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OSHOの30日の言葉に「瞑想とは、目撃することのアートだ。まず自分の肉体を、次に思考を目撃することから始めそして両方から抜け出すのだ瞑想によって、人はこの両方の外に出るそして「私は肉体ではない、思考ではない」と知ったその日、人が我が家に帰る。そのとき、人は自分が誰であるかを知る肉体への同一視は、死への同一視、老化、病気への同一視になる肉体への同一視がなくなったとき「私は離れている、私は意識だ」と知ったその瞬間、人は病気、老化、死から解放されるそれは肉体に起こるが自分はただその全てを目撃する者、傍観者であるだけだそれは自分とは関わりがないことだ」私たちは、殆ど、肉体、思考の段階で留まっている。ホップ、ステップまで来て、ジャンプまでなかなか行き着かない。ジャンプとはシルバーバーチの言う「霊主肉従」の領域だ。思考、肉体を離れた世界だ。私たちの心の奥深くに、外からの影響を受けない、いつも変わらない、静けさと平安と愛と慈愛に満ちた空間がある。そう、山の中心だ。そこは、四季の移り変わりからの影響を受けない、一定の温度に保たれた聖域だ。その存在に気づくか、否かだ。二つの講演会が9月に予定されています。関心のある方はどなたでも参加出来ます。9月10日(木) ホロトロピック・ナイトサイエンス 「催眠療法の実践とワーク」9月14日(月) ほあーがんサポートネットワークの月例会 「私の目指すホリスティックな医療」
2009.08.31
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「思いやり」一般の健常者が、がん患者さんにどの様に接するのか?良く言われる、「健常人とがん患者さんとは気持ちの面で、隔たりがあり、特に、がん患者さんの気持ちは、がん患者さんでないと分からない」と。では、がん患者さんなら、がん患者さんの気持ちが本当に分かるのだろうか?確かに、健常人よりも、同じがんという病気を持っている同士の方が分かち合えるかもしれないが、果たしてそうだろうか。がんに限らず、私たちが経験する事に対しての、捉えかたは一人ひとり異なる。同じ事を経験しても、ある部分に関しては、経験により共有できる部分は確かにあるだろう。しかし、どこまでの範囲で共有出来ているのか、分からない。そう考えると、がん患者さんはがん患者さんでないと分からない部分が存在するが、がん患者さん以上に、がん患者さんの気持ちが分かる健常人もいるに違いない。がん患者さんでも、「がん」に対する考え方は異なる。がんに罹った事は確かだが、心の面からは、恐怖を感じる人から幸せに感じる人まで、さまざまだ。がんに対して、どの様に向かい合ったのか?その体験談はとても、がんに関係する人たちに影響を与えてくれる。実生活でどんな事を実行してきたかはとても関心がある。それと同時に、どんな意識を持っているのか、そこがとても気になるし、大事なのだと思う。二つの講演会が9月に予定されています。関心のある方はどなたでも参加出来ます。9月10日(木) ホロトロピック・ナイトサイエンス 「催眠療法の実践とワーク」9月14日(月) ほあーがんサポートネットワークの月例会 「私の目指すホリスティックな医療」
2009.08.30
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大学時代に同じ病院で一緒に仕事をした内科の先生に会った。その後、「栄養学」を専門として教職にあった。西洋医学のがんに対する食事は、補完・代替医療の食事とは異なっている。がんに対して、食事で治そうとする発想はない。ゲルソン療法、マクロビュオティック、玄米菜食、などについての知識もない。代替医療に関心のかるがん患者さんが、これ程までに食事に気を使っているのに、西洋医学では、全くと言っていいほど関心が薄い。私たちの体は、口から食べ、飲んだものにより形成されている。それは、一定期間で入れ替わっていく。がん細胞もしかりだ。食べ物に気を使うのは、当然だと思う。ただ、補完・代替医療でも食事に関しては、大きく二つに分かれる。それは、がん患者さんが十分な栄養を摂ると、がんも栄養をもらえるので、がんが大きくなるという考え方と、免疫を上げるには、しっかりとした食事が必要である、する考え方だ。一つは、食材を制限し、カロリーを結果的に抑える食事には、ゲルソン、マクロビオティック、玄米菜食などが属する。一方最近の分子生物学的な立場からの栄養は、食のバランスを強調している。足らない分を補いつつ、全体のバランスを取っていく。補完・代替医療の分野でも、何がいいのか決定的な方向性は決まっていない。また、決められないのだろう。個々により異なってくる筈だ。その内科の先生は研究会のテーマとして「がんと食事」を取り上げたいと言っていた。今後、少しずつではあるが、変わっていくことを期待している。
2009.08.29
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シンクロニシティーが起こった事をノートに書いている。シンクロニシティーとはウイキペディアによれば「シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。ユングは「個体化」と名付けた。集合的無意識(collective unconscious)による、個体化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。」私たちは、集合的無意識でつながっている。そして、それを現実の出来事で感じる事ができる。少し意識していると、いっぱい起こっている事が分かる。特に、人とひととのシンクロが多い。最近も頻繁に起こる。電話が多いが、直接に会えてしまう事もある。メールもある。ある人の事を考えている、ただ、最近の経験では、その人の事を意識して、「どうしているのか?」と思うだけでは直ぐに起きない。何回か感じる時に起こり易い。気になっている事が自然に思い出されるとき、そんな時に起きる。ある方に連絡をしなければ、と思っていたら、その方から電話があった。そして、その事を近くにいた、別の方に話した。今度は、その近くの方が、電話の主、私、その方と共通の知人から連絡を受けた。どんどんと一日の内につながっていく。昨日のソマティックのセッションでこんな事があった。催眠状態でクライアントさんが「自分の下腹部に何かクルクル廻っているエネルギーを感じる。丁度、犬が自分の尻尾を追いかけている様に、クルクル廻っている」と言った。その途端、外で犬が鳴いた。私はその事に直ぐに気づいた。催眠状態だったので、その事をクライアントさんにその場で話さなかった。セッションが終わった後で、クライアントさんが「犬の尻尾の時、犬が鳴いたでしょう。あれで私が感じているエネルギーが本物だと感じられた」と話された。クライアントさんは、チャント分かっていたのだ。しかも、それによりクライアントさんは、自分のイメージを本物だと感じた。腑に落ちた、という表現が適切なのかもしれない。共時性は、とても不思議な世界だ。二つの講演会が9月に予定されています。関心のある方はどなたでも参加出来ます。9月10日(木) ホロトロピック・ナイトサイエンス 「催眠療法の実践とワーク」9月14日(月) ほあーがんサポートネットワークの月例会 「私の目指すホリスティックな医療」
2009.08.28
