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昨日ご紹介した『カンタン筋肉反射入門』の続きです。『カンタン筋肉反射入門-11(クロスクロール運動)『カンタン筋肉反射入門-12(経絡基礎知識編)『むずかしいですか?』『カンタン筋肉反射入門-13(五行について)』『カンタン筋肉反射入門-14(木行)』『カンタン筋肉反射入門-15(火行1)』『カンタン筋肉反射入門-16(火行2)』『カンタン筋肉反射入門-17(土行)』『カンタン筋肉反射入門-18(金行)』『カンタン筋肉反射入門-19(水行)』『カンタン筋肉反射入門-20(任脈・督脈)』『カンタン筋肉反射入門-21(総集編)』『カンタン筋肉反射入門-22(日々の瞑想)』岩倉カイロプラクティック院HP-セミナー情報第7期エッセンシャル・プロセス1セミナーのお問い合わせ&お申し込み「岩倉カイロプラクティック院」愛知県岩倉市中本町西出口64-70587-37-3996院長 志村 明則岩倉カイロプラクティック院の最新情報(facebook)
2016.02.26
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今日は、『第7期エッセンシャル・プロセス1セミナー』で行う、「*筋肉反射とはどのような技術なのか?」という説明もかねて、私が2007年の1月からミクシィで『カンタン筋肉反射入門』として連載していた記事をご紹介したいと思います。(ミクシィは会員以外見られない可能性があるので、FC2で同内容のものを掲載したいと思います。)このシリーズは、全部で22個ありますが、とりあえず10個ほどご紹介したいと思います。「平成28年度(2016年) 第7期・エッセンシャル・プロセス1セミナーの内容と全日程」*筋肉反射とは、カイロプラクティック(米国式整体術)の中で発達したキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)と呼ばれる治療体系の中で使われる技術の1つです。何らかのストレスがあると筋肉が弱くなる反応を活用し、患部やストレス要因を見つけたり、弱くなった筋力が回復する刺激を入れることで、各人の身体が求めている治療を行う技術でもあります。「カンタン筋肉反射入門-1♪」「カンタン筋肉反射入門-2♪」「カンタン筋肉反射入門-3♪」「カンタン筋肉反射入門-4♪」「カンタン筋肉反射入門-5♪」「カンタン筋肉反射入門-6♪」「ちょっと通しで試してみる」「キネシオロジーの進化」「カンタン筋肉反射入門-7♪」「カンタン筋肉反射入門-8♪」「カンタン筋肉反射入門-9♪」「カンタン筋肉反射入門-10♪」岩倉カイロプラクティック院HP-セミナー情報第7期エッセンシャル・プロセス1セミナーのお問い合わせ&お申し込み「岩倉カイロプラクティック院」愛知県岩倉市中本町西出口64-70587-37-3996院長 志村 明則岩倉カイロプラクティック院の最新情報(facebook)
2016.02.25
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何の脈絡もない話で面食らわれるかもしれませんが・・・ 「人間仮免許中」という強烈な漫画があります。 今日は、その本をパラパラとではありますが読んで感じたことを書きたいと思います。 その本の内容はここでは具体的に紹介しませんが、この作者はご自身の体験を漫画にされたようです。 その人生は、まさに壮絶な生き方だなぁ~と個人的に思いました。 そして、その漫画の中で描き出されている自己破壊的な生き方は、人間として生きることの苦しみの根源を教えてくれたように感じました。 また、この本のタイトルから、私は以下のように思いました。 私たちは最初、人間という自覚が無い状態でした、でも自我(アイデンティティ)を持つことで、何者かである役をもらいました・・・そして最後には、そのアイデンティティを捨て去っていきます。 ですから、たしかに人間としての理想的な生き方-モデル-あり方は、たくさんあると思いますが、自分がモデルとするような生き方や状態があったとしても、「その生き方に到達しなければ自分自身は十分ではない」という状態そのものは、実は最初から存在しないのかもしれません。 そして、人間として生きている間に、各自が環境の中で与えられた身体-神経ー知覚-思考-感情-振る舞い-そして役割を、自己と同一しないとき、私たちは何者にでもなれるし、何者でもないという状態を楽しむこともできます。 そのような心の状態であるとき、人生に対する姿勢や見方、あり方がちがってくるように思います。
2013.04.03
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「第4期エッセンシャル・プロセス-1セミナーの内容と全日程」「エッセンシャル・プロセス-1セミナーについて」 エッセンシャル・プロセス-1セミナーは、各個人が日常生活のなかで抱えがちな精神・感情的なストレスの解放を行ったり、過去の破滅的な細胞記憶を取り除く方法や心身の癒しに役立つ多彩な技術を習得することで、各人が人生をより良く生きるための指針を得ることを目的にしたセミナーです。 私たちは、意識レベルで幸せになりたいと望みながら、なかなかよりよく変化していくことができないことが多いと思います。 そんな中で、私はスリーインワンキネシオロジーというアメリカ生まれの精神・感情的なストレスを解放する技術に1996年12月に出会い、約2年間でファシリテーターの資格を取りました。 その後、その技術の一部をカイロプラクティックに活用したり、数回ワークショップを行い、また多くの方に個人セッションも行いました。 特に個人セッションでは、ほとんどの方がその場で感情的な解放や気づきが起こるのを垣間見てきました。 また私自身も、月に数回、岩倉市の友人が主催する練習会に参加し、感情解放を行ってきました。 そして、そのたびごとに新鮮な気持ちになり、明日も頑張ろうという気力を取りもどしました。 しかしながら、個人セッションというのは、人が日常生活の中で直面するために新しいあり方を身につける予行練習のようなものであり、その後も人生は続いていくわけです。 このため数回のセッションを行い精神・感情的なストレスを完全に解放したとしても、また次のストレス、さらに次のストレスというように葛藤の原因に対するアプローチを各個人が身につけていかない限り、苦しみを終わらせることができない、というジレンマに陥ることに気づきました。 そこでまずは、キネシオロジーによる身体と直接対話する技術で、意識レベルでは気づいていない潜在意識あるいは無意識のメッセージを知ることで、意識レベルでは気づけない“自分自身を幸せにしない破滅的な信念”を正直に見つめ、ストレスの根源を解放します。 そして、意識レベルから無意識レベルに強力に働きかけるセドナメソッドなどを活用することにより、日常生活の中で即座にストレスを手放す方法を2009年11月にまとめあげました。 それらを一つの形に統合したものが「エッセンシャル・プロセス」という方法です。 「エッセンシャル・プロセス」という名前の由来は、私は日々の臨床で、精神・感情的なストレスのためにアロマテラピーの精油(エッセンシャルオイル)を活用していることと、人間のエッセンス(本質)とは何かを探究するプロセス(過程)をかけて命名しました。「2013年 エッセンシャル・プロセス-1セミナーで学ぶ内容」第1回 4月7日(日) キネシオロジー・ワークシートNo1 (骨格の名称、筋肉の調整法、内臓と関係する14個の筋肉について) セドナキネシオロジー1(基本的な感情解放法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo1(実習)「セドナキネシオロジー・セッションの中で活用する資料集」*エッセンシャル・キネシオロジー資料 キネシオロジーで各個人がストレスを感じている状況において、生命力を回復、あるいはその表現である筋力を回復させることができるエッセンシャルオイル(精油)を選択し、精神・感情的なストレスを解放する情報系の資料です。*ライフテーマ・人間関係解決・問題解決チャート 問題のことを考えているとき、それと関係する前世情報、人間関係、問題の原因について、 大きなヒントになる情報系の資料です。*セドナキネシオロジー・チャート 精神・感情的な基本的な解放技術をまとめた資料です。第2回 5月5日(日) キネシオロジー・ワークシートNo2(筋力テストの方法) セドナキネシオロジー2(実践の指針) セドナキネシオロジー・セッション・シートNo2第3回 6月2日(日) キネシオロジー・ワークシートNo3(神経リンパ反射によるセルフケアと筋力テストの練習) セドナキネシオロジー3(現実の中で行う必要のあることをストレスなく行う方法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo3第4回 7月7日(日) キネシオロジー・ワークシートNo4(神経血管反射によるセルフケアと筋力テストの練習) セドナキネシオロジー4(感情的な行き詰まりを解放する方法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo4第5回 8月4日(日) キネシオロジー・ワークシートNo5(経絡を使ったセルフケアと筋力テストの練習) セドナキネシオロジー5(やる必要のあることと上手に向き合う方法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo5第6回 9月1日(日) キネシオロジー・ワークシートNo6(脊椎反射ポイントを使ったセルフケアと筋力テストの練習) セドナキネシオロジー6(4つの基本的欲求に気づく方法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo6第7回 10月6日(日) キネシオロジー・ワークシートNo7(ツボを活用した経絡調整) セドナキネシオロジー7(目標設定と行動ステップ) セドナキネシオロジー・セッションシートNo7第8回 11月3日(日) キネシオロジー・ワークシートNo8(目と耳の調整) セドナキネシオロジー8(好き嫌いを見つめる方法) セドナキネシオロジー・セッションシートNo8第9回 12月1日(日) キネシオロジー・ワークシートNo9(目標設定を含めた筋肉のバランス調整) セドナキネシオロジー9(利点と不都合を見極める) セドナキネシオロジー・セッションシートNo9第10回 2014年 1月12日(日) キネシオロジー・ワークシートNo10(筋肉の緊張や痛みを和らげる方法) セドナキネシオロジー10(私-自我-について) セドナキネシオロジー・セッションシートNo10第11回 2月2日(日) セドナキネシオロジー11(恐れと心配を解放する) セドナキネシオロジー・セッションシートNo11 セドナキネシオロジー12(豊かさを実現するミニワーク) セドナキネシオロジー・セッションシートNo12第12回 3月2日(日) セドナキネシオロジー13(人間関係を改善するミニワーク) セドナキネシオロジー・セッションシートNo13 セドナキネシオロジー14(健康のためのミニワーク) セドナキネシオロジー・セッションシートNo14 ★12回セミナーのうち、最低11回受講されない場合は、修了証書をお渡しできません。 「会場」 岩倉カイロプラクティック院 院長 志村明則(HN-あきやん♪) 〒482-0042 愛知県岩倉市中本町西出口64-7 TEL 0587-37-3996 「時間」 AM10:00~PM6:00 「EP1・年間セミナー料金」 初回 1万5千円(資料代込、税込) 2回目以降 各回1万円(税込)。*****************************☆年間セミナー開催日に参加できなかった方のために、受講できなかったセミナー日の内容を お一人様からでも受講できるようになりました。 各回2万円(税込)。「EP1・個人セミナー料金」初回 2万5千円(資料代込・税込)、2回目以降 各回2万円(税込)☆EP1年間セミナーとは別にEP1個人セミナーとして、初回から12回まで、 お一人様からでも受講できるようになりました。 EP1個人セミナーは、随時受付中、事前に希望日をご連絡ください。☆EP1個人セミナー参加者が、年間セミナーの日程に追いついた場合、途中から参加すること もできます。
2013.01.22
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今、苦しみを抱えて悩まれている方にお勧めしたい本があります。 『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方*カンポン・トーンブンヌム著*佼成出版社』という本です。 この本は、現在スピリチュアルだとされている「夢のなかでさらなる夢を見るようなもの」ではなく、私たちの生老病死という決して避けては通れない苦から解放されるための生き方、あり方、道を教えてくれています。 この本の著者の身体は、アクシデントにより、車椅子の生活を余儀なくされてはいますが、心は真の自由と共にある方だと個人的に感じます。そのような著者によって書かれた最終章だけ抜粋したいと思います。古い生き方は終わりを告げ、新たな始まりを見いだすきっかけとなりますように・・・ **************************** 「最後に」 障害をもつことは、単に不自由というだけで、不幸であることを意味するものではありません。ただ、肉体的に不自由ということに過ぎず、これについては選択の余地がありません。しかし、心の方はというと、幸せを選ぶことは可能なのです。 わが身にさまざまな問題が生じたときには、当然その解決を図っていこうとしますが、問題によってはコントロールできないことや、選択の余地のないことももちろんあります。しかしながら心の問題に関しては、苦しまないことも、苦しませることも選択が可能なのです。 私たちは、苦しむためにこの世に生まれてきたのではありません。 どうぞ、苦しみをつかんで離さないなどということがありませんように。 どうぞ、心が穏やかに保たれますように。 気づきの瞑想によって、「苦しむ人」から「苦しみを観る人」への変化が訪れます。気づきそのものには、男女の差別もなく、正誤もなく、苦楽もなく、分け隔てもありません。 すべての現象は、「仮」なるものとして私たちの前に起こってきています。それに執着して苦しむことなく、かといって、その現象を軽んじることもありません。それに気づき、観察し、穏やかな安らぎの心で、私たちに与えられたこの世での役割を果たしていく、それが私たちの人生の努めといえるのではないでしょうか。
2012.11.11
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今日は、EP(エッセンシャルプロセス)2-7(7回目)のセミナーを行いました~♪ 午前中は、キネシオロジーを活用した経絡(ケイラク)の調整法を行いました~ セミナーに参加してくださっている方が、鍼灸師の方なので、 逆に色々と教えて頂きました! キネシオロジーの基本セッションでは、お互いに解放し合う練習を行っているので、 私自身は教える立場ではありますが、心身の調整を行ってもらえるので、 ほんと役得だなぁ~と思いました。 こんな話をすると、「あんた先生だろう、もっとしっかりせんとあかんよぉ~」 と言われそうですが(笑)、 スリーインワン・キネシオロジーを学んでからの私自身の基本方針として、 「知らないことがあったら教えてもらえばよいし、逆に、自分自身が学んだことについては、 あますことなく伝える」のがポリシーになっているので、毎回、比較的、力みもなく セミナーを楽しく行えていると感じています♪ そして、午後からはセドナ・キネシオロジー(セドナメソッドとキネシオロジーを 融合させた方法)でセッションを行いました。 お互い治療家同士ということもあり、少々、形はちがっていても悩んでいることは 一緒なんだなぁ~と思いました。 また今回は、お互いのストレス・チャージ(蓄積)を解放したあと、 F・O(フロンタル・オクシピタル・ホールディング=額と後頭部に手をあてることで ストレスをありのままに見つめる方法)を行いながら、 自分自身の内側(ハイヤーセルフ、ACIMでは聖霊)に答えを求めることに集中して セッションを続けてみました。 じつのところ、今までも同じような形でセッションを行っていたわけなのですが、 私をセッションしてくださる方が経絡やエネルギーに敏感な方なので 「ハイヤーセルフ」という言葉が出てきたことから、自然にそのような流れになりました。 「ハイヤーセルフ」という言葉は、 今までも感情解放セッションの時に使われる情報や資料のなかでは、 頻繁に使われている言葉ではあったのですが、今回は、それが単なる言葉ではなく、 かなり実感としてお互いに体験できた感覚がありました。 「自らの内側にこそ答えがある」という信条で長いことをセッションを行ってきましたが、 そのことを頭ではなく、かなり深い部分で実感できました。 これは、私だけではなく、セミナーに参加してくださった方も同様でしたので、 本当に大きな収穫であり、この安らかなスペースの中に静かに入っていくことの 良さをあらためて知らされました。 今後、私が行っていきたいセミナーの形が、かなり鮮明になってきたように思います。 今日も、遠いところをわざわざ当院のセミナーに参加してくださり、ありがとうございました♪
2012.07.15
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最近は、石飛道子さんによる 「龍樹造 「方便心論」の研究*三喜房」 「龍樹と語れ!*大法輪閣」 などの仏教関係の本を読みました。 その他、 「ブッダと龍樹の論理学*サンガ」 「ブッダ論理学五つの難問*講談社・選書・メチエ」 「ブッダの優しい論理学*サンガ新書」 なども以前読んでいて、 著者による東の論理学的な体系としての仏教解釈を楽しんでいました。 上記の本は、ブッダによって示された仏教思想が 西洋で説かれた論理学体系の「*真理値表」中で未解決の問題に対して 異なる角度(縁起の体系)から、その完成版が存在していたということ。 龍樹(ニュウジュ)が、そのような真理をブッダの教えから導きだし、 「空」の論理体系として、 外にはヴェーダンタ哲学などの外教徒 内には部派の仏教徒に向けて、 「方便心論(ホウベンシンロン)」「中論(チュウロン)」「廻?論(エジョウロン)」 などを著したことなどが紹介されています。 「真理値表」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86%E5%80%A4%E8%A1%A8 また、私たち人間という存在について、 永遠不滅の自我(アートマン)であるのか、 それとも 無我(アナートマン)であるのか・・・ それらが言語による論理体系のなかで、 どこまでその真偽を証明しうるのかということを、 前述した西洋における「真理値表」をたたき台にして著されてもいます。 個人的な感想として、 心というものによって、自他が分離しているという無明の想念が起こり 世界が認識構築されているため、 有と無の概念思想は、お互いの論理体系の中では 互いの体系を否定し合うことで、存在しているという構図があるようです。 さらに、有無論とは私たちが認識可能な範囲で、 それを言葉によって表現しようとする試みであるため、 論理によって、そのような認識を超えた「涅槃(ネハン)」について の存在性を完全に証明することはできません。 しかしながら、人が幸福に生きていくうえで、 その目的にかなった(正しい)方法と その目的にかなわない(間違った)方法があることを知るためにも、 論理は、この現実世界の中で、いかなる場合も必要だと思います。 もし、それが必要ないのであれば、 さまざまな学問体系なども不必要でしょうし、 輪廻転生(リンテテンショウ)の無法地帯で、 どのように生きれば、サバイバル・レースやゲームから抜け出せるのかもわからず、 その世界を永遠に生き続けることになると思います。 基本的に、誰もが、最初から死にたいとは思わず、 どのような形であれ自己の生存を望むことは、 色形のある世界の中で自分という存在が顕現されて以来、 さまざまな学問体系(哲学・宗教・論理・科学)において 究極的に生命の真実を知りたいと望み、求められてきた歴史があります。 そのような問題は、現代物質主義に偏った科学的な思考法によっても いまだ解決されていないことを忘れてはいけないと思います。 私たちは、誰もが、いつかこの世を去ることを避けて通れないわけですから・・・ 私自身が、さまざまな哲学・宗教的な思想体系を通して、 「その真実を完全に知りたい!」と望むのも 自らの中に潜む根源的な闇(無明)を取り除きたいという思いが強くあるように感じています。 これは、偉大な先人によって提出されてきた答えを 追試することだけで得られるかどうかはわかりません。 しかしながら、人間として言葉で思考する習慣を身につけたことにより、 他者や過去から学べるということは、 人類史における過去の膨大なデータを参照することを可能にします。 つまり、自分だけでゼロから考えるというムダな時間を極力省くことができ、 自らが、何を学び確かめる必要があるのかを集約して知り、 体験するための方法論・道を確定する助けにはなると思います。 そのような立ち位置かつ、物事の有無・表裏・相対性の枠組における限界、 そして、それらから離れた境地を含め、 真実・真理をこれからも見極めていきたいと思います。
2012.07.05
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続きです♪ ジャイナ教においても仏教同様、宇宙の根本原理である梵や、それと同一とされる普遍我は否定したが、ただし個々の人や物質にそれぞれ独立して存在している個我は認めている。 これは輪廻の主体としてのアートマンであり、個人の死後においても不滅であると考えられていた。 ジャイナ教の聖典の中でも最も古いものに『アーヤーランガ』がある。 この聖典の冒頭に、実質的な開祖であるマハーヴィーラの説法の一節がある。 以下のように多くの人々には知識がない。 「転生するものであるアートマン(我)は私に存在するのか? 転生するものであるアートマンは私には存在しないのであろうか? 私は過去に誰であったのか? 私はここから死没して、死後輪廻において私は誰になるのであろうか?」と。 ・・・以下のように人々には知識がある。 「転生するものであるアートマンは私に存在する。 この方向、あるいは中間の方向、すべての方向、あるいはすべての中間の方向に転生するのが私である」と。 彼はアートマン論者であり、世界論者であり、業論者であり、行為論者である。(Ay.1.1.3-4) ここで用いられたアートマンは、ヤコービ(H. jacobi)が英訳しているように、霊魂(soul)のことと考えてもよいものであり、個我と訳されるべき概念である。 すべての生き物や物体に内在し、輪廻転生の主体となるもので不滅である。 また、『アーヤーランガ』には、このことを私は言う。 「人は自ら世間を否定すべきでない。 アートマンを否定すべきでない。 世間を否定する者はアートマンを否定する。 アートマンを否定する者は世間を否定する」と。(Ay.1.1.3.3)とある。 注釈書によれば、このアートマンは「身体の支配者」と説明されており、輪廻転生によって変わることのない個我である。 前世(ゼンセ)から現世(ゲンゼ)へ、現世から来世(ライセ)へ移動する輪廻転生の主体と見なすことができる。 わかりやすく言えば、「霊魂」である。 さらに『アーヤーランガ』には、業によって形成される微細な物質が霊魂を覆うので、それらを振り払えというような考えも説かれる。 この世で智(教え)を求め、怒りを離れた賢人は、アートマンをひとりきりであると認識して、身体を振り払うべきであり、アートマンを弱めよ。 アートマンを衰退させよ。(Ay.1.4.3.2) ここでの身体とは、業身(カルマ・シャリーラ)を意味し、霊魂にこびりついた数々の業を振り払えと言っているのである。 そうしないと微細な物質で覆われた霊魂は、死後に他の身体に移る働きがある。 それは、猿が樹の枝から枝へと飛び移るようなものであると形容される。 「アートマンを弱めよ。 アートマンを衰退させよ」というのは、身体を苦行によってやせ細ったものにせよ、というのである。 また、「多くの前世の業を背負った肉体を滅する」ことであるとも解説される。 ここには、苦行によって霊魂を束縛している業を滅することができ、そうなれば霊魂は本来の機能を回復して、解脱者の世界に昇天できるというジャイナ教独自の考え方がある。 このジャイナ教独自の考え方を簡単に説明しよう。 ジャイナ教においては、霊魂(ジーヴァ)が無垢・清浄(ショウジョウ)という本来の性質を発揮できないために、非世界(世界の頂上)に行くことができずに輪廻転生を繰り返すのは、業身が原因である、と説かれる。 人が身(シン)・口(ク)・意(イ)の活動を行うと、その人の行為に適した物質が流れ込んできて、その人の霊魂に付着する。 これが漏(原語はアーサヴァであるが、仏教では、漏れ出る汚れ=煩悩と解釈される)と言われる。 そして、この流れ込んできた物質は霊魂に付着して、業身と言われる微細な物質の集合体を形成する。 このため霊魂は業身に覆い囲まれてしまう。 これが縛あるいは繋縛(ケバク)と言われる。 この結果、霊魂は昇天して成就者・解脱者の世界に行くことができずに、地獄・畜生・人間・神々の四つの迷いの世界(仏教では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六界である)を繰り返し輪廻転生して苦しみが絶えない、と説かれる。 それゆえ、業身を振り払って縛の状態から解放されるための修行法が頭陀(ズダ)であり、注釈類では自制であると説明される。 ジャイナ教の個我についての説明が長くなってしまったが、ジャイナ教も仏教と同様に、普遍我の存在を否定するが、個人我の存在は認めている。 個人我の存在を認めたことによって、ジャイナ教は輪廻転生の説明をスムースにしたが、反対に仏教は個人我の存在を否定したことによって、新たな思想の展開を余儀なくされるようになった。 まとめてみると、諸法無我とは、現象界にあるすべてのものは、永久不変の性質をもったものではない、ということになる。 これをわかりやすく言えば、この世のものは、諸々の原因や条件によって生じたものであって、それ自体として存在するものは何もない、ということになる。 これはまさしく縁起に通じた考え方である。 ******************************** この本、『沙門ブッダの成立*山崎守一著*大蔵出版』は、インドにおいて、仏教が成立したその背景を、ほぼ同時期に成立したジャイナ教文献との比較を通して仏教の教えを理解しようという、たいへんユニークな観点から書かれています。 一般的に私たちは自分が信じたい教えや概念を選択するものなのですが、相対的な世界の中で、言葉によって示されたもののすべては、各人の理解力の差などによって、誤解が生じがちだと思います。 そのようなとき、ある学問体系や専門領域を実践されている経験者の意見を聞き、偏りのない情報を集めることは、百人百葉、千差万別のこの世においては、少し距離を置いてものごとの真偽を観察する上では重要なことではないかと思います。 しかし、そのような情報を集めたあと、その情報の中から、実際に自らの体験を通して確かめるプロセスがなければ、ただの知識で終わってしまいます。 以前ご紹介したポー・オー・パユットー氏も、仏法の学習と実践というのは、教本から学び、教本からの学びを実践し、それがそのとおりであるかを自らが確認、証得することが、仏法を学ぶことだと述べられていました。 そうなって初めて、お釈迦様の教えが真実であり、もはやそれを信じる必要のない事実として生きることになるというわけです。 信じることは大切なことではありますが、むやみやたらに何でも信じることが自らを自由にする生き方にはつながらない、ということです。 そして、自らの学習と実践によって証得されていないものについては、まだ事実ではないわけですから、それを真実だと考える前に、徹底的にそれが真実であるかを確認するプロセスはとても大切なことだと個人的に思います。
