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3年前、長男くんは4年生から 彼は毎年、BASKETBALLのリーグに入っている 彼は、まあまあ、ほかの同じ学年の子よりも 背が高いので、コーチらにしてみればいい戦力になるみたいだ 4年生の最初の年は なんだかわけのわからないうちに 4ヶ月のリーグ終わったというところだったが それでも、いいコーチに恵まれ、リーグでの成績も まあまあのところでその年は終わった 去年は別のリーグに入った ここでも、いいコーチといいチームメイトに恵まれ 彼はかなりのことを学んだようだった そして彼は去年はシティーのオールスターチームの メンバーにも選ばれ 成績はまあいいとして彼にとって よい自信のついた1年だったらしい そして今年、引越しをして場所もかわり けれども彼は、バスケットが好きだという理由で 転校してからも、すぐに何人かの バスケットボールバディーができたようだった そして、9月のあたま、 彼の通っている中学校で、となりの高校の FEEDER TEAM(バスケット予備強化軍のようなもの)の トライアウト(そのチームに入るためのテストのようなもの) があるという話を聞いてきた 彼は、とるものもとりあえずトライアウトへ行った そして、その中から、約15-16人の6年生が FEEDER TEAMとして選ばれた それが9月上旬のこと... それから、毎週2回、1時間半の練習 そのうちのコーチが決まりその15-16人が 二つのチーム(第一チームと、第二チーム)の分けられる日が来た 彼は残念ながら、第一チーム(強い方のチーム)には 選ばれなかったが 今回も、よいコーチととても協力的な親たちに恵まれ、 それから、4ヶ月、練習と、毎週末のトーナメント戦が続いた 毎週のように、顔をあわせるわたし達、親 チームの中の子誰でも、よいプレーをしたら褒め、 失敗をしたら ”THAT”S OK”と励ます親達 昨日の、ゲームも最後には同点で 2分間の延長戦 どちらのチームの親も 血圧が最大限に上がっている感じ... 長男くんのチームも がんばって、がんばって、がんばった 惜しくも、長男クンのチームは1点差で敗れてしまったけど 彼らは、ぜんぜん悲しい顔なんてしてなかった 私達も、負けたことなんてどうでもよかった THATS VERY GOOD GAME I AM VERY PROUD OF THEM GOOD JOB, BOYS 親達の口から出るのはそんな言葉ばかり... 私も、本当にそんなさわやかな気持ちだった と...おもう心の隅で、 ”あ...こうやって、子供達は勝つことがすべてじゃないんだ 負けたって、がんばって負けたのなら、それどもいいんだって 学んでいくんだろうな’ と思った 彼らにとっては、そんな些細のことでもすべて 将来、大人になっていくための勉強なんだなって思った それと同時に、こうやって分け隔てなく いいことは褒め、落ち込んでいたら それを励ましてあげられる親達に囲まれて プレーできる長男くんは幸せだと思った 昨日の対戦相手のチームは コーチが怒鳴る..怒鳴る.. すごい勢いで、ミスをした子供を怒鳴り散らすのだ.. それを見ていたら、相手チームの子供達がなんだかかわいそうに見えた 長男くんのチームのコーチは若いながら いつでも、子供達に対して前向きなコーチだ 失敗しても、怒るという事をしない 誰にだって、間違いはあるし、そんなこと気にしてたら 前には進んでいけないという、考えの持ち主 だから、このコーチ、どんな大差チームが負けていようが 子供達を励まし ”GOOD JOB!!!”ということを忘れない トーナメントもあと2ヶ月 長男くん、今年も彼にとって もう少しだけ自分に自信がもてる年になればなあと思っている さ~~お母さんも応援がんばるわよ~~
2007.01.30
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先週末に10日間の帰国から帰ってきました なんだか、日曜日に帰ってきて、デンバーの空港に着いたとたん.. 吹雪..... 実家の青森で連日雪が降って 何回も雪かきしたのに.. なんだか今年は雪かきのエキスパートになりそう... まあそれはさておいて 今回の帰国の目的は、母と一緒の時間を共有すること 去年と、その前の年、うちでは不幸が続き 母も、去年から一人暮らし 弟も仕事の合間をぬって東京から 何度か実家に戻って母の様子を見ていたのだけれど 彼だってそんなに暇な人間ではないし 今回は旦那の薦めもあって ひとりでの帰国が実現しました 家では毎日母と一緒に起き 朝ごはんを食べ、テレビを見て笑い、 昔話をし、夕食の献立をふたりで考え スーパーに行って買い物をし 時にはふたりでウォーキングに行き 帰りにお茶をして帰ってきたり ふたりで教会に行って 神の教えを学んだり 特別なことはしなかったけど 私がいた時間だけでも母がさびしい思いを しなければいいなあ..