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パソコンの不測の事態で一から再制作という憂き目をみた37号でしたが、なんとか滑り込みセーフで昨日発送にまでこぎつけました。 きのこ新時代を画する内容だっただけに気合が入りすぎていたからでしょうか。暁の茜空を感じながら、私の一番好きなユーミンの『悲しいほどお天気』を聴きながら読み返していよいよ2022年がスタートしたことをしっかりと感じています。 もうすでに38号の構想が頭の中をくるくる回り始めています。●47年目を迎える大戦殉難異民族慰霊の祭。 これに関連した『陸軍中野学校全史』斎藤充功、『日本のインテリジェンス工作』山本武利の執念の著作紹介。●ムックきのこクラブの神武東征の真実を探る旅。 私の30年にわたる金属史観に基づく古代史のモデル事業のスタート。和歌山から大和へ。紀の川から宇陀までを舞台にした旅のはじまりです。●きのこの「空」論 「机上の空論」ならぬきのこの「空」論。P.スタメッツの「素晴らしき、きのこの世界」解読で述べた<きのこは生物世界のブラックホールである>という着想を掘り下げ、空(くう)の発見が、世界宗教のキリスト教と仏教の根底にもあつたことに触れます。●総合博物誌の「月のしずく」のアート観 久々に再会を果たした稲田早紀さんの画業に触れながら、私の想定する「きのこ人」とはきのこを描く人のみならずもつと広い意味での他者への深いまなざしを湛えた人たちであることを述べたいと思っています。 「月のしずく」は、都会派の地球生態系の底辺を支える生き物好きの博物誌であり、アート・科学・文学を生命誌の視点で再構築し統合する試みです。それをさまざまな表現者がそれぞれの生活空間で精一杯表現することを奨励し紹介する冊子です。 それは、倫理資本主義ともいうべき流れを庶民の立場で応援するものとなりましょう。その意味で、本号の映画「素晴らしき、きのこの世界」の解読から利休へと流れる寺岡久隆氏の『本覚坊遺文』から「権力と権威」の項はとりわけ重要です。 さて、いよいよ2022年のカウントダウンが始まりました。どうぞ良きお年を。
2021年12月31日
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収穫期を逸して呆けた葉もの野菜が広がる畑の彼方に有馬富士が影絵のようにたたずむ29日、農村部を本年最後の挨拶まわり。 明日、明後日は次年度に向け、資料の大整理。まもなく「2021年ともさようなら」の時が迫ってきた。
2021年12月30日
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紅葉ひとつ隣りに置いて湖望む 崇福寺と弘文天皇山前御陵の中間地点にある南志賀町廃寺跡。方々で発掘され、その都度これが大津京だと語られてきた遺跡は、そのすべてを網羅した広大なものであったことが近年ようやく明らかにされてきた。たった五年ほどしか存在しなかった大津京は、崇福寺から石山付近までの広範囲に広がる立派なものであったことが今回歩いてみてようやくわかった。さて、幻の近江京の旅のあと、2022年までの隙間のひととき、きのこ好き、生き物好きのわが友人たちの来し方を振り返り、非力ではあっても月のしずくで行く末を精一杯示していかねばならない。
2021年12月28日
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近江京で天智が志半ばで崩御した後を継いだ大友皇子は、天智天皇を葬ったあと額田王とその大海人皇子の間に生まれた子で、大友皇子の正妃となっていた十市皇女とその母が近江京から去るのを許している。 それは、大友自身がまもなく訪れる大海人皇子の反乱を予期していたように思われてならない。壬申の乱はのちの天武、すなわち大海人皇子が王権簒奪を企てた戦さであったと私は考えるからである。大海人皇子は、歴代天皇の中でも私がもっとも好感をもってみつめてきた破天荒な天皇であるだけにその思いは複雑であるが…。 その悲劇の大友皇子が天智亡きあと束の間、玉座に座し自らの運命の火を見つめた日々の果ての壬申の乱で「もはやこれまで」と覚悟を決めた終焉の地がこの山前(やまさき)の地であり、後年、弘文天皇と諡号され葬られた。