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この絵には魅かれる。ゆったりとした時の流れ、自然・神に対する感謝、静寂な世界。生きていると思うと、どうしても自分で道を切り拓いていかなければと思う。それは尊いのだが、競争が絡んでくる。私が、私が、と、なりがちだ。「生かされている」と感じると違ってくる。そんなに意地を張らなくてもいい。何かにお任せだ。すると、肩の荷が降りたように楽になる。自然に、自然に・・・・・・・これは、責任逃れとは、チョット違う。自分を何か「大いなる存在」に預ける。そんな感じだ。「私はどんな使命を持って、或いは、目的を持ってこの世にいるのだろう?」と誰でもが、考える。催眠療法などでも、一番根本に近いテーマとしてある。その私からの視点を変えて、「大いなる存在は私にどんな使命を与えているのだろうか?」この方がず~と楽だ。ただ、「大いなる存在」を感じればいい。穏やかで、平安で、ゆったりして、今に在れば、「大いなる存在」は何時でも感じられる。自分にもやさしくなれるし、人にもやさしくなれる。自然の流れにも乗れる。ミレーの「晩鐘」は、そんな気持ちにさせてくれる。二つの講演会が9月に予定されています。関心のある方はどなたでも参加出来ます。9月10日(木) ホロトロピック・ナイトサイエンス 「催眠療法の実践とワーク」9月14日(月) ほあーがんサポートネットワークの月例会 「私の目指すホリスティックな医療」
2009.08.27
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この時期、蝉とくにアブラゼミが道路にひっくり返っている。触れてみると、生きている場合と既に死んでしまっている場合がある。アサファルトの上で死んでいる蝉を見つけると、どうしても、土の上に戻してあげたくなる。アサファルトの上で踏んづけられて、潰れているのを見ると悲しくなる。もともと蝉は、土から出てきたのだ。はやり、土に返してあげたい。そ~と、摘んで土や木の所に還す。私たちは、殆ど一定の思考過程で生きている。それは、本人が気づこうが、気づかないでいようが、同じパターンを繰り返している。それで、何ら問題が起きないのであれば、いいのだが、そうはいかない。そこで、今までの思考パターンをチェックして、意識的にそのパターンを越える場合をエッジとアーノルド・ミンゲル氏は呼んだ。この「境界」を越えるには、かなり、意識的にならないと越えられない。自分の思考パターンを見張っていないと、気がつかない。それは、良く言われているように、私たちは物事を一つの方向から見るような習慣を持っている。そこを変えるのは、意識しなければならない。例えば、「人は努力をしなければダメだし、価値がない」。この様な考え方を持っていると、常に、自分にプレッシャーを掛け続ける事になる。「それは本当ですか。100%、本当ですか」という問いかけが、視野を広げる事になる。視野を広げる、多方面から物事を見るとは、簡単にジャッジ、判断しない事にも通じる。私たちは、瞬間的に判断している。無意識といってもいいだろう。それに気づく事により、徐々にでも、変化が起きる。「私たちは、ただ、在るだけでいい」動き廻る自分から、この様にエッジを越えたい。
2009.08.26
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プロ野球が今シーズンに入る前のストーブリーグで中日ドラゴンズは、大幅に主力選手を放出した。エースピッチャー、4番の外人、中村選手など。それにも拘らず、たいした補強もしなかった。きっと、ボロボロに負けるのかなあ~、と。ご家族が患者さんだから、長島元監督より先輩の巨人軍の元プロ野球選手と、たまにお話しをする。そして、今シーズンに入る前に、「今年の中日ドラゴンズは厳しいでしょうね」と聞いた所、「いや、分からない」、主力選手がいなくなると、若手が台頭してくることはよくあると、話した。私は、大学時代に広島にいたので、広島カープを応援している。いままで、広島カープから何人もの主力選手がフリーエージェントで抜けた。その度にチーム力がダウンしているように見える。シーズン始めの頃、中日ドラゴンズは調子が上がらなかった。やっぱりね~、と思っていた。ところが、徐々に成績を上げてきて、巨人に迫っている。「巨人を追えるのは内だけ」と落合監督は語っている。広島カープとの違いな何なのだろう。元々の選手の素質?落合監督がすぐれている?いい選手が揃っている?巨人の原監督の勝負勘も鋭くなってきている。最後に笑うのは、巨人か中日か?中日の試合振りが気になる。
2009.08.25
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昨日の日曜日は、党首討論会のテレビを見たりして、ゆったりと過ごした。カウンセリングで困った時の、最後の切り札がバイロン・ケイティさんの「ワーク」という手技だ。四つの質問からなる。1)その考えは本当でしょうか?2)その考えが絶対に本当であると、あなたは言い切れますか?3)その考えがある時、あなたはどんな気持ちになりますか?4)その考えが消えたら、あなたはどうなりますか?考えの置き換え(ターンアランド)を行う。この4つの質問+考えの置き換えよりなる、一見、単純な質問なのだが、奥が深い。ただ、これをやる時には、真剣にやらないと(ハートで感じる領域)浅く、つまらないものになってしまう。この根底にある考え方は「現実と争うとき、あなたは負ける、それも必ず」病気についても、素晴らしい事と言っています。「バランスの取れた、健康なマインドーこれが、あなたが本当に望んでいることではないでしょうか。病んだ体が問題なのでしょうか。それとも、体についての思考が問題の原因になっているのでしょうか。よく見てください。体は医者に面倒をみてもらい、あなたは思考の面倒を見てください。私には、友人で、からだが動かない人がいますが、彼は生を愛しています。自由には健康な体はいりません。マインドを自由にして下さい」まさに、ここに病に対する私たちの心の持ち方の原点があるのだと思います。この「ワーク」では、つらい思考にしがみつくことからくる因果関係を探り、問い直しによって、自分の自由を見つけていきます。つまるところ、現実と言い争うべきではないのです。エックハルト・トールは「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の中で、「苦しみを平和に変える方法」についてこう述べています。すでにそうあるもの、を、その都度、ありのままに受け容れる事が、まず私たちに与えられている最初のチャンスです。私たちの目には、状況が苦しみをこしらえているように見えますが、実際は、状況に抵抗することで、自分自身がこしらえているのです。こう語っています。全く、同じ事を指摘しています。私たちが、抵抗を感じる時、嫌な感じを抱く時、恐怖を抱く時、それは、現実をありのままに見ていない。思考が過去や未来に飛び、或いは現実に逆らっているのです。そこから、自由は得られないのです。二つの講演会が9月に予定されています。関心のある方はどなたでも参加出来ますので、お待ちしております。9月10日 ホロトロピック・ナイトサイエンス 「催眠療法の実践とワーク」9月14日 ほあーがんサポートネットワークの月例会 「私の目指すホリスティックな医療」
2009.08.24