2012.07.01
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「お知らせ」 私のブログを読んでくださっている方へお知らせしたいことがあります。 よくこちらへ遊びに来てくださっている方は、すでにご存じであると思いますが、 私は様々な書籍から自分自身の学びのために、よく本から抜粋します。 基本的に学術研究の目的で、「著者、出版社」を銘記したうえで抜粋するのは 違法ではないと思っていたのですが、最近は著作権法などの関係で 抜粋に関しても、どんどん厳しくなってきているような状況があるように思います。 ですから、以前、抜粋していた日記を数日前、大幅に削除させて頂きました。 何もお知らせしなくて申し訳ありません。 m(_ _)m あと、私はACIMを学んでいたり、仏教関係では、特に初期仏教と関係することが書かれている アルボムッレ・スマナサーラ氏の著作を数多く、抜粋したりもしますが、 私はある特定の宗教団体に所属しているわけでもありませんし、 そのような団体に加入されることをお勧めしているわけでもありません。 その旨、ご了承くださいませ。 また仏法トピックスについてですが、あと1回で終了した後、 これもまた著作権の問題にふれる可能性があるので、完了させたあと削除する予定です。 今後は、抜粋などは最小限にしながら、ブログの内容をよりよいものに変えていきたいと思っています。 今後とも、よろしくお願いします♪******************************** 仏法トピックス-22の続きです。 今回も、『沙門ブッダの成立*山崎守一著*大蔵出版』から、仏教が誕生した背景を少しだけご紹介したいと思います。 ******************************** 第八章 覚りの内容 3.三法印(サンボウイン)/四法印(シホウイン) 原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中に、次のようなフレーズが繰り返される。 「無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である。 無我なるもの、それは私のものではない。 私はそれではないし、それは私の我ではない」(SNiii,22) これは、やがて「諸行無常(ショギョウムジョウ)」、「諸法無我(ショホウムガ)」、「一切皆苦(イッサイカイク)」と定型化されるようになる。 この中で、「諸行無常」と「諸法無我」には客観性があるが、「一切皆苦」は個人の感じ方であって、きわめて主観的なものである。 とはいえ、われわれの住む現実の世界は、一時たりとも同じ状態が続くことなく、絶えず変化することを免れない。 この変化することが避けられないことによってもたらされるものが苦である。 それゆえ、その対極として、苦を脱したところに輪廻転生から脱れた解脱・涅槃の世界があることを説かざるをえなかったのではなかろうか。 『サンユッタ・ニカーヤ』(SNi,158)や『ディーガ・ニカーヤ』(DNii,157)に、「諸行は実に無常である。 生起(ショウキ)と衰退を性質とするものである。 それらは生じては滅する。 それらの寂静(ジャクジョウ)は楽しみである」とある。 このフレーズは、苦を滅した後には心の永遠の安らぎの世界があることを示している。 前出の「諸行無常」と「諸法無我」に、この「涅槃寂静(ネハンジャクジョウ)」を加えて、三法印(サンボウイン:法印とは真理の旗印の意味)、あるいはさらに「一切皆苦」を加えて四法印(シホウイン)と呼ばれるようになり、仏教の基本的な真理として確立するのである。 ここで、この二つのことにわれわれは注意をはらわなければならないだろう。 一つは、ブッダが説法するに当たって、その時代に広く人々に知られていた用語を使用していることであり、もう一つは、インドの宗教の本流とも言うべき、ウパニシャッドの考え方と正反対のことを説いているということである。 つまり、当時のウパニシャッドの哲学とは対照的な異端とも言うべき思想を表明したということである。 まず、用語(いずれも便宜上パーリ語)の使い方であるが、無常は「アニッチャ」(anicca)で、常(ニッチャnicca)に否定を表す接頭辞a-が添えられた語である。 苦は「ドゥッカ」(dukkha)で、その反対が楽(スカsukha)である。 そして、無我は「アナッター」(anatta)で、我(アッターatta)の否定語である。 これらの語は、どれもウパニシャッドで用いられていたもので、仏教特有の語彙ではない。 ブッダがこれらの語を用いて説法することができたのは、説法の聞き手、すなわち対告衆がウパニシャッドの用語に照らしながら理解できたためと考えられる。 次にウパニシャッドの思想とは相容れない仏教特有の思想、すなわち四法印について述べなければならないが、「一切皆苦」の「苦」については、第六章第二節の「5.出家の動機」のところですでに述べ、「涅槃寂静」については次章で述べるので、ここでは「諸行無常」、「諸法無我」について検討してみることにする。 ******************************** 「梵我一如説(ボンガイチニョセツ)」は、梵(ボン=ブラフマン)と呼ばれる宇宙の根源であり根本原理と、我(ガ=アートマン=自己の内にある永遠不滅の実体)を知ることができれば、ブラフマンと合一することができ、解脱に到達することができる、あるいは、個人の本体(我)と宇宙の本体(梵)とは同一不異であると認識することができれば、すべての苦しみから解放されて、安心立命(アンジンリツメイ)の絶対的な境地に到達することができる、という考えです。 しかし、お釈迦様は、そのような梵我一如説におけるような我(アートマン)の存在を否定したため、輪廻転生(リンネテンショウ)における主体も想定しにくくなりました。 それが後に、小乗、大乗と呼ばれるような仏教における思想的な分裂や、仏教経典における概念・教義の拡張を生み出すようになったようです。 このため、ここのところは各宗派によって様々な概念や説を生み出しているので、どの宗派の主張が正しいのかよくわからなくなります。 そして、仏法トピックス15(四神足と神変)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849734501&owner_id=6354843のところでも少し話題にしましたが、禅定による一時的な超越体験と覚り・涅槃の境地が、どのように異なるかを見極める必要があるように思います。 また、あくまで原始仏教におけるお釈迦様の教えを基準にしながら、仏教がどのような概念的な変遷があったのかについて、すぐにどの宗派が間違いであるとか考えるのではなく、まずはアウトラインを知ることが大切だと個人的に考えています。
2012.06.30
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上のチャートは、「アビダンマッタサンガハ刊行会」における心路と心の説明のチャートです♪ チャートは、キーボードのCTRLボタンを押しながら+マウスのホイールを回すことで チャートの大きさを拡大・縮小できます。 最近のマイヒットとして(笑) 仏法を宗教という狭い枠組で捉えるのではなく、 自己成長の科学、自己成長の技術、 つまり「テクノロジーとしての仏法」、 「仏法テクノロジー」なんて言葉を考えて、 ひとり悦にひたっています(爆)♪ 宗教という言葉は、 誰かをマインド・コントロールするような方法みたいなイメージがあり、 かなりやな感じがありますが、 仏法とは、自然界の法則と人間の実生活を結びつけるように構成されているという そのメカニズムを知り、それが自らの日々の生活において十分に役立ち、 効果的かつ誰の人生にとっても幸せをもたらすものだと気づいた時、 その真意に気づくように思います。 私は、そんな感じで、この仏法のテクノロジーを活用し、広げていきたい! なんか、新しい情熱を見出せるように感じています♪
2012.03.30
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昨日は、EP(エッセンシャルプロセス)1のセミナーの第3回目を行いました。 午前中は、おまけとして、私が最近まとめた「いつくしみ(慈悲喜捨:ジヒキシャ)の瞑想」と 「ヴィパッサナー瞑想」をまとめた資料をお渡ししました。 ところが・・・セミナーに参加してくださった人が、「???」という面持ちになられた ので、その「???」が、「あっ、私が仏教に入信していると思われ、何かあぶない宗教 に勧誘されるのでは・・・」と勘違いされたように感じました。 そこで、一応、私はセミナーに参加してくださった方に、 「私が、ある特定の宗教を勧めることは絶対にありません」と説明しました。 実際、私の個人的な思いとしては、私たちの人生に役立つ方法であれば、 科学、哲学、論理学、芸術、宗教であろうと、どのような分野であれ、 そのすべてを活用していけばよいという考えを持っています。 それで、その時々で私自身が集中して学んでいるものがあると、 すぐに紹介してしまうクセがあるので、人によっては違和感や不快な思いをされることが あることも体験しています。 というわけで、ある程度はいたしかたないと個人的に考えています。 ただ、それでも、実用面でどのような利益があるかについて できるだけわかりやすく説明し、すべてを正直に話すことを心がけています。 私としては、「いつくしみの瞑想」は、日常生活の中で感じる精神・感情的なストレス 解放に活用できることや、「ヴィパッサナー瞑想」は、ありのままを知る智慧へと近づく 方法なので、どのような人にも役立つ技術として紹介することを目的にしているわけ ですが、このような誤解を受けることも、よくあるので、その目的を明確に説明しました。 ということで、EP1の第三回目が、波乱含みのうちにスタートしました(笑)。 午前中は、キネシオロジーの技術のなかで、「リンパ反射テクニック」という方法と、 メンタルを交えたセッションを行いました。 今回、ご紹介した方法は、キネシオロジーでよく活用されている東洋医学の経絡 (ケイラク:気の流れ道)と関係する14の筋肉を、「リンパ」の流れを改善し筋力を 回復させる方法について説明しました。 また、この方法を「セルフケア」仕立てにしているので、 いつでも自分でできるような形で紹介しています。 午前中は、私が仏教の技術をご紹介したことから始まり、セミナーに参加してくださった方 の中で、ちょっとした違和感を感じられたことがきっかけで、 感情が少々高ぶるようなシーンがありました。 私としては、そのような感情が出てくることは、ある意味で、 抑圧されていた感情が浮上してきているので、より深い解放につながると考えています。 そして、おあつらえ向きというか、午後からはセドナ・キネシオロジーで 9つの感情を解放するという方法を行いました。 これはまずセドナメソッドで紹介されている9つの感情「無気力、悲しみ、怖れ、怒り、 渇望、誇り、勇気、受容、平安」が、具体的にどのようなものであるかを見つめる セッションです。 また、午後からのセッションは、徹底的に筋肉反射技術をマスターすることを目的に行う ため、少しずつ、筋反射を使う頻度を増やすようにデザインしてあります。 筋肉反射は、最初のうちは慣れるまで、自信を持てないのが当然なのですが、今回参加 してくださった方たちは、「何がうまくできないか」ということをご自身で理解された ようでした。 これはとても大きな進歩につながります。 何がわからないか、あるいは、 何ができていないかを明確にすると、わかること、今でてきていることが理解できるように なるからです。 そのような意味で、また一つ壁を乗り越えられたと個人的に思いました。 また、先月から、3in1キネシオロジーにおける「フロンタル・オクシピタル・ホールディング」を しているとき、セッションをしているとドンドン、頭から放出するエネルギーのようなもの によって、手が自然に押し広げられる状態が見られました。 この現象は、セッションをしていると誰もが感じられるようです。 セッションによって、その時々のストレスが解放されるたびに、心身がリラックスし、 思考が明晰になるだけではなく、気やエネルギーフィールドが増大したり、 制限されていた自己がどんどん拡張していくことを示しているのかもしれません。 気が身近に感じられる、おもしろい時代になったなぁ~というのが個人的な感想です♪ セミナーに参加してくださったみなさま、何はともあれ、 遠路はるばるお越しくださり、ありがとうございました♪
2012.03.19
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<うつぶせの状態での調整> うつぶせの状態での調整についても、足の裏から足、膝、股関節へと行っていきます。 立位、坐位、うつぶせでは、関節の負担のかかり方が違うからです。 また関節は、曲げ(屈曲)、伸ばし(伸展)、側屈、回旋という四つの動きと 圧縮、伸張という動きがあるので、色々な体位で調整することにしています。 そして筋肉に手のひら全体で押すように優しく触れ、触診(ショクシン)しながら、 緊張状態を取り除いていきます。 これは私が母校で習った背骨の調整前に行う プレ・テクニックと呼ばれる方法です。 その後、SOT(仙骨後頭骨(センコツコウトウコツ)テクニック)と呼ばれる、 骨盤のゆがみをとり、脳脊髄液(ノウセキズイエキ)の循環を整え、 脚の長さを調整する技術を行います。 私の場合は、このテクニックをアレンジして、骨盤調整を行った後、 各背骨についてはキネシオロジーで調べて、身体が求める調整を行っていきます。 今回のクライアントさんの場合、うつぶせでは、仙骨3番(右から左)、腰椎4番(右から左)、 胸椎9番(右から左)、頚椎1番は左側を(下方30度の角度)で調整を行いました。 そして、ここからが「花粉症セッション」の本番です(笑)。 クライアントさんご自身が、花粉に対する身体の敵対反応や精神・感情的なストレスに対して、 ご自身の選択の力によって変化させていくというプロセスに入るからです。 なにせ、花粉症歴20年ということですから、それに対するストレス量も 半端ではありませんでした。 「数えられない、数値化できない」量でした 通常メンタル・セッションでは、問題に関する原因の歳、そして問題が顕在化した理解の歳 というように、筋肉反射で年齢を特定し、各年齢でストレスを0、よくなる動機を100%に 戻すセッションを行うのですが、今回は、カイロプラクティックでセッションを希望されていた ので、小学校の時で花粉症の症状が発症したときのことを思い出して頂いた状態で、 セッションを行いました。 まず、花粉と結びついている環境要素などをクライアントさんに尋ねました。 花粉=冬~春=鼻水というようなイメージ連鎖が見られましたので、 各要素を分断するように、意識レベルで分解して頂くようにしました。 次に花粉自体のイメージを、クライアントさんご自身で色々と変えて頂こうと思ったのですが、 アイデアが浮かばないようでしたので、擬人化してもらいました。 「女性がいいですか? 男性がいいですか?」というように(笑) そのように尋ねると、クライアントさんは、女性を選ばれました。 その後、私は、「具体的にどのような女性ですか?」「おいくつぐらいの女性がいいですか?」 「また、芸能人でもいいですよ?」というように尋ねました。 すると、イメージされた方が、あの有名な「細木数子さま」でした。 そこで、「細木数子さんは、クライアントさんにとってどんなイメージなんですか?」 と尋ねました。 「いつも命令口調で、厳しい人・・・」ということです。 この花粉に対するイメージは、ひょっとしたら小学校の学校の先生、母親などとも 関係している場合もあります。 今回は、そのあたりは深く掘り下げないで行いました。 そこで、「細木数子さんを20代の女性にしちゃったら、イメージはどう変わりますか?」 と尋ねました。 すると、「別にふつうの人になった」と言われました。 ここで、クライアントさんに花粉をこのように擬人化したりする目的について説明しました。 というのは、クライアントさんが今何をされているのかを知らないままですと、 疑いの気持ちや不安になりがちだからです。 そこで、この花粉を象徴する細木数子さんのイメージをどんどん変化させていくことで、 花粉に対する身体による無意識的な過剰反応・攪乱状態、無力感や絶望されている 心の状態を変化させることの意義について説明しました。 補足として、 「これはイメージですから、ご自身が好きなようにできることを思い出してくださいね」 という言葉をつけ足しました。 その後、 「その細木数子さんを可愛くしてみたり、ご自身の好みの女性にしたらどうなりますか?」 「また、その女性と敵対する代わり、自分とデートしたり、遊びに行くとするとどこへ行きますか?」 というように尋ねました。 クライアントさんは、 「自分は行動的ではないので、漫画喫茶へ行き、別々のボックスに入ります」 と話されました。 私は、面白い選択をされたなぁ~と正直思いました。 「花粉は花粉、私は私」というようなイメージに変化されたようなので。 その後、「その状態でよろしいですか?」と私は尋ね、 クライアントさんも気に入られているようでした。 そして、この時点でストレス量を筋反射でとってみると「100%」でした。 最初は数えられない状態だったので、このような状態の場合は、 全体的な流れのセッションで解消できるので問題ないことを説明し、 仰臥位で、手足の経絡調整、そして頚椎の調整を行い、ストレスが0%、治る力が100% になりました。 最後に、アロマ・キネシオロジーで、現在、身体が必要としている精油を選びました。 今回は、「プチグレイン」という柑橘系の精油が出ました。 プチグレインは、「ありのままの自分を否定され、打ち負かされた、消耗」という心理的な状態 関係し、また、そのバランスを取る信念が、「心と体を休める」という話をしました。 そして最後に、プチグレインを身体のどこにつけたらよいのかを身体に尋ねました。 ちょうどハートのチャクラあたりだったので、クライアントさんご自身に、 精油を塗って頂きました。 そして、もう少し何かないかと身体に尋ねると、頭頂部に塗るとよいと出たので、 私が精油を指につけその場所に置きながら、しばらく大きく深呼吸をして頂きました。 症状は全体的に軽くなった、ということです。 また、治療院と出られるとき、目がとてもスッキリしたと話されていました。 しかし、まだ問題が完全に解決されていないかもしれないので、 しばらくはセッションを繰り返し行う必要があるかもしれません。GReeeeN / Green boys ミュージックビデオ完成版
2012.03.17
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<坐位でのバランス調整> 立位でのバランス調整を行い、全般的な歪みの変化を肩と首の筋肉の張りなどが とれているかで調整効果を確認します。 次に、坐位(座った状態)でも、足指、足の甲にある各関節、再度、足関節、 膝の関節の上下、股関節などについて、キネシオロジーとアイ・スキャンで チェックし、調整していきます。 *アイ・スキャンというのは、私のオリジナルの方法で、 目で各関節、経絡(ケイラク:東洋医学の気の流れ道)、チャクラなどを意識し、 筋肉反射技術(キネシオロジー)で筋肉が弱くなる場所を見つけていく方法です。 今日のクライアントさんの場合、骨盤の仙腸関節(センチョウカンセツ)の左50回、右30回 行い、腰椎(ヨウツイ)3番、胸椎(キョウツイ)6番と3番の微調整(身体が求める調整位置へ 手技を使い押していく調整、関節の機能異常を整えていきます)を行いました。 通常、私の臨床において、背骨の調整は、棘突起(キョクトッキ:背骨のまんなかでふれることが できる骨)を右から左へ調整することが多いのですが、珍しく胸椎3番については、 左から右へ調整することを*身体が指定してきたので、その通りに行いました。 *キネシオロジーでは、何らかのストレスがある場所に触れると筋肉が弱くなることで、 患部を教えてくれます。 また、調整後に、もう一度患部を触れたとき、弱くならない場合、 次の調整へと進んでいきます。 カイロプラクティックでは、腰椎3番の問題は、性腺(セイセン)、胸椎6番は膵臓(スイゾウ)、 胸椎3番は肺(ハイ)などと間接的に関係していると考えられています。 腰椎3番は、男性性・女性性に関する象徴的なストレス、胸椎6番の膵臓は、東洋医学では 憂い、悩みなどの状態、何かに縛りつけられているような気持ち、胸椎3番の肺は、 悲しみなどと関係しているとされています。 花粉症と関係して、上記のようなことも関係している可能性がありますよ、 というような話をしながらセッションを進めていきます。 また、アネッテ・ヌーンティルが考察した各骨格と関係する精神・感情的な状態について、 クライアントさんにお話しながら調整することもあります。 たとえば、腰椎3番は「あなたが肯定的な態度をとれば、上昇の螺旋を昇っていくことが できます。限界を捨てることで、意識レベルを引き上げられます」というアドバイスがあります。 セッションでは、クライアントさんの現在の問題と、このような情報の助けを借りながら、 クライアントさんと結びついている肉体的な要素、そして精神・感情的な要素を観察し、 一つひとつバランス調整を行っていきます。 次は、うつぶせの状態の調整に入っていきます♪
2012.03.17
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最近は、花粉症で悩まれている方が多いですね! そこで、岩倉カイロプラクティック院で行っている 『花粉症』やアレルギー全般に関するケア、 セッション風景についてご紹介したいと思います。 今日のクライアントさんは、首から背骨全体にだるさや重苦しさを感じられて ご来院されました。 座って現在の症状を話してくださったのですが、何か集中力がない状態を感じ、 私が-「あまり集中力がないようですが、どうかされましたか?」と尋ねました。 クライアントさんは、「花粉症なんですよ」と話されました。 そこで、「今日は、花粉症も含めてセッションを行いましょう!」ということになりました。 まず立位で、姿勢をチェックし、重力軸のアンバランスを見ることから始めました。 調整は、足首の距骨(キョコツ)という骨を基準に行います。 今回は、キネシオロジー(筋肉反射応用治療学)で、前方で右から60度の角度に重力軸を 戻すことが有効だと身体が教えてくれたので、それを身体に調整回数を尋ね、 30回調整を行いました。 今回は、調整前に、花粉症がいつ頃から始まったかということを思い出していただき、 次に、それと一番強く結びついている感情の情報を、キネシオロジーを活用し尋ねました。 3in1キネシオロジーの『振る舞いのバロメーター』と『バッチフラワーエッセンス』の情報では、 花粉症に対して、身体意識レベルの情報は、『選べない(どうしようもない)』という気持ち、 そして、フラワーエッセンスではスィートチェストナット「完全な失意、極度の苦悩、 暗澹(アンタン)とした見通し」が出ました。 一般的にアレルギーというのは、わけのわからない混乱した状態かつ、 本来は敵ではない何らかの物質に対して免疫系が過度に反応している状態にあります。 そのような状態と関連づけながら、一緒に問題を観察していくことになります。 今日のクライアントさんの場合、小学校高学年の頃に鼻水がやたら出てしまうことに 気づいたのですが、その頃は花粉症は一般的ではなかったために、風邪でもないのに、 そのような症状があることにご両親はいぶかられていたということです。 そこで、まず足首において重力軸の調整を30回行う前に、身体と花粉が結びついて 過剰な反応が現れた時のことを考えてもらい、問題をセットアップします。 次に、花粉と関係する様々な物理的な要素と感情的な要素を観察していきます。 振る舞いのバロメーターの情報では身体の深いレベルで、自分ではどうしようもない、 わけのわからない身体症状に混乱している状態がありましたので、 小学校の頃にどうしようもないという思いに焦点を当てていただいた後、 アレルギーそして花粉症の上述したメカニズムについてお話し、 その後、問題の「どうしようもなかった」という気持ちがあったことを、 ご自身に承認して頂き、同時に、継続して調整を行いました。 これがファースト・ステップです。 まだまだ、続きがあります。 注)写真は、クライアントさんではありません(笑)
2012.03.17
