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認知症の母の入所している施設はこれまでの面会は夕方に2組、15分間という制限がありました。それが、6月後半から予約なしで時間も午前~午後までできるようになりました。時間だけ20分の制限ありです。さっそく、姉と午後の早い時間に面会に行ってきました。これまでは1階ロビーでアクリル板越しでしたが普段母が過ごす階まで行くことができ広い談話室のようなところの隅に面会コーナーができていました。コロナで施設見学も1階ロビーのみでしたので初めて母がいる階に入れましたが広々と明るい感じでほっとしました。普段過ごし慣れた場所なせいか母もこれまでよりも反応も良かったです。だいぶ認知症が進行してきてこちらの問いかけにも反応しないことも増えていたのですがこれまでの面会のなかで一番答えてくれました!とは言っても、大丈夫 とか 食べてる とかわからない いいわね すみません 程度です。でも、目が合うとにこにこ。私たちが娘だとわからなくてもずっとにこにこです。これまでは、手を握ることも禁止されていたのですが握ると力強く握り返してくれました。歩くことは厳しく車いすですがまだまだ体は元気です。帰るときもずっと手を振る母。毎回、手を振る母を背に帰るときは胸がきゅっとします。母の存在って、やっぱり特別なのだと思います。
2023.06.29
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母の入所している老健施設で対面面会が再会されました。面会はひと家族15分で1日2家族。まだまだ制限はされています。が、会えるようになっただけ良かったです。早速予約をしましたが時間が16時半と夕方なので(16時半か17時の枠になります)まずは実家へ行って、実家近くの大きな公園に姉と散歩に行きました。目当ては桜。息子や甥っ子たちが小さかった頃は、家族みんなでお弁当を持ってお花見をしたものです。桜祭りの際は舞台ができて、母が地元のサークルの発表で民謡舞踊を踊っていたこともありました。遊具の広場は、実家に来るたび子供たちを連れて遊びに行ったものです。時の流れを感じながらのお花見散歩でした。そのあとは、施設から車で10分の場所にある父のお墓参りに面会の前に行きました。どうか、お母さんを見守ってください、といつも通り手を合わせる。。。面会ではいつもながら満面の笑みで手を挙げて迎えてくれる母。ぶつぶつしきりに何かを言うけれど意味をなす言葉はたまにしか出ない。こちらの「ごはんちゃんと食べてる?」のような簡単な質問にもだんだん答えられなくなっている。。。でも、ときどき目が合うと笑顔。付き添いの介護士さんに「いつもこんなにぶつぶつ言っているのですか?」と聞くと「いえ、そんなことないです。皆さんがいらしてるからですよ」との言葉。そうか、きっと母なりに語り掛けてくれているのね。。。いつも少しだけ切なくなる母との面会。でも、笑顔を見るとほっとします。どうかいつまでも元気でいてくれますように。
2023.04.03
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先日は父の命日でした。あれからもう2年。早いなぁ……あの頃は息子の大学受験真っ盛りでコロナ禍でもあり気持ちの変動も大きくて大変でした。ストレスのせいか、首や肩が異常に痛かったしちょっと痩せましたしね。それに比べると、今の日々の落ち着いていること。何もない幸せを感じる日々です。。。父はもう亡くなっていますがもともとそんなに家族と会話の多い方でもなかったせいか日常生活自体に変わりなくなんだか今でも実家にいるような錯覚に陥ることもあります。いなくてもやっぱり父親で、忘れることはなくて。それは、認知症で私たち子供のことをすっかり忘れた母であってもやっぱり私たちにとって母親に変わりないことに少し似ている気もしました。いるようでいないいないようでいるのような……言葉遊びではないですが。先日、お墓参りもしてきました。病院付き添いで会った母に「命日だからお墓参りしてくるね」と声をかけましたがきょとんとしてよくわかっていませんでした。姉とお墓参りをしましたが雲ひとつない青空の気持ちの良い日でした。
2023.01.25
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10日ほど前のことですが記録です。施設にいる母の面会に行ってきました。面会は予約制でビニールカーテンごしに10分間です。短いですが、それでもzoom面会ではいまいち反応がなかった母も手を振ってお出迎えしてくれにこにこと笑顔で少しは反応してくれました。認知症が進行している母は聞いたことにはあまり答えられず会話はどんどんできなくなっています。でも、元気そうな笑顔を見られるだけでなんだかほっとします。あっという間に10分が過ぎ次の面会を予約しましたが……コロナが増え、施設にも複数の陽性者が出てしまいました。ということで、再び面会中止との連絡が入りました。。。先日会っておいてよかったねと姉と話していました。今回、家族のコロナや仕事でバタバタして面会制限解除後、1度しか面会できませんでした。まあ、面会できる期間が結局1か月ほどしかなかったのですが(^^;)(しかも1日2組なので予約も取りにくい)でも、今度できるようになったらもっと頻繁に行きたいなと思いました。
2022.11.22
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80代、認知症の母は1月に骨折・入院、その後、老健施設に入所しています。コロナで面会はできず会えるのは3か月に1回の病院の付き添いのときくらいでした。ZOOM面会はしてみたものの認知症が進んだ母には、意味がわからずほぼ会話にもならずでしたので面会できるのは嬉しいです!とはいえ、まだまだ制限は多く、ビニールカーテン越しに10分間のみ……1時間かけて施設に行って、10分とはね 汗クラスターにもなったことがあるので施設も注意しているのでしょう。面会できるようになっただけよしとします。母とは先日、病院の付き添いで3か月ぶりに会いましたがさらに認知機能が落ちている感じがしました。。。わかる言葉が減っているし、反応も減っている。「元気?」「元気」「ちゃんと食べてる?」「食べてる」できる会話はこの程度です。「何をしてたの?」のような質問には答えられません。あとは一人でよくわからないことをぶつぶつ言っていることが増えていました。認知症は脳の病気なのだな、と実感します。。。とはいえ、面会できるようになったので時間を作って母に会いに行こうと思います。
2022.10.11
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先月末に老健施設に入所している母がコロナに感染。発熱や嘔吐があり点滴をしている状態で心配していました。ですが、先日施設に確認したところ熱も下がり食事もできるようになり安定している様子とのこと。ほぼよくなっているようで、ほっとしました。コロナで亡くなる方を見ると高齢の方が多いので心配しましたよ~。友人のお母さまも施設に入所しておりコロナではないのですがだいぶ衰弱しており先日、一時危篤状態に。今はまた安定しているようですがいつどうなるかわからない、と言っていました。もう長くはないとしても、会いに行けないのはもどかしいしつらいですね。。。この夏は規制のないお盆休みになるようですが施設はいまだ面会ができない状態です。高齢者はリスクが高いので仕方ないのかもしれませんがコロナウイルスはこの先もなくなることはないと思うのです。そうしたら、ずっと会えないままなのでしょうか?施設側も注意していても今回のようにクラスターになってしまったりするので簡単には面会させられないのもわかります。コロナ前に作られたであろう施設の案内には「どんどん面会に来てください」とあったのに。。。施設側としても、複雑な思いだとは思います。こんな状態がいつまで続くのかな。やっかいな世の中になってしまったな~と思うのでした。
2022.08.10
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兄から連絡がきました。母の施設でコロナ陽性者が複数人出てクラスターになっているとのこと。入居者さん、職員さん合わせて20人以上だそうです。そして、残念なことに母もコロナに感染してしまったとのこと。母の様子を聞いたら、発熱と食事の嘔吐があり点滴をしているとのこと。入院はしていないのですが無症状ではないので心配です。。。そうと知っても面会はできないのでお見舞いにも行けず。なにもできなくて、ただただもどかしい。。。感染爆発が起きている日本。感染者世界一になっていてもコロナにも慣れてしまってみんなお出かけしています。私も、旅行こそはしばらくしていませんが友達とランチや近場のお出かけくらいはしていました。コロナに慣れてしまってきているしずっと巣ごもりなんてできないと自分に言い訳をし。でも、こういうときにコロナの影響を思い知らされます。母に会えないし、何もしてあげられません。母は高齢なので心配ですが早くよくなるよう、祈るのみです。
