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「やまももに木」のシンボルツリーですロームイルミネーションは京都市最大のイルミネーションです京都に本社がある電子部品集積回路、トランジスタやダイオード、LED、抵抗器などを扱う企業ローム株式会社がおこなっています。本社がある近隣の道路、公園で毎年イルミネーションが楽しめます公園内では子たちが楽しめるカプセル光と音楽のイルミです。僕も頸にキラキライルミやってるよ!12月25日まで行われたロームイルミネーションでした。今年最後の記事になりました。一年間、ご訪問いただき有難うございました。どなたさまもお元気でくる年をお迎えください。一夜飾りにならないように、新年を迎える準備を・・・。大晦日は「をけら参り」で八坂神社も遅くまで賑わうことでしょう。では また来年に・・・。
2019.12.30
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小河内山荘から坂を下り眼下にトロッコ嵐山の駅ライトアップが綺麗でした。小倉池に出ます。御髪神社の境内に友禅柄の大型行燈が並んでいます御髪神社日本で唯一髪の神社です皇居の宝物守護を担っていた北小路左衛尉藤原基春卿が紛失した宝刀「九王丸」の探索の間生活の糧を得るために三男 采女亮政之が庄屋の婦女の髪を結って生活の糧にした。髪結い職の起源と言われているそうです常寂光寺巨大行灯などがならぶ落柿舎前の畑ですこのあたりでUターンして元来た道を戻ります。嵐山のライトアップですが今年は色が綺麗ではありません。過去は赤や青などカラフルでした。経費節減でしょうか・・・。嵐山花灯路を終わります。
2019.12.28
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嵐山一帯を灯りが埋め12月13日~22日竹林も呼応するかのように輝いたイベント「花灯路」が行われました。平安遷都後、伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が伊勢へ向かう前の一年間をここにこもり精進をする習わしがあった「野宮神社」(ののみやじんじゃ)主祭神は野宮大神(天照大神)竹林の中にひっそりと佇む野宮神社も今はパワースポット!縁結び:野宮大黒天子宝安産・商売繁盛:白福稲荷大明神交通安全・財運祈願:大山弁財天鎮火勝運:火伏せの神愛宕大明神ご利益を求めて大勢の参拝者で賑わっています。竹林の小径は続きます大河内山荘へ続く竹林の小径大勢の方です。大大河内山荘までやってきました。小倉池の方向へ向かいます。
2019.12.26
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京都・水族館で年に何度か「夜のしぞくかん」のイベントを開催イルカパフォーマンス「ラ・ラ・フィンサーカス」を楽しんできました背泳やジャンプを見せてくれます。大水槽の中のお魚のお食事です。エイもお口開けてパクッ面白いですが写真は難しい。(苦笑)お食事時間が待ち遠しいアザラシ君何もしないのに浮いています。お腹もいっぱい! しっかり寝てます。ペンギンさんもお休みタイムです。仲良く!暗いのでランタンが借りられます。イルカパフォーマンス「ラ・ラ・フィンサーカス」始まり~クリスマスバージョンです。プレゼントの抽選です。某大学の交響楽団の演奏に合わせてイルカのコーラスです。下記をクリックしてイルカさんのコーラスを聴いてね。イルカが歌う クリスマスソング「夜のすいぞくかん・クリスマス企画」座った位置も悪かったようで座った位置も悪かったようで逆光になってしぶきが・・・しぶきを見てイルカをご想像ください。(シュン)京都駅の大階段のイルミネーションでお口直しを・・・。今宵、楽しくお過ごしください。
2019.12.24
