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それはまだ、都会なんて行く勇気もなく、田舎暮らしで、親の言いつけ守っていい子でおとなしく過ごしていた時代。音楽は専ら、ベストテンだの何だのほとんど日本の歌謡曲が興味の対象だった私が、初めて魂揺さぶられたきっかけとなった洋楽アーティストのひとりが、彼だった。あの頃の見た目と歌と演奏とパフォーマンスのすべての衝撃はあまりにも刺激が強すぎて、直視するのが無理だった。だから表向きにはビリー・ジョエルが好きだと見せつつ、まるで覗き見でもするようこっそりと、密かに彼にハマっていった。そんな彼の魔力は、一度足を踏み込んだら最後、どんどん深みに陥るもの凄いパワーを有し、年頃の娘になってからもますます妙な力に引き寄せられ、遂には私を音楽業界の道に進ませる原動力の一端を担うまでに・・・私の属する集団程度では、ちろん本人に直接会えるような機会も巡ってくるはずなんかない。それでも、初めに担当したレコード会社が彼の当時在籍するメーカーだった事、そしてそこの洋楽部門の幹部のおじさん達に、とても可愛がられたせいで、なんだかちょっとは近づけたような勘違いさえしたものだ。お蔭で仕事を通じて、ご招待席でライブを観るチャンスも貰えたのは、今も貴重な想い出に。プライベートと仕事で、人生でたった3度だけ。彼のライブを日本で観た。どれも今でも忘れられない。目をつぶれば蘇る。たしかに 彼は 生きていた。それが、今日になり、突然耳に飛び込んできた信じられない報せに、ひどく動揺することになるなんて・・・・・・たまたま休みで家に居たダンナがTVを観ていて、家事をしている私のもとに血相変えてやって来た。「大変だ! PRINCEが!! 早く来て!!!」何? 何?と、TVニュースに目をやると、なんと敬愛すべき音楽の神様が、急逝したとか妙な事! 嫌だ、そんな、悪いジョウダン。でも今日一日どこのニュースを観ても、死んだ死んだと言っている。嘘だ。絶対に信じない! 何度も繰り返してみたけれど、事実は変わらず・・・・・・あの唯一無二の音楽の天才は、こんなにも急ぎ足で、この世から旅立ってしまった。一週間前、ネットニュースでたまたま、ツアー中インフルエンザと脱水症で救急搬送との記事を読み、心配したのはしたけれど・・・・・まさかあのパワフルなステージを魅せる彼に限って、絶対にこのまま帰らぬ人になるなど誰が想像しただろう? 自宅兼スタジオの、エレベーター内で倒れていたと聞く。去年2枚の作品を出してもなお、彼はまだ、もっと素晴らしい音楽を作り続けようとしていたんだ。5月に控えた日本版アルバムが、遺作になってしまうなんて。さらに無理をしてまで伝えたい想いがあったのかと思うと、なんとも言えない気持ちになる。実際の彼は、とても穏やかで、声もすごく小さく、あのステージ上のPRINCEとはまったく違うと聞いた事がある。小柄な人だし、誰よりも繊細だから、音楽への情熱を武器にしてもやはり病には克てなかったんだろうか?映像や歌が流れる度に、涙が溢れてくる。「パープルレイン」を聴きながら、夫婦で静かに献杯した。共に偲べる人が、今日すぐそばに居てくれてよかった。ひとりでは抱えきれない。R.I.P.なんか ほんとは 言いたくない!!!彼の音楽は、永遠にここにある。彼の代わりは、誰にもできない。彼を超える天才はもう、残念ながら生まれないだろう。彼を失った穴が大きすぎて、まだ戸惑っている。音楽界が失くしたものは、あまりにも大きい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年は二本も届いたから、タケノコまつりが続いております。」
2016.04.22
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専門家とやらが、世界各地いや日本国内だけでも結構な数居るみたいなのに、なぜこんなにも予知することがいまだに難しいのだろう? ニュースで悲惨な光景を目にする度、怒りさえ込み上げてくる。「備えあれば憂いなし」なんて言葉を子供の頃に覚えたとしても、これだけ想像をはるかに超える震災の前じゃ、何の役も立たないじゃないか。始まりはちょうど実家の母から電話がかかり、互いの近況だのを話している最中だった。「地震や。大きい。怖えぇ・・・な。まだ揺れよん。」急に受話器の向こうで、慌てだした母。