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大関琴光喜が野球賭博でした借金の大半は、大嶽親方(元関脇貴闘力)のものだったようだ。大嶽親方が自らそう語っているのだが、何とも不思議な話。野球賭博での借金の額が3千万円ということに先ず驚く。とても一般の人には考えられない額だ。それに色んな賭博に手を染めていたとも聞く。 彼は元大鵬親方の三女の婿となり、大鵬部屋を継ぐ形で大嶽部屋を興した。その際、大鵬親方が娘に「婿の博打をやめさせろ」と言ったそうだ。その頃から博打好きが有名だったのだろう。除名は大相撲界からの追放だろうし、退職金も出ないはず。そして部屋の存続も危うくなるだろう。またもや大問題を起こした大相撲界の闇は、一体どこまで広がるのだろう。 昨夜も楽天はエース田中で試合を落とした。これで借金が6つとなり、目下パリーグの最下位だ。今季は最初から借金生活だった楽天。新監督になってから、まだ一度も貯金生活を経験していないとは寂しい話。それでもこれから頑張れば、借金を返済出来る可能性は十分ある。一日も早く仙台の街に活気が戻って欲しいものだ。 3ヶ月間苦しんだ借金を、昨夜ようやく完済した。分割払いで買ったパソコンの代金だ。この間バスには最低限しか乗らず、スポーツ紙や雑誌「ランナーズ」を買わず、もらった図書券で文庫本を1冊だけ買い、Kスタへ行かず、底の摩り減ったランニングシューズで我慢していた。 これまで頑張ったご褒美にランニングシューズを1足と、田中マー君が登板する試合のチケットを買う予定。それもわずか千円の外野自由席なのだが。厳しい耐乏生活も、明確な目的があるから我慢も出来た。これからも安心せず、しっかり小づかいを管理しよう。 さて昨夜の侍ジャパンはパラグァイ相手に良く戦った。最後はPK戦にまでもつれ込み、3-5で敗れた。失敗した駒野は終始うなだれていて、それを仲間が必死に庇ったとか。敗因はシュートやPKの精度の差だろう。冷やっとした場面が何度かあったが、良く日本も防いだ。何とかスペインと戦う姿が観たかったのだが、残念でならない。今日はとても眠くて困った。 まだ戦いの最中にあるのが参議院議員選挙。他党との違いを声高に叫んで懸命にアピールする候補者達。宮城県では定員2名のところに8名が立候補する激戦。果たして有権者はどんな選択をし、どんな結果が待っているのか。その審判が下るまで残り10日となった。 < 今月のラン&ウォーク > ラン回数:20回(うちレース1回) 走行距離228km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:165km(仕事で歩く距離約80kmは含まず) 月間合計:393km 年間走行距離:1275km 年間距離合計:2170km これまでの累計:72,204km
2010.06.30
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梅雨に入ってから、野菜の育ち方が早いのに驚く。適度の雨と高い気温が、きっと成長を促すのだろう。モロッコインゲンに白い花が咲き、トマトには小さな実が実った。そして今年初めてキュウリが4本獲れた。やはり初物の味は最高。天の恵みに感謝だ。 だが梅雨は良いことばかりではない。このところ蒸し暑い夜が続き、寝苦しくて困っているのも本当のこと。おまけにサッカーのワールドカップや参議院議員選挙、大相撲界を揺さぶった野球賭博事件など安眠を妨げる要素が目白押しなのである。 雨だと愛犬の散歩にも困る。濡れないために大きな傘が必要になるし、土砂降りにでもなれば長靴を履く必要も出て来るだろう。さらに雨はランナーにとっても大敵。雨が降れば走れなくなり、走行距離が稼げなくなるからだ。 私はバスで通勤している。雨が上がれば勤務後に走って帰れるが、朝持参した大きな傘が邪魔。折角の走るチャンスが傘を持ち帰るためだけに、再びバスで帰宅することになる。これを何とか出来ないかと考えてみた。 もし大きな傘の代わりに折りたたみ傘を使えば、雨が止んだ際には帰宅ランが可能な日があるかも知れない。小降りの場合は、傘を差しながらのランも一興。さらに、日中は降っていても夜になって止んだ場合は、夜間に近所を走るのはどうだろう。 そんな実験を試行して2週間が経った。帰宅ランが出来たのが4回。夜走れたのが4回。そして帰宅ランと夜ランの両方出来たのが2回あった。距離の合計はわずか72km。夜ランは夕食後だし、飲酒した日はスピードを出せない。それに眠る前に神経を高ぶらせない方が良いと思う。 昼夜2回走る場合は、水洗いして干したランパン、ランシャツを夜も着用することにした。まだ湿っているが、それが涼しくて気持ち良く感じる。そして夜ランでは靴下は履かない。理由は洗濯ものを増やさないため。この時期はなかなか洗濯ものが乾かないのが主婦の悩みでもある。 ふとしたきっかけで始めた夜ランだが、思いがけない効用があった。それは妻のランニングに付き合えること。彼女は週2回ほど夜ランをしている。日中はとても「鑑賞」に耐えるランニングではないし、暑いこともある。近所に目下造りかけの道路があるのだが、ここは歩道が広い上に照明が明るくて安全なコース。 まあ痴漢に襲われる怖れはないだろうが、私が近くを走っていれば、何かあった際に妻を守ることも出来る。最近になって妻は、初めてランニングパンツを履いて走った。それは16年前に私がプレゼントしたもの。当時も細々と走っていたのだが、その後更年期障害が酷くなってランニングを止めていたのだ。 上は私が着ない木綿の半袖Tシャツ。下はさほど似合ってないランパン。そんな姿でゆっくり走る妻を観るのもなかなか新鮮な気分。梅雨時の清涼剤にはならないが、前期高齢者2人がトボトボ走るのも案外風流と思えるこの頃だ。
2010.06.29
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「みなみかた花菖蒲の郷公園」でバスを降りてビックリ。暑いのなんの、気温が高いのに加えて湿度も相当のようです。予め添乗員さんから簡単な説明を受けました。ここには300種類80万本の花菖蒲があるそうです。中でも珍品が「花且美」(はなかつみ)と言う種類。通常の花菖蒲が3枚の花弁なのに対し、変種のこれは6枚の深く切れ込んだ花弁とか。 園内はかなり広く、とても見応えがあります。これが無料で観覧出来ると聞いてさらにビックリ。元々農業排水路だったところに手を加えて作った公園のようです。南方はかつての村の名で、今は合併して登米市に編入されています。宮城県の北部で、岩手県境に接しています。江戸時代には松尾芭蕉が「奥の細道」で、この付近の長沼を通ったとか。 たくさんのアジサイが咲き始めていましたが、花の色は淡い青のまま。肝心の「花且美」は残念ながら見つけられませんでした。それもそのはず、たった4株だけ植えられているみたいですが、盗難を恐れて名札をつけてないとか。それでも探し当てた幸運なツアー客が何名かいたみたいです。園内では浴衣の美女をモデルに、撮影会が始まるところでした。 次に向かったのが宮城、岩手、秋田の3県にまたがる栗駒山(標高1627m)の中腹にある「世界谷地」です。この周辺は2年前に起きた「岩手・宮城内陸地震」の震源地です。多分テレビの報道で、大きく崩れた荒砥沢ダム周辺の光景を目にされたことでしょう。今回のツアーは国道342号線の完全開通と震災からの復興を記念しての企画のようですが、地震の爪跡が生々しく残っている所が何箇所かありました。 栗駒山の中腹、標高700m前後に3つの湿原があります。火山だった大地森(1154m)と揚石山(869m)との間の窪地は泥炭地ですが、ここに長い間かかって水苔などが堆積し湿地帯が形成されたようです。上部の2つの湿原には崩落の危険性があるため近づけず、今回訪れた「第一湿原」だけが唯一立ち入りを許されています。 「世界谷地」。何と不思議な響きを持つ地名なのでしょう。広い湿地帯と言う意味でつけられた名前のようです。自然保護のために木道しか通れませんが、私などは1周するのに15分もあれば十分でした。もちろん木道部分の外側にも湿地帯は広がっているのでしょうが、それでも「世界」まではどうでしょう。 美しい三角錐の大地森と揚石山。その遥か上方には残雪を戴いた栗駒山が聳えているのですが、残念ながら頂上部分は雲に覆われていました。谷地に響く鳥の声。耳を澄ますと、鳴いているのはカッコウとホトトギスとウグイスでした。 そして原生花園に咲いていた花々は、オレンジ色が鮮やかなニッコウキスゲ、シュンランに似た色のサワラン(これはとてもほっそりしています)、薄いピンク色の花を持つトキソウ、可愛い小さな釣鐘のようなサラサドウダン、そして白い綿のようなワタスゲです。花の種類は第2湿原の方が豊富だと聞いています。私は木道を4周し、高原の空気を満喫しました。 妻は色んなアングルから写真を撮ったようです。それらはいずれ趣味の油絵にも生かされるのでしょう。木の椅子に腰を掛けて食べた果物やお菓子の美味しかったこと。次に向かった「いわかがみ平」から2つの「世界谷地」を見下ろすと、それらはまるで淡い色合いの草原のようでした。 帰りは金成温泉延年の湯に入りました。泉質は弱アルカリ性で神経痛や筋肉痛に効き、疲労回復にも良いそうです。温めの露天風呂、熱めの大浴場、そしてサウナ。この3つに代わる代わる入り、日頃の疲れを癒しました。今回の旅は、先月行った「奥只見湖」を選んで失敗した妻が私に一任したもの。私が選んだコースは、やはり正解だったようですね。
2010.06.28
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今日は朝から、妻とバスツアーに行ってました。行き先は宮城県北部。最初に訪れたのが登米市南方の花菖蒲園。300品種、80万本の花菖蒲があでやかでした。 2番目に行ったのが栗駒山ろくにある「世界谷地」。標高700mほどにある湿地帯です。小さな湿原でしたが自然豊かで、色んな花や植物が観られました。木道をテクテク歩きましたよ。 3番目に行ったのが栗駒山の登山口である「いわかがみ平」。標高1100mほどの高地で、駐車場には雪が残っていました。残念ながら急にガスが出始め視界不良に。 そして最後に訪れたのが栗原市の金成温泉延年の湯。熱いお湯、温めの露天風呂、サウナの3つを代わる代わる入り、久しぶりの温泉を満喫しました。 今日行った栗駒山周辺は、2年前の大地震で大規模な崩落があった場所です。今回は震災からの復興を記念しての企画でした。あの崩落現場の一部が見えましたが、自然の脅威は大変なものですね。心配していた雨ですが、ツアーが終了し仙台に帰った時に降っていました。 旅の模様は明日、改めて書きたいと思っています。今夜は遅くなったため、どなたの所へも伺うことが不可能です。明日の朝早く起床するためです。悪しからずご了承くださいませ。
2010.06.27
