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EF64+24系寝台客車+24系寝台客車:団体「ニコニコ超会議号」(2014)前記事の「ニコニコ超会議号」の翌年、また24系寝台車を使用した列車が設定されました。運転経路は同じく北陸経由でした。※撮影は、平成26年4月26日です。EF641030牽引 9716レ 団体列車「ニコニコ超会議号」寝台特急「あけぼの」が廃止され、久し振りに臨時運転された朝でした。早朝からの撮影後に一旦帰宅、仮眠したところ寝坊してしまい、ギリギリで間に合いました。2年連続でEF81138の牽引でしたが、この年の列車はブルーの機関車が牽いてきたので、寝起きのボーっとしたアタマでは状況が理解できませんでした。「日本海」「あけぼの」と相次いでブルトレが廃止されてしまったため、青森の24系客車も廃車となり、この年を最後にブルトレによる「ニコニコ超会議号」も運転されることは無くなりました。
2025.04.30
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EF81+24系寝台客車:団体「ニコニコ超会議号」(2013)平成24年のゴールデンウィーク走ったニコニコ超会議向け団体企画列車『EF81+24系寝台列車:団体「ニコニコ超会議号」』に続き、翌年にも同様の列車が設定されました。今回は、2013年(平成25年)に運転された団体「ニコニコ超会議号」をご紹介します。※撮影は、平成25年4月27日です。 EF81138牽引 団臨「ニコニコ超会議号」前年に運転された「ニコニコ超会議号」と同じく、大阪発日本海経由で上野まで運転されていまが、上野着は1時間ほど遅く設定されていました。牽引機も全く同じであり、変化には乏しいですが、ブルートレインそのものが風前の灯火となった時代、貴重な団体列車として継続運転されることを期待していました。
2025.04.29
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EF81+24系寝台客車:団体「ニコニコ超会議号」(2012)平成24年4月28日、ゴールデンウィークの前半戦で、ユニークな団体列車が運転されました。JR東日本青森車両センター所属の24系6両を使用した団体臨時列車「ニコニコ超会議号」で、4月27日に大阪を出発、北陸本線・上越線を経由して上野まで運転されました。※撮影は、平成24年4月28日です。EF81138牽引 9716レ 団臨「ニコニコ超会議号」EF81が牽引するブルートレイン。EF510導入までは当たり前の光景でしたが、既に訓練運転くらいしか見ることができず、休日の良い時間であったこともあり、多くのファンが集まりました。ちなみに、大阪→長岡間はEF81108が牽引したとのことです。
2025.04.28
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旧型国電 クモル23・クモル24・クル29:配給電車工場から電車区へと、パンタグラフやブレーキシューなど消耗品類を配達する荷物列車。荷台に屋根の無い、国鉄では唯一の形態を持つ電車。配給電車と呼ばれる車両の具体的な形態です。屋根と壁のない車体に強度を持たせることができないため、戦前製の17m車が改造の種車として使用されましたが、改造された両数がそれほど多くない割りに、種車の形態の違い、改造を手掛けた年代及び工場によって非常に個性がありました。それほど多くの写真は撮っていませんが、過去の写真から並べてみます。昭和51年 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29毎度ながらこの昭和51年版はオートハーフなんでみんなブレちゃっているんですよね。配給車は、独特なスタイルに正面の「○配」サボをつけて、軽快に走っておりました。クモル23は、両側窓がHゴムで、ど真ん中窓は木枠のタイプのようです。昭和53年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29こちらも同じクモル23+クル29のコンビです。こちらのクモル23は、3枚の窓が全てHゴム化されたタイプですね。配給電車であるシンボルマークは、「○配」ではなく、「荷物電車」と同じスタイルの「配給電車」という横長タイプのサボを正面に取り付けています。昭和52年頃 品川駅にて クモル24007+クル29品川で駅撮りをしているとき、ちょうど臨時ホームに入線してきました。普通の配給電車は、駅で出逢ったとしても通過してしまうため、ジックリと車両を見ることはできません。このときは、川崎方から入線してきて、田町電車区へ入るまでの間、停車していたんですよね。それで、無蓋部分の中身を見たくて、こんな写真を撮ったわけです。しかし・・・肝心な顔を撮っていないなんて、太っ腹!この当時は、特に貴重とは思っていませんでしたから。昭和47年3月? 津田沼電車区? (lineさん提供)電車区内で待機中のクル29+クモル24。どの写真にも共通して言えますが、常磐線への乗り入れを考慮して、防護無線アンテナを立てているのが良く判ります。形式写真を撮るなら、やはりこれくらいの判りやすい大きさ、アングルで撮っておきたいですね。ちなみに、モーター車で両運転台がクモル23。同じく片運転台がクモル24。制御車がクル29です。クル29には両運転台がありません。アオリ戸の高さには2種類あるようで、特にクルに高さのある枠を設定した車両がいます。また、一部ではアオリ戸が設備されていなく、凸凹の無い車体の車両もいました。いずれも17mの旧モハ30・31・34と言った戦前型の改造車でしたが、意外にその活躍は長く、山手線・京浜東北線がATC化される直前の昭和56年頃まで使用されていたんですよね。。ATC化により運用効率が悪くなってしまうため、当時大量に淘汰されていた101系を改造、ATC化したクモル145+クル144に後を譲り、首都圏から全車引退することになりました。
2025.04.27
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国鉄 交直流型電気機関車 EF8150EF81シリーズですが、ちょっと変わった経歴のEF8150号機です。昭和46年度に製造され、羽越本線電化用として酒田機関区に新製配置されました。主に新潟~秋田間の客車列車・貨物列車に使用されていましたが、常磐線のEF80老朽化による世代交代で集められたEF81の中に50号機も含まれており、時期ははっきりしませんが昭和59年くらいから田端機関区に転属となり、常磐線はもとより、東北本線や高崎線の貨物運用にも進出するようになったようです。昭和60年8月25日 栗橋~古河間にてEF58などの撮影の合間に来たEF8150が牽引する貨物列車で、既に59・2の貨物大合理化の後のため、編成の短くなった専用貨物と思われます。ホキ2200の最後尾にタム9600が連結されています。(タム9600については別途記事にする予定です。)一時期は田端に大集結した地方からのEF81ですが、関門の主であるEF30の老朽化による交代に絡み、昭和60~61年に掛けて重連改造を施して400番台に改名し、門司や大分に転属してしまったものがあります。この50号機も改造によりEF81409号機となって大分に活躍の地を移し、関門間を直通するブルトレなどの牽引に活躍しました。しかし、ブルトレはJR化後にも徐々に衰えを増し、全ての客車列車の廃止と共にJR九州のEF81は全廃への道を辿ることになりました。偶然に撮影していた50号機ですが、関東で活躍していた期間は非常に短く、貴重な記録となりました。
