撮影日記 0
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国鉄 荷物電車:クモニ83鉄道の列車が客車ばかりだった時代、荷物の輸送は鉄道として当たり前の事業であり、どんな列車でも当たり前に荷物車が併結されていました。電車化が進むにつれ、これらの電車列車にも荷物車を併結する必要が発生し、戦前ではクハニやクハユニといった合造車が製作されていましたが、戦後には荷物車の不足も顕著となり、クモユニ81の新製に始まり、さらには旧型国電を改造した荷物電車が大量に製作されました。今回はこれらの荷物電車より、クモニ83をご紹介いたします。昭和52年 品川駅にて東海道線では荷電でもクモユニ74の割合が高く、クモニ83は非常に少なかったように思います。113系普通列車への併結列車が多い中、1日に何本かの単独荷電が設定されていました。2両編成であり、何故に単独だったのか、今となっては分かりません。昭和54年頃 クモニ83+クモユ141+115系長岡行きの普通列車です。郵便車は既に新性能化されクモユ141に変わっています。郵政省の作業環境改善策はかなり早い時期から対応されており、郵便車の冷房化は普通列車の車両などと比べると格段に早かったですね。昭和55年頃 赤羽駅にて クモニ83003赤羽駅の高架化以前の時代。何を撮りたかったのか良く分からないアングルです。昭和55年頃? 上野駅にて クモニ83800番台上越方面の荷物電車は、クモユニ74200番台やクモニ83の一般型の湘南色が走っていましたが、旧型の晩年の頃になると中央本線から転配があったらしく、スカ色の車輌が見受けられるようになりました。特にこのクモニ83800番台は、張り上げ屋根と窓枠のRが美麗で、荷電の中でも一番好きな車輌でした。昭和57年頃 クモニ83+クモユ141+115系コレは珍しく上り列車を捉えたシーンです。しかも、先頭車はクモニ83です。この写真をアップしようと思ったとき、昭和57年と整理していたので???だったのです。この頃は、普通列車併結車は新性能化されていた筈なのでおかしいと思ったのですが、前後のコマからどう検証しても昭和57年なのです。何らかの事情があって復活したのか、それともクモニ143の予備車がなくて点検の際に良く運用に入っていたのかは不明です。昭和57年1月頃 西川口~蕨間にてこちらは旧型国電の最晩年の頃です。3+3の6両編成が2+2の4両編成に減車されるようになってしまいました。中央東線で余剰になったクモニ83800番台が転入してきており、スカ色のまま普通列車に併結されたり、ご覧のように岡山地区でしか見られなかったような湘南色の出で立ちで上越線に進出してきました。私的にはこの800番台の張上げ屋根車が大好きだったんです。しかし、気が付いた時には中央線の115系が新宿に乗り入れなくなってしまい、撮る機会を逸していましたので、このような形態でも同車を記録できたのは非常にラッキーでした。荷物のコンパクト化、さらには宅配便の発展などもあり、需要の無くなった荷物電車は新性能車共々淘汰されてしまいました。国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74
2024.04.25
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国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74クモユニ74は、昭和37年~40年くらいにかけて、それまで旧型国電同士にしか連結できなかった荷物電車の区間において誕生した新性能車への併結を可能にした荷物・郵便合造車です。すべての車両がモハ72に車体を載せ替えた改造車となっています。連結相手や運用される地域によって、0番台、100番台、200番台があり、さらに番台ごとの製造時期、再改造により形態にやや複雑さがあります。昭和52年 高崎駅にてこの頃、たまたま立ち寄った高崎で信越線の80系を知り、2度ほど連続で訪れています。メインは80系の写真でしたが、この頃は両毛線にも本数は少なくなっていましたが、70系電車が走っていたのでやはり何枚か撮っています。その中でも、偶然居合わせていたのがこの列車で、高崎寄りにクモユニ74を連結しています。シールドビームとなっていますが、車体角にRが付いたシールドビームとなっていますので、201~207のいずれかと思われます。寒冷地仕様のためホイッスルカバーが付いているのが判りますね。勾配抑速ブレーキも付いており、主に上越地区で活躍していました。次位にはサロ85改造の両毛線名物クハ77も見えて、如何にも両毛線らしい編成となっています。昭和53年か54年くらい 品川駅にて0番台の車両で、グループとしても一番多い形態です。同形式同士または新性能車としか連結できません。したがって、113系や153系との併結は見られましたが、80系と組む運用は存在しなかったようです。昭和56年2月1日 早川~根府川間にて昭和56年9月28日 東戸塚駅付近にて昭和58年7月24日 東戸塚駅付近にて東海道線へ撮影に行く都度、このようなクモユニ2連の写真を撮っていたようです。おそらく、撮影しやすい時間帯にスジが設定されていて、同じ列車を何回も撮影していたのではないかと思われます。昭和52年頃 西川口~蕨間にてこの写真はブローニー6×6で撮影しています。クモユニ74を連結した6両編成の荷物列車。私が小学生の頃からずっと存在していました。子供の頃は何が繋がっているのか理解できませんでしたが、クモユニ74やクモニ83で組まれていましたね。寒冷地仕様のクモユニ74200番台も居たのですが、この大目玉の74も必ず連結されていました。方向幕を見ると、どうも「豊橋」の上の部分が見えているような気がします。東海道線と共通運用だったのでしょうかね。
