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山鉾が並ぶ四条通りは夕刻6時から歩行者天国です。一斉に車道へ人が雪崩込み嬉しそうです。西行、東行き一方通行で車並みです。南北の通りは「人」が進入禁止の道もあり目的の山鉾へは遠回りして行かねばなりません。「長刀鉾」長刀鉾から西方向をなめると中央に見えるのが函谷鉾、左端が月鉾「月鉾」鉾頭は新月型(みかづき)天王台に月読尊が祀られています。ご利益は厄除け「菊水鉾」蝶名にあった「菊水井」にちなんで名づけられたそうです。魏(ぎ)の文帝の勅使が薬水を求めて山に入った時に出会ったという菊の露を飲んで700年生き続けた少年枕慈童を表しているそうです。ご利益は不老長寿、商売繁盛鉾頭は透かし彫りの菊の花ですが天王台に菊が飾られています。「伯牙山」の御幣です琴の名人伯牙が自分の琴を理解してくれた鐘子期(しょうしき)の死を聞いて琴の弦を断ったという故事を題材にした山です。伯牙山の粽(ちまき)粽は各山鉾で絵柄が違います「放下鉾」榊の形に特徴があります。榊を真木まで三人係りで運ばれました。ご利益は厄除け放下鉾も女性は鉾に搭乗できません。二階の展示まで新町通りの人の流れです。鉾の天井を飾っていた最初の物真木は中央を通っていませんセンターより前側です。鉾頭です。過去はお稚児さんが乗り稚児舞を披露していた鉾です。その時の冠です。現在は三光丸と命名された稚児と等身大の操り人形が舞います。前祭の最後尾を行く「船鉾」くじとらずの鉾です。くじとらずの鉾は長刀鉾など九基あり順番が決まっています。他の鉾は7月2日にくじ引きで順番が決まります。日本書紀の神功皇后の出陣が題材夫:仲哀天皇亡き後、新たに神託を受け身重の体で軍を整え朝鮮半島の新羅(しらぎ/しんら)の国へ出陣し、新羅や百済を降伏させた。ご利益は安産宵山の様子はテレビで放映されたと思いますので部分的にアップします。宵山の様子を続けます。
2019.07.30
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ヒオウギは宮中で使われていた扇に似た形からその名がつけられていたといわれています。平安時代の書物「古語拾遺」の中で大地主神が厄除けとして用いたことから退魔の力があると考えられて疫病退散の祇園祭と結びつき祭りの期間中はヒオウギを飾る習慣が現在まで続いています。祇園祭を祝って7月15日に京都の伝統芸能も奉納されました。今様歌舞楽・詩吟・剣舞・日舞・筝曲など今様歌舞楽吟詠をはさみ剣舞八坂神社の祇園祭の一カ月間にはこのような行事も含まれます。写真は演目の一部です。この後、14日から始まった宵山へ。。。
2019.07.28
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長刀鉾のお稚児さんは山鉾巡行の際しめ縄を切って巡行の先頭を行きます道中、太平の舞を舞いながら疫病退散をおこないます。八坂神社へ参拝して「お位もらい」と言われる儀式が行われます。五位の少将、十万石の大名と同じ位を授けられます。禿のお二人です「お位もらい」が終わると神の使いとなり公の場では地に足をつけることが許されません。剛力さんに抱えられて戻ります。また、女人禁制の習わしに従って身の回りの世話は男性がおこないます。浴衣姿の方が剛力さんです。八坂神社の楼門にも大勢の方が到着を待っておられます。西行は交通規制がかかっていませんがバスや車が渋滞、京阪バスや市バスがばっちり写りこみました。(^▽^)京都・南座まで追いかけましたが烏丸四条駅に戻ります。午後から絵画クラブがあり長居できず剛力さんに抱えられて戻る様子は見られませんでした.その様子はこのような・・・八坂神社の御旅所17日に八坂神社から御神輿が渡御してきます。長刀鉾の「お位もらい」の後午後から「久世駒形稚児社参」がおこなわれますが記載したように絵画クラブがあり拝見できませんでした。久世稚児は24日の後祭の巡行が終わった後御神輿が八坂神社へ戻る還幸祭の折供奉をします。
2019.07.26
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祇園祭は八坂神社の祭りです。八坂神社の御神輿は三基中御座、東御座、西御座です。山鉾の巡行が終わった夕刻に三基の御神輿が御旅所へ渡御します。渡御に先立ち御神輿を鴨川の水で清めるのが神輿洗式です。神輿洗式を執り行う方たちです四若・・・東御座を担ぐ方たちです。神輿洗いに行くのは中御座で素戔嗚尊の分霊が載りますが妃神の分霊が載る東御座の皆さんが担当するのもほほえましい。「東」の文字が見えます。なにか歴史があるのでしょうね。神輿洗いに出かける中御座です飾りつけはおこなわれていません神輿洗式は一基で行われます。東御座、西御座を拝殿に大松明が本殿に据えられて大松明だけで四条大橋までの道を清めに行きます30分ほどで大松明が戻ってきました。戻ってきてから他の松明に火を移し西門の外に待機していた中御座を先導して四条大橋まで行きます。楼門から眺めてみました。御神輿が戻ってくるのをお迎え提灯のメンバーが迎えます。御神輿の飾り付けをされます。中御座は素戔嗚尊(スサノオ)東御座は妃神櫛名田比売(クシナダヒメ)西御座は八柱御子神以上の三基です。・・・・・・夜間はブレが多くなり見苦しい写真になってしまいました。
