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≪ 妻の異変 ≫ 湘南大橋を渡る。ここは酒匂川の河口。左手には相模湾、そして前方には真鶴岬と伊豆半島が見える。小さな島は初島で、その沖に伊豆大島も見えた。やがて早川が現れる。ここからいよいよ箱根へと登って行く。「あれが石橋山ですよ」と添乗員。源頼朝が最初に戦って敗れたのが「石橋山の戦い」。木の洞に潜んでいるのを敵の梶原景時が見逃してくれ、小舟で房総半島に渡って再起を図った史実を思い出す。 登り始めて直ぐのところに石垣山。ここに北条氏を攻めた豊臣秀吉が一夜城を築いたことで有名だ。もちろん城が一夜で出来るわけはなく、密かに短期間で砦を作り、一夜で周囲の木を切ったため、思わぬ城の出現に小田原城に立て籠っていた北条氏が度肝を抜かれ、敗れたのが秀吉の天下統一につながった。バスは箱根湯本までで、そこから箱根登山鉄道に乗り換える。 旧東海道は左手に別れて行くが、「箱根駅伝」は登山電車と並行しながら、直ぐ傍の道路を走る。いわゆる箱根の山登り、往路の最大の難所の5区だ。小田急のロマンスカーも、普通列車も見た。その前には東海道新幹線も見たので、よほどついていたのだろう。そして登山電車にも予定より早く乗れ、しかも座ることが出来たのだ。 日本一勾配のきついこの鉄道は、3度スイッチバックを繰り返す。世界でも2番目の急勾配だそうだが、深い早川の谷底を見れば、そのきつさが理解出来る。ところが車内に知的障害の青年がいて、奇声を上げる。彼は何度も往復して、登山電車を楽しんでいるようだ。だが、うろついている姿を車掌に咎められ、彫刻の森駅でようやく下車した。 登って来る途中、小湧園の前を通った。ここは箱根駅伝の5区でも、特に応援の人が多い場所だ。私達は終点の強羅駅で下車。そこでバスが待っていた。路線バスが円形の「ターンテーブル」に乗って、方向を変えるのが面白い。狭いためUターンが出来ないのを、機械で自動的に180度方向を変えるのだ。1駅戻って早雲山の方に登った先に、私達が泊るホテルがあった。 部屋で浴衣に着替えると、ゆったりした気分になる。やがて妻は大浴場へと向かった。それが1時間以上経っても戻って来ない。一体どうしたのだろうと心配した頃、ようやく妻は戻り、そのままベッドに倒れ込んだ。顔色は良くない。またしても昏々と眠る妻。寝不足の上に長い間バスに乗って疲れ、さらに長風呂で気分が悪くなったのだと思う。 その間に私も大浴場へ。今夜は女の人が露天風呂に入る順番とのこと。丹念に体を洗って温泉に入ると、お湯はそれほど熱くない。それにあんまり体が温まらない感じ。風呂から上がって効能を読むと、源泉は90度以上の高温だが、それに加水し加温していると書かれている。乏しい湯量を共同で使っているためだ。う~む、有名な温泉も実態はこんなものか。<続く>
2013.02.28
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≪ 広いだけの梅林 ≫ 添乗員さんが言う。「曽我の梅園は水戸の偕楽園より凄いんです。約3万本の梅があります」。ふ~ん、これは期待出来そうだ。場所は小田原市の郊外。目の前には箱根の山々。その向こうに真白な富士山が立っている。添乗員さんが地図を元に、見学コースを説明。なるほど迷子になりそうな広さ。それでも人波に押されるように、前へ進んだ。 ところが、狭い道に車がどんどん突っ込んで来て危ない。日曜日なので、観梅の観光客がどんどん押し寄せるのだろう。仕方なく遠回りして梅林を巡ることに。確かに梅の木の数は多いが、特に美しいとも感じない。ここは偕楽園のような庭園ではなく、梅干しの原料となる梅を採るための梅林なのだ。それに偕楽園は梅の種類も豊富なのだが、こちらは単純そのもの。なんだかなあ? 途中「梅祭り」の催しをしている広場があった。そこを過ぎるとようやく人波が途切れ、歩き易くなった。目の前に大きな富士が現れる。ここは梅の花よりも富士山が一番の主役なのかも知れない。 鋭角の 富士屹立し 梅林 きつりつ 咲きし梅 香りの先に 富士の嶺 紺碧の 二月の空や 富士の嶺 青空に 富士が似合うと 妻の声 歩いているうちにロウバイに出会った。もう枯れかかり、匂いもない。「そこは持ち主が手入れをしなくてね」。地元の方が申し訳なさそうに言う。確かに立派な樹なのだが、夏はツタに覆われて栄養不足のようだ。邪魔なツタを刈り取れば、かなりきれいな花が観られるのだろうが。「川の傍に咲いてるのがありますよ」と係の人。小さな流れに沿って登ると、確かにきれいなロウバイがあった。 蝋梅の 香りも失せて 雨水過ぐ 雨水は24節季の一つ 梅林を一巡して山に向かう。妻は展望台まで行こうと言うが、そこまでの時間はない。県道を過ぎて山道に入ると、家々の庭に様々な柑橘類が実っている。暖かい地方独特の風景だが、北国生まれの人間にとっては羨望の的だ。大きいのは甘夏だろうか。温州ミカンの古い種類みたいなものもある。皮の厚そうな実を1個失敬。後で車中で食べたら、昔ながらの酸味のあるミカンだった。 鈴生りの 甘夏実る 曽我の春 山の上から大勢のハイカーが降りて来る。展望台へでも登ったのだろうか。ここ曽我は、富士の巻狩りの際に仇打ちをした曽我十郎、五郎兄弟と縁の深い土地。そして江戸時代の篤学の人、二宮尊徳の生まれ故郷にも近い。尊徳の遺髪を埋めた墓があるようだが寄らず駐車場に戻る。 彼は科学的な農業を目指し、川の堤防を築くなどした郷土の偉人。一説によれば、人糞の発酵具合を確かめるため、実際に舐めたと聞く。かつて小学校の校庭には、薪を背負い本を読みながら歩く少年金次郎の石像があったのだが。<続く>
2013.02.27
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≪ 雪国からの脱出 ≫ 隣の座席で眠る妻。私は新聞を読み終えると、ウルトラマラソン仲間である「宮城UMC」の文集を読んだ。体調不良で一度もレースに出られなかった昨年の私だが、仲間が頑張る様子を知ると刺激になる。闘病中のU海さんはじめ、K合さん、Cちゃん、O長老、秋田勤務のDさんの活躍ぶりや、事務局長代理のKさんの「みちのくラン」再開へ向けての強い想いが切々と伝わる。 そして今回もT田さんは別格扱い。昨年参加したウルトラ12レース、フルマラソン7レース、その他5レースの合計24レースと全国の走友の紹介を、堂々27ページにも亘っての大公開。これなら会費を3倍ほど徴収すべきだが、宮城UMCを愛する気持ちに免じて、まあ許して上げよう。 さて、私達が乗った観光バスは、一路南へ向かっている。今朝も仙台は雪。その雪道を、最寄りの地下鉄の駅までの3.5kmを、妻と42分で歩いた。その疲れや前夜の睡眠不足が、昏々と妻を眠らせているのだ。車外は一面の銀世界。福島県に入っても続く雪道。東北はまだ冬の真っ最中なのだ。その雪景色を観ているうちに作句を作りたくなった。 銀世界 二つに裂きて 冬の旅 (国見峠) みちのくの 雪きらめきて バスツアー (福島市) 白河市を過ぎるともう栃木県。那須高原付近までは雪があったが、宇都宮に入ると景色が一変。何と空は青々として光が溢れている。ところどころに見える緑。雪の東北に比べると、ここにはもう一足早く、春が訪れている感じだ。「あの濃い緑色は麦畑ですよ」とベテランの添乗員さん。鹿沼付近のビニールハウスでは、園芸用の鹿沼土を乾かす埃が風に舞っている。 野に光溢れ 関東春近し (宇都宮) 緑濃き 下野の野や 麦畑 (佐野) しもつけ=栃木県の旧称 まるで春一番のような強い風の中、渡良瀬川を渡る。僅かの間だが、ここは群馬県。そして日本一の大河、利根川もまた強風のようだ。埼玉の羽生でトイレ休憩し、東京へ入る。荒川の上空は黄砂で霞んでいる。その向こうに東京スカイツリーが見えた。池袋から地下に潜る。珍しい地下のループを廻って地上に出ると渋谷。東京の道路事情もすっかり変わったようだ。 風轟々 渡良瀬川の 水光る (渡良瀬川) 春の嵐 大河悠々 流れ行く (利根川) 荒川や 黄砂に煙る スカイツリー (荒川) 多摩川を渡ると神奈川県。松田ICから富士山が見えた。青空にくっきりと浮かぶ秀峰が素晴らしい。妻も目を輝かせて富士の姿を追う。バスはこの旅最初の訪問地である、曽我の梅園に向かった。<続く> 不二の山 威風堂々 春近し (松田) ふじ 雪煙なびかせ 富士は一人立つ (松田)
2013.02.26
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昨日の早朝に雪の仙台を離れ、暖かい伊豆と箱根の温泉を楽しんで来ました。今夜11時半に往復1300kmの旅から無事帰宅しました。体重は800gほど増え、逆に体脂肪率は5%減っています。これは一体どうしたのでしょうね? 留守中にコメントを頂きましたが、お返事と旅のレポートは明日からゆっくりと書かせていただきますね。どうもありがとうございました。クタクタなので、これで休ませていただきます。お休みなさ~い!!