2025.04.26
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小田急電鉄:急行 箱根湯本行き時代の流れとともに職場旅行も無くなり、箱根へ行くことも全然なくなってしまいました。職場旅行では往きながら車内で飲みまくる(私は飲まない)ので、専らロマンスカーしか乗ることはありませんでしたが、かつては急行列車で乗り換えなしで行くことができました。この間、箱根登山鉄道の小田原乗り入れが廃止となり、小田原~箱根湯本間はロマンスカーや小田急の普通列車しか運用されなくなったことで、面白みもなくなってしまいました。しかし、1度だけJRから小田原乗換で箱根へ行ったことがあり、このときたまたま箱根登山鉄道3両編成に当たってしまい、満員立ち席で非常に不快に思った経験もありました。そうした利用者側の不満を考えれば、サービス上はサービスアップと言わざる得ません。平成20年1月5日 和泉多摩川駅にて 5064 急行 箱根湯本行き今となっては懐かしい分類になってしまった5000形。10両編成で、前4両が江ノ島行き、後部6両が箱根湯本行きと思われます。平成20年1月26日 風祭~箱根板橋間にて 5570 急行 箱根湯本行きこちらも5000形の急行箱根湯本行き。箱根登山鉄道区間ですが三線軌条は普通の狭軌となり、有名撮影地からも脱落してしまった感がありました。平成20年1月26日 栢山~富水にて 3476 急行 箱根湯本行きこちらは3000形の急行箱根湯本行き。なんだかこの車両だといざ温泉へ!という気持ちになれません。ロマンスカー以外は乗り換えが必要となった小田原~箱根湯本間。温泉でのんびりしてみたいですが、外国人相手に需要が変わってしまった観光地は、金額的にも気分的にもあまり行きたい気持ちになりません。
2025.04.25
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国鉄 直流型電気機関車:EF6621EF66シリーズで、21号機です。EF66型電気機関車は、初期の1~20号機までがヒサシ無しで登場したのに対し、21号機以降はヒサシが付いたため、その印象が異なります。EF6621号機は、このヒサシ付きの後期型トップのナンバーとなります。平成22年8月24日 大宮駅にて EF6621大宮駅での待機中、当時はまだ情報を得る手段を知らなかったため、突然現れたEF66に驚きました。スピードが非常にゆっくりだったため、カメラを出すのが間に合って撮影できたものです。車体更新、冷房化などが行われ、印象はかなり変わってしまいましたが、当時は現役最若番車として注目の車両でした。21号機は、2016年度に除籍になったようです。
2025.04.24
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JR東日本 チキ6000:レール輸送またまたレール輸送に活躍した貨車であるチキのうち、チキ6000形をご紹介したいと思います。チキ6000は、やはり財政難で増備できなかったオリジナルの長物車であるチキ7000を補足するため、当時余剰気味になっていたコキ5500を改造して製造しました。ただし、流用したのは台車や連結器と梁だけで、ボディとなる平板部はチキ7000と同等のものを新製したそうです。ですから、遠目からは区別が付き難いようです。※撮影は、いずれも平成22年1月24日、大宮操車場留置線にて。チキ6172チキ6176チキ6343チキ6344「ありがとう209系」記念入場券購入のために大宮駅まで出撃。しかし、到着間際の車内放送で売切れ予報を出されて撃沈。手ぶらで帰るのも悔しいので、往路で発見したレール積載中のチキを撮るために与野駅で下車し撮影したものです。チキ5200の記事でも触れましたが、なかなか積荷ありの貨車をじっくり観察するのは結構難しいです。与野駅は、国鉄で勤務していた時代に2年間駅員をしていた懐かしい駅です。チキの留置されている線路は、かつて大宮操車場の東部入換と西部入換で、本線に転線する列車や突放入換のための引上げ線として使用されていた線路です。そんな思い出の風景も、30年以上が経って大きく変わってしまいました。
2025.04.23
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キハ58&キハ65:武豊線 普通列車武豊線は、東海道本線大府駅~武豊駅を結ぶ非電化路線です。関東に住む私にとっては全く所縁のない路線ですが、C56が運転された際に撮影に行ったことがあります。昭和61年、国鉄時代の末期のことでした。この頃は、すでに主流であったキハ30系が全面撤退しており、キハ58・28やキハ65といった急行形車両ばかりが使われていたようです。※撮影は、全て昭和61年4月22日、撮影場所は不明です。来る列車来る列車、みんな急行列車のような4連で、冷房化率も100%化しているのか、キハ58系が2両に、冷房電源を供給できるようにキハ28又はキハ65を2両挿入した編成を保っていました。当時としては何の面白みも無い編成ですが、今こんな編成が堂々と走っていれば、テツの聖地になるような線区なんでしょうね。キハ65も寒冷地仕様の500番台が存在しますが、長野から北日本に配置はあったものの、幹線が電化区間ばかり、冷房の需要も少ないということで能力を発揮することが出来ず、早期に西日本へ散らばってしまった車両です。そういった意味では、殆どキハ65を見たこともなかったので、私的には貴重な記録となってしまいました。
2025.04.22
