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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回は歴史的なことは少しで、それよりも何人かの人の「心の中」を見たような回でした。自分が最高権力者なので誰もが自分に従うし、相手の心の内を読んで思い通りに動かす自信もある源 頼朝(大泉 洋さん)と後白河法皇(西田敏行さん)。だからこそ自分の思い通りにならない相手ーーつまり頼朝は八重(新垣結衣さん)に意地悪をし、後白河法皇は北条時政(坂東彌十郎さん)に、誘いやお願いの言葉をかけたりと、何かと執着していました。極端な場合、いかに自分の思いどおりにこの者を動かして、利用して、流れが自分に都合が悪くなれば綺麗に捨てるか。それを最優先事項で、相手への情も尊重もないのです。現代でも、自分の理想の異性を求めるというより、ゲーム感覚で異性を口説くのを楽しむ人もいると思います。一緒にいて楽しいうちはいいけど嫌になれば綺麗に別れる。どこまでも自分は大事だけど相手への愛はない。なんかドラマを見ていて、そんなことがふと浮かびました。そしてもう一つの心の内・・というか、今までどうやって過ごしてきたのかと思ったのが大姫(南 沙良さん)です。木曽義高のことで深く傷ついたのはわかるけど、現実逃避のような奇行を見ていると、母親の政子も含めてあれから周囲から腫れ物に触るように扱われてきたのではないかと。心が壊れているのか、心がどこかの世界に飛んでいるのか、場の状況も考えずに自分の思いつくまま話しかけ、好きなようにふるまっているのを見ると、生まれながらの姫で皆が遠慮してくれて、大姫は可哀そうだからと皆が自分に合わせてくれて、必要以上に甘やかされた部分もあったのでは?と思ったりしました。下々の者は自分が深く傷つこうがなんだろうが、生きていくために働かなきゃいけないから、いつまでも感傷にふけってなんていられないのです。つまり逆にやることのある人は、忙しいから忘れていられる、動くことで新たな良い出会いがあったりすると昔を忘れることができる、みたいな部分もあるのかなと思います。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 文治5年(1189)夏、源 頼朝(大泉 洋さん)は奥州の藤原氏を討つために全国から兵を集めて進軍し、藤原氏を滅ぼしました。藤原泰衡は家人の河田次郎の裏切りにより討たれ、河田は泰衡の首を持って頼朝の前に参上しましたが、頼朝は主を裏切る不忠者として河田を処刑しました。東北の平定によって頼朝は、治承4年(1180)の挙兵から始まった9年にも及ぶ戦が終結し、全国の支配体制を固めて源氏の世の到来を感じていました。ただ北条義時(小栗 旬さん)にとっては葛藤や迷いもぬぐい切れず、そんな義時に頼朝は「己のしたことが正しかったのかどうか、決めるのは天だ。天罰があるなら甘受する。それまで突き進むのみ。」と力強く言いました。秋になって頼朝が奥州から鎌倉に戻ったとき、北条時政(坂東彌十郎さん)も京から戻ってきていて、頼朝への文からは時政が後白河法皇(西田敏行さん)にたいそう気に入られた様子がうかがえました。時政は京では、後白河法皇との双六でも「いくら法皇様でも駄目なものは駄目」と法皇のずるを許さず、法皇から自分の傍にずっといてくれと言われれば「ご勘弁を。鎌倉で美しい妻が待っているから帰りたい。」と臆することなく法皇からの誘いを拒否していて、時政のその肝の据わりぶりを法皇は気に入っていたのでした。(時政は人生経験が豊富だからか、あるいは自分の身を守る本能が強いのか、この人物にヘタに気に入られたら後で大変なことになると察知して逃げたのでしょう。)一方、法皇は奥州攻めの褒美として頼朝に望みの恩賞を出すと言いましたが頼朝はこれを拒否し、もう法皇の言いなりにはならぬことを暗に示しました。頼朝の態度に恐れを感じた法皇は突然「こんなときに平家がおったらの。」と言いだし、さらに「義仲、義経、なんで滅んだ!」と叫びました。法皇をなだめようと丹後局(鈴木京香さん)が「みんな、院が望まれたこと。」と言うと法皇の怒りの矛先は側近の平 知康(矢柴俊博さん)に向かい「お前が悪い。なんでわしを止めなんだ!この役立たずめ。」とののしりました。(頼朝の夢枕に立って平家打倒の挙兵をさせたときから全部、法皇が次の誰かを取りこんで操って、次々とやらせたことなんですけどね。)ある日、義時は妻の八重と嫡男の金剛を連れて、頼朝のところに来ました。頼朝はかつての思い人であった八重が義時と寄り添って今本当に幸せそうなのが面白くなかったのか、義時が一緒にいるのに、かつて自分たちが逢瀬を重ねていたころの事を絡めてあれこれ話をして八重に語りかけ、八重を困らせていました。これを見かねた妻の政子(小池栄子さん)が夫の頼朝をたしなめると、頼朝もこれ以上はやめておこうと思ったのか、仕事に戻ると言って義時を連れて退出しました。(これは半分は頼朝の意地悪で、半分は下の者には気遣う必用は無いと考える最高権力者の頼朝の無神経だと思いました。)頼朝は側近たちと政務をこなしながら、今度は義時の子である金剛が、性格や顔が自分とよく似ている、我が子の万寿よりも似ている、とまで言いだしました。義時も頼朝が自分をからかっているとわかってはいるものの、やはり気分を害し、でも何を言われても頼朝には何も言い返せない情けない自分がいて、そして内心ほんのかすかな不安もあったので、八重(新垣結衣さん)に打ち明けました。気の弱い夫・義時に八重は「私はあなたを選び、金剛が生まれた。昔はあの人が好きだったけど、どうかしていたと今は思う。あなたでよかった。」と。さらに「あなたがいなければ源頼朝だって今もただの流人。あなたが今の鎌倉をつくった。」とまで言ってくれる八重が愛おしくて、義時は八重を抱擁しました。八重は義時に「私と金剛をお守りください。」と、そして「私もあなたをお守りします。」