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≪ 冒険の走り旅(1)≫ トイレは済ませた。薬も飲んだし、気になるドラマ「純と愛」も観た。クラス会は前夜のうちに「流れ解散」し、ゴルフ組や遠方から来た友は既にホテルを去っている。恩師の部屋を訪ね、これから走って帰ると挨拶。「近くなんだから、たまには奥さんと一緒に遊びに来いよ」と恩師。彼は私達夫婦の仲人でもある。それには直接答えず、「先生も体に注意してお過ごし下さいね」と別れる。手術後は少し弱気になった恩師が、何だか気がかりだ。 ホテルを1歩出た途端に冷気。半袖、ハーフタイツでは少し寒いくらい。軽く体操をしている私を、2人の級友が見つめている。1人は千葉の佐倉市へ帰るS木。陸上の選手だった彼は、今でも走ることに関心があるようだ。山形の鶴岡市に帰るS藤は、高校当時から老け顔。「そのうち六十里越えに挑戦してみたら」と彼。そこは夏まで深い雪が残る月山の中腹を通るとても厳しい峠道で、確かにそこを走るのは私の長年の夢でもあった。 手を振る2人を見ながら、いよいよスタート。眼下には小さな島々が浮かんでいる。その海を眺めながら、国道まで一気に下る。そこから仙台とは逆方向の北に向かう。国道45号には歩道がない個所があり、かつ交通量が多いことは、自宅から石巻市までの夜間走(約60km)で経験済み。その危険を避け、今日は初めての道を走るのだ。 JR松島海岸駅手前で左折し、県道144号線へ。いきなりの上り坂だ。まだ酔いが残る老人にはきつ過ぎる。リュックの重さは3kgほど。今年は宮城県気仙沼市から岩手県一関市までの50km、宮城県大崎市から山形県大石田町までの62.5km、そして自宅から福島県相馬市までの63.5kmの峠越えを計画中で、リュックを背負ってのランに慣れる必要があった。 ここは数年前の「みちのくラン」で少しだけ走った。途中から左に入ると「西行戻り松公園」がある。漂泊の歌人西行法師は生涯に2度奥州平泉を訪れているが、ここ松島山中の起伏が激しいため、戻って舟に乗ったとの伝説がある。だが北面の武士であった西行が、この程度の山など越せないはずがない。 そう言えばホテルの裏側は判官山。もちろん兄頼朝の追手から逃げて、平泉の藤原氏を頼った九郎判官義経が由来だ。この伝説も真偽のほどは不明。観光客を呼ぶため、後世になって作った伝説が結構多いのだ。いきなりの登りと寒さで、酔いはとっくに醒めている。気温は5度ほどだが、頭や額から汗が滴り落ちる。 小さな峠を越え、三陸道の下を潜り抜けると県道8号線。ここから左折して南下する。三陸道とほぼ並行するこの道は、交通量が驚くほど多い。だが、歩道が整備されて心配はなさそう。丘の上にぽつぽつと梨農園が見える。ここ利府町の町長は高校1年時の同級生で、確か6期連続当選のはず。道の両側には幾つもの梨の直販所。ここは昔からの梨の産地なのだ。 腹具合がどうもおかしい。今朝の寒さで冷えたのだろう。さて、どこまで我慢出来るかが問題だ。役場前を無事通過。東北新幹線の車両基地を横目で眺めながら走って行くと、橋のたもとに「砂押川」の標識。これは多賀城市へと流れる川。仙台市が近いこの辺りはすっかりベッドタウン化し、映画館まであった。 途中から旧道に入る。利府町を抜けると仙台市の宮城野区。11時過ぎ、岩切の八坂神社で最初の休憩。境内には冠川神社の小社。これが塩竃神社境内にある志波彦神社の本宮だ。冠(かむり)は本来神降り(かみおり)だった由。冠川は七北田川の中世時代の呼称で、当時はここまで舟が上り、常設の市が開かれていた。さらに古代は国府多賀城へと向かう交通の要衝地。この付近に多い「しわ」の地名は「諏訪」と関係はないのだろうか。<続く> ≪ おひさまありがとう♪ ≫ クリスマスローズ
2013.03.31
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≪ 戦士達の宴 ≫ 古稀を祝うと言っても、70歳に達したのはまだ数人。彼らは高校に入るのに浪人した連中で、大部分は今年中に70歳になり、早生まれの人はようやく69歳になったばかりなのだ。このクラスは3年生で、当時は55名。そのうち8名が物故者となり、住所不明が6名。明らかな生存者41名のうち、今回は22名が参加した訳だ。 クラスには銀行員、保険会社社員、教師、公務員になった者が多く、話を聞くと、肺がん、前立腺がん、脳梗塞、脳出血、不整脈などで苦しんでいた。戦争のさ中に生まれ、戦後の物の乏しい時期に少年時代を過ごした私達は、好景気も不景気も味わった。ほとんどの級友は企業戦士として、厳しく生き抜いて来た。その結果がきっと死や病気に繋がったのだと思う。 私は挨拶で昨年2度不整脈の手術を受けたが回復し、明日は自宅まで走って帰る予定と話した。だが、本気にした人は少なかったようだ。70近い老人が宴会の翌日に30km以上も走るなど、信じられないのが当然。まして走った距離が既に地球2周分に達したことなどは。ホテルの女将が日本酒を手に挨拶に来た。彼女は級友の妹で、料金も安くしてくれたようだ。 2次会はカラオケ。ここでも大いに酒を飲み、大いに歌った。70年の人生をかけた歌声はさすがに重みが違う。級友が過ごした歳月は、果たしてどんなものだったのだろう。カラオケルームには、クラス会に先立って撮った記念写真が届いていた。かつては紅顔の美少年も今ではただの老人。部屋に戻ってからもまだ飲み続けた私達だった。 翌朝の目覚めは5時前。眠ったのは5時間半ぐらいか。朝風呂へ向かい露天風呂へ入ると、低い雲の隙間から真っ赤な朝日がわずかに見えた。まだ酔っているのが自分でも分かる。部屋へ戻って走る服装に着替え、その上にズボンとセーター。朝食は極力バランスの良い食べ物を選んだ。最後に牛乳2杯とトマトジュース。これで体調が戻ると嬉しいのだが。<続く> ≪ もっと背が伸びたいな ≫
2013.03.30
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≪ 座禅と恩師の近況 ≫ 道場名の陽徳院は愛姫の院号のはず。玄関に雲水姿の青年僧が伏せている。私達を歓迎するにしては不自然な姿だ。座禅と法話が終わってからお寺の方に聞くと、若い僧は入門を願い出た人なのだとか。許可が下りるまでの間は、寒さに耐えながらあんな姿で玄関で待っていたのだ。帰りには姿が見えなかったのは、首尾良く入門を許されたのだろうか。 玄関で靴を脱ぎ、素足になる。既にここから修行が始まる。冷え切った廊下が続き、事前にトイレを済ます。これから約1時間、冷気に耐えるのだ。修行堂で座禅の作法を聞く。20分を2回繰り返し、開始と終了の合図は拍子木と鉦(かね)で行うこと。座禅の間の姿勢と心得、そして警策(けいさく:背中を叩いてもらう木の棒)を受ける際の注意などの説明。 警策を受ける際の姿勢は、級友の住職が模範を見せてくれた。いよいよ座禅の開始。目は閉じず前方の「かまち」周辺を観る。心の中で1から10まで何度も繰り返して数字を数えると自然に腹式呼吸となり、無心の境地に達する。時々聞こえるのは松風とカラスの鳴き声だけ。目の前を何度も警策を持った僧が往復する。 誰かが警策を受けたようだ。1回目の座禅中は勇気がなかった私だが、1度は経験したい。2度目の座禅に入って間もなく、近づく僧に手を合わせる。それが警策を受けたい時の合図。手を組み、体を前に倒す。最初は右肩を2回、次いで左肩を2回叩かれる。初心者に対しては通常より軽めに叩くと言われていたが、清々しくて気持ちが良かった。 座禅後は老師の法話を拝聴。禅宗の世界観、仏陀の悟りと弟子への説教の話など示唆に富んだ内容だった。玄関に戻り、車に分乗してホテルへ向かう。私はDの車に乗せてもらった。彼はお笑い芸人サンドイッチマンの父親。高校時代は合唱部で、大学卒業後は銀行に勤め、幾つか支店長をした男。高校時代に彼から教わった歌は、今でも良く覚えている。 ホテルは松島を見降ろす高台の上。割り振られた部屋は海側の5階で、たくさんの島々が眼下に望めた。まさに絶景だ。島の少ない塩竃市はあの大震災の津波で大きな被害を受けたが、ここ松島町は無数の島々が津波の緩衝材となり、ほとんど被害を受けなかった。早速大浴場へ行くと、露天風呂に外国人の子供が大勢珍しそうに入っていた。 6時15分、宴会場でクラス会が始まった。最初に幹事から恩師の近況報告。なんと82歳の恩師は心筋梗塞で手術を受け、4日前に退院したばかりとのこと。それでもわざわざ我々の古稀を祝って駆けつけてくれたのだ。恩師の挨拶、クラス会会長の挨拶に続き、8名の物故者の冥福を祈って黙祷し、M山住職の乾杯の音頭で懇親会へ。酔いが進むと51年間の空白を埋める思い出話や体調の話などで盛り上がり、アルコールのピッチが一気に早まった。<続く> ≪ 今年も一番乗りはわたし ≫
2013.03.29
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≪ 瑞巌寺へと急ぐ ≫ JR仙石線の松島海岸駅で下車すると、駅前に矢本行きの代行バスが待っていた。2年前の大震災で、東北地方では各所で線路が被害に遭い、今も数か所で不通になっている。仙台から石巻まで海の傍を走る仙石線もその例外ではなく、線路をより安全な内陸部へ移動する案で工事することが決まった。代行バスはそれまでの臨時的な措置なのだ。 瑞巌(ずいがん)寺へと急ぐ。その一角が高校時代のクラス会の集合場所。冬の間は閑散としていた松島にも、少しずつ観光客が戻って来たような感じ。近道は知ってるが、寺の正面へと向かう。洞窟群が地震で崩壊してないかを確かめるためだ。奈良時代創建の寺は本来天台宗で寺域も広く、洞窟に籠って修行する僧が多かったと聞く。 鎌倉以降は禅宗の臨済宗に宗旨替えし、特に仙台藩主である伊達政宗の庇護を受けると、寺でありながら城の役割をも兼ねるようになる。本堂の一段高い場所は、藩主しか立ち入ることが出来ず、その裏側には警護の武士が詰める「武者隠し」がある。一般の台所に当たる庫裡(くり)は国宝。また境内の高い杉の梢には、セッコクと言うランの仲間が根付いている。極めて珍しいことらしく、確か天然記念物指定だったはず。 洞窟にはほとんど被害がなく、岩に彫られた仏像なども無事。それを確認した後、陽徳院へと急ぐ。集合時間には何とか間に合った。誰かが向こうに立っている。近づくとM山。彼は瑞巌寺の付属寺院である天麟院の住職だ。彼の寺には政宗と正室である愛姫(めごひめ)の間に生まれた五郎八(いろは)姫の御霊屋がある。 15年目にして初めて生まれた子供が女子。男子誕生を待ち望んでいた政宗はそのまま五郎八と名づけた由。五郎八姫は徳川家康の七男である松平忠輝(越後高田藩主70万石)に嫁ぐ。だが、キリシタンであった彼女は、夫の不行跡のために離縁される。豪放磊落な忠輝は、舅の政宗とは気が合ったが、父の家康には疎んじられていたようだ。 天麟院は五郎八姫の院号(法名)。彼女を祀った廟の内側にはバラの花の間に、幾つかの十字架が描かれている。江戸初期の意匠としては極めて珍しい。バラは政宗から遣欧使としてイスパニア(スペイン)やローマに派遣された支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったものであり、十字架は禁教のキリシタンの証。このため、廟の扉を開かれることは滅多に無かったそうだ。 集合場所の陽徳院は禅の修行道場。クラス会に先立ち、ここで座禅を組むのだ。私はその前に見たいものがあった。愛姫の御霊屋である宝華殿だ。。政宗はじめ藩主とその正室の墓陵は全て仙台にあるのに、なぜ愛姫の御霊屋だけがここにあるのかが謎。一説によると、彼女は政宗を恨んでいたと言う。 愛姫は田村氏の出。同氏は征夷大将軍である坂上田村麻呂の末裔と伝えられ、現在の福島県田村市周辺が領地だった。だが、秀吉の小田原攻めの際に参陣しなかったことを咎められ、一家は断絶し政宗の領地となる。それが夫への恨みの原因のようだ。だが二代藩主は母の願いを汲んで子の1人を水沢1万石の大名として分領し、田村氏を再興させる。 宝華殿は小高い山の上にあった。さほど大きな造りではないが、黒漆に金箔などで装飾された荘厳な雰囲気。政宗の霊を祀る瑞鳳殿をコンパクトにした感じだ。急いで道場前に戻り、級友と一緒に道場へ入る。中には高校卒業後初めて再会したのもいる。51年ぶりの友の顔はさすがに変貌しているが、当時の面影がどこかにある。ここからは無言で過ごすのが約束事だ。<続く> ≪ 裏庭のフキノトウ ≫
2013.03.28
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昨日は古稀を祝う高校時代のクラス会に参加しました。まず松島の瑞巌寺で座禅を組み、その後老師の法話を聞き、ホテルに移動して恩師を囲んでのクラス会。70近くなると、ほとんどの級友は何がしかの病気を患っていましたね。恩師も心臓の手術を受け、退院後4日目とのことでした。全く義理堅い恩師です。高校を卒業して51年。皆それなりに歳を取るはずです。頭だけ見れば、どちらが恩師か分からないほどですもの。 一番遠くは大阪から。ほかに埼玉、千葉、神奈川、山形などからも駆けつけ、合計22名の参加です。ホテルは松島を眼下に見下ろす絶景の高台にあり、島々を眺めながらの露天風呂は最高でした。懇親会では話が弾んで大いに飲み、二次会のカラオケで飲み、部屋に帰ってからも飲み、ずいぶん飲んだものです。今は男女共学ですが、私達が在学した当時は、バンカラな雰囲気の男子校でした。 今朝は朝風呂に入った後で朝食。ここで分散し、私は予定通りリュックを背負って自宅まで走って帰りました。真っすぐ帰れば30kmでしたが、途中で前から気になっていた中世時代の山城と、山の奥にある神社などに寄ったため、37kmになりました。スタート時にはまだアルコール分が残ってましたが、寒かったため直ぐに醒めました。無事帰宅出来て幸いでした。詳しくは明日以降改めて書く予定です。