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DD51ディーゼル機関車:DD51895令和7年4月17日、ぐんま車両センターに所属していたDD51895が廃車回送されがそうです。895号機は、貨物列車用としてSGを搭載しない重連対応の800番台であり、昭和49年12月製造という貨物機の中では最後期のカマです。暖房装置を要しない新型客車を牽引することは可能ですが、登場時から高崎第一機関区→ぐんま車両センターと高崎を離れることなく、専ら八高線のセメント輸送を中心とする貨物列車牽引が主な舞台となっていました。平成23年5月3日 快速「DL重連レトロみなかみ」貨物列車運用の廃止後は、専ら工臨やSL列車の補機がメインの地味な運用ばかりとなりますが、SLの故障時や時にはレトロ・国鉄ブームによりこのようなメインを務める舞台が用意されたこともありました。平成26年11月15日 尾久車両センターにてDD51はイベントへの参加でも話題になりますが、殆どはお召機である842号機の出番となることが多く、1度だけ尾久公開で捉えた機会がありました。昭和61年2月4日 八高線 セメント列車八高線の貨物列車と言えばセメント列車の重連運用。貨物大合理化以降も専用列車として運用が残っており、高崎区のDD51が長く残存していた要因でもありました。お召予備機であった895号機でしたが、この3コマしか記録がなかったようです。
2025.04.21
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165系:臨時快速「潮干狩」昭和50年代、内房線に臨時快速「潮干狩」号が運転されていました。私が撮影した時点においては165系3連×2の6連でしたが、もしかしたら他の車両が使われていた時期があるかもしれません。また、運転期間もあまり記憶に残っていません。姉ヶ崎~五井間にて房総各線の臨時列車は必ずヘッドマークが付きましたので、わざわざ遠征してきたんですね。しかし、快速だからタダだと思って乗ってきた如何にも○の悪そうな高校生ばかり。潮干狩りの雰囲気がまるで伝わってきません。(笑)他の方の記録によると、どうも下校時間帯のロスタイムを埋めた時間に設定されていたらしく、高校生に重宝されたようです。錦糸町駅にてこの時は近場で済ませてますね。しかも、夕立のような大雨に降られたと記憶しています。なので、停車中の写真でありながら、イマいちコントラストの甘い寝ぼけた写真になってしまったのが残念です。いずれも昭和55年の撮影で、その後も季節的に運行されていたと思いますが、撮影には行っていませんでした。165系もそれほど長くは活躍していませんし、183系を使用したという話も聞いたことがありませんので、クルマでの利用に勝てず、風物詩がまた一つ、時代に呑み込まれてしまったように思います。
2025.04.20
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東武鉄道 8000系:8575編成(復刻塗装)東武鉄道では既に旧型車となっている8000系。かなり淘汰はされたものの、さすが私鉄最大数を生産した形式でもあり、残党もかなり多く残っています。特に新型での2両編成が少ないため、8000系が重宝されてきた訳ですが、ここに来て少しずつ動きが表面化してきました。8000型8575編成のお別れイベント「さよならオムライスイベント」を開催8000系2両編成においては復刻塗装車が3編成稼働しており、このうち緑色にジャスミンホワイト帯の8568Fは令和6年3月に廃車となっています。そして、令和7年4月にイエローにインターナショナルオレンジ帯の8575Fが最後を迎えるようです。平成29年10月1日 亀戸線 小村井駅にて平成29年10月1日 亀戸線 小村井~東あずま間にて平成29年10月1日 東あずま駅にて平成29年10月1日 亀戸線 亀戸水神~東あずま間にて平成29年10月1日 亀戸線 東あずま~亀戸水神間にて平成29年10月1日 亀戸線 亀戸水神駅にて令和5年4月25日 亀戸線 亀戸~亀戸水神間にて令和5年4月25日 亀戸線 東あずま~亀戸水神間にて令和5年4月25日 亀戸線 亀戸~亀戸水神間にて亀戸線では2回行き会っていたようです。前者は8000系復刻塗装のコンプリートをするための撮影、後者は現場回りの際に行き会ったものです。令和6年8月27日 大師線 西新井駅にて最後の出会いは意外にも大師線。これも現場へ行く際に西新井駅で遭遇したために撮影できました。10000系導入のペースにより、今後の進捗が決まってくると思いますが、定年退職により仕事で訪れる機会もなくなりましたから、もう訪問の機会もなくなることでしょう。
2025.04.19
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JR貨物 EF81402牽引:貨物列車EF81シリーズで、今回はJR貨物所属のEF81402です。402号機は、昭和47年4月19日新製の日立製EF8141として誕生したカマです。長岡運転所が新製配置で、酒田機関区→富山第二機関区と異動した経歴があります。羽越本線~北陸本線の日本海縦貫線を中心に活躍していましたが、関門間のEF30撤退に際して後継車が必要となり、国鉄時代の昭和61年3月に重連改造を受けて400番代化、EF81402と名を変えて門司機関区へ配置換えとなりました。民営化に当たってはJR貨物へ継承され、その性能特性から関門間以外へもスルー運転が可能となり、鹿児島本線や日豊本線まで運用を拡げて活躍しました。民営化後の長く活躍していましたが、種車が初期車でもあったことから日本海縦貫線のEF510化で余剰となったEF81にその道を譲ることになり、2013年度(平成25年度)に廃車となったそうです。平成24年9月22日 原田~天拝山間にて EF81402牽引 4095レ 平成24年9月23日 東福間駅にて EF81402牽引 2085レJRになってから初めて九州へ上陸。27年振りくらいでしょうか。貨物列車を中心に撮りまくりましたが、やはり貨物列車のスジはそれほど多くなく、既にEH500も進出していますので、カマを選んで撮っているほどの余裕はありません。2日間で偶然にもカブってしまった番号に、当時はガッカリしました。
2025.04.18
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201系:中央快速線東京乗り入れ各駅停車JR東日本では、令和2年3月のダイヤ改正で、早朝及び深夜に設定されていた東京発着の中央線各駅停車の運転を取り止め、中央快速線と中央総武緩行線の運転を完全分離することになりました。これは、中央快速線にグリーン車が2両組み込まれ12両編成になること及びホームドア整備のための措置のようです。さらに、中央快速線では10両貫通編成と6+4編成があるため、この辺りもネックになっているようです。早朝・深夜、都心をブラつく用事などないので、ほとんど無縁な存在なのですが、1度だけ中央線各駅停車に乗った記録がありました。平成20年4月26日 H4編成 各駅停車 高尾行(再掲)娘の水泳大会の遠征のため、相模線上溝まで、始発電車で移動。その際、西国分寺から乗車したのは、当時最後の2編成となっていた201系でした。乗車時に気が付いたのが、サボに「各駅停車 高尾」となっており、快速が前提の中央快速線では、快速には種別表示なしで、各駅停車に逆に表示があるというのを知りました。この電車が立川駅で時間調整を行ったため、その際に撮影したのがこの写真です。八王子駅にて後部の写真は暗すぎてブレてしまったのが残念。都心なので撮影不能という列車ではありませんでしたが、始発電車同等の時間に突撃しないと出会えない列車だけに、そこまで真剣に向き合ったことはありませんでした。
