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2003.10.10
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「そうだなあ、シーラ・マジッドのCDを見つけたら買ってきてよ。」
ちょっと厚かましいかなと思いながら僕はそう言った。
「シーラ・マジッドって誰?」
「知らないの?マレーシアの有名なヒット歌手だぜ。去年だったか、レジェンダってアルバムを出して、それがめちゃヒットしたんだよ。」
「ふ~ん、知らないなあ。前に私がマレーシアで居た時には、そんな歌手聞いたことが無かった。」
「まあ、行って探してみたら分かると思うよ。」
そんな会話のやりとりを残して彼女は診察室から出ていった。

彼女の胸に肺癌が見つかったのは、もう1年以上前だった。
咳が最近続いて、胸が痛むようになったという事で受診した彼女の胸部レントゲン写真は、既に胸水が少し貯まっていて、もはや手術不能であることを物語っていた。
彼女は僕より4才ほど年上、まだ30代の後半にさしかかったばかりの、2人の小学生の子供のお母さんであった。

家族の意向で、本人には告知せず、良性の腫瘍と言うことで抗ガン剤による化学療法を行ったが、効果が見られず元気なうちに・・と退院した。
最初の主治医は僕の同級生だったが、彼の転勤に伴って、退院後は僕が外来での主治医となったのである。

若い彼女の免疫力が強いのか、それとも神様のおかげか、その後も少しずつ胸水も増えていたけど、不思議と症状も出ずに外来の時間は流れていった。
彼女は外来に来るたびに、「心配ないよねえ。大丈夫だよねえ」そんな風に僕に確かめるような口調で聞いていた。「まあ、あまり変化はないようだねえ」と僕は曖昧にうなずきながらも核心には触れず、1日が無事に流れるのを祈っていた。

そんな風にして外来で約1年が流れ、以前ご主人の仕事で滞在したことのあるマレーシアに旅行に行きたいのだけど・・そう聞いてきたのが年の暮れであったのだ。
彼女の状態は落ち着いていたし、もう来年は恐らく旅行には行けないだろう、これが最後の機会だと思っていたので、一も二もなく賛成した。
おみやげは何が良いと聞かれた時、マレーシアと聞いてすぐに僕の頭に浮かんだのがシーラ・マジッドであった。

シーラは、当時マレーシアで人気ナンバーワンのポピュラー歌手であった。
ライブではダンサブルなナンバーや、山下達郎の歌をカバーして唄ったりする彼女が、マレーシアの伝説的国民的男性歌手であるP・ラムリーの曲を集めて、彼女風に独自のスタイルでアレンジし直して作ったのがレジェンダというアルバムだ。わかりやすく言えば、福山雅治が古賀政男の歌をカバーするとか、浜崎あゆみが美空ひばりを唄うような物だ。
91年に日本でも発売されたこのアルバムは、丁度ワールドミュージックのブームにも乗り、かなりのヒットとなったはずで、確か某自動車メーカーのコマーシャルのバックにもこのアルバムからの曲が流れていた。
大阪で勤務医をしていた時代に手に入れたこのアルバムは、当時の僕のお気に入りの宝物のひとつであった。

「先生の言うとおり、街中何処へ行ってもレジェンダばっかりかかっていたわ」
旅行から帰ってきた彼女が、そう言って笑いながら、クアラルンプールのレコード屋で買ったシーラのベスト盤を、おみやげに差し出してくれた。元々色が黒い彼女が、日焼けして益々現地の人的な顔になっていた。くりくりとしてよく動く瞳が綺麗であった。

その後彼女の病態は一進一退であったが、春になって今度は心膜腔に悪性の水が貯まりだした。心臓は心膜という膜に包まれているが、心臓とこの心膜の間に水が貯まるのを心膜炎(心膜炎)と言い、その水が悪性の場合を癌性心膜炎と言う。心臓が周りから圧迫されるのでたやすく心不全状態となるので水を抜かなければならない。

