ラッコの映画生活

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2008.07.05
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カテゴリ: 日本映画
CEUX D'AUJOURD'HUI
Minoru Shibuya
白黒112min(スタンダード、日本語)
(桜坂劇場 ホールCにて)

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見応えのある作品で、感心・感動しました。戦後50年代、60年代、まだ自分が生まれる以前、あるいは幼かった頃の日本映画、大映作品はテレビやビデオでずいぶんと見ていますが、松竹作品はあまり見ていませんね。映画の上映が始まって、まず富士山の松竹ロゴ画面なのだけれど、右下に「1952」と見慣れぬ数字。と続いて「CEUX D'AUJOURD'HUI」とフランス語のタイトル。あれっ?、って思っているとキャスト・スタッフのクレジットもすべてフランス語とローマ字。なんとフランス版プリントだったんですね。全編画面下にはフランス語のセリフ字幕が入っていた。それで帰ってネットで調べたら、1953年第6回カンヌ国際映画祭・正式出品作品だった。この年のカンヌには日本からは他に新藤兼人『原爆の子』と衣笠貞之助『大仏開眼』が出品されている。ちなみに最高賞(当時はグランプリで、まだパルムドールではなかった)は クルーゾーの『恐怖の報酬』 が受賞した。この時の審査委員長はジャン・コクトーで、以下審査員もほとんどフランス人だった。非フランス語系の人は米俳優エドワード・G・ロビンソンぐらいだ。なのでこのフランス語版プリントはカンヌ仕様なのかも知れない。

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既に余談気味だけれど、更に脱線するなら、この当時のカンヌ出品作の選定がどうなっていたかはわからないが、1952年の松竹の出品作品は中村登の『波』で、1953年がこの『現代人』だ。後に世界的名作となる同じ1952年松竹作品の 『東京物語』 は選定されていない。小津のこの作品がフランスで公開されたのは25年後の1978年。それまでほとんど小津の映画はヨーロッパでは知られていなかった。もしも1953年のカンヌで『東京物語』が上映されていたら・・、なんて考えるとちょっと面白い。この時点では全く無視された可能性だってある。

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さて『現代人』。映画の中にもセリフとして出てくる「アプレ」といいう言葉。アプレ・ゲール(仏:apres-guerre)すなわち戦後という意味で、戦前と価値観が一変し、既存の道徳観のなくなった若者をさす言葉として戦後流行した言葉らしい。そういったものを「現代人」と呼んだタイトルだろうが、公式のフランス語タイトルは複数になっているから、池部良演じる小田切徹をとりわけ指しているものではないだろう。国土省建設局。課長の萩野(山村聡)の妻は胸を患い療養所に入っていて、年頃の娘・泉(小林トシ子)と2人暮らし。土建屋の岩光(多々良純)に付け込まれ、入札を操作するなどして岩光に仕事を回し、賄賂を受け取っていた。療養所の費用も必要だし、岩光に紹介された銀座のクラブのマダム・品子(山田五十鈴)との愛人関係にもお金が必要だった。一緒に汚職をしていた主任の三好が配置変えになったのを期に萩野は岩光と手を切ろうとするがなかなか上手くはいかない。三好の後任は小田切(池部良)。真面目な青年と思われたが、意外と簡単に岩光との関係を築いて小遣い稼ぎをスマートにやってのける。そのドライさは「アプレ」っていうことなのだろうが、小田切の父親は赤本出版をしていて、ガード下の作業場兼住居の劣悪環境の中で家族は貧乏暮しをしていた。小田切はそれを見て、地道に役所の安月給で生きるなんていうのはアホらしくなったんでしょうね。この辺の一種の当然の理由、そういう社会に対する批判も込められている感じです。

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(以下ネタバレ)
そのやり方はアプレ的に実にドライ。岩光の方は自分が一手に汚職の相手を引き受けることで萩野を解放しようとする。品子の方は、彼女を誘惑して寝取ってしまうという形で萩野と別れさす。でもそれが済むと品子をポイなんですね。しかし品子のバーで岩光と飲んでいて、酔っぱらってわけもわからずに小田切は岩光を殺してしまう。逃げてもどうせいずれは捕まる。事件が明るみに出れば泉の父の汚職も世間にばれてしまう。そこで早朝の役所に行って彼は証拠隠滅を計ろうとする。でも問題の書類は鍵のかかった萩野のデスクの引き出しの中。時間も迫る中、彼はガソリンを撒いて火を放つ。逮捕された彼は汚職、殺人、放火だから、当然に死刑判決を受ける。世間は隠された事情は知らないから、新聞は「アプレの犯罪」とまくしたてた。一種の自暴自棄状態。父の出版社に出版させようという「死刑囚の手記」に、「今日は泉さんが面会に来てくれた」と愛の喜びをしたためていた。泉の母は病状が悪化して死んでしまい、泉の夢は叶わないのだけれど、父と娘は父が自首して真実を語ることを語り合うのだった。

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山田五十鈴と言うと自分にとっては気っ風のいい粋な姉さん、でもかなり老けたおばさんやおばあさんの役のイメージが強いのだけれど、このとき35才ぐらい。小田切という若造に騙されたと知りながら、泉を思う彼の気持ちを受け止めて事件の背景は何も話さないと小田切に約束する。この辺の心理を演じる山田の貫禄と演技には目を見張るものがありました。娯楽映画であるのに、社会派でもある内容、そして何よりもこの映画で描かれた倫理性っていうのが良かったですね。昔の日本映画というのはこうだったんですね。やはり何処か一本筋が入っているという感じです。ホームドラマである『東京物語』ではなく、この作品をカンヌに持って行きたかった松竹の首脳陣の気持ちもわかるような気がします。そのままフランス映画としてリメイク出来そうな内容と言えるかも知れません。どうして最近の日本映画は、真面目そうな内容でもオチャラけた、そして何よりも薄っぺらい作品が多くなってしまったのでしょうか。

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Last updated  2008.07.18 20:26:42
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