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今夜は、私両親について、忌憚のない意見を書き連ねてみようかと思う。感情的になりすぎず、しかも冷淡にもならず、よい意味で冷静に自分の両親のことを語れる年代に、私もそろそろ差し掛かる時期になりつつあるということだろう。私の父は、現在の文部科学省の下級官僚で、のちにとある女子大の大学教授となった。母は若い時分幼稚園の先生をしており、父と結婚して専業主婦となった。――なんて書くと、それなりのイメージを抱かれるやもしれないが、2人とも北海道の炭鉱町の出身である。しかも母の場合は、カラフトからの引き揚げ者だ。私の両親は幼馴染で、戸籍的には親戚にあたる。というのも父が養子に入った家というのが、母の母の妹の家だったからだ。ワケがわからないに違いない(笑) つまり、私の父と母は戸籍上は従兄同士にあたるワケ。父の父、つまり私の父方の祖父にあたる人だが、この人は私の祖母と4人の子を成しながら、家族を捨て、戦争中のドサクサに紛れて故郷・九州で他の女性と別に世帯を持った。その後、父の母は4人の子供たちを養うために働きづめで、結局結核を患って死んでしまった。父はいつものように朝起きて、隣に寝ていた自分の母親を起こそうとしたら死んでいたそうである。呼んでも揺さぶっても母親が起きない。冷たく微動だにしない母親を前にした時、その瞬間父は、どんな感情にとらわれたのだろうか? 私にはまったく想像がつかない。その後、4人兄弟はそれぞれ別に家に引き取られていった。父が最終的に落ち着いたのが、母の母、つまり私の母方の祖母の妹の家だった。縁もゆかりもなかった祖母の妹の家に、なぜ私の父がもらわれることになったのか? その祖母の妹という人は、とてつもなく太っ腹で鷹揚な親分肌な人で、私の父が優秀だったこともあり、その将来性を見込んで、夫の反対を押し切って養子にしたそうだ。父だけでなく、この家にはもうひとり養子がいる。父の戸籍上の兄弟は4人、父が長男で、二男もまた養子、三男、四男が実子である。対して母である。母の母の母、つまり私の曽祖母は、ある時、本土から娘をひとり連れて津軽海峡を越えて北海道にやって来た。この時連れていたのが私の祖母であった。その連絡船の中で生き倒れとなり、ある男性がこの曽祖母を助けたのである。 これが縁で2人は結婚することになった。2人の間に生まれた娘が、のちに私の父の義母になる人であった。祖母は連れ子だったので、新しい父親にうとまれ、いじめ抜かれたらしい。過酷な環境が災いして、この祖母は伸び伸びと育つことなく、ある意味精神が委縮したまま嫁に行った。そこで生まれたのが私の母だ。こんな事情で、私の父と母は、幼い頃から親しくなかったものの、それなりに見聞きする仲ではあったらしい。こんな2人が結婚して、私と弟が生まれたと。ある意味、この2人は欠陥の目立つ環境で育ってきた。私の父は言うに及ばず、母の母、つまり祖母も心に癒せない飢えと乾きを抱えていた人だった。本来、欠けた個所を補うような結婚は理想的だが、欠けた同士、相憐れむ結婚というのは多々問題が生じると思う。実際、私の両親もそうだった。2人ともそう悪い人たちではないのだが、何か欠けたもの同士なのだ。たとえば子供に対して、才能や財産なのど、自分の持っているものを子供に継承させるという思いが微塵もない夫婦なのである。これは、私も人の親になって改めて自分の両親に対して腑に落ちない点のひとつだ。私の父親は、学歴だけでのし上がってきた人間なのだが、それを子供に継承する気がない。自分は自分、(実子も含め)他人は他人という感じ。改めて、私の曽祖母や祖母たちの話を書いていると、なんか気が遠くなるような思いだ。妻子を捨てて九州に逃げて行った男や、身を粉にして働いて息絶えた女や、娘を連れて津軽海峡を渡った女や、縁もゆかりもない子供を自分との子として引き取った女、それらすべての人の血が私の中に流れ込み、そして私の娘の中で脈々と生き抜いているかとも思うと――。
2010.01.26
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クラシックの素養は全くないけれど、好きな楽曲はいつくかある。好きな楽曲を挙げておこうと思う。サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」ションパンの「雨だれ」ベートーベンの「月光」フォーレの「パヴァーヌ」並べてみるとなんか孤独な感じの楽曲ばかり(笑) なんでだろう?さて、唐突だが、こんで無理やり人を感性で分けてみる(笑)私は、映像、音楽、文字で分けられると思っている。フラーライターという仕事をしている私だが、完全に映像派である。すべてを映像で解釈するからだ。たぶん音楽派の人は音で解釈するだろうし、文字派の人は言葉で解釈するに違いない。
