全30件 (30件中 1-30件目)
1

某月某日、「縄文の森広場」へ行って来ました。と言ってももちろんタイムスリップした訳ではありません。 ここはマウンテンバイクで10分くらいの場所にある、小さな博物館です。誰です、歴史は苦手とか、考古学は嫌いとか言ってるのは? ここでは県内の小学生などが授業の一環として、土器作りや勾玉造りを学ぶことも出来るんですよ。先ずは空からご案内しましょう。 これが空から見た写真です。結構広いでしょ?「縄文の森広場」の正式な遺跡名は「山田上ノ台遺跡」と言います。ここからは縄文時代から平安時代頃までの遺物が出土していますが、広場では縄文時代の小屋や獲物を獲った「落とし穴」、焚火の跡などを復元しています。 上がジオラマ(模型)で、下の写真が復元された小屋で、半地下式になっています。この小屋の中では毎日火を焚き、その煙で、藁(わら)を薫蒸しています。これも縄文時代のまま。その方が丈夫になり、長持ちするのですから不思議ですね。 これが当時の生活ぶりを再現したものです。また何もない小屋の中(下の写真)は、こんな感じです。 ≪ 小屋の中 ≫ これは当時の丸木舟を再現したものです。遺跡の直ぐ近くには名取川が流れています。時には魚を獲るために、丸木舟で下流へ出かけたのかも知れませんね。 上の写真は縄文人が使った石斧(右側の2本。左は比較用の現代のもの。専門用語では「せきふ」と呼び、柄(え)をつけて再現しています。)。この「おの」で、木を伐採したりしました。また下のナイフ形石器は肉を切ったり、動物の皮を剥いだりする時に使う便利な道具で、どちらも生活必需品です。 これらは全てこの遺跡から出土した縄文式土器です。良く見ると特徴の「縄目」がついているのが分かります。私達東北人の先祖が作った土器には、不思議な魂が宿っているように感じます。中には何に使ったのか、上から4番目の「硯」(すずり)のような形をした珍しい土器もあります。このように縄文式土器は、世界的に見ても結構高レベルな生活道具で、「模様」や形で製作された年代がほぼ特定されています。 皆さんびっくりしましたか~? これは現代の作品です。上が遮光型土偶で、下が漆器。どちらもなかなか見事な出来映えですね。これと同じレベルのものが、縄文時代にはありました。来週私は青森県の三内丸山遺跡を訪ねる予定です。ご存知のように素晴らしい遺物が大量に出土している、日本を代表する縄文時代の遺跡です。先祖の暮らしぶりを見られるのが今からとても楽しみです。もちろん温泉にも入りますよ~。では又明日ね~!!
2013.06.30
コメント(10)

このところ天気が良くない日が多い。空は暗く、小雨が続いている。まさに梅雨だ。青梅が実る時期の雨が梅雨。私達の祖先はよくもこんな名前をつけたと思う。先日収穫した梅を、梅酢と梅干しにしたことは書いたが、今日は少し詳しく記そう。 アブラムシが発生して黒く汚れた梅の実を、1個ずつナイロンタオルで洗う作業はとても大変なものだった。そのうち3kgを梅干し用に塩漬けし、1kgを梅酢にした。使った酢は2本。砂糖も適量入れ、良く振って物置に入れた。だが、梅の実はまだまだ木に残っていた。そこで比較的きれいな実だけ採って洗い、爪楊枝で穴を開け、梅酢用の瓶に補充した。 これが塩漬けにしたばかりの梅の実。梅酢が上がったか気になって、昨日開けてみたら白いカビが生えていた。これには参った。一応ティッシュで拭き、一番底に入れたがどうなるか。焼酎で消毒した方が良かったかも知れない。容器の上から新聞とビニールで覆っていたが、梅雨の時期は雑菌が入って腐りやすい。それに「へた」は取ったが、まだ堅い梅のため「星」は取らなかった。それがカビの原因だろうか。 で、こちらが梅酢。足した分と最初の梅では色が違っている。食酢も1本足した。全体が酢に浸かっているためカビは生えていない。これは上手く行きそうだ。このほか、古い「クコ酒」と「アロエ酒」もある。妻が健康のため3年ほど前に作ったのだが、今ではトロリとした琥珀色になり、時々私が焼酎で割って飲んでいる。 梅の木はその後かなり刈り込んだ。剪定と言うよりは伐採と言った方が相応しいほどまで形が変わった。日の光が差し込む梅の木は、まるでバリカンで刈り上げた頭のようだ。これで来年はアブラムシの害が減ってくれると嬉しいのだが、そう簡単には問屋が卸してくれないだろう。 3月半ばに植えたジャガイモ(男爵)を3カ月後に収穫した。数を数えたら大きいのと中ぐらいのの合計が66個で、小さいのが44個だった。超ミニの11個は掘り上げたその日に茹でて食べた。戦後の食糧難の時代に育った私は、食べ物を粗末に出来ない性分だ。13個の小さな種イモから、よくもこれだけの数が獲れたと思う。ジャガイモは手がかからない作物だ。 そのジャガイモの後に、サトイモとサツマイモ、雲南百薬を植えた。それらは安売りの園芸店で買ったもの。売れ残りのため、形はあまり良くない。サツマイモは1カ月半ほど植える時期が遅い。育つかどうかは分からないので2本だけ買って畑の隅に。まあ宝くじを買うようなもので、もしも収穫出来たらそれこそ「みっけもの」だ。 ≪ 萎れたサツマイモの苗 ≫ ≪ 雲南百薬 ≫ これは中国雲南地方が原産の健康野菜「雲南百薬」。名前はあるウルトラランナーのブログで知っていた。夏野菜としては既にツルムラサキとモロヘイヤを植えているが、面白そうなので1本だけ買った。蔓性のようで、早速支柱に巻きついている。若い葉っぱを食べるようだが、果たしてどんな味がするのだろう。 このサトイモは妻が捨てたのが芽を出したので、植えておいたらここまで成長したもの。他にも1個植えたが、こちらはまだ地上に姿を見せていない。サトイモの収穫は11月ごろなので慌てる必要はない。さて、少し早目に植えた長ナスが2本実った。これが今年の初物。後から植えたナスは成長が早いが、ようやく花が咲いたので本格的な収穫はこれからだ。 ≪ 初物の長ナス ≫ さて、現在育てている野菜を参考までに記しておこう。数字は苗の本数だ。 キュウリ21 モロッコインゲン18(適当) トマト16 長ナス10 サンチェ9 サトイモ8 アシタバ6 ツルムラサキ5 ゴーヤ4 モロヘイヤ3 シソ3 サツマイモ2 パプリカ2 ピーマン2 シシトウ2 ミニトマト2 パセリ1 雲南百薬1。このほかミョウガは30本以上、ネギとニラも適宜ある。夫婦2人で食べるには十分な量だ。ほかに収穫した玉ネギとジャガイモが半年分はあるしね。 畑で育てた野菜の残骸は全て堆肥の原料となる。別途生ごみはコンポスト容器で堆肥を作り、これもやがて栄養たっぷりの土に還る。だからリサイクルの土からは、カボチャやサクランボや柿などが芽を出す。種がまだ生きているのだ。こんな土にはミミズが棲み、彼らがさらに土を改良してくれる。 畑を耕す際は、自家製堆肥に加えて発酵鶏糞と石灰を撒く。これが我が家の有機農業。消毒もほとんどせず、見つけた虫は手で取る。だから収穫した野菜は美味しいし、とても安全。このせいか便通もグー。きっと腹の中もきれいなはず。裏庭では昨年の秋に植えたイチジクが順調に育っている。来年辺りは収穫が出来そうで、とても楽しみだ。 ≪ 小さなイチジクの木 ≫
2013.06.29
コメント(18)

≪ ゴールと懇親会 ≫ 第3ASがあるのが28.5km地点で、ゴールはここからさらに6km先。渡された地図にはそう書いてある。もうここまで来れば楽なはず。だが、最後の道が結構長いのだ。いつの間にか一番後ろを走っているはずのC班から、2名が飛び出して私達と一緒のグループになっていた。やはりスピードを抑えられないのだろう。 先頭のM仙人は良く道路を知っている。七ヶ浜町の外れから、いよいよ最後の街、多賀城市へ向かう。草むらに飛び込む仙人の後を追いかけると、そこは運動公園。だが、今は震災のため整備が進まず、施設が草ボウボウだ。堀を渡る。それも似たようなのを2つ。一つは貞山堀で、もう一つは砂押川と堀とをつなぐ運河のようだ。この周辺のコンビナートでは震災時に津波と大きな火事が起きている。 産業道路まで来ると、M仙人の足が止まった。遅れて来る仲間を待つようだ。ゴールまでの道を確認して先に進む。後で聞いたらあの最後のASを見つけられなかった仲間もいたようだ。きっと列がバラケて迷子になったのだろう。 七ヶ浜の入口で抜いたS木さんは、結局最後まで走り切ったようだ。多分75歳の彼女には、厳しい道のりだったはず。辻ポンさんは最終ASで車に乗せられたと、懇親会で憤慨していたようだ。30代から70代まで揃うと、どうしてもこんな「悲劇」が起きる。比較的最後までまとまって走れたA班は予定よりかなり早く、ゴールの極楽湯に到着した。 ≪ ゴール後のA班 後列中央の黄色いランシャツが私 ≫ 体は着いたが、荷物がなかなか届かない。最後のASではなかなか来ないランナーを待っていたようだ。F田さんの車から荷物を受け取り、M井さんからお風呂の回数券を受け取る。チケットだと半額なのが嬉しい。入浴前に先ず牛乳。それでも足らずにコーヒー牛乳を一気飲み。浴後はミルクティーをごっくん。走りながらペットボトルの水を飲んでいた私だが、それでも体内の水分が不足していたのだ。 生ビールを飲む嬉しそうな2人。左の緑のシャツが私で、右が「戦場カメラマン」のT田さん。実はこの日、最後まで走れるとは思っていなかった。「いわて銀河」で傷めた右脚が、その後の練習で軽い肉離れを起こしたみたい。だからほとんど走らない状態で「みちのくラン」に出たのだ。厳重にテーピングし、サポート機能のあるタイツを穿いたものの、最後まで不安があった。それなのに、まさか無傷でゴール出来たとは。 お風呂で寛いだ後、仙台市内へ電車で戻り、懇親会会場へ向かう。GPS機能付きの時計だと39kmあったと誰かが話していた。コースは結構アップダウンもあってハードだったが、天気予報は外れて雨は降らなかった。だが、その曇り空がとても走り易く、それほど暑いとも感じなかった。懇親会へ参加したのは45名ほどか。大人数のためほとんど「関東組」とは交流出来なかったが、お許しあれ。 最後に懇親会の写真を幾つか掲載しておこう。まさか40km近く走れるとは思ってもみなかったのが無事完走出来て、私は心から安堵し、喜んでいた。だから珍しく相当のアルコールを飲んだはず。さて、来年は10回目を迎えるこのマラニック。主催者のKさんは一区切りつけたいようだが、果たしてどうなるか。それもまた楽しみだ。ありがとう「みちのくラン」。そしてありがとう、仲間達よ!!<完> ≪最後までAS係に徹した雲峰師匠 ≫ ≪ 髭カクさんと師匠 ≫ ≪ 右端が私 T田さんの写真を拝借 ≫
2013.06.28
コメント(8)