2019.07.24
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放下鉾の鉾建ては11日の予定でしたが雨で遅れていたようです。12日に鉾を立ちあげる様子が見られました。その様子をご覧ください櫓を立った状態で作業されています。真木を建てるのですが・・・。櫓を横にするために回転軸になります。ジャッキが両サイドにあります。倒すのは先導する棟梁の掛け声で倒すのは先導する棟梁に掛け声で一方のワイヤーを引き、一方を緩めて手前に回転させてきます.掛け声は『よ~い よい』 呼応して『よ~い よい』梃子(てこ)が上がってきましたもうちょい!微調整です。鉾が横になった状態です。真木をはめ込みます。重たい真木を担いで真木の根元が櫓の横木に通り閂(かんぬき)を通して縄をかけます鉾頭や飾り付けなどされます。横になった櫓を再度引いて立てます。「よ~い よい」「よ~い よい」の掛け声に合わせて上がって行きます。位置を微調整して無事に立ち上がりました。放下鉾は24.6m、ちなみに月鉾26.8m、菊水鉾25m、長刀鉾は21.8m放下鉾は三番目です。屋根を取り付け胴をを飾ります。飾り付けられた放下放は巡行時の様子でご覧ください。
2019.07.22
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7月10日は祇園祭のための行事が重なっている日です。「鉾建て」が始まりお迎え提灯、神輿洗式が行われます。神輿洗式の神輿を迎えるためお迎え提灯が八坂神社から出ます。17日の山鉾巡行の後、八坂神社から三基のお神輿が御旅所へ向かう「神輿渡御」が行われます。渡御に先立ち神輿を四条大橋まで担ぎ、鴨川の水で清める神輿洗式が行われます。神輿洗い式を終えた神輿を迎えるのが「お迎え提灯」です。今年のお囃子を担当されたのは北観音山の皆さんでした。小町踊りや鷺踊りなど舞踊を子どもたちが本能寺(市役所南側)で奉納されます。踊りは2016年に写した写真です赤熊(しゃぐま)鷺踊りの子どもさん方踊りは2016年に写した写真です馬長稚児(うまおさちご)堂々とした馬上姿です。付き添いのお母様に聞くと練習なしの本番だそうです。上手く乗りこなしていました。お迎え提灯は夕刻に八坂神社を出て四条界隈を練り歩き神社へ戻ってきます。出発前の神社境内の様子です。次代を担う子どもさん方が主役のようです。お迎え提灯は八坂神社境内で集合されますが神事らしいものはなく神社の北側の道から四条通りへ出てゆかれました。この後の神輿洗式を見たいのでお迎え提灯の踊りを披露される本能寺(市役所南側)へ行っていません。
2019.07.20
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「鉾建て」函谷鉾(かんこほこ)です。京都・地下鉄烏丸線 烏丸四条駅を地上に出れば目にはいります10日から鉾建てをされていたので12日の朝は飾り付けが始まっていました。長刀鉾です。上部の縄かけが終わり、足場を下の段へ足場を止めるのも藁縄のみです。締めた縄の間を通すため糸通しのような優れものです。真木の作業は保存会の中でされていました。20mの長さの真木を置ける奥行きです。間口は狭く奥に長い京都の家の特徴です。に長刀鉾の真木を下から順に見上げると大丸百貨店も祇園祭の装いです。京の人は「大丸さん」と言います京都伏見で創業した呉服店大文字屋が前身後、大丸呉服店とし、昭和初期に会社組織の大丸として企業を進めてこられたようです。昔はこのような「のれん」を掛けて商いをされていたのでしょうね。この時期、四条界隈を中心に祇園祭一色です。今回の某メンバーの散策目的は「放下鉾(ほうかほこ)」の鉾建てです。追ってお送りします。昨日、前祭の山鉾巡行は終わりましたが順次投稿しますのでよろしくお付き合いください。
2019.07.18
