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突然、一昨年からふらつきがあったりして体調が不調だった。それが大きく現れたのが■2012年1月27日■今月で1ヵ月。毎日薬を飲み、毎週注射をし、毎月薬をもらい診察を受ける。その間にMRIやレントゲン、血液検査がある。1年で30万円以上の医療費を使ったせいかまあ、今のところ元気だ。私はお金を払えたけれど、ない人は治療を受けられない。治療費って馬鹿にならないのだ。と私がこぼすと、癌の友人もお金がかかると嘆いていた。私はいいにしても、癌患者にお金の心配をさせるって・・・。難病指定というのがあるがほとんどの病気は難病なんだけれどな・・・。 ■映画2013年1月見た映画■*ひまわり*アナザー・カントリー*もうひとりのシェークスピア*エンド・オブ・ザ・ワールド*東京家族*アルバート氏の人生来年そうそう見たい映画を12月に書いておいたが、そのうち4本は見た。★見たい映画★ 1/5:アナザー・カントリー(済) 1/12:もうひとりのシェイクスピア(済) 1/18:アルバート氏の人生(済) 1/19:東京家族(済) 1/25:ライフ・オブ・パイ 1/26:みなさん、さようなら 1/26:塀の中のジュリアス・シーザー 2/1:マリーゴールド・ホテルで会いましょう 2/2:人生、ブラボー! 2/8:ムーンライズ・キングダム 2/9:東ベルリンから来た女 2/9:ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ 2/23:命をつなぐバイオリン2/23:八月の鯨 ■書き残したネタ■*魔法瓶*新・午前十時の映画祭 *悲しみや苦しみを見つめること。*排熱エネルギー*新党未来 *東京駅の特別な出口 *領土問題 *「二年間の休暇」の難点。 *土人、女性は家事をすることが好き。 *キラキラネーム *和泉市の美術館 *もっと緑が欲しいのだ!(駐車場) *「清貧の思想」 *橋元大阪市長 *みどり学 *ファーストレディ *「小石川の家」 *あさぶら *小説「アーレンガート」 *「北極星」 *アルミ缶エコ *江戸時代、和歌山の防災意識 *子供と春の花と桜 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月31日*里山の旬だより:寒い時の食べ物 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.31
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■アルバート氏の人生:あらすじ■本当の自分は、タキシードの下に隠して生きてきた・・・。19世紀のアイルランド。モリソンズホテルでウェイターとして働くアルバート(グレン・クローズ)。人付き合いを避け、ひっそりと生活しているアルバートは、長年、誰にも言えない重大な秘密を隠してきた。それは、“彼”が貧しく孤独な生活から逃れるため、男性として生きてきた“女性”だったということだった…。ある日、ハンサムなペンキ屋のヒューバートがアルバートの働くホテルにやってきた。自分らしく生きる彼の存在に影響され、アルバートは自ら築き上げてきた偽りの人生を崩し、本当の自分らしさを取り戻していく。不遇な人生を生き抜くために男性として孤独に生き、女性としての真のアイデンティティを見失ったアルバートが、自分らしく生きる≪希望の扉≫を開き始める。 19世紀のヨーロッパのインテリアや服装って素敵!!ホテルのカーテンは茶色地に水色の大きな植物!!ホテルのメイドたちの黒い服に白いエプロン姿。襟のレエス(レースではなくレエスといいたい)がいとおかし。これマネできるからこんな格好しようかとまじで思った。雪の日に黒い傘をさしてたたずむアルバート氏は悲しみがにじんでいるようで美しい。編んだ布団叩き?みたいなのがあったり、休憩の時のお茶道具の素晴らしさ・・・。私も納得のいく茶器を買おう。(ノД`)お客さんたちの持っている鞄、乗り合い馬車・・・。とりわけ素敵だったのが、アルバート氏の部屋のベッド。黒い鉄でできたベッドヘッドの模様がシンプルだけど何度見ても飽きない美しさ・・・。ベッドが欲しいと思っているけど、こんなのを探そう・・・。弱者の孤独と闇に迫るストーリーもよかった・・・。ハンサムなペンキ屋のヒューバート(ジャネット・マクティア)のカミングアウトにはビックリ仰天!!この映画は、■第84回アカデミー賞■の*主演女優賞*助演女優賞*メイクアップ賞の3部門にノミネートされている。女優のグレン・クローズが82年に舞台で演じた「アルバート・ノッブス」を、自ら企画して脚本を書き映画化したもの。よくぞ、映画化してくれたという思いだ。それなのに、上映している映画館が少ない。もったいない・・・。■背景にあるのは、「貧困」と「貧困への恐れ」■この物語の背景にあるのは、貧困と、貧困への恐れが非常に大きな影響力を持った19世紀後半のダブリンだ。仕事や地位を失うと、数週間のうちに路上生活者になってしまうような時代。それでも、現代的に感じる。自分らしくあるための方法をどうやって見つけるのか? 人目を避けて生き、生き残るため誰かを喜ばせなければならない。それはどんな人々にとっても無関係ではないことだ現代にも通じる物語だ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月29日*ごを焼きて 手拭あぶる 寒さかな *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.29