≪ 津波の爪跡 ≫ 毘沙門堂から裏道へ下り、岬の突端を廻って県道へ出る。この辺りはアップダウンの厳しい所だが、相変わらずK村さんK野さんが先頭を引っ張る形。坂を下りながら沖を見ると、真っ白い2つの島が見えた。まるで氷山みたいで、樹木が1本も生えていない。帰宅後に地図で調べたら「二つ島」と言う名前のようだ。 ≪ 二つ島 ≫ 坂を下り切った浜辺が吉田浜。ここで若者達がヨットの講習会をしていた。港内では3隻のヨットが帆走している。ここ七ヶ浜町は名前の通り7つの浜がある。迷子になった私が降りて行ったのが東宮浜。そして多聞山があったのが代ヶ崎浜。ここには古い火力発電所もある。そして今通過するのが吉田浜。これから向かうのが花淵浜、菖蒲田浜、松ヶ浜、そして仙台市との境にあるのが湊浜だ。 ≪ 吉田浜のヨット講習会 ≫ 吉田浜から花淵浜へ向かう辺りから風景が一変した。高台にある家には何の変化もないが、県道沿いの低地は、見渡す限り家が見えない。「東日本大震災」の津波で全て流されたのだ。基礎の土台しかない家の残骸。さすがに瓦礫は片づけられているが、廃墟の集落を見るのが辛い。 間もなく道路沿いに「鼻節神社」の標識。これは延喜式の神名帳にも載っている古い神社で、ここで作った塩が国府多賀城に届けられたとの古文書が塩竃神社に遺されている。「鼻節」が変化して現在の地名「花淵」になったのだ。「鼻」は「端」(はな)と同義で、岬の突端を意味する古語だ。 高山の国際村周辺は、戦前から外国人牧師の避暑地だったが、その周辺の道路が無残。タイルが剥がれ、金属製の防御柵が全て歪んだまま。津波の爪跡の凄さを物語る異常な光景に、思わず身がすくむ。後日「戦場カメラマン」ことT田さんから送られて来た写真をお借りし、掲載しよう。 ≪ 七ヶ浜町高山地区の無残な歩道 ≫ T田さん撮影の写真を借用 坂道を登り切った浜辺が菖蒲田浜。ここの小さな岬が通称「月見岬」で、私が高校3年から数年間通っていた教会のキャンプ場がある。ここは青年時代に何度か訪れた懐かしい場所。今でも130曲ほどは讃美歌を歌えるはず。良く見ると岬の先端にも、亀裂が入っていた。 ≪ 月見岬 ≫ この浜にはたくさんの松が生えている。防風林でもあり、防砂林でもある松原だ。それが一様に枯れている。どうやら津波の塩害で枯死したようだ。松林の異様な風景。そして道路脇にあった家々や「海の家」は全て土台が残るだけだ。これが津波被害の実態で、新築された様子は全く見られない。 ≪ 津波の塩害で枯死した松林 ≫ ≪ 菖蒲田浜の津波被災地 ≫ 2台のブルトーザーが堤防から見えた。今日は土曜日で工事はお休みなのだろうか。わずかに残ったのは農協の建物か。あれは頑丈だったため。流されなかったのだろうか。ここは県内でも有数の海水浴場だが、今では全くその面影がない。松ヶ浜へ向かう周辺は道路が狭く、かつ迷路のようだ。M仙人が道端に立ってA班を誘導。だがその先で私は再び迷いかけた。 真っすぐ進んだ私を呼び止めたのはK藤さん。他の仲間は浜辺に下りてトンネルを通ったようだ。慌てて後を追う。トンネルを抜けると林の中に第3ASがあった。これが最後のASなので、しっかりと給水する。上の道路を走って下るB班の姿が見えた。「お~い、こっちだよ~!!」。彼らはそれで気づいたが、ASに気づかずに直進した仲間は、きっと慌てたことだろう。<続く>
2013.06.27
コメント(10)

≪ 消えた仲間達 ≫ U海夫妻のASで力を得た私達は、ひたすら浜辺の道を走る。以前は雑草が邪魔だった道が、立派な歩道に変わっていた。この辺りは「東日本大震災」での被害もあったはず。きっと危険性が高いと判断し、道路を直したのだろう。まるで泥田のような利府の海だが、ここも松島の一部。記念に1枚載せておこう。 ≪ 利府町浜田周辺の海 ≫ 間もなく塩竃市に入る。以前は小さな魚市場や、牡蠣を焼いていた小屋が消えて更地になっている。M井さんに聞いたら津波で流された由。松島に比べて島が少ない塩竃市は、あの津波で大きな被害を受けたのだ。塩竃観光港に浮かぶ塩竃神社の御座船を撮ろうとしたが、逆光が眩しくてダメ。慌てて皆の後を追う。皆は信号のある交差点にいた。近くの大型店で各自昼食の食糧を買う。 ≪ 私の昼食は缶ビール付き♪ ≫ 私が選んだのは、冷やし中華、チーズケーキ、豆乳、笹かまぼこ、そして小さな缶ビール。それをカンカン照りの公園で食べた。中には小さな樹木の下に陣取った夫婦も。そこだけは唯一小さな日蔭が出来ていた。男性ランナーのほとんどが缶ビールを買ったみたい。もっとも何人かの女性も飲んでたようだ。ウルトラレース中に缶ビールを飲むのは特段珍しくはない。私も「いわて銀河」では、銀河高原ビールを飲むのが恒例。暑い時の冷えたビールは格別の味。そして良い刺激剤でもある。 休憩の後、A班から出発。この頃になるとリーダーのM仙人より前に出る人が出だす。特にK村さんとK野さんの2人が速い。元々スピードランナーのため、ついついスピードが出てしまうのだろう。「ビールの影響」を感じた私は、コンビニで用を足した。その間に、皆の姿は全く見えなくなっていた。必死で後を追うと、M井さんとS木さんが見えたが、皆の姿はない。 信号で止まっていた姿が一瞬で見えなくなった。左折し4つ目の町である七ヶ浜町へ入る。道が2つに別れているが、さてどっちへ進むべきか。M井さんに聞いて左手の道を選んだ。地元の方が自転車に乗って前方から来たので、ランナーを見なかったか尋ねたら「見てない」との返事。本当にこの道で良いのか不安。道路には誰もいないし、どうやら海岸の方向へと下りてしまうみたいだ。 途中特別史跡の「大木囲遺跡」の前を通る。ここは縄文土器の編年基準になった「大木囲式土器」が出土した有名な遺跡。暫く行くと山の上に小さなお堂。だが喜び勇んで登ると、毘沙門堂ではなかった。人影のない道路を1人で走るのは心細いが、大体の方向は間違ってないはず。車の中で寝ていた人を起こして多聞山への道を聞く。それでも迷った。三叉路にようやく標識を発見。 そこを進むと七ヶ浜町を一周する県道58号線に合流した。どうやら皆はこの道を行ったようだ。それにしても第2ASの遠いこと。道で遊んでいる子供達に、ランナーが山に登ったか聞くと、登って行ったとの答え。そこから多聞山への山道に入る。ずっと前の岡に、オレンジ色のシャツがちらっと見えた。慌てて岡に登ると、そこで皆が休んでいた。 ≪ 多聞山の頂上から太平洋を望む ≫ 急いで水分を補給していると、M井さんが到着。「遠回りしたけどAさんにはちょうど良い練習だよね」と彼。帰宅後地図を見たら、私が走ったコースがより直線的だった。ただし、アップダウンがきつかっただけ。何しろ一旦海岸近くまで降り、また稜線の県道へ登ったのだから。A班が早くも動き出す。「今着いたばかりなのに早いよ!」と悲鳴。だがまた迷子になってはいけないので、必死に後を追う。 岬の突端にある毘沙門堂からの眺めは絶景。目の前の馬放島(まはなしじま)は、かつて塩竃神社の神馬を放した島。潮風に当たってミネラル分たっぷりの草を食べた神馬は、直ぐに元気を回復したそうだ。お堂の前でA班の記念撮影。このポイントも「松島四大観」の一つだが、一番海に近い。有人島の桂島、野々島、寒風沢島では、津波で大きな被害を受け、島外の避難所で暮らしている島民が多いと聞いた。気の毒な話だ。<続く> ≪ 馬放島が目の前に! ≫ ≪ 波穏やかな松島湾 ≫ ≪ 松島を背景にしたA班のメンバー ≫
2013.06.26
コメント(14)

≪ 海沿いの道と想定外のAS ≫ 最初に向かったのが「西行戻り松公園」。平安時代末期に松島を訪れた歌人の西行が、あまりの険しさに引き返したと言う謂れがある山だ。何回か前には遠回りして走って登った公園だが、今回は直近の階段を歩いて登る。海抜1mの海岸からスタートしたため、150mまるまる登るので結構草臥れる。一見不便そうな場所にも家が建ち、人々の暮らしがあることの面白さ。 公園には人っ子1人おらず、森閑としている。何本かのひょろ長い松の付近に標識。これが「西行戻り松」か。元は北面の武士だった西行がこれくらいの山など越えられない訳はないだろう。それに、とても平安時代の松とは見えない若い松だった。まあ、観光地の権威を高めるための伝説だろう。そこから旧有料道路を下って再び海岸の国道へ出る。結構下りが長いのが意外。やはり昔の旅人にとっては険しい山だったのかも知れない。 国道45号線から再び山に登る。未舗装のうねる山道を走って行くと、前方に最初のAS(エイドステーション)があった。オレンジも美味しいが、秋田名物「いぶりがっこ」も美味しい。これはたくわんの燻製。とても良い塩味だ。冷たい水とスポーツドリンクをゴックン。ふ~っ、生き返った感じ。そこからまた山へ登ると、目の前に不思議な風景が現れた。 ≪ 扇谷山のAS ≫ ≪ 扇谷山の洞窟 ≫ ここ扇谷山は、かつて仏教の修行地だったようだ。洞窟には3体の石仏が彫られていた。松島の瑞巌寺は奈良時代の開基で、当時は天台宗。それが伊達政宗の庇護を受けてからは臨済宗に変わった。最大時には3万人の修行僧が瑞巌寺とその周辺で起居していた由。そしてこの山にも江戸時代には付属寺院があった。瑞巌寺の第101世禅師が眠るのがこのお堂、金翅塔のようだ。 ≪ 金翅塔 ≫ ここ扇谷山は松島を見渡せる「四大観」の一つだが、残念ながら生い茂る樹木のため私達がいた場所から海は見えなかった。再び国道へ出、今度は海沿いの道を走る。磯の香りが風に乗って漂う。左手の崖下が海だが、引き潮のせいか波の音は聞こえない。この周辺一帯には縄文時代の製塩遺跡が点在し、その標識が所々に立っている。仲間と懸命に走るうち、いつしか脚の痛みは全然気にならなくなっていた。 ≪ 樹木の合間から見える松島 ≫ 樹木の合間から松島が見える。誰も通らない道は、走っていても気持ちが良い。磯の香りと樹木が発する香りが気持ちを落ち着かせてくれるようだ。間もなく利府町の浜田集落へ出る。先頭が突然左手の小さな公園に入った。変だなあ、いつもならここは直進する場所。次のASは20.8km地点なので、ずっと先なのだが。そう思って付いて行くと、目の前に想定外のASが出現。 ≪ 思いがけないU海夫妻のAS ≫ 何と、そこに居られたのはU海夫妻。U海さんは宮城UMCの事務局長を長く務められた方。だがここ数年間は難病と闘われ、全く走ることが出来ない。それでも仲間のために毎回このコースを設定し、マラニック当日は車椅子で会いに来てくれるのだ。今回は奥様と一緒にASの開設。皆は喜んで駆け寄り、次々にU海さんと握手した。ありがとうございます、U海夫妻。ここでしっかり飲み、しっかり食べて、最後まで元気で走りますから。だからあなたも絶対に闘病を諦めないでくださいね~!! <続く>
2013.06.25
コメント(6)

≪ 3年ぶりの顔 ≫ いやはやビックリ。長町駅に着いた時に下り方面の電車が出た。6時27分発のだろう。切符を買ってホームに行こうとしたら、次は6時34分まで電車がない。これには真っ青になった。仙台駅までは6分だから6時40分着になる。ところが大勢の仲間が乗る仙石線の電車が出るのが6時43分。この間わずか3分しかないが、何しろ仙石線のホームはかなり離れているのだ。 間に合わなかったらどうするか。私は携帯電話を持ってないので、連絡の手段がない。それにスタッフの携帯電話の番号もメモして来なかった。最悪乗り損ねたら次の電車で行くしかないが、待っててくれるだろうか。電車の先頭の少しでも仙台駅の階段に近い場所に乗った。う~む。やはり時刻表を調べておかなかったのは油断だったかも知れない。 仙台駅に着いてから、走りに走った。階段を登り、連絡橋を走り、長いエスカレーターも走って下り、東口から仙石線のホームへ必死に走った。だが、発車は6時43分でなく、44分だったみたいで、悠々間に合った。まだ息が上がり、激しい鼓動のまま、ホームに集まっている仲間の姿を見た。今回はやけに参加者が多い感じ。それもそのはず50人近くここに居たようだ。 この「みちのくラン」も今回で9回目。大震災があった一昨年は開催が中止され、昨年は手術を受けるなど体調不良で参加出来なかった。だから私は3年ぶりの参加なのだ。宮城UMCのウルトラマラソン仲間、東京から来た走友が、次々に握手してくれた。皆私の体調が少し戻って来たことを喜んでくれているのだ。ありがとうね、皆さん。俺もようやく少しは走れる体になったよ。 電車の中で、Kさんに会費を支払う。まあ、1日楽しむには安過ぎるほどの料金だ。ちっちさんが私を見つけて話しかけて来た。今回はご主人のさり~♪さんと車で東京から来られた由。走る歌人雲峰師匠や、永遠の青年、辻ポンさんとも会えたし、エコジャーニークラブの主催者であるS木さんとも会えた。距離4500km超級の「トランスヨーロッパ」を3回とも完走した唯一の日本人、Sパパとは1月以来の再会だった。 ちっちさんと話し込んでいたら、あっと言う間に松島海岸駅。駅前に集まり、全員で駐車場に向かう。そこにはエードを担当してくれる3台の車が待っていた。各班毎に荷物を預ける車が決まっている。私はA班でFさんが運転する1号車。参加者54名中、45名が選手。B班は関東からのお客さんが中心で、C班は県内の男性が中心。私のA班は県内の女性が中心の構成だ。 ≪ スタッフ一同 ≫ 宮城UMC会長のM仙人の挨拶に続いて、Dさんからマラニックの趣旨と注意事項について説明があった。最初は松島地区を歩いて観光し、その後で走り始める由。ランはいつもの通り集団走。45名を3つの班に分け、班のリーダーと一緒に走るのだが、それでも前と後ろとではかなり離れてしまう。コースの中には歩道のない個所もあるため、事故を起こさぬよう要注意だ。 ≪ お主も悪よのお~。ムフフ ≫ 千葉県のAさんは初参加。彼はいつも仮装してウルトラマラソンを走る。今回は「悪代官」の服装で参加して欲しいと要請した由。顔にはちゃんとメイクで傷跡を作る用意周到さ。笑いを誘う服装だが、こんな姿で100kmや200kmを走れるのは、よほどの実力者。他に「力士」や「牛さん」などの服装があるが、やはり一番目立つのはこのスタイルだろう。 ≪ 選手全員での記念撮影 ≫ ≪ 国宝の五大堂 ≫ ≪ 瑞巌寺境内 ≫ ≪ 境内の津波到達点 ≫ あの「東日本大震災」では、地震の被害もさることながら、海岸部では津波の被害が大きかった。だが、ここ松島町は湾内に点在する無数の小島が「緩衝材」となって、それほどの被害はなかったそうだ。閑静な境内を抜け、最初のASがある扇谷へ向かう。しかし坂道が急なため、依然として歩きのまま。一体いつになったら走るのかと思ったのだが、私の故障した脚にとっては、このウォーミングアップが逆に良い方に作用したようだ。<続く>
2013.06.24
コメント(12)