2013.02.25
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今朝は4時起きです。間もなく朝食を摂り、旅行に向かいます。女房と一緒の箱根と伊豆への旅は、どんなものになるでしょう。箱根では梅を、そして伊豆では河津桜と言う早咲きの桜を観て来ますが、幸いにして現地のお天気は良さそうですよ。ただし、今日と明日の仙台は、かなり冷え込むみたいで心配です。まあ後のことは忘れ、旅を楽しむことにしましょう。2日間留守にしますが、よろしくね~。では、行って来ま~す♪
2013.02.24
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映画を観た。名前は『きいろいゾウ』。「黄色いぞ~」でも「黄色い象」でもない。名前からして変わっているが、とても不思議な話だった。出て来るのはこころを病んだ3組の夫婦。それに1組の少年と少女が登場する。西可奈子の同名の小説を映画化したようだが、彼女のことは全く知らない。それに廣木隆一と言う監督も私は良く知らない。 予告編は観なかった。ただ、映画の粗筋を読んで、これは良さそうだと思っただけだ。映画の舞台は三重県度会郡南伊勢町と言うところ。若い小説家夫婦の役が向井理と宮崎あおい。近所に住む中年の夫婦役が柄本明と松原智恵子。東京の画家夫妻役の名前は知らない。小説家の夫は妻に「ムコさん」と呼ばれ、夫は彼女を「ツマ」と呼ぶ。この辺は「ツレがうつになりまして」と似たような雰囲気だ。 2組の夫婦の会話は三重の言葉。なんだか四国の言葉にも似ている感じ。東北弁にはない柔らかな響きが、不思議な世界にはとても良く似合っていた。こころを病む3人の妻と、それを見守る3人の夫。どんな風にストーリーが展開するかは書かないことにする。ただ、この映画で思いがけないものを観た。宮崎あおいのヌードだ。まあ、若い夫婦だから愛し合うのが自然なのではあるが。 こころを病んだ妻が裸になる映画は、23年前に沖縄で観た『死の棘』。当時話題になったこの映画は、確か白黒だったはず。松坂慶子が入浴するシーンには圧倒された。実にナイスバデーなのだ。あおいちゃんの薄っぺらいものと違って、堂々たる肉体。あれはまさに見ものだった。だが、本当の見ものは、悩める女のこころの闇なのだ。 女とは不思議な生き物。妻を見ていても、つくづくそう思う。50年近く前の、まだ付き合っていた頃の小さなことに拘り、夫の行動に不信感を抱き、いつまでも「根」に持つ執念深さ。あまり小さなことに拘らず、過去のことはあっさりと忘れ、「根」に持たない男からすれば、不可解と言うしかない存在だ。それが夫婦ともなれば一筋縄では行かず、生涯その「怨念」と付き合うことになる。 幸いにして3組の夫婦は全てハッピーエンドで終わる。ところでタイトルの『きいろいゾウ』だが、これは映画の中に出て来る童話の題。不思議な映画にふさわしい、不思議な童話だった。さて、明日は早朝から妻とバスツアーに出かける。帰宅は月曜日の深夜。まる2日留守にするので、その間のブログはお休みになる。伊豆箱根の風景が楽しみだ。はたして河津桜って、どんな花なのだろう。
2013.02.23
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2週間ほど前のこと、たまたまNHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行」を観た。今は「新」がついているが、昔からだったのだろうか。あの頃のテーマ音楽は今でも良く覚えているし、その次のテーマ音楽の不思議な響きも、まだ耳の奥に残っている。現在のも哀愁を帯びた素敵な曲だと思う。さて、その時観たのは「いざなぎ流」と言う不思議な宗教だった。 高知県の物部村は徳島県と県境を接する山村で、今は合併して香美市物部地区となっている。吉野川の最上流部にある徳島県の祖谷(いや)地区は平家の落ち武者が逃げ込んだとされる深い谷がある。谷は切り立って通行が出来ず、かつては谷の両側で、手を使って交信したそうだ。橋はツタで編んだ葛橋(かずらばし)。敵が攻め込んで来た時は、その葛を切って山に逃げた。 香美市物部地区も祖谷と同様に平家の落人伝説が残っている。そこに伝わる「いざなぎ流」は、神道、仏教、陰陽道、修験道などが混じり合った宗教で、民俗学者によれば日本の宗教の原点とも言われている。そしてそれを司るのが「太夫」と呼ばれる人。現在物部地区には3人しか残っていないそうだ。普段、彼らは普通の暮らしをし、神事がある時だけ太夫になる。 太夫が覚えるべき祭文は最低でも「いざなぎ神」、「山の神」、「大土公」、「地神」、「荒神」、「恵比寿」、「水神」の7つ。これに呪詛の祭文や天神の祭文が加わる。祭文とは一種の神話で、祝詞(のりと)のようなもの。そして祀るべき神は無数。自然現象の全てが神であると言えようか。私達日本人の祖先が暮らした遠い昔を彷彿とさせる原始的な宗教だ。 神前に捧げる御幣は全て紙を切って作る。その種類は200以上に上る。まあ、それだけの数の神様がいる訳だ。紙を作れなかったアイヌは、木を削って御幣を作った。それが「イナウ」だが、感じがとても似ていると私は思う。自然崇拝もそうだが、アイヌと日本人に共通する祈りの心があったのだろう。沖縄の原始神道も巨木や巨岩が信仰の対象で、これも原始の宗教の姿を良く止めている。 物部地区の人口は約3300人。「いざなぎ流」を信じている人の多くは老人なので、そのうちには絶えてしまうかも知れない。自然を神とし、神と共に暮らす生活はある意味で幸せだと思う。全てを神に委ねているからだ。そして土から生まれ、土へと還って行く。 謎は残る。古代豪族物部氏との関係はないのだろうか。平家の落人がこの「いざなぎ流」をもたらしたのだろうかと。他の集落との交流を断ったからこそ残った原始的な宗教の姿。もし信じる人が途絶えても、拙い字で書き留められた「祭文」だけは残りそうだ。国内には貴重な郷土芸能がまだかなり残っている。それらを大切に守り、後世へ遺して行きたいものだ。
2013.02.22
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暦の上では既に立春を通り越して「雨水」に入った。雪が雨に変わる季節である。三重のブログ友は買って来た植木鉢の花を楽しんでいるみたいだし、京都のブログ友は、季節と暦が一致してると言う。だが東北はまだ冬の真っただ中。畑には霜柱が立ち、生ごみを入れるコンポスト容器のふたは凍結して、午前中は開かない。 先日お風呂に入っている時、外でガリガリと言う音がした。ドブネズミが何かを齧ってるのだろうと思って翌日確かめると、コンポスト容器の周辺に幾つか穴が開いていた。だが土が凍っていたせいか、侵入に失敗したようだ。別の日、葉ボタンの鉢からヒヨドリが飛び立った。後で見たら、葉に食いちぎった痕跡があった。寒さが厳しい今年の冬は、動物達も食べ物探しに苦労しているようだ。 時々ザザ~ッと音を立てて、屋根から雪が落ちる。そんな時にはベランダに干した布団が気がかりだ。この冬は、そんなことの繰り返し。昨日も走っているうちに急に気温が下がり、吹雪になった。だが、山形の人に言わせると、仙台はとても暖かい由。そう言えば尾花沢市の積雪は2m近いとニュースで聞いた。 少し前のこと、電気安全協会の人が訪ねて来た。点検のためだが、こんなことは初めてだった。妻によれば、係の人が東日本大震災以降、漏電で失火する家があると話していたそうだ。そう言えば近所にも火事になった家がある。1軒は60mほどの近さで、もう1軒は600mほど離れているが、2軒とも焼けたまま放置されている。差しっ放しのコンセントも点検して行ったようだ。 別の日にはペンキ屋さんが来た。1階の屋根の一部と、シャッターボックスの上の塗料が剥げているのを発見し、住宅メーカーに連絡したのだ。屋根と壁は新築の10年後に塗り直した。あれからまだ6年半しか経ってない。塗装しに来た青年に聞くと、屋根の付け根の方は、劣化が原因とか。壁の一部に地震によると思われるヒビがあったので、ついでに直した由。中国の汚染物質の影響はないものだろうか。 50インチの大型テレビを私の部屋に移した。これまでのは14インチで、画像が良く見えなかった。いつ帰省するか分からない子供より、毎日家にいる自分のために使うことにしたのだ。これがなかなかのもので、風景は雄大に見えるし、スポーツ番組は迫力が違う。プロ野球の開幕がとても楽しみ。やはりあるものは大いに活用すべきだね。 「羽毛布団にしてから良く眠れる」と妻。それは良いことだ。妻のお下がりの毛布やシーツカバーをもらった私も、そのお陰で暖かく安眠出来るようになった。座布団やクッションも妻のお下がりだが、文句は言わない。仕事の書類を書く必要上、妻は暖かい居間でヌクヌク。一方「サンデー毎日」の私は冷え冷えした部屋で、手袋をしながらパソコンに向かう。その寒い部屋でもシャコバサボテンは咲いている。 「有料の老人施設に入るのは無理だね」と妻。今もらっている年金では、とても足らない月額なのだそうだ。まあ出来るだけ頑張ってこの家で暮らし、自転車で買い物に行ったり、庭の雑草を取るしかない。私は最初からそんな気持ちでいる。バレンタインデーに妻からもらった5枚の板チョコを、そろそろ食べようかと思う。 今度の日曜日はバスツアーで伊豆箱根へ行く予定。箱根の温泉に泊り、十国峠から富士山を仰ぎ、伊豆半島の河津桜を観て来る。5月の沖縄旅行も予約した。西表島や波照間島などは私も初めて。私の小遣いで負担するためマラソンの1年分の遠征費がこれで消えるが、たまの女房孝行と思えば安いもの。その頃、南の島はもう梅雨かも知れない。だが、それもまた楽しいと私は思っている。
2013.02.21
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山岡荘八(1907~1978)の大著『徳川家康』(講談社文庫全26巻)を、昨夜読了した。昨年の11月14日に読み始めたので、1巻当たり3.8日の猛スピードだった。この大河小説は、戦争の余燼が燻ぶる1950年(昭和25年)から足掛け18年もかけて執筆された。著者は敗戦で自信を失った日本人が元気を取り戻すため、平和を願ってこの本を書こうと決心したそうだ。 この小説が出されるまで、徳川家康や徳川幕府に対する評価は低かった由。きっと幕末には朝敵となり、明治以降はびこっていた皇国史観のせいだと思う。だが、山岡が描く家康像は、それまでの観方を一変させた。「欣求浄土 厭離穢土」の旗印を掲げて戦った武将は、死に至るまで求道者であり続けたのだ。 浄土宗の熱心な信者であり、天下を治めるために儒教を取り入れ、皇室への尊崇を政治の根幹とした家康。そこに至るまでには、幼少から青年期まで人質だったこと、正室築山殿の謀反、嫡男の切腹、次男の秀吉への養子縁組、六男松平忠輝の野望など、家庭的に恵まれなかった影響が大きい。また、関ヶ原の戦いや2度に亘る大坂の陣も、揺らぎない太平の世を作る決心をさせる元となった。 歴史小説はあくまでも小説であり歴史そのものではないが、私は家康の74歳の生涯を描くこの小説から、多くの事柄を学ぶことが出来た。信長や秀吉との関係、生まれて以降の家庭的問題、戦い方が激変して行く戦争の実態、2度に亘る朝鮮の役の実態、諸外国の我が国への進出と交流の実態、大名とキリシタンとの関係、松平忠輝と舅である伊達政宗の野望の実態などだ。 意外なことに家康は「キリシタン禁止令」や「鎖国令」を出しておらず、むしろ外国との貿易の道を探って堺衆との関係も密接なのだ。武家諸法度を制定し、百姓の直訴制度を許すなど、360年もの長きに亘る徳川幕府の基礎を作った彼は、死後も国土を守るために、遺骸を立ったままで久能山に埋葬することを厳命したと言う。それを江戸の鬼門に当たる日光東照宮に遷座したのは、孫の三代将軍家光。それ以降、権現として祀られる。 長い長いこの小説は、「人の一生は重き荷を負うて、長き道を行くが如し」と言った家康の人生を余す所なく伝えた名作だった。これで吉川英治の『新平家物語』、『私本太平記』と併せて、平安時代の末期から江戸時代の初期まで、この10カ月間で日本の歴史を小説を通じて観て来たことになる。幕末関係の歴史小説もかなり読んだので、少しは通史の理解が進んだように思う。 昨夜から読み始めたのが宮城谷昌光の『風は山河より』全6巻。その後は同氏の『新参河物語』全3巻を読む積り。いずれも小説の舞台は戦国で、家康の家臣の話。宮城谷の中国歴史小説は50冊以上読んだが、『風は山河より』は彼が書いた初の日本歴史小説のようで、果たしてどんな取り上げ方をするかが楽しみだ。今年もどうやら歴史小説三昧の日々になりそうだ。
