全24件 (24件中 1-24件目)
1
20代の前半、田舎にUターンする前は「レイバン」を愛用しておりました。こ~い真っ黒でして、その頃は、天気の良い日でもわたくしの眼前にはいつも、世をひねた薄暗い世界が広がっておりました。工藤俊作にあこがれておりましたので、真冬はベージュのダウンジャケットにGパン(ジーンズではありません)に、ウエスタンブーツに”真っ黒なレイバン”をして、札幌の冬の街を、首をすくめて歩いていたわけです。(さすがにベスパは買えませんでしたが)薄暗いスナックなんかに入ると、何にも見えないので、せっかくカッコつけて歩いているのに、トイレに行く時とかに、テーブルの角に弁慶の泣き所をぶつけて、「ううっ…」と、通路にうずくまってしまい、店のネエチャンがカウンターの陰に隠れて笑っているのは知っておりましたが、それはそれで工藤ちゃんのキャラとかぶっていると思っておりましたので、中途半端なハードボイルドを気取っており、お気に入りの、”レイバン”を風呂以外では外すことはありませんでした。田舎に帰ってからは、真面目な社会人として働くことになりましたので、髪を刈り上げ、刈上げには似合わない、6年間愛用していた3代目のレイバンを、ハーレー好きの友人に進呈して、ついに泣く泣く年貢を納めたのでした。あれから…長い年月が経過いたしました…2週間ほど前から、再びメガネを掛けることにしました。「遠近両用」です…乱視と遠視と老眼”の三重苦に耐えられず、ついに9,800円で作りました。まだ慣れていないので、階段からは叩き落ちそうになるし、一昨日は久しぶりに…「スナックのテーブルの角に、弁慶の泣き所をぶつけて、うずくまってしまいました。」もう、オネエサン達はカウンターに隠れることなく「はっはっはっ~熊さん歳だねぇ~」と、大声で、笑っておりました。あれから何十年っ!!!…これじゃぁまるで「綾小路きみまろ」です。でも、そんな年齢になったのだと、しみじみ実感してしまう夜でしたねぇ…
October 29, 2009
今日も仕事で旭川へ行っておりましたが、運転はいたしませんでした。朝は、アルコールチェッカーで調べれば間違いなく「アウト」となっていたはずです。最近は家では呑みませんので、たまに外に出たときには、刹那的に呑んでしまうようです。割り勘を払う呑み仲間には申し訳ないのですが、自宅で呑んでいない事を知りながら、昨夜誘った彼らに完全に瑕疵があるのです。二日も三日も呑んでいないわたくしが、居酒屋のカウンターに座ったら、高速で動くグラスや杯を持った手を止めることは…ターミネーターだって出来ません。それにしても10時には家に着いていたのに、どうしてこんなに辛い一日になったのか…痛い頭でつらつら考えるうちに、反省しなくてはならない事を少しずつ思いだし、本日の辛さは不思議でもなんでもない事がわかりました。【詳細】1.生ビールジョッキー(中)2杯。鮨(鮪・ホタテ・イカ)各2かん。2.熱燗二人で1升.5合 肴:たち天麩羅一人前3.焼酎水割り 4杯~…わからん つまみ(するめ・かんかい乾物)4.ウイスキー角さん 3杯~わからん つまみなし…これだけの量を短時間で呑めば、大概の人は、次の日辛い朝を迎えることは、間違いありません。今日は、銭湯サウナでゆっくりと汗を流して、その後ビールをぐいっと!…行くなんてことは、絶対にありえません。先ほどコンビニで缶ビールを見ただけで、胃がギュッと縮まるように感じ、胸が悪くなりましたからね。今晩は、家で「カレーライス」か「麻婆豆腐」を、いただくことにします。食後は読みかけの本もありますから、布団に入って読むことにします。またこれが右寄りの本なのですけれど「日本を貶めた10人の売国政治家」…でも、決して大会会場に「国旗をペイントした真っ黒い街宣車」で、行ったりはしませんから、ご安心下さい。
October 28, 2009
今旭川から帰って来ました。これから遅い昼食です。今日は…辛いです。画像でお察し下さい…夜までには復活するとは思います。
October 28, 2009
今大会札幌大谷は、大活躍いたしました。(敬称略:鈴木も“せ”省略)ジュニア、吉國優勝!代表は細山・近藤・武岡・鈴木・栗原の6名。混合ダブルス優勝!久住(尚志)鈴木。3位、後藤(平岸中)栗原。女子ダブルス、3位、吉國・細山組。鈴木・栗原組一 般、優勝!鈴木、準優勝吉國、代表武岡。見事な成績であります。あの日本リーグのJR北海道の選手達に勝ったのですから、思いっきりほめて上げてよいと思います。しかし、苫駒も着実に力をつけているようです。2年生の岡、伊東、飯坂に、1年生の猪谷、工藤、島影、石田。大谷に負けるとも劣らないタレントが揃っております。何処の会場にも顔を出して“発掘作業”に勤しんでいる、K先生率いる大妻も着々と新戦力を確保しているようです。もちろん北海、そして新規参入が噂される龍谷と、情勢はどんどん変化いたしております。全日本、そして選抜に向かって、また気持ちを新たに頑張って欲しいですね。
October 27, 2009
