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戦争において、とりわけ凄惨な事態をもたらすものとして、「焦土作戦」があります。 今話題のライブドアが昨年フジサンケイグループと展開したニッポン放送の株争奪戦で、ニッポン放送が傘下のポニーキャニオンを売却した事が「焦土作戦」と騒がれたので、この単語自体は記憶している人も多いでしょう。 元来の焦土作戦とは、敵軍が自分の領土に侵攻して来た際に、防御側が領土内の価値ある資産……例えば街や畑、水源などを自らの手で破壊し、敵に奪わせないようにする事を言います。 そんな事をして何か意味があるのかとお思いでしょうが、侵略してくる側にしてみれば、その目的は敵領内の資産を奪い取って自らのものにする事ですから、奪うべきものが破壊されてしまっていては、戦争をしても何の得にもならないわけです。 また、戦争においては物資を現地調達することも良くありますから、焦土作戦によって迎撃された侵略軍は、深刻な補給の不足に悩まされる事にもなります。 歴史的には、紀元前6世紀に南ロシアに居住していたスキタイ人が、侵略してきたペルシア帝国の軍勢を焦土作戦で迎え撃ち、撃退した事が最初の例として記録されているようです。 ロシアは土地が広大で、かつ気候が厳しい事が焦土作戦を行うのに適した条件となっており、ロシアに侵攻した国の軍勢は、しばしばこの焦土戦術によって迎え撃たれ、ついには敗れ去っています。 この焦土作戦、その有効性は極めて大きいものである事は確かなのですが、防御側にとっても非常にダメージの大きい諸刃の剣です。何しろ敵を撃退しても、後に残るのは破壊された国土しかないのですから。第二次大戦においてドイツを焦土作戦で迎撃したソ連邦は2000万人に及ぶ戦死者を出したとも言われます。 さて、この焦土作戦の有効性に着目してかどうかはわかりませんが、似たような事をしている人がいます。 某S氏の弁護士先生、内容証明送って・・・ / ピレネー山脈さん / 精神異常者の担当弁護士先生、そりゃないぜ~・・・ おバカ担当の弁護士先生、素人に失笑・・・ / ピレネー山脈さん / 依頼人(某S氏)が精神異常者なのは承知している・・・ 某S氏の弁護士先生、1時間で理解で・・・ / ピレネー山脈さん / 精神異常者の担当弁護士さんこんにちわ。 ・・・ 某S氏の弁護士先生へ、ホント大丈夫??^^ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏が相当なオオバカなのか?そ・・・ 某S氏の弁護士先生、しっかりしてく・・・ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏担当の弁護士先生、 貴殿の・・・ 弁護士先生、「無料」で情報を教えて・・・ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏の担当弁護士さんへ 貴殿の・・・ 拝啓、某S氏の弁護士先生へPART2^^ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏の担当弁護士さん、 貴殿の・・・ 弁護士先生、某S氏が「裁判する」と・・・ / ピレネー山脈さん / 某S氏の担当弁護士先生、良かったですね~。・・・ 今度は楽天さん相手に裁判?? By・・・ / ピレネー山脈さん / しかし、精神異常者てのは、妄想の中でしか生き・・・ アホないい訳は世界一の某S氏(精神・・・ / ピレネー山脈さん / こいつの言い訳はいつもながらに大爆笑を誘う・・・ アホないい訳は世界一の某S氏(精神・・・ / ピレネー山脈さん / パパの彼女に泣きついた結果、一応は弁護士と・・・ 精神異常の弁護士が動く!!ホントかい? / ピレネー山脈さん / 何度も何度も「弁護士に相談している」をウソば・・・ やはり某S氏の彼女のパパは無能でした。^^ / ピレネー山脈さん / 大親友のSinちゃんの掲示板に精神異常・無知・・・ 大爆笑!!ぼたんさん断念で、楽天へ・・・ / ピレネー山脈さん / やはり精神異常者の取る行動は、理解できない!