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2026年3月20日の「春分の日」は、福岡県糸島市に存在する「神石(しんせき)」と称する”磐座(いわくら)”を訪ねた。(※この「神石」は、同市内に鎮座する「神在(かみあり)神社」の奥に存在する。)そこで冒頭画像は、古代において”おおいぬ座”の一等星「シリウス」が地上に投影され、設営されたと思われる「神石」を撮影したものである。(ちなみに、この「神石」はアニメ『鬼滅の刃』に登場する”一刀石”に似ていることからSNSで話題となり、当日も訪日外国人を含む見学者が多かった。)お陰さまで当日は天候に恵まれたこともあり、この「神石」を訪れる前に糸島市域(古代では”伊都国”の範囲)の、地元では「筑紫富士」とも謡われてきた秀麗な山容の「可也山(かやさん/標高365m)」に登ることにした。そこで上の画像は、当山を麓から撮影した画像である。実はこの「神石」(神在神社の境内)が設置された背景に、この「可也山」の山頂を起点とする”シリウス方位(真南から東に約20度の方位)”があったことを、事前に地図上(下の画像)で確認していた。つまり「可也山」の山頂から見た”シリウス方位”(下の地図では桃色の直線)とは、当山の山頂を天体観測の起点とした場合に、「シリウス」が”真南から約20度ほど東に振れた方向から昇る方位”ということだ。よって「神石」とは、古代より”夜空で最も明るい星”(夜の太陽)とされ貴ばれた「シリウス」の地上投影地として、「可也山」の山頂から見た「神在神社」の境内が古代人により選別され、「シリウス」を象徴する”球状の磐座”が設営されたと推察するところである。「可也山」の山頂へは、その南麓から登り始めたのだが、その尾根道のここかしこに目を引く磐座が存在していた。中でも最も印象に残ったのが上の画像に映る巨石である。この巨石は当山の八合目付近に存在しており、これに出会った瞬間に夜空の天頂に最も近づく一等星「カペラ」を感得したのであった。そこで、例えば「冬の星座」を彩る星々の「カペラ」と「シリウス」の関係をいえば、「可也山」の山頂から「シリウス方位」に存在する「神石」の方向を見遣り、「シリウス」がその位置にきた時に天頂を見上げると、そこに「カペラ」が輝いており「冬の星座」の全体像を展望できるというわけだ。上に並べた二枚の画像は、山頂の標識(上)と山頂近くに鎮座する「可也神社」の由来書(下)を撮影したものだ。当社の主祭神として「神武天皇」が祀られたことに当初は驚いていたのだが、”古事記”と”日本書紀”の編纂の詔勅を出した「天武天皇」と重なり観えてきて、なぜか合点のいく自分がいたのであった。次に上掲画像の二枚は、「可也山」山頂の北方にある展望台から、日本海側の玄海灘方面を撮影したものである。その上方は北方の玄海灘に広がる海原を撮影したもので、その画像中央の海上には、遠方に「小呂島」が映っており、当山頂から見ると反転した「シリウス方位」の”真北から約20度ほど西に振れた方位”に存在する。つまり「小呂島」⇔「可也山」⇔「神石」は、天体「シリウス」の観測に纏わる”三点一直線”の関係にあるということだ。そして上掲画像の下方は、展望台から東北方面を撮影したもので、その中央部に映る細長い島は、博多湾に浮かぶ「能古島」で、その左側に浮かぶ島は「志賀島」、そして右奥に映るビル群は博多区の繁華街である。加えて上の画像の、展望台から見て真東の方位(画像では右隅となる)に、「延喜式神明帳」に記載の”伊都国”の総社『志登(しと)神社』(主祭神…豊玉姫命)が、かすかではあるが映っている。実は現在でも、その『志登神社』の境内地あたりから、「シリウス方位」を基準とした”碁盤の目”のような格子状の通りが存在しており、その痕跡を見出した経緯は以下の関連記事に詳しい。※関連記事・・・シリウス信仰の痕跡 | 真理探究と歴史探訪 - 楽天ブログさて、ゆっくりと約5時間かけて「可也山」の登山と周囲の散策を堪能した後、午後4時ごろに「神石」に到着し撮影した画像が上である。その豊満な風情の貫禄あふれる「神石」との響き合いを楽しみ、噛み締めながら周囲を巡るのであった。するとフト…夜になれば「神石」の存在するこの場所から「シリウス」を見ることができるかも…という思いが浮かんだので、さっそく携帯の搭載アプリ「星座表」で確認すると、天候次第ではあるが可能性が高いことが判明したのであった。