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朝からグングン気温が上がる中、私は庭へ飛び出した。明日から暫くは雨になるようだ。滞っていた庭仕事をやるのは今日がチャンス。連夜の寝不足で極度の疲労が溜まっているが、そんなことを言っていられない状況になっていたのだ。 最初に取りかかかったのが玉ネギの収穫。昨年10月半ばに100本の苗を買って植えたが、厳しかった冬に駄目になったのもあれば、春先に腐ったものもあった。サイズを分類しながらの収穫は結構楽しい。結局大玉45個。中玉20個、小玉18個。一部腐ったのが1個あった。既に採って食べたのもあったから、まあまあの収穫かも。サイズに合わせて箱に入れ、これから暫くの間、風通しの良い場所に干す。 次に青虫にすっかり葉を食い荒らされた小カブの始末。葉を4cmほど残して切る。小さくても味噌汁の具になるし、大きめのは料理や漬物にも使える。生育の良い春菊を収穫。これも色んな料理に化けるはず。モロッコインゲンに支柱を施し、トマトの脇芽を摘み、ミニトマトを紐でまとめ、キュウリの蔓を紐で誘引する。 カンカン照りの下での草取りは汗びっしょりになった。取った雑草はバケツで5杯にはなったと思う。通行の邪魔になるアジサイ、ハナズオウ、ナツツバキなどの枝は剪定した。最後にゴーヤに追肥を施し、キュウリとモロッコインゲンの支柱をビニール紐で強化して、全作業を終了。 作業後の火照った体に水風呂は最高。我が家の梅で作った梅酢で割った焼酎を飲みながら、楽天対ソフトバンクの試合をテレビ観戦するのは極楽そのもの。だが既に日は陰り、長時間玄関で待たせていた愛犬との散歩の時間も迫った。 すっかり頭が空っぽになった真夏日の一日。明日は妻とのバス旅行だ。県北のアヤメ園、高原のお花畑、そして温泉。きっと妻も喜ぶはず。今夜こそはグッスリ眠りたいが果たしてどうなるか。 今日は2時間もかけて書いた日記が、最後の最後で突然消えました。楽天ブログはこんなことが多くて困ります。慌てて2度目を書きましたが、かなり短めになってしまいました。
2010.06.26
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昨夜はKスタへ行っていた。4月4日(日)以来だから、実に久しぶりのこと。パソコンを新調したために小遣いが乏しくなったのが遠ざかった原因。昨夜の西武戦だって、会社の「ただ券」が当たったから行けたのが真相。それもいつもの外野席と違ってバックネット裏だったから、まあ楽しいの何のって。 火曜日の初戦を田中で落としたものの、水曜日は10対8の逆転勝ち。井坂先発の昨夜は、王者西武に対してどんな戦いが挑めるのか不安だった。今季2年目の井坂は昨夜まで1勝1敗の成績。1回表にたちまち1点を失った時は、やはり不安が的中したと感じたものだ。それが回を追うごとに球威が増した。 そして打線にも火が付き、2回裏には高須の4号2ラン。3回裏にも中村ノリと高須の2点タイムリーで3点。そして7回裏には、またまた高須のタイムリーで1点。井坂は最終回に1点を献上したものの最後まで投げ切り、2勝目を手にした。もらったマスコット人形は、きっと生まれたばかりの長女への良いお土産になったことだろう。 西武は今期絶不調の西口が誤算か。お立ち台に上がったのはもちろん投打のヒーロー井坂と高須だった。Kスタに飛び交う真っ白のジェット風船。そして轟き渡る勝利の歌声。私にとっては今季初の凱歌だった。 興奮も冷めやらぬまま眠りに就いたが、夜半2時過ぎには完全に目が覚めた。NHKではウインブルドンの中継中。ワールドカップを待っていたが3時半になってもそのままで、慌てて民放へチャンネルを切り替えた。序盤はデンマークの動きが良く、さすがはヨーロッパのチームと感心させられた。 金髪のビッグマウスことCSKAモスクワ所属の本田(24歳)が前半17分に無回転のFKを決めたのはトイレの最中。後刻録画で観たが、高度の技術だった。続いて前半30分にG大阪所属の遠藤(30歳)が同じように完成度の高いFKを決めた。何と前半2対0でのリード。予想外の展開に狂喜した私だった。 後半36分。トマソンのPKでデンマークが得点し2対1となって一気に緊張が高まった。日本は引き分けでも決勝トーナメントに進めるが、負けているデンマークだって必死のはず。過去出場した際は必ず決勝トーナメントへ進出した強豪国なのだとか。だが次に点を取ったのは日本。後半42分、本田の絶妙なパスを受けた清水エスパルス所属の岡崎(24歳)が慎重に流し込んだ。 そのまま試合終了。外国で開催されたワールドカップで日本がベスト16になったのは今回が初めてだそうだ。韓国が早々と決勝トーナメント進出を決め、メンタル、フィジカル両面の強さを感じさせられたのだが、日本も何とか後に続くことが出来て良かった。妻も途中で起き出し、夢中になって応援していた。 そんな訳で、昨夜も睡眠不足。お陰で今日はとても眠かった。だが、2つの勝利は深い充実感を私にもたらした。ワールドカップ直前の強化試合で4連敗を喫した岡田ジャパンに対してマスコミの論調は概して厳しく、辞任を求めるような記事も中にはあった。 だが今回の勝利で岡田監督への評価は一転し、今度はその指導力をこぞって誉める始末。これだから日本のマスコミは軽薄なのだ。そして私も含め、そんなマスコミに直ぐ影響される。当初彼が「ベスト4入りが最終目標」と語った際には誰も本気にしなかったが、今ではヨーロッパや南米でも岡田ジャパンを警戒しているみたいだ。 嬉しいね。日本の選手達が世界の桧舞台で活躍する姿を観るのは。そして一戦一戦力をつけ、自信を深める日本の若者を観るのは。このまま出来るだけ長く、私達の心を熱くして欲しいと願う。そのためなら多少の寝不足なんて我慢出来るさ。きっと。
2010.06.25
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< 完走記を書き終えて > 長い完走記を書き終えた。あの厳しかったレースを再現出来て、今ようやく安心している。レース後の翌日から書き始めた完走記だが、いつも通り疲労との戦いだった。筋肉痛はレースの2日後にはほぼ治まってくれたが、月曜日は酷い痛みと戦いながら仕事をしていた。 問題の腰の痛みの方は、レース中に悪化しなかったのが不思議なほどだった。だが、勤務に復帰した2日目、つまり火曜日に酷い痛みに見舞われた。清掃員として働いている第2現場で初めて頼まれた業務が、腰に過大な負担を掛けたようだ。 「実は日曜日に100km走ったので」とか、「ギックリ腰になったので」なんて言い訳は通用しないし、したくもない。たとえパートタイマーでも何がしかの賃金をもらっていれば、きちんと仕事をするのが当然だからだ。 レース後の興奮と体の痛み、極度の疲労が重なり、なかなか睡眠が取れない日が続いた。夜中に焼酎を飲み無理やり寝たのが4度。そして1度は睡眠薬のお世話にもなった。人間とは不思議なもので、疲労が激しいと眠れなくなることを改めて実感した。そんな状態での完走記執筆だった。 レース後に大会本部の公式HPを何度か確認した。レース結果が発表されたのは、確か3日後くらいだったと思う。それで走友達の情報が分かった。大会プログラムに載った100kmエントリー者は男が649名で、女が103名。これにはGMCメンバーも含めた。 一方HPに載った完走率から出走者数を割り出した。これによれば、100kmの部の男は591名となり、女は88名となる。完走率は男が64.12%(完走者数379名)、女が48.86%(完走者数43名)。100kmの部全体の完走者数422名で、完走率は62.2%となる。あれだけ暑くなれば完走率が低いのが当たり前。特に体力がない女性にとっては厳しいレースになったようだ。 走友達の結果についても簡単に触れておきたい。K彦氏の11時間32分19秒はさすが。どうやら「川の道」で傷めた脚も少し良くなって来たのだろう。20km付近まで一緒だった東京のSさんが12時間07分56秒でのゴール。彼はあの後徐々にペースを上げたのだと思う。彼も故障していた脚が回復したようで嬉しい。 所属走友会ではO川さんが一番速くゴールしたようだ。抜かれた時の表情には余裕があった。快心のレースではなかったのかも知れないが、彼の実力はまだ十分に発揮されていないはず。M仙人の12時間26分15秒も、彼にとっては不満だと思う。でも70代2位入賞は立派。 レース前日、東北道長者ケ原PAで合流した際、彼は1冊の本を私に示した。それは確か外国人運動生理学者の著書だったはず。私にも参考にして欲しかったようだが、レベルが違うので丁重に断った。彼の年齢でまだより良いランニングの在り方を追及する研究心に敬服。素晴らしい成績の陰に、日々の精進があることを改めて知る。偉大な先輩だ。 T田さんが私の直前にゴールしたことも大会のHPで知った。90.7kmのASで会ったことを考えれば特段不思議なことでもないのだろうが、私にはとても奇遇に思えたし、嬉しいことだった。ブログ仲間mocomocoさんのことも分かったし、90km手前で抜かれた「大型新人」の女性ランナーもほぼ特定出来た。 一方、残念ながら途中でリタイヤした走友についても触れておきたい。横浜のWさんの名が完走者リストになかったのがとても残念。今回も5km付近で彼に置き去りにされたが、美しいフォームで淡々と走る老ランナーも、あの厳しい暑さには勝てなかったのだろうか。 女子の部で例年優勝や上位入賞を果たしているリリーさんの名も、リストで見つけることが出来なかった。春先から不調だとは聞いていたが、今回の途中リタイヤで、まだ十分に回復してないことを知った。彼女のことだから必ず復帰すると信じている。 所属走友会や宮城UMCのリタイヤした仲間が、あの猛暑の中でどんな戦いをしたのかが気になる。それぞれに全力を尽くしたのだと思うが、どんな体調でコースのどこまで行けたのだろう。 私の次のレースは7月10日(土)の「磐梯高原ウルトラ」100km。きっとこちらもホットなコースが私を待ちうけていることだろう。そして心は既に9月の「秋田内陸」に向かっている。果たして12時間台でのゴールが5年ぶりに出場する私に可能だろうか。いや、何とか完走を目指して、これから練習に励みたいと思う。 さて、完走記を書き終えた今、もらった完走証、完走メダル、大会プログラムなどは捨てる積り。それらは既に過去のもので、記憶は私の胸に収めておくだけで良い。全てリセットして次の目標に向かうのが私流のやり方。次回のレースについても、何とか良い完走記を書けることを願っている。<完>
2010.06.23