と言い、義時も二人を守ることを心に誓いました。さて、おなかの大きかった時政の妻・りく(宮沢りえさん)は無事に男子を出産し、北条家の跡継ぎができたと大喜び、そして時政の子たちが時政の館に集まり、皆でお祝いの挨拶を述べていました。ところが政子の子の大姫(南 沙良さん)が突然、理に合わぬことを言いだしたり、呪文を唱えて皆にも強く勧めたり、自分の名を勝手に変えたり、果てはイワシの頭が鬼除けになると言って北条時連(瀬戸康史さん)に頼んで持ってきてもらい、皆がいる場所で生のイワシをさばき始めました。畠山重忠(中川大志さん)と夫婦になった義時の妹のちえ(福田愛依さん)は只今身ごもっていて、部屋に漂う生イワシの臭いに堪えていました。親を失った子たちを世話する八重を誰もがその人徳を認めていましたが、りくだけは義時の嫡男の金剛と他の孤児たちを一緒にさせておくことに不満を持っていました。りくはそのことを話した勢いで、他の不満も一気に話し出しました。近頃は比企の一族ばかりが源氏とのつながりを深めて目立つ働きをする位置にある、なのに北条の働きはぱっとしない、そして文句の勢いは畠山重忠や義時の妹・あき(尾碕真花さん)の夫の稲毛重成(村上誠基さん)にまで及んでいきました。(京で育ったりくは雅な世界が基準だけど、坂東の人たちは地縁や血縁との繋がりをまず大事にしていて、華とか出世とかはあまり考えていないのかも。でも一族の中で一人くらいはりくのように権力との繋がりや華を重んじる人も必要でしょうね。)八重が世話する孤児の中には八田知家が連れてきた鶴丸(佐藤遙灯くん)がいました。ある日、金剛(森 優理斗くん)と鶴丸は取っ組み合いの喧嘩になりかけました。八重が二人を制し、八重は金剛に「いけないことはいけないけど、鶴丸は辛い思いをしてきた。わかってあげて欲しい。」と話して優しく諭しました。でも実は金剛も母の八重を独占できなくて寂しかったのだと知り、八重は金剛に「あなたが一番大事。」と心をこめて伝え、金剛にわかってもらいました。(子どものころに本気で喧嘩した相手は大人になっていい関係になることが多いし、金剛が北条の若様であっても本音をぶつけて向かっていける鶴丸は、自分の考えをきっちり主張できる子で、金剛と相性がいいと思いました。)さて北条時政ですが、自分が奥州攻めの年に創建した伊豆の願成就院に立派な阿弥陀如来像を設置するために奈良から仏師の運慶(相島一之さん)を呼んでいて、その仕上がり具合を見るために義時と時連を連れて願成就院に来ていました。完成直前のその像を見せてもらうと、その御仏の姿は時政が報酬をはずんだと言うにふさわしい見事な出来栄えで、そこにいる皆は美しさに心を奪われていました。義時が伊豆に行っている頃、八重は三浦義村(山本耕史さん)と一緒に子供たちを川遊びに連れてきていました。ところが義村が用足しでどこかに行ったときに鶴丸が川に流されてしまい、鶴丸の泣き声に亡き千鶴丸のことがふと蘇ってしまった八重は我を忘れて川に入っていき、なんとか鶴丸を助けて岸の近くに戻ってきました。戻った義村は急いで川に入って鶴丸を八重から受け取って岸に上がり、八重も一緒に川から上がってくるだろうと思ったのか、八重のことは気にかけていませんでした。しかし鶴丸を助けた八重は力尽きて岸に上がることもできず、意識が遠のいて川に流されてしまいました。義村から事態の報告を受けた政子はすぐに全成に祈祷を頼み、義村も引き続き三浦の家人たちと共に八重の捜索にあたりました。八重のことを聞いた頼朝はさらに、鎌倉中の御家人を集めて皆で探すよう安達盛長(野添義弘さん)に命じました。「八重をけっして死なせはしない!」そう言って頼朝も捜索に出ていきました。(自分が権力者になる前に一人の男として情を交わし、力のない自分だけどどんなときも支え続けてくれた八重は、頼朝にとってやはり特別な存在なのでしょうね。)運慶のことがすっかり気に入った時政は一献を誘い、阿弥陀様も呑みたいだろうと言う運慶の提案で、皆で像の前で酒を酌み交わしていました。時政は酔いつぶれて寝てしまっていますが、運慶は御仏の前だからと酒には口をつけずに皆と付き合っていました。そんな運慶の人柄に触れ、優しい気持ちで阿弥陀様を見上げたとき、義時にはその表情に妻の八重を思い浮かべました。今その八重が鎌倉であまりにも悲しい最期を迎えてしまったとも知らずに。
May 31, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。源 義経(菅田将暉さん)が平泉で最期を迎えるこの回で、どのような流れで義経が討たれるのかを、視聴前に少し想像していました。私の想像では、御館の藤原秀衡(田中 泯さん)が義経を可愛がり過ぎて、それが面白くなかった藤原泰衡(山本浩司さん)や藤原国衡(平山祐介さん)が動くのか、と思っていました。でもドラマでは、新たな御館となった泰衡は亡父・秀衡の言いつけを守って義経を大将軍の地位に置こうとするし、国衡は義経と気が合うのか仲がいい。結局、主役の北条義時(小栗 旬さん)が源 頼朝(大泉 洋さん)に命じられ、泰衡と国衡の兄弟仲の悪さを利用した内部攪乱で義経を討つように運ぶ、という展開でした。なるほどね~。そしてもう一つドラマに流れていたのが、義経の愛妾の静御前(石橋静河さん)と、正妻の里(三浦透子さん)の、二人の女の生き様でした。身分は低くても白拍子として生きる術を持ち、たとえ義経に別れを告げられても自分が愛されている自信がある静御前は、頼朝の前で女の意地と誇りを見せました。逆に身分が高く比企の後ろ盾もある里は、義経に選ばれてずっと付いていき姫が生まれても、どこか自分が愛されている自信が持てなかったのでしょうか。苦労の多い生活で素直に文句をブーブー言っていれば義経もどこかで鎌倉に返してくれたかもしれないのに、里はずっと耐えていました。それゆえか、自分が最期を迎えるとわかったときに恨み言を並べ、京での悪事もばらしてしまいました。全ては静が憎いからと。