2022.07.31
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ちょっと前の話になりますが、備忘録。老健に入っている母のための特養探しをしました。見学も行き、お話も聞いてきました。今よりはコロナもマシだったのですが居室の見学はできず。とはいえ建物やスタッフさんの雰囲気はわかるのでやはり行ってよかったです。そして、コロナ禍のこともありどこも面会は厳しいですね。でも、15分だけ個室でアクリル板越しで可能なところもありました。(今はまた状況が変わっているかもですが)特養は要介護度が高い人が多いからでしょうが、生活の支援がメインでレクリエーションやリハビリがあまりなくそれがちょっと残念です。。。やはり、今の老健にできるだけ長くいれたらいいなと思ってしまいました。そして、待ちの人数を聞いたらやはり100人以上待ち!「特養は複数申し込んでいる人が多いので実際はもう少し少ないとは思いますよ」と施設の方は言っていましたが、びっくり。これからも高齢者は増え続けるのに、私たちの頃はどうなるんだろう?なんてことも思ったり。とりあえず、我が家も複数の特養を申し込んでおきました。
2022.07.22
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骨折、入院を経て老健施設に入所している認知症の母。入院前は要介護2でしたが、要介護認定の見直しの結果、要介護5、最重度の要介護度となりました。車いすの生活な上に、入院をきっかけにさらに認知症が進んでしまったようです。認定調査のとき質問にろくに答えられなかったらしくマックスの要介護度となりました。現在は骨は治ったので、少しずつ歩くリハビリをしているとのことですが完全な自立歩行ができるようになるのはおそらく難しいとのこと。なので、筋力を落とさないためのリハビリという感じみたいです。そして。施設ケアマネさんとお話したところそろそろ先のことを考えた方がいいということでした。今の状態で家に帰るのは難しいので次はどのような施設にいくか、ということです。予算的に特養一択なので、今度は特養探しです。とはいえ、特養は申し込んでもなかなか空かないらしいのでしばらくは今の老健でお世話になることになりそうです。今の老健のスタッフさんはみな感じが良いし入所から3か月以上経った今でもリハビリが週3回もあるのでできるだけ長くこちらにいられたらいいなぁと兄弟で話していました。なので、そんなに早く特養が空かなくてもいいかも……?(笑)今度、特養をいくつか見学に行ってきます。
2022.06.12
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現在、老健に入所している80代の母。認知症も進行していて、子供である私や兄・姉のこともすっかりわからなくなってしまっています。それでも、実家にいるときは遊びに行くと「あら~ 大きくなったわねぇ すごいわねぇ」などと言って喜んでくれていました。大腿骨を骨折して入院→老健に入所してからはコロナ禍のため面会は一切できず。唯一会えたのは、病院から老健へ移動するときだけでした。最近では、コロナも少しは落ち着いてきているような状況ではあるものの相変わらず施設では面会禁止。そのかわり、Zoom面会ができるとのことで申し込んでみました。兄弟それぞれの家の場所からでもできるのですが当日は兄のいる実家に集まり、施設とZoom面会をすることに。画面には、にこやかな母の様子が映し出されました。さっそく「元気~?」と話しかけてみましたが母はきょとんとした感じ。どうもテレビを観ている感覚のようで「なんか笑ってるわ」と施設の職員さんと話してる(苦笑)「ご飯はちゃんと食べてる?」と聞いてもきょとん。施設の方が「食べてるって聞いてるよ?」と言って「わかんないわ」と施設の人に返す。予想はしていましたが、やっぱり理解できていないようで会話は成り立たず。結局、施設の方に最近の様子を聞く感じになりました(苦笑)それでも、母は笑顔も出ていて元気そうな様子がわかったことにほっとできました。でもやっぱり。画面越しでは面会とは違います。実際に会えれば、もう少しコミュニケーションがとれるのに……会うってやっぱり大事ですよね。その場の空気や、手を握るなどの少しのスキンシップで全然違うのに。残された時間を思うと早く直接面会ができるようになるといいのになと切に思うのでした。
2022.05.22
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大腿骨を骨折して入院していた母ですが病院を退院し、老健に入所しました。老健に申し込みをしてから2週間ほど経ったあと「入所可」のお返事をいただき、その4日後に退院→入所しました。退院・入所の日は1カ月半ぶりに母と会えました。コロナ禍なので、入院中の面会は一切不可でしたのでね……認知症の母なので、会えたといっても「はじめて?(会いましたよね?)」と言われ(^^;)今回の入院で、一緒に暮らしていた兄のことも忘れてしまったようでした。。。それでも、「元気?痛くない?」というとにこにこ笑顔で「大丈夫」の返事。その笑顔だけでほっとできます。老健では入所3ヵ月目までは日曜日を除いて毎日リハビリをしてくれるそうです。身体的なリハビリだけでなく、認知症のための脳のリハビリもあるとのこと。少しでも改善されると良いなぁ。。。3ヵ月目以降はリハビリが週2回くらいに減る施設が多いらしいのですが入所した施設は3ヵ月目以降も週3はリハビリをするのが特徴と言っていました。ぼーっとすごすよりも、ずっといいですね。コロナ禍なので、対面面会はやはりできませんが窓越し面会やZOOM面会が可能とのこと。施設も色々と工夫してくれています。ありがたいです。特養だと寝たきりになってしまうイメージがあるのでできるだけ長くこの老健にいられたらなと思います。あとは、通常の面会が早くできるようになることを祈るばかりです。
2022.03.10
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認知症を患う母は、家で転んで大腿骨を骨折し、現在入院中です。先日、病院からは、「特に治療できることもないため今月いっぱいで退院できるように考えて欲しい」と言われました。退院時も車いすの状態になるので、実家に帰るのは難しいため入所できる施設を探していました。先日、病院のソーシャルワーカーさんの紹介でグループホームに見学に行きました。グループホームは認知症の方が入る小規模な施設です。アットホームな感じがよかったのですが、費用を見ると、そこそこある母の年金額を上回るし入所の際の敷金もいる。。。とはいえ、母の貯金もあるのでまかなえるのでは? と私は思ったのですが兄は「ちょっと厳しい」とのこと。。。というわけで、次に紹介してもらったのが介護老人保健施設(老健)です。老健はリハビリを目的とした施設なので長くはいられないのですが、ここにとりあえず入所して特養(費用が比較的安く人気)の空きを待つ人も多いとのこと。施設に行った感じでは、雰囲気も悪くないかな?認知症病床があるのがよいですね。立地もよかったので、申し込むことにしました。費用も兄の「OK」が出ましたよ。。。本当は、色々と比較して検討してあげたかったのですが兄の希望の特養となるとどこも入所待ち人数が3桁……?入れるのか??なので、老健に入所中にいくつか申し込んで、空いたところに入る感じになるようです。仕方がないですね。。。とりあえず、どこの施設だとしてもコロナが落ち着いて面会ができるといいな、と思います。
2022.02.20
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骨折した母の話です。入院した日には手術を勧められたものの、後日兄がお医者様の説明を聞いた結果(今は先生の話も家族1人しか聞けません)手術はしないこととなりました。検査や年齢、認知症などを鑑みつつ、手術のメリット・デメリットなどを聞いた結果、手術をしても経過はほとんど変わらない。骨折が治癒しても、おそらく歩行は厳しい。とのことでした。兄から「車いすの生活がほぼ確定なので退院と同時に施設に入所してもらう」と連絡がきたのです。母と暮らしていた兄が決めたことなので姉や私は何も言えません。自分が引き取って面倒見れるのか? というとやっぱり難しい。。。仕方がないのですが、もう家には帰れないのかと思うと申し訳なさだったり、悲しさだったり、寂しさだったり。。。複雑な気持ちでした。今日も病院から連絡がきたらしいのですが「母がおむつを勝手にはずしてしまうのではずせない器具の利用の同意が欲しい」とのことだったようで。認知症の母なので、そういうこともしてしまいます。おととしに熱中症で入院した際も病院から拘束の許可が欲しいと連絡がきたこともありました。もう歩けないなら、施設で拘束されることはないかな。。。せめて、施設で穏やかに暮らせますように。。。コロナが収まって、面会ができるようにもなって欲しいです。