2013.02.20
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驚きましたねえ。あの義足のアスリートが殺人事件の犯人ですって。ロンドンオリンピックでは、健常者に混じってトラックを駆け抜けた南アメリカのオスカー・ピストリウス選手が、何と恋人を殺した容疑で逮捕されました。彼もハンサムですが、恋人はモデルのようで大変な美人。ところが彼女の体には4発の弾痕と、頭部に殴られた痕があったようです。 彼の室内には血のついたバットが置かれていたとか。逮捕の翌日には裁判が始まったこともビックリですねえ。日本じゃとても考えられないことです。そして彼の年収が2億円との話にも驚きます。ロンドンオリンピックでの活躍以来、国の英雄として持て囃された男と絶世の美女との間に一体何があったのでしょう。英雄転じて極悪人とは、なんとも悲しい結末です。 オリンピック競技からレスリングが外れる公算が強まったことも驚きでしたね。大多数の日本人が、「ええ~っ、何で~?」と思ったのではないでしょうか。古代ギリシャの時代から続く古典的なスポーツで、オリンピックでも第1回のアテネ大会から正式種目になっています。日本のお家芸と言っても良いほどのスポーツ。大記録の持ち主、吉田沙保里選手もビックリしてましたもんね。 最近のオリンピックが商業主義に陥っているのが騒動の原因。入場者が少なく、テレビの放送を観ない人が多い地味な種目は、どうしても除外され易いみたいです。端的にはIOC委員に対するロビー活動の不足なんだとか。野球やソフトボールもそうですが、日本人にしてみれば、「何だかなあ?」と首を傾げることが多いですね。困った事態です。 監督の体罰で自殺者を出した大阪市の桜宮高校バスケットボール部。橋下市長の怒りが爆発して、体育科そのものが無くなってしまうと言う結果になりましたが、このたび全日本女子バレーボールの監督だった柳本さんが同校の改革担当市教育委員に発令されました。いやはや、ずいぶん思い切りましたね。当該教師が懲戒免職になったのは仕方ないですが、今後に注目ですね。 WBCの日本代表チーム、侍ジャパンの仕上がりが今一ですねえ。広島カープと対戦した初戦では、何と0対7の完封負け。マー君はじめ出て来るピッチャーが次々と打たれ、一方の攻撃でも全然打てずヒット3本に終わったとか。何だかちょっぴり不安が残りますね。まあ本格的な調整はこれからなのでしょうが、果たして山本監督で勝てるのかなあ? そんな中での明るいニュースは、何と言っても女子ジャンプの高梨沙羅選手がワールドカップで総合優勝したことかな?今季は8勝しましたもんね。世界を転戦しながらの生活でも、16歳の彼女はビクともしなかったようです。どんな料理でも食べられるし、どんな所でも直ぐに眠れるのが彼女の特技とか。全く図太い神経の持ち主です。 男女を通じて日本人がジャンプのワールドカップで総合優勝をしたのは初めてのこと。しかもこれまでの最年少での優勝は、「アッパレ!」と言うしかありませんね。こんな生活では通常の高校には通えず、大学受験資格検定制度で学んでいると言うから立派。そんじょそこらのやわな若者とは考え方、取り組み方が違いますね。優勝も全然意識してなかったと言うから、並みの大物じゃないですよね。 最多の32回の優勝を飾った大相撲の故大鵬親方に、国民栄誉賞が授与されるみたいです。これも嬉しいニュースですね。「巨人、大鵬、卵焼き」。かつての子供が好きだった3つの事柄を表わす名文句も、今じゃ懐かしい言葉になりました。樺太生まれで白系ロシア人の血を引く親方は、相当な苦労をされた方。その霊前に栄誉賞が供えられる日が楽しみです。安らかに眠って下さいね大鵬親方。合掌。
2013.02.19
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いや~、良く寝た。逆算すると8時間以上眠った計算。土曜日はウルトラマラソン仲間である「宮城UMC」の新年会。そして昨日は町内会の集まり。「いわきサンシャインマラソン」以来1kmも走ってないのに、1度もトイレに起きることもなく眠ったのは、よほど疲れていたのだろう。どうやらウルトラランナーから「ただの爺さん」への転身が、着々と進んでいるようだ。 失くしたと思っていた「宮城UMC」の文集は見つかった。あの日、古本屋と書店で買った8冊の本は、ちゃんと巻数順に本箱に並べてあったのに、リュックに入れたはずの文集が見つからないのはおかしいと思っていたのだが、新年会の前に立ち寄った3か所のツーリストのパンフレットの一番下に、ちゃんとあった。 ああ良かった。その中には、前事務局長だったU海さんの「メモ」があった。タイトルの「皆と走りたい一年」、名前、文章の全てを入れても、わずか13行の言葉。それを書くのに1日かかったと、事務局長代理のKさんが話していた。それほど重篤な症状の中で、また仲間と一緒に走りたいと言う彼の熱い気持ちが伝わって来る。ガンバレ~U海さん。俺も何とかトレーニングに励んでいるよ。 44kmのマラニック「寅さん詣で」の後、1週間は深い疲労感に苛まれていた。30km地点で走るのを止めた「いわきサンシャイン」も、翌日あった走友会の新年会を含め、丸々1週間以上走っていない。疲労感はかなり薄れたが「ざわわ」が気になるのだ。サトウキビ畑を吹き渡る風の音なら情緒があるが、私の「ざわわ」は胸のざわめき。時々薄気味悪い動悸を感じていたのだ。 それで水曜日に循環器内科へ行った。2カ月分の血圧降下剤と不整脈の薬が切れるのを待っていたのだ。「その後の体調はどうですか?」。診察室に入るなり、私の顔色を見ながらドクターが言った。「絶不調です」。私はそう答え、2回のレースや、それ以降の体調について説明した。 黙って聞いていたドクターが言う。「Aさんと同じ年齢なら1日に30kmも50kmも走れません。疲れて当然です」。こちらはそれでも不満なのだが、なるほどそんなものか。「寒い時期のレースは止めた方が無難です」。ふ~む。やっぱりねえ。「強度の運動や大量の飲酒が不整脈再発の引き金になることはあります」。ありゃりゃ? 不整脈手術後の副作用の一つである胃拡張の恐れはないだろうとのこと。それじゃ最近出ている「ゲップ」もさほど心配いらないか。血圧や脈拍は正常で心電図は撮らず、術後1年検診でのホルター心電図の計測結果を診ることになった。この日はたまたま採血したので、疲労の原因も分かると思う。「ざわわ」の原因は、不整脈ではなく「拍音」かもとドクター。これって心配ない動悸のことなのかな? 私が尋ねたホルター心電図をつけながら走るのは、運動が心臓にどう影響するかが分かるので良いそうだ。わざわざ飲酒させて心電図を撮ることもある由。へえ~っ。最後に整形外科ではランニングを禁止されていることを告げると、やはり「自転車にしたら」とドクター。「ランニングをしてない先生の意見は聞きません」と私。 心臓もそうだが、筋肉、関節、骨も歳とともに老化して行く。だから無理をすれば、自分の健康を害するリスクが高まるのも真実。だが、医療用インソールやサポーター、テーピング用テープ、ストレッチ効果のあるタイツなどの助けを借り、それなりのトレーニングを積めば、私はまだランニングを楽しむことは可能と思っている。 2カ月分の薬を受け取り、帰路は家まで3.5kmを歩いて帰った。加齢と運動と健康。この永遠のテーマと今後も付き合い、自分自身で実証したいのだ。ドクターの意見は重視すべきだが、自分の健康は自分で守り育てる意識も必要のはず。仲間の活躍や若かりし日の自分と比較せず、今の自分に相応しいランニングの喜びを見つけたいものだ。
2013.02.18
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セーターとズボンのまま寝ていた。おまけに口が臭い。歯も磨かないまま寝てしまったのだ。昨夜はウルトラマラソン仲間の新年会。結構飲んだのだと思う。 今週の月曜日。つまり建国記念の日は所属走友会の総会兼新年会があった。前日は「いわきサンシャインマラソン」で30kmを走った。と言うか、リタイヤして完走は出来なかった。それでも1年5か月ぶりのレースで、私は十分満足していたのだ。走れなかった一頃、走友会を辞めようかと思ったこともある。まして距離の長いウルトラマラソンはなおさらのこと。辛い気持ちでそんな日々を過ごしたのだ。 わずか30kmでも走れたことが、きっと自信につながったのだろう。走友会の総会兼新年会で、私は久しぶりにはしゃいだ。きっと顰蹙を買ったと思うが、許していただくしかない。司会はM井さん。いつものK野さんはなぜか遠慮したようだ。昨年の活動報告と会計報告は何の問題もなく了承。新年度の活動方針に入って、定期練習の方法に変更があった。 私が走友会の行事に参加するのは1年ぶりのこと。2回の入院と手術、その後の不調もあって、なかなか参加出来なかったのだが、練習に来る人がかなり減った由。原因には高齢化もあると思う。練習コースの距離が長いこと、スタートする時間が遅いこと、多忙なことも関係あるだろう。それでもランナーだから各自で練習はしているし、速いランナーは、別途合同練習もしている。 会則も一部改正された。わずかな会費で1年分の諸経費を賄うのだから、役員の苦労も大変なもの。それに30周年記念行事も控えているのだ。ここにも高齢化の影響が及んでいた。会員の入院見舞と出産については、今後特段の措置をしないことになった。役員の一部改選もあった。皆忙しいため、これもまた致し方なし。役員を引きうけてくれる方々に感謝するのみ。 ニューフェイスの紹介もあった。S村さんの奥さんとマックスさん。彼はアメリカ人で、臨時的に中学校で英語を教えるために日本に来たとか。懇親会では隣の席に座ってお話した。ペンシルバニア州出身の26歳。快活な青年だった。今は5kmほど走っているが、5月の「仙台国際ハーフ」にも出場するようだ。大勢の仲間と一緒に走れるのがとても楽しみになった。皆のこの1年の抱負も聞いた。まだ体調が十分でない私は、ささやかな夢を話した。 そして昨夜は雪道を会場へ急いだ。宮城UMCの新年会でも新しい顔をみかけた。200km超級のレースに出る人、500km超級のレースに出る人など皆元気が良い。フルマラソンでリタイヤする私などは「ケシ粒」みたいな存在だ。それでもランニング仲間はありがたい。勇気をもらえるし、元気ももらえる。だが、折角もらった今年の文集を、どこかに落として来たのが残念。 皆の抱負を聞いていると、自分の体調不良を話すことが出来なくなり、つい「いわて銀河では100kmに出ます」と宣言してしまった。まあエントリーしているのは本当だが、出られるかどうかはまだ不明。それでも気持ちが高ぶり、大いに酒を飲んだのだ。実は大量のアルコール摂取も不整脈の原因になる。分かっていながら楽しくなり、痛飲した私だった。 帰路、良く雪で転ばなかったものだ。行く時からツルツルに凍っていた道路。そしてバスの時間にも良く間に合ったと思う。風呂にも入らず、歯も磨かず、着の身着のままで布団に潜った私だが、案外今朝の気分は悪くない。極めて消極的だが、仲間に迷惑をかけないようにランニングを楽しむこと。それが今年の最大の願い。何をするにしても、先ずは健康であることが一番だもんね。
