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著者 : 百田尚樹 寓話的現代日本への風刺。 誠実で心 やさしツチガエルたちの国「ナパージュ」で毎日大合唱される平和の唄 『謝りソング』 原罪に基づきその「謝りソング」は出来たという。 エンエンという国出身のツチガエルによく似たヌマガエルたちがいて、祖国を称賛しながらも何代にもわたってこのナパージュに住み続けている。 ナパージュを見下ろす岩山の頂きに住む年老いた巨大ワシ の存在。「三戒」という掟に威厳をもつツチガエルの元老たち。 不戦運動をする、まだしっぽの残る若いカエルたちの代表フラワーズ。 安住の地を求めて死にもの狂いで辿り着いた2匹のアマガエルが見た豊かな国「ナパージュ」は、とても不思議な国だった。 しかし、ツチガエルたちが信じて疑わない「三戒 」という三つの不動の戒律のもと、獰猛なウシガエルたちがあざ笑うかのように侵略をし始める。 結局・・、「三戒」なるものがどういうものだったのか、著者の描いた結論には「なるほどね。」という説得力を感じた。 ナパージュのツチガエルたちは、ある意味有難いことに(そうも言える)『井の中の蛙大海を知らず 』で毎日を生きてこれたから。
2016.04.10

先日、お散歩を兼ねて伊賀市の町を散策。菅原神社にお参りし、上野城下のメイン通りにある小さな珈琲店専門店「みのむし」で休憩。「桃青芭蕉珈琲」という名のコーヒーセットをいただきました。 古くから営業されている御高齢のマスターが御機嫌よく出迎えてくれます。 桃青(とうせい)とは松尾芭蕉の若い頃の名前。中国の詩人「李白」に対して「桃青」とか。2つのカップで「マイルドな味」と「少し苦め」という1度で2度の味が楽しめます。(食べログより引用) 松尾芭蕉 没年:元禄7.10.12(1694.11.28)生年:寛永21(1644)江戸前期の俳諧師。正しくは単に芭蕉。伊賀国上野(三重県上野市)の人。父は農作を業としながら正式に松尾の姓を有する家柄。幼名は金作。成長して通称を甚七郎,また忠右衛門,藤七郎とも伝え,名を宗房と名乗る。俳号ははじめ宗房,のち桃青。芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』という書物が有名。聞いたわけではないですが、お店の名の「みのむし 」は、芭蕉の門人・服部土芳の草庵で、芭蕉五庵(無名庵・西麗庵・東麗庵・瓢竹庵・蓑虫庵)のうちの「蓑虫庵」からきていると思われます。唯一現存しているようです。 芭蕉に関して私にもう少し知識があれば珈琲店のマスターとももっと会話が弾むんですがね・・。 (↓;д;↓) 最近、松尾芭蕉の俳句(松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行 )の中の1句に桜の句を見つけました。http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/nozarasi.html 「命二つの中に生きたる桜哉(かな) 桜かな」 命あって奇しくもめぐりあえた二人の間に、お互いに生きてきた命の証でもあるかのように、桜が生き生きと咲き匂っている。 芭蕉が、滋賀の水口(みなくち)の満開の桜の木の下で、芭蕉が大津を発ち東海道を下ったことを聞いてぜひ会いたいと慕って追ってきた服部土芳(とほう。同郷出身の友人。のちに、芭蕉の 門人となる。)と20年ぶりに再会した時に詠んだ句。芭蕉42歳の時の作。 http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/tohou.html 「命二つの中に生きたる桜哉(かな) 」 満開の桜の中に、活き活きとした生命の喜びを感じさせる句です。 夫と二人、古い町をゆっくりとお散歩をし、帰りは菅原神社のそばにある老舗和菓子店「いせや」でみたらし団子と黒蜜饅頭、桜餅を買いました。 (目当てのいちご餅は売り切れていました。残念。 夏はあんみつを買いに来ます。) http://www.igaportal.co.jp/store/?p=1359 ※ 桜の名所、伊賀上野城の桜は7日の雨で散り始めているようです。https://www.kankomie.or.jp/event/detail_5750.html
2016.04.09
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