ただこれはいつの時代でも、男女に限らず、例えば親子関係でもあることだ思っています。親に愛されたい気持ちの強い子が、ふつうの我儘も言えずに親の言うことをなんでも頑張ってやって、いつかどこかで爆発するということが。私は長年時代劇を見ていて、攻められて自刃を決めた大将と奥方は、奥方が「どうか貴方の手で。」と言い、大将が「では苦しまぬよう、ひと思いに。」というのが通常だと思っていたので、意外な展開でした。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元暦2年(1185)春に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしたものの、秋には後白河法皇に追討令を出されることとなった源 義経(菅田将暉さん)。逃亡生活を続けて文治3年(1187)2月、十代の頃から自分を庇護してくれていた奥州・平泉の藤原秀衡(田中 泯さん)の元にたどり着きました。義経を深く愛してくれた秀衡は義経の帰還を心から喜び、「お前は日の本一の英雄、平家を倒したのはお前だ。ようやった!」と誰よりも義経を褒めてくれました。逃亡生活で疲れ果てていた義経は秀衡の温かい言葉に嬉し涙が止まりませんでした。重い病で先のない秀衡は遺言で次男の泰衡を次の御館とし、長男の国衡には自分の妻のとくと夫婦になるよう言い、家の安泰を図りました。(その場の誰もがが戸惑う中、夫・秀衡の真意を瞬時に理解して国衡に挨拶した とく@天野眞由美さんの演技がよかったです)そして廊下で控える義経を呼び、大将軍としてこの奥州を守るよう命じました。皆に今後のことを伝えた後、もう少し命があれば自分が鎌倉に攻め込みたかったと思いを残して、文治3年(1187)の秋に秀衡はこの世を去りました。しかし義経が奥州の平泉に入ったことは、鎌倉の源頼朝にとっては脅威でした。文治5年(1189)閏4月、北条義時(小栗 旬さん)は頼朝に平泉に行って義経を連れて帰りたいと申し出ましたが、頼朝は義経を生かしておけないと言い、さらに義時に平泉を滅ぼすための内部攪乱を命じました。平泉に着いた義時は新たな御館となった藤原泰衡(山本浩司さん)と会い、義経を引き渡すよう伝えますが、頼朝から聞いたとおり泰衡と藤原国衡(平山祐介さん)の兄弟の仲は悪くて些細なことで言い争いが始まり、弟の藤原頼衡(川並淳一さん)が兄たちの仲裁に入っていました。平泉での義経は戦からはすっかり離れて農作業に精を出していました。今の義経には逃亡中もずっと連れてきた比企の娘である妻の里と娘もいるのですが、義時が静のことを話題にするとやはり気になり、静の話を聞きたがりました。静はあれから北条時政の手勢につかまり、鎌倉に連行されて留め置かれていました。静のおなかには義経の子がいて生まれた子が男子なら殺されてしまうので、御台所の政子(小池栄子さん)は静に鎌倉を出て身の安全を図るよう言いました。生き抜くために最初は自分を静御前ではないと偽っていた静でしたが、自分を見下す道(堀内敬子さん)の言葉で意地と誇りが甦り、自ら静御前であると名乗りました。(道は自分の姪・里が義経の妻として平泉で優雅に暮らしていると思っているのかな)静は静御前である証として源頼朝の前で舞を披露することになりました。急なことで鎌倉にはまだ楽士もいなかったので、義時は音曲をたしなんでいると聞いた畠山重忠(中川大志さん)たちに集まってもらいました。武芸とともに腕を磨いてきたという重忠は鐘を、武芸よりも鼓に命をかけてきたという工藤祐経(坪倉由幸さん)は鼓を、そして静御前を間近で見るのが目的で来た三浦義村(山本耕史さん)はふざけた発言で重忠に怒られていましたが、太鼓を担当しました。(この回は全体に悲哀で重たいので、こういう華のある場面があるとホッとします)自分が静御前と名乗り身支度も整えたものの、静にはまだ迷いがありました。なので最初は義時に言われたようにわざと下手に舞って偽者のフリをしました。しかし途中で「生きたければ黙っていろ」と義経に言われたことを思い出し、そのとき静の中で迷いが溶け、なぜか生きるとは逆方向になる静御前の本気の舞を見せました。政子はそれを「女子の覚悟」と、そして頼朝に「挙兵したときに自分も覚悟を決めた。それと同じこと。」と言い、隣にいた大姫の心に「覚悟」という言葉が残りました。その後、静は男子を出産、赤子はやはり殺され静は鎌倉を出て行方知れずに。一連の話を聞いた義経は悲しみを紛らわせようと太刀を振っていたのですが、その姿を義時は泰衡に「義経は鎌倉への憎しみが募っている。国衡と謀って挙兵するだろう」と伝え、頼朝に盾つくつもりのない泰衡は狼狽しました。どうしたらと問う泰衡に義時は「義経の首を鎌倉に。鎌倉が攻めてきたら平泉は滅亡。藤原を自分の代で途絶えさせてもいいのか。」と言葉巧みに泰衡を動かそうとしました。そしてその話を聞いていた頼衡が入ってきて兄・泰衡を諫め義時に太刀を向けたとき、義時に同行していた善児が頼衡を殺害、義時は泰衡に義経を討つ挙兵をさせました。兄・頼朝は自分に死んでほしいのだと察した義経は最後の戦の覚悟を決めました。しかし里(三浦透子さん)にしたら、義経の妻になれば源氏一門として、比企能員の姪として華やかな生活があると思っていたのに、静とは別れ自分だけ連れて行くと言った義経に付いていった先にあったのは逃亡生活と畑仕事でした。里も死を半ば覚悟したのかこれまでの不満を義経にぶちまけ、そして静の不幸を「いい気味だ」と言い、さらに京で襲ってきた刺客は自分の手引きだと打ち明けました。あの一件を兄・頼朝の策だと誤解したがためにその後の全てが狂い、さらに里の執拗なまでの静への嫉妬で、カッとなった義経は里を自分の手で殺してしまいました。平泉での役目を終えて鎌倉に戻ろうとすると義時の前に弁慶(佳久 創さん)が立ちふさがり、義時を義経が潜むお堂に連れていきました。泰衡の手勢が迫る中、義経はこの戦は兄・頼朝の策略で義時はその使いとわかっている、この首で平泉が守れるなら本望だ、と義時に語りました。