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上記のチャートは、井上ウィマラ著『呼吸による気づきの教え―パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解』、地橋秀雄著『瞑想クイック・マニュアル』、アルボムッレ・スマナサーラ著『自分を変える気づきの瞑想法』、ティク・ナット・ハン著『小説 ブッダ』などから、抜粋・編集したものです。************************************* 人は人生のなかで、とても苦しい時期を通過せざるをえない時があると思います。 そのようなとき、自らに処方するステキな心の処方箋があります。 まず第一に「いつくしみの瞑想法」があります。 これは、お釈迦さまが薦められている止(シ:サマタ)瞑想とよばれる、 心を一点に集中させるタイプの瞑想法です。 四無量心(シムリョウシン)、「慈(ジ)・悲(ヒ)・喜(キ)・捨(シャ)」という 4つの健全な心の状態を、無限に拡張させていくための瞑想法です。 この瞑想法は、1日の始まりそして終わり、心が精神・感情的なストレス状態に陥ったとき などに、いつでも実践できる方法です。 ************************************* 慈(ジ:Metta)とは、友情を意味し、生きとし生けるものに対して慈しみの心を持つことを 指します。 慈があるとき、あらゆる生命が幸せであってほしいと願う気持ちがあるため、 所縁(ショエン)=対象を嫌い、拒絶するという瞋(シン=怒り)の心はまったくありません。 周囲の生命をリラックスさせる、優しい心です。 悲(ヒ:Karuna)とは、他の生命の苦しみを見て、何とか助けてあげたくなる心の優しさの ことです。 なんの見返りも期待せず、当たり前の気持ちで他の生命の苦しみを無く してあげようとすること。 悲とは、苦しんでいる存在を助けたく思う抜苦(バック)の心であり、 優しい心です。 喜(キ:Mudita)とは、他の生命の幸せを喜ぶエネルギーです。 他の生命の幸福な姿を見て「よかったな」と自分が楽しくなる、嫉妬の反対の心で、 とても明るい心です。 喜の心がある人は、人の悪い部分より、よい部分をよく見ます。 そうして、自分も楽しい気持ちになるため、いつも元気に満ち溢れています。 捨(シャ:Upekkha) 一切の生命を平等に見つめる心のことです。 あらゆる対象を偏りなく、公平な眼差(マナザ)しで見つめるため、その心は静謐(セイヒツ) であり、落ちつきに満たされています。 捨があるとき、所縁を嫌い、拒絶するという瞋(シン)の心は無く、また所縁をつかみ、 執着する貪(トン=むさぼり)の心も存在しません。 また、無関心は痴・癡(チ=無知)の心 であるため、捨は所縁に対して無関心であることを意味するわけではありません。 むしろ、あらゆる所縁に対して客観的に中立的な関心を持つというニュアンスに近いものです。 以上は、初期仏教キーワード(星飛雄馬著*サンガ)から抜粋、一部編集。 ************************************* 第二の瞑想法としては、「ヴィパッサナー(観:カン)瞑想法」があります。 これは、お釈迦さまが悟りを開いたときの用いられた瞑想法だと言われています。 悟りを開くというのは、心にある悩み、ストレス、苦しみ、不安がすべてなくなり、 もう二度と、怒り、欲、憎しみ、嫉妬などの感情に悩まされない心の状態を得る、 ということです。 パーリー語で、「ヴィ」とは「明確に」、「パッサティ」は「観察する、見る」を意味します。 ですから、「ヴィパッサナー」とは、「明確に観ること」、観察する能力を育てる瞑想法です。 観察こそが「智慧」の入り口であり、人生の苦を正直に見つめ、観察し、楽を感じたなら、 それをしっかりと喜びと共に受け取ります。 このような二つの瞑想法を活用し、心を無限に拡張していくことが、仏教のあり方であり、 人間として生まれた私たちが育て上げ、達成し、成就する目的であるとされています。 ヴィパッサナー瞑想は、「気づきの瞑想」とも呼ばれ、一瞬一瞬、変化していく心を あるがままに見つめ、それを決して批判せず、通り過ぎていく方法です。 そして、人生に苦をもたらす原因としての煩悩(ボンノウ)、欲求や、身体の知覚を通して 瞬間に溶けこんでくる「貪(トン)=欲」「瞋(シン)=怒り」「痴(チ)=無知」という心の状態に 意識によって気づきの光をあて、目覚めていく方法でもあります。
2012.03.03
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「感情解放」というのはどうしても一人でやっていると発生するストレスのため やりたくなくなるというのがあり、何とか進められるようにしたくセミナーに参加しました。 この1年間で自分の内面が大きく変わったのを感じ、周りの人にも前とは変わったね と言われたことがうれしく思います。 実生活の面でも変化を感じており、 やりたかった勉強会・セミナーが実現されるようになって、 これからの変化が更に楽しみです。 1年間、埼玉から名古屋まで通った甲斐がありました。 ありがとうございます。**************************************「あきやん♪から感謝の言葉」 エッセンシャルプロセス1は、1年間のセミナーです。 昨年度は4名の方が受けてくださいました。 みなさま、遠い所をセミナーのために足を運んでくださり、ありがとうございました♪ 特に今回、セミナーのご感想の中で掲載許可を快諾してくださった、 かみちゃん(かみかわ接骨院 上川カイロプラクティック施術院 院長 上川充弘様)に 感謝したいと思います。 ありがとうございました♪ またセミナーのご感想のフォームがしっかりできていなかったため、誤字まるけでしたね。 わざわざ訂正してくださり、ありがとうございました♪
2012.02.28
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初めは難しいかな?と思っていたけど、先生の説明が分かりやすいので、 内容がスムーズに理解が出来ました! 筋反射はとても面白く、やっていて楽しく感じられました。 感情が出てくるのもびっくり(クライアントとして)こんな風に思っていたんだなぁー と思いました。 経絡との関係についても奥が深く勉強になり、今日の講座は次に生かせる事が出来るので 本当に受けて良かったと思います。 ありがとうございました!!************************************* 今まで、EP1セミナーやその他のセミナーを充実させることばかり考えていて、 セミナーのご感想を頂く機会を忘れていました・・・ 昨年度に頂いたご感想ですが、 これを機に掲載許可が頂けたものをアップしていきたいと思います。
2012.02.28
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EP(エッセンシャルプロセス)における解放の柱として、お釈迦さまによる『十二支縁起(ジュウニシエンギ)』を中心に見ていくプロセスを導入しようと考えています。 これは私のなかで無意識(無明)を通り抜けていくために、自らがどのような因縁のプロセスに現在陥っているのかを観察するために活用するためです。 十二支縁起は、「輪廻転生」のサイクルでもあり、仏教では如実智見(ニョジツチケン)によって、そこから抜け出すことを目的にしています。 この仏教における悟り・解脱(ゲダツ)のための道・方法論には四聖諦(シショウタイ)と八正道(ハッショウドウ)があります。 しかし、私のような凡夫かつ仏法理解ができていないものが、果たしてお釈迦さまの偉大な道・方法論を活用してよいものか!と、かなり迷ったのですが、キネシオロジー(筋肉反射応用治療学)におけるセッションでは、一切の決めつけ(ジャッジ)を行わないというあり方が柱となっていることもあり、活用していこうと思います。 また、仏法を学ばれたい方は、最近ではヴィパッサナー(観の瞑想法)の修習も各地で学べるような環境もあるので、私としては、あくまでそのような柱をもたれていない方や、様々な人生における問題・健康問題・精神感情的なストレスに焦点を当てて、そこからいかに抜け出すかをお手伝いするというポジションでいようと考えています。 しばらく、EP2テキストの原稿が進んでいませんでしたが、いよいよエッセンシャルプロセスにおいて、いかに仏教、奇跡講座、トランサーフィン、ヒーリングコード、交流分析などの技術を縦横無尽に活用していくかに入っていきます。 そのために、『十二支縁起』のアウトラインをまとめたチャートをつくりましたので、今日はそのチャートをご紹介します。 上記のチャートは、ポー・オー・パユットー著による『仏法』と井上ウィマラ著の『呼吸による気づきの教え』をまとめたものです♪
2012.02.25
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昨日は、EP(エッセンシャル・プロセス)1セミナーを開催しました。 今回はお二人の方が参加してくださいました。 前回のEP1(2月5日)で、スリーインワン・キネシオロジーの技術のひとつ「FO(フロンタル・オクシピタル)ホールディングを行っていたときに気づいたことが、今回のセミナーでも全員が感じることができました。*FOホールディングとは、額と後頭部に両手を置くことで、脳の前頭部・前頭葉における創造性の領域と後頭部・後頭葉の視覚領域を活性化させる技術です。 ストレス状態では、特に左脳側頭葉領域に血液が集中しがちになる状態があります。 この技術は、脳におけるストレス状態を迂回し、問題を恐れることなく、冷静かつ正直に見つめるための技術です。 今回の日記は、2月5日に書いた日記と同じテーマを扱っています。 それは何かと言いますと、各個人が精神・感情的なストレスを解放している過程で、片方の手を額に、もう片方の手を後頭部に置いて、無意識に刻まれた様々な破滅的な信念とそれらから解放されるための方向性を示す信念を読んでいるうちに、両方の手が自然に広がっていってしまう現象です。 あくまで私が考えていることですが、今まで精神・感情的なストレス、そして自我による様々な信念体系によって歪められ、縮こまっていた自己が解放されるとき、気・エネルギーレベルで拡張されているような状態が起こっているのではないかと思います。 各個人が、それぞれの問題やテーマをもっているわけですが、そのような問題にがんじがらめになっている間は、身体の表層だけでエネルギーが循環している状態ですが、各人が自分自身の問題を真剣に見つめ、自らの内側にある真実と対話していく間に、とても大きな解放が起こっているのではないかと思います。 というのは、セッションの前には必ず、各個人が問題だと感じていることをセッション・シートに記入していただくわけですが、セッション終了後に、その問題を読み直してみてもらった時には、それが問題としてほとんど感じられなくなっています。 これは各個人が意識レベルにおいても、心がとても軽くなっているので、何となくではありますが自覚できます。 また、もしそのようなストレス状態が、身体にまだ影響しているかどうかを筋肉反射で再確認するなら、セッション後には問題やストレスに対して筋力が弱くなる状態がなくなっています。 *キネシオロジーでは、心身にストレスがある状態では、特定の問題を考えるだけで筋力が弱くなる現象を確認することができます。 またその筋力が回復することで、その問題による影響が解消されたことを観察することができます。 このような精神・感情的なストレスの解放効果は、実はとても大きな変化を起こしているわけですが、本人はかつて問題があった状態に膨大な負荷がかかっていたことを忘れ、それらを気にすることがほとんどなくなっているため、自分の中に問題があったことを自覚しなくなるようです。 ただし、最も繰り返される同じようなテーマに関しては、ある意味で、この世界の現実を象徴する自我によって作り出された4つ(分離・安全・承認・制御)欲求と真の自己との間で最大の葛藤が生じるため、少しずつしか変化を自覚できないかもしれません。 しかし、それでも自我による限界思考が、少しずつでも拡張されていくので、やがてそのような限界を突破することも可能だと感じています。*********************************岩倉カイロプラクティック院HP*セミナー参加のお申し込み*エッセンシャルプロセス1セミナー*第三期エッセンシャル・プロセス1セミナーの日程*エッセンシャルプロセス・個人セミナー
2012.02.20
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前回は、存在と意識について、私自身がたどりついた結論について書きました~ 最初にお断りしましたが、私はみなさまに、このような概念を最初から信じてください!と言っているわけではありません。 このような概念をご紹介した理由は、私自身に起こったひとつである体験の後、私が精神・感情的なストレスに対する様々な方法論を学んできたなかで、仏教における「生老病死」という、私たちが根源的に持っている苦(不満足感)に対して、何らかの解答を自分なりに出したかったことによります。 私たちの存在性に関する「謎」が解けたとするなら、その「解」は、私たちが感じている人生の中に現れる問題のすべてに対して、一貫して対応できるようになると感じたからです。 ただ私自身が出した結論は結論として、このような概念をいきなり私たちの日常生活に適用しようとしても、何をどのように実践したらよいかわからないと思います。 私自身がエッセンシャルプロセスにおいて目指している境地は、自らの真の存在性を体験するという最大の目的がありますが、そのような体験が確実に誘発されるというわけではありません。 また、ほとんどの人は、この現実世界でいかに生きて行くかというテーマに大きな関心を寄せられているのではないかと思います。 ですから、このような根源的な人生のテーマや問題について述べたとしても、それがこの現実で何の役に立つのだろう?!といぶかられるかもしれません。 実際、私が出した結論というのは、身体の知覚を中心に物事や出来事を観察する相対性の領域、つまり、私たちの現実世界そのものが夢でできているということです。 そして、このような考え方をすることは、すなわち、この世界で生きていると信じてきた自我による「思考-行動-所有」の概念そのものを否定することにつながります。 私が2回に渡って意識と存在についてまとめる前、参考にした概念として、ア・コース・イン・ミラクルズの関連書『神の使者(The Disappearance of the Universe)』という本があります。 その英語の原題の意味は、「宇宙消滅」というかなり過激なタイトルがつけられています。 この本の内容は、私たちという存在の真実・真理について、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という難解な書物に述べられていることを、私たちの現実世界の中で、いかに適用したらよいのかをわかりやすく解説した本でもあります。 念のためにお断りしておきますが、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という本の実践は、一冊の本に書かれていることが真実であるかを、自分自身で試してみること以外は求められていません。 つまり、従来の宗教のように指導者を求めたり、教会に行くようなことも一切求められていません。 なので、私も安心して学ぶことができたと言えます(笑) そのほか、私がモデルにした概念としては、ヴェーダンタ哲学における不二一元論の概念、そしてお釈迦さまが説かれた仏法(初期仏教)そして涅槃の境地などです。 あくまで私の世界観としですが、私たちの真実・真理と救い、そして真の幸福へと至る道は、それらの道の実践を通して直接体験するものだと、個人的に考えています。 上記でご紹介した概念は、どの道であれ、根源的な人生における問題を克服していくうえで、すばらしい教えばかりだと思います。 私がエッセンシャルプロセスというセミナーで提供したいことは、そのような教えのエッセンスを集約しつつ、日常の生活の中で感じる心身の問題に具体的に適用する橋渡しとなる方法を作り出すことです。 今、少しずつではありますが、それが結晶化しつつあります♪ **************************************** 岩倉カイロプラクティック院 Copyright 2012IWAKURA CHIRO All Rights Reserved.
2012.02.18
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「形而上における分離の概念(夢)の発生」 存在と存在の思考-心-意識によって存在性を与えられた子は、 存在の中で、自由に創造を楽しみ、存在と共に拡張(延長)し続ける。 しかし、存在の子が、ある時、存在から離れられないことを知りながら、 存在から離れて、自分が好き勝手にできる世界を創造したいと願う。 だが、すべてである存在と存在の子が離れることはありえない。 存在の子は、存在の中で生まれた霊だから。 そこで、自らが存在から離れる夢を見る。 存在の光・愛を拒否することで遮ぎり、反転-逆転させる幻想の世界を作り出す。 存在の子の本来の自己は、光のままであったが、自ら光を遮ることを決断する。 その結果、自らの創造(想像)性により闇に覆われることになる。 光の中で黒点のように浮かぶ存在の子は、忘却-無-夢-意識に入る。 その投影反転された世界は、 実相の世界には存在しなかった反対の極性-闇の特性を帯びることになり、 その後、存在の光(記憶・イデア)をプリズムのように分光し、 色調の違いを生み出し、バラバラな想念になり、 形態(イメージ)、言葉による名称・区分の世界を闇の中で投影する。 それによって、分断された意識のすべては、影(罪-罪悪感-罰)の意識をまとうことになる。 バラバラな映像の流れがイメージされた世界の中では、 光と闇の分裂に基づく無限の物語が展開され、 光を区切る影(闇)、根源的な罪-罪悪感-罰が 投影された映像の一つひとつの意識に潜在することになる。 その世界では、存在の子が創造主であり、 自らが愛の光から離れたいという密かな願望と決断の結果として 「闇」をつくりだしたことを知っている。 このため、愛の光を価値のないものとしてかなぐり捨てた自分の罪による恐怖から、 あらゆるネガティブ(否定的な)感情を体験することになる。 創世記の神話など、真の存在とは異なる「神話」の土台が、 このような無意識による混沌、 そして光と闇の分裂、陰陽のイメージとして象徴されている。 真の自己←→真の自己を忘れる 目覚めている(自覚)←→眠っている(無自覚) ある←→(存在・神が)ない ひとつである←→分離(の夢) 完全な意識←→無意識になる(夢の中にいる自分・分離の概念=自我の発生) 光←→闇(相対性の概念の発生) 存在する←→本来は存在しない想像上の世界(夢・幻想の世界の発生) 真理←→幻想(夢) 愛←→恐れ(分離の夢→光から逃れ隠れる→闇→罪→罪悪感→恐れ) 神←→神と神の子の分裂の夢 全か←→無(夢)か 存在=神→存在(神)の子←→自己が何ものかを忘れることで、何者かになる自我の形成 (光の中の黒点のような状態) 存在(神)の子←→自我(分離の概念:分離を信じることによって作り出された想像上の自分) 無辜(ムコ:無罪性)←→辜(コ:罪) 原因と結果の同一性(原因と結果が一なる存在の中にある)→原因←→結果の分離 絶対←→相対 光←→闇のなかでの光と闇の権力争い 全てである←→分離-愛が見えなくなる-存在が無くなることによる欠乏の原理 智識(知っている・自覚・明)←→幻想・夢・投影の世界(知らない・無自覚・無明) 真の名(名前・仏教における名(みょう)=心のこと)←→真の名を忘れ、物質世界の名を持つ。 存在(神)の子が、無意識(闇)の中で、 自らが分裂次元・物質宇宙の創造主になる夢の世界が想像される。 無意識は、仏教でいう阿頼耶識(あらやしき)に近い。 「形而下-存在の子の無意識によって投影された次元・相対性・物質世界の領域」 自らのアイデンティティーを忘れ、物質・肉体・色(シキ)となり存在する夢物語」 無意識となった存在(神)の子が、形而上の世界で夢を見ている。 それは、私たちの身体が眠りにつくとき、 一時的に、人生・肉体・物質・色の重荷から解放されて安らぐ場所のように機能する。 無意識は、様々な次元・相対性の領域・物質宇宙を投影する源となる。 そして、存在から隠れるように、自らが投影した世界の中へと 意識を無数に分裂させ、様々な物質や肉体(無意識の装置)の中に意識が隠れる。 存在→存在の子(実相・天国の領域)→ 存在の子の分離の夢→無意識になる→ 存在の完全性を価値の無いものと考えたため闇を体験する→ 罪・罪悪感・恐れが生じる→自らの影の思考体系=自我・狂気の思考の囁きの誘惑→ 存在からの罰を恐れる→次元・物質宇宙を投影(1)する→ 物質や肉体の中に意識を隠す→物質や肉体と意識が同一化する→ 物質宇宙の中で何者かになる夢物語の主人公になる→ 身体から自らが投影した外側の世界を知覚することになる→ 身体は無意識の装置(デバイス)として機能する→ 投影後の世界の結果として生きることになる。 肉体は分裂した無意識のデバイス(装置)として機能するため、 投影された物質世界に意識を拡散・分散し、様々な自我意識になる。 その投影された物質宇宙の中にある存在の意識状態では、 真の自己はもはや微かな光の記憶になっており、 無意識の被造物(身体)、知覚者、物語の主人公として、 無意識から投影されたコマ送り映像の結果として生きるようになる。 このため、意識は、投影された舞台装置(環境)の中で、 ある両親から誕生する肉体の結果として、 物事のすべてを思考するようになり、身体が先で、意識が後であるという 本末顛倒した思考の中で、自分とは何者なのか、何者になり得るのかを考える。 しかし、肉体が自らの生命を自覚する原因を考える場合、 肉体・物質があっても、そこに意識ある存在がなければ、それは動かない。 つまり、世界そして身体を知覚する存在なくして、世界も身体も意味を失う。 また身体のすべて(死体)がここにあったとしても、 その動かし手がなければ、身体は動かなくなることを考えるなら、 私たちの本質とは身体ではないと考えることができる。 また、私たちが深い眠りに入る時、 意識は一時的に身体と同調・同一化しない忘却意識の状態で存在していることがある。 この時、物質次元から、意識が一時的に離脱していると考えることもできる。 身体や人生のことを忘れてしまったとしても、存在していないわけではない。 ただ身体の知覚から解放された無-忘却-意識の状態に入っているだけである。 眠りとは、意識が時空間の中で、死を装い、様々な次元や物質宇宙を 存在から隠れるように、旅をしている状態なのかもしれない。 ************************************** エッセンシャルプロセスでは、顕在意識(理性)を通して、この現実の中で、私たちが身体として感じる問題やストレスについてもセッションを行います。 また、身体という無意識の装置(デバイス)から、投影元の情報にアクセスすることで、顕在意識から無意識に隠されている破壊的・自滅的な信念体系を見つめます。 そして、それらの信念体系をファシリテーター(促進者)・クライアントという枠を超え、手と手をとりあって(キネシオロジーでは、その人の問題や隠された真実を主に手を通して筋肉反射情報を取ります)一緒に少しずつ超えていきます。 エッセンシャルプロセスでは、クライアントに、私たちの考え方や答えを強制することも一切ありません。 また、ファシリテーターは、クライアントに無意識からのメッセージを伝えたり、身体意識のバランス調整による解放技術でサポートしますが、精神・感情的なストレスの解放後に、クライアントがどのような自分を選択するかの原則として、自由意志を尊重し続けます。 つまり、私たちが知っているという立場をとったり、ファシリテーターが何らかの答えを誘導するようなことも一切行いません。 なぜなら、精神・感情的なストレスをクライアントの意識が乗り越えたとき、それまで無意識の奥に隠されている自らの存在からの真実・真理・答えが導き出されるからです。 それこそが、エッセンシャルプロセスの本当の目的だからです。 この方法の目的は、私たち自身が作り出した様々な信念体系の枠組と人生の問題を超えて、私たちの本質、存在からすべてを見つめなおすことにあります。 ですから、このプロセスはまず、「顕在意識→潜在意識→身体意識」を通じて、無意識へ入っていき、それが作り出している幻想を手放し続けます。 真理において無意識は、分離した意識の総体であり、私たちの真の存在「ある」を隠し続ける働きがあるのです。 しかしながら、この防衛と攻撃に満ちた世界、そしてその投影元である無意識に対して、それらのすべての意識・信念が本来存在しないということに気づき続けることができるなら、「私たちはそれらを通り抜け、通り過ぎていく者である」こともできます。 これは、顕在意識から無意識を見つめ続けることで、眠りから少しずつ目覚め、私たちの存在の本質を批判なく観察するプロセスということもできます。 また、仏教の勝義諦(ショウギタイ):世間諦(セケンタイ)の3つ=心・心所(心と共に発生する精神的な働き)・色(シキ:物質)、つまり有為(為すことがある、必要性がある存在世界)という自我によって作り出された分離の概念を超え、無為(為すことがない、必要性のない存在の状態)の涅槃(ネハン)の自覚も目指します。 ※勝義諦(ショウギタイ)=3つの世間諦(心・心所・色)と涅槃 有為(為すべき必要なことがある)から無為(為す必要がない)の境地への移行は、分離(夢・幻想・眠り・無自覚・無明・無痴)の概念から離脱し、ひとつである存在の境地への自覚・目覚め・真の目的の成就と言うこともできます。 ですから、このようなテーマはとても深遠であり、真の自己・真理へつながる道の探求でもあります。 しかしながら、全ての意識レベルを自覚しながら、身体の知覚に基づく判断や批判(ジャッジ)を少しずつでも手放していくことで、自らの深層意識、真の自己の存在性を体験することができると個人的に感じています。 私たちは「旅に出たようでいて、じつはどこへも旅に出ていない」という真実・真理を、自らの存在性の探求によってそれを自覚できるようになるかもしれません。**************************************** 岩倉カイロプラクティック院 Copyright 2012IWAKURA CHIRO All Rights Reserved.
