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昨年末、■怪我で15日間、入院した。■今も、会社にはタクシー通勤をしている。お金はかかるし、お風呂には入れないし、ほんとうに、大変なことになったと思う。けれども、入院して、思ったことがある。それは、家族のありがたさ。夫は、毎日、数回、面会に来てくれた。娘と孫は、片道2時間かけて3回も来てくれた。本当は、毎日でも行きたかったらしいが、夫が止めたらしい。そのことで、娘と夫は大喧嘩したらしい。娘婿も来てくれた。妹と姪も兵庫県から来てくれた。退院後、寒いイギリスに暮らす、次女のレイに、私の体験を軽く書いて、凍った道には、気をつけてとメールした。いつもは、メールの返事の遅い次女・レイもこの時ばかりは、即、返事。そして、私に気をつけるように説教してくれた。入院中、友人たちは、日に何回もメールをくれた。退院して、ブログを見ると、アップしていないにも関わらず、沢山の方が訪問してくれたのが分かる。1月9日は、635 アクセスあった。これらのことは、けっして忘れまいと思う。よくなったら、おかえしをしよう。もちろん、腹の立つこともある。夫は、自分のジム通いのためのお茶が出来ていないと文句を言う。私が、どうしても行けない所に行って欲しいと頼んだら、「僕に休めと・・・?」と言う。代休でよく映画に行ったりしているから、そのついでにと思っただけなのに・・・。会社では、「代わりに来ていた●●君は、2~3時間でやってた」とオツボネ。数字を入力するだけなら私でもそれで済む。私は、振替伝票を切ったり、集金に行ったりと全てをやらなければならないのだ。そんな、ありがたかったこと、腹の立つこと、全て、忘れまいと思う。■□■2010.1月に見た映画■□■なし■□■書き残したネタ帳■□■*お守りブローチ*病院食■□■去年のネタ帳■□■*宮尾登美子「女の暦」*梅田のカフェ*松本清張短編集*中之島エリア=ダイビル。*西船場エリア=山内ビル、リストランテ・サリーレ、船場ビル、江戸堀コダマビル、日本基督教団大阪教会、ダコタハウス、菅沢眼科クリニック、京町ビル、安田ビル、崎山ビル。*能登半島・羽咋(はくい)と松本清張「ゼロの焦点」*能登・七尾線*こんなものいらない:なぎさドライブウエイ*石川県の松:松くい虫・黒松の育ち方*消える砂浜(年間1m~1.5m)*アサリ採り*朝の散歩で見たものは:ごみ、貝、そして北から来るもの・・・。*娘レイの引越し。*カヌー体験*カワウ*小幡デコ*選挙と消費税*「ナラタージュ」*友人とメール:派遣*住宅政策*体調の不安*花に恨みはないけれど:桜だらけ*四国紀行*古いまち並みで思う、いらない飾り*高知城で知る危機管理*京都府・舞鶴市の倉庫郡*舞鶴引き上げ記念館*朝鮮帰国船事故*梅の古木*日野*平凡な地名*古い地名*大根のクビ*日野の観光協会*ホエール・ウオッチング*京都ネタ*高級ホテル(高級はくせになる。朝食)*孫と遊ぶ(百人一首、その後の「桃太郎」の妄想)*オバマ大統領誕生*今年の目標、去年の目標。*茨木のり子の詩「鶴」・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.31
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「啄木の短歌は、とんでもない!」と糸井重里さんも驚嘆。親孝行や清貧という石川啄木のイメージは大誤解だった!?本当は仕事をサボって友人に借金をしては女の人に・・・。そんなサイテーな「石川くん」をユーモラスに描いた爆笑エッセイ集。啄木短歌、衝撃の現代語訳つき。 ■「石川くん」試し読みはこちらへ■ お正月に読もうと、図書館で借りた本。実は、数年前にも読んだことがあったけど、あまりに面白かったので再読。枡野浩一が天国の石川啄木宛てに、手紙を書くという様式。本の中で枡野浩一は啄木を石川くんと呼んでいる。石川啄木といえばはたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見るという歌が有名。しかし、啄木は、あまり働かなかった。教職についても、辞めて、さっさと単身、上京する。なんのあてもなしに・・・。新聞社で働いても、数か月で辞めた。ちゃんと働いていれば、女房子供、母親も養える給料をもらっていたにも関わらず、仕送りもせず、自分は東京でひとり暮らし。愛人まで作って・・・。その上、同郷の友人、*金田一京助くん*から借金をしたり、部屋に転がりこんだり・・・。ほんとうに、やりたい放題の石川くん。自分の心をありのままに、過激に歌ったというところは、現代に生きていたら、「毒舌歌人」などともてはやされるかも。そんな代表的な啄木の歌。一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねと祈りてしこと石川啄木一度でも俺に頭を下げさせたやつら全員死にますように枡野浩一(現代語訳)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.28
