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先月のはじめ、家のすぐ近くで、見つけたのが、これ。これって、野いちご? 完熟して黒くなったものもあって、美味しそう。('ー;')食べられるのだったら、是非、うちの庭にも移植したいのですが、どなたか、この植物、ご存知の方は、教えてください。 雑草が好きで、生えてきたものは抜かない。だから、玄関先の階段にも、つゆ草が! この青い色。これが雑草って、雑草と花の違いはなんだろう?■□■2010.7月に見た映画■□■22■孤高のメス■7.123■借りぐらしのアリエッティ■7.1824■川の底からこんにちは■7.22■□■書き残したネタ帳■□■*「北極星」*うつぼ公園*10年前の雑誌*朝日ビール*アルミ缶エコ*クーラーと車。エコ減税。■過去の書き残したネタ■*「庄原の旬だより」*和歌山のアメリカ村*古物(ゆたんぽ)*広島の公園の植生*江戸時代、和歌山の防災意識*新しい植物のメンバー*南禅寺界隈の別荘群*子供と春の花と桜*ケチな近鉄・・・吉野の桜*井上ひさし・・・面白いものを書く=松本清張*「ゲゲゲの女房」昭和30年代。貸本屋、方言*琵琶湖湖岸の風景*瀬田の町で見つけた小さな川*川辺に咲く菜の花*桜*インテリアのページ*近所で見つけた古いものたち*冬のオリンピック(フィギアスケートの採点)*京都芸人ネタ*友人の病気*西谷祥子の漫画*湯浅誠氏*お守りブローチ*病院食■6月のおしゃれ手紙■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.31
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美しいフォルムと使いやすさからカフェで人気のグラス。DURALEX(デュラレックス)は、全面耐熱・強化ガラスなので衝撃にも強く、100℃の熱湯を注いだり、-25℃の冷却といった温度にも耐えることができます!食器洗浄器や、電子レンジにもOKというありえないくらいすごいガラスです。 飽きの来ないデザイン性と使いやすさ!業務用、家庭用に愛されるロングセラー商品です。 今やどこのカフェに行っても目にするDURALEXのグラス。 このグラスを日本で初めて輸入したのはF.O.B COOP。 F.O.B COOPオーナー益永みつ枝氏が、約20年前ロスアンジェルスのCafeで衝撃的な出会いをし、その後F.O.B COOPがフランス製品を輸入するきっかけとなったDURALEXのグラス。DURALEXを製造していたフランスのサン・コヴァン社は、ガラス造りで300年の歴史を持ち車のフロントガラス製造の技術を活かし、実用性に優れた、この広口の耐熱強化グラスを造り上げました。その強固さ、デザイン、使い心地の良さから、フランスのレストラン・カフェなどの業務用として昔から変わらず広く愛されています。昔ながらの技法でグラスを作り続ける職人達と、それを支援して使い続けた人たちのフランス文化の奥深さが伝わる商品。F.O.B COOPが直輸入したことがきっかけとなり、その後日本でも、「DURALEX」の名で広く知られるようになりました。 (以上、F.O.B COOPのHPより) 私は、雑誌で見て、欲しくて欲しくて東京まで買いに行こうかと思ったくらい。F.O.B COOPが、大阪にできたときは、真っ先に買いに走ったものだ。F.O.B COOPのオーナー、益永みつ枝氏が、店で一番のお気に入り商品だというこのグラスは、夏の定番。いや、季節、関係なく使っている。安くて、かっこいい!これぞ、チープシック!■F.O.B COOP■■器歳時記■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.29
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暑いので、大阪市営のプールに行った。料金所の前に置いているアイスクリームの自動販売機があって、その横にごみ箱があった。そして、そこには、「アイスのごみ、ここに、ほかしてネ」と書いた紙がはってあった。ほかすとは、捨てるという意味の関西弁。 ■ほかす■【使用例】 ~ とある夫婦の会話 ~夫 「おーい、年末の大掃除で出てきた粗大ゴミ、まだ家にあるやんか。 どないかならへんの」妻 「あんた、ええこと言うてくれたわ。今日、粗大ゴミの日やわ」夫 「それやったら、ちょうどええやん。」妻 「あそこの粗大ゴミ捨て場に、まとめてほかして来てーな」夫 「よっしゃ、ほんなら、行ってくるわ」妻 「粗大ゴミやからいうて、自分のこと、一緒にほかしたらあかんで」夫 「わかっとるわい!!」