全32件 (32件中 1-32件目)
1
走行回数:25回(うちマラニック3回) 走行距離:360km(自己新記録) ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:169km(職場での80kmは含まず) 月間距離合計:529km(自己新記録) 年間走行距離:1969km 年間距離合計:3207km これまでの累計:73,241km なお、今日8月31日(火)の日記「エコーラインを越えて(2)」は、この下(↓)にあります。
2010.08.31
コメント(6)
< 遥かなる道 > 愛犬の頭を撫でて家を出た。出発は3時33分。前回の笹谷峠越えの時より30分遅かった。大冒険を控えて興奮し、眠れないと困ると思い弱い睡眠導入剤を1錠飲んだせいで、5時間ほど眠れたようだ。朝食も前回ほどではないがしっかり摂れた。ただし前回は体調を維持するためにグレープフルーツ、トマト、キュウリなどを持ったが、今回はエネルギーに変換出来る食料を中心にした。 リュックの重さは6kgほどか。ずっしりと肩に食い込むリュック。果たしてこんな重たいリュックを背負って、あのエコーラインを登り切れるものだろうか。一瞬私の心に不安が過った。だがそれも自分が選んだことと覚悟を決める。さて今回の「エコーライン越え」だが、自分の中では次のように捉えていた。 第1段階は家から遠刈田温泉までの35km。まだ元気のあるこの区間はさほど心配な点はないはず。最大のポイントは遠刈田温泉手前にある鈴蘭峠越え。高低差は300m内外と予想。第2段階は遠刈田温泉から蔵王ハイライン入口までの15km。ここは1300mほどの登り坂で、コース中最も苦しい場所。過去3回練習で走っており、水飲み場などの情報が記憶に残っているはず。 第3段階はエコーライン最高部から蔵王温泉までの24km。全般的に下り基調となるはず。山形県側は傾斜も緩く、自販機も適当な間隔であるとの情報を得た。早めにゴール出来た際は、日帰り温泉に入ろうと楽しみにしていたのだが、結果は全くの見当外れに。例えマラニックでも油断は禁物。最後まで何があるか分からないのがウルトラマラソンなのだ。 10km地点手前、「赤石公衆トイレ」付近で2匹の子ダヌキが轢死していた。前週の笹谷峠越えの時も、この付近に大きなタヌキの死骸があった。ひょっとしたらあれが親で、今回は飢えた子ダヌキが餌を探しに道路に出たところを轢かれたのかも知れない。哀れなタヌキ一家に黙祷して通過。 5時38分、碁石小学校前到着。自販機で100円の缶入りスポーツドリンクを購入。6時10分釜房ダム前を通過。ダム湖の水が渇水で58%までに減ったと報道があったばかり。6時35分、杜の湖畔公園休憩所到着。5分間休憩し、スポーツドリンクを飲み、ワッフル1枚を食べる。 再び走り出して直ぐ、露出した肌がリュックと擦れたことが原因で痛みが発生。頸部冷却用の特殊パルプをリュックのベルトに巻きつけて改善を試みる。7時13分、笹谷街道との分岐点に出る。その手前に川崎伊達家の墓所があった。山形の最上氏と接する笹谷街道の守りを固めるため、要害に城を構え伊達一門をここに居住させたようだ。 ここから県道47号線を直進し、鈴蘭峠へと向かう。早くも太陽が顔を出して気温が上昇、慌てて帽子を被る。畑の中に縄文時代の遺跡が2か所。古い時代から人が住みついていたようだ。間もなく左手の曲がり角に標識あり。見に行くと「猿鼻街道(羽州街道)」とある。 蔵王町の宮で奥州街道に別れて羽前国(山形県)へ抜ける笹谷街道だが、猿鼻も宿場の一つだったことを前週知ったばかり。ところが猿鼻の地名は地図の何処にも残っていなかった。そのこともあって、宮からはてっきり蔵が多く街道の面影を色濃く残す村田町を通ったのだろうと推理していたのだが、まさかこんな細い道が旧街道だったとは。 その小道は小高い森の方に続いていた。恐らくあそこも峠なのだろう。人家が少ない寂しい道を、当時の人はどんな想いで往来していたのだろうか。「元々地上に道はない。みんなが歩けば道になる」。これは国会議員江田五月の父君である故江田三郎が好んで用いた言葉。道は人や物を運び、文化や宗教や様々な情報を遠方まで伝えた。長閑な田舎道を走りながら、私達の先祖が辿った遥かな道に想いを馳せた。<続く>
2010.08.31
コメント(4)
< 夢のプロジェクト > この夏、私は胸の中で3つの峠を越えるマラニックを想い描いていた。それは9月の予定レース「秋田内陸ウルトラ」へ向けての練習を兼ねて、自分の夢を実現するためのものだった。3つの峠越えの第1は「笹谷峠越え」。今年の5月、走友会のM仙人から国道286号線の笹谷峠が通行出来ると聞いたことがきっかけだった。そして峠には、かつての「有耶無耶の関」跡が残っていることも魅力。歴史の勉強だった。 第2は「蔵王エコーライン越え」。昨年まで所属走友会が夏の合宿をしていた山形蔵王の坊平高原まで、約70kmを走って参加した仲間がいることをかねてから聞いていた。まさか仙台からあの急な山道を登って山形蔵王へ走って行くなんて驚き以外の何物でもない。一度は挑戦したい気持ちが強かったが、本当にそんなことが自分にも可能だろうか。峠越えの第3弾は「二口峠越え」。これはこれまで2回走ったことがあり、余裕で臨めるはずだ。 いずれもスタート地点は自宅。「笹谷峠越え」のゴールはJR山形駅前で、距離は60km。峠の標高は800m程度か。「蔵王エコーライン越え」のゴールは山形県の蔵王温泉で、距離は74km。エコーラインの最高地点は1550mほどだと思う。だがその前に標高350mほどの鈴蘭峠を越える必要がある。2つのコースとも、道を良く知らないのが難点だった。「二口峠越え」の終点は山形市のJR山寺駅前で、距離は53km。峠の最高地点は600mほどか。 「そんなことしてちゃ死んじゃうよ」。これは計画を話した時のかつての現場の責任者の反応。「趣味で死んでもしょうがないでしょ?」これは「エコーライン越え」実行を教えた際の第1現場の運転手さんの反応。「お父さん死なないでね。まだやりたいことがいっぱいあるんだから」。これも同じく「エコーライン越え」実行を告げた際の女房の反応だった。 「蔵王エコーライン越え」は厳密に言えば峠越えではない。峠はなるべく低い地点を通過するが、エコーラインは蔵王連峰への登山・観光ルート。車の通行が目的だから人が歩くことは想定してはいない。ましてそこを荷物を背負って走るなんて、普通の人は考えないだろう。だが100km以上の距離を走るウルトラランナーは、それが死につながる行為などとは端から考えてはいない。疲れたら歩けば良いだけの話だ。 幸い第1弾の「笹谷峠越え」は天候に恵まれ、8月21日(土)に実行することが出来た。11時間30分もかかったが、とても楽しい旅だった。そして収穫の1つが、蔵王エコーラインへの近道である鈴蘭峠への分岐点を確認出来たことだった。これでルートの不安は少なくなった。次にゴール地点の蔵王温泉バスターミナルからJR山形駅へのバスの発車時刻を調べたところ、最終便は19時40分と判明。それまでにゴールすれば、山形経由で当日中に自宅まで帰れると確信。ほぼ問題はなくなった。 後は決行の日をいつにするか。幸い天候は好天続き。思い切って妻に峠越え第2弾決行の話をすると、気持ち良く了承してくれた。心配はしていたのだろうが、前週の「笹谷峠越え成功」で印象を良くしたのかも知れない。前週の疲れもほとんどなかったため、2週連続峠越えの実現が決まった。 笹谷峠越えでは「南仙台走友会」のランニングシャツを着た。「万が一」の場合に身元が確認し易いと考えてのことだ。だがコースが厳しく通行量の多い「エコーライン」の場合は、ドライバーも運転には十分注意するはずだから事故の危険性は少ないと考え、「宮城UMC」のランニングシャツを着ることにした。距離のメモも大きなお握りも作った。後は当日の朝何時に目が覚めるかだけが問題だった。<続く>
2010.08.30
コメント(10)
出来れば昨日走った「蔵王エコーライン越え」の完走記を書きたいと思ったのですが、今日は別なことを書くことにしました。2週連続での峠越えは、確かに私にとって魅力的なイベントでした。だから一刻も早く、そのことに取りかかりたい気持ちが山々です。でも、それが出来たのは全て妻のお陰。妻が許してくれたからこそ実行出来たのです。 そこで、今日は朝から庭と畑の整理をすることにしました。暫く放って置いたせいで、草ボウボウになり、畑の野菜も終わりに近づいていたからです。仙台もまだまだ暑い日が続いています。それでもそろそろ秋、冬野菜の種まきの準備を進める必要があると感じていました。 最初に取りかかったのが、剪定した植え木の枝をまとめて縛ること。これは夏野菜の苗を始末した時に、邪魔にならないためです。長さ80cm、直径30cm以内に纏めれば、市指定のゴミ袋に入れなくてもゴミとして出せるのです。次にコンポスト容器から堆肥を取り出して土をまぶします。 それからゴーヤ、キュウリ、トマトなど、まだ残っていた野菜を収穫します。一度は実が終わったモロッコインゲンも小さな実をつけていました。毎日夕方にせっせと水撒きしたせいで、再び花を咲かせて実をつけたのです。折角最後まで頑張ってくれたのですから、ちゃんと取って食べてやろうとの考えです。 次にネット、支柱と苗を縛っていたビニール紐を鋏で丹念に切ります。大抵の紐は暑い太陽に照らされたため劣化して再使用が不可能ですが、まだ使えそうな部分は取って置きます。これが結構時間がかかります。それだけ支柱を立てた時にも手間が掛かっているのです。ここまでが午前中の仕事でした。 昼食後は支柱を長さ別、材料別に区分して縛ります。休んだのは15分ほどでしょうか。次に蔓を這わせていたネットを外して巻き直し、紐で縛ります。その後はビニール紐の切れ端を集めてゴミ袋に入れます。全部きれいになった所で、庭と畑の雑草を抜きます。これも結構大変な作業です。 抜いた夏野菜の苗と雑草は、イチジクの根元に積みます。今までに抜いたのと合わせると、高さは1mほどまでになっていました。次に東側の畑をスコップで掘り返します。それが終わると、先ほどコンポスト容器から取り出した堆肥、牛フン、石灰などを満遍なく撒いて、最後に鍬で均します。ここは狭いため、畝2本分しか作れません。 次に南側の畑も同様に作業します。ここは牛フンや石灰が足らなくなったため、畝1本と半分で作業を止めました。残り3本半ほどの畝は、次の土曜日に耕す予定です。それまでに牛フンや石灰を買っておく必要があります。次に伸びた梅の枝を剪定。ついでに梅に絡みついたヘクソカズラを根元から抜きます。これは少し臭い蔓性の植物です。最後に耕した畝にホースで水を撒いて終了。結局作業が終了したのは夕方の5時過ぎでした。 それからシャワーを浴び、愛犬との散歩を済ませ、庭に水を撒いて夕食。昨日15時間も体を動かした後なのに、そんなに働いて大丈夫なのか妻が心配していましたが、これくらいで疲れているようでは100kmマラソンの完走は無理でしょう。 明日は病院に行って、血圧降下剤をもらって来る必要があります。と言うわけで、明日も結構忙しくなりそうですが、「蔵王エコーライン越え」の完走記は間違いなく書く積りでおります。という訳で、今日は「肩透かし」になってしまいました。ゴメンなさいね~!!そうそう、畑の始末をしながら採った野菜は、夕食のおかずになってくれました。良く頑張ってくれた野菜たちに、改めて感謝ですね。今日も昨日に続いて、たくさんの汗を流した私でした。
2010.08.29
コメント(8)