2013.02.17
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≪ 復興と復調 ≫ 目の前をうなだれて歩くポセイドン。イルカを抱える腕も辛そうだ。かなりのランナーがゾロゾロと歩いている。これではゴールはおろか最後の第5関門も通過出来ないはず。歩けば時速4km。ノロノロでも走れば時速6kmにはなる。その差が結構大きいのだ。ドラえもんも牛さんも、遥か手前で歩いていた。暑さが「着ぐるみ」の彼らの体力を奪ったのだと思う。 スタッフの人が水とバナナを持って来てくれた。これは有難い。私はまだ元気だが、走るのを止めたら急激に寒くなった。汗が冷えて来たのだ。慌てて毛布を被る。1枚では足りないと思っていたら、スタッフの人がもう1枚被せてくれた。それでようやく震えが止まった。リタイヤしたもう1人のランナーは、毛布を被って倒れたまま。風邪気味で体調が悪かったようだ。 収容車が到着したのは15分後くらい。毛布を被って車に乗り込む。幸い、中はとても暖かかった。次の給水ポイントでもう1名のランナーを収容。私以外の2人は、床に寝たまま動かない。私はしっかりレースの模様を観ていた。やがて車はコースから外れて大回りし、第3折り返しから再びコースに戻った。必死にゴールを目指すランナー達。 アクアマリンパークに着くと、スタッフがシューズのタグを外してくれた。見事ゴールしたランナーは、首にレイをかけてもらい、完走証を受け取るのだが、私はそこを素通りし預けた荷物を受け取った。風の当たらない個所で着替え、「カニ汁」をもらいに行く。暖かくて塩分が補給出来るカニ汁は嬉しい。別のコーナーでゼッケンを見せ、記念品を受け取る。これは初めてのことだった。 M仙人とは間もなく会えた。2人揃って指定駐車場行きのバスに乗る。スタート前、M仙人には2つのケースを予告していた。1つはヨレヨレでも最後まで走るケース。これだと6時間はかかってしまう。2つ目は途中でリタイヤするケース。これだと速い仙人をあまり待たせずに済む。だが仙人は、てっきり制限の6時間ギリギリまで頑張ると思っていたようだ。 50回ほど走ったフルマラソンでのリタイヤは4回目。32km地点で関門に捕まった「吉備路マラソン」は前夜悪友に70度の焼酎を飲まされたのが原因。中間地点で止めた「青島太平洋」は体調不良。同じく中間地点で止めた「NAHA」は、疲労骨折の影響が残っていたためだが、今回同様走ろうと思えば完走出来たと思う。ランナーにとって自らの意思でレースを止めるのは、結構勇気が要ることなのだ。 「いわきサンシャイン」の第1回は65歳で、タイムは4時間29分38秒。第2回は66歳で4時間19分17秒。昨年の第3回は手術の2日前。エントリーしていたので25kmくらい走ろうと考えたが、結局は無理しなかった。そして68歳で迎えた今回の第4回は、30km地点で走るのを止めた。いわき市の復興は走りながら分かった。だが、1年5か月ぶりのレース出場だった、自分の復調はどうだろう。 実は1月末の「寅さん詣り」以降、体調がずっと悪かった。「いわき」の3日前にも嫌な鼓動を感じ、これはレースへの出場はとても無理でM仙人に断ろうと考えていたほど。それがその後体調が戻り、結局は参加することに決めたのだ。数日後、T田さんが送ってくれた写真には、不安気な表情をしたスタート前の私が写っていた。やはり写真は正直だった。 「いわき」の翌日は、走友会の総会を兼ねた新年会。前日の仲間の様子が分かった。若手のS山さんは、何とあのアップダウンの厳しいコースでサブスリーを達成した由。新年会の翌日、再び鼓動に異常を感じた。レースでは何ともなかったのが、レースの数日後に体調不良になるのはなぜだろう。復調までには、まだ紆余曲折がありそう。そう覚悟を決めた私だった。<完>
2013.02.16
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≪ 予定通りのリタイヤ ≫ いや~、残念。お握りとイチゴを食べたかったなあ。お握りは腹もちが良くてエネルギー源になるし、イチゴはビタミンCが豊富で疲労を防いでくれる。皮の厚いミニトマトは消化が悪そうだが、仕方なく大き目のを2個食べた。さあ、気を取り直して出発だ。標高43mの三崎公園から小名浜港が見えた。そして広々とした太平洋も。ここから一気に海岸まで下る。 既に歩いているランナーが目立つ。22kmで歩くようでは、普段10km程度しか練習していないのだろう。そして、前半飛ばしたのが今になって影響するのだ。急激な下りでも、膝への影響はないみたい。重ね着した手袋の1枚は脱いだ。次の目標は24.2km地点の第4関門。時間はまだ十分に残っている。慎重に下ってトンネルを抜ける。 1km毎の距離表示が嬉しい。これを1つずつ潰して前進する。いつもと変わらない小名浜の風景。だが、港の岸壁に近づいた時に、大震災の痕跡を見つけた。更地になった土地だ。きっと建物が崩壊したのだろう。ここからは港の中を岸壁に沿って走る。停泊している大きな船にも懐かしさを覚える。私にとっては2年ぶりのコースなのだ。 アクアマリンパークが近づいた。ここが第4関門だが、ゴール地点でもある。K藤さんの話だと、ここでH多さんとK村さんが待ってる由。彼女達を目で追ったが、それらしい姿はない。私はここでリタイヤする予定だった。ここだと直ぐに荷物を受け取れるからだ。だが、応援する人ばかりで、スタッフはいない。とうとうリタイヤのきっかけを失って、走り続けるしかなかった。 ここからは行けば行くほどゴールが遠のく。果たして今の自分に残された力がどれだけあるだろう。お握りを食べそこなって、腹も空いた。25km地点の第6ASでバナナを食べる。これが小さ過ぎてエネルギーにならない。応援の人から黒砂糖を4片もらって食べた。これでどうだろう。港への引き込み線を渡って市街地へ出ると、間もなくゴールのランナーが続々帰って来るのが見えた。 今なら3時間25分くらいのゴールだろうか。元気な人が多いが、中にはヨレヨレの仮装ランナーもいた。やはりこの暑さで消耗したのだろう。それを観る私の脚も重くなって来た。ゆっくりと最長でも23kmくらいの練習しかしていない身には、そろそろ限界が近づきつつあるようだ。ガクンとスピードが落ちた時、K野さんが前方から戻って来た。 驚いた彼が慌ててカメラを向ける。ありがとうと一声。こんな所で同じ走友会の仲間に出会えるのは嬉しい。翌日の新年会で尋ねたら、急だったため写真は撮れてなかったようだ。右手前方に小名浜製錬のボタ山が見え出した。雪が少しだけ残っている。これもまた懐かしい光景。角を曲がると28km地点の第7給水所。ここにAさんがいた。 彼も同じ走友会の仲間。復路だとここが40km地点に相当。残りは2kmちょっとなので、すっかり安心して寛いだ感じ。それが私を観て驚いたようだ。「頑張って~!!」と手を振る。きっと私の方がよほど疲れた表情をしていたはず。ここでゆっくり水を飲む。そしてゆっくりと歩き出す。道端のスタッフにリタイヤする方法を尋ねると、「救護」の腕章を付けたスタッフに申し出れば良いとの返事。 なるほど分かった。これで一安心。今日のゴールは30km地点と決まった。再び角を曲がって進むと30km地点。時間は12時45分ちょうど。3時間45分かかった計算だ。これはキロ7分30秒ペース。これだけの距離をこれだけのスピードで走れたら十分。既にテーピングを施していた膝には痙攣が来ていた。そして左足底に鋭い痛みがあった。 無理すればこれまでの経験で完走出来るだろうが、その後が怖い。30.3km地点の第8給水所まで歩き、救護スタッフにリタイヤすることを告げた。目の前をM仙人が通り過ぎた。結局彼は70代で9位だったそうだ。入賞は8位までだったみたいで残念。それが走っている仲間を観た最後だった。スタッフの話によれば、前のリタイヤランナーは、収容車が来るまでに1時間かかった由。ええ~っ、それじゃ困るんだけど。<続く>
2013.02.15
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≪ イチゴがない、お握りもない? ≫ 第1折り返し地点から戻って来る走友を探す。最初に見つかったのがパナップさんに似たランナー。でも後でゼッケンナンバーを調べたら別の人だったみたい。M仙人が来た。やはり今日も速い。仙台鉄人会のF田さんが私を見つけて声をかけてくれた。「F田さんガンバ~!!」と返す。M井さんも私の名前を呼んだ。「ありがとう!!」と応える。やはりレースは良い。こんな時がランナーで良かったと思う瞬間だ。 古川組のkazuさんの姿も見つけた。一瞬だったため、彼は気づかなかったようだ。いつもならもっとたくさんの仲間とすれ違うはずなのに、遇えなかったのが残念。相変わらず物凄い沿道の応援。私が心配していたのはこの海岸の家並み。多分大震災の津波で大きな被害が出たのでは、と思っていたのだが、どうやら無事だったようだ。 だが、地元の方の声援に応える余裕がない。苦しくてハイタッチはもちろん、笑顔を返すことが出来ないのだ。それでもたまに「ありがとう!!」と叫ぶ。長い折り返しまでの3.5km。とうとう港の小さな灯台が見え出した。江名港だ。だが港の広場にあった小屋がない。以前はたくさんの大漁旗が飾られたその小屋を一周して折り返したのだが、今は破壊の痕が凄まじい土台が残るだけだ。 やはり津波が襲ったのだ。盛んに手を振って応援してくれる地元の方だが、ここで死者は出なかったのだろうか。江名の集落に戻った時、思い切って老人にどれくらいの津波だったかを尋ねた。「この辺は2m以下で被害は大したことはなかったけど、80軒のうち30軒流された浜がある」との答。そうか、やっぱりねえ。今は静かな太平洋だが、あの日は猛り狂って多くの命を奪ったのだ。 すれ違う往路のランナーに、知り合いは見つからなかった。低空飛行のパラグライダーに手を振る。19.2km地点の給水所でスポーツドリンクと水を飲み、バナナと小さく切られたアンパンを食べる。後になって思えば、ここでパンをたくさん食べるべきであった。だがパサつくパンは、必死で走り口が乾いたランナーには、とても食べ難いのだ。 19.7kmの第3関門も無事通過。次の関門は24.2km地点だから十分に間に合う。21km地点あたりで休憩。道端に腰を下ろし、ペットボトルにアスリートソルトとサプリメントの粉末を入れた。勝負はこれから。ここまでずいぶん汗をかき、ミネラル分を失っている。それを補っておかないと痙攣の元になるからだ。 準備を終えて走り出すと、間もなく中間地点。時計を見たら2時間32分だった。これは意外。こんなペースでもここまで来れた。これなら5月の「仙台国際ハーフ」でも完走出来るかも知れない。そう思うと嬉しくなった。やはり収穫はあったようだ。左折して三崎公園へと向かう。この坂が疲れたランナーには、まるでジェットコースターみたいに感じるところ。 もうここは歩くしかない。走って登れるのはかなり強いランナーだけだ。手を強く振って頂上を目指す。その先に聳えるマリンタワーの白い塔が見える。あそこまで行けば美味しいイチゴとお握りが食べられるはず。だが、必死で登った坂の上のASにあったのは、ミニトマトだけ。走り去った速いランナー達が、イチゴとお握りを全部食べてしまったのだ。レ・ミゼラブル。これでは力が出ない。<続く>
