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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。1月に始まった大河ドラマが、もう40回を迎えました。ふと気がつけば、今年の主役の北条義時(小栗 旬さん)は暗くて重たい役柄のようです。昨年の『晴天を衝け』では、主役とその周囲はどんどん前進していき、いつも溌剌としていました。6年前の『真田丸』や4年前の『西郷どん』でも、主役とその周囲はやがて訪れる敗北に向かいつつも、どこかに吹っ切れた明るさを持っていました。そう思うと、今年は・・。たしかに鎌倉初期は御家人たちのつぶし合いが多かったし、北条がその中で権力を掌握していったのだから、明るくは無理なのかもしれませんが。義時は亡き兄・宗時の思いにとらわれ、かつその実現のための力を何のかんのとに手に入れてこれたから、力ずくでも成し遂げようとしているのか。あるいは「先に潰さなければそのうちこちらが潰される」ことへの怯えなのか。鎌倉の安泰のためなのか、泰時に権力を残すためなのか。渦中にいる本人はもう全てが理由で、こうなったら流れに任せるしかない状況なのでしょうか。そして義時は、源頼朝の頃から共に鎌倉をつくってきた和田義盛(横田栄司さん)の存在が、いよいよ邪魔になってきました。ただいったんは源実朝(柿澤勇人さん)のとりなしで戦が収まった両者が、実朝が義盛を遊びに誘ったことで義盛の帰りが遅くなり、それを知らない和田一族が先に蜂起してしまうという流れができてしまいました。いつの時代でも、戦に限らずビジネスでも人間関係でも、思わぬきっかけで事は動き出してしまうのですね。ところで先週の予告であった「無数の和田義盛」。てっきり戦になって和田が影武者をいっぱい作ったのかと思ったのですが、そうじゃなくて「似たような風体が約100人、御所に押しかけてきた」ということでした。三谷さん、やるなあ・笑NHK『鎌倉殿の13人』のHPでは、各回の『吾妻鏡』の内容を紹介しています ⇒ ⇒ こちら (「歴史」をクリックするとこれまでのがまとめて出てきます)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 の案内が出ています。 ⇒ ⇒ こちら 建暦2年(1212)7月、後鳥羽上皇は前の月に焼失した京の閑院内裏の再建を鎌倉に命じ、鎌倉殿の源実朝はそれを了承しました。和田義盛(横田栄司さん)のところにはこの命令を受け入れられない長沼宗政(清水 伸さん)ら御家人たちが集まり、義盛に不満をぶつけていました。皆から意見を求められた八田知家(市原隼人さん)は、自分は言われた仕事はこなす、と言いつつ、ただし坂東に限ると付け加え、御家人たちも同意していました。和田義盛は不満を持つ御家人たちの旗頭になっていて、執権で鎌倉内を動かしている北条義時は義盛の動きを警戒するようになりました。建暦3年(1213)2月、鎌倉がそんな空気になっている中、泉親衡の乱が発覚し、それに関わった者たちは全員厳罰に処すよう義時は考えました。しかしその中には和田義盛の甥の和田胤長(細川 岳さん)と息子の和田義直(内藤正記さん)と和田義重(林 雄大さん)が入っていて、義盛は自分が謝ってなんとか許してもらおうと御所に参上しました。また大江広元はこの乱を、義時のことを嫌っている後鳥羽上皇の差し金で、上皇は御家人をたきつけて鎌倉を内部から揺さぶるつもりだと考えていました。義盛は執権の北条義時(小栗 旬さん)に土下座して詫び、若い者たちは軽く考えて反乱に加わってしまったのだと許しを乞いました。結果、義直と義重はお咎めなしと北条時房(瀬戸康史さん)から告げられたものの、皆に声をかけて回った胤長だけは許すことができない、命は取らぬが他の御家人たちへの示しのために流罪にする、と義時から告げられました。甥の胤長だけは許してもらえないと知った義盛は、我が子他一族の若者たちを集め、皆で御所に出向いて義時とかけあおうと決めました。一族の皆で頭を下げたら義時だって許してくれる、と義盛は考えていました。しかし御家人たちからの信頼が厚く、上総介広常を彷彿とさせる和田義盛の存在は、義時にとって煩わしいものでした。この機会に和田義盛に消えてもらおうかーーそれは大江広元も同じ考えでした。