今年の夏は急遽「峠越え」に挑戦することを思いつきました。先週の土曜日は笹谷峠を越えて山形駅まで走ったのですが、今日は早朝から「蔵王エコーライン」を越えて、山形の蔵王温泉バスターミナルまで走ることにしました。 距離は74kmですが、高低差の総計は2000mを越えたと思います。それほど今日走ったコースは厳しかったですねえ。朝の3時33分頃にスタートし、座王温泉に着いたのが夕方の6時43分頃ですから、かかった時間は15時間10分でした。 良く最後まで走れ通せたと、自分でも感心しています。詳しい完走記は明日以降書き始めたいと思っています。どうぞお楽しみに♪
2010.08.28
コメント(6)
< 峠越え(2) > たのめこし 人の心は通ふとや 問ひてもみばや 有耶無耶の関 (土御門院集) 11時28分、笹谷峠の頂上から再び山形県側へ下る。あれほど見晴らしが良かったのが、坂を下るにつれて視界がきかなくなった。大きく蛇行する道。だが松も杉も良く整っていて美しい。所々に山から湧水があり、飲み水に困ることはなかった。12時12分宿沢IC前通過。国道は宿沢集落には入らず迂回。集落にかつての街道の面影が残っているか見たかったが、残念ながらそのまま素通り。 どれだけ峠を下ったか分からないが、既に50kmは走っている。疲れた脚は一層スピードが落ち、空腹も感じるようになった。その時「峠の茶屋」という名の店が目に入った。12時40分。ここで何か食べないとガス欠になると脚を止める。自販機でアイスココアを買い、店に入った。座敷しか空席が無かったため、座布団を濡らさないようビニール袋をランパンの下に敷いた。パンツが汗でビショビショなのだ。 アイスココアを一気飲み。冷たいお茶も2杯いただき、ラーメンを註文。仙台から走って来たと言うと、驚く店の人。親切にスイカを一切れ差し入れてくれた。それに塩をまぶして食べる。ラーメンは一滴の汁も残さずに完食。店の女主人が「空腹になったら食べてね」と容器に入った何かをくれた。そして昨日は大型車が無理に通行して電柱をなぎ倒し、通行止めになったと教えてくれた。 危ない危ない。事故が今日でなくて良かった。あと一日ずれたら、とても走れなかっただろう。ペットボトルに冷たい水をくれると言うのを断って店を出た。「世の中には親切な人がまだいるもんだ」。それが偽らざる心境だった。場所は山形市新山。山形駅までまだ10kmはありそうだ。13時00分、再び下界を目指して走り出す。 暫くすると左手に金属製の観音様が見えた。看板が「有耶観音」。思わず立ち止まって看板を読むと、「山形道」の完成を記念し交通の安全を祈って建立されたものとある。高速道路に建てられないため、昔ながらの国道沿いに建てたのだろう。昔から伝わるものではなかったが、旅する者にとっては有難い心遣いだ。 もう日は高く、木陰もほとんど無くなった。おまけに下るに従い気温がどんどん上昇して蒸し暑い。盆地は風が通らず暑いのだ。この日の山形の最高気温は34度。ようやく山形IC前通過。これで残りは5km。山形県庁前で国道286号線と別れ、JR山形駅への直線道路へと右折。県庁所在地なのに相変わらず人通りが少なく、立派な敷石道の傍にはまだ畑が残っている個所も。 山形南高の交差点からかつての職場方面を覗く。だが3丁先の旧職場は見える訳もない。諏訪神社前まで道路が拡張されていたが、その先は昔通り。あまりの暑さに道路の向こう側に渡り、日影を走る。14時33分山形駅到着。11時間30分かかってようやくゴール。走った距離は63km。自分でも最後まで良く頑張ったと思う。駅の身障者用トイレで直ちに着替え。 待合室で缶ビール2本を飲み、15時38分発仙台行きの快速電車に乗る。席に落ち着いて「峠の茶屋」でもらったお土産を見たら、3個の黄粉餅だった。これはきっと売り物のはず。食事の時にサービスしてくれたスイカもそうだが、山形人の「もてなしの心」を知った思いだった。 疲れと酔いのせいか、北山形駅から山寺駅までの間は眠ってしまったようだ。目が覚めると、いつものように目の前が真っ白に。それも数分で治まってくれた。無事終わった今回の冒険の旅。だが、私の胸には新たなる冒険の計画が、むくむくと湧き上っていた。峠越えの第2弾だ。いよいよ明日の早朝、次なる冒険に旅立つ予定。一応行き先は秘密にしておこう。そんなわけで、明日の帰宅はかなり遅くなります。予めご容赦を!!<完>
2010.08.27
コメント(6)
< 「有耶無耶の関」跡 > サングラスは安物だから無くなっても良いけど、有耶無耶の関はもう2度と見られないかも知れない。そう考えると、思い切って引き返すことにした。結構厳しい勾配の登り坂を声を出して登ると、峠の左手にある駐車場に巨大な看板。近づいてみると、何体かの地蔵尊が書き込まれた個所があった。それがかつての関所の付近のはず。 素晴らしい風景には似合わないが、やはりコンクリートの道を登れば良いみたい。その舗装道路は無線中継所に行くためのもので、暫くすると関所跡への小さな標識があった。これでは見落とすはず。予めネットで調べた際は下草が生えて歩きにくいと書かれていたが、別にそのようなこともない。トレパンは不要だったし、ゆっくりなら走ることも出来た。小石混じりの道を、私は懸命に走った。 幾つかの分岐点を過ぎ、12分ほど山道を登ると、ついに関所跡への案内板を見つけた。小さな土手状の道を進むと、小さな広場に「有耶無耶の関跡」と書かれた巨大な柱と、説明板があった。さるHPに書かれていた「不気味な感じ」はない。説明板によれば、この笹谷街道は古代の陸奥国と出羽国を結ぶ官道だったとある。 官道は古代の国府と国府を結ぶ主要な道路で、平野部では極力直線状に広く造られ、確か1.8km毎に連絡用の駅舎が設けられていたはず。それなのに幾ら険しい山岳部とは言え、峠道の細さとみすぼらしさはどうだろう。それともかつてはもっと立派な道だったのだろうか。陸奥守ととして多賀城に赴任した中将藤原実方が、歌枕で有名だった出羽国の阿古耶の松を見に訪れた時もこの道を馬で通ったはずなのだが。 戦国時代の末期、仙台の伊達政宗が山形の最上義光を抑えるため出動したのもこの道だったようだ。冬季は西風が強くて積雪量は2mになり、命を落とす旅人が多かった由。やがてそのことから、この峠には旅人を捉えて食べる山鬼が棲むとの伝説が生まれたようだ。そして山鬼が峠に居る時は霊鳥が「有耶」と鳴き、居ない時は「無耶」と鳴いて麓の旅人に教えたとの伝説も。 仙台側の麓には霊鳥の化身である無耶観音が、そして山形側の麓には有耶観音が建立された由。さらに死者の霊を慰めるため峠には6体の地蔵尊が祀られているようだ。帰路、案内板に従って参詣路を行くと、六地蔵尊の一つである「陀羅尼地蔵」と「南無阿弥陀仏」と彫られた巨岩が見つかった。共に寂しい場所だった。 地図で見ると、かつての峠道は途中で消えている。誰も歩いて通る人がいないために廃れてしまったのだろう。江戸時代まで関所は役割を果たしていたのだろうし、鉄道や国道が敷かれる前までは、この険しい山道を人々は歩いて往来していたのだと思う。 当時の交通の厳しさを思いながら、私は再び国道の県境まで走って降りた。間違えた分と関所跡への往復で走った距離は3kmほどだから、マラニックの合計は63kmになるはず。食事と休憩も入れてこの峠で1時間ほど費やしたが、そのことに全く悔いはなかった。<続く>
2010.08.25
コメント(4)
< 峠越え(1) > 川崎町には結構コンビニがあることが分かったが、結局最後まで寄らず終いだった。果たして食料が間に合うかどうかは分からない。8時50分セントメリー・スキー場前を通過。9時10分山形道・笹谷IC入口前を通過し、国道286号線を直進。道路脇に「大型車通行禁止」の看板が乱立。側溝にきれいな水が流れているのを発見。 さらに登って行くと大量の水が流れている側溝。どうやら笹谷トンネルを掘った際に出た湧水のようだ。汗臭くなったランシャツ、帽子、首に巻いた特殊パルプを流れで洗い、ペットボトル3本に水を補給。萩の花が咲いている下で、暫しの休憩。揚げ煎餅を1枚だけ食べて出発。間もなく川崎町の簡易水道浄水所。やはり町でも湧水を水道源にしてるようだ。 次に見えたのが「阿古屋の松」への登り口。細く草深い道だった。そして「有耶無耶の関」への山道。ここが本来の笹谷街道。関跡まで6kmの表示だが厳しい山道のようだ。9時33分、山形道の笹谷トンネル前を通過。いよいよここから本格的な山道だ。急に道路が細くなったが、木陰があって涼しいのが嬉しい。それにしてもきれいな道だ。 15分ほど登った時、先ほど休憩した場所にサングラスを忘れたことに気付いた。取りに戻れば往復で30分のロス。諦めて前進することを決断。次に来るのがいつになるか知らないが、縁があれば再び手にする日もあるだろう。 10時02分、仙人沢入口に到着。ここはどうも登山のルートになっているみたい。神室岳(仙台神室)、山形神室など聞いたことがある山の名が看板にあった。グレープフルーツを半分だけ食べて出発。間もなく山からの湧水あり。どうやら飲み水には苦労せずに済みそう。案外交通量が多いことに驚く。それも宮城、山形ナンバー以外の車が結構多い。危険性は感じず、むしろ退屈しないで済みそう。 登るに従って、林の間から杉が生えたきれいな三角形の山が見えた。まるで「トンガリ山」だ。後で地図を確認したら、本当に同じ名の山があった。標高は1341m。でも本当にあの山だったのかは不明。標高1356mの仙台神室、1344mの山形神室が見え出す。それらの雄大な山々も蔵王連峰の一角なのだろうか。 クネクネした綴れ折りの峠道が続く。もう1時間以上登ったが、まだ峠の頂上部は見えて来ない。空腹と戦いながら黙々と登る。そのうち前方が明るくなって空が見え出した。どうやら峠は近そうだ。10時40分、ついに宮城と山形の県境に到達。峠の南北に笹が茂った山がある。北側にあるのが1146mのハマグリ山で、山形神室まではここから2時間の道のりみたい。 南側の小さな山は標高1393mの前山で、そこから雁戸山(1484m)、名号峰(1490m)を経て蔵王山に続くようだ。かつてM仙人から、それらの山々に走って登ったと聞いたことがあった。さすがはヒマラヤマラソンに挑戦する仙人だ。 さらに西側には山形盆地が遥かに望める。それらの風景を目の前にしながら腰を下ろし、待望のお握りを食べる。梅干しと海苔と塩味のお握りが美味い。キュウリには味噌をつけて食べる。そして揚げ煎餅を1枚とグレープフルーツが4分の1。それが食べたものの全てだった。 誰かが車を止めた。どうやら家族で登山に来たようだ。ご主人に有耶無耶の関跡の場所を尋ねた。もう少し下の舗装道路を行けば良いと教えてくれた。お礼を言って峠を下る。一瞬、コンクリートの道が見えた。まさかあそこではあるまい。そう思ってさらに下る。だがどこまで行っても関跡への標識が見えない。どうやら道を間違えてしまったようだ。さて、どうするか。あくまでも空は青く、風が心地良い。<続く>
2010.08.24
コメント(2)