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京の紅葉たけなわの26日赤山禅院をスタートして曼殊院、圓光寺へサンシュウの実がたわわに途中の紅葉を楽しみながら曼殊院に到着天台宗の門跡寺院ご本尊は阿弥陀如来です。青蓮院、三千院、妙法院、羅沙門堂門跡とともに天台宗五門跡の一つです過去、ツツジが咲くころに伺ったことがありますが屋根などの修復中で足場の間から拝見しました今回は工事も終わり明るい日差しを受けた庭園が拝見できました後ろは仏様です。「仏さんにおいどむけたらあかんやん」おいど・・・とは京都弁でお尻です。きちんと先にお願いして謝っています~。曼殊院を辞して外へ中央の勅使門を挟んで門前の紅葉勅使門曼殊院天満宮辨天堂とともに曼殊院の鎮守堂です。辨天堂は比叡山無動弁財天の前立てで比叡山までの体力がない人は曼殊院前の辨天堂を拝して帰宅したといわれているそうです。我々も比叡山まで行かず弁天堂を参拝ここの境内でお弁当を食べて元気を出して先へ進みました。☆圓光寺(えんこうじ)へ到着臨済宗南禅寺派ご本尊は千手観世音菩薩(座像)徳川家康の命により国内の教学を図るため1601年伏見に建立された。その後、相国寺内に移り、1667年、現在の地に移されたそうです。入学は僧俗を問わず許されたそうで、多くの書物を刊行し出版に使用した木活字が現存しています。山門をくぐり石段を上がると真っ赤なモミジが目に飛び込んできますその下は白砂で作られた現代の枯山水と言われる奔龍庭(ほんりゅうてい)渦巻く白砂は雲海、そそり立つは稲妻石組は天空を駆け抜ける龍に見立ててあるそうです。紅葉で染まった庭園は十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材に作庭さているそうです洛北で最古の池と言われる栖龍池(せいりゅうち)奥の坂を上がり展望ができる場所へ寺院が高台にありますので京の街が一望できました。手前の屋根が圓光寺です。約西南西の方向をとらえましたので遠くは嵯峨野辺りになると思います。行く秋を思うのか・・・それとも憂いているのか、地蔵尊今年の京の秋を終わります。・・・・・・前回、右京区と表示しましたが洛北の表示間違いを訂正しました。
2019.12.22
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一泊旅行から戻った翌日(26日)散策グループで赤山禅院・曼殊院・圓光寺の紅葉を訪ねました。比叡山延暦寺の塔頭鬼門除けの猿と七福神の赤山禅院から赤山禅院は神仏混合です。最初に鳥居をくぐり次は山門です。山門の紅葉が迎えてくれます。京都御所の猿が辻の猿と相対して都に邪気が入らぬように鬼門を護っているそうです。猿は修復中かな?(右上の写真の猿が載っています)本殿地蔵堂十六羅漢と三十三観音弁財天堂七福神が勢揃い・・・ご利益も…鳥居の狛犬がカラフル相生社、歓喜天、金神社このほかにもお社が並んでいます。散り紅葉で彩られた下りの石段雲母不動堂(きららふどうどう)「五十払い」の由来は赤山禅院の五日講と言われています。「申の日」の五日に赤山禅院に詣でると吉運に恵まれる。掛け寄せ(掛け取り=集金)の神様と評判が経ち「五日払い」になったそうです。次の紅葉の場所を目指します。・・・・・・鬼門東北が表鬼門、西南が裏鬼門です。
2019.12.20
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山代温泉の湯で若々しく美しくなったご一行を乗せてバスはお土産屋さんに直行お土産屋さんの二階は折り紙作品の展示場花や動物などが展示されていました。(動物はガラスケースの中、撮りにくいので中止)雨で下車が心配されましたが雨も止み下から拝見しました。門番!?(^▽^)丸岡城(国宝・霞ヶ城)は1576年に柴田勝家の甥・柴田勝豊により築城現在は全山を公園地にして一般公開されています。桜の時期にはライトアップされるそうです。皆様がお待ちかねだろう~酒蔵(久保田酒造)見学試飲が楽しみです。