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このブログに子どものことを書くのは何年ぶりかな。何でも忘れてしまう私だから子どもたちのことを書き留めておきたくて始めたブログでした。娘の大切な節目だからちゃんと書いておかなくちゃ。第一志望の大学に無事合格して4月から大学生になる娘。遠く埼玉へ引っ越しです。関東地区へ行くのは長年の彼女の夢でした。ダンスやお芝居に目覚めた保育園時代から東京へ行ってスターになる!が口癖でした。久しぶりにこのブログを書くにあたってその頃の日記を探ってみたら本当にそのまんまだったので可笑しいような寂しいような・・・1年生の頃。新聞の『タレント新人研修生募集 スカウト&オーディション』という広告を見てせっせと紙に応募内容を書いていました。応募したらスターになれると信じている娘に何を言っても聞く耳持たず。応募して審査に通ったとして、どうやって通うのか、誰が連れて行くのか、お金はどうするのか、現実的な話をしてもピンと来ない。そして、「そういう世界に入るということは今の生活を捨てるということになるんだよ。」と釘を刺すつもりで言ったら、なんと「いいよ。捨てる」。 今思えば笑い話だけど当時は本当に腹が立って、 「そんなになりたきゃ自分で必要なお金を作ってから応募しなさい!ママはそんなのに付き合うのはゴメンだから、自分一人で東京でもどこでも行けるようになってから好きなようにしてちょうだい!」と叫んだものです。が。それに対して娘は 「ホント?!じゃそれまで応募やめとく~!ね、ね、それって何歳頃??中学校卒業してから??高校卒業してから??(@∇@)」もうお手上げ状態だった私がやっとの思いで言った言葉は 「行かなきゃいけない学校は中学校までだけど、18歳まではママのそばにいてもらうよ」。10年前のやり取りです。まさかその頃、それが本当になるとは思いもよらずに交わした会話です。10年間、ずっと同じ夢を追い続け諦めなかった娘に完敗です。彼女が目指しているのはミュージカル俳優。どうしてもどうしてもそれ以外の道を考えられない。それしかやりたいことがない。関東の大学に行くなんて国立じゃなきゃ絶対ダメ、と難題をふっかけたのにそれがかえって彼女のナニクソ精神に火をつけたのかまさかのまさかでクリアしてしまいました。センター試験の結果が思わしくなく、いったんは凹んだものの「このまま引き下がるなんてできない」と。常日頃、子供たちには「やらずに後悔するよりも、やって後悔しなさい。やった後悔は次へのステップになるけれどやらなかった後悔に次はない、一生後悔として残るから」と言っている手前、大きな壁を越えようとする娘を止めることもできず行ってほしくない気持ちと応援したい気持ちがごちゃ混ぜの1年間でした。正直、今も複雑です。実母も義母も亡くなって身内に女性がいなくなってしまう状況があまりに寂しすぎるので・・・そう、今年は激動の1年でした。4月、娘の吹奏楽部の定期演奏会の後、義母が不調を訴え6月には入院。かと思えば7月には実母が体調不良で検査の結果、すでに手遅れの末期がんと分かり、治療ではなく延命のために抗がん剤治療が始まって。でもそれも虚しく10月末、逝去。その間に入退院をくりかえしていた義母もこの1月末に逝去。私は6月からずっと病院ばかり行っていて小学5年生の末っ子を週末もほとんど遊びに連れて出かけることもできず夏休みにもどこへも連れていってあげられず娘の進学についても本人任せにしていたので夏休みのオープンキャンパスに申し込みが遅れどこへも見学に行かないままの受験でした。しかも関東へ行くことしか考えていないので国公立大学しか受ける気がなく滑り止めの私大を拒否。締切間際になってようやく説得できたもののじっくり選ぶ時間もなく慌てて決めたものでした。しかも二人の母のお見舞いや葬儀、亡くなった後も、初七日や四十九日などの法要が続き、バタバタ続きの年末年始。喪中だったので初詣に行けず合格祈願もお守りを買うこともできず私は病院、病院で留守ばかり。とても受験生らしい生活とは言えませんでした。それでも風邪ひとつひかずインフルエンザも無縁。3年間の皆勤賞ももらうほど健康優良児。本当に助かります。インフルエンザなんて罹ったことあったかな、というぐらい病気した記憶がないです。葬儀が受験日と重なったらどうしようかと心配だったけれどそれも無事。神頼みもせず塾へも通っていないのでまったくの自力での合格です。わが子なから天晴れ。娘が小学生の時に私が書いたプロフィール ↓【歌・ダンス・読み書き大好き計算・競争・段取りが苦手運動神経は鈍いがダンスは得意方向音痴のうえかなりヒドイ忘れん坊好奇心・挑戦意欲はケタはずれだが天然ボケで珍プレイ多発打たれ強いというよりも、打たれていることに気付かず常に前向き将来の夢:ミュージカル俳優】今もそのままです。そんな娘と過ごせる時間もあとわずか。大学を出でもこちらに戻ってくることはないでしょう。彼氏いない歴18年、完全に晩婚型なのに嫁に行くよりも先に家から出ていく娘に寂しくもありうれしくもあり。私のほうが自立しなきゃね。
2014.03.09
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母の最期についてなかなか続きが書けないうちに母と同時期に入退院を繰り返していた義母も亡くなりました。入退院7か月、最後の入院から約20日、1月26日の未明でした。母の百か日法要の夜が義母の通夜となりました。「お母さん」と呼べる人がいなくなってしまいました。結婚して長女が2歳、長男が7か月の時から11年間一緒に暮らしました。いわゆる二世帯住宅ではなく文字通りの“同居”。見たくないものも見えるし聞きたくないことも聞こえるし耐えられずに飛び出したこともあり泣き明かした夜もありました。義母と母は真逆の性格。子どものような、自分に素直な人でした。公務員の妻として常に体面を気にしていなければいけなかった母にはその素直さはありませんでした。その母と公務員の父を見て育った私も自分の気持ちを素直に出せない人間になっていたので何でも思ったことを口にする義母との同居は地獄のような日々でした。でもいつの頃からか義母の裏表のなさが魅力に感じられるようになり私も自分をさらけ出せるようになったので義母、ではありましたが母、でもありました。そして一緒に出掛けていると「娘さん?」と聞かれるほど呼吸が合うようになったのです。今の私があるのは義母のおかげでもあります。次男が1歳になった頃、たまたま見つけた和太鼓講座に思い切って申し込んだのも義母と同居だったからで、義母なら賛成してくれる、義母なら子どもたちを預けても心配ない、と思えたからです。これが実母だったら許されなかっただろうしましてや同居でなかったら実現しなかったことです。その和太鼓も結局、講座からそのまま続いて11年目。それも義母のおかげです。義母は私が出演する時は必ず見に来てくれました。子どもたちを置いていくことも快く引き受けてくれたけど「私も見たい」と言って結局、出演よりうんと早い集合時間に合わせてでも子どもたちと一緒に同行し待ち時間の間もずっと子どもたちの面倒を見てくれていました。太鼓仲間からは「親衛隊だね」と言われるほどでした。私の一番のファンであり私のチームの一番のファンでもあり太鼓のファンでもありました。私のチーム以外にも太鼓の演奏があれば一緒に観に行ったり時には自分の友達にも私の出演を知らせてくれて「嫁が太鼓やっている」というのが自慢なんだよ、と言ってくれていたのがうれしかったです。とにかく楽しいことが大好きで義母の周りはいつも明るく真面目な悩みもバカバカしく思えるほど楽天的でした。入院してからも体はしんどくて動きづらくても常に冗談は忘れない。看護師さんや同室の患者さんを笑わせて入院生活でもお友達を作ってしまうという明るさの天才でした。弱気なことも一度も言わず退院してからのことばかり考えていたので私たち家族もこんなに早くしかもあっけなく逝ってしまって本当に驚き、いまだに信じられません。義母は私が嫁ぐ前から多血症に罹っていました。多血症は赤血球数が基準値より多い状態ですが義母はずっと通院、服薬を続けていたのでとくに何の症状もなく、逆に同世代の女性に比べたらとても頑丈で男性の職場で力仕事をしていました。車の免許を持っていないし歩くことが体にいい、ということでよく歩いていました。山歩きも好きでよく子どもたちを山へ連れていって歩かせてくれました。私が歩くことが嫌いなのでこんな遊びは義母がいなかったらできなかったと思います。土日も休みがなく子どもと遊ぶことが嫌いな夫に代わって休日にはよく公園や川遊びに付き合ってくれました。夫は一緒に出かけると運転だけして目的地では車で寝ているだけでしたが義母は徹底的に子どもと遊ぶ人でした。もしかしたら自分の息子がこんな人だからこそ申し訳ない気持ちでそうしてくれていたのかもしれません。でもとにかく子どもが好きでまたよく子どもに好かれる人でした。仕事で疲れているはずなのに帰ってきても子どもと遊んでくれて私より体力があったと思います。そんな体力自慢の義母が昨年の春ごろから息切れや疲れ、だるさを感じるようになり山へも行けなくなって通院していた病院で精密検査を受けたところ脾臓が腫れていることが分かり即入院となったのです。改めて多血症を調べてみると確かに、症状として「脾臓の腫れ」とありますが担当医からは一度もそのような説明はなかったし定期的にレントゲンを撮ることもなくこうなって初めて知ったという感じです。危篤の知らせが病院からあった、と夫から電話があり駆けつけたのは私が一番でした。現在の病状を担当医から一人で聞き頭の中が真っ白になった頃に夫が来ました。その3日前に会った時には「ご飯もちょっと食べる量が増えたよ~」と明るく話し、虫歯が見つかって抜歯したんだよ、とかこっそりジュースも飲んでるんだよ、とか寝たままでもおしゃべりな義母らしくたくさん話したところでした。その日、ろれつが回らず、手も足も動かしにくい、と訴えじきに意識が朦朧としてきて脳のMRIを撮ったところかなりの量の脳内出血が見られたとのことでした。それは新しく出血したものではなくいつからか少しずつ始まって限界が来たようでした。多血症から血液すべてのバランスが悪く輸血を繰り返し抗がん剤治療も始めたところでした。白血球、血小板が下がっていて感染にも極力留意が必要だったし血が止まりにくいので小さな傷や打撲にも気をつけていたのですが臓器や脳内の出血までは気を付けられるものでもないし出血を知ることもできない。もしかしたらどこかでコツンと頭をぶつけた程度のことがあったのかもしれないけれどもう本人に聞くこともできなかったし聞いてもどうにもならない。この脳内出血を取り除くには開頭手術が必要ではあるけれど白血球、血小板の状況からそれは絶対にできない。ほかには小さな穴を開けて管で吸い取る方法もあるがすでに塊のようになっている血液はその方法では取り除けない。検査からは新しい出血も見られどの方法をとっても命を縮めることになりこのまま“時”を待つことしかできない、という状態でした。目は開かなくてもまだ意識はあり呼びかけには反応していました。夕方、娘と次男を連れていき」「ばあちゃん、がんばって!」と子どもたちが声をかけると小さくうなずいていました。後から帰宅する長男を迎えにもう一度帰宅したのですがその前に「長男を連れてくるからね」と声をかけると大きく頷いたので家族みんなで驚いたものです。長男は一番手のかかる心配な子だったので反応が大きかったのではないでしょうか。長男も来た後、夜になって帰宅する際、「また明日くるね、おやすみ」との声かけに「おやすみ」と返事をしてくれてそれが義母との最後の会話となりました。翌日からは声は聞こえているようで目玉の動きが見られましたが目を開けることはなくその翌日にはその目玉も動かなくなり完全に昏睡状態になりました。危篤から3日目の明け方、付き添っていた義父から電話があり駆けつけた時には息を引き取っていました。携帯電話を持たない義父母だったので入院中困るからとプリペイドの携帯電話を義兄が用意し喜んでかけてきた義母の最期を知らせてくれたのもその携帯電話でした。その電話で最後に話した相手はやはり長男でした。いつかは、と言われ続けていた義母でしたが母に続きこんなにも早くあっけなく逝ってしまって人とは死とは生とは何だろう、と改めて考える毎日です。病院の支払いに行ってもらってきた診療明細の歯科治療の足跡が空しいです。生きたくて生きたくて健康でありたかった義母のあまりに寂しい最期でした。次男の妊娠前に流産した時病院から帰った私を抱きしめて泣いてくれた義母。母が亡くなった後、「お母さんの分まで頑張るからね」と泣いてくれた義母。私は幸せな嫁です。
2014.02.11
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抗がん剤投与は1週間に一度。それを4回、つまり4週間で1クールです。これを何クールか繰り返す、というもので、3週目の投与後の状況によっては退院して4週目は通院で受けることもできるという予定でした。心配していた副作用もほとんどなく2週目の投与まで順調でした。3週目を目の前にしたある晩、夜中に一人でトイレに行こうとして24時間休みなしに続く点滴のスタンドに足が引っ掛かったらしく転倒して頭を強打したようでした。その時すぐにナースコールをすれば良かったのですがあまりの痛みで起き上がるのもつらく我慢しているうちに痛みがひいてきたから、とベッドに戻って朝を待ったようですがそれでも朝一番に連絡したのは看護師さんではなく、家にいる父でした。それほど心細かったのでしょう。病院へは父から連絡し急遽、頭部MRIを撮ることに。家族はみな口をそろえてなんで朝までナースコールしなかったの!と言いましたがよくよく考えてみると看護師さんも朝まで一度も見回りしていなかった、ということなんですね。検査の結果、思いがけず、脳梗塞が見つかりました。母は後に自分の姉や友人に「転んで頭を打ったから脳梗塞になっちゃった」と抗がん剤が中断された理由を話したようでしたがこの脳梗塞もガンによるものでした。ガン患者は血栓ができやすいのだそうでその血栓が脳に無数に見られるとのことでした。実は入院する前からその様子は現れていたのです。「最近ちょっと言うことがおかしいんだ」と、父が母を心配するようになっていました。ガスを消し忘れたり、言ったことを言っていないと言い張ったり、ちょっとボケてきたみたいだ、と老化による痴呆の心配でした。そして入院してからもなんだか最近、右手に力が入らないんだよ、と言っていた矢先の転倒でした。なので転倒したのも右手がうまく使えず点滴スタンドを動かしにくかったことともしかしたら足にも軽い麻痺があって動きが悪かったのかもしれませんが本人はあくまでも転ばなければ抗がん剤が続けられたのに、と自分のうっかりを悔やんでおりました。脳梗塞があると抗がん剤投与はできないそうでまずは、脳梗塞がこれ以上進行しないようにすることが優先になり、血栓を溶かす点滴を1週間以上続けて様子を見ることになりました。その間は特に右手の軽い麻痺以外には何の症状もなくこんな退屈なら帰りたい、この点滴が終わったら帰れるよね、としきりに帰りたがっていました。点滴と同時進行で麻痺へのリハビリも始まりました。でもこの病院でのリハビリはあくまでも入院患者さん対象で仮に通院での抗がん剤投与となった場合には他の病院でリハビリを続けてください、と言われましたが特に紹介も提携もなく自分で病院を決めてきた後に市民病院から紹介状を書く、ということでした。当時真剣に、どこが通いやすいかと思いを巡らせていたことが今となってはとても空しいです。脳梗塞診断から10日ほど経ってようやく点滴が終わりました。入院から約6週間が経っていました。今後の予定を説明に来た担当医が「一度、帰りたいよねぇ。入院長くなっちゃったもんね」。母の顔がパッと明るくなりました。ただ心配なのは食事。食欲ないし、病院の食事はおいしくない、と言ってほとんど食べていなかったため栄養を点滴に頼っていたのです。これが外されて家で食事が摂れるのかどうか家族みんなが心配でした。本人はいたって平気。今の自分の状態が家でも続くと信じていたからでしょう。そして10月7日、退院。久しぶりに家に帰って本当にうれしいと喜んでいましたが翌日から急速に体力が落ちていきました。家で美味しいお米が食べたい、と魚沼産の高級米を買って食べたのはほんの一口。お味噌汁が作りたいから、と豆腐を頼まれて買っていったものの開封することはなかったです。家にいってもほとんど横になっていて目を開けているだけ。寝てばかりも腰が痛いからとたまに起きてきてもソファに深く座ってボーっとしているうちにずるっと倒れこんでしまう。テレビの前にいても観ているわけではなく読書が大好きだったのに本にも新聞にも手を出さない。話しかけても気の無い返事が返ってくるだけでただただ「居る」だけでした。日に日に弱っていく上に浮腫と黄疸がひどくなりついに起き上がることもできなくなってしまったのでちょうど仕事が休みだった兄が病院に連れて行き、そのまま再入院となりました。10月11日。退院からわずか4日目でした。初めの入院と違って心の準備もなく楽しみにしていたはずのわが家での日常から突然切り離されたまま二度と帰れなかったことはとても無念だったと思います。再入院した時の母の真っ黄色の顔と、当初入った大部屋で自分の向かい側の患者さんの枕元に『絶飲食』と書いた札がかけられているのを見た母の「あの人、可哀相にねぇ」という一言が忘れられません。
2013.11.11