< 笹谷街道 > 再び北川に架かる川内大橋を渡ると、笹谷街道へ出た。左折すると大河原方面に向かうみたい。道は意外な方へ続いている。出来ればそのうち歩いてみたいものだ。枝ぶりの良い松や桜の並木には、旧街道の面影も。先ほど私が直進した道を左折すると、どうも遠刈田温泉への分岐点に出るようだ。道端に見覚えのあるラーメン屋。確か数年前に参加した「蔵王エコーライン練習会」の折に立ち寄った店だった。 あるお宅の花壇は、街道に沿って作ってあった。色んな花々が咲き競う、良く手入れされた花壇に感激していると、その家の婦人らしい女性が不思議そうな顔をして私を見た。きっと見慣れない男が、朝っぱらから走っていることに驚いたのだろう。とある食堂の水道で、2本のペットボトルに水を補給。 7時15分、川崎第2小学校に到着。ここがちょうど25km地点。ベンチに座って休憩する。笹谷街道についての説明板があった。蔵王町の宮で奥州街道と別れた笹谷街道は、永野、猿鼻(蔵王町)の宿場を通り、川崎町では野上(のじょう)、古関、笹谷などの宿場を通って笹谷峠を越え、羽前国(山形県)へ抜けたとあった。道理で昔の街道の面影が残っていた訳だ。トマト、揚げ煎餅、あん餅1個を食べ、7時25分に出発。 走り出して直ぐ「野上」バス停発見。ここがかつての宿場のようだ。さらに行くと「野上かみ」バス停。ここが仙台駅から来るバスの終点。そう言えば先ほど行き違ったバスの中に、たった1人だけ乗客が居た。さらに行くと道端に道祖神発見。小さな社の中に男根と女陰を象った2つの自然石があった。道祖神は旅の安全を守り、村の繁栄を願って祀られた原始的な信仰だが、明治期に入ると「古来の迷信」、「卑猥なもの」として廃棄された歴史がある。 長野県には手を取り合う男女の道祖神が数多く残されていると聞く。だが、このような原始的な道祖神を見るのは初めてだった。縄文時代の石棒には男根を象ったものが多く、女陰を強調した石像もある。縄文時代の平均寿命は30歳にも満たず、我々日本人の祖先達はそれらの石像に、子孫の繁栄と長命を祈ったのだろう。道祖神には、縄文以来の願いが込められているのだ。 古関に近づくと山形道が直ぐ横に見え出す。そして高速道の向こうには特徴のある角ばった山。標高695mの大森山だ。国道286号線は古関集落には入らず迂回。集落の一角にチップ工場が見えた。この辺は辺鄙な場所だが、結構交通量は多く、付近には支那そば屋、ラーメン屋、温泉施設があった。 自転車族が2人、後から追い抜いて行った。1台は大きな荷物を積んでいる。きっと彼らも峠を越える積りだろう。8時15分。空が晴れ、太陽が出だす。そのせいで急に気温が上がる。慌てて帽子を被り、サングラスをかける。そして首には冷却用の特殊パルプ。日影で休憩し、あん餅1個を食べる。8時22分出発。 道端で何かを調べている人を発見。何をしているのか尋ねると、光ケーブルが張られた電柱を確かめ、写真を撮っている由。私が走って山形まで行くと話すと驚いている。偶然にも同い年のようだ。峠の頂上は見晴らしが良いらしい。「でも熊はいないよ」と、リュックの鈴を笑う。有耶無耶の関について尋ねたが、どうも知らないみたい。さて、いよいよここから長い登り坂が始まる。<続く>
2010.08.24
コメント(2)
< タヌキの死骸と甌穴(おうけつ) > <朝食>お握り1個、味噌汁(若布、豆腐、ミョウガ)、サバ味噌煮、トマト、キュウリの酢のもの、キュウリの漬物、ゴーヤチャンプルー、バナナ。 <リュックの中身>◎食べ物(お握り1個、グレープフルーツ、トマト、キュウリ、あん餅2個、ミニあんパン、揚げ煎餅4個、) ◎衣類など(着替え、タオル) ◎地図、筆記用具、 ◎水(500cc×2本) ◎財布 ◎クマ避け用鈴(2個:外部) <服装>ランシャツ、ランパン、帽子、特殊パルプ(頸部冷却用)、サングラス、ポシェット(小銭、味噌、塩) 3時05分台所から外へ出る。妻は出発に気付かず、眠っているみたい。鈴の音に反応し、愛犬が吠える。「マックス、お父さんだよ!」と小さく叫ぶと、分かったようで吠えるのを止めた。彼の頭を撫でて出発。ただし走ると鈴の音がするため、路地を出るまで歩く。空は曇天で月も星も見えない。ひんやりとした空気が心地良い。やはり外の方が涼しいようだ。 バス通りへ出、ゆっくり走り出す。シューズは古い練習用のもの。新しいシューズは底が少し硬く感じるため、用心をしてのことだ。坂道を下って八幡神社の角を右折し、国道286号線の旧道へ出る。手には水が入ったペットボトル。走ると2つの鈴がシャンシャンと鳴る。山田交番の前を通ると、当直の婦警さんが中から会釈をしてくれた。 羽黒台を過ぎると途端に照明が少なくなり、狭い歩道が危険なため車道の左側を走る。この辺りは何度も走っているため、暗くても道路の状態が分かる。それに車がちゃんと避けてくれるのが有難い。心配の一つがコンビニの場所だが、荷物が重くならないよう出来るだけ遠くのコンビニまで寄らない予定。 国道286号線と秋保温泉への分岐点が8.5kmほど。この辺りで次第に空が明るくなって来た。「赤石公衆トイレ」付近の道路にタヌキの死骸。食べ物を探しに来て、車に轢かれたのだろう。間もなく柴田郡川崎町へ入る。碁石小付近が13km地点。ここで100円のスポーツドリンクを購入。取り出し口に小さなカエルが入っていたのにはビックリ。 5時40分釜房ダムに到着。ここでようやく霧が晴れた。説明板によれば釜房湖に流れ込む川は太郎川、北川、前川の3つ。これが合流して碁石川となり、やがて一級河川の名取川となって太平洋に注ぐ。ダムは洪水を防ぎ、仙台市民の飲用となるほか、農業や工業用水としても使われている由。 釜房大橋を渡りながら、朝の湖を見渡す。湖面の所々に水が沸き上がる個所。職場の女性から、40年以上前に実家がこの湖に沈んだため仙台へ転居したと聞いたことがあった。「国立みちのく杜の湖公園」手前の道路に、再びタヌキの死骸。公園前を6時08分に通過し、そのまま直進した。 北川に架かる小野大橋から川を見下ろすと、甌穴(おうけつ)が幾つか見えた。これは急な川の流れで石が転がり、長い時間をかけて丸い穴を開けるもの。その穴を開けた大きな丸石が、岩の上に乗っかっていたのにはビックリ。走っていたからこそ発見出来た自然現象だった。<続く>
2010.08.23
コメント(6)
< 峠越えの計画から実行まで > 峠を越えて隣の県へ行く。それは結構楽しい夢だ。それが自分の脚で走って行くとなれば、一層冒険心が満たされるだろう。仙台から山形に向かうには、奥羽山脈の3つの峠を越える必要がある。最も北の峠が関山峠。ここを通るのが国道48号線で、現在では関山トンネルが出来ている。山形県側はサクランボで有名な東根市だ。道幅が狭く、かつ交通量が多いため、走っての横断は危険を伴うだろう。 その南側にあるのが二口峠。名取川上流の秋保温泉や秋保大滝、二口渓谷を越えて、芭蕉の句で有名な山寺(山形市)に抜ける。ここは江戸時代の重要な街道で、数十年前はハイキングコースにもなっていた。現在この道路は落石が酷いため二口渓谷で閉鎖され、車での通行は不能。だが人の通行は可能で、私も2度自宅から山寺まで走って行ったことがある。熊と出会う危険性はあるが、景色の良い所だ。 最も南側の峠が笹谷峠で、明治初期までは仙台と山形を結ぶ最短の街道だった由。現在は笹谷トンネルが掘られ、高速道路の山形道が通っている。仙台~山形間の高速バスが運行し、私も4年間通勤した懐かしい路線だ。これと並行して走る国道286号線は、土砂崩れなどのため一時閉鎖されていた時期があった。 その笹谷峠が通行出来ることを教えてくれたのがM仙人。今年の5月末の「エンジョイジョガーinみちのく」の際だった。マラニックの翌日、笹谷峠にある「有耶無耶の関」へ関東のランナーを案内するので一緒に行かないかと誘われたものの、前夜の懇親会を資金不足のために欠席した私には気が重かった。同行をお断りしたのだが、正直私の心にはモヤモヤしたものが残っていた。 何とか笹谷峠を越えて山形まで走ることは出来ないか。そして峠の頂上にあると言う、「有耶無耶関(うやむやのせき)」を、自分の目で確かめることは出来ないか。だがそれを実行するには、幾つか問題があった。その第一は道を知らないこと。恥ずかしながら私は車の免許がないため、道路が分からないのだ。そして第二は、本当に笹谷峠を通行出来るかの確認。 車なら通行不可でも引き返せば済む。ところが走って行く場合は勇気が要るし、戻るにも体力を要する。そこで情報収集を試みた。笹谷峠が通行可能であることを知っていた人が複数いて、走れることは分かった。だが峠は曲がりくねって、かなり厳しいようだ。距離は60kmあるようだが、念のためジョギングシュミレーターでも計測した。自宅からJR山形駅までほぼ60kmに間違いはなかった。 次に「有耶無耶の関」についてネットで調べた。自転車族のメモによれば、国道286号線の県境から約30分ほど蔵王山寄りに入った所に関の跡が残っているとか。ただ下草が茂っていることや、不気味な雰囲気と書かれていたため、トレパンと半袖シャツが必要と判断した。 問題はお天気。県境の峠周辺は霧が立ち込めることが多いようだ。暑くなるのは仕方ないとしても、事故を避けるためにも雨の日は止めよう。残る問題は自分の体調と気力。これにはまあまあ自信があった。厳しかった7月も結構走り込めたし、気力の衰えもない。地図をコピーし、前日までにほとんどの準備を終えた。 前夜は梅干し入りのお握りを2個と、味噌汁を作った。コンビニで朝食を摂る作戦から、普段通りの朝食を摂ってから走る作戦に変更したのだ。念のためメニューのメモも書いた。目覚まし時計は3時半にセットしたのだが、実際には2時15分に目が覚めた。やはり冒険を前に、緊張していたのだと思う。<続く>
2010.08.22
コメント(6)
今朝は2時半前に起床し、朝食を摂った後、3時過ぎから走り始めました。行き先はJR山形駅前で距離は60km。心配だったのは道路を良く知らないことと、笹谷峠の厳しさでした。朝のうちは涼しくてとても走り易かったのですが、県境に近づくにつれて晴れ上がり、気温がどんどん上昇して来ました。 峠は宮城県側、山形県側共、とても気持ちが良い状態でした。しかし登りもさることながら、下りが結構脚に来ますね。そして山形が近づくにつれ、さらに気温が上昇。すっかり日に焼けました。(笑)山形駅にゴールしたのは午後2時半過ぎ。スタートから11時間30分ほど経っていました。 今回のコースは初めて走ったのですが、なかなか素敵なコースですよ。眺めも変化がありましたし、歴史の勉強にもなりました。詳しい完走記は明日以降書くつもりです。今日は遅いため、皆さんの所へも伺うことが出来ません。悪しからずご了承くださいね~。留守中にいただいた応援、心から感謝しています。どうもありがとうございました。
2010.08.21
コメント(2)
今朝は起きるとひんやりしている上に小雨が降った。「涼しくて走り易かったよ。水も飲みたいと思わなかったし」。ランニングから帰った妻が言う。気持ち良く走れて、いつもは3往復しか出来ないところを、今日は4往復出来たとか。 今朝の収穫はミニトマト2個とキュウリが1本。つい先日までは物凄く採れていたのに、すっかり勢いが落ちてしまった野菜達。残り少ない貴重なトマトが2個、ヒヨドリに突かれてしまった。この暑さで鳥達も食べ物に困っているのだろう。お向いさんが借りている畑では、折角実った枝豆がほとんどイノシシに食い荒らされたとか。 ニュースによれば、中国でまた大規模な土石流が起きた由。いずれも少数民族の自治区内での事故。原因は国土の不適切な開発にあるのではないか。経済力を上げるための無理な工事で国土が荒れ、保水力を失った丸裸の山が大雨で土砂崩れを起こす。そんな光景が目に浮かぶようだ。超大型のダムもいずれ大量の土砂が溜まって、使用不能になるのではないか。 今朝は自転車で出勤した。週末は汗を吸った警備服や作業服を持って帰るため、大きなリュックを背負って行く。これだと帰宅ランが出来ないが、たまに休足日を設けるのも良いこと。第1現場で立哨していると、目の前を青年が引っ張るリヤカーが通過。「日本縦断中」と書かれた旗が立っていた。夏休みの壮大な旅の途中なのだろう。 勤務終了後テレビを点けると、甲子園では報徳学園が沖縄の興南に4対0で勝っていた。慌てて帰宅し、テレビを点けながら昼食の支度。冷やし中華を食べながら観戦していると、5対0で負けていた興南がその後少しずつ点を取り、何と6対5の逆転勝ちを収め、明日の決勝戦に進出した。ふ~む、やはりこの強さは本物のようだ。 興南は甲子園出場に備えて、暑さに耐える訓練をして来たとか。夏の沖縄の気温は32度ほどだが、風があるため沖縄球児にとって苦しく感じないとか。ところがすり鉢状態の甲子園は気温も湿度も沖縄以上。このため雨合羽を着込んで練習をしたとか。またトルネード投法の島袋は軸脚を鍛えるため、80段の石段を片足で登る特訓をしたとか。 準決勝の第2試合は関東勢同士で、神奈川の東海大相模対千葉の成田。どちらが勝っても関東勢が決勝に進むことになるが、総合力のある東海大相模が11対7で試合を制した。ピッチャーの一二三(ひふみ)も連投の疲れが出て来たのか、打ち込まれた感があった。明日の決勝は打撃戦になるか、それとも投手戦になるのか。 明日は早朝からマラニックに出かけ、その決勝戦を観られないのが残念。行き先は山形で距離は約60km。幸い天気は良さそうだ。朝食は途中のコンビニでお握りを食べる予定。コースは途中から未知の道で、奥羽山脈の笹谷峠は標高906m。道はジグザグでかなり険しいそうだ。果たしてどんな旅になるか楽しみだ。無事に帰宅して、楽しい完走記を書きたいと思っている。