2013.03.27
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「アイスマン」のことは、彼が発見された当時のニュースで知っていた。それが先日の日曜日に、テレビの特集番組になった。多分その後の研究が進んだに違いない。私は疲労に耐えながら、画面に注目していた。驚くべきことが分かった。何と彼は殺されていたのだ。今回の調査で死因も、殺人の方法も分かった。5300年前に彼は背後から襲われ、そのまま氷漬けとなったのだ。 登山中のドイツ人夫妻によって彼が偶然発見されたのは、1991年の9月。場所はオーストリアとイタリアの国境に近いアルプスの、標高3210mの頂上付近。この時はまさかアイスマンが先史時代の人間とは誰も考えてなかった。それが彼の持ち物などで現代人ではないことが分かった。それにしてもなぜ彼はこんな高い山まで登って来たのだろう。 本格的な謎の解明のため、マイナス6度で保存されて来たアイスマンを、今回は9時間だけ18度に上げた。つまり一時的な解凍だ。そして皮膚や腸など149点のサンプルを採取した。その結果驚くべきことが判明した。身長160cm、体重50kg、年齢は46歳前後、彼が生きていたのは5300年前だった。日本では縄文時代に当たり、世界の4大文明だと初期のメソポタミア文明しかまだ存在していない。 胃の内容物から、彼が満腹状態であったことが分かった。食べていたのはシカやウサギなど動物の肉の他に、パンもあった。加工された小麦が焼かれていたことが分かったからだ。また体の何箇所かに煤(すす)で入れたタトウが残されていた。「三」や「+」の印が付けられた場所は、鍼灸で言う経絡つまり「つぼ」の部分だった。 一方、レントゲン撮影で、彼が「腰椎すべり症」を患っていたことが判明した。何とタトウが付された「つぼ」は、腰痛を抑える個所だったのだ。中国で鍼灸治療が体系化されたのは約2千年前の頃。アイスマンはそれより3300年も前に、高度の治療を受けていた。青銅製の斧は純度99.7%。その頃にそれだけ優れた製錬製鋼の技術があったことに驚く。日本ではまだ石斧の時代なのだ。 靴はクマの皮製だが、保温効果を高めるため中には干し草が詰められていた。またヤギの皮で作ったマントは、色違いの皮を交互に縫い合わせたお洒落なものだった。そして腸から見つかった植物の花粉から、彼が山の中を逃げ回っていたことが分かった。肛門に近い順に、モミ(高地)、アサダ(山麓)、トウヒ(中腹)、モミ(高地)。それが彼の逃走経路だ。 胸部には石製の鏃(やじり)、肩には矢による傷痕が残っていた。背後から矢を射かけられたのだ。だが矢は残っていない。矢にはそれぞれ持ち主が分かるサインが付されている。「犯人」はばれないように矢を抜いたが、鏃までは処理出来なかった。そして頭蓋骨内には大量の赤血球。エジプトなどの「加工されたミイラ」では例がないと言う。 だが自然の状態でミイラになったアイスマンには、血液が残された。それにしてもなぜ彼の頭蓋骨内で大量の出血があったのか。その謎も解けた。耳の周囲に後から石で殴られた痕跡があった。きっと弓矢では死ななかったため、「犯人」はさらに石で殴ったのだろう。その傷が元で大量の脳出血を引き起こし、とうとうアイスマンは死んだ。 アイスマンの死因は分かったが、なぜその頃のヨーロッパに高度の文明があったのか、謎は残されたままだ。さらに研究が進むであろう将来のため、アイスマンの胃の中には食べ物の半分に当たる100gの内容物が戻され、体は再びマイナス6度に保たれた。彼が生きた時代の謎が解き明かされるのは、果たしていつになるか。興味は尽きないが、その前に私の命が尽きる可能性の方が高そうだ。≪ お断り ≫ 今日は午後から高校時代のクラス会。松島のホテルに1泊し、古稀を祝います。そのため明日のブログ更新は、早くても午後からになる予定です。
2013.03.26
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誕生日の朝、ブログを書いている所に妻が来た。こんな早朝からとは珍しい。それがいきなりコタツへ入って温度を上げた。彼女が走りに行ったことは気づいていたが、外は相当寒かったはず。私も冷気を感じて、手袋をしながらパソコンに向かっていたほど。最低が零下1度で最高が5度との天気予報を私は覚えていたが、妻はまるきり気にしてなかったようだ。 高温続きの前日までのイメージのまま薄着で走りに行き、すっかり体が冷えたみたい。ガタガタ震えている彼女に油断があったのだろう。結局この日の最高気温は5度にも満たず、少しお日様が出た程度。2日前に39kmのロング走をした私にも強い疲労感が残り、完全休養にしてテレビを観ていた。全く本を読む気にならなかったのは珍しいが、それだけ歳を取った証拠。 関口さんが司会するいつもの番組は、張本氏が担当のスポーツコーナーだけ観、後は自室に戻って高校野球を観戦。今大会は東北から出場したチームが案外活躍してるのが嬉しい。昔ほど地域の格差がなくなったのが実感。今日25日の第1試合で、いよいよ地元の仙台育英が出場する。果たしてどんな活躍をしてくれるか。 昼近くになって民放のニュース。続いてNHKの天気予報とニュース。昼食後は早碁の決勝戦を観ながら、「たかじんの何でも言って委員会」を観る。食道がんでしばらく番組を留守にしていたやしきたかじんが帰って来た。辛坊さんとのコンビも復活だ。これも観たのは中国問題など関心のあるテーマだけ。田嶋先生と他のメンバーとのバトルが相変わらず凄い。 その後は「センバツ」と大相撲の千秋楽。13日目に優勝を決めた横綱白鵬が日馬富士を破って9回目の全勝優勝。これは前人未踏の新記録で、ついに双葉山と大鵬を超えた。24回の優勝回数も北の湖に並ぶ歴代4位とは立派。今後は大鵬の記録32回の優勝を目指して頑張って欲しい。土俵上で亡くなった大鵬の冥福を祈り、観衆に黙とうをお願いしたのは日本人力士の鑑(かがみ)。大横綱の風格が漂い出した感じ。 大河ドラマ「八重の桜」はシカ肉シチューを食べながら。これは誕生祝いのリクエストだった。ドラマは「蛤御門の変」の巻。いよいよ京都守護職の会津藩が憎まれ役になり始める。これも立場の相違で観方が変わるだけ。双方とも国を愛する気持ちには違いなかったはず。自室に戻り、地方ニュースを観ながらラジオ体操とストレッチ、青竹踏みなどいつものエクササイズ。終了後「劇的ビフォーアフタ→」を観ながら孫に手紙を書く。 四国に住む孫たちだが、上の孫娘は4月から中学校に進学する。そのお祝いの手紙だ。ママ(私の長女)には、将来音楽家になりたいと言ってるみたい。古墳に興味を持ち、デジカメを欲しがっていた彼女だが、本命は音楽とのこと。彼女の未来がどんな風に開けるのか楽しみだ。じじばばも遠くから応援してるからねMちゃん。ビフォーアフタ→は感動物。今回も家族の夢を叶える素敵なリフォームでしたね。 入浴後、9時からはアルプスで発見された「アイスマン」。さすがにここまで来ると疲労感が募ったが、メモしながら最後まで観た。内容は明日のブログで紹介の予定。テレビ三昧の誕生日だったが、残ったシカ肉でステーキを作るのが楽しみ。まあステーキ(素敵)な一日とは行かなかったが、人生たまにはこんな日もあるだろう。
2013.03.25
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山の麓を通る「往路」との間隔は5kmくらいと思ったのだが、後で地図を見たら2kmほど。そしてこの日走った距離は39kmであることも分かった。国道4号線との合流地点で18km。どうやら私のうろ覚えだったようだ。「東街道」とも言われる山沿いの道と、旧4号線とはほぼ並行している。こちらは江戸時代の街道で、宿場が各所に置かれていた。 その元になったのは奈良時代の官道ではないか。官道は国府から国府へとほぼ直線に通る幅広い道路で、確か18kmごとに駅舎が置かれ、駅伝用の馬が備わっていたと聞く。その官道が仙台市太白区の郡山官衙(かんが=官立の建物で、多賀城の前身)、宮城野区の陸奥国分寺、国分尼寺、そして国府多賀城へと通じていた。山沿いの東街道よりこちらがより直線的だ。 やがて前方に見覚えのある丘。東北最大の前方後円墳である雷神山古墳だ。先ず館腰神社に立ち寄る。ここは数年前に走った「みちのくラン」のコース。雷神山古墳を見上げる農業用水沿いの小道も懐かしかった。この辺は幾つかの種類の古墳が集中している個所。古代からの交通の要衝で、有力な豪族がいたのだろう。 舗装工事中の道路を北上するとJRの踏切。そのまま進むと国道4号線の旧道に出た。ここは「奥の細道」で芭蕉も通った旧街道。芭蕉は東街道沿いの実方中将の墓に詣でたかったようだが、悪路に阻まれて行けなかったと日記にある。ここはかつて増田と呼ばれた父の生家がある町。田圃が全て住宅に変わっていた。 小道に入って墓を探す。だが様子が違って分からない。何度か迷って老婦に聞くとようやく分かった。彼女は本家の従兄のことも知っていた。墓地への小道に60年前の面影はない。踏切を渡ると田圃の中の共同墓地が見えた。同じ苗字の墓は、きっと遠い親戚のはず。3つ目で分かった。従兄がお寺で過去帳を調べ、江戸時代からの先祖の法名と俗名を刻んでいたからだ。ここはかつて土葬。土を掘ると遺骨の一部が見えたものだ。 年寄り婆さんと呼んだ曾祖母、祖父と祖母、そして伯父と伯母など懐かしい名前がそこにあった。残ったお菓子を墓前に供え、しばし冥福を祈る。子供の頃に母と別れ、父を早くに亡くした私達にとって、父の実家は食べ物の宝庫でもあった。従兄の住むその家は、大きくて立派な家に変わっていた。戦後間もなく建てた農家も震災で被害を受けたようだ。 かつて周囲は広大な田圃で、山や駅まで一望出来た。茶碗を洗った門前の小川や鬱蒼とした屋敷林は、私にとってとても懐かしい風景だった。それが今は直ぐ傍を新幹線が走る近代的な町だ。そこから太白大橋とザル川沿いの練習コースを走って帰る。ゴールは3時過ぎ。だが鍵がかかっていて、家に入れない。 台所の鍵を開けておくのがいつもの約束なのだが、妻はそれに気づかず仕事へ行ったようだ。仕方なく、お向いさんの家で休憩させてもらう。これで2度目だが、1度は梯子をかけて2階の窓から入ったこともあった。1時間半ほどで妻は帰宅したが、無言のまま。その日は早朝から何やら怒っていた彼女。きっと虫の居所が悪かったのだと思う。 その夜、夕食に焼酎を2杯飲んで自室に戻ると、急に目の前が真っ白になった。長距離走で足の筋肉に溜まった血液。アルコール摂取でさらに血管が膨張し、一時的に脳内が血液不足になったのだろう。つまり脳貧血。風呂に入るとさらに酷くなったが、20分後には治まった。こんな現象は15年ほど前のレース後から。まあ慌てることはない。 ハプニングはあったものの、40km近く楽に走れたのは大収穫だった。これなら「峠越えマラニック」も可能な感じ。それには距離を65kmほどまでに延ばす必要があるが、このまま練習を重ねたら大丈夫のはず。一日分の汗を吸った黄色いパンツを、洗濯機の中に放り込む。怪我もなく走り通すことが出来てありがとうね。そして今日3月24日は私の69歳の誕生日。天気も良いし、誕生記念に走りたいね。
2013.03.24
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服装は前夜から決めていた。上は半袖で、下はランパン。両方とも黄色だ。行き先も決めていた。山の麓の道をひたすら南に下り、国道4号線にぶつかった地点から迂回して引き返す。距離は多分43kmほどか。今年の夢は隣県まで峠を越えて何度か走ること。今回はそのための練習だ。不安は「1年検診」で解消した。後は本人の訓練次第。 黄色の上下は気持ちを高めることもあるが、運転手に目だって事故を防ぐのが一番。ランナーが出来る用心の一つだ。ポシェットには若干のお菓子とお金。途中でエネルギーを補充する必要があるからだ。帽子と赤い手袋も用心のため。そしてスポーツ飲料が入ったペットボトルが身に着けるものの全て。妻には3時頃に戻ると伝え、お向いさんには今日のコースを告げた。 9時32分。走り出すと案外風が冷たい。気温は8度ほどだろうが、体感気温はもう少し低いはず。でも走りを止めない限りは大丈夫。後は脚が持つかどうかだけ。これも1月に44kmを走っているので行けるはず。暫く走ったら左膝に痛み。これは一過性のものと判断して前進。 いつもの練習コースから外れ、県道を真っすぐ南下。この道は大震災のあった年、自宅から隣県の福島市まで80kmを走った際に通ったコース。前半は結構起伏がある。「塩如来」の境内で最初の小休止。この付近には古墳や古い神社が多い。きっと昔からの街道だったのだろう。歌詠みで陸奥国守だった藤原実方中将の墓も道沿いにある。死因は落馬による怪我だ。 2年前の5月に走った時は、歩道にヒビが入っていたり、所々で崩れて走り難かった。もちろん震災のためだ。それが今は補修が済んできれいな道に変わっている。だが、あの時は走ってなかったダンプカーが、今はひっきりなしに通る。「国土交通省指定車両」のサインが見える。堤防を補修しているようだ。震災復興は、きっとこれからが本番なのだろう。 名取市を通過して岩沼市に入る。私が通過した後で中学生の笑い声。きっと不細工なフォームを真似ているのだろう。「でもね君達。君達のお爺さんが私のように40kmを走れると思うかい」。心の中でそうつぶやく。震災時に他県のパトカーがたくさん停まっていた施設も、今はガランとしている。15kmほどの地点でお菓子を食べエネルギー補給。ついでにスポーツドリンクを購入。長距離のランに給水は不可欠だ。 走り出す前に手を当てて膝を廻すと痛み。あらら、これはいけないと膝を見ると、原因が分かった。先日坂道で転んで擦りむいた傷の「かさぶた」が割れている。これならOK。ようやく前方に煙を上げた工場が見えた。あれは阿武隈川の畔にある製紙工場。国道4号線との合流地点が近い証拠だ。JRの跨線橋を渡って国道4号線へ。右へ曲がれば福島だが、私はそこから左に曲がって仙台へ戻る。 ここからは全く初めてのコース。ここまでで19km走ったはず。相変わらず風は強いが、春の兆しはある。交通量が違う国道では排気ガスの臭いを若干感じた。岩沼市桜。ここには2番目の職場の先輩が住んでいる。途中で辞職してプロの書道家になった方だ。その先の国道を向かい側に渡ってコンビニへ。時刻は12時20分近く。もうエネルギーを補充する時間だ。 お握り2個で215円。途中の自販機で買ったスポーツ飲料が150円。結局この日使ったお金は全部で365円。これで43kmほど走れたら「オンの字」。お握りと若干のお菓子を食べ、再び走り出す。途中で脇道へ入る。ここも全く初めての道だが、頭の中の地図がナビ代わり。きっとそのまま進めば東北で一番大きな前方後円墳の麓に行きつくはずだ。左手には先刻走った「往路」。そしてその彼方に霞みがかった奥羽山脈が見えた。<続く>