彼女に癌を告知したのはその頃であった。

頭の良い彼女に、これ以上病気の進行を隠し通せないであろう事、残りの人生を少しでも悔いのない物にするためにという理由で、彼女のご主人と相談して決めた。

告知は、僕が当直の日にご主人の同席のもとに行った。
病名と、もうかなり進んだ状態であることを告げ、今まで隠していたことを謝罪した。
彼女は黙って淡々と聞いていたが、僕やご主人を責める言葉も口に出さず、その日は外泊させて欲しいと申し出た。

彼女が自宅に帰って数時間後、医局でぼうっとしながら、ただ時間をつぶすためのように手を動かしていた僕の横で電話が鳴った。
「先生?ひょっとして私が落ち込んで自殺でもするって心配してなかった?私は大丈夫だからね。先生にそれだけ言っておこうと思って・・。」
「はは、そんな事思ってないよ・・でも、ありがとう。」
そう言いながら、思わずぶわっと目がしらが熱くなって、慌てて電話を切った。

幸い彼女の心嚢液は2度にわたる穿刺ドレナージで殆ど貯まらなくなった。
しかし、そこに転移したガン細胞が死滅するはずはなく、今度は心膜が厚くなる心膜肥厚による、収縮性心膜炎と言う形をとりだした。
心膜が堅くなって弾力性がなくなるので、心臓に血液が流入するときに障害になって心臓が十分に拡張できなくなる。だから心臓で処理できない水が増え、それは腹水、胸水となって彼女を苦しめることになった。

その頃、僕は配偶者と婚約して、秋には結婚式を控えて幸せに酔いしれている時期であった。しかし、自分が幸せになればなるほど、彼女の病気は悪くなっていく、世の中には幸福と不幸の総和がゼロになるようになっているのではないか?そんな事を思う時もあった。

新婚旅行から帰って来た彼女におみやげを渡すと、「私ももう一度バリ島に行きたいわあ・・。」そう力無い声で言った。

その後彼女の容態は急速に悪化した。
お腹は臨月の妊婦のように膨らみ、代わりに凹んだ胸にも水が貯まって彼女の呼吸と循環を圧迫した。水は抜いても更に血管内から漏出して、血管内の脱水を促進するだけであった。酸素投与も焼け石に水で、かろうじて背中に留置した針を通して投与しするモルヒネで痛みと意識がぼーっとしてる事が救いであった。

最後の最後になって、彼女は力を振り絞り、それまで我慢して出さずにいた心の痛みをストレートに吐き出し始めた。
「返して!元気だった私の体を返して!!」
目をランランと輝かせ、涙を流し身を震わせながら大声で叫ぶ相手は、医者である僕なのか、それとも運命の神なのか知るよしも無く、自分に出来ることはただ彼女を見守り、モルヒネの量を少しずつ早くする事であった。

その数時間後、彼女は眠るように40年に満たない人生を閉じた。

それからも、僕は多くの人に癌の告知をしたし、沢山の人を見送った。
辛い記憶と言うのは、人間は少しずつ忘れていくように出来ているようで、
みんな覚えているつもりでも、時の流れと共にそれらの記憶は薄くなっていく。
そうしないと、人は生きていけないのだろうとも思う。

時々、思い出したように僕はシーラのレジェンダを棚から取り出して聞く。
そうして、彼女の最後の断末魔の叫びを思い出す。そのときの苦い記憶とまた同時に、彼女の屈託のない笑顔もまた思い出す。

少し色黒だけど、大きな瞳を持つ知性的な美人だった彼女が、南国の明るい太陽の光を浴びて笑っている。あの降り注ぐひかりは、マレーシアの太陽だろうか・・。自分は今こうやって生きている、その事の喜びとせつなさをかみしめながら、レジェンダの甘い旋律に身を任せるのだ。


rejenda
Legenda(シーラマジッド )
TOCPー6172





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Last updated  2003.10.11 01:51:45
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