≪ 娘が贈ってくれた「父の日」のプレゼント ≫ 6月16日(日)。妻は早朝から絵の仲間と山形へ写生に行った。夕方、四国に住む長女から「父の日」のプレゼントが届く。箱を開けると中から出て来たのは「鳴門金時」で造った芋焼酎。鳴門金時はとても甘いサツマイモで、関西では焼き芋の原料としては一級品。長女は店で見た時、「これしかない」と直感したそうだ。 鳴門市は私が5年2カ月勤務した街。広大なサツマイモ畑の真っ只中に、私達家族が住んだアパートがあった。3人の子供達が長く暮らした筑波から、初めて余所の場所に引っ越したのがこの海辺の街。そこに見渡す限りのサツマイモ畑が広がっていたのだ。初めの頃、長女はシャツを贈ってくれた。だが趣味が合わないと着ないこともあり、最近では焼酎になっていたのだ。 夕食はエゾシカの肉でシチュウを作った。塩コショウした肉をサイコロ状に切り、ウスターソース、ワイン、料理酒、砂糖、ニンニクで味付けし、最後に「とろみ味」をつけるため、波照間島で買った「もちきび」を入れた。そうそう、収穫したばかりの玉ネギの1番大きなものを、まるまる1個刻んで入れた。味は最高なのだが、「食わず嫌い」の妻は一口も食べなかった。こんなに美味しいのにねえ。写真を取り忘れたのが残念だ。 6月17日(月)。玉ネギを抜いた後の畝を耕し、モロッコインゲンの種を蒔く。またスナックエンドウを処分した跡地には、妻の希望でモロヘイヤ3本と、ツルムラサキの苗5本を植えた。春に蒔いた大根は全て「とう」が立ったが、それも全部食べたし縮み菜も重宝した。夏場も「葉もの野菜」が欲しいと妻。だが、家庭菜園に関する出費は全て私の小遣いで負担している。まあ、それも良し。ウルトラマラソン同様、人生辛抱が大切だ。 ≪ これは比較的大きなものだけ ≫ 玉ネギの苗は昨年の10月半ばに100本植えた。収穫は大が41個、中が32個、小が25個の合計98個。残りの2本が、霜や雪で育たなかったようだ。まあこれでも大成功の部類だと思う。何事にも感謝する気持ちが大切だ。 ≪ スナックエンドウ最後の収穫分 ≫ スナックエンドウは、収穫の時期が極めて短い。30個採れることもあれば、最盛期には60個近く採れたこともあるが、3週間ほどで全然花が咲かなくなった。感謝して苗を処分した。 ≪ モロヘイヤ ≫ ≪ ツルムラサキ ≫ モロヘイヤもツルムラサキも、茹でるとネバネバする野菜。その粘り気が健康にはとても良いように感じる。きっとこれで厳しい夏場を乗り切ることが出来るだろう。 6月18日(火)。この日、東北地方がようやく梅雨入り。例年より9日ほど遅れたようだ。その夜にはかなりの雨が降ると知り、夕方トマトの苗の上に3本のビニール傘を差した。大量で過分な水は、根腐りの元になるためだ。トマトは特に大量の水を嫌う。自画自賛かも知れないが、この傘が早速役立ったのが嬉しい。 ≪ トマトの苗と3本の傘 ≫ 6月21日(金)。妻の要望で、早朝から梅の実をもぐ。妻が気にしていたのはアブラムシ。大量のアブラムシが梅の若葉に着き、虫が出した黒い汁が梅の実や、周囲の植物達を汚していたからだ。収穫後太い枝を2本伐採し、「燃えるゴミ」として出す。梅の実は比較的汚れていないものを選んで収穫した積りだが、きれいな実は少なく、残りは1個ずつナイロンタオルで丁寧に洗った。 その作業で、腰の痛みが再発。これはピンチ。翌日35kmのマラニック「みちのくラン」にどう響くかが心配。妻は月末で忙しいため、洗った大量の梅は、私が本を読んで梅干しを作ることになった。さてこれもなかなかの宿題だ。まあ、妻に教わりながら進めるしかない。残りは「梅酢」を作ろうと思う。どちらも健康に良く、夏バテを防いでくれる食品なので、成功を祈るのみ。 山盛りの青梅。多分10kg近くありそうだ。この倍ほどまだ枝に残っているが、もうこれで十分。それに洗うのが大変。これ以上腰を傷めたら走れなくなるもんなあ。 6月22日(土)。3時半に起床してブログを更新。この日は「みちのくラン」があるため、しっかりと両足(脚)にテーピングをして出かける。電車の時間を良く調べてなかったため、仙台駅で大慌て。仙石線のホームへ走って、何とか仲間の乗る電車に間に合った。距離は35kmとのことだったが、結局私は約40km走った計算。ともあれ、最後まで無事に走れて良かった。レポートは明日から書き始める予定。留守中のコメント、どうもありがとうございました~!!
2013.06.22
コメント(6)

雨の日雨の日には久石譲の曲をメドレで聴くそう たまには心の栄養にねいいねえ 新聞を読む邪魔にならなくてなあに 新聞なんて全部読まなくて良いんだよ元々俺の勉強になることはあんまり書いてない雨の日にはコーヒーを飲みながらチョコレートを食べるそれに20粒ほどのピーナツもねなあに それでも大丈夫結構俺は体を動かしているから太らないなんていい気になってたら500gも太ってた雨の日には何もかもがびしょ濡れだトマトもナスもキュウリもゴーヤもそして そろそろ咲き終えるシャラの花もなあに 心配することはないみんなこの雨をずっと待っていたのさ雨の日には出かけるのさえ億劫だが今日は35kmのマラニック「みちのくラン」の日全国の仲間と松島やあの大震災の被災地を走るんだなあに シューズが汚れ 雨に濡れても俺は平気ランニングなんてそんなもの 人生なんてそんなものでも俺は そんなランニングや人生が大好き頼んだぞ 俺の足よ ≪ 我が家のシャラ ≫ では行って来ま~す。帰宅は夜になります。ひょっとしたら皆様のところへはお邪魔出来ないかも知れませんが、どうぞご容赦を。
2013.06.22
コメント(6)

6月1日と2日に福島市で開催された「東北六魂祭」も今日が最終回。最後に登場するのが「秋田竿灯まつり」です。竿灯全体を稲穂、そして提灯(ちょうちん)を米俵に見立てて五穀豊穣を祈るこの伝統行事は毎年8月3日から6日にかけて秋田市で開催され、国の重要無形民俗文化財に指定されています。これも原点は七夕や「眠り流し」に由来するとか。 1基の竿灯は大若(大人用のもの)で長さが12m、提灯46個で、重さが50kgもあり、提灯の絵柄は町内ごとにそれぞれ異なります。「どっこいしょ、どっこいしょ」の掛け声に合わせて、竿灯を自由に操り、掌(てのひら)、額、腰、肩などに載せる大技を次々に披露してくれます。私は今回初めて観ましたが、思っていたよりずっと勇壮な祭でしたね。 ≪ 移動の際はこんな風に竿灯を横にして運びます ≫ ≪ いよいよ竿灯を立てるところです ≫ ≪ 見事立ち上がりました!! ≫ ≪ こちらも大成功! ≫ ≪ 名人は腰で操作 ≫ ≪ こちらは額で ≫ ≪ 「ミス秋田」は観光大使です ≫ 日中でもこれだけ感銘を受けるのですから、現地のお祭りで提灯が点灯されたら印象がまるで違うでしょうね。東日本大震災の犠牲者の慰霊と震災からの復興を祈って始まったこの「東北六魂祭」も運営には苦労しているようです。震災から日が経ち、企業からの資金協力が得難くなっているのが現状。それでも来年は山形市で第4回が開催される予定です。 私達がお世話になったツーリストだけで、全国各地から80台ほどの観光バスが出た由。まあ東北の代表的な夏祭を一か所で全部観られるのですから、人気が高く観光資源として一級品なのは間違いありません。今後の運営がどうなるか注目ですが、何とか継続出来ると良いですね。<完>
2013.06.21
コメント(6)

今日も6月2日に福島市で開催された「第3回東北六魂祭」を紹介しています。で、第3回目は「青森ねぶた」と「山形花笠まつり」です。 「青森ねぶた」は8月2日から7日にかけて開催される青森最大の祭で、元々は「七夕祭」や「眠り流し」が起源のようです。既に津軽藩時代から行われて来た伝統行事で、あまりにも豪華だったため禁止令が出されたこともあったようです。昭和55年に国の重要無形民俗文化財に指定され、題材は日本や中国の歴史上の人物、歌舞伎、地元の伝説などから採用しています。 青森の「跳ね子」が「ラッセラー、ラッセラー!!」と掛け声をかけるのに対し、弘前の「ねぷた」(8月1日~7日開催)の掛け声は、「ヤーヤードー、ヤーヤードー!!」なのだとか。青森の発音はNEBUTAと濁りますが、弘前ではNEPUTA。何かにつけて対照的なのが面白いですね。 ≪ これが「跳ね子」。元気に跳ね回っています ≫ ≪ 題材は鐘旭(しょうき)様です ≫ ≪ 横から見たところです ≫ ≪ 舞台の下はこんな風になっています ≫ 「山形花笠まつり」は毎年8月5日~7日に山形市で開催されています。諸説がありますが「花笠踊り唄」は、明治大正の頃に村山地方で歌われていた「土突唄」が元唄のようで、これに他の地方から伝わった民謡が混じり、尾花沢市の溜池土木工事の時に歌われたのが最初みたいです。踊りは県内10か所ほどのものを昭和38年に統一し、昭和40年から現在の形の「山形花笠まつり」が発足しています。 この踊りは文字通り「花笠」が中心。踊りに良く似合ってますね。私は山形に4年勤務しましたが、その最終年職場がこの祭に参加することになり、転勤族も猛訓練を受けたことがありました。幸いにして(?)私は骨折中だったため出ませんでしたが、「いい歳」になってから踊りを習うのは恥ずかしいものです。それに地元の方は子供の時から踊っているため、あでやかさが全然違いますからねえ。明日は最終回で、秋田の「竿灯まつり」です。どうぞお楽しみに~♪
2013.06.20
コメント(12)

ここでは6月2日に福島市で開催された、「第3回東北六魂祭」を紹介しています。今日はその2回目です。≪ 盛岡「さんさ踊り」と仙台「すずめ踊り」 ≫ さんさ踊りは江戸時代、盛岡近郊の各地で行われていた伝統的な踊りを昭和53年に統一し、観光イベント化したもの。南部藩時代から引き継がれた優雅な所作が、とても美しい踊りだった。何年か前には、参加者の太鼓の数でギネス記録を作ったこともあるらしい。 こうして見ると、「さんさ踊り」は太鼓が中心になった踊りだと分かりますね♪ さて、仙台の祭と言えば何と言っても七夕だが、残念ながら大きな七夕飾りはパレードには向かない。そこで登場するのが「仙台すずめ踊り」。これは藩祖伊達政宗が仙台にお城を築いたお祝いに、町民が踊ったのが最初みたい。「すずめ」は伊達家の紋の一つである「竹に雀」に拠る。伝統的な踊りを昭和60年から仙台市が主催する「青葉まつり」で現代風な踊りにアレンジして再デビューした。 謂れも「阿波踊り」に良く似ているが、「おはやし」もそっくりだ。即興性の高い踊りは、「みちのくYOSAKOI」など、他の観光イベントにも出演して好評を得ている。この踊りの輪の中に、ウルトラマラソン仲間のH夫人がいた。彼女は20年近く踊っているとのこと。5月に開催された「仙台国際ハーフマラソン」の際も、見事な踊りでランナーを応援され、私も大いに元気づけられた。 明日は第3回で、青森の「ねぶた」と山形の「花笠踊り」を紹介します。どちらもなかなか素晴らしいですよ。どうぞお楽しみに~。<続く>
2013.06.19
コメント(6)

