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もともとは、母の様子を見に日本へ帰るはずだったのが そのうちにおばあちゃまの容態が悪いと聞いて私の帰るまで待っててくれたらと思っていたんだけど 現実はそうもいかず私の帰国の3日前にその電話がかかってきた お通夜とかお葬式に出来れば間に合いたいと思い飛行会社に電話をして日付けの変更をしたいといったんだけど私の買ったチケットは安いチケットなのでそう簡単には事は運ばず それでも、身内に不幸がと言ったら換えてくれるかと思いきや私との関係を証明するものがないとだめだと言われ そのためには、戸籍謄本が必要でそれも母方のおばあちゃまなので母とおばあちゃまとの関係(母はもうおばあちゃまと一緒の戸籍にははいっていない)そして母と私との関係(私も母の戸籍にはもう入っていない...みんな苗字が違う...)を証明しないといけないし そのうえ、このチケットをキャンセルしてその手続きに6ヶ月そして、新しいチケット新たに買って(二重払い...き..きつい..) なんて、なんだかややこしいことになってきたのでこれは、素直にあきらめて一日おいて予定通りに帰ろうと決めたんだけど そうしたら、その帰国の前の日仕事に行ったらやたらと私の携帯ががんがんなって見ると旦那からだったんだけど忙しいから仕事が終わってからかけようと思って放っておいたら仕事場を出たとたんまた電話がかかってきた なんだろうと思ってでると "Guess what...(なんだと思う??) I got laid off this morning !!!! (今朝、会社から解雇された....)” が~~~ん またしてもやられました ちょうどここ2-3週間の間うちの旦那は、今の会社の様子がちょっとおかしいからまた、ほかに仕事を探したほうがいいかもしれないって 言っていた矢先だった 旦那も、今回は前回よりもショックを受けていて 私にしてみれば "あ~これで私がいくらがんばっても今日日本にいけなかったのはこれだったんだ”って妙に納得(私は、この世のすべてのことは理由があって起こっていると信じているので..) 早速、旦那を迎えに家まで行って旦那を連れて会社まで行って(旦那は、会社の私物をその日のうちに片ずけなくてはならなかった) その足で人事課えと赴き少しばかりだけど、パッケージが出ると言うのでそのショックも少し和らいだ様で... だけど、またしても やられた... 本当に、不動産業界は景気がよくないしここ何年かのサブプライムの影響でこうやってばっさりと首を切られる人が後を絶たない業界でして... そのあと、旦那とちょっと話したんだけど今は私も少しばかりだけど収入があるしまあ、旦那に非があるわけでもないし(その日、その会社では1300人解雇した...) これも、人生の中ではつきものだし(特にアメリカの場合) 家族で乗り越えていかなくてはならないけど そんな中、私は日本へ発ちおばあちゃまのお葬式には結局間に合わずお墓にしかいけなかったんだけど その上、青森は毎日、毎日 雪、 雪、 雪... それでも、家に帰っていた弟と母と一緒に時間をすごしそしてまた、いとこたちとも会う機会もあった そして、私もこの週末やっとの思いで家に戻ってきたんだけど さて、これからまたちょっと厳しい毎日になるよな...なんてだけど、まあ落ち込んでいてもしょうがないし一番ショックで、ストレスたまっているのは旦那なので 彼をサポートしてさしあげようと思っております さて、この世の中に起こることすべてに理由があると信じている私はきっとこれは塞翁が馬に違いないと勝手に信じていて自分でも能天気だなと思うけれど まあ、そのぐらいのほうがいいでしょうね だけど新年早々、こんななんてちょっと今年はついてないのかな?? まあ、がんばらなきゃね~~ ふぁいと~~
2008.01.30
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ものごころついたときからおじいちゃま、おばあちゃまって呼んでいた 私は彼らにとって娘の最初の子供(孫)だったので小さいときからとてもかわいがってくれた 小さい頃から、夏休み、冬休み、春休みと休みのたびにおじいちゃま、おばあちゃまのところへ行った おじいちゃまとおばあちゃまの家は、 青森の中でも本当の津軽の真ん中 本当に田舎の小さい町にあった そこに行くと同じ年のいとことその近くに住む同年代のいとこたちとそしてうちの弟と5人で一日中遊んでいた そこに行って、親戚に人にトラクターに乗せてもらって近くの畑でとれたてのスイカをほおばったり お盆の時期にはみんなでお墓参りに行って夜になると迎え火といって家の門のところで火をたいてその横でいとこたちと花火をしたり 