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母が亡くなって2週間が経ちました。二(ふた)七日も終えました。お悔やみをいただいた皆さんにはご心配、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。皆さんのおかげで心が折れずに頑張れました。2週間が経ってもまだあの葬儀が母のものだったとは思えません。むしろ、時が経てば経つほど他人事のような気がします。なので、きちんと母のことを記録しておきたいのと自分の気持ちを吐き出したくて書き残すことにしました。末期ガンと診断されたのは8月。なんとなくお腹が張ってドーンとする、とかだるくて動きたくない、とかあんまり食欲がない、など普段ほとんど不調を口にしない母がそんなことを言うようになって父は病院へ行くように再三言っていたようですがなにしろ健康が取り柄の母ですからそのうちお腹も治る、だるさも食欲不振も、夏バテしてるだけだ、とまったく病院に行く気がなく。悪いことに母は今年の2月に鼠径ヘルニアの手術を受けたところでお腹にはネットを入れていました。その担当医から「異物がお腹に入ったので、違和感は残ると思います」と言われていたのでお腹の張りもそれだと思い込んでいたのです。でもさすがに2週間ほどその状態が続いて父が強く言ったのでハイハイ、という軽い気持ちで受診したのですがいくら混んでいる市民病院で予約が無かったとはいえ、朝行って、お昼ごろに「CTを撮ると言われてもう少しかかる」と電話があったきり、午後3時を回っても帰ってこないのがおかしい、と父から私に電話がありました。ちょうどその電話の最中に両親と同居する長兄が帰宅、そのまま病院へ走ってくれました。兄が病院へ行った時にはMRIを撮る順番を待っているところだったそうで予約もなく受診してその日のうちにCTやMRIを撮るということがどういうことか、さすがに本人にも分かるので不安でいっぱいだったと思います。そしてちょうど兄も一緒だったということで医師から告げられたのは「肝臓ガンの、ステージ4です。すい臓からの転移のようです」兄からそう電話をもらってもは?!と言ったきり声が出ませんでした。その時の説明ではステージ4となると抗がん剤を投与しても治療効果は期待できない、しかも母のように高齢では抗がん剤によるリスクの方が高く、あまりお勧めできない、とのこと。そんなこと言ったらそれはつまり何もせず“その時”を待つしかない、ということ?その説明に納得がいかず愛知県がんセンターでセカンドオピニオンを受けました。そちらの先生はこちらの病院での検査結果と、母の状態を見て抗がん剤投与は十分できる、との見解を示しました。そして一日でも早い方がいいのでこちらへ移ってでも投与を始めてはどうかと言ってくれました。親子3人、目の前がパーっと明るくなった瞬間でした。家からは遠いけど助けてくれるのなら、と転院を決めました。その結果を持って市民病院へ両親を連れて行った兄から「入院して抗がん剤をやることになった」と電話があったものの、その入院先ががんセンターではなく市民病院と聞いてまたびっくり。できないと言ったんじゃなかったの?!市民病院の先生はがんセンターで診てくれた先生がガン治療の権威でありその先生ができると言ったのであればこちらでもやります、と。なんだそれは!と、不信感は生まれたものの、どうせなら、近い病院で入院できる方が助かるし母もよく慣れた病院の方が安心だ、ということでお願いすることになりました。そして8月26日、入院。入院の日に改めて先生から説明がありました。私はその先生と会うのは初めてでした。病名としては、すい臓ガン。すい臓もすでに末期の状態でそのすい臓ガンが血液を通して肝臓へ転移、肝臓にも無数にガンができていてステージ4にあたる。すい臓ガンは治らない。肝臓は、すべての血液が通る臓器なのでどのガンからも転移しやすい。ガンの治療には、手術と抗がん剤投与があるが手術は、ガンをすべて取り除ける場合にしかできない。今の、無数に散らばっている状況では肝臓を丸ごと取り除かなければならず、肝臓なくしては人は生きられないので手術という選択肢はない。抗がん剤は高齢者にはリスクが高いので内服薬という方法もあるが抗がん剤ほどの効果はない。抗がん剤というものは、増殖の早い細胞をやっつけるものなのでガン細胞だけでなく髪や血液の細胞にも作用してしまう。そのために、髪が抜けたり、血液のバランスが崩れてしまう。白血球が減ると免疫力が低下し、赤血球が減ると酸素が送られなくなり貧血になり、血小板が減ると止血しにくくなる。白血球は減っても増やす薬があるが赤血球、血小板には薬はないので、輸血しかない。輸血にもリスクがないわけではない。それらをすべて理解、納得の上であくまでもご本人の意思によっての抗がん剤投与となります、と。そして、「今の状況での抗がん剤投与は、治療ではありません、延命です」。胸を突かれるひとことでした。先生は淡々と説明していましたが母にとっては辛すぎる話だったでしょう。終始黙って聞いていました。父はまるで自分が受けるかのように「お願いします」と即答でしたがお母さんのことなんだよ、と母に意思を確認すると「入院すると決めた時に覚悟はしてきたよ」。そして抗がん剤投与が始まりました。
2013.11.07
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先月の13日に コンサータの量を18mgから27mgに増やしたmisa。 しばらく様子を見ていても ん~どうなの~ みたいな感じで イマイチ効いているのかどうか わからない状態でいました。 発達外来の次の診察は 今月の9日。 処方されていたコンサータは もう29日に飲みきってしまいましたが それほど効き目もなさそうなので 9日までこのまま過ごそう。 と 思っていたのですが この火曜日、 学校から帰ったmisaの様子があまりにも落ち着きがなく 椅子に座っても1秒もじっとできない。 いつものプリントも いつもなら声掛けすれば渋々でも取り掛かるのに 鉛筆を持つことさえままならず 放っておいたら いつまでも椅子を左右に動かしているだけでした。 「ちょっと・・・どうしちゃったの??」 と聞くと 「わかんね。何にもやりたくねぇ」 「もしかして学校でもこんな感じだったの??」 「さぁ~わかんね。でも勉強なんて全然やる気にならんかった」 動きは本人には分からないでしょうけれど 「勉強やる気がなかった」のは 目の前のmisaを見れば分かります。 ひょっとしてこれは コンサータを飲んでいないから?? それともただ、 休み明けだからかな? と 困っていたら ひとつだけコンサータが残っていることに気付きました。 翌、水曜日、 「これ最後のひとつがあったから、今日は飲んで行こうね。 昨日の自分、覚えてる??」 「あぁ~なんかだるかった」 「今日はどんな感じか、帰ってきたら教えてね」 「どんな感じって?」 「勉強しやすかった、とか、気分がスッキリしてた、とか。 昨日の自分と比べたいからね」 そうして帰宅したmisa。 「ねぇ、今度いつクリニック行くの?」 「9日だよ、なんで?」 「コンサータも9日にもらうの?」 「そのつもりだけど、なんで?」 と言ってから はっとして 「今日の自分はどうだった?」と聞くと 「今日はちゃんと勉強できたよ。宿題も学校でやった」 「そっか~。勉強しやすかったってことかな?」 「うん、なんとなく」 「それなら、コンサータ飲んだ方がよさそうかな?」 「うん~・・・かもしれん」 そっかー。 本人にも違いが分かるぐらい効いてたんだ~。 そうそう、思えばそういう雰囲気が なかったわけじゃない。 ゲーム休みの日である日曜日、 motoのカード遊びの相手を 1時間ぐらい根気よく、続けてくれたし、 釣りの日もダンナが すごく落ち着いてた、と驚いてた。 私は劇的な変化ばかりを待っていたけど 地味でも変化はあったんだ。 というわけで 急遽、今朝病院に電話して コンサータをまた同量、もらってきました。
2008.10.02
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今日、学童にお別れをしてきました 学童のある小学校も 先週の土曜日は運動会だったので 今日は代休日 職員は 午前勤務と午後勤務の交替勤務、 私は午後でした。 いろいろ最後の言葉を考えながら いつもより早く学童へ行くと なんと、子供が少ない 通常の3分の1でした そっか、 そうだよね。 私だっていつもなら こんな日は休みにするもん なんだか拍子抜けでしたが 先生方の温かいご配慮で よい1日を過ごすことができました このところトシのせいか 泣くと止まらなくなるので ゼッタイ泣くまいと決めていき、 最後の挨拶で1度たまらなくなったのを乗り越えたら あとは笑顔のサヨナラができました でも 1人、また1人、と お迎えが来て 子供たちが帰っていくと その度に胸がキューンとして 最後の子が よく一緒に遊んだ3年生の女の子で 今日のお別れ会でも司会を務めてくれた子だったので お互いに名残り惜しくて 玄関から歩いていくのを見送っていたら 何度も何度も振り返って 「またね~」 「また遊ぼうね~」と 見えなくなるまで手を振ってくれて さすがに泣けてしまいました 子供たちから文集をもらったのですが 勤務中に見たら泣いちゃうと思い、 家に帰って早速読んでみると 1年生から3年生の まだまだ低学年のかわいらしい子たちなので 書いてあることがとっても可愛らしく、 泣けるどころか笑えて笑えて・・・ 3、4人、同じ文章がみられたり、 「ぼくのすきなたべものはリンゴです」 が何人もいたり 私の辞める理由を嘱託の先生が 「お家の都合で」と伝えてくださっているので (だいたい、どの先生が辞められる時も同じ言い方ですが) 「おうちのつごうでがんばってください」 なんてのもあったり、 「あっちへいってもわすれないでね」とか (あっちってどこ~~~~~~??) 最後の日には一番会いたかった 自閉症の1年生の男の子、 今日はお休みで会えなくて心残りでしたが その文集の中に、 得意な汽車と電車の絵を書いてくれていて (大人顔負けの画才です) 「おおいがわてつどう」と。 この文集の中にその子の1枚があることが 本当に嬉しかったし ほかの特別支援学級に在籍している子もいて 宿題なんか嫌いで嫌いでやらないのに ちゃんと文字を書いてくれていて 私にとっては これからの大きな支えになりました。 およそ90人、 ひとりひとりの顔を思い浮かべながら読むと 本当に可愛くて可愛くて たった2年半でしたが 本当に楽しかったです。 またいつか わが子の成長を見届けたら、 子供たちの傍にいきたいなぁ~
2008.09.29
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コンサータを処方されてから1週間。 経過を見るための診察を受けてきました。 前回の診察で行った算数の計算。 ちょっと時間がかかりすぎ、ということで 100マス計算が宿題に出されました。 足し算、引き算、掛け算の3通りの100マス計算。 なるべく薬の効いている時間内にやること。 で、 必ず時間を計ること。 集中できるようになると 計算にかかる時間が当然短くなるというわけだけど。 ん~ 確かに集中はできてるように見えますが、 時間はそんなに変わんないかな それでも、 このプリントを見て先生は 「少しずつでも早くなってきてるじゃんがんばってるじゃん」 と褒めてくれ、misaは気分よさそうでした ところで 例の、担任の問題発言。 『2ケタでわる計算、大丈夫か??』 これについて日記に書いてから やっぱりどうしても許せなかったので 連絡帳にひとこと、 チクリと刺すような書き方をしておきました。 もともと昨日は診察のため早退させなければならなかったので その旨を連絡帳に書く予定でしたから 早退することと、 学校での様子をちっとも教えてくれないので 再度そのお願いをして「ところで」としてから 「昨日持ち帰った割り算のプリントに『計算大丈夫か』と書かれていましたが、先生はどういうお気持ちで書かれたのでしょうか」 とだけ。 もちろん書面だけで終わるつもりはなく 早退ついでに教室まで迎えに行って 担任と直接話をするつもりがあっての先制攻撃です。 でも スクールカウンセラーの先生にも報告をしたくて その窓口である養護の先生にも カウンセリングの日にちをお聞きしたかったので 授業が終わるよりちょっと早く学校に行き 職員室に行きました。 あいにく養護の先生は出張とやらで不在だったのですが なんと偶然にも misaの担任が職員室にいたのです。 授業中のはずなのに?! 後で聞いたら、 子供たちが体操服から着替えてる時間だったそうで、 いいタイミングで出くわしてラッキーでした。 あの一言を書いた上での突撃に ちょっと面食らったような風の担任。 職員室から出てくるなり 口元をすぼませごまかし笑いのような顔で 「お母さんすみませんねいらんこと書いてご心配おかけしたようで僕としては励ましのつもりだったんですけどね(^-^;)」 「あ~そうなんですか、いや~そうは見えなかったものですから~息子もかなりショックを受けてるんですよね~あの子なりに努力はしたらしくて~」 「いやいや、努力はしてると思いますよ、だからがんばれっていう気持ちで書いたんですけどね(^-^;)」 「いや~『大丈夫か』って聞かれれば、大丈夫じゃない子なのでねぇ。そのために今病院にも通ってるところなので。先生にはますますご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします~」 怒鳴り込むような言い方ではなく あくまでも言葉も態度も下手(したて)で でも怒ってるよ、というメッセージだけは必ず伝えるのが 私のやり方です。 misaは「アイツには何言ってもムダ」と言ってたけど 少しはチクリと効いたような感じです。 でも、話しながら、 お互いに腹の探り合いかな、とは思いましたが。 連絡帳にも書いた、と前置きしながら 授業にもよく集中できているし、 以前のようなムダな一言が減った、とか、 その問題のプリントの時は 休み明けの久しぶりの割り算でちょっと慣れてなかったんじゃないか、とか、 あの一言を書いた同じ人物とは思えないような よき理解者であるような話をあれこれしてくれました。 いったん帰宅して その連絡帳を開いてビックリ misaより、いやこんなに汚い字は見たことない、 というぐらい汚い、しかも細かい字で 連絡帳3ページに渡りビッシリと書かれていました しかも所々に誤字脱字、 間違いに気付いた字は黒く塗りつぶし、横に訂正、 そこへもってきて、 吹き出しのようなカッコでの付け足しがめちゃくちゃ多く 本当に読みづらい おいおい 先生、あなたの方が『大丈夫か?』 直接会った時に聞いたことと同じことが書かれていましたし この乱雑な状態もぜひ見てもらいたく、 そのまま病院に持って行きました。 それを見て病院の先生、ちょっと驚いた顔で 「これって、先生が書いたの??」 そして時折、眉間にシワを寄せながら 指で文字をたどりながら一文字ずつ確認しながら読んで 「ふ~ん。で、がんばれのつもりで『大丈夫か』って書いたんだ」 「らしいです(^-^;)いやもしかして理解されてないのかと思って確かめたくてお聞きしたんですけどね(^-^;)」 「うん~まぁ『がんばれ』とは受け取れない感じだけど。まぁmisaくんが頑張ってることは伝わってるみたいだから、いいんじゃない?」 なんか、 病院の先生にも分かってもらえたみたいで 嬉しかったです さて話が反れていましたが 問題のコンサータについては misa本人も私も「あんまり以前と変わらないように思います」。 先生から 「飲んでしばらくすると頭の中がスッキリしたって感じしない?」 と聞かれたmisa、 「さぁ分かんない。っつかもともとスッキリしてるし」 ・・・(^-^;) 「そっか~。前よりやる気が続く、とか、そういう感じは?」 「ん~・・・っつかオレもともと学校行けば家よりはやる気だし」 ・・・((((((^-^;) 「食欲は落ちてない?」 「いや、全然」 「そりゃよかった」 「はぁ。でも~薬飲んでなんか変わるの?」 「あのさ。薬がキミを変えるわけじゃないんだよ。 キミがやる気になった時に、後押ししてくれるのが薬なの」 「ふ~ん。・・・て、どういうこと?」 (((((((((((((((((^-^;)(^-^;)先生「要するに、キミがやる気になれば薬の効果が表れて集中しやすくなるけど、やる気のない子には何の効果も表れないってこと」 「ふ~ん」 で、わかったのかな(^-^;) たまたまその担任の一言を見せるために持っていったプリントが 小数の割り算だったことから 今度はあまりのある割り算プリントを50問やらされました(^-^;) 計算はあってるのですが やっぱりやる気がないのかものすごく時間がかかりました。 で、 今度はそのプリントも追加の宿題 「計算あってるんだから、慣れれば早くなる。割り算の式に見慣れなきゃダメだ。ガンバレ」 というわけで、 100マス計算ともこれでおさらばだ~と喜んでいたはずが 100マス計算3枚に 割り算50問がプラスされ かな~り凹んだmisaでした(^-^;) 次の診察は1ヶ月後。 ということは、 1ヶ月間ずっとこの計算をやるってことですね こりゃ1ヵ月後が楽しみだ でも待てよ。 薬はあと1週間しかないんだけど。 聞いてみなくては。
2008.09.05
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コンサータの服用から4日が経ちました。 misaの様子は・・・ ん~ 変わらないような・・・ というか、 始業式の翌日からの3日間、 misaたちは短縮日課で2時ごろには帰宅していたのですが 私が3日とも勤務日のため 昼間の様子が分からないのです 私が仕事を終えて帰宅するのは6時半ごろ。 薬の効きめがなくなる頃です。 効果のある子は きれる頃に情緒不安定になったりするそうなので そこらへんも注意深く見ていますが そんな様子も見られません いつも通りのmisaが 貧乏ゆすりしながら座ってます で 肝心なのは学校での様子。 始業式の日に担任に手紙を書き、 ADHDの診断やコンサータの服用について知ってもらい、 理解していただけるようお願いしました。 そして 学校での様子も教えていただけると嬉しいです、とも。 担任からは 何の連絡もありません。 連絡帳にも何も返事はなし。 3日の勤務中に 養護の先生から職場に電話をいただき 私が担任に書いた手紙を読んだことや その先生から見たmisaの様子などをお聞きしました。 ということは 担任も手紙を読んでいることは確かです。 で、 ノーリアクション それどころか今日は 教職というものを疑うことがありました。 (一生懸命な教職の方、ごめんなさい) misaが学校でやった算数プリント。 小数の掛け算でした。 2ケタ÷1ケタ は、12問全部クリア。 2ケタ÷2ケタ は、6問中1問を解きかけたものの、リタイヤ プリントの端っこには得意な恐竜のイラストがあったので 時間切れでできなかったのではなく 苦手な問題につまづいた挙句、 やる気の糸が切れたのではないかと思います 問題はその、限りなく白いプリントに 朱色で大きく 『2けたでわる計算 大丈夫か??』 と担任の字で書いてあったことです。 ・・・・・はぁ?! 大丈夫か? って? 大丈夫じゃないよ 大丈夫だったらもっとやってあるだろ 大丈夫じゃない子だということを理解してもらうために 手紙を書いたんだろ それって例えば足の不自由な子に 「走れないのか」と聞いたり 耳の不自由な子に 「ちゃんと聞いてんのか」と聞いたりするようなことと 同じだと思うんだけど 何バカにしてんだよ もともとこの担任、 人間性を疑うようなことだらけ 1学期中もmisaは不満を訴えていました。 クラスで何か起こるとみんなmisaのせい。 misaとお友達がふざけてじゃれあっていても 突然「何しとるんだ!」とmisaだけ呼ばれて 叱られたことも。 相手のお友達もワケが分からず 家でお母さんに話したらしく それが廻り廻って私の耳に届いたのですが。 misa本人からは聞いていなかったので たずねたら 「あいつはオレを嫌ってるだからオレも嫌いだ」と。 発達障害には もともとの障害と、 二次障害といって 障害による衝動性や不注意、多動などの状態を 非難、罵倒、叱責され続けることによる、 自信喪失や自己否定があるそうです。 まさにこの状態を 今の担任が作っているのです。 せっかく、 昨年度の担任の先生の寛大な導きのおかげで 自信をつけてきたところだったのに… 5年生になってから前より落ち着きがなくなって おかしいと思っていたのですが この担任のせいだと確信しました。 そういう二次障害などについても 病院からもらった冊子を渡してあるので もし読んでいれば分かるはずなのに 明日、 薬の効果を報告がてらの診察日で 授業を早退します。 学校へ迎えに行くので 「行ったついでにママ吠えてもいい?!(私、理不尽なことには吠えるんです)」 とmisaに言うと 「やめた方がいいって。どうせあいつは人の話なんてまともに聞かんし、特にオレのことなんてどうでもいいんだから。ママが余計に腹が立つだけだって」 それも分からないでもないけど・・・ 許せない 校長か・・・ 今年で定年退職の校長に言ってもムダだな 特にあの校長じゃ、頼りにならんし やっぱり担任に一言言ってから、 教育委員会か?!