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■東京家族:あらすじ■おかしくて、かなしい。これは、あなとの物語です。2012年5月、瀬戸内海の小島に暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子供たちに会うために東京へやって来た。品川駅に迎えに来るはずの次男の昌次(妻夫木聡)は、間違って東京駅へ行ってしまう。せっかちな周吉はタクシーを拾い、郊外で開業医を営む長男の幸一(西村雅彦)の家へと向かう。「全く役に立たないんだから」と、不注意な弟に呆れる長女の滋子(中嶋朋子)。掃除に夕食の準備にと歓迎の支度に余念のない幸一の妻、文子(夏川結衣)。やがて周吉ととみこが到着し、大きくなった二人の孫に驚く。ようやく昌次も現れ、家族全員が久しぶりに顔を合わせ、夕食のすき焼きを囲んだ。説明:尾道に暮らす老夫婦が、東京にいる子どもたちを訪ねて上京してくる。だがそれぞれの家庭の都合を持つ彼らから邪険に扱われてしまい……。戦後日本の家族の姿を描いた傑作「東京物語」。その「東京物語」をモチーフにした作品というがリメイクって感じ。舞台は1912年というけれど、昭和40年頃の古い雰囲気。★主人公夫婦が古い。瀬戸内海の島から東京に出てきた老夫婦が古い。妻は68歳(だったと思う)だが、あんなゆっくり話をする60代はいないだろう。夫もゆっくりと話すがこれは「東京物語」で老人を演じた笠智衆の真似?旅先に着物を持って行って着る女性っているの?★会話が古い。内容も言い方も古い。今、こんな人いるって感じ。会話は昭和20年代から30年代って感じ。★インテリアが古い。東京で開業医をしている長男の家、古すぎるわ。うちだってこんな雰囲気じゃないわ。なにもかも古いというか古臭い感じだった。「東京物語」は当時はピッタリだったかもしれないが60年後は無理だ。そう思ったから最初から見るつもりはなかったけれど、「ライフ・オブ・パイ」が満員で見た。(ノД`)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月28日*トリビアの井戸:コナモン文化 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.28
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■エンド・オブ・ザ・ワールド:あらすじ■♪音が出ます!君に出会えたから世界の終りも怖くない。地球に衝突する小惑星マチルダの破壊作戦が失敗に終わり、人類の滅亡が避けられないと判った日、保険セールスマン、ドッジの妻は何も告げずに去っていった。小惑星衝突まであと3週間。周囲の人間が酒やドラックに溺れる中、普段と変わらぬ生活を送るドッジは、隣人の奔放な女性ペニーが泣いているのを見つけ、「最後の飛行機に乗り遅れて、イギリスの両親に二度と会えなくなってしまった」と嘆く彼女と初めて言葉を交わす。 翌日ドッジはペニーから、彼女のもとに誤配達された3年分の自分宛の手紙の束を渡されるが、そのときの会話から、思いがけない事実を知ってしまう。ドッジの妻はずっと、彼が仕事に行っている間に浮気していたのだ。残酷な現実を突きつけられ、激しいショックを受けたドッジは荒れ狂い、夜の公園で自殺を図る。 地球滅亡、最後の晩餐に何を食べますか?最後に何をしたいですか?そして誰と過ごしたいですか?という問いが時々ある。何を食べても何をしても最後だと思うと味気ないと思う。しかし誰と過ごすかは、皆気になるところだ。惑星の衝突で地球が滅亡するとなると皆、自暴自棄になる。破廉恥はことをする。主人公・ドッジは、家族に会うためにイギリスに帰りたいと願う女性・ペニーをイギリスに送ることにする。車で送っている間にドッジとペニーは心が通い合う。あなたなら、誰と何をして過ごしたいですか?そう問いかけられたような気がする。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月27日*刃柄(はつか)を祝う *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.27
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私の子どもの頃の暖房器具といえば火鉢だ。どの家にも陶器の大きな火鉢があった。しかし寒さは防げるわけもなく、いっとかんと呼ばれるブリキの缶の上の部分をとってその中で火を焚いた。もちろん、家の中でだ。子どもたちは寒くても外で遊んだ。家は隙間だらけだったのでちょっとやそっとでは、間に合わないのだ。夜には、ほとんどの家が櫓炬燵(やぐらごたつ)で寝ていた。■櫓炬燵(やぐらごたつ)■は、木でできた箱のようなものの中に炭火を入れて暖をとるものだ。その炭も自分の家で使った火の残りを消し壺に入れて作った。うちには櫓炬燵がひとつしかなくて、それを家族中で使っていた。八畳の部屋の真ん中に布団を敷き櫓炬燵を置く。櫓炬燵を囲むように数組の布団を敷き寝るのだった。私たち家族は、冬の夜は、きびしい寒さの中、春が来るのをじっと身をひそめて小動物のように待っていた。■昔の生活道具■ 陶器の湯たんぽ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.26
