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前回の続き。「螢屋」での懐かしい再会を終えた僕は、あまり時間はないけれど、金沢最大の歓楽街、香林坊・片町エリアに戻って、BAR巡りをすることにした。 時間はもう夜の10時を過ぎているので、「今夜は3軒が限度かなぁ」と自分でつぶやきながら、最初に向かったのは、香林坊交差点から数分のところにある、Bar「マクリハニッシュ」(写真左=店の雰囲気は、BARというよりアイリッシュ・パブのよう)。 大阪で僕が懇意にしてもらってる複数のバーテンダーから、「金沢へ行ったらぜひマクリハニッシュへ」と勧められていた酒場である(店名は、スコットランドの湾の名前であり、現地の有名なゴルフコースの名前に由来するとか)。店長にHさんにご挨拶して、まずいつものようにジン・リッキーでスタート。 Hさんは、東京や大阪の帝国ホテルのBARでも仕事をしていたこともあって、BAR業界でもすごく顔が広い。「(僕が)大阪でよく行くBARはどこですか?」と聞かれてあれこれ答えたけれど、8割以上はご存じだった。 2杯目は「螢屋」から引きずった酔いをいったんクールダウンするために、「レッド・アイ」(ビールのトマトジュース割り)を頼む。するとHさんは「(レッド・アイを)ベースをギネスでやったことありますか?」と僕に聞く。 ギネスのレッド・アイは確か「レッド・ハット」と言ったが、一度は飲んだはず。でも、Hさんが「うちのは旨いですよー」と言うので、「それじゃ、久しぶりだし、お願い」と提案に乗る。う~ん、勧めるだけあって確かに旨い(写真右=マクリハニッシュ特製の「レッドハット」)。 さて、2軒目。片町交差点の方へ移動。「Bar・SPOON」(写真左下)という店にお邪魔する。こちらは、2週間前お邪魔した札幌の「Barやまざき」で、「うち出身のバーテンダーが切り回しているので、ぜひ一度覗いてみてください」と言われた酒場である。 完璧に近いようなオーセンティックBAR。マスターはHさん(偶然、「マクリハニッシュ」のマスターとイニシャルは同じ!)という。歳は50歳。郷里の金沢に帰って、このBar・SPOONを開いた。 オープンしてもう21年になるという。カクテルが得意というHさんだけれど、ウイスキーの品揃えも結構本格的だ。だから、僕は2杯目はシングルモルトを頼んだ。 カウンター席がメインのお店はとても落ち着いた雰囲気で、一人でも気持ちよくなごめる。「BarやまざきでSPOONのことも教えてもらいました」と伝えると、Hさんは嬉しそうな顔をした(写真右=Hさんとのツーショット)。 さて、今宵最後のBARはやはり、僕が四半世紀前に仕事をしていた頃からこの金沢にあった懐かしい「倫敦屋酒場」=写真左下=へ(偶然にもBar・SPOONから歩いて1分という嬉しい至近距離でした)。 あいにくマスターのTさんは不在だったが、店の雰囲気が昔とほとんど変わっていないのが驚くばかり。店内の壁に作り付けてある棚のミニチュアボトル・コレクションもそのままだ。 店にいたマスターの奥さんは「店内の部材(カウンターや椅子等)はほとんど変わってないんですよ。レイアウトは少し変えましたが…」と言う。2階建ての隣家を買い取って改造したこともあって、団体客にも十分対応できるスペースが増えていた。 僕は昔この「倫敦屋」でよく飲んだモスコー・ミュール、そしてバーボンのソーダ割りを頼んで、思い出に浸る。「あのテーブル席で金沢の同業の友人の婚約祝いをしたなぁ…」。僕は思わずつぶやいた。 帰り際、僕は「昔よくお邪魔していたので、きょうはとても懐かしくて、嬉しかったです」と奥さんに伝え、自己紹介をした。 奥さんからは、マスターのTさんがつづったエッセイ(人生相談的な内容)を収録した文庫本をお土産にいただいた(写真右=倫敦屋酒場の店内)。 倫敦屋は昔と変わらず、温かい雰囲気で僕を迎えてくれた。四半世紀前、金沢で通ったBARで今も続いているのはここくらいしかない。そんな酒場が今も残っている幸せ。僕はここに来ればいつでも、20代前半の頃にタイムスリップできる。 【Bar MACHRIHANISH】金沢市木倉町2-4 西野ビル2F 電話076-233-0072 【Bar SPOON】金沢市片町1丁目5-8 シャトウビル1F・2F 電話262-5314 【倫敦屋酒場】金沢市片町1丁目12-8 戸田ビル 電話232-2671(営業時間、定休日等は各店へお問い合わせください) 【追記】金沢の翌日25日に訪れた輪島のことを少しばかり記します。あの能登半島地震から1カ月。輪島市内は、一番被害のひどかった門前地区を除いて、ほぼ地震前に戻りつつあります。その門前地区でも仮設住宅への入居が28日から始まりました。 しかし、風評被害の影響もあって能登に観光客はまだ十分戻ってきていません。有名な輪島の朝市もさびしい賑わいでした(写真左)。 風評被害は地震の被害の少なかった和倉温泉にも及んでいます。