2022.02.02
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先日、兄から母が骨折して入院したと連絡がきました。部屋で転んで大腿骨を骨折して、手術もした方が良いとのことでした。認知症は進行しているもののにこにこ元気に暮らしていたのに。。。母は認知症のため要介護2で、普段はデイサービスやショートステイを利用していました。担当のケアマネさんと状況の確認のために月1回は家族で面談を行ってもらっていました。ケアマネさんはよく「高齢になると転倒で骨折しちゃうので、転倒には気を付けたいですね~」と言ってくれていたのですがやはりやってしまうものなのか。。。とても残念です。認知症が進行していて、おそらく見直し申請をしたら要介護3になるかもと言われていましたが今回の骨折で確実に要介護度が高くなりそうです。そして、つらいのがこのコロナのひどい状況のため、病院へお見舞いが行けないこと。面会は一切禁止です。リハビリまで病院で行うとすると2~3ヵ月は入院予定です。入院することで、さらに認知症も進む気がします。認知症でもにこにこ元気に暮らしていた母。このままの時間が続いて欲しいと思っていました。年齢や状況を考えると心身ともにどこまで回復できるのか?80代の母。なかなか厳しい現実です。
2022.01.26
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10年ほど前に認知症を発症した母。進行した今では子どもである私たち兄弟のこともすっかりわからなくなっていますがそれでも体は健康でニコニコと暮らしています。実家へ行けば、「あら~」と嬉しそうに迎えてくれ目が合うだけでニコニコします。長い会話こそできませんが、ありがとう、すみません、びっくり! すごいわね~など反応はとても良いです。デイサービスにも楽しく通っています。そんな母のことを話すときいつからか、過去形になっていることに気が付きました。姉と話すときも「お母さん、これ好きだったよね?」「お母さんはああだったよね?」亡くなった父の話をするときと、同じようなニュアンスの過去形で話しているのです。自分も姉も、母のことを過去形で話していることに気づいた時、なんだかまた少し切なくなりました。「認知症は社会的な死につながる」と昔何かで読んだ気もしました。母はいます。でも、私のことをお友達と言ったり若い女性と言ったりします。当然、昔からの友人・知人のこともわからないので一切交流もしていません。そう、活動的で社交的だった母はもういないのです。それでも、2歳児のように可愛い母を見ると悲しいよりはほっとします。持ち前の愛想のよさで?デイサービスでも可愛がってもらっています。もっと進行したらそうも言っていられないのかな……?昔の母はいないけれどこのまま可愛い母のまま元気に過ごしてもらえたらと思うのです。
2021.12.18
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先月父が亡くなったときの話です。思い出すと悲しく切ない気持ちになるので書くかどうかも悩んだのですが、書こうと思います。すっかり認知症が進んだ母は、おととし暮れから昨年頭に父が入院してから父のことも忘れてしまいました。(そのときの入院はがんではなく圧迫骨折です。もっとも、がんもすでにあったかもしれませんが)昨年秋に父がんで入院してからも、お見舞いに連れて行っても他人を励ます感じでした。そして、父が亡くなり……。葬儀当日も、父の(母にとっては夫の)葬儀とはやはりわからず。喪服への着替えも当然しようとしないので、姉と2人で、「今日は葬儀でみんな黒い服なんだよ」と言い聞かせてなんとか着替えさせました。葬儀場で遺影や棺を見ても、「誰かどうかしたの?」と問いかける。「お父さんが亡くなったんだよ。お母さんの旦那さんだよ?」と返事をする私。母は「え~!?知らなかった!!」と目を丸くする。でも、それで理解をしたかというとそうではなくまた同じことを何度も聞いては「え~!」っと驚いていました。母はお焼香の仕方もわかりませんでした。姉と一緒に、姉に教えてもらいながら行いました。そう、子供と一緒なのです。棺への献花も、「お花を入れてあげてね」と言うと一生懸命入れる母。でも、やっぱり誰かわからない様子で、あまり顔の方にも近づかない。最後のお別れのときも、遠巻きに見ている母。「もうお別れだよ? こっちにおいで?」と近くに呼ぶと棺の父の顔に向って「元気出してね!」と声をかける。悲しいのに笑ってしまうような、ちょっとへんてこで複雑でそして切ない気持ちでいっぱいになりました。父と長い時間を共にした母は、きっともう、いないのです。葬儀が終わり、実家に戻ると、母はなんだかそわそわしていました。普段とは違う1日を過ごしたので、少し興奮もあったのかもしれません。なかなか落ち着いて座らない。そして、飾った遺影を見ながらこんなことを言い出すのです。「私は私で好きなようにやって向こうは向こうで好きなようにやってたのよ。それでよかったのよ。」「そのうち帰ってくるのかなと思って待ってるのよ」「ずっと待ってるのよ」遺影をちらちら見ながら言うのです。でも、「誰を待ってるの?」と母に聞いても答えられない。「けんかばっかりだったけど、いないと寂しいものね」そんな、急に現実に合ったことも口走る。だけど、遺影を見て「これは誰?」と聞いたりする。母は母で、何か大変なことが起こったことを必死に理解しようとしていたのかもしれません。どこか遠くに行ってしまった母の心? 記憶?「母であった人」が母の中で一生懸命呼びかけていたのかもしれません。父と母は決して仲の良い夫婦ではなく母は何度も「離婚したい」と口にするほどでした。それでも、「待っている」と言う母。母をどなりつけてばかりだった父。それでもたぶん母にもっとお見舞いに来て欲しかっただろう父。亡くなる前日、母を連れていくのが大変で、私たちは兄弟だけで父のお見舞いに行ったのです。亡くなる前日の夜、涙を流していたという父。本当は母に最後に会いたかったのではないだろうか?なんだかそんな気がしてしまって……やっぱり無理にでも母を連れて行けばよかった。それが私の心残りで……夫婦ってなんだろう。。。いつかあの世で父と母が再会するときがあったらやっぱり嬉しいのだろうか。
2021.02.12
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今年に入って2度目の入院となった父。最初に入院したときに、認知症の母はすっかり父のことを忘れてしまいました。父が退院したときには「知らないおじいさんが家にずっといる……」と困った様子も見せていました。それでも追い出さないで気を使ってお菓子をすすめたりするので「優しいな~」と思っていました。そして今回の父の入院。父の存在もすっかり忘れた母ですがお見舞いに行くときは誘って連れていきます。「これからお見舞いに行くけど一緒に行く?」「誰の?」「お父さんだよ。お母さんのダンナさん。今入院してるからね、そのお見舞いに行くんだよ」「えー? そうなの? 知らなかった~」こんなやり取りを何度か繰り返し、嫌がることはないので一緒に連れて行くのです。ちなみに、このコロナ禍なので相部屋は完全に面会禁止です。個室なら……ということで、面会を許可していただきました。病院によっては個室も面会NGだそうです。末期がんで、余命も限られているからの配慮かもしれません。面会できるとは言え、1回15分程度と言われています。そんな状況で母を連れてはいきますが、母はやっぱり父のことを覚えていません。それでも、「励ましてあげて」と言うと「大丈夫よ。元気になるから。頑張って!」「元気になって楽しくやった方がいいのよ」「あなたは立派だから、大丈夫!」となんだか一生懸命励まします。私たちにはとても言えない言葉です。そして「手を握ってあげて」と言うとちゃんと握ってあげます。素直で優しい子どものようになってしまった認知症の母なのです。父と母は全く仲良くはなかったのに父はそんな母の励ましが嬉しそうなのです。夫婦って不思議ですね。。。面会を終えて「やっぱり覚えてない?」と聞くと「知らないおじいさんだから、適当に励ましたのよ」と母。なんだか大笑いしてしまいました。
2020.12.02