2013.03.23
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ブログに日課の「お話」を一つ書く。まさか誤解する人はいないだろうが、いつもながらコメントし難い内容だろうとは思う。私のブログはコメントし易いテーマばかりではないし、大勢のお友達を招いておしゃべりを楽しむものでもない。そんなブログでも、アクセス数が25万に達したことを嬉しく思う。カーテンを開けると、強風に雪が舞っていた。それでも光は既に春のものだ。 バスに乗って病院に向かう。妻にも術後1年検診のことは話していたので、しっかり朝食が摂れた。ただ、バスに乗り間違った。バス停が始発のため油断していたが、2分違いで別な方向に行くバスがあったのだ。でも運転手さんが親切な人で、無料で次のバス停で下ろしてくれた。きっと検診の結果が気になり、「上の空」だったのだと思う。 病院に着き、受付に予約表を出す。先ずお約束の心電図。これで決まるかと思うと、胸が高鳴る。まあ鼓動を打たない心臓なら、今ごろブログも書けないのだが。循環器内科の受付に帰りながら心電図を素早くチェック。乱れのないきれいな波形だった。歴史小説を読んでいると名前が呼ばれた。その日の診察は初めて見る若いドクターが担当。 結果は全くの異状なし。何か心配なことがないかを聞かれたので、1月と2月のレース後の体調を話した。ドクターが驚いて「無理をしてはいけません」と言う。そこで、主治医のM先生と相談しながらのことだと話す。30kmや50kmは序の口で、本当はまた100km走れるようになりたいことや今日も走って帰ると言うと、ドクターは「あまり無理はしないでくださいね」と静かな口調になった。次の診察は1年後で良いらしい。まさに感無量とはこのことか。 傍で話を聞いていた秘書がほほ笑んだ。彼女は執刀医のO先生や、主治医のM先生と私のやり取りも聞いていた方。そして退院時の私の不安を執刀医にきちんと伝えてくれた方でもあった。私が再び走っていることを知り、かつ結果が良かったことで笑顔になったのだ。会計で600円を支払い、強風の中を走り出す。この日のコースは山道。さすがに雪は全て融けていた。心臓の鼓動が穏やかなのが嬉しい。 帰宅すると、仕事から戻った妻が私の部屋にやって来た。結果を話すと彼女も一安心したようだ。でも「お父さん、無理はしないでね」と、いつもの決まり文句。無理をして一番困るのは本人。ただ、負荷をかけないと心臓を鍛えられないのも確か。その兼ね合いが結構難しいのだ。ブログ同様私のランニングスタイルは単独型。これは自分のペースを十分に認識してるからで、その方が体が楽で長持ちするためだ。 午後から切符を買いに駅に行く。4月7日の「行田市鉄剣マラソン」に出るためだ。ついでに東北楽天のチケットを買う。平日のデーゲームだから料金が安い。それを2日連続で。帰宅後埼玉県に住む筑波時代の後輩にメール。今度のマラソンでは、彼の家に泊めてもらう予定。これも今日の検診結果では中止する可能性もあったのだ。 夜、BSで探検家関野吉晴氏の冒険番組を観る。南米ギニア高地の最高峰を目指す旅だ。彼はかつて13年ほどかけて、南米の最南端からアフリカまで、交通機関を全く使わずに旅したことがある。タイトルは「グレートジャーニー」。それは人類の祖先が辿った逆コース。まさに苦難の連続だった。今回も残りわずか5kmまで迫りながらの断念。食糧が尽きたのだ。決断を下す彼の顔は実に穏やかだった。 それに引きかえ、私はここ2カ月ほどナーバスになっていた。2回のレース後は極端に疲労を感じ、しかも嫌な動悸やめまいや胃の不調もあった。不整脈の再発を予感させるそれらの症状に、不安を感じていたせいだろう。それらが全て解消した強風の日だった。だが決して油断はしていない。大胆かつ細心でなければ冒険は不可能。私はこれからも体調が許す範囲で、私なりの小さな冒険がしたい。これが老ランナーのささやかな夢だ。
2013.03.22
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ここ数日男は悶々と過ごしていた。だから趣味のランニングも読書も一向に捗らなかった。「たまには散歩でもするか」。妻に頼まれた生協配達品を受け取るついでに、近所をひと廻りする。愛犬が生きてた時は、嫌でも1日2回散歩をした。たった30分ほどの散歩でも、彼のウンチを拾いながら歩くと、嫌なことをすっかり忘れることが出来た。黒ラブのマックスにどれだけ癒されていたかを、感度の鈍い男もようやく悟ったようだ。 近所の犬に近づく。良く吠えるのは動物センターで保護されていたため、警戒心が強いのだろう。「ヘバ!」男は子犬の名前を呼ぶ。ずいぶん大きくなった犬が近づいて男の指を舐める。「ヘバ、俺の加齢臭を覚えておけよ」。そう言いつつ、男は2枚のビスケットを子犬に与えた。するとそれまで吠えていた子犬が、なんと静かになったではないか。男の心が少しだけ和んだ。 男は着替えて走りに行く。フラつきながらも走る男の姿は、まるで「物の怪」にでも取りつかれたかのようだ。「今日はいつもと逆廻りしてみよう」。だが、見える風景に変わりはない。それに竹藪を見ると急に尿意。これは条件反射なのか、それとも単なるひん尿か。ともかくその轟音に驚いて竹藪からキジが飛び立つ。立派なオスだ。「しまった。あれを捕まえ、それに犬と猿を家来にしたら、俺は桃太郎になれたかも」。 空はどんより。男の住む町に今年初めて黄砂が飛来したのだ。最近さることで毒を吐き続け、体内からすっかり毒気が抜けた男は、ひょっとしてそれを補給しようとしたのかも知れない。何せ黄砂にはメイドインチャイナの有害物質PM2.5がたっぷりと付着している。男は大きく息を吸う。「う~む。まだ毒が足らない」。そこで次の補給ポイントへと向かった。 つい最近セシウムのホットスポットが小川の畔で見つかったのだ。男が住む町で見つかったのは初めてだが、1日そこにいても健康に害はないようだ。その付近でまたもや大きく息を吸った男は、「まだ薄いな」とつぶやいた。毒素の補給としては物足らなかったようだ。田圃に野焼きの痕がある。ほほう、もうこんな季節か。東北にもようやくそこまで春が近づいたようだ。 男は今日、朝一番のバスで病院に行く。昨年手術を受けてから1年。その検診結果が分かるのだ。「結果はともあれ、俺は病院から走って帰る」。男はそう決めたようだ。たとえお釈迦さまが地獄に1本の蜘蛛の糸を垂らしてくれても、この男ならきっと「俺は血の池の廻りを走る~っ!!」と叫びつつ、走り続けるに違いない。外はビュービュー。相変わらず春の嵐だ。
2013.03.21
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気温はかなり上がっても、なかなか雨が降らない。庭も畑もすっかり土が乾燥している。そこで如雨露(じょうろ)で水をやる。スナップエンドウの種を蒔いた畝。玉ネギの苗を植えた畝。ジャガイモを植えた畝。ロウバイの種を埋めた植木鉢。そして花壇など。クリスマスローズが幾つか咲き出した。今は亡き愛犬マックスに折られた植木にも、そのうち花が咲くだろう。 体調は良くないが走りに行く。人間は不眠の日が5日間続くと、うつ病に近い症状が出るみたい。それに今は「木の芽時」。季節が冬から春に変わって体内のホルモン分泌が活発になる。そのために心身の調子が狂うことが多いのだ。サラリーマンなら年度末でストレスが一番溜まり易い時期。現役時代の私はちょうど今ごろが「内示」。紙切れ1枚で全国どこに飛ばされるか決定する。人生が大きく変わるそんな生活を、2年か3年ごとに繰り返して来た魔の季節だった。 今年初めてのランニングパンツだが、全然寒くない。手袋もせず、上は半袖。風はすっかり春風で気持ちが良いほど。4日間も走らなかったため調子は上がらないが、ゆっくりなら大丈夫。走りながら今回の「ネット事件」について考えた。ブログ友やたくさんの走友たちは、きっと息を潜めて見守っていたのだと思う。それが決着したのを見て、何人かがコメントを寄せてくれた。どうもご心配をおかけしましたね、皆さん。 ネットは闇の世界。事情も知らずに「お気に入り」に登録してくれた相手のブログを4カ月も見れば、つい色んな情報を得てしまう。住んでる土地、現役時代の職業や、中には卒業した大学の名前まで書く人もいる。政治的な信条や性格、健康状態から家庭の事情も分かったりする。それらを材料にして、どう付き合うかを考える。だが「知ったかぶり」の傾向のある人が5回も6回も間違ったことを書くと、ついその人を疑い始める。 「なぜ立派な大学を出ていながら、そんなことも知らないのだろう」と。「自分のブログに書くならまだしも、なぜ相手のブログにまでKYなことを書くのだろう」と。例えば政治に関しては人によって考え方が違う。だから自分の考えをごり押しされては大迷惑。今回はそれが震災だった。私たちは被災地に居て、毎日被害や復興に関する情報を観ている。そして未曽有の大震災で心も体も傷ついている。 だから私達が持つ情報より2倍でもあり得ないと思うのに、「千倍も情報に接している」などとどうして言えるのかが不思議。きっとテレビなどを観て、「知った積り」になっているんだろうね。KYコメントも3度までなら我慢出来ても、それ以上は無理。その点女性は心配ない。ごく稀にヒステリックな人や知ったかぶりの人がいるが、そんなブログには近づかなければ良いからだ。 まあ夫婦げんかも良く似てるかな?相手が同じことを何度も繰り返すと、どうしても怒ってしまうよね。「なぜ43年も夫婦をやっていて、それくらいのことが分からないのか」と。「「お父さんの言葉に傷ついた」と言うけど、自分の言葉で深い傷を負わせたことに、なぜ気づかないのか」と。まあ最近少しは私のことが分かるようになったかな。 どうも空の様子がおかしい。真っ黒な雲が広がり、ポツポツ雨が降って来た。慌ててコースを短縮し、途中からスピードを上げた。ほほう、いざとなればこんなスピードが出るんだね。急いで帰ったのは、布団を干していたから。近所まで来た時、「布団は奥様が入れましたよ」とTさん。私がランニングに行ったことを知ってる彼女が、心配して様子を見に来てくれたのだ。こんな時ご近所さんは有難いね。 午後、区役所からの郵便到着。これは豊齢力つまり老化による「要介護」「要支援」の程度を確認するためのアンケートだった。簡単な項目に答えるだけだが、全く心配はない。ニュースでは「脳卒中の危険率を測る計算方式が発表された」とのこと。多分今朝の新聞にも載るだろうが、1)年齢 2)性別 3)喫煙習慣の有無 4)BMI(肥満率) 5)糖尿病の有無 6)血圧の6項目が関与してる由。 それらは自分の心身の健康状態を日頃から十分にチェックすることから始まる。結局は「適切な観察が適切な判断につながる」と言うことだろうか。これは何事も同様。ただし、大事なのは「適切」であり、「深読み」し過ぎてもいけない。「ふつう」の感覚が大事なのだ。まあ何がふつうか、これも人によるかな?だから案外「常識」って言うのが難しいんだよね。
2013.03.20
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いや~。侍ジャパン負けちゃいましたねえ。やはり今回の実力では3連覇は無理だったかもね。でもベスト4でも立派ですよ。人生常に勝つとは限りません。時には負けるのも勉強になるんです。まあそこのあなた。そうガッカリせず、ブラックユーモアはいかがです?≪狭心症≫ 歳を取ったせいか、最近心まで狭くなってね。≪不眠症≫ 不眠の原因を徹夜で考えた。≪神経過敏≫ あれ~っ、神経が花びんになってるぞ~?≪ひん尿≫ 女房貧乳、俺ひん尿。しかもワイルドだぜ~っ!!≪肩こり≫ う~む。国の借金を背負い過ぎたせいかなあ?≪条件反射≫ あいつ、美女が通ると直ぐによだれを垂らすんだよなあ。≪乱視≫ おおっ、お金が2倍に見えるぞ~っ!!≪肥満症≫ 女房ぼう満感。俺肥満漢。≪生活習慣病≫ 日頃の癖で、つい病気まで拾って来ちゃってね。≪高血圧症≫ その分知能は低めに抑えました。≪健忘症≫ あれ~っ、1億円当たった宝くじ、どこへしまったっけ~?≪食欲不振≫ あっちの「慾」の方はまだまだ健在なんだけどねえ。ムフフ・・。≪結膜炎≫ もしかして俺、太陽の見過ぎ?≪痙攣≫ ダメだ~。こんな状態じゃ家に帰えれん。≪アルコール依存≫ 「そこの酔っ払い、警察を呼ぶぞ~」って、俺が警官だった。ウイ~ッ。≪消化不良≫ う~ん。僕の語学力でこの原書を読むのは無理か~。≪視野狭窄≫ 最近母ちゃん以外の女性が見えなくなってねえ。≪夜尿症≫ 目下シッコウユウヨ中。 ≪お断り≫ これはユーモアであり、特定の疾病に対する差別や偏見ではありません。どうぞご理解くださいませ~。