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私の祖母は、私が6歳の時に死んだ。父や母から聞いた話では、手八丁口八丁のやり手だったそうだ。しかし、思い出の中の祖母は、奥の部屋の片隅にひっそりと寝ていた。そんな祖母にとって、部屋をウロウロする私は、格好のなぐさめだったのかよく、「来い、来い」と手招きした。けれども、幼い私は、薄暗い部屋よりも光あふれる、賑やかな戸外に心をひかれた。ある時、祖母は私に「これを孝雄(仮名)に渡してくれ」と白い紙を渡した。孝雄とは、父の8つ離れた弟で、同じ村に住んでいた。当時、薬は、真四角の白い小さな袋に包んで渡されていた。祖母は、薬を飲んだ後の紙に鉛筆で手紙を書いたのだ。当時の私にはカタカナだらけの文字は読めなかった。祖母は近所に住む叔父に何を書いたのだろう?私の家よりも豊かだった叔父に金の無心をしたのだろうか?食べたい物を買ってきてくれるように頼んだのだろうか?会いに来てほしいと頼んだのだろうか?しばらくして、「孝雄に渡してくれたか?」と聞く祖母に「うん・・・」と私は答えた。しかし私は叔父に祖母の手紙を渡さなかった。なにか、うちの家の悪口を書いていたら大人たちが困ると子供心に思ったのだ。その後、数回、祖母から手紙を託されたがその度に誰にも内緒で握りつぶした。昨年12月末に私は怪我をして入院をした私を6歳の孫が見舞ってくれた。私のベッドの上に乗って、無邪気に喜ぶ孫の顔を見て、ふと遠い昔を思い出した。あの時、祖母の手紙を叔父に渡した方が良かったのではないか・・・。50年以上前のことが、いまでも抜けないトゲのように私の心にささっている。■父の麦わら帽子■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.26
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天地 はるな様ふぇりす あにょ ねぇぼ!「明けましておめでとうございます」のスペイン語バージョンです。お恥ずかしながら、ワタクシ、去年からほんの少しだけ、スペイン語をかじりはじめているのです。「て きえろ(好きだよ) せにょりーた」なんて言われる日も遠くないかも。きゃー。ほんと、昨年は、いろいろいろといろんなことがありましたが、どれもこれもわたしにとって「芸のこやし」ちゃうちゃう「心の糧」になることばかりでした。悔しいこともあったけど(はるなさんならお分かりでしょう)。このお返しは、いつかきっと必ず・・・。ふっふっふっ。 それはそうと、お正月はNHKの朝ドラ「ふたりっ子」(欠かさず見ているのだ)の舞台になっている、かの有名な「新世界」に行って来ました。生まれも育ちも大阪のくせに1度も行ったことがなくて、いつかいつかと夢見ていたのです。で、やっと行く機会が出来て、「ちょっと、ドキドキ」しながら「通天閣」を目指したのですが、思った通り混み混みで泣く泣くあきらめることに。でも、その混み混みの泣く泣くあ思わぬ方向に・・・。人生というのは分らないものです(何のこちゃ)。その思わぬ方向とは。「通天閣」のすぐ横にある歌謡劇場が目にとまり、出演者を見てみると、その「ふたりっ子」に出てくる「オーロラ輝子」のモデルになっている?叶麗子」の名前が。せっかくここまで来たんだからと観ることに。感想?緑を保全する市民運動に入って価値観が変わったように、自分の価値観がいかに固執したものであるかを改めて思い知らされました。と言うのは、「演歌」は正直申し上げて「ダサダサで大キライ」だったんですが、ドサ回りしている演歌歌手の歌にかける情熱を目の当たりにして、なんだか感動してしまったのです。何の気取りもない歌い手とお客を見ていると、私の言う「ダサダサ」って一体何なんだろうと(うーん、なんて哲学的)。 とにかく「新世界」はパワフル。「250円也」のマフラーを買ったり(自分では「ええやん」と思ってるんですが・・・。今度して行きますね)、ジャンジャン横丁で、串カツ&ドテ焼きを食べたりと、めいっぱい楽しんできました。来月は通天閣に登って「叶麗子ショー」&「コーンコレクション」を観て・・・。どうやら、すっかり「新世界」にハマってしまったようです。いやはや、人生というのは分らないものです。 もうひとつ、お正月で「グー」だったのがTV。