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熱中症で緊急入院した母ですが、週末に無事退院しました。急に退院が決まったので凄まじく散らかった母の部屋の掃除は間に合いませんでした…暑い日がまだまだ続くのであの暑い部屋で過ごされたらそれこそ再度熱中症⁉どうしたものかと思っていましたが。認知症の母、入院したことで家のことをあまり覚えておらず。なので、「眠い」と言い出したときに2階の自分の部屋ではなく1階のクーラーのある部屋に誘導するとあっさりそこで寝てくれました。1階は父と以前は寝ていた部屋ですが父のことを忘れたあたりから2階で寝るようになっていたのです。このまま2階へは出入りしないようになってくれればひと安心です。手すりはついているとは言え2階は階段も怖いのでね……そんなわけで。母の汚部屋は折を見てゆっくり片付けていこうと思います。
2020.08.31
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熱中症で入院した認知症の母ですがひっかかった膵臓の数値も問題ありませんでした。数日、身体が動かなかったことから、今はリハビリをしているそうです。お見舞いに行きたいけれど病院は今も面会は全面禁止が続いています。さて。母が入院している間に、母の寝ている部屋を片付けようということになりました。認知症になってから、母は物を自室にため込むようになり今ではベッドまでの導線?以外は物が山積みです。片付けたかったものの、母がいるときに片づけて不安やパニックになると困るので今まで手付かずでした。実はエアコンも部屋についてはいるのです。でも、リモコンの場所もわからない。扇風機を置く場所さえない。リモコンをみつけるか、扇風機のスペースを作ることが最低限のミッションです。と思って、姉と2人汗をかきながらいらないものをごみ箱へ捨て始める。が、しかーし捨てても、捨てても物の山が低くならない……そして、色々なものが出てくるのです。着なくなった服はもちろん、何枚もの毛布、大量のタオルやハンカチ新聞、雑誌、本、姉や私の持っていた昔のお人形さんやたくさんの写真。様々な小物などなど…封筒やポーチに入ったお金もです。そして、母がつづった何冊ものノートや何枚ものメモ。このノートとメモがくせものなのです。母自身の兄弟の生死を確認したメモ。(ちなみに母は9人兄弟)兄○○ 死亡姉○○ 元気……のようなメモが何枚も出てくる。私たちのことも○○(兄の名前) 独身○○(姉の名前) 男2人(子どものこと)○○(私の名前) 男1人のようにメモで確認している。それも何枚も……このメモたちを見て思いました。母は自分の記憶がどんどんあやふやになっていることにきっと気づいていたのでしょう。忘れないように、必死だったのかもしれません。そして数冊のノートには父がお金を盗ったことなどが何度も綴られている。盗られない対策などと一緒に。初期の被害妄想の頃のものなのでしょう。(念のため、実際にはそのようなことはなかったです)読むに堪えないのでちらっとしか見ていなくても何冊ものノートに何度も書かれていることがわかりました。今はもう、自分の兄弟はもちろん父のことも私たち兄弟のこともわからない母。たくさんの過去を忘れ穏やかでいつもにこにこしている母ですが忘れることを自覚しながら記憶を少しづつ失っていった頃はきっと想像できないくらい恐怖だったのではないかと思います……。認知症って怖い病気です。そして切ない病気です。ただ、今が穏やかな気持ちでいてくれているのだけが救いなのだと思います。↑母の部屋。ぼかしています。映っていない右側にベッドがあります。ベッドの上にも物があふれ左側は物の山です。姉と2人、週末に頑張りましたが山が少し低くなっただけでした。ごみ袋7袋と新聞3袋、本や雑誌も3束くらい?山からお金は20万円以上出てきています。ミッションは達成ならず。退院前に、もう少し頑張ろうと思います。
2020.08.25
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兄から母が入院したと連絡が入りました。具合が悪くて立ち上がれなくなったと……この時期なので、姉も私もまず熱中症を疑いました。検査の結果、やはり熱中症と膵臓の数値がひっかかったとのことでした。膵臓の精密検査もあるらしく1週間~10日の入院になるそうです。母は実家の2階、もとは私がいた部屋で一人で寝ているのですがその部屋のエアコンは使っていない様子。さらに今月頭に行った時には、いまだに冬の毛布が使われていて姉とタオルケットに替えてきたのです。それでも2階は昼の日当たりもいいし、とにかく暑い。「あの部屋にクーラーなしでいるのは危険だよね」なんて話していたのです。どこかで予想はしていたのに結局、何もできなかった……母は以前は1階の部屋で父と寝ていたこともあったのですが父の入院後以来、父を知らないおじいさんだと思っているのです。知らないおじいさんと隣で寝るのは抵抗があるよね。。。自己管理ができない母。兄や父がもう少し母に気を使ってくれれば……と思うのです。でも、離れて普段何もできない私たちがとやかくは言いづらい。難しいですね。コロナ禍なので、面会・お見舞いは禁止とのこと。お見舞いに行けないので、ついに兄のことも忘れてしまうのかな……来週の退院前には、母の寝室の環境を整えたいと思っています。汚部屋になっちゃっているのだけれど、いるときに片づけると母がびっくりしてしまうのでなかなか手をつけれられなかったのです。できることをやっていくしかないです。
2020.08.22
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姉と実家へ行ったときのこと。母がデイサービスに持っていくお着換えセットを居間と別の部屋で姉と作っていたのです。居間に戻ると、テーブルに置いておいた私のスマホがない。あれ? 私バッグに入れたっけ? と探してもない。いや、やっぱりテーブルに置いていたはず…さっきまではあったのを見たし。。。嫌な予感~母は物を片づけてしまうくせ? があるのです。そして、どこに片づけたかを覚えていない。5分前のことも覚えていないので……初期の頃は、お金や通帳をどこかへしまっては忘れて「盗られた!」と被害妄想もありました。母のベッドを探ると、パンや海苔がバッグや袋に入っていくつも出てくる。納戸にも海苔やお菓子があったり。という感じなので私のスマホも恐らく母が~!!当然、母に聞いてみても「スマホ?それどんなの?知らない」との返事。姉に私のスマホを鳴らしてもらっても、私は基本的に消音モードにしているのでさっぱり聞こえない…居間の他、台所とさらに5部屋もあり物があふれかえる実家…。うち2部屋は物置状態…こ、これは…探すのが大変だ~!!と思いながらちょっと探していると母がミッフィーちゃんのぬいぐるみ2つを持ってきて「これいる?」と姉と私に差し出した。ぬいぐるみの他に、袋を持っている。その袋の中を見ると…あったー!私のスマホだ!!私と姉は大笑い。母はきょとんとしていました。兄にその話をすると、兄のスマホが冷蔵庫に入れられていたこともあったそうだ。家の電話から兄のスマホにかけてみると遠くから音がして、突き止めたら冷蔵庫だったとか。それを聞いてまた大笑い。母はやっぱりわからなくてきょとんとしながら笑っているのでした。実家にいったときは消音モードはNG。音を最大にしておかないとです(苦笑)
2020.06.15
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コロナが落ち着いてきたので久しぶりに姉と実家へ行ってきました。実家の近くはコロナ初期からクラスターが起こり感染者が多い地域だったので心配ではあったものの行くのを控えていたのです。2カ月半ぶりに実家へ行くと、母は嬉しそうに「久しぶり~」と迎えてくれました。姉の名前も私の名前も覚えておらず娘の認識すらほぼないはずのに、こういう風に言うのが不思議(笑)母はコロナの心配がある中、ケアマネさんが配慮してくれデイサービスに通い始めています。写真付きの連絡帳を見ると、笑顔で楽しそうでした。家でお風呂に何か月も入っていなかったのが母の一番の問題でした。ですが、初回こそ拒否したものの、2回目からはヘルパーさんの上手な誘導で毎回入るようになったそうです。「家のお風呂は壊れているからここで入った方が良いよ?」と言っているそうです。それで入るのだから素直ですね!これでお風呂問題は解決です。食事もしっかり食べるしレクリエーションなども楽しみながらやっているそう。もっとも、帰ってくるとデイサービスに行ったことなどすぐに忘れてしまっているようですがその時に充実した時間を過ごせることが大切だと思っています。このままゆるやかな進行で穏やかに日々を過ごせると良いなと思っています。
2020.06.14