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< 冷えたパイナップルジュースとゴール > ここは雫石町。ゴール地点のある町だ。暫く家並みが続いた後、再び田舎道となる。もう完走は間違いない。後はどれくらいでフィニッシュ出来るかだ。92km過ぎから登り坂。坂の手前にスタッフの人がいて、「急だから歩いた方が良いですよ」と忠告。それに逆らい走ってみたが、もう脚が言うことを聞かなかった。 坂を登り切ると急に景色が変わった。だが、いつもなら前方に見える岩手山が、もやに包まれて見えないのが残念。目の前を走るベテラン2人と若者1人の3人組。常に誰かがペースメーカーになって引っ張る。後に着きたいところだが、これが結構厳しいのだ。 右折すると田圃の中の道。左手に満々と水を湛えた用水路がある。そこに飛び込めたらどれだけ気持ちが良いことか。「ゴールして水シャワーを浴びるぞ~。冷えたビールを飲むぞ~」と叫ぶ。 95.8km地点に最後のASがあった。もう夕方の5時近いのに道路は熱気ムンムン。迷わず頭から水を被り、沢庵の僅かな塩味を楽しむ。97kmまで来た時、C一さんが無人の小屋に入って行くのが見えた。ゴール後に聞いたら、疲れたため暫く横になっていたと彼。 「仙台国際ハーフ」前日に高齢の母上が倒れ、出場出来なかった由。そんなことを少年のように笑って話す。きっと看病の疲れが出たのだと思う。前日のGMC表彰式後には、もらったばかりのジャケットをそっと私の肩に掛けてくれた。彼にはそんな優しい一面がある。 雫石川に架かる橋付近が98km地点。ここに臨時のASが置かれていた。あったのは氷で冷やした缶ジュース。私はパインジュースを選んだ。疲労困憊のランナーには予想外のプレゼントだ。「ASのは冷えてなかったもんなあ」。1人のランナーがそんなことを口にした。 「馬鹿野郎」私は怒った。こんな暑い日だもの、ASの食料が温まるのは仕方ないじゃないか。最初の頃なんか、お握りは何の味もしなかったし、食べ物もごく限られていた。それに水すら十分備わってなかった年もあった。大会本部やボランティアの人達は1年ごとに経験を重ね、ランナーのためにより充実した運営を心がけている。それも知らずに何を言うか。 ゴールの雫石総合運動公園が近づいた。安心して歩き出した3人組を抜く。公園の敷地内でゆっくり走っている男女。1人はG島さんでもう1人は秋田の女性。「ゴメンね」。2人に謝ってラストスパート。最後まで全力を尽くすのが自分流。服装を正し、両手を挙げてゴールに飛び込む。ようやく長かったレースが終わった。 完走メダルなどをいただき、アーリーエントリーの料金返戻手続き。荷物を受け取りシャワー室へ急ぐ。正式なタイムは13時間23分24秒。12時間台でのゴールは無理だったが、あの高温下で良く痙攣が起きず、最後まで腰が持ってくれたものだ。シャワーから戻るとG島さんとC一さんが居た。笑顔でお互いの健闘を讃え合う。 テント村の休憩所に仲間が集まっていた。誰が完走したかや大体の順位も想定出来たが、それには触れなかった。ウルトラには勝者も敗者もない。全力を尽くせばそれで十分。K藤さんが「おめでとう」と手を差し出した。私は小さくうなずき彼女の手を握った。挨拶して皆に別れを告げる。翌日の勤務に備えて早めに帰宅するためだ。 盛岡行きのバスを待つ間、私は芝生に座って1人祝杯を挙げた。念願の缶ビールが美味い。「ワサビお握り」と「焼きホタテ」もあっと言う間に平らげた。厳しいレースにも関わらず、私の胃は案外頑丈に出来ていた。バスの座席に落ち着き、初めてプログラムに目を通した私だった。<続く>
2010.06.22
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< 頑張る新人と眠る勇者 > 凄い新人と出会ったのは78km付近だったと思う。たまたま横を走っている女性ランナーと話したら今回がウルトラデビューとのこと。きっと辛いだろうと推察したのだが、これがとんでもない勘違い。彼女は汗一つかいておらず、ペースが非常に安定していた。それに終始ニコニコ顔で、体つきも実にしっかりしている。 先輩面してコースの概要とゴールまでの注意事項を話すと素直に聞き入れる彼女。「早期発見早期治療」のロゴがTシャツの背中にあるのを見ると、病院関係者なのだろう。年齢はまだ20代か。その彼女を置き去りにして80km地点からの坂を下る。ここがコースの中で最も急な下り坂。彼女はきっとアドバイス通り、慎重に下ったのだと思う。 林の中は涼しくて気持ちが良い。左手に渓谷を見ながら快調に下ると、やがて道の両脇は鬱蒼とした杉林になる。「テッペンカケタカ、テッペンカケタカ」。暗がりから響く鳥の声。暫くするとM子さんの姿が見えた。かなりスピードが落ちている。その横を声を掛けながら追い越す。 「時間は十分にあるからね。マイペースだよ」。私の声が彼女にどう聞こえたか。夏日の中のウルトラは初体験の彼女。ご主人共々今日は「地獄」を味わったと思うのだが、この厳しい体験が生かされる日が必ず来るはず。85km地点を通過。ゴールまで残り15km。ここからが本当の勝負だ。ここで秋田のJunさんが倒れていたと知ったのはレースの数日後だった。 峠の涼しいトンネルで腹を冷やし、レストステーションではゼリー1個しか口に出来ず、2回の下痢に苦しみ、とうとうこの地点で眩暈が起きた彼。そして87km地点では嘔吐も。きっと熱中症に罹ったのだと思う。水すら飲めない状態で再び走り出し、10時間35分27秒でゴールしたとの話に驚嘆する。10時間を切れなかったのは数年ぶりとか。その反省から、週末には早速50km走と30km走をしたとブログにあった。きっと凡人には想像もつかないレベルを目指して、彼は駈け出したのだろう。 86.3km地点の第18AS(第4関門)で休んでいると、先刻抜いた大型新人とM子さんが追い着いて来た。水と食料を口にし、直ちにレースに復帰。M子さんの顔を見たのはそれが最後。彼女は私の6分35秒後にゴールし、女子の29位になったようだ。そして鴬宿温泉手前から、期待の大型新人は遥か先へ走り去った。 このASでF士さんが椅子に腰を掛けたまま眠っていた。220kmを単独で走り抜いた猛者も、今日の暑さには参ったようだ。だが、その後目覚めた彼は再び走り出し、13時間28分余りでゴールしたようだ。 90.7km地点の第19ASでT田さんを見つけてビックリ。約50kmぶりの再会だった。思わず「檄」を飛ばしたが、後日届いた彼からのメールでは、暑さで相当に参っていたようだ。私はポシェットから味噌の小袋を取り出し、絞り出して飲み込んだ。この味噌パワーがきっと私を完走させるはず。 ゴールまで残り9.3km。途中にはまだ2つの登り坂が草臥れ果てたランナーを待ち構えている。もう12時間台でのゴールは無理かも知れないが、何とか最後まで頑張ってみよう。ここでも冷たいお茶を買って飲む。残った所持金はわずか10円に。<続く>
2010.06.22
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< 夫婦ランナーの明暗 > トボトボと歩くランナー達。朝の4時スタートで山越えした100kmの部の選手なら仕方ないが、50kmの部のランナーはまだ20kmも走ってないのだ。道端の花々。ピンク色はウツギの仲間で、白はヤマアジサイか。手が浮腫んで来た。血液が脚の筋肉に動員され、手まで廻って来ないためだ。そして首や肩の痛みが酷い。背筋が疲労に耐えられなくなったのか。 収容バスが1台通った。窓から手を振る女性2人。眼鏡を外しているため定かではないが、ひょっとして同じ走友会のEちゃんとYちゃんか。去年は73kmの関門に捕まったが、今回はその先まで走りたいと言っていたのに。 そう言えば先ほどのレストステーションでS木さんの奥さんが待っていた。「うちのはどんな調子でしたか?」と聞かれ、「57.5km地点で吐いてました」と正直に答えた。「ここまで来れるでしょうか」。心配そうなその問いに、私は答えなかった。彼は高校の後輩で我慢強い男。たとえ体調が悪くても、きっと最後まで諦めずに前進するはず。 その時「先日のみちのくランではお世話になりました」と後から声。東京のM本さんだった。同じB班だったので顔を覚えていたのかも知れない。有名な女性市民ランナーと同姓。ひょっとして奥様かと思ったが聞くのを躊躇った。悠然と走り去るベテランランナー。彼のゴールは私の1分10秒後。どこかのASで抜いたのだろうが、全く記憶がなかった。 70km地点過ぎで県道1号線を左折すると正面に和賀岳。まるで牛が寝そべっているような山容に残雪が見えた。間もなく銀河高原だ。もし仲間のY田さんが追い着いて来たら、彼に付き合って地ビールを飲もうと思っていたのだが、その気配はなかった。 その時「Aさ~ん、苦しい苦しい」と女性の声。何とM子さんが3人の男性ランナーを引き連れて追い抜いて行った。男3人がM子さんをペースメーカーにしているようだ。ウルトラレースの経験が乏しい彼女は、思い切ってペースを落とせないのだろう。思わず「旦那は元気に走って行ったよ~!!」と叫ぶ。彼女にはそれが激励と聞こえたかどうか。 間もなく折り返し点からS田さんが下って来た。今度は「今M子さんに抜かれたよ~!!」と叫ぶ。夫婦のランナーは少し前にすれ違ったはず。だがS田さんの足元が少しおかしい。銀河高原ビール工場の敷地内に入るとコースから外れ、自販機の元に急ぐ。買ったのは日本茶。私が今一番飲みたかったのがこれ。冷たいお茶が疲れた心と体に沁みる。 73.3km地点のAS(第3関門)では塩を舐め、果物とパンの小片を手に取る。ここからコースはUターンし、道は僅かに下り坂となる。その時S田さんが前方から戻って来た。「熱中症気味なので、ここでリタイヤします」と彼。先刻会った際に、足元がふらついていると感じたのは間違ってなかったようだ。スピードランナーの彼でも、突然の猛暑に体が対応出来なかったのだろう。まだ時間は十分残っているが、潔い選択に敬服する。お疲れ様でしたS田さ~ん 県道1号線の手前で左折。前方の丘にM子さんとT脇さんが幽かに見えた。差は400mほどか。緩やかな登り道を行くと、農家の前に臨時の給水所が出来ていた。ここは去年喉の渇きに苦しんだ場所。たまたま通りかかった大会監察車の方に、出来れば給水所を作って欲しいとお願いしたのだが、早速要望を取り入れてくれたのだ。冷たい水が美味しい。聞くと「簡易水道」の由。「干天の慈雨」とはまさにこのことだろう。 78km辺りでようやくT脇さんに追い着く。「膝が割れてる!」と彼女。多分中山峠からの下りで脚に来たのだろう。「間もなく80kmから急な下り坂になるよ」と教える。「そう。ゆっくり行くわ」。その後、膝の痛みに耐えながらも最後まで頑張り、13時間35分21秒で見事完走したようだ。完走した女子選手はわずか43名。彼女はその32番目の栄光に浴したのだ。<続く>
2010.06.21
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< 灼熱の道 > 中山峠からの下りから、さらに暑くなった。木立のある場所は良いが、日向の道は強い日差しを防ぐ術がない。その時マイクロバスが追い抜いて行った。どうやらリタイヤしたランナーの収容車みたい。最後尾の窓から手を振る人。「えっ?」と驚く。あれは「おんちゃん」ことT野さん。膝が不調と話していたが、まさか8時間近く残っているこの段階で戦線離脱とは。 61.9km地点の第11ASに、先刻のS田さんがいた。一心不乱に食べている彼。それに引き換え、私は果物と水しか口に出来なかった。「良くそんなに食べられるね」と言うと、「食べないと進めませんからね」との返事。昨年9月の「秋田内陸」がウルトラデビューだった彼が、2戦目にしてそこまで成長したことを頼もしく感じた。 エネルギー補給を終えると、彼は颯爽と走り去った。追い着こうとしても無理。正確なリズムを刻む彼に対し、私の方はヨタヨタなのだ。そこから暫く森の中の道が続き、涼しくて助かる。コロコロとカジカの声。それは清流にしか棲まない蛙の仲間なのだ。何年か前にはフライフィッシング中の釣り人を見た。自然豊かなこの道が私はとても好きだ。 前方に旗を持った2人のスタッフ発見。そこが50kmの部との合流点で、コースは右折し北上する。頭上から太陽が容赦なく照りつけ、煩いほどの蝉の声。ここから約12kmは全く日影が無い、文字通り地獄の道。道路は灼熱と化し、体感温度は多分30度以上になっているはず。濡れたタオルハンカチを帽子の下に入れ、後頭部を守る。口からはうめき声しか出ない。 涼しい仙台に比べてここは真夏。まさに夏のウルトラレースそのものだ。ただしコースは良く知っていて、このまま我慢すれば間もなくレストステーションが見えるはず。暑い日中、わざわざ応援してくれるお年寄り達に手を振る。ようやく前方からマイクの声。あそこが66.5km地点のASで第2関門。近づくと私のナンバーと名前がコールされた。 T脇さんがASにいた。