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昨年末、先月末と巨大地震の続いたスマトラで、今度はさらに大きな災害を予測するニュースが入っていました。「インドネシア火山が超巨大噴火の恐れ=豪州の専門家が警告」(時事通信) ニュースで取り上げられたトバ火山はスマトラ島の南部にあり、世界最大級のカルデラを持つ巨大な火山です。 俗に阿蘇のカルデラが「世界一」と言われますが、その大きさは長径×短径が25×18キロ。それに対し、トバのカルデラは100×30キロもあり、中には琵琶湖の倍近い広さをもつ湖(トバ湖)さえあります。何しろ、このトバ湖の中に浮かんでいる島が淡路島とほぼ同じ大きさだというのですから、その広さがわかるでしょう。面積で言えば阿蘇の7倍近いと言う、とてつもない大きさのカルデラです。 カルデラというと「噴火後に山体が陥没して出来た」と習った方も多いと思われます。実際、今日本で一番新しいカルデラである三宅島・雄山カルデラは陥没によって形成された「陥没カルデラ」です。しかし、阿蘇やトバのカルデラは陥没ではなく、巨大な噴火によって山体がほとんど吹き飛んだ結果形成された「爆発カルデラ」と呼ばれるタイプに属しています。 最近では、1991年にフィリピンのピナトゥボ火山がこのタイプの大噴火を起こしました。「20世紀最大級」と呼ばれたこの大噴火により、フィリピンは大きな打撃を受け、米軍は基地を閉鎖し、火山灰の影響で世界的規模の冷害が発生する恐れがある、と騒がれた事を記憶している方も多いでしょう。 現在の阿蘇を形成した巨大噴火(約8万年前)の規模は、ピナトゥボの大噴火が線香花火に見えるほどの巨大な噴火でした。この時は鹿児島を除く九州全域と山口県の一部が噴出した火砕流に焼き尽くされました。火砕流の規模は、だいたい雲仙普賢岳の大火砕流(1991年)の10万倍。ピナトゥボと比較しても100倍以上です。もし現在の阿蘇で同じ規模の巨大噴火が発生すれば、直接被害だけで1000万人以上が死亡するという大惨事になります。 阿蘇の巨大噴火がそれなら、トバ火山の噴火の規模は、と言いますと、阿蘇の巨大噴火で噴出した火砕物の体積が450立方キロと計算されているのに対し、トバのそれは約3000立方キロ。およそ6.6倍と言うことになります。 この規模の噴火ともなれば、もはやその影響はインドネシア一国にとどまらず、全地球的な危機をもたらすと言っても過言ではありません。 実際、約7万4千年前のトバ火山の超巨大噴火は当時の人類を絶滅の一歩手前まで追いやったのではないか、という研究報告があるそうです。人類の祖先はアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イブ)にまで遡れると言う話を聞いたことのある方も多いと思いますが、計算上では人類のDNAはここまで絞れるほど一様なものではなく、もっと多様性があっても良い筈なのだそうです。 そこで、このトバの超巨大噴火が当時世界中にいた人類の大半を死滅させ、ミトコンドリア・イブを祖先とするグループだけが生き延びたのではないか、と言う説が唱えられたそうで、しかもこの説の信憑性はかなり高いようです。というのも、火山噴火の影響は地震などとは違い、非常に環境に与える影響が大きいからです。歴史上では天明の大飢饉を初めとして、世界的な気温の低下とそれに伴う不作で数百万単位の死者をもたらしたアイスランド・ラキ火山の大噴火(1783年)や、インドネシアに大飢饉をもたらして、火砕流などの直接被害の数倍の餓死者を出したタンボラ火山の巨大噴火(1815年)が有名です。 トバ火山の超巨大噴火は当時の地球の平均気温を5℃下げたと計算されています。ここまで気温が下がると、日本などの中緯度地域では実質的に夏が消失し、農業生産は壊滅的な打撃を受け、深刻な食糧危機が生じると予測されています。生態系全体に与えるダメージも大きく、おそらく、現在の文明社会は確実に崩壊の憂き目を見ることになるでしょう。 と、ここまで脅しておいてなんですが、今のところトバに噴火の兆候はまったく見られないそうです。これほどの超巨大噴火を起こすだけのエネルギーは7万年程度ではチャージできるものではなく、数十万年単位の間隔が必要だとか。 やれやれ一安心と思いきや、トバに匹敵するもう一つの超巨大火山、アメリカのイエローストーン火山(カルデラの大きさ:75×40キロ)は前回の噴火から60万年が経ち、そろそろ噴火してもおかしくない時期に掛かっているそうです。無責任な話ですが、願わくば私の生きている間には噴火しませんように。
2005.04.29
