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31日の日曜日🎃ハロウィン選挙の日、なんとか与えられた作業を約束の期日内にすべて完了。最終日の今日は、高層マンション群のみの3000件余りを配布するのみで楽勝と思われたが、それでも1万歩ほど歩いた勘定になる。 明日は仕事の後、「月のしずく」36号発送準備作業。 明後日の11月2日午前中に発送。引き続き、夜の顔不思議な俳句会の9月の編集作業と出句一覧を作成してその日の内に発送。 そして、3日より晴れてしばらく遠のいていたライフワークに立ち戻る。10月一杯ふりまわされた分を取り戻すのにふさわしい季節だ。 11月は5日が新月。7日の日曜日立冬。19日のフルムーンから22日小雪。その間に可能な限り籠って感を取り戻しながら10月に歩きながら考えたことを形にしていく。 ムックきのこクラブは11月比叡山と12月近江で年の瀬を迎える。 川西きのこクラブの〆の11月は多田銀山。 ラボMでは11月から茶人シリーズとして「利休」の映像を数か月にわたって閲覧し、日本文化の核心部分である<無用の用>の諸相を考えてみる。 それは新春号の「月のしずく」37号に深くつながっていくものだ。ポール・スタメッツのドキュメント映画『素晴らしいきのこの世界』を小特集にして、21世紀のきのこワールドの行くべき道を提示したい。 新春は気分をかえて究極のきのこ映画『真夜中の弥次さん喜多さん』をまな板に挙げ、2月からはさらに利休を掘り下げる作業を続けたい。 日本文化のへその部分にきのこが深くかかわることを少しでもあきらかにできればうれしいかぎりだ。これが首尾よくすすめば「月のしずく」の紙面の刷新も可能になってくる。
2021年10月31日
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Indian Summer(小春日)を賜った昨日は、一日中農村部の巡回に終始した。穭田の広がる野面の田んぼの縁を流れる小川の傍でじっと流れを見つめている猫ちゃんと出会った。鴨長明をまねて「行きて帰らぬ水の流れに世の無常を悟っていたのかもしれぬ」。 19日に「月のしずく」を脱稿してからの10日間は、まず期日前投票に出向いて、ほぼ毎日朝から晩までひたすら歩き倒した。20日1万3千歩、22日2万歩、24日1万歩、26日1万3千歩、27日1万7千歩、28日2万5千歩、29日1万歩、そしてこの行脚も明日の3千件のポスティングでなんとか約束を果たせる勘定になる。23日、25日、30日の週末・週初は別件の派遣の仕事で車と歩きで各7千歩ずつ。以前も言ったと思うが、こうした肉体労働の収入は生活費で費消してしまうので貯まらない。パートをつないで生活している今の若い世代の人たちはそれはそれは大変な日々を送っていることが実感される。病気しても子供が事故に会っても、休むことはゆるされない。この流れは中曽根、小泉政権の時に誕生し、急速に列島に広まったと私は考えている。 今度の選挙で少しでも働く若い世代に光明がみえるようになることをひたすら祈っている。
2021年10月30日
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今月は野暮用で忙殺されそうなので、いつもより心して早く着手したお蔭で昨晩届きました。目下、きのこの本質にふれる所見とわが国の古代史の核心部分に触れる内容をまとめはじめているため、益々読みづらい内容になっていますが、これからの10年、未曽有の激動の時代に突入する危機意識が私を突き動かしており、読者層を想定せずに独白調となっております。茶留(藁人)さんの粋を凝らした表紙絵と茶屋町一郎画伯の酒脱なエッセーがその固さを少しでも和らげようと頑張ってくれています。 ただ、発送は私が11月1日まで朝から晩まで走り回っていますので2日の火曜日になります。毎号楽しみにしてくださっている方々は(そんな奇特な方がいらっしゃるのかどうか??) 今しばらくのご辛抱を。表紙絵 七福神シリーズ の <大黒天(大好食蕈)> 岩里藁人きのこのイコノロジ序説ー4は <きのこと法華経> 毒とるマダラーノフ小特集は <大麻新時代は来るのか> なつきじろうきのこ歳時記 <ベニテングダケ> 写真・文 毒とるマダラーノフ日本史うそで笑い事典-6 <額田王から見えてくるもの> なつきじろう不思議な食虫植物 茶屋町一郎ラボだより ロシア映画『夏の終止符』 なつきじろうシベリア抑留の生き証人 田中唯介受賞記念アルバム お知らせ ほか ざっと以上の内容となっています。
2021年10月29日