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長刀鉾祇園祭の山鉾の「鉾建て」は7月10日、11日から始められて12日の午後3時(予定)頃から引き初めです。今年は11日が雨のため鉾建てができなかったところが多く進行がばらついたようです。長刀鉾、函谷鉾(かんこほこ)、鶏鉾、月鉾、四条通りを隔てて菊水鉾が四条烏丸の近くにあります。鶏鉾の鉾建てから順にまわってみます。釘は使わず縄を巻いて止める他国では見られない職人技でしょう。一か所を二人で縄を巻いて締めます。木槌は縄を機材に沿わして締めるために使われます。鉾の中央に建つ真木です。編むように巻いて行かれます月鉾女性に一番人気の鉾です鉾の見学に女性も上れます。真木(中央の柱)の高さは一番高いようです。各山鉾は保存会の前に建てます。ほとんどの鉾の出入りが二階から桟橋を架けて行われます。機材はどこに使うか東西南北などがどこに使うかを書かれていますが月鉾は昔の表記方法でした。建て方はこのような表記方法も覚えなければならないのですね。ちなみに「未申」とは南西の角です。鉾は横になった状態ですこの後、真木を差し込んでクリンチで巻き上げて立てます。立ち上げて後、車を付けます。日和神楽は16日の日没後にお囃子を持っている山や鉾が巡行の無事を祈願して鐘や太鼓で囃子ながら御旅所へ参拝されます。その際に使われるものです。横に腰かけて絵を描いておられました。この後、函谷鉾、長刀鉾へ続けます。写真は10日と12日に撮って編集しています鉾のを立ち上げる様子は放下鉾でご紹介したいと思います。!
2019.07.16
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アジサイ苑の中で遊びます~。善峯寺は西国三十三所第二十番札所京都洛西観音霊場第一番札所京都市西京区大原野の山中の標高約300mの中腹にある寺院です幸福地蔵堂から眺めていましたがアジサイ苑の中へ下りてアジサイ苑の中を楽しみます。紅葉の名所として名を知られていますが秋口はシュウメイ菊が境内を彩ります。でもこの時期はアジサイです。似たような写真が多いですがごめんなさい。奥の院へ坂道を頑張ります~。
2019.07.14
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綾傘鉾祇園祭の神事の主なものは長刀鉾のお稚児さんが7月1日に八坂神社へ社参されて始まり5日の稚児舞(太平の舞)の披露7日には綾傘鉾のお稚児さんが社参されました。本殿での人事が終わりお千度へすべてぶっつけ本番なので整列するのも一苦労無事に17日の巡行ができますように…。綾傘鉾は山鉾の原形とも言われています。珍しい棒振り囃子が付いています。囃されて移動する御霊の動座のようだということです。
2019.07.12
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善峯寺の開祖は1029年、源算上人による自作の千手観音を本尊を奉安され47歳で善峯寺に入られた。寺号にも歴史が・・・、5年後に御一条天皇より勅願所と定められ「良峯寺」と寺号が下賜された。創建から13年後、御朱雀天皇に命により仁弘法師作、千手観音をここへ遷し本尊として、先の観音像を脇本尊とされた。創建から163年後に後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜されて現在の寺号となっているようです。善峯寺は標高:約300mの処にあり下から吹き上げる風は爽やかでとても気持ちよく、開山堂で一休みしたら動くのが嫌になるくらいです。開山堂の正面に幸福地蔵をお祀りしてあるお堂自分のことを祈願しないで「自分以外の幸せをお願いするように」と書かれています。お堂からアジサイ苑が一望できますお堂は清水の舞台のと同じような「懸け造り」です。もう少しアジサイの中で遊びます。(^▽^)・・・・・・善峯寺は西国三十三所第二十番札所京都洛西観音霊場第一番札所です。
2019.07.10
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祇園祭の祭事・稚児舞「太平の舞」が7月5日、披露されました。17日の巡行の際は長刀鉾に乗りしめ縄を切って巡行する大役を担います。巡行中は「太平の舞」を舞い道中を清め、疫病の退散を祈ります。鼓(つづみ)を叩くバチを両手に持って交差させ、鉾から大きく身を乗り出して優雅に旋回させて胸に抱いた鼓を叩きます。舞い方は左右交互です。身を乗り出すため稚児係が後ろからしっかりとお稚児さんの足と身体を支えています。稚児舞の披露は保存会の前の歩道から見上げることができます。今日は先日の社参の時とは違い一点を見つめ落ち着いて堂々とした太平の舞で今年のお稚児さんも立派に大役を果たされることでしょうね。過去、お父様もお稚児さんを務められたということで稽古は厳しかったようなお話でした。
2019.07.08