そのまま待たせて、TVの電源を入れると、なんと我が故郷と地続きの場所を震源とする大きな地震が起きてるではないか!以来、動き続け今日まで3日間。間隔は空くどころかまったくおさまる気配もなくわずか10分、5分刻みで、グラグラと大きく地を揺さぶり続ける。しかもあの一度目は前震で、土曜になり更に本震と呼ばれる大きな揺れがあるなんて。地震の起きやすい土地で生まれ育ったし、東日本の影響も含め震度5程度は実際経験したが、こんな小刻みにねちねちと何日も続く地震など、考えたことがなかった。阪神淡路大震災と同レベルと、今日になって知り、毎日ニュースで見る度、あの美しい自然の残る九州が、みるみる壊されていくのが悲しくてやりきれない。たとえそれが、天災だとしても。ここまで破壊されるのは、悔しいし怒りさえ・・・・・・毎日弟とメールで、頻繁に連絡を取り合い、実家や現地の様子を聞いている。阿蘇山が噴火したはずみで、その先に連なる故郷の山山も暴れ出したら・・・・・・「他県への避難も考えないといけない」そんなもしもの話さえ、現実になりそうで。震源から離れた我が家でも、揺れてばかりいるから薬と病院が命綱である母をひとりで抱える弟は、「余震余震であまり眠れていない」と言う。現地の被災者の方達の多くは、屋根もない場所で寝泊まりしている。そんな映像を見るのは、とても辛い。なのについに、雨まで降り始め・・・・・・その雨よ、もう、降らないで。これ以上、みんなを苦しめないで。熊本は修学旅行とLIVE取材の出張で、二度しか訪れてない街だけど私にとっては、とても想い出深い場所。縁のある人も何人か居る。まさかあの、大好きな、鉄壁の守りと言われた熊本城がこんなにも脆く崩れてしまうなんて。父との想い出のある山並みのラインが見事なあのドライブコースが、あんな無残な姿になろうとは。私はあまりにも無力で、ここでこうして、ただただみんなの無事を強く願うことしかできないけれど。自分なりにできることで、精一杯尽くしたい。一日も早く、安心して暮らせる明るく美しい九州に戻ってほしい。どうかこのまま何事もなく、おさまってくれますように。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「久々、弁当作り復活。手抜き上等!」
2016.04.16
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退院時から、というか多分、術中から使っていたモルヒネ等の麻酔の切れた頃から頭痛がとんでもなく酷く、一時は首や肩までカチカチで、それは腹部の予想される痛みなんかよりはるかに重く、キツくて辛いものだった。鎮痛剤の力でも抑えられない不快感。それがこの手術を受けたことと引き換えに、私に与えられた副作用のひとつなのかそれさえ判らない。とにかく毎日、頭を取り替えてほしいと思う程、かなり苦しい数日が過ぎた。肝心の手術をした患部周辺の痛みは、おそらく医師も不思議に思う程の軽さだろう。もちろん時々急に、シクシク、ジンジン、ツンツンと疼きだしたり痺れるような気持ち悪さもあるにはあるが。覚悟していた痛みのレベルとは、比べものにならない軽度のものと思われる。続いていた微熱もすんなり、おとなしく引いていったし。だから今すぐにでも、仕事復帰したい気分。けど、そう簡単には無理なのもなんとなく、解ってはいる。悩まされた頭痛が今朝まで続き、午後になりやっとやっと頭に爽快感が戻った。あれからだいぶ経つが、これまで頭のどこかにモヤモヤとした痛みの芯のようなものがずっと残っていたのが、ここにきてようやく、スッキリ消え去り、霧が晴れてくれた。頭痛薬に依存するのは避けたかったから、それを使う前に、なんとかここまで回復できてひと安心。でも入れ替わりに、今度は手術器具を使った辺りに疼きが出るように・・・調子に乗って体を動かしていると、う‘‘う‘‘っと唸ることになり。ああそうだ、この辺りに器具を入れたんだった・・・と、気づくことになる。傷口はもう、ほんのわずかなカサブタとなり、パッと見気づかないくらいなのだが。でもまだ、油断は禁物な時期なのは確か。開腹手術をしてたらまだ、ひとりで歩くのもままならないとこだったけど、今まだ痛みを時々ところどころ感じながらも、普通に家事したり近所に買い物に行けるまでに戻れたのは、ありがたい。焦る気持ちもあるが、今はゆっくり歩いていくしかない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「美容室に行って間もないのに、道端の美容師さんがビラをくれる。」