翌日、義盛は一族98人を引き連れて御所の南庭に集結し、胤長の赦免を求めました。しかし胤長は陸奥へ流罪とすでに決まっていて、広元は「ここで沙汰を変えたら力に屈したことになる。」と言い、一方で三善康信は「あれだけの人数が暴れたら大変なことになる。」と考えました。和田に事を起こさせることを考える義時は、あえて胤長を縛り上げて一族の皆の前に引き出して恥ずかしめ、義盛が実朝に会わせてほしいと懇願して一族が土下座しても、一切聞き入れませんでした。御台の千世(加藤小夏さん)に自分の真実を打ち明け、千世もそれを受け入れてくれ、心が通い合うことができた鎌倉殿の源 実朝(柿澤勇人さん)。今日は二人で母の尼御台・政子(小池栄子さん)のところに来て、大根葉の下処理を手伝っていました。食材の扱いを幼い頃に爺様(北条時政)に教えてもらったと言う実朝、そして高貴な生まれで自分が食事を作るなんてなかったけど、これは下女のやることなどと拒否をせずに実朝に付いて一生懸命に学ぶ千世の、二人の姿は微笑ましいものです。(明るくて優しくて温かい世界観は、このドラマでは貴重な癒しの時間ですわ)そんなころ、甥の胤長に対する仕打ちに深く悲しんでいた義盛は、三浦義村と酒を呑みながら愚痴をこぼしていました。義村は義盛に「いっそのこと北条を倒して新しい鎌倉をつくるのはどうだ。御家人の不満が高まっている。和田義盛が立てば多くの者がついてくる。」と提案しました。そこまではと考えていた義盛でしたが、捕まっている胤長の娘が父に会えぬまま病で息を引き取ったその瞬間、義盛の中で義時を許せない気持ちが大きく膨らみました。一方、父・義時が義盛を追い詰め、さらに和田を滅ぼそうとしているのがわかる北条泰時(坂口健太郎さん)は、なぜそこまでするのかを父に問うていました。「北条の世を盤石にするため。お前の代になったとき必ず和田一門が立ちはだかる。だから今のうちに。」と言う父に泰時は「自分は誰とも敵を作らず、皆で安寧の世を築いてみせます!」と反論しましたが、泰時は父から謹慎を言い渡されました。その後で義盛との話を終えた義村が来て、義村が父・義時と結託して義盛を唆しているのを知り、泰時は茫然としました。父を止めたい泰時は伯母で尼御台の政子の元へ行き、事の次第を伝えました。話の途中で義時が来て、義時は泰時は退室させ、姉と弟の話し合いになりました。「この先も和田義盛には北条の敵となる野心はない。」と政子が言うと「あの男に野心はなくても周りが担ぎ上げる。」と言い、さらに「兄上の望まれた世が目の前まで来ている。姉上は関わらないでほしい。」と。そんな義時に政子は「私に政に関われと言ったのはあなただ。一人で勝手なことをしない!」と強く叱り、義時もこれ以上は義盛をけしかけることはしないと言って退室していきましたが、政子は弟の言葉を信じてはいませんでした。案の定、後で義時は大江広元には「和田をたきつけるいい手を思いついた」と。政子は三浦義村を呼び、和田に戦をあきらめさせるためにも三浦は北条に付くよう頼み、その見返りとして義村を宿老に取り立てることを約束し、義村も承諾しました。さて暖かくなり、御台の千世と花を愛でるために外出した実朝はこの折にと歩き巫女(大竹しのぶさん)のおばばに千世を引き合わせていました。おばばは千世の幸せの中にある大きな寂しさを感じ取っていました。そして実朝に「じき大戦が始まる。この鎌倉が火の海になる。由比ガ浜に髭面の首が並ぶ。」と予言しました。おばばの恐ろしい予言に実朝が不安にかられていると平盛綱(鶴丸・改)が天幕に入ってきて、至急御所に戻るように伝えました。和田義盛が受け取るはずだった胤長の館を義時が没収してしまったのです。御所に戻った実朝は叔父で執権の義時から、これは和田に戦を起こさせるための仕掛けであると聞かされました。しかし自分が最高位にあっても実朝は政治的にこの叔父には逆らえないので、急ぎ母である尼御台に相談しました。どうしても義盛と話がしたいと言う実朝のために政子は「我が家に伝わる秘策。今のところ1勝1敗だけど。」と義盛にコレをやらせました。女装してなんとか御所に入り込んだ義盛と、実朝は話ができました。武人としての屈辱にもう我慢ができないと言う義盛に、実朝はおばばの予言を伝え「お前を死なせたくないのだ。」と言って義盛の手を取りました。畏れ多いことと恐縮する義盛に実朝は「いつまでもそばにいてくれ。