と思ってね 母は ふたりで出かけて帰ってくると必ず ”ただいま~”って言いながらうちに入ってくるの ”こうやってただいま~っていうと XX子(妹)とパパが”おかえり~”って言うのが 聞こえるような気がする” って言うんですよね... まいります(涙)..... そんな母に ”もしかして将来ママがまた再婚なんてする日が来たら...” なんて切り出したら つい最近、なんだか突然そんなことも将来ありうるのかな??なんて思い そうしたら、やっぱり母の幸せを一番に考えてあげないとなと考えていたところ 知りあいの人がその話をしたら その人のお父さんもお母さんを亡くし しばらくたって再婚したんだけれど その再婚って言う意味は、それからの人生の パートナーを探すこと... それはお父さんにとって必要なことだから、 自分はお父さんに自分はお父さんがしあわせだったらそれでいいわって 言ってあげたら、お父さんも肩の荷が下りたようだった (子供の気持ちを大切にするという意味で) っていう話を聞いて 私も、まだ早いかも知れないけどなんとなくそのことを 母に話してみようと思っていたのでした ”再婚なんて考えられないわ... 結婚はパパひとりで十分よ 私は若いときに結婚してこれまでパパと43年間一緒にいて 今回こうなったけれど、今なんだか燃え尽き症候群みたいな感じよね.. パパは、とてもいい夫だったし、いい父親だったし... 私はこれから一人でも大丈夫よ 悲しいけど、泣いたらあなた達に心配かけるだけだし 泣いてパパが戻ってきてくれるのならそうするけど それもかなわぬことだから...大丈夫... ひとりのほうが気楽よ.... と、かわされてしまいました...が... その反面 あ...うちの父と母は本当に強い絆で 夫婦としてつながっていたんだな...って思って そうしたらなんだか嬉しくなってしまいました そして、私も何十年こうやって家の旦那と 喧嘩しながら、仲直りしながら、笑いながら、泣きながら 父と母のような夫婦になれるかな??なんて思っていたら さだまさしの古い歌で ”関白宣言”といううたがあるんだけど その中で 子供が育って 年をとったら 俺より先に 死んではいけない 例えばわずか一日でもいい 俺より早く 逝(い)ってはいけない 何もいらない 俺の手を握り 涙のしずく ふたつ以上こぼせ お前のお陰で いい人生だったと 俺が言うから 必ず言うから 忘れてくれるな 俺の愛する女は 愛する女は 生涯(しょうがい)お前ひとり 忘れてくれるな 俺の愛する女は 愛する女は 生涯お前ただ一人 そんな歌詞なんだけどそれを思い出してしまいました 本当にこんなんだなあ...なんて 旦那は旦那で私のいない10日間 一日ひとつずつ、子供たちと楽しいことをしようって決めたみたい 映画に行ったり、ボーリングに行ったり、 一緒にゲームをしたりしていたみたい たまには私がいないほうが 旦那と子供たちの絆は強くなるみたい ご苦労様...そして私を行かせてくれた旦那に 感謝、感謝です さてっと...私もまた毎日 明るく過ごせるようにがんばろーっと
2007.01.25
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今年は、コロラドスキーパスを買ってしまったもので そのもとをとろうと躍起になっているXXX家です 先週の土曜日も、行ってきました KEYSTONE... 先週の初めから、ストーム第三弾が来るという情報があり、 それでも、私が日本へ行く前にぜひとももう一度山へ行きたいという うちの男共の願いをかなえてあげようと それでも土曜日は準備万端にしてあげようと決心していたやさしい私 ところが.... 金曜日...朝起きたらまた...ストーム... うちらのほうの学校区...ストームのため学校休校... あの...雪っていっても朝の時点では 10CMぐらいしか降ってなかったんですけど... それでも...