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そろそろ高校卒業式のシーズンに入りました。わたくしの頃は3月中旬でありましたが、最近は3月初旬が多い様に聞いております。札幌大谷は明日が卒業式と聞いております。今年は昨年のインターハイベスト8メンバーT喜さんとS藤さんが卒業です。小学生丸出しで入学した娘が1年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。これからは別の進路と聞いておりますが、3年間学校と卓球部で学んだ事を礎にしてしっかりと歩いて行かれる事と思います。心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。この時期になると毎年思い出しますが、わたくしの卒業式当日は本当に悲惨な1日でした…もちろん自業自得ですけど…野球で有名な高校生が飲酒で処分を受けたり、芸能人が堂々と未成年の飲酒をブログにアップして謹慎された方もいらっしゃったと思いますが、すでに30年が経過しているのと有名人でもありませんので、わたくしにはおとがめがないと思いここにその愚行を告白させて頂きます。さて、卒業式は髪を金髪に染め卒業証書を破り捨てる様な不届き者も出現せずに、父母の見守る中厳かに滞りなく終了しました。2年のクラス替え時に3年間わたくしを受け持つ事が決まりがっくり肩を落とした担任の先生や、特にお世話になった鉄より固いゲンコツをお持ちの“生活指導”の先生とお互いに違った意味で泣きながらお別れをして、卒業祝いの紅白饅頭を食べながら友人の家に集合しました。その夜開催予定のクラスお別れ会の準備のためです…単なる悪巧みと言えばそれまでですが。最後に念を押すように先生から送られた言葉の「3月31日までは、まだ在校生だからくれぐれも学校に呼ばれるような事はするな」は、金八先生演じる武田鉄矢が髪を振り乱して絞り出す言葉の様にわたくしたちの胸には響かなかったようで、友人宅に着いた瞬間には…友人A「おい、今日からもう高校生じゃないんだから、今晩あたり熊の行きつけの焼鳥屋に行かないか?」わたくし「おい、人聞きの悪いこと言うなよ、たまたま友人の実家だから顔出したりしてるだけだって、どこの世界に行きつけの店のある高校生がいるんだよ、アホ」友人B「まぁまぁどっちでも良いけど、今晩はクラス皆で行こう」友人C「うんじゃぁ手分けして皆に電話しよう」と早々と決まりました。もちろん携帯電話なんてありませんから、クラス45人全員に電話で「今晩6時鳥○○集合」と、今はもうクラシック扱いのダイヤル式黒電話から連絡をしたのでした。良識のある15名程度は参加しませんでしたので、30名程が集まりました。わたくし達よりも先にこの店で呑んでいて偶然お会いした2年先輩の2人と合流する事にしてさっそく乾杯です。「日本は元々15歳から大人扱いしたのだから18歳のお前達がどうして呑んだら駄目なのか俺には分からん」が持論である親父の店ですので、卒業で浮かれていた同級生達は…いえわたくし達に先導された可哀想な30名の同級生達は、ほとんど初めて経験する大宴会に胸を躍らせて人目を気にすることなく大いに盛り上がっていました。しかし神様はそんな無法な行いを堂々と繰り広げるわたくし達を許すはずもなく、楽しい時間がそういつまでも続く事はございませんでした。数時間が経過した頃、縄のれんをくぐり「おーす親父」と入店して来た2人の着ている群青色の“制服”を知らない者は誰1人おりませんでした。目の玉はつながっておりませんでしたので、ニュー南部を撃ちまくられる心配はありませんでしたが、その光景に呆然として立ちつくす2人には、わたくし達を震え上がるには十分過ぎる貫禄が備わっておりました。制服の2人連れは周囲を見渡した後、完全に呆れ果てた様に「親父、今日は卒業式だから浮かれて街へ出る悪ガキ共が沢山いると思うけど、決して店に入れたりしたら駄目だぞ!後30分後にもう一度見回りに来るからちゃんとしておけよ!」と、小上がりで群れをなしているわたくし達を黙殺したように親父に言いました。それを聞いたわたくし達はこの優しい2人組は、卒業式特典で寛大な処理をしてくれるのだと理解し、ほっとしながら大急ぎで帰り支度をし始めたその時でした…ありえない悲劇の幕が、完全に酔っぱらった2人の先輩の罵声で開きました。先輩A「うるせえんだよ~自分の金で呑んでるのだから、放っておいてくれよ!」先輩B「そうだ帰れよ!俺たちはもう20だぞっ!」制服2人組「うん?なんだ?お前達も仲間か?そう言うことなら、ゆっくりと話を聞かせてもらおうか、ほら用意しろっ!」…この時点で寛大なお二人の恩赦はご破算になりました。哀れな35人は3月中旬とはいえまだ道路に残る雪を踏みしめながら、まだ免許の更新もした事がないので行ったことのない緊急用宿泊施設まで完備している全国チェーンの公共施設に、今日で最後だったはずの卒業式と同じ2列縦隊で整然と歩いていったのでした。しかし納得できなかったのは…なんの違法行為も行っていないのですからしょうがありませんが2人の先輩が焼鳥屋のカウンタからわたくし達を見送ってくれたことです。制服2人組も、これには苦笑するしかなかったようです。しばらくして「仁義なき戦い」時の菅原文太さんよりも渋い顔で教頭先生が引き取りに来てくれましたので、残念ながらカツ丼は食べられませんでしたが、翌朝もう行かなくても良かったはずの学校に呼び出され、3年間の労苦から解放されたはずの担任の先生からお説教ではなく「泣き言」を散々聞かされる事になりました。わたくしはただ下を向いて頭を下げる事しかできませんでした。先生は「おい話聞いているのか?反省してるか?こっちを見ろっ!顔を上げろっ!」と何度もおっしゃっていましたが……その時は“アルコールチェッカー”があれば運転を禁じられるほど二日酔いしていましたので、まさか大恩のある先生に酒臭い息を吹きかける訳には行きませんでした。決してふて腐れていたわけではございません。ええもう“海より深く反省”していたことに間違いはございません。3年間で修行僧に負けないくらい坊主にはされましたけど、今もちゃんと卒業させてくれたことを心から感謝しているのですから…本当にありがとうございました。乱文にて失礼“もうそんな時期ですか…歳を取るのが早いはずと納得の熊”
February 27, 2009
たまには卓球のお話をする事にします。卓球には様々な練習方法があります。(当たり前ですが)わたくしが今日取り上げますのは、ごく一般的な回り込み飛びつきの練習でございます。ファルケンベリフットワークですとか、2本1本のフットワーク、3点フットワーク等と呼ばれ多くのチームで取り入れられていると思います。バックハンド→回り込みフォアハンド→飛びつきフォアハンド、以後繰り返し(反復練習)が基本であると思います。(今日は、亜流は取り上げません)確かに卓球の動き方はこの中に凝縮されているように思います。得点する場合にはこの動きのいずれかが入っている事が多いことも確かではあります。ですからわたくしもこの練習方法が有効であることについては、まったく反論はございません。ではなぜそんな肯定的な話を、いかにもこれから否定的に語るかのように話題にしたのかと言いますと…ただ単にこの動き方が面白いと感じているからです。わたくしが思いますにこの練習は“する”と“させられる”を連続してする練習であります。自ら“して”“させられる”それが面白いだけです…他意はまったくございません。皆さん当然だとお思いでしょうが、回り込みは“します”そして自分の意志で回り込んだために大きくフォア側を空けて飛びつきを“させられ”るのです。飛びつきは回り込まなくても“させられる”事に違いはないのですが、あえて回り込んでまで飛びつこうとする練習方法に面白さを感じているのです。本当に自虐的な反復練習だとは思いませんか?辛いから練習だと言うのであれば、それまでかもしれませんが。そんなスポ根漫画的な発想は今回ないものとしてお話させていただいております。従いまして動き方の練習だと割り切ってサキヨミして動いてしまうと、なんの練習にもなりません。辛いのでついそうなりがちな練習でもありますけど。わたくし的には“させられた”は気分的に良くないので“させられない”ためには、回り込んだ以上は“渾身の一撃”で相手を撃沈したい、そうすれば自爆しても気が済む、なんて考えたりもしますが、毎回そんな事をしていたのでは「1球練習の球回し」をしていてくれる相手の顔にボールマークをいくつも作ってしまい怒って暴れ出しそうですし、最初に掲げました“反復練習”になりません。何度も言いますが練習の話ですから…では、回り込んだ時に相手の事などまったく気にせずに“渾身の一撃”だけを“反復練習”したい時にはどうすれば良いか?これはもう多球練習しかございません。時間の許す限り、体力の続く限りボールが割れんばかりに多球で打つが良いとなります。しかしながら試合になると、“渾身の一撃”ばかりで得点するわけではありません。しなやかに放ったフォアハンドドライブが決まり得点するパターンの方が多くあるようにも思います。そう考えると”練習は”自爆的に突進するよりも、ミスなく1球練習でしっかりと動いてドライブを打ち続ける反復練習をした方が良いとなるのか?さあどうですかね?1.両方練習する2.気に入った方だけ練習する3.どちらも練習しない4.興味がないこの四択に正解がありますかね?乱文にて失礼“昨日呑まなかったからおかしくなったわけではない熊”
