のピアノのある部屋にいると言った。その部屋に入ると、インナーチャイルドは寝ていた。暫く、眺めていると目を開いた。それ程は悲しそうな顔をしていなかった。一緒に遊んで、「何をして遊びたいの?」と大人の自分がインナーチャイルドに聞いた。「童謡を歌って欲しい」、「どんな歌」「チョウチョ」その方は小さな自分に向かって、催眠下で蝶々を歌った。そして、「ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ」「チュウリップ」などを次々に歌った。私の経験では、催眠中にこのように童謡を歌った経験は初めてだった。この間、40分くらい。催眠状態は日頃経験している事だし、うまく使えば短時間で効果をあげられそうだ。
2009.01.24
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クリニックの基本方針とは?この様に聞かれてた。う~ん、基本方針はがん患者さんに役に立つ事。それ以外に具体的なポリシーなどはない。その日暮らしの感じ。ただ、選択は道は「心地よく・平安」。自分の言葉、行動は「心地よく・平安」なのだろうか。これだけが、指針。ただ、「心地よく・平安」は自分の心の持ち方と心の位置により、変わってくる。本当に深い所につながっていれば、全てが「心地よく・平安」なのだろう。とうてい、その境地には達していないが。自分が生かされている事、そして、「大いなる存在」に意識的につながるようにし、日々の少しの時間の中に、静寂を感じる。そんな生き方の連続でいいのだと、改めて気づいた。
2009.01.23
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最近はいろいろな人との出会いがある。チョットしたきっかけで、思わぬ人を知り、また、その活動に刺激されたり、教えられる事が多い。出会いのありがたさを知る、そんな出来事を経験している。知識を蓄える事は必要だ。ただ、全ては自分の内側にある。それは頭では分かっていても、日々、どのように実践して行くか。その段階になると。う~ん、と首を捻ってしまう。全てが自分の中にあるとは、自分の内側に入り、潜在意識から更に奥の超意識、真我、大いなる存在へとつながる道を自覚し、実践する事だ。一つには、その存在に気づいていなければならない。また、頻回にこちらからもアクセスする必要がある。宇宙の流れに乗っている意識だけでも、物事は自然に運んで行くのだろう。しかし、こちらからも、スイッチを切り替えて、宇宙の「おおいなる存在」に具体的に、自分の意思を明らかにする事が必要なんだ。それは、単に欲求をかなえて下さい、だけでは、ただの「神頼み」になってしまう。具体的に必要な選択を迫られた時、どちらの道を歩むのか。そんな時には、積極的に意志表示をして、お願いしてみよう。本、人からの知識から、もっと、もっと、「大いなる存在」「宇宙の叡智」のつながる生活にしよう。生活の切り替え時間、少しでもゆったりとして、自分が宇宙につながっている事を静かに自覚する。それだけでも、随分違ってくるだろう。
2009.01.22
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朝、起きて、水道の蛇口を開く。水が出てくる。この当たり前の事がとても不思議だ。小さい頃は、水道はなかった。近くの井戸から、水と組んで来て、カメに溜めていた。それを使っていた。お風呂となると、何回もバケツに水を汲んで往復しなければならない。小学生の頃はこの仕事を随分やった。この当たり前に水道の蛇口を捻れば水が出る事が、奇跡に近く思える。水、一滴が山間の所から湧き出て、それが、自然の流れ、多くの人の手によって、我が家まで運ばれてくる。それに、感謝をしないでいられない。「ありがとうございます」という言葉が自然に出てくる。これは「ありがとう」を何回言えばいい、という感じとは異なる。自然の恵み、これに関わる人たちへの感謝、そして、タオルを洗濯して、洗面をして顔を拭く時に、太陽の匂いを感じさせてくれる妻への感謝。そう思うと、電気を自由に使え、暗い家の中を明かりが照らしてくれる、ありがたさ。全てに自然に感謝出来るようになる。電車もしかり。全てが自然に循環しているのが、奇跡に思える。だから、電車が遅れても腹が立つよりも、正確に動いているのが、奇跡なんだと感じる。最近、朝、顔を洗うたびに、そんな事を感じる。
2009.01.21