この「ほかす」は“放下(ほうか)す”という古語が転じたもので、もとは、うち捨てておく、捨てる、捨て置く、うっちゃるという意味がある標準語でした。これがなぜ、大阪ローカルになってしまったのかはよくわかりませんが、言葉そのものの意味が通じないというイミでは、まさしく外国語ドーゼンの大阪弁です。 でも、大阪の人たちは、日常的にこの言葉を使っています。 ■みんなで作る!「大阪弁辞典」■より。このプールは、焼却場の放熱を利用して、冬も泳げるし、お風呂付。焼却場の排熱は、ほかさんと、プールやお風呂に利用されているのです。本日は、7月28日。なにわの日です。「なにわのひ」ではなく、「なにわの日ィ」と読みます。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.28
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私が子どもの頃の川はいろいろな使われ方をした。畑からとって来たダイコンを洗うのも川だったし、汚れた衣服を洗濯するのも川だった。真夏になると、子どもたちは、■川で泳いだ■。小さな川だったが、豊かな食糧を供給してくれる場所でもあった。春の川原にはセリが、夏にはカワニナをとって食べた。カワニナとりは子どもが主役だったが、大人が主役になる漁もあった。それは、鰻モジ。竹で編んだ仕掛け、モジでウナギを捕る漁法だ。モジはモジリとかモンドリともよばれている。ウナギの他にカニも捕ったが、それは「ガニモジ」とよばれていた。モジは竹で筒を編み、筒の中に餌を置いて、ウナギをおびき寄せる。モジの入口は、広く、いったん、モジの中に入ると出られなようになっている。もちろん、このモジを作るのも大人だ。父の従兄の虎太は、竹細工職人だったので、「モジを仕掛けてくる」と言って、自分で作ったモジを持って、うちの前を通って川に行った。 虎太は、ウナギを捕れたのだろうか?今日、7月26日は、土用の丑の日で、ウナギのかば焼きを食べた。私の子どもの頃、土用の丑の日にウナギを食べるなんて知らなかった。ウナギのかば焼きという言葉も知らなかった。けれども、身近な川には、ウナギがいた。それは、今の土用の丑の日に必ずウナギを食べられることよりも、豊かなことなのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.26
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京都の上賀茂神社に行ってきた。(この写真は、以前撮ったもの)上賀茂神社の中には、小川が流れている。場所によって、御手洗川(みたらいがわ)、ならの小川、御物忌川(おものいがわ)と名前が変わる。これは、「ならの小川」。正月から半年の間の罪や汚れを除く、伝統的な神事である、夏越祓(なごしのはらえ)では、ならの小川に人形が投ぜられ、祈願者の全ての罪と汚れがはらい清められるという。そんな時によまれたのが、下の有名な歌だ。風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 従二位家隆 35度を超える暑さの中、子どもたちが、小川に入って禊中。大人たちも、負けずに、禊を楽しんでいる。暑い日だったが、大木が生えて、小川が流れるこのあたりは、涼しげな風が吹いている。クーラーで冷そうとしないで、各地で木を植え、水路を作る。そうしないと、この暑さは、どうにもならない。 ■上賀茂神社■■〒603-8047 京都市北区上賀茂本山339 賀茂別雷神社社務所■Tel:075-781-0011 Fax:075-702-6618 ■アクセスバス乗り場など・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.25
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■川の底からこんにちは:あらすじ■♪音が出ます。人生・・・もうがんばるしかない上京して5年。仕事は5つ目。彼氏は5人目。ダラダラと「妥協」した日常を送る派遣OL佐和子にある日突然、父親が病に倒れ余命わずかだと知らされる。ひとり娘の佐和子は水辺の町にある実家へ帰って「しじみ工場」の後継ぎをすることを余議なくされる。その工場で働くオバチャンたちはくせ者揃いで、しじみの売上も下がるばかり。さらなる受難の日々が始まろうとしていたが、佐和子はこれまでの“妥協”の人生に初めて向き合うことを決意する。 映画「川の底からこんにちは」は痛快な、負け組応援歌だ。内容は、下に記した抱腹絶倒の「木村水産社歌」にある。派遣社員、転職、駆け落ち、妥協、仕方がない・・・。