全26件 (26件中 1-26件目)
1
少年女子…”しょうねんじょし”なんじゃこれ!ニューハーフでもあるまいし…もう、何とかして欲しいですね。今年は大谷の単独チームでした。中野・吉國・鈴木選手の3名で頑張り、5位となりました。おめでとうございます。ご当地、新潟には敗れましたが、市川選手を擁する愛知に勝ったのは素晴らしいですね、吉國・鈴木のダブルスがよく頑張ったと思います。
September 30, 2009
逆単身赴任になって数ヶ月した頃、新聞をやめました。札幌から帰ると、毎回3日分とか2日分の新聞が郵便受けに入っております。2日も前の事を振り返るために読む”新聞”なんて、なんの意味もございませんのと、泥棒に留守を教えるようなものですので、新聞屋さんに、毎週土日は新聞を休めないかと相談したところ…「お出かけの際に”毎回”ご連絡いただければ、お止めします。料金は引けませんけど…」と、ご返事をいただきました。毎回のご連絡はもちろん面倒なのと、聞きもしないのに、料金は”引けません”と、先に言われたことに、少々へそを曲げて…(もちろん安くなりますか?と聞こうとは思っておりましたが)「ああそれでは、今日で契約を解除して下さい、よろしくお願い致します。」と、丁重にお断りいたしました。まぁネットもあるし、職場へ行けば読めるからよいと思っておりましたが、これが…思い切り不便です。油断するとすぐに「浦島太郎」状態に陥り、朝の話題についていけないことが、よくあるのです。まぁ芸能ネタなんかは、どうでもよいですけれど…それなりの年齢になって、わかっていなくてはならない事等の情報に遅れを取ってしまいますと、周囲のわたくしを見る目が「アホ」と言っているように思えて、やはり新聞は取った方がよいかなぁ~なんて思ったりします。でも、今更「あの、又、取りますので」なんて言うのは悔しいので、まだしばらくは、日本人の常識が伝わらない状態で、日々を過ごそうと思っております。
September 30, 2009
献血で400グラムは痩せているはずだったので、銭湯で体重計に上がると…やはり少々痩せておりました!でも看護士さんが、「水分を補給するとすぐに戻りますよ」といっておりましたので…自宅で冷たい”麦茶”を飲むと、もう戻っていると思います。でも、今朝言いたかったのは、体重減ではなく”麦茶”を飲んだということです。やれば出来るようです。今日から”禁酒”いたします”断酒”と言ってもよいですね。あっ!勘違いしないでくださいね、家で呑まないということですよ、サラリーマン社会に生きるわたくしですので”付き合い”で、やむを得なく呑むことだけは、やめるわけにはいきませんからね…しょうがありません…
September 30, 2009
献血をいたしました…生まれて初めてでした。決して、注射が怖いからじゃなりませんよ…ええ…決して違います。手続きが終わり、バスにのると、看護士さんが優しく「針が太いので、最初は痛いですけど、すぐ痛くなくなります。時間も5分くらいですよ」(^_^) というので、安心して献血しました。でも、終わったら、思いっきり汗をかいておりました。でも、これで、今まで怖かったものを、一つ解消しました。さぁ~これからも、苦手を克服するために版張るぞ!!!さっそく今晩は、苦手な「焼酎のお湯割り」を、克服するために頑張ってみたいと思います。皆さん、応援して下さいね!!!
September 29, 2009
夕方電話が鳴り、友人宅に招かれ、ジンギスカンをご馳走になってしまいました。ビールと芋焼酎を少々、その後ウイスキーを少々いただきました。友人夫婦とわたくしで「2キロ」は食べ過ぎですね…しかし、昨日今週は呑まないと、いったばかりなのに…
September 29, 2009
いよいよ「天高く熊肥える秋」となります。当初の予定ですと、今頃はげっそりと痩せているはずだったのですが…予想どおりの体重となっております。これからは冬に向かって脂肪をたくわえなくてはなりませんので、冬眠前には、バターを5,6本一気食いすることになります。いよいよ、大きくなるわけです。楽しみですね(^_^)vが…(^_^)v こんな感じになるということです。話は全然変わりますが、秋が深まると、こんな脳天気なわたくしでも、なんとなく寂しくなります。子供達が、札幌に出て行って1年半が経過しました。毎日、楽なし「苦苦苦」で頑張っておりますが、今考えますと「ど田舎のガキ」が中学から、200キロも南進して卓球のために札幌まで出て行ったのですから、それだけでも、その気合いに驚きます。たまに、子供部屋に入ると、毎日一緒にプレハブで頑張っていた子供達を思い出しますが、札幌でも必死で頑張っておりますので、遠い北の果てから応援する毎日はまだまだ続きますね。それにしても、このところ、呑みすぎてしまったのか、体調がよくありません。今週こそ、呑まずにいることにします。追伸:今日から長女は修学旅行です。卓球以外で道外に出るのは初めての事となります。楽しく社会勉強をして来てくれるとよいと思っております。
September 28, 2009