2008.09.04
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misaが夏休み中に受けた、 発達テストの結果を 昨日、病院で聞いてきました。 先に出した問診表と これまでの面談の様子も合わせて 結論は『ADHD(注意欠陥多動性障害)』でした。 予想通りです。 まずはテストの結果を見ての話。 知能指数は良い方なのに 算数系の問題になると平均以下という あまりにアンバランスな特徴を指摘されました。 普段の学習状況でも 算数の中でも特に文章題は苦手。 そこへもってきてこのテストでは 「見る」のではなく「聞き取って」答える問題だったので 頭の中で話の組み立てや順序立てができないmisaには とても難しい様子でした。 そして先生から急に「6+7は?」。 突然聞かれてどぎまぎのmisa。 「14、あ、違う、12だ」 先生と私「・・・・・」 その様子からまた「あれっ?・・・あ、13か」 それを受けて先生が「どうやって計算してる?」と 簡単な足し算プリントをくれました。 でもさっきよりスラスラと解けます。 「できるじゃん」と先生。 「だって数字が書いてあるもん。見ればできる」 今度は引き算。 くり下がりのある引き算(15-8のような)で、misaの苦手項目です ちょっと時間のかかる様子に先生がまた 「どうやって計算してる?」 ここで私も初めて、 misaが10からの引き算を使わないことを知りました。 くり下がり、というものを知らないようでした。 驚きでした。 そこでしばらくくり下がりの引き算の練習。 まさか病院でまで算数をやらされると思っていなかった、と misaは不機嫌な様子が露骨に出ています そのうちに全然鉛筆が進まなくなり プリント1枚(30ほどの問題)がやっと出来た、という感じ。 「集中できないねぇ」と先生。 足し算の100マス計算もやりました。 5分近くかかります。 前回の診察で言われたように misaは目玉の動きが悪く 書き写しなどが苦手。 表になった状態で数字が並んでいるとさらに見づらいのでしょう。 そこへ集中できない状態なので 後半では間違いが目立ちました。 それらの様子から 「薬を飲んでみない?」と先生。 「集中できるようになる薬だよ」。 そこでmisaの性格から意外な返事。 「薬で勉強できるようにするなんて、なんかズルイ気がする」 オリンピックの見過ぎか、 ドーピングのように思えたらしく、 misaらしい考え方に私は微笑ましく思えました 「ズルイんじゃないよ、ラクになるためさ。 例えば視力の落ちた人が眼鏡をかけるとよく見えるようになるだろ?そういうことだよ」 「え~それでもズルいなぁ。視力をよくするように頑張ればいいんだよ」 「じゃあ頑張っても良くならない人はどうすればいい?」 「仕方がない」 「じゃあ、足が悪くて歩けない人に車椅子はズルイ?」 「ん~それは~・・・仕方ないなぁ」 「だろ?キミも自分ではなんともできないんだから、薬を飲むことはズルじゃないんだよ」 「んでも何か・・・やっぱズルだ」 ああいえばこういうmisaには 口ではかないません でもとりあえず、試してみよう、と。 先生はmisaに 「キミは生まれてからずっと、頭の中にいっぺんにいろんなことが渦巻いてるのが当たり前の状態なんだけど、そうじゃない、ひとつのことにスッと集中できる感覚を体験してみようよ。 学力が低いわけじゃないんだ。集中できればもっと勉強がラクになるし、授業が楽しくなるよ。 今の授業、面白くないだろ?これからもっと難しくなるんだぞ。今の状況だと、中学行ったら学校なんてバカバカしくて行く気なくなっちゃうよ。そしたらキミの将来真っ暗。生きる楽しみさえなくなっちゃうかもしれないんだよ」 そっか。 misaは生まれてこの方、 常に頭の中がガチャガチャ状態なんだ それしか知らないmisaに 頭の中をを無にして目の前のこと(例えばプリント)に集中しろと言ってもムリなんだね 「ママもね、花粉症で辛いけど、薬を飲むとすごくラクになるよ。薬飲まないと何にもやる気にならないよ」 「ん~それは~分かるけど~」 「ママも好きで花粉症になったんじゃないし、治そうと思っても自分では治らないし、症状も治まらないよ」 「ん~・・・」 花粉症と一緒にしちゃいけなかったかもしれないけど misaには分かりやすかったようです 薬、というとリタリンかと思いましたが、 コンサータ、という名前が出ました。 昨晩は診察時間が遅く、 この心療科とは別棟の小児科も診察時間外でしたので 薬局での処方ができないため、 今週中に再度小児科で受診して 薬を処方してもらうことになりました。 とりあえずは来月5日までの1週間のお試しです。 薬は良くない、と、 知り合いの方から聞いていたので ちょっと不安はありました。 帰って早速ネットで調べたら リタリンに代わる新しい薬らしく。 リタリンと働きかけは同じで効き目が長いようでした。 ただ、切れる時に情緒不安定になる子も多いようで。 でも飲んだ状態はとても良いようで、 本人の体験談としても良いコメントもありました。 まさに、一長一短、のようです。 misaにとってはどう出るのか まずは体験してみないと分かりません。 何より、 misaがラクになることが最重要なので 本人にしか分からないことです。 この診断は 私にとってもモヤが晴れた状態です。 ADHDという診断が下りて かえってホッとしています。 とかく後ろ向きに物事を考えがちなmisaには それを悪く考えず、 逆に薬を飲んで前向きになれるなら それも彼の生き方を変えるチャンス、と思います。
2008.08.29
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22日付 朝日新聞夕刊の記事です。 読んでとても心に残って 書き留めたくなったので。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* 冬は2メートルを超す雪に包まれる 岩手県の旧沢内村(現西和賀町)は 「生命尊重」の理念が息づく土地だ。 太田宣承(せんしょう)さん(34)は、 祖父で元村長・住職の祖電(そでん)さん(86)と、 383年の歴史を持つ真宗大谷派の碧祥(へきしょう)寺を守り、 亡き父がとなり町で始めた特別養護老人ホームを切り盛りしている。 父は、 お年寄りのいのちの傍らで「生きる意味」を見つけた。 5軒の旅館が並ぶ湯本温泉街にある 特別養護老人ホーム「光寿苑」はこの春、 30周年を迎えた。 職員が描いた約50人のお年寄りの似顔絵が廊下に並ぶ。 寝たきりの人も少なくないが、 「『生きる意味』に何の遜色もないということを 発見し合える道場としたい。 職員が老人に学ぶという関係でありたい」 というのが、父・受宣(じゅせん)さんの残した基本理念だ。 現在、副苑長を務める宣承さんは 「自分たちを育て、支えてくれた人たちが 最期まで尊敬される場所を地域につくりたかったようです」と言う。 父の受宣さんは、 11年前の5月の夜、48歳で逝った。 湖を望む道路のガードレールに突っ込ん乗用車の中で、 運転中に心筋梗塞を起こして亡くなっていた。 宣承さんは当時、京都の大学院に進んだばかり。 仏教学の勉強を続け、2年後に僧侶として沢内に戻った。 初めて1人で営んだ葬儀で、 自死した人の遺族に泣きながら法話をした記憶が残る。 いろんな人が寄り合う寺の雰囲気が 子供の頃から好きだった。 しかし、 父が没頭した光寿苑の仕事は 「自分には重すぎる」と思っていた。 光寿苑を継いだものの、 最初の3年はつらかったという。 祖電さんも 「息子を亡くした悲しみは、 乗り越えられるようなものではなく、 そっくり受け入れるしかなかった」 と振り返る。 受宣さんは次男で、 長男も小4の時にスキー事故で亡くした。 2年ほど前まで、 毎晩、本堂の周りを20周した。 歩きながら受宣さんに語りかけると、 いつのまにか、逆に話しかけられている気になった。 今も悩み事があると、 夢の中で親鸞の教えを引いて励ましてくれる。 人を救おうとして救えるものではない、 救われなければならないのは自分自身だ、と。 「亡き息子に生かされている自分に気付かされました」 光寿苑で、 宣承さんが始めた死生観の研修会がある。 入居者とその家族と、職員も一緒に 「どこで、誰のそばで、どのような感じで」最期を迎えたいかを語るのだ。 初めはムッとするお年寄りもいる。 だが、死の話は、自然と今を生きる話になっていく。 泣いたり笑ったり、本音で語り合ううち、 「ありがとう」という言葉に変わる。 かつて父が「車いすパワー」と呼んだ逸話がある。 車いすで買い物や散歩に出かけるお年寄りに、 ある時、匿名の礼状が届いた。 【会社が倒産、自殺しようと湯本温泉に来て、 ぼうぜんと歩いていると、 車いすのおばあさんがニコニコしながら、 声をかけてくれました。 『やあ、こんにちは。天気が良いなあ。さようなら』と。 私はまさかりで頭を割られたような衝撃を受けました。 もう一度頑張ってみます。 老人ホームのみなさん、ありがとうございました】 「福祉とは弱い人を強い人が救うことではなく、 弱い立場だからこそ芽生えたすてきな心を 殺伐とした世の中の人たちに戻していくこと。 年老いても心の自由を失わないでいると、 その人を見て救われていく人も多くなる。 そういう悠久無限の回転がある」。 父は、そう語っていた。 看取りを重ねるうちに、父の思いがわかり、 「人は亡くなる時にメッセージがある」 と思うようになった。 碧祥寺で若者が語り合う会やコンサートを開く。 「僕もいつ終わるかわからない命を生きている。 生きるためのメッセージを送るのが僧侶。 老人ホームの仕事もお年寄り、家族、職員が今を生きること。 一つにつながりました」 そんな宣承さんを、祖父は 「受宣の死で人間が変わった」と言う。 「父は命をかけて『自分自身になれ』と教えてくれた。 亡くなった時は遠い存在だったけれど、 自分なりの道を進んでいったら、同じことをしていた。 今は一緒に歩く同志のようです」 【沢内村の「生命尊重」】 1960~61年に全国に先駆け 老人と乳児の医療費を無料化。 100人中7人が死に 全国平均の倍近かった乳児死亡率を、62年にゼロにした。 当時の深沢晟雄(まさお)村長は 「生命尊重こそが政治の基本。 住民の命を守るため自分の命をかける」と宣言し、 豪雪と貧困の村で多病多死との闘いの先頭に立った。 深沢村政で教育長を務めた祖電さんも、 遺志を継ぎ、73~93年、村長をした。 沢内村は湯田町と合併し西和賀町に。 今年、 「いのちの作法―沢内『生命行政』を継ぐ者たち」 という記録映画になった。
2008.08.22
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すっかり更新が滞ってしまいました↑のテスト、misaのことです。 3年生の頃、学校では椅子にも座れないほど、荒れまくっていたmisa。あれからずっとスクールカウンセラーの先生にお世話になっていました。4年生になってからの彼はとても落ち着いてきました。 やれやれ、と安心していたので しばらくカウンセラーの先生に相談しなくてもよい状態だったのですが この5年生になってから 「ん?」 と思えることが多々見られました。 それは 周りのお友達がみな成長してきたことで misaの成長の遅さが目立ってきたのです。 ちょっと、ヘンじゃない?? そういう思いがだんだんと膨らんできて なんとなく 発達障害を疑うようになってきました。 「ADHD(注意欠陥多動性障害)」 落ち着きがなく(絶えず貧乏ゆすりのような状態だけど本人に自覚がない) 無神経で(相手の表情や空気が読めないので不必要な言動が多い) 注意力がなさすぎで(物が片付かないし忘れ物が多すぎる) 集中力もない。 例えばジュースを飲むと 冷蔵庫から出したペットボトルのジュース。 蓋も開けっ放し、 もちろん冷蔵庫から出しっぱなし、 ジュースの飲むコップを出した戸棚の扉も開けっ放し、 コップはもちろん使いっぱなし、 それが毎回。 毎回その都度指摘するんだけれど 普通なら「うっとうしいなぁ」と思うほどの回数なのに 「あ、ほんとだ、ごめんなさ~い」とケロリ。 でもまた同じことの繰り返し。 ジュースに限らず、 食べても、着替えても、勉強しても、学校から帰った時も、お風呂でも、 すべてにおいてこの状態が繰り返されます。 学校へ持っていく物も忘れるけれど 学校の机の中にいったん物を入れてしまうと きれいに記憶から消えてしまうので 持って行けば今度は持って帰るのを忘れる始末。 当然失くし物も後を絶ちません。 「あれ?」と思うまではこれに腹が立って叱ったり 情けなくて泣けてきたりで いつもmisaのことで悩まされていましたが もしかして・・・と思い始めてから 客観的にmisaを見られるようになると フシギと受け入れられるようになってきました。 これが 発達障害でないとすると 叱ったり諭したりしてしつければよいのでしょうが もしいくらしつけてもできない子だとすると・・・ という思いが強くなったので 発達診断を受けられる病院に受診しました。 まず22日にカウンセリングを受け、 そこでは発達診断まではいかなかったのですが 「目玉が小刻みに動いてるね」と 思いもよらないことを言われて驚きました。 先生がmisaと話していて突然 「あれ?」と表情を変え、 鉛筆を出して先を見つめさせ、 目だけで鉛筆の先を追うように言って動かした後、 ↑と言われたのです。 驚いているところへ 「この子、変な漢字書かない?」 「え゛(あまりに図星)」 「misaくん。例えば初めて見る漢字とか書き写すのに苦労しない?」 「(み)あぁ、うん、苦手」(まさにその通り) 「本読みするのに文字飛んだりしない?」 「え゛(またまた図星)」 「目玉が絶えず動いてるから、物を捉えにくいんだよね。 例えば漢字を書き写す時、脳からは右側を写せと指令が出ているのに、目玉がうまく右側を捉えられない。ひとつの文字の中で上下左右が入り混じっちゃって、ちっとも文字にならない。やっと写したと思ったら間違えてたりして、それを直そうとするとまた何度も何度も見直さなきゃいけなくて、そのうちに鬱陶しくなってきてめんどくさくなっちゃう。 な、misaくん、漢字は面倒だろ」 ほんと、その通りです 変な漢字、というのは 正解の漢字によく似てるけどちょっと違ってたり へんとつくりが合ってなかったり ということがしょっちゅうなので それは覚えが悪いのだと思っていたのですが そうではないようなのです。 音読させると文字飛びがしょっちゅう。 読み直させてもつっかえたりまた飛んだりで しかも飛んでいることに気付かないことも多いのです。 それで、 ハッと思ったことがあったので聞いてみました。 「カタカナが羅列してあると必ず文字が入れ替わっちゃったりして読み間違えるんです。それもそのせいですか?」 「そうだね。カタカナは一番捉えにくいんじゃない?」 ほぉ~~~~~~~~~~~ しばらく声も出ませんでした。 目玉の動きはトレーニングでよくなるとのことで その方法も教えてもらいました。 そして昨日は、 WISKという発達テストを受けてきました。 3年生のときにも受けたので その結果は前回に持参していったのですが 「この結果はおかしい。ちゃんとやってなかったな?」と。 それもそのはず、 その頃は一番動きの激しい頃でしたから まず座って受けるのが難しく、 落ち着いて問題にも取り組めてなかったかもしれません。 その先生に言われて初めて気付いたことでした。 そしてちゃんと診断してもらうために もう一度受けることになったのです。 2年前と同じテストなので 覚えている問題も多かったようですが 横で見ている限りは ふざけたり嫌がっている様子はなく ちゃんと考えたり取り組んだりしていました。 体は絶えず動いていましたが(^_^;)7日にはまた違うテストを受けることになっていて 結果は夏休み中に出ます。 ひとつ気になっていたことを聞いてみました。 「体がいつも揺れているせいで目玉が動くようになっちゃったんでしょうか?」 「根っこの部分までたどっていけば同じかもしれませんが、どちらがどうだからこうなった、と簡単に言えることではないです。体が揺れてても目玉はゆれてない子もいますしね。でも、どちらも脳神経が絡んでいるという点では同じですから、つながるところもあるかもしれません」 ならば突っ込んで 「先天性のものかもしれないってことですか?」 「misaくんの幼少時にこういう点をきちんとチェックしていれば分かったんでしょうけど、その当時にはあまり問題視されてませんでしたからね。今それを探るのは難しいですけど、可能性としてはないとは言えないですね」 ほぉ・・・・・ まぁ、 多動かどうかはまだ分からないとしても この目玉の件が解明しただけでも ものすごく進歩がありました。 でも理解されにくい部分なので 誤解もあるでしょうが。 とりあえず目玉のトレーニングをすることで 苦手なものをそうでなくなるようにすれば misa自身がラクになるはずなので がんばってもらいましょう。 私としては misaが発達障害であろうがなかろうが misaの個性として捉えていますが ダンナやダンナの両親には理解できにくいようで 障害、としてとても重く考えています。 私はそうでなくて misaのこれからの生き方を上手にサポートしてやるために 診断を受けているのです。 早く結果が知りたいです。
2008.07.29
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naoの所属している、ミュージカル劇団スパークの自主公演、「その後の桃太郎」が無事、 終了いたしました チケット料金を頂いての自主公演は初めてのことで どうなることかと思いましたが、 500席の講堂は ほぼ満席という状況で 初めてにして大成功に終わりました ひと山越えてほっと一息です naoは舞台直前まで 演技について直しや不安がありましたが 満面の笑みでやりきりました。 でも 練習よりよくなったところもあれば 「なんやそれ」みたいなところもありましたが この2日間はめまぐるしかったです 特に今日は、 misaの授業参観と重なってしまったので 朝、片道15分、往復30分走ってnaoを会場へ送り込み、 misaを学校から連れて帰って昼食をかきこみ、 急いで再び会場へ 会場のはお客様用なので ちょいと離れたに車を停め、 久しぶりに履いたヒールの靴で雨の中をダッシュ ギリギリで開場に滑り込んで受付に立ち、 naoの顔を観れたのは本番の舞台の上でした。 母親はスタッフなので席はなく 開場の一番後ろで立ち見でしたが 遠くに輝く娘の表情を見ながら ふと気が付くと自分までが naoと一緒にしかめっ面したり微笑んだり… 近頃めっきり涙もろくなったので ちょっとシリアスなシーンでは舞台が揺らいで見えて こらえるのに必死でした 客席の反応もよかったです でも こちらが「ここ笑うところ」と思ってるところではあんまりウケず、 「なんでここ??」ってところで笑いが起こったりして 後で聞いたらnaoもちょっとこれにとまどったようでしたが 一番盛り上がったのは予想通り、 羞恥心でした なんだかんだあってもこのひと時は やっぱり私も楽しいのです みんな緊張のせいか セリフのトチリが多発しましたが それでも堂々と演じていて とても上手でしたよ よい舞台になって本当によかったです ところでmisaの授業は「総合」で 体育館で、野外学習を振り返ってという内容でした。 写真と共に、 野外学習の思い出を語り、 その時にやった「猛獣狩り」というゲームと フォークダンスを保護者と一緒にやりました。 misaはゲームでは進行役でしたが あの照れ屋のmisaとは思えないほどの大きな声で 生き生きと進行していて驚きました。 そしてそのノリでやったフォークダンス。 ふざけではなく本当に楽しそうに 大声で歌ったり踊ったりしていて さらに驚きました。 この子がこんな風にちゃんと参加するなんて… でも残念なことに せっかく「保護者と一緒に」という企画だったのに 連れて行ったmotoがぐすったので 私もまったく参加できなかったのです でもmisaも不機嫌にもならず 逆に 「もっちゃん面白いのになんでやらないの?」と。 明らかに成長しているmisaでした 今日1人だけ出番のなかったmoto 雨だし自由に遊べないしで不満いっぱいの一日でしたが naoの小道具の鎌をもらってきて 枕元に置いて眠りました そのうちmotoの順番も回ってくるからね