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治療という言葉も、西洋医学的には「セラピー」であり、補完・代替医療からは「ヒーリング」と呼ばれる事が多い。補完・代替医療の分野でも、基本的には身体に働きかけるヒーリングが殆どだ。例えば、大きく深呼吸をする、体を温める、食事に気をつける、などにサプリメントや点滴など、体に訴える。精神的な面では、免疫を上げる事が重要であり、それには笑いや感謝の心が大切である、と説明してある。では、スピリチュアルなヒーリングとは何だろうか。いろいろあるのだと思うが、大きく二つに分けられる。一つは、セラピストが宇宙の存在とつながる。そして、セラピストはただ導管となり、宇宙からの波動を患者さんに伝える。何処からの波動を伝えるかという点に関しては、ある決まった存在、或いはグループにつながり、そこからの波動やエネルギーを伝える。この代表的なものが、ハリーエドワーズに代表される「スピリチュアル・ヒーリング」であり、イギリスで世界各地からの患者さんのヒーリングに貢献した。また、これは遠隔治療も可能となる。ブラジルのドクター・フリッツ一方、患者さんの潜在能力を発揮して、病気をヒーリングする方法もある。現在、私たちが「ソマティック・ヒーリング」として行っている方法がこの一つだ。誰でもが、本来、ヒーリングをする力を持っていて、それに気づき、発揮させるヒーリング方法なのだ。それは、潜在意識を利用して、その患者さん自身が持っている能力を発揮出来る様に、サポートするのが、その役目だ。
2009.08.23
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外はどんな景色かなあ~昨日の続きなのだが、その92歳の女性は数年前に亡くなったそうだ。亡くなる半年前に胃がんが見つかった。年齢も考えて、何もしない事にしたそうだ。家で普通の生活をしていた。亡くなる一週間前から寝込み。そして、縁ある人たちを呼んで、お別れをして。その後、急変して救急車で病院に運ばれ、半日くらいで旅立って行ったそうだ。80歳代後半には、「いつお迎えが来てもいいし、孫の成長も見たい」と言っていたそうだ。誰でもが、苦しんで死にたくないと思っている。苦しみは精神的な苦しみと肉体的な苦しみがある。通常、肉体的な苦しみを指す事が多い。「楽」に死ぬためには、日頃から出来るだけ「執着」を亡くす事にあるのではないか。恨み、辛みを持って生活している事は、何かに執着していることになる。そうなると、心が自由でなくなる。好きに羽ばたけなくなる。捉われるとそこの流れが悪くなる。心の流れが悪くなるのは、それを自分で選択しているのだ、と気づくのが難しくなる。被害者意識になってしまう。悪いのは、自分ではなく、その流れの悪さを作った人にあると・・・・・・被害者意識の強い人は、自分自身を見つめていない人が多い。常に、心は外の世界に向いている。外の世界に現在の自分の辛さの原因があると考えると、世の中は辛いことだらけになる。そして、自分の内面を見つめる事は殆どない。自分の内面を見つめる事がないと、「自分を愛している」なんて到底思えない。この悪循環に陥ると、なかなか蟻地獄の様になり、抜け出すのが難しくなる。「どうしても許せない人がいる」、そう思える時は、自分の中に許せない部分がある、その様に気づければ、内側に入る糸口になる。
2009.08.22
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先日、ある方と話している時に、その方の身近な人の話しを伺った。その方は数年前に92歳で胃がんでなくなったそうだ。戦争でご主人を亡くし、三人の子供さんを育てたそうだ。この方の話しを伺っていて、二つの事に感心した。一つは子育てだ。二人の男の子がいたそうだ。長男は勉強が好きだし、成績もよかった。もう一人の次男は勉強が好きでなかった。その方は、二人の息子さんをみて、長男は大学まで卒業させた。次男は鮨職人になった。長男はその後、大手の証券会社に勤務して、ニューヨークの支店長になった。次男は鮨屋を営み、その方は次男のお店を手伝っていたそうだ。教育の中で、子供の資質を見抜くのは親に課せられた大切なテーマだ。ただ、いい学校を目指すばかりでなく、何がその子に向いているか、本人の意志を確認しつつ伸ばすのが務めだろう。親や学校の先生の言いなりに進んで行くと、それが、社会的にみていい職業であっても、本人の満足感や充実感は結局は得られ難い。それは、自己責任と関連がある。自分が選択した道だ。この思いがないとどんな生き方でも、依存になってしまう。どんな状況でも、全て自分が引き起こした事だ。私たちが生きる上で、この事が大切だし、そう思える事で、その先につながる。感動した事は、一つだけ書いて時間がなくなりました。
2009.08.21
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体の節々の痛みもようやく薄らいできた。急に運動をした為に、悲鳴を上げていた筋肉もようやく本来の働きに戻りつつある。がんの患者会についてコメントを頂いた。実は未だ大学の付属病院に属していた時にも、自分の受け持ちのがん患者さんを対象として、がん患者さんの会を院内で開いた事があった。病院のスタッフは、仕事以外の事はしたくないのが原則だ。病院も収益に結びつかない事はしたくない。だから、殆ど協力を得られなかった。ただ、患者さんとそのご家族が話し合う意義は感じていた。がんの患者さんの会は最近盛んになりつつある。大きく分けて三つのタイプに分かれるのではと思う。1)大学病院やがんセンターや大きな病院が、自分の病院に入院・通院しているがん患者さんのために行う会。2)病院とは関係なく、医師、看護師、薬剤師などが独立して立ち上げたがん患者さんのための会。3)がん患者さんでがんを克服した体験に基づいて、あるがん患者さんが立ち上げた、患者さんによるがん患者さんのための会。この中で、比較的うまく行っているのが、1)、3)ではないかと思う。1)の場合。病院単位であり、情報を伝え易く、そこに医師や看護師も参加される。基本は患者さん中心の会だが、看護師さん達がサポートする。3)はカリスマ的ながん患者さんが、中心になって行う。会員数も多い。内容もかなりユニークだ。がん患者さんのみが参加出来、そこで、自由に自分の意見を述べる。何の遠慮もないし、お互いががん患者さんだから、心情も分かる。がん患者と一般の人との境界がないから、そこでは、安心して心の悩みを吐露できる。2)は、私たちが行っているスタイルの会だ。この会は医師や看護師やカウンセラーなどが参加している。それにがん患者さんとご家族の方々だ。私たちの会は、精神的なサポートを主に行うのを目的としてきた。それと、病院の枠に捉われずに自由に発言できる場を提供することにある。複数の健常者がいる会で、がん患者さんが自分の心境を素直に語るのは難しいのだ。それは当然なんだ。がん患者さんにとって、やはり、自分の心境を分かってくれるのは、がん患者さんなのだ。一対一のカウンセリングなら、いいかもしれないが、集団で行うのは無理がありそうだ。医療者が中心になって行うがん患者さんのための会は、私は医療情報、特に西洋医学では得難い情報を出来るだけ客観的に伝える事が求められているのではと思う。その会の中で、心のことが話題になれば取り上げればいい、そう思うようになった。当面は私の持っている情報を提供し、順次、スタッフの方々、更に、外部講師とつなげて行く予定です。9月の例会のプログラムを立てました。
2009.08.20