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昼前、車のフロントグラスに葉っぱがひっかかったと思いきや、グラスホッパーだった。あわてて車を止めてカメラを取り出すとさっと飛び立って近くの公園の樹の枝にとまってアカンべー。クダマキモドキ、正式名はサトクダマキモドキ(Holochlora japonica)だ。全身薄緑色で葉っぱに擬態するのか、翅が葉の形をしている。かしこそうな面立ちでしばらく眺めていたらまた遠くへ飛んで行ってしまった。
2021年10月28日
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ミズタニカエコさんと型染め作家、須原百合さんの二人展が現代クラフトギャラリーで開催された。今回、私がとりわけ注目したのは写真上の20号作品。回を追うごとに洗練が加えられて筆致に鷹揚とした気魄がただようまでになってきた。 スハラユリさんの作品は今回がはじめてだが、この二人展をきっかけに2年後にふたたびコラボ作品展が開かれることが決まったという。 型染めの技法は、バッグをはじめ生活用品の作品に惹かれた。カラーコーディネイトとデザインが抜群で女性であれば飛びつくだろう品物で満たされていた。型染めの額装作品は今回はじめて出会ったが、山本佳世さんのコラージュ作品に通じるところがあり、その新たな可能性に気づかされた。 私が文句なしに気に入ったスハラ作品は中央のタペストリーだ。 このスハラ作品とコラボすることでミズタニカエコ作品もより開けた時空に躍り出た感があり、2年後の二人展はさらに見ごたえのあるものとなるだろう。 この折本形式の作品集は、カエコ作品の集大成ともいうべきもので、このひとつひとつの作品から新たな息吹きが生まれ出てくる予感に満ちており、楽しみである。
2021年10月27日
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本日新しい地区の下見がてら回り、丁度いい機会なので、ずっと気がかりだった鎮守の杜の熊野神社へお参りしてきた。 この地区は深田の名の通り上と下に分かれた深い谷あいに開かれた集落で、新興住宅地と旧農家が住み分けている地区である。その中心が集落のはずれの阿弥陀堂とこの小山を成す熊野神社だ。昼日中の深田集落は、ヒッチコックの映画『鳥』さながらにカラスたちの天下で細い農道を数十羽のカラスが我が物顔で占拠し、車が傍にいっても立ち退かない。そんなカラスに混じって野狐も遊んでいた。このキツネ君も道路に寝そべって後ろ足で耳の後ろを掻いていたのでてっきり飼い犬だと思ったが、後で気がついた。 面白いことに鳥居のある小山の前面に広がる広大な稲田の中にある五大力菩薩霊場奉拝のいしぶみがあった。この霊場と熊野神社の関連は調べてみる価値がありそうだ。 本日は調査の仕事と配布の仕事と受取りの仕事が3件も重なり、午後は調べ物も山積みなのでさっさと切り上げた。1万2千歩、4時間。これくらいが私にとって、今の理想的な歩行のようだ。 本年も余すところ2ケ月。来春よりはじまる9年間の展望がようやく開けてきた。未曽有の大変な時代のはじまりに向けて、身体と相談しながら精一杯駆け抜けよう。
2021年10月26日
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差し迫った衆院選挙のため、公報印刷が散発的に仕上がるので有馬富士を月に5回も眺めながら歩く10月下旬となった。 そのお蔭で秋の野焼きの風景の中の有馬富士と、以下の水面の逆さ有馬富士とも出会えることとなった。 この池越しの有馬富士は、花山院のある尼寺(にんじ)地区を通るたびに以前から気になっていたさんだバーベキューガーデンさんの黒毛和牛牛スジカレーの幟に惹かれて、昼時を外して訪ねようやく念願のカレーにありついた際に、店のオーナーが教えてくれたもの。昼までの晴天とうってかわった曇り空の午後でマット状の図像しか得られなかったが、なるほど池塘越しの有馬富士は初めての体験で気に入った。 そしてここのカレーがまたこだわりの逸品で、期間限定のマロンやイチゴを贅沢にあしらったデザートもあり、女性には見逃せないだろうが、食べ物の写真はいつも食べてからしまったと反省するだけで撮れたためしがないのでもうしわけない。ただ、原木のシイタケとバーベキューをこの店秘伝の塩で食べる話は興味がそそられた。一度その熟成塩の焼きシイタケを戴きにあがりましょう。そんな寄り道があって本日はいつもの半分の1万歩でした。
2021年10月24日
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有馬富士-1 今月は20日「月のしずく」に編集を終えてから通常のポスティングに加え、急遽決まった選挙関連が散発的に増え、月末までに丘陵部の分譲地を中心に8日間早朝から夕刻まで歩き倒さなければならない羽目に。 昨日、今日の感覚では、今の私のペースは6時間、2万歩が最適値とわかった。これが加齢により徐々に5時間1万5千歩、4時間、1万歩とペースだうんしていってやがてお陀仏となるのだ。今までは9時間、10時間歩き倒したが、今回からは欲張らずにこのペースを維持することにしよう。 有馬富士-2 明後日より余すところ6日間、このペースで歩き倒そう。写真1は近郊の農村部より見た有馬富士。写真2は本日ニュータウン丘陵地より眺めた有馬富士と右奥の花山院の尼寺(にんじ)の小峰。
