撮影日記 0
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EF641000番台牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」「天の川」は、上野~秋田間を結んでいた寝台急行列車です。20系寝台客車化によりブルートレイン然となった急行「天の川」その後も順調に秋田行きの寝台急行として順調に運転されました。昭和57年11月、上越新幹線の開業により夜行急行の削減が実施されましたが、このときも秋田行きの直通列車の使命を受け、残存しました。昭和57年9月6日 水上駅にて EF641000番台重連 20系「天の川」前回の夜間撮影から半年後に再訪した水上駅。補機は既にEF641000番台に変わっていましたが、この間に本務機のEF58もEF641000番台に変わってしまい、上越越えは同形式の重連スタイルとなっていました。良く見ると、EF641000番台の登場初期の為、ジャンパ栓を照らすためのライトが設置されていないことが判ります。上越新幹線大宮暫定開業後も残った急行「天の川」でしたが、昭和60年3月、上越新幹線の上野開業により惜しまれつつも廃止されてしまいました。EF58牽引 10系寝台客車:寝台急行「天の川」EF58牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」
2024.05.18
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165系(モハ164-500番台):急行「ごてんば」急行「ごてんば」は、東京~御殿場を結ぶ列車として、昭和43年4月に誕生しています。当初は下り4本、上り3本が設定され、その後3往復体制、晩年は2往復となっています。東海道線区間では急行「東海」に併結され、国府津で解結が行われていました。使用車両は165系3連となっていましたが、昭和56年10月改正からは167系が使用されるようになっています。昭和52年 品川駅にて 急行「ごてんば」に使用されたモハ164-500番台妻板部をアップで撮ったものです。この写真を撮った頃はまだ中学生であり、簡易運転台付きの500番台に関する知識は持ち合わせていなかったと思います。偶然品川駅で写真を撮っているときに居合わせた急行「ごてんば」にこの車両を見つけ、非常に違和感があったので写真を撮っていたものと思います。妻板の窓をくり抜くように窓が付いており、雨用にワイパーも設備されています。運転設備は車内の側面にマスコンやブレーキ軸が取り付けられており、使用しないときは壁と同色の金属カバーで覆われ、格納されています。昭和52年 品川駅にて 急行「ごてんば」 モハ164-514モハ164-500番台は全部で14両製作されていますので、写真の514がラストナンバーとなります。標準のモハ164は妻側に便所、内側に客扉が付く構造となっておりますが、この車両だけは便所が客室寄りで客扉が妻板側となっており、クハやグリーン車も含めても例外はこのモハ164-500番台だけとなります。モハ164-500番台誕生の元々の経緯は、山陽スジの急行への増結用として用意されたもの(具体的には「鷲羽」だったと記憶しています。)で、3両の増結に至らないこと(又は有効長の関係か?)から2両増結することとなりましたが、最小単位が3両編成となっていたため、モハ164に簡易運転台を設備して対応したとなっています。当時の山陽急行は平坦区間の関係から殆どの直流急行が153系であるため、最小単位である2両で考えると、165系を使用するしかなかったということだと思います。そんな目的をもって14両も製造されたモハ164-500番台でしたが、新幹線の岡山開業後は山陽急行が大幅に縮小し、増結編成の運転もなくなってしまったことから、クハ165+モハ164-500+クモハ165として組成されて、簡易運転台を持たないモハ164と同じ用途、共通運用で使われるようになってしまいました。せっかく特別な設備を持った異色車種でしたが、ほんのわずかしか目的は達成しておらず、異色ながらも地味な活躍に終ってしまいました。このほかにも167系の「ごてんば」の写真を撮っていますが、ISO1600のフィルムだったため、非常に写りが悪いので割愛しています。偶然ですが、この急行「ごてんば」に関しては、モハ164-500番台の写真だけを撮っていたような状態でした。急行「ごてんば」は、昭和60年3月のダイヤ改正により消滅しています。
2024.05.10
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14系座席車:急行「十和田」昭和57年に東北新幹線が暫定開業となり、同年6月及び11月(上越新幹線大宮暫定開業)と2段階でダイヤ改正が実施され、東北方面の輸送体系が大きく変わりましたが、東北新幹線もまだ盛岡までの開業であるため、北海道へは夜行列車から接続する輸送体系が残っていました。20系客車による編成は「津軽」に転用されるとともに、「十和田」は12系による定期列車と14系による季節列車のみとなります。昭和57年11月 上野駅13番線にて EF8021牽引 14系「十和田」長躯青森から到着した「十和田6号」。もちろん牽引機はEF80です。57・11改正直前の「十和田」は、12系の定期、20系の定期、そして14系の季節列車がありました。14系季節列車も、いわゆる学校で言う休み時期は殆ど運転されており、北海道の旅行などでは重宝した列車でした。私も2度目の北海道の帰りにはこの「十和田」で帰ってきた経験があります。発着番線は、上野駅における新幹線工事の影響で、改正ごとにちょくちょく動いていたようですが、末期の頃は13番線だったようです。こちらの写真は、入口やサボ周辺を撮影したものです。新幹線開業直前はこのような写真を撮っていました。昭和57年に撮ったものですが、上の写真と同一日か、確証はありません。というか、撮った記憶すら実はありませんでした。平成元年5月5日 土浦~荒川沖間にて EF81牽引 14系「十和田」新幹線の上野開業である60・3改正では臨時化され、皮肉にも季節列車として長年運用されていた14系座席車による編成が最後まで残りました。臨時急行となった「十和田」は、平成6年12月のダイヤ改正と比較的遅くまで残り、この間に、牽引機は全廃のEF80からEF81へとバトンタッチしています。そんな中、偶然にも撮ってあったEF81牽引の14系「十和田」。「北斗星」の運転開始から1年を過ぎた頃でしたので、既に星ガマになっています。あまりマークすることの無かった常磐線の列車でしたので、EF81が牽引する14系座席車の写真は、僅かこの1枚だけとなってしまいました。旧型客車:急行「十和田4号」(回送)20系寝台客車:急行「十和田」
2024.05.02
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EF62牽引:急行「越前」令和6年3月16日、北陸新幹線が延伸開業され、東京~福井間が1本で繋がりました。東京から北陸へ行く場合、富山・金沢へは信越本線~堀く本線経由が一般的でしたが、福井は微妙な位置にあり、距離的には信越本線経由が微妙に近いものの、時間的には東海道新幹線~北陸本線経由が有利でした。北陸新幹線など影も形もなかった時代、唯一福井へ直通する夜行急行がありました。「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。途中直江津まではEF62が牽引しています。「越前」は夜行列車でしたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF6223牽引 上り「越前」昭和57年5月頃 浦和~南浦和間にて EF6222牽引 上り「越前」昭和57年11月13日 上野駅にて EF6237牽引 上り「越前」到着昭和57年11月14日 大宮駅にて 上り「越前」到着この区間において、定期列車でEF62を見るとことが出来たのがこの「越前」と夜行急行「妙高」のみでしたが、「妙高」は駅撮りも出来ないほど早朝の到着時間であったため、実質的に写真に撮ることが出来たのはこの「越前」だけでした。「越前」は上野~福井間を信越本線経由で設定されていましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業時に上越線経由であった「能登」の廃止により、運転区間を金沢で打ち切りされた挙句に愛称まで乗っ取られてしまうことになります。やはり、福井県に入らない列車名に「越前」を使用することは出来なかったのでしょう。この上り「越前」は、臨時運用のカマの送り込みスジとして使用されていたそうで、EF62同士やEF58との重連運用が生じることが多かったそうです。しかし、当時はそのような情報を知る由もなく、私は一度も見ることができませんでした。EF58・EF64牽引:急行「能登」(旧型客車時代)489系:急行「能登」
2024.03.17
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キハ65系エーデル車:急行「シュプール白馬・栂池」『DE10牽引14系リゾート車:急行「シュプール白馬・栂池」』『DE10牽引20系リゾート車:急行「シュプール白馬・栂池」』『キハ181系:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、最後のカテゴリであるキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩付近にて 427D平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 427D2日間にわたって撮影したキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」号です。当時のDJから運用を割り出したところ、該当である「シュプール白馬・栂池5号」は金曜夜に神戸を出発して土曜日の早朝に南小谷に到着。キハ181系の場合と同様に、糸魚川まで普通列車として折り返し、その日の夕方までに向日町に戻ります。整備の後また夜に神戸を出発し、前日と全く同じ行程を辿り、糸魚川から富山へ整備回送され、また午後の発車までに間に合うように糸魚川へ回送されます。ここでまた普通列車で南小谷へ行き、折り返しが「シュプール白馬・栂池2号」として神戸まで運転されます。この動きを毎週繰り広げていたようです。この5号の運用では南小谷着が7:29となっており、さすがにこれを撮影することは出来なかったようで、折り返しの普通列車運用である427Dを2日間にわたり撮影したようです。厳密にいえばただの普通列車の写真ですが、「シュプール白馬・栂池」が運転されなければ実現されない運用ということで、ここでは「シュプール白馬・栂池」として整理することにしました。このエーデル車も関西では遭遇することなく終わってしまいましたので、これが最初で最後の出逢いとなってしまいました。98778 JR 485系・キハ65形(北近畿・エーデル丹後)セット(8両)[TOMIX]【送料無料】《08月予約》送料無料◆98778 TOMIX トミックス JR 485系・キハ65形 (北近畿・エーデル丹後) セット(8両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】JR西日本485系・キハ65形(北近畿・エーデル丹後)セット(8両) 98778 Nゲージ
2024.02.21
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DE10牽引 20系寝台客車:急行「シュプール白馬・栂池」『DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、今回は20系寝台客車による急行「シュプール白馬・栂池」です。平成2年2月16日 平岩駅付近にて 急行「シュプール白馬・栂池7号」牽引機の車号は不鮮明で読み取れませんが、後部はDE101035と読み取れます。リゾート車と同様に、客車列車の場合は終点での機回しを省略するため、やはりプッシュプルでの運転となっています。こちらは3枚組の連続写真となりますが、とても移動無しで撮ったとは思えないほど景色の変わる線形でした。平成2年2月16日 平岩付近にて 回9133レ糸魚川送りの回送列車。俯瞰写真を撮るためにかなり歩いて登った記憶がありますが、途中からかなり雪が降ってきて、厳しい条件だったように記憶しています。平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 急行「シュプール白馬・栂池7号」翌日、この列車は何故か後部だけ。しかも中途半端なアングルになっているのですが、何故このような事態になったのか、全く記憶がありません。子供の頃から大好きだった20系寝台車ですが、ヘッド帯がなくなってしまったり、短編成になったりと、とにかく末期は悲惨な使われ方をされていたように思います。それでも西日本では時刻表に載る臨時寝台急行などにも使用されていた時代で、最後まで寝台客車として比較的にそられしく使われていたかもしれません。10-1910 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) C編成 3両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1910 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)C編成 3両セット送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1909 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)A編成+B編成 6両セット送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1911 近鉄10100系「新ビスタカー」 三重連 9両セット