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4年間、桜木町駅の近くの公共施設をお借りして、がん患者さんとご家族のためのボランティア団体「NPO法人 ほあーがんサポートネットワーク」を最初は月に二回、最近は月に一回の例会を毎週第二月曜日の午後に行っている。目的は、がんの患者さん同士が自由に話し合い、そこに、医師、薬剤師、看護師、カウンセラーなどがアドバイザーとして参加する会で継続してきた。当初から、そうしたがん患者さんが抱えるいろいろな悩みより、医療情報を欲しいという方が多かった。日常での悩み、病院での悩み、精神的な悩み、などそれなりに価値があった。クリニックを開いたのも、元をと言えば、その人たちの悩みをクリニックで少しでも解消できればと思っていた。毎回、参加されるスタッフやがん患者さんとは、精神的に深い所まで話し合える会になった。ただ、毎回同じメンバーとなり、マンネリ化してきた。そこで、今年の9月から方針を転換して、がんについての必要な情報、特に、補完・代替医療の情報を講演会形式にして、お伝えする事にした。また、がんを克服した、或いは、しつつある患者さんの体験談もお願いする事にした。当面、その二本の内容で、会を運営して行きたい。必要な方々に必要な情報を是非お届けしたい。
2009.08.19
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日曜日に多摩川でのウインドサーフィン、まともに一度も乗れなかったのに、体中が痛い。体は鍛えていないと本当に正直に答えてくれる。急に無理をすると筋肉も悲鳴を上げる。一昨年に富士山に登った時と同じ感覚だし、体の痛みも似ている。体が「体の声をもっと聴いて下さい」、と言っている。以前、このブログで書いた、京都の素敵な木造建築は最終的に滋賀県に移築される事になり、既に、移築のための解体が行われているそうです。解体には一か月間くらいの日程を要するそうです。滋賀県では、来年になってから復元する予定だそうです。京都の場所では、うまく生かすことは出来なかったけれど、滋賀の土地もとてもいい場所にあるそうです。また、一般にも開放されると聞きました。関係者の人たちの想いが、この様な不可能と思えていて移築を可能にしたのだと思います。チップにならなくて、本当に良かったです。
2009.08.18
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昨日は炎天下、多摩川にウインドサーフィンに出かけてた。丁度、一年振りだ。その間、まったく乗っていない。最近、運動を全くしない生活が続いている。体は運動をしなくても、特に差し障り無く動いている。でも、アウトドアーをしてきた自分にとって、運動の部分が欠けているのは、なんだかアンバランスな気がしていた。そこで、是が非でも運動を、という事になった。ウインドサーフィンはいろいろな部品があり、また、組み立てるのに慣れないと時間がかかる。すっかりと忘れているので、日差しの強い中、汗をかきかき組み立てた。ところが、いざ川に出て、乗ってみると、全然乗れない。直ぐに、ひっくり返ってしまう。殆ど走れない。ウインドサーフィンも走り出せば、自転車と同じように安定するが、じ~としている状態はとても不安定だ。何回もひっくり返っていると、丁度、ウインドサーフィンをしている知り合いの店長さんが側に来て、アドバイス。ボードが小さいのだ。だから、中級から上級者用になっている。今の自分は初級者だから、ボードをコントロール出来ないのは無理もない。もっと、大きく安定性があるボードに変えれば、それなりに乗れそうだ。月に一度は、ウインドをするくらいの余裕のある生活をしたい。私に丁度いいくらいの、中古のボードがあるそうだから、それを買ってもいいかな~と考えている。今朝は殆ど乗っていないのに、体はしっかりと痛い。体は正直だ。デジカメを持って行ったが、写真を撮るどころではなかった。家に帰り、天才的なロビー・ナッシュの大好きなビデオのダイジェスト版を見て楽しんだ。多摩川のここで、飯島夏樹さんにお会いした事があった。日本のプロのウインドサーファーの第一号だ。真っ白いウエアーがとても似合って印象的だった。その彼が肝臓がんで旅立って行った。『神様がくれた涙』 は話題にもなり、テレビでも放映された。セミナーのご案内!!催眠療法の仲間の「宮崎ますみ」さんが、「母と子の・心と体のヒプノセラピー」という二泊三日の日程で開きます。がん患者の女性と子供さんが主体ですが、別にがん患者さんでなくても女性なら参加出来そうです。是非、関心のある方は問い合わせてください。
2009.08.17
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先日、久しぶりの熱帯魚屋さんと覗いた。水槽に並ぶ、ディスカスを見て驚いた。ディスカスは、淡水魚の女王と云われるくらい、優雅な魚だ。ディスクという名の通り、円盤形で、原産地はアマゾンだ。このディスカスは品種改良され、様々な色ノディスカスが登場した。私が、ディスカスを飼っていたのは、20年以上も前になる。ディスカスの中で、ターコイズと云われるプルーの魚体を持った種類があり、値段も高く、2~3万円するのはザラにあった。驚いたのは、その同じターコイスのディスカスが何と3,000円くらいで売られているではないか。そして、今まで見たこともない様な、真っ白なディスカス、真っ赤なディスカスがいて、それぞれペアーでも数万円で売られている。思わず店員さんに質問をしてしまった。その店員さんは、ディカスに詳しく、私が飼っていた頃の高嶺の花だったターコイスのデイカスは値段が高かったが、よく売れたそうだ。バブル期と一致していた事もあるが、高くても売れた。所が、値段が十分の一になったにも拘らず、最近は余り売れないと話していた。値段の高い頃を知っている人も、安くなったディスカスを買わない。その頃の値段を知らない人にとっては、3~4千円する魚は高く感じられるのだそうだ。熱帯魚の値段は需要と供給で決まる。繁殖が難しいと、それだけ市場には出難くなり、値段も高くなる。当時、ディスカスの繁殖は難しかったが、現在では繁殖が容易になり、しかも、品種改良している。繁殖は東南アジアで行われるが、メーカーで働いていた人たちが、田舎に帰る時にディスカスを持って帰り、どんどん繁殖させているらしい。それで、値段が下がっている。物の価値は変わらないが、値段は凄く変わる。それにより、購入する人たちの層は変わる。熱帯魚は生活必需品ではないから、この様な安くなったら売れなくなったとのかも知れないがいが、よく化粧品でも安いのは売れないと言われる。物の価値は高いからいいと思う人がいる。それは、相対的な価値感になる。いいものに高い価値感があり、高い値段になる。それは理にかなっているが、必ずしも世の中そうなっていない所が面白い。自由診療では、値段は自由につけられる。通常の保険医療は決まっているから、却って、やり易い。自分の医療に一体どれくらいの価値があるのか、勿論、周囲の料金を参考にするのだが、最終的には自分の判断による。安すぎるのもどうも余りよくないのだ。また、高すぎるのも困る。では、適性な値段とは、ある人に伺った時、「それは直感だ」と云われた。セミナーのご案内!!催眠療法の仲間の「宮崎ますみ」さんが、「母と子の・心と体のヒプノセラピー」という二泊三日の日程で開きます。がん患者の女性と子供さんが主体ですが、別にがん患者さんでなくても女性なら参加出来そうです。是非、関心のある方は問い合わせてください。
2009.08.16