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私たちの思考は思い込みであり、それは真実とは関係ない。この思い込みにより、単純な思考を繰り返している。どうも私たちの思考は小さな円の中でグルグル廻っていて、同じパターンを繰り返す傾向にある。その思考により、自分と他人を縛ってしまう。縛るものは「不安や恐怖」である。この自分の否定的な考えかたを少なくすればするほど、自分にとっても、他人にとっても楽に接して、生きられるようになる。「いいじゃない!!」という思考をどれだけ拡げられるかが、いかに心地よく・平安に生きられるかかのポイントとなりそうだ。それは、事実をありのままに受け容れる事にも通じる。抵抗をしないことになる。結局、エゴを小さくする事にもつながる。精神的に悩んでいる人は、このストライクゾーンを狭めているので、ボール(嫌な事)が多くなり、ピッチャーとして辛くなる。このストライクゾーンの違いが、往々にして戦いを招く。このストライクゾーンは何でもいいから受け容れてしまえ、という事ではない。少しずつ、その範囲を自然に広げていく。それは、日々の生活でストライクゾーンを意識して、きわどいボールを見つめる事が大切になってくる。全てがストライクになった状態を経験したい。
2009.01.20
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昨晩は厚木に「中嶋恵樹」さんのライブを聞きに行った。初めてお会いしたのは、昨年、徳島の神山という所にCHANさんを訪ねた時にお会いした。その時にCDを頂いた。今までに、聞いた事のないジャンルの音楽。民族音楽とジャズが癒合した不思議な音楽。ライブは中嶋氏とお弟子さんで住み込みで修行中の若いパーカッションの男性の二人で始まった。ライブの方が圧倒的にいい。ギターのテクニックも抜群。3本のギターを使い分けて引いた。その音色は人を挽きつける。その会場は小さな子供さんたちが大勢両親に連れられて来ていた。演奏の始まる前は「ガヤガヤ」と幼児特有の高い声で叫びあっている。ところが、演奏が始まると、彼らが黙って引き込まれて聞いていた。その音に飲み込まれたように。途中の休憩時間になると、また、騒いでいたが、2時間半のライブ中本当に静かだった。あの子らを黙って聴かせる、そして、大人も夢中にさせる音色は深い所まで届いた。その音色の一部はHPの試聴から聴く事ができます。
2009.01.19
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クリニックは、催眠療法とがん患者さんへのサポートの二本立てだが、カウンセリングを必要な方が来られる。診療科としては、心療内科を第一に掲げているだから、自然かもしれない。カウンセリングの基本は、兎に角、クライアントさんの言う事を聴く。これに尽きると言われている。私も出来るだけ、聴くようにしている。生まれてから、今日までの経過を健康面を中心にず~と聴く。河合先生は、兎に角、クライアントに寄り添う。徹底的に、何の自分の思惑もなく、と指摘されている。この様なカウンセリングのスタイルは、多分、定期的に一回1時間くらいをかけて、繰り返し行う必要がある。そこで、クライアントさん自身が気づかれる。それを積極的に待つ姿勢だ。自分での気づきは揺らぎが少なく、納得できるのだろう。この様なスタイルでの、カウンセリングは根気が要り、実際には相当難しそうだ。そこで、私の場合には、出来るだけ聴く。そして、その人の悩みは何処に一番の原因があるのだろう?と考える。すると、自己愛の欠如、コアビリーフ(小さい頃に築かれたその人の根本的な考えかた)に囚われている、「今を生きる」事をしていない、などに分けられる。「あなたは、自分のこと好きですか? 愛していますか?」と聞いて、即座に「はい!!愛しています」と答える人は先ずいない。だいたい、質問自体の意味が分からない。自分を愛することは、どういうこと、となる。私たちは、他人を自分の価値観の拠りどころとして育っている。だから、常に、他人の目を気にしながら生活している。その事が何の抵抗もなく受け容れてしまっている。次に、コアービリーフ。これも、小さい頃に主に否定的に傷ついた考えかたが身についてしまい。それが、根深い所でその方の大人になってからの、言動の源になっている。この考えかたは、教えて貰わなければ、先ず、気づかない。そして、悩みを持つ人は、殆ど意識を「今」においていない。過去の事にこだわり続ける。未来に起こるかも知れない事を心配している。2~3時間で、傾聴から、これらの事をお話しするのだた、直ぐに時間が経ってしまう。私自身がこれらの考え方を、完全に理解しているのでも、実践出来ているのでもない。だから、私はその事に気づいて、少しでもそうなるように務めています、と言うことになる。この様な考えかたを理解されて、少し、見かたが変わったと喜ばれる人もいる。また、何だか良く分からなかったと後で答える人もいる。がんの患者さんには、「催眠腫瘍学」と称して、がんになる自分を見つめて、そこで感じること、また、がんとの対話、マスターからのメッセージなど、催眠療法を使うと有効なのは感じられる。こんがらがった糸のような、思考を解きほぐしていくのは、大変な作業だが、面白みもある。私たちは、どんな意識を持つのかが、その人の生き方を決めているのだから。
2009.01.17