昨夜、渡辺謙主演の「明日の記憶」をTVで見ました。これは…怖い話でした…何が怖いって…そう物忘れです…ここ数年わたくしも本当に物忘れが激しくなっております。そうです、中々「人の名前」が出てこなくなりました。「えーっ…と…あの、あれ、背が小さくて、太っていて…年の割に頭頂部がカッパみたいに禿げている、あの人…あ~思い出せん!」当人が聞いたら、その“ザビエル頭”から湯気を立ててお怒りになりますね、ですからそういったお話しをする時には、周囲に十分気を付けてお話ししなくてはいけません。わたくしはなじみの居酒屋のカウンターで呑んでいたのですが、後ろの小上がりにその“当人”が呑んでいるのに気がつかずに、しばらく苦虫を押しつぶした顔で唸っていました。マスターいわく完全に聞こえていたそうです。(知っていたら止めろよ!)それから1年は経過しましたが、その方とお話しをする時には、どこからか冷たい風が吹いてくるのを止めることが出来ません。もう少し冷たい風が強くなると、貧相な腰巻きのような髪が、ほわほわと舞い上がって「うなだれたひまわり」みたいに見え、居合わせた皆さんも大いに笑えると思うのですが…あまりわたくしとお話しする事を、楽しんでいるようには見えませんので、たまに隣り合わせた時には、早々に引き上げることにしております。…「アルツハイマー」の話でした。実は、知り合いに若年生のアルツハイマー病で、50代前半に退職された方がおりました。釣り仲間でしたが、初期の頃は仕掛けや重りを忘れたりしておりました。まだその頃は笑い話でしたが、ついには竿を忘れ、釣り場に来たりしましたから、仲間内でも異常を感じておりました。バスの運転をされておりましたが、地方に出かけた時はもちろん。最後は、市内でも何処にいるのかわからなくなってしまい、立ち往生したりするようになりついには退職されました。それからも、症状はどんどん重くなり施設に入所されましたが、本来の退職年齢を迎える前に、お亡くなりになりました。もし、わたくしがそうなったら、家族は昨夜の映画のように、暖かく面倒見てくれるでしょうか?…ありえませんね…絶対にね…自信があります。子供達が物心ついた頃は、仕事が終わったら、妻が作ってきてくれた「おにぎり」をかじり、月水金が体育館で着替えて卓球指導、土日両日も半日は卓球でつぶれていました。そして、長男が4年生、長女が3年生、次男が1年生になった頃には…練習でTVも見られない毎日。土日は、朝から晩まで練習か遠征。妻も、こんなアホなわたくしのために、予定も立てられず卓球に振り回される毎日。ね?そうでしょう?誰が、こんなアホがボケたからって面倒見るはずありませんね…さぁ…これから湯豆腐で一人寂しく一杯呑んで寝ることにします。トホホあれ…ここは、こんなに寂しいブログだっけ?いや…昨夜の映画がわたくしを軽い“鬱”に陥れているのだと思います。こんな日に限って、誰も呑みに誘ってくれないし…全日本の結果は、協会のHPに掲載されておりますが、大谷の活躍は明日からゆっくりと掲載いたしましょう~(^_^) しかし…高校生が強いのか…一般がイマイチなのか?試合を見ておりませんのでわかりませんが…週末に情報をいただいてくるとします。
October 26, 2009
優勝 吉國(札大谷) 2位工藤(苫駒) 3位栗原(札大谷中)・岡(苫駒)5位武岡(札大谷)・近藤(札大谷)・細山(札大谷)・鈴木(せ) 代表決定戦 佐藤(南茅部)多喜(苫駒)長女は残念ながら、ファイナルウィンの先輩苫駒の工藤さんにセットオールでした。しかし、良く頑張ったと思います。しかし…今回はこのブログで書いた好調者の予想が”当たりましたよ”吉國の優勝!!!そして近藤の代表!!!これが馬券ならなぁ~(あっ!すいません!一所懸命頑張っている選手と指導者に失礼な表現がありましたことを、心からお詫び申し上げます。)それと、茅部のヒットが小学生ながら代表です。ゆうさん。ここは笑顔になって良いところだよ(^_^)…また、しぶ~い顔して「すんなり代表になれや」とか、言ってるんじゃないの?さぁヒット!!広島での「全国NO1」を、楽しみに待っているよ。今回は、長女が6年の時にカデット13才以下で3位になった、函館でしたから懐かしいので応援に行きたかったのですが、残念ながらどうしても行くことが出来ませんでした。(大谷中栗原さんと準決勝。相手ベンチは斉藤コーチでした。)まだダブルス、一般と試合は続きます。皆さん体調に気を付けて頑張って下さい。
October 24, 2009
お電話ありがとうございます。皆さんお元気ですか?参加出来ないのが残念です。呑みすぎに注意してください いいなぁ~今晩は、久し振りに妻の実家でごちそうになりました。ラムしゃぶでした。ご馳走様でした。
October 23, 2009
新型インフルエンザの影響がないことを祈っております。昨日は、「蜂屋さん」で、ラーメンをいただきました。大盛りは僭越ですので「普通・油濃く、麺固く」700円をいただきました。貧乏所帯では贅沢ですが、同行者がおりましたのでしょうがありませんでした。(決して人のせいにしているわけではございませんよ)今。TV朝日で「つけ麺」を特集しておりますが、わたくし実は一度も食したことがありません。チャンスは幾度となくあったのですが、きっと無意識ですが心のどこかで「邪道」と思っているらしく、ギリギリまで注文をしようと思っているのに、いざとなると「醤油ラーメン下さい」と、なってしまいます。倒産してしまいましたが、これでも「ラーメン屋」の息子ですから、オーソドックスなラーメンしか認めなかった頑固者の父の意志を引き継いでいるのかもしれません。(一度は食べてみたいけど…きっと美味しいのでしょうね…)今回は仕事の関係で函館に応援には行けませんが、長女はもちろん、皆さんのご活躍をお祈りいたしております。