19日の土曜日と日曜日は「アラキ杯」が開催されましたので「ノースJr・円山連合軍」で出場し、団体戦で3位に入賞いたしました。個人戦では、江卓会所属でカデット2位の選手に1-3、落としたセットも中々よい試合をしておりました。また「ノースシニア」が一般で準優勝しましたので、賞品を山分けしていただき我が家の冷蔵庫は、果物で一杯になりました。賞品は卓球用品が普通ですが、たまにはこんな賞品も嬉しいですね。会場で荒木先生とお話ししたところによりますと、「団体戦では、チームの構成人数も違うので、今回は果物にしました、面白いでしょう」といっておりました。団体戦も試合が中盤になると、コートを1列、そしてまた試合が進むと2列を空け、自由に練習試合をさせておりました、時間のロスがない、素晴らしい企画でした。終了後は、駒沢高校の男女がコートに入り申し込み試合がはじまり、参加していた選手達は、先を争ってコートに入っておりました。拓蒼は最初に荒木選手に挑戦しました。我が家の子供達は、ファイナルウィン時代から「智さん」と呼び、優しい彼を慕っております。その智君も来春には岐阜へ旅立ちます。A大のエースに成長してくれることをお祈りいたしております。もちろん試合は、相手になりませんが、拓蒼は「1本だけ智さんの爆裂バックドライブをブロック出来た!と喜んでおりました。」他にも、松田君をはじめとして多くの選手と試合をしていただきました。ありがとうございました。士別在住の頃は、月に最低2回は、空知・北見・旭川・後志・苫小牧・室蘭と三人を連れて多くの試合経験を積んでおりましたが、札幌に来てからはその機会もぐっと少なくなっております。引率は大変ですが、面倒くさいなんて事は、いっていられませんので、これからは、以前のように数多くの試合に出場しようと考えております。(大会情報をいただけると幸いです。)【注意事項】皆さん気を付けましょう!!!「白木屋」の飲み放題は、完全に誇大広告です。120分時間飲み放題!なのに、「30分前が飲み物のラストオーダー」ですって!それは90分飲み放題と、いうことですよね…席料も525円と札幌の居酒屋にしては高額ですしねぇ~90分では…ビール3杯に、芋焼酎を10杯くらいしか呑めませんよ…まったく~インチキ商法なんだから!!!
September 25, 2009
風邪ではなく…カラオケです…
September 25, 2009
お久し振りでございます。わたくしは、シルバーウィーク五日間を、札幌で過ごさせていただきました。土・日は、あの丹羽君を育てた荒木先生が主催した「アラキ杯」がありましたので、二日間大会会場に通いました。荒木先生とは久しぶりにじっくりお話しをさせていただきました。月曜日は何もなく、朝から歩夢と公園に行ったりして過ごしておりました。(思いっきり二日酔いでしたが…)合宿中の長男の練習を見に行った夕方ですが、着信音がなったので携帯を見ると「某通信大手企業社長“付き人”・H塾頭」と出ております。こんな早い時間から、また栃木の道場で酔っぱらってるな?と、しぶしぶ電話に出ると…「おい、熊!何してる?どうせ暇なんだろう?そうだろう!」…いつもながら、完全に断定的にお話しをされます。世界は、間違いなく自分中心に回っていると信じ込んでいる種族の特性ですので、今更気にもいたしませんが、この日はいつにも増してその話し声が、大きさだけでなく“語気”にも力があります。これは何かあると思いながらも、「どうしました?何かありましたか?と聞くと」「ほら、今から電話変わるからな!いつも、俺には用事はない、有名選手のお父さんとかと呑むときに電話よこせとか、生意気な事ばかり言いやがって、ほらっ!今から代わるからなっ」と、わたくしを、下僕か何かだと思っていなければ出てこないような罵詈雑言を、いつものように浴びせるてくるのですが…その後すぐに…「今晩は、いつもH田と“卓球論”では喧嘩しながら呑んでいる“さやかの父”です。」「さやか」で「青木」を連想するようでは、この世界で生息することは許されません。すぐに「さやか」を「早矢香」に頭の中で変換いたしました。頭の中のエンターキーを叩き終わった瞬間に…あの鬼も裸足で逃げ出すほどの気迫一杯の“ガッツポーズ”が目に浮かんできて、思わず絶句いたしましたが、すぐにその状況に嬉くなり「今晩は~偉大な日本チャンピオン平野早矢香さんのお父様ですか。これは、これは、なんといってよいか!感動で言葉もありません。もう~ええ、ええ~いつも応援しております。」と、普段は、高倉健のように寡黙なわたくしが、この時ばかりは、もののけ姫をオリジナルキーで歌えそうな高い声で、少しの時間でしたが、楽しくお話しさせていただきました。優勝インタビューなどでのしっかりとした礼儀正しい受け答えも、ご幼少の頃からの教育のたまものであったことが、お話しをしてうかがい知ることができました。弟の友樹選手のもの凄いファイター振りも、早矢香選手が、いつも卓球王国などの写真で見せる“限界まで見開いた目のガッツポーズ”も、わたくしは大好きなのですが、やはりこういった気迫も、お父様の教育のたまものであると感じたわけであります。しかし…いつものように余計な話ですが…何年か後に卓球王国で「平野早矢香さん。ご結婚おめでとう!」などと、その時の披露宴の写真が掲載される時にそのままですと…「平野!