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あんじゅさん、若葉さん、犬の心配ありがとうございます。この犬の飼い主さんが見つかったそうです。この犬の飼い主さんは、横浜市に在住の方だそうです。そして、私の住んでいる川崎市宮前区の隣りの多摩区のペットホテルに預けられていて、逃げ出したそうです。ペット・ホテルの方が保護センターに問い合わせたので、分かったそうです。ペット・ホテルが多摩区の何処にあるのか分かりませんが、かなり遠くまで一人旅をした事になります。車に轢かれなくてよかったです。きっとそれまで捕まえようとした人もいたのでしょうが、うまく行かなかったのでしょう。チラシも貼ってから、直ぐに回収となりました。結果的には、持ち主探しをお願いした方が、保護センターに預けて下さったので、一番効率良く飼い主が見つかったのだと思います。丁度、私が捕まえた時に誰も家族が家に居なかったので、取りあえず、ゴミ置き場に収容しましたが、もし、家族がいたら家に連れて帰っていたと思います。そうなると、逃げた場所から離れているし、チラシを近所に貼ったとしても、見つかり難かったのではと思う。この犬はとても可愛いので、2,3日家で飼った後に、飼い主が見つかったらきっと手放すのが辛くなっただろう。我が家で、飼い主が見つからないとしても、飼えたか否か分からない。犬を実際に見たのは家族では私だけだ。でも、やはり家に連れてきたら、きっと離せなくなったと思う。そう思っていたら、少し前に書いた白隠禅師の逸話が思い出された。自分が親でない子供を、濡れ衣を着せられながら育てる。やがて、本当の親が現れて、子供を引き取る。いずれも、淡々として、執着しない。すごい方だ。それに比べると随分と小さな事だけれど、執着しなって、難しい事なんだなあ~と教えてくれた。セミナーのご案内!!催眠療法の仲間の「宮崎ますみ」さんが、「母と子の・心と体のヒプノセラピー」という二泊三日の日程で開きます。がん患者の女性と子供さんが主体ですが、別にがん患者さんでなくても女性なら参加出来そうです。是非、関心のある方は問い合わせてください。
2009.08.15
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昨日は午後から患者さんが来られるので昼頃、家を出た。駐車場まで歩いている時に、道路をトイ・プードルが歩いたり、走ったりしている。リードが付いていない。でも、飼い主が側にいるのかを思って見ていたが、誰もいない。犬は私の側を通り過ぎて、道路を下って行く。通行人も危ないな~、という感じて見ている。直ぐに飼い主が現れると思っていたが、その気配がない。犬を捕まえようと追いかけ始めた。どんどん犬は、乗用車が驚いてスピードを緩める間を縫うように、先日、カルガモがいた辺りを更に先に行ってしまった。仕事の時間も差し迫っているし、このまま仕事に行こうかと思ったが、どうも気になる。更に、追いかける。ようやく、追いついて先回りをした。丁度、その時におばさんが犬に気づいて、反対側から犬に声をかけた。しかし、犬は近寄ろうとはしない。二人で犬を前後から挟み撃ちした格好になった。それでも、犬は駐車場の脇に入った。うまく、自動車と壁の間で動きが取れなくなったので捕まえようとすると、私の指に噛んだ。怯んだ隙に、犬はまた逃げ出した。そのおばさんも「この犬、噛むんだ」と言って、いなくなってしまった。犬は50メートルも先に行ってしまった。交差点も横切って、信号待ちをしている私を置いて、やがて見えなくなってしまった。暑い昼下がり、カバンを抱えて、犬を汗をかきながら、追った。遠くで女性が少しの間、何かを覗きこんでいる気配があった。そこにいるかもしれないと思い、近づくと中華料理店の駐車場に、その犬がいた。袋小路になっているので、犬は後ろへは逃げられない。でも、犬も息が荒く、興奮している。手を出しても、警戒心が強く、無理やり捕まえようとすると、また、噛まれるかもしてない、とこちらも躊躇した。ふと、犬を見ながら、日頃、心理学を齧っているのだから、これに応用しない手はないと。そこで、先ず、犬に視線を合わせるようにした。犬は視線を外す。それでも、眺めていると時々視線が合う。それから、呼吸を合わせた。ところが、犬の呼吸数は速い。でも、感覚で呼吸を合わせた。犬の気持ちになった。犬の中に、意識が入って行く。犬が何を感じているかを、感じる。「怖い、喉が渇いた」と犬が感じている。そこで、心の中で、犬との会話をした。「大丈夫、怖がる事はないよ!!」と。すると、こちらも噛まれる心配が遠のいていく。暫くすると、犬は前足を出して、しゃがみこんだ。前足にそお~と、手を少しだけ触れた。今度は噛まれない。その足を撫ぜていると、やがて、犬は横になった。そして、仰向けにひっくり返った。もう、犬を抱き上げても、じ~としている。そのまま、抱っこをして団地まで、戻った。途中で合った人に「可愛い犬ね」なんて言われたりして、前に飼っていたシーズの「ラブ君」の感触を思い出した。団地のゴミの集積の金網の囲いの中に、犬を放し、水をあげた。丁度、犬を連れた男性がとおりかかった。この団地の誰かの犬が逃げ出した、と話すと、その男性はこの団地は犬を登録しているので、調べると言ってくれた。これで、一件落着だと汗だくになりながら、車でクリニックに行った。夜に家に帰ったら、その男性からのメッセージがあり、犬は飼い主が見つからない。この団地の犬ではなさそうだ。動物保護センターに預けた。このまま18日まで預かってくれる、との伝言だった。飼い主が見つからない、動物保護センターに預けられたと分かり、驚いた。簡単に飼い主が見つかると思っていた。保護センターのホームページに、保護された犬として写真入りで紹介されたいた。とても可愛く撮れている。推定2歳の雌だそうだ。「我が家で飼おうか」なんて言いながら、近所に貼るビラを何枚か作った。セミナーのご案内!!催眠療法の仲間の「宮崎ますみ」さんが、「母と子の・心と体のヒプノセラピー」という二泊三日の日程で開きます。がん患者の女性と子供さんが主体ですが、別にがん患者さんでなくても女性なら参加出来そうです。是非、関心のある方は問い合わせてください。
2009.08.14
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二日半の夏休み。昨日は昼頃から奥多摩渓谷とその隣りの実家のある秋川渓谷に行った。奥多摩にはいわゆる「巨樹」と云われる木が1000本以上あるそうだ。我が家の菩提寺の「光厳寺」の境内の外れにある、「大桜」は以前枯れそうになったが、とても葉が繁り、生き生きとしている。この桜も巨樹に入るのだろう。巨樹は、神様が降りてくる木であり、それから、神様が宿る場所として崇められている。何百年も生きている事が、私たちに畏敬の念を湧き起こさせる。家からさほど遠くない「日の出山荘」にも行ってみた。昭和58年に中曽根・レーガンの会談がこの小さな山荘で持たれたことで有名になった。昭和30年代に、中曽根氏が日の出村の村長さんから、村おこしとして古いわらぶき屋根の家を買い。その後、改築と別に茶室や洋風の家を増築した。小さな谷あいの道の行き止まりの所にその山荘はあった。大きな観光バスが止まり、団体で見学に来ていた。そんな観光地の一つになり、現在は村が管理している。この日、夏の夕方、日航ジャンボ・ジェット機が墜落した。私はその時に実家に居た。多分、飛行機は実家に近い場所を飛んで行ったのだろう。暗くなりかけたこの時間、多くの犠牲者のご冥福を祈った。
2009.08.13