ユニークな社長さんの説明で工場内を見学お顔は下記の絵からご想像ください。こじんまりした酒造元ですが手作り感がする蔵元でした。日本酒で作った梅酒がありました。まろやかな味でした。(日本酒は最高22度です)バスが待っていたところの寺院の山門山門の上が鐘楼最後の見学場所は人道の港、敦賀ムゼウム1920年にシベリアで救出されたポーランド孤児や1940年にはナチスドイツから逃れてきたユダヤ人難民がリトアニア・カウナスの領事代理杉原千畝(すぎはら ちうね)氏が発給した”命のビザ”を握りしめて敦賀港に上陸したことに関連した展示館です。杉原千畝氏とは・・第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた際、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州から逃れてきた難民の窮状に同情して1940年7月~8月にかけて外務省の訓令に反して大量のビザを発給して難民を救ったことが知られています。紅葉と盛りだくさんの見学ができた北陸一泊旅行でした。友の会さんへ有難うございました。ーおわりー
2019.12.18
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手すき和紙の体験や那谷(なた)寺で紅葉を楽しんで今宵のお宿がある山代温泉に到着お出迎えはクリスマスリースホテルへ到着後も散策へ道後温泉の坊ちゃん湯を連想させるゆのくに天祥廬山人寓居(ろさんじんぐうきょ)跡いろは草庵も横目に服部神社を迂回するように坂道を上がります。(神社を抜けても行けます)日本海や名山白山が見える!とリーダーに案内されてひたすら歩く。。。。。目指すところはサザエの展望台!?「萬松園さざえ堂」萬松園、俗称:薬師山温泉浴客の散歩を考えて 東野善五郎が萬松園の開拓に着手、村民の協力により明治31年に完成名山白山を遠望することができる限界まで望遠にして・・・見えた! 名山白山!!日本海が見えるとは記されていませんが日本海も見えるはず・・・との説明写真には取れませんでしたが樹々の間から日本海らしいものがわずかに・・・。紅葉は楽しめましたぁ~ホテルに戻ってきました。温泉を楽しんで、宴会場へ・・・食後はエントラスで和太鼓「加賀一向一揆太鼓」カラオケへ行く人、部屋でゆっくりする人、再度入浴する人、宴会でしっかり食べたのにラーメンを食べに行った方も・・・別腹!?(^▽^)ー11月24日を無事に終えて 就寝 ー翌日は蔵元の見学~。
2019.12.16
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石川県小松市にある那谷寺(なたでら)山号:自主山白山信仰が残る貴重な寺院で紅葉でも有名です。(高野山真言宗別格本山)開創は養老元年(717年)泰澄大師が巨岩が多く残る土地にお堂を建立し十一面千手観世音菩薩を安置したのが始まりで巌屋寺と言われていたそうですが後に花山法皇が御幸された際、洞窟の本尊を拝しされ「那谷寺」と名を改めたそうです。車椅子の方を見かけましたが本殿まで上がれるのか・・・。確認していません。奇岩遊仙境「顔のように見える!」と話している声が聞こえてきました。角度によっては笑っているようにも悲しそうにも見える不思議な岩です。洞窟の一つ一つに観世音菩薩が祀られています。唐門(重要文化財・国)本堂:大悲閣(重要文化財・国)へ上がってきました。ご本尊の十一面千手観世音菩薩が祀られています。本殿前の拝殿が見えています。胎内めぐりができます。(時間がなくやっていません)三重塔(国・重要文化財)大日如来を安置されています。楓月橋(ふうげつきょう)展望台(鎮守堂)へ続いています展望台(鎮守堂)の最後の石段です。下りながらの眺めも楽しめます。展望台(鎮守堂)金堂華王殿南北朝の戦火で焼失平成2年に再建されました。京仏師・松久宗琳師作の十一面千手観世音菩薩が祀られていますお掃除地蔵あいこちで見かけましたがここのは・・・サングラス!?誰がかけたのでしょうねぇ。見所が多い那谷寺でした。この後はホテルへ直行!夕食前に一か所散策です。・・・・・・那谷寺西国三十三観音の一番「那智」と三十三番の「谷汲」の山号から一字ずつをとり「那谷寺」に改名されたそうです。本堂、拝殿、唐門が重要文化財。