2024.04.18
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国鉄 50系客車:スユニ50(山陰本線)国鉄50系に属する郵便・荷物合造客車であるスユニ50。老朽化した旧型合造客車のスユニ60などの置換えを目的とし、昭和53~58年に掛けて80両が製造されました。本州用の0番台と北海道用の500番台があり、0番台は電気暖房対応の2000番台としています。登場時、殆どが地方幹線のローカル運用などに使用されていたため、地元で見ることはまずありませんでした。地方での客車列車の撮影などにも良く出掛けましたが、本線運用では旧型荷物車も現役であり、マニ50やオユなどの使用が多く、合造車であるスユニ50は滅多にお目に掛かることはありませんでした。平成59年2月12日 出雲市駅?にて宿が見つからずに益田駅で駅寝し、始発列車で出雲市駅へ。その際にホームに停車していた上り普通客車列車を撮影したものと記憶しています。早朝の山陰はことのほか寒く、DD51に牽引される旧型客車4両と、最後部に連結されたスユニ50からは蒸気暖房のスチームが立ち上っていました。当時は珍しい光景でもなんでもなかったのですが、東日本では殆どが電気暖房対応となっており、このようなスチームを吐き出す姿をなかなか見ることがありませんので、思わずシャッターを切りました。そのような偶然で記録されたスユニ50形客車で、これ以外には形式的に撮影したものはありません。この約2年後の昭和61年、荷物列車が全廃となったためにこれら荷物客車はお役御免となり、最短ではわずか3年で生涯を終えた車両がいたことになります。KATOから夜行普通列車「山陰」が発売となるようです。9両セットで2.5万円とはかなり高価な設定となっており、鉄道模型のインフレ化が止まりません。個人的にはこの「山陰」にも1.5往復乗車経験があり、そのうちの初めて乗車した時は旧客による編成となっていました。正しくこのセットの編成ですね。乗車経験もあって、趣味的にも欲しいところではあるんですが、高額であること、脳内鉄道では蒸気暖房編成が不要なことから見送ろうと思っています。しかし、今回のラインナップの中でもスユニ50が単品発売になることから、こちらだけは押さえておこうと思っています。5141 スユニ50[KATO]《05月予約》5141 KATO カトー スユニ50 Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5141 スユニ50単品だと送料が掛かるので、工夫が必要です。また、セットの中でオハフ45100番台が製品化されるのですが、こちらは電気暖房仕様の2000番台となるため、欲しいラインナップとなっています。ただ、編成単位は不要なので、こちらはASSYで揃えようかと考えています。まだ楽天では予約情報が引っかからないので情報が入ったらご紹介しようと思います。送料無料◆10-1879 KATO カトー 夜行鈍行「山陰」 9両セット Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】10-1879 夜行鈍行「山陰」 9両セット[KATO]【送料無料】《05月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1879 夜行鈍行「山陰」 9両セットスユニ50とセット販売もあるようで、全部揃えたいならこちらがお得なようです。送料無料◆セット販売 10-1879/5141 KATO カトー 夜行鈍行「山陰」 9両セット+スユニ50 Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】
2024.01.07
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常磐線:荷物気動車(キニ55・キニ56・キニ58)常磐線の隅田川~水戸間には、いつ頃からかわかりませんが、気動車の荷物列車が昭和50年代まで走っていました。常磐線には急行荷物列車も走っていましたし、普通列車にも荷物輸送を目的とした客車列車もやはり昭和50年代まで設定されていました。確かに、本線系では短距離用の荷物電車が設定されていたことを考えれば、常磐線に荷物列車が設定されていてもなんら不思議ではないわけですが、なぜ気動車だったのでしょうか?昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて首都圏では最後まで見られた10系列の気動車で、大変貴重な存在でした。走っている時間帯も良く、常磐線に撮影に行くと良く出くわしましたね。写真は下り列車。昭和57年10月12日 土浦~荒川沖間にて キニ563+キニ553上の写真が進行方向先頭で、下の写真が後追いです。1両目の車輌は「キニ563」で、元「キハ5514」からの改造車です。昭和49年12月17日に大宮工場で改造・竣工し、水戸機関区に配置されました。