≪ 福島の「わらじ祭り」 ≫ 東北の夏祭りをご存じだろうか。青森のねぶた、秋田の竿灯、盛岡のさんさ踊り、仙台の七夕、山形の花笠踊り、そして福島のわらじ祭り。それらのほとんどが8月に集中している。元々が七夕に起源を持つものが多いからだが、お盆の行事だったものもある。そのうち2つや3つくらいは、きっと名前を聞いたことがあると思う。 ところが残念ながら、そのお祭りが開催されなかった年がある。一昨年、つまり平成23年だ。あの年の3月11日、東北は未曽有の大震災に襲われた。津波や原発事故を筆頭とする多大な被害、そしてたくさんの犠牲者を出し、各都市ではお祭りをする余裕がなかったのだ。だが、その年の秋になって、犠牲者の鎮魂と、大震災からの復興を願って、第1回の「東北六魂祭」を仙台で開催することになった。 私も妻と一緒に観に行ったが、地下鉄の駅から出ることが出来ず、駅から出られた時は、既にパレードは終わっていた。東北を代表する夏祭りを全て見られる一大イベントは、全国から多くの観客が押し寄せて、「地元」である私達ですら観ることが敵わなかった。それだけの人気があったのだ。翌年は盛岡で、そして今年は福島市での開催。これは何とか観に行きたいが、本当に観られるのだろうか。 バスツアーは4千円。昼食も付かず、ただ祭りの見物のみの料金。JRで行けば料金はもっと安いが、全く何の情報もない。まあここは旅行会社を信じよう。そこで6月2日の日曜日、朝早くから妻と出かけたのだった。何と福島駅近くの国道4号線で待つこと3時間。待ちくたびれた頃、ようやくパレードが始まった。先頭は地元福島の「わらじ祭り」。早速お祭りの様子を紹介しますね~。 ≪ 先頭は「小わらじ」です ≫ ≪ この人が田村麻呂かな? ≫ ≪ 最後に「大わらじ」が登場 ≫ ≪ 勇壮な「大わらじ」の行列 ≫ この「わらじ祭り」は、確か征夷大将軍坂上田村麻呂の蝦夷征伐を祝う祭りだったはず。それが現代風にアレンジされ、とても賑やかなパレードに変身していた。明日の2回目は盛岡の「さんさ踊り」と仙台の「すずめ踊り」。どうぞご期待くださいね。では、また明日。<続く>
2013.06.18
コメント(10)

≪ お疲れ様でした!! ≫ 車中は案外賑やかで、リタイヤした悲惨な雰囲気はない。得意気に話していた隣のランナーが私の年齢を尋ねる。「69歳だよ。去年は不整脈の手術を2回して、今も薬を飲んでいる」。そう言うと、彼は絶句した。ええ~っ、この人は案外年寄りだったんだ。それに心臓の手術を2回も・・。彼は若くて元気な自分が、爺さんと同じ場所でリタイヤしたことを恥じたようだ。 バスは県道1号線を北上する。大会のコースはもう一つ山の中の道なので、選手の姿を見ることは出来ない。ようやく鶯宿温泉付近で大会コースと合流。ここは92km地点。懸命に力走する選手の姿が見え出した。仲間がいないか車中から探したが、それらしい姿はなかった。95km付近で右折する選手達。バスはそのまま直進。前方右手には、秀麗な岩手山が見え出す。 ここで見え出す岩手山が、レース中一番の慰めだった。後5kmでゴール。いつもそう思って最後の力走を試みたものだ。たとえバスの車中からでも、岩手山が見られて良かった。バスは雫石総合運動公園の裏口から入った。その途端、何か動いているものが見えた。あれは岩手県の誇る「チャグチャグ馬コ」。バスから降りた私は、真っ先に馬に駆け寄った。 ≪ チャグチャグ馬コ ≫ 6月2日に福島市で開催された「東北六魂祭」で、盛岡の「サンサ踊り」は見たが、この有名な「馬コ」を見たのは初めて。岩手のブログ友であるニッパさんによれば、滝沢村近隣の市町村の協力を得て、飾り立てられた80頭の馬が祭に参加するらしい。やはり本物は違う。たった1頭だけだが、祭の雰囲気を味わえたのが嬉しい。次にゴール地点で記念撮影したが、まるで自分まで完走したような気分に。 ≪ 雫石総合運動公園内のゴール地点 ≫ 胸のタグと引き換えに、「認定書」を受理。次に体育館でアーリーエントリー分の2千円をもらい、荷物と参加賞を受け取る。体育館の中は、疲れたランナーがノロノロと動き、中には床に横たわった人も。先ず荷物を整理してから男子更衣室へ。ここはシャワー室が開くのを待つランナーの長蛇の列。シャワーを諦め、濡れタオルで全身を拭く。デリケートゾーンの擦り傷が酷く痛む。 ここでバッタリM仙人と出会った。彼は12時間台で完走した由。私より3学年上だが、さすがに鍛え方が違う。半袖Tシャツと半ズボンに着替えて食事会場へ向かう。ここではビール、わさびお握り、銀河汁、ホルモンが半券と引き換えでもらえる。芝生に座って食べているとM仙人が来た。どうやら「おんちゃん」ことT野さんが、初めて完走出来そうとのこと。これは嬉しい。 ≪ 参加賞のしゃれたTシャツ ≫ ≪ ゴール後の食事 ≫ ≪ 銀河汁2千人分を作った大鍋 ≫ まだコースに残っている仲間がいるが、M仙人に断り、私は一足先に盛岡から新幹線で帰らせてもらった。全席指定の列車には空席があったが、私は「ロビー」の床に座ってデジカメの画像を見ていた。練習不足の身で73.3kmまで行けたのは予想外の快挙。このままトレーニングを続けたら、来年はもっと先に行けるかも知れない。 帰宅して荷物を片づけ、風呂に入り、洗濯ものを水洗いし、ブログに簡単な報告を書いた。その後数日間は腸脛靭帯と中殿筋の痛みに悩まされ、1週間走ることが出来なかった。仲間のレース結果は走友会の掲示板などで知った。おんちゃんは何とウルトラに挑戦して10年目での初完走だった由。M井さんも3年ぶりに完走出来たようだ。2人共良かったね。本当におめでとうございま~す。 実力者のO川さん、Kさん、Dさん、それにS村さんの完走は間違いないだろうが、S木さんとY田さんはどうだったのだろう。スピードランナーのS水さんは、9時間台でゴールしたようだが、それでも彼は不満だったみたい。皆、それぞれに頑張ったようだ。 宮城UMC仲間のほとんどは完走出来たはずだが、急遽代理で選手宣誓をしたTさんは、残念ながら86kmの関門で捕まった由。3週連続のウルトラレース出場では無理もない。それでもレース中に200枚以上の写真を撮ったと言うから驚く。もし来年私が写真を撮らずに走ったら、ひょっとして第3関門も突破出来るかもしれない。まあウルトラマラソンに「過去の栄光」や「たら話」は、全く通用しないのだが。<完> ≪ 挑戦10年目で見事完走した「おんちゃん」 ≫
2013.06.17
コメント(16)

≪ 地獄で天女、高原でビール ≫ 折角なのでキュウリに塩をつけて食べ、味噌汁も飲んだ。慌ただしくレストステーションを飛び出しながら時計を見ると、13時35分。関門閉鎖のわずか5分前だった。次の関門が73.3km地点の銀河高原であることは十分に知っている。だが、閉鎖時間までは念頭になかった。相変わらず県道1号線の日差しは強く、どこまでも続く登り坂が疲れたランナー達を苦しめる。 第2関門から500mから1kmほど走った個所で、ある婦人が個人エードを開いていた。おや、あれはS村さんの奥さん。声をかけて飲みものをいただく。氷の塊を入れた冷たい水が美味い。「地獄で仏」とはこのことか。いやいやご婦人に仏はない。ここは「地獄で天女」にしておこう。お礼を言って再びレースに復帰。 それにしても水のない関門や、お握りのない「レストステーション」にはビックリ。レース後大会本部に苦情のメールを送ったが、指定の宛先では届かなかったのも不愉快。かつて、第2回大会の完走記を書いた私のブログを大会本部のスタッフが読んだことがあった。何でも意見を書いてほしいとのコメントだったため、幾つかの要望を書いた。 私の提案は、1)制限時間を13時間から14時間に延長すべきこと。 2)ゼッケンナンバーは前後2枚とし、ランナーの名前を付すこと。 3)エードステーション(AS)に置く食べ物の質を上げること。 4)給水所(または水を入れた容器)の個所を増やすことなどだが、それらのほとんどが、その後実現された。だが、今回選手数を200名増やしたのは良いが、果たして十分に対応したのだろうか。200名増えた分、エードの食べ物を増やすのが当然だが、私には対応出来てなかったように見えた。 「地獄じゃ~!!地獄じゃ~!!」。叫びながら走っている私を、2人連れの女子ランナーが笑う。彼女達の計算によれば、1km7分ペースで行けば第3関門を突破出来る由。私は瞬時に無理だと悟った。疲れ切った体で坂道をそのペースで走れるのは、十分鍛えたランナーだけ。過去6回参加した私の経験だと、フルマラソンを4時間半程度で走れないと完走は無理なように思う。 ≪ ミズ ≫ 小川の畔に生えている「ミズ」を発見。これはとても美味しい野草で、実の漬けものが絶品。清楚なエゴの花も見つけたが、今年はルピナスが少なかった。いつもの年は1m近いルピナスが見事なのだ。しかし、わずか6.8kmしかない次の関門までの遠いこと。疲労が進むと走るスピードが鈍り、距離感が全然狂ってしまうのだ。やがて女子の2人連れが歩き出した。1km7分ペースが無理なことに、彼女達もようやく気づいたようだ。 ≪ 和賀岳遠望 ≫ 69km地点辺りで、左手前方に和賀岳が見えて来た。朝渡った和賀川の水源地の一つがあの山。全く余裕はないのだが、記念に撮影する。GMCメンバーのゼッケンをつけた2人連れが缶ビールを飲みながら歩いている。「諦めたの?まだkm3分ぺースなら間に合うけどね」と冗談を言うと、「ハハハ」と笑った彼らは青森県のランナーで、仲間同士みたい。私は走る。関門通過が無理なことは分かっているが、最後まで全力を出し切るのが自分流。 ようやく道の左側に銀河高原へ向かう「矢印」が見えた。そこを曲がると正面に和賀岳。2年ぶりの風景が懐かしい。第3関門から戻って第4関門に向かう道に、ランナーの姿がない。どうやら制限時間がオーバーしたようだ。いつもの年ならここでランナー同士がすれ違い、エールの交換が出来るのだが、今は道路の片側は無人。それを眺めながら必死に前進。前方に関門が見えて来た。ようやく銀河高原だ。 今回はビール工場の構内には入らず、直進するみたい。既にASでは片づけが始まっていた。役員に申し出て、タイムを申告。到達地点は73.3kmで、タイムは10時間38分。関門閉鎖の18分後だった。これで長い戦いがようやく終わった。役員に頼んで、73.3km地点の標識を撮らせてもらう。次にホテルのフロントで銀河高原ビールを購入し記念撮影。 ≪ 73.3km地点 戦い終えて ≫ ≪ 赤鬼さんもここでリタイヤ ≫ 赤鬼に仮装したランナーも、ここにいた。「仮装を止めたらもっと楽に走れるのに」。私がそう言うと、「この恰好で走るのが良いんです。これでも段々速くなったんですよ」と屈託がない。世の中には色んなランナーがいるものだ。「収容バス」がなかなか来ないので、お互いのレース評を話ながら待つ。それぞれに苦戦した理由はあるのだろうが、誰もが存分にウルトラマラソンを楽しんだみたい。 ≪ 絶品で冷え冷えの銀河高原ビール ≫ 30分ほどかかって、ようやく収容バスが来た。座席に落ち着き、飲んだ缶ビールを記念撮影。車内は寛いだ雰囲気の選手達。さて、今回のレースで「いわて銀河」は4勝3敗だが、全力を尽くしたので全く悔いはない。参考までにこれまでの記録を記して置きたい。☆ 第2回 62歳 完走 12:16:24☆ 第3回 63歳 完走 12:17:43☆ 第4回 64歳 86km 11:19:00 左足靭帯故障中☆ 第5回 65歳 完走 13:29:31☆ 第6回 66歳 完走 13:23:24☆ 第7回 67歳 73.3km 10:38:44 不整脈発生☆ 第9回 69歳 73.3km 10:38:00 不整脈治療中 <続く>
2013.06.16
コメント(8)