荷物を預けてない私はすぐに「猫まんま」の準備。カップのトン汁を2杯分。そこに2個の酢飯を入れてかき回す。これは喉越しが良いため、短時間で塩分とエネルギーの補充が出来る優れ物。次にお汁粉1杯。そしてポシェットから「味噌汁の素」の袋を取り出して舐める。苦く感じたのは、既に胃の調子が変調を来していたのだろう。 レストステーション到着時に感じていた吐き気。暑さに耐えようと大量の水を飲んで胃液が薄まる。それをカバーするためさらに激しく胃液が分泌されるのが吐き気の一因。大量の発汗に伴うミネラル分の不足も体調悪化の原因になる。それを防ぐために味噌やアスリートソルトなどを持参していたのだ。 アイスキャンデーを食べているランナー発見。急いで店を探すと直ぐ傍にあった。120円でアイス最中を購入。ASへの到着が11時18分。そして出発が11時23分だから、休んだのは5分間だけ。T脇さんが手を振って送ってくれた。アイス最中は食べ易く、走りながらでも食べられる。それにカロリーも高いから、エネルギーにもなるだろう。何とか吐き気が治まったようだ。 前方にユニフォーム姿の中年ランナーが2人。近づくと仙台明走会のG島さんとF士さんだった。初対面のF士さんは、この春仙台から新潟県新発田市までの約220kmを、たった1人で走った強者。お2人とも私のブログの愛読者とのこと。嬉しかったが、同時に責任感も感じた。やがて「今日は何とか完走出来そうだね」と話しながら、2人は軽やかに走り去った。 T脇さんが追い着き、そして前へ出た。彼女とは4年前の「越後くびきの」90km付近で、デッドヒートを繰り返したことがある。だが、こんな緩い登りにも関わらずスピードランナーの彼女に追い着くだけの脚が、もう残ってはいなかった。<続く>
2010.06.20
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< 峠と3つのトンネルにて > 本格的な暑さとの戦いに備え、ポシェットからサングラスを取り出す。帽子も被ったし、30km過ぎからはパルプを首に巻いた。これは水分を保って頸部を冷やす特殊素材。延髄は特に熱に弱く、温められると運動機能が極端に落ちるからだ。そしてサングラスは強烈な太陽光と紫外線から目を守り、同時に涼しさとレースへの集中力を高めてくれる。 黒づくめの「甲冑マン」が写真を撮っている。熊の足形を模した「動物に注意」の横断歩道が珍しいようだ。これくらいの余裕があるランナーは絶対熱中症にはならない。逆に走ることに必死で余裕がないと、高温時の100kmレースは厳しい。ようやく道はフラットになり、前方にトンネルが見えた。これで何とか峠をクリヤー。サングラスを外し、トンネルに飛び込む。 2つ目のトンネルは暗くて長い。初めて通った時はあまりにも暗くて、正直怖かったほど。おまけに天井から滴り落ちる水。それほど外気温とトンネル内の温度差が違う証拠。良く見えない足元に注意しつつ、慎重に前進。どうにか抜け出すと次のトンネルの手前に、被り水が用意してあった。これは助かった。早速渇いた喉を美味しい水で潤し、ついでに2杯頭から被る。 3つ目のトンネルが最大で、長さは1765m。標高は800mほどか。5月下旬開催だった第2回、6月開催に変更した第3回は、トンネルの向こうの道端には雪が残っていた。寒風が吹き込むこのトンネルが南国のランナーには寒過ぎたのか、リタイヤした人も多いと聞いた。念のため今回も保温用のビニール袋を配布していた。私はランニングシャツでも十分気持ち良く、体力温存につながった。 ようやく前方に明かり。トンネルを抜けたところが57.5km地点の第11ASだ。先行していたS木さんが休んでいた。熱中症で内臓をやられたみたいで、折角食べた物を吐いた由。「ほとんど長距離の練習をしてないんですよ」。青い顔でつぶやく彼。私は出されたばかりのオレンジを7切れほど一気に食べ、あんパン、クリームパン、お握りも食べた。 私も通常は7kmの帰宅ランのみ。だが彼と違うのは毎月レースに出て、練習代わりにしていることだろう。ペットボトルにアミノバイタル粉末と塩を入れ、水を補充。頭に被り水をして出発する。給水を終えたT脇さんの姿は既に見えない。ここからは長い下りになる。後半に備えてあまり飛ばさず、慎重に降りよう。 ところが私の後から猛烈なスピードで追い越して行くランナー。同じ走友会のランニングシャツを着ているが「一体誰?」。その声に「S田」です、と人の良さそうな笑顔が振り返った。「ええっ?顔を見せて!!」。日焼けした顔が近づく。そうか。今日は夫婦での100km挑戦だったんだ。握手後、彼は弦から放たれた矢のように、峠を駆け下って行った。<続く>
2010.06.19
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< 股関節痛と暑さに耐える峠道 > 田んぼの上でラジコンヘリコプターが飛んでいたのは20km過ぎだったか。きっと農薬でも撒いていたのだろう。コースは涼しい朝もやに包まれて走り易いのだが、既にかなり汗はかいている。時々エイド・ステーション(以下AS)に立ち寄って水を飲み、食料を口にする。気温が高くなると予想される今年は、まだ前半にも関わらず大量の「かけ水」が用意されていた。 食べ物の内容も去年までと違う。お握りが酢飯になったのもその一つだし、今年から設置されたスペシャル・エイドには、釜石の塩、キュウリと味噌や漬物など岩手県産品の食べ物が用意されていた。一昨年、このブログを通じて改善方を申し入れたことがあるが、こうして改善が実現するのは、エネルギーの補給を全面的にASに頼るランナーにとってはとても有難く、嬉しいことだ。 40km地点周辺で乳酸菌飲料を買って飲んでいる目の前を、仲間のM井さんとY田が通過した。2人とも好調そう。M井さんにはこの後追い着くことが出来なかった。41km辺りではT田さんが私を抜きながら、いつものように写真を撮ってくれた。ありがとうね~T田さん!! だが、35km付近から私の体には異変が生じていた。右の股関節が痛むのだ。無意識に腰をかばって走っているせいかも知れない。この痛みは危険なサインで、痛みが強く持続するようなら走ることは無理になる。一昨年は35kmから約10kmの間、両股関節が痙攣し、結局86.3kmの関門でリタイヤせざるを得なかった。 頭から水を被るついでに、「駄目元」で腰と膝にも水を掛けて見た。それが功を奏したのか、徐々に痛みが薄らぐ。だが、暫く走るとぶり返す痛み。また患部に水を掛けて冷やす。頭から落ちる水や腰のタオルハンカチに含まれた水も、股関節を冷やす効果があったようだ。 コースはいよいよ花巻市に入り、なめとこ街道沿いの温泉街を過ぎる。志戸平温泉前の気温表示は19度で、まだ走り易いのが助かる。新鉛温泉を過ぎ、豊沢ダムの堤防を渡ると小さなトンネル。ここを抜けると44.2km地点の第9AS。いよいよコース最大の難所である山登りの始まりだ。おまけに急に気温が上がり出した。日向は恐らく25度を超えているはず。 掛け声を掛けながら登る山道。眼下には木々の間から豊沢湖の水面が見える。目には平に見える道が、後を振り返ると急な登り坂になっているのが何故か不思議。48km付近でY田さんを抜く。「駄目だ、リタイヤするかも知れない」と弱音を吐く彼に、「銀河高原ビールが待ってるよ」と檄を飛ばす。73km地点の工場で冷たいビールを飲むのが彼の楽しみだったのだ。 続いて歩いているH多さん発見。まだ朝方の涼しい頃に私を抜いて行った、あの勢いは既にない。急な登りと気温上昇がランナーの体力と気力を容赦なく奪い取る。それに負けないよう、自分に気合を入れながら走る。トチの若葉がとても美しい。 横にいたランナーが私に話しかけて来た。同じ宮城県のランナーで多賀城の人。一昨年は私と同様86kmでリタイヤしたので顔を覚えていたそうだ。「暑くても今年は絶対にリタイヤしないよ」。心の中でそうつぶやき一歩前へ出た。<続く>
2010.06.17
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< 初対面の美人ランナー > ランニングシャツ姿になり、荷物を預ける。少し涼しいけれど寒くはない。その姿で仲間のところへ。皆気合十分な感じ。M井さん達が記念写真を撮ってくれた。そこへ「岩手めんこいテレビ」のスタッフが撮影に。テレビカメラの前で「頑張るぞ~」と全員で叫んだ。そしてゲートのあるグランドの中へと移動する。 その時私の名前を呼ぶ声。前日に会えなかった秋田のJunさんだった。前日はコースを車で逆走して下見し、前夜祭会場へ入るのが遅れたそうだ。シリアスランナーの彼が、あれだけ混雑した会場で神経をすり減らす必要もない。再会を祝してしっかり握手。GMC表彰の記念品がもらえることを伝えて、彼と別れた。 案内ボードが2つ。1つ目は「8時間台」でもう1つが「9時間以上」。もちろん私が並んだのは後者。東京のサブスリーランナーぬまっちさんは前のはず。秋田のJunさん、走友会のM仙人も、きっと前の方に並んだと思う。カウントダウンの声が曇り空に響く。4時ジャスト、号砲と共に飛び出すランナー達。先ずグランドを1周半。先頭グループの姿は既に見えない。 運動公園の出口でDさんが後を振り返りながら走り去るのが見えた。GMCの資格に王手をかけている彼は涼しい朝のうちに距離を稼ぐ作戦か。5km周辺まで来た時、後から女性の声。mocomocoさんだった。名前だけで顔を知らない彼女に、マー君のユニフォームで会おうとしたが果たせなかった。だが伝えていたゼッケンや服装を手掛かりに、彼女が見つけてくれたのだ。 驚くほどの美人。そして書かれた文章で予想していた通りの賢明な人だった。偶然の出会いに感謝して握手。だがスピードランナーの彼女の姿は、あっという間に視界から消えた。初ウルトラの不安をブログ語っていた彼女だが、あの走りっぷりでは何の心配もないだろう。発達したシシャモ筋は女性では珍しいほどだった。 直前に走った「錦秋湖」では入賞したと聞いた。まだ走り始めて数年しか経ってない彼女が、まさかあんな脚の持ち主だったとは。見た感じではキロ5分20秒ペース。あの調子で行けば、完走はおろか入賞だって可能だろう。その直感が正しかったことが後日分かった。40km以降に苦しんだものの11時間17分台でゴールし、入賞した由。おめでとうございますmocomocoさ~ん。助言は必要なかったかもね。 北海道のH賀さん、横浜のWさん、東京のSさんらに次々に抜かれる。H賀さんは毎週のようにレースに出ている由。71歳のWさんには未だウルトラレースで勝ったことがない。「磐梯高原」には参加しない由。方々のレースで良く会うSさんは、怪我をしてからめっきりスピードが落ちたようだ。甲冑姿で抜いて行ったのは岩手のGMCランナーC田さん。色んな大会であの仮装に出会う。今回は黒いマントをたなびかせていた。仮装の総重量は10kgとか。 田舎の朝の道に人影はほとんどない。それにしても涼しくて良かった。首のパルプ紙を外してポシェットへ。帽子もまだ不要と判断。ニセアカシアが咲いている。どこからか牧舎の臭いが漂って来る。そして思いがけない場所に、オートキャンプ場を発見。道は曲がりくねりながらも北上を続ける。 10km地点を1時間3分で通過。直後、H多さんのご主人とK野さんに立て続けに抜かれる。いつになく調子が良さそうなH多さん。そしてK野さんのシシャモ筋の発達ぶりには驚かされた。あれはかなりの練習を積んでいる何よりの証拠。間もなくO川さんが追い抜いて行った。笑顔にも余裕がある彼は、まだまだ力を秘めている感じ。17km周辺のゴルフ場手前でようやくSさんに追い着く。ここは第2回大会で熊が横切った場所とか。<続く>