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愛知万博の参加国にはその国を知ってもらうための特別な日である「ナショナルデー」というのがあるそうです。 4月21日はオーストラリアのナショナルデーで、大使館のHPには次のような記事が載っていました。オーストラリア大使館公式HPナショナルデー関連記事 私は万博の開催自体にはあまり賛成ではありませんが、こうした形で友好と親善が深まるのなら、それは意義のあることで素晴らしいと思います。 ところが、このナショナルデーに関連して、こうした事が起きているようです。「豪軍艦入港拒否を要請 5団体、万博協会に」上記団体の申入書 実に狭量な話です。オーストリア海軍の将兵は作戦行動の一環としてではなく、親善航海でやってきています。 海軍の艦艇が友好国・同盟国の港に寄港し、親善活動を行うことは頻繁に行われており、オーストラリアは今まで31回、名古屋港に限っても4回親善のために寄港しています。 この親善航海は日豪関係が平和的かつ友好的なものであることを示すものであり、立派な平和的活動です。申し入れをした5団体が主張するように>名古屋港を軍事に使用することであり と言うのは「軍艦がやってくる」という表層的な事象のみを捉えた短絡的な反応であり、大きな間違いです。例えば、今回入港するフリゲート「キャンベラ」がオーストラリアが遂行中の戦争に参加していて、作戦行動のために名古屋港で補給を行ったら「軍事に使用した」と言えるかもしれませんが、今回の件がそれに当てはまらないのは明白です。 こうした「軍艦だから入れるな」という5団体の短絡的な主張の方こそ「我々はオーストラリアとの友好を求めない」と言うのに等しく、よほど反平和的・非友好的な行為と言っても良いでしょう。 また、申入書やニュースでは「軍艦は環境万博にふさわしくない」と主張していますが、件の5団体を見てみると >平和と憲法を守る港区連絡会>愛知県労働組合総連合>安保破棄・諸要求貫徹愛知県実行委員会>原水爆禁止愛知県協議会>愛知県平和委員会 と、どう見ても環境保護を主目的にして活動している団体には見えません。明らかに反戦平和団体ですね。申し入れ書の中でも、環境について触れているのは>最大の環境破壊である戦争の道具が関連行事であるならば、万博の趣旨から考えてもそれに沿わないことは明らかであり、その認識が大きく問われる。 という部分だけであり、あとはイラク戦争反対、有事法制反対と言う彼らの主張が連ねられています。 愛知万博が環境をテーマにしていると言うだけで、取ってつけたようにこの部分を入れたのだとすれば、平和を考える上でも環境を考える上でも、あまり誠実な態度とはいえないのではないでしょうか。 なお、この申し入れに対し、名古屋港側は「軍艦は博覧会協会が招へいしたわけではなく、入港拒否の要請はできない」 と回答したそうです。つまり、オーストラリア海軍の寄港は「たまたまナショナルデーに合わせた」だけで、万博が行事の一環として招いたわけではないですね。こうなると先に引用した>最大の環境破壊である戦争の道具が関連行事であるならば という部分は単なる的外れな指摘であり、環境云々は入港に抗議したい5団体の口実に過ぎないことが良く理解できます。 私がこの手の団体の主張に怪しさを覚えるのは、昨年10月末に韓国海軍の艦艇が東京港に来航した時に、まったくと言って良いほど抗議運動が起きなかったことです。ご存知のように、韓国はイラクに自衛隊に数倍する兵力を派遣して支援活動を行っています。 ならば、平和団体的には>こうした無法な占領に加担している国の軍艦の入港は許されない。 として抗議運動を起こしてもいいはず……と言うか起こすべきなのですが、寡聞にして、韓国艦艇に対してそのような行動が起きたという話を聞いたことはありません。この手の反戦平和団体が中国や朝鮮半島諸国に甘いのは、今に始まった事ではありませんが…… 名古屋港ではなく東京港だということを差し引いても、上記5団体のうち、「平和と憲法を守る港区連絡会」以外は全国区の団体の愛知県における支部です。東京でも、関連団体が同趣旨の行動を起こさないのは何故でしょう。東京だけが平和への意識が低いのでしょうか? いずれにせよ、親善航海で来ている友好的な外国の艦艇に対して、それが軍艦だからと言うような単純な理由で抗議行動を行ったり、抗議を行う対象に不公平な選択基準があるかのように見えたりするのは、彼らが求めているはずの平和に反する行動であり、その主張の説得力を失わせるものでしかないと言えましょう。
2005.04.20
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朝鮮日報の記事ですが、イラクに派遣された韓国軍の皆さんはこんな事をしているそうです。イラクの壁画にも「独島」 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/12/20050412000071.html えー、こんな事は言いたくないのですが、もうアフォかとヴァカかと(以下略 失礼、少々品のない発言をしてしまいました。ですが、このニュースにはもうあきれ返ると言うか、なんと評していいものやらわかりません。 韓国が竹島を独島と呼んだり、領有権を主張したりするのは、まぁ彼らの主張と言う事で尊重はしましょう。