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年度末の今日は、勤務先の学童もmotoの保育園も「お別れ」の日でした。ずっと実家に泊まっていたので久しぶりに保育園に行ったのですがmotoの担任のY先生が今日を最後に異動されることを知りました。乳児さんから3回担任してもらったY先生。いつも菩薩さまのような穏やかな笑顔でとっても温かく大事な大事なこの年中さんで担任がY先生と聞いた時は本当に嬉しかったです。もうmotoが乳児組の時からいる先生はこの先生1人だけでほかの先生はみ~んな入れ替わってしまっていたのでなんとなく覚悟はしていましたがやっぱり寂しいですmotoにも話していたので今日はお手紙(似顔絵だけだけど)を持っていきました。年長さんも今日までとわかっていたので大好きなお友達にも似顔絵お手紙を渡し、帰ってきたらお返事をもらってきていて小さな心のキャッチボールに胸が熱くなりました勤務先の学童では3年生が最後の出席日でした。もう明日からは4年生なので、学童からは「卒業」なのです。春休みになってから3年生たちはとっても仲が良くいつも男女一緒になって遊んでいました。その姿がとっても微笑ましくて写真撮ってあげたいぐらいよ、と言った私のひと言で嘱託の指導員に方が記念スナップを撮っていました。みんないい笑顔中にはお引越しでお別れになってしまった子もいたり春休み前にお別れの挨拶をした子もいました。お手紙をくれた子、指導員全員にひとりひとりミニタオルを下さったお母様や菓子折りを持ってきてくださったお母様、学童でもこんな風に思いを寄せていただけるなんてとっても嬉しかったです。そしてもうひとつのお別れはこの学童から2人の指導員の方がお辞めになったことでした。ひとりは嘱託の方でベテラン、もうひとりは去年の9月に新規で採用されたばかりの方でした。後述の方はこの仕事のあまりの責任の重さに耐えかねて、のことで、9月の頃と比べて激ヤセされたその姿を見るととても痛々しいお別れでもありました明日からは辞められた方に代わってお2人の指導員と児童数が増えることで加配された指導員の方が1人、あわせて3人の方がおみえになります。そのうち1人はmisaが学童でお世話になっていた方ですが私にはあまりよい印象はないので複雑な気持ちです新1年生も明日からやってきます。またがんばって名前を覚えなくっちゃ~
2008.03.31
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ついに来た、naoの卒業式 「卒業」という言葉を意識し始めた2学期から 転がるように時が流れてきた感じ。 早いものだなぁ~ naoはもう随分前から今日を楽しみにしていました。 卒業、と言ったって また中学校でみんな一緒になるのだから 寂しさはないみたいで。 もともと超ドライな子だから 保育園の卒園式で隣の子が号泣してても もらい泣きすることもなく ドラマなどを観て泣くこともないですが やっぱり今日もでした(^_^;) 今時の卒業式ってこうなのかな、と お友達ママと話していましたが 校長先生から卒業証書を授与される時、 名前だけを読んで「以下同文」というお決まりのパターンはなく、 次々と流れていきました。 また、 たくさん来ていた来賓の方々も 祝辞は教育委員会から1人とPTA会長だけ。 昔みたいに 「おんなじことを何人しゃべったら気が済むんじゃ」と思うことはなく 名前さえ「時間の都合」と紹介されず 「その他の方々は今お手元にお配りしてある式次第に記載されていますので、各自でご確認ください」。 祝電もまったく紹介されず 「掲示してありますので、お帰りの際にご覧下さい」。 形式的なことはほとんど省略。 その分、中身は濃くて 「子供主体」といった感じを受けました。 校歌を始め、思い出の歌を次々と、 時には在校生も一緒に歌って5曲 中に、市の音楽祭で歌った「HEIWAの鐘」という歌があって この歌で一気に涙が出てしまいました 折りしも昨夜と一昨夜、 『東京大空襲』をテレビで観たばかりだったし この曲は音楽祭で聴いた時も泣けたのです また、 「旅立ちの言葉」を1人ずつ堂々と披露してくれて 子供たちの立派に成長した姿を見るだけで またぐっと目頭が熱くなってしまうので まともに見られませんでした いやぁトシとともに涙もろさが加速しちゃって… 途中でふと misaの卒業式を想像して 多分、ホロリじゃすまないだろうと思っただけで また泣けてしまうのでした 式のあと、 近くのホテルでお別れ会がありました。 こちらは、 バイキングあり、ゲームありの楽しい会でした あいにくの雨だったけど とても良い、思い出となる一日でした入学式には晴れてね~~~~~~