2010.08.20
コメント(8)
きのう14個採れたばかりなのに今朝も8個採れたゴーヤこのところ妻はゴーヤの配達で忙しく俺は連日ゴーヤ料理を食べ続けるこの夏ロシアでは猛暑のため地下の泥炭が燃え広がり中国や北朝鮮では大雨による土石流が発生した日本では大勢のお年寄り達が熱中症で亡くなり海水温が高過ぎてサンマが獲れないと言う厳しかったこの夏無理やり焼酎を煽って眠った夜もあったのだが昨晩からちょっぴり涼しくなり久しぶりに朝まで熟睡できた俺だった白く大きなムクゲが咲いたよ紫色のセージは俺よりも背が高い待ちかねたユリがようやく香りを放ちシュウメイギクに蕾が出来たあれほど採れたトマトは残りわずかモロッコインゲンやキュウリに枯葉が目立つようになったがあまりの残暑の厳しさに苗や支柱の始末を出来ないでいる暑かったこの夏疲れて 眠れなくて 苦しんだこの夏それでも俺は炎天下のもと汗を流しながら走ったものだだが季節は移ろい静かに秋が忍び寄っているのだろう俺は生きるよ そして走るよもっとも俺らしい俺を発見するために
2010.08.19
コメント(4)
恐らく興南は負けることはないだろう。仙台育英がどこまで食らいつくかだけが見もの。そう思いながら昨夜は観戦していた。甲子園での2戦。確かに仙台育英は勝ったが攻めが甘く、辛うじて勝っただけとの印象が強かった。これに対して沖縄の興南は、堂々とした正攻法で相手を打ち負かしていた。 春の選抜大会で優勝した自信か、バッティングに迷いがない。我喜屋監督の作戦と指示が実に適切だし、選手も忠実に従うことが出来るのが強さの源だろうか。何せ甲子園に来てからまだ先行されたことが無いと言う。先制攻撃を仕掛けて確実に点を取り、自分のペースに引きずり込む。この結果、相手は慌ててしまうのだろう。 この日も興南は先制点を取り、その後も得点を重ねた。これに対して仙台育英の得点はソロホームランの1点だけ。興南のエース島袋は点を失ってから一層慎重な投球を心がけ、相手に隙を与えなかった。仙台育英は4回1アウトからエースの木村を投入したが、流れを変えることは出来なかった。これは結果論だが、最初からエースを出すべきではなかったか。エースを温存して負けたら悔いが残ると思うのだが。 昨夜の楽天はエース岩隈で試合を落とした。これで岩隈は負けが先行の7勝8敗。とてもエースとは呼べないと思う。過日のワイドショーで、野球評論家の張本が岩隈に「喝!」を入れたようだ。それに政治評論家の江川紹子さんが「え~?」と疑問を呈したところ、張本の不興を買い、番組から下ろされたとスポーツ紙。張本の「越権行為」もどうかと思うが、楽天の凋落ぶりには、私も「喝!」を入れたいくらいだ。 さて、一夜明けて今日の聖光学院対興南はどうかと、朝から注目していた。興南はエースの島袋が今日も登板。いくら暑さに慣れているとは言え、連日の投球で疲労が増しているはず。それに対して福島の聖光は試合の間が開いていた。その心配通り、あっと言う間に聖光が3点を先制。興南が初めてリードを許す苦しい展開となった。だがその心配を他所に、いつも通りの自信に満ちたバッティングで、7点をもぎ取った。 レギュラー選手の名前を見ると全て沖縄県内の生徒みたいだが、きっと我喜屋監督の指導に憧れて入学したのだろう。結局試合は10対3で興南が快勝し、ベスト4入り。目的意識の高いチームはさすがに強い。次の準決勝の相手は、報徳と新潟明訓の勝者だが、南島健児の快進撃は一体どこまで続くのだろう。 昨夜は夜の9時を過ぎてなお30度以上の猛暑。寝苦しい夜だったが深夜の2時半ごろ裏の駐車場で人の話声。思わず「今何時だと思ってるんだ!」と怒鳴ろうとしたが、窓を閉め扇風機をつけて何とか眠った。深夜の屋外での会話は良く響いて迷惑そのもの。困ったものだ。今朝はゴーヤが14本も採れた。暑さはまだまだ続きそうだ。
2010.08.18
コメント(2)
妻の布団を敷き、風呂も沸かしておいた。午後10時過ぎ、玄関で妻の声がした。どうやら無事帰宅したようだ。その声を聞いてから間もなく、私は眠りについたようだ。今朝散歩から帰宅すると妻が起きて来た。富山は生憎の天候で、室堂は曇り。立山連峰もすっかり雲に覆われていたと残念そうに話す妻。 それに室堂は寒かったそうだ。多くのツアー客は簡便な雨合羽しか持参せず、散策の時間を短縮して次の目的地に向かったとか。それはそうだ。室堂はほぼ標高2500m。例え夏でも天気が悪く風でも吹けば、寒さを感じるはず。先日買ったばかりの登山用雨具を持参した妻は、寒さを感じずに済んだ由。そして長野県側は晴れて景色も最高だった由。私へのお土産は「鈴」。今度峠越えで山形まで走る時、「熊避け」として着けて行こうと思う。 妻の旅行中、私は布団に寝ころんで高校野球を観ていた。どうもその時の姿勢が悪かったのか、今朝になったら首が猛烈に痛む。ちょうど寝違えたような感じ。今日は首の痛みに苦しみながらの勤務になった。勤務中何度も首を廻し、痛む個所を擦った。そのお陰か痛みは徐々に薄らぎ、勤務後は帰宅ランが出来た。青葉城付近の観光客は依然として多い。 家の近所の道路工事現場では、お盆が終わり工事が再開されていた。家の裏側の新築現場でも、作業員が戻っていた。ここは元お寿司屋さんがあった場所。一旦更地にしてから分譲工事が始まったが、その工事中に断層が発見されたと聞いた。この周辺には「長町ー利府断層」と言う活断層が3本通っている。恐らくは地盤の強化も行ったはず。 我が家の南側で行われている新築工事も、今日から工事が再開された。こちらの現場では配管工事中に、地下水が湧き出しているのが見えた。ここは元田圃。直ぐ傍をU川と言う小さな川が流れていた。今は住宅街の真ん中に移設された川だが、昔の川の流れが今でも地下を通っているようで、お向いさんは1時間に1度ポンプで地下水を汲み上げている由。少し前まで大きなガマも見かけた。 我が家は土地を買って以降転勤のため長年放置しており、その間に開発業者が工事の残材を高さ1.5mほどまで埋め立てていた。その方が強度が増すとの言葉を信じたのだ。だが、いざ家を新築する段になって、やはり地盤を強化する必要があると言われ地盤強化剤を注入したようだ。何しろ当時住んでいたのが大阪で新築現場が仙台だったから、業者を信じるしかなかった。 自宅の完成と引っ越し後、畑にしようと土地を掘ってビックリ。古い自転車、コンクリートの塊、壊れた便器、屑鉄、膨大な石ころ。そんなものが掘っても掘っても出て来た。畑の畝以外の所を掘れば、今でも大量の石が出る。だが埋め立てたお陰で地下水の影響は無く、高度の低い隣地へと密かに浸み出しているのだろう。 目下道路工事中の個所は、その昔「紙漉(かみすき)山」と呼ばれ、江戸時代は紙の原料となるコウゾが植えられていたようだ。そして住宅地が広がる我が家の周辺は、かつて見渡す限りの田圃だった。住宅地裏の草原は、元々「ひょうたん池」と呼ばれる農業用水だった由。そして亜炭(あたん)が採掘されていた八木山方面からは、亜炭を運ぶためトロッコの軌道があったとか。 僅か数十年前まで広がっていた光景は今はない。それでも高台に上がると、緑の森や林が見える。開発から免れたそれらは、とても貴重な存在だと思う。M峯公園ではリスを見かけたし、我が家の近所でカモシカやハクビシンと出会ったこともある。それらが遠い日の出来ごとになるのは寂しいことだ。
2010.08.17
コメント(4)
昨日の甲子園。仙台育英は結局延長12回10対7で、宮崎の延岡学園を破った。口蹄疫で長く苦しんだ宮崎県。その代表として延岡学園は、最後まで良く戦ったと思う。勝った仙台育英の次の相手は沖縄の興南高校。ピッチャーの島袋は素晴らしい選手だが、果たして仙台育英とどんな戦いになるのだろう。 そして今日の甲子園。福島の聖光学院が、大阪の履正社を破ってベスト8に進出したようだ。前回履正社はそつのない試合運びがとても印象的だったが、まさか東北の高校が勝てるとは思わなかった。第3試合では新潟明訓が福岡の西日本短大付属を1対0で下した。新潟明訓のベスト8入りは初めてとか。北国の高校が南国の高校を破るのも決して珍しい現象ではなくなったようだ。 それに引き換え、我が東北楽天の弱いこと。昨夜も先発の田中で勝ったと思ったのが、延長12回裏3ランホームランでサヨナラ負け。これで借金が11とどん底。今季は全く燃えるものがない楽天。きっとこのまま最下位で終わるだろう。J1のベガルタ仙台も13試合連続の勝ち星なしで降格ラインの16位。両チームとも何とかプロの意地を見せて欲しいものだ。 さて昨日の夕方、裏の畑で15個のミョウガが採れた。不思議なもので我が家のミョウガは、ちょうどお盆のころにしか採れない。この夏は気温が高く雨も降らなかったため、ほとんど連日のようにホースで水撒きをした。きっとそのお陰で何とか例年通り実をつけたのだろう。昨晩はおつゆに入れ、今日の昼は刻んで素麺の薬味にした。ミョウガはやはり夏の味だ。 今朝はゴーヤが6本とキュウリが5本採れた。先日来近所にゴーヤを配っているが、その「お返し」に桃、カボチャ、枝豆、生卵などをいただいた。まあ1本70円ほどの苗4本から果たしてどれくらいのゴーヤが収穫出来たのだろう。恐らく既に30本は採れたはず。そしてこれからも暫くは収穫が続きそう。 普段から静かな路地裏だが、お盆で若干様子が違う。遠方へ出張しているご主人が戻って来たお宅。子供さんが帰省したお宅。初孫を連れて帰ったお宅。逆にいつも賑やかなのが、妙に静まり返ったお宅もある。別の町内にいつもは無人の家があるが、年に数度東京ナンバーの車が停まる。きっと休みを利用して、家の様子を見に帰るのだろう。 我が家では3人の子供が誰も帰省しなかった。いつも同様夫婦2人だけの暮らし。そしてその妻も昨日から旅行へ出かけ、私と愛犬が留守番をしている。たった2日間なので、家の中で会話がないのもさほど苦痛ではない。ほぼいつも通りの規則正しい生活をし、冷蔵庫内の食べものを着々と消化している。 今日はお盆の十六日。昔ならきっと町内ごとに盆踊りをしたのだろう。「相馬盆歌」や「炭坑節」など、盆踊りの賑やかな音楽が絶えて久しい。あれは懐かしい行事だった。戦後も既に65年。かつての年中行事も大都会ではもう過去の風景になってしまったようだ。
2010.08.16
コメント(4)