承認は断じてしませんけど。 ですが、そういう発言をするなら、もう少しTPOと言うものを弁えましょう。日韓の争いに関係ないイラクに竹島問題を持ち込んで、現地の皆さんに何と思われるか、彼らは少しも考えた事がないのでしょうか? そもそも、韓国軍もインフラ整備や食糧支援といった国際支援任務に来た筈であって、こんな壁画を書いている場合ではないと思うのですが。 こんな事をしている暇があったら、早く国際司法裁判所に出頭しなさいと言いたいところです。 ……と思っていたら、こんなニュースもあったようです。 北極点でも「独島は韓国領土」 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/11/20050411000064.html もうア(以下略
2005.04.15
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卒業式・入学式のシーズンになり、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げられた事もあって、また「国旗・国歌」に関する話題が豊富になってきました。 おそらく世界的に見ても珍しい事象だと思うのですが、日本では自国の「国旗・国歌(日の丸・君が代)」に対して非常に強い忌避を感じる人々が多くいます。これらの人々の多くがその理由としてあげるのが「日の丸・君が代は、日本がかつて起こした誤った侵略戦争の象徴であり、平和国家の象徴として相応しくない」 というものです。 「日の丸・君が代」反対派に誤解を与えているのが、ドイツとイタリアの国旗・国歌変更でしょう。ドイツは戦時中、国旗を伝統ある「黒・赤・黄の三色旗」から、ナチス党の旗「ハーケンクロイツ」に変えていました。 敗戦後、ドイツは国旗を元に戻します。敗戦によってナチス党は壊滅し、その理念はことごとく否定されたのですから、その滅びた一政党の旗を国旗にするという異常な事態が是正されただけで、十分納得できる変更理由です。 次にイタリアです。イタリアでは戦争直後の1946年に国歌を「マメーリ賛歌」に変更しました。これは王制が廃止されたため、それまでの国歌だった「国王行進曲」は王を称える歌であり、新しい共和制の時代には相応しくないと判断されたからでした。 こうした参考にならない事象を取り上げ、「ドイツ、イタリアを見習って国旗・国歌を変更しよう!」と叫ぶ人もいますが、私はこのような言い分を支持できません。これは大いなる勘違いです。ドイツもイタリアも、戦争への反省を目的として国旗・国歌を変更したわけではないからです。さらに言えば、国旗・国歌を変更すれば反省を示した事になる、と言うのは歴史に対して極めて無責任な態度です。 日本がかつて戦争を行ったのは歴史的な事実です。それが正しかったか過ちだったかは、諸説ありますが、まぁ仮に過ちだったとしておきます。ですが、その「過ち」を犯したのは「日の丸・君が代」でしょうか? 違いますね。戦争を決断し、それを遂行したのは日本政府であり、それを選んだ日本国民の総意によるものです。日本政府が戦争を決断し、国民に戦争遂行のため団結を呼びかけたとき、そのシンボルとして国旗・国歌が使用され、それがたまたま「日の丸・君が代」であっただけに過ぎません。そこを勘違いして、旗と歌に責任を転嫁するのは、明らかに馬鹿げています。例えて言うなら、殺人事件に包丁が使われたからと言って、包丁の責任を追及するようなものです。 さらに、反対派の人々は、しばしば中国や韓国で日の丸が焼き討ちされる事や、サッカーで中国サポーターが君が代演奏の際にブーイングを行った事などを取り上げ、外国でも日の丸・君が代に対する反感があると主張しますが、これも間違いです。 国旗・国歌は国の象徴です。「日の丸・君が代」を侮辱した中国人、韓国人は「日の丸・君が代」自体を侮辱したかったのではなく、それに象徴される「日本」という国を侮辱したかったのです。仮に日本が別の国旗・国歌を使用していたとしても、やはり彼らはそれを通して日本を侮辱したでしょう。 日の丸にしても、君が代にしても、それは長い間日本の国旗・国歌として扱われていたものです。日本が清国やロシアと生存をかけて戦い、勝利を得た栄光の時も、国策を誤って敗戦への道を転げ落ちた時も、その打撃から立ち直り見事な復興を遂げた時にも、日の丸は翻り、君が代は歌われていました。 歴史には栄光の時もあれば、暗黒の時もあります。歴史を学ぶと言う事は、その光と闇のどちらも民族の体験として受け止めていく事です。 国旗・国歌が使われていた時代の一部に誤りや暗黒の時代があった。だから、そんなものが含まれている国旗・国歌は使いたくない、というのは「自分は醜いものは見たくない」という我侭な態度であり、歴史に学ぶ、と言う姿勢から程遠い愚劣な行為であると私は確信しています。
2005.04.03
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