大津市役所の裏手の新羅善神堂の小暗き森と隣り合わせに在る。夕闇迫る時刻に訪れたが、この地は夕あかねが彩りを添えることもはばかられるほどの悲哀の表情で満ちていた。 冬ざれの墳墓染めずや夕茜 束の間の栄華廃都の冬紅葉 弘文天皇山前御陵のさらに西の山側に湖を見据えるかのように立つ鳥居があり、その奥へ辿ると行き止まってしまう。怪訝(けげん)に思って右手を見ると見事な檜皮葺、流造の新羅明神を祀る堂が望まれた。足利尊氏創建と伝えられる、この園城寺(三井寺)界隈では最も古い塔頭であるといわれる。 弘文天皇陵といい新羅善神堂といい、紀元2600年を記念して戦勝に沸く太平洋戦争初期の昭和15年(1940)に建立された皇国思想の権化のような近江神宮の豪奢なたたずまいを見た直後に訪れた場所であったこともあり、感慨も一入(ひとしお)であった。 この日の旅の主目的は、この大友皇子の陵を訪ねるものであったが、崇福寺址といい、百穴古墳群といい、湖西から大和盆地北部に勢力を伸ばしも古代名族を輩出した和爾(わに)氏のこと、そしてわずか5年で幕を閉じてしまった近江京が方々の遺跡をつないで余りある巨大な都市であったことを改めて感じたことである。 近江神宮は天智天皇をお祭りする神社で、折から七五三のお祭りも手伝って、美しい着物姿の女性も多く集っており、その明暗を際立たせていた。 そこから浜大津へ出て、同行のUさん馴染みの小川酒店に立ち寄り、店主おすすめの地酒数種を試飲させてもらい、そこの亭主おすすめの小料理屋さんを暮れなずむ大津商店街散策ののちに訪ねた。 その店は、もてなし亭 とっくりといい、JR大津駅の大きなバスターミナルに面した駅ビル1Fにあった。つきだしからしてとても趣向を凝らしたもの(写真上)で、さすが小川店主の推奨した店だけあって、ふところ具合を考えながら注文したものも、お酒も併せて2千円ちょっととリーズナブルで大満足。
2021年12月26日
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新しいパソコンがまだ2年目なのにパンクしたため、冬至の前後はデータ復旧に全神経をすり減らして放心状態でしたが、ようやくパソコン主治医の助けを借りて復旧。絶望的だった「月のしずく」37号の年内配布も可能ではないかと思えるまでになってきました。天罰に等しいこの事故に消沈の極にあった自分を鼓舞するため、37号をもう4ページ増やそうかと画策しはじめましたが、また壊れると元も子もなくなりますので、とりあえず、いつも通りの配信をと思い直しました。本日いっぱいであやおちゃんの最終校正が終わりますので、印刷に出してしまいます。冬至を過ぎて一陽来復を今年ほどありがたく受け止めた年もありません。 さて来春からは新しいプロジェクトが始まりますので、わずか5年で廃都となった近江京の在りし日をしのぶ2021年最後のムックきのこの旅をここにとどめておきましょう。 湖西の無人改札の京阪・滋賀里駅で降り立ち、志賀山越えの道へと辿りはじめると八幡神社がある。 三井寺の圏内のこの地には、源氏の武将らの崇拝する八幡神社が数多くある。ここで女性の禰宜さんとしばし話を交わし、いよいよ山道へ。 峠路のとっつきには百穴古墳群がある。お尻のような穴ぼこが百余り口を開けていると思わせるけっさくな名前に噴き出してしまったが、山の斜面のそこここにあんぐり口を開けている墳墓が方々に見受けられ壮観であった。 なかには石室が露出しているものも多々あり、楽しいことこの上なし。 天智天皇の創建と伝えられる崇福寺(志賀山寺)址は、渓をまたいで金堂・講堂・塔などが点在する。礎石以外何も残っていないが、それが私にはとても感極まるものがあって、ここで一日居たいなと思ったくらいである。 その渓奥には金仙(金泉)の滝があり、この滝道で可憐なオレンジのきのこに遭遇したことは前回紹介した。 滝またぐ廃寺の小径冬きのこ マダラーノフ 滝のわきにみとめた岩窟を探り、それから谷筋を上り下りして崇福寺址の広場に出た。冬至前というのに紅葉が樹上を飾り美しいことこの上ない。 湖風に紅葉明かりの廃都往く マダラーノフ 崇福寺址の広場のど真ん中で誰に気遣うこともなく昼にした。 同行のHさんは、学究肌の人にもかかわらず、いつも昼時にはサプライズをもたらしてくれる。今日はリュックの中から<大阪のおじさん>よろしくみかんやサイフォンコーヒーの茶道具が出てきて、私はコーヒー豆を挽く係を仰せつかつた。 