ダメを絵に描いたようなやる気のない女性、佐和子。ダメなのは、佐和子だけではなく、佐和子の彼もダメを絵に描いている。佐和子の伯父もエロオヤジだし、しじみの工場で働くパートのおばさんたちも、これまた、男にだらしがない。落ちるとこまで落ちたら後は這いあがるだけ。潰れかけた工場をなんとか、たてなおそうと、生まれて初めて、真剣に人生と向き合う佐和子。人生、もう頑張るしかないと腹をくくった佐和子。佐和子を嫌っていたパートのおばさんたちも、真剣な佐和子を見て、好意を持つ。有名な俳優を使ったり、大がかりな宣伝をしたりしていないのに、この面白さ。石井裕也監督は27歳という若さだ!「木村水産社歌」上がる上がるよ消費税 金持ちの友達一人もいない来るなら来てみろ大不況 その時ゃ 政府を倒すまで 倒せ倒せ政府シジミのパック詰め シジミのパック詰め 川の底からこんにちは一度や二度の失敗と 駆け落ちぐらいは屁の河童駄目な男を捨てられない 仕事は基本つまらない中の下の生活 所詮みんな中の下 楽しいな 楽しいなシジミのパック詰め シジミのパック詰め 川の底からこんにちは・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.23
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■天地 はるな様■夢の香港!堪能されたようですね。去年はN・Y、今年は香港とうらやましい限りです。私は香港には行ったことはありませんが「バードストリート」が消えてしまう前に一度いってみたい(まだ、あるのかなー)。ふと思い出したのですが、かつての香港には私の好奇心を最大限にそそる「九龍城(クーロンじょう)」がありました。なんでも、一度入ったら出てこれない「東洋の魔窟」だったとか。ずっと前になりますが、雑誌の「九龍城に潜入!」と題した記事を読み、その妖しさにハマってしまったのです。しかし、解体された今、ためしてみることも出来ず「九龍城」は幻の「九龍城」に。巨大な迷路のような、ひしめきあったごちゃごちゃの建物に、約5万人も暮していたという「街」。この妖しげな「街」に惹かれたのは私だけではなかったはず。そんな「九龍城」を立体化した「飛び出す絵本」が先日、出版されたとのこと、早速、潜入してみようと思っています。「再見!九龍」旅行と言えば行ってみたいところは、たくさんあります。キューバに南米にスペインに。もちろん「ビンボー旅行」。でも、私の過去の統計(そんなもん、ないない)から「リッチ旅行」よりも「ビンボー旅行」の方が、美味しいハプニングが断然多かったように思うのですが(そういえば、はるなさんは、ハプニング大好きでしたよね)。「ラテン」な国がお気に入りな私。食べて、飲んで、歌って、踊って、笑って、眠って・・・。そして、ちょっぴり働いて。当然ながら「恋」も忘れずに!ついでに。学生の頃から何回か「沖縄」に通ったのを思い出しました。初めての沖縄は高校の修学旅行。完璧な観光旅行でした。学生時代は船の旅。就職してからは、飛行機の旅。でも船の旅が一番楽しかった。私の知人は甲板で「牛」と共に一夜を明かしたそうですが、かくいう私も船内「バー」とおぼしきこころに、シーツをのぺーっと敷いただけの即席客室に「男」と背中あわせに寝返りも打てない「芋の子状態?」で眠った記憶が。そういえば、この頃からローカルもんが好きだったようで、沖縄の民芸品の「張り子」作家に会いにいったり、平和市場や路地裏をうろうろしたものです。ところが、日本がバブリーになり、至る所にリゾートホテルだのゴルフ場だのが建設され、すっかり変貌してしまった沖縄を見て「私みたいな観光客は環境破壊の根源だ!」と思い、それ以来、ぷっつりと行かなくなってしまい・・・。戦争や米軍基地のことなど他にもいろいろと理由はあったんですけどね。でも避けているだけじゃ何も始まらない。そんな沖縄を自分はどう感じ、どう考えるのか。こんなことを書いていると、なんだか久しぶりに沖縄に行ってみたくなりました。いつも、ちゃらけたお手紙を書いているけど、こんな私でも考えるときは考えるのです。そうそう、返還前の「香港」ならず「沖縄」、行ってみたかったなー。最近分ったことなのですが「自分さえその気ならなんでも出来るってこと」。旅行だって、なんだってそう。「自分さえその気ならなんでも出来るってこと」。「~したいんだけど」じゃあ、いつまでたっても「らち」があかない。ということで「やりたいことは、やっぱり、やっておこう」という結論に達した私なのです。「あとは野となれ山となれ」。来年あたり「高飛び」すっか。 浜辺 遥◆おしゃれ手紙TOP◆・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月21日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・/天気のことわざ2*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.21