冬は、その家の庭に大きな坂を作って一日中ミニスキーであそんだりもちろんかまくらをつくったり 秋には、裏庭の柿を取って食べたり胡桃の実をとったり そして決まって夜になると私はおじいちゃまとおばあちゃまの部屋で彼らの真ん中に小さい布団をしいて寝た うちの母親に言わせると私はおばあちゃまのところへ行くといって夏休みの始まる2週間も前から荷物を詰め始めたというエピソードもあるらしい 私にとってそれだけおじいちゃまとおばあちゃまは 一緒に住んではいなかったけど特別な存在だった それが中学にあがり、高校にあがり、東京で専門学校へ行き始めてそして就職 小さい頃のように頻繁には顔を見ることはなかったけどそれでもおじいちゃまとはずーっと手紙のやり取りをしていたし 東京に出てからも、結構頻繁に電話はしていたし実家に帰るたびに顔を見に行っていた そして私の大好きだったおじいちゃまは私は20代前半のときに病気で亡くなってしまったんだけど 今でも、おじいちゃまには私の子供たちを見せてあげたかったなってずーっと思っていた それでもおばあちゃまにはアメリカに来てからも帰るたびに会いに行ってたし私の子供たちにも何回か会わせてあげる事が出来た おばあちゃまは大正元年生まれのとても頑固な昔のお母さん うちの母親に言わせれば女は働きに出るものではないとがんとして働きにも出らせてくれなかったらしい ここ10年ぐらいはうちの父親の働いていた老人施設にいたんだけど頑固なところは年をとっても変わらず でも、いつも身だしなみには気を使っていて 90を過ぎても毎朝、髪の毛はきちんととかし食堂にご飯を食べに行くだけなのに自分が気に入らないと母のせっかく買ってきた洋服も袖は通さずジマイでたんすのこやしになったり 布団はまっすぐにしわひとつなくしゃきっとしていないと気がすまないらしい 最近はだんだん物忘れがひどくなりぼけているのではないのだけど人の顔とか名前とかしばらく見ていないと忘れてしまうみたいで だけど、毎年私が行くと必ず"遠いところからありがとうね”って、私がアメリカにいるのをわかっていたみたい そして、私の息子たちをみるたびに”かわいいね~”といってくれていた そんなおばあちゃま 昨日の夜、逝ってしまった 95歳だった 夏に会ったのが最後だったけどやはり年だから体のあちらこちらの機能が低下してくるのはしょうがないようで だけど、母の話だと苦しまずに安らかに逝ったらしい それだけが私の中ではせめてもの救い 目をつぶると小さい頃からのいろいろな思い出がどんどん頭をよぎって涙が止まらなくなるけれど だけど、こんな思い出をたくさん持っている私はとてもしあわせだと思うし それを私にたくさんのこしてくれたおばあちゃまにもとっても感謝している きっと今頃は先に逝ったおじいちゃまと一緒にいるんだろうな おばあちゃま 長い間ありがとう、そしてご苦労様
2008.01.17
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昔に比べたら今では少しはよくなったんだけど うちの旦那は週末ともなると自分のするべきこと、したいことをあれこれと計画を立てる そのなかにはうちの2台の車の洗車とバキュームそして車の整備(オイル交換など) 庭の芝刈りと木の剪定ガラージの掃除と整理整頓壊れているものを直すこと ジムへ行って2時間びっしりとウォークアウト子供のバスケットボールの試合を見に行くこと愛犬マックスを洗ってやること その他あれやこれやと自分からプロジェクトをつくり私や息子にまで有無を言わさずに手伝わせ 夕食に時間になってもたいてい作業は終わらず せっかくあれだけ悩んでお買い上げになったでっかいグリルでの週末のBBQも今となってほとんど私の仕事になっている 旦那としてはここまでやらないと気がすまないこれだけはやらないと気がすまないというゴールがいつもあるらしい でも私にしてみたら車の洗車なんて2-3週間に一度でいいから子供たちと過ごす時間を作ったり 家族で過ごす時間を増やして欲しいんだけどそちらのほうはいつも後回し 初めて家を買った時にはあれを買って、これを買ってあそこを直して、ここを直してここをこうして、ああしてと気が遠くなるようなリストが彼のなかにはありそれをいつもいつも考えてひとりでお金の心配をしたりしながらそれでも今すぐしないと気がすまないらしい そのときにも、私は彼にそんなお金も時間も私たちにはないんだからちゃんとリストを作ってしなくちゃいけないことを順番に書き出してそれから考えましょうってなだめたことが何回あることか... 