カリフォルニアワインのカベルネ・ソーヴィ二オンと小生持参のDewar's Whiskeyも加わり豪華な昼食となった。 宴めく廃寺の昼餉日の紅葉 マダラーノフ 近江の旅に石仏、地蔵はつきものであるが、ここの大仏(おぶつ)は、高さ3.2mもある厚肉彫りの弥勒像だといわれているが、みたところ阿弥陀像のようだ。しかし、圧巻。ここで4度目の乾杯をした。ムックの旅でもこんなしみじみした感興に浸れるものはそう度々あるものではない。古代最大の国内戦であった「壬申の乱」で悲劇の大友皇子が自害し、わずか5年で廃都となった近江京は、近年までその存在さえも顧みられることがなかったが、発掘調査が進むにつれ新事実が次々と報告され、ようやく現在その全貌が浮かび上がり始めた。近江は私にとってはなぜか哀愁あふれる土地柄である。 天智亡きあと、大友皇子の妃で額田王と天武の間に生まれた十市皇女(とおちのひめみこ)は、近江京を離れている。大友皇子の悲劇の死を予告するような悲しい旅立ちであった。皇后の倭姫も額田王も天智をしのぶ挽歌を残しているが、いずれも歴史のはざまからの呻吟を伝えているようで実に痛々しい。良弁僧正の石山寺開基。芭蕉晩年の恋物語。近松門左衛門が鎖国時代に南蛮人と隠れ住んだ三井寺の別所。百人一首で知られる吟遊詩人・蝉丸のこと。何か、それぞれにもの悲しさがあふれている。
2021年12月24日
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京阪・滋賀里駅から山中へ入る比叡越えの道の途中にある崇福寺址は紅葉の真っ盛り。今年は喜雨に恵まれずきのこは全般的に不作に終わりそうだが、崇福寺址から金仙の滝への崖の道で出会ったヒメコガサ。普通なら鮮明な傘の条線が見られるが、飾り気のない立ち姿。 よくお待ちくださいました。そしてパフボールのホコリタケ。 近江神宮への森の小径で出会った椎茸。 神社関係者が栽培していたのだろうか。すたれ榾木にこんなジャイアント椎茸も顔をのぞかせていました。 滋賀市役所裏の弘文天皇前陵に隣接する新羅善神堂の森でみつけたヒラフスベ。宮内庁管轄のみささぎながら悲劇の大友皇子を祀るこのあたりは心なしか荒廃の極みと映った。 近江商店街の赤い灯、青い灯が気がかりで気もそぞろになった私たちの足をしばしとどめたハタケコガサ。 暖冬も今日までという12月12日の今年最後のきのこたち。さて明日からは「月のしずく」37号編集に入りますからね。と言い終えて別れを告げてきた。
2021年12月15日
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たかがおしることあなどるなかれ。たけだけしい成長ぶりをしめすたけを冠した生き物に竹と茸がある。このおしるこはその竹の子と木ノ子をおしるこにして販売している。 ①まずお餅の代用の麩の接合面にそって包丁を入れましょう。 ②ぱっかり割れたら中のおしるこの元をきのこを採る時の要領で丹念に掘り出しましょう。 ③こうしておいて熱湯を好みの甘さにまでゆるりゆるりと絶えず確かめながら注ぐのです。このじっくり時間をかけてたのしむのが粗茶初代家元・総本家「月のしずく」宗匠、毒とるマダラーノフの流儀でございます。どうぞお試しあれ。どんなものでも時間をかけることでおいしくなります。これぞ発酵の奥儀でごさいます。
2021年12月14日
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今年のピエール・ポネルワイナリーりボージョレ・ヌーヴォ。 1本目の赤ラベルは複雑な味わいで、言葉が見出だせないまま飲み切ってしまったので、2本目に挑戦。 こちらのシロラベルのヴィラージュ・プリメール(右)は、一口でストンと腑に落ちました。ここ数年来でも1-2を争う出来栄えで採鉱においしいものに仕上がっていました。今仕事から帰って来てまず1杯。今夜は暖かいので冬の星座を眺めながら今夜、残りを戴きます。I さん、毎年毎年本当にありがとう。
2021年12月11日