・・・ 某S氏の彼女のパパも嘘つき男くさい・・・ / ピレネー山脈さん / 楽天の精神異常こと某S氏は、私のリンク仲間「・・・ 精神異常(某S氏)繋がりのJSFも・・・ / ピレネー山脈さん / 「某S氏の彼女のパパ」が弁護士費用を出すとい・・・ 精神異常(某S氏)の彼女のパパもウ・・・ / ピレネー山脈さん / 「彼女のパパが弁護士費用を捻出した」と言って・・・ 精神異常者(某S氏)とバカ弁護士の・・・ / ピレネー山脈さん / 彼女のパパにお金を出して雇った弁護士。 ど・・・ 拝啓、某S氏の顧問弁護士さんへ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏の弁護士先生、こんにちわ。・・・ 弁護士先生はどうしたの?? / ピレネー山脈さん / 彼女のパパに泣き付き、弁護士費用をヘルプした・・・ 精神異常の某S氏は男になれるか? ・・・ / ピレネー山脈さん / 著作権違反でありながら(無論、精神異常者であ・・・ 拝啓!!精神異常の彼女のパパへ。 / ピレネー山脈さん / 精神異常(某S氏)の彼女のパパ。 貴・・・ 著作権侵害でも裁判で勝てない??^^ / ピレネー山脈さん / 精神異常の某S氏君は、「明らかな著作権侵害・・・ 新年でも精神異常(某S氏)は変わら・・・ / ピレネー山脈さん / 皆様、明けましておめでとうございます。 ・・・ 精神異常(某S氏)の友達Sinも逃げて・・・ / ピレネー山脈さん / 楽天には、精神異常つながりが多い。 た・・・ 年明けです!某S氏の弁護士先生の出・・・ / ピレネー山脈さん / 明日からいよいよ通常業務となる会社が増えま・・・ (2006年1月25日現在) この方です。戦争反対のテーマを焼き払うかのような勢いで、中を見るまでもなくタイトルだけで中傷としか思えない日記を書き続けるピレネー山脈氏。この調子で戦争反対のテーマを無意味なものとし、敵対している相手の活動を封じ込めるつもりなのでしょうか。 その精力的な活動には感心しますが、おかげで普通に戦争反対を語りたい人にとっては大迷惑です。 また、ピレネー山脈氏のやっていることは、焦土作戦ではありません。焦土作戦は自分の財産を破壊する事によって行われるものですが、氏は自分の領土(ブログ)は書込み禁止措置によって完全防御し、戦争反対テーマと言う公の場を破壊しています。 こういうのは「三光作戦」と言うのです。 三光作戦とは、中国で日本がやったと言われている、敵領土内の資産を破壊し尽くす作戦の事。言わば逆焦土作戦です。 近年では日本がそのような作戦を取ったかどうか異論も出ているようですが、とりあえず「戦争反対」の立場から言えば、そのような行為には反対である、と言うのが誰でも思うことでしょう。 その禁断の戦法を恥じらいもなくやってのけるピレネー山脈氏にお聞きしますが、貴方は本当に戦争に反対ですか? 自分を平和主義者と胸を張って言えますか? 少しでも良心に恥じるところがあるのなら、このような行為は即刻止めてください。本当に迷惑です。
2006.01.24
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一日目の大和セットに続き、大和を訪ねる旅の二日目。目的地は呉の海事科学技術館、通称大和ミュージアムです。 呉はかつて海軍の鎮守府(一番重要な基地)が置かれ、海軍の街として発展してきた所。現在も海上自衛隊の基地が置かれており、この日は珍しく「おおすみ」級輸送艦が2隻も停泊していました。 大和ミュージアムはそんな呉の歴史全体を含め、海や船に関する技術・歴史について全般的に展示した博物館ですが、メインとなる展示物は実物の10分の1の大きさを持つ「大和」の模型です。 博物館の外に展示してあるのは、1943年にこの沖合にある柱島泊地で爆発事故を起こして沈んだ戦艦「陸奥」の遺留品。40センチ主砲は砲弾を装填する「尾栓」の部分まで残っているためか、昨日の大和セットについていた46センチ砲よりも大きく見えます。ちなみに、同じ砲は東京の「船の科学館」でも展示されています。 