闘魂結婚式!友人代表に樋浦乱入!」などと「東スポ」まがいの見出しが付いてしまいますので、お気をつけ下さい。お母様ともお話しをさせていただきました。どうしたことか“付き人”のことを、先輩などと呼んでおりました…お聞き致しますと、“付き人”が、高校の卓球部の1年先輩ということでした。この事実だけは、平野家にとっては、まことに残念としか、いいようがありません。まだ数年間のお付き合いのわたくしでさえ、いつも下僕並の扱いであり、日々辛い日を送っているのに、高校時代そして現在に至るまで、今までさぞやご苦労されただろうと、その心中をお察しいたしました。いつでしたか“先輩”が「早矢香にアドバイスしたら、はいわかりました。と、言っていた。はっはっはっ~どうだ、すごいだろ熊?」と、恐ろしいことをほざいておりました。お母様は、本当に優しい声でして、平野選手が、全日本ホープス神戸の会場に講習会で来ていた時に、子供達にサインをしていたあの優しい笑顔は、お母様の教育のたまものであると、そのお声で感じたのでありました。何年か後に卓球王国で「平野早矢香さん。ご結婚おめでとう!」などと、写真を掲載される時には、お母様のご指導を思い出して、あの優しい笑顔でウエディングドレスを着る事をお勧めいたします。小心者のわたくしですので、偉大な日本チャンピオンのお父様と、お母様とのお話しするのは、緊張いたしましたが、お二人とも気さくな方で、本当に楽しい時間をすごさせていただきました。…いやぁ~やっとここまでたどりつきました。まったく気の利かない栃木の“付き人”でしたので、ここまでは、本当に長い道のりでありました。あらためて、この場で先日の御礼をさせていただきます。「お父様、お母様ありがとうございました。…あの…今度は、お父様、お母様だけでなく、平野《家》の皆様で、“付き人”の携帯電話から、お話し出来ることを、楽しみにしております。」(平野家の皆様と言いましたが…おじいちゃんが出たりする茶目っ気は必要ありませんよ…)
September 24, 2009
来週一杯更新をお休みいたします。まぁ…いつも大した内容ではありませんけどね…
September 14, 2009
今日は仕事が終わったら真っ直ぐ札幌へ行きます。弁当箱を持ったままでは荷物が増えますので、昼は、メニューにない、わがまま”スペシャルランチ”を注文しました。「納豆定食、納豆抜き。ご飯小ライス。」470円。全然「納豆定食」ではありませんが「目玉焼き」と「豚肉のショウガ焼」が入っているので、これで十分なのです。三品の中では、おかずとして、一番弱小と思える”納豆”を名前のメインにしている理由が、わたくしには…全然理解できません。でも、まぁ…合格です。ご馳走様でした。
September 11, 2009
眠い…今朝お伝え致しましたが、その理由は“猫”です。朝4時30分頃玄関で、ニャーニャー騒ぐので、目が覚めてしまい外に出しました。そのまま布団に戻って”うとうと”としていたのですが、今度は5時に家へ入れろと騒ぎます。我が家の猫は非常にしつこく、玄関を開けるまで決して諦めることなく、ニャー→ニャーゴ→ニャ~グワ~→グギャ~ゴウ→グワゴワグウ~、そして最後は、網戸に飛びついて破る!と、どんどんエスカレートしますので、しょうがなく再び起きて戸を開けると…待ちかねたように、猫が走り込んで来ました!…口に“雀”をくわえて、もう逃げられないだろうと、玄関で口から離したのでしょうが、その雀はまだまだお元気でして、離れた瞬間に“バタバタ”と玄関中を飛び回ります。あまりの勢いに思わず、びびってしまい、首をすくめて茶の間に非難しました。玄関の様子を伺うと、ニャーゴ~、チュンチュン、バサバサ、ドタドタと、とても家の中とは思えない騒がしさです。そのまま、放っておいて窓から出入りするわけにもいきません。それに、ヒッチコックの鳥でもあるまいし、自宅の玄関で、どうして“鳥”ごときから逃げ回らなくてはいけないのだ!と、奮起をし…でも素手は嫌なので、分厚い防寒ゴム手袋をはき、帽子を被って玄関に突入していきました。猫と一緒に、部屋の角に追いつめるまでは何とかこぎ着けるのですが、両手でそっと捕まえようとした瞬間にバタバタ羽ばたかれると、ついびびって腰が引けてしまい中々捕まえることが出来ません。格闘すること30分…自分のアホさ加減に気が付きました。まず猫を部屋に押し込んでから、玄関の戸を開放する。…雀は当たり前のように外に飛び出して行きました。まったく何をしてるのだか、朝まだ薄暗い時間から猫と一緒に玄関を走り回っていたなんて…雀が大空へ戻ったのを見届けてから、裏の畑で朝食のおかずの青なんばんを4,5本採って家に戻ると、先ほどまであんなに盛り上がっていた猫は、すでに自分の毛布の上で丸くなって寝ておりました。よっぽど叩き起こしてやろうかと思いましたが、その得意げな寝顔を見ていると「もう10年生きてるけど、まだまだ鳥やネズミくらいは捕まえられるさ」と言っているように思えて…「おいニャニャ、まだまだ元気だなぁ~これからも札幌に行って留守にする時には、しっかりと留守番頼むぞ」と、頭を撫でると、少しだけ薄目を開けて短く”ニャ”と返事をしました。おかげで今日は眠たいのですが、早起きをしましたので、忙しくて全然読めなかった、いつも一歩間違えば暴言とも取れる思い切りのよいコメントと、人の意見などまったく聞く気のない、そのお人柄が面白くて、すっかりファンになった、政治評論家三宅さんの政権力を、やっと半分ほど読むことが出来ました。(この前も自民党は首班指名で、敵に塩を送るつもりで”鳩山”と書くと良いと発言し、自民党議員からそれは出来ないと反論されると「君たちはそんなことも出来んのか、政治にはロマンだって必要なんだ」と、やり込めておりました。さすがです、)残りの半分は明日の居酒屋バスで読むことにします。(呑んだら読めないか…)