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現在読んでいる「身体症状に宇宙の声を聴く」(アーノルド・ミンデル著、日本教文社刊)を読み終えた。この本の訳された日本語が難しい、「周縁化」など見慣れない文字が何回も出てくるので、元々、内容が難しいのが、更に、分かりづらくなっていた。この本を読んでいて、現在、私たちが行っている、催眠療法やソマティック・ヒーリングとよく似た内容だと感じた。しかも、「タオ」からも影響を受けている。ミンデル氏は物理学者でもあり、心理学者でもあり、また、思想家でもあるのだ。序文に、心理学、物理学、医学という個々の分野を探求し、これら三つを結びつけたいと強く思うようになった。極めて微細な領域で私たちが経験すること、および素粒子物理学の両者に、非常によく似た基本的パターンが存在するという発見に基づいている。本書の第一の目的は、身体症状に焦点をあてることである。第二の目的は、心理学、物理学、医学などの分野を統合するアイデアを提案したい。誰にでも分かる見える世界を合意的現実と呼び、見えない世界を非合意的現実とか非局在的と呼び、対比している。未だ、消化不良だが、気づきも多い。その一 通常の実時間は水平線として考える事が出来る。過去、現在、未来である。しかし、垂直方向の別の種類の時間がある。それが虚時間である。それは私たちがふだん経験しているような時間ではない。しかし、ある意味で、それは私たちが実時間と呼ぶものと同じくらいリアルである(p181)。虚時間では、私たちはずっと自由である。ホーキングは相対性理論と量子論を統合する数学的な手法として虚時間を使った。それにより宇宙の誕生を説明した。これって、エックハルト・トールの言っている「今に在る」。すると時間は縦軸の時間となり、過去、現在、未来の時間軸とは違った時間軸であり、そこで、私たちは「大いなる存在」を感じる事が出来る。この概念と一致するではないか。何だか、嬉しくなる。虚時間は現実の時間や空間における「特定の点」に縛られていない。そうではなく、虚時間と結びついているのは、「ある特定の雰囲気」なのである、と指摘している。雰囲気を科学する。ワクワクしてくるぞ。また、終わりの方(p327)では、「あなたの身近な誰かが困っているならば、平行世界であなたも困っている。それゆえ、誰かを援助するには、あなたにもまったく同じ薬が必要となる。クライアントがもってくる葛藤はあなた自身の葛藤であり、彼らが必要とするレインボー・メディスンは、あなたが必要としているものでもあるのだ。あなた自身或いは誰かのものとしてこの瞬間に現れている葛藤を解決することは、あらゆる人の身体に影響を与えるのである。この考え方って、まさに、オ・ホポノポノの考え方に一致する。あなたが病気なのは、私の中の記憶に、あなたの病気の原因がある。だから、それを消去しよう。それが、あなたに影響し、あなたは病気から解放される。オ・ホポノポノも量子論的に説明出来るのだ。ミンデル氏は、まさに、物理・心理・医学を統合しようとしている。身体に焦点を当てる、現代の西洋医学を否定している訳ではない。そこでは解決できない面が多々あり、そこから見えない世界が展開し、それは、「夢」であり、微細な感覚であり、身体の動きである。それらが、量子論などの考え方と整合性がある事を述べる事により、科学とシャーマンの世界を結びつけている。今、進みつつある私の船の方向は、そうずれていないと感じる。
2009.08.12
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「神との対話 365日の言葉」の中に、「幸福になるために何かをするのではなく、幸福だから何かをする」というのがある。それでは、「幸福」とは?幸福とは、今の状況に満足していて、しかも、その事に感謝をしている事ではないかと思う。私たちは、つい、何かを求める。目標を定める。目標そのものは、決して悪くはないだろう。だが、目標が幸福を得るためであるなら、チョット~という感じがする。目標を達成すれば、幸福になれる。だとすれば、もし、目標が達成されれば、幸福になれるの?きっと、一時的になれるかもしれない。志望する学校に合格すれば、目標が達成される。その時は、一時的に幸福だ。でも、その時点で幸福であっても、直ぐに、次の目標を目指さなければならない。そうして、目標を立てて、それに向かう。達成できれば、一時的な幸福感に浸れる。この繰り返しでは、幸福は何時でも、束の間の出来事であり、追いかけ続けなければならなくなる。私は満たされていないから、満たされるように努力する。自分の周りで、満たされていないものは何だろう。チャント、スイッチを捻れば明かりがつく。蛇口を捻れば、水が出る。当面、食べる物がない。そんな状態ではない。そう考えると、生きている奇跡を心から感謝して受け容れる。すると今のままでいいんだ。それが、幸福であり、至福なのだ。エックハルト・トールも確か、幸せは追い求めるから得られない。平安は今ここに在ることに気づく事だ、と言っていたように思う。ほんとうに、「心一つの置き所」だ。
2009.08.11
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身体を診る医療は、西洋医学の特徴だ。これを古典的医学という人もいる。それは、ニュートン力学と西洋医学が結びついているという考え方に基づいている。見えるものを対象とした、物理学であり、医学である。ところが、見えないものを相手にしているの物理学が「量子力学」だ。また、単に身体以上の見えない部分を診ようとしているのが、「ホリスティック医療」だ。私たちを見える部分から捉えるには、限界がある。物理でも、ニュートン力学では説明できない事があり、それを説明するのが、量子力学だ。量子力学は、全てを見る事ができない。理論上、こうなる筈である。その様に考えた方が物事の説明がつくのだ。又、量子理論を完全に理解している人はいないと言われている。もし、理解していると言う人がいるなら、それは嘘をついている、とまで言われている。病気も、単なる肉体的な不調ではなく、その深層に潜んでいる「大いなる智慧」と結びついている、目に見えない世界から捉えようとしている。現在読んでいる「身体症状に宇宙の声を聴く」(アーノルド・ミンデル著、日本教文社刊)は面白い。だが、内容を理解するのも難しい。ミンデル氏は元々、マサチューセッツ工科大学院の、理論物理学者なのだ。その彼が、心理学を研究して、更に医学とこの三つを結びつけたのだ。基本となる考え方は「医療に携わる者にとっての最も基本的な仕事は、病気を治すことではなく、自覚を鍛え上げることなのだ。身体症状は単に解決されるべき問題というだけではない。慢性症状は一種の”考案”、すなわち意識の拡大(深化)を目的とした、一見答えようのない問なのだ。そうした症状の多くは、私たちが日常的思考を手放し、自覚の力を高めて身体の内なる沈黙の力を知覚することを要求しているのである。」こころを漠然ととられるのではなく、量子物理学の見地からとらえる。意識と科学が結びつきつつある。この様な見方はこれからの、医学を科学する上でとても大切になるだろう。医学は科学と一緒に進歩しているのだ。勿論、日常では医療は身体を診ることから始まる。しかし、それだけでは、私たちの存在そのものが肉体だけに留まっていない、むしろ、肉体は私たちがお借りしているのだ。だから、肉体に意識を向けて、メインテナンスをする事が大切だ、と同時にその肉体を借りている大元を感じる事が大切になってくる。そこには、「夢」は「変性意識状態」と言った言葉が頻回に用いられる。私たちの行っている「催眠状態=変性意識」を利用し、なお、身体に働きかける医療(ソマティック・ヒーリング)はある意味最先端の医療であり、量子物理学をかじる事により、更に、理論的に分かるような気がしてきた。
2009.08.10
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僅か15分早く家を出るだけで、いろいろな気づきがある。先ず、ゆっくりと歩ける。この時期、急いで歩くと汗をかくが、ゆっくり歩くとそうでもない。余裕があるので、道端に咲いている朝顔にも心を向ける事ができる。ゆったりと時間を取る。とても、大切だ。時間が無い時、慌しい時、イライラする。言葉にも態度にも、余裕がないと、自分の視野が縮こまってしまい、周りが見えなくなる。何だかギスギスする。いつもゆったり生きるためには、時間を気にしつつ、時間に縛られない様な行動パターンを身につける必要がある。日々の生活で、如何に心を開いていられるか。心を開いていると、必要なものはチャントやってくる。そして、不必要なものは、それに応じて遠ざかっていく。無理に引き寄せたり、遠ざけたりする必要はない。自然に流れていく。日曜日、予定もなく、読みたい本を読む。こんな時間がありがたい。ありがたい、と思える気持ちでいられる時が、とても心地よく、ありがたいのだ。