種車の「キハ5514」はキハ55型の初期車で、妻面にRが付いた独特の形状をしており、改造後もRが付いたままの車体で特徴がありました。昭和61年12月18日付けで廃車となっています。2両目の車輌は「キニ553」で、元はキハ10系の2エンジン車「キハ5110」からの改造車です。3は昭和40年9月2日に多度津工場で改造・竣工し、他の1・2・4とすべての車輌が竣工とともに水戸機関区に配置されました。キニ55の2と3が昭和58年6月17日に、1と4が昭和59年5月8日に廃車され、10系気動車として最後まで残った形式でもあります。昭和60年8月25日 神立~高浜間にて キニ56+キニ58この写真は後追いです。番号は未確認ですが、後尾車(右側)の「キニ56」は水戸機関区に1台のみの配置ですので、「キニ563」で間違いないでしょう。先頭車(左側)は「キニ58」で、老朽化した前述「キニ55」の代替車として、2エンジングリーン車である「キロ58」からの改造で誕生しています。昭和53年7月から9月にかけて名古屋工場・幡生工場で3両が改造・竣工し、全車水戸機関区に配置になっています。荷物輸送の廃止により、昭和61~62年にかけて全車が廃車になっています。(「キニ581」は「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存・展示。)水戸機関区配置の荷物気動車は、全国に配置された改造荷物気動車に比べてバラエティーさには欠けますが、常磐線用に2エンジン車を配置していたのが特徴といえます。これは、平坦路線の常磐線ですが、電車のダイヤに影響させないための措置と聞いております。交流又は交直両用の荷物電車が今もって製造・改造されたことが無かったのは、交流区間における普通列車が客車列車主体であり、特別に専用の荷物電車を用意する必要がなかったという時代背景でしょう。もし、現在も荷物輸送が活発に行われていれば、もしかしたら誕生していたかもしれません。【中古】(非常に良い)マイクロエース Nゲージ 国鉄キニ58首都圏色 2両セット A0720 鉄道模型 ディーゼルカーマイクロエース Nゲージ 国鉄キニ28首都圏色 2両セット A0719 鉄道模型 ディーゼルカー[cb]6168 KATO カトー キユニ28 首都圏色 Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 6168 キユニ28 首都圏色【中古】Nゲージ マイクロエース A0721 国鉄 キユニ28 首都圏色 2両セット 【A´】 ※外箱若干傷み
2023.01.24
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EF58牽引 荷物列車:東海道・山陽編(その3完)かつては日本全国に走っていた荷物列車。その2からの続きで、昭和58年に撮影したものから。あまり記録を取っていない時代なので、撮影時期が曖昧なものがあります。また、牽引機であるEF58の撮影がメインのため、荷物車があまり写っていないものも多くありますのでご了承を。昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58112牽引昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58155牽引昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58163牽引昭和58年12月1日 根府川駅にて EF58171牽引EF58が次々と倒れ、終焉が近付いてきた頃、それまで撮ったことのなかったEF66牽引のブルトレと合わせて荷物列車の撮影へ出掛けました。列車によっては銀色のスニやワキが多く連結されているものもありますが、マニ44やマニ50率が非常に高くなっています。ほんの少しだけ茶色の荷物車が見られたようです。昭和59年 東戸塚駅付近にて EF5891牽引昭和59年 東戸塚駅付近にて EF58150牽引珍しく雪が降った日、わざわざ撮影に行ったようです。線路際でひたすらその時間を待った挙句、直前に線路内へ乱入したクソテツのお蔭で記録が台無しになってしまいました。最高に腹が立ったらしく、当時はマメに取っていた撮影の記録も残されていません。昭和59年3月23日 保土ヶ谷~東戸塚間にて EF58158牽引昭和59年3月23日 東戸塚駅付近にて EF58118牽引当時の記憶は既にありませんが、調べてみると昭和59年3月29日がEF58牽引荷物列車の最終運用だったようで、そこを境にEF62牽引に代わったようです。EF62牽引は不自然極まりなく、荷物車も新しい客車ばかりとなって興味もなく無り、2度と撮影に行くことはありませんでした。しかし、その2年後には荷物列車そのものまで廃止されてしまうとは夢にも思わず、結果、終末期のEF62牽引荷物車を撮らなかったことには今更ながら悔いが残る結果となりました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA
2022.04.02