September 10, 2009
朝4時30分から大騒動でした…眠い…トホホ(T_T)詳細については…お昼休みにアップします。画像は遊びながら寝てしまった歩夢です。(^_^)
September 10, 2009
もう13度しかありません…今晩はまだまだ寒くなります。もう熱燗でも呑むしかない、なんてね…今晩は銭湯に行って、おとなしく寝ます。昨日家で呑み過ぎて今日は体調がすぐれませんでした…もう歳だなぁ…来月で38才だもの…疲れるはずです…
September 9, 2009
先日、東京時代にお世話になったK島先輩について、少々お書きしましたが、今日は東京生活が終わりに近づいた頃のお話しを少々いたします。K島先輩が、ギリギリ一杯で単位を取り終わり、某N大学B理学部体育学科の卒業が決まった日は、冬の寒い日でありました。その日、K島先輩はダウンジャケットを着て、忙しい時間が終わった「とん吉」に、1人で現れました。カウンターに座って、ビールを呑みながら、「今日から俺のことを“学士様”と呼べ、熊、N山、お前達今日はもうバイトを上がっていいぞ、お祝いに呑みに行くからな」と、わたくし達の都合も、店の都合もまったく無視して、スケジュールを組んでおりました。一次会は「とん吉」のカウンターでした。お客様には出さない鉄板焼きメニューと、ビールで乾杯して、店にいる従業員、バイト達1人1人にお祝いの言葉を言わせて、一人悦に入っているK島先輩の嬉しそうな顔は、今日は無理難題を言ったりしないだろうなぁ~と、わたくし達を安心させておりました。しかし、裏メニューを食べ終わった時の一言で、わたくし達はいつもの奴隷と大差がない”しもべ”に戻るのでした。「もう俺は、先月でバイト辞めたから、店に“つけ”が利かないから、熊とN山士別組のお前達二人で、お祝いにご馳走してくれるよな?お前達はバイト料から引いてもらえばよいからな、大丈夫明日からびっしり働け、ご馳走さん。さあ、二次会に行くぞ!」しょうがなく、新宿西口京王モールを、とぼとぼと付いて行ったのですが、しばらく歩くと、振り返って「二人とももっと嬉しそうにしろよ!そうだ、でかい声で“学士様”と叫びながら歩け、どうだ嬉しいだろう、俺が“学士様”になったのだから、ほら!早くしろ」わたくし達二人は、混み合った通路を、周囲のアホをさげしむ視線に晒されながら「学士様、バンザイ~」「K島先生おめでとうございます~」と、いつ、職員の方や警察の方に騒乱罪で連行されるかと脅えながら、半べそをかきながら叫んでいたのでした。幡ヶ谷で降りて、なじみの店に行ったのですが、その店でも暴挙は止まりません。カウンターのかごの中に入っていた野菜を見て、周囲のお客様に、「私達は北海道出身です。これから、北海道のジャガイモの食べ方をお教えいたします。学士様の私が言うのですから、本当です。まず、この泥の着いたジャガイモを…」と言って、わたくしに手渡しました。K島先輩「はい、そのまま、新鮮なそのままを、丸かじりにします。はい、どうぞ~」わたくし「…えっ…うそですよね?」K島先輩「聞こえなかったか?はいどうぞ~、さぁ北海道の根性を見せろ熊!バックドロップくらうのと、どっちを選ぶ?」昨年の帰省時に、酔っぱらって友人にからみ、怒った友人がヘッドロックをかけた瞬間にその大技をくり出し、雪の降り積もった道路に頭から叩き落として、一発で仕留めた光景を、目の当たりにしていたわたくしに、もちろん選択肢はありませんでした。しばらく、泥の着いたジャガイモを握りしめ、覚悟を決めて、泥で歯をジャリジャリ言わせながら、毒だと言われている芽も一緒に、食べたのでした。K島先輩が、感想を言え、美味いとか不味いとかじゃないぞ!と、もんどり打って苦しんでいるわたくしに容赦なく言い放ちましたので、咳き込みながらも半分ほど残っていたジャガイモを顔の横に持ち、口の周囲に泥を着けて「ジャガイモを食べると歯茎から血が出ませんか?」と、飛びっきりの笑顔で言うと…店内は大爆笑になりました。すっかり上機嫌になったK島先輩は、「面白かったぞ、ここは俺が払う」と、ご馳走してくれました。ありがとうございました。あの時のご恩は一生忘れません。まさか、“体育のご教師様”に、おなりになれれてからは、そんな事はしておられませよね? あぁ!思い出した新任の頃、伊達におじゃました時の事を…今日はやめておきます。
September 9, 2009
落葉キノコのシーズンですが、今年は忙しくて、中々取りに行くことが出来ないかもしれません。キノコ鍋がぁ~!!!