2008.06.29
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いつも前向きで 弱音知らずのnaoが 珍しく元気をなくしています 家から徒歩5分だった小学校とうってかわって 中学校は徒歩20分強。 教科書もノートも増えて 大きなリュックに重い荷物 そこへもってきて 選んだ部活がバレー部 バレーはおろか運動系の部活は初めてのこと。 小学校時代は3年間、 金管部(ブラスバンドですが金管楽器のみなので)で それこそ 9月の運動会や10月の市民まつりのパレードが近付くと 毎日のように外で歩きながらの練習でハードになりますが それ以外の時期は活動はナシ 通年ではなかったのです。 それが5月の入部決定から 毎日のように部活。 先週末からは土日も部活が入ってきて この週末にはもう市外への練習試合に お弁当持って自転車で行くそうです しかもnaoはどちらかというと運動系は苦手 それがなんでバレー部 このところ成長めざましく 背丈も体重もスリーサイズまでも シッカリと母を抜き それが気になってきた様子 運動不足は小学校時代にも自覚はあったものの あまり運動の必要性を感じていなかったようですが さすがに体型を気にするお年頃になってきて 「運動しなくちゃ」と思ったようです 初めこそ 「バレー心配だったけど、楽しいよ~」と さすが前向きな娘という笑顔を見せていましたが ここ数日は 「なんでこんなに毎日荷物があるの~~~アタシってどこ行くんだよ~~~~~~」 確かに、 毎日、教科書にジャージ&体操服に体育館シューズ、満タンの水筒が加わって、 大きなリュックにめいっぱいの荷物 登山かよてな感じです 昔から 食べて眠ればスッキリ快調 毎日、 「たっだぁいまぁ~~~~~~~~~~~~」と 3軒隣まで聞こえるような大声で帰ってくる子ですが 玄関に入るやいなや倒れこみ 「ただいま・・・」と、か細い声を出すがやっと… 夕飯を食べても 「あぁ~明日部活休もっかなぁ~」と弱気な言葉。 一晩眠っても 「あぁ~また今日も部活かぁ~」と朝から弱気 バレーそのものは楽しくて 部にもよい先輩ばかりで居心地はいいようですが 今月末に発表を控えた ミュージカルのレッスンも重なって これまでの運動不足が かなり足を引っ張っているようです わかるわかる 私も決して体育会系じゃなかったし 中学校時代の水泳部でも いい成績を収めたことはなかったよ 同じように 毎日の部活に気が重かった時もあったし ズル休みしたことも実はあった でも 私よりずっと頑張り屋さんのnao。 よくガンバルなぁと感心しています ガンバレ、とも言えないで ただただ 笑顔で送り出し、ハグで迎えてあげるだけですが また 笑顔満開になることを祈ってます
2008.06.03
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デリカシーと教養のない義母・・・毎日、近所の職場と家との往復なので話題はいつも同じことの繰り返し・・・井の中の蛙なのにべらべらしゃべりすぎるのでかかなくてもよい恥をしょっちゅうかいていますが本人はまったく気付いていません。昨日の夕飯の時には「赤外線に当たるとアトピーってもっと悪化するらしいよ」「赤外線?」私。「そう、赤外線。だから帽子の後ろに布をつけてる子、いるでしょ。なるべく赤外線に当てないようにっていうことなんだって」「紫外線でしょ?」(-_-;)今朝はケーキを作った時に残った生クリームをコーヒーに入れながら「私ねぇ~もう30年ぐらい前だと思うけど、それまで喫茶店なんて入ったことなかったから、友達に『ウィンナーの入ったコーヒー出す喫茶店があるらしいから行こうよ』って誘われて喫茶店でウィンナーコーヒー頼んだらウィンナーが入ってなくってねぇ~(笑)友達なんてお店の人呼んで『ウィンナー入ってないんですけど』って言っちゃったんだよ~も~(笑)今思えばほんっとバカだったよねぇ~え(笑)」すでにこの話も何度も聞いていますが。そこまででもバカバカしくてもう笑えないのに今日初めてこの続きができて、耳を疑ってしまいました・・・「ところでさぁ。なんでウィンナー入ってないのにウィンナーなんて名前つけたんだろうね。誰がつけたのか知らんけど」は、はい・・・?!じゃあなに、自分はイミも分からず友達を散々コケにして笑ってたの?!アホだ・・・(-_-;)目がテンになったまま「ウィーンのコーヒーだから、だよ、知らなかったの?」と言うと「あ~~~~そうなの?!へぇ~~~~~~~~!」しばらくして「ウィーンってなに、国の名前?」もう、しゃべらんで!!
2008.05.16
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今日はmotoの誕生日 6歳になりました6年前の今日は、 人生最後のお産を終えて 嬉しいような寂しいような複雑な気持ちで ぼーっとしていたような気がします。 お産には上の子供たちを立ち会わせるつもりだったのに 3人目にして予定外の破水から始まって 入院から出産まで12時間ぐらいあったし 学校や保育園もあって いつ呼べばいいのかわからないうちに陣痛が来て それから慌てて旦那が子供たちを連れに帰ったのですが 残念ながらお産には間に合わなかったです 時の経つのは早いものですね~ さて 誕生日前ではありましたが もう先日の日曜日にトイザラスへ行って プレゼントのレゴを買ってきました。 今日は火曜日でもあって 私の太鼓の日。 その前の週も休んだし 来週から市民講座が始まるにあたって 打ち合わせもあるだろうから休みたくないな~と思い、 日曜日にお祝いをしてしまいました。 でも やっぱり本人にとって 誕生日っていったらその当日… いくら先にお祝いしたと言っても 誕生日当日に何にもないってのは寂しいだろうなぁと ケーキだけは今日にしようと思っていたのですが かねてから 「ゴーオンレッドのケーキね」と言われていたのに ケーキ屋さんに頼むと高いので 迷っているうちに間に合わなくなってしまったのでした 昨年、 同じ5月生まれのmotoとmisa兄弟の 共通の好みということで 恐竜キングのケーキを作ってみました。 イラストを模写しただけですが カスタードクリームに食紅で色をつけ なかなかの出来栄えに私が一番驚きでした それなら、と ゴーオンジャーも作ってみることに。 でも 今回の彩りは原色の赤とか黄色。 カスタードじゃだめだし何を使えばいいのか分からず ええい!ダメもとじゃ~!と 赤=イチゴジャム、黄色=マーマレード で あとはデコペンで模写にトライ なんとかそれらしい絵が描けましたよ~ ずっと前にケーキ屋さんでnao用に頼んだ 犬夜叉ケーキよりも ずっとイイ出来じゃなぁい なんて でも motoは満足してくれたようで よかったです motoより一足先にケーキを見たnaoも、 「いいな~」といってくれたので 私が冗談で 「naoの誕生日は何がいい~??スポンジボブとか~??」 と言ったら 「うんそれがいいやってね」 ははは・・・ホンマかいな でも ゴーオンジャーよりはカンタンかな??? ネットでキャラクターケーキのレシピを見ると クッキングペーペーに下絵を写して 裏からデコペンでなぞってひとまず固め、 色を乗せたらまた固め、 きれいにペーパーからはがしてケーキに乗せる という方法が紹介されていましたが 何度も固めたり色を作ったりするのがまどろっこしくて ケーキに直接書いちゃいました 結構これって病みつきになりそうかも
2008.05.13
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この母の日というのは 毎年なんとも憂鬱です 完全同居ということは 私は母でもあるけど 嫁でもあるので 母としての母の日よりも 嫁としての母の日に思えて 「何にもしなくていいよ~」という義母にも 何もしないわけにはいかないのです でも 今月はGWもあり misaとmoto、2人の誕生日もあり 車の税金もあり また来月には父の日もあり そのうえ 義母の誕生日が8月なので またすぐにプレゼントをすることになり naoの誕生日も同じ8月… とにかく 出費の重なる時期なのです。 義母のプレゼントにはなるべくお金をかけないようにと 毎年頭を悩ませているんだけど 都合のいいおいしいところだけやってくる義兄嫁は 母の日、父の日、誕生日には ここぞとばかりに豪華なお品を持って参上するので なんとも嫌な気分になります でもこの頃ではそれも気にならなくなってきました。 あちらはいくらでもお金持ってるし 普段好きに暮らしてるんだもん、 それぐらいしたって当然、 まだまだ足りないぐらいよ、フン でも 母としての自分は もちろん何ももらう気なんてありません。 子供たちもあんまりその気はないようで 母として、よりも 嫁としての方が比重が高い一日です。 それが今日は、 naoがプレゼントをくれました。 プレゼント、といっても手紙です まずは市販のメッセージカードが出てきました。『いつもわがままばかりでごめんなさい 本当~に反省してます これからはもっとがんばって お母さんがびっくりするくらいの いい子をめざします』 わがまま、というほどのわがままなんて言わないし これ以上いい子になれ、なんて 全然思ってないよ、と言おうとしながら カードを開けてみたら 『な~んてね(笑) あっはっは~ そりゃムリだ 前向きに努力するのですこ~しだけ 期待していてください・・・』あっはっは~~~~~~ naoらしいや~ そのカードのウサギちゃんの顔やゴロ寝姿なんて 紛れもなくnaoの顔じゃないの こんな笑えちゃうカードを考えた人ってすごいけど、 これを選んだnaoのセンスも拍手もの いいプレゼントをもらったわぁ と思ったら もうひとつ手紙が出てきました。 こちらはちゃんと自分の言葉でメッセージをくれていました。 その中で 「ママは、ほかのお母さんたちより面白くてジマンだよ」 ははははは・・・ ありがとう~ ママにとっても 頑張り屋で天然のnaoは自慢の娘です これからも面白いお母さんでいられるように ガンバルよ
2008.05.11
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とてもよい陽気になった今日 naoは朝から中学校のお友達と 映画&ショッピングに出かけていきました。 小学校の時には 特に仲良しの子がいたわけでもなく かといって嫌われている様子もないようでしたが お友達とだけでどこかへ行くということは ほとんどありませんでした。 児童数の少ない小学校だったので クラスに女の子は10数人しかいないため その中で5、6人がグループ化すると 2つのグループしかできず、 そのいずれかに属するか、単独行動をするか しかなかったのです 本人は 「気を使ったり、面倒だから」と平気がって言っていましたが 内心は寂しかったと思います 中学校に行って人数が増えることを とても楽しみにしていて 早速こういうお友達ができたことを とても喜んでいました お友達と自転車であちこち行動したようで、 夕方、楽しそうに帰ってきました 自転車も普段あまり乗っていなかったのですが 長距離でも苦にならなかったようです。 これからこうやって 行動範囲が広くなっていくのかな さて naoだけがお友達と出かけてしまった我が家。 子供たちとどこかへ遊びに行こうかと思っていたのですが naoもいないことだし、 misaやmotoにもサイクリングデーにしようと思い、 実家までのサイクリングを思い立ちました 実家までは4キロ弱。 大人なら自転車でも全然なんともない距離ですが motoにとってはロングコース。 しかもちっちゃな自転車(何インチだっけ??)なので かなりな冒険だと思います。 misaもちょうど同じ年長さんの時に 同じ冒険をさせたのですが 私の誘いに「えぇ~~~~~~」と嫌そうに返事をして 渋々行った、という感じでした。 でもきっとmotoなら しかも今ちょうど自転車にハマッている時なので 喜んで行くだろうという予想通りに 「行く行く~~~~~~~」とノってきました。 でもやっぱりmisaは「ノー」。 misaにとっては冒険でもないし 実家に行っても特に何も楽しみがないからね そうと決まったら待ちきれないmoto。 早く、早く、と家の前でも 自転車で行ったり来たりしていました 途中で休憩とお楽しみの意味もこめて 中間地点にあるマックでお昼ご飯 モリモリ食べて「早く行こうよ~」。 休憩を含めた所要時間はおよそ1時間。 実家ではガン治療中の父に 似顔絵にガンバレメッセージを添えた手紙を送って それに感激した父がお小遣いを500円くれたのですが 「来る前にうちのばあちゃん(主人の母)からも100円もらったから 100円返すわ」 と彼なりに遠慮していたのが印象的でした そして滞在もそこそこに 公園に行きたいというので 帰りがてらちょっと遠回りして 広い公園に寄り道しました そこでもさんざん遊んで 家に帰ったのは5時。 疲れた様子はまったく見せず 代わりに、自信にあふれた笑顔で満開でした ただひとり 家でゲームに熱中していたmisa こんなサイクリングでは魅力がなくても仕方がない なので 「今度はmisaも冒険したいよね。GWはどこか自転車で遠出しようか」 と言うと 「いや、それは…やめとくわ」 3人で一番後ろ向きなmisaでした
2008.04.29
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先週の中学校の参観に続き、 昨日は小学校の参観で、 misaを見てきました。 小学校に2人いた時と違って お互いにゆっくり落ち着いて見られるようになりました。 国語の授業で、 漢字も音読もイマイチなmisaでしたが、 misaにはまず、 みんなと同じことができてる、とか ちゃんと必要なものが揃っている、とか 人の邪魔をしていないか、とか 見るレベルが実年齢よりうんと低いので その点では合格でした。 2年前の荒れた状態を思うと かなり落ち着いて頑張っていて それは 家での様子を見ていても分かっていたので 温かい気持ちで見ていられました。 そんな時に携帯が鳴り(もちろんマナーモード) ちょうどそれぐらいの時間は 今日からの合宿のために早帰りになっている naoが帰宅した頃だったので たぶんnaoだろう、と放っておきました。 朝ちゃんと、「今日は参観だよ」と言っておいても す~っかり忘れて電話してくるあたり ホントにnaoらしいわと呆れつつ、 無事に授業も終わって廊下へ出ると、 あれっ あの顔は・・・ 「あ、ママ~間に合わなかったか~」 「さっき電話した?」 「そうだよなんだ、気付いたなら出てよ」 「参観だって言っておいたじゃん」 「知ってるよ~だから電話したんじゃん参観なら出れるだろうと思ったのに~」 「・・・・・は??逆でしょんで何だったの?」 「いや~まだ授業やってるかな~と思って」 「あ、もしかして授業参観に来てくれたの」 「そぉだよ~でもちょっと遅かったね」 へぇ~~~~~~~~~ これにはホント、驚きました よくよく見れば、 『とりあえず急いで着替えてきました』 って感じの服を着て、 デニムのハーフパンツに制服用の真っ白ソックス 髪も振り乱し状態で はぁはぁ言いながら駆けてきたnao・・・ かぁわいいなぁ~ とってもとっても愛しくて みんなに言いたくて書いちゃいました そんなこと思って立っている横を naoの同級生の女の子2人(女子の中でも特に女の子ちっくな子たち)が 制服のまま通りかかりました。 「あれ?どうしたの?」 彼女たちには在校生に弟妹がいないはず。 「学校が早く終わったから遊びにきたの」 へぇ~そういうもん?? 年の離れた兄2人のもと、 末っ子長女で育った私には ちょっと想像ができないし そういう気持ちもぜ~んぜんわかんないのです でも、 来てもらう立場としては やっぱ嬉しいな 廊下に出てきたmisaもnaoに気付き 「あれ?なんで?」 「ゴメンmisa。見に来たんだけど終わっちゃってた」 「なぁ~んだ、でもいいよ」 そう言ってガッツリ男握手をしておりました なんだかんだ言ってケンカしてても きょうだいっていいね motoの時にもこうしてnaoは来てあげるのかしら… そんなわけでほんわか気分でいたところ PTAの地区代表さんから電話があり 昨日の朝、班長であるmisaが 2年生の男の子を置いてきぼりにしてしまったことを聞きました。 どうやら人数確認をしないで出発してしまったようです misaもしまった、という顔をして 素直に反省している様子だったので 班長としても頑張っているんだな、と 「気をつけるんだよ」の一言で終わっていました。 ところが夜になって その男の子のお母様から電話が 「ちゃんと集合時間に間に合うように行かせたはずなんですけど、 置いていかれたって、どういうことですか??」 どういう、って・・・ 別に悪意でやったわけでもないし、 毎日毎日置いていっているわけでもない、 あのmisaのことだもの、 本当にうっかり確認を忘れてしまっただけで… 自分のことでもいっぱいいっぱいの子が、 つい先月までまだ4年生で 班長に叱られながらついていく立場でしかなかった子が、 自分のほかは全員が低学年でおとなしく、 たった一人の高学年というだけでもプレッシャーを感じている子が、 がんばって班長という意識をもって 毎朝早めに家を出るようになったし 責任も感じているというのに、 いきなり「どういうこと」と言われても あなたに何がわかるんですか、と 反感を抱いてしまうのです 確かに確認も怠って 2年生の子を1人で通学させてしまったという現実は とても反省すべきことだとは思いますし 謝りはしましたが なんとも喉元が熱くなるような 嫌な感じで電話を切りました。 私はmisaのおかげで いろいろ勉強してきました。 文句を言う立場、言われる立場、 どちらの経験もあって気持ちも分かります。 それだけに今回はまた 勉強になった一件でした。 今朝、責任を感じたmisaはいつもよりさらに早起きして 集合時間よりうんと早くから支度をして 外ばかり気にしていました。 ちょうどそこへ その男の子が通りかかったようで 「昨日のこと、謝ってきたよ」と言っていました。 ちゃんと成長しています。 テンポはゆっくりだけど 彼なりのテンポで成長しています。 心に残る授業参観でした。