そして弁慶に「世話になった」と別れの言葉を伝え、戦の場に送り出しました。(木片をつないで防具の代わりとする弁慶の姿は、暗い悲哀の中でも和む場面です。義経は仲のよかった国衡に古い甲冑を1領ぐらい譲ってもらうこともできたであろうに、藤原家には一切甘えなかったのですね。)「平泉に手をだしたら鎌倉が灰になるまで戦う」と言っていた義経は、実はその策を平泉に来てから練りに練っていて、それを義時に伝えたかったのでした。「まず北から攻める。そして北上川から船を出して南側の海から鎌倉を攻める。北にいた兵が慌てて南に向かったら追いかけて、全ての切通しを塞いで袋のネズミとする。そして鎌倉の町に火を放つ。船団が入れるよう通り道の三浦は味方につけておく。」義経は絵図面を広げながら喜々として戦法を義時に語り、義時も思わず感嘆しました。義経はさらにこの戦法の仔細を文にしたためて用意し、それを鎌倉に届けるよう義時に預けました。平家との戦いで幾度も軍議をした梶原景時ならこの策の見事さをわかってくれるはずと期待を込めた義経のその顔には、どこか吹っ切れたものがありました。お堂の外では弁慶が主・義経の自刃の時を稼ぐために必死で戦っていました。弁慶の戦ぶりを板戸の隙間から笑って見ている義経の背中に義時は深く一礼し、文を持って戦場を抜け、平泉を後にしました。文治5年(1189)6月13日、鎌倉に義経の首が届けられました。源 頼朝(大泉 洋さん)は首となった義経に「よう頑張ったなあ」とねぎらい「さあ、話してくれ。どのようにして平家を討ち果たしたのか。」と語りかけました。思い起こせば9年前の富士川の戦の後に、自分に会うために平泉を出て黄瀬川に駆けつけた義経が兄弟再会の喜びで嬉し泣きをしながら「兄上がいる。兄上だなあ。」と叫んだあの日。 (第9回) そして6年前、木曽義仲を討つため出陣する義経が自分のところに挨拶に来て、「戦から戻ったら語り尽くそうぞ。」「京でお待ちしています。」と互いに約束をしたあの日。 (第14回) でも今、自分の前にいるのは、何を問うても物言わぬ首となった弟・義経でした。武家の棟梁となったがために、可愛い弟に非情な決断をせざるを得なかった頼朝は「九郎!」と義経の名を呼び、一人涙しながら首桶に詫びていました。
May 24, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回は全体を通して、追う側から一転して追われる側になってしまった源 義経(菅田将暉さん)の、不運と悲哀だったと感じました。自分が攻撃する側のときは天才であった義経でしたが、狡猾な後白河法皇(西田敏行さん)に、良いことは自分の手柄で悪いことは誰かに責任転嫁の叔父の源行家(杉本哲太さん)に、自分がいいように使われていたことには気が付かなかったようです。事の真偽に関係なく、起こった出来事を自分の都合のいいように仕立てて主張する(吹き込む)人が近くにいる。ふだんならそれは違うと思えることなのに、自分が何かの功名心にはやったとき、想定外のことが起こって精神的に動揺しているとき、さらに吹き込まれるのも3度目になると信じてしまい、そちらに流されてしまうこともあるでしょう。ラストで北条時政(坂東彌十郎さん)は義経のことを「平家を滅ぼすためだけに生まれてきた」と言葉にしました。でも、もし義経に「経験。まだまだこれからじゃ。」と助言してくれる時政のような父親がいたら、あるいは頂点に立つ前にもう少し挫折を経験していたら、義経の道は変わっていたのかなと思いました。そんな義経の悲劇を感じてこのまま終わるのかと思ったら、終盤で北条義時(小栗 旬さん)と時政の親子が二人で後白河法皇に掛け合う痛快なシーンがありました。狡猾な相手に対して一人だったら返す言葉に詰まってしまうかもしれないけど、心を同じくする二人だったら、ましてや一緒に暮らしてきた親子なら、互いに強気になれて思い描くように展開しやすいでしょう。少しはこういう場面もないとね。さて、前回の「壇ノ浦の戦」ですが、どのように映像が作られたのか、興味深いお話が紹介されています。 ⇒ ⇒ こちら こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元暦2年(1185)夏、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後に兄・源頼朝を怒らせた源 義経(菅田将暉さん)は鎌倉に戻ることができず、京で過ごしていました。鎌倉の御家人たちもなんとか義経を鎌倉に戻してやろうと考えていて、大江広元は後白河法皇に義経をどこかの受領にしてもらったらどうかと考えました。受領は検非違使を兼任できないから京に留まる理由はなくなり、弟・義経を許してやりたい頼朝もそれに賛同し、後白河法皇に義経の任命を頼みました。伊予守に任命され、これでやっと鎌倉に帰れると喜ぶ義経は、愛妾の静御前(石橋静河さん)に一緒に鎌倉に行こう、頼朝に会わせてやると上機嫌でした。しかし頼朝・義経の兄弟を離間させようと画策する後白河法皇は義経に検非違使を兼任させ、鎌倉に戻れなくなった義経は落胆していました。一方、鎌倉では、このままでは頼朝と義経がいずれ対立することになると御台所の政子(小池栄子さん)をはじめ北条家の皆は案じていました。父・北条時政(坂東彌十郎さん)が「兄弟のことは兄弟に任せるのが一番」と皆に助言したところ、源氏の兄弟で範頼はまだ壇ノ浦に滞在中。でも実衣(宮澤エマさん)の夫の全成(新納慎也さん)だって頼朝の弟で、全成は10月には父・源義朝の法要があるからそれに義経を呼ぶのはどうかと提案、北条義時(小栗 旬さん)はすぐに頼朝に相談しに行きました。義時が頼朝の元に行くと、京から来て問注所の執事をすることになった三善康信を紹介され、御所内のことをよく知る康信は義時に、後白河法皇は頼朝と義経が対立することを望んでいると教えてくれました。そんなとき文覚が来て亡父・義朝のどくろを持参したと言い、真偽は不明ながらも弟・義経をここに呼ぶためにも頼朝はそれを亡父として認めました。