2024.02.04
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DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」ウィンタースポーツと言えばまずはスキーやスノボーが思いつく訳ですが、30年以上も前の時代ならともかく、今ではあまりメジャーとも言われないような感じがします。コンピュータや通信の普及により、遊びが多様化してしまった結果だと思いますけど。現在ではスキー臨なんてまず見掛けなくなってしまいましたが、昭和40~50年代前半までは多数のスキー臨が設定されていましたし、高速道路の普及などにより自動車での移動が一般化した後も、「シュプール号」という企画の設定で幾多の列車が残存しました。首都圏では夜行系の列車ですから、その姿を撮影したものは全然無いのですが、地方に行った際に撮れたものが少々あります。しかし、ここにご紹介いたします関西からの大糸線系のものだけは、そのために撮影を挙行したものです。なんと言っても、20系客車、14系客車、キハ181系、キハ65系エーデルなど、使用車両が多種多様であることが魅力でした。今回は、14系リゾート車を使用した「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩駅付近にて 回9131レDE101031牽引の14系リゾート車による「シュプール白馬・栂池3号」ですが、同列車は早朝に白馬駅へ到着してしまうため、撮影できるのは糸魚川までの留置回送列車だけだったようです。14系客車の晩年は、定期客車急行や波動用としてオリジナル塗装のまま使われたり、お座敷・欧風客車への改造種車として利用されましたが、関西では一般仕様のままグレードアップ&展望室設置改造を施工するという異例の措置が採られました。平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 回9131レこちらは翌日に撮影したものです。大糸線への客車列車による「シュプール」号は、折り返し機回しを省略するために、必ずプッシュプルで運転されます。しかも、前後ともヘッドマークを付けており、糸魚川への折り返しも本運転のように撮影することができます。14系リゾート車は、団体列車にも使用されましたが、様々な臨時列車にも使用されていましたので、関西へ行けば比較的に捉えやすい車両であったと思われますが、客車列車と言う性格上、夜行列車での運用が多かったように記憶しています。この3年後には結婚して行動範囲が狭まってしまったため、この14系リゾート車に遭遇したのは、これが最初で最後になってしまいました。
2024.01.28
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EF58牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」「天の川」は、上野~秋田間を結んでいた寝台急行列車です。オール10系寝台で構成されていた「天の川」は、昭和51年9月27日の運用から20系寝台によるいわゆるブルートレイン仕様として継続運転されます。10系時代は編成の半分と郵便車が新潟回転となっていましたが、20系寝台客車による固定編成となったため、郵便車を除き、全編成が上野~秋田間の運転となりました。登場から1年はナロネが妙な位置に連結されていたそうですが、以降はナロネが1・2号車に修正されました。昭和52年 蕨~西川口間にて 20系化された急行「天の川」寝台特急「ゆうづる」の14系・24系化による20系客車の捻出により、「天の川」は東北急行「新星」とともに20系化されました。「新星」と「天の川」は全く編成が違うために共通運用にはなっていませんでしたが、組成替えによる車両の共通化は図られていたようです。ちなみに、写真の後から2両目に連結されているナハフ21改造のナハネフ21は急行「新星」に良く使用されていましたが、写真ではナハネフ21と22のダブル緩急車という一風変わった編成に組成されています。この写真からすると、このナハネフ21の位置にナロネ21があったといのは本当なのだろうか?昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にてブレちゃってどうしようもないような写真ですがご勘弁を。20系になった「天の川」ですが、引き続き郵便車は連結されていました。郵便車以外の編成は固定とされ、10系時代のような分割は行われなくなっています。昭和57年1月5 水上駅構内にて EF58175牽引 下り「天の川」この写真は、水上駅に初めて夜間撮影に行ったときのものです。このときはギリギリEF58の運用が残っていたのですが、この後直ぐに撤退してしまったようです。この場面の後に峠越えの補機が連結されるのですが、全てEF641000番台に置き換わってしまった後で、残念ながらEF16の姿を見ることは叶いませんでした。EF58牽引 10系寝台客車:寝台急行「天の川」
2024.01.25
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711系:急行「かむい」「かむい」は、元々は札幌を基点として旭川から各方面へ足を伸ばす準急列車でした。電車急行としての起源を捉えた場合、昭和43年10月の函館本線の小樽~滝川間の電化に際して設定された711系使用の急行「かむい」が最初となります。その後、旭川電化に際し、札幌(小樽)~旭川間の急行列車としての地位を築いています。ちなみに、他の急行列車を併結するため、気動車急行として設定が残された「かむい」もありましたが、今回は711系の急行「かむい」に限定してアップいたします。昭和55年3月 札幌駅にて 711系 急行「かむい」昭和55年ですので、バリバリの地上時代の札幌駅です。昭和56年3月 旭川駅にて 急行「かむい」1年後、偶然にも出逢った901編成を使用した急行「かむい」。901編成と902編成の試作車が居ましたが、外観的に特徴があるのが901編成。1編成しかないだけに、良いタイミングで出逢うのは難しい車両でした。一時期は本数もかなりあった急行「かむい」ですが、徐々に特急列車に格上げされ、昭和61年11月のダイヤ改正をもってその愛称が消滅しています。しかし、その後「スーパーカムイ」として返り咲くことになるとは予想もしていませんでした。
2024.01.23
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20系寝台客車:急行「十和田」「十和田」は、上野~青森を結んでいた急行列車。線路容量の関係と思われますが、青森への夜行は常磐線経由の方が運転本数が多く、寝台特急「ゆうづる」が5往復運転されている中、これを補完する夜行急行「十和田」でさえも季節列車を含めて5往復設定されていました。(後に「ゆうづる」は「十和田」を格上げして7往復まで成長。)昭和50年代初頭までは、「十和田」は5往復とも旧型客車により組成されており、編成は寝台重点のものや座席重点のものなど多様に設定されています。昭和51年、24系25形100番台が登場するようになると、20系客車淘汰が急加速的に早まり、急行列車にも20系客車が充当されるようになります。そして、昭和52年9月、「あさかぜ」「瀬戸」及び新大阪~下関を結ぶ寝台特急「安芸」に25形100番台が投入されると、ここで捻出された20系客車が急行「十和田2号」に充当されることになりました。資料によれば、20系客車を使用した急行列車としては「銀河」「天の川」「新星」に続き4例目となるようです。上記3列車は寝台専用急行であったため、編成をそのまま充当されましたが、「十和田」の場合は寝台専用列車ではなかったため、ナロネ21を座席改造したナハ21が編成中3両連結され、旅客の便を図りました。20系誕生以来、座席車を寝台化したことはありましたが、寝台車を座席化した初めての例となりました。EF80に牽引され上野駅20番線に到着した20系「十和田」 カヤ211号車に連結されたナハ21のサボ最後部のナハネフ22写真は昭和52年~53年初頭頃、上野駅にて撮影したものです。「銀河」の登場時と同様に、テールマークは「急行」でした。資料を調べたところ、「十和田」が20系寝台客車で運転されていた期間は意外に長く、昭和52年10~昭和57年11月(上越新幹線開業)でした。その後20系客車はそのまま「津軽」に転用され、「十和田」は12系座席車化されています。旧型客車:急行「十和田4号」(回送)
2023.12.30
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旧型客車:急行「十和田4号」(回送)小学生の時に撮った写真から。昭和48年頃 西川口~蕨間にて 急行「十和田4号」回送我が家の近所の線路沿いで撮影したもので、まだカメラを買ったばかりの頃と思われます。小西六のサクラパックでした。旧型客車によって組成された夜行急行列車で、この時代としては極自然なスタイルの編成です。EF15牽引の貨物列車にカブられてしまい、編成の全体像は見えませんが、後部からスハフ+スロ+オロネの順番となっています。記憶からも東大宮送りの「十和田」であることは判明しており、詳細に調べたところ、グリーン車及び寝台車が連結されているのは上り1号・3号・4号で、このうち荷物・郵便車を連結しないのは「十和田4号」のみであるため、直ぐに区別ができました。上り1号・3号は定期列車であるため、荷物・郵便車も連結されていますが、不定期(季節列車)には荷物・郵便車を連結しないのがセオリーでした。この時代は西側線路沿いに水路が残っており、正面の住友セメントの敷地をかすめて蕨駅の方まで抜けていました。現在は埋め立てにより道路となっており、一方通行ですが蕨駅の方まで抜けられるようになって、面影は全くありません。目前に「電話」があり、画的には非常に邪魔ですが、当時はモバイルなどありませんから、トランシーバーかこの電話が連絡手段として必須となっており、おそらくは数百メートル置きくらいに設置されていたんでしょうね。
2023.12.23
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EF58牽引 10系寝台客車:寝台急行「天の川」「天の川」は、上野~秋田間を結んでいた寝台急行列車です。昭和38年6月に上野~新潟間の急行として誕生し座席車が1両連結されていたようで、昭和47年3月改正で上野~秋田間の寝台急行となります。20系化される直前の編成は10系寝台で構成され、上野←ユ+ハネ+ロネ+ハネ+ハネ+ハネ+ハネ+ロネ+ハネ+ハネ+ハネ+ハネ→秋田 でした。郵便車及び秋田方の編成は新潟回転車となります。※新潟~秋田間は逆編成となっています。上野から秋田方面への夜行列車は多数設定されましたが、新潟~白新線を経由する上野発の夜行列車としては唯一の存在でした。昭和49年頃 蕨~西川口間にて10系寝台時代の急行「天の川」です。当時、上越型のEF58が牽引する全車寝台の急行列車は、「天の川」の他に「北陸2号」がありました。「天の川」がA寝台を基本と付属にそれぞれ1両ずつ連結しているのに対し、「北陸2号」は2両連続で連結し、さらにグリーン車も連結していた点で、外観からも容易に判別できます。春闘の派手なスローガンも昭和の風景ですね。当時はこんな車両が来るとガッカリしてしまったものですが、今となっては懐かしい記録です。こんな姿で運用に就いているところからすると、陽の高さもそれなりにありますので、昭和49年の春休みくらいかもしれません。
2023.12.18
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キハ58系:急行「たかやま」高山本線の優等列車と言えば特急「ひだ」となりますが、かつては特急「ひだ」と名古屋鉄道からの乗り入れ特急「北アルプス」が1往復ずつしかなく、むしろメインは急行「のりくら」が多く設定されていました。また、観光シーズンには様々な臨時急行も運転されており、名古屋発をメインとしながらも、大阪発の定期急行列車も設定されていました。それが、急行「たかやま」です。古くはキハ55系なども使用されていたかもしれませんが、キハ58が主たる運用車両となっていたと思います。もちろん、国鉄時代は標準色となりますが、民営化後も急行列車としての設定が継承され、特に平成2年頃からはアコモ改造車も導入されるようになりました。平成6年12月12日 上枝~飛騨国府間にて キハ58系 急行「たかやま」こちらの写真は、『C56160牽引:快速「SL奥飛騨」(高山本線)』を撮影している際に偶然撮ったものです。当時は塗色変更を受けた車両には全く興味がなく、完全にノーマークでした。多分、カメラをセッティングしている最中に背後から襲われ、シャッターを切ったのではないかと思います。こんなアングルでありながらやたら遠くまで逸してしまったのは、フィルムを巻き上げていなかったからではないですかね。上の写真を切り取ってアップにしてみました。サービスサイズからのスキャンなので、見るに堪えないほど不鮮明ですが、原版は6×4.5判なので、ネガスキャンすればもう少し見られるようになるかもしれません。キハ58系でこんな塗装はないだろう、と言いつつも、目の前を行く急行「たかやま」を撮り損なったという気持ちは当時も強かったと思います。これもSLばかりに夢中になり、下調べを怠ったためとしか言いようがありません。4両と短編成化されつつもグリーン車まで連結しており、まだ急行の面目を保っていた頃でした。結局はこのあとに遠征する機会は無くなってしまい、気が付けば急行「たかやま」もキハ58系ごと消え去っていました。