October 23, 2009
さぁ…昼食はどうしますかねぇ~
October 22, 2009
今日は旭川へ出張していました。一人で出張でしたので、気楽に好きな物を食べようと思っていました。ラーメン?そば?丼物?中華?…吉野屋?見かけに寄らず、「食べるものは」中々決められないのです。普段は、朝は「目玉焼き・魚肉ソーセージ焼き・トースト」昼は「弁当」夜は「麻婆豆腐」「レトルトカレー」「焼きそば」「冷凍うどん」とかを、何も考えずにひたすら循環で食べていますが、”外食”となると決められません。最近は、家族で出かけることは皆無ですが(貧乏所帯の我が家では、どんなに頑張っても「すき屋」の340円牛丼が精一杯です。)、札幌に行く前までは、試合の帰りなどに、たまにはファミレスなんかにも入ることが出来ました。その時にも、最後に決まるのは、いつもわたくしでした。子供達がいない時には威厳を保つ必要もありませんので、よく妻に決めてもらっていましたが、子供達が物心がついてからは、渋い顔で悩んだ末に、じっとこちらを見つめている従業員の方の焦れったい視線に耐えられずに「ハンバーグ」とかの定番メニューを頼んでしまい、後で「あぁ…あのエビフライにすればよかった!」とか、「あぁ…あの特製激辛ネギ味噌ラーメンにすればよかった…」などと、よく後悔したものです。今日も昼食の時間になり、街を彷徨っていたのですが…ついに決められず。札幌に電話をしてご意見を伺いました。「大好きな蜂屋さんのラーメンにすれば?」この一言で決定し「蜂屋本店」に行きました。お昼時ですので混んでいるとは思いましたが「大盛り油濃く麺固め」を、食べようと決めて行きました…が…なんと!!!お休み!!!愕然としましたが、もうわたくしに、思考能力は残っておりませんでした。近くにあった「立ち食いソバ」で「ランチ」は終了…まぁ…美食をするために出張している訳ではないので、全然悔しくはありませんよ…ええ…画像の「天ぷらそば・小ライスセット」は、今時考えられない”300円”ですからね、家族が貧乏に耐えて頑張っているのに、わたくし一人だけ蜂屋の「大盛り油濃く、麺固め」900円を食べるわけには行きませんからね…ええ…わかっておりますとも…美味しかったです…ご馳走様でした。
October 21, 2009
それは恐ろしい光景でした…土曜日、近所の札幌フードセンターに買い物行きました。金曜日に「和寒・金子ジンギスカン」を買って行きましたので、もやしを初めとする野菜、うどん。その他、諸々頼まれた物を、歩夢を看病している妻の代わりに買いに行ったのです。注文の品が揃いレジの順番待ちをしていました。横は、パンのコーナーだったのですが、ふと見ると不思議な行動を繰り返している中年の女性がおりました。服装も大きな帽子に、黒ずくめの出で立ちで、いかにも怪しい雰囲気を醸し出し目立っていたので、レジに向かうときから注目してはいたのですが。何が不思議かといいますと、パンを手に取っては元に戻すことを、延々と繰り返しています。こうなると不思議ではなく“不審な行動”と見えてまいります。よく見ると、その女性は、売り物のパンを指で「ぎゅーっ」と押して、その弾力を確かめているようでした。また、その押し方が尋常ではありません。包装したビニール袋が、破れてしまう程の強さで押しております。そこまで押したら“手作りの名店のパン”でも戻ってこない程の強さです。目の前に並んだパンを押し終わると、今度はカニ移動して、又同じ事を繰り返します。夕方で店が混んでおり、レジにも長い列が出来ていましたので、お客さんは気がついても、従業員の方も気がつかないようでした。わたくしは、せめて従業員にでも教えてあげるとよいのではと、都会に住む人々の無関心さに少々腹が立ちました。自分はどうなの?まぁそうなのですが…まだこの時点では、正義の血が滾る程までにはなっておりませんでした。引き続き見ていましたが、どう見てもその行動は、柔らかいパンを選んでいるのではなく、ストレス発散をするための異常行動としか思えません。その横顔は“にやけて”おりました…“ブツ”…何か切れる音が頭の中で響きました…ついに、わたくしの“正義”を司る神経がふつふつと煮えたぎったようでした、わたくしは静かにレジの行列を離れ、その不審人物の横に並びました。何気ない振りをして、不審人物の前の「ヤマザキ食パン6枚切り」に手を出しました。不審人物は両手で「ヤマザキ食パン6枚切り」を持ったまま、ゆっくりとこちらを向きました。その「ヤマザキ食パン6枚切り」には、可哀想なことに、手を離したら「サロマ湖のホタテの貝殻」みたくなってしまっているのではと思わせるほど、両手の指がしっかりとくい込んでおりました。「ここが勝負だっ!さぁ!」わたくしもその人の方に向き直った瞬間…“カチッ”…今度は、何かのスイッチが入る音が聞こえてきました。…どうやら、何とか10秒程度で、妄想の世界から戻ってくることが出来たようです。わたくしの横では、先ほどの不審人物が、相変わらずパンを押しまくっております。そうですね…小心者のわたくしが、スーパーマンのまねごとなんか出来るはずもありません。やっと順番の回ってきたレジで「あっレジ袋要りません」と、品物を入れながら振り返り、まだ異常行動を続けている不審人物がいるパン売り場に向かって…「これ!あなた!なんて常識のないことをするのですか!」と…心の中で叫んでおりました。はい…これが、わたくしが出来る精一杯の“正義の行動”です。なんの効力もありませんけど…それにしても…ふとどき者が多い世の中になったものだなぁ~
