全3件 (3件中 1-3件目)
1
緑翠荘さんのところでなかなか面白いものがありました。「平和バトン」だそうです。自由にお持ち帰りください、と言うことなので、私もやってみようかと思います。1.平和と聞いて思い出すイベントは? ありがちな解答ですが、広島・長崎の原爆犠牲者追悼式典。子供の頃は広島に住んでいたので、これにはちょっと思い入れがあります。 そんな式典の裏で、核兵器反対団体が二派に分裂して争っているのを見ると、何やってんだろうと思いますが(苦笑)。 2.平和と聞いて思い出す本(あるいは映画)は? 檜山良昭氏の「日本本土決戦」。原爆開発が失敗した影響で、連合軍が日本に上陸したという設定の架空戦記です。 最終的に全人口の3分の1が死亡し、米ソに分断占領され、完全に壊滅状態になった日本の様子が描かれ、それを聞いたトルーマン大統領が「この戦争は一体なんだったのかね。お互い、ここまでやる必要があったのかね」 というシーンが非常に印象的です。平和の大事さを教えてくれる一冊ですよ。3.平和と聞いて思い出す曲は? シベリウスの交響詩「フィンランディア」。大国からの独立を果たし、自分たちの望む平和を手に入れたフィンランド人の歓喜が伝わってくる名曲です。一度生で聞いてみたいなぁ…… 4.平和を感じた建物(施設)は? 今の日本の街並み。戦後の焼け野原と対比すれば、それがより鮮明に伝わるかと。 5.平和を感じた時は? こういう事を書いている自分がいるというその現状、そのものでしょうか。 6.平和はあなたにとって何? 不断の努力によって維持し、守り抜いていくべきもの。 ただ安全なだけで自由がない状態も、自由があっても安全がない状況もわたしは御免被ります。 7.今の平和はずっと続くと思うか? それを決めるのは自分を含む多くの人々の行動によると思います。 ずっと続いていくように、自分の力の及ぶ範囲で努力したいですね。 8.平和への脅威の原因は? 自分たちさえ良ければ良いという、利己的な人や集団、国家の存在。 9.脅威を取り除くためにあなたは何をすべきか? 平和を守り抜こうという決意を持っている政治家を探し、その人に投票する事。 また、身近な人々、出会った人々にその考え方を広める事。 10.バトンを3人に回すとすれば誰? 緑翠荘さんを見習って、自由にお持ち帰りできるようにしようと思います。 こんなところでしょうか。皆さんも是非どうぞ。
2005.11.23
コメント(0)
自分では完璧な計画を立てていたのに、他者の思わぬ行動でそれが台無しになった、という経験は無いでしょうか? 例えば、観光に行くのに、電車の時刻を調べて完璧な行動予定を立てたのに、電車が遅れたとか、あるいは同行者の一人が遅刻してきたという理由で、その完璧な予定がぶち壊しになったとか。 もちろん、自分のミスで完璧な準備を整えて待ち受けていた相手に大迷惑をかけてしまった事もあるでしょう。 このように、人と人との関係は相手があって成立するもので、自分が他者の行動を100パーセント制御できない以上、つねに何らかの齟齬は存在します。時にはそれが当人同士の話し合いでは収拾がつかず、喧嘩や訴訟などに発展することもあります。 これと同じ事は国家間の関係にも存在します。ある国が完璧な内政を敷いていても、隣国が経済政策に失敗したために、不況が波及して経済がダメージを受けたり、遠国の環境汚染が自国で酸性雨の問題として表面化したり、こうした事例は枚挙に暇がありません。 紛争・戦争についてもそうです。国家間の争いが起こるのは、両国間に何らかの対立点があり、それが話し合いで解決できない場合に、最終的手段として両国の指導者が覚悟を決めたときがほとんどですが、対立点もないのにいきなり戦争を仕掛けられた例があります。 1939年、ソ連は隣国フィンランドに対し、カレリア地峡の割譲を要求しました。この時の口実の一つに、とてつもなく理不尽なものがあります。「カレリアから大砲を撃つと、弾がレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)市街に届くので、国境を下げてほしい」 というものです。この理屈が通るなら、技術が進歩して大砲の射程が延びるたびに、フィンランドはソ連に土地を割譲しなければなりません。また、逆に言えばレニングラードからフィンランドを攻撃できると言う事でもあるのですが、ソ連はその事には口をつぐんでいます。 現代ではここまで酷い理屈をつける事はないにしても、自国の都合で一方的に相手国へ譲歩を要求する事を「外交」として行っている国は確かに存在します。 さて、ソ連の一方的要求に対し、フィンランドはどうしたでしょうか。 人口も少なく、産業もあまり発展していないフィンランドに対し、ソ連は世界有数の強国です。人口は百倍以上。軍事力も比較になりません。