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■もうひとりのシェークスピア:あらすじ■「ロミオとジュリエット」「ハムレット」・・・。あの名作を書いたのは別人だった。16世紀のイングランド。エリザベス一世統治下のロンドン。宰相として権力を振るい、王位継承者にスコットランド王ジェームスを据えようと企むウィリアム・セシル卿は芝居を忌み嫌い、それが民衆にもたらす力を恐れて弾圧する。それを目の当たりにしたオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアは、セシルの陰謀に反抗するように、自作の戯曲を劇作家のジョンソンに託し匿名で上演させる。芝居は喝采で民衆に迎えられるが…。エリザベス王朝の愛と陰謀が交錯する歴史ミステリー。もうひとりのシェイクスピア - goo 映画 ウィリアム・シェイクスピアが本当に作品の作者なのかという論争は18世紀にはじまった。理由は●彼自身による自筆の原稿は存在しない。●遺書には本や戯曲のことは一切触れていない。●公式の文書には6つの違った署名が存在する。などがある。「もうひとりのシェークスピア」では作者は貴族であるとしている。昔、日本でも芝居は賤しいこととされていたがイギリスでも庶民の娯楽だった。だから貴族であるオックスフォード伯エドワードは作者だと名乗れなかった。もうひとつ隠されていたことがある。それは、■エリザベス女王■とオックスフォード伯エドワードとの過去の恋愛。女王は生涯結婚しなかったが男性関係は多かった。オックスフォード伯エドワードもそのひとりだ。シェークスピアは誰かという謎と女王との恋愛関係。そのふたつのミステリーがこの映画のテーマ。しかし、最後に、どんでん返しともいうべき過去が・・・。 エリザベス女王役にはヴァネッサ・レッドグレイヴ。この人、大好き。この人の役柄はイギリスの良き時代の上流階級をやらせたらこの人の右に出る人はいないだろうと思っている。「ジュリア」、「ハワーズエンド」、「ダロウェイ夫人」、「上海の伯爵夫人」、「ジュリエットからの手紙」私が見ただけでもこれだけある。反体制の闘士としても有名だ。その政治的発言やデモへの参加などでもよく知られている。1970年代には兄弟のコリンと共にWorkers Revolutionary Partyを立ち上げ[国会議員に立候補したこともあるが、当選はしなかった。日本では原発反対を表明したといって山本太郎が芸能界での活動が出来なくなったが外国ではこんなに活躍できるのだ。若い頃のエリザベス女王役は実の娘だという。親子共に美しい。父母共に俳優だった。■この頃の男性は頬紅をつけたりしていた。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月24日*サルビア歳時記:1月の三箇条 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.24
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■「おしゃれ手紙」を読んでくださった皆様へ。■なんやかんやと身の程も知らずに「おしゃれ手紙」を書き続けてきましたが、私の思っていた「おしゃれ」は、今から考えるとホント、チンケなものでした。与えられた価値観にどっぷりと浸かっているくせに、「これが私のおしゃれ」などと主張して、「嗚呼、無知ほど、おぞましいものはない!」そんな思いもあって、先日、M氏と「おしゃれな人」について話をしたのですが、「何よりも、頭の中身がおしゃれかどうかやね」という結論にいたりました。しかし、この頭の中身がクセモノで、ファッションやインテリアのように騙しは効かずますます、頭の中がこんがらがって「おしゃれ」どころではなくなる。「嗚呼、無知ほど、おぞましいものはない!」 で、今朝ほど「おしゃれ」とは、頭の中身にしろ、ファッションにしろインテリアにしろ、誰かに与えられたものではなく自ら啓発していくものだー、と閃いたのですが、はてさて、どないなもんやろか。そのためには、常に自分はどう思うのか、どうしたらいいのかという「ワタクシ」の意見が必要とされるわけで、思慮にふけるという動作をしてこなかった私にとってはそれはそれは厳しい試練の日々です。脳味噌にはシワは入れなアカンけど、眉間にシワは入れたらアカンしー。でも、これが自分の自己確立につながると思うし、いろんなことに興味・関心が出てきて以前より容量が少しばかり大きくなってきたと思うのは、あながちウヌボレではないと思うのですが、これもまたどないなもんやろか。 そんな中、ヒジョーに個人的ではあるのですが、最近、自分自身のあり方から「もう一度」という言葉が気になりだしました。再出発。再発見。再利用。いろんなところに、もう一度は存在するのだ! 「おしゃれ手紙」は終わったけれど、私は「もう一度」自分のために「おしゃれ手紙」を書き続けていきます。そう、私にとって「おしゃれ手紙」は永遠なのだから・・・。最後に、みどり系の通信に「おしゃれ手紙」を25回も掲載させてもらえて紙の無駄遣いとのお叱りも受けず、読者の皆様に感謝するばかりです。ありがとう。連載半ば、自己嫌悪から、いろいろなことがあったのですが「おしゃれ手紙」が心の支えになってくれました。「おしゃれ手紙」の終わりは寂しいけれど、この間に、同じような志を持ったグループが各地でいろんな種を蒔いた成果として、吉野川第十可動堰の建設是非を問う住民問う投票が今しがた開票され、反対派が多数を占めたとか。「やったー!」これは、日本にとってベルリンの壁崩壊に匹敵するものかも知れません。「訴え続けることが私の仕事です」。あるテレビ番組でフィジーの学生が熱く語っていました。そや!あきらめたらアカン。あかんたれの私をここまで成長させてくれた「おしゃれ手紙」に感謝!MUCHAS GRACUAS(ありがとう)浜辺 遥(はまべ はるか)◆おしゃれ手紙◆・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月22日*アロハシャツのトリビア *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.22