2025.04.17
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JR東日本 DE101704DE10シリーズで、今回はDE101704号機をご紹介したいと思います。既に絶滅危惧種と化したDE10形ディーゼル機関車ですが、ぐんま車両センター所属の1704号機がEF641001と共に長野へ廃車回送されたそうです。地元では出会う機会のないカマですが、3枚ほど見つかりました。平成24年7月17日平成24年11月4日平成26年11月15日 尾久車両センターにて一昔前は宇都宮交代とかで回送があったようで、スジを知らなくても偶然に出会う機会がありました。
2025.04.16
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国鉄 EF70形電気機関車:北陸本線EF70形電気機関車は、北陸本線において活躍していた初の交流型量産機「ED70形」の後継機(1200t貨物列車牽引対応)として、昭和36年に誕生しています。それまでの交流機は、D形で直流機F級の牽引性能を発揮するということから、本線仕様でもすべてD形級で製造されていました。しかし、連続勾配の長い北陸トンネルでのD形級による性能試験の結果、初めてF形級の交流機が開発されたとされています。EF70は、大きく分けると一般型及び高速仕様の2種類があり、さらに一般型は1次形(ヘッドライトがセンターに1灯)と2次形(2灯シールドビーム)に分けることができます。高速仕様の1000番台は、20系寝台車やコキ10000形の牽引に対応しています。昭和58年4月15日 富山第二機関区にて 8号機&1007号機機関区内にて、入換中のEF708と、傍らで休憩中のEF701007です。一度も写真を撮ったことがなかったEF70の最期を撮りたくて、富山まで行ってきました。当時、私は国鉄職員でしたが、EF70の運用など全然知らなかったので、行きの普通列車に乗務していた車掌さんに話しかけられた時、何気なくEF70の話をしてみました。すると、「富山駅から機関区職員専用の送迎マイクロがあるから乗っていけば」というお話を聞き、恐る恐る乗ってみたんです。そしたら、見事に富山第二機関区の中にまで入れてしまいました。バスの中でお話しした方(多分機関士さん)が、時間があるから案内してくれるというので、有難く監視についていただき写真を撮ることができました。ただ、既に末期ということもあって、広い構内でもこの2台しか見当たりませんでした。昭和58年4月15日 富山駅にて 普通列車の牽引機付替え中のEF709帰り道に富山駅で出逢ったシーン。当時は未だ普通列車の本数が少なく、結局客車列車にはこの1本しか逢うことができませんでした。北陸本線の客車列車は、50系客車化されずに電車化されたため、比較的遅くまで旧客を見ることができましたが、その分、EF70の引退を早めてしまったとも言えます。この当時は、北陸本線での活躍末期でもあったため、1次形はシールドビーム2灯化されており、オリジナルのスタイルを見ることができなかったのが残念です。EF70 うんちくメモ昭和36年末~落成 1次形 1~21 2次形 22~ 1000番台改造車 2次形 22~28 → 1001~1007九州転属(昭和55年) 61~81昭和60~61年 全廃
2025.04.15
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EF80・EF81牽引 12系客車:快速「エキスポライナー」昭和60年に開催された「国際科学技術博覧会」(つくば万博)開催に伴うアクセス輸送に設定された臨時列車シリーズ。今回は、EF80・EF81牽引+12系客車列車による快速「エキスポライナー」をご紹介いたします。与野駅にて EF8051牽引与野駅にて EF8063牽引輸送には各地から予備車が集められ、活用されました。大宮から貨物線を経由した列車も多数設定され、415系等の電車が運用できないため、主に客車列車で運転されました。EF80もすでに廃車が始まっており、貨物合理化によって激減していましたが、万博輸送による客車列車牽引のため、廃車されずに輸送に充てられました。昭和60年8月25日 神立~高浜間にて EF81牽引こちらはEF81牽引の「エキスポライナー」です。カブったのかそれとも油断していたのか、何故かサイドからの中途半端なアングルで撮影していた写真です。プリントからのスキャンのため拡大してもナンバーは判別できませんが、どうもナンバーの雰囲気は初期車っぽいです。かろうじて客車連結面にもヘッドマークが装着されているのが判る程度と言う、今となってはちょっと残念な写真です。既に59・2貨物大合理化後でEF80が終焉を迎えていましたが、つくば万博開催に伴う多客輸送のために生き延びていたEF80こそがメインであり、EF81牽引の12系と言うのはあまり注目に値する組み合わせではありませんでした。401・403・415系:快速「エキスポライナー」つくば万博グッズ コカコーラ 『コスモ星丸グラス』
2025.04.14
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401・403・415系:快速「エキスポライナー」大阪万博が開幕だそうです・・・前評判に良い話は聞かないですが、それでも初日はこぞって集結するのでしょう。お疲れ様です。そこで、万博を邪魔するようなネタを投入したいと思いますw昭和60年、現在の茨城県つくば市において「国際科学技術博覧会」(つくば万博)が開催されました。会期は1985年3月17日から同年9月16日までの184日間に及び、この間、会場の最寄となる場所に「万博中央」駅が設置され、さらに、牛久駅や土浦駅に分散したアクセスが採られました。会場まではシャトルバスが主な輸送手段となっていましたが、路線としては常磐線が重要な輸送手段となり、快速「エキスポライナー」が多数設定されました。現在では大宮~武蔵野線経由の旅客営業列車が定期で運転されるようになっていますが、貨物線が一般客に解放されるきっかけとなった出来事でもありました。昭和60年8月25日 神立~高浜間にて 昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて輸送のメインとなったのは、401系・403系・415系からなる近郊型電車たちでした。このつくば万博に合わせて塗装が変更となり、輸送力増強のための15両化が実施されました。