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■借りぐらしのアリエッティ:あらすじ■人間に見られてはいけない。とある郊外に荒れた庭のある広大な古い屋敷があった。その床下で、もうすぐ14歳になる小人の少女・アリエッティは、父ポッドと母ホミリーと3人でひっそりと静かに暮らしていた。アリエッティの一家は、屋敷の床上に住むふたりの老婦人、女主人の貞子とお手伝いのハルに気づかれないように、少しずつ、石けんやクッキーやお砂糖、電気やガスなど、自分たちの暮らしに必要なモノを、必要な分だけ借りて来て暮らしていた。借りぐらしの小人たち。そんなある夏の日、その屋敷に、病気療養のために12歳の少年・翔がやって来た。人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。それが床下の小人たちの掟だったが、アリエッティは翔に姿を見られてしまう。 楽しみにしていた、スタジオ・ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を見てきた。カワニナの殻や人間から「借りてきた」鉛筆のキャップが小人の家の花瓶として使われているなど、小人たちの生活ぶりは可愛らしかった。小人たちが人間からモノを借りて生活しているという設定だが、「借りる」ということについて、■公式サイト■では、次のように語っている。人はいつからモノを所有するという感覚を身につけたのか。私たちの世界には、様々な生物が共存共栄しています。動物も虫も、そして、植物も。本来、生物が生きていく上で境界線など存在しなかったはずです。自分のものと他者のものを分けることはできなかったはずです。人間も動物も植物も所有できるものなどこの世にありはしない。全て自然の営みを借りて生活していました。自然に寄生して生きているのは人間も小人も同じだったはずなのです。 病気の少年、翔とアリエッティとの会話で、こういうのがあった。翔「きみたちの家族以外にも仲間は、いるの?」アリエッティ「沢山いるわ。」と数人のことをいう。翔「たったそれだけ?人間は何人いると思う?68億人だよ。数人だったら、君たちはいつか絶滅するよ。」他の種を絶滅に追いやる人間・・・。ところで、アリエッティたちが住んでいるのは、古い、古い屋敷。最近では、家は20~30年たつと、建て替える。新しい、ピカピカ、つるつるの家には、小人たちは住めない。昔の家には、ツバメの巣があったり、ハチの巣があった。イモリも住んでいたし、ネズミもいた。そういう家でないと、小人たちも住めないのだろう。小人の住める家とは、他の生き物との共存共生ということ。映画「借りぐらしのアリエッティ」のテーマは、他の生き物を絶滅危惧種に追いやる人間に対する問題提起と受け止めた。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月15日*天気のことわざ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.19
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雨も上がった昨日、会社からの帰りにの道で、嫌なものを見てしまった。道端に生えていたキョウチクトウの木が根元からバッサリと伐られている。ショック!!ここには、白いキョウチクトウの花が咲いていて、その木にトケイソウが絡みついていた。雑草も青々と茂っていた。トケイソウの花に見とれながら、何度、この場所で自転車を降りたことか・・・。 なのに、トケイソウもキョウチクトウも跡形もなく消えている。ここは、ガードレールの外の土地で誰も邪魔にはならないはず。なのに、なぜ、伐ったのか・・・。察するに、ここに木があると不衛生だという市民の苦情に市がなんのためらいも、疑問も持たずに伐ったのではないだろうか。こんな暴挙としかいいようのないことを誰が許可したのか!!かつて、梅雨の時期に降る雨は、しとしとと降っていた。しかし、ここ近年、梅雨の雨は、ザーザーと降る。温暖化によって、雨の降り方が変わったのだという。大雨による被害も各地で起きている。人間の出す、二酸化炭素は、植物がチャラにしてくれる。かつては、それで、よかった。しかし、人間が森林を伐りすぎたために、二酸化炭素の量が、植物のチャラにする量を超えてしまった。