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■トキワ荘の時代■の後、「トキワ荘青春日記」を読んだ。藤子不二雄Aが書いたものだ。★藤子不二雄藤子 不二雄(ふじこ ふじお)は、藤本 弘と安孫子 素雄の共同ペンネーム。1951年にコンビを結成。足塚不二雄などの名義を経て、1954年から、コンビを解消する1987年まで使用。昭和19年)9月に、安孫子が、藤本のいる高岡市立定塚小学校に転校してきて、同じクラスになった。安孫子が休み時間にノートに漫画を描いていたところ、それを見た藤本が話し掛けたことで2人は仲良くなり、いつも一緒に遊んでいたという。幼馴染のこのふたりは、一緒に書いていたのかと思っていたが部屋も別に借りて作業も別々。金銭管理は藤本弘がやっていて、そこから給料の形で支給していた。★手塚治虫手塚治虫は漫画家を目指す人たちには神様のような存在だった。その神様が、使っている部屋を使ったらどうかという願ってもない話があった。敷金は、置いて行くという机ももらったし、手塚の人柄は、その才能と共に皆に愛された。★読書家よく本を読んでいる。古本を買ったり、トキワ荘の人たちの間での貸し借りはよくしている。昭和31年2月19日の日記は下記のようである。古本屋で織田作之助「青春の逆説」を30円で買う。藤本の部屋へ行く。借りていた本返す。★懐かしい名前寺田ヒロオはもちろん懐かしい。しかし、もっと懐かしい、というか、この本を読むまで忘れていた名前がある。山根兄弟。昭和32年12月24日のクリスマス会に会ったメンバーの中にいたが、さっするに山根赤鬼、青鬼兄弟のことだろう。調べてみると二人は双子だった。また「のらくろ」で有名な田川水泡の弟子だったそうだ。田川水泡といえば、トキワ荘に住んでいた森安直哉も弟子で田川水泡からもらった机で漫画をかいていた。★映画好きヒマと金さえあれば映画に行っている。ヒマも金もなくても行っている。トキワ荘に住む赤塚不二夫は、石森章太郎に映画をおごってもらっていた。★ファンレターファンレターには返事を書いていたようだ。また漫画家志望の若者やファンがよく訪れていたようだ。★スタジオゼロ「やろうよ、漫画映画を」ふだんはもの静かな藤本弘が口火を切った。「雑誌漫画とちがって、音や動きが加わるんだもんね」藤本の横顔を安孫子素雄がうなずきながら見た。「でも大変なんだろ、漫画映画って」つのだじろうが他の四人の顔を心配そうに窺っている。「個人じゃムリだ、会社を作らなきゃ」石森章太郎が決めつけるようにいった。鈴木伸一は彼らの提案をなかばうれしく思い、なかばとまどいながら聞いていた。(本文より)★毎日が宴会トキワ荘では、なにかにつけて集まっていた。同じ屋根の下に住む、同じ漫画家であり同じような年齢、誰もみんな好奇心の塊のような人たちばかりだったので、誰もがお互いの部屋を行き来していた。下の階に住む普通の人たちは、棒でトントンと天井を叩いて文句を言っていた。★遊び潮干狩り、スキー、ハイキング、コーラス、プールで泳いだり、野球をしたり・・・。彼らは忙しいのによく遊んでいる。 昭和三十年代初め、東京・豊島区椎名(しいな)町(まち)の二階建て木造アパート「トキワ荘」。入居していた手塚治虫を慕う、若く才能のある漫画家たちが次々と引っ越してきて「トキワ荘」はいつしか少年マンガ揺籃(ようらん)の地となっていった。作者は20歳から26歳までトキワ荘にいた。トキワ荘で過ごした歳月は、素晴らしい財産だと思う。手塚治虫がトキワ荘を出た。寺田ヒロオが結婚を機にトキワ荘を出た。藤子不二雄こと藤本弘、安孫子素雄が出た。赤塚不二夫が出た。最後に残った石森章太郎も昭和37年に出てトキワ荘から漫画家はいなくなった。手塚、寺田、藤本、赤塚、石森・・・。皆亡くなった。しかしトキワ荘は彼らの名前と共に語り継がれる。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月18日*正月の食器を仕舞う *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.18
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「マクド難民」という言葉を1月13日の朝日新聞で知った。ハンバーガーショップ「マクドナルド」の24時間営業店舗に「寝泊り」する人々のこと。昼はパチンコ店内のソファなどで仮眠をとる。街を歩き始めるのは夕方からだ。スーパーで格安の惣菜を買ってビルの片隅で食べた。コンビニエンスストアをはしごして暇をつぶし、最後はマクドナルドに入って休む。 100円で注文をすると店にいることが出来るので、ネットカフェに泊まれない人がここに来ているのだそうだ。マクドでは2時になると清掃するが、そうなると、「マクド難民」たちは、ブックオフに移動するのだそうだ。ブックオフは4時に一時閉店して掃除をするのだそうだ。 居場所を求めてさまようその姿は、その厳しい状況から、本来は武力紛争などで国を追われて避難生活を送る人たちを指す「難民」という言葉で語られている。 社会の安全網(セーフティーネット)からこぼれ落ちる数少ない「受け皿」が深夜営業のマクド。 しかし、マクドの店員も大半は非正規社員で、約17万人がアルバイトで働く。コンビニなどもフリーターが深夜営業を支えている。深夜の店は、非正規の「社員」と「元社員」たちが隣り合わせで過ごす場だ。(朝日新聞記事)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月15日*十日戎 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.16