February 26, 2009
早めのパブロンではありませんが、喉が痛いので風邪薬を飲みました。一昨日のカラオケが原因かと思いましたが、熱唱するような曲は歌いませんでしたし、鼻水も出ますのでやはり風邪だと思います。年末年始のインフルエンザショックから立ち直ったばかりなのに、早くも第二次攻撃に晒されてしまったようです。銭湯から家まで厳冬の中を15分歩き湯冷めしたのが原因であろうと自分では思っておりますが、周囲のご意見は、諸々のウイルスからの波状攻撃に耐えるための体力を連日のアルコールで失ってしまったのが最大の原因と解釈されているようです。一昨日は予定外に呑んでしまいました。従兄弟と軽く呑んで帰る予定だったのですが、一軒目の焼鳥屋さんを出たときにはまだ7時過ぎでしたので「おいまだ早いよな、後一軒だけ寄って行こう」と雪の中を次の「居酒屋」さんに向かったのでした。皆さんご存じでしたか?本当の「呑ん衛」とはこういった呑み方をします。普通の人は居酒屋などで食べながら呑み、次の店はスナックなどで呑む方が多いと思いますけど。しかしわたくし達は違います。焼鳥屋さんに行くとわたくしは「3本」程度は食べますが、従兄弟は0本です。通し料金も取らない店でアルコールだけを注文して呑みます。焼鳥屋さん的には商売になんか全然なりません。まさに呑んだ分だけです。でも、“高校時代”からのお客ですので、嫌な顔をしないでおつまみ用煮干しなんかを笑顔で出してくれます。申し訳ないと思いますが、いつも甘えてカウンターで誰よりもでかい顔をして呑んでおります。ここまではいつもと変わりない呑み方であったと思います。ここで帰ればの話ですけれどね…二軒目の従兄弟の兄(怪人)の同級生の居酒屋で呑んでいると、従兄弟の携帯がなりました。友人からの誘いの電話で、従兄弟は友人の待つ“焼鳥屋さん”に行くことになりました。わたくしは少し呑み足りないないので、店に残って焼酎を呑んでいたのですが、そこに現れたのがやはり従兄弟の兄(怪人)の同級生の「元○谷教員現住職」の千○氏でした。千○氏「あれどうしたの?1人?」わたくし「ええ、さっきまで千○さんと同級生の従兄弟の弟と呑んでいたのですけれど、ついさっき違う焼鳥屋さんに呑みに行きました」千○氏「そうじゃあ一緒に呑むか?」わたくし「はい」と素直にお答えして、札幌在住の”関係者”のお話で盛り上がっていたのでした。その後、従兄弟の兄(怪人)の同級生の居酒屋さんで9時30分頃まで呑み、千○さんの行きつけのスナックを1軒1時間30分×3軒回りましたので…家に帰り着いたのは2時近くなっておりました。でも、この日は日本酒を控えて焼酎で攻めましたので、思いの外二日酔いのはなっておりませんでした。どうやらまだまだ上手く呑めば結構呑めるのだと、歓送迎会に向かっておかしげな自信をつけていたのでした。乱文にて失礼“でも…本当に風邪を引いたようです…まずいなぁ~の熊”
February 25, 2009
画像はバナナを食べているサルではありません。先週歩夢の髪をナショナル電気バリカンで12ミリに刈り上げました。兄2人は3ミリ青々バージョンですが、まだ1歳ですので必要以上に迫力が有り過ぎてはいけないと思い取りあえずは1ミリとなったわけです。元々拓蒼に似ているとは思っていましたが、坊主狩りにすると予想以上に拓蒼に似ていて、妻と2人で顔を見合わせて「苦笑い」です。兄弟だから当たり前といえばそれまでですが、残念な事にそれはわたくしに似ている事でもありますので、少々申し訳ない気持ちになっていました。容姿だけではなく普段の行動もやはり拓蒼の赤ちゃんの頃によく似ているようです。まぁ…イタズラ坊主なだけですけれど、その仕事ぶりは大胆で特にビデオデッキに狙いをつけているようで、妻が隙を見せるとすぐにビデオテープ以外の様々な物を無理矢理押し込まれるビデオデッキは、数日前ついにモーターの回転を放棄してしまったと、妻から沈んだ声で連絡がありました。妻はわたくしが甘やかすせいだと思っているようですが、実際に…そのとおりですので、今度家のビデオデッキを札幌に送ることで、今回の歩夢の不始末をお許しいただく事にいたしました。ええ父親として当然の行動であると思っております。わたくしは世界文学全集でも読んで長い夜を過ごすことと致します。10年前を思い出しますと拓蒼も同じような事をして、わたくし達を困らせたものです。電化製品の破壊に始まり最後は部屋の壁に落書きでした。上の2人はそんな事はまったくしませんでしたので、次々に編み出されるイタズラにはほとほと手を焼いたものですが、拓蒼は好奇心が強い子なのだとポジティブに考え、出来損ないのドラエモンで埋め尽くされ賑やかになる壁を、作り笑顔で見つめていたのでした。拓蒼とそっくりな容貌になり、危険を顧みずに二段ベッドに昇る歩夢を見てわたくし達は“二人目の悪ガキ登場”を予感しました。もう拓蒼で慣れっこですから大した驚きもしませんが、今の賃貸アパートを出る時には敷金の返却がない事を覚悟しなくてはならないようです。(足りるかなぁ?)やん茶坊主の拓蒼は3年生の時に、妻の実家の2階の窓枠に座りふざけていて後ろ向きに地上に落下しました。何とか上手く宙返りをして四つん這いに着地しましたが、頭の重さに首が耐えられずに地球にヘッドバットをかましてしまい、検査のため1日入院となりました。(アホ化を進行させた原因の1つでもあると思います)知らせを聞いたときには、髪の毛が逆立つほど驚き救急車で運ばれた病院にマッハで飛んで行きました。今でもその時の事を思い出すと、心臓が急ピッチできざみ出すのを感じるほどです。わたくし「大丈夫か?」拓蒼は軽い脳震盪を起こしていましたので「…う…ん…大丈夫」とたどたどしく言いましたが開いた口から見えた舌が真っ青です!!!驚いて妻に大丈夫なのかと聞くと、舌が青いのはガムの色で身体に良くないから禁止しているはずの添加物の塊である外国製ガムをこっそりと駄菓子屋さんで買って大量に食べたのが原因と聞かされ、心配しながらもその青い舌を見て呆れていました。2人の兄は真剣に卓球に取り組んでからは「坊主」で通しておりますが、歩夢はもうしばらく坊主にするのは今回でやめにすることにします。まだ睨みを利かせるには早い年齢ですからね、あと少しだと思いますが親だけでも「かわいい」と思いたいですからね。乱文にて失礼“実は昨日二時まで元大谷教員住職と呑み二日酔いで倒れそうな熊”
February 24, 2009
…凄いことになりました。週末からの降雪で練習場通路の積雪は1メートル以上になってしまい、わたくし1人で除雪するのには相当の覚悟が必要な状況であります。今日は玄関前の除雪で手が一杯だと思いますから…どっちにしても掘り進んで行くのは、明日以降となります。来月は小・中・高校選抜が開催されます。出場する選手、学校はそろそろ最後の追い込みに入る時期です。指導者、選手ともに高いモチベーションで練習に取り組んでいる事と思います。特に全国常連チームは上位を目指して集中力の高い練習に取り組んでいることでしょう。各選手選結果を出すのが最大の目標ではありますが、自身が納得出来る練習をすることで一回り大きくなって新学年に進んで欲しいと思っております。出場校のモチベーションの話を致しましたが、それでは選抜出場を目指していながら予選敗退してしまった学校のモチベーションはどうなのでしょうか?どうしても目標を見失いがちになるチームが多いのではないかと思います。(大谷中はそんな事はございませんよ、もし選手にそんな態度が見えたら即教育的指導となりますし、そんな意識の低い選手もいるはずもありませんので)以前、指導者講習会で有名な指導者からお聞き致しました。(そんな事もあったのですねぇ)中体連、カデット、ジュニアと続き正月明けで大きな大会が終了しますので、指導者、選手共にどうしても今時期は気が抜けてしまう事があるそうです。