2021年10月22日
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アートには資産家が投機の対象としたり、パトロネージュして私蔵するためのものが一つ。民間に流れ、それぞれの用途に応じて身につけたり用いたりして楽しまれる民藝に通じるものが一つ。その二つの両極の間に無限の諧調を成して広がるものである。そのいずれもが私にとってはかけがえのないアートである。 あらゆる文化というものは、否定からは何も生まれない。アーティストとはピカソから三歳の子供の作品までを貫く<一寸の虫にも五分の魂>とでもいうべき創造精神の総合的な流れをいうのだと考える。 猿澤恵子さんはそんなアートのさまざまな可能性を狭いジャンルに閉じ込めることなく、いささかも限定を加えずにすべてをやさしく包み込んで精一杯そんな流れを創ってきた人である。その33年間の歩みの一端が今回の展示ではからずも示された。 主宰の猿澤作品はショールやひざ掛けに用いられるもので、手持ちの豊富なウールを選んで、これを着る人をさまざまに想像しながら糸をかえ色合いを変えて編み上げた作品が10点あまり置かれてあった。 これはギャラリー主催者の瓢吉庵油坊主(神尾博子)作品である。帽子がとてもおしゃれに仕立て上げられていた。 世に猫好きは浜の真砂ほどいるようで、好きさが伝わってくる手触りのリアルな子猫サイズのネコちゃんたちがバスケットに納まっている。以下は門下生の作品群。 敷物(マット)にも、壁掛けにもできそうなしっかりした縫製の毛織物。シープシップの本領を発揮した作品である。 これはギャラリー○○の常設かもしれないが、この展示にそこはかとなくマッチしていた。 ヤシャブシ、キハダ、レモングラス、アカネ草といった身近な山野草や園芸植物を利用してで染め上げた草木染作品。 この普段着となる作品たちもそれぞれ一工夫されているらしいが、着衣や食べ物にそんなに深い関心を持ち合わせていない朴念仁の私には計り知れない雰囲気を漂わせていた。もちろんアクセサリーもいろいろあったがこちらも私には理解が及ばないものたちだ。 私にとって面白いなと感じたものは、いろいろ閉じたり開いたりしていじくりまわして怒られそうになったオナモミを活用した作品だ。マジックテープもそもそも、こうした野草の種子の播種のための構造がヒントになって生まれたものだから、この作品もオナモミのファスナー効果を試したかったのかもしれないと思ったものだ。 以上、ざっと採り上げただけでも門下生たちの作品の生活に根差した多様な想像力と智慧があふれ出た作品群であった。
2021年10月21日
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猿沢恵子さんが主宰するSHEEP SHIP生活倶楽部33周年記念展がJR立花駅南のスペース〇〇で開かれた。継続は力なりというが33年といえば、ゆうに人の一生にもに重なる歳月だ。 シープシップとは、毛織物工房の意味だろうが、門下生たちの作品は、多彩を極める。 スペース〇〇の月替わりの壁面アートは、土井英津子さんの「瀕死の白鳥」。英津子さんらしい作品である。 西宮の老舗パン屋さんアミンズ・オーヴンのオマージュ作品。 ギャラリー内の門下生の展示作品については次回お伝えする。
2021年10月20日
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町歩きの途中でたまたま立ち寄った旧武家屋敷の赤井家住宅で開かれていた結城春樹作品展「編む 継ぐ」は久々の手応えのある作品群に出会った。 編んで、継いで、型には残らない流動的な製法が、一期一会の形を造り出す 謳われている、そっくりそのままの作品群に圧倒された。 愛知県立芸術大学デザイン科卒、鞄職人鎌形氏に師事し、2012年より三重県鈴鹿で鞄工房 ALPHA MADE 開き今日に至る。その結城春樹氏ご本人とも出会い、工房を訪ねることを約してきた。
2021年10月19日
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伊賀上野の旅のフィナーレは、伊賀上野名物の田楽亭わか家さん。 画伯のおごりで恐縮しながらも、そうと決まればあつかましくも地酒まで注文。豆腐田楽だが、秘伝の味噌が絶品であった。 この日の稀有な出会いを噛みしめながらのひとときを楽しんだ。 この日のとっておきの出会いについてはまた後日。