2010.01.25
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中高年層対象の音楽雑誌のライターの仕事を請け負うようになってここ1年ぐらい、演歌心がわからないと悲観的に考えることが多かった。でも考えてみれば、音楽という括りの中で「演歌」とか「ロック」とか「クラシック」なんてささいな違いだったのかもしれない。音楽を聴いて心震わせるのはジャンルに関係なくあることで、大切なことは音楽が人に及ぼすすばらしい影響だよなぁという非常に当たり前のことに最近やっと気がついた。演歌の良さがわからないのではなくて、演歌で何でも、楽曲聞いて自分が感じたことを素直に受け取ればよかったのだ。なんだ、簡単なことじゃないの。私ってば若い頃から頭でっかちのところがあるんだよね。
2010.01.24
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先週は、ソニーエンターテイメントの伍代夏子さんと石原詢子さんを違う雑誌の仕事で取材した。演歌の魅力が欠片もわからない私だが、どちらの女性も人間的な魅力は十二分に伝わってくる。だから出来る限りその魅力と、できれば音楽の魅力も伝えられればと思う。両親共に演歌嫌いで、演歌が流れるとチャンネルを変えるという家庭で育った。これで私が演歌好きになれたら、それは奇跡としか言いようがない。対して、母はクラシック好きなだったので、むやみやたらにクラシックが流れているうちだった。そのおかげで、私自身は楽器を習ったことがなく音楽の素養が全くないのに、クラシックのコンサートで退屈な思いをしたことがない。環境とは、親の教育とは本当に恐ろしい。
2010.01.21
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人生において自分自身と闘うことは大切な気がする。対して、他人と戦うことはあまり意味がないかもしれない。できれば他人との闘争は避けた方が無難だ。自分自身と闘うことと他人と戦うことは混同しやすい。そこは明確に分けて行動するぺきだろう。他人との戦いは相手をやり込めることが目的になる。自分との闘いは、目的を達成するために自分の弱さを克服すること。私は気が弱く意思も弱い人間なのど、他人との戦いも自分との闘争も苦手である。だから出来る限りそれを避けようとする。だけど鼻っ柱が強いところがあるので、若い頃は売られたケンカは出来る限り買っていた。でも今は年齢を重ねそれも避けようというところがある。だから自分との闘いなんてもってのほかなのだが(笑)、こちらは買ってでもやるべきだと思う。対して、人との戦いはケースバイケースだろう。自分との闘いは出来る限りやること。人との戦いはケースバイケースで、他に選択肢がなくなった時に受けて立つ。
2010.01.09
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文筆業家になりたかったかと言われれば、そんな大望を抱いたことはないような気がする。じゃあなんでフリーライターになったかと言われれば、椎間板ヘルニアという病気に罹り会社員を続けられなくなって、なだれ込むようにこの仕事に就いてしまったとしか言いようがない。たぶん私は物書きとしての資質がなければ野心もない。言葉ひとつひとつを吟味できるこだわりも感性も持ち合わせていないような気がする。私が最も重視するのは、完成したものの全体像だ。仕事に限らず、私は完成したものを俯瞰して見る習性があるように思う。たぶんこの資質は、よく言えば編集者向きなんだろう。ただ、編集者に不可欠な社交性とか調整能力に欠ける。絶望的に欠ける。つまり私は、文筆業としても編集者としても適正に欠ける人間なのかもしれない。それでも、ひとつの記事が完成した時のあの充実感が忘れられない。どんな小さな記事でも、私は完成した姿が好きだ。この充実感を得られるなら、書籍や雑誌の記事じゃなくてもよかったのかもね。単純に「ものづくり」が好きなのかもしれない。それは、絵画でも写真でも書道でも料理でもなんでもよかったのかもね。私の娘もモノづくりが好きな子だ。年賀状も書道も、友達との交換日記も、とにかくこだわり抜いて制作している。私の血が娘へと脈々と受け継がれている。
2010.01.08
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あけましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。 加藤美保
2010.01.01
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