しかしながら、この時期での練習をしっかりと出来たかどうかが、最終的には選手の伸びに反映される場合が多いそうで、この時期にこそ集中して練習に取り組まなくてはならないと言われておりました。ですから指導者はこの時期こそしっかりと選手を管理することが重要であるともお聞きしました。技術だけではないのですから大変な責務だと思います。…そんな“大変な事”から逃げて指導者を休んでいる訳ではありませんよ、ただ単に選手達がわたくしに見切りをつけて札幌に行ったからです。それに問い合わせがありましても事情をお聞き致しますと、結果を出すために必要な練習時間を確保することが難しい事も原因の1つでもあります。条件さえ整えば、イツツユビナマケモノのわたくしだって以前のように頑張る用意は出来ているのです。話を戻しますが、1つのカテゴリーだけの指導者ですらそのような忙しさでありますから、中・高一貫校の指導者になりますとその仕事量は必然的に増加することになります。雪が融けると新年度が始まります。すぐにインターハイ予選に始まり・中体連・国体そして各カテゴリーの全日本、そして年度末の選抜…空いている月はほとんどない状態です。通年を通して中学生から高校生と広いカテゴリーに目を配って、最良のスケジュールを立てチームを切り盛りする、卓球だけの指導者であればそれなりに消化できるとは思いますが、教員として教壇に立っていたりするとスーパーマン並の体力・気力が必要になると思います。皆様ご家族もいらっしゃるわけですから、体調には十分気を付けて指導に当たって欲しいと思っております。(たまには休養も必要だと思います…信頼のカルテットですのでやりくりをしてお休みしていただくことをお勧め致します。)追伸:若くても太りすぎで成人病になりそうなOK原先生も気を付けなくてはならないと恐れ多くも進言いたしておりますが…まぁ奥様が看護士さんですから大丈夫だとは思います。金曜日の午後、歩夢が検診で士別に帰省しました。その夜暫くぶりにバスではなくて吹雪模様で50キロ規制の高速道央道を札幌に向かいました。100キロ程走ったところで、前方に異変を感じて急減速するとなんと横倒しになった車が車線の半分を占領していました。停車してお手伝いをしようと思いましたが、すでに前方と後方に1代ずつハザードを点灯して止まっていましたので、大事に至らないことをお祈りしながら空いている車線を徐行して通過しました。深夜のローカルニュースを見ましたが、大きな事故にはなっていないようでした。面識も名前も存じ上げませんが、気になっておりましたのでほっとしたので、ニュースを見終わってから焼酎を呑むのを止めて猫のいない布団に入ったのでした。乱文にて失礼“「冬来たりなば春遠からじ」とは言いますが…序盤戦での少雪が嘘のように毎日吹雪く北海道に呆れて果てている熊”
February 23, 2009
先週からの雪で練習場までの通路は完全に雪に埋もれてしまっております。以前ではありえない光景でしたね。今雪まみれで寒そうに建っているプレハブ練習場を見ると、本当に寂しい気持ちになってしまいます。毎日子供達三人で掃除係、除雪係、道具用意係と係を決めて練習に励んでいた事が嘘のような静けさです。一番の厳冬期にはストーブを満開にしても暖まらないので、ポータブルストーブを2台追加して練習していました。それでも室内温度は6度から8度程度でしたから、冷蔵庫の中で練習していると同じような状況と言ってよいと思います。練習場でわたくしにもしもの事があり亡骸になっても、親戚が集まるまでそのまま放って置いても腐ってしまう心配は無用でした。…まぁ…チルドやパーシャルよりは少しはましといった感じですね。さて昨日のわたくしですが、仕事が終わる直前に携帯が鳴りました。“今は”利尻島で港湾用のコンクリート製品を作っている1歳違いの従兄弟からで、友人の焼鳥屋で待ち合わせてしばらくぶりに呑むことにしました。今日はその従兄弟の“激動の半生”をレポート2ページ程度で語り尽くしたいと思います。この従兄弟の父とはわたくしの父は、わたくし達が幼少の頃一緒に商売をしていて、食事も一緒に取りそのまま泊まる事も多くまるで兄弟のように育ちました。おまけに顔までよく似ていて“双子”?と聞かれることも多々ありました。この従兄弟の兄が実は “例”の埼玉二流大学生で、小学から中学に掛けてわたくし達2人の人間形成に大きな影響を与えた田舎では有名な怪人物でした。怪人物は夏休みには毎年帰省すると、肩まで長髪、髭も伸ばし放題、うす汚いボロボロのGパンに泥水に1ヶ月漬け込んだようなスニーカーの踵を踏んで田舎町をふらふらと歩き回ります。小さな街での“注目度”としては、イタリヤくんだりまで6000千万円も掛けて行き、世界に醜態をさらす何処かの国のお偉方よりも高く、叔父と叔母は泣きながら田舎に帰って来ている時だけは、普通にしてと哀願したそうですが、流石は怪人物でして次の夏休みに帰省した時には肩まであった長髪が見事に“腰”まで伸び、まるでインドで悟りを開いたヒンズー教の伝道師のようになっていました。その怪人物の影響をまともに受けた弟と、その弟と兄弟のように育ったわたくしですから、当然子供らしくない怪しげな小学、中学時代を過ごすことになります。北海道では野球のTV中継はほとんど巨人戦しかございませんでしたので、ファンの9割は巨人ファンでしたが、怪人物2・3のわたくし達は「南海ホークス」ファンでした。もちろんパリーグの試合を見る見機会なんてまったくありませんので、週間ベースボールで見つけた南海ファンを明言し、“動いているのを見た事のない野村選手”のファンだと言い切り、王、長島、金田と騒ぐ友人達を「お前達は子供だなぁ~」と小生意気な言葉を浴びせては自己満足していたのでした。親や親戚からも諦められていたらしく、そのまま諫められることもなく大人になってしまった2人ですから、現在2人ともありきたりとは言えない生活をしていても親戚達はまったく不思議だとは思っていないようです。特に兄のような従兄弟は地元の高校卒牛後東京に進学しましたが、数回学校へ通っただけで自主卒業して、春から秋までは長野県でレタスを作り、秋から春までは沖縄でサトウキビ苅りをして暮らしておりました。(目指していたのは放送芸術だったはずですけれど)数年経つとその容姿は周囲の予想通り“怪人物”越える“怪人物2”になっており、数年後に帰省した姿を見たときには両親も私の父もその仙人の様な容貌に震撼しておりました。その後、田舎の居酒屋でバイトをしてお金を貯めて自転車日本一周を目指しましたが、札幌まで来てわたくし達と呑み翌朝起きると盗難に遭ってしまいあえなく挫折。しばらくわたくしの住んでいた六畳一間風呂無し・トイレ共同の「えぞ松荘」に住み2人で週払いのバイトをしながら呑んだくれて暮らしていました。怠惰な生活が半年くらい経過しそろそろ寒くなって来た頃に、突然「知り合いの世話でロンドンに行くことにした。」と言い残し、当時世界一の事故率を誇っていた「パキスタン航空・中東回り」で自国名にグレートを付けるようなプライドの高い国に成田から飛んで行ったのでした。千歳まで送りにいった私は「あいつやる時にはやるなぁ~帰ってきたら英語ぺらぺらだろうなぁ~」と感心したものでした。しかし、二年後帰って来た従兄弟の第一声は「日本料理のレストランで働いていたけど、ほとんど毎日日本人や中国人と麻雀生活するだけで退屈だったよ、中国人も皆日本語しゃべれるから言葉の心配はいらなかったけどね」と恥ずかしげもなく言い放ったのでした。でももっと情けなかったのはロンドンまで行ったのに「日本を離れるとやっぱり寂しくて、楽しみと言えば泣きながら見るレンタルビデオの“おしん”だったよ、やっぱり橋田さんの脚本は日本人の心を打つなぁ~日本人には泣きだよ泣き」と上京時の目標だった“放送芸術”についての評論を日本の“わびさび”たっぷりに聞かされた事でした。まったく…イギリスBBCのモンティパイソンは素晴らしい、日本のTV局も見習うべきと言って颯爽と上京した事なんて、すっかり忘れているような情けない英国帰国談話でした。密かに初志貫徹の意志で英国行きを決断したのだと勝手に思いこんだわたくしが、アホである事を再確認させてくれた流石の”怪人2”なのでした。三人が下の画像のようにならなくて親戚達も喜んでいると思います。乱文にて失礼“楽しかった昔を思い出しながら呑んだ熊”
February 20, 2009