まともに対決すれば、フィンランドに勝ち目がないのは、火を見るより明らかです。 しかし、フィンランド政府は自分たちが小国であることを理解した上で、決してこの理不尽な要求に泣き寝入りするつもりはありませんでした。交渉の席上で「こっちから大砲を撃つ予定はないので、国境線の変更は必要ない」 と、ソ連の要求を即座に拒否。激怒したスターリンはフィンランド侵攻を命じ、両国の対立は戦争に発展しました。 フィンランド軍は巧みな戦術と地の利を生かし、さらに諸外国からの支援も得て、強国ソ連に一歩も引かぬ戦いぶりを見せ、結局カレリアを守り切ることはできなかったものの、国の独立を保つことに成功しました。ソ連も多大な損害を被り、以降フィンランドに対する無茶な要求は控えられるようになります。 もしフィンランドが最初の脅迫に屈していれば、与しやすし、と見たソ連はさらに脅迫を加え、フィンランドを追い込んで行った事でしょう。ソ連の一方的な要求に屈してしまえば、相手が図に乗って要求をエスカレートし、フィンランドが立ち行かなくなるまで迫ってくるだろうと言うことを、フィンランド人は知っていました。だからこそ、勝算の薄い戦いであっても受けて立ったのです。 このフィンランドとソ連の例は少し極端ですが、別に何の落ち度もないのに、「相手国の都合」というだけで戦争や紛争に巻き込まれる例は確実に存在します。 しばしばこうした事を忘れているのが、日本の自称平和主義者です。彼らは「平和憲法さえ守っていれば戦争は起きない」「日本が自重すれば戦争は起きない」という主張をしますが、これは日本の……と言うより彼らの都合だけを言ったものであって、他国の都合はどうなのか、と言う視点に欠けています。 また、これらの主張は、いわゆる日本悪玉論と言うか、日本こそが平和を乱す諸悪の根源であるかのような、彼ら独自の思い込みによって為されるものですが、逆の角度から見れば「日本(自分たち)だけが平和へのキャスティングボードを握っている」と言っているのに等しく、きわめて傲慢な思い上がりです。 楽天でも良く見られますが、自称平和主義者がしばしば自分の意に反する書き込みに対して、極めて攻撃的なレスを書き込んだり、投稿を規制したりするのは、結局彼らが独善に取り付かれ、自分たちを客観的に見る視点を失っているからに他なりません。 自分の事だけでなく、他者を見る目があって、初めてその全てを含む世界を見る目が生まれます。他者だけでなく自分にも盲目な者は、結局平和を作ることなどはできないでしょう。
2005.11.23
コメント(0)
アメリカの偉人として、ベンジャミン・フランクリンと言う人がいます。一般には、雨の日に凧揚げをして、雷が電気である事を確かめた、という業績で知られる科学者ですが、もう一つの顔として、彼はジェファーソンらと共にアメリカ独立宣言の起草に携わり、それに署名した五人の一人になったほか、独立戦争においても大きな功績を上げた政治家でもありました。いわばアメリカ建国の父と言うべき人物で、実際「全てのヤンキーの父」と呼ばれています。また、100ドル紙幣の肖像画は彼のものです。日本でいえば、伊藤博文か板垣退助か、というような人物でしょうか。 そのフランクリンの言葉として、次のような物があります。「史上の全ての戦争は悪。全ての平和は善」 まさに名言です。そう、よほど良心を無くしている者でも無い限り、誰だって戦争など悪でしかなく、平和は尊いものだと知っています。この言葉に面と向かって反論する人はまずいないでしょう。 ですが、この言葉を発したフランクリンは、独立戦争において自ら戦場に立つ事はなかったものの、外交官として欧州諸国を飛び回り、戦費を集め、あるいはイギリスに対する国際圧力の形成に寄与するなど、多大な貢献をしています。戦争を悪と断じた人間が、何故そんな事ができたのか? 答えは、フランクリンのもう一つの名言にあります。「一時的な安全のために基本的な自由を売り渡す者は、自由も安全も享受する資格をもたない」 先の名言における「平和」に対して「自由」と「安全」がセットになって語られているのが、この言葉のポイントでしょう。フランクリンはこの二つが揃って、初めて平和が達成されるのだと言っているのです。 フランクリンの生まれた時代、アメリカはまだイギリスの植民地で、現在の超大国の片鱗はまだ見られませんでした。 その宗主国であるイギリスは、当時世界最強の大国であり、フランスとの植民地争奪戦だったフレンチ・インディアン戦争を勝ち抜いて、アメリカ大陸における覇権をほぼ確定していました。 しかし、莫大な戦費はさすがの大国イギリスの財政をも逼迫させ、その解決策として、イギリスは植民地への課税を強化することで図ろうとします。 課税とは言っても、植民地人たちから見れば、不当な搾取に過ぎません。矢継ぎ早に打ち出される本国の課税に対し、植民地側は激しい反対運動を展開し、ボストン茶会事件以降は懲罰の意味もあって、さらに過酷な課税が加えられるようになっていきます。 