時間調整ということで近場の温泉に入浴し夕食を済ませてから、再び「神石」の存在する現地に向かい、「神石」の上方に「シリウス」(画像の中央に光る星)を見出した感動の場面を撮影した画像が上だ。そこで上に並べた二枚の画像は、左側が当日の午後4時頃、そして右側が午後7時頃に、ほぼ同じ角度から撮影したものである。まさかこの「シリウス」を象徴する「神石」の存在する聖地にて、おおいぬ座の一等星「シリウス」が実際に展望できようとは、まさしく「青天の霹靂」であった。さらに上の画像は、「神石」の上方に開いた暮れ泥む天空を撮影したもので、(ちょっと分かりづらいのだが)画像の下方中央の少し左側が「シリウス」、中央部の左寄りに「プロキオン」、中央部の右寄りに「ベテルギウス」と三つの一等星が形成する『冬の大三角』、その左斜め上に「アルデバラン」が映り込んでいる。そして下の末尾画像は「神石」を離れての帰り道に、夕暮れの西方に並んで見えた「三日月」と「金星」だ。この度の”春分行脚”の一部始終は…天空に見守られていた…と感じたところである。
2026年03月24日

今回は年末年始にかけて散策し、下の関連記事にある「山口と九州を貫く南北軸」の軸線に沿うかのように配置された三種類の「石造物」を紹介できればと思う。※関連記事・・・祭祀の原型『いわさか ひもろぎ』に触れて〈南北軸〉を俯瞰するそこで冒頭の画像は、上の関連記事に掲載した磐座の鎮座する神社から、車で約10分のところに存在する古代人により意図的に「円形状」(半球状)に加工されたであろう「石造物」を撮影したものである。次に上に並べた2枚の画像は、まるで”鏡”のように「円形状」にカットされた風情が確認できるよう、段階的に角度を変えて撮影したものだ。そこで興味深いことに、この「石造物」が存在する場所を紹介してくれた知人の話では、(当地域における展望の良い場所から)これまで経験したことのない明確で印象的な”UFO”(未確認飛行物体)が視認できたとのことで・・・その背景には、この「石造物」があったからではないか・・・ということである。実は、冒頭画像の加工された岩石を見て私自身が瞬時に思い出したのは、下の関連記事から抜粋した『太刀割石』を映した岩石(上の画像)であった。そのカッティングされた岩石の大きさがほぼ同じで、その全体的な傾き加減も似ていたからである。※関連記事・・・『太刀割石』の斬新な切口そして次に紹介する「石造物」は、「正方形」(正四角形)を象った石組みを垂直に立てたかのような「石門」(上下の画像)である。シンプルだが実に説得力のある幾何学的な配置である。この高さ約2mの「石門」を潜って向かう奥の高台には祠があるので、この「石門」は”神社祭祀”という観点からは、ここから御神域とする「鳥居」の意味合いが汲みとれた。そして末尾となる最下の画像は、この地域の重要地点を指し示す「石標」を撮影したものだ。この垂直に屹立する「石標」は、これまで”磐座巡り”をしてきた私的感覚からしても、確かにこの地域の”要所”に屹立していたのであった。以上、三種類の幾何学的な「石造物」を紹介したが、それぞれ500mも離れていない”特定の場所”に、おそらく意図的に設営されており、古代より当地域の人々に大切に守られてきた歴史を感じたところである。
2026年03月19日

本日2026年3月3日は、本来の「日本の正月」ともいうべき「旧小正月(旧暦1月15日の満月)」である。そして奇しくも本日は、日本列島の全域で『皆既月食』が観測できる日だ。▼月食の時刻(全国共通)部分食の始まり 3日(火) 18時49.8分皆既食の始まり 3日(火) 20時04.0分皆既食の最大 3日(火) 20時33.7分皆既食の終わり 3日(火) 21時03.4分部分食の終わり 3日(火) 22時17.6分そこで本日の冒頭画像は、3月3日の目出度い「ひな祭り」ということで、”ひな壇飾り”の最上段に置く「男雛と女雛」を模して、あるいは日本神話の「夫婦神」を代表する「イザナキとイザナミ」を象徴するかのように、自作の【五十鈴(いすず)】と題する「左巻きと右巻き」の二つの造形を並べて撮影したものだ。この「旧暦」に根差した本日の『旧小正月と皆既月食』を契機に、日本人の”目覚め”に向けて共に響き合っていきたいものである。※関連記事・・・明日は「旧小正月」※関連記事・・・『旧暦』のすすめ
2026年03月03日
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