2013.02.14
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≪ ストップウオッチは押さないで ≫ 招待選手の尾崎好美選手(第一生命)は30km地点まで走ると言う。「楽しく走ろう、サンシャイン、サンシャイン」。増田明美さんが大勢のランナーを盛り上げる。そして花火が上がった。スタートだ。だが、一向に前進できないランナーの群れ。結局スタート地点のアーチまで辿り着くのに、3分20秒以上かかった。 ストップウオッチは押さなかった。時計のベルトには、5つの関門と制限の時刻をメモした紙を張っている。だから時計はそのまま時刻を表すだけ。今日は何時間何分で走ると言うことではなく、行ける所まで行くのが目標。体育館では大福とバナナを食べ、栄養ドリンクを飲んだ。自分としてやれることはやった。後はどれだけ体が動いてくれるかが問題だ。 押し合いへし合いのランナーの群れ。最初の1kmは下り。ここまで9分以上かかっている。そこからの1kmは急激な登り。ここも団子状態のまま。ゆっくりなので、心配した胸の動悸はさほどでもない。沿道の応援が増えた。第1回、第2回は少ししかいなかった観衆が、第4回の今回はやけに多く、ずっと連なっていた。それだけマラソンが市民に馴染んで来たのだろう。そんなことにもいわき市の復興ぶりが感じられる。 3km地点でキロ7分ペースまで上がった。徐々に大集団がばらけて、走り易くなったのだ。このペースで走り続けることは今の私には無理なのだが、どこまで行けるか体に任せる。仮装ランナーがずいぶん増えた。定員を増やしたことが、仮装ランナーの増加に繋がったのだろうか。まあそれだけランニングの人気が高まったことは確か。 アンパンマン、バイキンマン、デビルマン、ドラエモン、のび太、ももクロ、本物のギターを抱えたギタリスト、キャッチャー姿の野球選手、ちょんまげのメイド、イルカを抱えたポセイドン、和服に桃割れのお姫様2人、カエル、牛さん、プリンなどなど。それにアフロヘアや仮面のランナーも。みな楽しそうに走って行くのだが、この日は意外に暑く、きっと彼らは苦しんだはず。 5.2km地点の給水は取らない。手に持ったスポーツドリンクを飲み、給水の時間を節約する。8km地点が最初の関門だが楽々通過。ここから左折。2度、3度と緩やかな坂道が続く。9km地点の給水もパス。そこから南下して海に向かう。所々に配置された消防車。これも毎年のこと。もし倒れても手当を受けられそうで安心。 12.7km地点が第2関門。もう海辺だ。青い太平洋を背に、第1折り返し地点から早くも戻って来るスピードランナー達。復路は20km地点だが、往路はまだ13km。つまりここから3.5km走って戻るわけ。既にトップ集団は見えない。その時、頭上で聞き慣れないな物音。見上げるとエンジン付きのパラグライダーだった。カメラマンがランナーの姿を撮っているのだろう。<続く>
2013.02.13
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≪ 零下9度の朝食 ≫ M仙人の車は間もなく来た。同乗者は私だけで、ほかの仲間の参加は不詳。後で聞くところによれば、今回はあっと言う間に募集定員に達し、申し込めなかった人が多かったみたい。M仙人とお会いするのは昨年の12月初め以来。真っ暗な東北道をひたすら南下しながら、仲間の消息、私が走った「寅さん詣で」や、彼が今年出場予定のレースなどを話す。 晩秋に負傷した足は、もう大丈夫みたい。暮れには40km以上の練習をしたことを、掲示板で知っていた。また、雪の日も除雪してある歩道をトレイル用のシューズで走っていたと、新年会の時に聞いた。73歳の彼がそんな努力を重ねて、今年も「富士山一周」ほか幾つかのウルトラマラソンに挑戦する由。年頭に掲げる目標が高く、心身の鍛練が並みのランナーでは及びもつかない鉄人なのだ。 東北道から磐越道へ乗り換える頃には空が白んだ。福島県内にもまだたくさんの雪が残っている。心配したいわき市の気温が、ここ数日の間に大変動していた。一時は最高気温が2度との予報。それが最新の情報では8度に変わった。阿武隈高原の温度表示がマイナス9度。きっと放射冷却現象なのだろう。今日はかなり暑くなりそうだ。 6時33分、最寄りのSAで朝食。食堂はまだ開店準備中だった。ここでお握り2個とカツサンドを食べる。スタートの9時までには、エネルギーを産み出してくれるはず。ここからいわき市までは急激な下り坂。いわき湯本ICで磐越道を降り、指定の駐車場に向かう。会場までかなり遠そうな駐車場に着くと、目の前に同じ走友会のM井さんとY田さんがいた。 Y田さんとは1年数カ月ぶりの再会。堅い握手を交わす。福島原発の事故で、故郷へUターンしての老後は諦めたと嘆く彼。年老いた家族は会津若松市へ避難中なのだ。シャトルバスに乗って、スタート地点の「いわき陸上競技場」へ向かう。受付で参加賞などをもらい、体育館で着替え。ここで仙台明走会のパナップさん、H景さん達と遭遇。ありがたいことに2人とも私のブログを読み、体調を心配してくれていた。 体育館を出ようとした時、今度は古川組と遭遇。彼らは前泊しているはず。「朝も飲んだの?」T田さんに冗談を言うと、「今朝はまだ飲んでない」と彼。彼らはランニングもさることながら、肝臓の鍛え方が半端じゃない豪傑ぞろい。kazuさんとも握手を交わし、記念写真に納まる。やはり仲間は良い。久しぶりにランナーに戻った想いだ。 荷物を預け、トイレに寄り、申告タイムの集合場所に向かう途中、K藤さんと会えた。「寅さん以来、全然走ってないの」と彼女。「でも会えて良かったね」と笑顔。体育館のM井さんに電話をくれたS村さんとはついに会えなかった。これだけ人数が多いと、探すのが大変。過去2回のレースではスタートのアーチが近かったのが、今年は遥か後でアーチが見えない位置に並ぶ。増田明美さんの弾んだ挨拶の声が会場に響く。間もなく9時。いよいよ1年5カ月ぶりのレースが始まる。<続く>
2013.02.12
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≪ 暗い道 ≫ 「東京マラソン」は外れた。連続7回の抽選漏れ。どうも抽選のあるレースとは相性が悪いのか1度も当選したことがない。一昨年9月の「秋田内陸」以来レースから遠ざかっていた私が、復活をかけて選んだのが「いわきサンシャインマラソン」だった。東日本大震災の被害を受けながら、1度も開催を中止したことがない「サンシャイン」は、まるで不死鳥のように感じていた。 そのレースで、いわき市の復興ぶりと自分自身の復活ぶりを確認するのが楽しみだ。だが、幾ばくかの不安はあった。2度に亘る不整脈手術後、長い距離の練習がほとんど出来ていないのだ。そのため練習を兼ねて1月末に44kmのマラニックを走った。6時間41分もかかり、かなりの疲労を残す結果となった。やはり体は正直。そしてマラソンの厳しさを、改めて痛感した私だった。 その「寅さん詣で」の疲労がようやく取れかかった頃、今度は嫌な動悸を何度か感じた。軽い目まいがしたこともあった。だから無理してランニングはしなかった。それに何度か雪が降ったり、強風が吹いたりする日が続いた。これは神様が休めと言ってるのだろう。そう思うことにした。だからこの2週間で走ったのは3度。距離にしてわずか35kmのみだった。 「不整脈そのもので死ぬことはありません」。手術を受けた病院で、私は医師からそう聞いた。「もう普段通り、何をしても構いません」。主治医はそうも言った。それが私の心の拠り所だった。そして一定のペースで走るジョギングは、本来心臓に優しいスポーツとの信念もあった。問題はそれ以外にもあった。偏平足が長年のランニングで変形し、整形外科の医者に走ることを禁じられているのだ。 骨の変形による痛みは、これまでも何度か私を苦しめた。腱鞘炎や、足底筋膜炎だ。だが、整形外科医はランナーとしての経験はない。34年の経験から、遅まきながら足の筋肉を鍛え、医療用インソールを用いたら、ゆっくりとなら走れるのではないか。そのギリギリの想いも、現実は老化との戦い。体力、筋力、精神力。加齢は残酷にも、それらのものを次第に奪い取って行く。 4時ちょうどに目覚ましがなった。睡眠時間は6時間半。早速そのまま走れるよう、着替えを済ます。膝と足へのテーピングは前日のうちに済ませておいた。この朝も、軽い動悸を感じた。ナーバスになっているのか、それとも本当に不整脈が起きているのか。それは心電図を撮らないと分からないだろう。手首を握ると、脈は平常のようだ。 洗顔とトイレを済ませ、鍵をかけて家の外に出る。妻はまだ眠っている。夕食は先に食べて良いと伝えている。車の走ってない車道を小走りに走る。大丈夫足は動くし、前日13km走った疲れもない感じ。コンビニでお握り4個、カツサンド、お茶、スポーツドリンク、疲労回復用のドリンクなどを買う。そこからM仙人との待ち合わせ場所へ急ぐ。道が暗くて、ちょっとした段差が怖い。<続く>
2013.02.11
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「いわきサンシャインマラソン」から無事帰宅しました。結果は30km地点で2時間15分を残しながらのリタイヤ。1年5カ月ぶりの本格的なレース(フル)でしたが、私の弱いアンヨではまだ楽な完走は無理だと判断して、早めに走るのを止めました。今年はこれからが本番。この段階で故障しても詰まりません。これでも十分に収穫はあったと思っています。 留守中のエールとコメント、ありがとうございました。明日は走友会の新年会&総会ですが、出来る限り早めに「リタイヤ記」を書き始めたいと思っています。今日は皆様のところにお訪ね出来ません。申し訳ありませんが、ご了承くださいね~!! 「いわきサンシャインマラソン」へ、間もなく出発します。行って来ますね。無事帰宅出来ることを願っています。では~!!