2010.06.17
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< 突然のギックリ腰 > 北上駅前のホテルにチェックイン。翌日の朝食を入れて5500円だからとても安い。部屋に入るなり翌日の準備開始。宮城UMCのランニングシャツにゼッケンを装着し、ハーフパンツなど一式を並べる。次にワセリンやテーピング用テープなども同様に揃えて置く。ゴール行きの大きい袋はあったが、途中のレストステーション行きの袋が入ってなかった。まあ良いや。最初からそこには何も届けない予定だったので。 浴槽に湯を張ってから夕食を食べに出ようとしたら、1階のフロアに走友会の仲間が何人か居た。次々に連絡して6、7人が揃う。まさか同じ宿にこれだけ申し込んでいたとは。「ただ」のコーヒーを楽しみながら、しばし歓談。残りの元気な人達はスタート地点の総合運動公園で寝袋を使うのが毎年の恒例。夜中にトイレに起きる私には、とても無理な話だ。 ホテル内でカップラーメンを購入し、部屋で食べた。早めに入浴を済ませ、浴衣に着替えてテレビを観る。一番大事なのが翌日の天気予報の確認。レースへの影響が大きいためだ。結果は「晴れ時々曇りで最低が17度で最高が29度」だった。これは覚悟して臨むしかない。ニュースを観た後、布団に入る。約1時間後に最初の目覚め。 9時から「世界不思議発見」を観、再び就寝。ところがクーラーが利き過ぎては目覚め、停めると暑過ぎて目覚める繰り返しになった。レース前の緊張がそうさせるのだろう。これもいつものこと。仕方なくテレビを点け、カップ酒を煽る。楽天はエース岩隈で敗れ、ワールドカップでは韓国が2対0で勝ったのを確認して2度目の就寝。 だが2時15分にセットした目ざましが鳴る前、1時過ぎには目が覚めた。眠った時間は全部合わせて4時間くらいか。早速トイレに入り、レースの準備にかかる。そして引換券を手に、朝食を取りに行く。小ぶりのお握りが2個とおかずの容器が別にあり、お茶とバナナもある。良心的な内容に感心しきり。これなら十分エネルギー補給になる。 カップラーメンも作り、バナナも含め全て完食。まだ深夜なのにトイレと食事がスムーズなのが一番助かる。食後血圧降下剤を服用し、テーピングとワセリンを施すと2時10分。そろそろ出発するかと荷物を持った途端、腰に電撃が走った。やってしまった。こんな時にまさかのギックリ腰勃発とは。ベッドに腰を掛けながら食事や準備をしたのが腰へ負担が掛かったのか。ひょっとしてこれは走れないかも。レース当日の思わぬピンチだ。 バッグを首から吊るしてエレベーターまで行ったものの、再び部屋に戻る。顔がすっきりしないと思ったら、まだ洗ってなかったのに気付いたからだ。浴室に入ると歯ブラシもそこに置きっ放しだった。キーをフロントへ返し、姿勢に注意しながら駅前まで歩き、何とか会場行きのバスに乗った。周囲はまだ真っ暗だ。 会場で最終点呼を済ませ、陸上競技場事務室の床に身を横たえる。仲間の姿を遠くに見つけたが、そのまま20分ほど目を瞑る。冷たくて硬い床が背中や腰に心地良く感じた。きっと真っ直ぐになって寝たのが良かったのだろう。起き上がると痛みはさほどでもなくなった。スタジアムの2階に登り、ゆっくりと体操。ほほう、何とか大丈夫そう。これなら案外走れるかも。<続く>
2010.06.16
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< 待ち人来らず > 土曜日の午前11時前、待ち合わせ場所に急ぐ。もうかなりの気温だ。暫くしてEちゃんもやって来た。そしてY田さんの車が到着。久しぶりの仲間との再会に顔がほころぶ。運転手はY田さん。助手席にO川さん。真ん中のシートが初参加の「おんちゃん」ことT野さん。そして後部座席に私とEちゃんが座る。M井さん宅に寄り全員集合。車は東北道へ入った。 「暑くなりそうだね」。誰からともなく翌日のレースの話。天気予報では最低が17度で最高が29度の気温。仙台とは5度ほど温度差があり、苦戦するのは間違いない。「途中でリタイヤするかも知れないよ」と、おんちゃん。「4月の秋保夢舞いでは好調だったのに?」。「あの後膝を傷めてねえ」。私の疑問を彼が引き取った。 Eちゃんの足首も依然として状態は良くないみたい。その足で1月の宮古島では100kmを走り切り、3月の八丈島では61kmを完走した彼女。「これからも長く走ろうと思ったら、思い切って休むのも必要なんだよ」。老婆心からの忠告。それは何度か故障で苦しんだ私の実感でもあった。 長者ケ原PAでM仙人の車と合流。こちらは仙人、F田さん、I藤さん、Y広さん、T脇さん、K野さんの6人。このほか同じ走友会からはS田夫妻とS木さん、Dさんが別行動で参加し、宮城UMCの仲間もかなり参加するはず。20人近い人数は初めてだ。昼時の食堂はかなり混んでいた。私はトン汁を頼み、コンビニで買ったお握り3個をしっかりと食べた。 岩手県に入るとさらに気温が上がった感じ。一関市での気温表示が31度。これは大変、明日が心配だ。後で聞いたら花巻では33度あったとか。北上市の受付会場が近づいた時、私は東北楽天のユニフォームに着替えた。背番号18は田中マー君のもの。「どうしたの?」。尋ねるEちゃんに、「これから美人に会うんだよ」と私。 秋田のJunさんのブログに書き込まれていたmocomocoさんのメッセージが気になり、つい最近彼女のブログを訪れたばかり。彼女は今回がウルトラデビューで、不安が募っていたようだ。少しでもお役に立てればと思い、これまでの経験から幾つかの助言をさせてもらった。田中マー君の燃えるユニフォームは、私を見つける目印だったのだ。 選手登録を済ませ、前夜祭の会場へと移動する。今回はビールなどの飲み物が1缶だけと淋しい。その代わり「ギャラクシー・マスターズ・クラブ」(GMC)が発足した。これは5年連続して完走したランナーに永久ナンバーが与えられ、HPなどで紹介される制度だ。走友会からはO川さんとM井さんが、また宮城UMCからも何人かその栄光に浴した。 秋田のJunさんもその1人なのだが、表彰の場にも姿を見せない。もしmocomocoさんが私を見つけてくれたら彼に引き合わせようと考えていたのだが、ついにどちらとも会えないままだった。テーブルのオードブルがあっと言う間に無くなる。試飲の日本酒をお代りし、名物の盛岡冷麺を2杯食べる。全てが明日へのエネルギーになることを信じて。<続く>
2010.06.15
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< レース後の心と体 > JR盛岡駅のソバ屋で冷たい水を3杯飲んだ。帰宅後も麦茶を3杯飲み、夜半トイレに起きた際も水を飲んだ。今朝も散歩から帰ると、無性に水が飲みたくなる。あれだけレース中に水分を取ったはずなのに、体の中ではまだ渇水状態が続いていたのだろう。 昨夜の就寝は10時半。片づけなど最低の仕事を済ませて就寝したのだが、未明3時過ぎには目覚めてしまった。レース前夜眠ったのは4時間ほど。そして帰宅後の睡眠は5時間弱。灼熱の中を100km走ったレースの興奮が疲労感を麻痺させ、容易に眠らせてくれないのだ。 朝起きて最初の仕事は、体のどの部位にどんな痛みがあるかを確認することだ。階段を下りると脚の筋肉や靭帯が悲鳴を上げる。だが容易に休暇が取れない肉体労働者にとっては、むしろ体を動かすことこそ最大のリハビリと、前向きに考えるしかない。そして厳しいコースを100kmも走ったのだから、どこかに痛みが出るのは当然と言えば当然なのだ。 スタート地点に向かおうとして荷物を持った途端に生じたギックリ腰。あれには正直慌てたが、疲れと睡眠不足による油断だと思う。35km付近からは右股関節に痛み発生。きっと無意識に腰をかばうあまりフォームが乱れたのかも知れない。灼熱の厳しいコースを駆け抜けた影響は、今なお心と体に深く刻まれている。ともあれ13時間23分24秒のゴールまでに出遭った数々のドラマについて、振り返ってみたい。<続く>
2010.06.14
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今日の岩手内陸部の最高気温は30度近かったのではないでしょうか。その猛暑の中を13時間23分24秒で完走することが出来ました。朝ホテルを出るため、荷物を持った時にギックリ腰になり、一時はどうなるかと心配でした。そちらの方は何とか大丈夫だったのですが、腰をかばうあまり、35km地点周辺から右の股関節が痛み出したのには参りました。 留守中いただいたコメントへの返事は明日書かせていただきますね~。朝早く起きる必要があるからなんです。どうもすみませ~ん!!またレースの完走記も、明日以降の執筆開始となります。お楽しみに~♪
2010.06.13
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昨夜も何度か目覚めた。睡眠時間は6時間程度か。1週間の肉体労働の疲れがまだ取れてない感じ。それもいつもと同じこと。パソコンを立ち上げて自分のブログを開き、コメントしてくれた方に返事を書く。 愛犬を連れ立っての朝の散歩。幼稚園の塀沿いがきれいになっている。このところ毎朝、一人のお婆さんが掃除をしていた。草を刈り、溝に溜まった土を除け、箒で丹念に掃く。そのお陰で30mほどの塀沿いが見違えるほど清潔になった。あるお宅の庭からお婆さんが挨拶をしてくれた。掃除をしていたお婆さんだった。「お早うございます!」。急いで返事を返す。 帰宅後愛犬に餌を与え、ガレージ周辺に散ったバラの花びらを掃き、それから朝食の準備。冷蔵庫から作り置きのおかずを出し、冷や飯を茶碗によそってレンジで温め、若布と豆腐の味噌汁を作り、春菊のお浸しを作る。 妻はまだ寝ている。前日は昼食を摂る暇もなく仕事だったと嘆いていた妻。せめてゆっくり眠らせて上げたい。朝食を摂り終えた頃、妻が起きて来た。古新聞、古雑誌、その他の紙類を束ねて、子供会用の資源ごみ回収所まで持参。妻が干し易いよう、洗濯ものを2階のベランダまで運ぶ。 愛犬を庭に放ち、雑草を取る。頻繁に取ってるせいか1時間でバケツ1杯ほどの量。アシタバ、ミニトマト、小カブなどを植えている東側の畑、トマト、春菊、ゴーヤ、玉ネギ、モロッコインゲン、キュウリなどを植えている南側の畑に顆粒状の化学肥料を撒く。そして主だった植木鉢に水遣り。 そんなことでも汗をかく。体を動かしているうちに気だるい感じが消えた。エンジンがかかって来たのと、食後に飲んだ血圧降下剤が効いて来たのかも。暑い時の寝不足は体に堪える。まして肉体労働を生業とする前期高齢者だもの、週末に疲労が出るのは当り前。 庭仕事の最中に妻は洗濯ものを干して朝食を済ませ、「お父さんも気をつけてね」と言いつつ仕事へ行った。「お前も気をつけて」。その後ろ姿に声を掛ける。ここまではいつもの土曜日と変わらない光景。だが、私はまもなく岩手へ向かう。日常から非日常への旅だ。 でも旅立つ前に、エールを送ってくれたブログ仲間へ挨拶をしておきたい。それがせめてもの恩返し。その前に今日のブログも書いておこう。今はまだ過ごしやすそうだが、これから気温がどんどん上昇しそうな気配。やれやれ、明日はどうなる? そして来週からはきっと梅雨入りするように思う。明日は夜遅く、レースから帰宅する予定。それまで留守にします。ではね~!