今日もそんなことがあって旦那とちょっとした口げんかがあったんだけどそうしていたら昔行ったカウンセラーの人が言っていた事を思い出した 昔、そう長男くんが生まれてすぐのあたりに私たちも例に漏れずにいろいろないざこざが耐えなかった そこで見かねた義母が彼女の知り合いが8週間のグループカウンセリングをするから参加してみればって言う提案をしてくれた そのカウンセラーは昔オクラホマシティーの国連ビルが爆破されたときにその多くの被害者、遺族にカウンセリングを主にしていた人 その人はそのときのグループカウンセリングは主にCoーdependency(共依存)についてのクラスだった 共依存とは主に、人間関係の中でよく運命共同体というのかパートナーとともにその関係が悪循環から立ち上がれなくその関係にしがみつきそこから逃れられないでも逃げたくない、 たとえばDVの関係でいくら男性側から暴力を振るわれてもこれは彼は自分を愛しているから殴るのだ自分だけはそばにいてあげなければ彼はだめになってしまうという思いこみ 男性側もその関係に甘えその暴力がされにエスカレート最後にはどうしようもないところまで行き着いてしまうような関係を共依存というんだけど そのクラスは私自身がもっともっと英語の理解力があったらなあ、と思ったほど興味深い内容のクラスだった そのクラスの中である日そのインストラクターがうちの旦那に質問した 君の毎日の生活の中で 緊急でとても重要な事なこと 緊急だけど重要な事ではないこと緊急でないのだけれど重要なこと緊急でもなくて重要でもないこと 君のリストの中でこれらがどのくらいの割合か言ってごらん?って 旦那の場合 緊急でとても重要なこと - 80% 緊急だけど重要ではないこと - 10% 緊急でないのだけれど重要なこと - 5% 緊急でもなくて重要でもないこと - 5% だって そのインストラクターはびっくりしていて ”君の毎日の生活はとてもストレスのたまるものだろうね” って言っていた 彼が言うには、私たちの生活の中で 緊急でとても重要なこと - 10% 緊急だけど重要ではないこと - 40% 緊急でないのだけれど重要なこと - 40% 緊急でもなくて重要でもないこと - 10% の割合ぐらいに物事を進めるとストレスの少ない生活が送れるということと そんな人生の中で緊急で重要なことなんてそんなにはないって言っていた 毎日そんなに緊急で重要なことばかりだと思っている人は心の中にも余裕が持てないし周りの人をもその人のペースに巻き込むことが多々あるらしい これってまさにうちの旦那のこと 彼はうちの旦那に ”YOU NEED SLOW DOWN!!!"(少し余裕を持って...) といっていた このことがあってから旦那がたまにまた突っ走りそうになるとこのことを旦那に言うようにしている 彼も自分にはせっかちなところがあるのは十分承知しているからたまにはスローダウンしようとしているみたい そうでなくてもストレスの多い現代社会の中では この 10-40-40-10の法則私はとっても納得 皆さんの周りにもこんな人がいたらこの10-40-40-10の法則を教えてあげてください そしてすこしだけ余裕のある生活をね
2008.01.14
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ちょっと出遅れましたが あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願いします そうして、昨日の夜8時の飛行機で25日から滞在されていた元義妹と甥っ子がカリフォルニアへの帰途についた は~~~っ (ため息です) やっと、家族だけの生活に戻ってほっとしているところ 義両親が22日から滞在していてこの元義妹の帰途まで2週間 長かったあ~~~ ほんとに長かった 義母がいる間は義母が結構いろいろと食事の支度をしてくれたりとかしたんだけど 彼女が帰った後からはそうもいかなくなり 今度はわたしがいろいろ献立を考えていてもちろん元義妹も手伝ってくれたんだけど(手伝ってくれたというか彼女が勝手に自分の好きなものを作っていた) 彼女は彼女特有のグルメな朝食、グルメなランチ グルメなデイナーを作ってくれたんだけど たった少しだけサラダにまぶすために$10も使ってチーズを買ってそれをそのまま冷蔵庫の残していったり そのサラダに使うためにやはり$10ドルもするサラダドレッシングを買ってそのまま残していったり 変わったクッキーを作りたいからってごそーっと材料を買い込みほとんど使わずに台所にほっぽり投げていったり 彼女が自分で買ったものだから文句を言う筋合いもないんだけど 普段使わないものが冷蔵庫に、そしてキャビネットに所狭しと並んでいて こんなことばっかりしていたら彼女のエンゲル係数は高いだろうな...