2013.02.10
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「ホッとしたねえ」と妻。ようやく確定申告の用紙に記入を終えたようだ。少し前から年金が出るようになり、確定申告をせざるを得なくなったのだ。まだ給与所得もあるし、何がしかの雑収入もある。控除分などを加味すると、4万円以上還付金があると喜ぶ妻。大き目の封筒と、管轄税務署の住所のメモを彼女に渡した。 その封筒をリュックに入れて郵便局へ行く。裏道を歩いている時に、通りかかった車の中から声がかかった。あのおんちゃんだ。「死んだ?」と私が聞く。「うん、去年の8月にね」。「うちのも11月に死んだんだよ」。おんちゃんの愛犬はゴールデンレトリバー。大人しい犬で、我が家の愛犬マックスも全然怖がらなかった。 おんちゃんとは散歩で良く会った。お互いに犬を連れていた。もう10年以上の付き合い。家は知っているが、名前は知らない。「泣いだすぺ?」おんちゃんが聞く。これは泣いたでしょ?の仙台弁。「うん、泣いた」。それで気持ちは通じた。おんちゃんはタバコをくゆらせながら、去って行った。彼の家の物干しには、いつも男物の衣類しかない。ひょっとして、おんちゃんは「やもめ」なのだろうか。 スーパーに寄って、大福餅と歯ブラシを買う。大福餅はマラソン用。レース前に食べると良いエネルギー源になる。ブーツを履いて郵便局まで歩いたのは、雪の融け具合を確認するためだったが、全然問題なし。これなら久しぶりに走れそうと思いつつ帰る途中に、体調がおかしくなった。胃がもたもたするのは前からだが、軽い目まいを感じたのだ。それに時々感じる動悸も気になる。 元気な頃は、どんな状態でも40km走る自信があった。レースの計画を立てるのが楽しかったし、レースはそれ以上に楽しかった。体調にも、走力にもまったく何の心配もなかった。だから妻にはどう思われようと、月に1度はレースに出たかったのだ。ところが今は楽しさよりも不安が募る。不整脈の手術と老化の影響が、確かにあると思う。 話は変わるが、狩野善行が死んだ。連続ドラマ「純と愛」で、武田鉄矢が演じる純のお父さんだ。あれほど頑固で自分勝手だった父親はなかなかいないだろう。そして、そんな憎まれ役の父親を、武田鉄矢は見事に演じ切ったと思う。認知症を発症した純のお母さんも気になる。一度分解した純の家族、そして既に分解している愛の家族は、これから一体どうなるのだろう。 さて、人間は体と共に心も老化するように感じる。体調の不安が、挑戦心を次第に失わせるのだ。負けてはいけないと思う一方、自然の摂理には逆らえないとも思う。レースを楽しむ「こころ」の余裕が今の私には欠けているが、これからのランニング生活に何かを残せたら良い。そんな気持ちで、明日のレースの準備をしたいと思う。
2013.02.09
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また一つ歌舞伎界の巨星が墜ちた。病と戦っていた市川団十郎が、つい先日亡くなった。亨年66歳。本来ならまだまだ生きられる年齢だと思うのに、残念ながら帰らぬ人となった。テレビで観る彼は、いつも柔和な笑顔を見せていた。悲しかったのは息子である海老蔵が暴行を受けた事件の時。じっと世間の非難に耐えていたことを思い出す。「親の心、子知らず」の典型だった。 歌舞伎界では中村勘三郎が昨年の暮れに亡くなったばかり。彼の直接の死因も、団十郎と同じ呼吸器系の病気で、確か肺炎が悪化したと記憶している。勘三郎はまだ57歳の若さだった。なぜそんな若さで死んでしまうのだろう。間もなく新しい歌舞伎座が竣工する予定だが、相次ぐ大スターの死で、興行的にもピンチとか聞いた。こうなると若手に頑張ってもらうしかないだろう。心から冥福を祈りたい。合掌。 高校時代のクラス会幹事から「古稀の会」の案内が届いた。今年、私達の学年は満70歳を迎える。いわゆる古稀だ。それを祝って3月の末にクラス会を開く由。集合場所は松島の瑞巌寺。ここで座禅を組み、その後ホテルへ1泊。翌日はゴルフの予定とか。私はゴルフはやらないので、ホテルから走って帰ろうかと考えている。まあざっと35kmはあるだろう。 会には勿論恩師も出席するはず。H先生は83歳。後5年で米寿だが、その年は盛大なクラス会になると思う。元気な同級生だが、中には物故者になった仲間も8人ほどいる。最も早い級友は20代で亡くなった。一番元気が良かった男がなぜ一番先に死んだのか、今も良く分からない。日本人男性の平均寿命は79歳代だが、古稀ともなればあの世からいつお迎えが来ても良いように、心の準備が必要かも知れない。 コノちゃん達の「沖縄本島一周マラニック」が終わった。第4日目が今帰仁村~大宜味村~辺戸岬の62km。第5日目が奥集落~安波~東村の51km。第6日目が東村~辺野古~金武~うるま市の58km。第7日目がうるま市~勝連城~中城~首里城の50km。7日間の合計は昨年より30km短い390kmだったようだ。 一行の中にはトランスヨーロッパを走った人が何人かおられる。いずれも60代だが健脚ぞろいだ。私は4年がかりで一周したが、距離は約440km。多い時は1日に75km走った。特に東海岸の北部、つまりヤンバルの山道はかなり苦しかった。そこを走れたのもまだ65歳で、不整脈が出てなかった頃。やはり物事はやれる時にやっておかないと、後で悔やむ。老化は「待ったなし」でやって来るのだ。 福島のEさんから、今年のレース案内が届いた。走りたいのは9月の「猪苗代湖一周」。これは100kmの「磐梯高原猪苗代湖ウルトラ」の一部で66km。元気な頃はもちろん100kmの部だったが、今では湖を一周する66kmの部でも完走出来るかどうかが危ぶまれるほど。ここ2年ほど福島県内を走ってないが、体調が良ければ挑戦したいと思っている。 「いわきサンシャインマラソン」が明後日に迫った。まだ嫌な動悸を感じるものの、行くだけは行こうと思う。当日はかなり寒そう(最高気温2度とか)なので、服装には十分注意したい。コースはアップダウンに富んでいるため、無理は禁物。25km付近の関門まで行けば、ゴール地点(フルマラソンはその先まで行って折り返すのだが)になり、そこで止めたら好都合などとのんきに構えている。この歳になれば、やはり健康第一で行かないとね。
2013.02.08
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手が冷たい。手袋をしていてもかじかむほどだ。洗濯ものを干した後の冷たい手で、ブログを書き始める。おまけに何だか最近、嫌な動悸を感じている。また不整脈が起きているのだろうか。さて、節分の日、我が家では豆を撒かなかった。ちょうど夫婦喧嘩をしていたのだ。そうでなくても静かな我が家が、節分の夜をひっそりと過ごした。 最近私は映画を観た。一つは先日紹介した『ライフオブパイ』。これは不思議なお話の洋画。そして同じ日の午前中に観たのが『東京家族』。これは上映の前に、テレビで何度もコマーシャルが流れていた。ずいぶん昔、小津安二郎監督が撮った『東京物語』の焼き直しらしい。あの時の主演は、確か笠智衆だったはず。 映画は瀬戸内海の島に住む老夫婦が、子供達が住む東京へ出かける話。老夫婦役は橋爪功と吉行和子。長男夫婦役は西村雅彦と夏川結衣で開業医。長女夫妻は中嶋朋子と林家正蔵で美容師。次男役は妻夫木聡で舞台の大道具係。その恋人役が蒼井優。頑固一徹な父親は、この次男の仕事や生き方をとても心配している。 一方の子供達は老いた父母が心配で、逆に東京に引き取ろうとするが、家が狭くて同居も出来ない状態。おまけに忙しいため、高級ホテルへの宿泊を余儀なくされるが、老夫婦はすることもなく退屈だ。そのうち母親は体調を崩し、思いがけない結末を迎える。老夫婦と言ってもまだ60代後半。ちょうど私達夫婦と歳恰好が良く似ている。 この映画は、誰にでも起こり得る老後の一こまを描いている。夫婦の機微、家族愛、兄弟間の微妙な考え方の違い、田舎と都会の人情の差などが山田洋次監督によって、丁寧に描かれる。スクリーンには「この映画を今は亡き小津監督に捧げる」との献辞が映った。多分師弟にだけ分かる、共通の想いが籠められていたのだろう。我家の二人の息子も同じく東京暮らし。しかも未だに独身。だから親としては身につまされる想いで、この映画を観たのである。 さて、夫婦喧嘩の原因の一つは、先日私が走ったマラニック。妻はレース後の疲労を、心臓の不調と勘違いしていたのだと思う。レースでは疲れたものの、不整脈は出ない。むしろヒステリックな妻の声が強いストレスとなって、不整脈を惹起する元にもなる。喧嘩の原因の2つ目が、この映画であった。最初は一緒に行く予定が、あまり気乗りしない妻の返事で、私はさっさと観に行った。 どうもそれが悪かったのか、妻の様子が急変。こうなると始末に負えなくなる。私は上映時間を記したメモをテーブルに置いておいた。それを見て、妻は映画を観て来たようだ。それは私の財布から一時消えていた映画館のポイントカードが、いつの間にか戻っていたことで分かった。それから妻の機嫌は少し良くなったみたい。 朝の連続ドラマ「純と愛」も夫婦や家族がテーマ。かなり深刻な問題が起きているが、私達夫婦のことも含めて、興味を持って注目している。一昨日妻に言った。「私の小遣いで旅費を出すから、北海道か沖縄へ行かないか」と。妻は私が自分の管理するお金を無駄遣いしてると思い、まさか「へそくり」があるとは思ってなかったようだ。1年4カ月レースに出なかった分、結構蓄えがあったのだ。 今、妻はルンルン気分。沖縄の離島へ4泊5日くらいで行きたいらしい。そうすると私の小遣いはかなり乏しくなるが、それもまた良し。「今年中に仕事を辞め、来年は自分の小遣いでお父さんを外国旅行に招待する」と妻。まあ、どこまで本気か知らないが、楽しみにしておこう。老い先短い人生。時には思いがけないことがある。赤の他人同士が一緒になる夫婦。人生は実に面白い。