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「近代マンガ遺跡と呼びうるような文化財が認められたとすれば、トキワ荘は第一級の対象となるはずだった。しかし、いまはもう取り壊されてしまって、それは夢となった。伝説的な存在としてこれからも、おそらくは永遠に語り継がれるにちがいないこのアパートは、1953年(昭和28年)初頭に竣工と同時に手塚治虫が入居しなかったら、歴史に名をとどめることはなかっただろう。(文中)数多いトキワ荘の漫画家の中で、この本は寺田ヒロオの視点から書かれている。仲間からテラさんという愛称で呼ばれていた寺田ヒロオは、手塚治虫の次にトキワ荘に入ったという。もの静かな性格で、ひたすらまじめ、心優しく、何事においてもキチンとしていたそうだ。トキワ荘には、学童社の社長の息子が住んでいたそうだ。すでに超売れっ子だった手塚治虫の担当として住んでいたのだろう。寺田ヒロオの引っ越しは1953(昭和28)年12月31日。学童社の社員は実家に帰っていなかった。手塚治虫は実家の兵庫県宝塚に帰っていた。知り合いのひとりもいない孤独なスタートが寺田ヒロオがその後、後輩たちのめんどうをみることになったのかもしれないと文中にあった。■藤子不二夫A(安孫子素雄)との出会い1954年(昭和29年)夕方、手塚治虫が寺田ヒロオにひとりの少年を紹介した。少年は、手塚治虫に会いに来たのだがあいにく、手塚治虫は忙しく、初対面の少年の相手を寺田ヒロオに頼むことにした。その少年は藤子不二夫Aこと安孫子素雄だった。手塚のこのおおらかな態度が寺田ヒロオと藤子不二雄を結び、トキワ荘の仲間たちとの出会いとなった。「すぐもどるから一晩泊めてやってくれ」と言って出た手塚は一週間戻らなかったそうだ。寺田は、そのまま、一週間泊めたそうだ。なんの疑いもしないで初対面の人を泊めてやってくれと言えること、泊めてあげることが出来ることそれに甘えられることが出来ること・・・。今はないおおらかな関係が快い。安孫子素雄との一週間に渡る同居生活は、上京後に友人らしい友人のなかった寺田ヒロオにも印象的だったらしい。年少とはいえ、かしこく陽気さと筋道だった思考による積極的な対話を得意をする安孫子とは、すぐにうちとけた。もし、手塚が寺田に安孫子を託さなかったら、トキワ荘での付き合いも違ったものになっていたかもしれない。手塚治虫がトキワ荘を出て、入れ替わりに藤子不二夫が入居。赤塚不二夫、石森章太郎ら日本の漫画界を背負うスターが入居した。彼らの華やかな活躍はめざましかったが、寺田ヒロオは、漫画をかかなくなった。理由は、求められる漫画が彼の思う漫画と違うことだった。「トキワ荘の時代」は、映画では「トキワ荘の青春」という題がついていて、本木雅弘が寺田ヒロオを演じている。映画「トキワ荘の青春」には、「トキワ荘もの」に登場しなかったつげ義春や棚下照生等も登場している。それは、原作には出ているからだ。特に、つげ義春の登場は面白い。まだ、手塚がトキワ荘にいた頃、ひとりの少年が手塚に会いに来た。ドアをノックすると「はい。ちょっと待って下さい」という声と慌てて片付ける音。ドアが開いて、手塚が出てきた。少年は15歳のつげ義春だった。すでに常識を超える忙しさの手塚だったが、外に兄を待たせているというと「すぐ、連れて来なさい」といい、1時間以上相手をしてくれたそうだ。 「机もなんにもない部屋で売れないまんがをセッセと毎日かいていた。トキワ荘はまんがの宝庫だった。生きた まんがの参考書がゴロゴロいるのだ。まんがのことでいきづまると先輩の部屋へおしかけ、相談した。毎夜集ま って夜明けまでまんがを論じあった」(赤塚不二夫) 住んだことも、行ったことさえないのに、「トキワ荘」と聞くと今も懐かしく思い出す。それは、おおらかな時代への郷愁かもしれない。 1950年代で私が記憶にあるのは、上田トシコの「フイチンさん」。中国の小さなぼっちゃんとその世話係、フイチンさんの物語で、所々に中国語が織り交ぜてあった。私はそれで中国語を覚えようとしていた。作者の上田トシコが大陸育ちだったのかもと後年思った。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月14日*時間軸喪失 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.14
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■メッセンジャー黒田■といっても、関西以外では分からない人がいるのではないかと思う。しかし、関西では超有名。ダミ声・毒のあるキャラクター、トークの面白さで主に関西のテレビ番組でもてはやされる。 『たかじん胸いっぱい』(2006年8月5日放送)の「関西テレビの日曜お昼の枠で司会をやらせるなら誰?」のランキングで第1位を獲得。ブラックな語り口で私も大好きだった。しかし、2009年12月に料金支払いを巡ってトラブルを起こし、店長に一方的に暴行を行いテレビからいなくなった。 そのメッセンジャー黒田が■2012年12月22日に放送された『メッセンジャー&なるみの大阪ワイドショー』■(MBSテレビ)で久々にバラエティ番組に出演。同番組では山崎邦正と東京スカイツリーロケ、あいはらと関西在住の美魔女を訪問するロケ、月亭八光・トミーズ健と韓国に生レバーを食べに行く日帰り弾丸ツアーを行った。 私も見たが正月の漫才放送以外で黒田を見るのは3年ぶり。お金に細かく、ケチで有名な黒田が、酒を飲み法外な値段に激怒して暴力をふるったわけだが、結局、高い酒になった。