2016.04.12
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調べに調べ、悩みに悩み、そして半年以上かけていくつかの病院で専門医の意見を様々聞き、やっとの思いで臨んだ再手術の山を越えた。完治することはないこの病とつき合うようになってから、20年もの月日が流れ。その間、心身にダメージのある投薬治療を、症状が悪化する度に何年何度と繰り返し、それでも逃げ切れず、なす術なく開腹手術に踏み切ったのが、14年前の春。結局悪いところのすべてを取り除けず、再発も告知されてたから、いずれまた同じ悩みに縛られる日が来るのは覚悟してた。けどできれば、避けたかった。でもこれが私の運命。いつだって好い事より試練の方が、いくらか多くやって来る。絶望に似た感情が無数の腫瘍と共に膨らんでいく日々の中、やっと見つけた一筋の光。それが今回受けた特殊な手技による手術だった。長年通い続け、治療や検査の度に穏やかに励ましてくれた婦人科医に提案された二度目の開腹手術のリスクより、成功すればあらゆる意味で、負担が少ない。ただ、私の症状がふつうのこのテの患者とは、だいぶ異なる珍しい問題を抱えてて、尋ねる医師の多くが「やってみなければ、わからない」と、微妙な判定をしたのも事実。素人ながら私も沢山の声をネット上で拾い、自分のケースを当てはめては、このまま一気に進むべきかリスクをとらず諦めるべきか、考えあぐね・・・・・・決め手は、最後に出逢った医師の心強いひとことだった。「あなたの場合、問題も多いけど、今ある腫瘍は【全部】やっつけられますよ!」嘘偽りのない歯切れのいい声。笑顔で私の目を見て真っ直ぐに、彼は言い切った。医者が患者に対し断言を避けるのは、どこの病院を回っても同じで、万一起こりうる術後のトラブルを避けようとするのは、仕方のない事。でも彼には迷いがなかった。勢いで言ってるとも思えない素直な言葉の響き。気づけば1時間以上も彼と話し込んでいた。私の不安を色んな角度からぶつけても、ぽんぽんと迷いなくストレートに球を投げ返してくれるこの潔さと漲る自信に、(大げさかもしれないけど)彼になら、命を預けてもいい、と本気で思えた。直前に度重なるハプニングもあり、果たしてこの選択が正しかったのか?と、一瞬動揺もしたが、入院先の部屋に入り、オペ準備を始める頃にはもう前しか見えなかった。あとはまな板の上の、である。人生初の部分麻酔による手術台。麻酔のためうつらうつらしているものの、手術中のスタッフ同士のやりとりも、オペの実感も、何から何までよくわかる。ほんの少しでも動いては死んでしまうので、眠気と闘いながらも必死に体をガードして。時々先生や看護師の呼びかけに応えつつ、ひたすらひたすら終わりを待つ。長いような短いような、とにかく人生初めての特別な経験をしたことは確か。通常30分~1時間のオペが、2時間かかったと、後でダンナに聞いた。やはり私の症状は、先生の言うとおり厄介だったんだな。それでも執刀医は、安心できる説明を手術直後の耳元で誠実に聞かせてくれた。術後それなりに痛かったり苦しかったり熱も出て、随分その夜はジタバタしたけれど・・・・・・それもどうにか。薬でどうにかなるレベル。普通でも痛いのに、あなたのはモルヒネも効かないかも。それでも受けますか?と、先生に警告された想像もできない激痛とは、おそらく無縁の普通の痛みだったと思う。お蔭で目標どおり、超短期入院で終えることができた。こんなにあっという間に安全に受けられたのなら、もっと早くに決断すればよかった。でも、今なんだと思う。今だからこうして、信頼できる先生に巡り合い、信頼できる最新医療を選べるチャンスをもらえた。この手術の効果が私の症状に○か×か、わかってくるのは、もう少し先になる。けれど、すべては偶然のようで必然なのだから、今、この決断をしたのは私にとって間違いなかった、と信じたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ただ今巣篭り中。運動不足のため、エアロバイク欲しい熱、上昇中。」
2016.04.02
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