2023.12.12
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165系:臨時急行「伊那路」昭和58年7月、それまで運転されていた飯田線豊橋口からの急行「伊那」が廃止されますが、平成4年に165系による臨時急行として復活。愛称は「伊那路」となりました。当時、淘汰が進んでいた165系による運転と言うのも話題になり、後年には往年の東海型ヘッドマークまで掲げられるようになります。平成6年12月10日 飯田線 東上~野田城 165系「伊那路」165系の老朽化、淘汰はさらに進み、平成8年3月の改正により特急化、急行列車としての短い役割を発展的解消により幕を閉じました。
2023.12.09
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DD51牽引20系寝台客車:急行「だいせん」急行「だいせん」は、昭和43年10月の改正により誕生した急行列車で、昼行列車と夜行列車が存在しました。大阪から福知山線経由で山陰島根方面を結んでおり、行先は複数が存在しました。昭和53年10月改正より、それまで10系寝台・旧型客車の編成であった夜行列車が20系化されます。夜行の20系化当初は、大阪~出雲市間が急行運転で、普通列車となって大社線退社まで乗り入れていました。他の気動車列車は単行?程度のローカル線であるにもかかわらず、B寝台車のほかにA寝台車を座席改造したナハ21が3両連結(いずれも指定席)を連結した長い編成での運転となっていました。(ただし、大社線内は自由席。)昭和59年2月12日 大社駅にて DD511113牽引 急行「だいせん5号」終点大社駅は、昔から優等列車が乗り入れていたため長い有効長を持っていましたが、さすがにこの20系編成には対応できなかったようで、DD51が機回しされて出雲市方に連結されると、出発信号の確認できる位置まで編成を1両分程度押し込み、所定の位置で折り返し待機するという方法が採られていました。写真は、機回しが済み、所定の位置に後退停止後の折り返し出発待ちの様子です。夜行急行「だいせん」は、昭和61年11月改正から14系寝台+12系化されましたが、この際には編成が5両程度に短くなっています。さらに、平成11年10月からはエーデル車両により気動車化(2両編成)されてしまいました。そして、平成16年10月の改正により、山陰の老舗急行「だいせん」は姿を消すことになりました。
2023.12.05
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485系(新潟車):臨時急行「能登」過去ログで旧型客車時代の急行「能登」をご紹介いたしました。平成22年3月ダイヤ改正、急行「能登」は、それまで現存する唯一のボンネット車で活躍を続けてきた489系と運命を共にし、臨時列車へと格下げされました。臨時化にあたり、快速「ムーンライトえちご」の車両を差し替えし、485系新潟車6連により運転を継続してきました。そこから2年、週末の度に運転されてきた臨時急行「能登」ですが、平成24年3月の改正後、春臨から急行「能登」の名称が消えてしまいました。春休みの季節は、青春18切符利用による快速「ムーンライトえちご」としての利用が活発化するものと考えましたが、GWの設定もなくなってしまいました。この改正から485系新潟車の運用自体が快速「ムーンライトえちご」に戻されたことにより、今後の復活の糸が切れ、そのまま廃止となってしまいました。平成22年3月20日平成22年4月18日平成22年4月24日平成22年4月25日平成22年5月15日平成22年6月12日平成23年4月30日平成23年5月14日新潟車ではK1、K2編成を中心に、T18も運用されるとことがありました。しかし、1500番台は連結方向が逆向きですので、なかなか捉えることはできませんでした。『489系:急行「能登」』
2023.10.06
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165系:急行「あかぎ」「あかぎ」は、古くを辿ると昭和25年に誕生した快速列車の名称。その後準急列車となり、昭和31年に急行列車化、晴れて急行「あかぎ」となります。使用車両は主に165系3両編成でしたが、昭和50年を前後として、115系の普通列車を間合い運用として使用していたものも存在しています。昭和53年3月12日 新前橋駅にて165系「あかぎ」と「ゆけむり」の分割シーンです。当時の上越線昼行特急は「とき」「いなほ」と臨時「白根」のみであり、草津・水上方面の中距離列車は165系急行がカバーしていました。185系新特急化されてからも旧急行の運行体系が維持されており、ある意味値上げされただけで、殆ど内容は変わっていないような気もします。その後の特急と同様に、多層建て急行列車の分割は新前橋駅で行われていました。当時の分割シーンを撮影した写真がたまたまあったのですね。昭和50年を前後とした時代、ヘッドマークの無い急行列車はその列車名を特定するのが難しかったりしますが、手前の列車はサボから「ゆけむり」であることが判りますし、離れて行っている編成は3両なので「あかぎ」であることが明確ですね。昭和57年5月頃 蕨~西川口間にて 185系200番台+165系 急行列車東北新幹線の開業を前にして、リレー号に使用する185系が続々と誕生します。165系急行「草津」「ゆけむり」は、現在の185系編成と同じ順列の7両編成であったため、正にランダムに前後して混結又は165系同士、185系同士とバラエティーな編成で走っていました。一方、前橋又は桐生方面への急行「あかぎ」のみ付属3両編成を使用していた列車が存在したため、7両編成の185系に併結されると、なんとも申し訳無さそうにぶら下がっている感じがしてユーモラスです。そして、昭和57年11月15日、上越新幹線の開業に合わせ、在来線を補完する列車として「あかぎ」は185系を使用した特急列車に格上げ、残った両毛線直通急行のスジは「はるな」に道を譲ることとなりました。
2023.09.22
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475系:急行「立山」上野~北陸線経由~大阪を走破していた急行「北陸」が上野~福井間に短縮され、これにあわせて分離延長され誕生したのが急行「立山」です。当初は客車急行列車で、大阪~富山を結んでいました。昭和31年のことでした。昭和40年10月のダイヤ改正に際し、複数の名称があった北陸線急行のうち、大阪~富山を結ぶ急行列車が「立山」に統一されます。その後、糸魚川へまでの延長や、富山地方鉄道線宇奈月温泉までの乗り入れも実施されました。一時は隆盛を極めた北陸急行「立山」ですが、その後は改正を追うごとに特急「雷鳥」に格上げされ、本数を減らしてゆきます。昭和55年8月 山崎~神足(現長岡京)間にて 475系「立山」ナンバーは確認できませんが、パンタ部のファンデリアグリルの形状からして471系の可能性が高いですね。この時点までは、種別幕のところが生きており、原形を保っています。昭和58年4月15日 富山駅にて 475系「立山」こちらは既に末期の頃になります。種別幕のところに鉄板が充てられています。これは、トンネルのツララによる破損が多いための措置で、末期まで生き残っていた475系列の車両は全て施工されています。その後、急行「立山」は全て特急「雷鳥」に吸収され、臨時夜行列車のみの特異なスタイルとなりました。写真はありませんが、583系を使用していた記憶があります。さらに、その臨時運用も冷え込み、ご他聞に漏れず全廃となりました。475系:急行「ゆのくに」10-1635 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両増結セット[KATO]【送料無料】《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1635 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両増結セット【中古】 KATO カトー Nゲージ 475系 基本 6両セット 10-461 鉄道模型 電車10-1634 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット[KATO]【送料無料】《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1634 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット
2023.08.31
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EF81牽引20系寝台客車:臨時急行「あおもり」私が初めて知った急行「あおもり」は、名古屋から東京を経由して東北本線で青森へ行くという、当時としても奇抜な運転経路で走った列車というイメージです。Wikiに掲載される解説と矛盾しますが、運転期間のうち一部(運転初日?)が時刻表非掲載で上野経由となっており、高校時代に上野駅でアルバイトをしているときにも目撃した記憶があります。もしかしたら、局報で見たのかもしれません。或いは、中学時代にDJで見たことがあるのか、記憶が曖昧です。その後、日本海経由で正式に時刻表に掲載されるようになり、運転区間も大阪~日本海経由~青森で運転されています。晩年は583系が使用されていましたが、唯一私が撮影したのは20系客車を使用していた時代です。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にてEF81が牽引する20系客車時代の臨時急行「あおもり」です。20系も上帯のない晩年時代です。おそらく、「日本海」が2往復化され、陳腐化した20系の活用を図るため設定されたと思われます。プリントからスキャンしたのであまり画像が良くありません。当時は風景重視の写真ばかり撮っていたので、列車写真としては使えない構図になってしまいましたね。もうちょっと線路に近いところから撮っておけば良かったと後悔します。
2023.08.24
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キハ58系:急行「丹後」今回は、山陰急行「丹後」です。昭和50年代、まだ山陰本線はオール非電化であり、この路線が電化されるなど想像も付かなかった時代です。しかし、幹線であったことに違いはなく、京都口では特急「あさしお」を始めとする優等列車でにぎわっていました。もちろん、急行列車も多数が健在であり、特急列車よりも多くが設定され、観光地への足が確保されていました。しかし、個人的なところでは、この京都の日本海側の地域に土地勘が無く、列車の行先も複雑怪奇で今もって良く理解できていないのが実情です。そんなこともあって、特に行先が難解な急行「丹後」については、列車名として小学生時代から知っていたものの、説明を避けたい列車なんです。昭和55年8月 京都駅にて キハ58系 急行「丹後」京都発の急行では「丹後」が定期で4往復設定されていました。同じくグリーン車連結の優等列車で「白兎」がありましたが、編成順序から「丹後」であることが判ります。昭和50年代半ばでもあり、さすがにこの地域では冷房化が完了しているようです。現在は駅舎も大きく変わってしまいましたが、配線自体はあまり変化がなさそうです。しかし、京都口は電化が完成してから既に久しくなり、発着する車両は大きく変わってしまいました。
2023.08.18