2021年10月17日
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城を出て伊賀鉄道の踏切を渡ると整然と条里が敷かれた城下町に入る。日曜とはいえ、アジア系の人が時折すれ違うほかは人っ子ひとりいない町並みでこれがまたなんとも気に入った。 店の中に入っても顔をのぞかせる店の人もないのは、僕のような素性の良くない人間にとっては持ち前の出来心が頭をもたげてきそうでちと気がかりだったが。 家人のいる店先も品物を並べて誰もいない商売っ気のない店先も飾りつけだけはしっかりとしてくれているのがうれしい。 この写真右の古時計の店で伊賀の人がもっとも愛飲しているというほうじ茶を買い求めた。 こんな猫の子一匹いない昼下がりの町を闊歩するのは海辺の集落をたずねたみたいでたのしいかぎりだ。 芭蕉の蓑虫庵 俳人とは私も含めて廃人に近い人たちの通称ですが、この俳人という人種は、何でもかんでも鳴かしてしまうので困ります。亀を鳴かせ、石を泣かせ、時には女も泣かせたとか。こちらは一生に一度くらいは泣かせてみたかったものですが…。 芭蕉も例にもれずこちらの庵開きの祝いとして貞享5年(1688)3月「みの虫の音(ね)を聞きにこよ草の庵」と蓑虫がいかにも鳴いていたかのような句を贈っています。しかし、ここに行けば蓑虫の鳴き声がきけるかもと期待する人も居たとすればしたたかですよね。やはり廃聖といわれるだけある。 なかなか立派な屋敷だが、本人が草の庵と言っているくらいだから、これは近年のものだろう。 城下町のどんづまりには秦氏や白山の泰澄ゆかりの愛宕神社がある。 藤堂高虎の造立と言われる17世紀頃の重文の本殿。 この扁額の右の2文字がわからず、数日後伊賀上野観光課に問い合わせたところ、古老の伝え聞きと前置きして、これは近くの国史跡記念館に指定されている崇廣堂の主人の揮毫によるもので「永賜祚胤」(えいしそいん)と大書されているという。末ながく子孫に幸福を賜るという意味だ。
2021年10月15日
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伊賀一宮の敢国神社は、阿閉氏の氏神だが、この阿閉氏は日本の歴史の中で影の存在として近世まで影響を与えてきた一族である。伊賀上野は素敵な城下町だが、古代から中世にかけては、このあたりがそもそものセンターであった。 今は、町中から離れていることもあり、秋の日の傾きはじめた頃ともなるとつゆおとなう人とてなく静かに散策できた。 祭神は本来、阿閉(あへ)氏の祖神の大彦命の一柱だったが、のちに秦氏とゆかりのある服部氏がこの地へ入って来て、少彦彦(開拓神)と金山比咩命(製鉄神)の二柱が加わったと私はみている。 この地で出迎えてくれたきのこは参道の砂を被ったニッケイタケと黒変しはじめたアカヤマタケ。 秦氏の影がちらほら垣間見える忍び之社の愛宕神社では舞殿の扁額の4文字が読めず悩んだり、芭蕉ゆかりの蓑虫庵では、「近年みの虫もとんと少なくなりましたな」「ひと昔前にはみの虫を集めて帽子をつくるくらいいたのにね」とか、ひとしきり語り合ってからこの地へ足を伸ばしたが、伊賀上野の町は我々にはしっとりなじんでとても親しみを感じたことだった。
2021年10月14日
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伊賀上野城ではまず俳聖殿に入り、芭蕉と晩年の彼の膳所(近江)の門人で恋人だったらしい智月尼との往復書簡などを堪能。さらにクイズに正解してその書簡のレプリカをもらい、いざきのこちゃんたちと御面会。 この城の天守閣はこの角度からの眺めが最高。 クロハツモドキ Russula densiforia クロハツ R.nigricans の仲間はすべて黒い初茸と書くが、いずれも写真上の幼菌のように出始めの傘の色は白く、モドキんぼはやがて成長につれて世馴れして灰褐色から煤黒くなる人間臭さが特徴。同定はヒダが密であること。触れると赤く変じてから黒くなることでクロハツに似るがヒダの疎・密で判断する。ニセクロハツ R.subnigricans は赤変のままで黒くならないのとヒダはやや密といささか異なるので容易に区別できる。 このヒダの状態が密でありんす。でも食い気が先行するとこれを疎とややや密とみる凄い想像力の持ち主もいるので信じられないことが往々にして起こる。 この日とても愉快だったのは、伊賀上野のチチアワタケはすべてヒョウモンチチアワタケと名づけたくなるような傘の表情を呈して私たちを迎えてくれたこと。 チチアワタケ Suillus granulatus 松林でよくみかけるヌメリイグチの仲間だが、こんな傘の表情をもっチチアワタケは伊賀特産である。