2008.04.22
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naoの中学校の 初授業参観に行ってきました 今まで、 6年生だったついこの間までは 私を見つけると近寄ってきていたのが 今日は教室の前で目が合ったら ぷ~んと向きを変えて知らんぷり ま、それも成長だけどね もうちょっと段階ってものがあると思うよ 授業の内容は 「クラス目標」を決めるものでした。 あらかじめ全員の目標を書き記したプリントを配られ その中から班ごとに どれをクラス目標にするかを 班長のリードで話し合ってまとめていくものでしたが naoの班は ちっとも声が飛び交う様子もなく 一番まとめが遅かったです 一体誰が班長なのかしら… きっと男の子なんだろうけど ちょっと照れくさいお年頃だからか それとも本当は班長向きではないのに 先生からムリヤリ班長に任命されたのか… そういうのって naoは内心イラついているだろうと思って見ていました。 帰宅してから 「誰が班長なの?話し合いがちっとも進んでなかったじゃん?」と尋ねると 「アタシ…」 ぁい… 「naoって班長ならガンガンにいけるんじゃないの」 「アタシ班長なんてイヤだったのに先生に言われたんだもん」 「だけど、あなたならできるはずなのに…」 「だってぇ~どうやってまとめたり話し合い進めていくのか全然わかんなかったんだもん」 「ぇえ~~~~っ今までだって班長ぐらいやってきたでしょ」 「そりゃ~言われたことはできるけどぉ、自分で進めていくってのはよくわからん」 あちゃ~ それってちょっと問題ありじゃない 特にnaoなんて そのビッグサイズの容姿のせいか 強すぎる正義感とマジメ感のせいか リーダーっぽいものをよく任されてきて 通知表や懇談でも 「責任感が強く面倒見がよく、シッカリしています」と言われるのが当たり前状態の子。 (↑これは表向き。親から見れば天然モノ) それがそれが 自分で進めることができないって ど~ゆ~ こりゃ親の失敗か あれこれと口出し手出ししすぎたのかも あ、ちょっと待てよ。 これって、 私の小学生の時と同じかも 私もなぜか「しっかり者」と勘違いされることが多く (本人いたって鈍臭くずぼらなのに) 6年生の時には推薦で副学級委員になってしまったけど、 何をしたらいいのかまったく分からず、 結局は学級委員の秀才の男の子が何もかもやってくれて その男の子に軽蔑されたっけ~ 色濃く私の血を受け継いでるね~ でも まだまだnaoはこれからだ 磨かれて向上していってね クラスの様子や授業、担任の先生などは とってもいい感じで楽しそう よかよかでした そして学年懇談もありました。 1年生は今年度から お互いを知り合い仲を深め合うための1泊合宿に 出かけることになったのです。 それも入学して間もない来週。 そこでもnaoは班長だそうで 楽しみな反面、ドキドキなようですが がんばってほしいです 今日のこの授業参観には 小学校の先生も観に来てくれていました。 嬉しかったけれど、 どうして来れるの?? 自分の受け持ちの子供たちは?? とギモンが残ります さてさて 来週は月曜日にmisaの授業参観 そして火曜日からnaoの合宿 楽しみです
2008.04.17
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怒涛の春休みを終え、 昨日から小学校はやっと新学期がスタートしました わが家の子供たち。 naoは片道およそ30分歩いて 中学校へ通っています 今まで小学校は近かったので 運動不足気味のnaoにはよい運動でしょう 給食も早速昨日から始まっています 昨日は身体測定もあって 身長162cmは変わらないものの、 体重は49kgになってた、と ややショックを受けていました まぁ毎日 食べる量>運動量 だったので いたしかたない このバランスを維持できればナイスじゃない~? misaはというと 入学以来、いつもnaoがいたのですが いよいよ1人立ちの時となりました。 そして幸か不幸か 6年生が通学団にいないので 5年生でも通学団の班長になりました。 しかも団に1年生が2人も入ってきたので 心配で心配でたまりません だって今まで毎日のように遅刻気味で 班長だったnaoに置いていかれたり ひどい言葉を浴びせられたりしていたのですから それが昨日の朝、 起こさなくても起きてきて 食事中も時間ばかり気にして 早めに準備完了。 「ちょっと早いけど行って来ま~す」と 張り切って出てゆきました それなりに 思うところがあったのか やっぱり頼る人がいないとなれば ちゃんと年相応にできるものなのか、 とにかく自覚は生まれたようでホッとしました そして今朝はなんと一時間も早く起きて 出発の30分前には 「やることがな~~~~~~~い」 帰宅してからも配布物を出したりして 気のせいか ちょっと顔つきまで変わった感じ。 勉強嫌いは相変わらずなので 授業態度は心配ですが (^_^;)このまま自覚が続いてくれることを 切に願うばかりです(^_^;) motoはいよいよ年長さん。 年長児しか使えないという道具やおもちゃを 使えるようになった喜びでいっぱいです moto自身や同学年の子たちを見ていても 急な変化はないのですが 今まで乳児組だった子たちが ちょっとだぶついた園児スモックを着て 年少さんの名札をつけている姿は とっても微笑ましいものです motoにもついこの間、 あんな感じだったのになぁ~と 成長の速さにため息ばかりです。 あと1年の園児姿を いっぱい胸に焼き付けなくちゃ 勤務先の学童も さらに1年生が増え、 およそ80人がごった返しています もう声なんて 叫んでも届きません もともと声の小さい子になると 子供の口元に耳を近づけても何も聞こえません でもそれよりも 新しく嘱託でおみえになった女性が 何から何までキチっとビシっとされる方で 今までの環境とは一変してしまいました いい加減でずぼらな私にはちょっと窮屈で 勤務が終わるとホッとします いろいろと、変化の春です。
2008.04.09
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バタバタしていて書けませんでしたが 悪性リンパ腫で入院して抗がん剤治療を受けていた父が 先週の金曜日、退院いたしました。 naoの入学式の日だったので 病院に迎えにも行けず それからもこちらがバタバタで ゆっくりとは話をしていませんが… めでたく・・・と言うとちょっと違うかな。 まだまだ抗がん剤治療は続くので これからは外来治療になったわけです。 治療開始前に予想していたよりも 抗がん剤によるダメージが少なく、 今の状態なら通院できるだろうということになったのでしょうが、 以前にも書いたように 担当に医師が心無い言葉を次々と投げかけるため 父が一日も早く帰りたいと願っていたのです。 父が口癖のように 外来治療にしたい、と言ってきたので 医師は疎ましかったのかもしれません。 「○○さんが帰りたいならそうすれば。ほかに入院させたい患者さんもいるし。明日でもいいよ」 と急に言われたのだとかで。 ワガママな父 VS 心無い医師 結局、双方歩み寄ることなく退院を迎え それでよかったのかとスッキリしません。 今はちょうど2回目の投薬で 白血球が下がってきている時期。 ばい菌を持ち込んではいけないので 実家に立ち寄ることもできません。 食事や生活に気を使うので 母にストレスが溜まらなければよいのですが。 特に状態が変わらなければ 3回目の投薬が21日から始まるそうです。
2008.04.08
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↑私ではなく… 娘チャンです naoが小学3年生から入団している、 市内唯一のミュージカル劇団が 6月に単独公演をすることになり その配役決めのオーディションが今日だったのです。 この劇団、 年1回催される市民ミュージカルを支えているのですが単独公演はあまりありません。 単独でやるには ちょっと人数が足りないよな~と 思っていた矢先にこのお知らせがあり まぁ公演と言ってもちょっとした発表会かしら~ ぐらいに思っていたのですが、 なんと、 参加費が1万円 役付きになるとお月謝が6千円(役なしは3千円) 公演にあたっては1席500円で 観に行った家族も払わなくてはなりません 正直言って ちょっと迷ってしまいました でも naoは4年生、5年生と、 2回市民ミュージカルに参加させたのですが 6年生の去年は 私がその練習に付き合えずお休みさたのです。 8月に始まる練習は平日の夜、週2~3回、 12月の本番が近づくにつれて練習回数も増え、 直前には毎日夜9時まで練習です。 親もただ練習への送迎だけでは済まず、 大道具や小道具、衣装、練習日のお当番など、 いろいろと裏方仕事が回ってきます。 可愛いわが子が頑張っているのですから 親もそれをサポートするのは至極当然とは分かっていますが うちの子はnaoだけではないので 休日返上でnaoのミュージカルだけに半年間も振り回されるのは ちょっとキツイのです せめて末っ子が小学校に上がるまでは 市民ミュージカルは勘弁してちょうだい、と 泣く泣くnaoに諦めてもらっているので この単独公演まで参加させないというのは可哀相すぎるし でもまたお当番や制作活動があるのは同じこと しかももし役が付いたら月謝が倍だし でもやっぱり 参加させることにしました。 お芝居が大好きな大好きなnao。 彼女の輝ける場所を奪っちゃダメよね。 naoの芝居好きは、 高校時代、演劇部に入部したかった私の血かも 私はほかの部にして後々後悔した人だから naoには悔いなく頑張ってもらいましょう ゼッタイに役をもらうんだ とハリキッてますが。 さてさて結果はどうなることやら…
2008.04.05
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naoがいよいよ中学生になりました 卒業式は雨だったけど昨日は晴れて 文字通り佳い日となりました。 でも 体育館は寒かったおかげで風邪がひどくなってしまいましたそれにそれに、お約束 母の忘れ物 お友達と一足先に学校へ着いていたnaoが 私の顔を見つけて走ってきました。 「ママ私だけ制服のリボンがないよ」 「は・・・?リボンって・・・?」 制服はセーラー服ですが 衿からみんな黒いリボンが見えています。 リボンっていうか、紐みたいだけど? 「こんなもんもらったっけ??」 「え~ないの~」 「・・・覚えがない」 「やぁだぁーーー私だけだよ」 「・・・ごめんなさい」 え~っ こんな紐みたいなの、 もしかしてホントに捨てたちゃったかも だって制服の箱の中は空っぽだったよ あ~なんで私って、いつもこうなの 結局、 入学式の最中もずっと この紐のことで頭がいっぱいでした 小学校の時は全校の中でも一番少ない学年で 全学年でも49人しかいなかったところ 今度は142人。 1クラス36人の4クラスとなりました。 naoは人数が増えることをとっても楽しみにしていました。 人数が少ないと 先生の目も届くしアットホームな感じもしますが 逆に女の子はグループ化しやすいので 1クラスで2つグループができると どちらかに入るか、もしくは1匹狼化するか、 しか選択の余地がない状態でした naoは母に似て徒党を組めずキャピキャピできないタチ なので必然的に孤立状態でしたが よく言えば、広く浅くのお付き合いで 上手にみんなの中を泳いでいたようです。 その中で1人だけ大好きなお友達がいて その子とも同じクラスになれました もともと 一番近くの保育園ではなく この中学校に近い保育園に通っていたnao。 保育園時代のお友達と6年ぶりに再会できる機会でもありました。 親としては 6年も経ってしまっては お互いに顔と名前は知っていても 気まずくなるのでは?と心配していましたが どっこい、会うや否や 「○○ちゃん!」「naoちゃん!」と 再会を素直に喜んでいる姿に驚かされました。 そしてもうひとつ驚きもありました naoが市民ミュージカルで一緒だった男の子に 淡い恋心を抱いていて 中学校が一緒なんだと待ち焦がれていたのですが その子がなんと、 naoの隣に座っていたのです わが目を疑って何度も顔を見ましたが でも教室にお母様の姿はなく 人違いかな~と思っていて 解散になるのを待ってnaoに尋ねると 「あれ、Aくんの双子の片割れ。顔も声もソックリだけどね」 へ双子なの 「でも、まったく同じじゃんどっちでもいいんじゃない」 「まぁね~。そうかもね~」 なぁんて、いいじゃんいいじゃん~ これからちょっとは女の子らしくなるかしら~ なんだかこの春はよい兆し わが家に幸あれ ちなみに 制服のリボンは 家にちゃ~んとありました
2008.04.04
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新年度3日目。 新1年生の顔と名前が少しずつ 覚わってきました。 やはり目立つ子から覚えるので 覚えた子の名前を呼ぶ機会も多いわけですが 今のところ毎日およそ30人。 登録者数は51人なので 入学式を終えるとまた増えるのかな 昨日は午後の勤務でしたが 午後の指導員は3人体制なので 約70人の子供たちを3人で見ましたが やっぱりこの状況でのこの人数を 3人で見るのはかなりハードでした この仕事に就いて 今年度で3年目を迎えましたが 昨日が一番疲れを感じました この2年間は うちで3人の子供たちと過ごしているのと 学童で60人の子供たちと過ごしているのと やかましさに大差はないなぁと思っていましたが 昨日は初めて騒音のように感じました(^_^;) 帰る頃には耳鳴りがして頭が痛かったです (^_^;)そう思うと 学校の先生方って 30人ぐらいを1人で見ていらっしゃるのですから 大変ですよね~(^_^;) しかも年々、 落ち着きのない子や緊張感のない子が増えていく感じですから これからの先生ってホント、大変そう(^_^;) また、 嘱託の指導員の方が1人、 新しく来られて 今までの方とはやり方も性格もガラリと違うため それも慣れるまで疲れそう 明日はnaoの中学入学式のためにお休みをもらったので 3日連休でシッカリ充電します さぁて うちの子はどんな新1年生になるのかな~
2008.04.03
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昨日までのお別れムードから一転、 今日は始まりの日でした 学校の入学、始業式より一足お先に、 学童では新年度のスタートです。 昨日まで1年生だった子たちは 今日から急に2年生、 同じく2年生だった子たちは最上級生になり、 春休みも毎日学童に通っている子たちにとっては 準備期間もなく進級なので とまどいの一日となりました そして 新1年生。 予想をはるかに上回って、 登録人数のおよそ8割の30人出席。 1~3年生までの合計は73人。 先週は徐々に人数が減って平均40人強だったので 久しぶりの大混雑となり 移転して広くなったはずの部屋がと~っても狭く見えました ただ、 去年、一昨年の1年生と違って 泣いてお部屋に入れないというような子がなく、 あまりにすんなりと適応していたのは驚きでした。 というか ち~っとも緊張感がない、といった方がいいかな(^_^;) きょうだい組が結構多くて、 新2年生、新3年生が お兄ちゃん、お姉ちゃんぶりを発揮して とても頼もしく、まぶしく見えました そして今日からの新しい指導員の方々。 午前の勤務でそのうち2人の方とご一緒でした。 その中に、 昨日の日記少し触れた苦手な方がいたのですが・・・ やっぱり 性格的に合う人ではなかったです どうしてこの方が学童の指導員なんてされているのか ちょっと理解できないような あまり子供の方を向いていない、という印象は misaがお世話になっていた時と同じでしたが それよりなにより 73人の子供たちがごった返す中で misaのことばかり聞きたがり、 挙げ句、 今日からの方を含めたほかの指導員の方にいちいち 「私、どんどこさんの息子さん知ってるんですよ~。 やんちゃ坊主でね~。 別に頭は悪くないんだけど、 ぜんっぜん、言うこときかないの ね、どんどこさん」 って しかも、 学童に来ている子供の中で1人だけ motoと同じ保育園出身の子がいて その子が 「私ね、どんどこ先生の子供と同じ保育園だったんだよ」 とその方に話しかけると 「へ~お兄ちゃんのこと?」 「お兄ちゃん?お兄ちゃんって誰?もっちゃんだよ」 「あ~もっちゃんね、じゃ弟の方か、じゃあオリコウさんかな。お兄ちゃんの方はやんちゃだけど」 って どうしてこの場でこの人に こんなこと言われなきゃいけないの それより仕事してよ 時間になったらさっさと帰り支度して 子供たちの前で携帯いじってるし この2年間でこんな指導員は誰もいなかったのに misaがいた学童では ここの人数の4分の1以下。 その違いを思い知れ~~~~~ とにかく今日は 短かったような長かったような めまぐるしい一日でした
2008.04.01
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年度末の今日は、勤務先の学童もmotoの保育園も「お別れ」の日でした。ずっと実家に泊まっていたので久しぶりに保育園に行ったのですがmotoの担任のY先生が今日を最後に異動されることを知りました。乳児さんから3回担任してもらったY先生。いつも菩薩さまのような穏やかな笑顔でとっても温かく大事な大事なこの年中さんで担任がY先生と聞いた時は本当に嬉しかったです。もうmotoが乳児組の時からいる先生はこの先生1人だけでほかの先生はみ~んな入れ替わってしまっていたのでなんとなく覚悟はしていましたがやっぱり寂しいですmotoにも話していたので今日はお手紙(似顔絵だけだけど)を持っていきました。年長さんも今日までとわかっていたので大好きなお友達にも似顔絵お手紙を渡し、帰ってきたらお返事をもらってきていて小さな心のキャッチボールに胸が熱くなりました勤務先の学童では3年生が最後の出席日でした。もう明日からは4年生なので、学童からは「卒業」なのです。春休みになってから3年生たちはとっても仲が良くいつも男女一緒になって遊んでいました。その姿がとっても微笑ましくて写真撮ってあげたいぐらいよ、と言った私のひと言で嘱託の指導員に方が記念スナップを撮っていました。みんないい笑顔中にはお引越しでお別れになってしまった子もいたり春休み前にお別れの挨拶をした子もいました。お手紙をくれた子、指導員全員にひとりひとりミニタオルを下さったお母様や菓子折りを持ってきてくださったお母様、学童でもこんな風に思いを寄せていただけるなんてとっても嬉しかったです。そしてもうひとつのお別れはこの学童から2人の指導員の方がお辞めになったことでした。ひとりは嘱託の方でベテラン、もうひとりは去年の9月に新規で採用されたばかりの方でした。後述の方はこの仕事のあまりの責任の重さに耐えかねて、のことで、9月の頃と比べて激ヤセされたその姿を見るととても痛々しいお別れでもありました明日からは辞められた方に代わってお2人の指導員と児童数が増えることで加配された指導員の方が1人、あわせて3人の方がおみえになります。そのうち1人はmisaが学童でお世話になっていた方ですが私にはあまりよい印象はないので複雑な気持ちです新1年生も明日からやってきます。またがんばって名前を覚えなくっちゃ~
