仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル
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あまり歩いたことのない長町。新幹線の車窓からだと、東側(あすと長町)は大型の新しい建物が並び、とても貨物操車場の跡とは思えないほどだ。昭和のころ、ここが仙台の南の果てといわんばかりの存在感があった(私感です)4号線長町跨線橋や、自分は通ったことがないが操車場の地下を東西につないでいた長い自由通路は、その痕跡だけでも見えるのか。年末の小雨しょぼ降る日。傘を片手にJR長町駅からあすと長町側に出て、高架下沿いに、ひたすら南へ、旧笊川まで歩いてみたが、よくわからなかった。ただ、あの機能的でちょっと怖い(私感です)エリアがまったく一変したことは確かだ。以下は調べたこと。■国道4号跨線橋1954年に立体交差が完成する。現在の太子堂駅のホーム北寄りが鉄道と国道4号の交差地点だったものと思う。現在の長町六丁目南端交差点から、外車がたくさん並んでいるあたりで、かつての国道4号は上昇を始めて、新幹線の高架下を抜けて在来線をオーバーしたはずだ。ゆるやかにS字を描いて線路の西に出て、地上に降りた国道4号(当時)は、諏訪町の交差点に至る。貨物ヤードの南端地点になる。いま4号バイパスから車で行くとすると、篭ノ瀬交差点から太子堂駅に向かって市街地に入り、トーキンの南を通過して鉄道高架下に抜ける道路が現在はあるが、かつてはこの交差点で止まっていた(太子堂側に抜けられない)はずだ。■貨車操車場地下の自由通路長町操車場が長町地区と郡山地区と分断したため、横断者の事故があったことから、1952年に地下道が建設されたという。私は誰にも聞いたことがないが、かなり多くの人が利用したのだが暗くて怖い長い通路だったと新聞記事か何かで読んだ気がする。ぜひ痕跡をみてみたかった。いまの文化センター付近と、郡山側は東北地方整備局仙台河川国道事務所あたりを結んでいたのだろうか。これは、長町の飲み屋にはいって地元の方に聞くしかないか...■関連する過去の記事(長町) 長町の蛸薬師堂(2015年2月11日) 蛸薬師(長町4丁目)とイボのこと(2013年2月10日)
2020.01.01
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