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昨晩は「夢」に関するワークショップの二回目。二回で完結なので、最終回だった。講師は「今西眞由美」さん。今西さんのHPに、夢に関してはこんなコメントがある。夢夢は魂からのメッセージ。最高のガイドです。夢を意識するかしないかで、生き方そのものが変わってくると、今回のワークショップで改めて感じた。参加者がお互いの夢を話すのだが、夢物語ともいえるような長い夢のストーリーを話す人も写真の一こまの様に瞬間を話す人もいる。今年の私の初夢は「富士山」。初夢に富士山が出てくるのは、良い兆候だと言われている。きっと、富士山の夢を見たいと望んでいたのだろう。「富士山」の初夢は物語ではなく、瞬間的に富士山が映像として残った夢だ。ただ、その富士山の五合目くらいから何本かの黒い棒状のものが麓に向かって下ろされている。その意味が分からない。年が明けてから二週間経ったけれど、やはり分からない。昨晩のワークでようやく自分なりの解釈が、催眠誘導をしてもらって分かった。それは、その富士山にかかる黒い棒は、現実社会での「自分の状況」なのだ。富士山の中心に意識を向けて行くと、その黒さは消える。そこでは、慈愛に満ちた至福の世界を感じる。現実に起きることに日々、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、一日、十八万七千回もの思考が働いているという。この状況から、もっと静寂の世界を感じ、そこを意識して行きなさい、というメッセージだったんだ。自分を意識的にコントロールするのは、容易ではない。外部からの情報や状況にどうしても合わせていかなければならない面が多い。そこで、こだわりを持って、自分の生き方を貫くのは、ともすれば執着にもつながる。淡々とそして宇宙の流れに乗る。自然に生きる。そんな時にはエゴが働き難いので、自分に本当に必要な情報が得られる。「夢」のとらえ方を再度教えて頂き、また、それを、催眠療法を利用して解釈したり、夢の中に出てくる、人や物や自然や全ての物の中に入って行って、そこでの感覚、メッセージがもらえるのだという事を教えて頂いた。もっと、もっと、夢を意識し、夢を毎日の生活に利用しよう。
2009.01.16
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毎週、火曜日は病院で胃瘻チューブの交換をしている。胃瘻とは、経口的に食物を摂れない人が、胃に直接皮膚からチューブを入れる事により、栄養を与えられる。このチューブは劣化するので、半年に一度は交換をする必要がる。交換の方法も、そのまま交換してしまう、レントゲンの透視を利用して交換する、内視鏡を使って交換する、などの方法がある。一旦、留置されていたチューブを抜くのに(回収するのに)、体外いそのまま引き抜く方法と内視鏡を使って、胃内で回収する方法がある。一番、安全なのは内視鏡を用いて交換する方法だ。だが、これには、患者さんが内視鏡の検査を受ける事になる。元々、胃瘻を造設している患者さんは、意識が悪かったりするので、内視鏡をするのは、医療者側にとっても患者さんにとっても辛い作業となる。今週の火曜日も3件の胃瘻チューブの交換を内視鏡を用いて行った。ある女性の患者さんは、交換をとても嫌がっていた。苦悶の表情を浮かべ、短い言葉で「もう、いい」と言っていた。「もう、いい」とは、こんな状態を続けたくないという意志表示なのだが、「はい、では止めましょう」では、死を意味している。その女性が辛そうだったので、額に手を当てて、そっと「大丈夫、大丈夫!!」と囁いた。すると、その女性の患者さんは、涙をこぼし、私の顔を見て言った「お父さん、お父さん」と。その女性の年齢を見ると、98歳。私は、98歳の女性に「お父さん」と呼ばれたことになる。すると、私の年齢は130歳くらい!!その女性は、ご自分の現況をお父さんと呼ぶことで、訴えたかったのか。きっと、お父さんに助けて欲しかったのだと思う。胃瘻を造設したり、チューブを交換する時に、本当にこの方はこの方法を望んでいるのかが、疑問に思う事がおおい。
2009.01.15
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12日の朝、高崎から大宮まで新幹線に乗った。いつも駅のホームへは階段を使う。えっちら、こっちらさと長い階段を登った。主催者が指定席を確保してくれた。階段はだいたいホームの不便な所に出るようになっている。新幹線の後ろから前まで歩いた。新幹線は随分と長いんだ、と改めて感じた。途中でお茶の自動販売機があったが、買わずに兎に角、前方の指定席のある車両に乗った。やれやれと思い、コートを脱ごうとしたら、手に持っている手袋が一つしかない事に気づいた。あっち、こっちとポケットを探ってみたが、無い。あれ!! また、落とした。一瞬、パニックと情けなさ。もう、そろそろこの新幹線は発車するらしい。どうしよう。諦める。どんな行動を取ったらいいのかな~咄嗟に、荷物を置いてホームに出た。何にも見えない。新幹線のホームに沿って逆に戻った。自動販売機の所で落としたと思ったが、其処に戻ってもない。だんだん、焦ってきた。諦めようかと思って、ホームを見渡したら、ホームの黄色い線の遥か彼方に、小さい黒っぽいものが見えた。あれかも。全力疾走!!あった、あった。黒い手袋。拾い上げたら、もう、新幹線は発車するとのアナウンス。近くのドアから慌てて乗った。でも、行動してよかった。諦めないでよかった、と手袋を握りしめた。