2013.03.19
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いやはや参った。眠れないのである。今日も深夜の0時過ぎから目覚めたまま。原因はさる書き込み。私のブログへの心ないコメントが、それでなくても良くない体調をすっかり狂わせてしまったようだ。東日本大震災関連のテーマで不愉快な思いをしたのが3回。それが不思議なことに共通点があるのだ。1)関西地区の、2)高学歴の、3)男の人と言う。 多分本人達にとっては何気なく書いたのだと思う。決して悪意がなかったことも分かる。だから彼らは相手が傷ついたり、不愉快になってることに全く気づかなかったのだろう。でも、なぜあんなKY(空気が読めない)なことを平気で書くのか。高学歴な彼らが、なぜあんな無知なことを書くのか理解が出来ないが、ひょっとして文化の違いでもあるのかと考えてみた。 2年間だが大阪勤務だったことがある。そこで感じたことは東西の文化の違い、考え方の違いだった。部下が上司に対し、「今日はあなたをスケープゴート(いけにえの子羊)にしますよ」などと平然と言う。そしてボスの前でそれまで言っていたことと全く違った説明をする。つまり私が悪者になり、ボスに叱られる訳だ。何と言う社会。何と言う文化。それが関西なの~?部屋に帰った後で私は彼に言った。「これからも私をスケープゴートにしても良いよ」と。少なくとも東北にそんな文化はない。 その職場ではボスが絶対的な権限を持ち、秘書の女性も「虎の威」を借りて威張ってた。だから関西が変なのではなくその職場が変だったのかも知れないが、気の良い東北人の転勤族には毎日が唖然とすることばかり。転勤後そこへ招かれた際、私はかつてのボスに言った。「先生が若い頃に書かれた本は名著でしたね。でも記念に頂いた本は同じことが6回も書かれてましたよ」と。 それは最大の皮肉。学問に燃えていた若き頃のボスの著書は論理的で名文。しかし絶対的な権限を持ってからは研究者としての魂を失い、老化で論理的な文が書けなくなり、秘書も恐れるあまりそれを指摘出来なったのだと思う。つまり「裸の王様」だ。結局そのボスは次の選挙で敗れ、その職場を追われた。「どうもおかしい」と感じた私の感覚は間違ってなかったようだ。 今回「東日本大震災は関東周辺との認識」と書き込んだXさん。それは平城京(奈良)や平安京(京都)の都人が古代東北を野蛮人が棲む蝦夷(えみし)と呼んだのとどこか似てないですか。つまり文化の違いや地理に対する認識がまるで欠如しているのです。それなのに「情報にはあなたより千倍接している」と書く神経がとても私には理解出来ません。知識や情報もさることながら、被災地の悲惨な状況に対する悼みの心が全く感じられないのですよ。淋しいことです。 中国を「シナ」と呼び、「生のホヤが食べたい」と書いていたYさん。全くKYな人だ。私は私のブログで「シナ」の言葉を使って欲しくなかっただけで、別にあなたを排斥したわけではありません。「シナはストップワードにした」と書いたけど、実際はそんな措置もしなかったんです。何故なら「南シナ海」や「東シナ海」も使えなくなるからです。良く考えれば分かることなんですが。 私を除外しようとしたあなたの気持ちは他への書き込みで感じました。このままだと迷惑をかけるので、昨日Hさんにはお別れの挨拶をして来ました。さすがは年長者、コメントが立派でした。良くご覧になってください。あれが本当に苦労された方の労わりですよ。Hさん、どうもありがとうございます。心から感謝しています。 あのねYさん。あなたが食べたがっていた三陸のホヤは、前にも書いたように今は全くないんです。ホヤは養殖が大部分。その養殖いかだがほとんど全部海に流され、海の底には大量の瓦礫が山積しているんです。それらを取り除き、いかだを再生するには莫大な借金をするしかないんです。そしてホヤを出荷出来るのは通常でも養殖後3年目。それがあの大災害ですから、産地の私たちですらいつ食べられるか分からないんです。気楽なグルメ話も良いですが、たまには被災地の苦しみを考えてください。 かなり前に津波からの「避難ビル」について書き込んだZさん。私はあなたのコメントに傷つきはしませんでした。でもあなたが本当に現役の研究者なのかを疑いましたよ。だってあなたは毎年のように学会賞を受賞してるんでしょ?それがあの提案とはねえ。 今回津波の被害を受けた海岸は何百kmにもなります。リアス式の海岸もあれば平野部の海岸もあり、人口の密集度合いも違います。だからそれぞれの地理的な条件に相応しい避難策を作る必要があるんです。それに土地の買収、道路の改修、瓦礫の処理など現地では困難な問題が山積。資材も人材も全然不足しています。さらに法の規制が色々あってさっぱり復興が進んでいないんです。どうぞ、そこを考えてください。 私も含め、誰にでも間違いはあります。人は必ずいつかは老化し、記憶力も減退します。でもねえ、18年前に大きな震災を受けた関西地区のあなた方が、そろいもそろってあまりにも無理解なコメントを書くことが私には信じられないんです。今日は変な文化論になりましたが、決して誹謗中傷の意図はありません。寝不足で神経が高ぶり少々刺激的な内容になったことを、どうぞお許し下さいませ。 最後に一言付け足します。こちらではあの日以来余震が2千回以上発生していて、今も恐怖におののいているんですよ。どうぞそれをお忘れなく。そしてこれからのご活躍を、心からお祈りしています。
2013.03.18
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オーマイガ~ッ! いやはやたまげた。何のことかって?野球のWBCの話ですよ。何と優勝候補のアメリカが、プエルトリコに予選で負けちゃったんです。今回は本気で優勝を狙い、大リーガーの有力選手を何人も投入したアメリカが、ベスト4にも残れなかったんですよ。今回は驚きの連続ですよね。韓国が敗れ、キューバが敗れ、今度はアメリカまで敗れ、弱かった侍ジャパンがまだ勝ち残っているんですから。次の日本の相手はプエルトリコとドミニカが戦った敗者。油断せずに頑張って欲しいです。 オーマイガ~ッ! いやはや参りました。今度は何かって?朝の連続ドラマ「純と愛」の話ですよ。朝の連続ドラマとしては異例づくめのこの話。これまでもあり得ない話の連続で、ビックリすることばかりでしたが、先週の土曜日、つまり昨日の放送では最後に主人公である純ちゃんの夫、愛(いとし)君が、「糸電話」の途中に倒れちゃったんですよ。 あの雰囲気ではどうも死んじゃったみたいです。ええ~っ、そんなのアリ~?って感じですよね。双子の片割れが幼い頃に死んでしまったり、両親と上手くコンタクトが取れなくて家を飛び出した愛君。ともに優秀な弁護士である両親はその後離婚。妹は精神的なショックから異臭を感じる変な病気に取りつかれ、本人も長い間「人の本性」が見える悩みを抱えた愛君。 それがあくまでも前向きな純ちゃんと出会ってから、少しずつ人間らしさを取り戻して来た愛君。一方純ちゃんの家でも波乱続きだったね。故郷宮古島の「お爺のホテル」は、父親の放漫経営のお陰で他人の手に渡り、お母さんは認知症になるし、能天気な兄と弟は勝手放題な暮らしぶり。挙句の果て頑固一徹だった父親は、妻を助けようとして水死する。 そんなどたばたの後、折角宮古島にお爺のホテルの名を継ぐホテルをオープンする寸前に、この急展開は一体どう言うこと?あのドラマを観ている人なら、きっとそう言うと思うよ。まあ好き嫌いは当然あると思うけど、私は案外面白かったな。残り2週間で、果たして脚本家はどんな結末を示すのか分からないけど、最後の最後までこのドラマは意外性の連続なんだろうねえ、きっと。 私は思う。このドラマで作者が伝えたかったのは、一体現代人にとって「家族とは何か」と言うことなんじゃないかな?一見はちゃめちゃで、常識外れに見えた2つの家庭。でもあんな風に極端ではないにしろ、どんな家庭でも小さな波風は立ち、色んな出来事が起きたと思うよ。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩、親子喧嘩、ちょっとした浮気や「へそくり」や内緒の秘密などね。 昨日は妻と一緒に墓参りに行って来ました。これは我が家のお墓。そこには離婚したはずの両親と、結婚したはずの姉が眠っています。なぜそんなことが??その問いには答えないでおきます。そこには色んな「大人の事情」があるってことで。「私は実家のお墓に入ります」。かつて妻はそう宣言したことがありました。今でもその気持ちに変わりないかは聞かないでいます。まだ良く覚悟が出来てないもんですからね。 そして今日は妻の実家の墓参り。そのお墓は割と海に近く、東日本大震災の津波に飲み込まれたんですよ。倒れて傷だらけになりながらも、流されずに済んだそのお墓に眠っているのは妻の両親。私はその2人に何故だかとても信用がありました。特に老妻を亡くした晩年の義父にはね。さて、妻がそのお墓に本当に入りたいのか、今日も聞かずに置こうと思っているとても臆病な私です。まあ、人生いろいろあら~な。
2013.03.17
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日差しがずいぶん春めいて来た。このところ南東北は気温が上昇中。この分なら庭の花がそのうち一斉に咲き出すのではないかと錯覚するほど。そしてあることで眠れなかったのが、ようやく眠れるようになったのも嬉しい。さて、過日は映画を観て来た。タイトルは『フライト』。名前が示すように、飛行機に関する話だ。 簡単に言えば、アルコール依存と薬物依存の機長が、アクロバティックな操縦で乗客を墜落の危機から救った話。彼はとてつもない英雄なのか、それとも単なる犯罪者かと、映画は観客に問う。日本なら考えられない話。何せこの機長は、朝から飲んでいるのだから。そして日本なら、きっとあんな悪天候の時に、離陸を許可することはないと思う。 アメリカでは銃による凶悪事件が起き、何十人もの人が犠牲になる。その銃の規制が緩やかなことにも驚くが、本来厳重であるべきクルーの健康チェックが、なおざりになっていることにも驚きを禁じ得ない。小さなミスが墜落につながる飛行機。それを操縦する機長や副操縦士のアルコールチェックを全くしてないのは異常としか言いようがない。 日本なら、バスの運転手ですら乗務前には厳しいチェックを受ける。もちろん乗客の命を預かっているからであるが、職場の規律として当然のことだと思う。アメリカのアルコール依存、薬物依存の闇の深さを、この映画で知った想いがする。英雄的なこの機長が、最後に法廷で自ら選択を下す。それは依存症の彼が、初めて自分の姿を正しく見つめた行為だった。 かつて私が現役時代だった頃、一人の「アル中」が他の部署から移って来たことがある。一見酔っているような雰囲気はないが、時々朝まで飲んでいるみたいだ。やがて被害妄想が膨らみ、無断で仕事を休み、隠れて人の後をつける。実態は実に気の弱い男。これが一旦酒を飲むと、まるで手がつけられない暴れ者と化す。その彼に相談を受けて家を訪ねたことがあるが、幸い私に暴力は振るわなかった。 彼の望み通り1年で他の部署へ異動させたが、彼が亡くなったと聞いたのは数年後の転勤先。彼の家を訪ねた時、テーブルの上には数枚の彼の顔写真が載っていた。若い頃は理知的でハンサムだった彼が、次第に病的な表情に変わって行くのが分かった。強度のアルコール摂取で人格が壊れ、精神が異常になったのだ。だが、入院加療しない限り、彼自身の手で飲酒を止めることは不可能だったのだろう。気の毒なことだ。 昨日は博物館に行った。アメリカ人であるプライス氏が東日本大震災の被害を知り、復興支援のために収集品を寄託してくれたのだ。同氏は昨年の5月に日本人の夫人と一緒に被災地の岩手県を訪れている。特別展のタイトルは『若冲が来てくれました』。これはもちろん江戸時代の画家である伊藤若冲のこと。若い頃たまたま日本の絵画に魅せられ、今ではロサンゼルスに日本画専門の美術館を建てている。 私はあまり日本画に詳しくはないが、伊藤若冲はもちろんのこと、円山応挙、長澤蘆雪、横山大観などの作品はさすがに品格が違った。中でも若冲のゾウの絵は圧巻。数万もの小さな「枡目」の中に形を描き、彩色を施して巨大な絵を完成させる手法には驚かされた。今回の特別展は、プライス氏夫妻のみならず、国内の国立博物館などからも作品の寄託を受けた。貴重な美術品111点を、震災支援の名の元に鑑賞できることを、一市民として心から感謝したい。
2013.03.16