地球を覆った二酸化炭素は、太陽の熱で暖められた熱を逃がさないようになってしまった。「地球規模で考え、地域で行動しよう!」という言葉がある。日々の暮らしを地球規模で考えて、身近なところから解決しようということだ。毎日のように、地球温暖化という言葉が言われ、エコな車、電化製品などが売りだされている。しかし、たった一本のキョウチクトウやトケイソウ、雑草さえも生えることを許さない日本で、地球温暖化対策なんてあるのだろうかと憂鬱になってくる。■バイキングの憂鬱■に■トイレの憂鬱■、■シーツの憂鬱■、■野仏の憂鬱■■野仏の憂鬱2■■鳥に喰われる自由もない憂鬱 ■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月15日*天気のことわざ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.17
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ワールドカップの決勝戦は、オランダとスペインの間でくりひろげられた。私は朝はやく起きてみたのだが、足をすくって倒したり、ひじや蹴りで相手を痛めつけたり・・・。サッカーというより、格闘技という死闘を繰り広げた。私だったら、こんな目にあったら、何本、骨を折ることやら。勝ったのはスペイン。 ★オランダ代表ユニフォームの「オレンジ」の由来は?オレンジとは、その名もズバリオランダ王室オレンジ家(=オラニエ家)の色。1568年に開始したスペインに対する独立戦争。その指揮をとったのが、オラニエ公ウィレムでした。残念ながら独立の前に暗殺されてしまいましたが、彼の意志は受け継がれ1609年に実質的な独立が成立。1648年、国際条約で正式に独立が認知。★喜び方いろいろ。サッカーの得点を決めた時の喜び方は、見ていて楽しい。ダンスを踊る、アフリカ勢や。バック転するドイツのクローゼ。(クローゼは、日韓開催大会の時からやっているベテラン。)お互いが折り重なるようにして、抱き合って喜ぶ場面もあり、体全体から喜びをあらわしている。以前、相撲に勝った、朝青龍がガッツポーズをしたと言って問題になったことがある。全力で闘っているのだから相撲もガッツポーズぐらいいいのではないかと思うけどなァ・・・。 ★パラグアイ国家、長っ!!日本とPK戦を戦い、ドイツとの3位決定戦で敗れたパラグアイの国歌は1番から7番まであるそうだ。「パラグアイ人達よ、共和国か死か」というタイトルで内容も、すこぶる勇ましい。♪不幸なアメリカの民を3世紀もの間、王制が虐げた。われわれの先祖は堂々と戦いそして、栄光を勝ち取った。パラグアイ人たちよ死を賭して守れ。圧制者も奴隷も存在しない、団結と平等が支配するところでは。訳したものをみるこんな感じ。ただしところどころ。さすが、戦争して自由を勝ち取ったという感がある。パラグアイの国家が聞きたかったな。♪「パラグアイ人達よ、共和国か死か」♪音が出ます!■ワールドカップ雑感■■少子化対策は、本当に必要? ■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月13日*オカラさんと書いた人を推理する *・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.15
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スペイン :45,989,016人。オランダ :16,592,000人。ドイツ :81,750,000人。ワールドカップの1位から3位までの国の人口だ。4位のウルグアイにいたっては、3,361,000人と884万人の大阪府の半分にもいってない。日本は、一桁多い1億2728万人。3位までの中で一番多いドイツと比べても、スペインの人口ほど多いのだ。これでも日本の人口は少ないのか?人口が多ければ、強いというのなら、中国やアメリカはなぜ、ベスト4に入っていないのか。日本は、人口が多すぎるのだ。産めよ増やせよとばかりに、子育て資金をばらまいて少子化対策をしている場合ではない。国民の数を増やすより、質を高めるためにこそお金を使ってほしい。もっとも、人口抑制の少子化対策だったら賛成だが。過ぎたけれども、◎月11日は世界人口デー。◎膨れ上がる地球の人口を考える日だ。■ワールドカップ雑感■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月11日*民具:筵(むしろ)とかます/茗荷 *・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.13