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骨折で2か月ほど入院していた父が退院して自宅へ戻ってきてからの話。その後も父も母も心配なので、週1くらいでは様子を見に行っていました。父が退院して2週間くらいたった頃でしょうか?父が居間から出て行ったあと、母が怪訝な顔をして姉と私に聞いてくるのです。「今あそこにいたじいさんは、誰なの…?」姉と私、顔を見合わせる。「あの人はお母さんの旦那さんでしょう?忘れちゃったの?」「えー?本当~?」と驚く母。「なんか気がつくと知らないじいさんがいるから誰なのかしらと思っていたのよ」と。2人が金婚式のときに撮った写真を見せると「えー?うそみたい!そうなのかしら?えー?」と驚きと少し嫌そうな反応…苦笑どうやら、父が2か月留守にしている間に母は父のことも忘れてしまったのだ…。ついに覚えているのは同居している兄だけとなってしまった。私たちのことも、もう娘という認識もなくなっていて…。親しげな女性とでも思っているのだろうか?私が別室にいるときに「あのお友達が…」と父に言っていて「娘だろう!」と怒鳴られていた。それにしても。母はどんな気持ちなんだろう?知らない小汚い(苦笑)じいさんがいつも気が付くと家にいるなんて…私だったらちょっと、いや相当怖いと思うような…汗でも母はあっけらかんとしていつもにこにこ明るいのです。姉や私が行くと、毎回笑顔で「久しぶり~」と迎えてくれます。「やっぱり女性はいいわね~。うちにいる男性はちっとも話さなくて面白くない」と言って喜んでくれます。持っていくおやつには「美味しい~」といつもとても喜んでくれます。そして…娘という認識はないのに私たちが帰るときはいつも家の外まで見送ってくれるのです。道の角を曲がるときまで、見えなくなるまで手を振ってくれるのです。娘の認識はなくても、やっぱり母なんだ、と思うのです。。。
2020.04.10
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2011年に骨折で入院した頃から認知症の兆候を見せ始め、2012年に認知症の初期と診断された母。進行はゆっくりだったものの最近では娘である私の名前も出てきません。それでも、会話はにこにことしてくれるし(とんちんかんですが)用意されたごはんを食べ、着替えをして、トイレも自分で行ける。なので、父と兄と一緒に暮らしながら問題なく生活はできているものだと思っていました。最近までは。父が入院して、週1で実家に行くようになり気づいたこと。あれ?いつも同じ服を着ている…?兄に聞くと、もうずっと着替えをしていないとのことだった。着の身着のまま、寝るときもそのまま寝ている、と。え?着替えていないって…お風呂は?ここ最近ずっと入っていない、と。ごはんは?ちょこちょこ1日中何かを食べている、と…。父も兄も何も言わないのでてっきり問題なく暮らせているのだと思っていました。そんなことはなかったのです。父の介護保険申請と同時に母のことも相談し母の介護保険も申請しました。お風呂に入れないなら、デイサービスを使うのもいいのではないか、とのこと。父が入院する前までは3人で暮らしているのだから大丈夫だと思っていました。どうして放っておいたのでしょうか。なぜ言ってくれないのでしょうか。母に薬を処方してもらったときも忘れてしまう母に父も兄もまったくサポートをしてくれませんでした。そして、私自身も気づいてあげられなかったことに反省…。そんな状況を知って、心に決めました。これからは親をしっかりサポートしていくと。幸い?息子はもう手がかからない。姉も長男は独立し、次男は私の息子と同じ学年。だから2人で頑張れる。これからは育児から介護に突入です。できることはやっていきたいと思います。
2020.02.19
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2011年に初期の認知症と診断された母。もう9年前近くになるわりには進行は遅い方で今でも自宅で問題なく暮らせていることはありがたいことです。話す言葉は減り、話しても同じことばかりを繰り返し言う母。それでも、こちらが何かを聞くと内容は正しくなくても答えることはできます。身体的には問題はないので、食事や着替え、トイレも一人でき基本的な生活は大丈夫です。そして自分の記憶に自信がない自覚があるようで「一人で出かけると道がわからなくなっちゃって怖いから一人ではでかけないの」と言い、外で迷子になることもないので家族としては大変助かっています。それでも、ゆるやかでも認知症は確実に進行しています。姉や私の子供、つまり母から見て孫のことは名前や年齢がわからないのはもちろん、その場にいないと男か女か、何人いるのかも忘れています。お正月に家族みんなで実家に集まったときのこと。孫を見て「こんなに大きいの?びっくりした」と言う母。そして息子や甥っ子が実家の部屋をちょっと離れて戻ると、知らない大人の男性が来たと思って少し怖がる母…そんな姿に上の甥っ子はショックを受けていたのでした。私が実家へ顔を出すと、いつもニコニコ喜ぶ母。もっていったおやつも「これ、おいしいわね~」とたくさん食べてくれる。でも、最近ちょっと思っていた。私の名前を呼んでくれない…一緒に住んでいる兄の名前は出てくる。でも、私の名前や姉の名前は不自然なほど出てこない。私はあえて、母の前では自分のことを「ぽぽみぃはね」と名前を出して言うようにしていた。「ぽぽみぃの子供だよ」と言って息子の写真を見せたり。でも、もう忘れてしまったのだ…兄には名前を言って聞いた後に「おたくはどう?」と私に言う母に、確信してしまった…。9年という月日で、認知症である母の行動に慣れていたつもりでいたけれどやっぱり名前を忘れられるのはこたえますね。切ないし、悲しい……でもまだ、自分の娘であることはわかってくれている。いつか娘であることも忘れられて行ったら息子たちみたいに怖がられたりするのかな…なんて。ネガティブになっても仕方ない。それでも元気でいてくれる間は笑顔でいてくれる間は、私も笑顔で母と過ごしたい。ん~~~こんな話題ばかり…私も歳をとったなぁ次は楽しい話題を書きたいです。
2020.01.29
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母が認知症と診断されたのは2011年のことでした。その年に自転車で転んで大腿骨を骨折して入院。おかしなことを言い出したのは、入院中からでした。それから8年。どんどん進行してしまうことを心配していましたが幸い、家で父と兄と生活できているようです。食事は作れないので、父がごはんとみそ汁を用意しおかずは2人でスーパーへ行き、総菜を買っているようです。スーパーもそれほど近くではないのでちょうどいいお散歩のようです。進行はゆっくりな方なのでしょうが色々なことを忘れていっています。私や姉に子供がいるのはわかっているっぽいけれど性別も名前も忘れています。「お宅のお子さんは元気?」と他人行儀に聞いてきます。先日、私と姉と両親で和食のファミレスに行ったのです。メニューを見て母はきょとんとしていました。「このオレンジの丸いのいっぱい…何かしら」。見るとイクラ丼でした。お刺身やイクラ、食卓によく出ていたんだけどね。忘れてしまったようです。そして、定員さんを呼ぶボタンも「これ、何?」と持ってひっくりかえしたりしている。私がドリンクバーのカルピスを飲んでいたら「その白いのなに?」と聞いてくる。無邪気に聞く姿が、本当にまるで子どものようです。最初の頃は、被害妄想が強くて「お父さんが通帳をかくした」「私が死ぬようにしむけている」のようなネガティブなことばかりを言っていたことがありました。ところが先日は「お父さんは優しいから、今まで怒られたこともない」って。父と母は仲が良くなかったんです。父はすぐに母を怒鳴りつけるタイプで。昭和の頑固おやじタイプ?母も「離婚したかったけど、子供が3人もいたから」のようなことをよく言っていました。その母が「怒られたこともない」って…最近でも、母がとんちんかんなことを言うとイラっとして語気を荒げる父なのに…。認知症って不思議です。認識まで変わってしまうのですね。これからどうなっていくのでしょうか。でもね、嫌なことならどんどん忘れたらいいよね。穏やかな気持ちで暮らせればそれが一番じゃないでしょうか。
2019.09.01