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455系(仙台車):東北本線急行列車 列車番号表KATOから455系仙台車による急行「まつしま」7両セット及び急行「ばんだい」6両セットが発売になりました。2セット合わせると、昭和50年を前後とするサハシを含む13両フル編成を仕立てることができます。車両については親ブログKATO 455系「まつしま」「ばんだい」と旧製品457系でもご紹介を始めたところですが、今回、もう一つのポイントを確認したいというところで、当時の東北本線上野口における列車番号対比表を作成してみました。今回の455系がフルリニューアルされたということで、機能的なグレードアップのほか、旧製品では457系でお茶を濁していた製品が現実的な構成になったことに加え、列車番号まで表示できるようになりました。より現実的な列車へ仕立てるため、正しい表示をしたいという意味でお役に立てればと思います。交通公社時刻表昭和50年7月号より抜粋右クリックで「新しいタブで画像を開く」と大きく見られると思います。昔から母親の実家へ行くために急行列車を使用していたので、非常に身近な存在でした。良く線路際に電車を見に行っていたし、非常に多くの設定があったことを記憶していますが、こうして並べて見ると、毎日運転の定期列車は意外と少ないことを初めて知りました。しかし、現実に季節列車は運転期間が長いので、やはり多くの急行列車が運転されていたことは記憶違いではないようです。特徴的なところでは、①白河発の「なすの」に黒磯発の普通列車を宇都宮で併結して運用されており、これを送り込むためにそれぞれ宇都宮発の下り普通列車が設定されています。※ちなみに、ここには載せていませんが、宇都宮までは上野発の普通列車が夕方に設定されていました。下りで小金井行き13連2本が設定されていたと記憶していますが、運用が定かではないので、ここでは省略しました。この宇都宮始発の下りも宇都宮滞泊だったのか、小金井~宇都宮を回送で送り込んでいたのか定かではありません。②「いわて」「まつしま」で、盛岡~仙台や仙台~郡山といった、地方のみを補完するような定期運用がありました。閑散期には上野への運用が省略されていたみたいです。③下り「いわて1号」は仙台行きとなっており、大部分の日において盛岡までの延長運転となっていたようです。郡山以遠は「ばんだい」を切り離してサハシを含む7連となりますが、仙台においてなんとまた付属編成を増結するという、末端短編成の原則を打ち破る離れ業を繰り広げていたようです。④上り「まつしま6号」は、臨時ながら水沢始発がありました。ただし、これが各年代で恒例であったのかは確認できていません。私はまだ付属のシールまでは確認していませんが、「なすの」まで用意されているところはさすがだと思いました。この年代はサハシを含む13連ですが、ビュッフェの営業は既に休止されています。昭和52年頃までは連結されていた筈ですので、非営業でもこの編成で問題ありません。昭和50年3月ダイヤ改正以前の時刻表がちょっと出せない状態ですので、またその辺りを掘り起こすことができましたらご紹介したいと思います。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売 鉄道コムまだ在庫店が沢山あると思っていたら、既に売り切れとしてしている販売店が殆どでした。過去ログ写真455系:急行「まつしま」455系:急行「ばんだい」455系:急行「いわて」455系:急行「あづま」一応、現時点において楽天でヒットするものをご紹介しておきます。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》KATO Nゲージ 455系 急行「まつしま」 7両セット 鉄道模型 10-1632送料無料◆10-1633 KATO カトー 455系 急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型(ZN110800)[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2023.08.11
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455系:急行「ばんだい」「ばんだい」は、上野~会津若松・喜多方を結ぶ急行列車。昭和34年9月に準急列車として誕生、昭和37年に急行列車に格上げとなります。昭和42年7月、会津若松~喜多方間の電化完成によって「ばんだい」は455系化、「いわて」「あづま」との併結運転を開始、さらに同年10月の改正からは「まつしま」との併結運転も開始され、その後の東北本線系の急行列車網が確立されます。昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島 急行「ばんだい1号」日中線を訪れた帰りに寄った初めての磐越西線での撮影。当時はこの線も特急「あいづ」急行「ばんだい」「いいで」「あがの」「いなわしろ」など多数の優等列車運転されていました。身軽な6両編成の急行「ばんだい」も、郡山から「まつしま」「あづま」「いわて」などと併結され、12両になって上野を目指しました。昭和55年8月13日 上野駅にてお盆の多客シーズン真っ盛りの上野駅。455系は山形・会津若松から到着した「ざおう6号」「ばんだい10号」。152号機牽引の列車は「津軽3号」と思われます。時刻表によると、この並びはありえない筈なのですが、番線変更があったのかもしれません。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて 急行「あづま2号」「ばんだい2号」(再掲)関連記事『455系:急行「あづま」』でご紹介しています。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて 急行「いわて1号・ばんだい5号」関連記事『455系:急行「いわて」』でご紹介しています。昭和56年1月5日 白坂~豊原間にて 急行「まつしま6号・ばんだい4号」東北新幹線の開業前年であり、田舎とは言えどテキトーに立っていれば特急・急行がバンバン走ってくる時代でした。後方には巻き上げた雪が僅かながら煙状に写り込みました。東北急行の最後の隆盛でした。急行「ばんだい」は臨時列車も多数設定されており、気動車や客車列車も存在しましたが、何故か夜行列車の設定ばかりであり、写真に記録することはできませんでした。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット
2023.07.27
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キハ58系:急行「きのくに」「きのくに」は、関西(天王寺)から阪和線を経由して紀勢本線の新宮・紀伊勝浦方面を結んでいた急行列車です。同区間には特急「くろしお」が設定されていましたが、昭和40年代は観光地として栄えていたこともあり、急行列車も多数が設定されていました。ちなみに、名古屋口からは急行「紀州」が設定されていました。非電化の歴史が長かった紀勢本線も、昭和53年9月に一部が電化され、これに合わせて特急「くろしお」は電車化されています。しかし、急行列車については当時余剰車両が無かったためでしょうか、電化区間を走る「きのくに」は気動車のままでした。昭和59年7月6日 見老津~周参見間にて昭和59年7月6日 南部~岩代間にて昭和59年7月6日 白浜~朝来間にて電化されてからかなりの年月が経過していますが、最後に特急化されるまで気動車であったと記憶しています。それでも、東北急行とは異なり、全車が冷房化されていたことは特筆に値すると思います。そのために、キハ65が多用されていたことも納得できます。「きのくに」には臨時の客車急行なども設定され、かつては南海電鉄への乗り入れが行われるほどの隆盛の時代がありましたが、ご他聞に漏れず、特急化され消滅しています。
2023.07.16
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485系 K60編成:急行「横浜ベイエリア」平成21年、横浜ディスティネーションキャンペーンの一環として、常磐線いわき~鎌倉間に急行「横浜ベイエリア」号が運転されました。使用車両は勝田区のK60編成で、武蔵野線・高島線・根岸線経由で運転されています。平成21年7月4日 9:07 南浦和駅にて 急行「横浜ベイエリア」せっかく大きなイベントであったにもかかわらず、ヘッドマークは「臨時」幕で非常にガッカリしました。※同列車は、翌週7月11日にも設定されました。
2023.06.08
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489系:急行「能登」過去ログで旧型客車時代の急行「能登」をご紹介いたしました。その後、14系化された急行「能登」は信越本線経由で急行「越前」を乗っ取る形で運転されましたが、平成5年3月、車両の老朽化などがネックとなったようで、489系化により寝台車の連結が解消されることになります。さらに、信越本線経由であった489系「能登」は、平成9年10月改正で碓氷峠の廃止されたことに伴い、本来の経路であった上越線経由に戻ることになります。それから永きに渡って489系による運転が続けられ、全国でも唯一残存していたボンネット型の車両としても注目を集めていましたが、平成22年3月、車両の老朽化と乗車率の低迷を理由に惜しまれつつも廃止されてしまいました。489系「能登」が走り始めた頃は全然写真を撮ることもなく、デジカメを購入してやっと撮るようになったものの、あまり成果のないうちに廃止になってしまいました。平成19年6月17日初めて撮影した「能登」でしたが、デジカメの性能に慣れておらず、ブレてしまいました。平成20年4月22日 金沢駅にて485系「雷鳥」の終焉を前に、北陸まで遠征に行ったときに撮影したもの。特急「北越」との並びのシーンも思い出。平成20年5月18日浦和駅高架化工事のために貨物線経由で運転された上り「能登」。貴重なシチュエーションの一発勝負写真が、私が撮った中で一番良かったのはなんとも皮肉なもんです。平成21年5月5日陽の高い良い季節であるにもかかわらず、天気が良くなくてシャッタースピードが稼げないことが多かったように思います。平成21年5月23日こちらもこの角度なのにブレちゃってます。平成21年8月16日朝は常に先頭が500番台側になってしまうので、たまには0番台側も・・・しかし、やっぱりブレちゃいます。平成22年2月19日プレスで廃止がアナウンスされたのは21年11月くらいだったですかね。しかも3月に廃止では、早朝の「能登」を撮影するなんて無理な話。それでも最後のボンネット車を記録したくて、真っ暗で寒い中で撮影に挑んだものです。でも、所詮は叶わぬ状況でしたね。489系ボンネット型使用の「能登」は廃止となりましたが、臨時化されて残存することとなった急行「能登」。その臨時急行も平成23年冬臨を最後に設定がなくなり、このまま復活することはありませんでした。[鉄道模型]トミックス (HO) HO-9078 国鉄 485系特急電車(初期型・クロ481-100)基本セット(4両)[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1120 485系初期形「ひばり」7両基本セット 【C】 外スリーブ傷み 1両目:運転席側窓のサッシに塗装乱れカトー Nゲージ 489系 急行 「能登」 5両基本セット 10-818【中古】カトー Nゲージ 489系 急行 「能登」 5両基本セット 10-818
2023.06.02
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153系:急行「比叡」東海道本線の名古屋~大阪を結んでいた急行「比叡」は、昭和32年に同区間に設定された80系電車による準急列車に端を発する、由緒ある列車でした。設定当初は名称を持たなかったようですが、直ぐに「比叡」という名称が与えられ、翌昭和33年には新製の153系電車が導入となり、東海道新幹線の開業前までは最大で8往復も設定されていたそうです。東海道新幹線の開業及び増発により4往復体制へと削減、昭和41年には準急列車から急行列車へと格上げされます。当時はサハシも連結された豪華編成だったようですが、運転時間が短いために利用者が少なかったようで、昭和47年3月のダイヤ改正で営業が休止され、運転本数も2往復へと縮小してしまいます。※ほかに臨時列車の設定がありました。昭和55年8月 神足~山崎間にて 急行「比叡1号」153系8連で大阪へ向かう急行「比叡1号」。当時はヘッドマークのない急行列車などに興味はありませんでしたが、中間に新快速色のクハ153低窓が連結されていたために慌てて後部から撮影したようです。ちょうど新快速の117系化が完了した頃で、状態の良い新快速色の153系は大垣電車区へと異動したため、東海道本線の普通列車や修学旅行列車の急行「こまどり」などにも連結されていました。8連の中間には自由席グリーン車が連結されており、こちらのみサロ165となっていました。昭和55年8月 大阪駅にて 急行「比叡2号」1枚目の写真を撮影後、大阪駅に移動した際に再び撮影できました。とは言っても特急「雷鳥」を撮影したものであり、並び写真として偶然に写っていたものです。「比叡1号」と同じ編成の折り返しのようで、中間に新快速色のクハ153系が連結されていました。詳細なメモは残していないのですが、当時の時刻表から、急行「比叡2号」と特急「雷鳥17号」の並びのようです。この写真を撮影した2か月後の55・10改正で1往復に削減され、さらに59・2改正でとうとう廃止になってしまいます。153系の全廃に伴い、165系化されたのは東京口の急行「東海」と同様で、Wikipediaには165系化された末期の急行「比叡」が掲載されています。
2023.05.11