2008.03.19
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先月27日に始まった、父の抗がん剤治療。 今は1クール目の投薬が終わって、 18日まで休薬期間です。 高齢と体力を考えて 抗がん剤の量を75%ほどに抑えているためか 副作用はそれほど重くなく 先々週、先週と、外泊許可が下りて 帰宅していましたが、 今週になって 白血球がぐっと減り さすがにこの週末の外泊は許可されませんでした。 そして今日は 抜け始めた髪を看護士さんにバリカンで刈ってもらったらしく サッパリした頭にバンダナを巻いていました。 副作用があまり出ない父に心配なことは 担当の医師との信頼関係が築けていないことです。 もともと、 治療に入る前からこの医師の 無神経な言い方や人をバカにしたような態度が気になっていたのですが 治療についての説明や相談に対する答えなど ひとつひとつの言動が父の心に突き刺さり 治療よりもそちらの方がつらいようなのです。 そして先日は 「○○さんは自分で病気を作ってるところがあるようだから、精神的なものを何とかした方がいいんじゃないですか。精神科の先生を紹介しましょうか」 と言われたとのこと。 せ、精神科?! 一体どういうつもり?! と、あまりの無神経さに心底腹が立ちましたが 実際に昨日、その先生が病室に訪ねて来られたところ、 ガン病棟で心のケアをしている、カウンセラーだったようなのです。 それならそうと、 担当の医師がきちんと説明してくれればいいものを… もちろん父にも問題はあるのです。 父は元来、読む、書く、調べる、が大好きで几帳面。 四角四面で融通が利かない頑固者。 人付き合いが嫌いで、人の意見を聞かない人。 だからこのリンパ腫に関しても、 たくさんの書籍や資料を読んで頭でっかちになり、 医師の説明にないことも質問していました。 人付き合いが嫌いなため個室に入院していて 人の集まるロビーなどにも近寄らないために ヒマと時間を持て余しては せっせと質問事項や闘病日記を書いています。 そして まだ治療も始まる前から、 入院から通院に切り替えられるはずだが、と 医師に何度も頼んでいたのです。 おそらくは こんな患者は医師としては扱いにくいと思います。 きっと疎ましく思っているはずです。 でもだからといって 1クール目の投薬中に通院施設を見学させたり 「精神科に診てもらったら」などと不安をあおるような言葉を投げかけるなんて あまりに大人げないことだと思うのです。 医師にすれば 何十人、何百人と診てきたうちの1人に過ぎず、 父1人がどう思っていたって関係ないのかもしれません。 父にすれば 「もう高齢だから…」と諦めの言葉を発する反面、 やっぱり生に対しての執着があるからこそ あれこれと調べては知りたがっているのだと思うのです。 せっかくカウンセラーの先生を紹介されたのだから 思いのたけをぶつけてしまった方がラクになるのに それもできない厄介な性分です。 なんとか気を病むことなく 治療に専念できるようになってもらいたいものですが。 私の意見にもほとんど耳を貸さない困った頑固者です…
2008.03.14
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小学校のイベントで「歩け歩け大会」がありました毎年やってるようですが私は歩くことが嫌いなので(自転車なら何キロでも乗ろうと思うけど、歩く、走るはキライ)一度も参加したことがなかったのに今年度はPTAの役員、しかもこのイベントの担当部なので渋々参加申し込みしていましたちょうど申し込み表を書いている時にダンナが「何?」とのぞき込み「オレも歩いてみようかな」とポツリと言ったので気が変わらないうちにさっさと名前を書きとっとと学校に提出してやったのでこれまた私以上に歩くのがキライなダンナも参加となりましたこれでも小学校時代にはオリエンテーリングとか好きでよく参加してたんだけど車に乗るようになるとダメだね~ところが数日前の打ち合わせ会議になって初めて役員は歩かず昼食振る舞いの豚汁を用意するのだと聞きましたラッキーいや待てよ。私が歩くんだからと、子供3人とも申し込んじゃったnaoとmisaはともかく、motoの世話まではダンナじゃ無理だろうしましてや歩くこと自体がチャレンジだから私が歩かないと知ったら行かないと言うに違いない…ギリギリまで黙っておいて「実は…」と話したら「あっそう。じゃオレと子供らの4人で歩くってことね」え~っ行くの~と驚くとやめちゃうから「そうなのよ~お願いね」とさらりと流しておきました。