2009.01.14
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昨日、「NPO法人 ほあーがんサポートネットワーク」主催による、廣瀬俊子先生の「免疫をあげる食事法」についての講演会があった。参加された人たちは丁度、会場いっぱいの20数名。いつも、予約の人数をきちっと数えずに受けているが、チャント、いい人数になる。廣瀬先生は、久司先生のマクロビオティックを勉強され、それに加えて独自の食事法に関する考え方をされている。今回で二回目の講演ですが、とても、印象深かったのは「全ての病気に対する食事は基本的には同じです」と話し始められた。要するに、「体の血液」を如何にいい状態に保つかが、食事のキーポイントであり、日本人は巷で指摘されているように、偏った栄養の取りすぎだそうだ。病気を治す基本は、全て同じである。大切なのはその方が自分で病気を治そうとする姿勢であり、自己の自然治癒力を如何に上げるかが重要だと思っているので、まさに食事もその流れの中にあると実感した。それから、俗に言う、「インスタント食品」の中にも、とても、栄養学的にいいものがある事を知った。お湯をかけて作る食品は、何となく余り体によくないと思っていただけに、認識を変えなければと思い、それが、今後の食養生にとても役に立つと感じた。もっと、書きたいけれど、そろそろ出勤の時間です。
2009.01.13
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昨日は満月。伊香保の山にも煌々と輝いていた。昨日の討論会の最後で現在の「夢・趣味」はと聞かれた。夢、う~んと考えてしまう。したいことはある。何時とか、具体的とか、どのようなステップを踏んでとか、一切ない。自然の流れ、その時の状況で選択していく。無理なく、心地よい・平安な方向へと流れていけばいい、と思っている。こんな事を話しても、時間がかかるし、理解してもらうのも難しい。趣味、これも今まではいっぱいあったら、現在は殆ど無趣味、仕事は趣味だ。ただ、この仕事していてのストレスは少ない、病院勤務の時には休日を待ち焦がれていたようにアウトドアースポーツをしていた。そこで、ストレスを発散させていた。でも、今はそのストレスが少なくなっているので、その様な欲求は少ない。運動不足は何とかしなくては、と思っているが。討論に参加した人たちは、忙しいを連発していた。実際に自分の使える時間が少なく、朝から晩まで働いている。忙しいのが、嫌なのかといえば、そうでもないらしい。忙しいということが、一種のステータスになっている所もある。本当の自分を生きるのは、それこそ拘りがなくては難しい。今朝、一番の電車で帰ってきた。折角、温泉にいるのだからと5時前に温泉に入った。誰もいない、露天風呂から見上げると、満月がやはり木々の間から輝いていた。
2009.01.12
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今朝は講演会のために、一泊どまりでもう直ぐに出かけます。最近、刺激的で一気に読む本に出会えます。「隷属国家日本の岐路」(北野幸伯著)です。世界の流れ、日本の現状、これからの日本について、とても分かり易く解説した本です。経済音痴の私は、減税が経済活性にとても効果を及ぼす理由が良く分かりませんでした。減税すれば、今でさえ少ない税収が、更に減ってしまって、益々経済状況は悪化してしまうのでは、と思っていました。そうではない事を、具体的に成功した国の例を取り上げて説明してくれている所に説得力があります。単なる理論だけでなく、何時、どこの国で、このような政策を行ったら、どのように改善したかを具体的な例を挙げて解説してくれているので、とても分かり易いです。私もお金があれば、投資ではなく、危機管理としてユーロを持っていた方がいいのかと本気で思わせる位に、説得力があります。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.11
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今日は1月10日、OSHOの「朝の目覚めに贈る言葉」の今日の所を読むと人生は常に新しい思考は常に古い人生は古くならない思考は新しくはならないゆえにこれらは会うことがない会うことができない人生は思考のない状態でのみ、見出されるそれが瞑想というものだ思考を脇に置いておく思いをめぐらせないただ存在のみ静寂、たったひと言でさえ思考を入り込ませない往来もない、すべてが空、平静、静止、すると突然、生命との触れ合いが起こりその圧倒的な」新鮮さ、その開放的な新鮮さを知る触れる本が同じ事を切り口を変えて教えてくれる。自分が選択しているのだろうが、一つの道筋が見えてくる。そこに、どうして到達するか。日常生活の中で、どのように実践していくか?そこには究極の世界、永遠であり、心地よい・平安な空間が拡がっている。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.10