2010.06.12
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2日続けて熱い夜だった。Kスタでの対中日2連戦。昨夜は2対6で敗れ、1勝1敗。交流戦は西武とオリックスが同率1位、0.5ゲーム差で楽天が3位になった。残るは土曜、日曜の対ヤクルト戦のみ。岩隈、田中マー君とエースを注ぎ込んで2連勝しても、果たして優勝出来るかどうか。それくらいパリーグが強く、ペナントレースで首位との差が縮まらない。 亀井郵政改革担当相が辞任することになったようだ。菅民主党が国会の会期を延長しても郵政改革法案を参議院で可決することは困難、と判断したことに対する抗議の意味もあったのだろう。それでも引き続き与党として残る道を選んだ。時局はこれから一気に参議院選挙モードになる。当分ホットな夜が続きそうだ。 そして今夜から南アフリカで始まるのがサッカーのワールドカップ。強化試合で1度も勝てないまま本番を迎える岡田ジャパン。目標はベスト4入りと言っていた言葉が空しく響く。場合によっては監督の辞任問題にもつながりかねないチーム事情。時差の関係で、私が生で試合を観るのは困難だと思うが、きっとどの国にとっても熱い夜になるのだろう。 昨夜は暑かった。寝苦しくて何度か目覚め、ついに毛布を外した。日曜日のレースはもっと暑くなりそうだ。10日ほど前から岩手の天気予報に注意していたが、最高気温は27度から29度を行ったり来たりしていた。今日の時点では最低が16度で最高が28度。曇り時々晴れとなっている。 苦戦するのは確実。今年に入ってそんな高温の下で走ったことがないからだ。それでもどんな状況にも対応しなければならないのがレース。汗かきの私だからいつも通りペットボトルを手に持って走ることになろう。それだと好きな時に水分が摂れる。そんなことを想定しながら少しずつ準備はしていた。 服装は上が「宮城UMC」のランシャツ。日焼けには強い方なので、最後までこれで通すつもり。下はハーフタイツで、今回は取って置きの秘策を考えている。帽子はメッシュの粗いもの。首には冷却用のペーパー、腰にはタオルハンカチ、そしてサングラスが必携だろう。 小さめのポシェットに入れるのは、粗塩、アスリートソルト、味噌汁の素、アミノ○イタル、鉄ウエハース。ほとんどが暑さ対策用だ。昨年からエイドが充実したので、食料は全てASに頼る予定。他には72km地点で飲む「銀河高原ビール」を買うための小銭。総重量は多分150gにも満たないはず。 さて、明日会場へ向かう走友会の車は2台。これで12名が参加するが、現地で落ち合う仲間もいるだろう。そして宮城UMCの走友が何名か加わるはず。あの「なめとこ街道」を、オレンジの蛍光色のランシャツやTシャツの軍団が駆け抜ける光景は圧巻だと思う。山登り、暗く涼しいトンネル、峠からの下り、80km地点までの暑い道。苦しむのもまたレースのうち。 今回は密かな楽しみが待っているのだが、それは敢えて書かないでおこう。ともあれクレムゾンレッドに燃える田中マー君のレプリカユニフォームを着て、前夜祭会場に乗りこむ予定。現地の天気も気がかりだが、週末の楽天の試合がどうなるか。まあ、一旦走り出せば、そんなことは一切忘れてしまうのではあるが。
2010.06.11
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愛犬との朝の散歩中、よろけながら歩いている人が見えた。ずいぶん歳を取ってる人だねえ。心の中でそう思っていたのだが、近づいたその人を見て驚いた。2番目の職場の後輩で軟式野球をやっていた時の仲間。彼はセカンドを守り、私はセンターを守っていた。当時から恰幅が良かったが、今はどうみても病人だ。 彼によれば、最初に膝を傷めたが体重が災いしてなかなか良くならず、そのうちギックリ腰が慢性化したそうだ。医者に行っても「先ず体重を減らせ」と言われるばかり。「毎日大量の薬を飲んでいるんですよ」と彼。今では自転車にも乗れないそうだ。 第1現場で立哨していると、1台の乗用車が玄関に着いた。降りて来た社長に一礼する運転手のHさん。ここ2日間ほど顔が見えなかったのは検査入院が理由だった。去年の夏に心筋梗塞で手術し、その後も定期的に検査を受けている由。「保険は効いても1日5万円かかるんですよ」と彼は嘆く。 国体に出場したほどのアスリートだったが、定年後この仕事を斡旋された彼。体を使う仕事から神経を摩り減らす仕事に変わって、ストレスが一気に増したのだろう。それと長年のタバコが心臓と血管に悪影響を与えたようだ。通院後喫煙は止めたものの「当分ストレスは続きそう」と、弱弱しい表情。 第2現場に顔を出すと、同僚のNさんがいない。痛風が出て休んだ由。良く風邪を引き、痛風の症状が出るたびに休む彼も喫煙者で運動はしない。掃除中に診療所のドクター、その後2人のナースも来た。彼らが訪れたのは喫煙コーナー。医療従事者でありながら、どうも悪しき習慣から逃れられないようだ。 若い頃、実は私も悪戯半分にタバコを吸っていた。それが東京へ転勤してから急に本数が増えた。優秀な先輩方ばかりで、昭和40年代半ばに業務をコンピュータ化していた職場は、田舎者の私にとってあまりにもストレスが強過ぎたのだ。その後さらに8つの職場へ転任した。 連日の残業と深夜までの接待、ストレス発散のためのマージャン、創設事務の軋轢など本数が増える要因は幾つもあった。42歳で禁煙したものの、管理職になって以降ストレスが激増した。上司の苛め、部下の裏切り、たった1人での肉体労働、そして辞職のきっかけになった全国的な組織の改組など、心身を蝕む要因は至る所に満ち溢れていた。 口が開かなくなる顎関節症、糖尿病の初期、不眠、高血圧も原因の大半はストレスだった。それでも今生きているのは35歳から始めたランニングのお陰。不思議なことに、どこに赴任しても走友には恵まれたからだ。私の辞職後、元同僚や後輩達が5人、現職で次々に死んだと聞いた。 公園を清掃中、ある人に言われた。「Aさんはいつも良く働くね」。「その方が気持ちが良いんだよ」。私は答えた。朝の散歩で会った後輩に「日曜日には100km走るんだよ」と言ったら、彼曰く「1km走っただけで死ぬよ」。人間いつかは老い、いつかは死ぬ。それでも頭と体は出来るだけ使った方が良いと思う昨今だ。
2010.06.10
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昨日は愛犬を連れて動物病院に行った。そろそろ蚊が出て来たためだ。犬の病気フィラリアは蚊が媒介する。夕方の診療は5時からだったようだが、30分前でも診てくれた。7回分の薬の代金が1万2千円。「息が苦しそうなのですが」と言うと、「犬も歳をとると色んな症状が出ますよ」と獣医。心配なら予め電話してから来て欲しいとのこと。どうやら手術する時間だったようだ。レントゲン写真4枚で約1万円とのこと。犬は保険が利かないもんなあ。 塀際のモッコウバラを箒で掃く。つい先だってまで見事に咲き誇っていたのだが、あっという間に咲き終えた。枯れるととても汚なく、雨が降ろうものなら残骸そのもののこの花。続いてワインレッドとピンクのバラが咲いたが、今はその花弁も散り始めた。短い花の命で知る季節の移ろい。 晴れの日が続き、日差しも強くなった。日中は半袖でも過ごせるほどの気温。ミヤコワスレやワスレナグサの花が色あせた代わりに、金魚草の花が鮮やかだ。季節はもう初夏なのだろう。そしてそろそろ梅雨が訪れる季節。柿の枝に花を見つけた。イチジクの木には可愛い実が幾つか生っている。 咲き終えた牡丹には大きな種が残っていたのだが、いつの間にか消えている。きっと木に負担をかけないよう、妻が摘んだのだと思う。クリスマスローズは面白い。しっかり花が残っているのに、その中心にはどっしりと種が鎮座している。色を少しずつ変化させながらも、3か月ほどは楽しめる経済的な花で、我が家向きだ。 ハイビスカスとノボタンの幹から、新しい芽が出て来た。あまりにも背が伸びたため途中から切ったのだが、ちゃんと期待に応えてくれたのが嬉しい。追加して蒔いたモロッコインゲンは目出度く発芽。脇芽を挿し芽したミニトマトも何とか活着してくれた。春菊は何度かお浸しになり、今日もまた切り取った。 この春、ずいぶん食べたタケノコ。フキも一度だけ採って来た。意外なところに生えていた三つ葉は、立派なおかずになった。セリも摘み、山椒の若葉も料理に使った。立派な山ウドをいただいたこともあったし、庭のアシタバも茹でて食べた。旬のものは何でも美味い。そしてようやくカツオも三陸沖まで北上し出した。脂の乗ったカツオは最高のご馳走だ。さて、今夜の夕食は何だろうね。
2010.06.09
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「いやはや疲れた」。男が一人つぶやいた。「楽天だろ、政権交代だろ、ブログだろ。これでワールドカップが始まったら、一体どうなるんだろ?」。男はまだブツクサ話している。楽天と言うのは男が応援しているプロ野球の球団。まだ出来てから5年目なのだが、男の住む街にその球団が来て以来、男の心が穏やかで無くなったのは確かだ。 昨シーズンの閉幕を前に、監督が交代した。何でも外国人でホームベースを投げるのが得意技らしい。その新監督の采配が、どうも男には気に食わなかったようだ。それは兎も角、交流戦に入ってからチームの雰囲気が変わって来たと男が言う。最大7つあった借金をほとんど返済し、今では交流戦の上位にいるらしい。 そしてあの東京ドームでの2連戦で、男の張りつめた神経が頂点に達したようなのだ。第1戦は6本のホームランでジャイアンツを圧倒したとか。男が好きな田中マー君の8勝目も決まって男はご満悦だった。そして昨夜の第2戦では、前日とうって変わっての投手戦。結局0対0のまま延長戦までもつれ込みながら、小笠原の犠牲フライでサヨナラ負けだった。 男が疲れる原因が他にもあった。つい最近起きた民主党の党首交代劇がそれ。何せ政権の座にあるものだから、総理大臣の交代を意味する重要事項。それが後で糸を操る黒幕がいると言う専らの噂で、その黒幕までが交代したものだから、一体全体どうなるものやらと男は心配していた訳だ。もっとも男が心配しようがすまいが、日本の政治には何の影響もないのだが。 幸いにして黒幕の影響をほとんど感じさせない組閣みたいだが、「9月の任期切れ」を睨んで、黒幕の画策はまだまだ続きそうな雰囲気とか。それに新しい船出と言っても、決して彼らの前途が洋洋と言うわけではなさそう。何せ前の総理が、非常に重たい荷物を残して行ったようなのでね。男の心配はどうやらその辺にありそうだ。 どうでも良い話だが、毎日書いてるブログのネタにも男が困っているみたいだ。ブログを書くのが日課とか格好良いことを話していた男が、まさかネタ切れとはねえ。さほど良さそうにも見えない頭で毎日4千文字以上の文章を書いていれば、そのうち行き詰まることは目に見えていたから当然かもね。 午後になって、男は何故か花を買って来たみたいだ。ピンクのベコニアがたったの4鉢。きっと小遣いにも困っているのだろう。庭から黄色のクリスマスローズと、ピンクの石竹を掘り起こし、それを大きな植木鉢に植え替えた。もちろんベコニアの方もだが。そんな時の男は少しだけ元気を取り戻したようにも見える。 次の日曜日は100kmを走るんだって。特段そっちの方は困っていないみたいだけど、疲れは早めに取っておいた方が良いと思うよ。そう忠告したいけど、男は今日も走って帰って来たね。あれはトレーニング? それとも単にバス代に困ってるだけ? そんなこと自分には関係ないけどね。黒犬はそう言い捨てて木陰に消えた。