2013.02.07
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昨夜も2回地震があった。それで眠れなくなり、遅くまで本を読んでいた。今朝はいつもよりかなり遅い起床。それでも妻に文句を言われることはなかった。朝食前に「プラゴミ」を出し、生協の注文票を届けに行く。せめてそれくらいはしないと、何だか悪いような気がして。 先週は床屋に行った。1回千円の超安い店。そして平日ならポイントは2倍。横はバリカンを入れるので、2か月は持つ。つまり1カ月500円の頭だが、誰も見向きもしない爺さんには、これで十分。間もなくレースがあるので、汗かきの私は髪が短い方が助かる。これで颯爽と走れたら、さらに嬉しいのだが。 2月4日は確定申告の初日だった。東日本大震災の影響もあるにはあるが、仙台は毎年これくらいの時期から受付してくれる。さほど混まないだろうとタカを括っていたのだが、とんでもない。私が行った時には300人くらいが待っていた。2時間ほど立ちつくし、ようやく入力用パソコンのある4階へ。昨年は医療費もずいぶんかかったし、途中で仕事を辞めた。還付金もさぞかし多いだろうと期待していたのに、全くの期待外れだった。 坂東英二は税金を誤魔化して番組を下ろされたが、年金暮らしの老人には誤魔化しようがない。時間をかけてまとめた医療費の表と領収書も、ささっと見られただけで終わった。国民としての責務は一応果たした。エレベーターの前で服を脱ぎ、ランニングスタイルになってビルの外へ。これで家まで走って帰るのだ。多分何気なく着替えを見ていた人は、あっけに取られたと思う。 その途中、元の現場に顔を出した。途中でパートの仲間と会ったからだ。久しぶりで行った地下の休憩室はカビ臭かった。辞めてから9カ月。もう誰も私に関心を持つ人はない。出されたお茶を1杯だけ飲み、挨拶して帰った。9年間勤めたパートだが、会社なんてあんなものか。利用するだけ利用し、役に立たないと見たらあっさり切り捨てる。それもまた人生修行の一つと悟る。 先日、ベランダで洗濯ものを干していた妻が、「軒のペンキが一部剥げている」と言う。前回の塗装工事から6年。結構お金がかかったし、塗り替えにはまだ早いはずなのだが。一昨日に続いて昨日も少し走った。足の裏に微妙な痛みがあるが、これで次の日曜日にフルマラソンを走れるかどうか。今日は雪。この冬もう何度目だろう。暦の上では立春を過ぎたが、なかなか春は遠そうだ。
2013.02.06
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今、外では強風が吹き荒れている。先日の風の強い日、私は一日中家の中にいた。そして元ちとせの「ワダツミの木」をU-Tubeで聴いていた。この曲が誕生するまでのエピソードを新聞で読み、興味を引かれたのだ。元ちとせが奄美大島出身で、珍しい声の歌手だとは知っていたが、この曲がデビュー曲だったようだ。 不思議な歌だった。作曲の方とも珍しい組み合わせらしく、歌詞も変わっていた。単なる民謡でも、歌謡曲でもない。そして洗練された歌声でも決してない声と歌の響き。強いて言えば宇宙に放った電波みたいな感じだろうか。その後で、しぃさんのブログに寄ったら、元ちとせのことが書かれていた。また吉行和子のことも書かれていたが、彼女が主役の映画「東京家族」を観たばかりだったので、あまりの偶然に驚いた。 その何日か前、「火怨 北の英雄アテルイ伝」をテレビで観た。全4回シリーズの最終回だった。それとは別に「歴史秘話」でもアテルイの話を聞いた。アテルイは平安時代の初期に坂上田村麻呂と戦った蝦夷(えみし)の英雄で、大墓公(たものきみ)と言う姓を朝廷からもらった。蝦夷は都では蛮族と恐れられているが、アイヌではない。恐らくは日本列島に先住していた縄文人の末裔で、東北人の先祖だと思う。 テレビでは淡々としていたが、高橋克彦の小説「火怨」の方が遥かに迫力があった。激しい戦法もそうだし、同じ蝦夷である母礼(もれ)とのコンビは最強だった。そして「アラハバキ神」への禍禍しい信仰も、古代東北の面影を彷彿とさせるものがあったのだ。だからあまり感動はなく、唯一良かったのが久石譲の音楽。あれこそ蝦夷の魂を表わす宇宙の奏だった。その不思議な曲が、今も私の頭の中で鳴り響いて止まない。 映画を観た。「ライフオブパイ」と言う不思議な映画だった。インドで動物園を経営する一家が倒産し、船で動物達と一緒にアメリカへ向かう。だが嵐に遭って船は大破し、少年パイと4匹の動物だけが助かる。シマウマ、オランウータン、ハイエナそしてベンガルタイガー。小さな救命ボートの上で繰り広げられる生きるための壮絶な戦い。 漂着した島も不思議だった。島一面に立ちつくすミーアキャットの群れ。朝と夜で姿を変える沼。花の中に入っていたのは想像も絶するもの。通常では考えられない不思議な世界が、素晴らしい映像のために現実と非現実の区別がつかない。そして驚きの結末。あれこそ「不思議ワールド」の最たるものではないか。 お向いさんからお土産をもらった。生まれ故郷の山形に帰って、伝統の「黒川能」を観て来たとか。そのお土産が凍み豆腐を戻したものと茹でたゴボウ。それを温めて、汁をかけて食べる。かつてはご馳走だったのだと思う。貧しい農民が知恵を絞って考えた古来の保存食は、とても不思議な味と歯応えだった。アテルイの昔から東北はこうだったのだろうかと、想像した私だった。
2013.02.05
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1年4カ月ぶりのレースから1週間が経った。疲労はようやく治まった感じだ。以前なら100kmを走り終えてから、厳しい肉体労働をしながら完走記を書いていた。それでも2、3日後には走れるまで回復していたのだが。レースの数日後、S原パパから葉書が届いた。そこには集合写真のほかに、私の走る姿もあった。そして日帰りで参加したことを驚く文章が添えられていた。 そして結びは「ともあれ古稀が目前な我々ですが、健康で遊べることは幸せというべきでしょう。これからもお元気で」。彼はトランスヨーロッパを3度完走した唯一の日本人ランナー。とても比較にはならないが、同郷で同学年と言うのが嬉しい。ブログには大勢の人が完走の祝辞を寄せてくれたが、自分としては「復活」したとの意識はほとんどなく、レースの厳しさを改めて認識させられた想いが強い。 同じ日の「勝田マラソン」では、参加した所属走友会の仲間全員と、宮城UMC古川グループの全員が完走したことを知った。やはり東京と同様に、いつもより暖かいレースになったようだ、フルの参加者は1万2千人近く。それだけの人数だとスタート時のロスも大きく、やはり6時間以内での完走は、今の自分にはかなりハードだと思う。 昨日はテレビで「別大マラソン」を観た。28km過ぎからの公務員ランナー川内選手(埼玉県職員)とロンドンオリンピック6位入賞の中本(安川電機)の一騎打ちが見事だった。中本はストライドが伸びていたし、表情も穏やかだった。それに対して川内はピッチ走法で、いかにも苦しげな表情。これは中本が有利と見えたのだが、川内は5回、6回と揺さぶりをかけた。 1月18日の「エジプト国際マラソン」では大会新記録で優勝した川内。出国時にパスポートを忘れて指定の便に乗れず、80万円の自費で別の便に乗るハプニングもあった。1月27日の「奥武蔵駅伝」では4.7kmながら区間新記録を出したそうだ。驚くべき市民ランナーは瀬古監督が移ったDeNAへの移籍も断ったらしい。 その川内が最後は中本を振り切って、2時間8分15秒の大会新記録、自己ベスト記録で優勝した。走っている時は物凄い表情だったが、ゴール後倒れることもなく、笑顔でインタビューを受けていた。これで世界陸上選手権の日本代表は堅いだろう。14kmにも及ぶデッドヒートは圧巻だった。良いものを見せてもらった。あれだけの執念を持つランナーは、なかなかいないと思う。 「トランスヨーロッパ」に参加したコノチャンが、今沖縄本島を一周している。初日は首里城からひめゆりの塔までの52km。2日目が糸満から恩納村までの57km。3日目が恩納村から今帰仁城までの59km。昨日の4日目が今帰仁城から辺戸岬方面に向かうはずだが、まだ書き込みはない。いずれにしても良く考えたコースで、私には絶対無理な行程。私は一周するのに4年もかかった。同行の仲間が5、6人いるみたいだが、果たしてどんな景色が待っているか楽しみだ。 さて、「いわきサンシャインマラソン」まで後1週間を切った。この間に十分な休養が出来、足の痛みもなくなった。5か所の関門の距離と、制限時間を書き込んだ紙を時計のベルトに張った。後は調整のための練習とレースの準備だけ。今回はまさに「行けるところまで行く」しかない。いわき市の復興と自分の復活具合を確かめ、出来るだけレースを楽しみたいと思う。
2013.02.04