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母が80歳になりました。いつもは電話で「おめでとう」と伝えるくらいなのですが、今年は節目なので姉一家と集まりお誕生日を祝いました。甥っ子、息子ともに、もう実家へはあまり行きたがらない年頃ですがお誕生日のお祝いだから、というとみんな来てくれましたよ(汗)息子はいつもながら部活なので、部活後の夕方にそのまま実家へ来てもらいました。家へ帰るよりばあちゃんの家の方が近いです。姉がケーキ、私がお花のアレンジメントを用意。それを見て母は「どうして?」と驚いていました。自分の誕生日も覚えていないのでね。「あらそうなの? えー!」と喜んでくれたので良かった。何度も、「なんでケーキ?」と聞いていました。「お花と丸いドーナツがあるよ!」なんてことも言っていたり。母が認知症と診断されたときはショックも大きかったですが最近はすっかり慣れて反応が可愛く思えてしまいます。まるで子供のような無邪気な反応で可愛い。切ないのですが、笑っちゃうんです。息子は遅れてきたので、切っておいたケーキを冷蔵庫から出していると母が「あら、ケーキ? 美味しそう…」と言う。食べたことすら忘れているのです。父もまだ食べていなかったので父が「オレの食べていいよ」と言うと喜ぶ母。甘くてやわらかいものが好きな母。でも、普段の食は本当に細くて、ガリガリです。それにしても。認知症って不思議だなぁと思う。人の脳って不思議です。会話はできるのに、ちょっと前に話したこと、やったことをまるっきり覚えていない。新たに記憶する部分の脳の機能がダメになっているのでしょうね。ただこのような状態がしばらく続いていいるのでこのまませめて現状維持で体は健康でいてくれたらなと思います。
2018.08.21
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独身で実家に住む兄が高熱が続き入院した。最初の検査では原因が分からず次の日の検査で「ウイルス性髄膜炎」と判明。点滴ですぐに熱が下がるのかと思いきやこれが1週間経っても下がらない…なかなかやっかいです。お見舞いに父・母・姉とともに行くと母は「ケガしちゃったの?」と兄に聞く。母自身が自転車で転んで大腿骨を骨折して入院したことがあるからそのイメージなのでしょうか。(その入院をきっかけに認知症の症状が出始めた)「違うよ、病気になっちゃったんだよ」と言うと納得するが数分後にまた「ケガでもしたの?」と言う。父は「だから、違うって言ってるだろ!」と毎回声を荒立てる。母は認知症なんだから仕方ないのにね。父は毎回イラっとして、疲れないのだろうか。兄は話こそできるが、吐き気で食べることもできないため体力がだいぶ落ちているようだった。早く良くなってほしいものです。兄は独身ですでに結婚もあきらめている。(と、勝手に私は思っている)姉や私は、今となっては兄が高齢の両親と一緒にいてくれるから助かるね、なんて言っていたがこうなってみると、一気に不安になった。結婚していない兄は病気になっても面倒を見てくれる嫁がいない。これで今もしもお父さんが倒れたりしたらどうにもならないね、と。それに。よくよく考えると兄が元気だとしても、昼間は働いて家にいないのだからやはり父が倒れたりしたら、面倒を見る人は私たちしかいないし母を一人にもしておけないね、と。大腿骨の骨折をきっかけにすっかり歩くのが遅くなった母と変わらない速度で歩く父。そう、父も病気こそしていないけれど確実に体力が落ちてきている。もう80歳だからね。何かあったら、今の生活はすぐに保てなくなるのだろう。そしてそれは、そう遠くはない未来なのかもしれない。今はきっと、ギリギリのバランスで生活しているのだ。でも。もしも何かあったら姉と(兄と)頑張るしかない!人は誰でも、老いていくんだものね。
2018.05.29
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「アルツハイマー型認知症の初期」と5年以上前に診断された母。そのときは「この先どうなるのだろう」とショックを受けたものですが思いのほか症状は悪化せず、少しずつの進行ですんでいます。カズや甥っ子が中学生になってからは部活やらなんやらで、家族みんなで実家へ行くことがほとんどなくなり最近は姉と日程を合わせて、ときどき仕事のない平日に行っています。だいたい昼前に行って、一緒にお昼を食べます。お昼ご飯は姉と私が色々と持って行きます。母は甘いものが好きなので、必ず甘いデザートも用意。先日は駅ビルでロールケーキを購入しました。テーブルにロールケーキの入った箱を置くと「これなに?」と母。ロールケーキだよ、というと開けて取り出して「わー!美味しそう!」と喜ぶ。「お昼を食べてから、後で食べようね」と言うと箱に閉まう。そして、少し時間が経つとまた母は「これなに?」とロールケーキの箱を見て言う。同じ返事をする私たち。そんなことを、ロールケーキを実際に食べるまで3、4回繰り返していました。母が忘れることには慣れっこになってしまっているのでその喜びかたが、毎回「わー♪」と子供のような素直さでなんだか可愛くて笑っちゃいました。子供たちがなかなか遊びに行けないせいか「女の子はいたっけ?」なんてことも言っていました。私も姉も子供は男子。忘れちゃうんですね。母の年齢は79歳ですが、なぜかいつも「私なんて、もう77歳よ!」と言います。「もう79だよ」と言うといつも「えー!知らなかった…」と驚きます。これも毎回ですね。最近、老人会の1泊旅行があったらしいのですが忘れてしまい、すっぽかしてしまったそうです。さすがに、「物忘れがひどくて、嫌になっちゃう」とがっかりしていました。父も教えてあげればいいのにね。そういうところ、父はまったく親切ではないのですが「面倒をみなきゃ!」と気負うよりはもしかして良いのかもしれません。独身の兄も同居していますが、ほぼノータッチ?あまり会えないのでよくわかりません。忘れてしまうことは、ゆっくりとはいえ増えているけれどとりあえず元気な様子であるのは、私にとっても、姉にとっても助かっているな、と思います。
2017.11.23
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母の認知症の進行の記録として。ドイツ村へ母を連れて行ったとき。私は実家の最寄り駅まで電車で母を迎えに行きました。私の家からは車で行く予定で。実家の最寄りから私の家の最寄り駅まで、電車を選べば乗り換えなしで来られるのですが父が行かないというので、母1人ではやはり心配で。ちなみに父は「別に1人で行けるだろう」とのんきな返事。困った人です。当日、駅まで母は父と一緒に来ました。でも、改札を入るのにもたもたしてる。(私は改札内で待っていた)ICカードが見つからない模様。結局父と切符を購入。改札内に入ってきた母に「カード忘れたの?」と聞くと「お父さんがとっちゃうのよ…」とぶつぶつ文句。基本、見つからないものはすべて父が隠した?取った?ことになります(汗)そして、お父さんは行かないと言っていたのに「あれ?お父さんは?」と。この時点で、ああ、やっぱり迎えに来てよかったかも、と思いましたよ。我が家までは電車で1時間弱かかります。その間に母は、「どこに行くんだっけ?」と3回くらい私に聞きました。そのたびに「ドイツ村だよ。イルミネーションがきれいなんだよ」と返事。数年前に私たち家族で行ったときの写真を見て、母は行きたいと言っていました。そして、途中駅で「ここでおりるんだっけ?」と…あー。やっぱり…。たぶんね、我が家の場所を覚えていないと思ったのです。電話で「この駅だよ」って何度も言ったけれど反応が怪しかったのです。違う駅で降りちゃったら大変です。本当に、迎えに行ってよかった。母の持つ大きなバッグになぜか小さいドラえもんなんかのぬいぐるみが3つ入っていてそれを見て何度か私に聞くんです。「これ、お宅の坊やいる?」って。…「お宅の坊や」かー。きっとね、カズの名前を忘れているんです。我が家の最寄り駅を忘れているだけでなく。でも、さすがに名前を忘れたって言えないところになんとなく心が痛む。それでもね、アルツハイマー型認知症の初期と診断されてから5年。進行はゆっくりだと思います。でも、確実に進んではいるなと思います。進行性だから、仕方ないけどね。ドイツ村のイルミネーションは楽しんでくれました。「綺麗ね~」「すごいわね~」と何度も言っていました。でも、きっともうすでに忘れている確信が、私にはある。それでも。そのときその瞬間が楽しい気持ちになれればそれでいいのかな、と思う。生きている時間の中身に少しでも心穏やかな時間が増えればそれでいい。認知症は「長寿病」なんだと知り合いが言ってくれました。そう、長生きしてるからこそなるんです。長生きは喜ばしいことだから。そしてね、面白いなとも思う。時間の流れもわからなくなっている母は私に歳を聞いて「え?40代?20代かと思ってた」って。自分の歳をいくつだと思っているのでしょう。まあ、私を20代だと思ってくれていていいけど(笑)そんな勘違いはちょっと素敵だわーって思ったのでした。
2017.04.06