雪が降り止みません…先日今年は異常気象で積雪は例年並みにはならないだろうと、お伝え致しましたが。どうやらここを訪問される方々にガセネタを掴ませてしまったようです。先週と今週、鮮やかな青空の色を忘れるくらい降り続いた雪で、我が町はいつもの酷寒大地のたたずまいを取り戻しました。車道と歩道の間には壁が出来ましたので、スリップして飛び込んで来る車はないことでしょう。嬉しいわけではありませんが数十年もここで生活をしていると、何となくこの方が落ち着くような気もしています。今週大谷中はテスト休みですので学校での練習は出来ないようです。選手達は自主練習をしているようですが、詳細についてはよく分かりません。勉強でも頑張っている事でしょう。昨日は夜間拓蒼と練習をしてくれたそうです。実は昨年秋に、娘に拓蒼のコーチを頼みました。もちろん学校の練習に支障をきたさないようにと念を押してですが。一日中練習が終わった後、あの“憎たらしい拓蒼”と練習するのは大変な事ではあると思いましたが、あえて頼んでみました。半年ぶりの姉弟の練習です。士別時代を思い出してみますと…気分屋で時々怠けが出て真面目にやらない弟を叱るのは、温和な兄ではなく姉の仕事になっていました。わたくしが練習場に行くと、顔に赤いボール痕をつけて涙目の拓蒼がストーブの前に座り込んでいて慌ててラケットを握る事もありました。姉が至近距離からボールを打ち込んでいたようで、兄もその迫力には完全にびびっていました。でも、兄に聞くところによると簡単には命中させられなかったようです。拓蒼らしいと言えばそれまでですが、そんな時だけはいつにない素晴らしいフットワークで逃げ回っていたようですから。札幌でコーチを依頼してからも最初はかなり腹を立てながら練習していたようで、わたくしに電話でその惨状を訴えて来た事もありました。妻からも「ラバー剥がれそうだ~」とわざと引っ張って剥がし、自ら練習不能状態に陥れたりして姉を激怒させたりしていたそうです。しかし電話をもらったわたくしは、すぐに拓蒼を怒らずに姉に小学校卒業後“初の課題”を与えてみました。「それはもちろん拓蒼が悪いと思うけど、拓蒼がやる気が出るように練習出来ないか?学校でお前の面倒を見てくれている先生・コーチ・先輩達も、見るからに小学生で気合いも入らず、全然練習にもついて来られないのに、我慢して面倒をみてくれていると思うぞ。少しは恩返しのつもりで拓蒼の練習ではなくて“面倒”をみたらどうだ?」と、およそわたくしらくしない言葉を厳しく告げたのです。それからですかね、少しは大人になったのか2人で練習する時は無駄な「喧嘩」もなく良い練習が出来ているそうです。また自分が教えて頂いたことを拓蒼に教えることは、復習にもなり自分の技術の習得にも良い事ですから、中々一緒に練習は出来ませんが、これからも時間がある時にはアホ弟の“面倒”をみて欲しいと思っております。しかし今回の道新杯準優勝は円山クラブはもちろん。押しかけて練習をして頂いた皆様のおかげですが、姉も一役買ってくれたことに間違いありません。わたくしとしてもいつか“お礼”を言わなくてはなりませんが、その機会が訪れるのは姉が一人前の選手になってからと思っておりますので、弛まぬ努力を続けて1日も早く“お礼”を言わせてくれたら嬉しいと思っております。乱文にて失礼“除雪疲れで…倒れそうな熊”
February 19, 2009
大会会場で、デジタルオーディオプレイヤーで音楽を聴いてリラックスしている選手をよく見かけます。一時はアップルが優位に立っていましたが、最近SONYが逆転したそうです。アップル社の独創性には感服いたしておりますが、政治家やマスコミが100年に一度の経済危機を懸念しておりますので、日本人でありSONY派のわたくしとしてはそのニュースに安堵を感じておりました。以前に中学時代は吹奏楽でトランペットを吹いていたとお伝え致しましたが、実は小学5年生から吹いておりました。(誰ですかホラ吹きを想像しているのは)ですから音楽には相当に興味を持ち、小学生時代からラジオやレコードで音楽に親しんでおりました。米国のモンキーズなんかもTVでモンキーズショーを見てファンでした。中学に進学すると従兄弟の影響でビートルズの大ファンになりました。毎日夜はヘッドフォンで大音響にして聞いていたものです。ベスト版の「オールデイズビートルズ」に始まり、お年玉の残りとお小遣いをためたのを合わせて夏に「赤盤」を買いました。次の目標はもちろん「青盤」です。これは秋の誕生日に買ってもらおうと決めていましたが、当時は「長髪・ヒッピー・サイケデリック」などの退廃的と言われた文化が若者の間で流行しておりました。それまでのヘアースタイルと言えばサラリーマンは7:3ビッタ分け。大工さんとお寿司屋さんは角刈り、怖いお兄さんはオールバック。中学・高校生でも長髪は学校が許可しない時代でありました。ですから年輩者の間では長髪でエレキギターを弾くビートルズに代表される「グループサウンズ」は“不良”の代名詞的な存在でもあったようです。その後、不良の定番はパンチパーマの時代が訪れましたので、長髪が不良なんてと笑う方もいらっしゃるかもしれませんね。従いまして、わたくしにビートルズを教えてくれた埼玉の二流大学に通う従兄弟も、ご多分にもれず山下達郎のように髪を伸ばしておりまして、ピカソの出来損ないのようなサイケデリックなポスターを士別の実家に貼りまくっている状態でしたから、「青盤」の購入を両親に説得するのには、相当な時間が掛かった事を思い出します。やっとの事で許可を得て街に1件しかないレコード屋さんの「クスモト」さんに、セミドロップハンドル5段変速の自転車で買いに行ったのですが…なんとツキがない事に在庫なし状態でした。店員さんに聞きますと「取り寄せになるので2週間待ちになります。」ときっぱりつれない返事です。でもどうしても今すぐに欲しいわたくしは自転車にまたがりながら重大な決心をしました。「そうだ隣町の名寄市まで買いに行こう!そう片道たったの30キロメートルだ!今日は日曜日だから大丈夫だっ!」…皆さん隣町まで30キロというのが凄いでしょう?本州の方には想像出来ないと思います。でも、途中に“関所”なんてありませんからね、田舎なだけで時代はちゃんと昭和になっておりましたから。昼ご飯を食べてから家を出て来ましたので、まだ日は高いので夕方までには帰り着くだろうと子供にしか出来ない無鉄砲な浅知恵で北に向かって走り始めました。「クスモト」で会った同級生もなぜか一緒に行ってくれる事になったので、秋の空を飛ぶ赤とんぼを眺めながら二台の自転車が並走して国道40号を走る姿は、追い越して行くトヨタカローラやニッサンブルーバードの窓越しには、まるで日本版「スタンドバイミー」のように映っていたでしょうね(感動的ですね)やっと手に入れた「青盤」を荷台にしっかりとくくり付けての帰り道を急ぐ頃には日が傾き初めておりました。なんだか分からないのに付き合ってくれた友人に泣けなしの小遣いから格安飲料の「ローヤルクラウン・コーラ」をおごり、今度は南に向かってペダルをこぎ出したのでした。真っ暗になりしばらくしてからやっと士別に帰り着き友達と別れたわたくしは、誕生日のご馳走を食べながら“母から説教”をたっぷりと喰らいましたが、説教は右から左に聞き流してしまったようで、大急ぎで2階の自室に戻り「青盤」に針を落としたのでした。1曲目の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が始まった時は嬉しかったですね。青盤は2枚組でしたが、60キロもペダルをこいだわたくしには、2枚目を聞く体力は残っておらず、1枚目最後の「レボリューション」をうつらうつらしながら聞き終えると、這うように布団にもぐりこんだのでした。布団の中で眠りにつく瞬間まで「青盤」を買った喜びよりも、自転車で並走した60キロメートルの映像が楽しげに頭の中を駆けめぐっていたのを今でも鮮明に覚えております。友人は高校卒業後バイトをしながら食いつないでいたけど、確か陸上自衛隊に入隊したと聞きました。きっと元気でやっていると思います。(今のあいつなら体力万全だから簡単に名寄まで行けるのだろうなぁ…不摂生王のわたくしとは偉い違いですね)でも…よく考えると小学6年生の時に初めて買ったレコードは天知真理さんでした…理由は自身では恥だと思っているようで…脳の奥深いところに封印していてまったく思い出すことが出来ません。乱文にて失礼“20歳の頃、肩まで髪を伸ばしたことがある熊”
February 18, 2009