2012.02.17
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「存在」 「存在・ある」は、真の存在の状態であり、それ以外は真理において実在しない。 存在の状態において、本来「ない」とは存在を顕す言葉ではなく、状態を表すものである。 「ない」とは単に、思考の流動性の中で 「思考しない、あるいは休止・焦点を外す・移す」状態のことを意味する。 創造=存在によって生み出される思考の流れには、 「地=(思考を)固める、水=つなぎ合わせる・火=変容させる・風=作用を区分する」 そして「空=思考せずただある」という象徴的な機能(はたらき)がある。 思考の流れ自体は、存在そのものを現すものではない。 それらは、存在から創造された無限に湧き出る智識の泉のようなものである。 存在の思考の流れ自体は、思考の変化を形成するが、 それらは存在のなかで被造された思考の流動性であり、それが変化を意味する。 すべてに先立ち「ある」があり、ないものが「ある」を知る(認識する)ことはできない。 ここに、全てに先立つ前提「ある」が存在する。 このため「ない」の概念は、無意識および幻想の世界でのみ想像されたものであり、 「ある」が存在しなくなることは不可能であり、存在の子は、存在を忘れる忘却意識 =無意識を偽装したことで、存在が「無い」「見えなくする」ことを可能にしたのである。 そして、無意識から始まる形象次元・物質宇宙においては、 存在の子の意識が、存在からの罰を恐れ、逃げるようにして、 投影された映像のなかの物質性と同調することにより、 分離感、欠乏感つまり「(存在・神・光・ひとつで)無い」を体験する。 これらは、あくまで物質を基準にした知覚によって生み出された 有無の概念によって体験される概念である。 真の存在の状態において、「無」は存在しない。 存在から流れ出るすべての創造-思考-意識は、思考の鋳型(イデア)を形成し、 それらは存在の中で存在性を与えられ、今もその中で輝き、 それらが存在の中で一なる自己のなかで共有され、拡張され続ける。 存在(Being) ある(ひとつである、全てを包含する、全てのバックグラウンドである、満ち足りている) 霊(スピリット) 全て 神 絶対 創造主 観察者 愛 光 真理 永遠(変化を体験しない非空間・非局在) 不変 不滅 存在は、自らがすべての原因であることを知るバックグラウンド。 次元、時空という被造物は、存在の子が想像した意識状態の流れによって作り出された世界である。 このため、存在自体は、それらに影響されることもない。 つまり、あらゆる意味において、存在は意識-思考の流れに先立つ存在「ある」であり、存在は作り出された意識-思考そのものでもなく、思考の流れ-変化を観察するすべての主体であり、それが永遠・不変・不滅であることの意味でもある。 存在、本来の性質を知ることは、意識あるすべての存在が、その特性を継承するもの(存在)であることから、ある形象と名称・概念の次元世界、そして物質宇宙の中で生きていると信じる自我意識(分裂した意識・思考の流れを前提として考える存在の状態)と、真の自己を決して同一化しせず(自我のすべては私ではない)、真に存在していないものを手放し、赦すことを通して、救いの(あらゆる制限を超えていく)道を見出せる可能性がある。「形而上における分離の概念がない状態」 存在(Being)が、思考する。 意(心の音)を織る=意識。 存在が、存在の中で、自らと同じ存在性と機能(はたらき)を与えた子を創造する。 存在の思考の結果=被造され、存在性を与えられたもの。 (存在の思考は、私たちが想像した物質のようなものではなく、 根源的な思考の産物・鋳型・イデアだと個人的に考えています。) 存在により、被造され、存在性をあたえられたものは霊の子であり、 存在の子も、存在と同じく意識を持ち、思考し、創造し続ける機能を持つ。 存在の中の存在の子は、創造主によって祝福され完全に自由な存在である。 存在の中の存在の子は、存在によって自らが生み出されたことを知り感謝する。 存在と存在によって被造され、存在性を与えられたもの(智識)の世界=天国(実相) 存在の原因(思考)と存在の結果(存在の思考により被造され存在性を与えられた子)は、 存在のなかに存在するものであるため、同一性と同所属性がある。 *************************************岩倉カイロプラクティック院 Copyright 2012IWAKURA CHIRO All Rights Reserved.
2012.02.16
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「EP2原稿11-審判(ジャッジ)のまとめ-3」 前回は、存在(神・スピリット)、存在の心(神の子)、そして聖霊(神と神の子の記憶)という形而上学的な概念について少しご紹介しました。 私は、このセミナー(エッセンシャル・プロセス2=EP2)を受講してくださっている方に「私の仮説を信じてください」と言っているわけではありません。 むしろ、みなさまご自身という存在について従来とは違った角度から見つめなおす概念を提供することで、「自我とは何か」、「人間存在とは何であるか?」を熟考したり、色々と体験していただくキッカケになればと考えているだけです。 ですが、ここで私が「なぜ形而上学的な話をする必要があったか!?」について、私自身の「審判(ジャッジ)というテーマと関連させながら説明したいと思います。 私たちは通常、身体の知覚を通して現実を体験しています。 これは形而下における物質・肉体的な存在、人間としての私たちが体験している領域の現実です。 この身体を中心に物事をすべて考える領域の中だけで、物理的な問題を解消しようとする方法では常に限界があります。 物質宇宙の法則として、物事は変化し続けるという性質があるからです。 このため、今この瞬間にも様々な五感による感覚情報に基づき、快・不快・快でも不快でもない原初的な感覚が起こり、次に過去の身体記憶に基づいて、これは良い・悪い・ふつうという思考による判断が行われ続けています。 このような感覚や思考の流れに対して、どのような出来事についても明晰かつ落ちついた態度で臨むことができたなら、人生の流れは抵抗もなく、とてもスムーズに進むことでしょう。 また本来、私たちが人生の中で遭遇する出来事のすべては、自分の身体を安全かつ快適な状態に保とうとする欲求から、好ましい・悪い・普通というような判断基準が生まれます。 何らかの形を持つ生物や私たち人間は、このようにプログラムされていると思います。 しかしながら、私たちの身体感覚に基づく知識に基づく判断は、ほとんどの場合、人間にとって都合が良いか悪いかを中心に組み立てられています。 たとえば、地球にとって人間はアリのようなものでしょうが、そのアリのような生き物が化学物質によって自然環境を汚し、地球にとっての身体を 汚すようなことをしたり、その他の生態系の秩序を変えたりしています。 そのように考えてみると、地球にとって人間という存在は、嫌な生き物だと感じているのかもしれません(笑)。 つまり、私たちの身体によって知覚された出来事に関する判断は、単なる人間のご都合主義的な考えであり、ほとんどの場合、あまりあてにならない判断が多いということです。 さらに、私は最初に「審判(Judge)」というテーマを扱いましたが、そのような概念的知識のほとんどが私自身の身体記憶と、そこから身勝手に導き出された信じ込み(信念体系)に過ぎないことがわかります。 しかしながら、この私の身体感覚に基づいて作り出された世界観・外側への判断基準は、私の振るまい(行為)に良い意味でも悪い意味でも影響し続けます。 なぜなら、そのような判断基準を基に、私は自分の身体の外側にある世界や他の人たちに接するからです。 そして、そのようないびつな判断あるいは「審判」をしている間は、思考によるエネルギー放出、それにともなう世界への批判・非難、そして行動へと結びつくことになります。 私自身がそのような「審判(ジャッジ)」に満ちた信念体系を、本当の意味で手放すためには、主観と客観によって築かれた相対的な物事の見方を超え、最終的には前述した形而上学的な物事の見方やあり方をできるようになるまで、この「審判」の概念と問題を手放せないかもしれません。 実際、私は自分自身の心を見つめていると、四六時中、ジャッジに満ちた判断・批判をしていることによく気づきます。 ここで私自身のためでもありますが、みなさんも身体を持たない意識だけの状態にある、と少しの間、想像してみてください。 もし私たちが身体という形を守る必要がなく、物質宇宙を眺めているような意識だけの状態だったら出来事や物事をどのように見るでしょうか? たぶん、そのような意識状態にあるとするなら、興味をそそるものもの、そそらないもの、どうでもよいものというような感情は起こるかもしれませんが、身体がない状態なので、それは映画やテレビを見ているのと同じように、単なる映像の流れを見ている気分になるかもしれません。 このように自分自身の人生や身体から少し離れて観ることを、神経言語プログラミング(NLP)では「ディソシエイト(Dissociate:分離状態)」と呼んでいます。 私たちの心には、自分自身の行動を心の中で観察する立場に視点を置き、観察者の目ですべてを見つめる働きがあります。 私たちが自分自身つまり自分の身体から離れて人生を見つめるとき、一時的ではありますが、そこから少し離れた状態で客観的に物事を観察することができます。 先ほど、身体を持たない意識でいることを想像して頂きましたが、それも自分自身からディソシエイトする方法と言えます。 結論として、私自身が囚われていた「審判(Judge)」の信念体系を正直に観察するためには、身体意識や身体に刻まれた記憶に基づく判断の中で、あれこれと問題を解決しようとしたとしても、問題のなかで問題をこねくり回しているだけになりがちだということです。 そこで、前述した奇跡講座(ア・コース・イン・ミラクルズ)による形而上学的な知識やお釈迦さまの智慧、無意識の領域には自我を見つめるキネシオロジー、NLP、TA(トランザクショナル・アナリシス)等の叡智を結集して、「私は誰か?」を見つめていきます。 そうすることで、少しずつではありますが、自らの心・意識の特性を100%活かせるようになり、問題が起こっている次元から離れて、その解決策を得るアプローチができるようになります。 これが、エッセンシャルプロセス2セミナーの目標でもあります。 **************************************** 岩倉カイロプラクティック院 Copyright 2012IWAKURA CHIRO All Rights Reserved.
2012.02.09
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EP1(エッセンシャルプロセス1)セミナーに、新しく「EP1個人セミナー」を追加しました。 **************************************** 内容としては、EP1年間セミナーと同内容のセミナーです。 「EP1・個人セミナー料金」 ☆初回 2万5千円(資料代込・税込)、2回目以降 各回2万円(税込) ☆EP1年間セミナーとは別にEP1個人セミナーとして、初回から12回まで、 お一人様からでも受講できるようになりました。 ☆EP1個人セミナーは、随時受付中です。 (事前に希望日をご連絡ください。予約状況により、希望された日にできない場合もございます。) ☆EP1個人セミナー参加者が、年間セミナーの日程に追いついた場合、 途中から参加することもできます。 *************************************** 今年は、基本的に第3回目の日曜日にEP1年間セミナーのスケジュールが組まれています。 もちろん、EP1の年間セミナーはこのままの形で継続して行っていきますが、 年間セミナーの参加者が、セミナー開催日に都合がつかない場合、 別の日にセミナーをお一人様からでも受講できるようになります。 ですが、この場合、通常の年間セミナーに1万円プラスされた料金になります。 *************************************** 以上のような内容を追加しました。 今後とも、よろしくお願いします♪ 岩倉カイロプラクティック院
2012.02.08
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「EP2原稿10-審判(ジャッジ)のまとめ-2」 前回、「自分が何者であるのか?」、「私は誰か?」ということを忘れてしまったために、今も存在の中にありながらも、「夢を見ている」状態にあるのかもしれません、と書きました。 このことと、審判(ジャッジ)とどのようなつながりがあるのでしょうか? このつながりを考える上で、存在と意識の次元という目には見えない形而上の領域、そして物質宇宙の次元という形而下の領域に分けて観察するとわかりやすいかもしれません。 このモデルは、私自身に起こった体験とそれ以後私が学んできたものの中で、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という本の概念が最も適合していると考えています。 また、この概念から私たちの人生の中に現れる問題(生老病死-四苦)の克服、そして「究極的な幸福の状態が何であるのか?」ということに関する道と目的も見えてくると思います。 そのために、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という本が、どのような概念によって展開されているのかをチャート化したものを、参考にしてみましょう。 より正確なチャートは、以下のHPにて提供されています。 http://www.jacim.com/acim/?page_id=140 スピリットは、唯一絶対的な存在、第一の存在(第一位格)であり、すべての原因です。 スピリットは、心-意-思考を生み出す創造者です。 ですから、あらゆる心-意-思考-被造物の存在背景でもあり、すべての知識の源でもあります。 また、心-意-思考-知識-被造物は、存在の子供たちにあたり、存在の一なる心の中にある第二の存在(第二位格)であり、存在から生み出されたすべての結果です。 第一の存在としてのスピリット・存在の心の中で生み出された意識としての被造物の世界は、私たちの意識がこの身体の中で様々な学問を学ぶことができるのと同じように、一つの心の中で整然と体系化された意識の相(実相)として働き続けます。 意識の相としての実相の世界は、一なる存在の心から生み出された知識の天国であり、創造者のなかで被造物(無数にある生命のイメージ)としてこよなく愛され、存在のなかで永遠に忘れられることなくあり続けます。 また存在の本質は、すべてであり「愛」であることから、神の子が分離の概念により自我を夢見たとしても、自由意志を尊重し続け、自らの心である子を罰することもありません。 すべての誤解と錯覚は、第二位格である神の子が、「何者かになりたい」という願望や、「自らが神を退け創造者となる(自由気ままに遊ぶ)世界を夢見た」ことにより、真の自己を忘れ、無意識を選んだということです。 それによって私たち神の子は、光ではない闇、愛とはまったく関係ない恐れを体験し、そこから一刻も早く逃げだそうと、物質宇宙を投影し、自らを意識をさらに拡散・分離し、この現実世界の一部になることを選ぶことになります。 その結果、真の自己を忘れ、意識が身体に覆(オオ)われ、固定され、拡散され、薄められた意識状態のまま、私たちは自分が主人公の世界を体験しているということです。 そして、コースにおける概念の最大のポイントは、「神はこの世界を創造されなかった」ということです。 では「誰がこの世界を創造したのか?」というと、それは私たちが無意識になったとき、その総体によって投影され、夢見られ、作り出されたということです。 通常、霊という言葉は、私たちの一般的な概念では、「亡くなられた方の幽霊」というような夢の意識状態の産物のことを指します。 しかし、ここで述べられている霊(スピリット)とは、そのような身体的な死を装う眠りの意識状態や、死から連想される恐いイメージとはまったく無縁であり、根源的な存在、私たちの本質(エッセンス=愛)を象徴する言葉だと考えてください。 また、幽霊にしてもその存在を信じるなら、ある意味で「意識ある存在に死はない」という逆転の発想をすることもできます。 また様々な意識の階層構造における悪夢や地獄の概念にしても、意識がそこでも消滅せずにいることを考えるなら、意識の不滅性を再考する機会としてとらえることもできます。 それに、苦しみと結びつけられた霊の概念は、自我(分離の概念)によって生み出された幻想世界の物語の中で見られるものであり、それは実相の世界においては存在していません。 ただ私たちの最大の誤解は、自らが存在となる世界を創造したいと思考し、存在の完全な思考である愛を、価値のないものとして捨てようと考えた時、分離の概念である自我の夢を見始めることになります。 存在の本質=エッセンス=愛が、自らとはちがうモノを選んだ瞬間、愛ではないすべての思考である「罪-罪悪感-恐れ」という感情が生まれたようになり、光の対極である愛を覆い隠す「闇」を体験するようになります。 分離しようとする決断は、自らの本質である愛を忘れようとすることです。 分離した自我を選ぶことは、確かに自らが創造者になることを夢の世界の中で可能にします。 しかし、自らの本質の反対の極性を創造しようとした時、愛の属性と対極である罪-罪悪感-恐れを幻想・夢の中で作り出してしまうことになります。 前回の私の日記で書いたもののうち、存在という言葉は、コースのチャートでは第一位格の「スピリット(霊)」あるいは「神」。 そして「意識」とは第二位格「神の子」「キリスト(救世主)」「私たちの本質」です。 また、分離後の私たちの意識を見守る役目をしているのが「ホーリースピリット(聖霊)」と呼ばれる第三位格です。 これは誰の中にも存在する「私たちの内なる存在の記憶」と考えることができます。 ※第二位格は、イエス・キリストだけを指しているわけではありません。 すべての存在が、この現実世界における幻想性を手放し、目覚める意志を持つ時、私たちの誰もが神の子であり、キリストとして生きるようになるということです。 存在から離れ、何者かになろうとすることは、分離し、個になろうとする決断であり、それは自らの本質である存在の愛を忘れようとすることになります。 しかしながら、完全な意識として創造された子(意識)が、存在から離れて別のものになることはできません。 そのため完全な意識として創造された子は、存在から隠れるために光とは逆の特性である闇を想像をすることを思いつきます。 闇の中に隠れてしまえば、存在から離れ、自分の世界を自由に楽しめると・・・ このようにして、光に満ちた存在の子は、神から隠れるようにして「(存在の)無い」世界を想像することで、自らが創造者となり、自分勝手に楽しむ世界-自我(分離の概念)の世界ーを夢の中で可能にします。 しかし、完全な意識が、闇・眠りを想像することで、存在が無い意識状態が作り出されることになります。 また、自らの本質の反対の極性を創造しようとした時、愛の属性と対極である神の存在を否定した「罪」と、それにともなう「罪悪感」、そして分離を体験することで生じた恐れを夢の中で強烈に感じます。 存在から分離することが何を意味するか、「無い」という意識状態を体験するまで気がつかなかったからではないかと思います。 これは形而上の領域で、存在(神・父)と存在の子が天国を後にする夢を見る状態と言ってもよいかもしれません。 そして、この時以来、「在る(光)」と「無い(闇)」という分裂した意識状態が生み出されることになります。 ところで、このように私が書いた文章は単なる仮説にすぎません。 ただこの仮説とよく似た話として、「放蕩息子のたとえ話(ほうとうむすこのたとえばなし)」というものがあります。 これは、新約聖書ルカの福音書15章に登場する、イエス・キリストが語ったたとえ話です。 ある人に二人の息子がいた。弟の方が[2]親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は下の息子の要求通りに与えた。[3]そして、下の息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に生きて散財した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。 我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、帰途に着く。父は帰ってきた息子を走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。 父親は、息子のために祝宴を開く。しかし、兄はそれを妬んで父親に不満をぶつけ、弟を軽蔑する。兄は父親にたしなめられる。 この物語の主題は、差別されている者を受け入れて、神に逆らった罪人を、迎え入れてくださる神の愛である。登場する父は神を、「弟」(放蕩息子)は罪人である人間(異邦人、取税人、遊女たち)「兄」はパリサイ派、ユダヤ人を指しているといわれる。 **************************************** このたとえ話の解説として、検索したHPの中で個人的によいと感じたものがありましたので、ご紹介したいと思います。 聖書を語ろう **************************************** あえて私たちの概念の中で、存在を何かに喩えるとするなら、太陽のような光源です。 ただ物質的な太陽との違いは、固定された形の必要のない光源そのものと考えるとわかりやすいかもしれません。 あるいは、コースを学んでいるマイミクさんが喩えた言葉としては、文字が何も書かれていない背景のような状態・存在です。 私があえて「神」という言葉を使わず「存在」という言葉を使った理由は、「神」や「霊」という存在を表す言葉が、私たちが体験している次元においては、あまりにも神話や宗教によって歪曲されて考えられているからです。 このため、様々な「神の概念」あるいは「神話」によってつくりだされた神という言葉のイメージや信念体系から、少し距離を置いて見つめるために、あえて「存在」という言葉を使いました。
2012.02.07
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今日は、EP(エッセンシャルプロセス)1セミナーだったんですが・・・ ちょっとおもしろいことに気がつきました~ ストレスと関係する文章を読むときに、 フロンタル・オクシピタル・ホールディング (額と後頭部に手を置いてストレスを感じる文章をありのままに見るための技術) をしていて・・・・ どんどん頭からエネルギーが放出されてきて、 手が離れていってしまうんです(笑) 前からエネルギーが出ていくのを感じてはいましたが・・・ あまりにも手が広がっていってしまうことに 思わず何が起こっているんだろうね~ なんて二人で不思議がっていました♪ 以上でぇ~す♪
2012.02.05
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「EP2原稿9-審判(ジャッジ)のまとめ-1」 ところで、この原稿を書き始めるキッカケになった私自身の「審判(ジャッジ)」というテーマですが・・・ これは私たちが人として存在している間、あるいは自分と他人そして自然界・物質宇宙と共にある存在の状態において、意識が物質・肉体的な視点の中に固定されている間中、認識続けることだと思います。 外側にある対象について考えている時には、身体の快・不快による知覚機能に基づき、その対象について、「それは私にとって良い、悪い、ふつう、どうでもよい」というような反応を感じ続けているからです。 また先ほど私自身の「自我意識の消滅体験」について書きましたが、そのような体験をした後でも、私の自我はあい変わらず、許すことより、外側の対象を非難・批判し、裁き続ける傾向は健在でした(笑)。 振りかえれば、この頃の私は、自我についての定義も曖昧でしたし、自我と自らの本質の違いも、よくわかっていませんでした。 それでも、スリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する間に、よかれと思って話したことでも、「それはあなたのジャッジ(決めつけ)じゃない!」と言われることがよくありました。 正直、このように言われたときにはムッとすることはありました。 でも、スリーインワン・キネシオロジーの方針の中で、その人自身の内側にある真実と選択の力を尊重することに、意識をフォーカスし、純粋に身体の声をクライアントの意識に帰すだけで、もっとも自然な癒しが起こることを幾度となく体験しました。 そのような体験も含め、ファシリテーターになるためのトレーニング中、少しずつではありますが、治療家として自分自身の考えを押しつける方法から、クライアント主体で身体の声を聴き続ける技術も身につけることができました。 もっとも、いつでもどこでもジャッジすることなく・・・なんて境地には残念ながら至っておりませんが・・・(爆)。 ところで、この審判というテーマは、古くはキリスト教における「最後の審判(Last Judgement)」という宗教的な思想体系からも大きな影響を受けているように思います。 誰かを審判し(裁い)たり、誰かに審判される(裁かれる)ことは、自分とは違う誰かや何かが存在する世界や、私たちの意識が身体に固定された状態の中では、当たり前のように行われています。 この分離現象によって作り出された「正誤・正邪」を判定・判断した後、対象を非難・批判・審判しようとする思考・感情的反応を、身体の知覚を基準にして物事を判断しているうちは、その反応を超えることが難しいと思います。 また、私たちの意識が、身体意識と共にある現実(リアリティ)の中で生き残ろうとしている間は、この思考反応は、ある意味で必要なことではあります。 このため、この現実の中で、「人類はみな兄弟」、「私たちはひとつである」と声高に主張したとしても、肉体的な視点を基準(前提)にして、物事や出来事を決定している間は、分離感、罪悪感、それに基づく人間の根源的な問題は解決されることはないと思います。 でも、もし私たちの本質が意識そのものであり、身体という形を越えた存在の状態において、私たちが完全にひとつであったとしたならどうでしょう? そのような存在の状態においては、審判する人も、審判される人も存在しないことになります。 そして、もしこの「審判(ジャッジ)」に満ちた世界の必要性がなかったとしたら・・・ という前提をここで紹介したいと思います。 私たちが人間であり、それによって主体(私がいて=観察者)と客体(何かや誰かがいる=観察されるもの=対象=所縁)が存在しているのは、この世界における常識です。 しかし、意識はもともと形のあるものではないと思います。 意識は、現代医学による生命現象の一部を観察する脳波や心電図などの計測機器によって、生命の波動をエネルギー現象の変化としてとらえることで、ある程度視覚化することはできます。 これはあくまで「意識」が身体と同調している時に、生命現象を物理的な計測機器を介し、エネルギーとして観察しようとする方法です。 私たちは、この生命エネルギーの流れ、あるいは「意識とは何であるか?」ということさえも、正確に理解しているとは言えないと思います。 ここで少し、すべてが始まる前の前提について考えてみたいと思います。 これはあくまで、前述の体験をした後、私自身が様々な文献を通して仮定した概念であり、それが絶対である、と話しているわけでもありません。 すべての出来事を原因から考えてみるとき、この現実世界における物事の見方がどのように変化するかを仮定した一つの考えに過ぎません。 「存在(Being)」があり、「※意・思考」が生まれ、意あるいは思考がある形・イメージ(構造)と働き(機能)を創造し、意を織ることで「意識」になります。 ※意字源(ウィクショナリー) 会意。 「心」+「音」(口の中に含む)。 意義 おもい。 こころ。 おもう。 かんがえる。 存在とは根源であり、もともと私たちが考えているような「次元・物質・エネルギー・空間・時間」という対象を定義する必要性のなかにはないと考えることができます。 なぜなら、存在と意・思考そのものの本質を考えるとき、私しか存在しない状態において、あるいはすべてが一つである存在の状態が、私という主体と離れた何かが存在することなど想像する必要もないからです。 また、私しか存在しない状態において、すべてが私の意・思考であり、自らが意識を創造していることを知る存在が、わざわざ「私」を名乗る必要もありません。 私以外は存在しないからです。 最初に「存在=Being」があり、存在は「思考=Thinking」し続け、思考は拡張し続けます。 この存在「ある」は、自らの中にすべてがあることを知り、その中にあるすべてが自らの意・思考の結果です。 そして、その存在の中で生まれたすべての思考や意識たちは、存在の子供たちのような存在です。 そして、存在の思考によって創造された存在も、等しく完全で、光輝く存在以外の何ものでもありません。 さらに、存在の思考によって創造された存在は、存在の中で、存在から決して離れることなく創造し続けるような働きがあると仮定します。 この思考の存在の状態は、それぞれという分離の概念を持つこともなく、思考の流れの変化を観察し続けることができます。 ですから、この存在の状態における意・思考は変化に巻き込まれることなく、その本来の性質である創造性を拡張し続けることができます。 そして、それを存在にフィードバックし、そのフィードバックは、存在の中で、すべての思考に共有され、光だけが存在する無限の歓喜の状態なのかもしれません。 これが、私たちすべての存在の根源・本質であり、次元や「物質・エネルギー・空間・時間」の世界のような変化の流れを、分離し個別された物質・肉体の中で体験することもないため、それらの構成要素による拘束を受けることもありません。 そして、存在の本質は、最初から次元・時空の中にはないため、そのバックボーンとして、今もこの瞬間にあり続けます。 物質宇宙の法則の中では、「永遠」に変化しないモノや現実という考え方をすることはできません。 しかしながら、存在の根源・本質の中においては、永遠・恒常的な状態は存在します。 なぜなら、存在はすべてがひとつであることを決して忘れることもなく、存在と分離している状態があることなど考えることができないからです。 また、存在の意・思考が拡張し続けたとしても、存在自体は無限の思考(光)を創造し続けるだけであり、思考の流れに影響されたり変化することもなく、不変、不滅のままであり続けるからです。 私たちは、「自らが何者であるのか?」、「私は誰か?」ということを忘れてしまったために、今も存在の中にいながらも、「夢を見ている」状態にあるのかもしれません。