大阪市立桜宮高校2年で男子バスケットボール部のキャプテンだった生徒が体罰が厳しくつらいという手紙を残して自宅で首をつっ て自殺した。大阪市立桜宮高校では一昨年にもバレー部で言語を絶する激しい体罰があった。この教師に対する学校からの処分は、停職3カ月の懲戒処分。たった1回の暴力で、テレビ3年間のテレビ出演禁止という黒田は、これからは、暴力を振るわないだろう。(ファンとしてそう願いたい。)しかし、たった停職3ヵ月の懲戒処分だった桜宮高校の教師は、復帰後また体罰をしていたという。改心した(と思われる)メッセンジャー黒田の今後に期待したい。改心していない教師、教育委員会は、とっとと辞めて欲しい。税金の無駄だ。それと、マスコミは「体罰」と報道せずに「暴力」とすべきだ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月12日* なぜ雨や雪は「こんこ」と降るのか。*・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.13
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■アナザー・カントリー:あらすじ■一生、女は愛さない。ガイ・ベネットはパブリック・スクールの代表を狙い、将来はフランス大使を目指している野心家。その一方で、彼は同性愛者で別の寮にいるハーコートに恋している。そんな彼を親友で共産主義のジャドは静かに見守っている。ある日、学生2人の性的行為の現場が教師に目撃されてしまい、学内は規律を厳しくする方向に傾いていく。やがて目立つガイを快く思わない者が同性愛を理由に彼への批判を高めていく…。 還らざる日々の愛、友情、そして裏切りーー。英国名門パブリック・スクールを舞台に、美しい青年たちのみずみずしくも切ない青春を切り取り、永遠の魅力を得た珠玉作。30年代英国パブリック・スクールで寮生活を送るガイは、同性愛の傾向を友人に咎められて復讐を誓う。やがてガイはソ連のスパイとなり……。実話に基づく禁断の舞台劇を映画化した秀作。 『モーリス』『眺めのいい部屋』に先駆けた1985年に日本公開された『アナザー・カントリー』は、主演ルパート・エヴェレットの人気沸騰によって英国貴公子ブームの火付け役となった。ドラマの主人公ガイ・ベネットは、この春公開された 『裏切りのサーカス』のモデルとなった実在のスパイ集団ケンブリッジ・ファイヴの一員のガイ・バージェスだ。将来を嘱望された英国人エリートがなぜソ連側のスパイになったのか。ドラマは、1930年代、同性愛者だったバージェスのパブリック・スクールの名門イートン校時代に焦点を当てる。 「アナザー・カントリー」キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!ー「アナザー・カントリー」は、私にとって、それほど待ちに待った、映画。感想は沢山あるけれど箇条書きに。★ファッション。【中古】 玲子さんのシネマファッション / 西村玲子でも絶賛されていたファッション。英国の名門の学校では、学生といえど、スーツにチョッキ、ネクタイ、シルクハットが正装。体育は、白いシャツに白い綿風ニットのチョッキ。Vネックの襟には、赤と黒?のラインが・・・。同じようにセーターもVネックの白にラインのあるトラディッショナルなもの。パジャマで寝るが起き上がると、皆、ガウンをはおる。それを美少年、美青年たちが着るのだから、もううっとり・・・。チョッキは黒が普通だが、選ばれた者だけが「色チョッキ」を着ることが出来る。ガイ・ベネットもそれを目指している。★上下関係。上級生と下級生との関係は厳しく、まるで軍隊。服は、ほとんど自分で管理するようだが、上級生は下級生に靴を磨かせたりしている。使い走りをするのも、10歳~12歳くらいの下級生。お湯を持って来させたり、装飾品の磨き方にまで上級生は下級生に命令する。この学校で暮らす男子生徒たちは、学力的にも家も恵まれた子どもたちばかり。そんな彼らは、この学校で下級生の間だけ、召使のような扱いを受ける。卒業すれば、もちろん、召使に世話をさせるのだろう。★同性愛いまでこそ、同性愛を公にするタレントはいる。市民権を得ているように思う。(私は、変だとは思わない。)しかし、1930年代のイギリスにおいては、禁止されたものだった。神が許さないという風潮だったのだ。★パブリックスクールイギリスの私立の学校の中でもトップの10%を構成するエリート校の名称。以前はその大部分は寄宿制の男子校であったが、現在は一部を除き共学制に移行している。イギリスのトップ大学に当たるラッスルグループ、特にその頂点にあるケンブリッジ大学、オックスフォード大学、インペリアル・カレッジやロンドン・スクール・オブ・エコノミクスなどへの進学を前提とする。学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達が、寮での集団生活を送っている。近年は海外の金持ちの子供達がイギリスでの大学教育を見越してイギリスのパブリックスクールに入学することが多くなっている。映画はパブリック・スクールの名門中の名門、イートン校がモデル。★コリン・ファースベネットに影響を与える共産主義者の親友ジャド役を演じるのは、コリン・ファース。その後、スパイとなったベネットを描いた、『裏切りのサーカス』にも出演している。彼は舞台で、ベネット役をやったことがあるというからベネットに縁がある役者。■英国王のスピーチ■■高慢と偏見■■シングルマン■■語り継ぎたい映画シリーズ■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月8日*松の湯 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.08