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昨日、「今ここに生きる力」(エリエール&シーヤ・カーン著 VOICE)本について気づいたことを書いている。その中に、人間は一日は約十八万七千の考えを持つが、その98%が一日前、あるいはその前の日の考えだと言われています。 人のマインドは巻き戻し状態のテープレコーダーと同じような振る舞いをします。古い情報を、あたかも最新の情報であるかのように、繰り返し繰り返し再生するのです。この文章を読んでいて、エックハルト・トール著の「ニュー・アース」(サンマーク出版)の「エゴから解放される瞬間」の所を読んでいる。その文章は、「殆どの人の思考の大半は自動的反復的で、意図したものではない。一種の精神的な雑音で、これといった目的はない。厳密に言えば、あなたが考えているのですらない。思考があなたに起こっているだけだ。「私は考える」と言えば意志的な行為を意味する。頭のなかの声は勝手な生き物だ。ほとんどの人はその声に引きずり回されている。思考に、心に、取りつかれている。心は過去によって条件づけられているから、あなたは何度も繰り返し過去に反応し続けるしかない。わたしたちの、考え=思考は過去に経験したことをエンドレステープを回しているように、繰り返し、繰り返しているのだ。それは、反射的であり、思考を思考しようとはしない、と全く二つの本は同じことをいっている。丁度、読みかけのところまで一致してシンクロしている。先ずは、この思考パターンによって生きている、生活している事に気づく事が最初であり、そこに気づく事が次のステップへの踏み台になる。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.09
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好きな詩に、ラインホールド・ニーバーの「神よ」というのがある。「神よ」変えることのできるものについてそれを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ変えることのできないものについてはそれを受けいれるだけの冷静さを与えたまえそして変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ昨日、「今ここに生きる力」(エリエール&シーヤ・カーン著 VOICE)本について書いていた時に浮かんだ詩だ。「決断と選択の違い」決断とは、思考を重ねたうえに理性で決定されるもの。決断を下すときは「賛成」できる良い点と「反対」したい悪い点を秤にかける。そして、二つの秤のなかに、肯定的な点と否定的な点を議論し、振り分け、天秤の傾いた方向に決定るす。判断とは、心で感じたことや本質的な願いを映した思いを踏まえたうえで選ばれたもの。選択は「賛成・反対」を考慮するが、一度、すべての情報を吟味したあとは、直感が飛躍し、心に感じた動きや、創造性が活躍する場を提供するのです。いままでの事実関係の分析や演繹的な理由づけからは思いもつかないものが出てくるかもしれません。決断は合理的なものですが、選択は論理性は備えていながらも、単に理性の上に選ばれたものではありません。この二つをどうやって見分けるか?「デジャ・ヴの要素」があるかどうか、だそうです。それは、何かを言おうとしたとき、それが相手との葛藤を引き起こすことが分かっていても、言わずにはいられないときに感じる感覚だそうです。あるいは、誰か、または何かに対して動揺したり怒りを覚えるとき、これと同じ感覚を何度も前に体験したと感じることです。基本的にわれわれは二つの選択肢がある。古い決断をもとに行動するのか、人生をフレッシュな視点から眺めて、自分の心と真実から、本当にしたい事を見つけていくかです。物事を決める時には、それの大小に係らず、判断に迫られます。決断なのか選択なのか、迷います。決めたことが、自分の「エゴ」に基づいている思考からくるのか、「大いなる存在」と結びついた直感に基づいているのか?これには、いろいろなデータをインプットした上で、こころのざわめきをできるだけ抑えて、静かに感じて、そして、心地よく・平安なのはどっち?でしょうか。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.08