October 20, 2009
わたくしの携帯電話がクロネコヤマトで、士別に向かっております。すっかり忘れてしまいました…
October 19, 2009
ついに歩夢までインフルエンザになりました。(あの環境でならないはずもないですね…)金曜日の夜、急に38.3度の熱が出ました。熱が出ている割には元気でしたのと、市販の解熱剤が効きましたから、妻と相談して土曜日の朝一番で病院へ行くことにしました。つい二日前に長女がインフルエンザを診断されていた病院で、しかもたまたま同じ先生でしたので話が早く、すぐに検査をして「インフルエンザですね、タミフルを出します。」と、お薬を処方していただきました。TVでも報道されていましたが、土曜日の午前中で休診日でもないのに、待合室は子供を連れた親子で大混雑しておりました。札幌では完全に大流行と言ってよいと思います。家についた頃は、熱が高いにもにもかかわらず元気にしておりましたが、40度まで熱が上がってくるとさすがに辛いようで、「鼻むずむず…」と泣きそうな顔で、少々機嫌が悪かったのですが、タミフルを服用した数時間後から効果が現れ出して、少しずつですが元気になっているようでした。タミフルを服用すると、異常行動があると問題視する専門家や、実際に2階から飛び降りるような危険な事例もあるようですが、特効薬であることには間違はないようです。今回の大流行では、最近になって続けて不幸な事例がありましたから、中学から2才までと年齢構成が広い我が家ですから、本当に心配しました。週末は妻と交代で歩夢の看病をしていたのですが、土曜日から日曜日に日付が変わり、2時を過ぎた頃に再び熱が上がりだし、泣きながら何度も目を覚ますので、熱を計った後、座薬を使用したところ、熱が下がり出し朝方には37度まで下がりましたので、わたくしも妻もやっと安心して眠ることが出来ました。日曜日は、円山で拓蒼の練習がありましたので、9時には出かけましたが、熱が下がり熟睡出来るようになった歩夢は10時過ぎまで、ぐっすり寝ていたようです。拓蒼は兄、姉がインフルエンザになったことで、学校へ行くことが出来ず、毎日本当に嬉しそうにしておりましたが(札幌では家族がインフルエンザに感染しますと、本人の体調が良くても、数日間は出席停止となります…羨ましい…)今日から、出席しております。円山では前日の土曜日に、豪華なゲストがいらっしゃいました、JR北海道関係の方々です。監督の息子さん夫婦(全日本混合3位)、全日本男子ダブルス3位の垣原さん。広森さん、それと、大正大学の久保田さんです。ものすごい練習風景でした。たまたま顔を出してはくれますが、あの練習を見た子供達はとてもよい刺激になったと思います。幸せな事です。練習の最後には、試合をしてくれました。拓蒼は、荻原息子さんと広森さんが相手をしてくれました。試合後、アドバイスをもらっておりましたので、しっかりと“アホ頭”の中に書き込んでくれていると嬉しいと思っております。追伸:日曜日に自分の試合があるからと、Y國(母)さんが、練習に来られました。しばらく振りに拝見いたしましたが、見事なカットをご披露しておりました。まだまだ小僧や小娘達では相手にならないようです。特に裏ソフトでのバックカットは、変化幅が大きく子供達も良い練習になったと思います。時々顔を出してくれるとありがたいです。追伸2:名将荻原監督が、最後にY國(母)さんと試合をいたしておりました。笑顔で「久しぶりだ」などと、言いながらコートに向かって行きました…「監督の名誉のために、結果は伏せておくことにいたします。」
October 19, 2009
インフルエンザ蔓延熊牛原野の小学校も、今日ついに学校閉鎖となりました。いよいよ北海道全域に広がるようです。札幌では、小中合わせると8割を超える学校で、休校や学級閉鎖などの措置を取っています。我が家でも感染者が増えております。札幌組は、本当に狭い部屋に子供達三人を押し込めておりますので、防ぎようがありませんでした。まさか最初に感染した長男を車に閉じこめておくことも出来ませんからね、長男は家族への感染を気にして、高熱を出しているのにもかかわらず「車の中に一人でいても大丈夫だよ、後ろ倒して布団敷けばさ、ホント大丈夫」…と、真っ赤な顔して健気な事を言っていたそうですが、まさかそんな事にはなりませんから、ロフトベッドに寝せて妻が看病しておりました。OKH先生に聞くところによると、年齢が高いと高いほど感染しにくいらしいですから、我が家ではダントツ最高齢のわたくしが、今晩から看病生活に入ることにします。ええ、昨晩「焼鳥」と「熱燗」で、インド洋の海上自衛隊に負けないくらい、燃料補給をしっかりとしましたからね。え~い!!!!インフルエンザ撃退キック!!!!