札幌大谷で練習をさせていただいた際に、久しぶりに拓蒼以外の選手に多球練習の球出しをしました。各カテゴリートップクラス選手への球出しでしたので、柄にもなく緊張気味の球出しで始まりました。わたくしのコートのメニューは、監督から自分で考えるように言われたジュニア全国ベスト16のS木選手が考えたメニューです。S木選手に指示されたとおりにシステムで球出しをしました。レベルが高いのは承知しておりますのですぐに高速ピッチ・球速での球出しです。時折、両隣で球出しをしている鈴木監督・高原コーチから厳しい技術指導が飛んできますが、要求された高いレベルの課題も当然のようにこなして行きます。2人の同級生の今春高校入学予定者も負けじと、気迫を感じさせる動きで強打を打ち込みます。これからレギュラーを争うであろう3人での練習ですので、無意識のライバル意識が余計に気迫を感じさせたのかもしれません。この集中力が大谷の強さの1つであると感じました。今年で4年ほど見させて頂いておりますが、全てにおいて気を抜くことなく練習に打ち込んだ選手だけが、ここではレギュラーを勝ち取れるのだと実感致しました。もちろん小・中学時の実績も十分にある選手も多くおりますが、昨年末の選抜北海道予選大会では中学時代には無名の選手も団体戦に出場して全勝していました。チャンスは全ての選手に同等にあるのです。しかし、それを勝ち取れるかどうかは選手の持つ意識しだいということになります。隣の台で、多球の鬼高原コーチが選手交代を告げると、さっきまで気合十分で動き回っていた選手達が、ヨレヨレになって台から離れて行きます。やっと終わった~というのが本音だと思いますが「ありがとうございました~」と大声で叫んで1球コートに戻って行きました。頑張りましたね、お疲れ様と声を掛けて上げたいくらいです。わたくしの台もS木選手以外は交代になりました。次に鈴木監督が指名したのはK原選手と…何と娘です。本当にしばらく振りの球出しです。お心遣いに感謝しながらもここは娘としてではなく、大谷の選手としてどれくらいの実力があるのか観察させてもらう事にしました。S木選手とK原選手が一緒ですので、その差がよく分かります。S木選手、K原選手は本当に強いです。しかしこの2人の伸びは何処まで続くのでしょうか?見るたびに強くなっています。監督・コーチ陣にはご不満もございましょうが、誰が見ても順調に伸びが続いているように見えると思いました。この2人の強さの理由が球出しをしていて感じることが少しだけ出来ました。戦型も違いますし、性格も正反対に見えるのですが、確固たる自分自身の卓球スタイルがすでに確立出来ている点では同じであると感じたのです。娘についてはコメントする立場にはないのですが、球出しをさせて頂いたので感想として述べるとすれば…まだまだ全てにおいて“1年ぺ”ですね、まだまだ相手に影響される卓球から脱出するのには時間が掛かると感じました、技術力・戦術力共にまだまだ力量不足でしょう。体力を計算しながら多球練習に取り組むようでは周囲においていかれます、意識を高い位置に持ち続けることから逃げているように感じられました。1日も早く大谷の選手として認めてもらうためには、今までの1万倍以上は頑張らなくてはなりません。選手達の実力が高いのはもちろんですが、高い目標を持ち練習に臨んでいる選手達と練習させてもらい、久しぶりに充実感を満喫出来ました。練習終了後すぐに、自分も目一杯練習して疲れているのに冷たいお茶を持って来てくれたS木選手の行動には感心しました、周囲に対して常に気配りの心を持たないと出来ないことだと思います。大谷に練習に訪れる選手の方々もそういう心遣いを感じるので、多忙であるのにもかかわらず足を向けてくれるのだと思います。練習に取り組む姿勢はもちろんですが、先輩達から受け継いで来た様々な伝統を継承出来ている間は、この大谷中高校は強豪チームで有り続ける事だろうと思いました。さあ全国高校選抜は今度こそメダル奪取です。遠い北の地からご健闘をお祈りしております。乱文にて失礼“一生懸命球出しをした熊”
February 17, 2009
…先週末札幌は大雨が降り、積雪が大分融けました。同じ北海道でも全然気候の違う士別に帰ると、当然のように雨は雪に変わっており、玄関前の1メートル近い積雪をかき分けてやっと家に入ることが出来ました。疲れていましたが、そのままにしておくと翌朝玄関から脱出出来なくなりそうでしたので、「ママダンプ1号機」と「ママジョンバーマーク2」を操縦して小一時間除雪作業に追われ結局寝たのは…深夜1時になっていました。昨夜除雪をしたとはいえ、今朝起きると残念なことに昨夜と同じくらいの積雪になっていましたので、朝ご飯もパン1枚ですませて2台の「モビルスーツ」を駆使して除雪です。シャーのようなニュータイプなら3倍早く作業出来るのですけれど、残念ながら普通人のわたくしですので朝からグッタリするほどの時間を除雪に費やしてしまったわけです。土曜日は円山クラブが練習休みでしたので、午前中大谷を見学に行きました。S木先生に「円山休みなら午後から次男を連れてくれば?」とお気遣い頂きましたので、昼からアホ息子を連れて練習に伺う事にしました。実は2年生の時明日美が練習させて頂いた時に一緒に伺っていたのです。その日、T原コーチの娘さんのこむちゃんや、練習に来ていたN坂さんの娘さんと一緒に体育館の機具室で楽しく遊んでいたのですが、5年生になって少しは自我の芽生え始めている拓蒼は“女子と楽しく遊んでいた”事が恥ずかしいらしく「そんな昔の事は覚えちゃいないよ」とカサブランカのように決めていました。兄とは正反対の性格の拓蒼は、目を離すとすぐに手抜き練習に走りやすいので、昼ご飯を食べながらわたくし「拓蒼ぃ~へへへ~大谷厳しいぞ~少しでも弛んだ練習したら…怒られるぞ~」と、脅しまくると。拓蒼「…うん…大丈夫…」とあせった視線の定まらない目で精一杯虚勢を張っていました。しかし大谷の練習場に入ると蚊の鳴くような声で「おねがいします~」と完全にびびっているようです。はははっ少し緊張するくらいでないと「だらける」から良いと思って見ておりました。最初はわたくしと練習しましたが、途中から大谷の選手に混じって練習です。5年生にはかなりハードな練習でしたが、この日ばかりは必死で頑張っておりました。監督コーチ陣に色々と指導を受けた後…最後は恐れ多くも「斉藤コーチ」が直々にカット打ちの練習をさせてくれました。しかも大谷の選手が球拾いまでしてくれて…いつも明日美から凄い人なのだと聞かされていますので、相当に嬉しかったらしく帰りの車の中で「ニコニコしながらやっぱり世界選手権ベスト8はすごいね、パパのカットとは偉い違いだわ」と小生意気にほざいていました。このアホ!当たり前だろ!わたくしと斉藤コーチを比べてどうするの!!!それよりも~そんなこと斉藤コーチの耳に入ったら…「誰と比べてるの?」と今度こそ思い切り怒られるぞ~っ!(わたくしが)いつもこんな事書いていますが、心底優しい人なのです、でなければあんな小僧相手に練習なんてしてくれません。ありがとうございました。乱文にて失礼“今日は除雪疲れの熊”
February 16, 2009
ついに道新杯前夜祭二次会の全容を克明に書き記す日がやってきました。(楽しかったです)その日は札幌にしては珍しい猛吹雪の中で「札幌雪祭り」が開催されていました。しかしわたくし達8人は、はそんな浮かれた話は何処吹く風と熱い卓球論議を交わしながら、熱冷ましに冷たいビールを呑んでいました。もちろん参加者全員の総意だと思っていましたが、何たることか!この前夜祭参加者(tk0110)のブログに札幌雪祭を見学できなかったと、泣き言が書いてありました。あの吹雪の中「愛妻」と腕でも組んで「きゃー綺麗~」「そうだね楽しいね、なんか暖かい者でも食べようか?(^_^)v」なんて、夫婦善哉を満喫したかったのでしょうけど…OKH先生(匿名性UP!)そんな楽しそうな自分勝手は許されませんよ。わたくしは、来年も札幌雪祭り開催日程に合わせて無理矢理宴会を連日連夜設定して、先生を浮き世の迷事から必ず開放すると決意しました。ご安心下さい!さて一次会の話は先日ご披露致しました。どれだけわたくしが小さくなり皆様のお邪魔にならないように、静かに呑んでいるかが分かっていただけたと思います。「でん八」飲み放題の時間も終わり、全員で二次会に向かいました、なんて結束力の強い事でしょうね。以前に連れて行って頂いた離島出身者が経営する「ゴ○トン」かな?と思いましたら、大河原先生が「今日は誰も行ったことのない店に行きます。」と胸を張って皆を先導してくれました。自信を持って先導する割には、「立ち止まる」「見上げる」「紙を見つめる」動作が多いようで「ここ?いや住所が違うよ」「何ビル?」「何処?」と迷い歩き、やっと見つけた小さな入り口から狭いエレベーターに詰め込まれ、更に階段で1階上がった最上階に「中目卓球ラウンジ 札幌分室」はありました。入ると広い方のフロアーに卓球台が1台置いてありました。