2009.08.09
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日々、安定した生活をするためには、規則正しい生活が必要だろう。不規則な生活、特に、寝る時間や起きる時間が日々ずれていては、脳の日内変動も安定しない。禅寺などでの朝の起床時間、そして、読経の時間が決まっているのも、チャント意味がある。私が以前大学病院に勤めていた頃に印象に残っているS医師がいた。その医師は皆で食事をしていても、ある時間になると帰ってしまう。特に食事の後の雑談の頃になると帰る。その先生は、用事があって帰るのではない。規則正しい生活を維持したいから帰ると後で聞いた。その先生は、夜間高校を出て、東大の医学部に入学し、東大病院に勤めていた。凄い苦労人なんだ、兄弟の面倒をみながら、夜学に通ったとその先生を知る人から聞いたことがある。よく東大に入る家庭の年収は一般より高い、といった統計が発表される。でも、この様な環境の中でも、チャント、最難関と云われる医学部に入る人もいるのだ。元々、優秀だから、その様な経過を辿ったのだろう。大学の教授になろうと思えばなれた筈だが、さっさと開業してしまった。規則正しい生活を維持するのは、並大抵ではない。相当こだわりを持たないと出来ない。特に夜寝る時間だ。朝は無理をしても起きられるが、その日のリズムが狂ってくる。禅寺の様な生活は難しいが、義理や無駄な時間を出来るだけ削って、規則正しい生活に心がけたい。
2009.08.08
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昨晩、「ソマティック・ヒーリング」を受けられた方から、今朝、こんなメールを頂きました。「ソマティックヒーリングは本物だとわかりました。これからはこういう治療が表にでてくると思います。何故なら、すごく効果を感じます。後から思い出しましたが、数日前に寝違って頚が痛かったです。治療の後で両手が痺れていたのも納得です。それから光の存在と話して、今は不安をとる作業をしなければと分かりました。そしてこの体験を伝えたいと強く思います。これがどんなに素晴らしい体験か知ってもらいたいです。」ソマティック・ヒーリングの効果については、実際に行っているセラピストたちが実感している。だから、プロのセラピストとして活躍しているメンバーが、ボランティアに近い形で毎週集まって下さる。ソマティック・ヒーリングを勉強すると同時に更にその良さを知って欲しいという思いがある。一人のクライアンさん、或いは、患者さんに、4~6名のセラピストが催眠下に体に問いかけ、体を形成している細胞、一個、いっこが活力のある、愛に満ちた、自然な細胞に戻る、そんな表現がぴったりだ。別の昨晩の患者さんが、「ソマティックヒーリングは愛を感じるヒーリングなのですね」と感想を話されていた。未だ、未だ、殆ど知られていないこのソマティック・ヒーリングの可能性は計り知れない。それだけに、大事に育てる必要がある。
2009.08.07
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カール・サイモントン先生が旅立たれたのが、2009年6月18日。丁度、49日当たる昨日池袋のホテルで「カール・サイモントン博士の旅立ちを祝う会」に参列した。サイモントン療法として、知られている。イメージ療法をこれだけ、世に広めたのはサイモントン先生だ。元々、放射線医師であった、サイモントン先生は、がん患者さんが「絶望」している事の多さに気づき、そこが出発点となり、いろいろな事を調べた。そして、自分の願望実現に対する「イメージ」を使った、ビジネス講座を受講して、そこから自分の方法の基盤を作ったと紹介されていた。いわゆる「引き寄せの法則」を用いた訳だが、晩年は「仏教」も随分と取り入れていたと身近におられる人たちが話していた。私がサイモントン療法について、初めて知ったのは、1993年に川竹氏がディレクターでNHK教育テレビスペシャル「人はなぜ治るのか」の中で紹介されたいたのを見てからだ。このシリーズでは、心の持ち方が病気に如何なる影響を及ぼすかについて、ドキュメント風に取り上げられている。私が、この様なホリスティック医療に関心を持った原点の番組だった。サイモントン先生は、日本には13年前から来られて、セミナーを定期的にされていた。私も3回のセミナーを受講した。そこで、出会った人たちとは今でも交流がある。現在は私は催眠療法を中心として、がん患者さんの精神的サポートを行っているが、サイモントン療法から学んだことは多い。これからは、伝説的な人物として語り継がれるのだろうが、実際に会えた体験はこれからも患者さんに対する精神的なサポートにとても役立っていくだろう。
2009.08.06
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昨晩、昔からの付き合いのある、年も殆ど同じ人と食事をした。3年間、立ち上げから経営してきた組織から離れて、フリーターになるという。価値感が違って、どうしても一緒にやっていけないという。既に、2年くらい前からその価値感の相違には気づいていたという。そこには意識の違を感じる。私は片方の方の意見しか聞いていない。多分、相手の方には、言い分があるのだろう。物事に対する価値感、生き方の違いが明らかになった時、そして、譲れないと感じた時には、そこから離れる事を選択せざるを得ない。組織は人の集まりであり、その組織に意思は往々に社会的な価値感に基づくことが多い。自分の生き方を、その職場で保つ事がどうしても難しい、或いは、良心が許せない、そんな時には選択した自分も責めることになる。フリーターになると、自分が軽くなると同時に経済的には負担となる。チャンス到来ともいえる。流れに逆らっていた自分を本来の自分の流れ、それは宇宙の流れでもあるのだが、に戻す事になる。そこで、どれだけその流れを感じ、そして、それを信じて行動するか、できるかがとても大切になってくる。ピンチはチャンス。失敗ではない。教訓は残るが、更なる、飛躍への出発点になって欲しい。
2009.08.05
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アーユルヴェーダの脈診にはとても関心がある。脈診だけで、その人の身体の歴史が分かってしまう、なんて信じがたい事を可能にしてする。なんの本に出ていたのか忘れてしまったが、アメリカの西洋医学の場で、インドのアーユルヴェーダの先生が、ある患者さんの脈診をし、心臓の異常がある事を脈診だけで診断してしまう。その技術にも驚くが、その脈診を受けた患者さんが、その先生に向かって「あなたほど、わたしを良く診てくれた人はいない」と言われた言葉が印象的だった。ホロトロピックで山本先生の指導でこの脈診の講習会があった。残念ながら、参加できなかったので、参考文献を買った。その本(やさしいアーユルベヴェーダ 上馬場和夫著)の最後に、人生における10個条というのが載っている。1)肉体の知性に耳を傾けなさい。2)今に生きなさい。3)純粋な静寂を味わいなさい。4)人に認めてもらおうとする必要はありません。5)もし誰か人や状況、環境に対して自分が怒りや敵意を感じた時、それは自分自身に対する 冒涜だと考えなさい。6)愛するにしても憎むにしても、人に対する強い感情は、自分自身に対する反映であること を知りなさい。これらの関係性は、心の進化を高めるためのものなのです。7)無理に判断することを止めなさい。8)あなたの体を汚すことを避けなさい。9)恐怖が動機になっていた行動から、愛が動機になった行動に変換しなさい。10)物理的な世界は、我々の内なる意識の状態の鏡であることを認識しなさい。そして、この本の最後に、「自分自身が大きな宇宙と一つであり、宇宙により生き、生かされいる実在であることに気づかれ、感謝にみちて日々の幸福を生きられることをこころから祈っております」と結ばれている。これらの言葉から、私たちが探し求めている世界は、一つに集約されていくんだ。あっち、こっちに、散らばっているのではない。全てが集合的に結びついている。魂、自我の永遠性に気づくと、随分と楽になり、安定した生活が送れるのではと思う。