この日みかけた乳泡くん(新鮮な個体は傘の裏の管孔から乳色の泡を吹くことでその名がある)は、すべて豹紋というべき傘模様であった。 この印象的な紅茸くんが、実は問題なのだ。お出会いの当初はカラムラサキハツちゃんだと思った。しかし、紫色が浅く中央部が白く抜けている。唐由来の紫ハツちゃんは中央部は暗紫色が常だからだ。だったらカシタケちゃんか?。いえいえ、それはないでしょう。 スカートの下の劇場は、厚めのヒダが密集しており、こりのヒダがヨレヨレなのが今あげたいずれの紅茸でもなさそう。結局はおしゃれな紫色の紅茸 R.sp どまり。 今年は雁茸の当たり年だったみたいだ。方々でよく出会った。次のパンサーきのこ(テングタケ)との違いは、根元がふとまり、しまりがないと言うべきか、全体にややずんぐりむっくり、デレッとしていることだ。 ガンタケ Russula rubescens さらに触れるとゆっくりと赤変すること。それがラテン名・ルべスケンス(赤変する)の由来となっている。 テングタケ Amanita pantherina やや赤褐色のかりがね(雁)色の茸にくらべて傘の色がブラックチョコレート色をしていること。そしてシャキッとしてダンディーであることで一目瞭然だ。 ニガクリタケ Naematoloma fasciculare 発生初期はクリタケと見間違える危険きわまりないきのこがこれである。 この温和でいかにもおいしそうなきのこ。 写真はマクロで迫っているので肉感あふれているがか細いきのこである。日を置くと硫黄色に変わり二ガクリ特有の色を示し始める。 この傘の色しかと心に刻んでおこう。じっくりながめればそこはかとなく硫黄色がうかび上がっているのがお分かりになるだろうか。真のきのこ名人は決して間違わないがにわか名人はたちまち騙されてしまう。きのこは見かけによらぬものの代表がこれだ。
2021年10月13日
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寒露も過ぎた長月五日(10月10日)の日曜日。 秋の光に誘われ、芭蕉、観世親子、忍び一族を育て、服部氏を支えた秦氏たちの城下町・伊賀上野を歩いた。 加茂駅から亀山へと向かうJR関西線は、笠置を過ぎた頃から伊賀上野までは隙あらば原野に戻してやるぞという植物たちの強固な意志と抗いながら進んでいく。極度の徐行運転や視界の広がる地点でのきまぐれな高速運転など、天下のJRでは珍しい列車で藪漕ぎが楽しめる貴重な路線である。 そんな単線路の魅力を満喫して皆の到着する1時間半近く前に伊賀上野駅に降り立った私は、駅周辺を散策してフォト・スケッチしてまわった。 この辺りは伊賀上野の三田焼(みたやき)の窯元がちらほらとあり、朝の光の中でひときわ異彩を放っていた。 農家の庭には、いずこも光まみれの秀明菊がゆらぎ、畑の端にはつゆ草が繁茂している。 そんな秋ならではの風景に身を置き、露の世にいきるということの意味を考えるともなく考えてから再び駅舎へと戻った。 この日、伊賀上野城ではこの2週間の過乾燥にも拘わらず見事なきのこたちと出会い、芭蕉をめぐる城下町ではうれしいハブリングに2つも恵まれ、夕暮れ時には田楽庵「わかや」での豆腐田楽をいただき、とっぷり暮れてからの帰途には藪漕ぎ列車の不安が的中し、車中泊まりになるかと思われるようなスリリングなハプニングに見舞われ、早朝の5時から深夜の10時半の帰宅までワンディトリップとは信じられないほど豊富な経験を味わわせてもらった。 伊賀上野は古代、東国への玄関口。この木津川流域の笠置、月ヶ瀬、島が原、伊賀上野は、私のライフワークに幾重にも重なる大切な場所なので、命あるかぎりくりかえし訪ねることになる土地柄だ。 今回は鈴鹿在住のレザークラフト作家・結城春樹氏とも出会い「月のしずく」35号を謹呈、大満足の一日であった。 この日一日の出来事は、これから追々お伝えすることにしたい。
2021年10月12日
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まだ穂をつけて間もない薄(すすき)と出会った。すすきは整然とあるより千々に乱れる姿のほうが好ましい。 もう十日もすれば白銀色の花穂が成熟し。絮を飛ばすまでになりそう。 急速な秋の訪れにとまどいを覚える人も多いかもしれないが、秋はいつも突然ジーンと胸を穿って訪れるものだ。 今年は冬の到来が早そうだなと感じている。そろそろ「月のしずく」36号に着手すべき時がきたようだ。
2021年10月08日