いよいよ中へ入り、券を買って展示スペースへ。まず出迎えてくれたのが、ここの目玉、10分の1大和。 模型と言う言葉で想像していたのよりも遥かに大きいものです。全長27メートル近く、全幅も4メートルはありますから、ちょっとしたクルーザーよりも大きい事になります。 実際、この模型は造船所で「建造」しており、船体が完成したときには進水式までやっているくらいですから、構造的には本当の船と一緒です。 やはりセットと違って全てのパーツが揃っているので、視覚的なインパクトは大きいです。特に下から艦橋を見上げる時など、実に堂々としています。 もしこの艦橋部分が尾道のセットにもついていれば、さぞかし迫力があっただろうと思いますが、さすがにベニヤ板のセットにそこまで求めるのは酷ですね(笑)。実物大で見たいのは山々なんですが。 10分の1大和の右舷側には、呉の歴史や大和のメカニズムについて触れた展示室があります。 大和は当時決して富裕な国とも技術先進国ともいえなかった日本の、最良の部分をつぎ込んで建造されただけあって、その技術的蓄積は、戦後の復興において大いに役立ったと言われています。有名な話として、新幹線を開発した技術者が戦闘機の開発も担当していた事が知られていますが、大和にも似たような事例はありました。 その頑丈な装甲板を作る技術は、戦後に建築資材用・自動車製造用の特殊鋼を作る技術の基礎になり、造船技術は巨大タンカーの建造技術の元となったそうです。俗に大和とピラミッド、万里の長城を並べて「世界の三大馬鹿」と呼び、何の意味もない物として蔑む意見がありますが、後者二つは観光資源を残し、大和は技術を残しました。そうでなくても、偉大な技術的達成であるこれらの巨大建造物を馬鹿にするのは、それこそ愚かな振る舞いといえます。 ちょっと話が逸れました。展示物の話に戻ります。 左舷側の展示室には大和以外の兵器が展示されており、大和と並んで戦時中の日本を代表する兵器であるゼロ戦こと零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」、小型潜水艇「海龍」などが展示されています。 零戦は有名なので特に語る事もないと思いますが、二つの潜水兵器については説明が要るかもしれません。 海龍は魚雷二本を搭載する小型の潜水艇で、本土決戦に備えて開発されましたが、実戦に投入される事はありませんでした。 一方、回天は人間魚雷の名の通り、中に人間が乗り込んで敵に突入する、水中の特攻兵器です。先端には1.5トンもの爆薬が充填されており、命中すればおそらくどんなに頑強な艦船でも、一撃で撃沈するか、あるいは戦闘不能に追い込む威力を持っていました。 しかし、この必殺の兵器はほとんど戦果を上げた記録がありません。回天の操縦は非常に難しく、敵艦を捕らえることは滅多に出来ませんでした。 この回天部隊の指揮官だった仁科中尉はこう言い遺しています。 「自分達(特攻隊員の志)が礎となって、日本は立派になるのです。自分たちの死は、決して無駄ではありません」 大和において、特攻前夜に臼淵大尉(映画では長島一茂の役)が言った 「敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。俺達はその先駆けとなるのだ。」 という言葉にも通じるものがあります。 二階には艦船の模型が展示されているだけで、基本的には大和を上から眺めるためのフロアです。せっかくなので、上空を飛ぶ飛行機になった気分で写真を撮影。こうして見ると、模型を収めた空間は船を建造するドックのイメージで作られているのがわかります。 三階右舷側は海や船に関する科学的な知識を遊びながら学べる(?)、子供向けの科学コーナー。ここは流石にいい歳した私たちが長居する場所ではないので、左舷側フロアへ向かいます。 三階左舷側は、大和ミュージアムの名誉館長でもある漫画家・松本零士氏のフロアです。松本氏と言えば、名作「宇宙戦艦ヤマト」の作者。このフロアはヤマトを中心に宇宙についての展示物が多く、潮風の漂うほかのフロアと比べるとちょっと異質です。まぁ、キャプテンハーロックも「宇宙の海は俺の海」と言っているくらいですから、海に含めて良いのでしょうが(笑)。 