≪ じぇじぇじぇ~ ≫ 真っ暗なトンネルを走るのは勇気が要る。足元が全く見えないからだ。それでも道路が平らなことを信じて足を踏み出す。所々に避難用の照明があり、そこだけは明るい。また、たまに車が通る時は、周囲が見えて助かる。そのうち壁が自分の方に寄って来るような錯覚に陥る。闇との戦いは、暗くて狭い所が嫌いな人にとっては相当恐怖に感じるはず。中には思わず歩き出すランナーもいるほどだ。 トンネルの前方に光が見えて来るとホッとする。8年前の第2回大会は5月開催だったが、トンネルの外に大量の雪があった。中山峠のあるこの県道34号線は、冬期には閉鎖すると聞いた。それほど雪が深く、厳しい気象条件なのだろう。だからトンネル内が寒いのも当然。でも私はランニングシャツでも平気。むしろ気持ちが良いくらいだ。 景色が眩しい57.5km地点の第11AS。ここには水が十分にあった。第1関門で水を飲めなかったランナーは、13.3kmを水無しで走ったことになる。きっと苦しい思いをしたに違いない。いや、中には走る気持ちが失せてしまった人もいると思う。スタッフの人が自分のお握りを出してくれた。有難くそれを頂き、水と塩をペットボトルに補給する。 ≪ 57.5km地点の疲れ切った自分 ≫ 変な顔だが、ここで撮った写真を載せておこう。頭からはみ出したオレンジ色の物体は、濡れたタオルハンカチ。常に頭が冷えるよう、帽子の下に入れているのだ。そして後ろ向きに帽子を被るのは、延髄が直射日光に照らされ、運動機能が落ちるのを防ぐため。長時間高温に曝されるウルトラマラソンでは、色んな工夫が必要だ。 ここからは急激な下り。時間を稼ぐには好都合だが、あまり速く走ると後で足や膝に来る。下り坂は疲労したランナーにとって、結構負担になる場所でもある。まだ元気だった頃は猛スピードで下ったものだが、走り込んでいない今は、慎重に下るしかない。後から誰かが追って来る。シャツを見て、「宮城県の人ですか。○○さんを知ってますか」と聞く。「ああ知ってるよ、仲間だもの」。 彼も宮城の人で、100kmレースは今回が初挑戦の由。「もう少し落とせば良いのですが」と言う彼の体重は75kgとか。まだ気持ち良いスピードを出せるのが嬉しい。この先のコースや注意点を彼に教える。足が痛いと言って、そのうち彼は遅れ出した。渓流ではフライフィッシングの釣り人。これも毎回見かける懐かしい風景だ。 ほぼ峠を下り切った所が61.9km地点の第12AS。スタッフの小母さんが巻き寿司を出してくれた。たった1個だが、今は貴重な食べ物。ウルトラマラソンはバナナだけじゃ走れない。腹に溜まる「ご飯もの」が、どうしても必要なのだ。ここで第2関門の制限時間を確認。1人のランナーが正確に教えてくれた。そこまでの距離と残りの時間を疲れた頭で計算する。 「大丈夫、行けるぞ~!!」。大声で叫んで飛び出した私。目の前には1人のランナーが激走中。第2関門の制限時間を教えてくれた彼は5回完走のGMCメンバーで、ゼッケンの色が違う。「制限は12時40分だが、第3関門を通過するためには12時30分までに着く必要がある」と彼。今回は50kmまでと思っていた私は、正直そこまでは考えてなかった。 緩い下りが心地良い。ここで飛ばすと、後で効くのは分かっているが、自分の体に任せる。どうやら第2関門は突破出来、第3関門の銀河高原までは行ける計算。良いぞ良いぞ、これは嬉しい誤算。もうすぐ50kmの部のコースと出会う県道1号線は近い。問題はそこから。緩いがずっと続く登り坂。日光を遮るものが全くない地獄のような道なのだ。 ようやく県道1号線に合流。足音を聞いて振り返ると、体重75kgのランナー。彼にも注意点を教える。第3関門まで行くには、次のレストハウスでのんびり休憩しないことが大事だ。ところが彼はそこに荷物を預け、着替えする予定とか。初挑戦の彼なりに立てた作戦だろうが、多分それでは苦戦するはず。 選手のゼッケンナンバーを読み上げる声が前方から聞こえる。おお~っ、やっとここまで来たか~。喜び勇んでASに飛び込むと、お握りが1個もない。何と走り去ったランナー達が全部食べてしまったのだ。「味噌汁とキュウリがあるよ」と小母さん達。あのねえ、それじゃ全然エネルギーにはならないの。 水が全くない関門も酷いが、ご飯ものが全くない「レストステーション」も酷い。まさにじぇじぇじぇ~!!の事態発生。「レストステーションと言うのは、ご馳走がある場所の意味なんだよ」。小母さん達にそう話しても解決にはならない。そこでポシェットから草餅を取り出して食べる。驚く小母さん達を尻目に、ペットボトルにはアスリートソルトを投入。これはミネラル類を豊富に含んだ、沖縄県宮古島産の優れ物なのだ。何事も用心が肝要。ウルトラは経験が物を言うスポーツだ。 次の目標73.3km地点の銀河高原。そこはこれまで自分が走った最低記録の場所。だがこの体調と練習不足でそこまで行けたら「オンの字」だ。この「いわて銀河」は「秋田内陸」と違って、関門を通過した場合はリタイヤの意思表示をしない限り次の関門まで走らせてくれる。これでどうやらY田さんと話した「銀河高原ビール」が飲めそうだ。<続く> ≪ 次の目標は・・ ≫
2013.06.15
コメント(8)

≪ じぇじぇ~ ≫ 山道に入り、少しずつ高度を上げて行く。走っているランナーはまばらで、ほとんど見かけない。賑やかに蝉が鳴いている。後で聞いたら、あれは「ハルゼミ」と言うらしい。沖縄本島を走って1周した時は、11月末なのに蝉の鳴き声が煩かった。まるで金属音のような感じ。それに比べればこのハルゼミは情緒がある。そしてホトトギスの鳴き声も聞こえる。 ヤマツツジが咲いている。所々に見事な山藤も。自然が豊かな山道を見ながら走れるのは、ウルトラランナーならではの楽しみだ。いつの間にか全く痛みが気にならなくなった。「魔法の水」が効いて来たのか。それとも脳内から分泌される「興奮物質」のせいか。今はレースに集中出来ていることを喜びたい。時々左手に現れる豊沢湖がきれい。このダム湖に沈んだ豊沢集落の記念碑が見えて来た。 ≪ 豊沢湖 ≫ コースはアップダウンを繰り返す。太陽は頭上にあるが、山風が爽やか。やがて左手にASが見えて来た。49.6km地点の第10AS。そして初めての関門でもある。水を飲もうと近づくと、スタッフの人が「水はありませんよ」と言う。「じぇじぇ~!!」第1関門のASに水が無いなんてことが果たしてあるだろうか。これは悪夢か? 「私達も困っているんです」とオジサン。私は怒って言い返した。「一番困るのは選手です。こんな暑い日に水が無かったら、走っている選手は死ぬんですよ」。その抗議に、さすがのオジサン、オバサン達は皆黙った。多分地元から狩り出されたボランティアの人達で、彼らに責任はない。だが、本部と連絡体制が取れないと、こんな非常事態の場合は困るのだ。 スタート前、「今日は最高気温が28度になります。選手の皆さんは十分に注意して走ってください」などと、放送を繰り返していたじゃないか。自分の生命が大事なので、当然選手は頭から水を被る。この高温は数日前から予想されていたはず。それなのに、十分な「被り水」を用意しなかったため、飲用水が足らなくなったのだ。 以前は自衛隊が給水に協力してくれていた。それが災害救助のために、手が回らなくなったのだろうか。もう第9回の開催で十分ノウハウは蓄積されているはずなのに、この対応とは腹が立つ。51km辺りに監察車が止まっていた。近づくと役員が降りて来て、「リタイヤか?」と聞く。その横柄な態度にも怒りがこみ上げる。 「リタイヤじゃないです。第1関門に全然水が無いですよ。あれじゃ選手は走れません」。そう言うと、さすがの役員も慌てた様子。多分長年体育の教師をしていたのだろう。それが退職後、地域の体協役員になったのだと思う。ずっと「お山の大将」で来たため、どうしても「上から目線」が治らないのだろう。困ったもんだよ全く!! 私は関門で水を飲んだ。それはスタッフの飲みものを冷やしていた残り。例え汚れていても、命には替えられない。それに私はスポーツドリンクと塩が入ったペットボトルを持っている。まさに「命の水」。だが、飲めなかった選手は一体どうなるのか? 炎天下を長時間走って来て、ようやく給水出来ると喜び勇んでASに来た選手の驚きと不安に対して、一体誰が責任を取るのか。 道は5回も6回もアップダウンを繰り返す。そのまま登り坂なら良いのだが、何度も上り下りを繰り返すこのコースは、疲れたランナーをさらに疲労に追い込む。一見登っているようには見えないのだが、後を振りかえると結構な勾配だ。毎回そんな錯覚と戦う私。走れない急坂では、大きく手を振って歩く。 トボトボ歩いている選手はすっかり気力を失った様子。ひょっとして関門で水が飲めなかったのだろうか。ウルトラマラソンは距離が長いだけに、レース中色んなハプニングが起きる。だから汗かきの私は手にペットボトルを持って走り、AS毎に水を補給し、塩を入れる。水だけでもダメ。大量の発汗は大量のミネラル不足を招き、体調を崩す原因になる。 前方にトンネル。いよいよ中山峠も終わる。最初のトンネルは小さい。暗く涼しいトンネルは疲れたランナーを癒してくれる。2つ目のトンネルは長い。中は真っ暗でとても怖い。3つ目は1800m近い長いトンネル。だがトンネル手前のバケツにも、水はほとんど残っていなかった。底のわずかな水を柄杓で掬って一口飲み、残りを頭に掛ける。<続く> ≪ 中山峠のトンネル ≫ ≪ 真っ暗で寒い風が吹くトンネル内 ≫
2013.06.14
コメント(12)

≪ 「なめとこ街道」 ≫ 21.2km地点の第3ASで、ペットボトルに塩を入れ、頭から水を被る。気温は20度ほどだが、3時間近く走っているとかなり暑く感じる。膝や腰にも水。少しでも冷やせば、炎症を抑えられるかも知れない。ランナーがかなり疎らになった県道37号線は、歪みながら北上。24.4km地点の第5ASを過ぎると間もなく花巻市。 やっとここまで来れた。だが市が変わっても農村風景は同じ。ここ数kmの間、あるランナーと同じペースで走っている。帽子はピンクで、パンツもピンク。茶髪なので女性なのだろうが、大柄で肩幅もある。スタート前に女装の男がいると聞いた。また「はるな愛」が出場しているとも聞いた。ひょっとして前を走っているのは「はるな愛」こと「オオニシケンジ」か。そう思って密かに腰の膨らみや胸を観察していたのだ。 それにしてもなかなかのペースで、フォームが安定している。「○○時間テレビ」で芸能人がわずか数か月のトレーニングで100kmを走るのが恒例行事だが、あんなのはインチキ。数カ月ではフルマラソンでさえ無理。数年前「磐梯山・猪苗代湖ウルトラ」の66kmの部に出た梅宮アンナを見たが、彼女は数人のお伴を連れていた上、最後は父親の車に乗ったもんなあ。 だが第6ASでスタッフと話す彼女の声を聞いて、完全な女性だと分かった。それに顔が小母ちゃん。この後も彼女の後姿を何度か見かけた。ゴール地点で会った時に話をしたら、86.3km地点の第4関門で捕まった由。間もなく左手に「高村光太郎記念館」の看板。光太郎の別荘があったと言うこの付近は良く覚えている。そして豊沢川を渡る橋が「高村橋」。 コースは間もなく左折して山に入る。いよいよ「なめとこ街道」だ。徐々に高度が上がりランナーを苦しめる。ここは花巻の温泉郷で、道沿いにずっと温泉が続く。最初が松倉温泉。坂の途中にある志戸平温泉を記念撮影。豊沢川沿いの建物は風格があって私は好き。このホテルは送迎バスが仙台駅まで迎えに来てくれてとても便利なのだ。 ≪ 坂の上の「志戸平温泉」 ≫ 次に大沢温泉。次いで山の神温泉に高倉山温泉。だが鉛温泉前のスキー場がなかなか見えて来ない。不整脈の影響と2度の手術で体力が落ち、満足に走れなかったために、すっかり距離感が狂っているのだ。39km地点。右足に違和感を覚え、道端に腰を下ろす。ずっと水を被ったため足のテーピングが取れたのだろう。靴下を脱ぎ、折角のテープを剥いで捨てる。 一旦走り出したものの、まだ違和感。だがシューズの中に手を入れると、原因が分かった。医療用インソールのカバーが水に濡れて剥がれ、丸まっていたのだ。もし乾燥したままならシリコン製のインソールは摩擦熱が生じるが、濡れた靴下を穿いているので行けるはず。そう判断して再びレースに復帰。100kmの道のりでは途中で何が起こるか分からない。だが冷静に対処して前進するしかないのだ。 鉛温泉通過。西鉛温泉も通過。新鉛温泉を過ぎると、ようやく雪よけ用のシェルターが見えて来た。トンネル内では警備員がランナーを護っている。急こう配のトンネルを抜けると、目の前に豊沢ダム。ここは43km辺り。既にフルマラソンの距離は走った。今年走った最高は1月末の「寅さん詣り」の44km。「よし、絶対今年の新記録を作るぞ。そして行けるところまで行こう!」。 ≪ 豊沢ダム ≫ わざわざ右に渡って放水の勇壮な景色を見た。ダムを過ぎると小さなトンネルで、中はひんやりとして気持ちが良い。豊沢湖を左手に見ながら山を登ると、目の前を歩くHさん発見。「頑張って50kmまで行きましょう」。そう励ますが、「もうダメだ」と諦めたような声。これが73歳の彼の最後のウルトラレースになるのだろうか。いずれは私も経験する厳しい現実だ。<続く>
2013.06.13
コメント(6)