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トントントン。階段を登って来る音がする。昨日の朝、私がブログを書いている時のことだ。あらら。朝っぱらから一体何の用だろう。第一こんな時はろくなことがない。部屋のドアを開けた妻が言う。「お父さん、今朝はお湯が全然溜まらないの。後でこのマニュアルを読んでおいて」。安い夜間電力の時間帯に大量のお湯を作るのが我が家の給湯システム。どうやらそれが上手く作動しないようだ。 「ええっ、設置してまだ1年も経ってないのに、もう故障?」「そんな訳ないし、もしそうだとしても保障期間だから大丈夫」。私は咄嗟にそう思った。先日もお風呂の回転窓のハンドルを壊し、「壊れたのは自分のせいじゃない」と、修理業者の前でしきりに言いわけをしていた彼女。そのうち階下から声が聞こえた。「お父さん、お湯溜まったよ~」。あのなあ、出かかった言葉をグッと飲み込んだ。 9時過ぎ、私はランニング姿に着替えて走りに行こうとした。「ピンポ~ン♪」。おっと来客のようだ。玄関の扉を開けると妙齢の婦人が2人。それも美人だ。あらら、これは保険の勧誘か、それとも宗教団体か、はたまた北朝鮮の・・。「今度引っ越して来ます○○です」。一人が名刺と挨拶代わりのティッシュの箱を差し出す。昨年亡くなった老人宅の後に住まうようだ。 「美人歓迎です」。思わずそう答えるともう一人も挨拶代わりのサランラップと封筒を渡す。こちらはリフォーム会社の方。40年以上にもなる古家を全面的にリフォームし、フラワースクールにするようだ。へえ、こんな住宅街に若いお譲さん達がたくさん集まるの~?完成は2カ月後とのこと。「どうぞよろしくお願いします」2人はにこやかに帰って行った。 準備を終えて走り出すと、近所のスーパーの前に先刻の婦人がいた。私だと気づき「気をつけてくださ~い」の声。これは嬉しい声援。傍にいた老夫婦は彼女の両親のようだ。この日のコースは12kmの山道。結構風が強く、特に登り坂では息が上がった。苦しいけれど、これも練習のうち。4月、5月と連続してハーフマラソンを走る予定。こんなことで参っちゃいられない。 「ピンポ~ン♪」昼食中にまたしてもチャイム。今度は何?とドアを開けると、頭の薄い中年男性が立っていた。「味噌屋の番頭です。美味しい味噌はいかがでしょう」。大きな前掛けをつけた男が言う。「結構です」。そう言うと男は素直に帰って行った。その後は外国の保険会社から電話。「お宅の保険には既に入ってますよ」。電話が来るのはこれで3度目。一体どうなっているのだろう。 午後1時半に再びチャイム。これは住宅メーカーの点検と分かっている。東日本大震災後の2回目の点検で無料。先日ペンキがはげて修理した際、気になる所があり来てもらったのだ。潜望鏡のような道具で屋根を見、後は外壁や排水路の点検など。結果は基礎部分に細かいひびが数か所。そして玄関脇の外壁にひびが1か所。いずれも原因は地震で、特段問題はないとの診断だった。やれやれ助かった。 ところでつい最近私のブログで問題発生。12日に書いた東日本大震災に関する私の詩へのコメントで、「関東の人は驚いただろう」云々の書き込みがあり、私は地震は東北の方が酷いと返事した。ところが翌日同じ人が「認識としては関東周辺の地震」云々と再び書き込み。本人がそう思い、自分のブログに書くのならともかく、今も震災や津波や原発事故の後遺症に苦しむ被災地の人に適切な言葉とは到底思えない。 そのことを指摘したら再び当人からコメント。内容は「私はあなたの千倍以上情報に接している」云々。すっかり気分を害し、私のコメントと、その人の最後のコメントを削除した。今回の大震災で多くの犠牲者と被害が出たことは誰でも知ってるはず。それが「関東周辺」との認識とはおかしい。その方の住む地方では皆同じ認識とも書かれていた。 恐らくその人は東北の鉄道の路線が何本、どこで不通になっているか知らないはず。私も地震で不整脈を発症し、親戚が2人津波で死んだことを詩にも書いた。書いてはいないが、妻の兄宅や私の兄宅は地震で全壊した。東北はまだ復興が進んでおらず、大切な家族や家や財産を失くして悲痛な暮らしをしている人がたくさんいるし、故郷すら失った人も多いのだ。 今回の大震災は初め「三陸沖大震災」と呼ばれ、次に「東北大震災」と名前が変わり、最後に「東日本大震災」に落ち着いた。それらはいずれも気象庁の正式な命名だ。「サラダ記念日」で知られる女性歌人が、放射能汚染を恐れ両親を仙台に遺したまま去ったことも、コメントしてくれた人は多分知らないはず。 その人の翌日のブログのタイトルは「ブログ炎上」。東北に住む○○爺云々とある。やはり私の真意を分かってなかったようだ。でなければそんなタイトルはつけないと思う。文章を読めば状況は分かるはずなのに、それが読めないのだ。まして書いて無いことは分からないだろう。だが短い間でもブログ友であったことに感謝したい。私は孤立を恐れない。死ぬ時は誰しもたった一人で向かわなければならないからだ。今はその修行中の身。 「ピンポ~ン♪」。「ハイ、どなたですか~?用件は何ですか~?ネットは虚構の世界です。ほかのお家を訪ねて書き込みする時は、よほど注意してくださいね~」。ブログを読めばその人の暮らしや人生観や価値観がつい分かったような気になるが、それは錯覚。たとえ何年間も続いたブログ友でも「親しき中に礼儀あり」。相手の心情を思いやるのが真の友情だと私は思う。
2013.03.15
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町内会の組織に「豊齢会」と言うのがある。簡単に言えば老人会。これが出来たのは数年前で、これまでは災害時の避難訓練や、健康体操の普及などをやっていた。今年のテーマは近所の歴史で、講師は同じ町内会に属する方。特段歴史や地方史を学んだわけではなく、今の住宅街になる前から、ここに住んでいた方だ。 彼は70代半ばだろうか。良く近所を歩いている姿を見かける。山歩きが好きなようだし、散歩しながら付近の様子の変化を常にチェックしているみたいだ。彼の家は川の傍で、庭には高さ20mほどの柳の木が風に揺らいでいる。目の前の小川に獲って来たカワニナを放ち、蛍を養成しているのも彼。何だか町内ではとても不思議な存在なのだ。 彼が生まれた頃、この周辺は水田ばかりだったそうだ。裏にはひょうたん沼と言う沼があり、そこから流れる小川が田圃の水源になっていた由。江戸時代の図面を観ると、付近にはもう一つ沼がある。今は県立高校の敷地になっているのがその地と言うからビックリ。戦前から戦後にかけて、この周囲の地中には亜炭(あたん)鉱山があった。石炭になる前の粗末な燃料だ。 それを運ぶためのトロッコも通っていたとか。また付近の田圃の中を、近郊の温泉まで小さな電車が走っていた。人も載せたが、温泉地付近で切り出した石材を、1日2回仙台まで積み出したそうだ。私も小学校の遠足で、1回だけ乗ったことがあるが、今は温泉地に車両が1台記念に遺されているだけだ。付近の神社の前は昔からの街道で、一時は国道だったとのこと。 山から流れ出す小川で、昔はたくさん魚が獲れたそうだ。私も今は亡き愛犬とその川の上流部から探検したことがあったが、結構大きな魚が群れをなしていた。川岸に良く見られる竹林は、護岸のためにわざわざ昔の人が植えたそうだ。戦後開拓が入った山は個人の持ち山で、農家の一部は植木を育て、やがて付近が住宅化されると庭園業へ転身した由。今でも周辺には何軒か植木屋さんがあり、何年か前まで「開拓記念」の石碑が立っていた。 終戦の数か月前、仙台空襲があり、この付近にも米軍機が焼夷弾を落としたそうだ。その残骸を彼は持参していた。戦後間もなくの頃は、それらの金属片を集めて売ったことも知っている。現在新しい道路を作っているお寺の裏側にも焼夷弾は落ちた由。この付近に上空まで光を放って敵機を探る探照灯が設置されていたためとのこと。 土地の守り神である八幡神社は、元々70段近い石段の山上に鎮座していた由。そして小さな鉄道の最寄駅は、名取川付近の田圃の中にあったそうだ。小学校はあったが、中学校は遥か遠くまで歩いて通った由。通学途中の道草は、しょっちゅうだったと彼は笑う。彼が嘆いたのは「小字」の消滅。これで由緒ある昔からの地名が、記憶の中にしか残らなくなった。 「裏町」街道の裏に当たるここには昔古墳があった。「三神峯」ここは2つの円墳が残る桜の名所。「名召」今は小さな公園が残るだけ。「王ノ壇」これは古代の方墳が名の興りで、今は「大野田」に変わった。確かに小字名は歴史の謎を解く鍵になるのだが、それを失くせば謎は解けずに終わる。私達は新しくてきれいな住宅街を手に入れた代わり、昔からの懐かしい風景を失ったのだ。 狭い範囲の歴史談話だが、私にとっては十分面白かった。まだ20代前半の頃、この付近に下宿したことがあった。三神峯の裏側から山道を登ると、良く石の鏃(やじり)が見つかった。あれは私達の遠い祖先が、野山で獣を獲った矢の名残。祖先と私達をつなぐ手掛かりなのだ。その鏃が、良く探せば今でもまだ見つかるらしい。
2013.03.14
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一昨日の夕刻、張り切って台所へ行くと、皿の上にサラダとコロッケが載っていた。それも市販のコロッケだ。「ええ~っ、何で?折角俺がシカのステーキを作るのに」。そうは思ったが、言葉に出さず料理にかかった。先ずフライパンを熱して、オリーブオイルを適量。適度の温度になったと思われる頃、シカ肉を入れた。 ジュージュージュー。美味しそうな匂い。時々シカ肉を菜箸で突き、十分に火が通ったと思われる頃、特製のたれをかけた。これはワイン、ウスターソース、焼酎、ミリンに擦ったニンニクとみじん切りの玉ネギを入れて煮込んだもの。量は適当だが、味にはまあまあ自信があった。妻の肉は小さいため皿に盛って終了。私の厚い肉はさらにたれを入れて熱した。 これはきっと美味いよ~。得意気にテーブルに運んだが、妻は一口噛んだだけで食べるのを止めた。私の肉は包丁で小さく切ったが、妻のは塊のまま。「おかしいなあ、こんなに美味いのに」。確かに筋があるのかクジラ肉みたいな噛み応えだが、味は悪くない。それならと、私の肉を一切れ妻にやったが、これも一口噛んだだけで、食べるのを止めた。結局妻はこの日、シカ肉を食べることはなかった。 翌朝は遅い目覚め。ブログには詩を書いて載せた。下書きはなく、頭に浮かんだ言葉をいきなり書き出す。一通り書き終えて居間に行くと、妻は既に朝食を食べ終えていた。早朝から仕事があるためだ。私は台所へ行って、残ったシカ肉の調理にかかった。これは前夜食べ残した妻の分。今度は最初から小さく切り、「特製たれ」を入れて低温で煮込んだ。 食べると実に美味い。何でこんな美味い物を妻が食べないのか分からない。彼女は「食わず嫌い」なところがあり、自分で一旦ダメと思ったら絶対手を出さない。だから女はシェフに向かないのだろう。勝手にそんなことを思っていた。しかし縄文時代の人達はシカ肉を喜んで食べていたんだろうね。自分もまるで縄文人になった感じ。ワイルドだぜ~。シカ肉だぜ~。 午前中はブログに載せた詩を修正し続けた。タイトルも「あの日」から「3.11 そして絆」へと変更し、気に染まない言葉を次々に直した。日頃の文章や俳句も同様で、一旦公開した作品でも、気に入らなければ翌日でも直すのが自分流。十代から詩を書いていた私にとって、「言葉」は大事な道具。とても粗末には出来ないのだ。それは食べ物も同じだが。 昼食後は走りに行く。選んだのは23kmのコース。このところの暖かさで、山の雪は消えたはず。だが、最近は距離の短いコースをたまにしか走っていないのが心配だった。半袖シャツにハーフタイツでも暑いくらいの気温で、たちまち汗が噴き出して来る。登りはさすがに息苦しいが、山頂からの眺めは抜群。気持ち良く坂を駆け下った私だった。 だが思い切り転倒し、体が宙を飛んだ。どうやら道路に盛り上がったところがあり、そこに躓いたようだ。痛たた。タイツの左膝に穴が開き、血が滲んでいる。右肘にも真っ赤な擦り傷。右手の手袋に穴。歳を取ると脚が上がらないのだ。それに下りだと少し先を観るため、つい足元が疎かになる。傍にいたお年寄りが「大丈夫ですか?」と心配そう。 これはショートカットするしかないか。そう思いながら走り出すと、案外大丈夫。結局そのまま23kmを走ったが、好調だった。帰宅後、水道水で良く洗い、ワセリンを塗る。これで一件落着。下着に血が付くだろうが、それは許してもらおう。夕食時の話題はシカ肉。妻と私が出したのは、「シチューだと美味いはず」との結論だった。でも私は「ステーキ」も「素敵」だけどね♪ 夜、WBCのオランダ戦を観戦。先日は16対4の圧勝だったし、この日も8対1と大量リードしていたのでタカを括っていたら、さすがにオランダも後半になった反撃し、危うい雰囲気になって来た。多分油断していたのだろう。10対6で1位になった侍ジャパンは、この日のうちにチャーター便でアメリカへと出発した。いよいよ決勝トーナメントだが、優勝目指して何とか頑張って欲しいね。頼むぞ~侍ジャパン。
2013.03.13