ここの目玉は松本氏がキャラクターデザインを担当したCGアニメ。美女と少年と言う松本作品の基本を押さえた内容で、ツッコミどころは多いですが一見の価値はあります(いろんな意味で)。 ここまでで常設展示は終わりです。本当は特設展示もあり、現在は呉で建造された船の特集をしているはずだったのですが、時間の都合で行く事が出来ませんでした。まぁ、また行く口実が出来たと思えば良いのかもしれませんが(苦笑)。 この大和ミュージアムは面積はさほど広くないのですが、じっくり見ると三時間は軽くかかると言う話で、実際私たちも二時間半ほどかかりました。特設展示や、館外に展示してある深海潜水艇「しんかい」まで見学していると、もっと時間がかかるかもしれません。 戦艦大和は大きな期待を込めて生を享けながら、その使命を全うする事が出来ず、悲惨な最後を遂げました。しかし、その生涯は様々な伝説に彩られ、語り継がれるものとなりました。尾道の撮影セットは今年三月に一般公開を停止し、解体される見込みだそうですが、大和ミュージアムはまだまだ残ります。 かつての日本が死力を尽くして戦った戦争が何だったのか、と言うことを知るためにも、ぜひ二つの大和を見に行ってはいかがでしょうか。
2006.01.17
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広島まで戦艦大和を見に行ってきました。 と、言ってもセットと模型の話ですが。 と言う事で、今回訪れたのは広島県の尾道市にある日立造船に作られた、映画「男たちの大和」の撮影のために作られた戦艦「大和」の実物大セットと、同県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に置かれている「大和」の10分の1模型です。 映画「男たちの大和」は辺見じゅん氏の同名のドキュメンタリーを原作とし、「大和」最後の出撃となった沖縄水上特攻を描いています。と言っても、私はこの映画を見に行っていませんし、出演者が納得行かないので見に行く気も無いのですが。 ですが、かつて日本が建造した史上最大の戦艦が一部とはいえ再現されているとなれば、話は別です。これだけでも見に行く価値があります。友人知人にも声をかけ、総勢7名となった大和ツアー一行は東京を飛び立ちました。 広島空港に降り立ち、セット入場券と高速バス・渡船(セットは本土ではなく、尾道の対岸の向島にあるので、船がないと行けません)の往復券がセットになったツアーチケットを購入。広島からバスで一時間あまりの尾道へと向かいます。 尾道と言えば、「転校生」「ふたり」など大林宣彦監督の作品群の舞台ともなった映画の聖地でもあり、そこで「男たちの大和」が撮影されたのも、地元の熱心な協力あっての事でしょう。バスが尾道駅前に到着すると、目の前の海峡に面した岸壁には映画の幟がはためき、その向こうに早くもその姿が見えました。 大和です。感嘆の声を上げつつ、一行は渡船で対岸へ。桟橋に上がれば、セットのある日立造船はすぐそこです。ただ、正門からセットまでちょっと距離があり、また元々造船所と言う事で、勝手に歩き回られると危険と言う事か、シャトルバスに乗らないとセットへ行く事はできません。逸る気持ちを抑え、長い列に並びます。 待つ事しばし。ようやくバスに乗り、数分で遂にその前にやってきました。これが「実物大」の戦艦「大和」のセットです。「おお~……お? 意外と小さい?」 このセット、実際には「大和」の全てを再現したものではありません。艦首から190メートルまでの左舷側と前甲板、艦橋構造物の一部のみを再現し、映画では欠けた部分はCGを使って再現していました。 それは知っていたのですが、その事を差し引いても、周りに造船所のジブクレーン(高さは50メートルくらい?)がある事を考えても、やはり小さく感じます。なぜだろうと思って近づいてみて、私は気づきました。 このセット、船体が低いのです。 以前に自衛隊の護衛艦に乗った時は、甲板から海面までの高さは3~4メートルはあったと思います。ですが、このセットでは甲板は海面……はないので、地面から2メートルほどの高さしかありません。