義時も鎌倉を思ってのこと。二度と行き過ぎた真似をしないよう、私が目を光らせる。またうまい鹿汁を食べさせてくれ。」と、義盛を失いたくない思いを伝えました。「和田義盛は鎌倉一の忠臣だ。」ーー実朝の言葉に義盛は感涙が止まりませんでした。そして実朝は義時と義盛を並べ「二人とも私に免じて此度は矛を収めて欲しい。」と二人は実朝の言葉を受け入れて和解し、実朝はその後で義盛を双六に誘いました。実朝と義盛が部屋を出た後で、政子は義時にもうこれで戦をする口実がなくなったと義時に念押ししました。それでも義時が内心は和田を滅ぼすことをあきらめていないのがわかるので、政子は「戦をせずに鎌倉を栄えさせてみよ!」と語気を強めて弟を叱りました。「姉上は甘すぎる。」と言葉を残して義時が部屋を出ると、廊下でそのやりとりをずっと聞いていたのか、義盛がそこにいました。「考えたら皆死んで、昔からいるのは俺と義村ぐらいだ。今の鎌倉殿を守っていこう。政は任せるから、力が要るときは俺に言え。誰であろうと鎌倉の敵は俺が討ち取る。これからも支え合っていこう。」ーー義盛はわだかまりなくこう言いました。でも義時はわだかまりを隠せないままでした。こうして御所の中では戦は収まったのですが、義盛の帰りが遅いことで和田の一族は何かあったのではと誤解し、御所に攻め入る態勢に入りました。「共に北条を倒そうぞ!」と皆を鼓舞する三浦義村(山本耕史さん)でしたが、巴(秋元才加さん)は義村を信じていなくて、起請文を書くよう要求しました。出陣していく和田一族と、寝返る手がなくなった義村たち、そして一方御所ではもう戦がないと武装解除になっていました。建暦3年(1213)5月のことでした。
October 25, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回では2代目執権となった北条義時(小栗 旬さん)が自分が鎌倉を変えると、無理が目立つようになりました。前回までは、義時が非情と思われることをしてもそれは「鎌倉を守るため」という信念を感じました。でもこの回は義時が、「北条を坂東武者のてっぺんにする」という亡き兄・宗時の思いを叶えるために、かなり強引に事を運んでいこうとする姿に思えました。そして源 実朝(柿澤勇人さん)という人物像が、いくつかはっきり出てきました。自分がものを言う前に、つい相手の気持ちや立場を考えてしまう、良くも悪くも優し過ぎる部分。そして意外だったのが、実朝くん、少し前の回あたりから北条泰時(坂口健太郎さん)に対する表情が、なんかものを言いたげな、思うところがあるような感じがしてたのですが、まさかこのような展開とは、ちょっと想像してませんでした。これは思いを知ってしまったほうは、かなり複雑な気持ちになるでしょうね。でも柿澤さん、和歌を詠む声が本当に美声です。感想ツイートに「柿澤さんの声で詠んだ百人一首のCDを作ってほしい」とあるけど、全くその通りだと思います。NHK『鎌倉殿の13人』のHPでは、各回の『吾妻鏡』の内容を紹介しています ⇒ ⇒ こちら (「歴史」をクリックするとこれまでのがまとめて出てきます)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 の案内が出ています。 ⇒ ⇒ こちら 承元2年(1208)2月、源 実朝(柿澤勇人さん)は疱瘡を患って一時期は生死も危ぶまれましたが、無事に回復しました。実朝の母で尼御台の政子(小池栄子さん)は、伏せっている我が子の役にたとうと思ったのか、政の勉強をしていました。ただ父・北条時政を追放した後に2代目執権となった北条義時(小栗 旬さん)は、最近は実朝に対する圧力が強くなり、おとなしく為政者としてまだ自信が持てない実朝は義時の意向に沿う決定が目立つようになり、周囲もそれを感じていました。承元3年(1209)8月、実朝が京に送った歌が源 仲章(生田斗真さん)の仲立ちで藤原定家の手直しを受けて、鎌倉に戻ってきました。定家からこう直したほうがよいと言われた箇所は、実は三善康信(小林 隆さん)が実朝に進言した部分で、元の実朝のほうが出来が良かったことで康信は申し訳なく思っていました。仲章から「二度と鎌倉殿に余計な事を言わぬように。」と釘を刺され、すっかり気落ちしてしまった康信を実朝は、「お前の歌のほうが私は好きだ。