September 9, 2009
5時から初めて、最初から180分でスタート。拓蒼は円山の先輩と練習をしていたので、8時になってもまだ呑む事をストップせずに、30分延長~30分延長をして、子供達から、早く帰って来いコールが来るまで4時間ガンガンいきました。当日、円山の練習が終わってから、先輩と一緒に北区で練習することになりましたので、そのご父兄をお誘いしたのですが、「ええいいですよ」となり「白木屋」で、呑みまくりました。北区でしたから、ノースのN先生も誘うとは思ったのですが、教室があると思い遠慮をしたら…考えてみるとその日は夕方で練習が終わりでした。酔っぱらってから、ご父兄が、今、熊と一緒に呑んでいるとメールを送った時には、もう8時30分でしたので…残念なことでした。次の機会ではガッチリ呑めると楽しいと思っております。逃しませんよ
September 8, 2009
写真だけですけれど…来年はもう着られませんから、もう一枚だけアップします。
September 8, 2009
環状通東駅のすぐ近くの神社のお祭りです。「札幌村神社」となっておりましたが、士別祭と同じくらいの人出があるようでした。恐るべし札幌”村”…です。歩夢が着ているのは、岳幹が2歳の時にじいちゃんが、東京へ行った際に、わざわざ浅草まで行ってで買ってきたものです。高価なものを無理して買ってきたようです。ありがとうございました。士別祭りで岳幹が着て拓蒼が着ました。今は二人のその頃を、まったく想像出来ませんけど…その後、長野県の甥っ子二人が着て終了だと思っていましたが、歩夢が誕生して北海道に戻ってきました。本当に忙しい毎日ですが、歩夢が皆を和ませてくれています。ありがとう(^_^)
September 8, 2009
拓蒼の小学校でインフルエンザが発生し始めているようです。大谷でも昨日選手の1人が発熱したそうです…インフルエンザでないことを祈っております。
September 8, 2009
札幌では有名なお好み焼きの“風月”札幌人なら知らない人はいないと思います。老舗です。もう30年以上営業しています。30年前には幌平橋の近くの本店と、石山通の支店の2店舗で営業しておりました。士別にも名古屋出身の方が経営していたお好み焼き屋さんがありましたので、初めて食べたわけではありませんでしたが、風月の大ファンになってしまい、週に2、3回は通っておりました。今と違って値段も安かったですからね。今はホームページを見ると、ニコニコ笑顔でテコを振り回しているマスターをアニメで見ることが出来ます。店舗数も着々と増やして、10倍の20店舗以上となっていました。その当時は、バイトと2人で営業しているくらいの小さな店で、しかもマスターが無愛想で、お客さんがテコで上手にお好み焼きをひっくり返すマスターに感心して話しかけたりしても「まぁこんなもんですわ」と鷹揚のない小さな声で言い放ち、顔を上げることなく、ソースを塗ったりしていました。そんな光景をたまた見せられたりしていたので、こんなに大きく商売を展開するとは思いもよりませんでした。その後、しばらくしてわたくしは札幌を離れ東京に行くことになりましたので、ずっと風月のお好み焼きを食べることもありませんでした。北海道に帰っても士別在住になりましたので、食べる機会もありませんでしたので。最後に食べたのは、東京へ行く前日に送別会をしてくれた友人達が、どこが良いと聞いてくれたので、風月をご指名して、その日は値段が高いので食べたことがなかった「モダン焼き」を注文したことを、今でも良く覚えております。今考えると、お好み焼きやの送別会なんて女子供の開催する送別会みたいで恥ずかしい気もします。次の日千歳から飛び立った飛行機の中で、正月に北海道に帰省した先輩が「東京に出て来たら必ず俺がバイトしている店に顔を出せよ、お好み焼き食べさせてやるから」と言われたことを思いだし、連チャンだとは思いましたが、もらっていた店の電話番号を取り出し、「東京からの電話だから03はいらないよなぁ…俺も都会人の仲間入りだ」なんて、電車の乗り方も分からないくせに心だけはもう東京人になり、先輩のバイト先でお好み焼きをご馳走になったら、その後東京に進学した友人達に電話して集まり、都会人らしく東京最初の日を六本木か渋谷で楽しく過ごそうと思い、大嫌いな飛行機でしたが、この日はいつもと違って油汗もかかずに、空の旅をすることが出来ました。JAL主催の恐怖に満ちた空の旅は、キュ!キュ!キュ!ゴワーッと世界が滅びるのではと思わせるような轟音を響かせて羽田で終わりを遂げました。いつもよりはましでしたが、やはり着陸する頃には具合が悪くなってしまい、重たいギターケースを抱えてよろよろと歩き、公衆電話に辿り着いて“10円”を入れて先輩のバイト先に電話をしたのでした。受話器の向こうで「おう、着いたか、取りあえずモノレールと山の手線で新宿西口京王モールまで来いや」…北海道から出て来たばかりのわたくしには、暗号の連続でしたが、もう心は東京人でしたので「わかりました。