October 16, 2009
今日も呑まないつもりでした…家では呑んでいないので明日は呑めないので、士別では一滴も呑まないはずだったのに…どうしても「焼鳥」に誘われてしまいました…随分断ったのだけど…先輩に押し切られてしまいました。まいったなぁ(>_
October 15, 2009
日清カップヌードル…といえば、カップ麺を代表するブランド商品であります。わたくしが小学生の時に登場致しました。最近は、多く…多いと言うよりは、過剰といってもよいほど種類が増えていて、「緑のたぬき」とか「どん衛兵」もかすむほどの、カップ麺がスーパーやコンビニに並んでおります。価格競争も激しいらしく類似商品も多く出回っているようですが、この画像の商品の名前は「スープヌードル」パッケージはカップヌードルとそっくり…いかにもバッタ物を想像させますが、昨夜買い物をしていてよく見てみると「日清食品」が製造しております。これには、驚きました!なんと自社製品のバッタ物を作っているのですから。手に取って見ても、そっくりです、違うのは…そうです。値段です。「カップヌードル」は138円。「スープヌードル」は98円でした。これはもう試すしかないと(けちったわけじゃないですよ)買い物かごに入れてレジに向かいました。レジのおねえさんが「レジ袋はお使いになりますか?」というので、エコになんかまったく興味のないわたくしは、もちろん「はい」と答えて袋をぶら下げて、家路につきました。(中部大学の武田教授に少々感化されているのですが)昨夜は予定を変更して素麺を食べた後「バリ伝」を、ごろごろしながら読みんでいました。夜食に食べるという誘惑に打ち勝って、先ほどご賞味いたしました。カップにはあっさり味と書いております。待つこと三分で食べてみると…「同じ味」でした。意味判らんなぁ~わたしなりに考えてみた結論は…これはきっと日清食品の開き直りだと思いました。どうせ、各社からバッタ物をどんどん出され、販売を阻害されるなら、いっその事自社でバッタ物を作って防衛するという自虐的な発送で、割安品を発売したのではないかと。でもそんなことしてたら…事実を知ってしまった消費者は絶対に「カップヌードル」は買わないですよね…あぁ…よいのか…スープヌードルも自社製品だから…もうわけ分からんわ、まったくぅ~中国でもあるまいし…企業のプライドはどこへいった!!!(でも、普通に美味しかったです。98円はありがたいですね、ご馳走様でした。)
October 15, 2009
PCがウイルスにやられておりました。シマンテックが言うことにや…誰かのメールにくっついてきたようです。軽傷ですんだのが不幸中の幸いですが、セキュリティソフトを入れているのにこうなるのでは、どうしょうもありません。感染→駆除を繰り返すのみですね、明日のジョーのセリフを借りると…「打つべし!打つべし!打つべし!」ですね。話はいつものようにコロコロ変わりますが、今日は、仕事で旭川に行きました。昼食はラーメン「ふるき」味噌ラーメン700円が本当に美味しかったです。子供の頃食べた懐かしい味の味噌ラーメンでした。寒いですから、もう暖房なしでは朝晩は過ごせません。いつもなら、そろそろカセットコンロで「鍋」を食べながら、晩酌となりますが、家では呑まないことにしましたから、今日も呑みませんよ!!!レトルトカレーで夕食をすませて、本でも読みながら夜を過ごすことにします。(漫画じゃないよ)でも、懐かしい「バリ伝」でも読むのもよいですね。
October 14, 2009
北海道の感染率が高いと、TVで報道されておりましたが、ついに札幌でも猛威を振るいはじめました。小学、中学や高校でも、学年閉鎖や学級閉鎖が増え続けております。長男も先週の水曜日に発熱し、木曜日に感染が確認されました。症状は昨年末に掛かったA型インフルエンザから比べると、驚くほど軽いのですが、今週の木曜日までは、学校へ行くことは許されません。続けて、拓蒼も発熱しましたが…これはただの風邪でした。今日から元気に登校しております。昨夜、士別へ帰りましたが、こちらは本当に寒く、同じ北海道なのに驚くほど気候が違うので今更ながら高緯度の地方に住んでいることを認識させられます。今日は朝から雷とともに、激しい雨が降ったリ、雹が降ったかと思うとすぐに晴れ、また雷がなったりと、まさに秋の空を感じさせてくれます。もうすぐ初雪が降り、そのまま長い冬へと突入します。なんとなく沈んだ気持ちになりがちですが、何とか気合いを入れ直して越冬の準備に入るとします。
October 13, 2009
インフルエンザが進入したようです。長男からはじまりました。…これからの事を考えると恐ろしくなります。(しかしリレンザは効くようですね、使用するとすぐに楽になるようです。)特に、妻と歩夢が心配です。妻が感染すると札幌組の生活機能は、完全停止してしまいます。それに、歩夢はまだ小さいので体力もないので…心配です。そうなるといよいよ、わたくしが出動して看護にそして家事に大活躍しなくてはなりません。覚悟は出来ております。でも、看病が明けて士別に新型を持ち帰ったりしたら、職場で非難囂々となるのは間違いありません。この忙しいのに、職場が出勤停止になったりしたら…アウト!!!わたくしの居場所はどこにもなくなりそうです。(いまでも危ないのに)台風が、北海道に接近しております。上陸はめったにないのですが、熊牛原野でも本日より厳戒態勢で、上陸に備えます。何とか東の海上に進路変更をしてくれることを祈るだけです。豪雨はもちろん、風も強いようですので、今朝はプレハブ練習場のドアに、つっかい棒をして、気持ちだけですが補強をいたしました。札幌へ行く前に、朝、散歩に出かけた猫を見つけて、家に入れなくてはなりません…これが…中々大変なんだよなぁ~昼休み中に見つけられるかな?こんな時には、中々見つからないのだよなぁ…さぁ、捜索に出かけることにします。「ニャニャー~出てこ~い」
October 8, 2009
