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学校にはいろいろな子どもたちがいます。その中には、障害を持っていたり、様々な事情を抱えていたりする子どもたちがいます。また、全体の中では少数ながら、特別支援学級に在籍している子どもたちもいます。授業時間のうち、少しの時間だけ通級教室に通って授業を受ける子どもたちもいます。「通常の学校」ではなく、「特別支援学校」に通っている子どもたちもいます。そういった、いろいろな子どもたちのことを、全体の中で理解しようという取組が、おそらくほとんどの学校・学年・学級の中で、おこなわれていると思います。とりわけ、「障害」についての差別意識をなくすことや、「障害」があること、「特別支援学級」に通っていること等を理由に、仲間外れにされたり、いじめられたりしないことを目的におこなわれるものを、「障害理解教育」という言い方をすることがあります。「障害理解教育」という呼び名がふさわしいものなのか、というのは、けっこう微妙なところです。僕としては、「理解教育」という言い方を好んで使っています。ただ、最初から「理解教育」というと、何に対する理解かがわからないので、見出しには「障害理解教育」と書きました。今後、本文中では、「理解教育」という呼び名を使わせてもらいます。僕は、「理解教育」というのはすんごく大事なものだと思っています。また、個々それぞれにやればいいものではなく、やはり学校全体、地域全体でやらなければいけないことだと思います。これから何回かに分けて、「理解教育」の取り組みの具体例や、教室で子どもたちに示す教材・資料などの話をしていきたいと思います。 第1回目は、童謡『ぞうさん』です。あまりにも有名なこの詩を使って、先日、「交流」学級の先生が学級の子どもたちに授業をしました。僕もその中に入らせてもらい、最後に少し話をさせてもらいました。金子みすずさんの「みんなちがってみんないい」というメッセージはあまりにも有名で、僕も大好きなのですが、まどみちおさんもエッセイの中で、同じようなことを書かれています。 ※次の本に収録されています。 『いわずにおれない』 集英社be文庫 / まどみちお 【文庫】 『読解力がグングンのびる!齋藤孝のゼッタイこれだけ!名作教室(小学3年 上巻)』 (齋藤孝) 内、「ぼくがボクでいられる喜び」(まど・みちお) 学校全体として6月に「理解教育」に取り組むことが決まり、「交流」学級の先生から、「道徳の時間で取り上げるにあたり、何か良い資料はありませんか」と相談を受けました。そのあとで僕がまどみちおさんのエッセイを読んで、「ご参考までに」とその先生にコピーをお渡ししたところ、1週間ほどして「これを使いたい」というお話を受けました。結果的に、なじみのある詩の提示からはじまって、この詩に込められた意外な意味を知ることから、「ちがい」について考えるという授業の流れは、大変よかったと思いました。授業の骨子としては、「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」というのは、実はぞうの鼻が長いというみんなとのちがいを、みんながからかっているんだ、という意外な意味づけを知り、でも子ぞうは、みんなとのちがいである「鼻が長い」ということをむしろ誇りに思っている、ということをどうとらえるか、子どもたちの中の意見や感想を交流したあと、まどみちおさんがエッセイで書かれていることや、支援学級の先生の話を聞き、「ちがい」を肯定的にとらえようとする心情をはぐくむ、というもの。詳しくは、先に紹介した本の中の、斎藤孝さんのものが、まどさんのエッセイ本のなかから授業で使える部分を抜粋して解説を加えた形になっているので、ご参照いただければと思います。まどさんのエッセイ本でいうと、P11-14の部分が、斎藤孝さんが抜粋されたところです。 蛇足ながら、『齋藤孝のゼッタイこれだけ!名作教室』は、名作のハイライトが解説付きで総ルビ打ちで紹介されており、非常にすばらしい本です。僕は「3年上巻」を初めて読んで感動し、今は2年の下巻を読んでいるところです。「3年上巻」では特に冒頭の「星の王子さま」の、いちばん有名な部分の抜粋が非常によかったです。「大切なものは目に見えない」という、これも、あまりにも有名な言葉ですが、このことがわかる部分が、非常にわかりやすい、伝わりやすい範囲で、抜粋され、紹介されていました。 いつも見に来てくださっていることに感謝します。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2015.06.13