NHKで「映像の時代ー20世紀の記録なんとか」というのを幾日かに渡って放送していたのですが、大ヒット!でした。私が見たのは政治・戦争モノで、何がどうなってこうなったとか全く理解出来ていなかった歴史オンチの私にとっては(「安保」がなんなのかも最近分ったくらいのバカタレなのです)とても分りやすく作られていました。また、その当時の音楽の特集(これは年末かな)を見た後だったので、どうしてこの時代にこの音楽が・・・というのも重ねて見ることが出来(相乗効果というのでしょうか)、今までにない、ラッキーなお正月が過ごせました。人生というのは分らないものです。ホンマに(ええ加減、しつこいでー)。今年は一体どんな年になるのか想像もつきませんが、やりたいことをやっていこうと思っています。と書くと、今以上やりたいことやってどないすんねんと言われそうですが。ははは。今年もどうぞよろしくお願いします。 浜辺 遥追伸:新世界はパリの「エトワール広場」、通天閣は「エフェッル塔」をイメージして作ったそうです。◆「おしゃれ手紙」は今から15年ほど前に書いたものです。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.23
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♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・(某国営放送の料理番組の音楽)みなさん、こんばんわ。天地 はるなの「ごちそうさん歌」の時間がやって来ました。■年末に骨折し、年末年始を病院で過ごした、天地 はるなです。女性は加齢と共に、骨が弱くなるという現実を身をもって知ったのですが、そこで今日は、骨に料理をご紹介します。<材料>**小松菜**うす揚げ*チリメンジャコ*だし汁+醤油*みりん<作り方>1.小松菜は塩を入れたたっぷりの熱湯でゆでて絞り、3センチの長さに。2.うす揚げは、よく焼いた網で両面に焼き目をつけ、3センチの長さで幅、7~8ミリの短冊に切る。3.<1>にだし汁、醤油、みりんを加え、 <2>のうす揚げとチリメンジャコを加えて和えれば出来上がり。チリメンジャコはもちろん、小松菜もカルシュームがを含む食物。うす揚げはタンパク質の豊富な食物。簡単で栄養価の高いメニューと言えます。今年も、皆さんがお元気ですごせますように・・・・。、それでは、次回、お会いしましょう・・・。♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・。小松菜の 青葉のさきに 早春賦**■小松菜■**ビタミン、カルシウム、カリウム、鉄など、ほうれん草に含まれる栄養分に似ていますが、ビタミンB2の量は野菜の中でもトップクラスで、カルシウムの量は、ほうれん草の5倍です。カロチンの量も同じぐらいなので、総合評価ではほうれん草より栄養価が高くなっています。●骨折のため、本日より、随時更新します。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.21
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今すぐスタート!地球のためにできる30のこと:その20■インテリアにリサイクルアイテムを!中古品、工業製品を作る過程でいらなくなった端材などを素材に、デザインとアイデアを加えてセンスのいいインテリアを生み出すフィンランド生まれのリサイクル・デザイン・ブランド■*「Secco」*■。洗濯機のドラムの部分のステンレスを使ったトレイや使い古しのタイヤチューブを使ったコンテナ・・・と、廃棄物から生まれたとは思えないカワイイ小物がラインナップされている。***環境問題を意識した生活を送る、と考えるとなんだか難しそう。でも本当は、頭で考えるよりずっと簡単なことばかり。今すぐできる小さなアクションから地球を守ろう!「エル」エコ特集より■地球にできる30のこと■ Secco(せっこ)の素敵なアクセサリー、一度見てみたい!でもリサイクルは、時々することではなく、常にすること。となれば、自分でするのが一番。今のように使い捨て社会でなかった頃、全てもものがリサイクルされていた。写真のちゃんちゃんこも、七五三かお宮参り用の晴れ着をリサイクルされたもの。松、竹、亀甲、扇、打ち出の小づちなどなど目出度い模様がいっぱい。親戚の家にあったものをもらったもの。今度孫が来たら着せよう(^-^) 自分でちゃんちゃんこが縫えない私は、余っていた晒で花ふきんを。白い布に赤い糸でグシグシ縫って、模様兼強くする。この模様の他に「麻の葉」とか「お城がけ」などいろいろな模様がある。 