すぐ行きます」と、答えて受話器を置きました。すぐ行きますと言ったのですが、都会人に成り立てのわたくしは随分と迷ってしまい、京王モールに着いた時には、とっくに2時間以上が経過しておりました。店に入ろうとすると、すでに時刻は6時過ぎ「お好み焼き・とん吉」は、入り口にお客さんが大勢並び入店を待っている状態でした。さすがは新宿だ…こりゃ~店に入るのは無理だから明日にしようと考えていると、入り口横で、白衣を着てお土産用のたこ焼き焼いていた従業員の人が、じっとこちらを見ています。「…お兄ちゃんもしかして…士別の人?」と、聞いて来ました。「はい、もしかして“木○先輩”に聞いたのですか?」と言いますと。「聞いてるよ、待ってたよ、おーい“木○”~後輩が来てるぞ~」と、叫びました。すると奥から「熊~ちょっと待ってろ!今行く、ところでお前、身長何センチだった~?」???「はい???え~っと172センチです~」…なに訳の分からないこと言ってるんだろう?座る席に身長制限でもあるの?なんて思いながら、両手に荷物を提げたまま待っていました。数分後に出て来た木○さんは、胸に「とん吉」と書いてある白衣を上下セットで持っておりました。「熊、早く奥へ行ってこれを着て洗い場へ行け!お前、札幌で焼鳥屋でバイトしてたんだろう、洗い場くらいは出来るよな!でかい荷物だな~邪魔だからたこ焼き場の後ろに置いておけ」「えっ!どういう意味ですか?」「うるさい早く行け!今一番忙しい事くらい分かるだろう!ぐずぐず言わないでさっさと行け!」高校時代は、サッカー部の“暴れん坊将軍”と言われていた“木○先輩”に逆らうなんて事は小心者のわたくしには出来るはずもなく、お客さんで一杯の店内を、ホール係の人に怒られながらカニ歩きで奥の調理場に入ると、そこには野球部だった1年後輩のS崎が、大忙しで洗い物をしておりました。振り返ったS崎は「先輩~久しぶりです。木○先輩から今日から熊がバイトに入ると聞いていました。よろしくお願いします。鉄板の前には、○山先輩もいますよ」…ですって…ありがたいことに、わたくしは、東京に着いたその日から夜の11時までお好み焼き「とん吉」で、働かせていただく事になりました。まぁ先輩や同郷人がいたから、初めての東京暮らしでも居候をしながら何とか生活する事が出来たのですから、今となっては文句も言いませんが、このバイトに染まってしまい、本来の目的を達成することなく、札幌に帰って来たのはまったく“不本意”としか言いようがありません。そういえば、2年ほど前、旭川イオンの「風月」で、夫婦でお好み焼きと焼きそばを食べましたが、何と言うか…ソースとマヨネーズの味が濃いとしか感じられませんでした…「…まぁ…こんなもんだったかなぁ~」…でした。(歳取って味覚が変わったのですかね)追伸:東京でお世話になった“木○先輩”は、北海道のサッカー審判員では有名な人となり、今はJリーグの試合で笛を吹いたりしています。…信じられませんね…審判に人格は必要ないと言うことですね。
September 4, 2009
一日空いて一昨日の続きになってしまいますが…一昨日若くして亡くなった友人の思い出話をいたしましたが、彼を送る儀式の中でも涙なくしては語れない話があることを忘れていました。すまんデロ…葬儀に際しては正式には喪服、これは当然のことであります。当時はまだ喪服なんぞは持っておりませんでしたが、わたくし達のようなクソガキ(大谷中のT原コーチ流)でも国は寛大に成人として認めてくれましたので、成人式出席用の“紺色のスーツ”だけは持っておりました。突然の悲しみの中でも葬儀は荘厳にまた粛々と滞りなく終わり、わたくし達はパイプ椅子から立ち上がりました。小さな背中を更に丸めて二人並び、わたくしたちを見送る悲しみにくれるご両親の前を通り過ぎようとした時、顔を上げたお母さんが「地元礼文島でなく札幌の火葬場で骨にします。息子が寂しがると可哀想なので皆さん火葬場まで一緒に来てくれませんか?」もちろんデロが札幌の空高く昇り、礼文島まで青空の中を気流に乗って帰るのを見届けることが出来ることは嬉しいことでしたので、同級生全員で同行させていただくことにいたしました。ご両親、親族の方々と一緒にデロを天国へ送るための最後の儀式に立ち会わせていただけることになり、彼を死に追いやった病気の悪化に気がつかなかった後ろめたさを振り払うまでには至りませんでしたが、友人としての最低限の責任を果たせるような気がしていました。いよいよ、棺に釘を打つ時が来ました。係の方が燃えるものであれば仏様の好きだったものを棺に入れてもかまいませんとお話しされました。わたくし達はデロが高校1年生から一度も浮気することなく、幾度の停学にも屈することなく吸い続けておりました“ハイライト”をそっと胸元に置きました。