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私が休耕田のアワダチソウを感慨深く魅入っている間、きのこクラブの人たちは足元の叢(くさむら)にご執心の様子だ。初冬のリンドウの株を数えているそうな。見てみると身のまわりの至るところに株立ちしたリンドウが花をつけていた。 いたるところに間歩(まぶ=手掘りの坑道)が顔をのぞかせる多田銀山はきのこを筆頭に、いつも新鮮な驚きがあり楽しいところだ。道のところどころには冬いちごが顔をのぞかせ、乾いた喉を潤してくれる。 かくして2021年の川西きのこクラブの旅も無事幕を降ろした。 この30数年の間に、身のまわりの生きものは次々と姿を消してきた。 地球がわれわれだけのものではないことを確認する一期一会の観照に徹する旅は何物にも替え難いもので、いのちの限り続けていきたいと改めて思ったひとときであった。
2021年12月10日
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都市近郊の田畑は近年、比較的荒れ田、荒れ畑が少なくなったが、それでもこうした広い田地がセイタカアキノアワダチソウとススキの版図争いの場となっているのを見かける。 きのこにフェアリー・リング(菌輪)という現象があるが、菌糸体が同心円状にコロニーを広げる中で、なんらかの淘汰圧がかかり、その先端部分にリング状にきのこを発生させるものだ。そこは、皆が寝静まったあと、妖精たちが輪舞を踊ったあとと言われてきた。 ここでは、アワダチソウに包囲された四面楚歌そのもののススキが銀の穂波を輝かせ、凛と陣地を固守しているさまは見事である。ここが放棄された休耕田でなければ、詩情あふれる野の風景であったろう。今年の秋の、とある美しくもかなしい風景の一コマである。 こちらはイトヒキミジンアリタケと出会った多田銀山奥の休耕田である。泡立ち草が優勢種となってススキの姿は微塵もない。私はこうした枯れ泡立ち草の群落に出会うと80年前の日本が開戦に踏み切らざるをえなかった大衆の目には見えない暴力を感じてしまう。今の日本の状況をもなんとなく彷彿させる風景ではある。
2021年12月09日
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今年度、見納めのきのこは、銀山の通い詰めた谷川で再会を果たしたイトヒキミジンアリタケ。度重なる風水害で立ち入りが困難だった谷川の入口付近が多田銀山の観光資源に目覚めたボランティアの皆さんが山稜部の間歩(まぶ)への道をつけてくれたことでほんの取り付きの部分だけではあるが入れるようになった。 そのお蔭でかって冬虫夏草の宝庫であった谷筋で再会できる運びとなったのが、こちらのアリの頸部から発生する長々しい名前のアリタケである。いたるところの葉裏からわんさか出ていて久しぶりの再会を喜んだ。 冬虫夏草の研究家でアーティストでもある大竹茂夫さんと先般話した際に、発見者の名前のootakeを冠したこのきのこ、タイワンアリタケであったと聞いた。 またその間の詳しい経緯は彼の画業とのからみで「月のしずく」次春3-4月号で紹介したいと思っているが、とりあえず、過去の源氏名のイトヒキミジンアリタケとしておく。硬質で越年生のため周年見る事の出来るとはいってもなかなか出会いの機会はめったにないこのアリタケに再会できたことはなににもましてうれしい。 こちらも年の瀬にふさわしいきのこ。長い間出会っていなかったので名前が浮かばず、いよいよアルチューハイマ―になってしまったかなと思ったが、傘の裏の形状からようやく思い出すことができた。 ヌメリガサの仲間のウバノカサである。傘の色の白いのはオトメノカサ。いずれも美形である。初冬のコケに覆われたところに発生するが、このきのこは落葉の間から出ていたのも同定を困難にした理由のひとつである。 このオウギタケやクギタケのような美しいヒダの形は脳裏に焼き付いた。 そして銀山の里山の路傍を彩るきのこはコガネタケである。 こちらも去年かおととしの丹波の篠山の三尾山で見かけて以来のこと。今年は全体にきのこの乏しい1年であったが、こうして年の瀬に三つ指揃えて律儀に挨拶してくれたのにはひとしお感激したことである。
2021年12月08日