(不覚にも泥酔をして少々大人気ない行動と自信の記憶が一部飛んでおりますので、参加者の名誉を守るためにここからは匿名性の高いイニシャルトークとさせて頂きます)わたくし達は廊下を挟んで台の反対側のフロアーに座り2,500円飲み放題コースを選んだ後、早速交代で「卓球用品」の品定めです。卓球台は全道大会でも使えるような立派な台でした。しかしラケットは残念ながら「へら」でした。まぁそんなものでしょうけどね…それなのに何故かJOフラッシュグルーが置いてあり、そのアンバランスさに一同苦笑いでした。(誰がグルーイングするのさっ!)乾杯をした後すぐに「さぁ~試合よ!そうだダブルスでやろう!負けたペアがここの呑み代払うんだよ!いいねっ!!!」と、Sコーチが発案しました。「おーっ!!!」全員本気モード全開です。ペア決めは単純に隣に座っている同士です。H山さんS町コーチ1組。OKH先生S町コーチ2組。S先生SR町コーチ…そして世界のSコーチと不肖熊の4組です。(一次会で相当呑んだので組合せに間違いがあるかもしれません…あると思います)しかしいざ始めようとした時気づいた一番の問題は「シェークハンド」が2本しかないことでした。しかも8名の内「ペン」使いはほんの数名です。当然4人ともシェークを使いたい場合は争奪戦になる気配が漂っていました。こんな時の解決作はたった1つです。わたくしが「ジャンケンしかありませんね」と言おうとしたその瞬間でした。脱兎のごとくSコーチが走り出してラケットをゲット!!!驚きましたが隣に座っていたわたくしも、つられて思わずダッシュしてラケットゲットォ~唖然としてわたくし達を見つめていた皆さんが何かを言おうとしましたが…「はいはいグズはだめだよ、はいはい決まりねぇ~」このSコーチの一言に誰も反論出来るはずもありません。「へら」を握りしめて交代で少し練習しました。身体を動かしてアルコールが体内を高速で循環し始めた頃やっと第一試合が始まりました。「Sコーチと不肖熊組」VS「酔って思い出せない組」アルコールの回ったわたくしは、この当たりの記憶を集中的に失っております。最初にスタッフの方から普通に飲みに来ているお客さんが大多数をしめており、卓球台はストレス解消用“ピンポン”のためにおいてあること聞いていました。それではと、皆さんで話し合いルールを決めて伊藤繁雄さんばりに踏み込んだり、長谷川信彦さんのようにロビングを上げたりするのは禁止というルールで試合は開始されていました。…と、勝手なことを皆さんは言うのですが…話に参加せずに“高速素振り”をしていたわたくしはいきなりバックハンドを振り回して「よーし!」とかガッツポーズをしたりして、メンバーからひんしゅくを買うと同時に、反則で失点を取られSコーチにもう少しでAEDが必要になるくらい睨まれる始末でした。それから8人の激闘は始まりました。S先生は勝負根性丸出しでアップダウンサーブを出したりしたりしていましたし、しゃがみ込みサーブを出すアホなわたくし…スペクトルのナックルボールで相手がミスをすると大ガッツポーズをする方など…まさに8人が入り乱れて組んずほぐれつの泥試合を、周囲の冷たい視線をまったく無視して続けたのでした。(この店は基本的にそう言う店ではありませんよ、間違ってもラケットなんて持って行ってはいけませんよ)結果は、最下位決定戦10オールからびびって2本凡ミスをした私のせいで「Sコーチ熊組」のお支払いが決定したのでした。試合が終了した瞬間泣きのもう一回を恐れた6人はまるで潮が引くように静かに席に戻り「ごちになります」の声が響いたのでした。負けた2人で「マジかい!しかし本当に大人気ない、こんな所で必死になる気持ちが分からないよ、本当にさぁ~」と“正論”をぶちかましていたら。全員揃って「なに言ってるの!2人とも2本しかないシェークのラケットをダッシュして取ったのによく言うよ~誰が大人気ないって!王子サーブまで出したくせに!」ですって…まぁ返す言葉はございませんね。Sコーチが「分かった2人で払うよ、当たり前でしょう!」と言い。わたくしは責任を感じてしばらくふさぎ込んでおりました。でも、わたくしが反則をしてSコーチに睨まれた時点で、わたくし達の負けは決まっていたのですよ…あの眼力で睨まれたらワルドナーだって空振りですから!しばらくして楽しかった飲み放題の終了をスタッフに告げられたわたくしは「はいはい皆さん2,500円ですよ」と、最初の話などまったくなかったように無表情で会計を告げました。皆さんはそのタイミングについ思わず財布からお金を取り出したようでしたので、Sコーチとわたくしは、間髪入れずに3,000円を出して「お釣りはいらないから」と太っ腹な所を見せ、階段を下りて狭いエレベーターに詰め込まれて狭い玄関から店を後にしたのでした。勉強になりました、あのタイミングですね、有無を言わせないタイミングとは、まさに卓球もお会計もタイミングが本当に大切だと実感させられた夜でした。皆さんありがとうございました。ご馳走様でした。でもですね、決して“せこい”からではありませんよ…2人でお支払いをすると次は必ずやリターンマッチになると心底恐れたからです。ええ…これから呑むたびに毎回“ごちバトル”になるのを回避しただけです。外に出て携帯で時間を見ると、いつもの様に家族に言い訳の出来ない時間になっていましたが、これだけはタイミングでは解決出来ないなぁ…と、ため息をつきながらタクシーに向かって手を挙げたのでした。乱文にて失礼“道新杯の朝は完全に二日酔いでやっと起きた熊”
February 13, 2009
先週の土曜日に札幌で宴会、日曜日の道新杯、水曜日の余市オープン…士別→札幌→士別→札幌→余市→札幌→そして士別着(深夜1時)まるで、富士薬品か三光丸の営業さんのような忙しさで走り回っておりました。でもその忙しい今週も、もう一頑張りになりました。眠い…昨日は、後志オープンに拓蒼の最強ペアとして“2試合”も出場したので、体はボロボロです。自分ながら良く頑張りました、有森裕子が「自分を褒めて上げたい」と言った気持ちを初めて理解することが出来ました。試合内容については諸事情を鑑みて皆様にお伝えするは出来ませんが、緒戦が終わった時の周囲の方々の反応は…わたくしとしては実に不本意なものとしか言いようがありませんでした。1「良かったですね、拓蒼君“だけ”の頑張りで勝つことが出来ましたね」2「ミスの8割は熊さんでしたね、試合何年振りですか?それにしても入らないですね~」3「わっはっはっはっ~熊さん卓球出来たのですね~うける~」1.2については、まぁ…事実に近い…と言ってもよいくらいの装飾ですから甘んじて我慢慢しましょう…しかし「3」はなんですか「3」は!!!それも「3」と同意見者は1人ではありません。多くの方から“あんなにありがたいお言葉”を頂戴するとは、わたくし露程にも思っておりませんでした。まったく円山クラブ以外の後志オープンの要項には「人を見る目のない選手のみ出場可」とでも書いてあったとしか思えません。わたくしはとしては、前夜試合後のインタビューの返答を色々とシュミレーションしながら布団に入ったので中々眠りにつけなかったのが、実力を発揮できなかった理由だと思っております。1「ええ…まぁしばらく試合には出ていませんでしたが、若い頃はこれでもG○クラブのY原さんとも戦ったことがありますし、今はJR北海道女子監督の○方さんとも戦った事があります。ええ内容的には“引き分け”だったと僕の中では記憶しています。…でも試合は結果が全てと言われればそれまですがね」2「やれるかな?とは思っていましたが、予想以上に身体の切れは良かったようですね。…でも試合は結果が全てと言われればそれまですがね」3「今日は拓蒼の引き立て役ですから、伝家の宝刀と言われたカミソリカットも封印していましたがね…でも試合は結果が全てと言われればそれまですがね」どっちにしても、わたくしの事を随分と勘違いされている方の多いことに憤慨しながら最果ての地へ帰り着いたのが深夜1時…大変な1日でした。先週の土曜日には中目卓球ラウンジで「夜の世界選手権」も開催して皆様に見事なシャドープレイとしゃがみ込みサーブもご披露致しましたし…選手「熊」としても再始動しても良いかな?とも思っています。明日は「夜の世界選手権ダブルス大会」のお話しを少々…追伸:大K原チルドレン良くなってきましたね…良い試合でした。乱文にて失礼“筋肉痛でロボットのような動きの熊”
February 12, 2009