それまでの「赤電」時代は、4連×3本の最大12連でした。401系初期車の廃車が既に始まっており、残っていた5両の401系初期低窓車も塗装変更の上で総動員されていましたが、この期間は各地から集まってきた様々な列車が設定されていたため、これら一般的な近郊型はあまり記録していませんでした。つくば万博グッズ コカコーラ 『コスモ星丸グラス』EF80・EF81牽引 12系客車:快速「エキスポライナー」送料無料◆98583 TOMIX トミックス 国鉄 401系近郊電車 (高運転台・新塗装) 増結セット(4両) Nゲージ 鉄道模型(ZN131282)98583 国鉄 401系近郊電車(高運転台・新塗装)増結セット(4両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》TOMIX 国鉄 401系近郊電車(高運転台・新塗装)基本セット (4両) 【98582】 (鉄道模型 Nゲージ)TOMIX 国鉄 401系近郊電車(高運転台・新塗装)増結セット (4両) 【98583】 (鉄道模型 Nゲージ)
2025.04.13
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153系:急行「犬吠」「犬吠」は、昭和33年、両国~銚子間を結ぶ準急列車として誕生しました。昭和41年3月に急行列車に格上げされ、それまで混成で運用されていた「犬吠」がキハ58系化されたのは昭和45年10月のこととなります。昭和47年までは、急行「水郷」と併結されていました。昭和50年3月10日、総武本線が全線電化したことにより、特急「しおさい」のと共に、急行「犬吠」も電車化されます。乗車率が悪く、また車両の老朽化もあり、昭和57年11月ダイヤ改正で廃止されています。昭和51年 錦糸町駅にて房総地区は急行列車にもヘッドマークが付いていましたので、写真を撮りに行く機会はそれなりにありました。隣は101系緩行線です。昭和54年 錦糸町駅にてこの頃から、153系にシールドビーム化された車両も見受けられるようになりました。グリーン車は153系も全てサロ165です。グリーン帯も終焉の頃です。昭和56年12月頃 新宿駅にて他の急行列車と同様、一部の列車は新宿駅にも乗り入れていました。サロは窓枠が更新改造されているのが判ります。並ぶ201系の前面は、線路が写り込むほどピカピカの新車時代です。昭和57年8月23日 佐倉駅にて房総地区の急行列車は、165系の最終増備車が多く充てられていましたが、昭和50年3月の改正から車両が不足したため、山陽地区で余剰となった153系も寄せられました。確率的には165系の方が多く当たりましたが、ご覧のとおり、何故か「犬吠」だけは153系ばかり。意図的ではないと思いますけど。
2025.04.12
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185系OM車:快速「快速碓氷」上野~横川を結んでいた臨時快速「快速碓氷」。過去ログ『183系OM車:快速「快速碓氷」』のとおり、平成25年4月の運転を最後に、183系OM車が撤退し、185系へバトンタッチしました。185系化後も同様のペースで運転されましたが、平成27年4月の運転以降、設定されなくなってしまったようです。平成25年11月2日 185系 OM03編成 快速「快速碓氷」185系になって最初の運転。期待されたヘッドマークは他の臨時列車と同様に用意されることはなく。興味の湧かない形態となってしまいました。平成27年4月11日 185系 OM03編成 快速「快速碓氷」こちらは上りの「快速碓氷」。「北斗星」撮影のために待機していたところ、背後から襲われて咄嗟に撮ったものです。ヘッドマークが用意されていないため、元々撮影する気もなくノーマークでした。その後も撮影する機会がないと思っていたところ、どうも同年11月7日の運転が最後だったようです。
2025.04.11
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カニ24・スハネフ15:寝台特急「彗星」「彗星」は、昭和43年10月ダイヤ改正で誕生した、新大阪~宮崎を結んだ寝台特急列車です。運転開始当初から20系客車を使用していました。大改正ごとに増発が行われ、大分・宮崎・都城の各行先が誕生し、最大で5往復(臨時列車を除く)まで成長しています。使用車両は20系の他、14系・24系などの新鋭車両もあり、さらに2段式寝台の24系25形も導入されています。一部の列車は「あかつき」と併結されており、この場合はヘッドマークの取り付けが省略されていました。昭和50年3月、新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により運転本数が縮小され、583系が新たに設定されるとともに、客車寝台は1往復のみの設定となってしまいました。昭和54年3月23日 下関駅?にて昭和54年3月23日 門司駅?にて上の写真がリバーサルで、下の写真がネガカラーです。カメラが別なので、撮影した順序が分からないのですが、周辺の明るさから考えてこのような順序でないかと思っております。駅の風景は全く覚えていません。昭和51年後半に登場したカニ24100番台を連結した「彗星」。編成自体は24系25形0番台車で関西オリジナル編成ですが、カニのみ後発の100番台を連結していました。カニ24100番台は東京発の九州ブルトレ用として製造された車両でしたが、九州方面の20系客車の老朽化交換を機に関西にも若干数が導入されています。いずれも私が中学を卒業するとき、春休みに卒業旅行として九州に行った時に乗車したものです。ただ、私は事情があってエレクトーン発表会のドラマーのアルバイトをしなければならないことになり、同行のみんなから数日遅れて九州入りとなりました。それで、往路は1人旅となったわけですが、東京からブルトレで行くとなると寝台特急「富士」のみとなり、せっかく九州まで行くのだから東京に走っていない列車に乗りたくなったため、新幹線→寝台特急「彗星」という行程を選んだのです。私の寝台特急(ブルトレ)デビューは、意外にも寝台特急「彗星」となったのです。※その後、乗った列車は「彗星5号」であることが判明しました。平成14年3月29日 新大阪駅にて スハネフ15 「彗星」時は流れ、利用客の低迷から寝台列車は衰退の一途を辿ります。特に関西発のブルトレはその傾向が顕著であり、この時代に残っていたのは単独「なは」と「あかつき・彗星」の2往復のみとなっていました。親戚の結婚式に参列するため奈良に行った際、急行「銀河」で終点一つ手前の新大阪駅にて下車し、テツって来たときのものです。別の列車を撮っていたら到着してしまい、慌てて撮影したのでこんな構図になってしまいました。まさか廃止になるとは思っておらず、その数年後に九州ブルトレがまさか全滅するなんて、夢にも思いませんでした。結局はこのときが「あかつき」「彗星」としても、関西発のブルトレとしても最後の出逢いとなってしまいました。