昨夜は、仕事も少々早く終わりました。でもはやり夕食の支度をするのは面倒なので、外食して帰ろうと、一度は街まで歩いて行きましたが…札幌組に負けてはいられません!「無駄使い」禁止!ですので、“ツルハ”で買い物をして、家に帰りました。「チルド肉まん3個入り100円」、瓶詰めの「ザーサイ108円」と「ソフトサラダ」を買い、冷蔵庫に入っていた「卵」と「魚肉ソーセージ」を焼いて、夕食にいたしました。飲物は当然低脂肪乳です。(チルドカレーまんにしようか、随分迷いました。)食後寒いので、布団に入り「志村けんさんのバカ殿」を、見ていたのですが、あまりにも昔と変わらないので、つまらなくなり、いつの間にか寝てしまっていました。昔の研ナオコや石野陽子と、共演したのを再放送した方が、ノスタルジックで笑えるかも知れませんね。気がつくと8時を過ぎていましたが、まさかこの時間から本格的に寝るわけにもいきませんので、チャンネルを変えて、「踊るさんま御殿」を見ておりましたが…やはりいつもと変わらない自画自賛と、ゲストをいじくり倒すネタに嫌気がして、再び寝てしまっておりました。10時過ぎに長男の電話で起こされ少々話したあと、まだ続いていた。「踊るさんま御殿」を、「ソフトサラダ」を食べながら再び見て、さんまさんが面白かった頃の「俺たちひょうきん族」を思い出していました。あの頃のさんまさんは、本当に面白かったと思います。もう20年以上も前ですけど…たまたま、先に見た志村けんさんの、変わらないからの「つまらなさ」と、さんまさんの変わってしまったための「つまらなさ」どちらもつまらないことに関しては同じで、わたくしが楽しみにする番組になることはありえませんが、長い間芸能界に君臨しているのですから、やはりわたくしの感覚がずれているのでしょうかね。TVは、ほとんど見ない生活を数年間に渡って続けていましたので、まだ帯ドラマなどを習慣的に見ることは、体が受け付けないようですのと、バラエティはもちろん、NHKのノンフィクションドキュメンタリー関係も、すでにネタがつきている感が否めませんので、最近は布団に入り、チャンネルを回し…いえ…リモコンのボタンを押しまくりながら、いつの間にか早々と寝ている日々を送ることになってしまっております。そういえば、卓球の指導をはじめるまでは、パチンコをしたりすることもたまにありましたが、指導をはじめてからは、平日は片付けが終わると早くても10時、休日も遠征や試合で朝は5時とか6時に出発。帰宅は、やはり早くても8時過ぎ遅いときには深夜なんて生活を間年通して続けていたのですから、本当に大変な日々でした。でも、本当に毎日充実していましたね、それから比べると…今の生活は自堕落的としかいいようがないなぁ~画像は、毎年最低でも年間2万5千キロ走ったプレサージュ、手放すときには14万キロを軽々とこえており、足回りもボロボロになっておりました。お疲れ様でした。
October 7, 2009
昨日は、銭湯でサウナに入ってからビールを…呑まずに「低脂肪乳」を飲みました。肴は、見切り品の豆腐30円で作った。「麻婆豆腐辛口」…寂しい限りでした。鍵を開けて玄関に入ると、妻の実家で作ってくれた「青南蛮の三升漬」が置いてありました。今までならすぐに麻婆豆腐を中止して、「青南蛮の三升漬」で「冷や奴」を食べながら、ビールか日本酒を、呑むところでしたが…我慢しました。 いつまで続くかわかりませんが、札幌組に負けないように頑張っております。さて、長男は水曜日まで、インフルエンザ学校閉鎖の関係で、練習が出来ません。昨日は西区体育館で円山クラブで練習をしました。今日は拓蒼と二人で練習をする予定にしているようです。久しぶりの兄弟二人の練習ですが…いつものように喧嘩ばかりになるのではと、心配しております。(懐かしいですねぇ~見たいなぁ)長女と拓蒼は、士別時代からみると練習時間は減っておりますが、長男だけは、士別時代での練習時間を確保しております。(平日も休日も関係なく、毎日遅くまで居残り練習をして頑張っているようです。)何とか妹弟の成績に追いつくんだと頑張っております。焦らずに頑張って欲しいものです。早いものです。我が家は、長女の進学希望をかなえるために、親族会議に発展するまでの大騒ぎの末…ついには、わたくしを除く全員が、慣れない都会札幌での生活をはじめて1年半が経過しました。妻は、朝5時30分に起きて弁当を作り、6時過ぎ、7時過ぎと、順次子供達を送り出し終わるのが、2時間後の8時過ぎ。それから、歩夢の面倒をみながら5人分の洗濯を時間に追われながらするので、朝食も昼食もいつ食べたかわからないような状態です。午後は、買い物などに出かけ、5時30分には練習に出かける拓蒼の晩ご飯の支度、1時間後の6時30分には長女が帰宅するので2回目の晩ご飯。(長女は自分ですることが多いですが)しばらくして、拓蒼の迎えに9時までに、西区や手稲区体育館に30分から50分かけて車で迎えに行きます。(小学生は一人では9時以降地下鉄には乗車できませんから…)長男は早くても帰宅は10時過ぎですので、風呂に入っている間に三回目の晩ご飯の用意。1日の片付けが終わるのは12時過ぎます。そして、次の日は朝5時30分には起きて、また忙しい1日が始まります。妻は見かけよりは、根性が座っておりますが…さすがのわたくしも、最近は心配になってきております。子供達も気遣って手伝いをしているようですが、長女は帰宅が早いので、自分の課題を消化した後は、出来るだけ手伝いをしているようですが、長男と拓蒼は練習のため、夜家にいることが殆どないので、せいぜい拓蒼が練習に行く前に、風呂を掃除するのが精一杯のようです。何とかしなくては、と…最近は特に強く思うようになっております。病気にでもなったら、大変ですから。(一生後悔しますね…)また周囲から「卓球のためになんて!何考えてるの!」と、怒られますかねぇ~(そんなことは慣れっこですけど)わたくしも疲れますが…周囲の方々は”ただの呑み疲れ”だと、いさめられます…