休校... そんな、10CMの雪で学校が休校なんて 青森の雪深い土地で育った私にとっては へっ???? って感じでしたが、それでもここのように あまり、公共交通機関が発達していない土地では やはり、個人個人の車に頼るしかなく そのうえ、学校の生徒達の利用するスクールバスなどのことを考えると それも仕方のない選択のようです そして、金曜日は 1日中次の日の天気をテレビでチェック.. なにせ、元をとろうという根源のうちの旦那は 道路が閉鎖じゃなかったら行くつもりでいましたから... そして、私はというと、金曜日の雪であまり気も進まなかったんですが 旦那に子供たちを預けて日本へ行くという罪悪感から 結構強くは拒否できず、 一応、旦那には、もしかしたら道路閉鎖じゃなくても アイスバーンかもよ?? とは言ったのですが 金曜日の夜の時点では 次の朝7時半出発という予定がたってしまっていたのでした そして、次の日、ランチを詰めて 用具をつんでいざ出発!!! 家の近くのフリーウェーに乗り、そこから ちょうど山に続くフリーウェーに接続するあたりから 渋滞のきざしが... 普通だったら1時間半ぐらいでつくところが、 ほとんど、その地点から10-20m/h... どこまで行っても見えるのは長い車の列と どこまでも続く赤いブレーキライトど、 巻き上がる雪の嵐だけ... (雪は降ってないんだけど風が強くて雪を巻き上げていた) そして道路はその前の日に積もった雪がとけて 完璧なアイスバーンになっている箇所がほとんど.. だから、車もスピードもだせないんだよね とほほほ... 結局、ついたのは11時 3時間半かかりました そして、私らはついたと同時にランチを食べることにし それから、旦那と長男くん組と、私と次男坊組に分かれて あちらの組はゴンドラに乗って山の頂上へ 私らの組は予定どうりまたバニースロープへ そして、1時間ぐらいバニースロープで 次男坊はスノーボードのウォームアップ それから、旦那の組に連絡を取り 4人でリフトに乗って山の中腹まで行ったのでした 次男坊は、前回よりもコツがつかめてきたようで すいすいと、スロープを降りていっていたのはいいのですが 午後になったら、ここ keystoneでも風が強くなってきて 背中から吹雪が刺してくるわ.. 方向が変るとこんどは 顔面にあの吹雪が容赦なく吹き付けてくるわ.. 私と旦那はそんな経験何度もしているけど 子供たちは初めての経験 今まではラッキーだったのさ 毎回、お天気のいい中でスノーボードができたんだけど 今回はちょっときつかったみたい... そんなこんなで、次男坊 スノーボードはすいすい進むんだけど こんどは顔面に吹き付ける雪の冷たさに耐えられなかったみたい とうとうまた、山の中腹で泣き出した けれども、私にも何もできないから 私のマフラーを顔にまきつけて だましだまししたまでおろさせた そして、彼のその日のスノーボードは おしまい... ということは...私のスキーもおしまい 旦那と長男くんはもう1回だけゴンドラで 山の頂上まで行ってすべってくるそう..その時点で3時 結局彼らが帰ってきたのは3時半 4時にそこを出て早めに帰路に着こうという計画だったが.... フリーウェーに乗ったらまたそこから動かない... 1時間で3キロしか進まない... あたりはどんどん暗くなってくる 情報によれば、そのフリーウェ-上にあるトンネルを閉鎖して 危険物を運ぶトラックだけを 先に通しているとか 途中の道でなだれが起こって道路が閉鎖だとか 追突事故が何軒もおきているとか... とにかく前に進まない 特に山の中の道路なので その道路一本しか道がない... わき道がないってこと... ということはどこにも逃げ道がないってこと そして、トイレもガソリンスタンドもないってこと とにかく山の中で立ち往生... 周りを見ると、ガス欠でわき道に車を止めていたりとか 車から降りて、その道路のはしから 立ちションしていたりとか(だってトイレがどこにも無いんですもの) 私も、もし子供たちがトイレに行きたいなんていったら どうしようって...それだけが不安だった... そして、そのうえあちらこちらで、 突風が吹き荒れ、地面に積もっている雪を巻き上げ 前の車も見えない状態のところばかり 外の気温はマイナス10度ぐらい ヒーターをかけていないと、 車の前のガラスが凍ってしまうぐらい寒い 参りました なんだかんだで家に着いたのは8時半 4時間半 もう...ぐったり... 子供たちもさすがに疲れていたみたい そりゃあそうだよね 4時間半も車の中に缶ずめ... 大人の私だってもういい加減にしてほしいって思った そして、家の旦那もちょっと今回で懲りたみたい 道路が閉鎖されてないんだったら行くと頑固に言っていた旦那が 片道2時間以上かかるとわかっていたら行かなかったと 意見が変った だからいったじゃない~~~~ こんどは私の意見も少しは聞いてよね... それにしてもまいった...まいった... こんどは時間をずらしていかないと またとんでもないことになりますね だけど、無事に帰って来れてよかった...よかった