2012.01.30
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「EP2原稿8-自我意識の消滅体験」 このワークショップの二日目に、私にとって衝撃を受ける体験をすることになります。 というのは、当時のスリーインワン・キネシオロジーのワークショップは、比較的自由な形で開催されていて、前述した「気を感じるようなワーク」やスリーインワン以外の方法なども各センターの裁量で行われていたようです。 (現在は、スリーインワンのテキスト以外のことを教えてはいけないことになったようです。) 今から書くことは、私のブログで紹介したり、エッセンシャルプロセス1セミナーにて何度もお話したことではあります。 しかしながら、私のその後の人生で最大の転換期となる出来事であり、また様々な意識レベルが存在することについて、個人的な体験ではありますが、それは私たちの真実につながる道だと感じているので書いておきたいと思います。 それはワークの番外編で、「お互いに心臓の音を聴き合う」というものでした。 私自身その頃はまだ30代で、若いOLの方もみえたので「いいんですか?」と正直浮かれていました(笑)。 でもそれもつかの間、最初はワークショップのリーダーの方の心臓の音を聴き、私の心臓のあたりで何かが弾けたような気がしました。 次に『抱っこ療法』をされている女性の心臓の音を聴いていた時に、ある体験が起こりました。 私の心臓が先ほどと同じように弾けたような感じがした後、何か絶望的な暗闇のような悲痛で絶望的な思いを感じました。 その瞬間、私は足元から崩れ落ちたように感じ、一瞬のうちに世界が真っ黒な状態に反転しました。 この暗闇に吸い込まれるような感覚は、今思い返すと深い眠りに落ちる感覚に似ていたように思います。 その後、それもつかの間に感じただけで、私の意識はさらに反転し、今度は光の世界の中にいました。 その時の私はすでに身体のイメージもなく、その光の中へとすぐに溶けこんでいったことを憶えています。 そのような状態にある間、私は喩えようもない歓喜と絶頂のなかにありました。 これは身体による知覚の障壁がすべて取り除かれ、すべてとひとつになった状態としか表現できません。 またこの現実世界の記憶などすっかり消し飛んでいた状態にありました。 それからしばらくして、何かを忘れているような気がすると思った瞬間に、この現実に引き戻されていました。 私の意識が飛んでいる間、私は立ち尽くしたまま泣いていたのです。 そして、そのような私をワークショップのメンバーが私を中心に取り囲んでくれていて、私に「もう頑張らなくていいんだよ」「大丈夫だよ」と、優しい慰めの言葉をかけてくれていたことに気がつきました。 私はその言葉を聴き、さらに涙が出てきました。 この現実の中でも、私が求めていた一体感を心底体験することができたことで、喜びの涙がとめどもなくあふれ出たのです。 今、思い出しただけでも、胸がジーンとしてきます。 その後、私がそのような状態に入るキッカケを作ってくださった『抱っこ療法』をされている方が、「この輪の中に溶け込めない、自分がいる」と正直な気持ちを打ち明けられました。 そして、今度は私も励ます側になり、一体感の輪はとても大きな渦となり、幸せに満ちた一時をワークショップのメンバー全員が体験されたように、個人的に感じました。 このような体験をしたことは、私にとって決して忘れることができません。 また、通常の私はあまり記憶力は良くないほうなのですが、この時の体験、特に光の世界の中に存在していた時の状態については不思議なことに今でも憶えているのです。 私はそれ以前に、これといって瞑想をするわけでもなく、またこのような体験に関する予備知識的なものがなかったので、その体験がいったいぜんたい何であったのか知るよしもありませんでした。 そのワークショップの後しばらくたってから、私はこの分野の知識にあまりにも疎かったので、本屋により『神との対話』やダイアネティックス関係の本を購入したりするようになりました。 神秘主義的な本に、それまでも興味がなかったわけではありませんが、基本的に神の存在を信じていたわけでもなく、また特定の宗教などによる選民思想のような考え方は大嫌いでした。 それ以後は、スリーインワン・キネシオロジー、『神との対話』、6年間波動測定&波動調整器を活用するようになったり、エネルギーセラピーの世界にどっぷりつかる歳月を10年以上過ごしました。
2012.01.29
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「EP2原稿7-ちっぽけなプライド折れる!」 さきほど、自らが今まで築き上げてきたカイロプラクターとしての努力やステイタスを手放すことを求められたからです、と書きました。 でもそれは単に、私自身の無価値感を埋めようとするために作り出したちっぽけなプライドであることにも気づいてはいました。 自分なりに学べることを学び続け精一杯やってはきたのですが、単なる無名の施術家以外の何者でもないわけですから・・・(ああ、わびしい風がぴゅーっと吹いてきそうです:笑) ここで話が少し前後しますが、私がスリーインワン・キネシオロジーのワークショップに初めて東京に行ったときのことを思い出しながら書こうと思います。 1996年以前の私は、カイロプラクティックやその他の手技療法のセミナーをいくつも受講していました。 私はいつもセミナーに参加する前に、事前にテキストを自分なりにまとめ、施術に少しずつ取り入れて、その方法がうまくいくかどうかを確かめる方法をとっていました。 またそうすることで、技術のなかでわからないことを質問できたり、自分のやり方が悪いために良い結果がでないのか、それとも治療法自体に限界があるために結果がでないかを確認できるからです。 このようなプロセスが必要だと感じるようになったのは、どのような手技療法の理論であれ、それがどんなに素晴らしい内容だったとしても、実際に臨床の中では理論どおりにいくとは限らないことを、何度も経験していたためです。 このため、治療技術に対して、かなり懐疑的になっていたと思います。 しかし、スリーインワン・キネシオロジーのワークショップに出たとき、私は今までの勉強のスタイルとはまったく異なる、本当に自由な学びの雰囲気を味わいました。 というのは通常の学習スタイルでは、テキストの手順どおりにセミナー、あるいはワークショップを進めていくと思います。 でも、私がそのセミナーに少し遅れて部屋に入っていくと、ワークショップでは少し距離を置き対面した状態で、「お互いにゆっくり歩きながら、すれ違う時、お互いの気のような感覚を味わってみましょう」というようなことをしていました。 これには少々面くらいましたが、今までとまったく違う何かを感じ、ワクワクしている自分がそこにいたことを憶えています。 また、このようなコミュニケーションをすることにより、初めて会ったワークショップのメンバーであるにも関わらず、すぐに親近感を感じられたように思います。 さらに驚いたことがありました。 それは、カイロプラクティックの筋力テスト、あるいは筋肉反射テストはとても難しいものだと私は思っていたのですが、ワークショップに出ているメンバーは、ワークショップのリーダーが簡単に説明したことを、いとも簡単にこなしていました。 ちなみにワークショップに参加されていたのは、抱っこ療法のセラピストをされている方以外は、みな会社員の方ばかりだったと記憶しています。 この事実を見て、長年カイロプラクティックに携わってきた私のちっぽけなプライドはへし折られました(笑)。 またカイロプラクターだと偉そうにしていられる時代は終わったな・・・と内心思いました(爆)。 そして、今でも忘れられないことの一つですが、私のペアになってくれたOLの方が、筋肉反射で『振る舞いのバロメーター』から、私のストレスと関係する情報を読んでくれた時のことです。 私はその時、自分の本心が丸裸にされたように感じました。 その時のバロメーターとして読まれた内容としては・・・ 「小さい頃から、あなたは、みんなと溶けあって一つでありたいと願っていました。 でも実際にあなたが感じてしまったことは、自分は見捨てられているような孤独感を感じていなかった? そして、思春期に誇らかに自信をもとうと頑張ってきたんだけれど、そのとき、どんなに頑張っても温かく迎えられないと思い、失う恐れを感じていなかった? ここ最近のあなたは、全体に気づいて意欲的に努力しているんだけど、実際に感じてしまったのは、爆発しているような怒りや頭が真っ白になるような気持ちじゃなかった?」・・・と。 ハッキリ言って図星でした。 ちょうど、色々な手技療法のセミナーに参加し、技術をいくら学んでも壁を越えられないという気持ちがあり、身体の治療方法に絶望していた時期だったからです。 私は聞いているだけで泣き出しそうになりましたが、治療家としての自分が、まだ体面を保とうと頑張っていたので、胸が熱くなって状態で何とかその場をやり過ごしました。
2012.01.28
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「EP2原稿6-年齢遡行(ネンレイソコウ)」 ア・コース・イン・ミラクルズの情報を自分のために読み終えた後、解放の効果を「アンカリング(船が碇(イカリ)をおろすように、調整効果を定着させる方法)」するために、腸骨筋(チョウコツキン)の調整(胸椎11番を上下にこする刺激)と数回深呼吸をしながら、意識をゆっくりと現在時に戻していくようにしました。 これはスリーインワン・キネシオロジーの「年齢遡行(ネンレイソコウ)」と呼ばれる手順の中にあるものです。 この原理は、人が過去のことを回想している時は、ある意味で身体はこの現実にあったとしても、心が“今ここにいない”意識状態にあるということです。 この技術は、催眠によるトランス状態とは異なり、顕在意識が自分の過去の状況をしっかりと気づきながら、主体的に精神・感情的な解放を行っている、ということです。 つまり、どのような感情解放を行う場合も、各人が自らの「顕在意識・潜在意識・身体意識」の状態に気づきつつ、時系列の中で起こった出来事を見つめなおすことになります。 そのようなプロセスを経ることで、自らの人生のつまずきやストレスの原因を冷静に観察できるようになり、各意識層が統合され、悪夢から目覚めることになるのです。 そして、現在時に戻った時には、今自分がいる場所を見渡し、地面を感じ、自分自身の身体に触れるようにします。 このようにすることで、この現実の中における身体的リアリティをしっかりと感じるようにします。 その後、現在時でもネガティブな感情の蓄積量が「0%」で、ポジティブな感情の蓄積量が「100%」であることをセルフ・キネシオロジーで確認します。 ここまでのプロセスで、私自身とても大きな思考と感情と向き合うことになったと感じています。 というのは、スリーインワン・キネシオロジーを学び始める前、カイロプラクターとしての私は、「私の技術によって、患者さんの身体を治さなければならない」という強迫観念的な考え(信念)を強く持っていました。 しかし、スリーインワンでは、「何よりも各個人の身体(を動かす存在=生命)の中にこそ、あらゆる問題の解決策がある」という考えを柱にしているため、この2つの信念体系の間で、葛藤が生まれました。 元々、カイロプラクティックにも、背骨を調整することで、神経系のストレス(圧迫・伸張)状態が取り除かれ、身体の治癒力が高まり、病気がその自然な力によって癒される、という考えがあります。 これは、病気を治すための偉大な知性(カイロプラクティックではこれをイネイト・インテリジェンスと呼んでいます)、あるいは自然治癒力・生命力自体が病を癒すのであって、カイロプラクターは、構造的ストレス(ゆがみ)を取り除くことで、その伝達機能を回復させるお手伝いをするという考え方です。 葛藤が私に起こった理由は、私自身が主役になり誰かを癒すという考え方から、クライアント自身が主体になり自分自身を癒すという考え方にシフトすることで、カイロプラクターとしての私が脇役になってしまったため、自らの存在意義を感じられなくなったことにあると思います。 この新しい考え方(信念体系)へのシフトは、1996年にスリーインワン・キネシオロジーの技術を学び始めた当初、私の自我にとっては脅威だったと思います。 自らが今まで築き上げてきたカイロプラクターとしての努力やステイタスを手放すことを求められたからです。 ************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.26
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「EP2原稿5-ストレス・トラウマの構成要素」 さて、私自身の弱っていた筋肉である腸骨筋(チョウコツキン)は、※1キネシオロジーでは腎臓の経絡(ケイラク:気の流れ道)と関係しているとされています。 腎経(ジンケイ)は、特に心配事や不安・恐れが生じるとその流れが乱れてしまいます。 この調整を、身体が求めてきた理由は、基本的にいつも後付けではありますが、私が「人を裁く(ジャッジする)」こと、そして「人に裁かれる(ジャッジされる)」ことによって骨盤という骨格の土台を支える筋肉である腸骨筋に弱さを引き起こしたのではないかと思われます。 この筋肉は、基本的に股関節(コカンセツ)を前方に引き寄せ、脚をふり出していく動きと関係します。 私は小学校5年生の時から、誰かを審判したり、誰かに審判されることに関して、過敏に反応し続けたと推測できます。 またそれ以来、そのような状況になると脚が前に出にくくなったり、人からどのように自分が見られるのかが気になるようになったと思います。 つまり、前述したキャロライン・メイスによる68の元型のひとつ「審判(ジャッジ)」と関係して、私が10歳の頃に感じた恐怖や不安が、この筋肉を弱くしていた可能性があるということです。 私たちの身体は、ある出来事と強烈なストレスを感じた瞬間、その時の状況と思考そして感情が一瞬のうちに結びつきトラウマとして記憶されてしまいます。 そうなると、以前は何でもなかった出来事に対して認識の歪みが生じ、それとよく似た状況を感じるたびに、反射的に過剰に防衛するような反応が、無意識のうちにセットされてしまいます。 身体を通じて感じたある種の記憶は、特に感情を強く揺さぶられた体験のすべてを、ある時間と空間そして場所の中に閉じこめてしまう働きがあるようです。 これは、「意識+身体+外側の知覚対象+出来事」が瞬間的に、意識と身体の神経単位との間で溶けあうことによります。 その後、身体意識が似たような状況になるや否や、警戒反応のスイッチを即座に入れ、ストレス反応を引き起こすようになるということです。 私たちの意識は、身体という構造と同一化した状態にある間は、自分(自らの分身である肉体)を危険から守る働きが備わっています。 また、身体だけでなく、本来の自己と異なるイメージを感じたり植えつけられたりする時にも、感情的にショックを受け、身体に同様のストレス反応を起こします。 一般的に、感情が喜びに満ちたポジティブな体験の場合は、上記の反応とは逆の反応が起こります。 つまり、身体組織全体がリラックス状態になり、心は開放され、満足感をもたらします。 対照的に、上記のような恐怖を感じるネガティブな体験の場合は、身体組織全体が緊張状態になり、心が萎縮し、ストレス(闘うか逃げるか)反応を引き起こし、免疫力が弱くなったり、交感神経系に過敏な状況を引き起こします。 今回、私の場合、「審判」することされることと関係した状況の中で、意識+私の身体が+10歳の頃+学校+作文+友人+同級生の中で、身体が逃げ出せない(脚が前に進めない)状況に陥り+感情的には恐怖・怒り・恥・罪悪感などの要素=瞬間かつ強烈なストレス反応として結びついたと考えることができます。 ここで、この身体にある瞬間強烈に結びついた反応について、その身体的なイメージ全般をどのようにエッセンシャルプロセスで解放へ導こうとしているのかを考えてみましょう。 まず、私は「審判」という言葉に反応し、何らかの問題を感じたので、それと関係する過去の年齢をキネシオロジーで特定し、過去へのバーチャル・トリップを試みました。 この方法を、スリーインワン・キネシオロジーでは「年齢遡行(ネンレイソコウ)と呼んでいます。 私は私自身の過去の精神・感情的なわだかまり、あるいはストレス源へと向かい、10歳の私と出会い、その時に生じた自分の気持ちのすべてを受容しました。 またその時にショートした筋肉を、現在につながる肉体の問題(腸骨筋の弱化)に対しても直接調整しました。 これによって、再度、同じような状況を感じたとしても、感情的に反応したり、筋力の弱化も起こりにくくなります。 その効果が持続しているかどうかは、その状況を考えている状態で筋力テストをすることにより確認することができます。 そこでのネガティブな感情の蓄積量が0%で、ポジティブな感情の蓄積量が100%であることをセルフ・キネシオロジーで確認します。 この後、先ほどまで審判したり、審判されたりする状況と結びついたストレスから解放された神経単位に、癒しを象徴する記憶を「注入」するという方法を行います。 これは、今までストレスにただ反応していた自分の代わりに、似たような状況が起こったときに、ストレスから解放された神経単位の記憶の中に、自分自身を満たしてあげる「贈り物」を与えることになります。 注入は、自分自身に幸せを与えるものであり、イメージによる贈り物です。 それは、どのようなものでもかまいません。 今回、私はセルフ・キネシオロジーで身体に直接たずねました。 この時に私が自分自身に与えた「注入(贈り物)」は、※2ア・コース・イン・ミラクルズという本のワークブック62課の情報でした。 「Lesson 62 許しは、この世の光としての自分の役目」 あなたの許しが、暗闇の世界を光へともたらすことになる。 あなたの許しがその光に気づかせてくれるのであり、その光の中であなたは見るのである。 許すことで、自分がこの世の光であることを実証できる。 あなたが許すことで、自分自身についての真実が記憶によみがえってくる。 したがって自分が許すことに、自分の救いを見いだせるのである。 自分自身についての錯覚とこの世は一つものだといえる。 だからこそ、すべての許しは自分自身にたいする贈り物。 自分の本当の身元を、創造されたものとその御創造主を攻撃することで否定しているので、あなたの目標は自分が誰なのか、それを見つけることである。 今あなたは、どのようにして真実を思い出せばいいのか、それを習っているところだ。 このためには攻撃は許しと交換しなければならないし、そうすることで、命の思いが死の思いに取って変わるかもしれない。 攻撃するたびに自分自身の弱点に訴えており、許すたびに自分のうちなるキリストの力に訴えているということを思い出してほしい。 では、許すこと が自分にとってどれほど役に立つか分かりだすのではないだろうか。 それは自分の心から弱々しさや、緊張感や疲労をみな取り除いてくれる。 恐怖心や罪責感や苦痛もすべて取り払ってくれる。 自分は傷つけられない存在であることや、神が御子に授けてくださった力をもっているという自覚をも取り戻させてくれる。 では喜んで、この日を今日の想念を実践することで始め、そして終えることにし、一日中、できるだけ頻繁にそれを使うことにしよう。 そうすれば、この日を神があなたのために望んでおられるような幸せな一日にするのに役立つだろう。 そのうえ、あなたのまわりにいる者や、空間と時間においては遠くはなれているように思える者も含めて、みんなが自分と一緒にこの幸せを分かち合えるようになる助けになるであろう。 今日は、できるだけたびたび、できれば目を閉じて、つぎのように胸の中でいう。 許しは、この世の光としての自分の役目。 自分の役目を果せば幸せになれるかもしれない。 そのあと一、二分間かけて、自分の役目とそれがもたらしてくれる幸せや解放感について良く考えてみることに専心する。 関連のある思いを自由に思い浮かべれば、あなたは胸の中でこうした言葉を見分けられるし、それが本当だと心の中で気づくだろう。 自分の注意力がおとろえたら、その想念をくりかえして、次のように付け加える。 自分は幸せになりたいので、このことを覚えておこう。 ※2 ア・コース・イン・ミラクルズ(Wikipedia) ※1 キネシオロジー(Wikipedia)
2012.01.25
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「EP2原稿4-キネシオロジーについて」 ところで、ここで少し私自身の「審判(ジャッジ)」という話題から少し離れ、キネシオロジーとはどのような学問体系であるかについて、簡単に説明したいと思います。 カイロプラクティック(米国式脊椎矯正術)由来のアプライド・キネシオロジー(応用運動学、筋肉反射応用治療学、以後AKと略)では、病気を治療するためにまず5つの要素に注目しています。 まずカイロプラクティックという分野は、身体が脳と脊髄という神経系の導線によって動いていることに注目し、脳と脊髄を保護する頭蓋骨、脊椎などの骨格系のゆがみ(ストレス)を手技によって調整することから始まりました。 そこで、カイロプラクターでありAKの創始者でもあるグッドハートも、まず「神経系」の働きを整えることを第一に考えました。 しかしながら、旧来のカイロプラクティックが脊椎矯正に重きをおいていたのに対して、AKでは骨格構造がゆがんでしまう理由を、筋肉の弱化による現象であると考えるようになりました。 なぜなら、骨はたしかに筋肉を付着させるための土台としての働きはありますが、直接的に身体を動かすのは筋肉であり、筋肉が弱化すると正常な位置から骨格構造に歪みが生じるようになるからです。 また筋肉の弱化と関係する構造およびエネルギー的な要素として、「神経系、血管系、リンパ系、東洋医学における気・経絡(ケイラク)系、脳脊髄液(ノウセキズイエキ)」という5つの要素に注目しました。 このため、AKの基本調整としては、これら5つの要素のバランスを整えることを柱としています。 5つの要素によって弱くなっている筋肉を強くする基本的な調整技術を統合する過程で、グッドハートは、正常な筋肉が患部に触れると一時的に弱くなる現象を発見しました。 そして、その正常な筋肉のことを「指示筋肉(インディケーター・マッスル)」と呼びました。 この指示筋肉の活用方法としては、まず正常な筋肉を探し、筋力テストを行います。 次に、患者さんが何らかの症状を訴える場所、あるいは何らかの病気によってバランスを崩している身体部位に片方の手で触れてもらいます。 これによって正常であった指示筋肉のスイッチが切れ、一時的に弱くなります。 さらに、指示筋肉が弱くなった状態を強くするために、術者が障害部位と関連がある場所を推測し、筋力テストをしていない側の手で触れることによって“治療する場所(セラピーローカライゼーション)”を探します。 このようにして、指示筋肉の弱さを打ち消す場所が、真の治療部位であるという考え方が導入されました。 そして、治療する場所を発見した後、さらに“何らかの刺激”を加えることにより、障害部位や病気によって悪影響を受けている状態を取り除くことで具体的な治療を行っていきます。 ここでAKやその研究者たちが苦心したこととして、指示筋肉はセンサーのように患部を特定してはくれるのですが、それに対してどのような刺激を加えたらよいのかが当初はわからなかったのではないかと思います。 そのためAKでは、指示筋肉の弱化を回復させるために、当時有効だとされていた様々な手技療法や心理学の領域へも踏み込み吸収していき、現在ある膨大な学問体系として発展していったのではないかと思います。 キネシオロジーという学問体系が、何を扱っているかというと、一言で言えば病気の原因である「ストレス」です。 現在、病気の原因の90%がストレスにあることを医学界も完全に同意しています。 またWHO(世界保健機関)では、1999年の総会で、従来までの「健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」という健康の定義のなかに“霊的”という言葉を追加しようという提案が出ました。 このような公的な機関が、人間の“霊性”について真剣に考えるようになってきた理由は、私たちが単に肉体的な存在だけではないと、世界中の人々の意識が徐々に変化してきたからなのかもしれません。 エッセンシャル・プロセスでは、キネシオロジー(あるいはボディーランゲージ・リーディング)を縦横無尽に活用し、私たちという存在の真実をあるがままに見つめていきます。 人が何によって人生の問題やストレスを感じているかは十人十色、百人百葉です。 ですから、従来の一般的な方法(顕在意識の判断だけ)では、各個人のすべての意識レベルが求める問題やストレスの解決にはなり得なかったのではないかと思います。 これに対してキネシオロジーでは、この超個人的な問題やストレスに対して、顕在意識・潜在意識・身体意識(無意識の装置)という3つの意識レベルから象徴的なメッセージを受け取ることができます。 また、象徴的なだけではなく、生命力の表現としての筋力が回復することで具体的な結果を得ることもできます。 さらに、エッセンシャル・プロセスでは、無意識を超えて、人間の霊性についても観察し続ける方向性を持っています。