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久しぶりに読み応えのある本に出会った。正直な所、それ程期待して取り寄せた本ではなかった。でも、その序章を読んだ所で、この本の内容を感じる文章に出会った。そこには、「この本はとてもユニークです。それは、自分の問題に一生懸命ワークしたところで、何の役にも立たない、ということを大前提にしているからです、と書かれていた。その本は「今ここに生きる力」(エリエール&シーヤ・カーン著 VOICE)です。この考えかたは、タオの世界、エックハルト・トールの世界、禅の世界と共通しています。この世界観は私にとって、とても心地よく、日々、実践し感じ取ろうとしています。この世界(考えかたというと既に囚われているのだと感じます)は、頭で理解する、分かったという領域ではなさそうなのです。感じて、体感できる、そうだと心の深い所(肝)で理解する世界だと思う。だから、どうしても頭だけで理解しようとすると、行き詰ってしまう。言葉の限界でもあるのかもしれない。この本はすべてに宝石がちりばめられています。そう、すべてがつながっているので、そこで一つの世界が形成されいて、どれを除いても成り立たなくなるからだと思います。今回その中でも、「変化」と「変容」それに、「決断」と「選択」の違い。この二つの言葉を対比させる事により、エックハルト・トールのいう「人生の状況」と「本当の自分」との違いとを別の角度から眺めている。変化:斬新敵、直線的に進む。時間がかかる。方向性を持ち、測定する事ができる。立証することが可能です。論理的であり、ものごとは順番に起こります。そして、因果の法則に従う。過去から未来に流れる直線的な時間の中で起こります。変容:指数関数的で、斬新的でない。到るところで一度に起こる。直線的ではなく、時間の外で、瞬時に起こる。変化は「過去/未来」を規準にしているが、変容は「今」です。変容を起こすために、自分自身の問題にワークすることはできません。変化は「何かをすること」を求めますが、変容は「ありよう」なのです。ここに来られたら今、この瞬間に着いたら毎日が特別になるでしょう毎日は同時に「深遠」であり、「普通」でもあるのです。その「変容」を起こすのは、「気づき」なのです。「気づき」は 何も裁きません自分自身と、自分と人生とのかかわり方に立ち会ってただ、眺めていることなのです久しぶりに興奮しながら、読んだ本です。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.07
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がん患者さんは体温が低い。また、がん細胞は熱に普通の細胞より弱い。免疫力を上げるには、体温を上げるのも一つの方法だ。体温に関しては、低い事が健康維持の上でも問題だと指摘されている。果たして、本当だろうか思うが、常識的に受け容れていい考えかただと思うし、現にそのような方向性で行っている。ところが、殆どの方法は体外から、熱を加える事により体を温めている。温熱療法と云われるもので、遠赤外線、温泉、陶板浴、酵素風呂、などは体外からの熱を体に加える事により、体温を上げようとしている。一方、体の中から暖める方法がある。自律神経を利用する。イメージを使う方法だ。この方法による温熱については、余り述べている人はいない。誰でもが、陽の光を体いっぱいに浴びている場面を想像すれば、暖かい気持ちになる。その太陽の光が頭の上から体の中に入り、心臓から血液に乗って体中に循環し、体の隅々、細胞の一個、一個が光に満たされ、光のエネルギーを受け取っていると想像すれば、体が温かく感じられてくる。また、オレンジの球が喉の所にあり、それが、光を放ち、体中に拡がり、その暖かさで満たされると想像する方法もある。これらの方法を用いると、確かに体全体が暖かく感じられてくる。いままで、この事は知ってはいたが、実際に自分自身で日常生活では用いて来なかった。これから本格的な寒さを向かえるので、是非、この方法を試して、実際に体温が上がるかも調べてみたい。
2009.01.06
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がん患者さんの診察の時に、ミニ催眠療法を使うことを最近数人の方々に経験している。それは、普通に病気の経過や今後の治療方針などを話し合ったりした後に、自分の体を感じてもらったり、本当はどのようは治療法を望んでいるのか、などを潜在意識に入って行き、確かめる。1時間以上にわたって、いろいろな話しをしていると、そこには信頼関係が生まれる。だから、その時点で「がんとの対話」や「ご自分のマスターからのアドバイスを聴く」などを催眠療法を使って行うと、貴重な情報や癒しが得られる。ラポールが得られているので、比較的容易に催眠状態に誘導できる。目的は、年齢退行や前世療法ではないので、時間はそれ程かからない。自分の中にある、病気が存在する臓器の部屋の中に入る。そこで、病気を確認する。「どんな形」、「どんな色」など病気をイメージする。そして、その形などから湧いて来る感情を聴く。そして、相手(がん)からの言葉やメッセージを聞ける場合には、受け取る。その存在意義や訴えたい事などだ。その後に、ご自分のマスターからの意見を聞く。アドバイスを貰う。最後に会いたい人とお話をする。殆どの方は、会いたい人と会える。その間の時間は30分前後、時間も掛からないし、催眠療法を普通の診療の中に応用できる。勿論、患者さんが催眠療法を受けたいという事が前提になっているが、いままで余り行われてこなかった切り口でのアプローチになる。これからも、適宜、このミニ催眠療法を使っていきたい。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.05