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兵庫県篠山市で、この9月に「とっておきの音楽祭」が開催されます。「とっておきの音楽祭」は、「障がいのある人もない人も、共に音楽を楽しみ、 音楽のチカラで心のバリアを取り払いたい、 そんな想いが結集し、受け継がれてきた音楽の祭典。」(公式サイトより)心のバリアフリーを目指す音楽祭の趣旨に賛同する方なら、どなたでも出場できるそうです。すばらしい、この趣旨! と 初めて知った時から、感動していました。もともとは仙台で始まったそうですが、全国に広がって、全国各地で開催されるようになったそうです。事務局ではただいま出演者を募集中。ストリートライブ的な出演になるようです。僕はストリートライブなどはやったことがないのですが、これを知った時から、「出たい!」と強く思ったので、出ることを前提にただいま歌の練習に通勤の車の中を利用して取り組んでいます。(^^)趣旨に賛同される方、ぜひ申し込みを!以下、公式サイトの募集要項の、転載です。==============================【募集概要】(抜粋)●2015年9月23日(水・秋分の日) ●グループでも、家族でも、一人でも、どんなジャンルでも音楽祭の趣旨にご賛同の方の出演をお待ちしています。 ●演奏時間は10~25分以内、各ステージに、ステージマネージャー、音響機器、MC(司会)、手話通訳を配置します。 ●ステージは篠山城跡周辺8か所を予定しています。(ストリート)●ご自身の演奏(パフォーマンス)の映像(DVD)、または、音源(CD)をステージ、フィナーレ出演などの参考にさせていただきますのでお送りください。【運営協力費】◆1人 ・・・・・・・・・1人:1,000円◆10人以上・・・・・・ 1人: 800円◆20人以上・・・・・・ 1人: 700円※運営協力費に関して保育園・幼稚園・小・中学校・高等学校・支援学級・施設等の方々はご相談下さい。【募集期間と出演者説明会】●募集期間:2015年5月1日~7月15日●出演者説明会:2回(8月上旬週末)予定 ●説明会会場:兵庫県篠山市内==============================7月15日が締切日。(必着。FAX可)僕は6月中には、出場したい曲の演奏をYouTubeに事前にアップして、その録音CDを応募に使いたい、と計画中です。(^^)そのために、前の前の勤務校の子どもたちと自然学校で歌った思い出の歌「So It's a 大丈夫 Day」という曲の伴奏を、ネット上で知り合った方にただいま委嘱しています。僕の場合は学校で子どもたちと歌った思い出の歌などをソロで歌う予定ですが、ジャンルはけっこう何でもいいようです。ホントはライブ向きの曲というとジャンルが決まってくるんでしょうが、そのあたりはこだわっていなさそうなのも、いい感じです。音楽が好きな方で、兵庫県または篠山に近い他府県の方、障害のある人もない人も一緒に活動されている音楽系サークルの方々等、ぜひ、ご参加を検討されては、いかがでしょう。
2015.06.10
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iPhoneで撮った子どもの写真、おじいちゃんやおばあちゃんにメールで送ったり、Dropboxで共有していたりしましたが、どうもスマートじゃない。と思っていた矢先、次のようなアプリを見つけました。家族アルバム「みてね」 (公式サイトにリンク。公式サイトからiOS/Android用アプリのダウンロードが可能) スマホ・パソコンに対応していて、親が子どもの写真をアップロードすると、通知が行く。父親と母親で共有もできる。自分用に、スマホでもパソコンでも見れるようにしたかったが、やり方がわからなかったので、とりあえず「親戚」扱いにしてパソコンのメルアドに招待を送信。これで、自分の自宅PCからもブラウザを使って写真が見られるようになった。ブラウザで見た感じ、なかなかいい感じです。好きな写真だけダウンロードもできる。子どもの写真データが大量にたまってきていたので、このアプリに一元化してここにどんどん溜めるようにしていこうかと思っています。 写真だけでなく、動画もアップロードできます。動画の件数がたまってくると、「1秒動画」というのが自動でつくられるらしい。これが、けっこういい機能かも。 今はまだ使い始めて1か月ほど。使い続けてみたいアプリです。 mixiが開発したアプリだそうで・・・そうすると、かなりきちんとしたアプリということになるかな。ネットで「家族アルバム系アプリ」というくくりで、比較記事も見つかりました。▼mixiの「みてね」など家族アルバム系アプリの比較 こういう系のアプリって、いろいろあるんですね。