2012.01.24
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「EP2原稿3-問題との自己同一化」 「ひとつであることを感じるエクササイズ」で、自我によって作り出された何らかの問題やストレスから離れ、エネルギーレベル、あるいはスピリットの観点から自分自身を見つめるための準備体操をしました。 これは、私たちがあまりにも肉体に固定された視点からしか物事を判断できなくなっているために、意識・意図的にその状態から離れて観察する一つの試みです。 ところで、私自身についてのセッションの続きですが・・・ 前述した「審判」と結びついている精神・感情的なエネルギーに対して何かをする必要があるかどうかを、身体にセルフ・キネシオロジー(自分自身で身体から情報を取る技術)で身体に尋ねました。 「イエス(ある)」と出ました。 そこで、この人格・個性が私と結びついた年齢の情報を(セルフ・キネシオロジー)でとりました。 その結果は、「10歳」でした。 幼稚園や保育園が3~5歳なので、小学校5年生ぐらいに起こった出来事のようです。 この10歳の言葉を発するとき、それと結びついた時空の中にある身体記憶のスイッチが入ります。 状況があまりにもストレスフルである場合には、何も思い出すことができないこともあります。 私の中で思い出したこととしては、この頃確かに、私が友人を「審判する=裁き」、そして学校で先生によって「審判される=裁かれる」ような体験がありました。 そのとき、私は学校の冬休みの宿題か何かで作文を書きました。 その作文を、担任の先生が、みんなの前で読むように言われました。 その作文には、ある友人を批判するような内容を書いていたため、作文を読んでいるうちに、頭が真っ白になり、しどろもどろになった憶えがあります。 私はこの時、人を裁き、そして裁かれる立場を同時に体験したわけです。 そこで、そのような体験をしたことで、自分自身の中で沸き上がる感情(担任に対する強烈な怒りと同級生たちの前で恥をかいたという気持ち、そして罪悪感)のすべてをまず受容しました。 そして、現在の私がイメージの中でその空間へ入っていき、過去の自分がその時パニック状態で、どうしようもなくなっていた状態から救いだすようなことをしました。(スリーインワン・キネシオロジーでは、イメージの中で、過去の体験をもう一度やり直すこともします。 この方法の意義は、過去の事実は変わりませんが、その時に体験したことと結びついた感情は変えることができるということです。 この方法は、過去の自分や他人の過ちや失敗を許し、受容し、再び前へ進む力を取り戻す原動力になります。) この後、私が行ったこととしては、※キネシオロジーによる情報系の中で、腎臓の経絡(ケイラク)と関係する「腸骨筋(チョウコツキン)」という骨盤の前方についている筋肉の調整でした。 *腸骨筋 キネシオロジーでは、筋肉反射によって、身体がどのような調整を求めているかを尋ねることもできます。 この時、私の身体が求めた調整法は、「脊椎反射テクニック」と呼ばれる方法でした。 筋肉は、基本的に左右対称についています。 この調整法は、両方の筋肉が弱くなっている場合に行われます。 具体的には、腸骨筋の両側が弱い場合、背骨の胸椎11番を上下に皮膚を介して刺激する方法を行います。 この時、審判と関係する情報と自分自身の過去を思い浮かべながら調整を行うことで、ストレスが生み出された時点から始まった筋肉の弱さに関する様々な要素を統合しながら解消することができます。 また、その時、大きく深く呼吸しながら調整を行うことも大きな助けになります。 通常のキネシオロジーでは、身体における筋肉の弱さを先に調べるのが一般的な方法ではあるのですが、私の方法では、ある情報から「肉体」「精神・感情・気・エネルギー」の視点、そして「スピリット」の観点へと自在に移動していきます。 **************************************** ※キネシオロジーについて(Wikipedia) 「キネシオロジーの語源」 キネシオロジーkinesiology=ギリシャ語のキネシス(kinesis)“運動、動き”と、ロゴス(logos)“学問”を合成した言葉。 「キネシオロジーの歴史」 1964年にコロラド州デンバーで行われたカイロプラクティック会議で、ジョージ・グッドハード博士により発表された。当初は医療家や治療家向けのものだった。 現在は、「アプライド・キネシオロジー(AK)」として、日本でも学ぶことができる。 1967年には世界で始めてキネシオロジー学科(身体運動科学科)がカナダ・オンタリオ州立のウォータールー大学応用健康科学部に設置された。 運動生理学や人間工学、バイオメカニクス(生体力学)、神経科学などが身体運動科学分野の主要な学問領域である。 1973年にジョン・F・シー博士が、アプライドキネシオロジーを一般家庭で使えるようにと簡単にまとめ、タッチ・フォー・ヘルスという学問を作った。これ以降、キネシオロジーは世界的に広がりを見せる。 今では、キネシオロジーは200種類以上にものぼり、世界の105カ国以上で何百万人もの人々に活用されている。************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.23
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前述した情報を、エッセンシャルプロセスでどのように活かしたらよいかについて、私自身の意識状態を例にとって説明したいと思います。 「エッセンシャル・プロセス」では、その時々における身体の求めに応じて、セラピストやファシリテーター(促進者)が身につけたあらゆる調整技術を、縦横無尽に活用することができます。 今回、私自身が自分のために、この文章を書きながら行ったこととしては・・・ まず『リアリティ・トランサーフィン2(徳間書店)』という本のなかで、紹介されていた「エネルギー体操」という技術に、私自身のインスピレーションを加えたものです。 この本では、自分自身の目的を成就するために、「エネルギー体操」と呼ばれる、身体に天地のフリーエネルギーを通していく方法が紹介されています。 この技術は、私たちが日常的にあまりにも、“振り子”と呼ばれる、ある時、誰かの思考によってイメージされ構造化されたエネルギー情報体に、エネルギーを無意識のうちに奪われ、支配され、囚われているため、自らの目的が成就しにくくなっているという考え方を前提にしています。 そこで、まず自らの目的を成就するために、自らを目覚めた状態に保ち、自らの心身にフリーエネルギーを供給し補給しよう、という考え方です。 ただ、あまり人まねばかりでは芸がないと感じたので、このエネルギー体操をベースに、自分なりの方法を作り出そうと思いました。 そこで思いついた方法が・・・ 1.まず息を吸いながら、自分の足を通って、地球から発する光のエネルギーが宇宙に向かって流れていくと考え(意図)イメージします。 2.次に息を吐きながら、今度は、自分の頭を通って、宇宙から発する光のエネルギーが地球に向かって流れていくと考え(意図)イメージします。 この二つのエネルギーの流れに対して、それらを身体の中に無理やり取り込もうとする必要はありません。 ただ、この二つのエネルギーを自分の身体を介して自由に通過させ、そのエネルギーが流れるたびに、身体に純粋なエネルギーが行き渡り、「心身の不調和がなくなっていく」とだけ考えてください。 このことを信じられる必要はありません。 シンプルにそのように考えてください。 3.そのように考えながら、自然な呼吸を5回ほど行います。 4.その後、その上下(宇宙と地球)のエネルギーの流れが、心臓(ハート)のあたりで一つになると考え(意図し)てください。 上下の自然なエネルギーと、私たちの心臓のあたりで感じやすい生命の本質的なエネルギーが、そこで一つになると考え(意図)イメージします。 このように、自分の身体を介してエネルギーの交換を意識するとき、上から流れるエネルギーを外的(宇宙の)意図と仮定します。 そして、下から流れるエネルギーを内的(地球の)意図と仮定します。 そして、この二つの外的・内的意図のエネルギーが、私たちの本質、真心、あるいは古来からスピリットを象徴するハートのあたりで一つになると意図するか、ただ仮定してください。 それだけで構いません。 5.その3つのエネルギーを、ハートで意識しながら、さらに5回ほど自然に呼吸します。 6.次にハートで集めたエネルギーを、身体中へ放出し、皮膚表面まで達することをイメージします。 そして、そのエネルギーを球体のようにしてさらに拡張していくと考えイメージてください。 7.その球体を外側の世界で広げるだけ広げたあと、今度はその球体の内側と外側の間にある境界線をなくして、すべてとひとつになる、と考え(意図し)てください。 8.その解放感を自分が望むだけ味わい、「エネルギー・エクササイズ(ひとつであることを感じるエクササイズ)」を終了します。 この3つの光のエネルギーを融合させるエクササイズの意義は、私たちの健在意識(理性)が、普段あまりにも自分の身体の外側と内側にある形を知覚し続け信じているため、まずは顕在意識に意図を用いたエネルギーの使い方を教え、その力を体感するために行うエクササイズです。 そのとき、「それらのエネルギーがどのようなものであるか?」と顕在意識で考える必要もありません。 私たちの瞬間における意図が「そうである」と選んだときには、頭で検閲しないようにします。 ただそれが、「瞬間の中で、エネルギーを動かし物質に作用する」とだけ考えてください。 この考えが科学的であるかないかについては、私は説明することはできません。 しかし、そのように人が思考し、意図するとき、それをある程度、体感することは可能です。 思考が身体を流れるとき、物質の中に脳(エネルギー)波が生まれ、その後全身に何らかの影響が出るという科学的な事実や研究はすでにあるからです。 そして、私たちの現実というものは思考を介して、自分の身体や外側の対象へと働くようにできています。 ですから、難しく考えず、思考が動くとき、エネルギーも動き、そこに“ある意図”を持った思考を放出すれば、エネルギーあるいは気のようなモノが何らかの形で実体化するとシンプルに考えていただければと思います。 それに、この一つのエネルギーセラピーを使うか使わないかについても、各人が決めてください。 試したくなければ、試す必要もありません。 **************************************** 「ひとつであることを感じるエクササイズ(修飾語が多すぎですね:笑)」の目的は、どのような思考も、この現実世界のなかではある形状(イメージ)や振動、音を生み出す力があることに気づくことを目的にしています。 そして、ふだん見慣れている大地と天をはさんで身体を意識することで、顕在意識が外界にある世界と身体という内側に対して、そこから少し離れて、思考とエネルギーを動かすことも行っています。 またこの3つのエネルギーと象徴的に喩えたものを、ハートで統合し、自己を拡張していくことにより、エクササイズでは単に意図のエネルギーであったものが、無意識を少しずつ目覚めさせて、本質を志向するようになります。 その結果、身体の目を通して知覚されてきたあらゆる問題に対して、エネルギーブロックを解消し、形を越えた存在としての自己の状態で、物事を新たな方法で知覚するスイッチを入れることになります。 ふだん私たちは、身体からしか物事を考えられなくなっていますが、身体という制限がないエネルギーの次元、あるいはエネルギーの動かし手としての自己に戻ることによって、制限や問題のあるところから離れて、物事や出来事のすべてを見つめることができます。 このとき、制限のない自己から、あらゆる問題に対する解決策を見出しやすくなります。************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.22
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「エッセンシャル・プロセス2」 エッセンシャル・プロセスとは、各個人が自らの人生の中で、知らず知らずのうちに背負い込んだ重い荷物(問題・ストレス・四苦八苦・自我)を手放し、真の自己へと戻っていく一つの方法です。 この方法は、まず各個人が自分の中で問題だと考えられていることに対して、顕在意識のレベルで焦点を当てて(フォーカスして)もらうことから始めます。 この理由は、問題がないふりをしてもムダであるため、まずは自分自身が問題を握りしめていることに気づく必要があるからです。 次に、その時に身体と結びついてしまった問題やストレス、そして病気の場合は「破壊的な細胞記憶」を、ボディーランゲージ・リーディング(筋力を使わない新しいタイプの筋肉反射技術)で見つけ出します。 ネガティブなムードは、身体のある場所・空間に共鳴情報として記憶されています。 それに対して、身体と顕在意識が感じている気持ちを承認し、身体が求める調整によって、不快感を手放す何らかの物理的な援助を行います。 この時、エッセンシャル・プロセスにおける最大の特徴であるのが、私たちの自我の層の奥へ奥へと進んでいく方法がとられていくことにあります。 これは、顕在意識によるストレスや問題の認識から始まり、「顕在意識→潜在意識→身体意識」、そして自我を形成する様々な信念体系を見つめていくプロセスに入っていくということです。 あくまで私の体験と様々な体系からの学びではありますが、私たちという存在の要素は、受胎以前の各世代(父方・母方から受け継いだ先祖の信念体系)の影響、受胎時、胎児期、誕生時、乳児期などでは、身体と意識が結びつくことによって知覚されるようになった「身体意識」という自己意識の信念体系が始まります。 次に、身体意識以後に、幼児期、学童期、思春期というように、年齢を重ねながら、身体意識を介して、自分の外側にある世界を言葉と結びつけて学習していく「潜在意識」の信念体系を生み出し続ける時期を過ごします。 そして、私たちの今現在から約1ヶ月ぐらいの間に起こった出来事を記憶している「顕在意識」あるいは理性による信念体系があります。 これは、私がスリーインワン・キネシオロジーという精神・感情的なストレスを解放する技術から学んだ概念です。 (意識と深層意識については、各心理学の分野とは異なる定義を用いていますが、テキストを作成しながら、できるだけ用語と定義のブレをなくしていきたいと思います。) その後、前世の記憶があったとするなら、どのような情報を取ることができるかに注目するようになりました。 その中で、私が個人的に注目した情報としては、エッセンシャルプロセス1セミナーで使われている、「シルビア・ブラウンによる44ライフテーマ(PHP文庫からの抜粋)」です。 今回エッセンシャルプロセス2では、キャロライン・メイスによる「68の元型」なども活用するとユニークなセッションができると考えています。 ちょうど、この文章を書きながらキャロライン・メイスによる68の元型(サンマーク出版からの抜粋)に関する今の私の情報を取ってみると、「30.審判」というものがセルフ・リーディングによって出てきました。 以下の内容がその内容です。 **************************************** 30.審判(しんぱん)(批評家、検査官、仲裁人、調停者) 「審判」は、どんな形であれ、力を公平に分けるという未来像をもつ。 この元型と共感するために、弁護士や判事や批評家である必要はない。 生まれながらの仲裁人であったり人々を仲介することに関わっていたりするのなら、この元型をもっている。 また、人とのやりとりの方法はもちろん、正義や智恵についての高い水準で生活を送ろうと思うなら、この元型と強いつながりがある。 不当な評価に長く苦しみ、許しを学んでいく経験をしていれば、人生のこの元型が表れていると考えるべきだろう。 不当な評価を受ける体験を、ひとつだけ探しても意味はない。 むしろ正義と慈悲を学ぶことを中心にそえた、生涯にわたる学びのプロセスでなくてはならない。 「審判」の影の面は、隠れた動機による思いやりのない破壊的な批判として表れる。 法律を操る、脅迫、法的な権威を悪用することも影の表れだ。 そういった巧妙な行動には、企業における権威の悪用も含まれている。 **************************************** と出てきました。 これは、私自身が今の文章を書いているときに、良くも悪くもどうやらこの元型と結びついているという感じです。 それが絶対であるわけではありませんが、私自身にとってこの情報に触れることは、自分を活かしたり殺したりする方向性を知るためには有益な情報だと個人的に感じます。 後でこの情報をいかに活かしたらよいかについて、工夫したいと思います。 ということで、今日はこのくらいにしたいと思います(笑)************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.21
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「幸せのスイッチを入れ続けるために」というシリーズを、新年から書いてきましたが、 今日、ふと、いまだ完成していない「エッセンシャルプロセス2」のテキストを 日記で公開する形で出していこうと思いつきました♪ 私が今まで顕在意識(理性)の中で学んできた先人たちの智慧だけでなく、 私自身の現在の心境を交えながら作成していこうと思います。 このテキストは、あくまで私が信じている世界観に過ぎません。 しかしながら、私自身が人間として学んできた理性の枠組を超え、 手放していく過程において、何がそもそも問題であったのかを見つめる 材料としてきた学びの体系、そしてプロセスでもありました。 まずは、TA(トランザクショナル・アナリシス=交流分析)によって 私たちが、いかに自我を形成してきたのかについて、 私自身の洞察を含めながら書いていきたいと思います。 次に、サイエントロジーの概念や トランサーフィン(ヴァジム・ゼランド著)などによって提唱されている、 理性と魂の統合によって開かれる新しいゲームの形や世界観について ご紹介したいと考えています。 そして、自らの過去を大掃除し、自らの目覚めを促す NLPによるタイムラインセラピー、ヒーリングコード、 お釈迦さまによる「ヴィパッサナー瞑想」の方法などに触れたり、 ラマナ・マハリシらによるヴェーダーンタ哲学、 ア・コース・イン・ミラクルズにおける私たちの本質への戻りの旅・・・ というようなプロセスと外観を今のところイメージしています。 また、その戻りのプロセスの進行役として、 スリーインワン・キネシオロジーによる信じこみの枠組を外す方法、 私自身のボディーランゲージ・リーディング(筋力をまったく使わない筋肉反射技術)の技術、 私自身の理性-体験-魂-聖霊-存在-とコミュニケーションしながら、 思いつくままに書いていこうと思います。 さて、何がこれからできあがろうとしているのか ・・・私にもわかりませんが、 チャレンジしてみようと思います。 よろしければ、みなさまもこのテキストづくりに参加して頂けると嬉しいです♪ みなさまのご意見・ご感想を頂けると 私自身が持ち続けてきた狭い概念的な枠組を超える助けになったり、 みなさんと一緒に新しい気づき、発見、そして楽しい洞察が開かれていく 一時を共有できるのではないかとも思います。 今後とも、よろしくお願いします♪ ********************************** PS ・・・この日記を公開するボタンを押す前に、 かなり・・・あるいは、少し悩みましたが、 最終的にどのようにでもなる、起こるべきことが起こるだけのこと! という、私のおおらかな部分が出たがっているようなので、 それに身を任せ、信頼しちゃおうと思います♪ 私が表現したいことを出し惜しみするのではなく、 分かち合うことで、 幸せは達成すべきものではなく、 私たちと共にいつもあるもの・・・ そんな自然なあり方を、 まずは私自身が心を開くことで体現できたらなって思います♪
2012.01.20
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今日は、第3期EP1セミナーNo1の第2回目を行いました♪ 1月はEP1セミナーNo1という同内容のセミナーを3回行う予定になっていて、今回は第2回目になります。 2月からは参加してくださっている方たちの同意を得てから、毎月第3回目の日曜日に統一して行おうと思っています。 1月9日そして今日15日で4名の方が、神奈川、東京、三重、南大阪など遠方からわざわざ来てくださっています。 本当に、超マイナーなセミナーではありますが、ブログとHPによる告知だけで、参加を決意してくださったみなさまに、改めて感謝したいと思います。 ありがとうございます♪ さて前回(1/9)と今回(1/15)のセミナーでは、午前中、キネシオロジーで知っておく必要のある骨格の説明と、キネシオロジーにおいて最もよく活用されている14の筋肉に触れ、そして、その一つひとつの動きを感じてもらいました。 その後、筋肉を調整する技術を3種類ほどご紹介し、調整後の微妙な筋肉の変化を実際に体験して頂きました。 とても簡単な調整であるにも関わらず、すぐに動きがよくなっていくことを体験され、みなさまビックリされていました。 午後からは、「ボディーランゲージ・リーディング」という筋力をまったく使わない新しいタイプの筋肉反射の方法と基本的なセッションの手順、そして「身体と、実際にどのように直接対話するか?」について説明しました。 特に私がこの技術を伝えるときに、感じて欲しかったこととしては、筋肉反射テストは、ブロッキング(筋肉が強いままの状態)とオーバーロード(筋肉が弱いままの状態)という現象があり、この2つの状態があるとき、実際には身体が答えてくれていない状態があるということです。 この2つの状態は、筋肉がブロッキングでは硬直し、オーバーロードでは筋肉に何らかの理由で過剰な負荷がかかって弱くなった状態です。 ブロッキング状態には、筋肉のスイッチをオフにする刺激を加え、深呼吸を数回行うことによって解除します。 オーバーロード状態には、恐怖と関係する腎臓のツボの刺激とおへそに触れることで左右方向のの経絡調整、上唇と下唇のツボ刺激とおへそにふれることで上下方向の経絡調整、尾骨とおへそに触れることで前後方向の経絡調整を行う方法をお伝えしました。 そして、特にメンタルセッション中では、このような状態が頻繁に起こっていることをお伝えし、その状態にすぐ気がつけるようになる方法を解説しました。 ところで、今まで気づかなかったのですが(笑)、逆に、筋肉のスイッチをオンにする刺激を物理的に加えることもオーバーロードを回復する助けになるので、次回ご紹介しようと思います。 そのような、ちょっと専門的で難しいことや、キネシオロジーによるメンタル・セッションをどのように進めていったらよいのかを資料を読み、そして実際に体験して頂きながら、ボディーランゲージ・リーディングの解説を終えました。 そして最後に、「セドナ・キネシオロジー」というセドナメソッドの基本をクライアントさんに教えつつ、キネシオロジーによってより深い無意識のストレスを解消するセッション・シートをもとに、受講生の方が現在ストレスや問題だと感じられていることをテーマにセッションを行いました。 最後のほうは時間が足りなくなり、駆け足で終えるような形になってしまいましたが、それでも何より受講してくださった4名の方たちの表情が、解放によりみちがえるように明るくなられていたと感じたので、私自身とても満ち足りた気持ちになりました。 受講してくださった方たちはどなたも意欲的な方たちばかりで、ただでさえ情報量が多いセミナーであるにも関わらず、必要以上にセッションにおける経験談を話しすぎてしまい、受講してくださった方たちは大変だったのではないかと思います (^_^;)) あと第3期エッセンシャル・プロセス1セミナーは、今月29日(日)が最終締め切りとなっています。 ご興味、ご関心をお持ちの方は、まだ募集していますので、ご一報ください。 ************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.15