2009.08.04
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YOU TUBU はありがたい。いろいろな音楽が聴ける。ピエールブゾンというピアニストがいた。彼は、クラシックのピアニストではない。このブゾンのLPのタイトルが「La Vie」で、医者になりたての頃、通信販売で買った。YOU TUBUの解説では、「この音源は、音の良さの点で今も伝説的存在の一枚です。演奏して いるピエール・ブゾンは仏ボルドー生まれのピアニスト。1972 年に来日、帝国ホテルのレストラン「フォンテンブロー」に出演し ています。この録音もそのころのものです。ベーゼンドルファーの 音がどうお聴きいただけるか興味あるところです。」と書かれている。 このLPが誕生したのは、偶然が重なって出来た。荻 昌弘氏も絶賛したLPなのだ。今でも、中古のLPで買える事も分かった。当時、LPを再生できるプレイヤーを持っていなかったので、カセットに録音していつも聞いていた。LPが誕生した訳は、菅野沖彦氏は音楽評論家であると同時にすぐれた録音技術を持っていた方であり、ある日、帝国ホテルのレストランで素晴らしい音でピアノを弾いていたのが、ブゾン氏だった。その事を菅野氏自身が「かつて、私は、フランスのピエール・ブゾンという、素晴らしいピアニストを発見しました。レストランで弾いているのを聴いて、これは凄いピアノだろうと思って、ピアノのそばへ行って見ますと、銘機ではなく、ごく普通のブランドのピアノでした。これはピエール・ブゾンというピアニストが素晴らしい音で音楽を奏でていた、ということなのです。そこで私は、この人に素晴らしい音の名器を弾かせてみたいと考えました。そうして作ったレコードは今も忘れられない作品となっています。」たまたま聴いたFM放送でこのLPの曲が流され、愛聴版になった。その後、ブゾン氏のCDは何枚か発売された。発売記念に生演奏の抽選券が付いていて、彼の生演奏を聞く機会もあった。このLPは「ある愛の詩」から始まり「枯葉」で終わる、愛の経過を綴ったとされている。透明感があり、決して媚びた所がない音色は、何度聞いても飽きない。それが、たまたま、YOU YUBUで聴けた。音楽に関してもYOU TUBUは宝庫だ。
2009.08.03
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「ニュー・アース」を読み終わった。エックハルト・トール著の「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」は一気にむさぼるように読んだが、今度は少しずつ味わうように読んだ。新たな内容も無論あるが、言いたい事は前著の「さとり・・・・・」で述べられていると思う。私はこれからも、この「エゴとエゴから離れた自分」との間で生きていくのだとしみじみ感じる。エゴは思考や感情と結びついている。感情はいろいろな場面で自然に湧いてくる。これを止める事はできない。その感情の源泉は、私のいままで育ってきた経験そのものが培地になって生まれる。これを急転換することは先ず不可能だ。その湧いたきた感情をチェックすることが出来る。感情そのものに流されないで、客観的に見ることができる。その時には、既に感情は自分そのものではなく、ある対象として捉えられる、とエックハルト氏は述べている。ニュー・アースの最後の方(p326)で私たちの生きるスベを美しい言葉で表現している。「自分の活動が自分自身だけでなく無数の他者の人生を豊かにし深めていることを感じよう。自分は回路で、形として現れていないあらゆる生命の源から発するエネルギーが自分を通して流れ、すべての人々のために役立つことを感じ取ろう」「彼らの仕事はこの地球に新しい意識の周波数を根づかせる錨となることだ。そこで、この人たちを新しい意識の担い手と呼ぼうと思う。彼らの使命は日々の暮らしを通じて、「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。その仕事はまさにいま、ここに在る事を通じて広い静寂をこの世界にもたらすことだ」少しでもエゴの世界に同化するのでなく、いま在ることの世界に同化したい。
2009.08.02
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ある方が「心身症の話」(成冨武章著)という昭和49年に改定版が出されてた本を貸してくださった。それを読んでまさに「目からウロコ」だった。殆どの病は「こころ」が原因だと指摘されている。そして、現代西洋医学で何年、何十年治らなかった人たちを治した例が紹介されている。その本は絶版で手に入らないが、アマゾンで成冨先生の「心身症と神経症」という本が古本で買えた。内容はとても似ている。その本の冒頭の「はじめに」の言葉が「心の平和とからだの健康、これは人生最大の幸福であり、その幸福を培う土壌は家庭の平和だと私は信じている。平和な家庭という土壌なしには健全な心やからだは育たない」この言葉を逆にとらえると、平和な家庭がないから、心の病やからだの病気になるという事になる。私は、家庭環境も確かに大切だが、その人の生き方そのものがより重要であると思ってきた。人生は自分の努力で切り拓いていくものだと思ってきた。確かにそうなのだが、私たちはもの心がつかない小さい頃から、小学生くらいまでに如何に現在の自分の考え方や行動を規制、支配しているかに気づいたのは、最近だ。特に、催眠療法の勉強を始め、年齢退行を経験する事で、如何に小児の時の環境や体験がその後の自分に影響を及ぼしているかを知った。その小さい頃の自分に与える影響の最も大きいのが「家庭の平和」なのだ。その育った環境、特に、家庭生活が私たちの与える影響は計りしれない。両親の個人的な性格にも、随分と影響を受ける。また、社会的な価値感、生きているための「すべ」に影響を受けている。この事に気づい時、私の考え方は性格は両親の影響を受けているんだ。そして、それを意識すれば、その考え方、性格は変えられるのだ。いつも同じパターンの思考過程は、私が生まれながらに持っていたというより、生まれて以降、周りからの影響で形づくられた面もかなりあるのだ。また、本来持っていたものの実現を、周りから拒まれている事もあり、「本当はこんな事をしたかったんだ」と一生思い続けることさえある。そこに気づき、そこから脱却した自分を見つめ、新たな自分になる、その可能性は何時でも残されているのだ。大人になって一番大切なのは「個人の平和」だと思う、個人の平和なくして「家庭の平和」はあり得ないと思う。家庭は戦いの場ではないのだ。
2009.08.01
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