2025.04.10
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E4系:東北新幹線 「Maxやまびこ」200系新幹線の老朽置き換えに際し、伸び続ける需要に対応するため平成9年12月から導入された2階建て車両がE4系です。投入は需要の伸びが顕著であった東北新幹線で、着席機会の確保と言う観点からであったようですが、私が知る限り、一番本領を発揮していたのが上越新幹線高崎~東京間の通勤対応であったように思います。とにかく朝の上りは16両編成でもデッキに立席客が見えるような状況でした。東北新幹線の「やまびこ」を中心に運用され、200系の撤退に伴って座席の確保が必要になった「つばさ」併結の「やまびこ」はすべてE4系化するなど活躍していましたが、E2系やE5系導入で最高速度が向上したことにより、制限の掛かるE4系は平成24年9月をもって東北新幹線大宮以北から撤退することとなってしまいました。平成24年8月25日 E3系+E4系 「つばさ129号+Maxやまびこ129号」E4系16連が東北新幹線から撤退し、「つばさ」併結の「やまびこ」もE2系に置き換えられるというアナウンスがあり、ついでですが撮影したものです。元々このスタイルは好きではなく、塗色更新が行われるにあたって多少は撮影しましたが、「Maxやまびこ」として撮ったのはこの時だけだったようです。平成15年、イベントの仕事があって仙台へ。帰路は上司と共に帰京するのが嫌だったので、1人でのんびりと「やまびこ」で帰ってきました。その際に利用した「Maxやまびこ124号」の指定席特急券です。「エースマイレール南東北」という企画商品のため、券種は〇契の「乗車票」となっています。当時はまだ喫煙車両の設定があり、上りの遅いタイプでもあったため、同車の1階は貸切状態でした。平成20年8月2日、東北新幹線 小山駅にて400系「つばさ」を撮りに行った際、併結列車として記録したものが動画で残っています。写真も何枚かは撮ってありますので、『400系:新幹線「つばさ」』もあわせてどうぞ。
2025.04.09
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東邦亜鉛 タキ15600:安中貨物通称「安中貨物」と言われている貨物列車。東邦亜鉛株式会社における原材料輸送用貨物列車として有名です。同貨物列車は小型のタンク車と無蓋車の混結(日によってはどちらかのみの日も有り)で運用されており、平成23年から運用され始めた後継のコタキ1200になっていましたが、かつてはコタキ15600が使用されていました。東邦亜鉛のコタキ15600は、昭和44年4月に20両(15600~15619)が誕生しています。平成22年6月13日平成22年8月19日平成23年2月20日平成23年2月27日平成23年2月28日 平成23年9月25日 平成24年4月7日タキだけ撮ったものを時系列順に並べました。全部何気にスナップしたものなので、構図もバランスもメチャクチャです。この後、キレイな赤茶色のコタキ1200に統一されてしまうことになりますが、それどころか、運転経路が武蔵野線経由となってしまったことにより、列車そのものを見ることができなくなってしまいました。
2025.04.08
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JR東日本 253系:幻の特急「はちおうじきぬがわ」JRから日光・鬼怒川方面への相互乗り入れが始まったのは平成18年。当初からその特急の愛称を「日光」「きぬがわ」とし、東武100系スペーシアを使用した列車にはそれぞれ「スペーシア」の愛称をプラスして運行しています。これまでの歴史では、「日光」「きぬがわ」に「スペーシアきぬがわ」が設定されており、新宿経由で八王子まで運転された列車に「はちおうじ日光」が設定されています。さらに近年になると八王子まで武蔵野線経由で「スペーシア八王子きぬ」として運転されることが多くなりました。そこで今回のネタですが、実はありそうでなかった列車名です。※撮影は、平成29年5月27日、大宮総合車両センターにて。この年の試乗トレインは253系1000番台でした。目新しくもないので興味はなかったのですが、帰り道に大栄橋から見たらなにやらヘッドマークにゴチャゴチャと表示が見えます。しかし、順光で上からという角度が良くないのか、目も悪いし何が表示されているのかさっぱり分からず。写真を撮ってモニタを確認するも、明るさが邪魔して判別できず。写真を加工して初めて正体が判りました。八王子鬼怒川ほにょほにょぐだぐだ「はちおうじきぬがわ」そういうことですか・・・えっ?「はちおうじ日光」は臨時設定で良く運転されますが、「はちおうじきぬがわ」ってあったかな?とググっても、やはり出てきませんでした。架空というか、準備された名称なんですかね?あってもおかしくない設定ですし、いずれ運転されることがあるのか?と、当時は思っていましたが、鬼怒川へ行くのにわざわざこんな経路で乗りそうもなく、クルマで行った方が早くて安上がりで行けそうですね。485系:東武鉄道直通特急「日光」189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」485系:東武鉄道直通特急「きぬがわ」189系彩野編成:東武鉄道直通特急「きぬがわ」
2025.04.07
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東邦亜鉛 トキ25000-:安中貨物かつては地元を通っていたことから撮影に興じていた安中貨物。往復とも武蔵野線経由となって以来、それほど遠くない距離でありながらも完全に疎遠となってしまいました。そんなとき、安中貨物からトキ25000の運用がなくなるという情報が載っていました。ネットで調べてみると、過去にもそのような情報があったようですが、ガセということだったようです。しかし、この時の情報では、令和3年10月26日の発送を最後に、トキが連結されていないという目撃情報が散見されており、現実味がありました。当時は一時的な運用離脱なのか、工場の作業内容変更による永遠のものなのか確かな情報はありませんでしたが、地元時代の過去を振り返ってみたいと思います。平成20年8月9日 佐和~東海間にてデジカメで初めて撮影した安中行きの安中貨物。まだ頭の中ではこの列車が地元を通過していることを知らなかった時代のもの。デジカメで撮影枚数の心配もなかったためか、後部のトキ25000も撮影していました。この頃は、このトキ25000が私有貨車でハイフン付きであることもまだ知らなかったと思います。平成21年3月14日 EF8157通常はカマの次にタキ、続いてトキという順序で連結しているため、カマ+トキという画はタキが無いときにしか成立しない絵面です。当該トキのハイフン車は、台車がグレーなのも特徴的でした。平成26年2月11日 オトキ25000-5特に意識はしていませんが、トキの最後部を撮っていた写真。車体、台車、連結器に至るまで、まるで新車のようにピカピカでした。平成20年12月27日1年中で一番陽の長さが短い頃、どうしようもないロケーションに去り行く安中貨物を撮ると、トキ1両にだけスポットライトが当たった。このオトキハイフン車は、平成11年頃に私有貨車として12両が製造されたそうす。その後どうなったのか、Wikipediaにも詳細な記述がなく、よくわかりません。