前夜祭、総勢8名その内訳は、道新杯参加の指導者3名(一名は大谷父兄でもあります。)中学の外部コーチ1名、大谷高校中学監督2名、コーチ1名とわたくしでした。次の日は道新杯全道小学校卓球大会ですので、“軽く呑みましょう”と約束をしました。可愛い次男が出場するのですから“軽く呑む”のはごく当たり前の事です。もちろん“勤務時間より長く呑む”なんてことは致しませんでした。そ~ですね~時間的には6時間くらいしか呑んでいません。残念だったのは“T原コーチ”とご一緒出来なかったことです。居酒屋でん八の小上がりで大河原先生にその理由を聞きますと“愛娘の試合のためにぐっと堪えて誘いを断わられた”との事でした。「ぐえっ…」せっかく気持ちよく呑んでいたのに、そんな話を聞かされたものですから危なくビールを吹き出しそうになり、向かい側に座っている世界の斉藤コーチに張り飛ばされるところでした。 しかしとんでもない話です。T原コーチが娘の大会のために誘いを断り。わたくしが「ほれ…ねっ!皆さんが集まるなんて中々ないよ、遠くは斜R町だよロシア領からだってビザ無し交流で来てるのだよ、H山さんともしばらくぶりだしさ~T原コーチだって明日こむちゃん試合だけど来るそうだよ。もちろん一次会で終わりだよ…付き合いだからさぁ~行かなきゃぁ~」…とか言ってやっと脱出したのに。そんなT原コーチの「家族思いの優しい父親」の話が“優しい妻”の耳に入ってしまいましたら、次の呑み会に参加することはベトナム戦争の地雷原から脱出するよりも難しくなってしまうかもしれません。おかげ様で、会場での優先順位一番は、拓蒼の試合トーナメント表チェックではなくて「T原コーチ」を見つけて“昨夜の口止め”をするになってしまいました。その時点ですでに二日酔いが確実なのに本当に面倒なことになってしまったのでした。先ほどまで完全にススキノに浮かれて呑んでいたのですが、その話を聞いてからはすっかり意気消沈してしまいました。「あの優しそうな顔がずるいなぁ~ったくぅ~でもこむちゃんを“応援する大声”は、審判員にまで睨まれるわたくしとどっこいだよ、家のビデオにまでT原コーチの声が入ってたよ“よーし!ナイスボール”とか言ってさぁ…」などと、ぶつぶつ呟きながらも舟盛の中で一番高そうなウニに集中して箸を動かしていました。しかしそんな美しい話ではないですよ、わたくしは真実を知っております。なんだかんだ家族愛に満ちた事を言っておりますが、真相は“優しい奥様の許可”が出なかったのです。ただそれだけです。間違いありません。ええ…そうですともそうでなくてはいけません。本人は呑みたくてジタバタしていたはずです。T原コーチ「あれ?大河原先生からメールです。今晩指導者や父兄の方々の皆さんがお集まりになっているようなので、私も顔だけは出さなくてはならないようですね。(東京弁)」奥様「明日こむちゃん試合でしょう?(東区弁)」T原コーチ「そうですね。皆さんには試合前なのでとお断りします。一応話はしましたが明日は道新杯ですからわたしも最初から行く気はありませんでした。(東京弁)」汗注(くれぐれもわたくしのヨタ話です。T原コーチの奥様は本当に優しい方ですので、こんな事はございませんので、皆様誤解なきようにお願い致します。フィクションだとご理解下さい)わたくしは外出禁止阻止のため、ない頭をフル回転させて無理な言い訳を考えながら、ちびちびとビールを呑み続けておりました。金曜日に病院で痛風の薬を貰いましたので尿酸値は下がりましたが、血圧は相当上がっていたかもしれません。久しぶりにお会いする方々も多く宴会は盛り上がり楽しい時間は、わたくしの心中をあざ笑うように過ぎて行きました。それでもアルコールの摂取量が多くなり気が大きくなり「なるようになる」と開き直り、ビールから芋焼酎に進み会話にしゃしゃり出て行く元気が出て来た頃、威勢の良い兄ちゃんが「熱いですから気を付けて下さい」と美味しそうな鍋物を持って来ました。流石は気配りの大河原先生です。「あっ私がやりますから」と座っている順番に、斉藤コーチ→H山さん→と「小鉢」に取り分けてくれています。わたくしにも、笑顔で「どうぞ」と手渡して頂きました。本当に美味しい鍋でした。ありがとうございました。わたくしは、“気配りの大K原先生”が正月に呑んだ時に、可愛い奥様を泣かせた(1月6日の日記参照)意趣返しで、小鉢ではなく「小さなれんげを置く皿」についでくれた“美味しい鍋”を「いや~大K原先生、正月には本当に悪いことをしました。あの後は大丈夫でしたか?本当に反省しています。すみません。でも初めて食べましたがこの鍋美味しいですね…でも…あの出来れば小鉢の方が食べやすそうですけど…」と汗をかきながら引きつった笑顔で食べていたのでした。鈴木監督に「熊さん随分汗をかいて暑そうですね?」と聞かれましたので。わたくしは「ええ…やはり鍋物は体が温まりますね、美味しいです」とお答え致しました。本当にこの夜は新陳代謝が進みましたので、翌朝はすっかり若返るかと期待しておりましたが…新陳代謝を上回る程アルコールを摂取しましたので、重い頭と体を引きずって「きたえーる」にT原コーチの口止め…いえ…道新杯に向かったのでした。でも…この道新杯前夜祭…本番は二次会にありました。長くなりましたので続きは次回に致します。乱文にて失礼“恐ろしい事に明日は後志オープンに拓蒼のパートナーで出る熊”
February 10, 2009
間違っていたらすみません。敬称は省略します。不明もあります…6年男子 1位水谷・2位金川・3位山根・名苗 5年男子 1位坂本・2位三和・3位沼口・松浦4年男子 1位詫間・2位寶金・3位中川・天野3年男子 1位 西・2位・3位 (大森・西谷・佐藤)?6年女子 1位伊藤・2位加藤・3位三橋・斉藤5年女子 1位佐藤・2位高原・3位工藤・鎌田4年女子 1位玉井・2位藤尾・3位松浦・小玉3年女子 1位山田・2位坂本・3位長門・明
February 9, 2009
昨日全道小学生卓球大会が開催されました。我が家からは5年生の次男拓蒼が出場。一昨年は3年生で準優勝していました。しかし昨年は粒高にはまって撃沈…拓蒼は浮き沈みが激しいのでまったく予想がつきません。1月の時点では全然調子が上がりませんでした。この大会はいつも正月明けにありますので、いつもの時期に開催されていましたら完全にアウトだったと思います。しかし今年はついていました。やっと調子が上向きになったところで開催されました。試合は、最初緊張気味で苦しみながら始まりました。やはり自信はなかったのでしょうね。やっと準々決勝へ勝ち上がり昨年2位の選手との対戦でした。1セット目を落とし2セット目もリードされながらも最後に逆転し1-1に追いつきました。3セットをジュースで取ると、ようやく落ち着き何とか勝つことが出来ました。準決勝は4年生のカブ北海道予選準決勝の相手でした。その時には1-3で負けています。ピッチが速くミスも少ない選手で、北海道優勝経験もある強敵です。正直勝てるとは思っていませんでした。この試合も1セット目を落とします。2セットはせっかくよいスタートを切ったのに後半追いつかれました。しかしここは拓蒼にしては珍しく頭を使ってサーブ切り替え何とか逃げ切る事が出来ました。3セット目も同じような展開で取り、4セットは接戦の10-9からフルスウィングしたフォアが“エッジ”で入り相手には申し訳ありませんでしたが、辛勝する事が出来ました。しかし念願の優勝はお預けでした…昨年の北海道ホープス団体戦シングルで当たりセットーオールジュースで負けた南茅部の千隼君に1-3で敗戦でした。仲良し同士の決勝ですが、4セット目千隼君には絶対に優勝するぞ!という気迫がありました。技術は千隼君が一枚も二枚も上なのに、気迫まで負けていては拓蒼に勝機はありませんでした。とは言え、今の拓蒼にしては上出来の結果でした。90点は上げてもよいと思います。この結果を励みに又頑張って欲しいと思っています。今日はスキー授業…大丈夫かなぁ?3セット目になりふと気がつくと他のカテゴリーの決勝が全種目終了しました。なんとあの巨大道立体育館「きたえーる」で1台しか試合をしていない状況になったのです。まさに決勝戦でした…うらやましくも恐ろしい話です…でもよく考えてみるとただ単に負けが目立っただけですね。そんな事で目立ってどうする今度こそ優勝して目立て!!!実は大会の朝は完全な二日酔いでした…ええ…前日大宴会を繰り広げてしまいました。その話は明日にしますが、大ヶ原先生~楽しみにしていて下さいね(^^)/大爆笑でしたが…卓球台のある飲み屋になんか行ったら次の日大変な事になることがよ~く分かりました。世界の齋藤さん申し訳ございませんでした…ええ…全てわたくしのノミの心臓が悪いのです…歩夢の面倒を見る優しい拓蒼…チャンネル争いはするけど…乱文にて失礼“うれしかったですが昨夜吹雪の中を4時間30分掛かって帰った熊”