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朝から夕暮れ時までベッドタウンの方々を歩いていると、日本も広いなと感じる。広報配布や社会生活基本調査の仕事が重なり戸別訪問が始まると、どこの家からも不思議なことに人が居て出てくる。コロナの影響か?。穴ぐら生活が日常化しているようだ。 運動会の練習をしている小学校の校庭には全校生徒だろうか、50名ほどが秋空の下でうずくまっていた。教師の数の方が上回るようになるのも近いことを感じさせる。 写真は住宅の内陣に築かれた芝生公園。春には知る人ぞ知る桜の名所となる穴場である。方々の分譲住宅地の小公園にも親子連れで秋の日を愉しむ人影が絶えて久しい。野生動物は日中は穴ぐら生活をして月の出と共に行動を開始するが、昼行性のヒト種は終日こもりっきりの生活となると、そろそろそのひずみが現れ始めるところだろう。 戦後長きに亙って海図なき航海を続けてきた日本は、ポストコロナを待たずとも、疲弊の極にある。 日出ずる処の天子は台湾の動向を他山の石として、宇宙船地球号としての役割をしっかりと認識して自身の海図持つべき時がきているように思える。
2021年10月07日
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この夏、上高地から槍ケ岳に登った友人からおみやげにきのこラベルの吟醸酒をいただいた。 単独者とは、真の実存をめざす人すべての代名詞である。 職業的には、文学者、詩人、アーティストに単独者であろうとする傾向は濃厚である。それがいつのまにかお団子になり、やれ俳壇だ、文壇だ、画壇だと徒党を組んで組合活動みたいなことをやりはじめる。群れれば蒸れるし饐えるのは世の常である。発酵と腐敗は紙一重。月のしずくの基調である。「あわれ秋風」の世界、君子は危うきに近づいてはならない。 一方、近年政治の世界でしばしば多様性を口にするがそれは全くおかしい。権利獲得や権力を志向するということはそれが弱者擁護のためのものであれば必要悪でいたしかたないが、多様性とは全く真逆の行為なのだ。決してまちがってはならないし、だまされてはならない。権力や覇権を握るということは一極支配を志向することで、いつの時代でも不変であることは歴史が物語っている。与党も野党も権力を握れば同じ顔になるのはいたしかたのないことなのだ。 それは大衆というものの変わらぬ意志であり、大衆の意志を体現するのが王であり指導者であるからだ。民意の代弁者がいつの時代も王であり、民主主義もアンチ多様性を志向するものであることにはいささかも変わりはない。権力とは所詮マッチョ(男っぽさ)の中にしか存在しえない。 一方、私たちの理想とする単独者とは、専制主義とは正反対のベクトルをもつものである。そして太陽と月の二つの原理を二つながら体現するものである。それは常に少数派であり、いかなる共同体からも部外者であり続けることなのだ。そして大衆の意識改革を抜きにして真の変革はありえない。 しかも、決して大悟してはならない。娑婆世界に首まで浸かりながら「ちょっと背伸び」を続ける人のことだ。 それが釈迦の教えであり、大乗運動の中で、今の日本のような状況を憂いて生まれてきたのが『法華経』だと私は受け止めている。その法華経に描かれた菩薩こそがきのこなのである。 従地湧菩薩(だいちよりわきいでたるぼさつ)。釈迦は弟子たちがこの娑婆世界の法主となりましょうという願いをすべて退けたとき突如として大地を割って出てくるものすごい数の菩薩たちがそれである。私は、コンクリートを割って出てくるヒトヨタケをただちに思い浮かべたものだ。 私が仏教において在家を重要視してきたのはそのことのためである。『法華経』の少し前に編まれた『維摩経』はその在家仏教者に光をあてた教えであった。この2経典は、古代社会においてすでに聖徳太子が注目した経典である。 私が口癖のように語る「ちょっと背伸び」とは、自身と身のまわりの世界を常に流動の相においてとらえること。一般大衆からいち抜ける機会を常に伺い努力を続けること。この単独者としての基本の上に立って社会生活(娑婆)を切り抜けていく態度こそが菩薩行であり、賢治が目挿したデクノボウであり、妙好人である。 社会というものが無視できぬ形で迫り始め、唯識という没社会的な発想では機能しなくなった時代に生まれた利他の精神こそが大乗の教えであり、それは矛盾に満ちたものであった。個人と社会、それは相容れない絶対矛盾なのだ。 私の関与する会はすべて単独者の集まりを前提としている。かっての日本キノコ協会にしても、ムックきのこクラブにしても、夜の顔不思議な俳句会にしても、人はどうあれ、私はつねにそうした態度で臨んでいる。先生とか指導者は常に非在である単独者同士のちょっと背伸びのサロンなのだ。 美味しいおさけのついでに単独者について付言しておく。
2021年10月06日