それであまり大きく見えないのでしょう。高さというのはボリューム感を出すためには重要な要素のようです。 ですが、その小さいと言う感覚は、実際に甲板に上がってみて霧散しました。 とにかく幅が広いのです。「大和」の船体は最大で39メートルの幅があり、これは現代の護衛艦の倍近い数字です。 そこに据え付けられているのが、46センチ主砲。実物はそれだけで護衛艦並みの3000トンもの重量を持ち、1.5トンの砲弾を40キロも飛ばす事が出来たという、とてつもない大砲です。 もちろんセットのものはベニヤで出来たハリボテなのですが、さすがにこれだけ大きいと迫力満点です。唸りつつ甲板を艦首方向へ歩き、先端部分で写真を数枚。 続いて艦橋構造物を見ます。ここは前部艦橋の上部と煙突、それに後部艦橋の周りが再現されていないのですが、雛壇状に形成され、各段に高角砲(飛行機迎撃用の砲)や機銃をハリネズミのように装備した様子は、確かに鉄の大要塞と言った感じです。 映画の撮影中は連日爆発シーンや火災シーンが撮影されていたそうで、さぞかし近隣の人々にはやかましい騒ぎだったと思うのですが(笑)、私だったら喜んで毎日見学にいったかもしれません。 舷側には25ミリ機銃がずらりと並んでおり、さすがに手狭な感じです。実際の戦艦「大和」では、完成当時はこれらの機銃や下段の高角砲は装備されておらず、ここには三連装の15.5センチ副砲が置かれていました。その頃はすっきりとした印象で、私はこの頃の「大和」の方がデザイン的には好きだったりします。 ここまで来ると、セット自体の見学は終わりになり、下艦しなくてはなりません。名残惜しいながらもセットを離れ、食堂に向かいます。この食堂は撮影中にスタッフが使っていたのをそのまま見物客のために開放したものだそうですが、わけあってここでは食事をしません。一応ラムネソフトクリームだけ買いました。微かにラムネっぽい酸味が感じられる、なかなか美味しいソフトクリームです。色はちょっと身体に悪そうですが(笑)。 かつての海軍では熱帯地方での行動も多かったので、どんな艦にもラムネの製造機械が置かれていたそうです。砂糖と水と炭酸ガスがあれば手軽に作れる飲み物だけに、貧乏だった当時の日本にはうってつけでしょう。一方、アメリカの艦にはアイスクリーム製造装置がついていたとか。牛乳を持ってくることを考えると、ラムネよりは贅沢ですね。 この食堂の二階は映画の資料館にもなっていて、撮影に使った小道具や、艦内セットの一部が再現されていました。目を引いたのは「精神注入棒」。体罰に使う道具で、私は座禅で喝を入れる杓みたいなものを想像していたのですが、野球のバット並みの太い棍棒でした。これで体罰を与えたら死んでしまいそうです。 全てを見終わり、再びシャトルバスで正門へ。行きのバスの運転手さんは無口な人でしたが、帰りのバスの運転手さんは、なかなかの名調子で大和や尾道名物の事を語っていました。「大和の建造費は、当時のお金で約1億5000万円。これは現代に換算して2700億円にもなるそうです」「この造船所のクレーンは、夜にライトアップを行っています。実に素晴らしい事に、照明をあてると錆が目立ちません」 といった言葉の度に、乗客一同感心したり笑ったり。最後に「皆様、本日はありがとうございました。私、尾道市長……」 え、まさかこの人市長さん!? という乗客の驚きに「……に成り代わって御礼申し上げます」 というオチをつけ、爆笑を誘う名人芸も聞かせていただきました。 渡船で本土に戻った私たちが向かったのは、本場・尾道ラーメンの店でした(笑)。これもここにきた目的の一つです。大和帰りと思しき人々の列に並び、ようやく食べた尾道ラーメンは、背脂を大量に浮かべているのにさっぱりとしている、不思議な味のラーメンでした。 どっちかというと餃子の方が美味しかったのは内緒。 大和に満足し、ラーメンに満足した一行は、バスで広島へ。今日はここで一泊し、二日目は呉へと向かいますが、その顛末は続編で。
2006.01.14
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