2019.12.14
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京都を出発名神/北陸道、高速道路を使って一路、北陸へ11月24日~25日、一泊旅行ちらッと見えた日本海途中はトイレ休憩のみ、ひたすら走って越前和紙の里和紙つくりがこの地で行われたのは適した木が多かったことだそうです。普通の和紙は500~600年で文字が消えてしまうそうですが越前和紙は1000年、保存が可能だそうです。手すき和紙の体験!はがきサイズ、色紙サイズを選んで和紙つくりに挑戦です。アレンジが終わったら・・絞り機へ乾燥させて後でバスへ届けられます。ダルマも飾りも和紙で作られています。このような風景を見ると北陸へ来たなぁと思います。再びバスに乗って昼食の場へ加賀駅の近くに立つ78mの観音像(走行中の車窓より)以前は宗教テーマーパーク「ユートピア加賀の郷」温泉やホテルなど施設があったが現在はすべて解体されたそうです。この近くで昼食でした。昼食後は那谷寺(なたでら)へ
2019.12.12
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山伏さんが火をつけるのではなく神前のローソクから移された種火で火床の中に組まれた護摩木に火がつけられました参拝者も護摩木を渡されて投げ入れます。水を注いで火力を弱めて物見高い見物人は少なく地元の参拝者が多い中でおこなわれ炊き上げられる皆さんの願いをともに見守る温かい雰囲気が素敵なお火焚祭でした。護摩木の炎がおさまったころみかんを火床へ暖を取りながらみかんが焼けるのを待ちます。焼きみかんをいただいて帰りました。煙の味がしました。湯立神事でしぶきを浴びて災禍除けに無病息災、お火焚きの焼きみかんをいただいて風邪をひかないで済むかも・・・。
2019.12.10
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京都の11月は神社寺院では一年間の護摩木を焚き上げる火焚祭(ひたきまつり)がおこなわれます。新日吉神宮(いまひえじんぐう)へ江戸時代からこの地にあったと言われる幹の周囲4m以上の「スタジイ」ブナ科シイ属京都市指定の保存樹です。本殿への石段を上がると二体の猿・・・狛猿です。御幣と鈴を持っている「神猿」です。災禍、病気、災厄が去ることに掛けているのでしょうね。神前のロウソクの灯から移された火は再度ロウソクに移しお火焚祭が始まったら火床に移されます。神社や寺院によっていろいろ作法が違うようです。神事はこのもと社でおこなわれるこのもと祭です。本殿の横にあるお社の前です。樹下・このもと。木下藤吉郎秀吉を重ねて幕府の目をくぐってきたようです。このもと祭が終わり湯立ち神事です。最初の湯は神前へお供えされます逆光で虹が見られるかなと思って位置を考えましたが・・・風も手伝って熱いしぶきが豪快に飛んできました。しぶきをかぶることで災禍除けなどできるようですが・・・熱かった!湯立ち神事がおわり皆さんは火床のほうへ移動火焚祭(ひたきまつり)は最後に火床で焼いた焼きみかんがふるまわれます。風邪薬です。・・・・・・・新日吉神宮は後白河上皇の御所・法住寺殿の鎮守社として現在の地の南に創建されたそうですが応仁の乱などの戦乱で廃絶状態他所へ再建、参道にあったので現在の地へ移されたようです。後に御白河天皇も祀ることで神社名も新日吉神社から新日吉神宮へ神社名を昭和34年に改められたそうです。
2019.12.08