February 9, 2009
…痛風が…出そうです!最近飲み過ぎなのでまずいとは思っていましたが、いよいよ発作の予兆が今朝出ました。わたくしくらい経験を積むとその兆候を見逃したりはしません。ええ…もう何度もですからね…どうですか?すごいでしょう?お医者さんもビックリの自己認識能力の高さと言っても過言ではないと自負しております。…まぁただの自己管理の出来ないアホと言ってしまえばそれまでですけれど。昨日は、先月から週に一度くらい練習に来ている中学生の練習を8時までしてから「400円銭湯」へ行き、9時までサウナに入ってからご飯を食べて寝る予定でしたが…自分では気がつきませんでしたけれど、一生懸命練習したのでしょうね~喉が渇いてしょうがないので、ついついビールを軽く500缶を2本と、少し飲み足りないので、350缶を1本…それから…12時まで飲み続けていました。寝るときには左足に違和感を感じて「まずい」と思いましたが、これは「勘違い」だ練習をしたから「筋肉痛」になったのだと自分を励ましながら、何とか眠りにつきました。しかし今朝起きてみるとその予兆は大きくなっていました。ええ分かっていますとも、これは来ますよ…自信があります。お医者さんからは「毎月必ず”通院”して下さい、薬を飲まなければ”絶対に”又発作を起こしますよ」と念を押されていたのですが、”痛飲”を守ってしまい、2ヶ月程薬を切らしておりました。又、いつものように若いお医者様に怒られなくてはなりませんね…情けない。50も近くなって「はい…すみません…はい…解りました…はい…はい…はい」どうやら悪いサイクルに入っているようです。「病院で自己嫌悪に陥いる」→「ストレス解消のために呑む」→「尿酸値アップ」→「発作」とほほ…やはりダメな大人の代表と言うことになりますね。乱文にて失礼”病院に怒られに行ってきます。情けない熊”
February 5, 2009
昨年の2月に札幌に部屋を借り、長女と妻と7ヶ月の歩夢の新生活が始まりました。まだ小学生でしたので週末と、春休み期間を利用して出来るだけ練習に通いました。あれから1年が経過したわけです。あまりの慌ただしさに備忘録も滞りがちであったようで、開くと空白が目立ちます。大会日程など確認したいことがあっても残念ながら全然役に立ちません。我ながらそのずさんさには呆れてしまいました。今年は今のところしっかりと記入しておりますが、来年ここで同じような反省をしないように気を付けたいと思っております。士別に残っていたわたくしは、毎日長男と次男の家事に追われていました。まずは食事の支度です。朝ご飯と夕ご飯ですが、いくら簡単だと言っても毎日うどんや焼きそばを食べさせるわけにもいきません。毎日のメニューに頭を抱えておりました。買い物に行ってもなにを買ってよいか見当もつかず、妻に携帯電話で「何を買ったらよい?」と電話をしながら買い物をしていました。今思うと「はじめてのお使い」の幼稚園児よりもレベルが低く情けなくなります。わたくしよりも子供達の方が不安だったと思います。しかし文句も言わずに食べてくれていたので、今更ですが感謝しなくてはなりませんね。洗濯は子供達がしてくれました。わたくしよりもずっと役立つことを認識させられ寂しい気持ちになったものです。元々家事に自信はまったくありませんでしたが、それなりに「自信喪失」をしておりました。長男は士別に残る予定でしたが、やはり2月に転校を決めました。元々温和しくおっとりとした性格ですからその決断には驚きましたが、妹が頑張る姿を見て負けてはいられないと思ったようです。昨年は何とか全国初出場をしましたが、まだまだ今まで以上の気構えを持たないと自分で立てた目標の達成は難しいと思います。時の経つのは早いのを実感しながら、そろそろ慣れてきた「弁当」を手早く作り、職場に向いました。乱文にて失礼“最近は前日呑むと、なぜか朝早く起きてしまう熊”
February 4, 2009
呑みながら古いビデオを整理していたら、2004世界ジュニアのビデオが出て来ました。まだ痴呆…ではないと思いますが、どうも最近忘れっぽいので何度も見たはずなのに内容も出場選手も全然思い出せません。「まぁ一人ではする事もないのだから」と再生してみると…すごいメンバーが対戦しておりました。試合は、岸川・水谷・高木和選手が中国相手に大熱戦を繰り広げておりました。1番で岸川選手がサウスポーの周選手と対戦、1セット目4-10から逆転勝ちするとその勢いでそのまま勝利します。「う~ん」と唸るくらい感動的でした。プレイスタイルはその頃にはもう完成されていたのですね、得意のバック系技術がやはり素晴らしく、台上でも前中陣でも自由自在に様々な打法を操って得点しておりました。ボディバランスも素晴らしく、ミドルに攻め込まれた時にも体を上手く入れ替えて処理してピンチをチャンスにしておりました。しかしわたくしが一番感心したのは試合中のメンタル面です。ドイツでの試合経験が生きているのか、リードされていても堂々とプレイしていました。逆に周の方が6,7点と追い上げられると視線も定まらず中国選手特有の落ち着き払った試合態度はまったく見られませんでした。この試合では、以前の日本人選手が持っていたチャイナコンプレックスを見事に振り払っているように見えました。大きな声を出して自分を奮い立たせてガッツポーズを取り。ある意味図太く生意気に見えるくらいでしたが、やはりこれくらいの気持ちがなくてはここ一番で力を出せないのではないかと、感心して岸川選手を見ていました。(えらい)我が家の子供達も見習って欲しいところです。性格ももちろんありますが、それが出来ないと実力が出しきれずに負けてしまう事もあるのです。そのハードルを越えてこそ始めて勝利が待っていることに早く気がついて欲しいと思っています。(失礼ですが岸川選手の体型にも少々親しみを感じております。)画像説明何度ダメだと言っても食事中に足を出すのをやめなかったそうです…歩夢は図太いと思います。食事時ですので褒められませんが… 乱文にて失礼“今日はいつもの真面目に戻っている熊”
February 3, 2009
早くも二月です。寒い日が続きますが、春が近づいていると前向きに考えて耐えるしか方法はございません。ここ数日は-15度程で気温が推移していたようです。2月上旬は-30度になることもありますので、こちらにしては過ごしやすい気温ではあります。しかしその寒さは、凍結防止スイッチオンで高額な灯油料金を掛けているボイラーをあざ笑うかのように凍結させ、日曜深夜に辿り着いたわたくしを落胆させるのには十分な寒さではあったようです。今晩はボイラーの前にポータブルストーブを置いて解凍作業をします。節約のためストーブの上に鍋を置いて、サッポロドラッグストアーで安売りだった「ボンカレー熱辛」を暖めます。まあまあ豪華な晩ご飯だと思っております。日曜日は、クラブの練習が午後からでしたので、長男・次男と区の体育館で練習をしました。次男は8日に大会がありますが、元々大会だからといって特に頑張るような子供ではありません。(誰に似たのでしょう…)その次男が妙に一生懸命過ぎなのです。真面目な長男と顔を見合わせて心配をする程の頑張りでした。いつもは練習が長くなるとすぐに疲れた顔をするので、スリッパで頭を張り倒したくなるのですけど、どういう訳か集中が切れることなく2時間兄としっかり練習をしていました。わたくしもそんな次男を見たものですから、ついつられて短い時間ですが久しぶりに球出しをしました。単身になってからは週に1・2回くらいしかする事がありませんから、今日はあちこち筋肉痛で辛い1日となりそうです。(怠け過ぎですね…)先週にも大会がありました。次男はいつも試合で負けても気にする様子もなく、試合後すぐに「なんか飲みたい」とか「お腹空いた」とか言い出すようなお気楽選手です。しかしどうしたことか龍谷高校(選抜北海道代表)の選手相手に気合い十分で立ち向かい、ジュースになるなど健闘したせいなのか珍しく悔し泣きをしていました。監督も冗談で「拓蒼お腹が痛いのか?」と聞いたくらいですから、普段がお分かりいただけると思います。親としてはこの調子で少しは欲を出して、今年も飛行機で試合に行くつもりで頑張ってくれると嬉しいと思いながら、助手席で妻の作ったおにぎりを頬張る次男と、後部座席で次男に見つかって、ぶん取られないようにこっそりメロンパンを食べる長男を連れて円山クラブに向かいました。《画像は1歳半の歩夢とチャンネル争いをする次男…》乱文にて失礼“う~ん…本当に体が痛い熊”
February 2, 2009
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