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サッカーW杯・南アフリカ大会もあと決勝戦を残すのみとなった。私も連日のように、観ていたが気になることがあるので箇条書きしておく。 ★監督今回は、岡田監督。しかしこれまで、オシムだのトルシィエだのと外人監督が目立った。監督は選手にこういう戦術でいくということを言葉で伝えなければならない。なのに、なぜガイジンなのか、不思議でしかたがない。 ★海外移籍と移籍金。日本選手の活躍で多くの選手が所属するJリーグのチームからヨーロッパのチームへと移籍のオファーがあるという。そのさい発生するのが移籍金。Jリーグは、スター選手がいなくなるので痛手になる。その穴を埋めるのが、移籍金。この移籍金で新たな選手をスカウト出来る。「また、23歳以下の選手が移籍する場合には、原則として元所属クラブは移籍先クラブに対し、通常の移籍金とは別に12歳から21歳までの間のクラブ在籍年数に応じた「トレーニング補償(training compensation)」の支払いを要求することができる。なおJリーグに所属するクラブは、日本国内で育成された選手の移籍に伴い移籍金を受領した場合、その4%をJリーグに納めなければならない。」のだそうだ。Jリーグが、いやサッカー界全体にお金が回るようになっている。こうやって、若い選手が育っていくのだな・・・。プロ野球も日本の球団からアメリカに行く選手が多いが、球界全体にお金が回るようにしなければ、人気球団の一人勝ちになってしまう。数年前には、2リーグ制から1リーグ制にしようという動きがあって、球界のストにまでなったことがある。そういう意味ではサッカーの方が先進的だ。 ★メッシサッカーの強いお国柄の南米。その中にあってマラドーナの派手なアクションで知られるアルゼンチンチーム。そのアルゼンチンで一番有名な選手がメッシ。しかし、メッシは、11歳の時に成長ホルモンの分泌異常の症状が発覚、治療なしでは身体が発達しないと診断され、サッカー選手としての未来に暗雲が立ち込める。その頃からその才能には高い評価が与えられておりアルゼンチンの名門クラブであるリーベル・プレートが獲得を検討していたが、クラブの事情により治療費が工面できず断念している。大きな転機となったのは13歳の時に受験し合格したスペイン、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナの入団テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。スペインでの新たな生活を始めることとなる。この時の身長は143cmだった。ユースチームで治療とトレーニングを続けた結果、身長は169cmまで伸び、プレーヤーとしても一流のテクニックを披露するまでに成長。2004-2005シーズンには弱冠17歳にして、プロのサッカー選手としてのキャリアをスタートさせることとなる。アルゼンチンとドイツの試合だったと思うが、頭の上を飛んできたボールを必死でカットしようとするも、身長が足らなくて、ボールは頭の上を飛んで行った。180、190センチの大男に交じって、メッシは堂々と戦っていた。★関西勢の活躍◎岡田監督 大阪◎本田 大阪◎松井 京都◎岡崎 兵庫◎駒野 和歌山関西出身の選手の活躍が目立った。野球でも、野茂や清原など、目立つわ~!関西人は、目立ってナンボ。そういうところがスポーツに合うのだろうか。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月11日*民具:筵(むしろ)とかます/茗荷 *・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.11
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「はらぺこあおむし」という絵本がある。日曜日の朝にたまごからかえった食いしん坊のあおむし。食べるものを探しりんごやナシ...と食べ続け、まるまる太ったサナギになって美しい蝶へと変身する様を描いた美しくシンプルな構成の世界的ベストセラー絵本。娘たちも愛読し、孫のちゅん太も今よりもっと小さい頃に読んでいた。しかし、青虫はかわいいと言っておられないことが起きた。鉢植えのブルーベリーの葉の裏には、青虫がびっしりと!絵本では、可愛らしいあおむしも、実際には、にっくき虫。鉢植えのブルーベリーの葉を食べてしまった。このままほおっておくと、どこまでも繁殖する。うちだけの被害だといいのだが、隣の植木やプランターの野菜も荒らされることになるかもしれない。