歌を詠む面白さを教えてくれたのはお前だ。」と優しく励ましていました。実朝の元へ嫁して5年たつ千世(加藤小夏さん)でしたが、実朝は自分を大切にしてくれるもののまだ夫婦の実感はなく、もどかしい思いを抱えていました。なんとか実朝との距離を縮めようと実朝に負担をかけない範囲で努力するのですが、その大事な時間に和田義盛(横田栄司さん)が突然やって来てやっと作った二人の時間が潰れてしまったりして、千世は深く悲しんでいました。政子が台が壊れて困っていたら、八田知家(市原隼人さん)が修繕を申し出て快く引き受けてくれました。知家は政子と二人になるこういう機会にと、御家人たちの間で北条家の評判が良くないことを伝えました。実際、弟の義時は御家人たちの力をそぐために守護を2年おきに変えようとして、その根回しとして三浦義村に協力を頼んでいました。義村は義時の前では快諾していましたが、本心は腹立たしく思っていました。政務に疲れた義時は気分転換に嫡男の北条泰時(坂口健太郎さん)のところに来て、ちょっと横になったりしてくつろいでいました。義時はふと、長らく北条家に仕えている家人の鶴丸(きづき さん)に諱名をつけてやろうと思い、鶴丸に「平盛綱」という名を与えました。立派な名前をもらった鶴丸は喜んだ勢いで、自分を御家人にしてほしいと義時に願い出て、初めは泰時に叱られて下がりましたが義時はそれもいいだろうと考え、鶴丸に「弓比べに紛れ込み、ひときわ目立つ働きをしてみせよ。」と条件を出しました。先代の鎌倉殿の遺児である善哉(高平凛人くん)は3年前に実朝の猶子となっていて、このときは母親のつつじ(北 香那さん)とともに御所に来ていました。政子に案内されて庭にでた善哉がそこで亡き父・頼家が蹴鞠に励んでいた証を見て父に思いを馳せていたら、実朝と北条時房(瀬戸康史さん)が来ました。比企が滅亡したときに逃げ延びた比企尼から聞かされたことが心に焼き付いているのか、義理の父となった実朝を義父上と呼べない善哉でした。時房の指南を受けて蹴鞠に夢中になる善哉を見て、政子は「頼家の分まで全哉を幸せにしてやりたい。」と心から願ったのでした。そして平盛綱(鶴丸・改)の命運をかけた「切的の会」が始まりました。(承元3年(1209)11月の出来事です)右方左方ともに競り合っていて、泰時が的を射抜くと、父親の義時はもちろんのこと、実朝も本当に嬉しそうでした。そしていよいよ盛綱の番になり、ここで決めれば右方の勝ちという大事な場面です。盛綱が放った矢は的を射抜き、右方の勝ちとなる見事な働きでした。立場的には主従の関係だけど、幼馴染で互いに心の友である盛綱の働きを泰時は心から喜び、盛綱もこれで御家人の仲間入りができると嬉しくて、二人は抱き合って喜びを分かち合いました。そんな二人を目の前で見た実朝は、健闘をたたえることもできずに、どこか複雑な表情でした。(このシーンにとても大事な意味があることが、私もこのときはわかりませんでした。てっきり親友がいる泰時が羨ましいのかと。)会が終わった後、義時は実朝に、盛綱を御家人にしてやりたいと申し出ました。しかし実朝は「一介の郎党を御家人にはできない。」と反対し、さらに「和田義盛の上総介の推挙を止めて、守護の任期を決めたのもお前だ。」と義時に強く言い返しました。すると義時が「鎌倉殿の言う通り。自分はもうここにいる必要はないから伊豆に引き下がる。」と言うので、まだ自分一人で政をする自信のない実朝は、結局は自分が間違っていたと言い、盛綱を御家人にすることを認めました。そんな実朝に義時は「鎌倉殿の前言撤回は良くない。これからも私のやることに口を挟まぬように。」と威圧的に言いました。実朝の目には悔し涙がうっすらと浮かんでいました。夫・実朝がいまだに自分によそよそしく感じられて寂しくてたまらなくて、同時に世継ぎのこともあると考える千世は、思いきって実朝に訊ねました。「どうして私から逃げるのか。私の何が気にいらないのか。」と涙ながらに言う千世を見て実朝は、千世の手を取り意を決して伝えました。「初めて人に打ち明ける。自分には世継ぎを作ることができないのだ。貴女のせいではない。私は…どうしてもそういう気持ちになれない。貴女にすまなく思い一緒にも居づらかった。」と。夫の真意を知った千世は、夫はずっと一人で悩んで夫なりに辛かったのだと思いを受けとめ、実朝に抱きつきました。「私には応えてやることができない。」