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エドガー・ケイシーという人について、凄い人だと聞いてはいたが、実際にどんな人なのか、知らなかった。そのきっかけは、今年の11月に「ソマチッド基金」での仲間の稲田氏が東京で、ネサン氏の講演会を行った。その講演会の主催者が「テンプルビューティフル」という有限会社であり、その時に初めてその名前を知った。講演会場では、机の上に一冊の黄色の「美しの宮」からの贈り物、と題された小雑誌が配られていた。何気なく手にし、帰宅後に読むと、副題ーケイシーが伝えてくれた幸せになるヒントーにあるとおり、ケイシーについて丁寧にしかも盛り沢山に情報が載せられていた。テレビで放映された「知っているつもり」でのケイシーについての内容がYou Tubuでも見られるようになっている。その本の中で、ケイシーが語る健康法についての項目がある。ケイシーは健康とは、肉体・精神・魂のバランスが大切であるとし、食事もとても大切であり、また、過去世なども健康に関与しているとしている。 ケイシーは、人間は肉体と心と魂で構成されており、この三者が調和することで、初めて完全なる健康体になれると述べています。 リーディングでは、病気の対処方法を述べたのではなく、生き方、考え方、心の持ち方など、トータルにその人自身にアプローチしていきました。そのため、時には「貴方は何のために健康になりたいのか」ということを患者に考えるよう、促したこともあります。 病気になる前の不健康な生活に戻るために病気を治したいのであれば、治さないほうがマシであるとさえ述べたことがあります。 リーディングの主な健康に関するアプローチは下記の4つに集約され、4つの頭文字をとって、CAREと覚えます。 1)循環: 運動やマッサージ、整骨療法などで血液の循環を高めること2)同化:食物を消化吸収する能力のことを言い、ケイシーは、毎日の食事を酸性食品 20%、アルカリ性食品80%で構成し、水を1日 7~8杯飲むようにとアドバイスしてい ます。更に、不用な毒素を生じない食べ合わせや調理法などにも言及しています。3)十分な睡眠、リラクゼーションの時間をとること4)身体の毒素を排出し、体内を浄化することで、身体を健康に保ってくれます。排泄を促すために、運動、洗腸、 蒸気浴、呼吸法、水を飲むこと、などがよく勧められました。 エドガー・ケイシー療法は、単に薬を飲んだり、注射をしたり、というような、誰かに癒してもらう、というようなものではなく、 自分で自分に癒しをもたらすための積極的な働きかけが必要になってきます。また、体内に蓄積している毒素だけでなく、心に蓄積している毒素(ネガティブな思い、過去のトラウマ、怒り、悲しみなど)も心の外に排出していくために、自分の心のクセや持ち方を変えていくことも大切です。身体にとって不要なものは、いつまでも体の中に溜めておかないで、さっさと捨てていきましょう。 まさに、私の目標とする医療のお手本がここに載せられている。私はリーディングは全く出来ないが、この様な医療い少しでも近づけるような医療を目指したい。 講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。
2009.01.04
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「タオ 老子」(加島祥造著)の中に、このタイトルの文章がある。ぼくらはひとに褒められたり貶されたりして、びくびくしながら生きている。自分がひとにどう見られるかいつも気にしている。しかしねそういう自分というのは本当の自分じゃあなくて、社会にかかわっている自分なんだ。もうひとつ天と地のむこうの道につながる自分がある。・・・・・・・・・老子は紀元前の人であり、その考え方が今受け容れられている。生きるうえでの真実は何千年経っても変わらない。ということは、何千年も同じ事で私たちは悩んでいることになる。これが、わたしたちに与えられた課題なのだろう。エックハルトの指摘する、本当の自分じゃあない=人生の状況、本当の自分、天と地のむこうの道=おおいなる存在。全てはつながっている。「いまに在り、いまを受けいれる」ここばぶれなければ、心地よく・平安な毎日が過ごせる。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。興味と関心のある方は是非、ご参加下さい。