そして今日。快晴小学校から2キロぐらいの道のりをmotoも元気に往復してきました。帰りはmotoが集団の先頭だったとかmotoは帰ってきてから学校の校庭でひと遊び、家に帰ってもサッカーや野球で遊び、買い物にもついてきてしっかり9時まで起きてました私は豚汁を、ほかの役員の方々と用意しましたがこれがた~いへn何が大変って、大根がまるでおでんの大根のような大きさしかもそれが信じられないほどの量昨日のうちに準備してあったみたいだけど私は昨日は参加できなかったので今日初めてそれを見て倒れそうでしたいくら大鍋だって大根で満タンですよ豚汁じゃなくてまるで大根の味噌煮いや~味噌煮なら食べられるけど一切れが大きすぎて味が染み込まずかじったら中は真っ白で味がない今日の陽気の中、暑ささえ感じながら帰ってきた人達もこの熱々の大根だらけの豚汁に驚いていましたそしてたっくさん残った豚汁…役員それぞれでお鍋を取りに帰ってお持ち帰り今日はもう見るのもイヤだったから明日の夕飯に食べようかな…
2008.03.09
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小学校で「6年生を送る会」があったので見に行ってきました毎年この会は5年生が企画、運営を行うので去年も見に行きました。早いものだな~もうあれから1年か~と思いながらちょっと早めに着くように学校へ自転車を走らせるとあれ・・・?車がいっぱい・・・みんな早いな~え??体育館から歌声が・・・(嫌な予感・・)ま、まさか発表会遅刻の二の舞そ~っと体育館の扉を開けると会の真っ最中え゛~~~~~~~~いつ?いつからやってたの?!だって5時間目でしょ???時間より早く来たのに、なんでぇ?!(後から子供に聞いたら、午前中が短縮日課だったから5時間目が早く始まったとか。子供たちも「知らなかったもん」と、私は怒られずにすみました)でも、misaの学年の発表には間に合ったし大事な大事な、6年生の合唱でのnaoのピアノ伴奏は見られてよかった今まで一生懸命にいろんな伴奏の練習をしてきたnaoだけどいつも完成できずに別の子に伴奏者の席を譲ってきたんですでもこれが最後のチャンスと、めちゃくちゃ練習に励んできて最後の最後に花を咲かせることができたのです緊張知らずのnaoもさすがに今日は朝からドキドキで「どぉしよ~できるかな~」と珍しく弱気なセリフを吐いていました。伴奏が終わるまで私も肩に力が入って終わったらどっと疲れました無事に大役をこなせて、ほっとしました6年生の退場の前に6年生1人に在校生が1人、メッセージを送りましたがnaoの時は1年生の女の子でした。ちっちゃい女の子が大好きなnaoがよく遊んであげているらしい女の子で「naoちゃんが中学校へ行っちゃっても、心はいつも一緒だよ」と、めっちゃ可愛いメッセージをくれて会場もどよめき、naoはデレデレでした帰宅してからもこの話ばかりで「あ~~~んもう夢にまで見ちゃいそう~」ととっても嬉しそうでした2週間後には卒業式か…あっという間の6年間だったな~。motoは保育園のお別れ遠足。片道2キロぐらいはありそうな公園まで年少さんから年長さんまでが歩いて頑張りました去年のお別れ遠足の思い出がイマイチないなぁと思ったらそうそう、年少の時のmotoたちはあまりにやんちゃすぎて年少さんだけは遠出させてもらえず一番近い公園に行ったのでしたそう思うと、成長したんだなぁ~motoの長い保育園生活も5年目か~。いよいよ保育園最後の年なんだね~。私も保育園ママ9年目やっと、卒業だ~
2008.03.05
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先週の金曜日からまた、父は外泊許可をもらって今日まで帰宅していました。本人も家族も、治療が始まってからは帰れないだろうと思っていたのですが、白血球の減少がなく、高熱や吐き気もないということで、許可が下りたようです。病室を出てからは家の中でもマスク着用で、食べ物にも制限があるので、私たち親子は近付かない方がいいと思い、お雛祭りにご馳走でもてなすこともできず、ただ、motoが励ましの手紙を書いたので、それを届けただけでした。帰宅中も熱が出たらすぐに病院に戻らなければならないのですが、おかげさまで無事に今晩まで家に居ることができたようで、これまたひと安心でした。ただ、腰痛と便秘がひどかったようではありますが…父はどんな思いでこの週末を過ごしたのでしょうか…明日からは投薬はお休みで、18日間は経過を見る期間です。
2008.03.02
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