2010.06.08
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昨日の日曜の朝のこと、受け持ち個所の草刈りを終え、何か手伝うことはないか町内会の役員に尋ねたら、川へ行けとの指示。ここはZ川の支流だが、深さ4mほどの排水溝の石垣に生えた草を取り除くのだ。W保健衛生部長は70半ば。4mもの川底から水を含んだ重たい草を道路まで引き揚げる作業は容易ではないだろう。 長靴を履いた1人が川へ降り、ウォーキングシューズの私は道路に残った。濡れた草で溢れたビニール袋はずっしりと重く、作業も慎重を要する。ネコ車が草で満杯になると今度は空地へ捨てに。W部長の話によれば川下に蛍が出る個所があり、極力水を汚さないよう作業して欲しいと要望されている由。要望した本人も同じ町内の方だ。 野生化したカルガモの家族が棲みついているのは知っていたが、まさか蛍とはねえ。そう言えばそこから800mほど下流の橋で、ゆっくり光りながら飛んでる物体を見たことがある。確か夏の夜だから、ひょっとしてあれが蛍だったのか。それにしても蛍の幼虫の餌になるカワニナがこんな小川にいるのが不思議なくらい。 不思議と言えば先日の朝の話。散歩を終え、愛犬に餌をやろうと物置の袋に手を突っ込んだ時のことだ。何やら柔らかくて温かい物体を掴んでしまった。キィ~という鳴き声を上げ、その生物は私の手を伝って物置の隅に逃げた。正体は紛れもなくネズミ。何故ドッグフードの袋に彼がいたのか。そしてそれが何処から来たのか。 私は慌てて床に落ちたドッグフードを掃き出し、ポリタンクの上に発泡スチロールの蓋を置いて「ネズミ返し」代わりにした。これは古代の倉庫で使われた優れ物。床下の柱に円形のネズミ返しを嵌めると、自分の体重が災いしてそれ以上ネズミは登ることが不可能になる。彼らは柱は登れても天井の下へはぶら下がれない。ドッグフードの袋をその上に置けば良いわけだ。 ネズミに関する不思議な話がもうひとつある。あれは8年ほど前になるだろうか。生ごみを入れて堆肥を作るコンポスト容器の下に、大きな穴を見つけたことがあった。埋めても埋めても穴が開く。まさかイタチやカワウソのわけがない。最後の手段としてコンポストの周囲を石で固めたところ、それ以降穴が開くことはなくなった。 生ごみを漁っていたのは間違いないが、一体何者が侵入したのだろう。その謎が解ける日が来た。ある日のこと、愛犬がじゃれて遊んでいる物体を何気なく見ると、これがとんでもなく大きいドブネズミの死骸。愛犬に捕まるようなドジはしないはずだが、食べ物がなく弱った体で近づいたところを彼に見つかったのか。 彼らの住処はきっとあの川に流れ込む土管の中。100m以上離れた場所からコンポスト容器まで良く辿りつけたと感心したが、死んだドブネズミも得意そうに戯れていた愛犬も、当然ながら本当の理由を教えてはくれなかった。 ドブネズミを主人公にした小説「川の光」が新聞に連載されたのはその数年後。平和を求めるドブネズミ達の話だが、彼らの苦労が少しだけ理解出来たように思う。きっとあの大きなネズミは大切な家族のために、毎晩必死で我が家の庭まで遠征していたのだろう。何だか哀れな気持ちになった私だった。
2010.06.07
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昨日も今日も静養していたと言えば聞こえは良いが、実態は楽天の試合が気になって何もしなかったのが本当のところ。今シーズンの楽天は監督が変わり、コーチの大半が変わったこともあってなかなか勢いに乗れなかった。その象徴が開幕戦。勝てるチャンスが大いにあったのに、よもやの3連敗。あれですっかり失速してしまった。 41歳の山崎。昨年は1軍での実績が少なかった中村ノリ。そんな打者がバッティングの中心で、しかも大した補強をしなかった楽天。野村名誉監督がシーズン前に予想した「良くて5位」の呪縛に、すっかり捕われた感があった。やっぱり楽天は野村監督じゃないとなあ。多くの楽天ファンがそう思っていたはずだ。 だがセパ交流戦になれば、きっとブラウン監督の勝負勘が働く。私はそう考えていた。ご存知の通り彼は広島カープで選手だったし、4年間監督を務めていた。そのデータが生きてくるし、特に古巣のカープについてはその弱点を知り尽くしている。だから、必ず調子を取り戻すだろうと言う読みだった。 シーズン当初僅差でゲームを落とすことが多かった楽天が、徐々に粘りを発揮して競り勝つようになった。そして交流戦に入ると、投打がかみ合って勝つ試合が増えた。ノリは絶好調だし、スロースターターの山崎にもようやくエンジンがかかって来たのだ。その典型が昨日の試合。負けていた試合を、新助っ人ルイーズが逆転場外ホームランでひっくり返した。 今日の相手はセリーグの首位ジャイアンツ。しかもパリーグ首位ロッテに2連勝しての登場だ。一方のわが楽天はパリーグの4位ではあるが、何と交流戦の首位。しかも横浜に2連勝しての東京ドーム入りだった。先発は7勝3敗の田中マー君と3勝3敗の西村。マー君にとって東京ドームは、どうやら初めての登板のようだ。試合前から緊張が走る私。 試合は予想外の展開で始まった。初回好調の中村ノリが8号2ランを放てば、その裏ジャイアンツもランナー2人を置いて阿部の3ランで、あっと言う間の逆転だった。照明に当たっての2塁打と言い、阿部のホームランと言い、今日のマー君は苦戦するかもと固唾を呑んだ。だが試合はその後意外な展開になった。 4回ノリの9号ソロ、6回ベテラン山崎の13号ソロ、7回高須の2号3ラン、8回嶋の3号3ラン。そして何と何と先発田中に代わってのルイーズが昨日に続く2号2ランで、10対3と王者ジャイアンツを大きく突き放したではないか。これじゃどっちが首位か分からないほど。有り余る資金で補強を図るジャイアンツに対して、我が東北楽天は未だ赤字に苦しむ弱小球団なのだが。 8回裏はこのところめっきり安定している片山が0点に抑え、9回裏は1点取られたものの青山が3アウトを取った。ふ~む。この強さは本物。シーズン前の評価を覆し兼ねない活躍。まだ本調子ではないと言いながらも、これで8勝目を挙げたマー君の実力は大したものだ。さすがは5月の月間MVPだけあるねえ。 今シーズンは資金不足も相まってなかなかKスタへ行けないが、きっとファンの盛り上がり方がシーズン当初とは大きく変わって来たと思う。これで交流戦で優勝などしたらどうなるのだろう。そんな嬉しい心配をするほどの勢いだ。選手を休ませながら使う監督の方針は、長いシーズンを見据えてのものだろう。じれったいと思った彼の采配だが、徐々に本領を発揮していることをファンも認めている。 やはり野球は一人では出来ないし、信頼感が何よりも大事。そしてファンが10人目の選手であることを球団首脳にもさらに認識して欲しい。これからも頑張れ楽天!!私も軍資金を貯め、秋にはKスタへ足しげく通いたいものだ。さて、明日のジャイアンツ戦はどうなる?まあジャイアンツもこのまま黙ってはいないだろうけどね。
2010.06.06
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少し頭痛が治まって来た。風邪を引いていたのだと思う。あれはまだ寒い日が続いていた月曜の夜。毛布1枚を被って横になり、サッカーの日本対イングランド戦を観ていたのが原因だ。妻が早めに冬用のセーターを仕舞ったため、薄いカーディガンしかなかったのも影響したはず。 いつもなら眠っている時間に、そんな恰好でテレビを観ていた自分が悪い。つまるところ油断以外の何物でもない。40年間風邪を引いたことがないと自分では思っていたがそれは錯覚で、「40年以上風邪を引いて寝込んだことがない」の間違いだった。喉が痛み、夕方になると熱が出、頭痛がした。 寝る前に風邪薬を飲み、それでも山越えでの帰宅ランは続けていた。今は熱も痛みもさほどではなく、喉の痛みは霧散。つい先頃まで気温の変化が著しかったため、体が上手く対応出来なかったのだろうが、健康に対する過信もあった。 この冬以降の天候は異常だった。4月末に植えたり種を蒔いた野菜も、その影響をもろに受けた。あれほど元気だった玉ネギは一部葉が枯れた。カビのせいとのことで石灰を撒き、その後は何とか治まっている。種を蒔いたキュウリは発芽当初は勢いがあったが、その後萎れてしまった。多分低温の影響だろうが、これは新しく苗を植え替えた。 モロッコインゲンは霜の影響か遅れて発芽した分が萎れ、改めて種を蒔いた。暫く雨が降らなかったせいで、その後も野菜は元気がなかった。良かったのはトマト、ミニトマト、春菊に小カブ。玉ネギとゴーヤは何とか勢いを取り戻した。 今日は朝から久しぶりの雨。5日間続いたランニングを休み、愛犬との散歩以外は家に閉じこもっていた。野菜にとっては恵みの雨になったはず。1本だけ萎れていたキュウリが夕方には生き返っていたし、春菊や小カブの成長を感じた。だが梅の実は裏年のせいか極端に少なく、春先からミツバチの姿をほとんど見ていない。 天気予報が少しずつ変化していて、西日本から雨の日が増えそう。どうやら梅雨入りが近そうだ。来週末は「いわて銀河」へ向かう。好天気で高温だったのが、東北でも曇りがちの日が増えて来た。でも、どんな天気にも対応するしかない。有難いことに会場へ向かう足は、例年通り走友たちが連絡し合って確保してくれた。 先日走った「エンジョイ・ジョガーintみちのく」で、コース設定者のU海さんにお逢い出来なかったのが心残りだったが、その後T田さんが当日のU海さんの写真を送ってくれた。お元気そうな顔を拝見出来たのが嬉しく、少しだけ安心することが出来た。T田さん、いつも有難うね~!!そしてU海さん、お元気で頑張ってくださいね~ 7月の「磐梯高原」は1人で参加する公算が強い。最後の60kmは同じ道を3回通るが、それも我慢だし練習のうち。そして8月は経費節減のため、予定していた「釜石~遠野~北上」コースを止めて、自宅から福島までの80kmを走ろうと思う。これなら若干の食糧費と電車代だけで済む。 今日は雨のため愛犬のフィラリアの薬をもらいに行けなかったが、私にとっては良い骨休めになった。晴れの明日は妻と野草園にでも行ってみようか。少しは走ってみたいと思うがどうなるか。さて、岩隈は勝てなかったものの、今日も我が東北楽天が勝利。少しずつ勢いを取り戻したのが何とも嬉しい。
2010.06.05