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アジサイでも有名な善峯寺(よしみねでら)へ紅葉は特に有名で大勢来られます。山の中腹にあります。バス停は標高250mの地点です。この後、黙々と坂道(400m)を上ります冬場は凍てつく坂道を下りるのは怖いだろうと思いました。バス停は眼下に・・まだ上がります東門です東門をくぐって石段を上がったところに堂々とした山門バックしてバックしてやっとカメラに入りました。バス停からここまで約400mの距離善峯寺平安中期(1029)に源算上人が創建自作の千手観音を本尊として祀られた。御一条天皇から鎮護国家の勅願所と定められ「良峯寺」の寺号を賜り後、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇の直筆を賜ったことで寺号が「善峯寺」に改められた。との記載があります。ご参考までに…。《”良”を”善”に書き換えられたのかな》《書き間違えられた・・・!?》深く考えないで先を急ぎます。(^▽^)心付け?と書かれていたと思いますが入山料:大人500円を納めてまたまた石段を・・・。観音堂(本堂)を拝して右へ曲がり上げれば「遊龍の松」「鐘楼堂」貞享3年(1686)建立徳川五代将軍綱吉公の厄年にあたり桂昌院が寄進されたもので「厄よけの鐘」と云われています。鐘楼から石段を上がって「遊龍の松」樹齢600年以上と言われています国指定天然記念物花山前右大臣家厚公により命名全長37m順路に沿って歩きアジサイ苑の近くまで来ましたここは中腹 奥之院はまだ上ですアジサイ苑を見てから上がります。お供していただいたお方はここで一息入れてください。(^▽^)
2019.07.06
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昨年、庭内の西側に植えられた約400本のアジサイやガクアジサイの初公開が好評だったそうで今年も無料一般公開されました。(今年の公開は終了)旧三井家下鴨別邸 下鴨神社の南に建っています。この地に三井家の祖霊社 顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座されて参拝の際の休憩所にするために三井家11家の共有の別邸として大正14年に建築されたそうです。大正期の大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されていることで歴史的価値を評価され昭和23年に重要文化財に指定されました。現在はイベントなどに有料で貸し出しておられます。特別般公開の時は望楼(3階)へも上がれますがこの日拝見できるのは一階だけでした。昭和26年以降は京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19年まで使用されていたそうです。浴室横の洗面所、鏡が質素です。主屋(おもや)の水屋です。部屋の天井はヒノキですが作りは意外に簡素なものでした。紫陽花の見学を兼ねて部屋は人の姿が多く室内の写真は取れません。縁側の天井です。2階は某企業が借りておられて立ち入り禁止庭へ下りてへ行きます三段の滝が作られています。お茶室からも望めるのでしょうね池にお客さんです。主屋に続いてお茶室丸窓が切ってありますが反対側のあかりとりが見えると月が欠けているようにもこれも趣を計算されたのかな・・・。特別公開の日は2時間ほどの待ちになるかもしれませんが3階の望楼から望みたいですね。旧三井家下鴨別邸の見学を終了。
2019.07.04
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長刀鉾のお稚児さんたちが7月1日に八坂神社へ参拝され祭の無事を祈願する「お千度の儀」が行われました八坂神社の祭り、祇園祭は7月末までの一カ月間です。祇園祭のころに花が咲く「祇園守」白色の半八重のむくげです。今の時期は蕾も5ミリほどですが中頃には八坂神社の境内に咲き誇ることでしょう。早朝に降った雨も止み、曇り空です長刀鉾の関係者が羽織る法被の背に「長」織田信長が長刀鉾町から寄進されて折に返礼に自筆で書いた文字がデザインの元のようです。西門から入ってこられました。禿役の杉本崇晃さん10歳(右)と竹内瑛基さん9歳(左)今年の長刀鉾のお稚児さんは京和菓子の老舗「鼓月」のご長男だそうです。お父様も過去にお稚児さんを務められたそうです。親子二代ですね。身を清めて本殿へ入られます。禿役の友だちが清めている様子を真剣に見つめiている姿は初々しく話している姿は緊張が解けてほっとされている様子も…。黄緑色の鼻緒の履物がお稚児さん用です神事が終わってお千度の儀へ本殿の周りを三周することで千回参拝したことになるとされているインタビューなど受けておられますが大勢の人が見守る中、手を引かれて歩くのはこの年頃なら照れるでしょうね。緊張もあり目のやり場に戸惑っているようです。お稚児さんや禿の髪形です。帰ろうと思ったら舞妓さんがお参りに来られていました。祭事の日程順に写真を撮りたいとは思いますが簡単なものではないので都合がつく範囲で撮ってアップしてゆきたいと思います。つたない写真ですが祇園祭にお付き合いください。
2019.07.02
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