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今年度、見納めのきのこは、銀山の通い詰めた谷川で再会を果たしたイトヒキミジンアリタケ。度重なる風水害で立ち入りが困難だった谷川の入口付近が多田銀山の観光資源に目覚めたボランティアの皆さんが山稜部の間歩(まぶ)への道をつけてくれたことでほんの取り付きの部分だけではあるが入れるようになった。 そのお蔭でかって冬虫夏草の宝庫であった谷筋で再会できる運びとなったのが、こちらのアリの頸部から発生する長々しい名前のアリタケである。いたるところの葉裏からわんさか出ていて久しぶりの再会を喜んだ。冬虫夏草の研究家でアーティストでもある大竹茂夫さんと先般話した際に、発見者の名前のootakeを冠したこのきのこ、タイワンアリタケであったと聞いた。またその間の詳しい経緯は彼の画業とのからみで「月のしずく」次春3-4月号で紹介したいと思っているが、とりあえず、過去の源氏名のイトヒキミジンアリタケとしておく。硬質で越年生のため周年見る事の出来るとはいってもなかなか出会いの機会はめったにないこのアリタケに再会できたことはなににもましてうれしい。 こちらも年の瀬にふさわしいきのこ。長い間出会っていなかったので名前が浮かばず、いよいよアルチューハイマ―になってしまったかなと思ったが、傘の裏の形状からようやく思い出すことができた。 ヌメリガサの仲間のウバノカサである。傘の色の白いのはオトメノカサ。いずれも美形である。初冬のコケに覆われたところに発生するが、このきのこは落葉の間から出ていたのも同定を困難にした理由のひとつである。 このオウギタケやクギタケのような美しいヒダの形は脳裏に焼き付いた。 そして銀山の里山の路傍を彩るきのこはコガネタケである。 こちらも去年かおととしの丹波の篠山の三尾山で見かけて以来のこと。今年は全体にきのこの乏しい1年であったが、こうして年の瀬に三つ指揃えて律儀に挨拶してくれたのにはひとしお感激したことである。
2021年12月08日
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去る12月4日芦屋の月光百貨店で開かれていた個展を訪ねてきた。所せましと居並ぶ作品の脇に、機が熟したのであろう、作家さんも居られてすでに旧知の間柄ではあるが、1年越しで初めて顔合わせの機会を得た。直接お話すると意外な知人友人たちとつながっており、中には10年以上も会っていない老舗天婦羅料亭のオーナーで友人のTの名も出て来たのには驚いた。世の中狭い。 コラージュという手法は、アートの中でも最もメッセージ性が強く、複眼的な視点を導入し得る複製(コピー)芸術としてきわめて現代的だと考えているので、それを肩書にしてきたこの作家には少なからず注目してきた。 今回、造形作品にも目覚めたという作家だが、しばらく見つめ続けよう。 個展のたびにこうした作品集を同時刊行してくれるのもうれしい。 今回注目したのは「ありえない縮尺」と題されたこの作品。 和詩には定型詩の短歌と俳句があり、映像に動画と写真があるように、時間の経過を盛り込んで詠みあげる作品(短歌・ビデオ)と、その時間の流れの中から一瞬を切り出して表現する瞬間芸術(俳句・写真)がある。 コラージュは様々な時間の断片を切り出して再構成する手法が基本なので、写真芸術に酷似する。しかもそれは俳諧歌仙の発句、すなわち共同作業によって生み出される俳諧の連句にきわめて酷似する我が国の伝統的なポエジーにもつらなると私は考えている。 デジカメ時代に突入し、銀を用いるフィルムが不要となったことで、かってのような決定的瞬間を狙うという概念そのものが消滅してしまったが、この瞬間を形にする精神そのものまでが失せてしまったわけではない。 アートというものは基本的には瞬間芸術なのである。これが表現世界において微妙な差異を生み出し、鑑賞者の好みも分かれてくる。 連続、非連続のいずれを自身の表現とするかの覚悟が備われば、この作家の作品は凄いものとなる。そんなことを考えながらMoon Light Depatment Storeを後にした。 明日は去る11月28日の川西きのこクラブの2021年納めの会のきのこたちの話をしよう。
2021年12月07日