ーー「それでかまいませぬ。」実朝と千世の、二人の心がつながった瞬間でした。(実朝は誰に対しても優しいから、千世もそういう気持ちになれると思います。)さて、前に実朝から和歌を一首渡され、その返歌を求められていた泰時でしたが、でも意味がよくわからずにどう返歌を書いてよいのかわかりませんでした。それを見た源仲章が、それはせつない恋心を詠んだ歌だと教えてくれて、泰時はようやく歌の意味が理解できました。実朝が間違えて自分に渡したのだと思った泰時はこの歌を持って実朝のところに行って返却しました。実朝はちょっと残念そうな顔をしながら間違えたと言って、少し考えて今度は違う一首を詠みながらそれを泰時に渡してくれました。泰時は礼を言って退出しましたが、館に戻ってその歌を改めて見直すと、これはどう見てもやっぱり失恋の歌です。「鎌倉殿はまさか私を…? いや、まさか。でもあの歌の次にこれが来て…。もしかしてそうなのか? あの優しいお方に私はどうしたらよかったのか?」ーーなんとも言いようがない気持ちがわいてきて心が乱れる泰時は、酒をあおって気持ちを紛らわそうとしていました。このところの義時のやり方に対して、源頼朝の頃から鎌倉を支えてきた古参の御家人たちは、自分たちがないがしろにされていると強い不満を感じていました。三浦義村(山本耕史さん)も頼朝の頃からこれまで何かと義時に頼られ、鎌倉のためにとその都度協力してきました。でも近頃は義村にとって不都合なことでも協力が当たり前のような義時の態度に、義村も内心は怒りをためていました。「俺たちをないがしろにしたら痛い目に遭うってことを思い知らせてやろう。」ーー頼朝の頃とは時代が変わっていることを考えない和田義盛(横田栄司さん)はこう息巻いていました。そして建暦元年(1211)9月、出家して公暁と名を変えた善哉は、修行のために鎌倉を出て京の園城寺に向かいました。
October 18, 2022
先日の10月10日(月)に、航空自衛隊 小牧基地の方々が「全国防災キャラバン2022 IN かすがい」に参加するとあったので、会場となったイオン春日井に行ってちょっと見てきました。このイベントを後で調べたら、ボーイスカウトが持つ知識やスキルを万が一の有事のときの防災に活かそうと、ボーイスカウトとイオンが提携して行っているイベントでした。 ⇒ ⇒ こちら このときが自衛隊の他にも警察も来ていて、白バイにまたがって写真を撮るコーナーがありました。(愛知県警察のマスコットの「コノハけいぶ」も会場にいたけど、写真を撮ろうと思ったら退場してしまいました)自衛隊は防災に関する装備品などの展示がありました。では、10月10日の防災イベントの画像をどうぞ。これは「可搬型衛星通信装置」です。楕円状のレーダーが4分割され、コントロール部と共にケースに入れて持ち運びができて、現地で通信の業務を行うことができます。説明のパネルには「防空活動における監視・迎撃任務」とあり、通信衛星を使って防衛省の指揮所との連絡や命令を受けることになります。この機能は、陸自・海自・空自がそれぞれ持っていて、大災害で自衛隊が出動する時にも使われます。地対空ミサイルのペトリオットについては、航空自衛隊のこちらのページをどうぞ。 ⇒ ⇒ こちら こちらは「携帯型X線撮影装置」で、けが人をタンカに乗せたまま画像を撮り、現地で負傷の具合を確認することができます。本格的な手術は病院に搬送してから行われます。航空自衛隊といえば、警備犬です。この子は「アミ」ちゃんです。今年の出動はまだありませんが、去年は熱海の土砂災害で出動がありました。訓練展示では、ニオイで人や薬物を探し出していました。このハシゴ渡りは、犬にとってはかなり高度な訓練だそうです。中部地方のみですが、事前申し込み無しで一般人が見学できる一大イベントをご紹介します。令和4年10月23日(日)、 エアフェスタ浜松2022 ⇒ ⇒ こちら 令和4年10月23日(日)、陸海空自衛隊 福井市中パレード ⇒ ⇒ こちら 令和4年10月29日(土)、松本駐屯地 創設72周年記念行事 ⇒ ⇒ こちら 警備犬の名のとおり、基地に侵入した不審者を捕まえる訓練です。この子は「モズ」君で、お話によると犬の適正で捜索が専門になったり不審者を捕まえるのが専門になったりするそうです。モズ君の最新動画は ⇒ ⇒ こちら 訓練展示が終って、自由に動いています。一見すると遊びなのですが、ハンドラーさんと一緒にいることが犬たちにとって「楽しい」と思うことも大事な要素です。