昨日、兄宅へ寄った時、従兄達の消息を兄嫁から聞いた。80歳を越えた従兄は入院中で、喜寿の従兄はもう農業の第一線から退いている由。叔父伯母でまだ生きているのは2人だけ。既に亡くなった従兄もいる。私の父は40歳で亡くなった。その父は戦争で負傷した傷痍軍人だった。 昨夜遅く天気予報を確認したら、福島県の今日の天気は晴れに変わっていた。だが、福島方面に走りに行こうとする私の気持ちは既に萎えていた。今朝は旅行に行く妻が先に目覚めたようだ。早目に朝食を摂り、旅立つ準備を終えて妻は家を出た。その時の妻の言葉は、「旅行中にもしものことがあったら宜しくね」。 「もしものことなんかあるわけないじゃないか」。私はただ「行ってらっしゃい」とだけ言った。昨日私は兄嫁に言った。「これから先は順不同だよ」。それはあながち冗談でもない。私の兄弟も妻の兄弟もまだ元気だが、これから先は何が起きるか分からない。妻の言葉ではないが、私達が「もしものこと」が起きる可能性がゼロとは言い切れない年齢になったことは確か。 愛犬との散歩後朝食を済ませ、新聞を読みいつもの番組を観た。その途中、思い切ってランニングに出かける。曇り空でまだ涼しい朝のうちに走って置こうと考えたのだ。約1ヶ月半ぶりの山のコースだが、足が重くてさっぱり前に進まない感じ。高速道路はUターンの帰省客の車で混み出したようだ。 山登りの途中で雨が降り出す。これもまた良し。むしろ涼しくて走り易くて助かるからだ。最近出来たばかりの坂の上のスーパーが閉店していた。土手の斜面に白いユリの花。名取川沿いの用水路では草刈り作業中。対岸へ渡り、高速道路の下を潜ろうとすると地下道が水浸しで、いつものお墓の前まで行った。大勢の墓参の人と線香の香りが漂う墓地。23kmを3時間もかかって帰宅。 先ず水風呂に入り、テレビ観戦しながらの昼食。甲子園では沖縄の興南が高知の明徳義塾を8対2で破った。攻守共に堂々たるもので、選手達は皆自信に溢れている。興南の強さは本物のようだ。試合が終わった直後、着替えて庭へ。カンカン照りの下、気になっていた草取りをする。汗だくの作業ですっかりきれいになった庭と畑。再び水風呂で汗を流す。 甲子園では仙台育英と宮崎の延岡学園の対戦中。こちらは息詰まるような熱戦で9回表まで7対7の同点。結局そのまま延長に入った。もし仙台育英が敗れれば、東北で残るのは福島県の聖光学園1校のみとなる。頑張れ~仙台育英。 さて、今日は65回目の終戦記念日。つい最近菅総理が先の大戦でアジア各国に対して迷惑をかけたことを詫びる声明を発表した。これについて色んな評価があるようだが、私は我が国が過去の戦争で過ちを犯したことを詫びるのが自虐的行為とは思わない。奪った国家的な史料を返還するのも当然だと思う。 戦後は遥かに遠のき、戦争による傷跡も薄れてしまった感がある。ブログの中には、朝鮮半島などに鉄道を敷設したことを、地元のために役だったなどと書かれた文章を見かけるがとんでもないこと。彼らの名前や宗教や歴史や文化を奪ったのも日本人なのだから。奪った方は忘れても、奪われた側はその屈辱を決して忘れないものだ。
2010.08.15
コメント(2)
昨夜の楽天はラズナーの快投で、千葉ロッテに対し4対0の完封勝ちだった。一時は1勝7敗だったのが4勝7敗と、このところ尻あがりに調子を取り戻している。昨夜はあわやノーヒットノーラン達成かと思うほど好調だったが、残念ながらヒット1本を打たれ、大いなる夢は潰えた。 今朝は久しぶりにひんやりしていた。それもそのはず外は雨。天気予報が朝から外れ、気勢を殺がれてしまった。愛犬との散歩と朝食後、ソファーで横になっているうちに眠ってしまったようだ。日頃の猛暑続きと肉体労働で、やはり疲労が溜まっていたのだろう。 10時過ぎ、義兄の車に同乗して妻の両親の墓参りに行く。お寺で妻の従兄家族と遭遇。その後妻の実家に立ち寄り、仏前に線香を上げる。その後私だけがお中元を届けがてら兄宅に立ち寄る。兄も義姉もまあまあ元気そうで何よりだった。義兄、義姉、兄宅の全てに、我が家で収穫したゴーヤをお裾分けして来た。帰路は雨の中を8kmほど歩いた。朝夕の散歩と併せて今日は10kmの歩きのみ。 帰宅後は庭の草取りでもしようと思ったのだが、生憎の雨で外へ出られず高校野球の観戦だけに終わった。夕食は妻がこの日のために作ったおはぎ。あんこ、胡麻、ずんだ(大豆をつぶしたもの)の3種類のおはぎは、甘さ控えめでとても美味しかった。これで2日間走らなかったので、きっとまた体重が増えたと思う。私の場合は夏も食慾旺盛で、あまり痩せることがない。 明日は妻が立山方面へ旅行に行く。その機会に長距離を走る予定を立てていたのだが、天候がかなり悪いみたい。コースの第1候補は我が家から笹谷峠を越えて、山形駅までの60km。だが日本海方面は大雨の予報だし、県境の奥羽山脈はさらに雨が強そうで危険なため中止。急遽福島方面へ向かおうかと思ったら、福島も雨が強いようで断念した。 そんな訳で明日は天気を見ながら庭の草取りをし、近場を走ろうと思う。また甲子園でも沖縄の興南や仙台育英が出場するので、野球観戦も悪くないかと気持ちを切り替えている。お天気だけはどうしようもない。今日と明日2日間をしっかり休養に充てよう。
2010.08.14
コメント(2)
昨日墓参りの途中で寄り道した。1か所目は元の仲間がいる現場。最近会社であった人事異動などについて情報交換をするためだった。私がかつての責任者が辞めたことを話すと、驚いていた。辞めたことは知らなかったが、辞めた原因が何かは彼が知っていた。そして上層部の異動の真相を話してくれた。我々パートにはどうでも良い話だが、社内には色んな「しがらみ」があることを改めて認識した。 2つ目の寄り道は帰路の「龍馬伝パネル展」。ご存知NHKの大河ドラマ「龍馬伝」のPRを兼ねたもの。坂本龍馬と番組に関する様々な資料がパネルで示され興味深かった。特に目新しかったのが、龍馬役の福山雅治、千葉道場の娘佐那役の貫地谷しほりが番組で実際に着用した着物。貫地谷しほりはさほど背が高くないことが着物の大きさで分かった。 気になっていた台風4号は秋田に上陸して岩手から太平洋上に抜けた後、温帯性低気圧になって消滅した。仙台では雨も風もさほどでもなく、今朝はかなり涼しかった。妻は走りに行ったが、私は愛犬との散歩のみ。大きく育ったキュウリ7本とゴーヤ6本を収穫。ゴーヤは帰宅した妻が、早速近所へ配ったようだ。 今日からバスのダイヤがお盆休み用に変更。いつもより時間が遅いため自転車で出勤。繁華街の地下道を通ると、ホームレスや彼らの荷物が、いつも通りの位置に治まっていた。第1現場の隣で工事中のビルが、今日は全面休止。お盆休暇で作業員が皆故郷へ帰ったようだ。去年の暮れから建物を取り壊し、その跡へ新たなビルを建設中だが、工事の全過程が手に取るように分かって実に面白い。 第1現場、第2現場のビルもいつもと違って閑散としている。職員の方がお盆休暇に入ったのだ。第2現場の責任者が親戚の不幸で忌引き、同僚1人がお盆で休暇のため、いつもと違う場所を清掃。帰宅する頃には気温が上がり出し、猛烈な暑さ。汗だくになってようやく帰宅。高校野球を観戦しながらの昼食になった。 先だっては沖縄の興南と徳島の鳴門が対戦した。選抜優勝校の興南は長男の母校。そして古豪鳴門は長女が1年間通った高校。結果は興南に凱歌が上がったが、転勤族の私には懐かしい土地が多い。今日は秋田の能代商業と山形中央が思わぬ大敗を喫した。東北からはこの後青森の八戸工大付属が3回戦に登場する。真っ黒に日焼けした彼らの顔は青春そのものだ。郷土の期待を背負う高校球児達よ、暑さに負けず頑張れ~。
2010.08.13
コメント(0)
「薬莱山とお足マラニック」を走ったその夜、体重を量るといつもより1kgほど増えていた。55kmも走ればかなり体重が減るのが普通なのに、何故増えたのか分からない。考えられるのはビールを1リットル(ロング缶2本)飲んだこと。翌日は散歩3kmのみだったこともあり、体重が元に戻ったのは2日後だった。私には珍しいことで、とても不思議な気持だった。 マラニックの翌日、両膝に軽い痛みがあった。原因として考えられるのは新しいシューズを履いたことくらい。少し底が硬い感じだったが、どれくらい走れるか実際に試してみたわけだ。痛みは間もなく治まり、長距離の練習用としてなら十分使えることが分かった。今後はレースでの使用が可能か、何度か試すつもり。 「仙台七夕」の開催中に繁華街の地下道を通ったら、いつもベンチに縛り付けてあるホームレスの荷物が影も形もない。きっと観光客の目に触れないよう、撤去したのだと思う。七夕が終わった今、彼らの荷物がどうなったのかについては未確認だ。 「仙台七夕」の今年の人出は、確か220万人を超えたと聞いた。先週の金曜日、私の勤務後相当数の観光客がトイレを借りにビル内へ入って来たそうだ。中にはトイレに忘れ物をし、慌てて高速道路から電話して来た人がいたとか。他県の方で、着払いで荷物を送って欲しいとの依頼を断ったら、後で代理の人が取りに来た由。あれだけの人出なのに、街中に簡易トイレが設置されないのはどう考えても変だと思うのだが。 第1現場の運転手さんから聞いた話だが、先日の朝役員の自宅前で待機している時に、赤トンボが5匹ほど車の屋根に止まった由。変だなあと思って良く見たら、何と5匹の赤トンボは光る屋根を水面と間違え、集団で卵を産みつけて行ったとか。暑かった今年の夏。赤トンボが卵を産みつけるべき水辺が無くなったのだろうか。奇怪な話でとても驚いた。 台風が近づいていることは知っていたが、今日は自転車で仕事へ向かった。勤務後、我が家の墓参りに行こうと思ってのことだ。昼食後墓地へ向かったまでは良かったのだが、帰路の途中で予想外の雨。全身ずぶ濡れになりながらも山越えで帰宅。テレビを点けたら、夕方には東北北部に上陸する可能性が高い由。今後の進路に要注意だ。
2010.08.12
コメント(4)
< 仙人の夢、凡人の夢 > 懇親会の会場へ行く間に、私はロング缶を2缶買った。温泉に入り終えた仲間が続々と集まって来る。久しぶりに会うH多夫妻も元気そうで良かった。驚いたことにT野さんの顔もあった。転勤族の彼とは、沖縄時代からの知り合い。初参加のH景さん共々、10年来の走友だった。最後にゴールしたY田さんも風呂から上がり、これで32名が揃った。 Kさん作成の参加者名簿が配られる。今回は若いランナーが少なく、昔からの顔馴染みばかり。色んなレースで頑張っていることを知ってるだけに、強い親近感を感じてならない。Kさんから長くこの会の事務局長を務められたU海さんの名前が出た。私が7年前に初めて「薬莱山とお足」に出たのも、彼が案内状とコースの地図を送ってくれたのがきっかけだった。目下闘病中の彼だが、何とか元気に復帰して欲しいものだ。 宮城UMCの会長であるM仙人の挨拶の後、懇親会に突入。私は保冷バッグから冷えたトマト、キュウリを出し、ピーナッツ煎餅、カシューナッツ、お握りと共に、隣席のS荘さんに渡した。それは約20kmほど一緒に走った彼へのお礼だった。自家製のトマトとキュウリはやはり美味い。持って行った塩と味噌も役に立った。S荘さんからはお返しにロング缶をいただいた。ありがとうね、S荘さん!! ロング缶が徐々に効いてくる中で、各人の挨拶が始まった。M仙人は来年「エベレストマラソン」に参加する予定とか。これはスタート地点が5360mと言う壮絶なもの。ランニングと登山をこよなく愛するM仙人なればこその壮大な夢の実現に、心からの拍手を送りたい。そしてT田さんは先頃亡くなられた奥様の母上の話をされた。きっと深い愛情に包まれていたのだろう。 私は9月の「秋田内陸」で66歳以上の完走者に贈られる「チャレンジ賞」へ挑戦することと、12月の「NAHAマラソン」と合せて「沖縄本島一周」達成に挑戦することを話した。仙人の夢に比べればごくささやかだが、私にはこれでも大事業。他人にとっては無意味でも、自分にとって意義があればそれで十分だ。 帰路はM仙人の車にお世話になった。だがラーメンを食べる間、皆を待たせてしまった。慌てて席に座った途端、目の前が真っ白。疲労と併せ、温泉での長風呂と一気に飲んだアルコールの影響で血管が広がり、脳貧血状態になったのだと思う。眩しくて目を開けられないためサングラスをかけたら、そのまま爆睡してしまった。 帰宅後まだ酔いが残る中、身に付けたもの全てを水洗いして干し、汗臭いランニングシューズを2足分、感謝しながら洗った。暑かったこの日一緒に走った大勢の仲間、忙しい中わざわざ給水や荷物の搬送に協力してくれた仲間、そしてこの日のために色んな準備をしてくれた仲間。そんな仲間がいればこそ、誰1人事故もなく無事山上の温泉にゴール出来たのだ。 私はこれまで8回参加して8回とも完走。中には疲労困憊の年もあったが、良く頑張ったと思う。これで「秋田内陸」への良い調整になった。きっと来月の秋田内陸路には、宮城UMC軍団のオレンジ色のシャツと帽子が元気良く駆け抜ける姿が見られるはずだ。<完>