2008.03.31
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ついに来た、naoの卒業式 「卒業」という言葉を意識し始めた2学期から 転がるように時が流れてきた感じ。 早いものだなぁ~ naoはもう随分前から今日を楽しみにしていました。 卒業、と言ったって また中学校でみんな一緒になるのだから 寂しさはないみたいで。 もともと超ドライな子だから 保育園の卒園式で隣の子が号泣してても もらい泣きすることもなく ドラマなどを観て泣くこともないですが やっぱり今日もでした(^_^;) 今時の卒業式ってこうなのかな、と お友達ママと話していましたが 校長先生から卒業証書を授与される時、 名前だけを読んで「以下同文」というお決まりのパターンはなく、 次々と流れていきました。 また、 たくさん来ていた来賓の方々も 祝辞は教育委員会から1人とPTA会長だけ。 昔みたいに 「おんなじことを何人しゃべったら気が済むんじゃ」と思うことはなく 名前さえ「時間の都合」と紹介されず 「その他の方々は今お手元にお配りしてある式次第に記載されていますので、各自でご確認ください」。 祝電もまったく紹介されず 「掲示してありますので、お帰りの際にご覧下さい」。 形式的なことはほとんど省略。 その分、中身は濃くて 「子供主体」といった感じを受けました。 校歌を始め、思い出の歌を次々と、 時には在校生も一緒に歌って5曲 中に、市の音楽祭で歌った「HEIWAの鐘」という歌があって この歌で一気に涙が出てしまいました 折りしも昨夜と一昨夜、 『東京大空襲』をテレビで観たばかりだったし この曲は音楽祭で聴いた時も泣けたのです また、 「旅立ちの言葉」を1人ずつ堂々と披露してくれて 子供たちの立派に成長した姿を見るだけで またぐっと目頭が熱くなってしまうので まともに見られませんでした いやぁトシとともに涙もろさが加速しちゃって… 途中でふと misaの卒業式を想像して 多分、ホロリじゃすまないだろうと思っただけで また泣けてしまうのでした 式のあと、 近くのホテルでお別れ会がありました。 こちらは、 バイキングあり、ゲームありの楽しい会でした あいにくの雨だったけど とても良い、思い出となる一日でした入学式には晴れてね~~~~~~
2008.03.19
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先月27日に始まった、父の抗がん剤治療。 今は1クール目の投薬が終わって、 18日まで休薬期間です。 高齢と体力を考えて 抗がん剤の量を75%ほどに抑えているためか 副作用はそれほど重くなく 先々週、先週と、外泊許可が下りて 帰宅していましたが、 今週になって 白血球がぐっと減り さすがにこの週末の外泊は許可されませんでした。 そして今日は 抜け始めた髪を看護士さんにバリカンで刈ってもらったらしく サッパリした頭にバンダナを巻いていました。 副作用があまり出ない父に心配なことは 担当の医師との信頼関係が築けていないことです。 もともと、 治療に入る前からこの医師の 無神経な言い方や人をバカにしたような態度が気になっていたのですが 治療についての説明や相談に対する答えなど ひとつひとつの言動が父の心に突き刺さり 治療よりもそちらの方がつらいようなのです。 そして先日は 「○○さんは自分で病気を作ってるところがあるようだから、精神的なものを何とかした方がいいんじゃないですか。精神科の先生を紹介しましょうか」 と言われたとのこと。 せ、精神科?! 一体どういうつもり?! と、あまりの無神経さに心底腹が立ちましたが 実際に昨日、その先生が病室に訪ねて来られたところ、 ガン病棟で心のケアをしている、カウンセラーだったようなのです。 それならそうと、 担当の医師がきちんと説明してくれればいいものを… もちろん父にも問題はあるのです。 父は元来、読む、書く、調べる、が大好きで几帳面。 四角四面で融通が利かない頑固者。 人付き合いが嫌いで、人の意見を聞かない人。 だからこのリンパ腫に関しても、 たくさんの書籍や資料を読んで頭でっかちになり、 医師の説明にないことも質問していました。 人付き合いが嫌いなため個室に入院していて 人の集まるロビーなどにも近寄らないために ヒマと時間を持て余しては せっせと質問事項や闘病日記を書いています。 そして まだ治療も始まる前から、 入院から通院に切り替えられるはずだが、と 医師に何度も頼んでいたのです。 おそらくは こんな患者は医師としては扱いにくいと思います。 きっと疎ましく思っているはずです。 でもだからといって 1クール目の投薬中に通院施設を見学させたり 「精神科に診てもらったら」などと不安をあおるような言葉を投げかけるなんて あまりに大人げないことだと思うのです。 医師にすれば 何十人、何百人と診てきたうちの1人に過ぎず、 父1人がどう思っていたって関係ないのかもしれません。 父にすれば 「もう高齢だから…」と諦めの言葉を発する反面、 やっぱり生に対しての執着があるからこそ あれこれと調べては知りたがっているのだと思うのです。 せっかくカウンセラーの先生を紹介されたのだから 思いのたけをぶつけてしまった方がラクになるのに それもできない厄介な性分です。 なんとか気を病むことなく 治療に専念できるようになってもらいたいものですが。 私の意見にもほとんど耳を貸さない困った頑固者です…
2008.03.14
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小学校のイベントで「歩け歩け大会」がありました毎年やってるようですが私は歩くことが嫌いなので(自転車なら何キロでも乗ろうと思うけど、歩く、走るはキライ)一度も参加したことがなかったのに今年度はPTAの役員、しかもこのイベントの担当部なので渋々参加申し込みしていましたちょうど申し込み表を書いている時にダンナが「何?」とのぞき込み「オレも歩いてみようかな」とポツリと言ったので気が変わらないうちにさっさと名前を書きとっとと学校に提出してやったのでこれまた私以上に歩くのがキライなダンナも参加となりましたこれでも小学校時代にはオリエンテーリングとか好きでよく参加してたんだけど車に乗るようになるとダメだね~ところが数日前の打ち合わせ会議になって初めて役員は歩かず昼食振る舞いの豚汁を用意するのだと聞きましたラッキーいや待てよ。私が歩くんだからと、子供3人とも申し込んじゃったnaoとmisaはともかく、motoの世話まではダンナじゃ無理だろうしましてや歩くこと自体がチャレンジだから私が歩かないと知ったら行かないと言うに違いない…ギリギリまで黙っておいて「実は…」と話したら「あっそう。じゃオレと子供らの4人で歩くってことね」え~っ行くの~と驚くとやめちゃうから「そうなのよ~お願いね」とさらりと流しておきました。そして今日。快晴小学校から2キロぐらいの道のりをmotoも元気に往復してきました。帰りはmotoが集団の先頭だったとかmotoは帰ってきてから学校の校庭でひと遊び、家に帰ってもサッカーや野球で遊び、買い物にもついてきてしっかり9時まで起きてました私は豚汁を、ほかの役員の方々と用意しましたがこれがた~いへn何が大変って、大根がまるでおでんの大根のような大きさしかもそれが信じられないほどの量昨日のうちに準備してあったみたいだけど私は昨日は参加できなかったので今日初めてそれを見て倒れそうでしたいくら大鍋だって大根で満タンですよ豚汁じゃなくてまるで大根の味噌煮いや~味噌煮なら食べられるけど一切れが大きすぎて味が染み込まずかじったら中は真っ白で味がない今日の陽気の中、暑ささえ感じながら帰ってきた人達もこの熱々の大根だらけの豚汁に驚いていましたそしてたっくさん残った豚汁…役員それぞれでお鍋を取りに帰ってお持ち帰り今日はもう見るのもイヤだったから明日の夕飯に食べようかな…
2008.03.09
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小学校で「6年生を送る会」があったので見に行ってきました毎年この会は5年生が企画、運営を行うので去年も見に行きました。早いものだな~もうあれから1年か~と思いながらちょっと早めに着くように学校へ自転車を走らせるとあれ・・・?車がいっぱい・・・みんな早いな~え??体育館から歌声が・・・(嫌な予感・・)ま、まさか発表会遅刻の二の舞そ~っと体育館の扉を開けると会の真っ最中え゛~~~~~~~~いつ?いつからやってたの?!だって5時間目でしょ???時間より早く来たのに、なんでぇ?!(後から子供に聞いたら、午前中が短縮日課だったから5時間目が早く始まったとか。子供たちも「知らなかったもん」と、私は怒られずにすみました)でも、misaの学年の発表には間に合ったし大事な大事な、6年生の合唱でのnaoのピアノ伴奏は見られてよかった今まで一生懸命にいろんな伴奏の練習をしてきたnaoだけどいつも完成できずに別の子に伴奏者の席を譲ってきたんですでもこれが最後のチャンスと、めちゃくちゃ練習に励んできて最後の最後に花を咲かせることができたのです緊張知らずのnaoもさすがに今日は朝からドキドキで「どぉしよ~できるかな~」と珍しく弱気なセリフを吐いていました。伴奏が終わるまで私も肩に力が入って終わったらどっと疲れました無事に大役をこなせて、ほっとしました6年生の退場の前に6年生1人に在校生が1人、メッセージを送りましたがnaoの時は1年生の女の子でした。ちっちゃい女の子が大好きなnaoがよく遊んであげているらしい女の子で「naoちゃんが中学校へ行っちゃっても、心はいつも一緒だよ」と、めっちゃ可愛いメッセージをくれて会場もどよめき、naoはデレデレでした帰宅してからもこの話ばかりで「あ~~~んもう夢にまで見ちゃいそう~」ととっても嬉しそうでした2週間後には卒業式か…あっという間の6年間だったな~。motoは保育園のお別れ遠足。片道2キロぐらいはありそうな公園まで年少さんから年長さんまでが歩いて頑張りました去年のお別れ遠足の思い出がイマイチないなぁと思ったらそうそう、年少の時のmotoたちはあまりにやんちゃすぎて年少さんだけは遠出させてもらえず一番近い公園に行ったのでしたそう思うと、成長したんだなぁ~motoの長い保育園生活も5年目か~。いよいよ保育園最後の年なんだね~。私も保育園ママ9年目やっと、卒業だ~
2008.03.05
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先週の金曜日からまた、父は外泊許可をもらって今日まで帰宅していました。本人も家族も、治療が始まってからは帰れないだろうと思っていたのですが、白血球の減少がなく、高熱や吐き気もないということで、許可が下りたようです。病室を出てからは家の中でもマスク着用で、食べ物にも制限があるので、私たち親子は近付かない方がいいと思い、お雛祭りにご馳走でもてなすこともできず、ただ、motoが励ましの手紙を書いたので、それを届けただけでした。帰宅中も熱が出たらすぐに病院に戻らなければならないのですが、おかげさまで無事に今晩まで家に居ることができたようで、これまたひと安心でした。ただ、腰痛と便秘がひどかったようではありますが…父はどんな思いでこの週末を過ごしたのでしょうか…明日からは投薬はお休みで、18日間は経過を見る期間です。
2008.03.02
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月曜日から、父の抗がん剤治療が始まりました。月曜日にはまず、リツキサンの点滴のみを5時間ほどかかって投与しました。このリツキサンは、父のようなB細胞を狙って攻撃する抗がん剤です。ほかの抗がん剤と違ってB細胞だけを狙って作用するため比較的、副作用が軽いものの発熱、悪寒などの症状も出るそうなので仕事中も心配でした。夕方、仕事帰りに顔を見に行き、思ったより顔色も良く、食事も摂れていて元気そうなので安心しましたが帰宅してその話をすると義母は「そんなもん当たり前じゃん。いくら抗がん剤って言ったって、注射してすぐに気分悪くなるもんじゃないよ。」やたら病院にお世話になるわりに、いえ、なまじ乳がん治療の経験があるからか、心配する側の気持ちが分からない、無神経な人です。そして今日からはCHOP療法のスタート。3種類の点滴(シクロホスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチン)と、内服薬(プレドニゾロン)。内服薬は、朝10錠、昼8錠、夜6錠用意されています。また仕事帰りに寄ってみました。ちょうど夕飯を食べ終えたところで今日も調子はよさそうでした。このCHOPは3週間ほどで1クールとなり、その経過次第でその後の治療の進め方が決まってきます。何クールになるか、入院か通院か…母も毎日のように病院に通っています。同居の長兄夫婦は他人事のようにまったく今までと同じ生活(兄が休みだと2人揃って朝から夜まで出かけ、兄が仕事の日は嫁はほとんど朝から夜まで留守)で1人きりになった母の夕飯の心配どころか母が準備したお風呂にすまして入る図々しさ。父の病院には兄が休みの日に2人で「お見舞い」に行くだけで毎日通う母と交替で行く気なんてまったくなし。黙っていられなかったので私が兄に忠告しましたがもう50歳になるという同居の長男がこれでは父もさぞや心配だろうと思います。毎日、別々に1人きりで過ごす両親を思うとなんとも切ない気持ちです。
2008.02.27
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いよいよ来月19日はnaoの卒業式ついこの間、可愛らしい新1年生だったはずなのに…月日の経つのは本当に早いものです。今日は、その卒業式に着せる服を買ってきました今まさに、卒業式用とかいって子供服売り場に君臨している、ブレザー&プリーツスカートのセットです。って、卒業式用ふざけんなっつーのほかに着せる機会なんてないような服をなんで卒業式一回だけのために用意しなきゃなんないの私が小学生の時には、卒業式には、春から着る中学校の制服を着てましたよ。それでいいじゃないかと思っても、うちの子だけ制服着せるわけにもいかず、仕方なく…親の4点セットのスーツより高いセットを買わされました(-_-;)当の本人は、「スカートはイヤだ~!」と、制服もどちらも嫌々です(-_-;)アタシだって買いたくないわよ(-_-;)しかし待てよ。naoの身長は160cmを超え、体格は大人。下着も普段着もすべて大人のものなんだけど…(^_^;)で、大人のお店を物色してみたけれどやっぱ大人のスーツはどう見ても大人用よね~(^_^;)まさか私と同じようなスーツ着せるわけにはいかないし~(^_^;)と困っていたのですが前述の、卒業服コーナーをのぞいて見たら165cmサイズまで用意されていました(男の子は170cmまであったよ)やっぱり今時の子は体格がよいのね。よかったよかった・・・いや、よかったのかなぁ(-_-;)ブレザーにブラウスにスカートで、およそ2万円卒業式だけ、だよもう身内に結婚式もないし…中学校の制服その他にだって何万円もかかってるというのに…一体誰がこんなばかげたスタイルに決めたのさと納得できないまま今度はその、中学校の制服を取りに行ってきました。うちの地区は一括で制服専門店に頼むので先日団体で採寸をすませ仕立ててもらっていました。地元っ子の私も中学入学の時にお世話になった制服専門店でとってもなつかしかったです。専門店なので小学校の体操服や上履きなどもあります。その小学校のコーナーの赤白帽を見て「わ~中学も小学校とおんなじ赤白帽かぶるんだ~」と驚くnao・・・おいおい(^_^;)中学校のジャージ買ったでしょ。ジャージに赤白帽はないだろ~(^_^;)体は大人(以上)でも、中身はやっぱりコドモ。卒業式にはどんな顔であの服着ていくのかな。泣かない子なのは分かっているから私もきっと泣かないだろな(^_^;)
2008.02.24
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先週から父が入院して、胃カメラや骨髄検査、CTなどいろいろ検査を受けていましたが、今日はその全ての結果と抗ガン剤治療について、医師の説明を聞いてきました。父の悪性リンパ腫は分類で言うと、B細胞腫瘍の『びまん性大細胞リンパ腫』と言うのだそうです。悪性度で言うと中度で、月単位で進行しているようでした。進行度は、横隔膜を挟んだ上下に及んでいる、3期。2年前にもすでに3期とは言われていましたが、その頃は進行の遅いタイプと診断を受けていました。確かにその後も特に体調に変わりはなく、抗ガン剤治療を断ったのも間違いではなかったかなと思っていました。ところがこのところ急に痛みや苦しさを感じるようになり、今回の検査で、進行が速くなっていることが確実視されたのです。このまま放っておいていいわけはない、とは思っていても、強い抗ガン剤治療に父が耐えられるかという不安でなかなか気持ちの踏ん切りがつかなかったのですが、今日の説明を聞いて、抗ガン剤治療をすることに、家族で納得できました。抗ガン剤には、悪性リンパ腫に効果のあるリツキサンと、CHOP療法を併用することになりました。リツキサンを併用することで治療効果が10%ほどアップするのだそうです。ただ、やはり強いので、CHOPは抑え目に投与するという方法をとることになりました。来週からその治療を始めるということで同意書も提出。あとは本人の気力と体力にかかっています。ただ、説明をしてくれた担当の医師はガン患者や家族の暗くなりがちな気持ちを軽減させるつもりなのかはたまたもともとそういう無神経な性格のためなのか時折、「100%で投与すると命まで持ってかれちゃうかもしれないからね~」とか「○○さん(父)がどうなるかなんて、やってみないとまったくわかりませんよ。まぁ強すぎてダメならやめなきゃしょうがないですよねぇ」とか冗談っぽく笑いながら話をするのでそのたびに嫌な気持ちになりました。あなたにとっては、何十人、何百人のうちの1人だけれど私達は経験者でも挑戦者でもない、生きるか死ぬかで病院に来ているのですよ。と、言えない弱さにも嫌な気持ちでした。こんな時、男の人だったら強気で言えるのかも。あいにく兄2人とも仕事の都合がつかず母と、娘の私と、兄嫁2人の女ばかり。バカにされているのかしら、と思いつつ、いやきっと大した病気ではないから医師は笑っているのよ、といい方へ考えるようにして明るく病室を出てきました。週末には一旦帰宅して月曜日からいよいよ治療開始です。父には頑張って乗り越えてもらわないと
2008.02.21