October 15, 2022
約2週間前の9月25日(日)ですが、自衛隊愛知地方協力本部小牧所がナゴヤハウジングセンター春日井会場で展示イベントをするというので、ちょっと見てきました。今回のは小規模な展示でした。でも疫病でこの2年中止になった自衛隊の一大イベントが、対策の仕方がわかってきた今年は、制約を設ける中で開催されるところが増えてきました。中部地方のみですが、事前申し込み無しで一般人が見学できる一大イベントをご紹介します。令和4年10月23日(日)、 エアフェスタ浜松2022 ⇒ ⇒ こちら 令和4年10月23日(日)、陸海空自衛隊 福井市中パレード ⇒ ⇒ こちら 令和4年10月29日(土)、松本駐屯地 創設72周年記念行事 ⇒ ⇒ こちら では、9月25日のハウジングセンターの画像をどうぞ。駐車場からとりあえず中に入ったら、仮面ライダーギーツショーをやっていました。仮面ライダーは代々、演じる俳優さんがカッコイイ人が多いので、子どもと一緒にテレビを見ていて、お母さま方が夢中になることが多いそうですね。自衛隊ブースに入る前に、よくわからないけどヤギさんが展示されていました。白ヤギさんと黒ヤギさん・・・ふと「互いにお手紙を読まずに食べた」あの歌が私の頭の中を流れました。自衛隊ブースに入りました。偵察バイクの展示で、またがって記念撮影もOKです。偵察にでたら、現地の様子は機械での記録ではなく、隊員の方が記憶するそうです。装備(車両)の説明が書いてあるパネルを見て(撮って)くるのを忘れました。小型トラックでいいと思います。ギアはミッションではなくオートマです。これも車内に入って、記念撮影OKです。自衛隊といえば、最近よく話題になるのが食事です。 航空自衛隊といえば『空自空上げ』 こちら 海上自衛隊といえば『カレー』 こちら 陸上自衛隊といえば『陸自飯』 こちら テントの中には、陸・海・空のパンフレットがあり、自衛隊の携帯用の保存食(糧食)が展示してありました。自衛隊は国内で大きな災害があると消防と共に救助に向かい、ライフラインが止まったり人々が避難生活を余儀なくされるような事態になると、生活の支援や瓦礫の撤去などで人々を助けてくれます。「自衛隊さん、ありがとう」ですね。帰る前に、先ほどの小型トラックを別のアングルから。日本を守ってくださり、自衛隊の皆さま、本当にありがとうございます。
October 10, 2022
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回は、孫の源実朝(柿澤勇人さん)を無理やり鎌倉殿の座から降ろそうとして、謀反となる形をとってしまった北条時政(坂東彌十郎さん)の生死をめぐっての、周囲の者たちの葛藤がありました。御家人たちの上に立つ立場上、父といえど討つしかない北条義時(小栗 旬さん)でしたが、敗れた父が助命となり伊豆に下向するときの、互いに命はあっても今生の別れとなる義時と時政の別れの場面には、胸を打つ人が多かったと思ってます。その時政に無理な行動を起こさせた我の強い妻のりく(宮沢りえさん)は、夫・時政を動かしてどこまでも自分の思い通りにしようと、夫に幾度も強く迫りました。でもいよいよ自分たちの負けを悟り、時政が降参すると言いながらも自害するつもりだとわかったとき、りくは耐えられませんでした。おそらく夫の投降と助命を期待して政子のところに行き、全ては自分が悪かったのだと認めました。愛息の北条政範が京で突然死してからは、何かに憑かれたように今まで以上の我の暴走を始めたりくでしたが、全てが終って伊豆に下向となったときは、憑き物が落ちたかのような清々しい表情でした。ところで、私が気になったもう一つの見どころです。時政の自害を止めたのは、あの態勢から時政の腕を掴んで引き戻した八田知家(市原隼人さん)の筋力でした。そして刺客のトウとの戦いを制したのは、やはり三浦義村(山本耕史さん)の筋力でした。市原さんと山本さんがこういう形で活躍するとは、1月にこのドラマが始まったときには全く想像できませんでした。