義時はすぐに京に行って法要のことを義経に伝え、義経を説得しました。しかしこのことを義経が叔父の源行家(杉本哲太さん)に話すと、行家は「鎌倉に行けば殺される」と強く主張、でも兄・頼朝を信じたい義経は法皇に許可をもらうと言って行家の話を遮り、院御所に向かいました。院御所で義経は後白河法皇(西田敏行さん)に、鎌倉で行われる父・義朝の供養に是非とも参列したいと強く訴えました。義経の思いをくんで法皇は鎌倉行きを快諾してくれましたが、話をしているうちに法皇の容態が急変してその場に倒れこんでしまいました。法皇は息も絶え絶えに義経に「ずっと傍にいてくれ」と言い、法皇に恩義を感じる義経は鎌倉に行けなくなってしまいました。しかし!法皇のあれは毬を使った仮病で、頼朝が力を拡大しないよう義経と仲違いさせるために義経を利用したのでした。(あれは当時の、幾重にも重ねる着物と、貴人の体には簡単に触れられない習わしがあってできた芝居であり、AEDをはじめ救急救命の措置がある現代では絶対に通用しないことですね)またこの頃の京では、鎌倉を恐れて義経を見限ろうとする武士が増えてきました。義経の愛妾・静を亡き者にしようとする義経の妻・里は僧兵の土佐坊昌俊を手引きして義経と静を襲わせ、あわやという事態になりました。叔父の行家はそれを鎌倉の仕業である、頼朝が義経の命を狙っている、頼朝打倒で挙兵せよと言い、兄・頼朝を信じたい義経は混乱と悲しみの中にありました。そし文治元年(1185)10月18日、後白河法皇は義経に頼朝追討の宣旨を出し、義経の挙兵は早馬で22日に鎌倉に伝わりました。源 頼朝(大泉 洋さん)は全軍で京に攻め上ることを決めましたが、御家人たちの多くは戦になると何をやってくるかわからない義経を恐れて出陣を嫌がりました。そこで梶原景時(中村獅童さん)が自分が総大将になると申し出ましたが、人気のない景時に御家人はだれも賛同しませんでした。これではいけないと義時が目くばせで三浦義村(山本耕史さん)に助けを求めると、義村は立ち上がって「ここで立たねば生涯、臆病者のそしりを受ける。坂東武者の名折れである。」と発言、それに呼応するように畠山重忠(中川大志さん)が皆に戦いを促し、続いて和田義盛(横田栄司さん)が「九郎義経、何するものぞ!」と発言し、皆も呼応して軍議の場は一気に出陣へと流れが変わりました。10月29日、頼朝は軍勢を率いて京に向けて自ら出陣しました。これを聞いた奥州の藤原氏は、息子2人(藤原泰衡、藤原国衡)は「頼朝と義経が戦っている今こそ好機。鎌倉に攻め落としましょう!」と好戦的ですが、当主の藤原秀衡(田中 泯さん)は奥州藤原の勢力拡大よりも、我が子同様に育てた義経のことが気がかりでした。そして鎌倉を出た頼朝の大軍は黄瀬川(現在の静岡県富士市の東隣り)まで進軍しているのに、義経のほうはいっこうに兵が集まりません。苛立つ行家は挙兵を言いだしたのは自分であることを棚に上げ「だから挙兵はならぬと申したのに!」と言い、あげくに「お前を信じたわしが愚かであった。」と義経をなじって一人陣地を飛び出していきました。都合が悪くなると全部自分のせいにして逃げる叔父・行家に義経はあっけにとられ、深く失望しました。(でもナレーションではこんなふうに紹介されちゃってます・笑)ただ今回は義経が行家にそそのかされた感じがありますが、かつて義経も兄の義円をそそのかして叔父に同行させ、そのために義円は戦死しました。なので今度は自分がやられたという感じもします。今のままでは頼朝軍と戦えないので、いったん九州に逃げて再起を図ることを決意した義経は、いよいよ京を離れる前に静に別れを告げました。義経は同行させる妻の里には「どんなことになっても自分から離れるな」と言い、里は勝ち誇り顔で退出していきました。でも里が去った後で義経は静に「里を連れていくのは比企の娘だから。いざという時の人質だ。」と本音を伝えました。そして静に「いつか必ず迎えに行く。」と約束し、自分との関わりは黙して生き延びるよう伝え、静も「はい。」と応えました。義経が失踪した後、後白河法皇は頼朝追討の宣旨を取り消したかと思うと、今度は逆に頼朝に義経追討の宣旨を与え、公家たちを驚かせました。鎌倉に引き返した頼朝は北条時政に義経の捕縛と鎌倉と法皇との橋渡しの役を命じ、時政は鎌倉武士初の京都守護として軍勢を率いて上洛しました。父・時政に同行した義時はくせ者の法皇に皮肉を伝え、それで法皇が言葉を失った隙に時政が「義経と行家を捕らえるために法皇様にお力添えを」と願い出、今度は義時が「全て法皇様を支えるため」と言い、畿内と西国諸国の一つ一つに国地頭を置いて鎌倉方が米と兵を集めることを法皇に認めさせることに成功しました。法皇と渡り合ってうまく交渉をまとめ、宿でひと息ついていた時政と義時でしたが、誰かがいる気配を感じて構えていたら、そこには失踪した義経がいました。自分を捕まえてもいいと言う義経に時政はあえて大きな声で「九郎義経は九州へ逃げ落ちたと聞いておる。ここにいるはずはない。偽物であろう。」言い、そして義経に優しい目を向け、3人で静かに語り合いました。自分を追討する宣旨が出ていると義時から聞いた義経は全てを悟りました。そして自分の何がいけなかったのかを問うと、義時は「人を信じ過ぎるから」と言い、時政は「策に長けた者はかえって騙されやすい」と義経に返しました。この先は奥州に帰ろうかという義経に義時は、新たな戦の火種が生まれるからやめたほうがいい、平家と戦ったときの知恵で生き延びて欲しいと伝えました。義経は二人の元を去るとき「御台所の膝の温かさを生涯忘れない」と、まだ自信がなかった頃に優しくしてくれた政子への言伝を頼んで出ていこうとしました。でもその時に時政が、義経がかつて「経験もないのに自信もなければ何もできぬ」と言ったと声をかけ、そして「では自信をつけるには。経験でござるよ。まだまだこれからじゃ。」と失意の義経の背中に温かく言葉を送りました。義経は笑って振り向き「さらばだ。」と言って、夜の雪の中を駆け出していきました。