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motoの保育園の家庭教育学級で、↑が催されました。園児に社交ダンス?!フォークダンスの間違い??と、出向いてみると、現れた講師の先生は、紛れも無く、社交ダンスの先生!衣装と、姿勢がまさしくそれ!でした(^_^;)社交ダンスの中でもマンボを教えてくれました。始めは口で、「クイッククイックスロー♪」と言う練習。次はそれを言いながら「パンパンパン♪」の手拍子。手に慣れたら今度は「ダンダンダン♪」と足踏み。ここまでで園児ちゃんたちはすでにかなりの盛り上がり。motoも春の地区運動会では、恥ずかしくてチビッコ玉入れに参加できなかったけれど、今日は「前に出てやってみたい人~」との呼びかけに「はい!はい!はい!」と元気いっぱいに応えました。足踏みに慣れたところで男女で向き合い、親が参加してる園児ちゃんは親子で向き合い、手をつないでの足踏みを追加。すると中には、自然と前進後進が始まっているペアも。それを見たダンスの先生が「今日は先生の方が勉強しました。どうやってみんなに足の動きを教えたらいいかなぁと思ってたんだけど、手をつないでやってると自然に前と後ろに動くのね~」。本当は先生が教えようと思っていたステップとちょっと違うけど、なんたって園児ちゃんだもん。楽しんでやってればOK!OK1時間の講座が終了する頃には「クイッククイックスロー」の大合唱になっていました♪園児ちゃんには、社交ダンスだろうがマンボだろうが関係なし♪みんなとっても楽しそうでした午後は仕事なのでダンスが終わってさぁ帰ろうとした時、「ウ~ウ~」とサイレンが鳴り「地震です!!」と先生の声え~!いつ?いつ?いつ揺れたの?!と驚いていると園児ちゃんたちは自然に部屋の真ん中に集まって小さくなりみな頭を押さえていました。「お母様方も頭を守って~!」と言われ園児ちゃんたちと同じようにしていると今度は「火が出ました~!!急いで園庭に出てくださーい!!」。ななな、なに?!子供たちはすぐさまポケットからハンカチを取り出し口に当てて部屋から外へ。火ってどこよ~??と大人げなくドキドキしていると「避難訓練なんだね~」という誰かの声。なんだ~ビックリしたよ~(^_^;)いやいや避難訓練なんて、義務教育以来??園児ちゃんたちの方が落ち着いてました(^_^;)こうして園では毎月、火事や地震の避難訓練をしてくれているのですね。実際に起きたらこんなに落ち着いてはいられないだろうけど訓練しているのとしていないのとではやっぱり違うでしょうね。いや~いい緊張感でした(^_^;)
2008.02.20
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naoが昨日作ったクッキーを持って登校しましたそもそも、お菓子を学校へ持っていくなんてこと私の時代には考えられませんでしたけど今はバレンタインチョコでもお土産のお菓子でも堂々と持って行くんですね。お土産は、給食の後に、とか学校で消化するという条件付だそうですがバレンタインなんていいの?と聞くと「先生だって『ありがとう』って受け取るもん」。あっそ(^_^;)さてさて、クッキーは放課時間に配ったそうなのですが先生がその放課の次の授業で「naoさんが皆に作ってきてくれたので」というお話の後、授業中に全員で食べたとかへっぇ~そんな時代なんですね~しかも今日は欠席者もなかったと聞いたので「よかったねぇ」と言うと「それがさぁ大失敗だったんだって」「…なに、もしかして足りなかったの」「違う、その逆余っちゃったのさ」「なぁんだ、余ったのならいいじゃん」「女子の分が1個余っちゃってさぁ~何度も数えたはずなのにおっかしいなぁと思ったら、自分の分まで数に入れとったわ~はっはっは~~~~~」「ははは(^_^;)・・・でもちょうどよかったじゃん。それなら自分も一緒に食べれたでしょ」「それがさぁ、家に帰ってからそのことに気が付いたんだってだから家で食べた」「はははははははは(^_^;)」ま~なんというか、これが、nao、なんですよ(^_^;)
2008.02.18
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久しぶりにクッキーを焼きました。→【ひとりでできるもん】のチョコチップクッキーです。先週の木曜日、学校から帰ったnaoが仕事中の私に送ってきたメールに「今度の土日にクラスの全員と先生にクッキー作ってプレゼントしたい」。その日はバレンタインデーおいおい、バレンタイン終わっちゃってから何なのよ(-_-;)帰宅してからnaoに尋ねました。「なんで今頃?バレンタイン終わっちゃってからさぁ」「別にバレンタインじゃないもん。6年間の感謝の気持ちじゃん♪」そして今朝、めったに買い物に付いてこないnaoを、自分の用事なんだからと引っ張って買い物に。だのに本人ときたら、「あ、これ食べたい♪」 「わ~これ美味しそぉ~♪」「イイモン見っけ♪イチゴ大福~♪」と、自分が食べるものばっかり(-_-;)おかげでとんだ散財して、連れてきたことを後悔しました(-_-;)さて制作になると、「俺もやりたい!」「もっちゃんも~♪」といらん援軍が押し寄せて大騒ぎ。でも初めはやりたがっていたはずの2人が、バターのすり混ぜを手伝わされた途端に「やっぱ食べる方がいい(^_^;)」そしてnaoも次第に無口になり、「ちょっと嫌になってきたって感じ?」と聞いてやると「ちょっと、じゃない、かなり…」あれれ~??最初はこの簡単なチョコチップクッキーじゃ嫌だとか言って、お菓子の本見てあれこれ難しいこと考えてたのに~(¬_¬)??多めに買ったチョコがかなり残ったので、「また作ればいいじゃん」と私が言ってもノーコメント。「何よ、返事がないじゃん」「今の気分じゃ『うん』とは言えん」「もっと簡単にできると思ってたんでしょ~」「あ~やっぱアタシはこういうガラじゃないわ」天板に並べるころには超投げやりで、大きさがマチマチでも「もぉいいんだわぁ」オーブンがピーと鳴っても飛び付くこともなく、ようやく焼けたクッキーの味見もせず、ただ終わってヤレヤレという感じ(-_-;)しかも、個々に渡すために用意しておいたミニ袋に焼きたての熱々を入れちゃってるし(-_-;)そういうヤツなのよ、naoって(-_-;)これで当分、お菓子作りには興味なしでしょう(-_-;)
2008.02.17
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misaがバレンタインチョコをひとつ、もらってきました私が仕事から帰宅する前に食べちゃったのでどんなのだったのか分かりませんが、手作りだったようです。本人は前々から「オレにチョコなんて絶対ありえない」と自信たっぷり(^_^;)でしたから「もらったの~(≧∀≦)?!」と私が驚くと「絶対、義理だから、義理!」と断言。でも、まんざらでもない顔つきです(=⌒ー⌒=)実はmisaは、保育園~低学年時代にはモテモテで、義理も本命も結構もらっていたのですが、ギャングだった昨年、パタリとなくなってしまいました(^_^;)←当然では、そのギャングにくれたお相手は、と言うと、クラスで、いえおそらくは学年の女子で唯一、misaを理解してくれる子でした。昨年の荒れたmisaにも、温かかったのです。保育園からずっと一緒で、お互いに性別を超えた関係のようですおまけにその子のお姉ちゃんはnaoの同級生で仲良し夏の韓国にも一緒に申し込んだり、私も含めてよく遊んでもらっています。女の子に男の子が適度にミックスされた、というか、女の子っぽ過ぎず、男の子っぽ過ぎない、サバサバしてるかと思うとちゃんと気遣いしていたり。面白いし可愛いので、naoがいつも、妹にしたいと言っていますnaoはそのお姉ちゃんから、友チョコをもらったらしいのですが、nao曰わく、「いやいや絶対、本命だよ!だって私の友チョコよりずっと大きかったし!」って、そういう問題かしら(^_^;)横を向いたまま、でも口元がにやけているmisaに「あの子なら、ママは大歓迎!喜んで嫁にもらうよ!」と言うと、余計にやける可愛いmisaなのでした一方あげる側のnaoはというと、バレンタインなんてどこ吹く風…1年生からずっと同じ子を想って毎年手作りチョコを贈っていましたが、一度もホワイトデーにもらったことがなく、そのうちにどうでもよくなったようで、昨年から、友チョコとかで女の子にあげるだけです(^_^;)今恋しているのはジャニーズのタレントそのうちコンサート行ったり、それこそチョコを送ったりするのかな~では、motoは…?なんと昨夜、寝てから急に嘔吐して、深夜2時ごろまで嘔吐を繰り返しました(+_+;)汚れを嫌がる子なので、嘔吐の苦しさに加えてそれが自分の手や顔についた辛さで混乱状態でした(-_-;)そんなわけで保育園を休ませたので、バレンタインどころではなかったです(^_^;)もしかして行ってたら、もらえたかな~??
2008.02.14
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リンパ腫に苦しむ実父が今日入院しました。先日、医師に抗がん剤治療を受けると申し出て病院のベッドが空くのを待っていたのですがまだまだ先と思っていたのが今日定期健診に行った折に「今日から入院してください」と言われたそうで慌ててしまいました。ちょうど私は仕事が休みだったので入院には付き添えましたが私のいる間は担当医師が来なかったため話は聞けませんでした。naoとmisaが学校から帰る時間に予告なく家を開けることになったので置き手紙をしてきました。驚いた2人が私の携帯に電話してきました。そして2人ともが実父と話し、「がんばれ!じいちゃん!」とエールを送ってくれました。父は自分のことよりも1人になる母のことを心配していました。というよりそうすることで自分の現実から少し意識を遠ざけたかったのかもしれません。いつから抗がん剤治療が始まるのかはまだ分かりません。遅い方がいい!と思ったり早い方がいい!と思ったり…とにかく負けるな!
2008.02.12
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ついにmotoが輪っぱなし自転車に乗れるようになりました秋頃から少しずつ練習していたものの本人にちっともやる気がなく冬になったらさらに乗らなくなりお友達が輪っぱなし自転車で走る姿を見てみぬフリしてきたmoto。運動音痴なnaoはやはり年中児の時、夏ごろに毎日、自ら猛練習してこんな遅くてよく倒れないよな~というぐらいスロースピードで練習して乗れるようになりある意味スゴイ奴だと感心しきりでした(^_^;)misaは運動神経抜群なので補助輪なんて早く取れるだろうと思っていたら当時通っていた(現在motoが通っているのとは別の)保育園で勝手にマスターしてきたので(↑そこは園庭が広く、自転車も数台置いていたのです)私の知らないうちに乗れるようになっていましたmotoも運動神経は良い方だしなにより負けん気が強いのでお友達より先に乗りたい、と言い出すかと思いきや「輪っぱ取ったら倒れちゃうよ。危ない」「転ぶと大けがしちゃうじゃん。乗らないよ」とま~ったく乗る気がありませんでした(^_^;)これは思うに、転んだり、もしかして泣いたりして自分の格好悪いところを見られたくない、スイスイ乗れないぶざまな姿を笑われたくない、という気持ちの表れで、負けん気の強さが逆に働いていたような気がします。それがこの頃少しずつですがまた練習するようになり今日も暖かかったので「自転車の練習してみたら~」と軽い気持ちで言ってみたところ「うん!やる!」と自分から自転車を出してきたのでした。初めはおっかなびっくりでそれでも、もうあと一息で乗れるところまできていたので時折ひと漕ぎ、ふた漕ぎ進めるようになってきました。それが、misaも自転車を出してきて一緒にいてくれたのでちょっとだけ家の中に入ったところ「ママ~来て来て~!早く~~~!!」というmisaの声に飛び出すと目の前を超特急のmotoが走り抜けました「え?!えーーーーーーーーーーっ?!どどど、どぉしちゃったのーーーーーーーーーー?!」「でしょでしょ!オレもビックリなんだって!」と自分のことのように嬉しそうなmisa。「何て言って教えてあげたの?」「いや何にも。もっとスピード出せって言っただけ。そしたらいきなり速くなっちゃって」ほぉ~~~~~~~~~乗り出したらもう止まらない!一直線だけでなく、ちゃんとカーブもできるし向きも変えられる。ついには町内1周できるほどに乗りこなせちゃった!つい30分前までヨタヨタしていたとは思えないほどの変貌ぶり一体何が起こったのまるでマジックもともとnaoと学校の運動場で練習しようと言っていたのが家からスイスイと学校へ行けるようになったし、そして私がメンバーの結婚式のために出かけてからも義母と近所のコンビニへ行ったり町内の仲良しおじちゃんおばちゃんにお披露目に行ったりして自転車三昧の時間を過ごしたようでしたきっかけってどこにあるかわからないものですね。
2008.02.11
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太鼓サークルのメンバー(♂)が今日結婚式を挙げましたといっても私は出席ではありません(^_^;)披露宴に呼ばれたのはサークルの代表ご夫婦とサークルの中でも一番仲の良い男性、それと指導の先生、の3人。でも余興のひとつとして太鼓を叩くことになり太鼓の演奏のために行ってきました太鼓演奏はもちろん新郎もご一緒にそして新郎のお友達もノリノリで参加して盛り上げてくれたのでとても楽しいひと時になりました(↑と思ってたのは我々だけかな^_^;)その後はメンバーのテーブルに同席させてもらって最後の「新婦の手紙」と「退場」だけ“出席”させてもらいました(^_^;)お付き合いから1年ほどだそうなのでまだまだ熱々なお2人。いつも冷静で穏やかで優等生な彼が新婦の涙をハンカチで何度も何度も拭いてあげたり最後にはジョーク混じりに挨拶したり彼の違った一面を見られたのはお酒のせいばかりでなくこの可愛らしい奥様の力なのかな、ととても微笑ましかったですなんだか変な気分だったのはnaoの結婚式を想像したりしてすっかり“親”の気分で見ていたことです。新郎は私とそんなに違わない年齢なのに親の目でこの結婚式を見てしまいました(^_^;)だって結婚式なんて、もうお友達にも親戚にも無縁だし今後あるとすれば一番早いのはnao・・・いやもしかしたらmisaの方が先になるかも・・・naoはこの新婦さんみたいな涙の手紙はないだろうな。みんなこんな幸せは時期があるのに月日が経つとどうしてすれ違ってくるのだろう。いまやすっかり「同居人」になってしまったわが夫婦。亭主元気で留守がいい、と声を大にして言いたい毎日。結婚した当時はこんな風にピンク色だったかな~と思い出してみたけれどよく考えたら結婚前にお付き合いが6年もあったので“新婚”という気分はなかったように思います(^_^;)“新婚”当時も旦那は毎日帰りが遅かったし。今年で通算、21年。もうすぐ、一緒にいる年月が親より長くなるんですね~そりゃイヤな部分もあって当然ですわ(^_^;)なんてなことをあれこれと考えながら退場する新郎新婦を拍手で見送ってちゃっかりお花をいただいて帰ってきましたどうぞ末永くお幸せにおめでとう
2008.02.11
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昨日、この冬初めての積雪となりました朝から曇り空、昼前にはもう積もってきました。初雪は確かクリスマス。でも積もったのは今日が初めて。ちょうど一昨日、motoは旦那に「スキーしたいから雪山に連れてって」と頼んで断られ(←真冬でもサーフィンなら行くくせに、雪山は嫌がる)かなり凹んでいたところだったので、降り始めからもうハイテンション。私がnaoと出かけている間に義母とひと遊びして、ずぶ濡れになってました。午後はmisaと2人、スキーウェアを出して本格的に雪遊びお向かいの借家の階段に雪を固めてすべり台にしたり、雪だるまやミニかまくらを作ったり。ついにはソリまで出して大喜び。そのソリでお隣のお宅まで行って(お隣と言っても敷地が広く、玄関もうちと反対向きなので少々距離がある)雪だるま作って、お礼にネギをもらってきてくれました。(2人ともお隣のおじちゃんが大好きで、可愛がってもらっているのです)そして今日は、わずかに残った雪でまた遊んでいたところ市内にある山に友達と歩いて出かけた義母から「もっちゃん連れておいでよ、ソリすべりができるよ~」と呼び出され行ってみると確かに絶好のソリ遊び場ができていましたもうすでに芝生が見え隠れしていたものの滑り始めたら結構なスピードで斜面を滑り下りることができ大喜びでまたびしょ濡れになったmotoでした(^_^;)風邪気味で寒がりな私にはツラいけど、やっぱり子供なら元気に雪遊びしてもらいたい!さすがにスキーはできなかったけど、スキー場に行かずに雪遊びができて良かった~毎年、一回ぐらいはこうして家で雪遊びができますが、私が子供の頃は冬と言えば雪でしたから、それを思うと降らなくなりましたねぇ。雪深い地域にお住まいの方々には申し訳ないけれどたまにふる雪なら大歓迎です
2008.02.10
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勤務先の学童が、校舎内からプレハブに移設することになり、日曜日に引っ越しました引っ越しと言っても、移転先は学校の運動場の片隅。この地区は市の中心部でマンションは増える一方。少子化の中にあっても児童は増え続けていて、すなわち学童に来る子供も年々増加。登録者は約100名、毎日平均60名が通う大規模クラブなのに、ひと教室で窮屈に過ごしていたのです。そんな折、市内で2部屋分のプレハブを使っていたよその学童が、新築された公共施設の中に移設されたのでそのプレハブがこちらに移築されたのです私は月曜日は勤務日ではなかったので、昨日から新しいクラブ室で過ごしています。快適ですプレハブ本体は移築でも、間取りはこちらの要望で変更され、壁紙やカーペット、カーテンなどはすべてお誂え。指導員全員で、沢山のサンプルの中から悩みながら選んだものですそれがとってもいい感じ何より、その広さには職員も子供たちも、そしてお母様方も大満足教室に比べてやや天井が低くなったものの部屋と窓の広さでまったく違和感はありません。今までとっても窮屈だったので本当に開放的で伸び伸びできる、よい環境になりましたまた、プレハブは寒い&暑い、と聞いていて覚悟していましたが、どっこい、教室の時よりもずっと暖かい!二部屋の間には給湯室と、短いけれど廊下もあり、見通しよくするために出入り口は常に開けっ放し状態。その状態でエアコンを点けてもすぐに暖かくなり、子供たちが入室してくると更に暖かさが増して、エアコンも要らなくなります。この伸び伸びさ、快適さが子供たちに影響しているのかこの2日間、まったくトラブルが起こりません。毎日、学童へ来るとすぐにあちらこちらで小競り合いが起き、泣く子、入室できない子、言いつけにくる子、暴れる子などまずは座らせるまでにひと苦労だったのにおやつまでの流れもスムーズで遊び始めてもケンカにならないのか言いつけに来る子も泣く子もいません。広くなった分、指導員の目が届かなくなるのを心配していたのですが逆に目の届いていないところでも平穏に過ごせているようでこれには指導員も驚いています。やっぱり人間は環境の動物なんですね。