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小学校高学年の時に佛教と出会い、在家であることの大切さを学び、中学時代にニーチェを知り、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』やパスカルの『パンセ』で、西欧文明の圧倒的な深さを思い知らされ、それがキリスト文明を基層にしていることに気づかされました。マルクス、ダーウィンもしかりです。 そして、ジャズと実存主義と山恋いにまみれた高校時代。神と向き合い、どう自分なりに神を乗り越えるかについて悩み、カミユの『反抗的人間』、『死にいたる病』のキェルケゴールで西欧の唯一神教としてのキリスト教の超克こそが私の終生のテーマだと気づかされました。 エールリヒ・フロムの『自由からの逃走』を読んだのは大学1年生の時でした。 実存主義から得た唯一の思考は<単独者>という言葉でした。いかなる場合でも孤立無援の単独者として世界に向き合うことでしかあらゆる問題は真に解法を導き出せないと思いいたったのです。そのころ新田次郎の『単独行』が山岳雑誌・ヤマケイで連載がはじまり神戸で活躍した単独行者・加藤文太郎にも憧れました。それが30代に入って社会生活に埋没する日々の中でアルビニズムとしてのスポーツ登山を卒業せざるを得なくなり、魚釣りや端山の登山を続ける中できのこと出会ってびっくりしました。私が思い描いてきた理想の生き方をしている生物が現実にこの世に存在するんだという驚きです。 「月のしずく」の<きのこのイコノロジー>では、巨大な微生物・きのこという面白い生物をひたすら観察し、それを権力や権威とはまったく無縁の民衆芸術や民衆文化という手法で、飽くなき欲望という名のマッス(マスコミをはじめとするさまざまな塊)に微細な穴を穿ち、暴走・膨満に歯止めをかけるための基礎理念を提示しはじめています。 コロナ禍は、私にとってはこれまでの半面教師としての人生を終了し、単独者として生きなさいと教えてくれているように思えてなりません。 ゴルゴサーティーンの斎藤さんも亡くなったことですので、次年度からは益々自由奔放に、益々ハチャメチャに単独者としての晩節を全うしたいと考えております。
2021年10月05日
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世界に3百種あるアザミのその1/3が日本列島にあると言われます。ナナマツの森で見かけたアザミは秋によく見かける吉野アザミだそうです。 秋の野に出ると万葉集初期を飾る額田王のことがしきりに思い出されます。額田王は、白村江の闘いに大敗した王権の目が半島への野心を木っ端みじんに砕かれその目を内へとそそぎはじめた天智・天武朝に生き、大和言葉を和歌によって深め磨きあげた類いまれな言語能力を持った女性でした。この近鉄枚岡駅の隣にある額田という駅名(地名)にちなむと思われる額田にずっとこだわってきましたが、近年考古資料や文献解釈も格段に進み、徐々にその額田の意味が明らかになってきました。東近江の蒲生野を望む雪野山の旅を終えるとこの女性の存在はますます重要に思えてきました。いよいよ「月のしずく」36号ではそのことに触れてみたいと思っています。 この10月は公私ともども超忙しい日々となりそうです。
2021年10月03日
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カワムラフウセンタケ Cortinarius purpurescens フウセンタケの特徴は傘の裏に胞子を保護する被膜がCortina(=クモの巣状)であること。胞子が成熟すると鉄さび色になることで、和名となった風船茸の基部が風船のようにふくらむことは2次的な特徴である。 この命名者の川村博士の名前を冠したフウセンタケはその和名の典型で基部がそろばん玉のように膨らむ。そしてプルプレスケンスは触るとムラサキ色に変色することからの命名である。このきのこも関西では随分みかけなくなって久しい。 この明瞭なきのこひとつ取り上げてもヤマケイの『日本のきのこ』に掲載されている写真とは随分と異なる印象をもつ方も多いだろう。きのこの見極めには、全体的な印象を的確に把握することが何よりも大事なのだ。 きのこ名人がまったく同じと思われる食用きのこを採っても少しでも違う印象をもつきのこは食用から厳密に区別して取り除くくらいの慎重さをもっている。目利きの目利きたるゆえんである。 随分と少なくなったきのこと言えばこのサクラシメジもまず挙げられる。昔は立秋をすぎるとバケツ一杯とか大型のごみ袋両手に一杯とかいう単位で発生して喜ばせたものだが、今回のナナマツではたった1本見つかったのみだった。 サクラシメジ Hygrophorus russula 大型のヌメリガサでかすかに苦みがあるが、それもこのきのこと特徴である。出始めは白っぽいが、触れるとワインレッドが濃くなるので、この恥じらっているような色合いがなんとも印象的で私はあまりきのこは食べることはないが、これは時々口にしてきた。 