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DE10牽引14系客車:急行「天北」「天北」は、札幌から函館本線、宗谷本線、天北線を経由して稚内を結んでいた急行列車。昭和36年に誕生し、当初はキハ22、その後直ぐにキハ56を使用するようになったようです。昭和60年には同じ方面の急行「宗谷」や夜行列車である急行「利尻」と14系客車で共通運用が組まれるようになりました。車両運用の合理化を図ったもののようです。14系客車時代は、夜行列車で寝台車を連結した「利尻」とも共通運用となったため、昼間列車でありながらオハネ14系を連結すると言う全国的にも珍しい存在でした。昭和63年6月25日 天北線 曲淵駅にて 上り急行「天北」昭和63年6月25日 天北線 芦野~猿払間にて 下り急行「天北」昭和63年6月26日 天北線 小石~曲淵にて 上り急行「天北」片道は急行「宗谷」と共通の14系ハザのみ4両編成、一方は急行「利尻」と共通の寝台車付き編成でしたが、北海道では季節増結に対して柔軟であり、度々客車の増結が行われていました。増結する車両はハザ以外にハネを使用することが多く、編成内での凸凹がいい加減風で模型っぽいですね。JR化後の昭和63年、キハ40系改造のキハ400形による気動車化が再び実施され、スピード面及びアコモデーションの改善が図られましたが、平成元年4月、天北線の廃止とともに宗谷本線経由に振り替えられ、急行「天北」の名称は消滅しました。初めて渡道した際にはキハ56系の急行「天北」に乗る機会がありましたが、天北線が雪害で不通となったため宗谷本線経由で運転され、写真も撮っていませんでした。
2023.04.20
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475系:急行「ゆのくに」「ゆのくに」は大阪~北陸・金沢方面を結ぶ急行列車です。起源を準急列車まで遡ると昭和27年と歴史は古く、急行列車としては北陸本線の電化開業となった昭和38年4月に誕生しています。電車急行としての誕生となりますが、その後の他急行列車の吸収や併結などにより、気動車による運転も設定されたことがあります。北陸本線では特急列車のフリークエンシーが盛んとなり、特急「雷鳥」に吸収・格上げされる急行列車も多く、昭和53年10月改正には電車急行としてたった1往復のみの設定になってしまいました。昭和55年8月 京都駅にて 475系「ゆのくに」昔は大型のヘッドマークが取り付けられていましたが、不便であったためか小型になってしまいました。併結時における貫通扉の開け閉めの関係かもしれませんね。撮影当時から急行列車自体が衰退の一途を辿っており、急行「ゆのくに」も昭和57年11月の改正をもって全廃となっています。KATO 475系 急行立山・ゆのくに 販売送料無料◆セット販売 10-1634/10-1635 KATO カトー 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット+6両増結セット Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1634 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1635 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両増結セット【16日23:59まで店内最大P20倍!】 【予約 新品 2023年8月予定】 Nゲージ KATO 10-1634 475系 急行「立山・ゆのくに」6両基本セット10-1635 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両増結セット[KATO]【送料無料】《08月予約》送料無料◆10-1634 KATO カトー 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】10-1634 475系 急行「立山・ゆのくに」 6両基本セット[KATO]【送料無料】《08月予約》【16日23:59まで店内最大P20倍!】 【予約 新品 2023年8月予定】 Nゲージ KATO 10-1635 475系 急行「立山・ゆのくに」6両増結セット
2023.04.17
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455系:急行「まつしま」急行「まつしま」は、上野~仙台間を結んでいた昼行急行列車です。ただし、季節列車として夜行が1往復設定されています。全線が電化区間となっておりますので、定期・季節列車ともに455系電車が使用されており、臨時列車については客車も使用されていたことがあります。上野~仙台間は比較的に平坦線区となるため、勾配抑速ブレーキを搭載しない451系や453系が使用され、付属編成となる「ざおう」「ばんだい」に455系・457系が優先された運用が組まれていたということです。昭和54年 蕨~西川口間にて 「まつしま2号」こちらは列車番号が入っており、「まつしま2号」であることが判明しました。最後部2両はモハのファンデリアルーバーがないことから、457系ユニットとみられます。また、判りづらいですが、サロにグリーン帯が入っています。昭和56年頃? 南浦和~蕨間にて列車番号が不明なのですが、確率的に「まつしま」ということで整理しておきます。もしかしたら「あづま」や「なすの」だったりするかもしれません。先頭のクハのタイフォンは開放型で、続くモハユニットは455系になっています。昭和56年 西川口~蕨間にて 急行「まつしま7号」蕨駅南側の歩道橋の上から撮った写真です。貨物列車も最後の悪あがきの頃であり、今のマンションが立っている場所は「住友セメント」の工場でした。2本の留置線と1本の荷役線があり、既に閑散とはしていますが、タキ1900などが出入りし、専用のスイッチャーも2台配置されていました。※どんづまりにタキ1900と思われる車両が1両、雪まみれになっています。現在、写真の足場として使っている場所は元々が水路となっており、現状はこれに沿って一方通行の道路となっています。雪が積もっているだけで、いつもの景色が素朴な風景に映ります。雪が降ったら撮影に行く。そんな物心がついたのもこれが最初かもしれません。昭和56年1月5日 白坂~豊原間にて 急行「まつしま6号・ばんだい4号」母親の実家に行く際に、途中下車して撮影したものです。東北新幹線の開業前年であり、田舎とは言えどテキトーに立っていれば特急・急行がバンバン走ってくる時代でした。時期が時期で、貨物列車の写真が1枚も撮れていないのは今から思うと残念でしたね。後方には巻き上げた雪が僅かながら煙状に写り込みました。東北急行の最後の隆盛でした。昭和57年 南浦和~蕨間にて 「まつしま2号」こちらは東北新幹線開業間際くらいの写真だと思います。こちらも列車番号から「まつしま2号」であることが判明いたしました。昭和57年6月22日 貝田~越河間にて 「まつしま1号」特急「やまびこ」の最期を撮るために東北へ遠征してきたときのもの。珍しく福島以遠で撮ったため、「ばんだい」を外した6両編成の「まつしま」を記録することが出来ました。先頭は開放型タイフォンで、モハのルーバー形状から451系か453系と思われます。急行「まつしま」は東北・上越新幹線の大宮暫定開業後も生き延びましたが、上野開業となる昭和60年3月のダイヤ改正を以って消滅しました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売鉄道コムにやっとKATO455系の発売情報が出てきました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売KATO 475系 急行立山・ゆのくに 販売送料無料◆10-1632 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1633 KATO カトー 455系 急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット【予約 新品 2023年7月予定】 Nゲージ KATO 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット【予約 新品 2023年7月予定】 Nゲージ KATO 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット
2023.04.14
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455系:急行「いわて」急行「いわて」は、昭和31年11月のダイヤ改正で上野~盛岡を常磐線経由で結ぶ急行列車として誕生しています。昭和33年10月改正で東北本線経由に、さらに昭和40年10月改正から電車化され、その地位を確立しました。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて 急行「いわて1号・ばんだい5号」東北新幹線開業まで運転されていた下り急行「いわて1号」です。当時、「いわて」は東北本線経由の盛岡行き急行として、1日2往復設定されていました。1往復は夜行急行となっていましたので、写真を撮るにしても1往復のみのチャンスとなります。昼発となる「いわて1号」は、上野駅を13:06に特急「つばさ3号」の続行として出発となっています。白坂駅付近では14:40過ぎくらいの通過となりますから、比較的遅い時間に撮影していたようです。昭和57年11月13日 上野駅にて 急行「いわて」あまりサボの写真を撮る習慣がなかったのですが、廃止を前にした緊迫感もあり、記念に撮っていたようです。この写真を撮った翌日、上越新幹線の大宮暫定開業と同時のダイヤ改正により、急行「いわて」は東北新幹線にその役目を譲って廃止されました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売鉄道コムにやっとKATO455系の発売情報が出てきました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売KATO 475系 急行立山・ゆのくに 販売送料無料◆10-1632 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1633 KATO カトー 455系 急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット【予約 新品 2023年7月予定】 Nゲージ KATO 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット【予約 新品 2023年7月予定】 Nゲージ KATO 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット
2023.04.13
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キハ56系:急行「狩勝」「狩勝」は、札幌圏から釧路方面を根室本線で結ぶ急行列車でした。昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にてこちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。キハ56形200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴です。さらに、写真では判りませんが、冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボなんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。オハネフ12形:夜行急行「狩勝」(旧型客車時代)送料無料◆セット販売 98579/7428/7429 TOMIX トミックス 国鉄 キハ56-0系 急行ディーゼルカー (狩勝) セット(4両)+キハ56-0形 (T)+キハ27-0形 Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆98579 TOMIX トミックス 国鉄 キハ56-0系 急行ディーゼルカー (狩勝) セット(4両) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98579 国鉄 キハ56 0系急行ディーゼルカー(狩勝)セット(4両)
2023.03.27
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455系:急行「あづま」「あづま」は、上野~福島間を結んでいた急行列車です。東北本線の急行列車は行先によって名称を使い分けていましたが、「あづま」の夜行列車については、福島から各駅停車となり、仙台まで足を伸ばしています。急行列車区間としては、上野~福島間を結んでいた急行列車と言って良いでしょう。急行「あづま」は下りが夜発夜着の1号と、夜行列車の3号となっており、上りも4号が夜行列車であることから、撮影可能時間帯の列車としては、上りの「2号」だけとなります。その分、大変撮影しにくい列車であったといえます。また、途中の郡山~上野間は、会津若松からの急行「ばんだい2号」を併結していました。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて 急行「あづま2号」「ばんだい2号」フィルムスキャナをもらってからは大きく画像を観察することができるようになり、列車番号札の表示されていた時代の列車は判別が可能となりました。この写真の列車番号を当時の時刻表で確認したところ、上りの「あづま2号」「ばんだい2号」」であることが判明したと言う訳です。福島にED71を撮りに行った時にも夜行利用したことのある列車でしたので、東北本線の急行の中でも一番地味な列車ではありましたが、思い出深い列車名でもありました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット送料無料◆セット販売 10-1632/10-1633 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット+急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1632 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1633 KATO カトー 455系 急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》