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雪が舞った寒いあの日大地は壊れるかと思うほど揺れに揺れたわずか6分ほどの時の流れがあの日はどれだけ長く感じたことか一通り揺れが治まって外へ出ると電線はまるで縄跳びのロープのようにぐるぐる回り地中から何箇所も水が噴き出していた5日間の停電の末に見たのは飛行機が流れて行く空港や浜辺の松よりも高い津波そして燃える海や流されて行く家々だった停電の間は暖房もなく調理の方法も限られた断水は1週間その間は職場からペットボトルで水を運んだガスの復旧まで35日その間風呂に入ったのはわずか2回東京や名古屋や大阪のガス会社から支援の人が来新潟からのガス管を繋いでようやくガスが通った亡くなった方と行方不明になった方は合わせて2万人以上中には一家全員が亡くなったりそっくり消えた集落もある妻の親戚私の親戚も1人ずつ津波の犠牲になった福島原発が悲惨な事故を起こしたのを知ったのはずっと後あの頃は詳しい情報もなく汚れた雨の中を自転車で通勤した何せガソリン不足でバスが走ってなかったのだ米屋の前でも行列スーパーの前でも行列わずか1本のガスボンベを買うため500人もの人が群がり大根は700円にも跳ね上がったそれでも生きていれば良いどれだけの人が寒空で震えたことだろうだがどこにも悪人は居て死者の指を切って指輪を奪い仮設住宅の闇に潜んで屋外トイレに来る女性をレイプしたそうだそんな物騒な話を何度か聞いたあれからずっと大きな余震が続き多くの人が怯えて過ごした心を病んだ人が何人も出て精神科医までうつ病になったそうだ妻や妻の姉もあの時は狂乱しそのせいで私の心臓は不整脈を起こした他県からたくさんのパトカーが来街中では他県のパトカーが走り廻っていたあの頃サイレンが聞こえない日はなく人々はまるで希望を失ったかに見えた倒壊したビル裂けたり陥没した道路そんなものが日常的だったが陸に乗り上げた巨大な船はやはり異常な風景だあの日から2年親を失い子を失い家や全財産を失った人の心はまだ悲しみの真ん中だ30年も故郷へ帰れない原発付近の人々親戚や走友にもそんな人がいる避難所で未だに不便な暮らしをしている人々はまだ32万人以上もいるのだとか仙石線や石巻線はそのうち繋がるだろうが常磐線に乗って水戸へ行ける日が本当に来るのだろうかいや 私が生きているうちはもう無理だろう福島原発付近に取り残された犬や猫ブタや牛も食べる物に困りブタは野犬になった犬に襲われ飢えた牛は牛舎の柱を齧ったそうだそのやせ細った柱曲がった柱は牛たちの苦しみの証そして彼らの体内には大量のセシウムが蓄積された海も汚れた瓦礫で埋まった海にはまだ行方不明の人がたくさん沈み漁師は放射能で汚染された魚を獲るそれは売れない魚売ってはいけない魚なのだ山も汚れ里も汚れた木々の葉は放射能にまみれ米も他の農作物も全て汚染風評被害もどれだけあったことかそれらはすべて浅はかな人間のせい地震や津波は確かに自然がもたらす災害だがもし日本人がもう少し賢ければあんな場所に原発を簡単に建てるはずがないわざわざ20mの高さを海抜10mまで掘り下げる工事をするはずがないメルトダウンその聞き慣れない言葉を私達は大震災によって初めて知った多くの人々の暮らしを奪い多くの人々を不安のどん底へ落としたその呪いの言葉を岩手の陸前高田では7万本の松が津波にさらわれ美しい海岸をそっくり失ったたった1本残った奇跡の松も塩害でとうとう枯れてしまっただが市民はその松を科学の力で生き返らそうとしている子孫に伝える地震や津波の怖さの教訓として以上に美しい故郷再生のシンボルとしてこれからも強く生き抜く希望の目印として私は決して忘れないだろう大揺れに揺れた6分ほどのあの時間と家が壊れ地球が壊れると感じたあの恐怖を2年前の3.11をまるで呪文でも唱えるようにだがいつか穏やかな日が多くの避難民の方にも訪れることを信じたいそして暖かい気持ちが人々の心に再び蘇ることを「冬来たりなば春遠からじ」イギリスの詩人シェリーが詠ったその遅い春が今も苦しむ被災地の人々にいつかは訪れることを心から信じ辛抱強く待っている私達東北人だ
2013.03.12
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昨日の午前中のこと、久しぶりに走ろうとした途端に天候が急変した。強い風。そして暗い空。干していた布団を取り込み、走るのを止めた。これは雨が降る空模様。切り替えて「名古屋ウイメンズマラソン」を観る。エチオピアの若手ディババ、復活が期待されるシスメックスの野口みずき、そしてダイハツの木崎良子の3人の戦いになっていた。 先ず落ちたのが野口。残念ながら36km付近で着いて行けなくなった。先行するディババに必死に食らいつく木崎。経験の乏しいディババに対し、ロンドンオリンピックに出場した木崎は一日の長がある。40km地点の給水所でスパートすると、みるみる差が開いて行った。タイムは自己新記録の2時間23分34秒。一発でモスクワの世界陸上選手権出場を手にしたのは立派。 復活をかけた野口も2時間24分05秒で、3位入賞はさすが。日本人2位だがタイムが良いため、モスクワの代表に選出される可能性が高そうだ。ここ数年故障で苦しんだ彼女。何度か引退を決意したことがあったようだ。それを乗り切ってのレースだけに、嬉しさは格別だったはず。インタビューでさらなる前進を語っていたのは、ベテランならではだ。 昼食後、ゲットしたシカ肉の処理にかかる。これはS木弟さんが北海道のえりもで獲ったエゾシカのオス。部位は大腿部とのことで、脂肪分が少ない赤肉だった。先ず大きく2つに切り、その1つから3枚分だけ肉を切った。シチュー用にも切る積りだったのだが、妻は既にカレーを作っていたため、ステーキ用だけにした。 所々に包丁を入れて筋を切り、のし棒で叩いて柔らかくし、塩胡椒してラップに包んでチルドに入れた。残った肉は再び冷凍室へ入れ、必要な時に解凍することに。エゾシカが走る姿は、阿寒湖と知床半島で走った時に見たことがある。見事な集団だったが、実際は増え過ぎて森林を食い荒らし地元民を困らせているそうだ。ステーキにするのは今夜。味付けは既に私の頭の中にある。 その後、少し風が治まったと感じランニングへ。4月のハーフマラソンを意識し、フラットな国道沿いのコースを選ぶ。走り出したら、やはり風があった。それでもかなり暖かく、半袖シャツとハーフタイツでも汗をかくほど。最近走ってなかったため14kmで終了。タイムは1時間38分。ほぼキロ7分ペースだが、これが現在の実力だ。 夕方は大相撲観戦。大関、横綱が全員勝利。まあ、その勢いがいつまで続くかが問題だ。6時からは大河ドラマ『八重の桜』を観る。いよいよ新撰組が暴れ出すようになった。最後に八重の結婚相手である新島襄が登場。アメリカの船で密出国する場面だった。あの新島襄も密出国したのかとビックリ。激動する幕末だが、今後の展開が楽しみだ。 7時過ぎからはもちろんWBC予選。対戦相手のオランダは何故か強い。一方の侍ジャパンは、辛うじて勝ち進んで来た。今夜もハラハラドキドキの試合かと思ったら、なんのなんの。侍ジャパンの打つこと、打つこと。結局鳥谷、松田、内川、稲葉、糸井、坂本の6本のホームランなどで16対4の圧勝。7回コールドとは恐れ入った。夜中まで強風が荒れ狂い、ゴーゴーと言う音を聞きながら眠りに就いた。
2013.03.11
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温泉から帰った昨日。そそくさと昼食を済ませてから体育館に向かった。今日は所属走友会の定例練習日なのだ。もう何年も練習に参加していなかった。一昨年の東日本震災後、通っていた内科で不整脈が発見され、循環器内科を紹介されたものの、薬が合わず酷い症状が出ていた。それをようやく2度に亘る手術で退治したはずなのだが、体調は完全に戻ってなかったのだ。 この日も走る予定はしてなかった。目的はシカ肉をもらうこと。新年会の席で希望者にシカ肉を提供すると言う話があり、私も手を挙げていた。走友会の掲示板にもそのことが載っていたので、どうしても受け取りに行く必要があったのだが、夕方から18kmを走るのは無理と考え自転車で行った。 仲間は数人集まっていた。そこへ見たことのある人が2人の若者を連れてやって来た。この人がハンター。私がシカ肉だけもらって帰りたいと言うと、駐車場まで一緒に行った。大きなクーラーボックスの中に、凍ったシカ肉の塊が幾つも入っていた。シカは北海道のエゾシカで、放射能汚染の心配はない由。それに撃ったのはライフルなので弾は入っておらず、血抜きもしてある由。 それにしてもなぜ見たことがあるのだろう。話をすると、彼はS木さんの弟だった。2年前の「いわきサンシャインマラソン」のレース中に、走友会のTシャツで走っている彼を見つけ、話しかけたことがある。彼もそれを覚えていた。今はリタイヤし自宅に帰った由。それで10年ぶりに走友会に復帰したのだ。新しく開拓した1kmと4kmのコースを仲間は走り、私は自転車で伴走した。 Eちゃんは久しぶりの練習らしく、Yちゃんがずっと一緒に走っていた。彼女も昨年は入院したそうだ。人間歳を取れば、どこかにガタが来る。それでも何とか健康を維持して走ろうとする意欲が高いのがランナーだ。途中から別れて帰り、妻にシカ肉料理のことを教えた。ビビっていた彼女も安心な肉と聞いて、ようやく関心を示すようになった。 夕方パソコンを開くと、埼玉に住む筑波勤務時代の後輩から、4月の「行田市鉄剣マラソン」についてメールが届いていた。レースの際、自宅に泊めてくれると言ってたのだが、どうやら開催日を間違えて覚えていたようだ。仙台から乗る東北新幹線の発車時刻を後日教えることにした。レースの前日には鉄剣が埋まっていた稲荷山古墳や、映画「のぼうの城」に映った丸墓山古墳を案内してもらえるのが楽しみだ。その時に桜が満開だともっと嬉しいのだが。 5月は「仙台国際ハーフマラソン」に出る予定。生まれ故郷の繁華街を走り抜けるのは初めてなので、とても楽しみだ。走友会の仲間は勿論のこと、ウルトラマラソン仲間の宮城UMCのメンバーも、相当出場するはずだ。不整脈が出る前は毎年参加していた5月の「仙台鉄人会5時間走」は、案内が来たものの出られない。その時はちょうど沖縄へ旅行中なのが残念。 6月の「しまなみ海道」も案内をもらったが参加せず、その1週間後の「いわて銀河」100kmに出る予定。コースがフラットで制限も長い「しまなみ」の方が、私にとって本当は楽なのだが。6月末には「みちのくラン」がある。今年のコースは不明だが、参加すれば3年ぶり。東京の雲峰師匠など懐かしい顔もたくさん見られるはず。 宮城UMCの恒例行事「薬莱山とお足マラニック」は例年通り、8月の開催が決定。昨年は往復110kmを自転車で参加したが、今年は何とか55kmを走れたら嬉しい。9月の「秋田内陸ウルトラ」の案内も来たが参加はしない。制限時間が私には厳し過ぎ、参加自体が無理なのだ。 9月は「磐梯高原・猪苗代湖マラソン」の66kmの部に出る積り。猪苗代湖を一周するコースで制限時間もかなり緩いため、これが私が完走出来そうな唯一のウルトラマラソンなのだ。だが、全ては今月末の術後1年検診の結果次第。 その診断材料になる24時間心電図計は、先日実施済み。わざわざ心電図計を装着しながら走ったのは決して無謀な試みではなく、普段通りの行動が心電図にどう出るかを確かめる貴重なデータ収集なのだ。夕食時にいつも通りアルコールを飲んだのも同じ考えだ。結論はまだだが、時々嫌な不整脈が生じているような感触はある。それが不安材料だが、練習でゆっくり走る分には問題はない。 このところ疲労を感じて走ってなかったが、今日は久しぶりに走る予定。最高気温はなんと17度になるとか。きっと大量の汗をかくので、ランパン、ランシャツに帽子がないと苦しいはず。ようやく仙台にも春の兆し。私の体調もどんどん良くなると嬉しいのだが。
2013.03.10
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「空からの贈り物があったよ」。朝風呂から帰った妻が言う。「何なの、空からの贈り物って?」。想像はついたが、私はそう尋ねた。「雪よ雪。露天風呂に入っていたら、雪が降ってるの」。そうか。暖かくなったとは言え、まあまあ高度のあるこの辺りは、まだ冬の最中なのだろう。「俺も風呂に行って来るよ」。私はタオルとバスタオルを手に、大浴場へ向かった。 前夜は大変な試合だった。WBC予選のセカンドシリーズ。A組1位通過の台湾と日本との対戦だが、9回2アウトまで1点差のままでこれは日本の負けと覚悟し、風呂に行く積りだった。それが奇跡的に同点に追い着き、延長の10回表にも中田の犠牲フライで1点をもぎ取り、初めてリードしたのだった。試合が終わったのは12時前。もう大浴場に向かう元気はなかった。 この温泉に申し込んだのは、先月行った箱根と伊豆の旅から帰った直後。どこか温泉に泊りたいと妻が言うので、ネットで格安のホテルを見つけて予約した。もう3度目の宿だが、料理も温泉も悪くない。駅まで行けば、ホテルのバスが迎えにも来てくれる。今回のコースは夕食も朝食も共にバイキング方式のもので、それを試してみるのも面白いと考えたのだ。 3時前にはホテルに着き、妻は早速大浴場へ向かった。帰って来たのは1時間後。まあ、相当の温泉好きと言っても良いだろう。私は前日、前々日と農作業をして草臥れており、この日の午前中もさらに畑の整備に夢中になっていた。だから疲れて走る元気もなかった。その疲れを温泉で癒す。何もせずにボーっとしてるのも良い息抜きだ。 じっくり体を洗い、温い大浴場、露天風呂の熱い湯、温い湯、サウナと一通り試して、最後は水風呂で終わった。それでも本物の温泉はじっくりと体の芯から温まる。夕食は失敗。最初に普通のおかずを皿に盛り過ぎた。良く見たら専門のスタッフが暖かい料理を作って待ち構えているコーナーがあったのだ。安ものが中心のメニューになったが、それはそれで美味しく、食べ過ぎないのが一番。 朝は眠かった。何せ睡眠時間は5時間にもなっていない。前夜結構食べたが、風呂から上がると既に空腹状態。朝食は失敗しないよう注意したが、やはり最初に目に飛び込んだパンを皿に取ってしまった。こうなるとそれに合う料理にならざるを得ない。野菜サラダや卵料理、ハム、ソーセージにヨーグルトと果物。そして牛乳とブルーベリージュースのミックス。いつもは和食の朝食で、パンは1年に1度もないほど。だが、クロワッサンもなかなか美味しい。 妻は朝食後も風呂へ行った。これで4回目の入浴。一方の私は半分の2回だけ。妻の長風呂の間に一眠りする。多分1時間は眠れたはず。これでかなり体調が良くなった。長時間野球を観戦しただけの私に対し、妻は夜も朝も体操をし、4度も温泉に浸かってしっかり「元」を取った。10時半まで部屋でのんびりし、ホテルのバスで仙台へ。 車中から白い雪を被った奥羽山脈が望めた。雪煙が上がる屏風岳、前烏帽子に後烏帽子、刈田岳、仙台神室、大東岳、そして遥かに船形山までの大パノラマ。風は強いが光は春めき出している。だが杉林がやけに黄色い。このところの暖かさで、大量の杉花粉が成長しているのだろう。自宅で昼食を摂ったのは2時近く。ホテルで2食ともしっかり食べたせいか、さほど空腹ではなかった私達だった。