お母さんは泣きながら「お前はおしゃれだったから…アパートの部屋にかけてあった背広を着て行きなさい」と、丁寧にたたんで“真新しいスーツ”を棺に入れました。この切ない母親の姿は、まだ大人になりきれないので人前で涙することが気恥ずかしく、必死で涙を堪えていたわたくし達の精一杯背伸びした心をへし折るには、十分過ぎる光景でした。数分後に周囲を見回すと、友人達は肩を振るわせ、顔を上げる事も出来なくなっておりました。わたくしも初めて買ったリーガルのウィングチップのつま先に涙が落ちるのをとめることは出来ませんでしたが、ふと気がつくと、すぐ後ろで誰よりも大きな声で号泣していた友人がおりました。振り返ると、そいつはわたくしに訃報を伝えてくれた“OG谷”でした。彼はデロと3年間同じクラスでしたし、亡くなる数日前にも一緒に呑みに行ったそうです。悲しみはより深かったのだと思います。わたくしも目を腫らしておりましたが「OG谷、寂しいなぁ…でも、俺たちが見送っているからデロは寂しくないよ」と、誰よりも悲しんでいるように見えた彼を慰めておりました。全てのセレモニーが終了し、似合わないスーツ姿のわたくし達は平岸霊園駅から地下鉄に乗って帰りました。先ほど誰よりも号泣していた“OG谷”が隣の席に座りました。涙は止まっておりましたが、まだ嗚咽をもらしております。南北線にゆられながら「OG谷、辛いのは皆同じだよ、もう泣くなよ」と慰めると…彼はぐいっと身を乗り出しわたくしの耳元に、泣き声まじりのか細い声で「おい熊…ううっ…あの新品のスーツ…ううっ…デロのお母さんが、お前はおしゃれだから天国に持って行きなさい…と言って棺に入れたあのスーツ、あれはなぁ~1週間前にデロがバイトの面接を受けると言うから俺が貸した“就職面接用に買ったばかりのスーツ”なんだよ…まさかあの場でそれ僕のですぅ~なんて言える訳ないよなぁ~お前なら言えたか?あぁ~あ~ううっ…」その切なくも悲しい事実を知らされたわたくしは、その瞬間思わず一瞬のけぞりそうになりましたが、じっと堪えて息を飲み、週刊誌の中吊り広告を目をかっと見開いて見つめ、一瞬たりとも微動だにせずに、その時沸き上がってきた不謹慎な感情を心の奥底に押し込めるしか、その場に静かに座っている方法をみつける事が出来ませんでした。しばらくして、声を震えさせずに出せるまでに心が落ち着いて来た事を大きく息を吐き出しながら確認した後、やっとこの事実を友人達に伝えることが出来ました。多くの方々が利用している地下鉄の中ですので、大きな声で皆に話すわけにはいきませんでしたので、この場での情報伝達としては最良であろうと思われた伝言ゲーム方式を選択し10数人いた同級生達に陸軍中野学校の暗号のごとく密かに発信したのでした。この時ばかりは、普段は事実が最も伝わりにくいと言われている伝言ゲームであるにもかかわらず、事実はしっかりと正確に、そして周囲にまったく気づかれることなく静かに友人達全員に伝わって行ったのでした。悲しみの中に埋没していたわたくし達は、このあり得ない“伝言ゲーム”のおかげで、ほんの少しだけ元気になり、それぞれの駅から「じゃーな」「またな」「おいーっす」「バイ」と、スーツ姿には際だって目立つ“白いスポーツソックス”を恥ずかしげもなく裾から覗かせながら、葬儀帰りにとは思えない不気味なにやけ顔を隠すように足早で地下鉄から降りていったのでした。この話も本当に事実なのです。だって「OG谷」は、スーツがなかったのが原因で就職活動もままならかったのか、しばらく“ススキノ東急地下ケルン”でバイト暮らしをしていましたが、その後サダから借金をしたままトンヅラこいて今も行方不明となっております。まったくろくな者がいないねぇ…
September 3, 2009
月曜日にお弁当用の冷凍食品を思いっきり買ってきました。今までお弁当を作る際の定番おかずは、卵焼き・天かま・シューマイか餃子・冷凍食品一品でした。そろそろ自作弁当期間が1年を経過しますので、最近は食傷気味になっておりますので、思い切って品揃えの豊富な”冷凍食品”の導入に踏み切りました。しかも今回導入した冷凍食品は電子レンジで解凍しなくてもよい優れものです。朝弁当箱に並べておけば、昼には食べられます。月曜日と火曜日は卵焼きと天かま・シューマイはいつも通りに入れて、2品を投入いたしました。…完璧でした。バリエーションが広がり新鮮味あふれるランチをいただくことが出来ました。嬉しくなって今日は全品新製品を投入しました!!!先ほど弁当箱をあけて、早速おかずを食べようとすると…「全品冷凍食品で埋め尽くされた弁当箱は、保冷状態が思った以上に良いようで、綺麗に並んだ半解凍の食品達が、わたくしが思わず躊躇してしまうほどの冷たさでこちらを睨んでおりました…」追伸:ごはんももちろん冷たく冷やされておりましたので、今日は昼食抜きとなりました。
September 2, 2009