2025.04.06
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ED7712牽引 12系客車:臨時急行「ばんだい」磐越西線の電化区間用電気機関車として導入されたED77形交流電気機関車。量産型15両が誕生しましたが、貨物列車の削減や、東北新幹線開業に伴う余剰急行形電車の導入などもあって、約半数の7両のみがJRに継承されました。平成5年、路盤強化によってED75の入線が可能となったため、全てのED77形機関車が運用を終えています。昭和57年に東北新幹線が大宮暫定開業、昭和60年には上野までの延伸を達成することになり、東北本線の殆どの急行列車が廃止されることとなりますが、多客期にはまだ少数ながら臨時急行が運転されており、上野口においても「ざおう」「ばんだい」の設定がありました。国鉄の分割民営化直後ですが、磐越西線への撮影において、ED77牽引の臨時急行を撮影したものがありました。※撮影は、昭和62年5月3日、更科(信~)翁島間にて。ED7712牽引 臨時急行「ばんだい」国鉄時代に1度だけ訪れたことのある磐越西線の電化区間ですが、この時は2度目の訪問であり、既に半減した後でした。試作車の901号機も既に廃車になっていたのが残念です。当時は12系急行など興味の対象外でしたが、ED77の活躍も先が見えており、今となっては貴重な記録となってしまいました。
2025.04.05
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20系寝台客車(電源車):寝台特急「あけぼの」上野~秋田・青森を結んでいた寝台特急「あけぼの」。登場時から20系寝台客車により運転されており、20系が老朽化により廃車にある中で、最後まで定期特急列車として運転された寝台特急として歴史に刻まれています。子供の頃から20系が大好きで、身近な線路を走る20系寝台特急である「あけぼの」が大好きでした。中学生くらいの時に撮った写真が中心ですが、今回は20系寝台客車のうち客車部であるカニ21及びカニ22をご紹介いたします。昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21まずはカニ21です。20系の中でもっともポピュラーな電源車。上野方に連結されているので、この顔を撮るためには夜の上野駅に行かないとなりませんでした。中学2年生になって、やっと夜の出歩きができるようになりました。昭和55年8月13日 上野駅にて カニ21これは福島へ出掛ける前に撮ったやつでしたかね。お盆の入りです。入線してきたばかりで、推進用の前部標識が付いた状態ですね。ホームは夜行急行の自由席に乗るための帰省客でごった返しています。こんな状況は、東北新幹線の開業する昭和57年まで続いていました。昭和51年頃 東大宮操車場構内にて 洗浄線入れ替え中のカニ22長い忍びの生活wの中で唯一許可をもらえたときの写真。流美が売り物の20系寝台客車ですが、私はこの無骨なスタイルのカニ22が大好きでした。基本的に「あけぼの」は東大宮送りが無かったものと思ってましたが、53・10以前は東大宮に行ってたんですね。回送しているところを見たことが無かったですね。それにしても、高ニのEF58が入換仕業に入っているとは・・・妙な組合せです。確かに、東大宮操にはDDとかDEは配置されていなかったですね。昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22をサイドからカニ22は、屋根が低くなっている分、特にサイドから見た場合に車体が長くスマートに見えます。私的には、20系の中でも一番秀逸なデザインだと思っています。上野寄りであるが故に非常に撮りづらかった電源車。そんなこともあって、写真に記録できた枚数は非常に少なかったでした。EF65牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」20系寝台客車(ナハネフ):寝台特急「あけぼの」EF6437牽引:寝台特急「あけぼの」EF6438牽引:寝台特急「あけぼの」ED75700番台牽引:寝台特急「あけぼの」EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」
2025.04.04
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251系:「ホームライナー小田原」本記事は、2020-01-26に投稿したもので、当時の表現になっています。東海道本線にホームライナーが登場したのは昭和61年と後発で、当初は全てが東京発着となっており、名称を「湘南ライナー」として現在も好調を保っています。一方、昭和63年7月に横須賀線及び山手貨物線を経由する新宿発着のライナーが設定され、これを「湘南新宿ライナー」としました。その後、山手貨物線を経由する「湘南新宿ライン」の営業が開始されると、紛らわしさから新宿発着のライナーの名称を上り「おはようライナー」・下り「ホームライナー小田原」と変え、現在に至っています。新宿発着のライナーには、215系のほか一部に中央線特急用の車両が充当され、過去には189系・E351系・E257系といった歴代の主要車両も活躍していましたが、平成16年3月改正から251系が投入されるようになります。平成20年には中央特急車が撤退し、251系と185系のみの運用となっています。令和2年3月、ダイヤ改正により251系「スーパービュー踊り子」が廃止となる関係で、1往復に運用されていた両ライナーからの撤退が確実なものとなりました。平成24年2月29日 新宿駅にて 251系 「ホームライナー小田原23号」平成28年3月25日 新宿駅にて 251系 「ホームライナー小田原23号」勤務先である身近な新宿駅発着の列車ではありますが、我が家とは完全な反対方向の列車であり、かつ自分の出勤より早い時間に到着するか、逆に残業しないと縁のない時間帯の発車となります。過去にも残業帰りに目撃することは多々ありますが、この時間だともう元気がなくなっているので、家に早く帰りたい気持ちの方が強くなってしまいます。何よりも、やはりヘッドマークのない251系のスタイルが写欲をそそらない原因であることに間違いはありません。せめて違いと言えば旧態然として維持された側面方向幕くらいですが、これもにも「小田原」の文字はありません。改正後からは185系に置き換えされるようですが、それもおそらくは1年ほどの期限付きであると思われ、利用者の方々はそのグレードダウンを我慢するしかないようです。185系:「ホームライナー小田原」251系:臨時特急「ビュー谷川」