2013.03.09
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昨年の秋に作った白菜23株が全部なくなった。ほとんどが漬けものにして一冬食べた。甘くて美味しい白菜だった。25本ほど作った大根は残り2本。それも土の中から掘り起こした。この冬初めて「へそ大根」を作った。軽く茹で、篠竹に刺して寒風に曝す。まるでへそのように丸い穴が開いた大根。それが煮物にすると、とても美味しいのだ。 もちろん大根おろしにもしたし、おでんにも入れた。仙台では人参などと一緒に千切りにし、お雑煮にも入れる重宝な野菜だ。それがこの冬の厳しい寒波で、野菜の値段が高騰したため、相当家計を助けてくれた。夏に採れたモロッコインゲンは冷凍保存し、まだ残っている。これは最後の収穫分だが、さほど堅さもなく美味しく食べている。 そんな訳で、農作業がとても待ち遠しい。一昨日、昨日と暖かい日が続いたため、早速庭に出る。先ずは雑草の始末。ハコベ、ヨモギ、ホトケノザ、イネ科の雑草など。今の時期はさほどの手間ではない。見つけるのが簡単で、しかも抜けやすいからだ。次に玉ネギの苗に化学肥料と発酵鶏糞を追肥。100本植えた苗は5本ほど枯れていた。 次にアジサイなど通行の邪魔になる枝を剪定。その後は芝生を切り取り、畑を拡張する。これが実に厄介だ。芝生は根が深いし、その下の土は堅く、石ころがゴロゴロ出て来る。剥ぎ取った芝生の大部分は捨て、一部を移植。土は「ふるい」にかけて残った石を捨てる。初日は5時間で作業を終了。2日目も朝食後から作業に取り掛かった。 4本の畝を拡張した部分は50cmほどだが、それでも結構広くなった。次に南の畑と東の畑をスコップで耕し、出て来た石は除去して捨てる。その上に発酵鶏糞と石灰を撒き、鋤ですき込む。日当たりの良い南の畑にスナップエンドウの種を蒔き、目印をつける。東の畑の手前側には、買って来たジャガイモの種イモを植えた。 銘柄は男爵。小粒な種イモは全部で13個。それを2つに切り、「灰」をつけた。柿の葉、枯れた菊、木の枝、芝生の根などを焼いて作った灰に、石灰や土を混ぜた。切ったジャガイモの表面にこれをつけると消毒になり、栄養にもなる。スナップエンドウには水を撒いた。植木鉢に蝋梅(ロウバイ)の種を3粒埋めた。小さな木に育つには6年もかかる由。この日も5時間の作業でヘトヘトに。何せ中腰での作業はとても疲れる。 疲れるけど、とても楽しいのも農作業。夏野菜の準備は4月末からだが、どこの畝に何を植えるか良く考える必要がある。連作障害の対策だ。また、その後をどう活用するか、冬野菜のことまで考慮する必要があり、結構頭を使う。すっかりきれいになった畑を観て喜ぶ妻。ほとんど何もしない彼女だが、収穫だけは楽しみなのだ。 フキノトウが幾つか芽を出した。アシタバも何本か青い葉がある。それらは冬の間、じっと雪の下で耐えていたもの。そのうちミツバやニラも芽吹く。庭には可愛いスイセンの芽。クリスマスローズももうすぐ咲きそうな気配。梅はまだ堅い蕾だが、4月になれば、庭は一斉に咲き出す花で溢れる。お前のお墓にも、何か花を植えようねマックス。 今日は午後から温泉に行って一泊します。明日のブログ更新は多分遅くなるはず。どうぞご了承を。
2013.03.08
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少し前になったが、イカが海の上を飛ぶ映像をテレビで見た。北海道大学大学院水産科学院が世界で初めて水面から飛び出し、着水するまでの連続撮影に成功したものだ。イカは敵が近づくとロート管から勢いよく水を噴出して速度を増して逃避するが、映像を分析した結果ジェット推進による加速と、腕とヒレを広げることによる揚力を発生させ、それをコントロールして着水することが分かったそうだ。イカも生きるために必死なんだね。 スエーデンのランド大学などの研究チームがプラネタリウムを使って実験した結果、昆虫のフンコロガシは「天の川」を手掛かりにして、糞の玉を転がすことが判明したようだ。天の川を写した場合はほぼ一直線に転がすが、明るい星が少ない場合は方向が定まらず、大幅に運動が遅れるそうだ。糞は彼らの大切な餌で、敵に奪われないよう夜間この行動をするのだが、まさか遥かなる天の川を観測していたとはねえ。 渡り鳥やアザラシなども特定の星を手掛かりにして移動することが分かっているそうだが、鳥は鳥目のはず。夜間でも目が見えるのだろうか。古代エジプトではフンコロガシは聖なる神の使いであるスカラベとして崇められている。丸い糞を古代エジプト人は太陽と見、それを運ぶフンコロガシを太陽を運行する聖なる動物と考えたのだ。 同じくスエーデンのウプサラ大学などの研究によれば、肉食性の強いオオカミが住居近くに捨てられた作物や食事の残り物を漁ったことが、家畜化の重要なきっかけと考えられるようだ。でんぷんの消化吸収の働きが高まった結果、脳神経の発達に関する遺伝子の働きが変化し、人間社会に馴染むイヌに変化したみたい。そうか。ワンコはそうやって人間の友達になったんだね。 奥州藤原氏の居館である柳之御所跡(平安時代末期)から発掘された折敷(おりしき=四角いお盆)には、カエルの絵が描かれている由。これがなぜか有名な国宝「鳥獣人物戯画」のカエルにそっくりなのだそうだ。不思議だねえ。なお、この遺跡からは大量の「チュウギ」が出土している。これはトイレットペーパーに相当する小さな板きれ。既にこの当時から水洗トイレがあったんだよ。 医学の研究で霊長類を使う実験が見直しされている。先ずEUが2010年に禁止し、これに日本とオーストラリアが追随したが、アメリカもようやくこれに同調することが決定。2011年現在、アメリカには937匹の実験用チンパンジーがいたが、今年はそのうち110匹を自然保護区に放つそうだ。今後はブタなど、他の動物に切り替えることになる。 さて、東日本大震災から間もなく2年を迎えるが、福島原発周辺で逃げ出した牛の体内に大量のセシウムが蓄積されていることが判明したそうだ。東北大学の研究によれば、筋肉に含まれる量は血液中に含まれるセシウムの21倍にのぼる由。これによって牛を処理する前に血液検査で汚染度を推定するのに役立つとのこと。なるほどねえ。 東北では野生のイノシシからもセシウムが検出されている。これはもちろん原発の放射物質が風で飛散し、汚染した植物を食べた動物にセシウムが蓄積されるためだ。そうなるとシカの肉にもセシウムが含まれている可能性が高い。さて、土曜日にもらうシカの肉はどうかな?安全なものだと嬉しいのだが。
2013.03.07
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マダニによる死者が出ている。昨年山口県で亡くなった他、愛媛、宮崎、広島でも亡くなり、7年前長崎でも1人亡くなっている。死因はマダニのウイルスによる新型の感染症で、発症すると、発熱、食欲不振、血小板と白血球の減少が生じ、致死率は10%ほどのようだ。特効薬はまだ見つかっておらず、潜伏期間は6~14日とか。 この病気は中国で集団発生して問題となったが、中国のものとはウイルスの型が違う由。草むらに入る時には長袖のシャツと長ズボンを着用し、ダニに噛まれないよう注意するのが一番の対策。愛犬マックスが生存中、このマダニに噛まれたことがあった。小さなマダニが一旦獲物に喰らいついて血を吸えば、体は20倍にも膨れる。丸々黒々のマダニを20匹以上取って潰したことを思い出す。 マダニや山ヒルが人里に出没するようになったのは、生態系が変わったせいだろう。食べ物を求めて、イノシシやシカなどが人里に近づく。ダニや山ヒルはそれらの動物にひっついて来るのだ。シカも増えているとのこと。先日エゾシカを撃って食べる女性ハンターが新聞に紹介されていた。北海道のエゾシカは深刻な農林業被害をもたらしており、個体を減らす必要がある由。 この女性は大学でエゾシカの生態を学び、医学部に再入学して感染症の研究をした人。今は森林総合研究所の研究員としてエゾシカの管理に取り組む一方、仕留めたシカの肉を料理して食べる運動を興している。私達の走友会でもハンターが撃ったシカの肉をもらえることになった。妻は怖がって料理をしたくないようだが、私はもらって料理を作ろうと思う。受け取るのは今度の土曜日。さて、どんな鹿肉料理を作ろうか。 動物園のゾウが仲たがいしたようだ。北九州市小倉北区にある到津の森公園で30年来仲良く暮らしていたセイロンゾウのサリーとランだが、サリーの体調不良がきっかけで優劣関係が逆転したのが喧嘩の原因とか。ボスの座を狙ったランはサリーの尻尾を噛み、体当たりし、威嚇を続けている由。温和なゾウのメスでも、ボスの座を争うことがあるんだねえ。ふ~む。 昨年の暮れから東京スカイツリーの高さ25mの「ひさし」にカワウ(川鵜)の大群が押し寄せ、大量の糞を撒き散らしていたようだ。対策として、ひさしに細いワイヤーを張り、カワウが止まれないようにした由。数年前には上野動物園にカワウが押し寄せ、他の鳥達の餌を横取りする騒動が起きている。また琵琶湖の竹生島では、カワウの糞で島の樹木がすっかり枯れたことがあった。糞害はそれほど酷いのだ。 東京海洋大学の研究者が魚の精巣の凍結保存に成功したそうだ。この技術を使えば、ニジマスがヤマメを産むことが可能になる由。詳しい説明は省くが、この細胞移植はクローン技術でも遺伝子組み換えでもなく、安全な方法らしい。将来はサバがマグロを産む可能性があるそうだ。もしも実現すれば、日本が8割を消費するクロマグロの枯渇を救えるかもね。<続く>
2013.03.06
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猛吹雪の北海道で9人の方が亡くなった。車が雪に埋もれて一酸化炭素中毒死したり、ホワイトアウトで方向を見失った方が多かったようだ。合掌。札幌のブログ仲間(と言っても、私は滅多に書き込みをしないのだが)のたくちゃんは、その後ブログを更新してないので、無事デンマークへ出国出来たのだと思う。 あの日、彼女は新千歳空港近くのホテルに1泊すると書かれていた。そこから成田経由でデンマークへ行ったのだろうが、始発の頃はまだ飛べたのだ。漢字検定試験1級に何度も合格し、川柳の会に入り、自治会の仕事をしながら、ある社会学級で学んでいた彼女。多分73歳くらいだと思うが、その向上心には驚かされる。今回の旅行も、同学の仲間とデンマークで交歓する旅なのだ。帰国後のレポートが、とても楽しみだ。 千葉の亀仙人がチリから帰国した。彼は私と同学年で仕事もマラソンの趣味も共通。「立山登山マラニック」で一緒になったことがあるが、彼はこれまでにインカ帝国のシンボルであるマチュピチュ遺跡に2度、モアイ像のあるイースター島に1度旅し、今回は南極に近いパタゴニア地方に行った。まあどれほど南米大陸が好きなのだろうと驚く。 3月3日、4日開催の「小江戸、大江戸フットレース」が終わった。距離94km制限が13時間の「大江戸ナイトラン」に参加した星峰さんが無事完走したことは彼女のブログで分かったが、203kmの部(制限36時間)に出ていた宮城UMCの仲間達はどうだったのだろう。いくら暖かい関東とは言え、夜は気温が下がるはず。結果が気になるところだ。 近く「台湾一周」1100kmに出られるコノちゃんのブログを見たら、沖縄の野菜「ハンダマ」のことが書かれていた。先月沖縄本島を一周した時に食べた野菜の茎を19本ほどもらって来て、コップの水に漬けた所、根が出て来たようだ。それをこのたび畑に移植した由。トランスヨーロッパに出たウルトラランナーが広大な畑を耕しているのは、とても興味深い。 一昨年沖縄で食べた時、金沢の「金時草」に似てると思ったら、やはり同じものらしい。おまけに熊本では「水前寺菜」と呼ぶことも彼のブログで知った。台湾一周は13日間で走るようだ。1日平均84.6kmの走り旅。日本からの出場メンバーは、いずれも錚々たるウルトラランナーばかり。果たしてどんなレースになるのやら。 さて、昨日は病院でホルター心電図を装着して来た。不整脈手術の1年検診のためだ。1月の「寅さん詣で」、2月の「いわきサンシャイン」参加後、気持ちの悪い動悸を感じていた。血液検査で特段の指摘はなかったが、かなりの疲労感や、軽いめまいもあった。また不整脈が起きた心配があるが、それは24時間装着する今回の心電図で分かるはず。 昨日はそのまま走って家に帰った。久しぶりの山越えで、青葉城から動物公園に向かう山道は、まだ凍結したままだった。心電図計は今も私の胸にあり、自動的に鼓動を捉えている。この結果が分かるのは今月の21日。目下ハーフマラソンを2回、100kmレースを1回エントリー済みだが、参加可能な体調だと嬉しいのだが。 整形外科のスポーツドクターには、ランニング禁止令が出されているが、手術を受けた病院の主治医には、ランニングを止められていない。ランニングから他のスポーツに切り替えるとしても、心臓の具合は気になる所。2回目の手術を受けた後の昨年5月には、肺活量が減って風船を膨らますことさえ出来なかった。そしてようやくランニングを開始したのが8月だった。 あれから7カ月。かつての体力と走力を取り戻すのは無理だが、老後を楽しく過ごすためにもある程度の健康は保ちたい。こんな「前期高齢者」だが、夢はある。ゆっくりとでも良いから走れ、低い山でも良いから登れ、いつかはシルクロードの近くまで行くことだ。今日は再び病院に行き、心電図計を外して来る。もちろん帰りはランニングの予定。たとえ小さくても、夢を観るのは楽しい。