October 6, 2009
昨日は札幌マラソンでした。わたくしはもちろん出ていませんが…斉藤コーチが好タイムで10キロを完走したそうです。まさに鉄人です…こうでなくては、世界選手権でベスト8には入れません(その時の映像で、しゃがみ込みサーブ出しているのを発見しました。ヘアスタイルもすごいですよ…怒られるので、これ以上のコメントは差し控えさせていただきますが…)昨夜は、さぞかし打ち上げでのビールが美味しかったのではないかと思います。(そのために走ったのだと思いますけど…)わたくしは、久しぶりに拓蒼を連れて大谷に行って来ました。鈴木監督不在でしたので、OKH先生と、T原コーチの三人で1日練習を観ました。全体的に実力が上がっていましたが、特に吉國選手の好調さには、目を見張るものがありました。今年、インターハイでは辛い思いをしましたが、国体で見事に復活しました。いよいよ来年は最上級生になります。やはり、札幌大谷は、吉國選手が“大エース”とならなくては、来年の選抜、インターハイでメダルを奪取することは、難しいと思います。しかし、よく考えると、現在好調?ではないのです。彼女は、小学生の時からトップ選手として、北海道の女子卓球界を引っ張って来ました。技術的にも中学時にはすでに完成度も高く、円山仕込みのフットワークからのフォアドライブ、そして進学してから力をつけたバックハンドドライブのバランスもよく、全国大会でも注目をされている選手です。いよいよ完成してきたのだと思います。これからは、本当の意味で、精神的にもチームの大黒柱となり、ぐいぐいとチームを、引っ張ってくれる事でしょう。頼むよ大エース!!!昨年、混合ダブルス札幌予選で、久住君と組んでいた時に、尚志の黒いユニフォームを着た後ろ姿を見て、観客が「おい久住と組んでる、あの背の小さい尚志の選手凄いなぁ~でもどうして混合のコートで、試合してる?あっ!吉國かぁ~凄いわ男子並の攻撃力だな~」と言わしめていたあの豪腕ドライブで、今年はジュニアで全国ランキング入りするものと期待しております。日本代表として韓国チームと戦う鈴木選手も、今まで得意の変化系バックに加えて、バックハンドに威力も出せるようになりました。しばらく見ていないと、必ず新しい技術を習得しています。バランス感覚にパワーがついてきたようですので、また、順調に進化していくと思います。素晴らしい選手ですね。練習の終盤に、久しぶりに多球の球出しをしました。わたくしはカットマン三人に出しました。鈴木・大木選手も順当に伸びているようです。フットワークはよくなっておりましたので、後は、コース取りとかを、もう少し意識すると、レベルアップするのでは感じました。どちらも、大谷中学入学後、卓球をはじめた選手です。伸び率的には順調ですね。(また、機会があれば、ギッチリ球出しをしたいです。嫌がられるとは思いますが…)特に近藤選手がよいと感じました。(斉藤コーチのつけた、ニックネームは恐れ多いですが…)1年生の時から、不思議なボールタッチを持っているように思っておりましたが、昨日はやはりそうなんだなぁ~と感じました。対外試合では、いつも同士討ちまではしっかりと勝ち上がります。(さすがに、今年の硬式一般の部では、荻原(嫁)選手に、蜂の巣にされておりましたが…合掌)昨年のジュニアでは、今年、岐阜の富田高校に進学したT2のMさんを破り、関係者を驚かせました。昨日の多球練習でも、わざとタイミングを外して緩急をつけたボールや、絶対に届かないはずのボールにも、すっと足を動かして、うまく体を入れることができるようで、球出しをしながら感心させられることが多くありました。課題的は、ナックルカットはうまく出せるので、ナックルカットで相手が打ちあぐんだボールに対して、怒濤の反撃が出来るようにすることでしょうね、戦術の幅も広がると思います。現在は「専守防衛」的な選手ですが、“札幌大谷陸上自衛隊”から“札幌大谷陸軍”に、軍備再編をすると、天才中野先輩に近づくことが、出来るのではないでしようか、成長を楽しみにしています。タレントの高い選手の集まっている札幌大谷ですので、その存在はあまり目立ちませんが、今年は斉藤コーチとダブルスを組むことで、試合より厳しい、その“プレッシャー”との戦いが彼女を、きっと成長させると思います(怖いだろうなぁ~)頑張れ!!!今月は硬式の予選が函館であります。もちろん応援に行きます…応援後の二日酔いが怖いけど…拓蒼も、いつもは練習試合をしていただくと皆さんに“ケチョンケチョン”にされるのですが、昨日は、まぁまぁ試合らしい試合もありました。ありがとうございました。拓蒼がだらけると、「来年、大谷中学に進学させるぞっ!」と言います。すると「ギャーそれだけは許して~ちゃんとやるから」と、泣きわめきます。しかし、この脅しも後半年しか使えません…中学に入ったらまた、考えなくてはならないなぁ…あぁ…こんなこと書いたら、大谷中学に「生徒募集に支障をきたします。」と、怒られそうですねぇ~
October 5, 2009
昨日、自動車学校で技能指導員をしていたとお伝え致しましたが(以前も書いたかな?)ここには、Uターンしてから10年ほど、お勤めいたしておりました。この季節になると、寒い中、震えながら仕事をしていたことを、思い出します。普通車、大型自動車、大型特殊、自動二輪と、4車種の指導する資格を持っておりましたが、夏場はほとんど自動二輪の教習にたずさわっておりました。融雪の後、暖かくなった5月の連休明けから始まり、雪の降りだす11月までの約半年間、オートバイにまたがっておりました。二輪の指導をはじめてからしばらくは、自身がオートバイ好きでしたから、趣味と実益を兼ねたような状態で、雨の日も風の日も、教習用のランプが付いたホンダCBやスズキインパルスを、ウイリーしたりジャックナイフをしながら、楽しく仕事をしておりました。たまには、教頭や校長に見つかったりして、目眩がするほど怒鳴られたりもしましたが、二輪を教える免許を持った若い指導員はわたくし一人で、先輩の指導員は二輪教習を嫌がるので、結構許されて好き放題にしておりました。