2015.06.07
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古本屋で100円で買った本を、我が家の朝の読書で読み終えました。本のカバーにバーコードがない時代の本です。amazonで検索しても出てきません。『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』(中小企業家同友会全国協議会編, 1988, 当時1000円)「共に育つ」という言葉が好きなので、買いました。そういえば、「共に育つ」と書いて、「共育(きょういく)」と読みますね。本書の中に印象的な言葉がいくつかありましたので、紹介します。===============================『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』(原文が長いものは、参照元の記載内容について短くして紹介しています)p117より・「子供は偉大な模倣者である。 模倣するに値する大人に出会わなければ 子どもは大人になれない」本書では非行に走った子どもたちを早朝からの漁業体験にさそうといった、勤労体験により子どもが大人から学ぶというエピソードがいくつか紹介されています。 おりしも兵庫県の僕の近隣の地域では「トライやるウイーク」という中学生による職業体験実習が今週終わったところです。本書は「働く」ということと「教育」を結びつけたテーマで書かれているのですが、学校の先生も含めて、大人の背中を見せるということについて、「本当にそうだな」と感化されるところがありました。p159~160より・日本の戦前の政府とか、官庁街、財閥筋など 比較的地位の高い人々の上流の文化・社会の中には、 笑いが全くない。 なぜ笑いがないかというと、 会話の中に絶えず人間関係の格差が入り込んでくるから、 身分的秩序がそのまま持ち込まれた人間関係の中では、 ユーモアとか笑いなどというものは育ちようがない。・芸者をあげてどんちゃんやる場合には、笑いがある。 芸者がはいることで人間が平等化する。 そこではじめて文化が育つ。 「笑い」というものがいかに重要か、というのはよく言われることです。 身分の差を感じさせる社会・集団は笑いを生まない、というのは、確かにそうだな、と思いました。 どういった組織・集団を作っていくか、という示唆をいただいた気がします。p178~179より・「愛」という字を分解して見ると、 真ん中に「心」 その「心」を囲むようにして「受ける」という字を書く。 ところが「心を受ける」と書くと下が「又」になっているから、 「又」の左肩に「ノ」というカタカナをちょんとつけてやる。 「心」を「受」けて、「ノ」をつける。 たとえば、子どもが学校から帰ってきて 「今日は友だちとケンカした」と言ったとしたら、 親の愛というのは その子供の「心」を「受」けて、「ノ」をつける。 その子供の心は「今日は友だちとケンカした」ということだから、 その心を受けてノをつければ 「今日は友だちとケンカしたノ」と 返してやればいいということ。 笑っちゃいました。 でも、確かにそうですよね。 そういえば、僕もよく言っています。 「○○ちゃんがたたいた」と子どもが言えば、 「○○ちゃんがたたいたの」または 「○○ちゃんがたたいたのか~」。 まず、受け止める。 余裕がない時は、これができていないときが、多いです。 反省です。p212より・経営者は社員の音色を聞きわけられる指揮者 このたとえ、気に入ったので、最後に紹介します。 僕は音楽が好きなので、音楽に例えていろいろ理解したりイメージしたりするやり方がとっても好きなのです。==============================また今日も本から学びや気づきをいただきました。読む本がたまっているので、ぼちぼち読んでいきます。本を読むと、元気になります。(^0^) いつも見に来てくださっていることに感謝します。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2015.06.06
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