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■ひまわり:あらすじ■女は待ち続けた、男の帰りを信じて・・・。貧しいお針子のジョバンナ(S・ローレン)と電気技師のアントニオ(M・マストロヤンニ)は、ベスビアス火山をあおぐ、美しいナポリの海岸で出逢い、恋におちた。だが、その二人の上に、第二次大戦の暗い影がおちはじめた。ナポリで結婚式をあげた二人は、新婚旅行の計画を立てたが、アントニオの徴兵日まで、一四日間しか残されていなかった。思いあまった末、アントニオは精神病を装い、徴兵を逃れようとしたが、夢破ぶられ、そのために、酷寒のソ連戦線に送られてしまった。 感想を箇条書きにしてみた。★大陸。ジョバンナは夫を探しにはるばる、ソ連まで行く。今から半世紀以上前なのに、当然といえば当然、鉄道はイタリアとソ連を結んでいて、行き来できた。あらためて、大陸、地続きなのだと思った。★ソ連の暮らし。第二次世界大戦後の日本は、貧しかった。「ひまわり」は、戦後10年くらいまでをえがいているのだと思うが、ソ連で見る限り、飢えている様子はなかった。子どもたちは、元気に遊んでいたし、団地が建って家もあった。日本は敗戦国だったから貧しかったのだろうか?共産圏=貧しい暮らしというイメージではなかった。★方言。ジョバンナは時々、アントニオが分からない言葉をいう。方言だそうだ。★オムレツ。夫、アントニオが新妻のジョバンナに卵を24個も使った巨大なオムレツを作る。二人では食べきれなくて、捨てようという。戦時中、卵を24個も使うなんて・・・。食べきれないほど作るなんて・・・。私は、戦後生まれだけど、子どもの頃、卵は貴重品だった。アントニオの母親の差し入れということになっていたが、イタリアは、日本ほど食糧事情が悪くなかったのだろうか?★ひまわり。ジョバンナが戻ってこない夫を探しにソ連に行く。その時、目にしたのは、どこまでも咲くひまわり畑。その下には、兵士が眠っているという。劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻。劇中に出てくる画面を覆いつくすひまわり畑は、ソ連で撮影されたものではなく、スペインで撮影されたものという。戦争さえなければ、平凡だけれど幸せになっただろうふたり・・・。ヘンリー・マンシーニの曲が哀しみを誘う。名作は色あせない。■ひまわり■製作年 1970年 製作国 イタリア 上映時間 107分 製作:カルロ・ポンティ アーサー・コーン監督:ビットリア・デ・シーカ脚本:チェザーレ・ザバッティーニ アントニオ・グエラ ゲオルギス・ムディバニ音楽:ヘンリー・マンシーニ出演:ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ リュドミラ・サヴェーリエワ■語り継ぎたい映画シリーズ■というのをテアトル梅田でやっている。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月6日*父の麦わら帽子:雪の降る夜 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.07
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主にご飯を抜くのに使われる木製抜き型。もらったもので古いものがうちにもある。おめでたいお祝いの席や、上品なお弁当に使うといいと思うが未だ使ったことがない。私が持っているよりも、娘のミナの方が使うかもと思ってメールで写真を送った。写メって本当に便利。上の娘からメールが返ってきた。「かわいいね♪イチョウもあるんや~♪」ちゃう、ちゃう、ちゃう!!!(違う*3)違うちゅうねん。イチョウではなくて扇面。扇ですがな。扇は末広がりで目出度い!その扇面とこれまた目出度い梅の形にご飯を抜くというかけだ。梅の芯の部分にピンクのそぼろを置いたりするといいだろうなと思う。和菓子の製造にも使われるそうだ。楽天で探したら売っていた。こちらは松竹梅に扇面と瓢箪とこれまた目出度い形ばかり♪瓢箪がかわいい♪■2010年から1年■器歳時記というテーマで書いてきたが、まだ書き足りない。毎月ではないが、時々、私の持っている器を紹介していこうと思う。■2010年:器歳時記■1月:器歳時記:鶴の皿2月:器歳時記:陶器の汁椀3月:器歳時記:ピーターラビットのマグカップ4月:器歳時記:バショウの葉の小鉢5月:器歳時記:湯のみ6月:器歳時記:塗りの菓子皿7月:器歳時記:デュラレックスのグラス8月:器歳時記:金魚の絵皿9月:器歳時記:レトロ水差し10月:器歳時記:味噌ガメ11月:器歳時記:絵皿12月:器歳時記:片口・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年1月5日*六日年越し*・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.05