そう思って、青虫退治をした。 これは、ほんの一部。ところで、なんでこんなに青虫が発生したのだろう?もちろん、私が気をつけていなかったからだが、鳥たちは、青虫を食べないのだろうか?しかし、鳥の鳴き声はしない。鳥のための餌である、田んぼ、木の実が町から消えたから鳥は住むことができないのだ。 うちの家だって、昨年の秋に、ピラカンサ(左)とビワの木(右)が散髪しすぎの頭のように伐られた。裏の駐車場の管理人が、うちの家の敷地からはみ出した木を切ってしまったのだ。はみ出した部分なら仕方がないが、うちの敷地内の枝まで、ついでにと切ってしまった。ブルーベリーの木からとった青虫をごみ袋に入れて捨てるのはしのびない。せめて、鳥の餌にでもなってくれたら、青虫も浮かばれるというもの・・・。 「人は犬に喰われるほど自由だ」。インドのガンジス河で見た、人間の死体を食べる犬を見た藤原新也氏の言葉だ。「ひとは死んだのち、焼かれて灰は河に流される。あるいはその屍を丸ごと河に放り込む。犬が、そして魚がそれを食べる。自然だなァ」とも述べる。人間が犬に喰われるどころか、青虫が鳥に喰われる自由もない・・・。■バイキングの憂鬱■■トイレの憂鬱■■シーツの憂鬱■■野仏の憂鬱■■野仏の憂鬱2■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月7日*七夕の「団子刺し」*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.09
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3月、1泊2日で琵琶湖湖畔の町を訪ねた。この時、行ったのが滋賀県・大津市の瀬田。瀬田には有名な橋がある。◎「瀬田の唐橋」◎とよばれる橋で私はこの橋が見たかったのだ。 瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。それだけなら、まあ、有名な橋ということですむが、この橋、「急がば回れ」とうことわざの語源の橋。武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋江戸時代初期に安楽庵策伝は「醒睡笑」に連歌師の宗長の歌から急がば回れのことわざがうまれたと紹介している。東から京都へ向かうには、瀬田まで南下して唐橋を渡るより、矢橋(やばせ)の港から船に乗って大津へと琵琶湖を横断する方が速いとされていたが、この航路は突風に遭う危険があった。このため、楽で速い方法より遠回りでも確実な方法をとった方がよいというこのことわざが生まれている。 五月雨に隠れぬものや瀬田の橋 という松尾芭蕉の句もあるが、旧暦では、五月雨は五月の雨ではなく、1か月遅れの梅雨の頃の雨。7月7日は旧暦5月31日。今日の雨は五月雨なのだ。「瀬田の唐橋」のことをここに書いておかなければと思いながら、数か月が過ぎたが、先日、日記メイトの■あずーるさん■が瀬田の唐橋の近くに住んでいたという書きこみを機に、ここに記しておこう。 ■アクセス京阪電鉄/石山坂本線「唐橋前駅」下車 徒歩 5 分 JR琵琶湖線「石山駅」下車 徒歩 10 分■石山駅観光案内所TEL:077-534-0706・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月7日*七夕の「団子刺し」*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.07
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■先日の広島への旅行では■◎国営備北丘陵公園◎に行った。園内は広いので、車の通る味気ない道が多い。が、この写真の所は、木が多くて感じがいい。人が歩きやすいように、木で歩道を作っている。 ▲木がところどころ、道の真ん中にあるのもいい。が、気になることがある。それは、植えられた木は、木の道をくり抜いて生えているのだ。幹が太くなったら、どうするのだろう?そう思ってよく見ると・・・。 やっぱり・・・。かわいそうに、木が窮屈そう・・・。こんなのって、気になってしかたがない。公園の事務所に言ってくればよかったと後悔している。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月5日*食い初め/遊び唄:子とろ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.05