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その瞬間・・・ 喜びの涙と共に・・・ 自らの目的を思い出す・・・ 自らのすべてを肯定する・・・ ************************************ 理性(顕在意識)は、この現実を身体の五官を通した知覚を基準にして 言葉によって概念化します。 そして、身体によって知覚でき、言葉によって概念化された枠組の中で、 形に名前をつけ、それらの一般的な特徴を、 科学が研究できる範囲で理解したと考えられてきたものについては知ってはいる、 と思います。 理性は、この現実の中で、身体と外側の対象に見える物質的対象に対して 直接・間接的にアプローチすることはできますが、 身体によって制限された枠組を出ることは難しいと思います。 ですが、私たちが眠りにつき、夢を見るとき、 ある場面の夢から、次の夢へと瞬間的に移動するようなことを ほとんどの人は体験されていると思います。 現代科学では、夢の一部を研究し、日常生活の中で印象に残った出来事を 再生しているだけだとしているような考え方もあります。 しかしながら、私たちが今、目で見ている景色を記憶しようとしたあと、 目をつぶりそのイメージを思い浮かべようとしても、 あまり鮮明なイメージを描けないと思います。 そのような脳内のイメージ力だけで、夢の中で体験する世界の性質を 科学が一定の条件下で実験したとしても、そのすべてを説明してはいないと思います。 そこで科学的な研究による枠組の結果は、結果として受け入れながらも、 ご自身の夢の中での体験と、この現実で体験していることとの 相違点を調べてみるとおもしろいと思います。 あくまで私の体験ではありますが、夢のなかでは、 景色やモノの色彩がこの現実で感じられるより鮮明であり、 身体の質量をあまり感じなくなったり、 恐い夢を見ているときなどは逆に重くなるような感覚がありました。 私が明晰夢のような夢を見ていたときは、空も飛ぶことができました(笑)。 このような夢の中を、今の自分とは少し違うセッティングの中を 入ったり出たりしているたくさんの私たちをどのように考えたらよいのでしょうか? 私もその答えを知っているわけではありませんが、 ひょっとしたら私(たち)の魂は、夜、身体と理性が眠りに落ちるとき、 色々な次元や時空を旅しているのかもしれません。 今日の日記の内容は、 理性によって抑圧されていたもうひとりの自由で多面体の私(魂)を夢のなかだけではなく、 この現実においても解放してあげるとどうなるのか? ということです。 理性による「身体が自分だ」という信じ込みを通り抜け、 様々な夢の次元の旅をし続けている もうひとりの私の足かせを外してあげようと決心するとき、 私たち一人一人に与えられた自分だけのために用意された道が 開ける可能性が開花するような気がしています。 理性には、この現実の中での役割を果たしてもらいながら、 自らの魂のその枠中に収まらない働きを知り、認め、 活用し始めるとき・・・ 私たちは、身体による制限を超えたもう一人の私に出会い、 その素晴らしさに歓喜するかもしれません♪
2012.01.12
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理性と魂がひとつになる♪ ********************************** 理性(顕在意識)は、この現実のなかで身体を守ることに終始してしまいがちです。 このため、私たちの身体を通して感じるエモーショナルなエネルギーに カセを与えなければ、この現実に適応できなくなると信じ、 魂にブレーキをかけ、抑圧し、制御し、制限しようとします。 その結果、魂の時空を超えた即時性の能力が封印されてしまい、 この現実で知覚される結果からしか、物事を知覚できなくなってしまいます。 でも私たちの身体と顕在意識が眠りにつくとき、 魂の扉は一時的に開放され、 理性は夢の中で、自分が想像したことがなかった世界を体験することがあります。 私たちが天才と称される人たちから提供された作品や知識に触れる時、 理性によって作り出された枠組が外れ、 自らの内側に、今も存在している何かを感じ、 心の琴線が弾かれ、自然な感動が沸き上がってくるのかもしれません。 まずは、自らの夢見の力を制限するのではなく、 その力を活用する選択をしてみることで、 一つめの扉が開くのかもしれません。************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.08
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自分の理性に一歩下がってもらい、 今この瞬間から、 自分自身の魂が望む すべてを肯定する 完全な親の役割(自らの魂が何を望もうとも静かに見守る)を担ってもらう。 このとき、自分自身の魂が望むことのすべてに対して イメージのなかであったとしても、それが達成されることを容認し、 自らの魂を満足させてあげるようにする♪ ************************************** 自分の理性とは、今の人生のなかの現実から学んできた考え方のすべてと考えることができます。 私たちの意識は、たいてい、赤ちゃんの頃の記憶、または前世というものが存在するなら、そのような記憶が失われていると思います。 前世の記憶をもつ子供たちが、生まれかわりを肯定している文化圏に多い理由は、それが理性によって否定されなかったことによる、とされているようです。 私たちが、私たち自身について知っていることは、身体の五官を通して知覚した結果の世界に基づく情報で構成されています。 それはこの現実の中では当たり前のことではありますが、私たちを動かしている存在あるいは医学的な機械によって計測することができる生体電流・生命エネルギーがどこからやって来るのかを知ることはできないと思います。 私たちは世界という結果の世界についてはある程度、その性質や特徴を調べることはできますが、目に見えない根源的な存在について、その知識を得ていないことは間違いないと思います。 ですから、私たちがこの現実で学んだことは学んだこととして尊重しながらも、自分自身という存在については何も知らないし、わかっていないという事実を認めることが大切です。 なぜなら、今、私たちが自分自身だと信じている自分とは、今の「肉体」に後付けで名づけられたものに過ぎないということができるからです。 そして、自分自身という存在から解放されるためには、「これが私だ!」と信じ込んでいる-自分自身-という思い込みをいったん脇に置いておく柔軟性が必要です。 まずは、今の自分だと信じている自分ではなく、自分の身体を動かしている目には見えない意識のような存在自体が真の自分に近い存在だと考えてみてはいかがでしょうか? それを自らの「魂」と呼ぶこともできます。 しかしながら、言葉自体は、この現象世界のなかで知覚された何かについて、人間を基準にして生み出された大ざっぱな概念のカテゴリーにすぎないと思います。 私たちは、今のところ「自分という存在はいったいぜんたい何なのか」あるいは「私は誰か」を忘却しているような状態と考えることができると思います。 では、いったん自分は自分を知っていると信じている「ちっぽけな枠組」を手放してみてはいかがでしょうか? そのような自分自身をもう一度知るためには、私は自分について何も知らないことを認める必要があります。 そして、自分自身がこの世界で何を求めていたかを知るために、子どもの頃の自分を思い出し、その子が何も否定されずすくすく育ったとしたなら、今、どのような私に育っていただろうか?と考えてみてください。 きっとその子は、この世界が決めた枠組におさまらず、むしろこの世界そのものの概念すら変えてしまうようなパワーがあることに気づき、そのような自分を最大限に発揮し、楽しんでいると思います。 それについて遅いということはないと思います。 でも、その思いをいつ解放し、開放させるか、そしていつ始めるかは自分自身の選択にかかっています。 それを、誰もが、今始めることもできます♪************************************** 「第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪」 エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドなどを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してください、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール についてはリンク先をご参照下さい♪
2012.01.07
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私のブログを読んでくださっているみなさま、 新年あけましておめでとうございます 本年も、よろしくお願いします♪ ************************************** さて、新年そうそう楽しいインスピレーションを感じました♪ それは・・・「2012年 (新しいバリアントと共に)幸せのスイッチを入れよう♪」 それは私にとって何が起こっても、 「幸せだけを選択する楽しいゲームをしよう」とする選択です♪ これを信条とか新年の信念にしようとか、力まずに、 今年は年中そのゲームをして楽しもうと思います♪ ところでそうはいっても、現状が絶望的な状況にある人にとっては あきやんは、新年早々、現実離れしたバカなことを言っているなぁ~ と思われるかもしれません。 そこで、まず考えて頂きたいこととしては、 「自分の人生に絶望している人に幸せがやってくるだろうか?」 という自問自答です。 その人は自分が不幸であるという思考にのっとられていて、 何を見ても幸せが、今ここにあったとしても、 不幸の種ばかりを探すことになり、 それを証明するように生きてしまいがちになるように思います。 そこで、とても軽い気持ちから始めればいいのですが、 ではその逆の「今年は、ちょっくら幸せになってみるか!」 という選択をされてみてはいかがでしょうか?! そのとき、ちょっと自分の内面で上記2つの選択肢のうち、 どちらが自分にとって気持ちがよくなるかを自分自身に正直に尋ねてみてください♪ おそらく、暗い気持ちで不幸せな自分のことを考えた時には、 気持ちがどんよりし、 軽い気持ちで幸せであることを選んだ時には、 幸せへとつながるちょっとした明るさを感じられたのではないかと思います。 さて、私は去年の12月から「トランサーフィン」の本のシリーズを読み始め、 そのなかで書かれていることが、かなりの確率で実際に起こることを なんとなくではありますが体験しています。 その本には、量子物理学的なエネルギーの法則に基づいた「願望実現の法則」が書かれていました。 私自身、20代からマーフィーの潜在意識理論などを読み、その後の人生の中で、仕事でも生き方でも、そのような自分の思いとどのようにつき合っていくか?について、方法を変え、家庭・仕事、自分の人生の中で色々と試してきました。 そのようにしているうちに、『神との対話』という本と出会ったり、スリーインワン・キネシオロジーの技術では人間に共通する「意識・潜在意識・身体意識」の概念、サイエントロジーによるセイタンの概念、ザ・シークレットやホ・オポノポノなどの願望実現、お釈迦さまによる人間の心についての観察、ACIM(ア・コース・イン・ミラクルズ)による聖霊の概念などを自分なりに探求してきました。 その結果、あまりにも色々なことをごちゃごちゃと理性の枠組のなかで学びすぎた結果、それらで述べられている概念のうちで、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなり、迷いに迷っている状態がありました。 そこで「トランサーフィン」で述べられていた今までとは全く逆の考え方である 「自分自身の願望に対して、その重要性を下げる」という考えにふれました。 通常の願望実現の法則では、「強く願えば、自分の願いは必ず叶うんだ!」というものが多かったと思います。 私はこの今までと真逆の「自分の願望に対してその重要性を下げる」という発想に触れ、最初のうちはその考え方を受け入れることに抵抗を感じました。 しかしながら、強力なエネルギーを外界に放出されるとき、それとは逆に拮抗するエネルギーによって押し戻されるように働き、やがてそれは均等化されてしまう、という自然界の「平衡力」という法則をしったとき、なるほどなぁ~と感じました。 この現実の中にある自然界の法則として、エネルギーは高い方から低い方へと流れるという概念だと思いますが、強力なエネルギーを出そうとすればするほど、そのエネルギーを低くするような状態が起こり抵抗を生み出してしまうため、かえって反対の結果になってしまうということです。 みなさまも、通常の願望実現の法則や昔も今も流行歌の中で、「思いの力」を暗示するメッセージがありましたが、なかなかうまくいかなった経験のほうが多かったのではないでしょうか? でも、このトランサーフィンによる願望実現の法則では、強く何かを欲することをするのではなく、「ただ自分が望むものをレストランで注文をするように選ぶだけ」という方法論が示されています。 正確な言葉では、「意図によって望ましい空間(バリアント)を所有し、行動する決意」と呼ばれています。 私の記憶では、ジョセフ・マーフィーの潜在意識理論でもそれに近いことが書かれていたように思いますが、トランサーフィンではその方法がより自然な形にしあがっています。 またそれを実際に体験するための内的なプロセスがおもしろいだけでなく、私自身がその方法をちょっと試してみようとすると、それが意外に簡単にできたのです。 それは例えば、自分の現実と夜寝ていて見る夢の状態の違いについて、意識的に気づくために、「私は今眠っているのか? 目覚めているのか?」という問いを起きているときに行うことで、夜寝ている夢のなかでも、それが夢であることに気づけるようになり、恐い夢を見ている時、即座にそのシーンを変えようと決心するだけで内容が変わってしまうことや。 私自身の守護天使(Moumoonと個人的に呼んでいます:笑)そして、ACIMの聖霊とつながることを意識し、浅い眠りに入ったとき、とても静かな図書館のなかで、色々なことを説明してくれる管理人と話をすることができました。 残念ながら、その管理人の方のイメージがぼやけていましたが、その管理人はどのような姿であるかは重要ではない、ということだったので、それに関して浅い夢のなかであまり深く考えませんでした。 何はともあれ、明瞭ではありませんが、自分自身でも、夢の中で目覚めていながらメッセージを聞きとることができる体験をしました。 また、現在3冊目のトランサーフィンの本を読んでいるのですが、トランザクションという手法によって、この現実の中でバリアント(自分が選択できる空間)のサインや変化を感じることも、何となくではありますができました。 この体験は、キネシオロジー等のセッションによりストレスが消去されたときに、今見ている景色がとても新鮮で明るい感覚と似ており、この方法とキネシオロジーとの関係性が私の中でつながったように感じました。 このようなちょっと不思議な感覚が、去年の12月に入り「トランサーフィン」を読み始めてから、私のなかで起こり始めました。 そして年が明け、朝起きて、「私は今眠っているのか? 目覚めているのか?」と静かに自分に問いかけた後、やってきたインスピレーションが、「幸せのゲームをする」あるいは「幸せのスイッチを入れる!」というものでした。 これは私の中では、今まで理性で学んできた方法も尊重しながら、自分の「魂」が望むことを一切否定しないことにする選択することも含まれています。 また新年だからといって特別に力んだり、自分自身に強制することなく、気軽に行うことで、ちょうど新年という目に見える景色の流れが変化しやすい節目の自然エネルギーを迎え入れるだけにとどめ、今年1年を「幸せのスイッチを入れたまま過ごす」ことをただ選択しました。 幸せのスイッチについては、もう少し書きたいことがあったのですが、新年早々、文章が長くなってしまったので、今日はこれぐらいにしたいと思います。 みなさまにも、幸せのスイッチが1年中入りますようにと 静かで穏やかな気持ちで願いたいと思います。 本年も、よろしくお願いします
2012.01.01
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みなさま、今年一年ありがとうございました 本当に今年は私自身の心の大掃除のような年であり、 またとても洗練された癒しと人生を向上させる技術である、 お釈迦さまの教えやヴィパッサナー瞑想、 ヒーリングコード、トランサーフィンなどの概念にふれることもできました。 しかしながら、私の理性は理性としてできる限りのことをしましたが、 でも、その結果、理性の限界に気づくことができたように思います。 それと同時に、 私自身の限界のない心ともいうべき「魂」の思いとつながる大切さと その能力の素晴らしさを再評価する気づきが起こりました。 また理性の下に隠れてはいましたが、 みなさまから何気なく紹介された本などから、 私自身の心が具体的に何を求め続けてきたかについての 多大なヒントを頂いていたことも 今年一年を振りかえれば、 本当にたくさんのことを学ばせて頂けたと感じています。 今年は、私の理性によって築かれた「砂の城」のもろさ、 そのあぶなげで頼りなく、 少しのことですぐに崩壊してしまう性質があるもののなかには、 何一つ、心を安らかにしてくれるものはないということ。 逆に、そのような理性の枠組のなかにない 大いなる私たちの本質が真の幸せへ向けてかすかではありますが、 やさしいメッセージを今も与えてくれていることを 感じることができました。 特に12月に入り、リアリティ・トランサーフィンを読み始めてから、 自分自身の魂に耳を傾け始めるようになったと思います。 個別化された意識体としての「魂」という言葉は、 ACIM(ア・コース・イン・ミラクルズ)という教えには適合してはいません。 しかしながら、 私たちの様々な意識の階層構造の特性に気づくとき、 魂の望みに耳を傾け、それが望むことに何も反対したり、否定せず、 それが体験されることを自分自身にただ許すとき、 理性と魂が望む現実的な幸せも現象化されるようです。 それはたしかに幸せと豊かさを感じさせてくれる何かであり、 自分の人生という体験のすべてを許し統合してくれる感覚のようです。 純粋にすべてをやさしく包みこんでくれる平安に似ています。 私たちは身体を介して学んだ知識から物事を考えるクセがあり、 それを超えた体験をする可能性があることを忘れてしまいがちだと思います。 そんなとき、自分自身に、やさしく、以下のように言ってあげるとよいかもしれません。 「私は今、眠っているのか?」 「目覚めているのか?」と・・・ この問いを発することで、目覚めることを思い出し、 この現実が見せる問題という現象から離れ観察することができる 自分自身に気づくことができると思います。 いつも、さわやかに目覚めていたいものですね♪ みなさまに幸せと喜びが満ちあふれますように~ よいお年を
2011.12.31
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最近は、より深い意識である潜在意識・身体意識・無意識と丁寧にゆっくりと向き合いながら、顕在意識(理性)との調和を取り戻す方法と。 顕在意識(理性)が、自分の可能性をあきらめている状態から、すばやく速効的に目覚める方法の両方を活用したことも取り入れるようにしています♪ 最初にお話しした深層心理(潜在意識-身体意識-無意識)については、主にキネシオロジーやヒーリングコードの技術を活用することが、とても助けになると個人的に感じています。 また、人が現在苦しみを感じ、頭を悩ませている何らかの問題(病気、人生における悩みごと、精神・感情的なストレスなど)に関しては、瞬間的に、そのアンバランスの向きを変える方法についても臨床的な実践と結果を積み上げているところです。 この、今ある問題に関して個人的に苦痛を感じられていることに関しても、キネシオロジーを活用し、顕在意識(理性)の向きを、問題が発生していない時間を想起して頂いたり、ある理想的なイメージをクライアントさんご本人にイメージをして頂き、それを感じている状態において、問題そのものをキネシオロジーによって個別にエネルギー的に引き抜く場所を尋ね、調整を行うような方法を行っています。 これは、とてもおもしろい方法であり、キネシオロジーによって、理性によって問題や限界がつくりだされる前の細胞記憶へ戻ることによって望む状態のセットアップを行い、その後、理性が限界を感じ問題を感じ続けた時間そのものを、押し出す、あるいは引き抜くような方法です。 そのような後押しをするだけで、非常に難しいと思っていた問題を調整後は忘れてしまうような状態すら起こるようです。 たとえば、昨日の話ですが、ある重度の腰痛を最近わずらわれているクライアントさんが来られ、最初のご来院時にはお一人では歩けない状態で来られました。 また最初は、治療台に寝ていて、身体の位置を変えようとするだけでも、筋肉がケイレンしてしまい激痛が起こるような状態でした。 そのような症状がとても強かったため、3~5回目までは坐位だけの調整と経絡調整によって筋力を強化する施術を行いました。 そして昨日6回目の施術のために来院してくださいました。 その状態では、朝起きてゆっくりと起き上がるには筋肉の激痛は起こらない状態までになっていました。 ただ、座っている状態から立ち上がるまでには、大腿部に力がなかなか入りにくい状態が残っていました。 そこで、まずは今の状態を確認して頂いたあと、クライアントさんにご自身の身体がとても快適であった時のことをまずは思い出して頂くように促しました。 そのことを考えていただきながら、今から何を行うのかについて簡単に説明しました。 それは、今のような問題が起こる前には、当たり前のことではありますが、腰について心配がなかった時間のほうが長かったという事実についてと、現在、腰を痛めたことで苦労された時間のことも一緒に何気なく振り返ってもらいました。 さらにこの腰を痛められた経験も、一つの体験として尊重して頂き、そこから自分の身体を嘆いたり、それ以上ムチ打つようなことをするのではなく、やさしくしてあげることの大切さについてもお話しし、今回の体験を一つの教訓としてだけ見て頂くようにしました。 その後で、ご自身が呼び覚ましたい細胞記憶の年齢について考えて頂きました。 ご本人のお気に入りの年齢は50歳でした。 その間、座っている状態で、キネシオロジーを活用し、もっと外傷によって生じた苦痛に満ちた細胞記憶が強い背骨をご本人の身体に直接たずね、それを引き出す調整方向を教えてもらいました。 調整前に、実際に50歳の時の身体の状態をしっかりと思い出し、実際に何かをしているときのことを感じてもらったあと、そのとき身体が指定した胸椎の12番を上から下へと、ほとんど衝撃を加えはしませんが、すばやくなぜるような調整を3回ほど行いました。 その後、立位の重力軸の調整などを行うために立って頂くようにお願いすると、両手の支えを必要とすることもなく、何事もなかったようにすっと立ち上がられました。 クライアントさん自身は、今回治そうとして来られたことがすでになくなっておられることさえ忘れておられたので、すでに問題がなくなっていることに気づいて頂いたあと、通常の全身調性を行いました。 問題のことをすでに忘れている状態が瞬間的に達成できたわけです。 今後は、このセットアップもカイロ施術にドンドン組み込んでいこうと思います♪ ************************************** 第3期エッセンシャル・プロセス1セミナー参加者募集中♪ エッセンシャルプロセス1セミナーは、基礎的なキネシオロジー(筋肉反射応用治療学)、アロマテラピーで活用されているエッセンシャルオイルに含まれているエネルギー情報、そして精神・感情的なストレス解放技術であるセドナメソッドを融合させた方法のすべてが学べるセミナーです。 通常、キネシオロジーは筋力を活用するため、筋肉の疲労が起こりやすいという欠点があります。 私はスリーインワン・キネシオロジーの技術を習得する過程において、筋力をまったく使わないでストレス反応を読みとる方法を臨床の中で活用するようになりました。 この方法を私は「ボディーランゲージ・リーディング」と個人的に名づけていますが、行っていることは筋肉反射技術と同じです。 また筋力を全く使わない方法であるため、逆に簡単に筋肉反射による情報が取れるということが最大の特徴です。 ボディーランゲージ・リーディングの技術は、身体を通して表現される私たちの個別化された「魂」の快・不快を尋ねる方法として突出していると個人的に感じています。 また人生の問題や精神・感情的なストレスについては、顕在意識(理性)では気づいていない情報と、問題から抜け出すために必要な「理性と魂」との和解へと導くアイデアと解放技術が多数もりこまれています。 *キネシオロジーによる解放技術は、精神・感情的なストレスの量を0%にし、所有し行動する動機を100%に導くことができます。 *その結果、誰もが理性によって頑張ることなく、自分自身で作り出した限界をスムーズに超えていく大きな力を取り戻すことができます。 *このセミナーは、上記のような技術を習得されたい方だけではなく、自分自身で問題を克服したい方にもお勧めしたいセミナーです。 *また、私はセミナーに参加してくださった方に対して、ある程度のお願い(修了証をお渡しするには最低でも11回は参加してくださる、というようなこと)はすることはあっても、何より参加してくださった方の心身共に自由であるがままでおられることを大切にしています。 上記のような学びを体験されたい方は・・・ 岩倉カイロプラクティック院のHP あるいは、 直接お電話( 0587-37-3996 )でお尋ねくださいませ♪ エッセンシャルプロセス1セミナーの具体的な内容 エッセンシャルプロセス1セミナーの年間スケジュール につきましてはリンク先をご参照下さい♪
2011.12.30
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私がまだ名前をつけてもらっていないときも 私は存在していた・・・ その記憶は、 この現実の世界にあてはめられた言葉のなかにはなく そのような狭い枠組のなかに最初からなかった・・・ これは誰にもあてはまる事実だと思います。 そう、誰もが、自分だと信じている身体と今も共にいるけれど、 そのどれがいいとか、わるいとかも・・・ すべては後でつけられたものでしかない からだは、この世界の必要性にしばられ、 幼少期の感覚とこの世界の言葉をたより、 自分を知ろうとする でも、最初からそこにはなかった存在に 仮の名前や仮面をつけて それを自分だと名乗ったところで このうえなく不確かであることに何も変わりはない 自我という自分と世界、人を分けてしか知覚できないからだは それを私だと錯覚してしまう でも、その呪縛を信じないで生きることもできるはず 私たちは、自分だと信じている枠組のなかには 最初からいないのだから・・・ 思い切って、その事実を見つめ、 そこからすべてを見直しても いいころかも♪
2011.12.24