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年末恒例の紅白歌合戦が面白くない。視聴率は毎年下がる一方で、NHKもあの手この手を使うが面白くない。かつて、年末の国民的番組は今いずこなのである。その原因はなにかと考えると深く考えるまでもなく、いい歌がないからだ。では、なぜいい歌がないのか?それは、心に染みる歌詞がないのだ。1960年代~70年代には、いい歌があった。 その時代には阿久悠がいた。 なかにし礼がいた。■安井かずみ■がいた。■岩谷時子■がいた。彼ら、彼女らの詩には、これまでにない新鮮な言葉が多い。私は、安井かずみ■よろしく哀愁■というタイトルに魅かれる。■おしゃべりな真珠■も目新しい言葉だ。こういう言葉のプロがいた時代の歌は、いい歌が出来て当然だ。■阿久悠は■生前、「いまミュージックはあるけれどソングはない 」と語っている。 歌が人の心や記憶に残るのは、リズムやメロディーではなく"詞"なんですでも今を振り返った時、人々が一様に思い出せる歌があるかどうか?(歌というのは)本来、"詞"が作りだした一つのイメージを、さらにどうふくらませるか?もっと効果的に伝えるにはどんなメロディーを作るのか?作曲家が、色々と工夫してくれる最初のものが"詞"であった訳です。」 最近、本当の詩、詞を書けるプロの作詞家がいなくなった。たまたま、書いた詩のようなものを曲が補うような形になっている。しかし、曲とて、またプロの作曲家ではなく、シンガーソングライター。つまり、みなほどほどの詩がかけ、ほどほどの曲を書き、ほどほどに歌う・・・。中には歌が下手だという歌手さえいる時代だ。だから大ヒット曲がでないし、いい曲が出来るはずがない。紅白歌合戦が面白くないわけだ。出でよ、プロの詩人!出でよ、プロの作曲家!出でよ、プロの歌手!そして、出でよ、名曲!■阿久悠作品、一部■本牧メルヘン / 時の過ぎゆくままに /ざんげの値打ちもない 白い蝶のサンバ / 街の灯り / 青春時代 / 水中花 嫁に来ないか / せんせい /あの鐘を鳴らすのはあなた 津軽海峡・冬景色 / 北の宿から / どうにもとまらない 狂わせたいの / 勝手にしやがれ /絹の靴下 また逢う日まで / みずいろの手紙 / さらば涙と言おう 五番街のマリーへ / ジョニイへの伝言 ■なかにし礼の作品、一部■* 朝丘雪路 - 「雨がやんだら」(1970年)* アン・ルイス - 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(1974年)* いしだあゆみ - 「あなたならどうする」(1970年)* 奥村チヨ 「恋の奴隷」(1969年)* 北島三郎 - 「まつり」(1984年)*北原ミレイ 「石狩挽歌」* キャンディーズ - 「哀愁のシンフォニー」(1976年)*黒沢年男/なかにし礼 - 「時には娼婦のように」(1978年、作曲も担当)*島倉千代子 - 「愛のさざなみ」(1968年)*菅原洋一 「知りたくないの」(1965年) 「今日でお別れ」(1969年、第12回日本レコード大賞受賞)*ザ・タイガース 「花の首飾り」(1968年)【補作詞】*鶴岡雅義と東京ロマンチカ - 「君は心の妻だから」(1969年)* ザ・テンプターズ - 「エメラルドの伝説」(1968年)* ザ・ドリフターズ-「ドリフのズンドコ節/大変歌い込み」(1969年)【補作詞】 「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん/冗談炭鉱節」(1970年)【替詞】 「誰かさんと誰かさん/ドリフのおこさ節」(1970年) 「ドリフのツンツン節/ドリフ音頭 北海盆歌より」(1971年)* ハイ・ファイ・セット - 「フィーリング」(1976年)*ピーター - 「夜と朝のあいだに」(1969年)*ザ・ピーナッツ 「恋のフーガ」(1967年)*弘田三枝子 - 「人形の家」(1969年)*ペドロ&カプリシャス - 「別れの朝」(1971年-日本語詞)*氷川きよし - 「櫻」(2012年、第45回日本作詩大賞受賞)*細川たかし -「心のこり」(1975年) 「北酒場」(1982年、第24回日本レコード大賞受賞) *黛ジュン 「恋のハレルヤ」(1967年) 「霧のかなたに」(1967年) 「天使の誘惑」(1968年、第10回日本レコード大賞受賞) 「夕月」(1968年)*由紀さおり - 「手紙」(1970年) *ロス・インディオス - 「知りすぎたのね」(1968年、作曲も担当)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年1月2日**
2013.01.02
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新年、あけましておめでとうございます!!私はお笑いが大好き!そんな私が今一番気に入っているブログが■含み笑いのカフェごはん■。「含み笑いのカフェごはん」のことを知ったのは今年の夏。関西のテレビ番組に出ていた、山本ゆりさんを偶然見た。 そしてたどり着いたのがこのブログというわけだ。以来、ゆりさんのブログを毎日のぞいている。(ストーカーか!)山本ゆりさんは本を出すほどの実力の料理研究家。で、このブログは料理のブログというカテゴリーになるのだろうけれど、私的には、オワライというカテゴリーに入っている。まず、つかみで笑いをとる。***************このブログは、どこにでもある材料で、できるだけ安く、誰にでもできる料理を載せていきたいので、◆大さじ1杯の生クリーム◆卵黄5個分◆ローリエ、バルサミコ酢、八角、渡り蟹、ワインビネガー、備中ぐわ、千歯こき・・・・なんかは使いません。********** 備中ぐわって・・・。_(*_ _)ノ彡☆!バンバン!! wwwwwワロタ。楽天に千歯こき、売ってへん。(当たり前や) 笑う門には福来る。今年も多いに笑わせてもらおう。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年1月1日*昭和恋々:お正月 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.01.01
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