昨夜は久しぶりに高齢者卓球教室でした。昭和一桁生まれなのですが、クラウンを運転して練習場に来ました。今のお年寄りは本当にお元気です。あまりにも真面目に取り組みますので、高齢者の練習日は、こちらの方が恐縮する日となっております。
September 2, 2009
秋が近づいて来ました。秋を越えると…残念ですがわたくしの年齢も大台に乗ります。どこの大台かは“秘密”ですが、この年代になりますと、しばらくぶりに同級生も会うと誰だか分からないくらい○ゲた奴ですとか、どうやったらこんなことになるのだ?と思うくらい、節操なくふ○った奴(我が身も同じか)が、偉そうに目の前に現れたりします。ええ、見た目だけは重役や社長の貫禄を十分に身につけております。お盆前になりますが、友人の焼鳥屋でお墓参りの話をしながら呑んでいる時に、(話題が歳を感じさせますね)わたくし達の耳には情報は入ってこないが、すでに位牌でしかお会いになることが不可能になっている同級生がいるのではないか?と、いった話題になりました。友人いわく「周囲にはいないなぁ~、みんな年に1、2回は店に顔出すからさ、その時にもそんな情報も入ってこないからさ」と言うので安心して、焼酎を呑んでいましたが…“あっ”そう言えばと二人同時にお互いの顔を見ました。仲の良かった友人の事を…それは30年も前の事ですっかり忘れておりましたが、若くして難病でなくなった友人がおりました。そいつは、身長175センチオーバー、ガリガリに痩せていてその顔は、漫画家の秋山ジョージが書いていたデロリンマンそっくりの恐ろしい顔をしておりました。しかし、見かけはそうですが、デロと呼ばれながらも心は本当に優しく、同級生達皆に好かれておりました。高校卒業後、ほとんどの同級生は札幌に進学か浪人しておりましたので、週末の夜には誰かの下宿かアパートに集まって酒盛りをしたのですが、ある日銭湯に行くと、デロが「なんか脇腹の当たりがドクドクと音が聞こえる時があるのだけど…なんだべ?痛くはないんだけど」と言っていましたが、わたくしも含めて友人達は「無駄な日々を送っているからではないかな?デロ君、わたくし達を見習い給え」なんて、浪人をしていたデロをからかったりして気にもしておりませんでした。それからしばらくバイトなんかで忙しくて会っていなかったのですが、バイト先に友人から電話が掛かって来て「デロが急に倒れて入院した。手術したけど、ダメだった。難病だったらしい…通夜は終わったから明日葬式だよ、お前も来れる?」…呆然でした。訃報が伝えられた夜は、高校時代、下宿生だったのでわたくしの家に泊まったりもした事などが思い出され、バイトも手につきませんでした。次の日、初めて身内以外の葬儀に列席しました。わたくし達はデロにもう会えない寂しさと、着慣れないスーツ姿にすっかり疲れ、やはり履き慣れない革靴で靴擦れができた足を引きずって安アパートに帰り着きました。夕方までぼーっと、すっかりルーティンと化していたTVの再放送を見ていましたが、誰言うとなく「よし、デロといつも呑みに行ったグランド居酒屋富士に行くか!まだ5時前だから酒1杯100円だ、行くぞ」と、今は焼鳥屋のサダ、建築資材営業のケンゴと、わたくしで出かけました。安いTシャツにGパン、汚いスニーカーに着替えススキノ駅を出て店に着いたのは5時30分くらい、まだ店はすいていました。店に入ると従業員さんが「どうぞ4名様ボックス席へどうぞ~」と言うので、「いえ3人です」というと「えっ?はい?…どうぞ」と、案内された席に座ると、お通しも4個出て来ます。「すみません3人です」と言うと、こっちを見回して「あれ?すみません、そうですね?おかしいなぁ?」と怪訝な顔で1個下げて行きました。注文はもちろん100円酒を3本です。ハイライトを吸いながら待っていると、出て来た徳利は4本お猪口も4個……鈍い3人もやっと気がつきました。静かにお猪口4つにお酒をついで「デロ呑めよ…」貧乏な3人でしたが、この日はポケットと財布から有り金をテーブルの上に出し、思い切り高校時代の楽しくもアホな話をしながら、目には見えなくても、間違いなくわたくしの向かいでハイライトを吸いながら座っている“デロ”と一緒に夜が更けるまで呑み続けたのでした。これは本当のお話ですよ、「グランド居酒屋富士」の店員さんがボケていなかった証拠に…この日次に行った「一善」でもやはり「4人様」扱いは変わらなかったのですから。その夜の「焼鳥工場SADA房」では、貫禄だけは1人前の2人が、「忘れていてゴメン、今もあの若い時のまま変わらないデロが羨ましい~」なんて供養のつもりで、冗談を言いながら焼酎を呑んでいたのでした。1杯100円にはしてくれなかったけど…ケチ…
September 1, 2009
北海道に上陸することがまれにあっても、熊牛原野に上陸することはほとんどありません。それだけは、うれしいと思っています。まれに接近するとパニックになりますがね…
September 1, 2009
全26件 (26件中 1-26件目)
1