≪ 走友達の力走 ≫ 上下スーツ姿のランナーが行く。もちろんネクタイも締めている。金棒を持った赤鬼も、女学生姿の男もいる。きっと仮装するにはよほど完走の自信があるのだろう。運動公園を抜けた4km過ぎ、H夫人を抜いた。苦しそうな表情の彼女は、帯状疱疹が酷いらしい。埼玉の「奥武蔵」(距離75km、高低差900m)や富山の「立山登山マラニック」(距離65km、高低差3003m)でも、一生懸命走る姿を見たが、彼女も私同様岐路に差し掛かっているのだと思う。つまり年齢の壁だ。 道は西行と北上を繰り返しながら、少しずつ北へ向かう。周囲は静かな農村で、応援する人はほとんどいない。明るく澄んだ朝の空に、吹く風が心地良い。Hさんのご主人が抜いて行った。結構なスピードだが、きっと奥様の体調を心配しているはず。若い頃は円谷幸吉選手と共に走ったエリートランナーの彼が、今は老化との戦いに苦戦している。 O川さんが行った。彼は「川の道」520kmを完走した勇者。練習のため盛岡から仙台まで、一睡もしないで200kmを走り通した男だ。「祝賀会に出られないでゴメンね」と言うと、「良いんですよ。それより復活ですね」と彼。「こんな俺が復活?」と思ったが、それが彼の優しさ。口には出さず、有難く心で受け止めた。今日も一番後ろからスタートしたのだろうが、あっと言う間に彼の姿は見えなくなった。 Kさんが来た。彼もO川さんと一緒に今回「川の道」520kmを走り切った男。「仙台国際ハーフでは体が曲がっていたね」と言うと、「今でも曲がっているんですよ」と彼。直前には東京の「柴又100km」も完走している。大した精神力だ。Y田さんが抜いて行った。「73km地点で銀河ビールを飲みましょう」と彼。お金は持っているが、私はそこまで到達出来るかどうか。 大震災による原発事故で故郷へ帰れなくなった彼が、仙台近郊に家を買ったと聞いた。9月には「猪苗代湖一周」(66km)に出場する由。私も出る予定なので楽しみだ。山並み、農家、牛舎、そして広大な田圃。そんな農村風景に心が洗われる。何の目印もない田舎道の所々に、ピンクのタニウツギと真っ白なヤブテマリの花。 ≪ ヤブテマリ ≫ 緑色の帽子とTシャツ姿のS木さんが来た。短い距離しか走っておらず、スピードが出ないと嘆く彼。4月の「かすみがうらマラソン」(フル)では盲人ランナーの伴走を務め、5時間台で完走したと聞いた。「奥さんに公園で応援してもらったよ」とお礼を言い暫く並走。「少し前へ行くよ」と私。病後の私が先に出たことで、彼もスピードを上げる決心がついたようだ。彼は高校の後輩。「何言ってるの、俺より3つも若いくせに」。きっと私の言葉に発奮したのだと思う。 「相当走り込んでますね」。そう言いながら抜いて行ったのはM井さん。Dさんと一緒に前を走っていた彼が、何故こんな所に?と訝ったが、きっとトイレ休憩だったのだろう。「これは草取りのせい」。私がそう答えたのは、露出した肌が焼けているのを見て彼が判断したから。彼も不調な時期があったようだが、今は復調して猛練習を重ねている。 もう後に走友は誰もいないはず。追い抜いて行ったY田さんの話だと、H夫人はその後も体調が悪く、途中で吐いていた由。私と同様、長らくレースから遠ざかっていたため、体力が戻ってないのだ。だが、レースでは誰も助けることは出来ない。苦しくても前進するか、それとも走るのを止めるかを決めるのは自分自身。道端のマーガレットが苦しむランナー達を眺めている。そして頭上には容赦なく照りつける太陽。 ≪ 一面のマーガレット ≫ 11km辺りで左膝と右脚に痛み。練習では13km付近で出る痛みが、今日は少し早めに出た。そして13km過ぎには右股関節に痛み発生。これはピンチ。きっと痛む足を庇ったため、別の個所が痛み出したのだろう。道路の左側ばかり走ると、常に低い右足に負担がかかるのだ。14.7kmの第3AS(エイドステーション)で給水し、バナナを食べ、痛む個所に水をかける。 こんな状態では30km持つかどうか。今日は厳しい戦いになると覚悟。痛みをこらえながら走っていると、18km過ぎに美しいゴルフ場が出現。2年ぶりの懐かしい風景だ。そこから道は下り、20km付近で堂々たる川を渡る。北上川の支流の和賀川だ。橋の上で立ち止り、写真撮影。この川の源流は銀河高原の和賀岳。果たして今日は、あの美しい山容を見られるだろうか。<続く> ≪ 和賀川の橋の上で ≫
2013.06.12
コメント(6)

≪ ああ勘違い!? ≫ レース当日は2時5分前に目覚めた。前日、前夜祭の会場からホテルへ移動し、チェックインの後で買い物に行った。駅前のビルでは、トマト1個、牛乳、カクテル、駅ビルではお握り、サンドイッチとワンタンを買った。エネルギー源としてはまだ不足と感じたためだ。ホテルに戻って大浴場に入り、ナイターを観ながらの夕食。残念ながら楽天が巨人に突き放されたようだが、いつの間にか眠っていた。 9時に一旦目覚め、照明を消して本格的に眠る。クーラーを点けたが、北上の夜は蒸し暑かった。これじゃ沖縄と変わらないなあと感じつつ、5時間半ほど睡眠時間を取れた。2時のモーニングコールの時には、既に起きていた。最初にトイレ。次に両足、両膝にテーピング。だが、右太股分のテープを忘れた。仕方がないので、ハーフタイツの上からエアサロンパスを噴射。何とか頼むぞ、俺の脚よ。 食堂にはHさんが居た。「奥様にもよろしく」と挨拶し、朝食を受け取ってホテルを出る。駅前から乗ったバスは2時半に出発。車中は無言のランナーばかり。きっと不安のせいだろう。15分ほどで北上総合運動公園に到着したが、まだ周囲は真っ暗。例年のことだが、前夜この運動公園に仲間達が泊っている。つまり寝袋持参で、無料と言う訳。全くタフな連中だ。 ≪ まだ真っ暗な競技場 ≫ 先ず出走前のチェックを済ませ、床に座っての朝食。これまではホテルで済ませた朝食だが、スタート時間に近い方がその後の「腹持ち」が良いとの判断だ。M仙人が来た。彼はいつも通り車中泊。他の仲間は会議室で眠れた由。M井さんの姿は遠くから見えたが、他の仲間とは会えず仕舞。「荷物預かりは3時45分までです」との館内放送。「ええ~っ、少し早過ぎじゃないの~」と私。この時点では自分の勘違いに全く気づいていない。 その後2度目のトイレを済ませ、荷物を預ける。ところが選手の姿が少ない。「おかしいなあ」と思ったら、既にスタート地点のサブグランドに移動したみたい。「選手の皆さんは、サブグランドへお急ぎ下さい!!」と繰り返す放送。私はてっきり5時スタートだと思っていたのに、何とスタートは4時。昨年出場しなかったための勘違いだった。 自販機でスポーツドリンクを買い、サブトラックへ向かう。少しずつ夜が明けて来た。外気温は17度で、ランシャツでも寒くない。これで走り出せば、直ぐに汗をかく。スタート前に記念写真。今回は初めてデジカメを持って走る。完走は困難と見て、時計もストップウオッチ機能に変えないまま。まあなるようになるさ。 ≪ 「使用前」の自分 ≫ マイクから夫婦漫才の宮川大助、花子がしゃべる声。「チーム吉本」が駅伝の部で出るため、彼らも招待されたのだ。スタート前に仙台明走会のパナップさんと挨拶。このレースで5回完走すると、ゼッケンナンバーを自由に選べる「GMC」メンバーになれるのだが、「324」は彼に譲ろう。歳はかなり離れているが、2人共3月24日が誕生日なのだ。 4時ジャスト。ランナーが一斉に走り出す。いよいよ100kmマラソンのスタートだ。運動公園内のコースがいつもと少し違う。S木さんの奥さんが私を見つけ「Aさんガンバ!」と声をかけてくれた。今回もご主人の応援に来られたのだ。彼女が闘病生活を送っていることは知っている。「ありがとう!!」。大声でエールに応えて前進。2周目の時に、すっかり明るくなった競技場を撮った。これも何かの記念。<続く> ≪ 夜明けの北上総合運動公園グラウンド ≫
2013.06.11
コメント(8)

≪ 仙人との旅 そして仲間との再会 ≫ 『第9回いわて銀河100kmチャレンジマラソン』はようやく終わった。2年ぶりに参加した今回は、10時間38分走って、73.3kmの第3関門まで行けた。それが限界。制限時間を18分オーバーし、その先に進むことは出来なかった。だが、もし時間に間に合ったとしても、第4関門まで到達するのは無理だったろう。 厳しいコースと照りつける太陽に体力を奪われ、足は既にボロボロだった。しかし、あの体調で良く73kmも走れたものだ。これは我慢と経験のなせる業。最初はレースから遠ざかっていてすっかり感覚を忘れていたのに、厳しい峠道に差し掛かった頃から、私の胸には「ウルトラ魂」がメラメラと燃え上って来た。次の関門を突破しようとするのは、きっとこれまでに培った本能みたいなものだろう。 突然の雨だった。慌てて洗濯ものを取り込み、室内へ干した。それから傘を差して、M仙人との待ち合わせ場所へ急ぐ。今日はM仙人の車で、岩手県北上市の受付会場へ行く。ゼッケンナンバーなど必要なものを受け取り、その後前夜祭に出る積り。私より3年先輩のM仙人は、あまり遅いので心配していたようだ。だが温厚な彼の怒った顔を観たことはない。 ≪ M仙人 ≫ 彼は70歳を過ぎてから「エベレストマラソン」に挑戦した超人。5月に私も走った「仙台国際ハーフ」の後、彼は「富士山1周100kmウルトラ」と「吾妻スカイライン」(今回は62kmに短縮)を走破している。並みのランナーではないのだ。その彼と、レースの話や仲間の消息について情報交換する。宮城県北部から岩手県南部にかけてにわか雨。高速道脇の気温は27度の表示。 会場の「北上勤労者体育センター」で受付し、ゼッケンナンバーなどを受け取る。これがないと明日は走れない。秋田のDさん、新潟のSさんなど仲間の姿を発見し挨拶。その後、前夜祭のある体育館に移動。ここにM仙人、私、S木さん、M井さん、Dさん、Y田さん、S村夫妻、T野さん、S水さんら走友会の仲間とH夫妻など宮城UMC仲間12名が勢ぞろい。 開会式の後、各自缶ビールと折詰をもらって、一気に飲み会に突入。明日のレースの心配などどこ吹く風で、大いに食べ、大いに飲む。何しろ岩手の銘酒がどれも飲み放題なのだ。食べ物をどんどん運んでくれるH夫人に、「仙台国際ハーフ」で応援してもらったお礼を言う。ご主人のHさんはウルトラ最後のレースにこの「いわて銀河」を選んだ由。彼女自身も体調が思わしくない中で出場を決めたようだ。 その気持ちがとても良く分かる。いかに凄いランナーでも、いつかは歳をとって思うように走れなくなる。実際私自身がその良い例だ。頭の中には「まだやれる」との幻想が残っているのだが、実際レースに出ると、思うように脚が動かないのだ。選手宣誓は9回連続出場のT田さんだった。彼も宮城UMCの仲間。最前列に行って撮った写真を載せておこう。ついでに酔っ払った私の姿も。仲間の写真は数が多いため、割愛させていただいたので悪しからず。<続く> ≪ T田さんは年間30レースほどに出場している猛者 ≫ ≪ 前夜祭会場と酔っ払った赤鬼 ≫
2013.06.10
コメント(10)