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累々と並ぶ羅漢さんここは愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)その数に圧倒されてみていました。寺院には不似合いな!?秋をテーマにした歌が流れてきました。声楽家田中文子さんがピアニスト武藤美幸さんの演奏で献歌されました。ライブは約1時間半記憶が定かでありませんが10曲以上歌われたと思います。驚きましたが毎年だそうです。気温が下がり雨も降ってきて周りは傘をさしたり、上着を着こんだりここは辛抱・・・やっと山伏のほら貝の音が聞こえきました。本堂へ向かわれて・・・祈祷です。祈祷が終わって・・・天狗へ変身!舞台裏が見えるのご愛敬です。天狗さんのご登場!木を打つひょうきんな身振りですが待っている間にカメラが冷えたのか?待ちくたびれてカメラがなまけているのか?焦点が合わずピンボケが続きました。本堂まで魔除けの矢を放たれて本堂を一周されます。一周回ったところで天狗さんは山へ帰られたようです。(^▽^)見学者はなぜか、外国の方が多かったようです。平野屋さんまで戻ってきて甘酒をいただきやっと身体が温まりました。混ぜるのは横に置かれた枝を使います。元気が出たところで化野(あだしの)念仏寺へ千燈供養はこの位置から見ていました昼間見るとイメージが違いますね。帰りの道で見かけた狸さん村の祭りを見るような雰囲気の天狗さんの宴と狸さんも愛嬌があった化野散策でした。
2019.12.06
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夕霧太夫の法要「夕霧祭」で太夫道中も拝見した後、清凉寺を後にしてあだし野の町並みにそって歩き別名:千二百羅漢の寺「愛宕(おたぎ)念仏寺」へ愛宕念仏寺(おたぎ ねんぶつじ)は嵯峨野の愛宕山参道の山麓の入り口にありますのでJR嵯峨嵐山駅から約2.2キロほどの所にあだし野念仏寺があり化野念仏寺ここから山に向かっててくてくと11月10日ですから紅葉には少し早いようでした。25日頃は美しいだろうと思います。鮎の宿つたや平野屋約600m行ったところに愛宕念仏寺天台宗の寺院、ご本尊は千手観音京都・東山の六波羅蜜寺の近くに真言宗東寺派の末寺、「愛宕寺」として創建されようですが鴨川の洪水で建物が流され復興されたが廃寺のようになり天台宗の僧、千観が念仏を唱えていたことで愛宕念仏寺と改め天台宗に属したようです。その後も荒廃を繰り返し、1922年に現在の地へしかし、復興を目指すが失敗、1955年に西村公朝が住職を命じられたがあまりの荒れように引き受けるのをためらったそうです。清水寺の貫主・大西良慶の「草一本むしっても石一つ動かしても復興者と言ってもらえる。」自分も手伝うからと激励され復興に取り掛かったそうです。鷹巣桜石段をジグザグに上がって本堂前に到着参拝者が掘って奉納する「昭和の羅漢彫り」が1981年から始まったそうです。目標の500羅漢が10年後には1200体に達したそうです。本堂です。ここで行われるのが「天狗の宴」さて、天狗とは・・・。修験者のほら貝の音が聞こえてきました。
2019.12.04
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姿も美しく、芸に秀でた夕霧太夫の供養と太夫の舞の奉納「夕霧祭」が11月の第二日曜日に清凉寺(嵯峨釈迦堂)でおこなわれました。午後から予定している別の祭事の前に快晴につられて拝見にゆきました。庫裏を出て本堂へ向かわれる薄雲太夫(本堂での供養や舞は写真禁止)法要と舞を披露されて太夫道中へ「薄雲太夫」と思います。この後、太夫は嵯峨野の秋祭りに参加されるそうです。夕霧太夫は嵯峨野あたりの出生らしいのですが詳細はわかっていません。島原の置屋「扇屋」の太夫となり「扇屋」が大阪に移転したのに伴い大阪へ移転後6年で病死お墓は大阪の浄国寺にあるそうです。大阪でも多くの方がその死を惜しまれたそうです。
2019.12.02
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