2025.04.03
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東京メトロ 02系:丸ノ内線&サクラ※本記事は、2010-04-05に投稿した記事を加工して再掲しており、当時の表現になっています。丸ノ内線茗荷谷駅でのむかしむかしの遠い思い出。電車に乗ろうと思ったら、突然の風に襲われた・・・それは嵐ではなく、頭上を覆っていた満開のサクラ・・・花吹雪だった。まだ丸ノ内線がフツーに赤い電車だった頃、非常に強い印象が残っていた。昭和58年春・・・かな?でも、当時は国鉄の次々と無くなる旧型国電や機関車の撮影に翻弄されていた頃だったので、私鉄やまして地下鉄電車なんてまるで興味が無かった。さらには、季節感のある写真を撮るなんて絵心も全く持っていなかったし・・・。月日は流れ、赤い電車は銀色に変わり、さらに興味を失って、足は遠のいた。そして、その思い出が甦り、20数年ぶりに茗荷谷駅を訪れてみた・・・※撮影は、全て平成22年4月4日。茗荷谷駅にてン?なんじゃこらー!全然むかしのイメージと違うじゃん!こんなショボイ桜の木が1本だけ?おかしいなぁ・・・夢でも見ていたんだろうか・・・。昔は地上部分に屋根も掛かっていなかったような気がするし、桜の木がトンネルの出口を覆っていたような気がするのだが・・・ガックリorz。あまりのイメージの違いに愕然としたが、丸ノ内線も車両のリニューアルが始まるということなので、後楽園までの地上区間を歩いてみることにした。しかし、参りました。沿線に道路が平行していないのと、路線左右でメチャクチャな高低差があるので、坂を上ったり下りたりと大変なこと。久々に歩き疲れました。茗荷谷~後楽園間にて最初に見つけたのは枝垂桜でした。庚申坂って書いてありましたね。ハンパではない勾配です。天気が悪いので、花の色の濃い枝垂桜の方が映えますね。ただ、電線が鬱陶しいのが玉にキズ。さらに歩きますが、まあ、大変ですよ。茗荷谷~後楽園間にて後楽園の駅に近い側で、またトンネルがあるんですね。線路際に生えた1本のソメイヨシノがアクセント。この辺りは、かなり桜の木を植えている学校やお寺が多いのですが、線路のあるところに掛かっていないのが残念ですね。しかし、こうして歩いてみると、後楽園から茗荷谷に向かってスゴイ上り勾配なんで、驚いちゃいました。とても地下に入っていくイメージではないですね。そんなんで、ひたすら歩いていたら、東京ドームまで来ちゃいました。そう、後楽園です。久し振りですね。後楽園駅にてむかしむかし、後楽園駅を1度だけ利用した記憶があるのですが・・・こんな駅だったっけ?なんか、屋根のない対面式のショボイ駅だったような気がするのですがね。駅ビルの中に突っ込んでいくよなスタイルだったかな・・・自分の記憶に自信がなくなってしまいました。結局、40分強を歩いたようですが、結構距離があるんですね。この区間は。風景が変わったのか、それとも記憶が違っていたのか・・・イメージのギャップに悩まされた撮影となりました。もうちょっと天気が良くなって欲しかったですネェ。
2025.04.02
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14系寝台客車:寝台特急「さくら」ブルートレインとしては老舗となる寝台特急「さくら」。東京~長崎・佐世保を結んでおり、ブルトレとして20系寝台客車を使用していました。途中での分割が必要となるため、中間にナハフ21を連結し、さらに電源車が必要となる部分については、旧型客車を改造したマヤ20の連結によって分割運転をまかなっていました。昭和47年、ニューブルートレインの始祖となる14系寝台客車が誕生、電源を分散化することにより、途中分割のあるブルトレに有効なスタイルとなり、「さくら」「みずほ」「あさかぜ」「あかつき」「彗星」に導入されています。今回は大した写真がありませんが、14系寝台客車による特急「さくら」とオマケ画像をご紹介したいと思います。昭和52年8月 東京駅にて 14系:スハネフ14「さくら」「さくら」の文字マーク時代。この頃の特急のテールマークは、シンプルですがとてもよく似合っていたと思います。遠くに見える113系の初期車デカ目も懐かしいですね。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて 2レ東海道形のPFに置換えが始まった頃。来る列車によって500Pだったり1000PFだったりしました。 一方、14系B寝台客車はまだ3段式であり、新幹線博多開業と相次ぐ料金の値上げなどにより、利用に翳りが見え始めたころだったと思います。昭和54年3月 東京駅にて EF651109 と 14系 1レこの時点では完全にPFに置き換わっています。14系の使用は相変わらず。テールマークはこの年の9月からイラスト化されましたので、この形態の並びとしてはたった1年間しか見ることが出来ませんでした。当時のブルトレは11番線を使用した機回しが行われており、12番線に停車中の列車は客車と機関車の並びを見ることが出来ました。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて EF651099牽引 2レ 14系寝台客車の2段化工事が始まった頃。新幹線の発達で寝台列車の需要が著しく減り、豊かさを求める社会の状況と相まって、狭くて料金の割高な寝台列車を、ゆとりのある空間へと転身させる構想が全国的に広がっていきました。不足となる電源車を確保するため、欠車中のスハネフ14に代わってスハフ14を連結していました。テールマークはすでにイラスト化されていますが、私が撮った正規のイラストマークの写真はこれ1枚だけでした。平成21年11月14日 オハネフ25 「さくら」尾久車両センターの公開で展示されていたオハネフ250番台の「さくら」。早くからブルートレイン化された「さくら」でしたが、20系→14系のまま終わっており、24系25形化されたことはありませんし、記憶する限り臨時列車が運転されたこともありません。したがって、金帯オハネフは全くの架空です。でも、結構似合っている感じがします。EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」EF651000番台牽引:寝台特急「さくら」EF66牽引:寝台特急「さくら」
2025.04.01
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