2023.03.12
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583系:急行「シュプール上越」かつては一世を風靡したシュプール号。さらに時代を遡ると、「○○スキー」や「○○銀嶺」といったスキー列車が多数運転されていました。昔は自動車の免許取得率が低く、スパイク&スノータイヤでクルマ移動なんて、多少お金持ちじゃないと出来なかったかもしれませんね。高速網も発達していませんから、列車が一番合理的な移動手段だったのでしょう。そういう意味では、格安シュプール号の時代は既に高速バスに客を奪われ始めた国鉄~JRの対抗手段、いわゆる苦肉の策だったのでしょう。その中でも、583系を使用したシュプール号は、座席車としても寝台車としても使用できる万能車で、定期列車では入線しなかった上越線や信越本線、奥羽本線にまで顔を出すようになり、ファンからは注目を集めていた列車だったと思います。平成8年1月14日 上越線 撮影区間不明 583系「シュプール上越」上越線では定期列車の運転が無かった583系によるシュプール号の運用です。583系のほかにも185系の運用があったと思います。イラストマークでありながらも、ちゃんとヘッドマークが仕立てられているのはファンとしては嬉しいですね。写真は谷川連峰をバックに快走する583系「シュプール上越」の送り込み回送列車。SLアングルだったので遠巻き過ぎたのはちょっと残念でした。撮影区間は、多分沼田~後閑辺りではないかと思われるんですが・・・。
2023.02.24
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EF7115牽引:14系欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」あまり撮影することのなかった「スーパーエクスプレスレインボー」ですが、奥羽本線板谷峠に撮影に行った際に捉えたことがありました。※撮影は、平成2年2月18日、奥羽本線 峠~大沢間にて。EF7115牽引 「シュプールレインボー」送り込み回送山形新幹線の開業により廃止となるスイッチバックの記録をするため、板谷峠を訪れました。その際に撮影することができたスーパーエクスプレスレインボー。※たまたま調べる機会があり、「シュプール号」の送り込み回送であることが判明しました。団体列車だったか、もしかしたら「シュプール号」の送り込み回送だったかもしれません。アウトカーブだったのであまり良い構図ではありませんでしたが、線路横断を最小限にしていた関係でアングルを選びきれませんでした。牽引するEF7115号機は同形式のラストナンバーとなっており、同じく最終増備となった14号機と2両は、全面通風孔がなくなるなど、特徴のあるカマでした。
2023.02.19
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オハネフ12形:夜行急行「狩勝」(旧型客車時代)札幌~釧路間には、古くから『全車指定制』の急行列車が走っていました。変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。北海道ワイド周遊券と言う北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で」というのが当たり前だった時代。しかし、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため、指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代には1度だけB寝台車に乗ったことがあります。昭和56年3月 札幌駅?にて オハネフ12 急行「狩勝」この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車でしかも便所明かり窓が改造されていないことが判った為に慌てて撮ったものです。昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、寝台数が他の寝台車と合わないこと、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったことから、中間寝台車であるナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、それまでグリーンマックスのキットでしか見たことが無い、大型2枚の形態を見たのは初めてで、非常に嬉しかったことは記憶しております。多分、その後もこの形態の寝台車には会ったことはなく、最初で最後だったの思われます。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。急行「狩勝」は、その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、平成20年夏の臨時運転を最後に廃止されてしまいました。急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。キハ56系:急行「狩勝」
2023.02.18
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583系:急行「シュプール蔵王」かつては一世を風靡したシュプール号。さらに時代を遡ると、「○○スキー」や「○○銀嶺」といったスキー列車が多数運転されていました。昔は自動車の免許取得率が低く、スパイク&スノータイヤでクルマ移動なんて、多少お金持ちじゃないと出来なかったかもしれませんね。高速網も発達していませんから、列車が一番合理的な移動手段だったのでしょう。そういう意味では、格安シュプール号の時代は既に高速バスに客を奪われ始めた国鉄~JRの対抗手段、いわゆる苦肉の策だったのでしょう。その中でも、583系を使用したシュプール号は、座席車としても寝台車としても使用できる万能車で、定期列車では入線しなかった上越線や信越本線、奥羽本線にまで顔を出すようになり、ファンからは注目を集めていた列車だったと思います。平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 583系「シュプール蔵王」改軌前の奥羽本線福島~山形間に入線していた583系「シュプール蔵王」。この区間を走った583系定期列車は無く、私的にはこの区間の583系列車に違和感があります。「シュプール蔵王」は、同区間が新幹線の改軌工事により通行が出来なくなるシーズンまで、板谷峠を越えて運転されてました。この撮影の帰り道、庭坂から乗車した福島行きはなんと715系1000番台。人生の行先を変えさせられてしまった兄弟が、同じ線路でそれぞれの運命を歩んでいました。
2023.01.23
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キハ56系:臨時急行「ニセコスキー」急行「ニセコスキー」は、札幌圏からスキーリゾートへ向けた臨時列車。(運転開始時期等は不明)ただし、単独編成ではなく、主体は札幌駅8:10発の定期急行「らいでん2号」(902D)への併結運転となっていたようです。全ての区間において併結されていることを考えると、体裁的には単に増結されただけと言えます。同年の公社時刻表によると、昭和56年3月29日までの土休日は、「ニセコスキー」(札幌~蘭越間)と「岩内スキー」(札幌~小沢間)を「らいでん2号」に併結すると記してあります。定期急行「らいでん2号」は、札幌~倶知安間が急行運転であり、倶知安からは普通列車(1522D)となっていました。臨時急行「ニセコスキー」についても、このまま途中の蘭越駅まで併結されていたようです。余談ですが、前述のとおり臨時急行「岩内スキー」も全く同じ期間に併結されており、こちらは小沢駅で切り離し後、岩内線内を927D定期普通列車に併結して終点の岩内まで運転されていた。昭和56年3月 札幌駅にて向かって左側のキハ271による列車が急行「らいでん2号」「ニセコスキー」「岩内スキー」です。右側にも急行列車が停まっていますが、「らいでん2号」の35分前に発車する「えりも2号」か、50分後に発車する季節急行「すずらん2号」か、今となっては不明です。珍しい列車なのでサボの写真も撮っていました。専用にあつらえたサボではなく、「急行」のサボを白塗りしてマジックで書き替えているようです。ローマ字表記の部分が「EXPRESS」のままになっているのはご愛敬。なかなか巡り会うことは難しいキハ27のトップナンバー。その後に札幌圏へ行ったのはJR化後であり、冬場にも行っていなかったので、同列車がいつ頃まで運転されていたのかは不明です。[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98435 国鉄 キハ56-200系急行ディーゼルカーセット(4両)
2023.01.14
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EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」東北本線の急行「八甲田」については、過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、最後に撮った1枚になってしまったEF65PFが12系客車を牽引しているシーンをご紹介いたします。昭和59年1月頃 大宮操車場駅構内から EF65PF牽引59・2のダイヤ改正を控えた直前頃になりますが、1度だけこの「八甲田」を捉えていました。牽引機もEF65に変わっています。東北筋の夜行列車が12系、14系、20系化され、EF58もほとんど姿を消してしまいました。今考えて見ると、PF暖房装置を搭載していないため、スニ41に暖房を入れることができません。通常の運用では有り得ないのですが、車掌は旅客車側にしか乗務していないことを前提とした場合、「暖房なしでもよい」という判断になっていたのかもしれません。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2023.01.06
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キハ56+キハ22:急行「大雪」石北本線といえば、当時日本で唯一のカタカナ特急「オホーツク」と長躯函館~網走間を往復していた「おおとり」が花形であった訳ですが、両列車とも1往復のみの設定で、庶民としてはやはり急行「大雪」がメジャーな優等列車であったと思います。昭和55年の時刻表を見ると、1日5往復の「大雪」が設定されており、4往復が昼行のディーゼル、1往復が寝台車を連結した夜行急行でした。テツとしては昼間のディーゼル急行よりも夜行列車を多用した、と言いますか、夜行しか乗ったことがない方も多いのではないでしょうか?急行「大雪」は、その多彩な運用面からも大変興味深い列車です。1往復は釧網本線経由で釧路~網走~旭川~札幌を走破し、下りでは名寄本線の興部行き、さらに驚くことは、上りの名寄発~名寄本線~遠軽~札幌なんてとんでもないコースを走破する列車もありました。さすがに好んで乗るような列車ではありませんが、ちょうど9時間も掛かるこの列車は通しで乗る人なんてまず居なかったのではないでしょうか。昭和56年3月 遠軽駅にて 急行「大雪4号」右側のキハ56とキハ27の2両編成を組んだ急行ですが、あまりにもショボイ編成ですので、『うさぴょんのマル鉄回顧録』でアップしたときは急行「天都」かもしれない、としていました。しかし、昭和56年の時刻表を確認したところ、この時点で既に急行「天都」は廃止されていました。そこでさらに時刻表を追ったところ、渚滑線の乗りつぶしから遠軽へ戻ってくるのが9:40。特急「おおとり」と特急「オホーツク」が10:50を前後として交換が行われるのでこれを撮影。駅へ戻ってから列車に乗ろうとすると、網走方面、旭川方面とも12時を過ぎるまで列車が無い。網走発の558Dが遠軽12:11着。折り返し12:42の網走行き559D。名寄発の1623Dが12:02着、そのまま12:38に旭川行き514D「大雪4号」となります。そのときの私の行動と時刻表上の時間の相関がピタリと一致しました。つまり、写真で言うところの左側が558D~559D、右側が急行「大雪4号」。さらに、昼行の急行「大雪」はほとんどがグリーン車連結であるのに対し、この旭川行き「大雪4号」のみグリーン車は連結されていません。以上のことから、全ての状況が一致し、写真のローカルな急行列車が「大雪4号」であることが判明いたしました。ヘッドマークの無い気動車急行と言うのは、私的には撮影対象外だった筈ですが、北海道と雪景色、極寒の風景は、普通の気動車ですら魅力的に感じさせてしまうんですね。ですので、本州ではあまり撮影実績の無い一般型車両たちも、沢山記録に残すことができたのだと思います。