May 17, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。治承4年(1180)に始まった源平合戦のクライマックスとなる元暦2年(1185)3月の壇ノ浦の戦を迎えるこの回は、扇の的の話とかある屋島の戦いと壇ノ浦の戦いで、がっつり45分をとるかと思っていました。しかし戦闘シーンは前半で収め、後半は戦後処理に絡めた人々の思いが交錯した展開でした。でもその後半が意外なほど心に残るものでした。実は情け深い一面も持っていた源 義経(菅田将暉さん)の優しい気持ちと、その後の悲しい歴史を知っているが故の、なんとも複雑な思いを残す回でした。義経が藤平太(大津尋葵さん)に約束した里芋のお返し。私の場合つい忘れて「まあいいか。また次の機会に♪」なんて思うこともままあるのですが、そうじゃなくて、鎌倉に来れた今このときに約束が果たせてよかったと、義経のこれから先のことを思うと、そう感じました。現代よりもはるかに移動に時間がかかり、病気や争いで命を落とすことが多かったこの時代です。「一期一会」や「今このときを逃したら」という思いが人々の中に強くあったのかな?とも思いました。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元暦2年(1185)2月、一ノ谷の戦の後、平家軍は屋島(現在の香川県高松市)を本拠とし、瀬戸内海の制海権を握って態勢を立て直していました。それに対して源頼朝は、源義経には四国側から、源 範頼(迫田孝也さん)には九州の豊後側(現在の大分県)から攻めるよう命じ、範頼は周防(現在の山口県防府市)の松崎天満宮に陣を構えていました。しかし範頼は九州に渡る舟を集められず、また兵糧も尽きていたのですが、三浦義村(山本耕史さん)が豊後の緒方一族と交渉して味方につけ、筑前(現在の福岡県)での戦に勝利して平家軍の退路を断つことに成功しました。一方、源義経の軍は摂津国に陣を構え屋島にいる平家軍にどう攻めこもうか軍議を開いていましたが、暴風雨の中で舟を出すのは危険で悩んでいました。出陣を主張する義経に軍奉行の梶原景時(中村獅童さん)は初めは反対していましたが考え直し、義経の「今舟を出せば、3日かかるところを風に乗って半日で阿波に着く」という意見に賛同、義経は自分の手勢を率い荒海の中を5艘の舟で四国に渡りました。そして平家軍に奇襲をかけ、不意を衝かれた平家軍は屋島を捨て、長門の彦島(現在の山口県下関市)に落ち延びていきました。鬼神のような戦ぶりの源 義経でしたが、逆に頼朝は警戒心を抱き、総大将を義経から梶原景時にしました。頼朝の命令ではあるものの、義経自身は戦に出られないことは大いに不満であり、軍議でも結局皆が総大将は義経としました。元暦2年(1185)3月24日の朝、長門国の壇ノ浦にて戦が始まり、義経は平家軍を引き付けた後、舟のこぎ手を射殺すように命じました。兵でないこぎ手を殺すのは戦の作法に反する、末代までの笑いものになると畠山重忠が源 義経(菅田将暉さん)を諫めましたが、義経は「笑わせておけ。」と、そして全軍に「矢を放て!」と命じました。こぎ手を失った平家軍の舟は潮に流されるままとなり、そこに義経を先頭に源氏軍の兵士たちが一斉に襲い掛かりました。(八艘飛びの部分はワイヤーアクションも入ってますよね)戦況を見た平 宗盛は敗北を悟り、二位尼とお付きの女官たちは三種の神器を抱えて次々と海に飛び込んでいきました。平家軍を倒せば安徳帝と三種の神器は取り戻せると考えていた義経にとって、思いもよらぬ展開でした。そしてついに幼き安徳帝も女官に抱えられて海の中へ。平 宗盛(小泉孝太郎さん)は安徳帝の最期を見送りました。義経が「やめろ~っ!」と叫んでも間に合わず、安徳帝は壇ノ浦の海に姿を消しました。あまりの出来事に義経と戦っていた平家軍の兵士たちも力が抜け、皆その場にへたり込んでしまいました。波の下にもあるという極楽浄土に沈みゆく安徳帝。幼き安徳帝のあまりにもいたわしい最期を見届け、舟の上から思わず手を合わせる畠山重忠(中川大志さん)。そして田ノ浦(現在の福岡県北九州市)で背後を固めて戦闘の成り行きを見守っていた範頼軍も和田義盛(横田栄司さん)が合掌を。戦の決着がつき、北条義時(小栗 旬さん)は義経に戦勝の挨拶をしました。浜辺には波で打ち上げられた数多くの平氏軍の亡骸があり、言葉を失う義時に義経は「これは戦だ。犠牲はやむを得ん。勝たねば意味がない。これまで討ち死にした者の命が無駄になる。お前の兄も戦で死んだらしいな。」と。義時が「兄(宗時)は平家に苦しめられる民のことを思っていた。」と応えつつも言葉を濁していたら、義経は察したのか「死んだこぎ手は丁重に葬ってやれ。」と義時に命じました。そして「この先私は誰と戦えばよいのか。私は戦場でしか役に立たぬ。」と言葉を残し、一人浜辺を去っていきました。平家が滅んだ報を聞いた頼朝は、平家打倒の挙兵から5年、さらに父・源義朝のときからの長年の思いがこみ上げ、妻の政子が待つ寝所でむせび泣きをしました。政子の前では「義経がやってくれた。」と喜んでいた頼朝ですが、家人たちの前では安徳帝と宝剣を失ったことを叱りつけてやると言い、文にもそうしたためました。京に戻った義経は後白河法皇から褒められもてなされて上機嫌でしたが、その陰では坂東武者たちが義経の戦のやり方を批評していました。そして一足先に鎌倉に戻った梶原景時も義経のことを頼朝に批判的に伝えていました。そんな動きを義経は知ってか知らずか、白拍子の静(石橋静河さん)を連れて休息のひと時を楽しんでいました。(しかしその陰には義経の妻となった里が・・!)義経は兄・頼朝への釈明のために鎌倉に戻りたいのですが、後白河法皇から検非違使を任ぜられそれを受けてしまったため京から離れられません。そこで法皇に直訴し、検非違使の任はそのままで合戦に敗れ罪人となった平 宗盛を鎌倉に連れていき、再び京に戻るという約束をしました。