(当時は、まだ、田舎の自動車学校には監視用のタワーもなく、オートバイで追尾するのが、一般的な教習方法でしたので、中年指導員が、毎日8時間から9時間オートバイに乗車するのは、ハード過ぎたのでした。)仕事を離れての、わたくし個人の愛車は「ヤマハ・FZ750」でした。4台目でしたが、これで最後のバイクとなりました。(そのうち2台は峠のもくずになってしまいました…アーメン)シーズンが終了した初冬に、次の春に、あこがれの「カワサキ・ローソンレプリカ1000R」を買うための、頭金にするために「FZ750」を手放し「FZ750」は、寂しそうにバイク屋車の搬送車に積まれて旭川に向かいました。(すまん)しかし…その代金は…冬の間にすっかり“呑んで”しまい、長い冬が明けても、わたくしが「ローソンレプリカ」で、颯爽と春の北海道を走る姿を見ることは、誰にも出来ませんでした。それにしても、この年の冬は…豪華に呑んだなぁ~呑みも呑んだり30万円!う~ん…もったいなかったなぁ…今あれば…やっぱり…呑んじゃうから同じかぁ~写真を見ると…やはり格好良いなぁ~売らなきゃ良かったなぁ…フロントは16でイマイチだったけど…
October 2, 2009
友人が骨折をして入院していました。もう退院して職場復帰しておりますが、歳を取ると些細なことで、怪我をしてしまいますので気をつけなくてはならないと、肝に命じております。わたくしも、25才の冬、まだ自動車学校の技能指導員をしている頃ですが、教習車にのろうとした時に、凍った路面ですべり、靱帯を損傷して40日間入院をしたことがありました。ひっくり返った瞬間に「靴の底」が見えましたので、かなり足首を捻った!とは思いましたが、恐る恐る立ち上がろうとしました時、あまりの痛さに「た・す・け・て~」と、同僚に、蚊の泣くような声で救助を求めたことを覚えております。救急車では大げさですので、バス送迎係のおじちゃんに病院まで送ってもらいましたが、その頃には、赤黒く内出血して腫れだしていたのに、レントゲン室の台の上に無理な体勢で座らされて、「あっち向け、とか、裏返しになれ」とか、無茶な事を指示されて、随分腹が立ったのですけれど、文句を言う気力も失せるくらい、痛かったので、汗をかきながら青い顔で唸っていました。診察を受けると、お医者さんにあっさり「入院」ですね、全治1ヶ月と宣告されました。人生初めての入院生活となりました。二日間は、痛みが止まらず、痛み止めを飲みながらベッドに倒れ込んでいました。食事も喉を通らないくらいの痛さでしたので、この頃体重は、まだ60キロ台をキープしておりましたが、必要のないナチュラルダイエットをしていた事になります。しかし、三日を過ぎると、ギプスで固めた足首も全然痛みがなくなり、毎日ボーッとTVを見る毎日が始まりました。内臓疾患とかで入院しているわけではありませんので、食事制限もありませんから、昼間は「ポテトチップ」や「カール」などを、食べていましたし、三食食べた後に“夜食”を差し入れてもらったりしていましたので、2週間くらいすると、顔を見ただけで判るくらい太って来ていました。これはいかんと思い、間食と夜食をやめましたら、暇な時間が増え、完全に入院生活に嫌気が差してまいりました。窓際のベッドでしたから、外を見ると、すぐそこにスーパーマーケットが見えます。雑誌でも買おうかと考えていましたが、健常者が歩くと1分で着く距離ですが、まさか、冬の雪の中を、パジャマ姿で松葉杖をつきながら行くわけにもいかず、いよいよ暗い気持ちで、ふて寝をする日々が続いておりました。そんな日が続いたある日、友人が夜お見舞いに訪れました。その手にはなんと、「焼鳥」を持っております。「今まで鳥源で呑んでいたけど、お前の事を思い出して、お土産を買って来たぞ、感謝しろ、俺はまた呑みに戻る。じゃーな」と、言い残して、病室を後にして行きました。わたくしは、すぐには手をつけずに、ベッドの横のテーブルに置いてある。「焼鳥」を、しばらく見つめていました。頭の中で“焼鳥にお茶なの?そんな事でいいの?…ありえないよね?やはり○―ルだよね”と、しばらく自問自答を続けた後に、わたくしの導き出した答えは…「さぁ勇気を持って、雪の中を行くのだ!そろそろ使い慣れた松葉杖を持って!」右足にだけ靴を履いて、松葉杖を力強く握りしめ、財布をパジャマのポケットに入れよう…ポケットがない…これは、絶望的な事でした。しかし、あきらめる訳にはまいりません。外はすっかりと暗くなり吹雪。 カーテンが引かれた病院の玄関から、パジャマ姿に松葉杖をついて、“口に財布を加えた”あやしい男が、降りしきる雪の中を、不器用に歩いて行きます。町の人々は、振り返りながらすれ違いますが、わたくしは、そんな哀れむような視線と目を合わせることなく、じっと遠くを見据え、ジリジリと、スーパーににじり寄って行きました。しばらくして店から出て来たわたくしは、店員さんに、首にかけてもらったビールの入ったレジ袋をぶら下げて、今度は、病院の玄関を薄明るく照らす蛍光灯を目指して、しっかりと歩みを進めたのでした。病室に戻って、強風で完全に逆立った雪まみれの髪を鏡で見て、この旅がいかに過酷な旅であったかを。あらためて実感したのでした。その後、ベッドにゆったりと座り、まさに満たされた充実感の中で、隣のじいさんにお裾分けをして、二人で焼鳥にビールで乾杯しました。【追伸】それからは、入院中は二日酔いを心配することもありませんので、毎日、たらふく呑んでしまいました。退院が、10日も伸びたのは、どうやらそれが原因だったようです。今も、その時の怪我のせいで正座が出来ませんが、医療ミスだとか、なんだとか、クレームをつける気持ちは、毛頭ございません。数年前にお亡くなりになった小○原先生、その節は本当にお世話になりました。卓球が弱いのも…そのせいかなぁ…
October 1, 2009
全24件 (24件中 1-24件目)
1