傘の表面にイボ状の痕跡があり全体に粉っぽかったのでハイカグラテングタケと思いきや、よくよく観察すると長野などでお目にかかったハイカグラテングタケとはどうしても思えなくなった。サイズからすればクロトマヤタケモドキ Inocybe cincinnataに近い。しかし、この粉被り状態はアセタケ(=イノシーベ)とも全く異質のきのこで、目下のところお手上げである。 かって大分県の湯布岳で群生していて、この地の特産にしようという地元の要請に横山先生たちが幾度か訪れた折のササナバとよく似たホウキタケの仲間のきのこだ。 微生物学の中でも野性のきのこ研究の基礎学問の重要性は誰もが口にはしてもただちにお金に結び付かないため常に後回しにされてきた。きのこの同定の難しさは、研究者が育つ土壌の貧弱な我が国の状況を反映して、いつまで経っても打てば響くような図鑑が出てこないことにある。Ramaria属のこうしたきのこもとても研究が遅れた分野で、永遠に明らかになることはないだろう。私がきのこを始めた80年代なかば頃には、アマチュアの仲間同士のサロンが形成され、それぞれが属ごとに分担して知見を深めていたものだが、その頃の友人の殆どが鬼籍に入り、生き残り組はきのこそのものに真剣に取り組む人たちの不在に失望したものか、すべてきのこの世界から遠ざかってしまった。 アート系の若い女性たちの活躍が華々しいのは唯一うれしいことだが、実際の野山でのきのこたちとの対話を欠いた図鑑のきのこのイメージからの造型がほとんどなので、きのこのアートといっても幼児が花と言えばお決まりのチューリップを描くような域から一歩も脱しえないのが現状である。それを脱するためにはきのこを愛する人たちが大好きなきのこのグループをできるだけ早く見つけて自分の得意とするアートの手法を活かした表現を次々に生み出しアートにおけるきのこの文化の裾野を大きくひろげることが不可欠である。その基層の上で微生物学としての菌類研究にも日陰の存在の研究者たちに予算がまわるような状況をつくりあげることが肝要である。 しかし、現状はそれぞれの分野のアマチュアが自身の殻に閉じこもり他を顧みない傾向が顕著で、他との協調が益々みられなくなってきている。 かってのMOOK『きのこ』も、現在の「月のしずく」も、もっとも読んでほしいきのこ愛好家からの声は少しも届かず、他分野で苦戦している研究者や趣味人からの評価でかろうじて支えられている状態である。「きのこをメジャーに」するためには、生物学や生命誌に基礎を置き特殊世界から普遍への道筋を総合的に極め回路づくりをする作業が是非とも必要で、そうした意欲をみせる人材(財)が圧倒的に不足しているのを感じる。 このきのこも通常のきのこ観察会では、アイタケ だとしてそれですまされてしまう。しかし、アイタケとは明らかに異なる。これを同定するためには最低限光学系なら1000倍の油浸顕微鏡が必要になってくる。しかし、ベニタケの微細な胞子を正確に見極めるためにはそれでも不十分なほど微細で、ほとんどが正確な姿を現してくれない。 Mauro Sarnariさんの800ページに及ぶイラスト写真つきのイタリア語のベニタケのモノグラフ『Genere RUSSULA in Europa』を参照しても明快な解答は得られない。 「たかがきのこ」とうそぶいてみても、このきのこひとつ取り上げてもこれがベニタケに所属し、近似のきのこにアイタケがあるが、どうもアイタケにしては、灰色がかち過ぎており、傘のへりの粒点と表皮のちぎれ方や絣模様の斑点が乏しいなどといった特徴を基にして、本郷図鑑の各章はじめにある科から属に至る検索表くらいは頭に入れた体系的なきのこの把握が必要になってくる。きのこの世界は「キャッ可愛いや、ウへッきもい」だけでは一歩も前に進まないのだ。 さいわいなことにきのこ観察会でもこれをアイタケと命名してもそれはおかしいと思う人は皆無なので、ちょっと変わり者ですが、これはアイタケ Russula virescensでしょうね。ですませてしまうので永遠に種名はわからない。 この蝋細工のような赤いきのこは前述のサクラシメジと近縁のヌメリガサの仲間だが、ざっと図鑑を見てもこれと類似のきのこだけをとり上げてもベニヤマタケ、ベニヒガサ、ヒイロガサ、アカヌマベニタケと随分ある。 こうしたチビキノコたちをしっかり見分けるための手立てを次春から「月のしずく」でも誌面を割いていきたいと考えている。きのこファンの会員さんは、ラボMには光学系では最高の油浸顕微鏡も揃えているので、ぜひご協力いただきたい。 さて10月はいよいよ秋本番。アート展や仕事やムックの旅もますます充実するのでうれしい悲鳴が上がりそう。ということで難しいことはこれくらいにしましょう。以上、ナナマツの森のきのこの紳士淑女録でした。
2021年10月01日
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