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なかなか実家へ行けない私と姉。お互い子供たちの部活やら、仕事やらで実家へ行くスケジュールを合わせられないのです。カズはここのところ、土・日とも部活の場合が多いしね…子供を連れていくのはあきらめて平日、お互いの仕事のない日に実家の最寄り駅で母と待ち合わせてランチをすることに。で、その話をしようと母に電話をすると「お父さんと喧嘩をしているの」と始まった。どうしたの?と聞くとお父さんが私の預金通帳をとって返してくれない。それで喧嘩をしたら友達の家に行っちゃって帰ってこない。今もまだ帰っていない。その上、友達から電話があってお父さんが話し合いたいって言ってるって。お父さんが悪いんだから、話すことなんかないのに!と怒り気味に話す。ちなみに時間は夜の8時くらい。そのとき、父が家にいないのは本当だけどあとのことは本当かどうか怪しい話…でもまあ、認知症の母を否定しても仕方がないのでそうなんだ。困るねーと相槌を打つ私。けれど、同じ話を3回くらい繰り返し聞いて(一度話し終わるとまた同じ話が初めから始まることはよくあること)4回目に入ってたところでさすがにお腹いっぱいなので話題をなんとか変えて、電話を終わらせた。こういう妄想、ここのところあまりなかったのだけどやっぱりまた言い出すのね。認知症は治るものではないから仕方がないけれど。それにしても被害妄想を聞いていると、意味なく疲れる。それでもね、発症してからの進行は遅い方だと思う。友達の義母さんは、同じ頃発症して最初は母と同じ調子だったらしいけれど今は母よりもずっと進行しているそうだ。進行の具合は人それぞれ。遅いのは、ラッキーとしか言いようがない。「お父さんが!お父さんが!」と怒っていた母でしたがランチの日は父同伴で来た。なんだ。よかった。そして電話のときの話なんて、一切せず。その日はまあまあ普通でした。(同じ話は何度もするけど)最近、父も忘れっぽさが増してきた。認知症のそれとは違うけれどやはり歳だからね。仕方がない。親が年老いるのは切なくもあり。でも、誰もが通る道なんだよな、と将来のわが身を考えたりもするのでした。
2016.11.13
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3年ほど前にアルツハイマー型認知症の初期と診断された母。 その後、思っていたよりは進行が遅かったもののこの頃はまた心配事が増える。午前中のことも午後には覚えていない。来るはずもないのに、父方の親戚が家に来て傍若無人な振る舞いをするなどという変な妄想を口にする、など。 本人は認知症と認めず、病院へ行く、薬を飲むのも拒否。今は認知症の進行を遅らせる良い薬が色々出ているのです。それを飲んでもらうためになんとか上手く言って、先日病院へ連れて行ったのでした。 以前行った病院はかたくなに母に拒否されたので今度は違う病院。あらかじめ先生にも、認知症であることを母に告げないで欲しい、(怒るのでね)以前の病院を拒否していることなどを伝えておく。 この病院は1時間に一人しか予約を取りません。そんなにみっちり何をするのかな?と思っていたらまずは家族である私と姉が呼ばれ普段の母の状況を細かく聞いてくれました。それでおそらく10分以上。その後、母も呼ばれ体調の問診や体の神経的な検査(脳神経内科なので)、認知症の標準的な記憶や理解力の検査(これは以前の病院でもやりました)など。3年前に比べ、計算力も記憶力もやはり落ちていました。まあ、仕方ないです。季節も「春だっけ?あ、夏かしら」「ここは何階ですか?」の質問にも2階なのに1階と答えていたしね。それらで30分ほどは診てもらえました。その後、薬の副作用の心配がないように心電図検査、さらに再び問診。 ありがたかったのは先生が薬を飲むように、うまく誘導してくれたこと。決して認知症とは言わず「まだまだグレーゾーンですが、質問の答えがあいまいで心配な部分もあるし早めに薬を飲み始めた方が今後のためにいいですよ」と言ってくれました。母も「そうですか、そうですね」のように素直に聞いていました。 さらに、最後に血液検査もして結局、お会計終了まで待ちを含め3時間以上?かかりましたよー。長かった!脳神経内科は完全予約制なのだけど、大病院だから何かとやはり時間がかかるのね。 母は「私、変なところある?齢をとったら誰でもそうなのよ」のようなことを帰り際にも言っていました。「今は大丈夫だけど、これからどんどん年をとっていくから心配でしょ?せっかく体が元気なんだし。それに今は予防が大事なんだよ?」と今まで何度も言ったけど、また言い含め。 認知症は進行性の病気。でも、今はまだ良い方だと思う。記憶力は落ちても、会話はできるしね。(すぐ忘れるけど)薬を飲んで なんとか、今の状態を少しでも長らえることがテーマです。
2015.07.31
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アルツハイマー型認知症の初期と診断された母。一時期はあまり進行していないかな?と思われたもののやはり最近はまた心配な出来事も多くなってきた。電話がかかってきて、出ると父の声で「ほら、出たよ」と母に受話器を渡す気配。そこから母に変わって話をしてきた。ん?もしや電話がかけられなくなっている?そういえば、「お父さんがお金を隠す」などの被害妄想のグチ電話はぱったりかからなくなっていて隣に住む伯母にグチを言っていることが判明したけれど実は電話をかけられなくなっていたからなのか。病院で処方された薬を飲んでいるかと思いきや聞けば途中からまったく病院へ行かなくなったらしい。今は認知症の進行を遅くする薬が色々出ているのに。母は「あの病院は私を呆け老人扱いするから行きたくない。なんか嫌な病院なのよ」と言う。父は面倒見がよい方ではないので放置状態。母と話すとまったく物忘れの自覚がないのです。「忘れっぽいところはあるけど、それは年を取ったら誰でもでしょ?」と。午前にやったことも午後には覚えていないのにね。なので、何度も言いました。「今は大丈夫だけど、これから先物忘れがひどくなったら大変でしょ?今はなんでも予防が大事なんだよ。だから薬を飲んだ方がいいんだよ?」と。もちろん今も大丈夫じゃない。でも自尊心の強い母です。きっと認めたくないのです。上手く言わないといけません。しかしその話も忘れるから、また同じ説明を繰り返す。話してもどうしても以前診断してくれた病院はかたくなに嫌だと言うので他の病院を予約しました。通っていた病院は認知症外来のある良いクリニックだったのに。先生も優しいし近いし。でも、母は敵視しているのです(苦笑)先日の仕事休みの日に母の気分転換にランチをしてお散歩をしました。元気によく話をしていました。過去のロシア旅行の話ばかり4回くらい聞いた。他の話も2回ずつくらい。「この話、言ったっけ?」と言うので「まあね」と言うと笑い飛ばしていました。楽しそうに話をしている姿は安心する。でもやっぱりちょっと切ないです。
2015.06.25
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ブログを見ると、ちょうど3年前の3月でした。被害妄想がひどくなった母を病院へ連れて行きアルツハイマー型認知症と診断されたのは。その後、最近は一時ひどかった「お父さんにお金をとられた、隠された」のような電話もかかってこなくなったので進行はあまりしていないかな?と思っていた。けれど、先日のカズ&甥っ子の誕生会の日はひどかった。ケーキを前にして、みんなでハッピーバースデーを歌ってプレゼントをカズももらって。もちろん母も一緒に歌っていました。ところが、1時間後くらいだったかな?「誕生日はやらなくていいの?」と言い出す母。「さっきやったでしょ」と言ったら、「あらそう?」と返事。そして夕食にみんなでくら寿司へ行って(くら寿司は予約できるから便利)その後、スーパー銭湯へ。お風呂から上がってお茶を飲んでいたら母「夜ご飯はどうするんだっけ?」ときた。「さっき、回転ずし行ったでしょ」と。実家の隣には親戚のおばさんが住んでいて私と姉が通りかかるとちょっとちょっとと手招きされた。「最近、ひどいわよ。お父さんが年金をくれないとか怪我のときの保険金をとったとか言っているわよ」と。あちゃー。私や姉じゃなく、おばさんに言っていただけだったのね。。。認知症は進行性のもの。どうにかしてあげたいけれど、できないものでもあり。何をしてあげられるのだろう?とときどき考える。もっと顔を出してあげた方がいいのはわかってる。高速を使って昼だと1時間以上かかる実家になかなか足が向かないのは、やはり私がぐうたらなせい?親しい友達よりも親の方が気を遣うという親子関係のせい?今年で77歳の父と母。親孝行って難しいなと思う今日この頃です。
2015.03.06