2013.03.05
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実に不思議な映画だった。1組の男同士の友情。1組の男女の愛情。そしてふとしたことから養育することになる幼い子供。それがまた偶然の悪戯で、パキスタンの奥にある桃源郷、フンザへ旅をすることになる。そこで出会った雄大な景色。そして現地の老人の口から発せられた謎の言葉とは。 原作は宮本輝の同名の小説とか。私は彼のことを何も知らなかった。今回の映画を観た後ネットで調べ、少し分かっただけだが、苦労の末に作家になった経緯を知った。昭和22年生まれの神戸出身。『泥の河』昭和52年で太宰治賞。『蛍川』昭和53年で芥川賞。『優駿』昭和62年で吉川英治文学賞。『約束の冬』平成16年で芸術選奨。『骸骨ビルの庭』平成21年で司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。平成22年には紫綬褒章を授与されている。 『草原の椅子』と言ってもピンと来ないはず。だが、敢えて説明は省く。フンザの大草原を見降ろす椅子に座って眺めた光景と語られた言葉。それがエンディングとだけ言っておこう。ふとしたことで出会う宿命的な邂逅。それがこの映画の全て。だからこそ人生は面白いし、捨てたもんじゃない。 観覧後、妻に感想を聞いたら、さほど印象に残らなかったようだが、私は違う。ひょっとして、これが男女の差だろうか。テーマはまさに男冥利に尽きるもの。男が抱く永遠の夢なのかも知れない。そういう意味では男が創った話とも言えよう。友情も良し。中年男女の出会いも良し。そして桃源郷フンザの雄大な光景が忘れられない。 今日は未完成のままでブログを更新する。これから病院に行くのだ。そしてその帰路、私はある実験をしようと思っている。この続きは、帰って来てから書く積り。出来れば夕方にでも再び読んでいただければありがたい。 ーーーーーーーーーー ☆ ☆ ☆ ーーーーーーーーーー<追記分> 午前中のうちに病院から帰宅した。「実験の話」は明日書くとして、映画に関する若干の補足を記しておこう。監督は『八日目の蝉』の成島出。主題歌はGLAY。出演は佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子、若村麻由美、小池栄子など。吉瀬美智子が可愛かったなあ。小池栄子はメイクなしのスッピンと、メイク後の顔が観られ、ソゾ~っとしたのが実感。 原作者の宮本輝は、阪神淡路大震災の後、シルクロードを40日に亘って6700km旅したようだ。この『草原の椅子』は、その時の体験を元にして書いた小説が映画化されたもの。パキスタンで長期滞在して撮影したのは、日本初のこととか。昨年の秋に亡くなった大学時代の友人が、シルクロードが大好きで、何度も現地を旅したことを思い出した。シルクロードへの旅は、私の長年の憧れでもある。
2013.03.04
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≪ さよなら富士山 ≫ 添乗員さんがしきりに「田方平野」と言う。初めて聞く名前だ。後で調べたら、この辺はかつての田方郡。きっとその名前を採ったのだろう。その中心地が三島。ここには古代、伊豆国府が置かれていた。平安末期にここを守ったのは山木氏。あの北条政子が本来嫁ぐべき相手だった。それを逃げ出して、源氏の御曹司である頼朝の所に走ったのだ。 一説に拠れば、三嶋大社は愛媛県大三島にある大山祇神社との関係が深く、古代から伊豆一宮として尊崇を集めていた。地名の三島も、この神社から来ている。富士の裾野で東海道の要所でもあり、箱根峠の西の入口に当たる。民謡に「のうえ節」と言うのがある。「三島女郎衆はのうえ 三島女郎衆はのうえ~ のうえのさいさい 女郎衆はお化粧が長い」と延々と続くあの歌だ。 バスは三島から沼津へ向かう。途中柿田川湧水群を通る。ここは富士山からの地下水が湧き出る所。とても水がきれいで、バイカモと言う梅に似た花を咲かせる水草が繁茂している川だ。とある水産物加工店でトイレ休憩。ここが最後の立ち寄り所なので、皆は競って土産物を買う。立派な干物が結構良い値段だ。我家はアジの干物と2種類の揚げ蒲鉾を買った。 揚げているのを見たため地元産と思っていたのが、家に帰って開けたら三重県産だったのにはビックリ。この調子だと立派なアジも外国産だったのかも知れない。まあ最後の最後まで驚きの連続だった今回の旅。良い社会勉強をさせてもらったようだ。バスは長泉沼津ICから新東名高速道に入った。私にとっては初めての道だった。 「富士山が見えますよ。よほど皆さんの行いが良いんですね」と添乗員。なるほど左手に雄大な富士の姿。十国峠では雲に隠れて全く見えなかった富士が、最後の最後になって再びその勇姿を見せてくれたのだ。皆は歓声を上げた。慌ててシャッターを切る人。妻もカメラを構えたが、防音壁が邪魔になってなかなかシャッターを押せない。やがて御殿場ジャンクションで東名と新東名が合流。ここから神奈川県の北部へと入った。ここも初めて通る道だ。 帰路、首都高速と東北道で事故による渋滞があった。それでも仙台駅には予定通り10時半に到着した。最終バスで家に着いたのは11時半。朝8時にホテルを出てから既に14時間半も経っている。長時間じっと座っていたため、体がすっかり堅くなっていた。翌日ネットで温泉宿を申し込んだ。これは3月分。やはり本格的な温泉は東北に限る。そして5月の沖縄旅行代金を振り込んだ。4月は福島へお花見に行く予定。今年も面白い旅を味わえそうだ。 昨日何気なくノートをめくったら、十国峠で作った俳句が見つかった。どうやら慌てて別の個所に書き留めたようだ。富士に始まり富士に終わった今回の旅だが、唯一富士を仰げなかったのが絶景ビューポイントの十国峠。まあ、それも愛嬌かも知れない。そう考え直し、記念に記しておこう。<完> 雲厚く 富士見へざりし 峠かな (十国峠) 伊豆、駿河 青き海見ゆ 峠かな (十国峠) 雪残る 峠の道や 伊豆の旅 (伊豆スカイライン) 初島の 光れる海に 浮かびける (伊豆スカイライン)
2013.03.03
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≪ 天城越え ≫ 途中でトイレに寄っているうちに、旗を持った添乗員さんが見えなくなってしまった。必死で後を追うと、立ち止まっている集団がいた。良かった、何とか間に合った。ここからが自由行動で、集合場所と集合時間を指定される。地図を見ながら一旦上流に向かう。ところが、咲いている樹はまばらなのだ。おかしいなあ。本来なら桜は寒い上流から咲き始めるはずなんだが。 帰宅後に聞いたら、駅前や川沿いの一部の樹にはホルモン剤を注射して、早く開花させているようだ。もちろん観光客を呼び込むためだ。私は今年の冬の寒さを考慮し、わざわざ旅行日を1週間後に変更したのだ。そして河津町観光協会のHPで開花状況を確認もしていた。確か1週間前で4分咲きだったので、そろそろ満開だと楽しみにしていたのだが。 曽我の梅と言い、河津の桜と言い、宣伝だけが先行している感じ。まあ、箱根の温泉もそうだが、観光地の実態はこんなものなのだろう。来た道を戻って安い店を探し、一山300円のポンカンを買った。そして昼食用には「サンマ寿司」と「キンメ寿司」。キンメダイは伊豆の特産物で、刺身も美味いようだ。ついでに添乗員さんお薦めの店にも寄った。どこでも例の呼び込みが激しい。 指定の店にいたのは一人のお婆さん。素朴な店だが案外値段は高く、買うのを止めた。バスに戻って落ち着いた頃、何だか不思議な雰囲気。知らない男が黙って乗り込んでいたのだ。どうやら何かの販売員のようで、やがて動き出した車中で宣伝が始まった。売っていたのは干した山ブドウ。わざわざ南アフリカで生産させたもので、1袋380円を5袋千円で良いと言う。 争うように皆は買ったが、私達は買わなかった。前の座席の小母さんが言う。添乗員さん指定の店やこの販売員から、ツーリストは謝礼をもらっているのだと。あの呼び込みにも驚いたが、そんな「仕組み」にも驚く。ふ~ん、世の中ってそんなものなのか。途中河津桜の原木を観た。一人のお爺さんが偶然山で見つけたのを庭に植え、珍しいため次々に挿し木で増やしたようだ。 河津桜はヒカンザクラ(緋寒桜)とオオシマザクラ(大島桜)が自然交配したもので、色は強いピンク。花は下向きに咲く。これはヒカンザクラの特徴だ。販売員は間もなく降り、私と妻は寿司を食べた。押し寿司だからなかなかのボリュームだし、味も悪くない。さて、ここからいよいよ国道414号線での天城越えが始まる。川端康成の小説「伊豆の踊子」で、踊り子達が通った道だ。 河津七滝は「ななたる」と呼ぶ由。古くは滝を垂水(たるみ)と呼んだ名残だろう。湯ケ野温泉が踊り子達が泊った地らしく、その先のループ橋が珍しかった。浄蓮の滝には寄らなかったが、滝の高さは30mほどらしい。新しく出来た修善寺道路や伊豆中央道路を通る。伊豆長岡温泉は、全国会議で行った所。ここから海岸まで12kmほど走った思い出がある。現役時代は出張先でも走ったものだ。<続く>
2013.03.02
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≪ 見えない富士と河津桜 ≫ 風呂を出て、顔や手に高価そうな乳液を塗る。かかとや足の裏の堅い部分は、特殊な「やすり」でかなり滑らかになった。部屋に戻ると鍵がかかっておらず、返事もない。妻はまだ眠り続けていたのだ。7時になるのを待ってレストランに行く。夕食のメニューはとても丁寧に作られていた。美しく繊細な料理。ヘルシーでボリュームはないが、全ての点で満足出来るものだった。 8時から大河ドラマ「八重の桜」を観る。妻はベッドだが、私は畳に布団を敷いた。まだ眠いのかうつらうつらしている妻。ドラマが終わると妻は眠り、私はワインを飲みながら侍ジャパンの強化試合を観ていた。だが、いつの間にか疲れて眠ったのだろう。妻の「テレビを消して」と言う声で目が覚めた。室温23度の暖房と、軽くて暖かい羽毛布団で、朝までぐっすり眠った私だった。 翌朝の起床は5時前。早速朝風呂へと向かう。大浴場には誰もいない。今朝は露天風呂は男の番。外へ出ると植木で景色が全く見えない。建て込んだ観光地の温泉で開放された景色を観るのは難しいのだろう。その植木に雪。標高600mの強羅温泉は、やはり下界とは違う。入れ替わりに妻が浴場へ行った。 妻はすっかり元気を取り戻し、朝食をモリモリと食べた。バイキング方式だが、種類が多く丁寧で美味しいものばかり。ロビーで新聞を読むと侍ジャパンは阪神に敗れていた。8時ちょうどにバスが出発。目の前の明神ケ岳に「大」の字。お盆には「大文字」の送り火を焚くようだ。 旧1号線を芦ノ湖へ向かう。強羅温泉に泊ったことがあるM仙人は、朝早く起きて箱根駅伝のコースを走ったそうだ。やはり仙人はやることが違う。車窓から芦ノ湖や箱根の旧関所跡を観る。昔の杉並木も一部残っていた。石畳の道もあるようだ。箱根峠から十国峠に向かう。ここは富士山を仰ぐ絶好のポイントなのだが、生憎の曇り。残念ながら富士は雲に覆われて、全く姿を見せなかった。 短いケーブルカーが見える。晴れたら山上からの眺めは最高だろう。十国峠の名の由来は、安房、下総、上総(以上千葉県)、武蔵(埼玉、東京都)、相模(神奈川)、伊豆、駿河、遠江(以上静岡県)、信濃(長野県)、甲斐(山梨県)の旧10カ国がこの峠から見渡せることからの命名。ここからの美しい富士が印刷されていたのは、確か500円札の裏側だったか。 バスは伊豆スカイラインを南下。足元には駿河湾と沼津、三保ノ松原が見えた。亀石峠から東伊豆の宇佐美へ下りる途中、「ミカンの見える丘」の歌碑の前を通過。「ミカンの花が咲いている♪」のあの歌だ。宇佐美集落の柑橘類に車中から歓声が湧く。やはり東北の人間には珍しいのだ。添乗員さん曰く。「南の人には東北の木に生るリンゴが、北海道の人には本州の木に生るカキがとても珍しく感じるもの」らしい。芝生の美しい大室山は野焼き直後で、真っ黒だった。 伊豆高原駅から「伊豆急」に乗る。私達が乗ったのは窓の大きな車両。窓側にソファー型の椅子が並び、乗客は海を眺めながらビールを飲んでいた。私達は向かい合った座席。地元の方が窓際の席を譲ってくれたのだ。海の向こうに伊豆大島、利島、新島など伊豆七島の一部と、扁平な房総半島が見えた。河津駅で下車。いよいよ待望の河津桜が観られる。 駅前で添乗員さんから「決して呼び込みに釣られないこと」と厳重注意。なるほど、桜並木も凄いが、それに負けずズラリと並んだお店からの呼び込みが猛烈。「ちょっと味見して」の猛攻撃が数百mも続く。河津川から川沿いに本格的な桜並木。ここにもまた各種のお店が連なり、熱心な呼び込み攻撃が続く。なるほどねえ。<続く>≪ 2月のラン&ウォーク ≫ ウォーク:67km ラン回数:9回 ラン距離:142km 月間合計:209km 年間合計:500km うちラン:361km これまでの累計:81416km
2013.03.01
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