2022.12.29
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EF621牽引 旧型客車:急行「妙高5号」「妙高」は、上野~直江津を横軽経由で結ぶ急行列車でした。設定はほとんど昼間で169系を使用していましたが、上り下りの最終は旧型客車を使用した夜行列車でした。(他に、169系使用の季節列車で夜行列車が存在していました。)昭和53年3月21日 横川駅にて EF621牽引 急行「妙高5号」編成は、郵便車、荷物車、A寝台、B寝台、普通車自由席で、グリーン車と普通車指定席は連結されていません。横軽を通過するので、牽引機はもちろんEF62です。写真は、中学2年の終わり頃、鉄仲間と何故か長野方面へ行くことになり、現地活動時間の節約できる夜行「妙高」に乗りました。上野発が23:58で、定期列車としては高崎線の最終列車でもありました。この「妙高」に乗ったとき、出発直前になって震度4程度の地震が発生し、安全確認が取れるまで抑止がかかり、日付が変わって0:20過ぎくらいに上野を出発したことを覚えています。そして、この日の牽引は幸運にもEF62のトップナンバー車でした。この夜行「妙高」は、上野発が深夜、上野着が早朝4:47でしたので、関東圏で走行写真を撮ることはできません。まして当時、京浜東北線の初電よりも早く上野に到着してしまうので、中学生には非常に厳しい列車でした。上越新幹線の開業以降も夜行急行「妙高」だけが残存しましたが、189系による運行となり、むしろそれまでの季節急行が定期化された感じでした。
2022.11.29
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485系K60編成:急行「ぶらり鎌倉」急行「ぶらり鎌倉」は、福島県いわきと鎌倉を常磐線~武蔵野線経由で結ぶ臨時急行列車です。設定は鎌倉の観光シーズンに限定されており、年間の運転日数もわずかです。運転開始当初はE653系が使用されていたようですが、その後勝田車両センターのK60編成が充当され、専用のヘッドマークが用意されていました。平成20年11月22日 南流山駅にて 急行「ぶらり鎌倉」専用のヘッドマークがあったため、583系の回送列車を撮るついでに撮影したもの。まだデジカメに慣れていなく、早切りになってしまったのが残念。まだ当時はメインで使用していたM645で撮影した後部です。単レンズのみしかないので、駅撮りでは構図取りが難しかった。運転の設定数が少ないため、なかなか撮る機会がありませんでした。当時はまさかK60編成が引退するとは思っていませんでしたので、この写真が最初で最後のショットとなってしまいました。
2022.11.27
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153系:急行「東海」(サハ164・サロ163)「東海」は、東京~静岡・名古屋地区を結んでいた急行列車です。元々は準急列車であり、その後、戦後初となる長距離用電車80系電車を導入した列車としても有名です。新車として153系も導入され運転本数も増えますが、東海道新幹線開業後にはやはり徐々にその勢力を縮小せざる得ませんですた。それでも新幹線の停車しない中間都市への利便性もあってか、比較的に遅くまで存続しました。昭和52年頃 東京駅にて 隅田川~品川間の荷物列車を牽引しているEF1530と並ぶ急行「東海」です。153系が当たり前の時代であり、165系といえばサロだけが使用されていました。昭和54年3月 東京駅にて 急行「東海」列車番号札が321になっていますが、これは直し忘れですね。朝の5時前半の訳がありません。夕方発の急行「東海」です。153系「東海」も終盤に近づき、サロ以外にも中間車に165系が連結されてくるようになりました。昭和54年頃 東京駅にて サロ163-1 急行「東海」珍形式である163系・・・163系って何?昭和54年3月 東京駅にて サハ164-2急行「東海」に連結された、165系の中でも随一の珍車です。これは別立てでご紹介したいと思います。153系~165系時代に至るまで、途中の国府津までは急行「ごてんば」を併結していました。153系の撤退と共に165系化され、さらに165系が老朽化してくるとこれを淘汰し、特急へと格上げされることになります。
2022.10.19
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453系:急行「もりおか」「もりおか」は、上野~常磐線経由~盛岡を結ぶ急行列車です。東北本線経由では同様に電車急行の「いわて」がありましたが、「もりおか」は「いわて」に比べて常磐線内での停車駅数がかなり多く、夜行列車が設定されていない点でかなり性格が異なるようです。また、車両の受け持ちが勝田電車区となっており、編成も「いわて」とは異なります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて「ときわ」だと思い込んでいたのですが、スキャンした際に列車番号が表示されているのがわかり、ズバリ下り急行「もりおか1号」であることが判明しました。先頭の電動車ユニットは、2両目のM’車の屋根肩ルーバーが小さく、先頭車の雨どいが乗務員ドア上まできていることから、クモハ453+モハ452であることが判ります。この時点では2往復しかなかったと記憶していますので、当たる確率が低い中よく撮ってたなと思います。昭和48年発行、常磐線上り急行「もりおか2号」の急行券・指定席券です。首都圏では比較的珍しいA型券で、閑散期の指定席料金のため地紋がオレンジ色になります。急行料金は200kmまでの200円と、指定席の100円で合計300円となりますが、良く見ますと、号車番号のところの9号車の前に(A)という表示があります。これは、グリーン車を表わす記号であり、等級制からグリーン車と呼び名が変わった後、この頃までは座席指定とグリーン料金(2等乗車券)と言う概念が別であったことから、指定席券以外に「グリーン券」を買って乗車したのです。その後直ぐに「グリーン券」は特急券又は急行券・グリーン券として指定席券と包括されるようになり、「自由席グリーン券」以外は1枚の切符で発売されるようになりました。常磐線から定期の急行列車がなくなって久しいですが、昔は「ひたち」よりも沢山の急行列車が走っていたので、リーズナブルで本数の多い急行列車の利用率は相当高かったものと思われます。
2022.10.14
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EF58・EF64牽引:急行「能登」(旧型客車時代)「能登」は、上野~金沢を結んでいた夜行急行列車です。昭和50年3月ダイヤ改正まで、上野~金沢間に2往復の急行「北陸」が設定されていました。同改正において、寝台専用編成の「北陸2号」が20系化のうえ寝台特急に格上げとなり、特急「北陸」として登場。一方、急行列車のまま存置された「北陸1号」は名称を使えなくなったため、ここで急行「能登」に名前を変え、全く同じ区間、同じような編成で再出発することになります。なお、急行「能登」は東海道本線経由の時代がありましたが、ここでは記述を省略いたします。昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて訳あって非常に写りが悪いのですが、旧型客車時代の急行「能登」で、まだEF58が牽引していた頃です。上野方にスニ41が1両連結されているのが特徴です。急行「能登」が誕生したのは昭和50年3月の改正からとなりますが、早朝の列車のため、殆ど記録が残っていませんでした。当時は夜行急行列車も多数あり、EF58牽引が当たり前でしたから、希少価値は全くありませんでした。昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて上の写真を撮影して間もなく、さらに早朝撮影をした際、やってきた「能登」は新鋭EF641000番台に変わっていました。どうもこの日辺りが初日だったらしく、直ぐに発売された鉄道雑誌でも話題になっていました。A寝台・B寝台・グリーン車を連結しており、グリーン車にはまだ帯が付いているように見えます。昭和57年9月6日 水上駅にて上越新幹線開業に向け夜行列車が廃止になる前にと、水上駅バルブに挑戦したことがありました。急行「能登」もスジそのものが廃止になる予想を裏切り、信越本線経由の急行「越前」を乗っ取るかたちで存続することに違和感を覚えました。事実上は「能登」が廃止になったようなものです。昭和57年11月からは旧型客車が全廃。信越本線経由となった急行「能登」は14系寝台+座席車に変更されましたが、この頃から近所の区間に金網が張り巡らされ、夜行列車など撮る機会を失うことになります。したがって、この間、碓氷峠が廃止となり、電車化されて上越線経由として正調「能登」が復活するも、写真を撮る機会は全くありませんでした。【中古】Nゲージ KATO(カトー) 5139 スニ41 2000 2020年ロット 【A】【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送5228 KATO カトー オハ46 ブルー Nゲージ 鉄道模型(ZN99730)オハ46 ブルー【KATO・5228】「鉄道模型 Nゲージ カトー」5300 KATO カトー オハフ45 ブルー Nゲージ 鉄道模型(ZN99731)オハフ45 ブルー【KATO・5300】「鉄道模型 Nゲージ カトー」
2022.10.03
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453系・455系:急行「ときわ」常磐線の急行と言えば、やはり「ときわ」が代表と言えるでしょうね。特急「ひたち」が季節運転で1往復しか設定されていない時代から、常磐線の昼間の優等列車として活躍してきたわけですから。私の年代で言うと、この他にも「もりおか」「そうま」といった列車も設定されていましたが、特にヘッドマークも付いていた訳ではなし、必然的にカメラを向ける回数は極端に少なかったと思います。それでも、気動車急行以外に撮った写真が2枚ほどありましたので、写真を大~きくしてご紹介したいと思います。昭和56年5月 新松戸駅にて列車番号の札が無くて、列車名が特定できません。急行列車はこれが困るんですよね。特に常磐急行は、殆どの列車が全く同じ編成なんですから。まあ、多分、本数比からして「ときわ」でしょうけどね。2両目のM’車の屋根肩ルーバーが小さく、先頭車の雨どいが乗務員ドア上まできていることから、クモハ453+モハ452であることが判ります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦国鉄に入社した年ですね。同じく仕事の不規則な東武社員の友人と平日でも良く撮影に行ったものです。この頃の常磐線は、583系「ゆうづる」「みちのく」、気動車急行、気動車荷物、EF80客レ・貨物と、まだバラエティーに富んでいて面白みはありましたね。ただ、ロケーションを良く知らない地域だったので、余り足が向かなかったのも否定できません。この写真も遠くて列車番号が判りません。これも多分「ときわ」でしょうけどね。この写真、スキャニングするまで判らなかったのですが、画面左側のカーブ立ち上がりから対向の急行列車が来ているんですよね。逆タイミングで撮っていればすれ違い写真も望めたんでしょうけど。こちらは、最後部クハの形式は判別付きませんが、電動車ユニットはルーバーの形状から455系のようです。常磐線への撮影回数は少なかったですが、時代的にネタが沢山ありましたので薄まってしまっても仕方なかったですね。そんな中でもこうして急行列車の当たり前の時代を撮っておくことが出来て良かったです。欲を言えば、カラー写真が1枚も無かったのは残念です。キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』
2022.09.01
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キハ58系:急行「白馬」快速 大糸線全通65周年号 運転急行「白馬」の歴史は古く、昭和29年にも遡るらしいです。この頃の記録は見つかりませんが、おそらくは蒸気機関車が牽く客車だったのでしょう。その後気動車急行として新宿~糸魚川間を結んでいました。単独時代もあり、その後、急行「アルプス」や「かわぐち」とも併結されていたようです。昭和43年10月の改正で一旦廃止となりますが、昭和46年に金沢~松本間を結ぶ気動車急行として復活(臨時?)。途中、信濃森上止まりなどの変遷がありながらも、昭和57年11月改正で廃止となるまで、大糸線を通しで走る唯一の直通気動車急行として活躍していました。ちなみに、北陸本線内の金沢~糸魚川間は、上下とも急行「しらゆき」に併結されていました。昭和56年7月22日 大糸線内にて キハ58系 急行「白馬」撮影地は記録に残っていないのですが、大糸線最後の旧型国電を撮影に行った際に撮ったものです。なのでもちろん電化区間です。南大町~信濃常盤間?キハ58+キハ28+キハ58の3両編成で、全部の車輌が冷房車の豪華版。中間にキハ28を介することにより、3両分の冷房電源の供給を可能とした合理的な編成です。大糸線内は3両編成ですが、需要を考えれば適当なセンでしょう。北陸本線内は「しらゆき」と併結されるため、12両の堂々たる編成となります。ヘッドマークも無く、サボも撮っていなく、なんらインパクトのないキハ58系の写真ですが、大糸線内であるからこそ、急行「白馬」を主張できる1枚です。旧型国電 クモハ60:大糸線旧型国電 クハ55:大糸線旧型国電 クモハ54005:大糸線