≪ 『いわて銀河』速報 ≫ 留守中にたくさんのコメントやエールをお寄せいただき、どうもありがとうございます。お陰様で、怪我もなく無事レースを終え、帰宅することが出来ました。結果は第3関門(73.3km地点)で、制限時間オーバーのため、途中リタイヤになりました。体調があまり良くなく、練習不十分の割には良くそこまで走れたと思っています。最後の最後まで頑張ることが出来、心から満足しています。「リタイヤ記」は明日から書き始める予定です。どうぞ最後までお付き合い頂けると嬉しいです。先ずは走った「証拠」に、『認定書』を張りつけておきますね~。
2013.06.09
コメント(6)

≪ いざ『いわて銀河』へ ≫ 前回は沖縄へ旅行する前日まで、『仙台国際ハーフ』の完走記を書いていたが、今回はその逆パターン。『いわて銀河』へ出かける前日まで、沖縄旅行記を長々と書いた。体調はあまり良くない。4月末から5月初めの連休で傷めた膝の回復が思わしくないのだ。昨年は2度の不整脈手術を受けた。その結果かなり体調は戻ったが、ウルトラマラソンを走れる体力と走力はまだ戻らないままだ。 老化の影響が大きいようだ。トレーニングのお陰で心肺機能の心配はなくなったが、筋力が戻らず、無理をすればどこかを傷めてしまう可能性が高い。でも、こんな時は考え方を変えるのが大事。今回は(も?)行けるところまで行くのが正解だろう。 『いわて銀河』への参加は、昨年の暮れに決めた。まだ練習を再開して4カ月しか経ってない時期。そしてレースからは1年3カ月も遠ざかっていた。6月のレースまで半年もあるのに、一体なぜ?と思うかも知れない。それは「アーリーエントリー制度」のため。年末までにエントリーすると、レース後2千円のキャッシュバックがある。たとえ完走出来なくてもだ。 なぜそんな状態で100kmの部なのか。一つは料金が50kmの部(1万2千円)と変わらないため。つまりキャッシュバックを考えれば一緒なのだ。二つ目の理由は、50kmの部のスタート地点まで行くのが不便と感じたせい。これまで参加した6回は全て100kmの部なので、その方が慣れているのだ。そして、果たして半年先に100kmを走れる体力が回復するかも分からないのに申し込むのは、自分の「夢」。「ひょっとして俺はまだ100kmを走れるのではないか」との幻想だ。 50kmの部は峠越えがない分楽だし、きっと完走出来ると思う。来年参加する場合は50kmの部。その方が楽しい年齢になった。だが今回は、あの厳しい峠越えに挑戦する。今の体調、今の走力でどこまで行けるかを試してみるのだ。でも無理は禁物。今後に響くようなことをすれば、予定がすっかり狂ってしまう。 目下の予定は以下の通り。6月下旬『みちのくラン』は、30kmのマラニック。7月下旬の『チャリティラン』はフリータイムの部に参加予定で、30km~40kmは走るだろう。同じく7月下旬の所属走友会の合宿では、30kmくらいは走ると思う。8月初旬の『薬莱山とお足』は55kmのマラニック。9月の『猪苗代湖一周』は65kmのウルトラレース。 10月の『大阪マラソン』(フル)は目下抽選待ちだが、外れる公算が強い。そのため『浜名湖一周』(100km)に参加申請中。こちらも選考待ちだが、行けそうな気がする。11月の『神戸マラソン』(フル)も抽選待ちだが、今年は何とか参加したい。こんな風に予定レースがぎっしり入っているため、一番怖いのが怪我。怪我が長引けば、折角の高いエントリー料金が無駄になってしまう。 はっきり言って練習は不十分。長期間疲労と痛みがあったためだ。ここ1カ月以内に一番長く走ったのが21kmでは、レース本番だとせいぜい50kmがやっと。それでも傷んでいる両膝が途中で悲鳴を上げるはず。それを少しでも補強するためテーピングをし、サポート機能のあるハーフタイツを穿く。当日の最高気温は27度か28度。今年はまだそんな気温の中で走ったことはなく、その点でも苦戦は免れない。 過酷なレースに備えて、サングラスを新調した。これはポイントが残っていたため、「ただ」で買えてラッキーだった。発汗を助けるために散髪も済ませた。シューズをネットで買ったが、これは軽過ぎた。スピードの出るハーフマラソンには良いが、ウルトラ向きではなかった。登りは良いが、下りで足や膝を傷める可能性が高い。私は「走らないよう」整形外科医からドクターストップを食ってる身なのだ。 ≪ 軽過ぎたニューシューズ ≫ 出来れば40kmは走りたいし、慾を言えば峠を登り切って50km地点までは到達したい。だが、66km地点の「レストハウス」には荷物を預けない。きっと今回そこまで辿り着くのは無理のはず。でも俺はオレンジ色のランニングシャツと帽子を被る。それは「宮城ウルトラマラソンチャレンジクラブ」のユニフォーム。大勢の仲間と一緒に、この色で走りたい。たとえ途中リタイヤでも、気持ちだけは仲間と共に前進する積りだ。<続く> では皆さん行って来ま~す!! 帰宅は明日の夜遅く。それまで留守しますがよろしくね~♪ (おまけ)そうそう、こんな写真も買いました。『仙台国際ハーフ』の時にプロが撮ったものです。さすがに迫力が違いますね。レース中、私はこんな苦しそうな表情をしていました。それだけレースが過酷だったことの証明です。ついでにゴール時のものも掲載しましょうかね。 ≪ 『仙台国際ハーフ』での勇姿? ≫
2013.06.08
コメント(16)

≪ 八重山のビーチ編 ≫ 5月17日から20日まで、沖縄の八重山地方を旅しました。現地は既に梅雨時で、あまり天気が良くなかったのですが、幸いにして降られることはありませんでした。「フォト紀行」最終回の今日は、八重山のビーチを幾つか紹介します。もし晴れていたら、もっと海の色が美しかったと思います。それでも南国らしい雰囲気を少しでも味わっていただけたら幸いです。 最初は波照間島のニシ浜ビーチです。この日は晴れていたため、浜辺の白い砂のせいで、海の色が鮮やかですね。多分本土から来た人でしょうが、泳いでいる親子がいました。集落からここまで、自転車に乗ってやって来たみたいです。 次の2枚は西表島のビーチです。上が翌朝のランで走りに行った星砂ビーチ。下がホテルの裏側にあるトドマリ浜ですが、朝は曇天だったのが残念です。 ≪ 西表島星砂ビーチ ≫ ≪ 西表島トドマリ浜 ≫ これは小浜島で泊ったホテルのプライベートビーチです。もう夕方でしたが、砂の白さが目立ちますね。海の向こうに微かに見えるのが石垣島です。写真がピンボケで済みませ~ん!! 最終日。石垣島の川平湾のビーチです。海の色は太陽の出方一つで千変万化します。湾内では真珠の養殖をしています。きっとそれだけ水質が良いのでしょうね。今回はどの写真にもリーフ(サンゴ礁)に立つ白波が写っていません。リーフの内側は浅いためエメラルドグリーンに映え、リーフの外側は急に深くなっているため濃い群青色をしています。その対比の美しさが、沖縄の海の特徴です。 フォトシリーズは今回で終わります。本編11回。続編6回の連載でした。明日はマラソンに出かけますが、ブログは更新します。そのレポートを書いた後に、補遺編『写真で見る沖縄・八重山の歴史と宗教』2回分の掲載を予定しています。こちらもどうぞお楽しみに~。長い長~い連載に最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました~!!<完>
2013.06.07
コメント(10)

≪ 八重山の美しい花々 その2 ≫ 以下は由布島で観た花です。 以下は西表島で観た花です。 夾竹桃(キョウチクトウ)に似ていますが、とても良い香りがします。 咲き終えると紫色の小さな実をつけます。 以下は竹富島で観た花です。 ブーゲンビレアです。 アマリリスに似ています。 以下は小浜島で観た花です。 コリンスみたいです。 ハイビスカスです。 スイレンです。 以下は石垣島で観た花です。 花の写真はこれで終わります。明日は八重山の島々のビーチを紹介します。<続く>
2013.06.06
コメント(8)

≪ 八重山の美しい花々 その1 ≫ 昨夜はザック・ジャパンがオーストラリアと1対1で引き分け、5回連続でのワールドカップ出場を決めました。最後のPKはどうなるかと心配でしたが、本田が見事に決めてくれましたね。ザック・ジャパン、お疲れ様でした。そして、おめでとうございます。 さて、今回の沖縄・八重山地方の旅では、たくさんの写真を撮りました。その中でも多かったのが花々でした。そのうち幾つかは本編の旅日記で紹介しましたが、今日と明日はその残りを全て載せます。ただし名前が分からない花が大部分です。美しい花には、きっと私の解説など必要ないでしょう。では、早速ご覧くださいね。 1) 波照間島で最初に観たグンバイヒルガオです。 2) 波照間島のハマユウです。 3) 波照間島のリュウキュウアザミです。葉っぱのギザギザがかなり鋭い感じがします。以下はすべて由布島の花ですが、名前は分かりません。南国の花々をお楽しみくださいね。4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) 11) 12) 13) 14) 15) 八重山の花々は、さらに明日も続きます。<続く>
2013.06.05
コメント(4)

≪ 装飾編 ≫ 今日は今回の旅で観た沖縄らしい装飾や、異国風の装飾を紹介します。 1) 石垣島のホテルの泡盛の甕(かめ)です。千円の飲み放題でしたが、私は2杯で十分でした。泡盛はやはり現地で飲むのが一番美味しいですね。温度、湿度、沖縄の風土、そして石灰岩を通じた硬水が美味しさの秘密でしょうか。因みに、本土の洗剤をそのまま沖縄で使っても泡が出ません。硬水の沖縄では、改良された独自の洗剤が必要なのです。 2) 西表島のホテルのロビーにあったシーサーです。シーサーは中国から渡って来たもので、元々はライオンなのでしょう。ご存知のように沖縄では家の守り神として、屋根の上、門柱の上、玄関などに飾ります。大抵は焼き物で作りますが、色んな表情をしたシーサーは見ていても飽きませんね。 3) 西表島のレストランにあった装飾品です。ここにも泡盛の甕がありますね。そして三線(サンシン)も。この三線は沖縄の民謡には欠かせない楽器で、共鳴板としてニシキヘビの皮を張っています。楽譜は工工四(クンクンシー)と呼ばれる沖縄独自の物で、旋律は「横書き」ではなく「縦書き」し、歌詞も載っています。 4)~7) いずれも竹富島で観たシーサーです。家並保存が守られている竹富島。南国の空には赤瓦の屋根が良く似合います。その屋根の上で、にらみを利かしているシーサーですが、どことなく愛嬌がありますね。私の想像ですが、これらのシーサーは「観光用」ではないでしょうか。理由はあまりにも奇抜過ぎること。芸術品そのものですものね。 8)~10) これらは小浜島のリゾートホテルの構内で見かけた装飾品です。恐らくは異国情緒を出すために、インドネシア辺りの石像をモデルにしたのでしょう。こんな「石像」が建物ごとに飾られていると、何とも不思議な気持ちになりますよ。でも良く見ると、コンクリートが剥がれ出した粗悪な造り。やっぱり現地で「本物」を観るのが一番でしょうね。<続く>
2013.06.04
コメント(8)