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最近、ACIM(ア・コース・イン・ミラクルズ、以後コースと略)のワークブックによる365日のレッスンとアレクサンダー・ロイド博士による『ヒーリングコード』という技術を併用して、私自身の心の問題に対してアプローチし続けています。 今回、日記のタイトルで「EP2(エッセンシャル・プロセス2)」という私が主催して いるセミナーで加えたい技術と考えているものが、上述した『ヒーリングコード』 という技術です。 しかしながら、『ヒーリングコード』という技術の中で、アレクサンダー・ロイド博士が、 真実だと考えられている信念の定義において、じゃっかん旧来の聖書・キリスト教の概念 が多いため、少し根源的なアプローチへ到達しにくい内容もあると正直感じました。 私はそこに対して、私自身が学んできたこと、体験したことをもとに再構築したいな、 と考えています。 私のなかでは、テーラワーダ仏教とコースの概念の2つが根源的な 真実・真理への架け橋だと感じているからです。 そこで、コースの概念について、少し考察したいと思います。 コースの概念によるこの世界の現実に対する物事の見方は、一般的な考え方を越えて います。 というのは、コースでは、この現実世界における私の身体を基準に知覚して いる「分離現象」そのものを錯覚・幻想・夢である、とみなしているからです。 逆に、コースのワークブックのレッスンでは、それらの錯覚・幻想・夢のなかで、 身体を知覚しながらも、その現象に左右されないように心を育み、訓練し、自らの本質 である「すべてとひとつである」という真理へと知覚を訂正していくプロセスがあります。 そのときに、ワークブックでは、自分の思考と感情レベルに沸き上がってくるどんな 小さな動揺や心配事、いらだちに対しても正直に向き合う態度を養っていきます。 (ところで、何が真実あるいは真理かという定義を考えるとき、私のなかでは、 この現実における物事の法則としての真実と、存在において、何の例外も存在せず、 唯一・絶対であることを真理の状態とよぶにふさわしい言葉だと考えています。) ところで、身体という制限された自我にとって、完全な満足を得ることは少ない状態 にあると思います。 たとえば、贅沢な食事をすることができて一時的に満足が得られても、その満足感を 持続することはできません。 というのも、身体がある一定の食欲を満たした後には、 それ以上は受けつけなくなるからです。 また、何か一生懸命に努力していることを達成できたとしても、また「その次に何か をしなければ・・・」というように、人生は身体の必要性にもとづく行動が続くからです。 私たちは、身体と共にある人生のなかでは生涯必要なことがあり、それを決して避けて 通るようなことはできない状態で生きているということです。 そこには依然として、 身体、自我意識における完全に満たされることがないという欠落感と、神と考えられて いる存在との分離感、それにともなう恐怖と罪悪感が完全には解消されていない といえます。 前述したアレクサンダー・ロイド博士が真実と定義されていることは、身体重視の 考え方も残っているため、自我と神との間に横たわる分離感や罪悪感の問題が完全 に解消されていないと、私が本を読んだ範囲において思ったことです。 では、「そのような人生に対して、どのように向き合っていけばよいのか?」 ということが、私たちの生涯にわたる問題とも関係してくると思います。 身体があるかぎり、自我は「私の身体」を維持しようとする安全欲求が生まれます。 次に、その安全を確保するためには、ほかの人からの支えがあったほうが助かるため、 他者からの承認を求める欲求が生まれます。 さらに、自分の状況をよりよくするために外側を何とかコントロールするようになります。 このような「安全、承認、制御」しようとする欲求は、個別化された自らの身体としての 自我を生きのびさせようとするものであり、その自我は、最初に何者かになりたい! という心の次元のなかで生まれた「分離欲求」があったことによって、 バラバラな世界を知覚するような仕組みが生まれたようです。 コースは上記のようには説明していませんが、身体、そして分裂した心によって 生み出された自我意識そのものは「私たちの本来の姿ではない」としています。 私は、この存在の真理を頭による概念だけではなく、心が完全に理解することによって すべての救いが見いだせる、と考えています。 ところで、少し話は変わりますが、時空のなかで知覚される真実としての 「原因と結果の法則」について少し考えてみたいと思います。 そのなかで、「ニワトリが先か卵が先か?」という命題がありますが、 私たちは身体の知覚によって、ある空間のなかで、ある物質という対象を感じるとき、 瞬間的に、私と何かがある、という存在の世界を生み出し続けます。 時空の領域では、成長の順番があると考えられ、それは始まりと中間と終わり というように、時間の中での連続する変化が、映画のコマ送り映像のように、 時間の流れのなかで、カットされた部分だけがクローズアップされ、 それが知覚されている時間の世界における事実・真実として考えられていること、 と言ってもよいかもしれません。 また同時性という原因と結果の法則を越えた心の法則もあり、それは物質的には遺伝子、 つまり細胞の変化の鋳型・プログラムのようなものです。 そのなかには、卵もあり、にわとりもイメージとして同時に存在するプログラムがあり、 時空のなかでは、そのある一点を切り取るという形で知覚されるときに、 原因と結果の法則が変化する世界の中でカットされた順番の状態が、 時間の経過のなかで見える、ということです。 このようなプログラムが最初になかっとするなら、原因と結果には何の繋がりもなく、 鶏の卵が突如として人間に変化するというようになってしまうので、時空のなかで 物質が変化し続ける原因と結果の法則より、心の同時性の法則のほうが 上位のシステムとしてあることが想定できると思います。 これはたとえば、ある映画の主人公の物語が記録されたDVDがあるように、 私たち一人ひとりの身体、他のすべての生物たちが、時空のなかである身体をもつ 生物の物語として、変化を体験するように仕向けられた映像元・プログラム (無意識あるいは、阿頼耶識(あらやしき)があり、そのなかにいくつもの DVDのコレクションが貯蔵されているという感じです。 そして、自分のDVDがこの地球上の現実で上映されている間は、その結末が見られない 状態に誰もがおかれている、というふうに考えると、少しちがった視点から 自分の物語を眺められると思います。 量子物理学の世界では、私たちの人生も宇宙も、あらゆる次元の領域も、 「すべてが空間、あるいは瞬間のなかに、たたみ込まれている」と表現しています。 私は、この現象のすべてが、たたみ込まれている投影元こそが、 あらゆる生命の自我意識を作りだす偽物の源であり、 その偽物の源を越えて観ることこそが、 目覚め、悟り、と呼ばれる境地だと考えています。 ************************************** *阿頼耶識(あらやしき、Skt: ?laya-vij??na ??????????)は、大乗仏教の用語。 サンスクリット ?laya ??? の音写と、vij??na ??????? の意訳「識」との合成語。 旧訳では「阿梨耶識(ありやしき)」。また「蔵識」(藏識)「無没識(むもつしき)」 とも訳す。「頼耶識」「頼耶」等と略されることもある。 唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想 である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち 第8番目で、人間存在の根本にある識であると考えられている。 ?laya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵 していることから「蔵識」とも訳される。「無没識(むもつしき)」と訳される場合 もあるが、これは ?laya の類音語 alaya に由来する異形語である。 法相宗では、心は阿頼耶識までの八識とする。 天台宗では阿摩羅識を加えて九識、真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とする。 ************************************** 私たちは、身体によって意識が固定された状態にあるため、「身体の外側にある世界 (外界)と私の身体(内界)」という分離意識によって、過去・現在・未来という 原因と結果の世界を眺めていますが、大きく分離した2つの内外の現象から離れて 観察するとき、それら二つが決して離れていないことを理解する瞬間がくると思います。 理論的には、身体の外側にある世界は、まず身体と共に活動している心 (認識システム)がなければ何も知覚できず、世界について考える私も存在しないわけ です。 ですから、外側の世界の前に、私という意識があって、初めて世界を認識する ようなシステムがある(あるひとつの無意識のなかにあるいくつもの自我の物語の夢が 先にある)と言えます。 しかし、外側の世界を基準にした時間の流れ(原因と結果の法則)のなかでは、 私は地球上の決められた時間のなかでは、両親が先にいて、私たちがあとから 生まれてきた、という原因と結果を認識する心の流れがありますが、 それも無意識のプログラム内で、あらかじめ設定された私の物語であり、 たくさんの生命として分離した自我が自分に振り分けられ、 与えられた役を演じているだけなのかもしれません。 ですから、本当の意味で何が真実であり、真理であるかを、最終的に明確にしなければ、 自我意識という存在の状態は、すべてとひとつである完全な意識(それを神と呼ぶなら) を恐れることになります。 なぜなら、それは自我自体の死を意味するからです。 そのような自我の性質について明確にしなければ、闇を自分だと信じている自我は、 光しか存在しない真理へ到達することを願いながら恐れる、 という最後の葛藤が残るわけです。 ということで、アレクサンダー・ロイド博士による「ヒーリングコード」という、 自我を超越した神を信頼することで得られるエネルギー・ヒーリングの技術は、 身体の初期にプログラムされたストレス反応と、それによって生まれた 偽りの信念体系を、潜在意識レベルから消去する方法であり、 すばらしい技術なのですが、さらにもっと深い領域へと踏み込むためには、 最後の一歩が必要であるような気がしています。
2011.12.14
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写真をアップしたかったのですが・・・上限を超えているので載せられませんでした 残念です もしよろしければ、FC2ブログまで遊びに来てください♪ 毎回、密度が濃い内容なのですが、セミナーに参加してくださったみなさまには、意識そして潜在意識を超えていくさまざまな感情解放の技術をご体験いただけたように思います♪ 今日はセドナメソッドとヒーリングコードを織り交ぜた内容を行いました~ テーマとしては、「人間関係を改善する」そして「健康と幸福感を増進する」という内容でした。 今回は、めずらしく「エッセンシャル・キネシオロジー」の情報で解放できず、少々手こずられるシーンも見られましたが、「ヒーリングコード」におけるトゥルース・フォーカス・ステイトメントをおりまぜることで、ストレス量が0%、変化への動機の量が100%になりましたので、とてもよかったと思います。 フォーマットどおりに精神・感情的なストレスを解放できることが、1つの目標ではありましたが、セミナーに参加してくださったみなさまは、さらなる技術を吸収されることにとても熱心な人たちばかりだったので、私が想定していた以上に技術を使いこなしておられたと感じています。 今日は、セミナーについてのご感想をいただけたので、みなさまにご紹介したいと思います♪ ************************************** 「S様 28歳 アルバイト」 盛りだくさんの内容をとても丁寧に教えてもらってありがとうございました。 キネシセッションの有用性・効果をとても感じることができて良かったです。 これも縁というか、ひとつの「流れ」だね。 間違いなく進んでいると思う。 内面が。 準備ができたとき師は現れる、ということなんだろうね。 「次なる展開」も、そうだと思う。 人生を変える(働きかける)ツールを手にできて、非常に幸運でした。 社会的な面での苦しさがあるなかで、自由を感じれたというか、ほぐしてもらえて助かりました。 直感で申しこんだんだけど、当たりでしたね。 ************************************* 「上川充広様 44歳 カイロプラクター」 「感情解放」というのはどうしても1人でやっていると発生するストレスのためやりたくなくなるというのがあり、何とか進められるようにしたく、セミナーに参加しました。 この1年間で自分の内面が大きく変わったのを感じ、まわりの人にも前とは変わったね、と言われたことがうれしく思いました。 実生活の面でも変化を感じており、やりたかった勉強会・セミナーが実現されるようになって、これからの変化が更に楽しみです。 1年間、埼玉から名古屋まで通った「かい」がありました。 ありがとうございます。 ************************************* こちらこそ、ステキなご感想をいただき、ありがとうございました♪ 改めてお礼の言葉を述べたいと思います。 みなさま、1年間という長期のセミナーにお越し下さり、ありがとうございました~ そして、お疲れさまでした~♪
2011.12.11
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明日は第2期「エッセンシャルプロセス1」の最後のセミナーです。 今回は、「ヒーリングコード」を織り交ぜた解放も行おうと考えています♪ 筋肉反射テクニックで、ストレス量の%をとったり、 「エッセンシャル・キネシオロジー」の資料を活用した解放、 そしてヒーリングコードをその内容にプラスすると とってもすごい解放になりそうです~ 明日は、「修了証書」もお渡しする予定なので、 それもまた何かジーンとくるものがあります。 なにはともあれ、明日がとても楽しみです♪
2011.12.10
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今日のタイトル「すべての人のなかにある不十分だという気持ちを癒す!」は、私たちの無意識のなかには、自己破壊的かつ隠された信念(自分は何か欠けているという考え)があり、その信念と感情を超えて行くことが根源的な癒しになる、と個人的に考えています。 「いえ、私はそんなことを今まで一度たりとも考えたこともありません!」と、心の底からそのように感じ、生きておられる方は、すでに、きっと大きな成功と幸せに包まれて人生を送られていることでしょう。 しかしながら、そのような素晴らしい人生を送られている方でも、自然災害などの人知を超えた出来事や不幸な出来事に対して、ちっぽけで無力な自分を感じられることもあるのではないかと思います。 私たちの世界と、私たちひとりひとりの人間は、一つのユニットとして機能していると思います。 ですから、各個人の内界(身体で感じている知覚)と外界(身体の外側の対象)との接触があり、私たちが自分自身を身体だと信じているかぎりにおいて、やはり、だれのなかにも「不十分だ」という気持ちがどこかにあるのではないかと思います。 また、身体として生きている私たちは、自分が住んでいる環境や条件によって、幸せや不幸せな気持ちを感じたりします。 つまり、身体は衣食住が満たされていないだけでも、不安な気持ちにならざるをえない構造のなかにあるということです。 意識レベルでは、今それほど困っていなければ、それほど切羽詰まった気持ちにはならないと思いますが、身体と共にある人生のなかでは、自分自身がどれほど頑張ったとしてもどうしようもないと感じる体験もあることでしょう。 このような根源的な不安や恐怖に対して、私たちはどのように対処したらよいのでしょうか? また、人生に必ずつきまとう「生老病死」という四つの苦しみに対して、何か解決策はないのでしょうか? 私は、身体としての私たちにとっては上記の4つの現象は決して避けて通れないと思っています。 それは、かの悟りを開かれた偉大なお釈迦さまでさえも、病に苦しむこともあり、そして身体としての死を迎えられた事実を考えると、どのような聖者であったとしても、肉体としての私たちは、いずれ朽ち果てる存在の状態にある、と言えると思います。 では、そのような問題に対して、私たちはただ指をくわえてその瞬間を見ないようにしたり、どうせ死ぬだけなら、生きている間は楽しめばいい、と考えればよいのでしょうか? もちろん、そのような人生を選択されたとしても、何も悪いことはないでしょう。 でも、人生の暗い側面を見ないようにしたとしても、それで本当に自分自身を納得させることができるのでしょうか? 自らの頭上に、いつ落ちるかわからない剣がぶらさがっているとしたら、やはり誰もその恐怖からは決して逃れることができないように思います。 そのような理由から、私は問題を見ないようにする生き方は、人生の半分しか見ようとしていないのではないかと感じています。 私たちは身体として生きているかぎり、身体が知覚する3種類の感覚体験-「苦(不満足感)、楽、不苦不楽」-を避けて通ることはできません。 そこで、そのような知覚に対して、どのようなあり方ができるのか?というと、真正面から向き合うことこそ、本当の意味での解決策を見いだせる、と個人的に考えています。 それでは、そのような人生で味わう3種の体験を克服し、心の平安を得るために、私たちにいったい何ができるというのでしょうか? そこで、この人生の問題を克服するために、重要な問いが、その前にあると私は感じています。 「身体を感じている私は、本当の自分なのだろうか?」という問いです。 私たちが身体を感じることができるのは、身体からも離れている存在であるから、それを感じるという知覚が存在しているのではないでしょうか? 『現象世界→身体→それを認識する何かがある。』 また、その知覚を感じているのは、いったい何、あるいは誰なのでしょうか? さらに、それが何であるかを人間の言葉で知る前に、私たちは何かを認識するシステム-心-あるいは科学が定義している言葉ではエネルギーと考えることもできると思います。 なぜなら、死体は、身体や脳が物質的にすべてがそろっているにもかかわらず、心あるいはエネルギーがそのなかを流れなくなり、そこから離れているために動かなくなっていると観察できるからです。 現代医学でも、私たちの死を「脳波・心電図、呼吸の停止」などによって、肉体の死を判定します。 つまり、身体とは別のシステムが私たちの存在の本態に近い何かなのかもしれないということです。 『現象世界→身体→身体の死=心あるいは生命エネルギーの身体からの脱出。』 それでは、その心あるいは生命エネルギーはいったいどこへ行ってしまうのでしょうか? 私は、それは時空の世界から離れた存在の状態に戻っているだけだと考えています。 なぜなら、この死とよく似た現象は、私たちが夢を見ていない深い眠りの状態にも同じような状態があるからです。 私たちが深い眠りの状態にあるとき、自分自身の身体も人生さえも忘れた忘却状態にあります。 私はこの存在の状態を「無意識」と考えています。 この深い眠りの状態は、身体から解放され、ある意味でとても幸せな状態でもあると思います。 どんなに人生が楽しかったとしても、知覚による興奮はやがておさまらないと休息ができないからです。 その静けさに溶けこむことにより、身体による制限から毎晩一時的にでも解放されることは、私たちの心にとって重要な時間なのかもしれません。 しかしながら、これは自分が誰であるのかを忘れている状態であり、自分が存在しているのか存在していないかもわからないような状態のなかにあります。 仏教における「無明」「無痴」の本体が、私はここにあると考えています。 また、この無意識、無明、無痴のなかに、私たちの人生だと信じている現象のプログラムが隠されているとも考えています。 このような仮定から、私は、私たちの通常の意識が「意識→潜在意識(身体と心が結びついた瞬間から知覚された全ての体験を記録している心)→身体(無意識の媒体)」という流れがあり、逆に、それを原因から遡るなら、「無意識→心の分裂→投影された様々な次元→物質宇宙→身体(分裂した一つの心の役割とはたらき)→潜在意識→意識」になります。 この構造を理解し、心が知覚しているすべての体験を癒すとき、私たちは人生における四苦さえも超える生き方と心のサイクルから抜け出せると考えています。 ************************************** 今日のチャートは、『52の美徳教育プログラム*リンダ・カヴェリン・ポポフ著・太陽出版』のなかで紹介されているヴァーチューズ(美徳)のカードを入力したものです。 この本はずいぶん前に購入していたにも関わらず、性格的に「美徳・・・なんかきれいごとのように感じる」という思いが心のどこかにあったため、おざなりにしていた本でした。 でも最近、ヒーリングコードとACIMのワークを実践していて、この現実のなかにおける行動ステップと純粋な心-本質-聖霊へと自分自身の思いを近づけていくうえで、具体的に必要な態度である、と再認識するようになりました。 私たちは、肉体をもっている間はこの世の法則のなかにいますし、またそのなかで正しい心のありようというのは必ず存在していると思います。 ですから、純粋な心へと意識・潜在意識・無意識を連れていくための段階として、何が自分のためにならず、何が自分のためになるのかについての具体的な行動指標を持つことも大切だと思うようになりました。 私たちの破壊・破滅的な信念体系の大本は無意識にあると私は考えています。 その破壊・破滅的な信念を癒すためには、心を通して、身体をどのように活用していくかを知ることも大切です。 また、それに気づいたら、意識レベルから潜在意識、無意識へと心をその根源へと移動させていき、その分離意識・闇意識に光をあてていく必要があります。 ヴァーチューズ・カードのエッセンスは、破壊的信念体系を癒したあと、私たちの心を本質的な信念を取り戻す必要があります。 これら美徳の言葉は、その時々で取り戻す必要のある波動的なヒントとして活用できそうです♪
2011.12.09
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最近は、エッセンシャル・プロセス2セミナーを完成させるため、 そして自らの内側に心の平安を見出すために 『ア・コース・イン・ミラクルズ(ACIM)』とヒーリングコードを毎日行い、 まずは自分自身が人生の苦しみを克服するために 何ができるかを正直に見つめ続けています。 私が今までに学び実践してきたスリーインワン・キネシオロジーの技術、 また独学で学んでいるトランザクショナル・アナリシス(交流分析)、 ゲシュタルトセラピー、ミルトン・エリクソン、インクルーシブ・セラピー、 そしてテーラワーダ仏教におけるブッダの実践心理学やヴィパッサナー瞑想などの エッセンスを抽出し、包括的に人生の問題を克服するための体系を 完成しようと情熱を注いでいます。 また、その導入ともいうべき「エッセンシャル・プロセス1セミナー」も、 今回で3年目を迎えようとしています! いまだ「エッセンシャル・プロセス2」が完成していない点を心苦しく感じていますが、 私自身が己の人生のすべてをかけてやり遂げたい仕事と位置づけているため、 受講生のみなさまには申し訳ありませんが、 もうしばらくの熟成期間を設けさせて頂いております。 自分自身に「本当によくやった!」 「この技術が本当の意味で人生の苦しみを克服できる!」 そのような、あまりにも大きな目標をもっているため、 なかなか自分にOKを出せない状態にあります。 それでも来年3月までには必ず完成させる!と決心しています。 すべての人が、健康で、満ち足りた存在であることを自覚できるようになる、 そんな一つの方法とあり方を提供したいと思っています。 今後とも、よろしくお願いします m(_ _)m あと今日の日記では、昨日作成した「EP1セミナー」のチラシも載せておきたいと思います♪ セミナーの日程や具体的な内容につきましては、以下をご参照ください♪ エッセンシャル・プロセス1セミナーの日程
2011.12.02
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今日は、当院の施術内容を簡単にご紹介したいと思います♪ 初回は、60分 \6,000です (当院HPに初回\1,000割引クーポンがありますのでご活用ください。)「ステップ1-立位検査&足関節の調整!」 まず最初に、立位での姿勢のユガミをチェックします。 特に鎖骨上を触診すると、首の筋肉の緊張や肩の高さや厚みの違いがよくわかります。 筋肉反射テストで、立位での重力軸を検査し、足関節の調整を行います。「ステップ2-坐位で、筋反射テストを活用し、全身のゆがみを調整!」 坐位でも、再度、「足部・下腿・膝関節・大腿・股関節・骨盤・脊柱・上肢の関節のゆがみを 筋肉反射テストで調べ、適切な方向へ調整します。「ステップ3-腹臥位(うつぶせ)での調整!」 ◎腹臥位でも、筋肉反射テストで下肢のユガミを調べ調整し、その後、 包みこむように筋肉をマッサージし緩めていきます。 ◎骨盤と脊柱の関節調整をSOT(仙骨後頭骨テクニック)法を行い、 特に仙骨部と第一頚椎は呼吸と深く関係しているので、特に重視しています。 その後、筋肉を緩めていきます。 ◎東洋医学で、その時点で最もエネルギー不足の経絡(ケイラク:気の流れ道)を調整します。 「ステップ4-仰向位(あおむけ)での調整!」 ◎下肢の痛みを取り除くために、各経絡上のツボを筋肉反射で探し、ピンポイントで調整し、 気の流れ道にそってマッサージします。 ◎上肢と肩関節そして胸郭部の関節を調整し、上肢の経絡を調整します。「ステップ5-頚椎の調整!」 ◎ポキポキせずに頚椎のゆがみを全体的に調整していきます。 (頚椎のゆがみがドンドンとれていくのを、必ず実感していただけます。)「ステップ6-全体的な姿勢を再チェック、施術後の状態をクライアントさんに尋ねます! 以上が初回 \6,000、および2回目以降45分コースの\4,500コースの内容です。☆2回目以降は45分コース、20分コースを選べます♪ 画像は「20分コース」の内容です。「岩倉カイロプラクティック院」http://www.iwakura-chiro.com/ 愛知県岩倉市中本町西出口64-7 TEL 0587-37-3996 院長 志村明則 地図http://maps.google.co.jp/maps?client=badoo&um=1&ie=UTF-8&q=%E5%B2%A9%E5%80%89%E5%B8%82+%E6%95%B4%E4%BD%93&fb=1&gl=jp&hq=%E6%95%B4%E4%BD%93&hnear=0x60030b200f4d8551:0x474ec9ca0a7a9d19,%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%B2%A9%E5%80%89%E5%B8%82&sa=X&ei=Jx7WTqTIM6TFmQW-5Llp&ved=0CAUQyBM
2011.11.30
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