当時、フランクリンは既に外交官として活躍しており、イギリス本国との紛争回避のため、イギリスを訪れていました。しかし、イギリス側は国王の意思もあって植民地に対しては高圧的な姿勢を辞さないと言う態度を崩しませんでした。そして、ついに両者の対立は独立戦争という形で火を噴くことになります。 歴史にもしもは無い、と言いますが、敢えて考えてみましょう。もし、ここでアメリカ側が「史上の全ての戦争は悪。全ての平和は善」だからという理由で自重していたら…… 確かに、この時には戦争は起きなかったかもしれません。しかし、アメリカは搾取されつづけ、人々の不満は残ります。問題が先送りにされただけで、数年後には再び戦争の危機が訪れたことでしょう。 しかし、その時に戦うのは、過酷な収奪によって弱ったアメリカと、逆に力を回復させたイギリスです。恐らくアメリカに勝ち目はありません。 戦いはイギリスの勝利に終わり、アメリカはその後も過酷な収奪によって苦しむ事になったでしょう。まさに「一時の安全」と引き換えに「自由」を失ってしまった状態です。 そして、一度抗う力を失った者が再起することは、非常に困難です。世界の中で植民地だったことのある歴史を持つ国や地域の中には、数世紀に渡って宗主国への従属を強いられたと言う例は珍しくありません。アメリカも敗北していれば、今でもイギリスの領土であったかもしれません。「一時的な安全のために基本的な自由を売り渡す者は、自由も安全も享受する資格をもたない」 という気概の元に、起つべき時に起ちあがった人々がいたことが、現在の超大国アメリカの基礎を作った。そう言っても過言ではありません。 というよりも、現在独立国家として存在している国の大半はそうでしょう。日本でも、黒船来航以来独立を失いかねない危機はありましたが、それを救ったのは、日本と言う国を守ろうと立ちあがった多くの人々の働きがあってこそです。 さて、現在の日本に目を向けてみると、こうした気概を持たないどころか、その正反対の行動を取っている人々がいることがわかります。各地で旗揚げしている「無防備都市宣言」を実現させようと言う運動のことです。 この運動のおかしさについては、いろんな所で述べられていますので、敢えて繰り返すことも無いかとは思いますが、結局の所、この運動をしている人々は平和と安全の区別がついていません。「自分たちが戦争に巻き込まれない=平和」だと思っているのです。だから批判され、あるいは馬鹿にされるわけですね。 そもそも、無防備都市とは「軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地で敵対する紛争当事国による占領のために解放されているもの」 です。つまり、敵に占領される事が前提。もし侵攻軍が紳士的な軍隊であれば、ひょっとしたらある程度までは「安全」は保たれるかもしれません。しかし、そこには「自由」はありません。少しでも侵攻軍の不利益になる事をすれば、即座に逮捕です。つまり、運動者が求めるところの「平和」はそこには無いわけです。 矛盾しているようでも、平和を守るためには、例え自分の身が危険に晒されたとしても、戦う気概を見せなくてはならない。まぁ、私だって傷つくのは嫌です。しかし、相手の言いなりになって生きていかなくてはならない身分に落とされるのは、死んでも御免です。 幸い、現在の日本の首相である小泉潤一郎氏は、そこがわかっている人のようです。 「自衛隊がなく、いかなる戦力も保持しない非武装だから、平和が守れるんだ、独立が守れるんだ、という考え方があるのは承知しております。しかし、そういう考え方に私は同調出来ません。諸国民の公正と信義に信頼して日本は武力を持たない、自衛隊を持たない、いざ侵略勢力があったら何も闘わないで降参します、ということが相手の侵略を防げるかとは思っておりません。諸国民の公正と信義。その公正と信義のない国もあるのも過去の歴史が証明しております。………戦争はイヤだ、侵略されたほうがいい、確かに戦争をしなければ侵略されてその国の独裁にまかせれば確かに戦争は起こらないかもしれません。それだったらもう、奴隷の平和です。私は奴隷の平和は選ばない。やはり平素から日本の平和と独立を侵そうとする勢力に対しては断固たる決意をもって抵抗するという、その備えがあって初めて戦争は防げるのではないでしょうか」~参議院 第156回国会 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第12号(2003年6月5日)での発言~ 個人的には、首相の「私は奴隷の平和は選ばない」は素晴らしい名言だと思うのですが、どうでしょうか?
2005.11.11
コメント(4)
全3件 (3件中 1-3件目)
1
![]()
![]()
![]()