2007.01.09
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あけましておめでとうございます 寒いですね.... ここは特に... ここアメリカにいると本当にクリスマスという大きなイベントが終わると みんな、このイベントで完全燃焼してしまったかのよう お金も残ってないし、体力も残ってないって感じですかね うちもそうなんだけど... 私はあと10日ぐらいで日本へひとりでまた帰る 母がひとりでいるので、旦那の薦めもあって〔詳しくはこちら) しばらくチケットを探していたら、とっても安いチケットが手に入ったので それで10日ぐらい行ってくる 別にたいした予定はないのだけれど 母と一緒に朝起きて、一緒にご飯を食べて 一緒に教会へ行って、一緒に買ものに行って 一緒にテレビを見て...そんな生活をしてくる予定 それと、1月からは長男くんのバスケットのメイントーナメントが始まるので これから毎週、どこかで試合があるはず 家の旦那は、そのふたつがあるために 年が明ける前に1回はスキーとスノーボードへ 行きたい行きたいといっていた ところが、ここ2週間ぐらいに2度の大寒波 それどころではなかった そこで、この第2弾の寒波が去った大晦日の日、 朝早くおきて山へ行ってくることにした 朝は6時半におきて せっせと支度を始めた 着替えて、荷物を積んで、ランチを作って 途中でドーナツをとー買って、7時半には出発!!! これといって渋滞もなく9時にはKERSTONEに到着 実は、この前のスノーボーデイングのレッスンで 私と旦那は、ちょっと懲りてしまって 今年はスキーにすることにした そして、子供たちには、旦那がネットで 中古だけど質のいいボードやらブーツやらを買って クリスマスプレゼントに子供たちのあげていた だから、子供たちも実は行きたくて行きたくてしょうがなかったみたい 午前中は4人でバニースロープでウォームアップ 私と旦那も、最後にスキーをしたのは1993年 もう13年も前のこと... はっきり言って、心配だったのは言うまでもない だけど、すっごいね... からだって覚えているもの 13年のブランクなんて何のその... 自分でもびっくり 旦那と長男くんはペアーになって 長男くんはスノーボードで旦那のスキーの後をついて歩く 次男坊は、この前のレッスンからちょっと時間が経っているため 転びまくり...ちょっと復習が必要... 次男坊の後ろをスキーでついて歩いて、 彼が転んだらそこに行って手助けしてやる 今回私はスノーボードをはいていたら こんなこと ↑ できませんでしたよ... なにせ、私の現在のスノーボードの レベルでは 行きたいところに焦点を絞って行けないんですから 午後からは、近くの4人乗りリフトで比較的上のほうまで行って グリーンのトレイルを降りてくる予定だったのだが.... 旦那と長男くんのペアーは比較的すいすいと降りていけるのだが 次男坊はまだ、困惑していて、前回のようにスムースに前にいけない なだめなだめ、ゆっくりと次男坊の後をついてついて 転ぶたびに起きるのを手伝ってやり、 励ましながら、勇気ずけながら やっとのおもいで下まで降りるのに1時間もかかっていた それから、車に乗り込んで帰路に着いた もう、車の中では4人ともぐったり... 私は早くも肩から腰にかけての筋肉痛... そして、13年ぶりのスキーでふくろはぎ..ぱんぱん... だけど、大晦日ということで子供たちは意地でも12時まで起きているという.. 私と、次男坊は、カウチの上で毛布にふたりで包まって 12時ちょっと前までスポンジボブを見ていた 旦那と長男くんは最近買ったPS3のゴルフゲームにはまって それをずーっとやっていた そんなこんなで、我が家の大晦日は過ぎたのだった そして、今日、元旦の朝... い...痛い....う...動けない... 私と旦那...全身筋肉痛... そんなのわかっています 年も年だし、しょうがないね... 明日から、子供たちも学校が始まるから 今日は家族で、のんびり、まったりと過ごすことにした この前借りてきた テレビシリーズの”24”を シーズン1から制覇する計画を立てていたので 今日はシーズン1のエピソード4までを カウチに寝そべりながらポップコーン片手に見ていた こんなゆったりしたお正月もまあいいもんだね だけど、日本のお正月を味わえないのはちょっと寂しいけど 今日はとりあえずゆっくりと一日を過ごした だって...痛いんだもん... 明日...大丈夫かな???
2007.01.02
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