なんてかってに想像して... そして旦那はそこら辺においてあるワインから、ビールからウィスキーから手当たり次第に義両親と元義妹に飲まれて おまけに義両親などは自分たちの家から旦那にといってワインを持ってきて その間にうちで買って置いたビールを飲み干し自分たちでまたビールを買い足したのはいいんだけど余ったビールをすべて車に積んでオクラホマまでもって帰ったという強者なわけで.. だけどこうやってファミリーが集まることももうそんなに頻繁にはないわけで そうしている間に元義妹は前回来た時にネットで知り合った人と(その人に関してはこちらをどうぞ) こちらで会う約束をしてきたみたいで うちの旦那と元義妹と子供たちがそりすべりに行くときに一緒に誘って この後この男の人をデイナーに誘いうちまでつれてきた その男の人にしてみれば彼女の別れた旦那の兄の家に招待され そこには彼女の別れた旦那の両親と元義兄、元義妹とその子供たちがいるわけで そんな所に招待されてきっと最初は居心地悪かったに違いないんだけど 旦那の両親にしてみても自分の息子の別れた妻が男を連れてきているわけで だけど、義母にして見れば彼女はすっかりその件に関しては吹っ切れたようで その上、彼女らの離婚の原因は彼女ではなく息子のほうにあるので彼女の幸せを一番に考えるべきだって思っていたみたい そして最初は緊張していた彼もみんなでわいわいと夕食を食べ 子供たちと思いっきりWiiして遊んでいったっけ ただ、その後はあまり進展もなかったんだけど それでも、みんなが楽しい思いをしたHOLIDAY SEASONだったと思う もちろん子供たちだって楽しい時間をすごしたしね そんな中でWinter Breakが終わってみんなが帰って子供たちの学校も始まってわたしらの仕事も始まって 一番ほっとしているのは わ た し です さて、また今年も一年笑顔で元気にがんばりますよ~~~ 今年もよろしく~~
2008.01.05
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いまブログを書くと日本では1月1日なので元旦だけど こちらはまだ年があけていないのでそのつもりの2007年締めくくりブログといきましょう さてその前に29日に義両親は無事にコロラドを発ちオクラホマへへの帰途へつき 今は1月3日まで滞在する元義妹と甥っ子の二人がいまだに家にいる この話はまた後でしっかりアップしますが... 昨日などは私がちょっと喉をやられているので甥っ子と次男坊と家で留守番をして 旦那と元義妹そして長男くんで朝6時起きでKEYSTONEへスキーへ(完璧なミリタリースキー) そうしたら、そうしたら、早く出たほうがいいよって言っておいたのに結局KEYSTONEを出たのが3時半で KeystoneからI-70までの道で事故があり普通は20分でつくところが2時間近くかかり そして5時15分にI-70に乗ったら今度はまた極度の吹雪と風ですっごい渋滞 5時30分にはI-70は VailからGeorgeTown間はClosedしてしまったらしい 旦那たちも乗ってしまったI-70超渋滞なのに降りるわけにも行かず(降りたらもう入れない...closedだから) とにかくすっごい雪と風で旦那なんか、こんなすごい吹雪は見たことないって言ってた そして、あちらこちらで車が滑って立ち往生しているし そこら辺の町ではその吹雪のためにシェルターが用意されたらしい(なんたってIー70、Closedですから...) 結局家に着いたのは夜の10時近く お疲れ様でした~~~ そして今日は大晦日 アメリカの大晦日なんで日本の大晦日とは違ってぜんぜんお祭り気分もなにもない... まあ、いいんだけど 今年は旦那が新しい仕事を見つけたとたんレイオフされたり(詳しくはこちら) 私もパートタイムの仕事を始めたり(詳しくはこちら) 義両親がセミリタイアーしてオクラホマへ引っ込んだり(詳しくはこちら) 家族で始めての大きなバケーションへ行ったり(詳しくはこちら) 旦那も子供たちもそして私も大きな病気もすることなく大きな怪我も事故もなくみんな健康に過ごすことの出来た一年だった そして、なんといっても今年たくさんのお友達が新しく出来たり 今までネットを通じて仲良くしていた人たちと実際会う機会があったりと 個人的にも楽しい充実した一年だったわ 来年も今年のように家族とたくさんのお友達に囲まれて健康で楽しい一年を送りたいわ ずーっとお友達だけど今年も会えなかったお友達たち そして 今年も今までどおり遊んでくれたお友達たち 今年新しく出会ったお友達たち 今年はたくさんありがとう 来年もよろしくね そして皆さんにたくさんいいことがありますように
2008.01.01
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