2009.01.03
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多くのブログやメールマガジンには、いわゆる「格言」と云われる言葉、文章が紹介されている。気になる言葉や文章をノートに書き写している。そのノートも二冊目になった。同じ、言葉を書き写しているのもある。それを眺めていると、私たちの考えかた、生き方、行動などは、ここ二千年くらい殆ど変わっていない事に気づく。同じ事に悩み、同じような解決方法を求めているのだ。先日、ある方が、古代ギリシャ史を学ぶ事により現代の世相の移り変わり、経済の動向、そして、人々がその様な状況で、どんな行動を取るかが、分かると言っていた。セネカもローマ帝政時代初期の人である。「人生の短さについて」(セネカ著、岩浪文庫)の中で、「生きることは生涯かけて学ぶべきことである。そして、恐らくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。」と述べている。老子にしても、実在していたか否か、はっきりしない点もあるが、やはり紀元前だ。「道」はすべてのものをあらしめる原理である。永久不変でなければならない。それを知ることは、人の心にあるが、そのためには心の平穏さが要求される。どうも私たちに植えつけられた思考は、果たしてそうなのだろうか?と見直す必要がありそうだ。常識とか道徳とか規則とか、何か枠にはめ込まれているように感じる。病気って悪いこと?死ぬことって悲しく・寂しいこと?私の中で解決されていない。がん患者さんが来るとどうしても気の毒に思ってしまう面がある。こんなに若いのに、子供さんはどうなるの、とかようやく、定年を迎え、これから人生を楽しむ時に「がん」になるなんて、とか既に、サングラスをかけて、その人や病気をみてしまう。今年は、この枠を取り払い、病人とは、病気とは、生きる事とは、死とは、などをもう一度感じる時にしたい。今日は午前中に、遠方から患者さんが来られる。午後にも何時も来ていただいている患者さんが来られる。患者さんと一緒に歩む上で、新鮮な気持ちで向かい合えるように、自分の心も整理・整頓したい。講演会のご案内1月12日(月・祭日)、新年早々ですが、「NPO法人 ほあーガンサポートネットワーク」では「食は命なり」と食の大切さを勉強する為に、廣瀬俊子先生にお願いして「免疫力を上げる食事法」というテーマで講演会を企画しました。興味と関心のある方は是非、ご参加下さい。
2009.01.02
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あけましておめでとうございます。新年、早々お寝坊です。故郷の「城山」に登ってご来光を拝もうとしたら、目覚ましで一度は起きたのですが、また、寝てしまい。気づいた時には午前5時半過ぎ。これから、五日市まで車で行き、そこから40分くらいかけて山に登って日の出に間に合うのは無理だ。仕方がないから、今年は又眠るかと思っていたら、ふと、以前、丹沢の大山に登った時に「ヤビス峠」という見晴らしの素晴らしい場所を思い出した。その時も、ここから初日の出を見たらいいな~と思った事が浮かんで来た。そこなら、これから東名高速の秦野インターまで行けばそれ程の距離はない。慌しく支度をして出かけた。東名は順調、そして、山昇り。しかし、そこは初日の出の名所なのだ。展望台の手前から、大渋滞、車が狭い道に溢れてしまっている。どうにも、ならない。日の出をあきらめかけた時に、丁度、何とか車を止めるスペースを見つけた。それから、展望台まで歩く事5分。たどり着いたら、まさに、日の出の瞬間だった。少し地平線に雲がかかっていたので、間に合った。振り返ると富士山が素晴らしい景観。富士山~箱根~真鶴~初島~大島~烏帽子岩~江ノ島と270度のパノラマ展望だ。ところが、日の出と共にあっという間に人が少なくなった。殆どの人がさっさと帰ろうとする。30分くらいは移り変わる景色を楽しんで、ゆっくりと太陽の光を浴びて、拝む事が出来た。今年は「協」と「内面」がキーワード。「協」とは協力の事。多くの人との出会い、そして、そこから生まれるものを大事にする。今いるのも、家族、友達、周りにいる人たちのおかげ。それを忘れないように。「内面」とは自分の内側との対話、直感を大切にする。そのためには、静かにする、静寂が必要だ。それには、瞑想が一番だ。時間に追われる生活から、自分の時間を取って瞑想をする時間を保つ事が必要だ。その二点が今年、心がける事。後は、お任せでいい。少しでも、宇宙の流れに乗るように、ジタバタしない生活。チャント、連れて行ってくれる世界を信頼する事。これに尽きる。
2009.01.01
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