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EF58牽引 荷物列車:東海道・山陽編(その2)かつては日本全国に走っていた荷物列車。その1からの続きで、昭和55年くらいに撮影したものから。あまり記録を取っていない時代なので、撮影時期が曖昧なものがあります。また、牽引機であるEF58の撮影がメインのため、荷物車があまり写っていないものも多くありますのでご了承を。昭和55年頃 田町駅にて EF5856牽引ブルトレ撮影の合間でしょうか。終点汐留を目前にして徐行で通過する上りの荷物列車。残念ながら次位のマニ60と思われる1両分しか写っていません。昭和55年8月 木曽川~岐阜間にて EF58112牽引逆カーブで編成がちょっとしか見えませんが、次位がマニ50で茶色が続きます。昭和55年8月 神足~山崎間にて EF58113牽引次位がちょっと見えませんが、2両目から銀、オユ、茶、茶、スユ、オユ、銀、茶のようです。郵便車の混入率が高い編成ですね。昭和56年5月 東戸塚付近にて EF58160牽引下りの荷物列車。背後から急襲されてどアップになってしまいました。次位には未だ茶色の荷物車が使用されています。昭和57年10月4日 八本松~瀬野間にて EF58146牽引正面からなので編成が判らないですが、まだ茶色が連結されていますね。同区間では、編成重量と機関車の牽引定数により補機連結の有無が決まり、同列車には補機にEF61200番台が連結されています。4回くらい訪問していますが、荷物列車の補機付を撮れたのはこの1枚だけ。昭和57年10月6日 八本松~瀬野間にて EF5846牽引前の写真を撮った帰り道で撮影したもののようです。こちらの列車は一転してマニ50とマニ44のオールブルー。銀色すら見当たりません。まるで時代が違っているようです。昭和58年5月17日 八本松~瀬野間にて EF58101牽引2つ前の写真と全く同じ場所・時間のようで、おそらく同じ列車でしょう。列車長も同じくらいに見えますが、積み荷が少ないのか、補機は連結されていません。こちらも編成状態は分かりませんが、後部は2両ともマニ44になってしまっているようです。昭和57年11月ダイヤ改正辺りで締めようと思ったのですが、瀬野八での写真を比較したかったので、昭和58年まで混ぜてご紹介いたしました。マニ50に加えパレット車の後継であるマニ44が登場したことにより、急速に茶色率が低くなると共に、銀色のワキ8000やスニ40も急速に淘汰されて行ったようです。(その3につづく)[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA
2022.04.01
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EF58牽引 荷物列車:東海道・山陽編(その1)かつては日本全国に走っていた荷物列車。道路網の整備によりその需要は自動車にとって代わり、国鉄時代の昭和60年くらいにごく少数の特例を除き廃止されてしまいました。ブログの引っ越しですべてがクリアになってしまいましたので、一からの再編集ということで、今回はEF58が牽引する荷物列車をアーカイブしていこうと思います。撮影枚数がそれなりにあることから、時系列順に3部作になります。まずは昭和50年代前半分から。昭和52年頃 品川駅にて 荷35レ EF5846+EF581牽引品川駅横で出発を待つEF58重連による荷物列車。15両編成で重量換算も最大であったため、重連が組まれていたそうで、当時はかなり有名な列車であったようです。昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF5860牽引友人の田舎に招待され、中学時代の鉄友たちと347Mで名古屋へ行きました。食べ盛りですから腹がすき過ぎ、ホームのきしめん店でまっていると、ぬるいけれぞ良ければと開店前から食べさせてもらいました。すると、当時も東京ではなかなか見ることのできなかった茶ガマの60号機が牽引する荷物列車が到着したため、急いで食べて東京寄りから大阪よりまでホームをダッシュし撮影したものです。昭和53年8月5日 根府川にて EF58100牽引これも友人たちと初めて東海道で撮った走行写真デビューの時。当時は中古の一眼レフでしたが広角レンズしかもっておらず、残念な写真が多い。昭和54年5月 品川駅にて 荷37レ? EF58164牽引単機なのでおそらくの列車番号です。影の状態から夕方頃の写真と思われます。昭和54年5月 品川駅にて EF58167牽引編成が明らかに違うので、撮影時間帯も異なると思われます。総武快速線が品川駅まで到達し、貨物線もずれているようで、これは初めて総武快速線(現横須賀線)ホームから撮影したようです。昭和54年12月 浜川崎駅にて EF5836牽引鶴見線・南武線浜川崎支線の写真を撮りに行ったとき、偶然に通り掛かった荷物列車の写真を撮ったもの。当時は既に7枚窓の特徴的な36号機の存在を知っていたと記憶しており、気付いて慌てて撮影した思い出の写真です。こうして年次で並べてみると、昭和53年くらいまでは茶色のマニ36やマニ60を中心に組成しており、そこに少量の郵便車や銀色のマニ40やワキ8000を組み込んでいる感じですが、マニ50の量産と共に、徐々に置き換わっている様子がわかります。(その2につづく)[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA
2022.03.31
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