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先日、私の両親が入っている合唱サークルの発表会がありました。 ちなみにこのサークルは地元のサークルではなく父・母が大学時代に入っていたサークルで定年後に復活して活動しているサークルです。 小金井市が会場だったので私は結構遠いけれど、たまのことなので姉と花束持参で行きました。 (子供たちは野球やサッカーで来られず) 合唱は、なかなか選曲が良く楽しめましたよ高齢になっても趣味を持つことはやはりいいよね で、終了後。いつもロビーで花束を渡して少しおしゃべりをして帰るので今回もロビーで姉と2人を待っていた。父はすぐ来たけれど、母がなかなかやって来ない。父も他の方とも話すため別のところへ。ひたすら2人を待ち、だんだん人がいなくなってきても母は全然来ない。仕方ないので「控え室に・・・いますか?」とメンバーの方に聞くと「もういないわよ?打ち上げ会場じゃないの?」との返事。父までロビーに戻って来ないしまだ花とお土産も渡していなかったので、姉と「まったく~」とあきれながら近所の打ち上げのお店へ。 店の前で父と出くわし、何も言わずにおいていった文句を言いつつ「お母さんは?」と聞くと「え?あんたたちと一緒じゃないの?」と。父は女性の控え室に母を呼びに行ったけれどもういなかったので、私たちといると思ったらしく・・・。 初期認知症の母が1人で初めてのお店に来るのは厳しい。じゃあ、母はいったいどこへ あせりました。会場へ戻ったり、駅の周りを探したり・・・。でも、人の多い都内で探し出すことなんて不可能だよね。たぶん、打ち上げのことを忘れて1人で家に帰ったのだろう、という結論に。どうしようもないので、実家に電話を入れながら家へ向かうことに。(ちなみに携帯は、使わないと言って解約してしまった)私は実家と家の方向が同じなので周りを気にしつつ・・・ 乗り換え駅から実家へ電話をすると母が普通に出た。出た瞬間は心底ホッとしましたよ。どこかで迷子になっているんじゃないかと心配だったのだから。 そして母、「お父さんとケンカしたから、さっさと帰ってきたのよ」とか言う。うーん。その日は男女別行動なので、お父さんと関わっていないと思うのだけどね。それに、帰るにしても私たちに会ってからでいいじゃない。私は同じ方向だから一緒に帰れるのに・・・というか本当は打ち上げに出たほうがいいでしょ?予約してあったのだろうに・・・ と、色々言いたかったけれどとりあえず、無事家にいたことだしこれも病気のせいなのだろうと思い「まあ、家にいたなら良かったよ」とだけ言った。 何を言っても、母自身が、なんでそんな行動を取ったのかわかっていない気がしたので・・・ 認知症は治らない。進行をなんとか遅らせるだけ。まだまだこんな出来事、可愛い方なのだろう。 とりあえず、GPS携帯は持たせたほうがいいよねと姉と話し合ったのでした
2013.04.11
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週末は私の実家へ行きました 心配だった母の様子。(先週の関連日記)なんだか、最近は食欲がなくて体力も落ちて昼寝ばかりしているのだとか。 私たちが家へ着いたときももう姉家族はすでに着いていたのに母は寝ていた 最近は父への被害妄想から、父に文句をいいながら掴みかかってくることもあるとか・・・「これで刃物でも出されたら・・・」と父。それはしゃれにならないよ~ でも、起きてきた母に「ウチに来る」と聞いても「喧嘩したときは行きたかったけど、やっぱりいいわ」との返事。どうなんでしょう~ ついでに、3月に連れて行った医者のことも「あそこの先生、私が呆けてるだなんて変なことを言うのよ」と怒りの様子(もちろん、「呆けてる」なんて言い方はしていません) いや~。なんだか深刻になってきているよね・・・ とりあえず、姉や私のところにときどき呼んでしっかり食べさせて気分転換させようということになった。 実家に頻繁に行ってあげられればいいのだけれど私も姉も働いているし、子供関係もあったりで家をそうそう空けられない。(実家まで車で、高速を入れて1時間強と微妙に遠いのもネック。) できることはわずかだけど、少しでもサポートしないとね 先週はダンナ実家からもらったソラマメを楽しみました。塩茹でで十分美味しいけどこんなのも作ってみました ソラマメとトマトのマリネ
2012.06.12
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この週末に実家に行く予定を姉と立てた。ところが、昨日姉からメール お母さんから電話があってこんなことを言っていた。「お父さんが最近おかしくて怖いから実家に来ない方がいい私もK(姉)かぽぽみぃのところに避難したい」 姉はとりあえず母をなだめて、週末はすぐだから取り合えず実家に行く。そのとき姉とお母さんと私で話し合おうと言ったとのこと。 認知症・・・進行してるのかな・・・ 3月に病院へ連れて行ってアルツハイマーの初期と診断され、被害妄想が強いのでそれを抑える薬を処方してもらった。でも、あんまり変わらないどころか徐々にひどくなっている気がする。治る病気ではなく進行する病気なのだから、仕方ないのだけどね。 お父さんがお金をとる、保険証やパスポートを隠すお父さんが浮気相手を家に入れたいので私を早く死ぬように仕向けている etc... いつもこんな感じです。認知症の人に対して否定をしてはいけないらしくひどいね、困るね、気にしないで好きなことをしなよ、となだめて言うのだけれど・・・うーん。なんだか困ってしまうよね 嫌な妄想ばかりで母の心が休まらないだろうことが可愛そうで。家族のことで苦労して、やっと今穏やかに老後が過ごせるはずだったろうに。 被害妄想じゃなくて楽しい妄想だったら良かったのに。なんて。 あらら、テンションな日記でごめんなさい
2012.06.07
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晴れている。けど寒い雲ひとつない青空だけど北風がピューピューまだまだ冬の気温だしね。 会社の近くに梅の木がある公園があるのだけれど今年は本当に遅くて、やっと咲いてきた感じ。どんだけ遅いのかしらん・・・ 気温が低いからかベランダのお花がなかなかきれいに開かない中途半端なまま何日経っているのか・・・。こんな状態が1週間以上も続くあれそれともこれが正しい状態だったっけ 先週末に母を病院に連れて行ったあまりに被害妄想がひどくなってきてさすがにマズイとなり。 診断は、アルツハイマーになりかけているとのこと。 やっぱりなぁ・・・と。予想はしていたからね。 これからはいかに進行を遅くするかが勝負。家族で頑張っていくしかないです
2012.03.13
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昨日、母が退院しました。入院期間は結局50日かかった。ゆっくりだけれど、杖なしでも歩けるようになりとりあえずよかったのは、体の部分だけで・・・ 相変わらず呆け具合はヒドイし被害妄想もひどくなってきている。前に私が午前中に一人でお見舞いに行った日、夕方父がお見舞いに行ったのだけど私がいつ来たのかよくわかっていなかったらしい。 夜、9時や10時に病院にいる母から電話があって「お父さんは私が早く死ぬようにしむけてる気がする」とか「お父さんのせいで転んだ・・・」とか、怖いことばかり言う・・・もともと父と母は仲が悪いのだけどさすがに父もそこまでヒドくない(苦笑)夜になると、不安になるのかな・・・ 病院にはウチが車で迎えに行ったのだけど姉の家に2回も無事退院したと連絡したらしい。しかも5分おきで。姉もびっくり 心配は絶えないけれど、なんとか元気にやってて欲しいです なでしこジャパン、世界一おめでとうございます
2011.07.19
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土曜日のこと。母が自転車で転んで、ケガをして入院したと父から連絡が。変な転び方をしたのか?大腿骨を骨折したらしい小児のお見舞いを基本的に禁止している病院なので姉と2人でお見舞いに行った。 痛み止めをしているので、元気は元気だったのだけど手術が必要だとか。まあ、それで元のように歩けるならするしかない。 高齢者だと、骨折とは言えそれがきっかけに寝たきりにる場合もあるのでヒヤっとしたけれど、治るならよかった。でも、母とおしゃべりをしていて日に日にボケが進んでいるようでそっちの方が心配だね・・・と姉と話した。だって、前日に入院したのに「いつ入院したんだっけ?」とか「どうやってここに来たのかしら?」とか言う上に、同じことを何度も言う・・・(ちなみに救急車で運ばれた)睡眠導入剤を常用していたせいもあるのかなぁ・・・ 故・南田洋子さんも70過ぎて認知症の症状が出てきたとか。母も今年で73歳。老いは悲しいです
2011.05.31
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