NHK『鎌倉殿の13人』のHPでは、各回の『吾妻鏡』の内容を紹介しています ⇒ ⇒ こちら (「歴史」をクリックするとこれまでのがまとめて出てきます)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 の案内が出ています。 ⇒ ⇒ こちら 元久2年(1205)閏7月、孫の源実朝を鎌倉殿の座から降ろそうとした北条時政は自分の館に実朝を監禁してしまい、北条義時(小栗 旬さん)はこれを父・時政の謀反ととらえ、父を討つ覚悟を決めて家人たちを連れて館を囲みました。父・義時に同行する北条泰時(坂口健太郎さん)が祖父・時政の助命を強く訴えるので、八田知家(市原隼人さん)が泰時に「義時は今まで何人も御家人を謀反で殺してきた。親だからと許したら御家人全てを敵に回すことになる。いいかげんわかってやれ。」と助言しました。実朝は北条時政(坂東彌十郎さん)に監禁されていましたが、時政に対しては祖父としての親しみもあり、和田義盛も傍にいるせいか、比較的落ち着いていました。時政はもうこれ以上は無理だと悟ったのか、妻のりく(宮沢りえさん)には逃げるよう説得し、自分はその後で実朝を義時に引き渡して降参すると言いました。でもりくが動こうとしないので時政は「義時は親思いだから自分を殺しはしない。ほとぼりが冷めたらまた会える。」と言って、大粒の涙を流して言葉が出てこない妻の顔を今一度見つめて、退出していきました。りくは三浦義村(山本耕史さん)が用意した下女の着物に着替え、館を抜け出して政子のところに行き、時政が自害するつもりだと伝えました。りくを逃がし、もう頃合いだと思った時政は鎌倉殿の源 実朝(柿澤勇人さん)に、改まって自分が無理強いをしてしまったことを詫び、そして優しい眼差しを向けて実朝の芯の強さに感服したと伝え、実朝を義時が待つ外に連れていくよう和田義盛(横田栄司さん)に命じました。実朝は「じいも来てくれ。」と時政に言いましたが時政は首を横に振るだけでした。でも二人が去ろうとしたときに呼びとめ、義時に「あとは託した。北条を、鎌倉を引っ張っていくのはお前だ。」と言伝を頼み、義盛は承知したと応えました。そして館の外に出て時政の言伝を、義盛が言いにくかったのか「忘れた。」と言うので、実朝が言伝の内容をそのまま義時に伝えました。(同じ内容を義盛が言っても皆にはあまり信じてもらえないけど、鎌倉で最高位にある実朝が言えば言葉の重みが違ってきます。三谷さん、上手い構成ですね。)義母のりくから父・時政が自害するつもりだと聞かされた政子(小池栄子さん)は居ても立っても居られず時政の館に来ました。政に私情をはさむことはできないと言う弟の義時に政子は何度も時政の助命を懇願をしましたが、義時は立場上それは受け入れられません。父上は死にたがっている、と義時が言うと「私は娘として父の命乞いをしている。」と政子は言って御家人たちの前で土下座し、「方々、どうか父をお許しください。」と皆に許しを請いました。そんなころ館の中では一人になった時政が短刀を抜いて自害しようとしていましたが、寸でのところで密かに忍び込んでいた八田知家が止めました。「息子でなくて悪かったな。」ーー友家は時政の心の内をわかっていたのでした。実朝が無事に御所に戻ると、実朝の身を深く案じていた御台所の千世(加藤小夏さん)が足早に寄ってきて実朝に抱きつきました。(13歳の実朝くん、ちょっとドギマギな感じでした)でも乳母の実衣が一緒にいても自分の心のままに気持ちを行動に表す千世は、実朝に和歌を「心のままに歌う」ことに影響を与えたのかも。閏7月19日、降参した時政は出家して名越の館で幽閉の身となりました。時政の処分をどうするか、実朝は軽くしてやって欲しいと義時に頭を下げてまで頼みましたが、重臣たちの間では意見が分かれていていました。義時は自分の親のことなので皆に任せるしかなく、三善康信(小林 隆さん)は伊豆に帰って政から身を引けばよいと言いますが、厳罰にすべきと考える二階堂行政(野仲イサオさん)はそれでは手ぬるいと流罪を主張しました。しかし康信が「時政が伊豆で頼朝様を助けたから今日の鎌倉がある!その功は誰もが認めること。」と強く言うと行政は黙り、それで決着しました。義時は皆に「息子として礼を申し上げる。」と深く頭を下げました。翌20日、義時は父・時政への沙汰を持って訪れ、時政がりくと共に伊豆に下向して隠居となったこと、そしてこれは実朝や文官たちの計らいであることを伝えました。