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2021年は、きのこの啓蒙時代がいびつな形ではあるがようやく私が望んできた通りの形で満了したとの認識に立ち、私のきのこ暦、全くの白紙の状態で迎える第5期へ向けてパラダイム転換を始める序奏の年となった。 それは、本年の冬至を以って半面教師としての季節に幕を引き、いよいよ私自身を試す時代を迎えるということにほかならない。 それは、「月のしずく」に依拠し、ここまで生かされてきた意味を問う道行きになる。 それは、三夕(さんせき)の歌の、或いは<すさび>から<侘び・さび>の世界への単独者としての道行き。 そしておそらく、それは徹底した屁的存在(そこはかとなく臭いだけの存在)へと脱皮を遂げる時代のはじまり。 2022年の新春からは、すべてが、そしてなによりも私自身が、変容を遂げるべく新たな試みが始まる。 そんな季節の中で、数年前に出会った野尻湖・黒姫をペースに活動している山口紀子の好例の歳末・酉の市ともいうべき個展が始まった。 今年はコロナをはじめ、彼女自身身辺にいろいろな事故に見舞われ、この機会は来ないのではないかと危ぶまれたが、無事開催の運びとなった。 うれしかったのは、会場の1/2を使った出会いの当初からの旧作も並んでいたこと。 私はコレクターではないが、私にとっての節目の年に当たる2021年の歳晩、ラボM用に山口さんとの出会いの初心のかけらを買い求めてきた。 造形作品であると同時にスズコ(土鈴)でもあり、振ると小さな音を発する器楽でもある。 今回の目玉は、私的にはカエンタケとも火砕流とも見える「生まれ出ずるもの」の造形作品。これが今の時代を象徴いるものとして今回もっとも印象に残った。 異常気象に戸惑う水神、竜神のドラゴン。 黒姫・野尻湖方面の彼女が親しんできた野性動物との出会いの印象記。 いずれもこの地をこよなく愛してやまぬ作家のストーリー性のある幻獣作品で満たされていた。 アートはどんな形であれ、生き物とのいのちの交流が感じられる作品であるべしというのが私の持論、それを直接、間接的に追求してくれている作家の1人が山口紀子さんであり、たのもしく感じてきた。 お隣りの戸隠高原は私たちのきのこ行脚の旅の原点、きのこ星雲時代からベニテングの季節に10数回訪れている。いずれ機が熟せば、手足が普通に動く間に彼女のゲレンデの野尻湖、黒姫方面のきのこたちと会いに行きたい。訪ねる度にあおってきた信玄の酒「真澄」をはじめ、隠れた地酒も待ってくれていることだろうしね。
2021年12月05日
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近江今津に程近い新旭水鳥観察センターで桝井亮さんの写真展が開かれているのでJ-FAS日本キノコ協会にゆかりの深い湖西地方を訪ねがてらのぞいてきた。この旅のもうひとつの目的は、J-FAS日本キノコ協会設立準備委員会時代に画王会長(奥澤康正さん)に勧められて一緒に会いに行った股野広司さんと30年数年ぶりの再会を果たすことであった。 この写真展は、きのこという微生物の本意を自然界からするどく切り取ってきた桝井亮さんの来し方行く末を明示する内容であることはただちに理解できたので遠隔地ではあってもぜひ見届けておくべきと楽しみにしていた。私にとっては馴染み深い図像ばかりだが、きのこというアイコン(図像)は、自然界の虚実のあわいに生じる目には見えない世界に属する微生物の活動指標であり、それを的確に写し取る写真家は稀である。そんな写真家の1人がこの桝井亮さんで、篤志家の寄贈という水鳥のはく製が見守る中に並べられた写真群はそれぞれふさわしい場所におさめられたような不思議な安堵感に満ちていた。 作家にとって作品展とは、連綿と続く作家生活に節目をつくりステージ転換を図る作業である。桝井亮さんの今日ただ今からのカメラアイの深化を十分に期待できる写真展であったことは言うまでもない。 さて、この水鳥観察センターのグラウンド階は股野さんのセイリングボートの制作工房になっており、ここで少し角がとれたほかは30数年前と寸分変わりない不思議な情熱の塊のような股野氏と1時間以上にわたり対話を深めてきた。30年前の彼は国際的なガラス工芸の雑誌の編集を手掛けており、それは今も形を変えながら脈々と続いており、このセイリングボートやカヤックの制作を始めたのもガラス工芸作家たちとそこはかとなくつながっているらしいことが理解できた。 来春には以下の著者であるダグラス・ブルックさんがやって来てここでワークショップを開催するという。 近江は、私のライフワークにとって格別な意味をもった土地柄である。またその節には懐かしの近江今津を巡ることも兼ねて再訪したい。 この水鳥観察センターは半月型の入江を成し、水鳥の羽根を休める格好の潟に面しており、カヤックにも水鳥にも最適な場所である。 石川悠館長も寡黙な青年だが、生き物好きに共通のオーラが感じられ、近江今津にまた私どもの拠点ができたことを心底うれしく思った。