2022.08.20
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EF58牽引 旧型客車:急行「鳥海」上野~秋田間を上越・羽越線経由で結んでいた急行「鳥海」は、荷物車+グリーン車+A寝台+B寝台+自由席普通車で構成された、由緒ある夜行急行スタイルの列車でした。強いて言えば、なぜか普通車指定席は連結されていません。上野~秋田間を結ぶ急行は、この他にも全車寝台急行の「天の川」が設定されており、お互いに補完しあいながら長らく運転されていました。急行「鳥海」は、上野~新津間をEF58、新津~青森間をEF81が牽引し、水上~石打間はEF16がサポートしていました。(時代背景により、羽越本線非電化時代はDD51、晩年の上越国境越えはEF641000番台のサポートなど、牽引機は変化しています。)昭和52年頃 蕨~西川口間にて EF5890牽引 「鳥海」回送東大宮操車場に回送される「鳥海」編成は、そこそこ遅い時間になってから通りましたので、比較的見る機会が多かったように思います。昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて EF58174牽引 急行「鳥海」昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF58134牽引 急行「鳥海」同列車の晩年に近い写真です。グリーン車の帯がまだ残されています。一方、本来茶色のマニ36が連結されている筈が、当時新車のマニ50に変わってしまっています。昭和57年 大宮操車場駅構内から 上り急行「鳥海」右側にスニ40が少しだけ写っています。他の夜行急行列車は、A寝台車が上野寄りに連結されているのに対し、この写真では逆なんですよね。それまでは所定の上野寄りでしたので、最終期頃に連結位置が変わったようです。もう1点、マニ36が張上げ屋根改造車です。この写真を撮った時は、プリントにしなかったため、日常的に「鳥海」に連結されていることに気が付きませんでした。後に注目した車輌なんですが、気が付いた時には荷物輸送すら廃止になってしまいました。その後わかったことですが、マニ362022ではないかと思われます。昭和57年11月14日 大宮駅にて 停車中の急行「鳥海」上り定期の最終日。翌朝到着の臨時列車扱い「鳥海52号」をもって急行時代の幕を下ろしました。急行「鳥海」は、ツララ切り+スノープラウといった雪国装備をまとった高崎第二機関区のEF58が終始担当してしておりました。上越急行には、他にもEF58+雑形客車の組み合わせとして、急行「天の川」「能登」(旧急行「北陸1号」)が走っており、あまり珍しい感じはありませんでしたが、「鳥海」の最大の特徴は、スニ2両(パレット積載型荷物車)+一般荷物車と、計3両の荷物車が連結されていたことでした。ちなみに、スニ2両は、新潟地区への新聞輸送に使われていたものです。昭和57年11月のダイヤ改正(上越新幹線大宮暫定開業)で廃止になってしまった急行「鳥海」ですが、他に生き残った夜行列車たちとは違い、最期まで20系化や12系・14系化されることなく、旧型客車のまま伝統ある夜行急行のスタイルを守りとおした列車でした。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】【2022年8月】 KATO|カトー 【Nゲージ】5300 オハフ45 ブルー【発売日以降のお届け】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5228 オハ46 ブルー
2022.08.15
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キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」「奥久慈」は、上野駅から常磐線・水郡線を経由して常陸大子・郡山方面へ直通した急行列車です。常磐線内は急行「ときわ」と併結になっていたため、急行「ときわ」としても「奥久慈」と手を組むために気動車急行としてながらく存置されました。「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。急行「奥久慈」の運転関係については、マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』でご紹介しておりますので、ご参考を。昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」「奥久慈」時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいたのを今でも覚えています。昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。昭和56年5月頃 新松戸駅にて 「ときわ」「奥久慈」常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいました。スピードを確保するため、加速に有利なキハ58の編成率が高かったのも常磐線の特徴です。昭和56年8月30日 新松戸~北小金間にて 下り「ときわ」「奥久慈」これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にてこの区間は交流区間ですが、DCには関係ありません。この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。ところで・・・このたび、TOMIXからキハ58系「奥久慈」「ときわ」セットが発売予告されました。もうかなり昔からHG仕様として発売されてきた同社のキハ58系ですが、ここに来てコアな車両セットとして発売されることになります。特に、「ときわ」「奥久慈」は常磐線を走る急行列車であるため、常磐無線アンテナを搭載しているのが最大の特徴で、このアンテナを設置するためにクーラーの一部を移設している点で既製品にはない設定となっています。常磐線を再現するモデラーであれば、これは待ちに待ったグレードであると思われます。しかし・・・10両編成ではかなりの高額となりますね。送料無料◆98494 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (奥久慈) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】98494 国鉄 キハ58系急行ディーゼルカー(奥久慈)セット(5両)[TOMIX]【送料無料】《02月予約》送料無料◆98493 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (ときわ) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】98493 国鉄 キハ58系急行ディーゼルカー(ときわ)セット(5両)[TOMIX]【送料無料】《02月予約》送料無料◆セット販売 98493/98494 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (ときわ) セット(5両)+(奥久慈) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】
2022.08.12
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165系:急行「なすの」「なすの」は、上野~宇都宮・黒磯を結ぶ急行列車です。準急時代は157系が使用されましたが、その後急行に格上げ、165系電車が使用されるようになり、本数も増えていきます。急行「なすの」は、その名のとおり上野→黒磯間がメインな訳ですが、宇都宮行きや、黒磯行きでも宇都宮~黒磯間が普通列車になるものもありました。さらに、455系を使用した「なすの」が上りの1本のみ設定されており、白河発の急行と黒磯発の普通列車が別々に本線を走り、宇都宮で併結されて上野を目指すという大変珍しい形態の運用でした。また、変わったところでは、昭和53年10月の改正くらいまでだったと思いますが、115系を使用した「なすの」「日光」もありました。宇都宮にEF57の写真を撮りに行ったとき、偶然に乗り合わせたことがあり、ガッカリした記憶があります。昭和52年頃 宇都宮駅にて M7513 急行「なすの3号」集約臨の155系と並ぶ急行「なすの3号」。背景には建設中の東北新幹線高架橋脚が写っています。昭和58年10月5日 黒磯駅にて165系を使用した「なすの」で、黒磯駅では2番線又は3番線で折り返しとなります。165系の場合、基本はグリーン車を1両含む7両編成で、運用によって途中宇都宮で増結したり、急行「日光」(7両編成)や「わたらせ」(3両編成)を併結した、10連か14連の編成で運転されていました。私が写真を撮り始めてからはヘッドマークは既に無く、「日光」とも「あかぎ」とも「ゆけむり」とも「草津」とも全く区別の付かない急行列車で、趣味的には非常に面白くありませんでしたので、写真も僅かしか撮っていません。昭和60年3月のダイヤ改正において、急行「なすの」は新特急へと移行され、発展的解消を遂げています。
2022.08.08
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EF62牽引12系・14系:臨時急行「軽井沢」「軽井沢」は、上野~中軽井沢(軽井沢)間を結ぶ急行列車。軽井沢方面へは特急「あさま」が多数運転されており、急行列車でも「信州」や「妙高」があるため、短距離となる軽井沢方面から定期列車は存在しませんでした。しかし、高級リゾートとして有名になった軽井沢には季節的な多客期があるため、これを捌くために特急「そよかぜ」や急行「軽井沢」が設定されていました。シーズンを外れると需要が減るため、いずれも季節列車として設定されており、さらに多客のシーズンには臨時列車で対応していました。ちなみに、季節列車としての急行「軽井沢」は、碓氷峠を通過することが前提の列車であるにもかかわらず、新前橋区の165系7連が充当されており、上野~高崎間は急行「ゆけむり」と併結になっています。昭和52年頃 上野駅にて EF6229牽引 9613レ 急行「軽井沢53号」2枚とも同じときに撮った写真と思われます。上野駅5番線に停車中のEF6229牽引、14系客車を連ねた臨時列車です。ホームにいる乗客はかなり軽装ですので夏休みっぽいですね。しかも、陽がかなり高いようですので、お昼くらいでしょうか?当時の時刻表を見ると、上野駅13:53発、9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。発車番線も5番線で、時期的にも時間的にもちょうど一致している感じですね。昭和53年8月 上野駅にて EF622 9616レ 上り急行「軽井沢53号」夜間の上野駅にブルトレを撮影に行ったときのものです。EF622牽引で到着した14系使用の臨時列車です。列車名は全く覚えていませんでしたが、当時の時刻表を見てみますと、上野着20:12に上り急行「軽井沢53号」がありました。時刻表と同じ5番線着となっており、6番線に停車中の115系が20:15発新前橋行き897Mと全て状況が一致します。テールランプを点けて推進回送の準備が整っています。現在ではまず見ることの出来ない光景ですが、この時代では何ら珍しくも無い、当たり前の上野駅の光景でした。昭和55年頃 上野駅にて昭和55年頃、やはりEF6237が牽引する14系客車の臨時列車です。上野駅17番線で、隣の18番線は既に新幹線工事のため塞がれています。この写真は非常に推測がしづらいのですが、まだ午前中っぽい感じがします。季節感もちょっと掴めません。昭和56年2月号の時刻表を見ると、上の写真と同じ9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。ただし、上野駅10:56発と大幅に時間が繰り上がっています。ただ、時刻表によると17番線発と言うのがピタリと一致していますので、もうこれは間違いないと言って良いでしょう。いずれも14系は全車指定で、客車であるためか中軽井沢までは行かず、軽井沢止まりとなっています。昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて EF628牽引 急行「軽井沢52号」急行「越前」が廃止となり、これを受け継いだ信越本線経由の「能登」が唯一のEF62牽引定期列車でした。昼間の定期列車としてはEF62というのは全く無くなっていましたので、撮影可能帯を走るEF62の牽引列車は大変希少でした。「軽井沢」の臨時列車はシーズンになると多数の設定がありましたが、殆どは新前橋区の165系・169系が使用されており、客車列車の設定は少数でした。14系客車が12系に変化していますが、各地の夜行急行に14系が多数使用されるようになり、臨時列車にまで14系が回らなくなってしまったかもしれません。
2022.07.31
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