義時は父に「父上にはこの先もずっとそばにいて欲しかった。頼朝様がつくったこの鎌倉を父上と共に守っていきたかった。父上は常に私の前にいた。」と思いをこめて涙ながらに語り、さらに「父上が世を去るとき私はそばにいられない。父の手を握ることができない。」とこれが今生の別れであることを告げ「父上がその機会を奪った。お恨み申し上げる。」と息子としての万感の思いを伝えました。そんな義時に時政は外から聞こえてきたウグイスの鳴き声の話をし、初代執権・北条時政は鎌倉を去っていきました。一方、御所内に幽閉されていたりくのところには、政子と実衣(宮澤エマさん)が来て、りくに別れの挨拶をしていました。りくは出立にあたり館から華やかな着物を届けさせていて、すでに気持ちを切り替えいつものりくになっていました。政子はそんなりくに「義母上のおかげで父はとても幸せだった。」と感謝と礼を伝え、実衣も同調してたのですが、自分に会いに来ているのに話が時政のことばかりだとりくが不満を言うので、3人で共に過ごした時間の昔語りを始めました。あれこれ話して3人で笑った後、りくは改まって二人に「お世話になりました。」と頭を下げて礼を述べ、互いの別れとなりました。政子と実衣が去った後、義時からりくの暗殺を命じられたトウ(山本千尋さん)が下女に扮して夕餉の支度を持ってりくのところに来ました。トウがりくの側面に付いて隠し持った短刀を抜きかけたとき、義時の妻ののえが来て、後妻として上手くやっていく秘訣を教えて欲しいと言いました。りくは「無理やり馴染もうとしなこと。あとは…誇りに思うこと。私は北条に嫁いだことを誇りに思っている。」と言い、のえの心に「誇り」という言葉が残りました。そしてのえが去って今度こそとトウが刀を抜いて態勢に入ったとき、次は三浦義村が入ってきて、りくと会話しながら近寄ってトウを捕まえ、りくを守りました。りくの暗殺に失敗して逃げるトウを義村は追いかけ、二人の戦いとなりました。刀での斬り合い、組手とトウは次々と技を繰り出しますが、義村には通用しません。そして義村に捕まり、言われたことが「俺の女になれ。」←!?トウは隙をついて逃げ出し、義村はニヤリと笑ってトウを見送りました。(トウは鶴丸ぐらいならノックアウトできるけど、いくら高度な技があっても女の力では義村(山本耕史さん)の力にはかないません。「筋肉は裏切らない」です。)いよいよ時政とりくが伊豆へ発つとき、義時は義母のりくに挨拶に行きました。りくは義時に、自分に刺客を差し向けたことは知っている、でももう夫をたきつけたりはしない、と言いました。と言いつつも、りくの中には自分が頂上に立てなかったことが心残りとなっていて、かつては夫・時政の執権の跡継ぎを自分の血筋にしようとやっきになって義時を排除しようとしていたりくでしたが、息子の政範も亡き今、そして鎌倉殿を交代させる戦にも敗れた今、その夢を義時に託そうとしていました。そして執権を継ごうとしない義時に「意気地がない親子。手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい。あなたはそこに立つべきお人。」と義時の迷う心を見抜いて、𠮟咤激励の言葉を贈りました。りくの言葉で迷いが消えた義時は執権となり、手始めとして京にいる御家人たちに、鎌倉殿の座を狙った罪で平賀朝雅を討つよう命じました。義時は義弟の政範を毒殺し、それを畠山重保に罪を着せて畠山を滅亡に追い込み、父・時政が鎌倉を去る要因を作った平賀を決して許してはいなかったのでした。そして義時は御家人たちを前にして、時政の後は自分が執権を継いで鎌倉の政を取り仕切ることを宣言しました。長沼宗政(清水 伸さん)が立ち上がり「そのために時政を追放したのか!」と非難めいた意見を言うと、すかさず義村が立ち上がり義時に「己の欲のために父親を?」と問うと義時は「そうではない。時政に代わって私がこの鎌倉を守る。それができるのは私しかいない。」とはっきりと言いました。宗政が何か言おうとしたのを遮り、義村は「確かにそのとおりだ。北条義時の他に御家人の筆頭になれる男を俺は知らない。」と義時を援護しました。ただ鎌倉での一連の動きに、京の後鳥羽上皇は大いに怒っていました。
October 4, 2022
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