パッチワークキルトもリサイクルの代表。アメリカでは昔、女性たちが集まって、おしゃべりをしながら行うキルティング・ビイーという集まりがあったそうだ。お互いに話に花を咲かせて、裁縫の腕を競ったのだろう。こんな風に生活の中にリサイクルが当たり前にあったらいいなと思う。今、本当に必要なのは、モノより、リサイクルする腕とアイデアだと思う。**SECCO(セッコ)について**セッコは2003年、フィンランド中部の町、ユヴァスキュラで生まれました。創業者のニーナ・パルタネンは、それまでIT企業などのビジネスコンサルタントをしながら、日々進む環境問題に危機感を覚えていました。セッコのデザインコンセプトは、ハイクオリティで機能性があり、かつ、できるだけ元の素材の形状や特徴を残すこと。これは製造・加工過程での新たなエネルギーや材料を省くだけでなく、ユーザーが「廃材からできたものである」ことを理解しやすいように、という考えから来ています。 ■SECCOのHPより。■●トップの写真は、廃棄された携帯電話やリモコンのボタン部分をリサイクルしたものです!ヽ(゜∀゜)ノ●下の写真は、使わなくなった火鉢の中に小さな箱を入れて和室用のくずかご。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.15
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2009年■12月29日(火)自転車で転倒。自力で救急車を呼び、病院へ。レントゲンの結果、骨に異常なしと言われたけれど、ねばって3日間の様子見入院。★年の瀬や尻もちの痛み持ち越せり■12月30日(水)再度、レントゲンを撮った結果、第2腰椎圧迫骨折。絶対安静。入院が3日から一週間に延びた。■12月31日(木)病院は年末年始休み。医師も来ない。★3日目の一句が出ずに四苦八苦 2010年■1月1日(金)正月休み★病院のベッドの上にも初日さす■1月2日(土)妹と姪が姫路の近くから見舞いに。*パジャマ*2枚、肌着各2枚、ガウン、見舞い金、小説と漫画数冊ずつ。ありがたし。★紫のパジャマが今年の*ショウガツゴ*■1月3日(日)病院は正月休み。ケイタイが使えてよかった。★仰向けで思いを飛ばす*Eメール*■1月4日(月)医師が来る。コルセット屋も来て採寸。病院は今日からいつもの体制。ホッとする。会社からは何度も仕事の問い合わせ。仰向けに寝たまま、風呂に入る。★ドクターの白き衣に安堵する■1月5日(火)医師とリハビリスタッフが来る。リハビリスタッフはイケメン。寝たままで軽いリハビリ。この日も何度も会社から仕事の問い合わせ。★初春や医師の衣に日の光■1月6日(水)医師とイケメン・リハビリスタッフが来る。娘から電話で明日行くとのこと。部屋が乾燥しているので家からパックを持ってきてもらう。★入院やベッドの上で初パック■1月7日(木)医師とイケメン・リハビリスタッフが来る。コルセットが出来上がって来た。娘と孫が来る。孫と寝たままゲーム。★コルセットで痛みこらえて初笑い■1月8日(金)医師とイケメン・リハビリスタッフが来る。この日からリハビリ室で本格的なリハビリ。スタスタ歩けるのでB1階から1階まで階段で上がる。退院は3連休明けの火曜日となった。会社から仕事の問い合わせあり。★退院と聞いて痛みも軽くなり■1月9日(土)医師休み。イケメン・リハビリスタッフと最後のリハビリ。娘、孫が来る。■1月10日(日)病院は休み。娘夫婦と孫来る。お年玉を渡す。★入院をしても渡すやお年玉■1月11日(月・祝)病院は休み。■1月12日(火)医師来る。午後退院★骨折の窓から見える茜空★入院や家族の存在思い知る**ショウガツゴ**正月の晴れ着。同じような言葉で祭りの晴れ着をマツリゴ、盆に着る晴れ着をボニゴという。**Eメール**私の入院していた階は外科なのか、メールOK。電話も緊急の場合のみ、許可されていた。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.13