2010.08.11
コメント(4)
< ヨレヨレのゴールと山の上の温泉 > ちんたら歩いている後から、O内さんが猛烈なスピードで追い抜いて行った。彼はサブスリーランナー。こんな暑い日にも関わらずスピードを落とさずに走れるのは、日頃の練習量の豊富さと強い精神力のせいだろう。鳴瀬川の中でアユを釣る人が数人。旧小野田町のコンビニ前で仙台明走会のH間さんが給水してくれた。冷たいスポーツドリンクを2杯いただく。 ここでもアイスキャンディーを買って食べた。F田会長が腹を下さないか心配していたが、大汗かきの私はどれだけ水分を摂っても全く心配ないのだ。ついでにエネルギー補給の一口羊羹を食べ、ミネラル補給の味噌を舐める。そこへ旧知のH景さんがやって来た。突然の事態に驚いていると、仙台明走会のF士さんに参加を誘われたと彼。なるほど、それで謎が解けた。 先行するH景さんを見送り、ゆっくり走り出す。ここにはクランク状の旧街道が残っている。きっと敵の襲撃を抑えるための備えだろう。太陽の位置が高く日影のない国道347号線を、苦しみながら走る。ようやく市街地を抜けた辺りで、S荘さんが立ち止まっていた。昨年水をもらうため民家に立ち寄ったところ、冷えたトマトをご馳走になったとか。どうやら私を誘うため待っていたようだ。 だが十分にエネルギー補給済みの私にはその必要はなかった。それにゴールには冷えたトマトが待っている。だが一旦停まった脚が再び走り出すのはどうしても無理だった。そのまま裏道へ入って歩き出す。後からF田さんも歩いて付いて来たようだ。この裏道が薬莱山へ続いていることを私は知っていた。歩くのなら木陰の無い国道より、この裏道の方が涼しいはず。 一度道を迷いかけたが、薬莱神社の里宮が見えて一安心。見覚えのある橋を渡ると、薬莱山への登り坂が始まる。追い着いたF田さんの話だと、道路の気温表示が34度だった由。道理で暑かった訳だ。薬師の湯手前で形ばかり走ってゴール。時刻は11時10分。ラスト7kmはほとんど歩いたが、ほぼ例年通り到着。炎天下50km近く走れたことに感謝だ。 フロントで受付し、荷物を持ってひとまず温泉へ。汗びしょのシャツなどを脱ぎ、先ず体を洗う。それからザブンと水風呂。冷たい水が火照った体に心地良い。次にうたせ風呂。少し痛みのある足と肩に滝状の温泉を浴びせる。それから露天風呂、サウナ、水風呂、バブルジェットへ入り、最後に大浴場で仕上げた。 ここでT田さんと遭遇。お互い裸だったが、メールでの約束通りハグ。古川4人衆も全員無事到着したようだ。体を洗っていたO川さんを発見し挨拶。今回初めて参加する仲間のため、きっと最後まで伴走したはず。本当なら自分のペースで55kmを走りたかっただろうに。彼の優しい配慮に感謝!!<続く>
2010.08.10
コメント(8)
< 灼熱の道と予期せぬ給水 > コンビニ前から走り出した時、2人組の姿が見えた。1人はM井さんだが、もう1人は不明。兎も角自分のペースで前へ進む。そのうちに誰かが後から追い着いて来た。住吉台走友会のS荘さんが「一緒に行きましょう」と言う。彼は「仙台国際ハーフマラソン」にも出場しているスピードランナー。そのまま付いて行けばきっとどこかで潰れてしまう。 「これは困ったことになった」。私は心の中でつぶやいた。折角一緒に行きたいと言うのだから、行ける所まで行くか。そして苦しくなったらスピードを落とせば良い。そう開き直って、彼と並走を始めた。小さな坂道を登り切ると沓掛。静かな木立の中に、確か一里塚があったはず。 「羽後街道」とは秋田内陸部へ向かう旧街道だが、今は国道457号線。前方から陸上自衛隊のトラックが何台かやって来た。山手の王城寺原演習場から砲撃の轟音が聞こえて来ることがある。間もなく加美郡色麻(しかま)町。自販機でペットボトルを買う。町役場方面には向かわず、左折、右折を繰り返し、田圃の中の一本道へ。 H郷さんとO友さんが私達の姿を確認してから、一本道へと曲がるのが見えた。きっとコースが良く分からなかったのだろう。とうとう太陽が雲間から顔を覗かせた。急速に上昇する気温に耐えるため、タオルハンカチを乗せた上から帽子を被り、サングラスをする。ここから約8kmは木陰もない灼熱の道。ペットボトル2本を手にし、黙々と前進。 やがて遠ざかるS荘さんの後姿。これでようやく自分のペースで走れると喜んだのも束の間、彼のスピードが鈍り再び一緒になった。泉、北泉、船形山は左手に霞んで見えるが、右に見えるはずの栗駒は厚い雲の中。頭から水を被るにも、手頃な農業用水が見つからない。我慢しながら走っていると、前方に2人の仲間が見えた。 ゴールから逆走して来たF田会長とKさんだった。色麻の分岐点まで行く途中、間違って「カッパの湯」方面に曲がり、6kmほど余分に走り、距離の合計は40kmになるとか。その時後からM仙人の給水車が追い越し、道端に停まった。まさに「地獄で仏」か、はたまた「砂漠の中のオアシス」か。 ここでいただいたのが、冷たいお茶とキュウリの漬物。そしてキンキンに冷えたタオル。紙コップには個人の名前まで書かれている。これは何よりも嬉しい心配りだ。一息ついて涼んだ体も、炎天下の道を走り出すと直ぐに汗でビショビショになった。颯爽と走り去るKさんを男3人が見送る形に。4kmほど頑張った先に、待望のコンビニ。ここでも暫し小休止。 トイレで帽子とタオルを濡らし、小豆キャンディーを買う。冷たくて甘くて美味しいキャンディー。やっぱ夏はこれだね。ここからゴールまでは残り9km。トボトボ走り出した後から住吉台走友会の魚人さんの軽トラ。予期せぬ出来ごとに驚いていると、ラジオでこのマラニックの放送を聞き、急遽仙台から給水に駆けつけた由。冷えたコーラを、感謝しつつ2杯いただく。<続く>
2010.08.09
コメント(6)
< 真夜中の街、朝の田園 > 目覚ましが鳴る。何気なく時計を見てビックリ。確か2時にセットしたはずなのに、時刻は何と2時20分。これは参った。もうトイレに行く暇はない。居間のソファーに用意したランニングの服装に着替え、メモに従って小さな保冷バックにトマト、キュウリ、保冷剤などを入れる。全ての準備を完了し、真夜中の街を自転車で飛ばす。静かに見送ってくれた愛犬に感謝。 仙台市体育館に着いたのが2時40分。まだ誰も来ていない。自転車を置き、近くのコンビニで買い物。朝食用のお握りが2個、昼食用のお握りが3個、そしてガムとつまみ。ゴール後の懇親会は、各自が「つまみ」を持参する仕組み。自家製のトマトやキュウリもビールのつまみなのだ。 トイレを済ませた後、明るい店先に座ってお握りを食べる。起きて直ぐにトイレや食事が出来るのもウルトラランナーの条件。少し騒がしい体育館前に急ぐと、やはり仲間が集まっていた。何しろさっぱり練習会に行かないものだから、走友会の仲間とは久しぶりの再会だ。ここに集まったのは全部で12名。F田会長車にリュックを預けて身軽になる。 今回が初めての参加になる仲間はやや緊張気味。スピードのある若手が参加してくれたのも嬉しいこと。3時5分過ぎ、いよいよ薬莱山に向けて出発。F田会長とKさんは車で荷物をゴールまで運び、逆走で練習する予定。M仙人の給水車は見えず、後からゆっくり追い着くのかも。 夜明け前の街は生温かい。熱帯夜のどんよりした空気が気持ち悪い。Y田さんからは先日彼が走った「おんたけトレイル」の話を聞いた。Yちゃん、H口さんの女性2人は、途中から引き返す予定。「仙台七夕」開催中の街中は、まだ祭りの余韻に浸っている感じ。Y田さんが食事のため、そしてM井さんがトイレのため列から離れたようだ。 いつもなら早目に抜け出してマイペースで走る私も、この日は体が重く感じ、暫く仲間と一緒に走ることにした。北仙台のコンビニで休憩。既にお握りを食べている私は、皆に断ってここから先行することに。比較的涼しいうちに出来るだけ距離を稼ぐ戦法だ。将監トンネル付近まで来た時、前方に異様な青年発見。何とズボンのお尻が汚れ異臭が漂っている。きっとその格好ではタクシーにも乗れず、歩いているのだろう。 富谷町との境界辺りで、同じ方向に向かう年配のランナーを発見。どうやら明走会の飛び入りの方のようだ。挨拶して先行。暫くしてクラクションを鳴らしながら通過する1台の車。顔は見えなかったが仙台鉄人会のF田さんとサポートのT橋さんか。夜が明けた郊外の団地を横目にひたすら走る。案外涼しくて走り易いのが助かる。A山さんがY野さんと待ち合わせをしていたのはこの辺りだったか。 のどかな田園風景。県内では8割以上が稲の出穂が進んでいるようだ。その一方、高温続きのため、実が入ってない稲穂もあるとか。靄のため「七つ森」のとんがり山が全く見えないのが残念。大和町の道傍でF田車が停まっていた。冷たいお茶を2杯飲み、塩も舐める。M井さんが先行していることを聞く。どうやら遅れを取り戻そうとしているうちに、仲間を抜いてしまったようだ。 そのM井さんが暫くして追い着いて来た。あらら、一体どこで抜いたのか。暫く並走しながら「おんたけトレイル」の話などを聞く。大衡町大柳で国道4号線と別れて「羽後街道」へ。道路が修復されて走り易い。出来るだけ道路の右側の日影を走る。若いH郷さん、O友さんが追い着いて来た。先行する彼らに「薬師の湯」の看板を目印にゴールに向かえば良いことを教える。コンビニで小休止し、お握りを食べる。スタート後、既に4時間経過。その間走り続けていれば腹も減る。<続く>
2010.08.07
コメント(4)
早朝3時スタートの「薬莱山とお足マラニック」へ今年も参加して来ました。これは宮城UMCと言うウルトラマラソン愛好者の団体が主催する集団練習会なんです。各走友会がスタート地点とスタート時間を決めて自由に走ります。 決まっていることが「薬莱山薬師の湯」へ12時までに到着することだけ。つまり近い走友会はゆっくりスタートすれば良く、遠い走友会は真夜中に走り出すことになります。8時半ごろまでは曇っていて、走り易く感じたのですが、8時40分ごろからはお日様が顔を覗かせ、とても暑くなりました。 給水のための伴走車が3台協力してくれたお陰で、全員無事ゴールすることが出来ました。最高気温は34度になったようで、私はラスト7kmは無理せずほとんど歩きました。ゴール後の温泉と冷たいビールは最高でした。詳しくは明日以降書く予定です。幹事の皆さん、給水や伴走をしてくれた皆さん、そして炎天下走った仲間の皆さん、本当にお疲れ様でした!!