2021年12月03日
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10年ほど前に<アート大阪>で出会って以来、ずっと注目してきた稲田早紀さんの個展がリニューアルした NII Fine Arts の東京、大阪(11/6~21)で 開催された。 この作家は、しろつめ草(クローバー、苜蓿)を中心に、身近な野草のブーケやリース、冠などを丹念に描き深化を続けてきた。 私がこれまでに出会ったあまたのアーテストの中でもとりわけきのこ的なアーティストだと考えて追っかけてきた。 作品のほとんどはキャンバスにアクリル・鉛筆で描かれ、モノクロームであったり淡彩を施したもので占められているが、<しろつめ草>を見凝めるまなざしの深化には畏るべきものがあり、絵の前に立つと思わず引きこまれる魔力をもっている。 会場では、孫の世代に相当する作家がにこやかに出迎えてくれた。ここ数年の間にますますしろつめ草そのものに同化していくようなきゃしゃな立ち姿だったので「もっとしっかり食事を摂らなくてはだめだよ」と思わず言いそうになったがすんでのところで呑みこんだ。 1988年大阪に生を享け、2011年京都市立芸術大学卒。以来、精力的に野に在る野草ではなくそれぞれの思いをもった人たちに摘まれ、そのままテーブルの片隅に置かれたままの状態であったり、加工され編まれて別の人生を歩むことになった野の草、とりわけしろつめ草のさまざまなライフ・ステージ、たまゆらの露の命の姿を執拗に描き続けてきた。 今回の展示では、草絮のチャーム(ケセラン・パサラン)を配したしろつめ草(東京)と、同じく鳥の羽根のチャーム(お守り)を配したしろつめ草(大阪)が、こらえようのない不安の時代に突入した私たちの肌感覚を見事に表現しおおせていた。ケセラン・バサランのしろつめ草は東京で売られてしまい、原画と出会うことは叶わなかったが、このかぎりなくモノクロに近い淡彩の作品には心魅かれた。 11月のアートの旅は、多彩でまだまだカレンダーに追いついていないが、この作家の作品は本格的な冬が来る前にぜひ紹介しておきたかったので、順不同でここに紹介することにした。 「月のしずく」でも近々採り上げたい作家の1人である。 上記2点のほか、いずれも私にとっては魅力あるオーラが溢れているが、会場では、こちらの作品も心に引っかかった。
2021年12月02日
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よべの突風を伴う風雨も去り、けやきの影も伸び伸びと穏やかな12月が始まった。 2022年からの10年、私のきのこ人生も正念場を迎える。実はこんなにまで生かされるとは思ってもみなかったことなので正直驚いている。 3年後の2025年には、8年が1クールのきのこ暦・第5期が始まるが、余生のさらなる余生、未生の闇の中をシイノトモシビタケのランプを頼りに歩むほかない日々となり、私にとってもこれまでの経験がまったく意味をなさない未知の時代に突入する。 このパンデミックの世紀、ゲノム編集、AI兵器が日常となる世紀、私はこれまで見聞してきた微生物・きのことの対話をひとつひとつ白紙に戻す試みを通して、庶民の微生物に対する考え方、付き合い方にはじまり、地球の自然と益々乖離しつつある人類との媒介者としてのきのこの役割を伝えていきたい。 まもなく編集を開始する「月のしずく」2022年新年号も、これまでの来し方を総括する内容とし、私のこれまでの37年にわたる<ちまたのきのこ教師>、あるいは、<ちまたの半面教師>たる身分を更に深化させ、<何者でもない屁のような存在>として、10指に満たない同行者とともにきのこを通して世界基準からは常に逸脱してきた東洋のガラパゴス・日本(ヤポネシア)の意味をあらゆる機会を捉えて伝えていきたい。
2021年12月01日
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