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浜辺 遥さま昨年は、■「**緑地を、ふるさと公園に」■という長年の夢があんなことになって・・・。でも、遥さんからのキャピキャピのお便りに、はげまされ、それなりにいい年でした。今年こそ、なにかいいことがあって欲しい年・・・。今年、私は年女なんですもの。この一年、有意義に過ごしたいと思っています。だって次に年女になるまで12年もかかるんですもんね。毎年、お正月になると、わが家の食器ががらりと変わります。いつもは藍の器が好きなので、そればっかり使っているのですが、お正月は赤がメイン。遥さんの気に入ってくださった「さりげなく」から「それなりにデコラティブ」となります。大皿、手塩皿、塗りの椀、湯飲み茶碗に急須は久谷焼き。富士山の絵のお盆も赤。それに椿の模様の小ぶりの重箱も。藍のものもありますが、松竹梅の図柄のめでたづくし。いくら生活の中から「ハレ」と「ケ」がなくなったといっても、お正月は「ハレ中のハレ」の日。ついつい、リキが入るのです。というと、ものすごく食器に凝っているようにきこえますが、これらは、みんなもらったものばかり。「どの子」もみんなお気に入りですが、さすがに普段は使いません。「この子」たちは、お正月の数日間のために1年のほとんどを戸棚で暮しているのです。なんだか、セミのようでしょう?そんな、彼らをいとおしく思っています。 それに、これらの食器を譲り受けた人たちのことや、そのときの思い出なんかもあって、そこつ者の私も慎重です。とはいっても壊れることはあって、そんな時は、超悲しい。だって、思い出の証が壊れたような気になるんですもの。器ひとつでも、こんなに悲しいのですから阪神大震災で被災された方たちのことを思うと胸が痛みます。器だけでなく、写真も家も庭も、街も、親しかった人たちまでも、いなくなるなんて・・・。いつもノウテンキな私ですが、ちょっとシンミリしてしまいました。ところで、遥さんは、どんなお正月を過ごされたのでしょうか。私の理想のお正月はあ向田邦子の原作で毎年1月に放送されるドラマ(黒柳徹子のナレーションのあれ)のようなきちんとしたお正月。お正月のために家中で大掃除をしたり、お餅を搗いたり、晴れ着を着たり、お年始に行ったり、百年一首をしたり、火鉢でお餅を焼いたり・・・。でも、もうTVドラマの中でしか残ってないんのでしょうね、あんな本物のお正月。そんな、ほんまもんのお正月に憧れながらも「TVとこたつの日々」。ウソっぽいお正月を毎年過ごしている私。そんなこんなで、今年もミーハーの王道をゆく、はるなです。今年もどうぞ、よろしくね。 天地 はるな◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆器歳時記:鶴の皿◆「おしゃれ手紙」は、今から15年ほど前に書いたものです。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.11
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あけましておめでとうございます!!2004年から毎月、月のはじめには、本から選んでその月にふさわしい文章をと考えてアップしていました。■やさしい生活■2004年■園芸家12ヵ月■2005年■インテリア歳時記■2006年■昭和恋々■2007年■サルビア歳時記:季語■2008年■サルビア歳時記:三カ条■2009年今年は、なににしようと考えた末、「器歳時記」というのを書くことに。私たちは、毎日、3度の食事をします。その時、何気なく使う食器をは、どういういきさつで手に入れたものか、どんな思いでがあるのか・・・。いつの時代のものか、どんな時に使うのか・・・。器、特に、昔の器の大好きな私は、いろんな所で手に入れた器に感謝を込めてここに、アップしていきたいと思います。記念すべき、最初の器は*丹頂鶴*の絵の皿。作られた時代は不明。鶴といえば、めでたいものの象徴。正月に使うににピッタリ。そう思って、近所の保育園のバザーで1枚、70円か80円で6~7枚買ったもの。もう30年近く前になります。お正月のおせち料理を重箱から取り出す時に使うのに使います。家には松竹梅の模様の「てしょう」と呼ばれる小さな皿もあるのですが、この皿は「てしょう」より一回り大きい。大ぶりの紅茶のソーサーくらい。だから、取り皿にピッタリなのです。おまけに、白い部分が多いから、料理が映える!鶴の絵は、頭にてっぺん、口ばしと胸、それに尾の部分のみが描かれ他は描かれていません。でも羽に当たる部分に羽らしい凹凸があって、描かれない方が「深い」のです。本当は描いた方が簡単なのに、わざわざ、こんな手の込んだことをするなんて、ニクイ!!毎年、そんなことを思いながら、使っています。**丹頂鶴**タンチョウ(丹頂、学名:Grus japonensis)は、ツル目ツル科の鳥類である。丹頂鶴(たんちょうづる)とも呼ばれる。「丹」は「赤い」、「頂」は「頭頂部」の意。 アイヌはタンチョウをサルルンカムイ(湿原の神)と呼ぶ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2010.01.01
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