2010.08.07
コメント(2)
クチナシが匂っている。昨年アゲハの幼虫に葉を食べられて丸裸にされたが、あれから見事に復活し今年もたくさんの花を咲かせた。ムクゲが白い大きな花を咲かせた。これは妻がどこからか一枝折って来たのを挿し木したもの。3年ほど経って50cmほどまで育ち、ようやく花を咲かせたのだ。 黄色いグラジオラスとピンクのミニバラが夏の庭を彩っている。どちらも妻が植えたはず。ミニバラの若い枝が先日折れた。妻が私を疑っていたが犯人(?)は愛犬。先日庭に放したらミニバラの根元に勢い良くオシッコをしたのだが、きっとあの時折ったのだと思う。柿の根元のヒマラヤユキノシタも、彼が穴を掘ったため全滅した。この暑さだ。誰も彼を責めることは出来ない。 今はゴーヤが花盛り。小さな黄色い花が独特の匂いを放ち、それにつられて蜂が蜜を吸いにやって来る。花から花へと飛ぶうちに雌しべの花粉が雄しべに着き、やがて小さなゴーヤの実が実る。猛暑の今年はキュウリとゴーヤが大豊作。時々知り合いに配らないととても食べ切れない状態だ。 日中、第1現場から第2現場へ移動する際にアーケード街を通った。昨日は準備中だった竹に、今日は見事な七夕が飾られている。それが軒並み連なって前が良く見えないほど。わずか100mだけだが、「仙台七夕」の雰囲気を味わった。勤務後、中心街の道路に遠くから来た観光バスがずらりと待機している。どれも他県ナンバーばかり。1日で数十万人の人出になるのだろう。こう暑いと300年間続く伝統行事も、熱中症が心配だ。 さて熱中症と言えば、明日は宮城UMC主催の「薬莱山とお足マラニック」。今夜は25度の熱帯夜になるようだし、明日は32度の予報。その猛暑の中で55kmのランニングに耐えられるよう準備した。宮城UMCのオレンジ色のランシャツと帽子は約束事みたいなもの。ランパンは白。サングラスと首に巻く特殊パルプとタオルハンカチも不可欠。 ポシェットには塩、アスリートソルト、味噌、アミノバリュー、そして小銭。これは途中のコンビニや自販機で飲み物、食べ物を買うために必要。今年も何台か伴走車を出してくれるが、この猛暑だと列がかなり離れるはず。特に田圃の中の8kmの直線道路には自販機が1台もなく、しかも一番暑い個所。いざとなれば農業用水を頭から被るつもり。 ジリジリと太陽に照らされながらのランは、間違いなく我慢の連続になる。苦しい時は、到着後の温泉とビールを思い浮かべることにしよう。そして久しぶりに再会する走友の笑顔を楽しみにして。さて、猛暑のマラニックへの何よりの準備は、今晩良く眠ること。明日は2時起床で3時のスタート。今夜も楽天が日ハムに勝って5連勝すれば、きっと安眠出来ると思うのだが。
2010.08.06
コメント(4)
夜。パジャマなどは暑くて着ていられず、ランニングシャツとパンツだけで寝る。夜中に喉が渇いて目覚め、ペットボトルの水を飲んで再び眠る。真夜中、今度は暑くて目覚める。窓は網戸にしているのに、風が通らない。どうやら熱帯夜のようだ。扇風機をつけて眠り、涼しくなった頃無意識にスイッチを切ったようだ。 朝。下着と肌が汗でベトベトして気持ち悪い。久しぶりに7時間ほど眠れたようだ。早朝ランへは時間がある妻だけが行った。5時前、半ズボンとTシャツ姿で愛犬と散歩へ。空気がひんやりして気持ちが良い。熱帯夜の割に、家の中より外の方が涼しいのだ。ランニング中の妻と出会えないまま帰宅し、愛犬に冷たい水と餌と3個のミニトマトを与える。 愛犬の抜けた冬毛やバラの枯葉が気になり、ガレージを掃き掃除。抜けた毛が愛犬の飲み水に入っていることが案外多い。誤って体内に入った毛を出すためか、時々道端の草を食べる愛犬。草にはビタミン摂取の意味もあるようだが、時々吐きそうにしてるのを観ると、やはり毛を出すためとしか思えない。口を利けない彼のためにも、人間が注意する必要があるのだろう。 次いで畑の観察。ゴーヤはカクレンボが上手で、良く見ないと見つからないことが多い。収穫は3本。キュウリは見逃したのが大きくなっていたりする。今朝も7本ほど取れ、まだ好調のようだ。完熟トマトを3個、枝からもぎ取る。同じくミニトマト20個ほど。これは取ろうと思えば幾らでも取れるのだが、時間がないためそれくらいで止めるだけ。 採れたてのミニトマトを早速朝食で食べる。キュウリの酢の物も、ゴーヤチャンプルーも、モロッコインゲンのお浸しも、全てが自家製。妻の美味しい料理に感謝。食後のイチジクは裏でもいだもの。カスピ海ヨーグルトも毎朝食べて快調快腸。ペットボトルに麦茶を詰めて出勤。散歩とバス停までの1kmを含め、毎朝2.5kmを歩く。 駅前で降り、アーケード街を歩くと、道に大きな竹がずらりと並んでいる。仙台七夕は明日8月6日から3日間開かれる。現場で警備服に着替え、7時半に巡回開始。8時半から玄関ホールで立哨。冷房が利かない玄関ホールはまるで蒸し風呂状態。人がいないのを見計らって外へ出、風に当たる。それでも体が持たない時だけ、クーラーの利く場所で短時間涼む。 10時半から第2現場で清掃作業。内廊下はまだ涼しいが、外路地には熱気が籠っている。そこをモップでゴシゴシ拭いているうちに、汗が滴り落ちる。メガネを取って顔の汗を拭く。それが済むと、道路と公園の掃き掃除。タバコの吸い殻、食べた袋、枯葉、飲んだビンや缶。時には唐揚げの骨や野良猫に上げた餌の残りなど、都会の真ん中の公園は汚れ放題だ。 昼。勤務後、ランニングスタイルになって山道を走って帰宅。多分気温は32度を超えているはず。頭からペットボトルの水を掛ける。それほど疲れているわけではないのに、脚がなかなか前に進まない。大橋の上に防護柵。今夜は七夕の前夜祭の花火大会があり、その準備なのだろう。青葉城にはいつもの数倍の観光客。きっと七夕を観に来た人達だろう。 わずか7kmを約1時間かけての帰宅。濡れタオルで体を拭き、着替えた後「ゲゲゲの女房」を観る。観終えてからリュック、ランシャツ、ランパン、帽子、タオルを水洗いして干し、それが終わるとようやく昼食。自分で「つけ麺」を作る。副食は残り物の野菜炒め。食後にコーヒー牛乳と蒸しパンなど。冷たい麦茶、残り物の味噌汁も飲み、水分、塩分の補給。 2階の自室でパソコンを立ち上げ、メールなどのチェック。熱波の「奥武蔵」に出ていたT田さんからメールが来ていた。前夜は新潟の銀のねこさん達と一杯飲んだようだ。2人とも猛暑に打ち克ち、無事ゴールしたようで嬉しい。ブログへの返事を書いた後、自分の洗濯ものを片づけて暫し昼寝。この数十分の昼寝が、疲労回復にはとても有効。 夕方。本日のブログを書き上げてから、愛犬と散歩。散歩から帰った後にミニトマトを与えるのが最近の約束事になった。それが終わるとホースで庭と畑に水撒き。これも最近の重要な日課だ。夕食には焼酎の薄い水割り1杯。水で割るか、麦茶になるか、梅酢かはその時の気分次第。 夜。早めに水風呂に入って体を洗い、ラジオでナイターを聞きながら、全国のブログ仲間の訪問。そして9時半には就寝。疲れ果てた体だと、暑くても何とか眠れるのだろう。こうして長い夏の一日を終える。今夜もまた熱帯夜か。そして明日も晴れで33度の天気予報。今年の仙台はなかなか厳しい。う~む。
2010.08.05
コメント(6)
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が面白い。テーマ音楽、出演する俳優、そしてストーリーと時代背景。それらの全てがとても魅力的に感じる。龍馬役を演じる福原雅治を私は全く知らなかった。本職は歌手と知りYouTubeで彼の歌を聞いたが、特に上手いとは思わなかった。 だが何故あんなに演技が上手いのか不思議だった。本物の役者にも負けない迫真の演技。へえ~っ、世の中には凄い人が居るもんだ。私はそう思い込んでいた。長い髪は「自前」らしい。それにパーマをかけて、龍馬の縮れっ毛の雰囲気を醸している。 一方龍馬のことも良く知らない。私が知ってることと言えば、幕末の志士で土佐の武士だったこと。桂浜に銅像が建っていること。勝海舟の弟子で薩長を取りなしたこと。30数歳の時、京都で非業の死を遂げることくらいか。 まさか土佐藩で上士(じょうし:身分の高い侍)と下士(かし:身分の低い侍)の身分の差があそこまで大きかったとは知らなかった。それは薩摩も同様で西郷隆盛や大久保利通など、後日藩の中心となった人物の多くが下級武士だったことに驚いた。 福山雅治のことをネットで調べた。出身は長崎。高校卒業後地元の企業に就職したものの、数か月で辞めて上京。アルバイトをしながら音楽活動を展開する傍ら、俳優の道を志した由。シンガーソングライターとしてかなりヒットしたアルバムもあるようだ。そしてテレビドラマなどに出ていたことも初耳だった。彼の演技が自然なのは、きっと若くして苦労をしたせいだろう。 一方、龍馬は江戸に出て剣術修行を重ねる傍ら、色んな人物と出会う。その筆頭が佐久間象山で、龍馬は蘭学の勉強により外国の事情に通じるようになる。脱藩した後は勝海舟の門下となり、海軍操練所に入所。後に我が国の商社第1号となる「亀山社中」を設立する。肥後で出会った横井小楠からも強い影響を受ける。彼の柔軟な思想は、きっと多くの人や事物から学んだせいだろう。 藩と言う既成概念から飛び出し、外圧に苦しむ日本をいかにして救うかと言うのが龍馬の願いで、当時としては破天荒な考えの持ち主だった。だからこそ誰も思いつかなかった敵同士を「薩長同盟」として結びつかせ、これが結局は明治維新の礎となった。薩摩は薩英戦争で敗れ、長州は下関戦争で敗れ、攘夷の無謀さと開国の必要性を悟っていた。 龍馬が唱えた「船中八策とは」 1)大政奉還 2)議会開設 3)官制改革 4)条約改正 5)憲法制定 6)海軍創設 7)陸軍創設 8)通貨政策 の由。まさに近代国家の創設を企図していた訳だ。横井小楠の薫陶とは言え、龍馬の先進性と近代思想の一端が理解出来よう。 「龍馬伝」を観て以来幕末から明治維新への関心が一気に深まった私は、「大黒屋光太夫」、「アメリカ彦蔵」、「ジョン万次郎」と一連の漂流物語を読み、「ふぉん・しいほるとの娘」を読んだ。これらは日本の作家の作品。これに次いで読んだのが「一外交官の見た明治維新」。これはイギリスの若き外交官であったアーネスト・サトウの著書。外国人の目で見た幕末当時の日本の混乱ぶりが見事に浮き彫りにされている。 そしてようやく最近になって、イギリスの初代駐日公使でアーネスト・サトウの上司であったオールコックの著書「大君の都 ~幕末日本滞在記~」 を読み始めた。サトウよりも日本への造詣が深かったようなので、彼が当時の我が国をどのように見ていたのか興味深い。全3巻の大著の読了まで、存分に空想を楽しみたいと思う。