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最近新聞を読んでも面白くなかった。我が家が取ってる新聞は最右翼の全国紙。良くないことだがこれは景品につられての契約みたいなもの。保守的なこの新聞は徹底的に「小鳩体制」を批判していた。だから政治面、社会面にはささっと目を通し、後はスポーツ欄と連載小説だけを読んでいた。 自民党が3代続けて放り投げた政権。そして国民の期待を一身に背負って船出した民主党の鳩山政権だったが、わずか9ヶ月でとん挫してしまった。東京大学工学部卒に加えて米国への留学。私学の助教授を勤めて英語も話せた。祖父の時代から続く政治家一家の御曹司。まさに絵に描いたようなエリートで物腰も丁寧だったが、何かが欠けていたのだろう。 漢字が読めない総理もいたが、彼はちゃんと読めたし話しも出来た。ただ残念ながら人の心だけは読めなかったようだ。「友愛」も爺ちゃんからの借り物だったし、軍資金はお母ちゃんが毎月必要な額を黙って渡してくれた。だからこのボンボンには、人の痛みも苦しみも分からなかったのだろう。そして苦労知らずだから言葉も軽く、自分の頭に浮かんだことが簡単に実現すると思ったのだろうね、きっと。 2世、3世議員総理が4代続けて短命に終わったのを見れば、やっぱり育ちが良いだけでは今の日本をリードするのは無理なのだろう。お金に対する感覚も杜撰だし、防衛や経済に対する認識の無さにはあきれるほどだった。かつて橋本総理が沖縄県民の犠牲に心を痛め、沖縄を20回も訪れて基地の重要性を訴えたことを今回の「騒動」で知り、彼の人物を見直した。 野党時代なら許される発言でも、政権担当者ともなれば言葉には一層の責任が伴う。防衛上における沖縄の重要性は今後も変わらないと思う。だが失った沖縄県民の信頼を取り戻すのはなかなか容易なことではない。その一方で国民もワイドショウが連日面白おかしく報じる情報を鵜呑みにするだけでなく、自らの頭で熟慮することが大切だと思う。 今回の騒動が憲法の在り方、防衛の在り方、予算の在り方、公務員制度の在り方、政治の在り方などを考えるきっかけになれば良いと思う。少子化と高齢化傾向が今後も変わらないのであれば、私達国民の意識を変えるしかないからだ。 民主党政権はまだ緒に就いたばかり。国家予算の無駄の排除や福祉の充実は今後もどんどん進めて欲しいところ。そして各政党が選挙で自分の勢力を伸ばすことばかり考えず、国民のための政治がどうあるべきかを真剣に考えて欲しい。菅新総理の組閣は来週始めになりそうだが、是非清新で実行力に富んだ内閣となることを期待している。 ずいぶん遅かったが、決断力のないあの鳩山氏が、最後の最後になってようやく自分の考えで動いた。それだけ前幹事長の重圧が凄かったのだと思う。日本の民主主義がより成長するためにも、新内閣には死ぬ気で頑張って欲しい。
2010.06.04
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< ピンチ!! > 奥松島パークライン(県道27号線)を必死に走る私達。ホテル街を過ぎ、西の浜貝塚を過ぎ、最初の坂を登り切ると前方に人影が。どうやらC班に追いついたようです。だがどうも様子が変。事故でもあったのでしょうか。先に追いついたM井さんに尋ねると、Y田さんが転んだ拍子に虎峰さんに当たって2人が怪我をしたみたいです。 でも虎峰さんの姿はもうありません。既に走って前に行かれた様子。一方Y田さんの膝には痛々しい怪我の跡。とりあえずバンドエイドを張って様子を見ることに。大きな怪我でなかったのが不幸中の幸い。再び全員でゴールを目指します。 この道路が「松島ハーフマラソン」のコースであることは知っていましたが、今回M井さんに聞いて初めてスタート地点と折り返し地点が判明。何と折り返し地点が、今日のゴール地点だったのです。道の両側には見事な山藤の花、そして所々に桐の花も。 富山(とみやま)交差点から2つ目の登り坂。このコースは結構厳しい坂が続きます。ところがもっと厳しいことが私に起きていました。暫く前から腹具合が悪いのです。必死に我慢しているものの、果たしてどこまで持つのか。 「もうすぐ菜の花エイドですよ!」とM井さん。海岸が迫る道路脇にランナーの姿が見えました。ここが3つ目のAS。もう花は終わっていましたが、確かに菜の花の残骸が。果物を食べて出発したものの腹具合は治まらずヒヤヒヤのランが続きます。JR東名浜駅近くのコンビニでついに我慢の限界。急いでトイレに駆け込みました。 ここからはS山夫妻を伴って最後のラン。野蒜海岸への交差点でM井さんが待っててくれました。ゴールまでは残り3kmほどでしょうか。ゴールの「かんぽの宿松島」に着いたのは3時過ぎ。直ちに横断幕と一緒に記念撮影です。荷物を受け取ってから温泉へ直行。昨年はシューズと医療用インソールを失くしているので、置き場所にも細心の注意を払います。 温泉で汗を流し、寛ぐ選手達。その中にK彦さんもいました。5月の「川の道」ではどこまで行けたか尋ねると310kmとのこと。両足に出来た肉刺(まめ)の痛みが酷く、相当時間を残していたにも関わらず、そこからの前進は無理だったとのことです。 懇親会不参加を告げると、古川グループのK彦さんとT田さんが驚いた表情。「理由はブログに書くから」と言って握手して別れました。何のことはない、単に軍資金が不足していただけの話です。妻が経費を負担しても良いと言ってくれたのですが、時には恥をかき、義理を欠くこともあるでしょう。今はじっと我慢の時です。 翌日に農作業を控え、実家に帰る予定のY田さんとJR野蒜駅へ向かいました。初めて通る裏道です。彼と一緒だったことで、幾分惨めな気持ちが癒されました。電車の中で眠るY田さん。自宅から多賀城駅まで走って参加した彼は、きっと疲れが出たのでしょうね。野蒜駅で缶ビールを飲んだ私は、案外目が冴えていましたよ。 電車の座席では今日のマラニックを思い出していました。Sパパは3回目の「トランスヨーロッパ」に挑戦するとのことでした。「川の道」でトップだったS山さんは、当初キロ5分ペースだったようです。そして奥様の方は終始ゆっくりペースだった由。虎峰さんは、わざわざ愛知県からの参加でした。まったく凄いランナーが集まったものです。 スタッフの方々は無事全員がゴールしたことで、ホッとしたことでしょうね。参加者50人を超えるマラニックを企画、実行するのは大変なことです。翌日M仙人は雲峰師匠らを酒蔵や笹谷峠に案内されたとか。きっと良い思い出が出来たことでしょう。さて、第8回の来年は、果たしてどんなコースが私達を待っているのでしょうか。<完>
2010.06.03
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< 松島でカモメと遊ぶ > 12時半、私達が乗った「ぺがさす号」が塩竃観光桟橋から出港。19トン80人乗りですが貸切での運航です。私はY田さんと一緒に一番前に陣取りました。船長のすぐ横なので、操縦する様子が良くわかります。窓に雨粒がつき、空には黒い雲。視界は良好ですが船用のナビが作動し、船が今どの位置を走っているかが分かるのです。そして島に近づくと、今度は観光案内用のテープが流れます。 船中から先ほど休んだ多聞山が見え、そこで眺めた地蔵島や馬放島の直ぐ前を横切りました。宮城県の東部に広がる仙台湾の奥まった場所が松島湾で、ここに有人無人の260ほどの島が点在しています。松島湾の一角が塩竃湾で、昔は千賀浦(ちかのうら)と呼ばれていました。塩竃には千軒の家があった(千家=ちか)からとか、国府の多賀城に近(ちか)かったからとの説があります。 松島は日本三景の一つで、芭蕉が弟子の曽良と共に訪れたことで有名です。陸路が険しかったため、主従は塩竃から松島まで舟で渡ります。私達が乗ったコースはそれに因んで、「奥の細道周遊コース」となっています。 さて、芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだとされるのは有名な話ですが、これは後世の作り話。また絶景のあまり句が詠めなかったと「奥の細道」にあるのも嘘なのです。弟子の曽良の日記には、芭蕉が松島で詠んだ 「島々や 千々にくだけて夏の海」ほか3句が記されています。 船の外で何やら騒がしい声。そして空には飛来するカモメの群れ。誰かがカモメに餌を上げたのでしょう。E名さんが羨ましそうな声を出したので、東京のN山夫妻からもらった「カッパエビせん」を彼女に譲りました。喜んで早速餌付けに行ったようですが、「カモメに指を突かれた~!!」と、誰かが騒ぐ声。 2つの小さな島の夫婦島、丸い形の鍋島、仁王に似た仁王島、有人の桂島、鐘の形をした鐘島、木目のような材木島、七福神から名を採った大黒島、布袋島、恵比寿島、かつて多くの僧が修行し、石窟がある雄島、赤い橋でつながれた福浦島など、大小様々の美しい島々を間近に観られて幸せな50分間でした。五大堂が目の前の松島桟橋で下船し、レストハウスでトイレ休憩です。 再び走り出したもののB班の中には、瑞巌寺を見学したいと言う人が現れました。折角遠方から来られたのですから自然の成り行きでしょう。5人ほどの人を待って私とM井さんが残りました。戻って来た3人がそのまま先行しましたが、まだ2人が来ません。その2人が今度は国宝の五大堂も観たいとの希望。「こうなったら仕方がないね」。覚悟を決めたM井さんが残り、私は先行した3人を追いました。 ところが速い人ばかりでなかなか追い着きません。追い着いた時にはコースから大きく外れていました。慌てて呼び止め、海岸に沿った裏道を案内したまでは良かったのですが、途中で迷子に。何と道が海に出て行き止まりになっていたのです。通りかかった地元の方に聞いて、ようやく本来のコースへ。高城川を渡り必死に後を追いかけたのですが、なかなか皆の姿が見えないのです。<続く>
2010.06.02
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< 昼食のビールと日本酒 > 急な石段を登って行くと小高い丘の上に毘沙門堂がありました。早速誰かが鐘を撞いています。それを真似してさらに荘厳な鐘の音。近づくとSパパが鐘の中に頭を入れて余韻を味わっていました。彼はトランスヨーロッパ2度完走の猛者ですが、「奥の細道」はじめ旧街道を歩いて旅する歴史好きで、色んなことに興味を持つ人です。 丘の上からの眺めは抜群。遥か前方に陸地が連なるように見えますが、そのほとんどが松島湾に浮かぶ島々です。目の前の地蔵島には可愛らしい灯台。そしてその向こうが馬放島。昔、塩竃神社の神馬が病気になった際は、この島に放して養生させたのだそうです。きっとミネラル豊富な草を食べて元気を回復したのでしょう。ここで記念写真を撮影。 丘の頂上が松島四大観の一つである標高46.8mの多聞山。私はここに来たことがありました。松の木が邪魔になって目の前の島は見えず、東方に仙台湾が広がっています。松島四大観とは松島湾を見下ろすビューポイントで、湾の南に位置するのが多聞山(七ヶ浜町)、西に扇谷山、北に富山(116.8m:松島町)、そして湾の東側に大高森(105.8m:東松島市)があります。今回のマラニックで、全ポイント探訪の完成です。 因みに毘沙門天はサンスクリット語の「音」を採り、多聞天は「意味=良く聞くところの者」を採ったもので、同じ仏様のことです。山の上で香峰さんがASを開いていました。各種の飲み物や食べ物がランナーの喉を癒し、空腹を満たしてくれます。中には千葉のT野さんがわざわざ持って来てくれた新鮮なソラマメもありました。 一休みをした後は、再びグループ毎に出発です。山を下ると汐見台の大きな団地。さらに進むと大木囲(だいぎがこい)遺跡への入口。ここも縄文時代の大型貝塚で、町立の歴史資料館があります。ここから発掘された土器は、時代の古さを判定する目安になる重要なものです。ようやく七ヶ浜町を一周して県道23号線に出ると塩竃市。右折して塩竃港へと向かいます。 その途中コンビニに寄って、各自昼食を調達。私は寿司と缶ビールを買いました。遊覧船に乗るマリンゲートまでは500mほどの距離。私達が乗る臨時便までは時間があるため、ロビーで昼食を摂りました。プシュッと缶ビールを空ける音があちこちで聞こえます。中には日本酒を呑み始める剛の者も。「まだ全然走ってないでしょ?」。Sパパがけろっとした顔で言いますが、既に22kmは走っているのです。<続く>
2010.06.01
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