宗盛を鎌倉に連行するとき、宗盛は義経に「処刑の後は体だけでも息子・清宗と共に埋めてほしい」と頼みます。そして義経は宗盛に兄のことを問い、宗盛は「兄弟で心を開き合ったことはなかったけど、信じ合っていた。それが兄弟というもの。」と応え、京を後にしました。義経が検非違使を辞めていない、また京に戻るという話を聞いた頼朝は不快感を示し、梶原景時は「義経は法皇にかなり気に入られている」と頼朝に言い(これは事実)、さらに義経が頼朝の跡を継ぐのは自分だと勘違いをしても仕方がない、と自分の憶測も添えて伝えました。一緒にいた義時は義経にそんな野心は無いと頼朝に訴えるものの、景時がいっそう語気を強めて義経を鎌倉に入れてはいけないと言い、頼朝も景時の考えを受け入れ、義経が鎌倉に来ても会わないと言い、義経を腰越で留め置くよう命じました。景時は、頼朝と義経はどちらも己の信じた道のためなら手を選ばない、二人が並び立つことはないと考え、頼朝に付くことを決めたのでした。義経一行は鎌倉の西の腰越に到着するも、義経は兄・頼朝に会うことは叶わず、義経は自分がなぜ頼朝に疎まれるのかわからないままでした。鎌倉に着く頃にはどこか打ち解けた感のある平宗盛が義経に、頼朝に文を書いてはどうか、よければ自分が代筆すると言い、頼朝に文をしたためてくれました。(ここで宗盛が何か仕掛けるのかと思ったけど、ホントにただの親切でした)結局その文は役に立たず、頼朝から宗盛を連れてすぐに京に帰れと言われた義経は、これからは後白河法皇を第一に仕えると決意しました。ただ明日の朝鎌倉を発つ前に、罪人同士が会うことは禁じられているけれど内緒で、京に戻れば死罪となる宗盛のところに息子の平 清宗(島田裕仁さん)を連れてきて、今夜は親子でゆっくり語り合うよう言い、二人を別室に案内しました。義経の粋な計らいに宗盛は心から感謝しました。腰越という地は義経にとって、兄・頼朝が挙兵したときに兄を追って平泉から出てきたときに立ち寄った地で、義経一行が空腹でたまらなかったときに親切な領民・藤平太(大津尋葵さん)から煮芋をわけてもらった思い出がありました。そのときに義経は藤平太に、いずれ出世して荷車いっぱいの芋を返すと約束していて、たくさんのふかし芋を用意して藤平太たちが来るのを待っていました。義経のような身分の人が自分との約束を守ってくれ、自分たちと一緒に芋を食べながら昔話で一緒に笑ってくれ、藤平太は感激していました。今、義時の目の前にいるのは、源氏の名に恥じぬよう生きると決め、宗盛親子に語らいの時を与え、そして領民たちから慕われ共に笑っている源義経でした。
May 10, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回ではドラマの始まりで工藤祐経(坪倉由幸さん)の背後に忍び寄り、祐経を親の仇と思って石をぶつけていく身なりの良い2人の少年が現れました。私もそうでしたが、歴史好きな視聴者の頭には、ぱっと「曽我兄弟」が浮かんだことでしょう。実際にそのような展開になるのかは三谷幸喜さんの脚本なのでなんとも不明ですが、展開が楽しみになりました。でもこの後は、源 義高(市川染五郎さん)がなんとか生き延びるよう、源 頼朝(大泉 洋さん)に逆らったら自分の命がなくなるというリスクを承知の上で、様々な人が動いていきました。それでも間に合わなかった義高の命。そして義高を討った藤内光澄(長尾卓磨さん)の処刑。ドラマ内では御台所の政子(小池栄子さん)の言葉の重みとありましたが、それで思い出したことが。2008年の大河ドラマ『篤姫』の中で、篤姫の教育係だった幾島が「上に立つ者はあいまいな言い方をしたり、言うことをコロコロ変えてはいけない。下の者が困る。」みたいな部分がありました。それを聞いて以降、歴史ドラマを見ていると、たしかに最高位の者は下の者が意見を言い合うのをじっと聞いていて、最後に自分の決断を述べるという形でした。今回の政子の場合は、一時の激情で発した言葉が今までなら「あのときは言い過ぎた」で済んだものが済まなくなり、御台所の気持ちを~という形で利用されました。御台所という地位の言葉の重みというか、自分の発言は時に誰かに都合よく利用されることもあるという、今を生きる私たちにも戒めとなる展開だったと思います。それにしても、愛妾の家を壊したといって髷を切られた牧宗親といい、命じられて手柄を立てたはずなのに処刑されるはめになった藤内光澄といい、まあタイミングの悪さもあったでしょうが、トップ2人の考えがあまりに違うと、この時代の下の者たちはまさに命がけですね。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 寿永3年(1184)2月7日、一の谷の合戦で平氏軍に勝利した源義経は京の院御所で後白河法皇に戦勝報告をし、法皇は大いに喜んでいました。そして合戦後に鎌倉に戻った北条義時(小栗 旬さん)を工藤祐経(坪倉由幸さん)が突然訪ねてきて、互いに近況を語り合っていたのですが、そのとき祐経の後をつけてきた身なりの良い2人の少年が祐経に石をぶつけ、「人殺し!」とののしりました。どうも少年たちは祐経のことを親の仇と恨んでいるようで、八重(新垣結衣さん)には見覚えのある子たちでした。2人の少年は追い払われて一旦は引き下がったものの、またこっそりと祐経の背後に忍びより、もう一度祐経に石をぶつけて逃げていきました。(しつこい・笑)木曽義仲を討伐したものの、源頼朝にとっては鎌倉で預かる義仲の遺児の源 義高(市川染五郎さん)のことが気がかりでした。嫡男・万寿のためにも義高を生かしておくわけにはいかないと考えた頼朝は、義時の自分への忠誠を試すことも兼ね、義高の誅殺を義時に命じました。義時にとっては気の重い命令でしたが実行するしかなく、まずは義高を幽閉。しかし政子(小池栄子さん)はなんとかして義高を救ってやりたくて、義高に会って伊豆山権現にかくまってもらうことを提案、しかし義高は頼朝と義時を父・義仲の仇と考えていることを政子たちに話し、政子の思いを拒否しました。