2010.08.04
コメント(4)
猛暑による熱中症で亡くなった方は、全国で200名を超えたとか。亡くなられた方の大部分はお年寄りで、場所は家の中というのが今年の特徴のようです。 日頃鍛えている私達ランナーでも、夏場のレースは要注意です。大量の発汗が原因で、思わぬ障害を引き起こすことがあるからです。特に長距離を走るウルトラランナーは、十分な水分やミネラルの補給を心がけて下さいね。今日は私がこれまでに体験した熱中症の症状を紹介します。 <凡例> 1)レース名 2)開催年月日 3)気温 4)レース中に出た症状と対応 5)レース後の症状 6)補足事項など 1)第5回NAHAマラソン(フル) 2)平成元年12月 3)26度 4)35km付近で両脚に激しい痙攣があり10分以上倒れる。観客がくれたスポーツドリンクで回復 5)両脚の痙攣 6)初マラソンのための経験不足、水分、塩分補給の知識不足、練習不足、暑さに体が順応してなかったこと。 1)伊賀上野忍者道マラソン(36km) 2)平成8年6月 3)28度 4)頭痛、悪寒、眩暈、吐き気(農業用水で体を冷やしゴール 5)プールで1km水泳(レースの条件)したら軽快 6)主催者のミス 24kmが実際は36kmだったこと。急に気温が上昇したため給水所に水がなかったこと。 1)第13回奥武蔵ウルトラマラソン(75km) 2)平成18年8月 3)38度 4)頭痛、悪寒、痙攣、吐き気、眩暈(我慢しながらゆっくり走った) 5)激しい痙攣 6)酷暑(38度)の埼玉県に体が順応しなかったこと。熱帯夜でスタート前から脱水症状だった。スタート時に30度もあり、23度と冷涼な仙台との温度差が大きかったこと。 1)沖縄本島西海岸単独縦断(140km) 2)平成20年7月 3)32度(体感温度40度) 4)眩暈、頭痛、軽度の意識障害 5)倦怠感、疲労感 6)冷涼な仙台との温度差が大き過ぎたこと。2日目以降、朝は9時半まで、夕方は19時半過ぎにしか走れず、歩くしか出来なかった。 1)薬莱山とお足マラニック(55km) 2)平成20年8月 3)28度 4)眩暈、吐き気、悪寒、痙攣、嚥下障害 5)上半身の痙攣、眩暈、疲労感、倦怠感 6)前月の「沖縄本島単独縦断」時の蓄積疲労と重労働の残業が長期に続いたことが体調不良の原因。 1)石巻市~気仙沼市単独マラニック(90km) 2)平成21年7月 3)25度 4)吐き気、眩暈 5)眩暈、視覚障害 6)エネルギー補給、ミネラル分補給のミス。 1)第5回磐梯高原ウルトラマラソン(100km) 2)平成22年7月 3)24度 4)眩暈、視覚障害、味覚異常 5)味覚障害、痙攣、悪寒 6)ミネラル分の補給ミス。 こうして見ると長距離走の場合は走る時間が長いだけに、気温が24度でも発汗量はかなりのものとなり、体調不良や水分、エネルギー、ミネラル分の補給ミスと相まって、熱中症の症状が現れることがあるのが分かります。 今週末の8月7日(土)は、宮城UMC主催の「薬莱山とお足マラニック」が開催されます。当日の天気予報は晴れ時々曇りで、最低気温が25度、最高気温が32度となっています。(8月3日現在)前夜は熱帯夜でもあり、熱中症に罹り易い条件を備えています。参加されるランナーの皆さまは、水分、ミネラル分の補給に十分ご注意くださいね~。
2010.08.03
コメント(8)
仙台の7月の平均気温が例年より3度以上高かったことについては前にも書いた。するとこれまでの7月の平均気温は22度台だったことになる。先日NHKのニュースで聞いたのだが、京都では32度で熱中症に罹る人が出るようだが、仙台では28度でも熱中症の症状が出るとか。今年の仙台は梅雨明けも早く、それ以来連日の猛暑続き。暑さに弱いお年寄り達が熱中症に罹ったり、夏バテするのは当然なのかも知れない。 暑さに弱いのは老人だけではない。我が家の愛犬マックス君は全身黒い毛皮で覆われているせいか、とても暑がり。毎日ハーハーゼーゼーと荒い息づかいだ。このためより涼しい場所をと考え、ガレージ、玄関、アジサイの陰、柿の木の下と順次移動させている。最も涼しいのは柿の木の下。ここだと地面に穴を掘って腹這いになることも可能。こうして庭に穴が増えることになる。 昨夜のKスタは田中マー君が約1か月ぶりの登板で賑わったようだ。まだ完全にスタミナが戻ってないのか2点を失い6回で降板したが、それでも2か月ぶりの9勝目を挙げた。やはり本当に頼れるのはマー君1人。「地デジ」のコマーシャルでニヤつく岩隈などは、真のエースとは言えないだろう。対オリックス戦9連敗は免れたものの、借金は10。前途はかなり険しそうだ。 結局は昨夜も熱帯夜になった。真夜中にあまりの寝苦しさで目覚め、焼酎を飲んで就寝したのも束の間、今度はどこからか紛れ込んだ蚊に刺されて飛び起きた。血を吸うのは産卵のためらしい。そして刺され易いのは 1)汗臭い人 2)アルコール臭い人 3)O型の男 とか。その全てに該当する私が刺されるのは当然なのかも知れない。 睡眠不足気味の今朝は、ランニングを見合わせた。早朝ランに向かう妻の足音を聞きながらの二度寝。起床後、愛犬と散歩へ。タイミング良くランニング中の妻と遭遇した愛犬は尻尾を振って大喜び。帰宅後は餌と一緒に、完熟のミニトマトを2個与える。今年9月で12歳(人間だと64歳に相当)になる彼が案外元気なのは、朝夕の散歩とミニトマトのお陰かも知れない。 今朝の収穫はキュウリ5本、ゴーヤ3本、トマト5個、ミニトマト10個。早朝ランから帰宅した妻は、それらの野菜を新聞に包み、早速友人宅へ届けに行ったようだ。この夏大豊作のキュウリはカラシ漬け、古漬け、酢のもの、サラダなどになって私達の腹に収まったが、それでも食べ切れないため時々お裾分けしている。 昨日「NAHAマラソン」の申込書が届いた。昨年は初めて参加者が3万人を超えて大混乱したとか。そのため今年は2万5千人に限定し、定員に達し次第打ち切る方針のようだ。今日は愛犬を連れて郵便局へ振り込みの手続きに。これが今年最後のレース。果たしてフルの前日に30km余りの南部のコースを走れるかどうか。それで3年越しの「沖縄本島一周」が達成するのだが。 過去4連敗中の「東京マラソン」に、本日ネットで申し込み。果たして初出場出来るか、それとも不運にも5連敗となるか。結果はどうなる?
2010.08.02
コメント(4)
猛暑が続く仙台だが、悪いことばかりではない。梅雨末期の豪雨で湿った畑が、その後の高温で野菜の生育が一気に早まった。モロッコインゲンは大豊作だったし、7月は4本ほどしか収穫出来なかったゴーヤが、今は次々に成長している。そして完熟したトマトやミニトマトの甘くて美味しいこと。今日は知り合いの家に採れたての野菜をお裾分けに行った。 東北楽天が弱い。負け試合ばかりでさっぱり面白くなく、Kスタへ応援に行く気がしない。ラジオで聞いていて終盤に3点差で負けていれば、さっさとスイッチを切って眠る。そうすると翌朝4時に起床し、早朝ランが可能。楽天が弱いことが、結果的に私の走行距離を増やす原因になった。でも田中マー君が久々に登板する今日の試合のチケットが完売だったのは、ちとショック。 妻の定年まで後1年となった。仕事が少しずつ減り、土曜日が暇になった妻は観劇に出かけるなどし出した。今日は友人と山間のウイスキー工場に絵を描きに行った。私にとっては自由時間が増えて嬉しいことだ。妻の仕事が忙しかった時は色んな用事を頼まれたり、妻に付き合うことが多かった。 老後は自分のしたいことをするのが一番ではないか。これはお互いが健康で、経済的な心配がないことが前提だ。もちろんこれまで通り家事の分担やお手伝いすることに異存はない。唯一の心配はまだ独身の2人の息子。これも「少々心配事があった方が人生の彩りになって良い」と考えるようにしよう。 走友会の専用掲示板を見てガッカリ。楽しみにしていた蔵王のトレイル練習が既に終わっていたからだ。これは専用掲示板を開けなかった自分が悪い。10月の末にある「伊南川100kmウルトラ遠足」も今年は参加を見合わせた。少々寂しい気持ちはあるが、来年の楽しみとして取って置けば良い。チャンスは必ずあるし、今回はその代用の練習を自分で考えることにした。 昨日は妻と買い物に出かけた。買ったのは私のランニング用品と、2人の登山用品。登山関係で買ったのは上下の登山服と雨具。これだけでも5万円近い額。不足のものはまだまだ多いが、これから徐々に揃えるのを楽しみにすれば良い。負け惜しみかも知れないが、時には辛抱することも必要だと思う。
2010.08.01
コメント(4)
全32件 (32件中 1-32件目)
1