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≪ 達成感と疲労感 ≫ K藤さんとK村さんは既に食事を済ませ、これからお風呂へ行くところだった。2人の祝福を受け、S木さん手作りのスープを飲む。暖かいスープが疲れた体に嬉しい。キャベツの芯もウインナーも美味しい。スープを全部飲み干してお代り。今度はうどんとカモのスモーク入り。缶ビールも飲んだ。冷たいビールと暖かいスープ。失った体内の塩分を、しっかり補うことが出来た。 S木さん、雲峰師匠、S原パパと短い会話。荷物が残っているところを見ると、まだ到着していない人が何人かいるようだ。挨拶してお風呂へ向かう。スーパー銭湯は大変な人混みだったが、構わず床に荷物を広げた。シャツを脱いで胸のゼッケンナンバーと、背中の「がんばろう東北」を外す。両足のテーピングを外し、全てゴミ袋に入れた。私が最後まで走れたのは、ゴミとなったそれらのお陰だ。 長い風呂から上がり、牛乳を飲んだ。そして傷んだ足には冷却用スプレー。着替えて休憩所へ戻ると、K藤さんとK村さんが仙台の女性ランナーを待っていた。横に座って話し込む。その間に乳酸飲料を2本。それでも喉が渇き、お茶も買った。2人に断ってお先する。大相撲千秋楽は日馬富士が白鵬を下して全勝優勝だったが、話に夢中でその取り組みを観てなかったのが残念。 表に出て、地下鉄東西線ではなく、JRの葛西臨海公園駅へ向かった。チケットがそのまま使えるし、さほど遠くないと判断したのだ。冒険かと思ったが走ってみる。ゆっくりとなら大丈夫みたい。リハビリのためにもきっと良いはず。ところが駅までかなり遠く感じた。後で測ったら3.2kmあった。4人の人に尋ねて無事到着。最後の陸橋は、何とスタート後、最初に迷った陸橋だった。これで朝走った分、レースの分、帰路の駅までの分を合わせると、1日にざっと50kmを走った計算だ。 東北新幹線は東京駅が19時発。早速夕食にかかる。お握り、チーズケーキ、笹かまぼこ、お菓子、キンカンなどを食べ、缶ビールを飲んだ。それからコースの地図を見ながら、思い出すことをメモして行った。ブログを書くためだが、後日詳しい地図を見、ジョギングシュミレーターで距離を測ると、レース中のことやコースの風景のほとんどが鮮やかに蘇り、メモは全く不要だった。 主催者のS木さんは「あれはレースじゃなくてマラニック」と言うが、私にとっては十分レースだった。たとえ参加者が50人でも、心と体が単独走とは全く違う反応をするのだ。走り切った喜びはあるが、制限時間の厳しいフルマラソンや100kmマラソンだと、今の状態で完走は無理。それはこれまでの経験で分かるのだ。昔ならイメージ通り完走出来たのが、今はイメージと現実との乖離が大き過ぎる。 翌日体重計に乗ると、体重はレース前と変わらなかったのに、体脂肪率が4%減っていた。重さにして2.66kgの体脂肪が燃えた計算だ。それでレース中のエネルギーを作り出したのだろう。レースの興奮は2日ほどで治まったが、強い疲労感が1週間残って、全く走ることが出来なかった。 昔なら考えられないことだが、レースに出られなかった1年4カ月の間にそれだけ老化が進んだのだ。厳しい現実だが、それを受け入れるしかない。自分なりに楽しめる方法はまだあるはず。たかがランニング。されどランニング。私にとってランニングは、やはり永遠のテーマだ。<完>
2013.02.03
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≪ 幾つかの奇跡 ≫ この調子じゃフルマラソンはとても無理だ。実はちょうど2週間後に福島県の「いわきサンシャインマラソン」に出ることにしていた。大きな震災を受けたにも関わらず、1度も休まなかった大会だ。いわき市の復興ぶりと自分の体調の復調を確かめるためにも何とか行きたかったレースなのだが。足を止めてポシェットから塩が入った小袋を出し、塩を舐める。 両膝の痙攣は練習不足と筋力の低下のためだと思う。まさかこんなことで痙攣が治まるかは分からないが、念のためだ。それで走ってみてビックリ。何とゆっくりなら走れるのだ。いや~。こんな奇跡があるだろうか。やはり暑さで大量の汗をかき、ミネラル分を失ったことも関係していたようだ。江戸川清掃工場付近で、歩いている青年に出会う。不思議なことにこの青年は、私達のゴールを知っていると言う。 その青年を後にしたが、新たな問題が起きた。ペットボトルの水がとうとう切れてしまったのだ。少しなら走れるだろうが、ゴールまではとても無理そう。それに急に気温が下がった感じがする。脱いでいた手袋をはめ、ウインドブレーカーを着た。これで暖かさは戻った。後は喉の渇きだけ。喉がカラカラになった頃、何と目の前に自販機があることに気づいた。 これが2つ目の奇跡。多分長いサイクリングロードでも唯一の自販機だろう。スポーツドリンクを買ってゴクゴク飲み、塩を舐め、お菓子を食べた。本当はカロリーメートやASでもらったキンカンもあったのに、全くそのことに気づいていなかった。それほど思考力が低下していたのだろう。通りかかったK井さんが、「痙攣ならたくさん飲んだ方が良いですよ」と言ってゆっくり走って行った。 先刻の青年もゆっくり走って行った。彼の話だとゴールまでは5km。その青年の後を追って走る。今井の交通公園を通らず川沿いを進んだため400mほど距離が増えたが、橋は分かり易かった。青年を抜かし、K井さんに追い着き、ゴールへの曲がり角を聞く。その後出会った婦人に浦安橋の位置を聞いた。そこから右折する大事なポイントなのだ。少し先の青いアーチ型の橋がそれとのこと。 時々家陰に入って見えなくなる橋。そんな時はとても不安。ようやく目的の橋に辿り着き、薄暗いガードの下を潜る。そこから狭い歩道を右折。暫く直進すると高架がなくなり道が広くなった。後は最後の目印の寿司屋を探すこと。そこから左折するとゴールの「湯処葛西」まで真っすぐらしい。ところがその寿司屋がない。広い道の向こう側に渡って人に聞くと、来過ぎとか。再び横断歩道を渡る。 道の向こうで手招きをしていたK井さんにお礼を言って走り出す。私が先行し、彼が信号で追い着くパターンが何度か続いた。地下鉄東西線の位置も彼に教わった。彼は歩き出した。私は走ったが、速度はさほど変わらない。もう限界なのだが、それでも走ろうとする気持ちが最後まで残っていた。奇跡と呼ぶべきか、それとも長年の経験の為せる業か。 スーパー銭湯の看板が見えた。ついにゴールだ。駐車場の左奥へ進むと、雲峰師匠、S木さん、S原パパの姿が見えた。時刻は4時11分。スタートしてから6時間41分で44.2kmの長いマラニックがとうとう終わった。自分でも最後まで良く走れたと思う。一昨年9月の「秋田内陸」で途中リタイヤして以来のレース。その後2度に亘る不整脈手術に耐え、良くここまで復活したものだ。<続く>
2013.02.02
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≪ 最後は1人に ≫ トンタタ、トンタタ、トンタタ。飴を切る軽快な音。名物草団子を買う人の列。猛烈な人混みの中ではもう走れず、私達も観光客の一部になった。昨年の7月に初めて来たこの地。お寺の方角は分かっている。先ずトイレを済ませ、水道の水をペットボトルに詰めた。スタート前に買ったスポーツドリンクは残り3分の1まで減っている。そこに水を入れたらかなり薄まるが、それも仕方がないこと。 日の当たる沿道に腰を下ろし、ポシェットからお菓子を出して食べた。「それ買ったの?」と男のランナー。「いや、持って走っているの」と私。「ここまで大体30km走ったよ」と彼。どうやら時計にGPS機能がついているようだ。30kmねえ。ここまでそんなに走ったのかなあ?スタートは9時半で着いたのが午後1時36分だったから4時間ちょっとかかった計算。 「ゴールまで残り10kmちょっとだね」彼は連れの女性ランナーにそう話していた。一方の私は全く距離感が摑めなかった。だが、S木さんの話だと41kmではなく44kmだから、残りは最低でも14kmになる。後日ジョギングシュミレーターで測り直したら、帝釈天までは28.8km、ゴールまで44.2kmあった。残りは15.4kmだが、この時はそれを知らずに焦っていた。 そそくさと食べ、帰途に着く。コースを知ってるランナーたちがスタートしようとしていたからだ。広場で大道芸を観ていたK藤さんに声を掛けた。それで彼女も気づいたようだ。お寺の裏道を堤防の方へ進むと、小高い丘があった。そこに瀟洒な東屋も。思わず「へえ~っ、こんなところがあったんだね」とつぶやくと、凛峰さんが「ここ通らなかったの」と聞くので、「お巡りさんのはしごをしたんだよ」と返事。結局どっちでも同じくらいの距離だったようだが、やはり信号のない土手は走り易い。 後日知ったのだが、この柴又公園をスタート、ゴールとする第1回の「柴又ウルトラマラソン」が6月に開かれるようだ。コースは一旦南に5km走って引き返し、そこから土手沿いに埼玉県方向に行って戻る50kmと100kmのレース。まさにこの土手を走るのだ。足に痛みを感じた私は、出来るだけ道路の端の芝生の部分を走るようにした。 男女のペアが抜いて行った。速い集団にも置いて行かれ、青とピンクのウインドブレーカーの女性2人組も抜いて行った。凛峰さんが挨拶代わりに手を振って前へ行った。彼女のペースは朝から全く変わらない。きっとあのスピードのままゴールまで行くはず。河川敷へ下り、どこかの鉄橋を潜った先で、K藤さんが「酸っぱいものを食べる?」と言ってクエン酸入りのグミのようなものを2個くれた。 「背中が反っているよ」。前半から私にそう注意してくれていた彼女も、凛峰さんを追うように前へ行った。どうやら単独走になったみたい。でもそんなことは織り込み済み。後で聞いたらK藤さんは迷子になるまいと必死で凛峰さんを追った由。私は迷子にはならない自信があったが、足が最後まで持つかどうか心配だった。折角お金を準備したが、タクシーの姿を一度も見たことがなかったのだ。 さっき過ぎた川向こうの大きなマンションと大学の塔。あの付近が下総国府があった辺り。平安時代に平将門が国府を襲い、平安末期には鞍馬寺から奥州平泉に向かった若き日の義経が、この地の牧場に潜んでいたみたいだ。東京スカイツリーもどこかで見えた。江戸川水門付近で迷いかけたが、何とかサイクリングロードに戻れた。膝に異常を感じたのは都立篠崎高校前。ここは約37km地点。鋭い痙攣が両膝を襲う。とうとう膝が長距離の重圧に悲鳴を上げ出したのだ。まずい。これはピンチだ。<続く>≪ 1月のラン&ウォーク ≫ラン回数:11回 ラン距離:219km ウォーク72km 月間合計=年間合計291km これまでの累計:81207km
2013.02.01
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