さて京に滞在する源 義経(菅田将暉さん)ですが、戦で大手柄をたてた褒美として後白河法皇から検非違使を任ぜられました。義経に同行していた中原親能は源頼朝の任官推挙が出ていないと法皇に伝えますが、法皇は「頼朝は忘れてよい」と言い、義経はそれを喜んで受けてしまいました。法皇に気に入られ、更なる出世欲に燃える義経とそれを喜ぶ配下たちは意気揚々で酒も進み、そしてそこに法皇が遣わした白拍子たちが美しい舞を始めました。これまで見たことがない世界に、酒の勢いもあってか義経の心は高ぶりました。しかし義経は以前鎌倉で比企能員の姪の里に手を出したことがあり、比企と源氏のつながりをねらう能員はそれを理由に義経と里の婚儀を進めていました。一方、義時は和田義盛(横田栄司さん)が捕らえて預かる木曽義仲の家人だった巴(秋元才加さん)から、義仲から義高に宛てた文を託されました。その文には、義高が頼朝を仇と思わぬように、これ以上源氏同士で争わぬように、頼朝が平氏を討伐するのを義高に見届けて欲しい、と書かれていました。父・義仲の思いを受けとめた義高は生き延びようと決心をし、伊豆山権現に逃げる助力を政子に頼みましたが、義時に対しては疑いの気持ちを持っていました。姉で御台所の政子の言うことは素直に信じるのに、自分のことは変わらず疑う義高に義時は悲しい気持ちになりましたが、それでも義高を逃がすためになんとかしようと源 頼朝(大泉 洋さん)に気づかれぬよう政子や実衣たちと策を練っていました。すると三浦義村も来て、御所の東の名越の先に寺があるからそこに入り、明日の朝三浦が舟を出すから伊豆山権現に入ってはどうかと提案しました。義時は義高の逃亡計画を進める一方で、義高を誅殺するよう自分に命じた頼朝の前では計画が発覚しないよう努めなければなりません。そこに鎌倉にきていた武田信義・一条忠頼の父子が密かに義高に接触した報も入り、義高の身辺に対する頼朝の警戒がますます強くなっていきました。(こんなときに義経に嫁がせる姪のことで頭がいっぱいの比企殿、和みますわ)頼朝が側近たちを集めて京での話や木曽義仲という人物についての話が盛り上がっていたころ、ちょうど義高が実衣たちの助力で脱出している最中で、義高たちのことが心配で気が気でない義時は頼朝たちの話も上の空でした。そして話の流れで義仲についての話の真偽を確かめるべく比企能員が動こうとしたら、安達盛長(野添義弘さん)が能員を制して義高のところに行きました。しばらくして戻ってきた盛長は特に変わった様子はないというそぶりで頼朝に報告。後で義時が盛長に礼を言ったとき盛長は、自分も義高に生き延びて欲しいと思う、そして御家人たちの心がこれ以上頼朝から離れてほしくない、と思いを語りました。女装してなんとか御所を脱出した義高は八重の協力で三浦義村(山本耕史さん)と合流し、御所の東の岩本寺に向かいました。しかし義高の脱出は餅を差入れにきた一条忠頼によって発覚し、報を聞いた頼朝は御家人たちにすぐに義高を追って捜しだし、見つけ次第首をはねよと命じました。義高が討伐した義仲の子であっても死なせたくはないと、畠山重忠(中川大志さん)と和田義盛(横田栄司さん)も考えていました。そこで義時は二人に、義高が今夜は御所の東の岩本寺にいるから逃げるための時を稼いでほしいと頼み、重忠も義盛もそれを受け入れました。義高の捜索に出発するとき、重忠と義盛は家人たちの目を西に集めるためにあえて「義高はふるさとの信濃(鎌倉の西)に向かった。これより西の山中を捜す。」と言い、その言葉に藤内光澄は必ず自分が見つけ出すと意気盛んに答えました。しばらくして三浦義村が岩本寺の様子を見に行くと義高はそこにはいなくて、義時宛てに文を残して密かに逃げ出した後でした。その文には、自分はやはり義時を信じることができない、ふるさとの信濃で生きると書かれ、御家人たちが大勢いる西に義高が向かったことに義時は落胆しました。そんなとき頼朝のところに大姫(落井実結子ちゃん)が来て父・頼朝に義高の助命嘆願をし、聞き入れてもらえないなら自害すると懐剣を抜いて迫りました。大姫の強い思いに負けた頼朝は、義高を捕まえても殺さぬよう御家人たちに伝えよと義時に命じ、義時はすぐに出立しました。義高の助命に関しては、政子たちは今まで何度も頼朝に騙されている経験から、大姫の目の前で一筆書いてもらうことにしました。しかし時すでに遅し、藤内光澄(長尾卓磨さん)が義高を討ち取っていて、光澄が義高の首を持って頼朝の元に来たので、義時はすぐに大姫を下がらせました。手柄首を頼朝に差し出し得意満面で報告する光澄、これは天命ぞとつぶやく頼朝、そして怒りと悲しみで「断じて許しません!」と声を荒げて退出する政子でした。その夜、頼朝から義時に、一条忠頼(前原 滉さん)を謀殺する手はずをすることと、明日までに藤内光澄を咎人として処刑するよう命令がきました。頼朝には逆らえないとわかっていても義時には承服しかねることでした。そんなとき義母のりくから「妻子を持てば貴方の命は貴方だけのものではない」と諭され、父・北条時政からは「覚悟を決めろ」と言われ、義時は決心しました。頼朝の前に案内された忠頼は頼朝から一番手柄と褒められた後、義高をそそのかして頼朝への謀反を企んだとしてその場で謀殺、そして光澄は捕らえられ処刑されました。忠頼を謀殺した後、義時は忠頼の父・武田信義に起請文を書かせ、さらに信義に今後は頼朝と競い合おうと思わぬようにという警告だと言葉を添えました。そして義高を討ち取った藤内光澄がその後処刑され固瀬川に首が晒してあると義時から聞いた政子は、事の顛末に驚きました。そんな姉・政子に義時は、あの時けっして許さぬと言った姉上の言葉がこうなった、御台所となった今は言葉の重みが違う、我らはもうかつての我らではない、と。この手を血で汚しながら前に進むしかない、そんな父を許してくれと義時は金剛を抱きながら静かに涙するのでした。
May 3, 2022
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