2008.02.06
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naoたちの小学校の授業参観でしたnaoにとっては6年間で最後の授業参観。ということで、今日は「感謝の会」が開かれました。授業参観は2時間目と3時間目で感謝の会は3時間目。ところがmisaの授業も3時間目は「親子ふれあい授業」。「私が優先だよ!」「オレだって親子だもん!」と、もめてしまいましたがやっぱり感謝の会が優先でしょう(^_^;)misaは2時間目の算数を見てきました。昨日早退したnaoの担任はお休みでした。その上、もう一クラスの担任もインフルエンゼで休んでいる、とか(-_-;)そんな病んでいる学校へ行くのは恐ろしく、私もmotoもマスクを着用していきましたが感謝の会では子供たちが作ったサンドイッチを一緒に食べる、というものでした(^_^;)よりによってこの学校の中で飲食とは…(^_^;)でもだからといって食べないなんてことできるわけもなく、手だけはシッカリと洗って戴きました。担任の代わりに校務主任(教務主任でなくてよかった)が入っていましたが最後の挨拶で「お気付きだと思いますが、僕は最初から写真を撮っているだけで、何もしていません。でも会はきちんと進行し、安心して見ていられました。とても立派です。ここまで立派に育ったのは、やはり親御さんのおかげです。」と。会の中で、「感謝の手紙」というものをそれぞれ用意してくれていました。手渡しする予定だったようですが「読んで聞かせたい」という子がいて照れながらも読む子もありnaoも「え~」と言いながらも恥ずかしそうに読んでくれました。校務主任のお話はとても印象的でした。「子供は、教えなくても覚えてしまうことが色々あります。『ヤダ~!』という言葉なんて、教えなくても早くから口にする言葉です。でも、教えないと言えない言葉があります。それが『ありがとう』です。感謝の言葉や態度は、大人が教えなければ子供には身に付きません。でもここにいる子供たちはみな、それが身に付いている子ばかりです。とても嬉しいです。私から、親御さんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」そうだね、「ありがとう」の気持ちは、育ってゆく環境の中で育まれるものだね。「生んでくれてありがとう」そう書いてくれてありがとう。私からも「私の元へ生まれてきてくれてありがとう」
2008.02.02
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昨日から調子の悪いmoto。咳がかなり出ています昨日は中学校の説明会があったので、頑張って保育園に行ってもらいましたが、登園させた時に先生に咳の話をすると「学校でも学級閉鎖みたいだしね~コワイですね~」・・・え?勤務先の学童のある学校は確かにインフルエンザが流行っていて学童に来る子の数が一時ぐ~んと減りました。この頃ようやく元に戻ってきたように思っていたのですがまさか自分の子の学校でもそんなこととはまったく知りませんで(^_^;)昨日帰宅したnaoに「学級閉鎖だって??」と聞くと「え~?!知らない!何年生」・・・え??学年は違うようでしたが担任の先生からも何も聞いてないと。そんなことってあるの??naoやmisaのクラスではそんなに欠席者は多くない、とは言うものの時間の問題かなぁと心配になりでも学級閉鎖って、朝、登校してみて欠席者が多いと下校になるんですよね?基準が何かあるのでしょうがとにかくその日登校してから分かること。親が仕事に行ってしまったら急に下校されても困っちゃうよねぇと話していた矢先、今日、2人とも6時間目の授業が中止になり5時間目が終わってから下校してきました。今日は私が休みの日でmotoを休ませていました。咳はあったものの、病院へは近寄りたくなくて家で過ごしていたのですが午後はどうしても買い物がしたくてmotoにはマスクをさせて出かけていました。予定ではnaoたちの下校は4時過ぎ。ところが3時過ぎに、naoの携帯から私の携帯に電話がかかってきてビックリ今日はカギを持たせていなかったのですたまたま今日は今月から仕事が昼までになった義父が家にいたのでカギを持っていなくても家には入れましたがもしそうでなかったら、と思うとぞっとしました。しかも今日は、naoの担任の先生までが熱が出たとかで早退してしまったとか。代わりに早い下校を知らせにきたのは校長先生らしいですが、私「先生にカギ持ってないって言わなかったの??」nao「そういうことについて校長先生が一言も言わないから、私、聞いたんだよ、カギのない人はどうすればいいんですかって。 だけど返事もしないでさっさと教室出てっちゃったもん」私「じゃあほかに家に入れない子はいないの?」nao「さぁ~?誰も困ってる様子なかったよ」私「家に誰もいない人は残りなさい、とか言わないの?」nao「言わないよ、それに電話も貸してくれないし」なにぃ(-_-メ)?!そんなこと絶対におかしい!このご時世に、家の者が知らないうちに子供を下校させるなんて絶対におかしい!いつもなら連絡帳に書くところだけど担任の先生が明日も休むかもしれない。早めに先生に一言言わせてもらいたい!で、学校に電話しました。電話に出たのは教務主任のオバチャマ。昨年、misaのことでわが家の天敵となった先生だ教職にありながら誠意がなく、人の意見に耳を貸さない非常識な人なのでこの先生にだけは電話に出てほしくない、と思っていたのに「下校が早くなったことについて、全家庭に連絡が回ったのでしょうか?」「いいえ~そういうことはやってませんねぇ~」「なぜですか?大事なことだと思うんですけど」「カギがなかったり家に誰もいなかったりする児童には確認をして、親御さんと連絡が取れるまでお預かりしてますけど」「うちの子はカギを持っていないと校長先生にお話したそうですが、どうすればいいのかという返答をいただけなかったと言って帰ってきたんです。たまたま義父が私より先に帰宅していたので、外で待つ時間は少なくて済んだんですが、義父がいなかったら私に連絡もできず、この寒空で待つことになるんですよねぇ」「あぁ~それは大変ですよねぇ」「緊急連絡先とか言って、携帯の番号もメールも登録していますよねぇ。不審者情報を流すことだけが目的なんでしょうか。こういうことは緊急ではないんですか?せっかく登録しておいても無意味じゃないですか」「あぁ~それもそうですねぇ。今後の参考に、校長にも伝えておきますね~」電話を切ってから、あぁ私が話したことは、この主任止まりだな、と思ったのでやっぱりnaoの連絡帳にも書きました。「校長先生、教頭先生へ」と書いて。後で学校のHPも開いてみましたが学級閉鎖や今日の下校については、何も記述がありませんでした。学校ってこういうものですか??モンスターペアレントばかり問題視されているけれどこういうことは問題にはならないのでしょうか。それとも毎日カギを持たせればよいのでしょうか。明日は授業参観です。主任は予定通り行います、と言いました。担任の先生は来るのかな。ちゃんと教頭、校長各先生に問題提起ができるといいけど。
2008.02.01
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naoが春から通う中学校の入学説明会が開かれました。その前に中学校の授業も見せていただけるようでしたがそちらへは参加しませんでした。中学校ではnaoの通っている小学校ともうひとつの小学校の生徒が一緒になります。そちらの小学校の方が児童数が多く、また中学校にも近いため、なんとなく「入れてもらう」感じがします^^;naoは、このもうひとつの小学校の隣にある保育園に2年通っていて知っている子もいるにはいるのですがもう卒園してから6年も遠ざかると「友達」でもなくなっています。親同士は近所で会ったりすると「久しぶりね~元気~??」なんて声を掛けたりできても子供同士はそんなこともできません。中学校で会うと一体どんな風に接するんでしょう。さてまず挨拶された校長先生。とてもよい印象でしたというのも、今の小学校の校長先生が話しベタ、聴きベタな方で子供たちも朝礼や集会での校長先生の話を嫌っているのです。PTA委員会や行事など、校長先生のお話を聞く機会がありますが、本当に聞き苦しく、目線も宙を舞っているため一体誰に何を語りたいのか、まったく掴めない状態です。でもこの中学校の場合は、校長先生だけでなく教頭先生ほか、お話して下さった数名の先生方がみなさん話し上手、聴かせ上手。小学校の先生とはやっぱりどこか雰囲気が違うなぁとワクワクして帰ってきました。説明の内容は、学校の校訓から特色に始まって一年の流れ、制服等準備する用品などについて1時間ほどでした。私の中学生時代と違って、現代はあの重苦しい学生カバンも無く、通学カバンは色も形も自由だそうですし、校則についても随分優しくなったんだなぁと思いました。ひとつ、来年度初めて採り入れた行事として新一年生はあ4月の下旬に宿泊学習を行うのだとか。お互いをよく知るため、だそうですがまだ入学してひと月も経たないうちでは、それぞれの出身校のお友達同士としか行動できないでしょうからもう少し後の方がよいのでは??と思ってしまいます。naoの一番の関心事は部活です。「演劇部ってあった??・・・やっぱり無いか~」運動系はもともと興味がなく「やっぱ吹奏楽かな~でも美術部も捨てがたいな~」と今から悩んでいます。せっかく小学校で3年間、管楽器をやったのだから続けてほしいなぁとは思いますが、体が大きいと希望の楽器ではなく大きな楽器を持たされるという経験をしてきたのでそこがネックのようです。でもわが家には引っ越しが控えています。今年度中に叶わなかった引っ越しですが夏休みまで、か、夏休み中に、を予定していますがまだ家を探している状態で学校が変わるか変わらないかも未定です。中学入学式まであと2ヶ月。なんとなく落ち着かない毎日です。
2008.01.31
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来春から中学生になるnaoの制服の試着&注文に行ってきました何年前から続いているのか知りませんが、毎年うちの区は隣接する区と一緒に集団で注文していて、この時期にお店から試着用制服を持ってきてくれ、区の会館で一斉に試着と注文を行っています。制服のほか、体操服、上履きにジャージ。子供たちはちょっと照れくさそうに、母たちは嬉しいようなまぶしいような複雑な面持ちで、楽しいひと時を過ごしましたあっという間の6年間、いえ、あっという間の12年間でした。入学式がついこの間のことなのに、母より体格がよくなった娘になんとも言えないため息が出てしまいます。これから3月まで、こうして卒業と中学入学に向けた準備が続きます感慨にふけっている間もなさそうです。次は中学校の授業参観と説明会それから来週、6年間で最後の授業参観では、感謝の会が準備されているそうですクラスではカウントダウンも始まって、旅立ちの日は着々と迫ってきています。う~んダメだ!そう考えるだけでジワッときちゃう主役のnaoが至って泣かない子なだけに、母の方があんまり泣いてちゃバカみたいよねあ~でも、泣かないなんてできそうもないや卒業式までに何回泣くかな~もうひとつ、昨日今日の2日間、うちの区では初めての、区民作品展が開かれましたずいぶん前から作品の募集が始まったので、夏休みの作品など、misaのは工作3点、naoは修学旅行で作ってきた京漆器のお盆1点を出展しました。 ↑misaの和紙ちぎり絵「犬」と木工作品「クワガタパズル」子供会もタイアップしていて、クリスマスにはフラワーアレンジを作り、一斉に展示されていましたが、それぞれにメッセージカードが添えられていて、naoは私に、misaは近々入院する私の実父に優しいメッセージを添えてくれていました区長さんの予想に反して、子供の作品より大人の作品の方が多く、しかも初めてということもあってか、何十年も前のものまで引っ張り出されていたりしましたが、書あり絵画あり、手工芸品あり写真あり、野菜もあり…(^_^;)私は出展はできなかったけど、私の作品は、3人の子供たちです(o^-')b
2008.01.27
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決断の時がせまっています。実父の抗がん剤治療。父は悪性リンパ腫です。2年前、肺ガンも見つかって手術してリンパ腫の方は少しずつ増えているようではあったものの本人の希望で何も治療をしないまま様子を見ていたのですが。数ヶ月前から足のむくみで昼夜問わず悩まされるようになり病院へ行くとやはりリンパ腫の影響でした。2年前の予想よりも少し進行速度が早いようで本人も家族も驚きました。父は残り少ない余生を入院や治療での闘病生活にしたくはないとこれまで抗がん剤治療を拒んできましたが逆に痛みや辛さを抱えたままの余生にどんなよいことがあるのかと考えるようになったようです。ただこの悪性リンパ腫に効果のある抗がん剤がリツキサンといって1本数十万円するようなシロモノ。蓄えのある父もさすがにこれには驚きしかもその投資で劇的に回復するというわけでもなくまた副作用もあるので最悪の場合も考えられることからずっと答えを出せないでいたのですが母はこのまま治療をしないで悪化したとすると家での治療も介護も無理、私の年齢も考えてよ、と入院治療を勧めてきました。そうしてついに入院治療を決心したようで明日、医師にその旨を伝えてくると言っています。ただ私はどうしても快く後押しができないのです。もちろん母の言うことも正論だし下肢静脈瘤の私には、足の痛みや辛さもわかるので何とかしなくては、という思いも分かります。でも心臓も肺も弱っている父にはあまりにもリスクが高すぎてついつい最悪のケースばかり考えてしまいます。兄は父が断腸の思いで決めたことだから本人の意思を尊重しよう、と言っています。それも分かります。こんな形で親の死を考えさせられるとは思いもよらなかったこと。どうか治療がうまく進んでくれますように。父の体力がもちますように。私には願うことしかできません。
2008.01.24
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『あらすじで楽しむ世界名作劇場』観ました知ってるようで意外と知らない世界の名作。その名はあまりに有名で今さら内容を人に聞けないような名作が実はこんなお話だったんだ~!と驚きの連続でした一番驚いたのは『ガリヴァー旅行記』とってもお恥ずかしいところ私が知っているのは小人の国でガリヴァーが縛られてる様子ぐらい(^_^;)その前後どころか物語のすべてなんて気にしたこともなかったけど…友好的になった小人の国で、ガリヴァーの食事量が多すぎて(彼の1食分が小人国民約1400人分とか^^;)国が財政難になりガリヴァー暗殺計画まで立てられたり、宮殿の火事をオ○ッコで消して怒りを買い国を追い出された、というのも驚きでしたが映画『天空の城ラピュタ』のモデルであろう、空に浮かぶ島「ラピュータ」の登場や馬の国で馬の家畜になっている人間「ヤフー」が現在のYahoo!の語源だったこと…これには本当に目からウロコ状態でしたそして結末がもっと驚き。馬の国を追放されて自分の家族のもとへ帰ったガリヴァー。ところがヤフーの印象があまりに強烈で家族や人間を愛せなくなり馬を買って生涯馬小屋で暮らした、と。おなじみ『シンデレラ』も衝撃的でしたグリム童話と言われていてこれまたお恥ずかしいことに私はそう思っていましたが一般的に親しまれているあの物語はシャルル・ペローという作家がメルヘンチックに味付けしたものだそうです。実際にはかぼちゃの馬車や魔法使いなど現れず白い鳥によってドレスが運ばれてくるそうですがシンデレラが舞踏会から帰った時間も12時ではなく夕方だったりガラスの靴は金の靴だったり、靴はうっかり脱げたのでなく王子様が階段にタールを塗った裏工作によるものだったり。その金の靴を履くためにいじわるなお姉さん達はサイズの合わない自分の足の踵やつま先を母の言いつけで自ら切り落とし靴を血で汚して失格になったとか、シンデレラが王子様と結ばれ幸せな結末を迎えた反面、いじわるお姉様たちは白い鳥に襲われ目を突付かれて失明してしまったとかとても子供が読む物語ではなかったんですね(^_^;)本当は怖いグリム童話、本当に怖いです(^_^;)ほかに、森鴎外の『舞姫』やサガン『悲しみよこんにちは』など「へぇ~~~~」の連発でした。そして読んでみたくなりました活字離れを憂う今、こういった番組で本を読むきっかけを投じてくれているのだと思います。本って面白いですよね。うちの子供たちは本なら何でも大好き。図書館が無くては我が家は成り立ちません(^_^;)早速、ガリヴァーを読みたいと言っています。でも同じように読みたくなった人が殺到してるかもね(^_^;)もうひとつ面白かったテレビ番組といえば、『ヤッターマン』私が子供の頃、大好きだったアニメですテーマソングも内容も現代風にアレンジされてはいるけれどお決まりのフレーズやドロンジョ様たちはそのまんまで「なつかしい~~~~~~~」の連発でした(ドロンジョ様、チョット声に年齢を感じちゃったケド^^;)今時のアニメって闘って血を見たり誰かを憎んだり、殺伐としたものが多くないですか?こういうほんわかアニメをもっともっと増やしてもらいたいです
2008.01.14
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昨日の日記に書いた、今月いっぱいで退職する嘱託の女性指導員。昨日書き込んだ後に仕事に行ったら「いいニュースがあるんだよ」と男性の嘱託指導員。「3月までやって下さることになったから」。きっとこの男性の先生が頼んで下さったのでしょう。というわけで2月、3月に週4日勤務になることは避けられたわけですが。と同時にその女性の先生からの言葉。「でも年休が結構溜まっててね。3月の退職までに年休ゼロにしたいんで、みなさん協力してくださいね~」あ、そうか(-_-;)1月で辞めると、溜まってた年休が消化できないんだ。3月まで継続してその間に年休を取れば、めいっぱい働かなくてもお給料はいただけるわけね(-_-;)こっす~い(←こちらの方言で、ずるい、という意味)(-_-;)(-_-;)(-_-;)呆れたまま今日出勤するとすぐにその女性の先生から「ちょっとお願いがあるんだけどね」と。あ~年休取るから代わりに出勤ね、と思っていると「今月私の年休の代わりにあなたに頼んだ勤務(2日分頼まれてる)だけどね、今月中に2日も年休取ると2月と3月の年休が少なくなっちゃうからキャンセルしたいのよ。また2月以降にどこかで代わってもらえる~??」あ、そうですか(-_-;)もう好きにしてちょ~(-_-;)今月頼まれたのは土曜日ばかりで子供たちの習い事もあるし、時間のやりくりとかどうやって留守番させようかとか頭を悩ませていたんだけど…そんな土曜日勤務が減って嬉しいのは嬉しいけど、その先生の嬉々とした顔つきがどうもいただけない私です(-_-;)
2008.01.10
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