≪ 動物編 ≫ 植物編は写真も「本物」が多かったのですが、動物編ははっきり言って「しょぼい」です。例えて言えば赤い色を塗った「大板」を、「大イタチ」などと称して客を呼び込んだ昔の「見せ物」みたいかも。それでも八重山地方の動物を何とか紹介したいとの思いが、少しでも伝われば幸いです。では早速ご覧いただきましょう。 1) 沖縄近海に生息する色鮮やかな魚達です。由布島の資料室にあった標本を撮りました。 2)、3) いずれも由布島で撮影した水牛です。上の水牛は若くて力がないため、まだ車を引っ張る仕事は出来ません。下の写真は水浴びをしている水牛達です。動くと直ぐに体温が上がる水牛は、時々水中に身を沈めて、体温を下げる必要があるそうです。 4) 由布島で撮ったリクガニです。こんな風に、陸地の樹木の根元に穴を掘って住処にしています。多分これと同じ種類でしょうが、西表島のホテルの廊下をカニが歩いていたのには驚きました。 5) 同じく由布島の資料室で見たヤシガニの標本です。このヤシガニはとても巨大で、熟れたアダンの実が大好物です。「カニ」とついても実際はヤドカリの仲間で、挟まれたら指が切れるほど強力な「ハサミ」を持っています。因みに味は最高級みたいですよ。 6) 由布島の温室でで育てているオオゴマダラで、日本最大の蝶々です。色はさほど鮮やかではないですが、迫力が全然違いますね。 7) 木の枝にぶら下がって金色に光っているのは、オオゴマダラのさなぎです。蝶々もさなぎも今回初めて見ましたが、特にさなぎの妖しい美しさには驚きました。 8)西表島のホテルロビーに張ってあった、イリオモテヤマネコの写真です。全島で100匹しか生息していない貴重な動物を、私達が実際に見ることはなかなか不可能。このネコは数千万年以上もこの島に住みついているため、DNA的には全頭が親戚関係みたいです。集団でイノシシの成獣を襲って食べる、原始的で逞しいネコです。 9) 西表島の大原港で見かけたタクシーです。どこが動物ですって~? ドアをご覧ください。ちゃんと名前が書いてありますから。本土なら笑える名前でも、この島で実際に乗ったら楽しいかもね。 10) これは西表島のホテル周辺の道路で見た「ミナミトビハゼ」のモニュメント。沖縄本島では「トントンミー」と呼ばれている干潟に棲む魚です。有明海の干潟に棲む「ムツゴロウ」の親戚と言ったら良く分かるでしょうか。なかなかの愛嬌者です。 11) これは小浜島のホテル構内で見た看板。ハブは夜行性で猛毒のヘビ。もし誤って噛まれたら30分以内に手当をしないと死にます。また手当が遅れた場合は、神経毒のために噛まれた周囲の筋肉が大量に壊死(えし)します。かつての造山活動で何度か海に沈んだ、高さが100m以下の低島ではハブがいないと言うのが通説ですが、100m以下の小浜島や標高の最高が15mしかない竹富島にもハブがいるとの話。多分石垣島や西表島から泳いで来たのでしょう。 私は3年間沖縄で暮らしましたが、幸い死んだハブに2回出会っただけで、本物のハブに遭遇したことはありません。お墓、城(グスク)跡、御嶽(うたき)のある山などを訪ねる際は、必ず長靴を履き、手に長い棒を持って行きました。ハブは日中湿った場所に潜んでおり、敵が近づくと頭部にある「装置」でその距離を測り、飛びかかって来ます。体長の6割くらいジャンプすると言われています。 何年か前に恩納村の豚小屋で、体長2.5mのハブが捕まったそうです。ハブはネズミが大好物。ブタの餌を食べに来るネズミを捕えるハブは、こんなに役立っているのに何故か嫌われ者です。同じようにサトウキビの根を齧りに来るノネズミ(ビージャー)もハブの大好物。夜のサトウキビ畑には、絶対に近づかない方が良いですよ~。 12) 小浜島での早朝ランで出会ったヤギの親子です。母親はロープで繋がれていましたが、2匹の子ヤギは自由の身でした。暗がりから3頭のヤギがムックリ起き上がった時は驚きましたよ。ヤギの乳は少し生臭いようですが濃厚みたいです。彼らはやがて島民のご馳走になる運命です。親子揃ってのんびり過ごせるのも後数年でしょうか。波照間島のヤギ肉の品質が良いのは、潮風に吹かれた草を食べるから。きっと草には、ミネラル分が多いのでしょうね。 13) 同じく小浜島での早朝ランで出会った牛です。八重山の和牛は子牛の時に売られ、やがて「松阪牛」や「神戸牛」になると聞きました。この牛のお陰で、私は道に迷ったことに気づいたのです。牛さん、どうもありがとうね。八重山では島民の人口より、牛やヤギの頭数が多い島が圧倒的みたいですよ。<続く>
2013.06.03
コメント(6)

≪ 植生編 ≫ 5月17日から3泊4日で旅した沖縄の八重山地方。その旅日記を11回に亘って書きましたが、このシリーズではまだ未公開の写真を中心にして、テーマ毎に紹介します。第1回は植生編。八重山の不思議な植物を、どうぞご覧ください。 1) これは波照間島の<ハマシタン>。天然記念物に指定されているそうです。島の運転手さんは、盆栽用に良いと言っていましたが、はたして天然記念物を盆栽に出来るのでしょうか。 2) これは由布島で見かけた<ナツメヤシ>。たくさんついているのが実です。 3) 一見パイナップルのようなこの実は、西表島で見た<アダン>。熟すと甘い香りがし、この実が大好きなヤシガニが登って食べます。いかにも南国らしい植物の代表。 4) 沖縄ではどこにでもあるのがこの樹、<ガジュマル>です。樹が成長すると、幹からヒゲのような根が延びます。その気根(きこん)で呼吸をします。気根が地中に着いて太くなったのが支柱根(しちゅうこん)。これが幹と複雑に絡み合って、台風から身を護るのです。大きなガジュマルは、昔からウチナンチュの祈りの対象。沖縄本島の名護市には「ヒンプンガジュマル」と呼ばれる高さ25mもの巨木が繁華街の中心に生えており、キジムナーと呼ばれる小人が棲んでいるとの伝説があります。 5) 沖縄ならどこでも見られるサトイモに良く似た<クワズイモ>を、西表島でパチリ。これは名前のように毒があるため食べられませんが、本土では観葉植物として売られています。 6) 西表島で見かけた<トックリヤシ>で、まるでお酒を温める徳利(とっくり)みたいな形をしています。ヤシの他にも、似たような形をした<インドトックリワタノキ>と言う樹もあります。 7) これはバナナではなく<イトバショウ>。西表島で見かけました。イトバショウは専ら繊維を採るために育てます。この糸で織ったのが芭蕉布。とても涼しく夏向きの布ですが、今では織る人が少ないため、高級品になっています。 8) そしてこれが<イトバショウ>の花です。バナナの花とそっくりですが、美味しい実がなるバナナに対して、イトバショウは残念ながら花が咲いても実は生りません。 9) これは西表島船浮湾の奥にある「水落の滝」で見た<マングローブの根>です。いかにもタコの足みたいですが、小さな魚達はこの根の中に身を隠し、敵の襲撃を避けるのです。ガザミ(カニの仲間)もこの根が好きで、簡単に獲ることが出来るとか。 10) 西表島トドマリ浜に出る浜辺の道で、生えているのが<モクマオウ>(木麻黄)です。この樹は一見するととても弱そうなのですが、そのしなやかさで台風から身を守っています。 11) 石垣島川平湾の公園内で見かけた<ソテツ>です。ちょっとした岩とそこに根を張った植物。こんな風景が沖縄のどこででも見られます。 12) これは石垣島川平集落の外れにある「宮鳥御嶽」の森です。鬱蒼と茂った森は神々しさに溢れ、一瞬入るのを躊躇います。本土だったらさしずめ「鎮守の森」。植生は違っていても、きっと日本人が神聖と感じる場所は共通なのでしょう。 13) 石垣空港で見かけた<サキシマスオウノキ>の板根(ばんこん)の写真です。この地面に直角に食い込んだ板根が、台風から身を護るための備え。自然の状況が厳しい沖縄・八重山地方では、植物達も生存するために必死。色んな風に進化して行くのです。<続く>< 5月のラン&ウォーク > ラン回数:12回 ラン距離:159km ウォーク:93km 月間合計:252km 年間累計:1269km うちラン:835km これまでの累計:82185km
2013.06.02
コメント(6)

このところ仙台は曇り空が増えました。きっと梅雨も近いのでしょう。結構気温も上がって来たため、野菜の成長がとても早いようです。今日はそんな我が家の小さな畑を紹介しますね。 ≪ 4月21日 雪の畑 ≫ 4月21日の畑には、時ならぬ雪が積っていました。折角植えた野菜の苗も、これでは凍えてしまいます。それが5月26日になると、こんな風に変化しています。 ≪ 5月26日の畑 ≫ まるで様子が違ってますね。では、一つ一つの野菜の様子を見てみましょう。 ≪ 絹サヤエンドウ ≫ 絹サヤエンドウは、結構背が伸びて花が咲いています。当然支柱を施していますが、それでも外へはみ出すため、ビニール紐で囲う必要があります。絹サヤエンドウの茎はとても弱く、無理やり囲いの中に押し込もうとすると、ポッキリ折れてしまいます。今は小さなサヤを付け始めています。もう直ぐ収穫出来るのが楽しみです。 ≪ トマト ≫ トマトは大きくなると実をつけて重くなり、風の影響を受けやすいため、ガッチリした支柱が必要です。実を大きくするために、下から5段目くらいまでの脇芽は全て摘み取ります。これまではせっせと水をやっていましたが、梅雨に入って雨が多くなると、むしろ大量の水は「根腐り病」の元。このため、私はビニール傘を数本立てています。成長し切った苗だと、水やりは時々で十分。その方が甘い実になります。 ≪ 茎が倒れた玉ネギ ≫ 玉ネギの苗が倒れています。でもこれは、収穫の時期が近づいた証拠。昨年の10月半ば、この畝に100本の苗を植えました。それから約8カ月後が収穫です。冬の間はじっと寒さに耐えていた玉ネギ。中には霜柱のせいで根が浮き、枯れてしまった苗もあります。そんな時期を乗り切って、今は少しずつ球が太って来ています。今月末に苗を全て抜き、その後はモロッコインゲンの種を播く予定。我が家の畑はフル活用です。 ≪ ジャガイモ(男爵) ≫ これは3月半ばに植えたジャガイモ。品種は男爵です。植えた時は直径5cmほどの小さな種芋。それを半分に切って、枯れ草を燃やして作った「灰」をその表面につけました。消毒と栄養のためです。そんな小さな種芋が、今はまるで「林」みたいに茂っています。1個の種芋から延ばす茎は2本までに間引き。全部残すと茎に栄養分が吸い取られ、芋が大きくならないためです。 ≪ 縮み菜 ≫ 中国産の縮み菜は、まるで小松菜みたいです。余った種を播いたのですが、これまでで一番成績が良かったかも。今は間引きをしながらせっせと食べています。お浸し、味噌汁の実としてとても重宝です。 ≪ 大根 ≫ 大根も余った種を点播きにしました。成長したのは嬉しいのですが、残念ながら「とう」が立って来ました。冬用の種を春に蒔くと、しばしばこんなことが起きます。トウは千切って味噌汁の実や、漬けものに使います。果たして大根に育つかどうか。 ≪ サンチェ ≫ 一見レタスのようですが、これはサンチェと言う野菜。連休前に拡張した畝の部分に、お向かいさんからいただいた苗を植えたのが、今こんな風に成長しています。毎日外側の葉っぱを4、5枚千切ります。肉に巻いて食べるのが一番美味しい食べ方ですが、とても柔らかいためサラダにも重宝です。 ≪ ゴーヤ ≫ ゴーヤとナスの最初の苗は植えるのが少し早く、遅霜にやられてしまいました。寒さですっかり弱った葉を、今度はテントウ虫が食べに来ます。このままではダメだと考え、ゴーヤ2本とナス5本を新たに買いました。今は弱った方も何とか育っています。既にネットも張りました。4本のゴーヤの苗から、果たしてどれだけ収穫出来るかなあ。 ≪ 発芽したキュウリ ≫ キュウリの種を畑に蒔いたのはまだ3月中。今年は予想外に寒い日が続き、5月の連休になっても発芽しませんでした。失敗したと思い、改めてポットに種を蒔いたのがこれです。ところが、直蒔きの種もようやく発芽し、今はどちらも順調に育っています。ネットも既に張り、かなり収穫が期待出来そうです。 ≪ 梅の実 ≫ 今、梅の木には青梅が鈴生りです。この梅の実が育つ頃がまさに「入梅」。昨年はわずか50個ほどしか実らず、全て「梅干し」にしました。カリカリとしたとても美味しい梅干しです。今年は梅干しの他に「梅酢」も作る予定。梅は健康に良いですね。特に夏バテした体を、回復するパワーが凄いです。 この他、ミニトマト、ナス、シシトウ、ピーマン、パプリカ、パセリ、アシタバ、三つ葉、ニラなどの成長も順調で嬉しいです。でも柿は、昨年暮れの剪定が甘かったようで、実は少ない感じ。何事も失敗を積み重ねた上に成功があります。まさに「失敗は成功のもと」ですね。日々、小さな畑からそんなことを学んでいる私です。
2013.06.01
コメント(4)
全30件 (30件中 1-30件目)
1