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■孤高のメス:あらすじ■♪音が出ます。 一人の医師の信念が、病院を、人々を動かしていく。地方都市にある市民病院に赴任してきた外科医の当麻(堤真一)。そこは、大学病院に依存しなくては運営できない悪しき体制の病院だった。そんな状況の中でも、当麻は自分の信念を曲げずに目の前にいる患者を救うことに全身全霊を注いでいく。ある日、市長(柄本明)が病に倒れてしまう。彼を救う手立てはただひとつ、法律ではまだ認められていない脳死肝移植手術しかない。当麻の決断は…? 現代の医療制度におけるタブーに深く切り込んだ、現職医師の大鐘稔彦によるベストセラー小説を映画化。 箸にも棒にもかからないヤブ医者。そんなヤブ医者に殺されても、手遅れでしたと言われれた私たちは、黙ってしまうほかない。ヤブのくせに、バックの大学病院をかさにきて威張る医者。そんなヤブ医者の前に、黙るしかない新米の医者や看護婦、患者。そんな、医療の密室を描いている。そんな中、外科医の当麻(とうま)は、肝臓移植などの難しい手術をアメリカのピッツバーグ仕込みの腕で周りを変えて行く。田舎の設備の整っていない病院で・・・。当麻医師の手術は、華麗というより、ていねい。本人も言う。「手術は、例えるなら、編み物です。」当麻医師は、手術中にBGMに都はるみの歌をかける。「あんこ椿は恋の花」が、意外や意外、手術にあっていた、と私は思う。出来る当麻医師をこころよく思わない医者たちのねたみや、嫌がらせ・・・。きっと本当に今もあったんだろうな・・・。◎原作者・大鐘稔彦氏◎のプロフィールを読んでビックリ!!1943: 愛知県名古屋市生まれ1968: 京都大学医学部卒業母校の関連病院で産婦人科,麻酔科,外科を専攻1977: A民間病院の院長1989: 「日本の医療を考える会」を起会傍ら、東京女子医大消化器センター、癌研病院,国立がんセンター、ピッツバーグ大学等に手術見学に赴く。「癌患者のゆりかごから墓場まで」をモットーに集学的癌治療を目指すB病院を設立。リアルタイムでの手術公開や“エホバの証人”に対する無輸血手術70例を手がける 。1999 : 30年執ったメスを置き、淡路島の一公立の診療所に赴任、現在にいたる。ドラマではなく、本当の医師が小さな診療所で現役で頑張っていらっしゃるのだ!肝臓移植などの医療は、私は臓器提供者になりたくないし、受けたいとも思わない。けれども、こんなお医者さんだったらいいかなと、ちらっと思った。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月1日*六月捨(す)てえ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.03
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■先日の帝釈峡への旅行で■チラシを見つけた。::::::::::::::「ハンゲのちまき作り交流会」●開催期間 2010年 7月 4日 (日曜日)●9時00分 ~ 17時00分 ●場所 ふれあいの里越原 ●連絡先 庄原市役所比和支所地域振興課 TEL (0824)85-3000 ●詳細 一年のちょうどど真ん中にあたる日「ハンゲ」にしょうぶ酒やちまきを食べて農作業の疲れを癒す風習があります。笹の葉6~7枚で包んでちまきを作ります。 ::::::::::::::::::::::::::::大阪では、7月2日(頃)に半夏生 (はげしょう)という日がある。半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている。上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。岡山の古い歳時記に■六月捨(す)てえ■というのがある。これは、関西で今も残る、半夏生(はげしょう)というのと同じだ。広島でもハンゲという歳時記があり、ちまきを作る。昔の人は、前の年の秋にとりいれた米が、少なくなってしまうこの季節、麦を食べてしのいだのが始まりだと思う。やっぱり、日本中おんなじなんだな。関東は、あるのだろうか、半夏生(はげしょう)にあたる歳時記が・・・。私は、半夏生餅やちまきの代わりに、ホットケーキを焼いて、米の大切さを思うことにした。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年7月1日*六月捨(す)てえ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.07.01
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