大企業の立地が少なく、観光が基幹産業でもある石川県の場合、県外観光客の減少は県の経済にとって直接的なダメージになります。 復興支援といってもいろんな形の支援があります。物や救援金を送るのももちろんいいことなのですが、現地の人に話を聞くとやはり、「観光客が来てくれてお金を使ってくれることが一番の励ましになる」と言う人が多いのです。 僕も、25日の夜は輪島のお寿司屋さんでしっかり食べて、翌26日朝は朝市であれこれ買い物をして帰りました。「ここでお金を落とすことが今の自分にできること」だと思ったからです。皆さんもぜひ、元気を取り戻した能登へ遊びに行ってあげてください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/29
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またまた地方への旅(24~26日)でした。BAR巡りが中心だった先々週の札幌、小樽とは違って、今回は仕事中心です。 行き先は石川県の金沢、輪島。輪島と言えば、3月25日に起きた能登半島地震で大きな被害を受けた記憶も新しいところです。その1カ月にあたる現場も訪れてきました。 輪島の様子は次回に触れるとして、初日(24日)の金沢での夜には、楽しい出会いがいくつもありました。 金沢は僕が20代の前半、約5年間仕事をし、暮らした忘れられない街です。楽しい思い出、苦い思い出…いろんな思い出が詰まった街。そんな金沢ですが、実は、訪れるのは約10年ぶりです。 夕方、仕事を終えた僕は通称「ひがし」または「東の郭(くるわ)」と言われる地区へ急ぎました。そこの元お茶屋を改装した素敵な料理屋さん(「螢屋」=写真左=という名でした)で、約束の女性・Sさんは待ってくれていました。 25年ぶりの再会でした。Sさんは昔、仕事でとてもお世話になった方です。美しくて上品で、聡明で、人柄も素晴らしくて、欠点を探すのが難しいような女性でした(写真右=Sさんんと僕)。 歳は僕より一回りほど上の方なのですが、感性が若いせいか、話していてもあまり歳の差は感じませんでした(でも、残念ながら初めて出会った時点でSさんは人妻でした…(笑))。 金沢を離れた後も、ずっと年賀状等のやりとりは続いていました。英語が堪能なSさんは、ライフワークでもある外国人に日本語や日本の文化を教える活動をずっと続けてきました。 僕は「いつかまた会いたいなぁ」とずっと密かに思い続けてきました。そして、能登半島地震が起こった直後、自宅や家族に被害がなかったかどうかを尋ねた僕のメール(いつかもらった手紙にメールアドレスがありました)に、Sさんはすぐ返事をくれました。 「金沢に来る機会があるなら、ぜひ少しの時間でも会いたい」と。そして、今回の再会が実現しました。四半世紀ぶりだから、お互い当然、経年変化はあります。 しかしSさんの場合は、「美しく年輪を重ねた」という表現がぴったりのような方でした(写真左=螢屋の内部。意表を突くガラス張りの廊下が面白い)。 「再会なんて望まずに、昔(出会った時)のイメージ(記憶)のまま抱いていてくれる方がいいのかもしれないとも思ったけれど、それでもやはり会って良かった…」と言ってくれました。その思いは、僕もまったく同じでした。 「螢屋」で美味しい料理と地酒をいただきながら約3時間余、僕とSさんは25年の空白を埋めるようにいろんな、積もる話をしました。しかし楽しい時間はあっという間に過ぎます。近いうちの再会を約束して、僕はさびしい気持ちを押し殺しながらお別れしました。 この後、泊まるホテルのある香林坊、片町エリア(金沢最大の歓楽街です)へ引き返し、ささやかなBAR巡りに戻った僕ですが、それは輪島の報告も併せて、次回に。
2007/04/26
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仕事があれこれ集中したうえ、出張も重なって、なかなかブログの更新がままなりません。24日の更新はお休みにし、次回は26日~28日の間にできればと思っています。申し訳ありませんが、皆様、何卒ご了解のほどをよろしくお願いいたします。うらんかんろ
2007/04/24
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札幌の2日目。天気は小雨、時々みぞれも混じる。気温は2~3度と大阪から来た僕にとっては体感温度は零度近い。でも、旅先で「無駄な時間は過ごさない」のが僕の主義。で、2日目のBAR巡りまでの時間、僕はニッカ余市蒸留所(写真左)へ向かう。 札幌から快速に乗り、小樽で各停に乗り継ぎ約1時間。目指す余市に到着。天気が悪いとあって、駅前にはそれらしき観光客はまばら。前回訪れた時も思ったけれど、蒸留所内外の環境(雰囲気)は素晴らしい。蒸留所内には白樺の林も残る。 今から73年前(1924年)、創業者・竹鶴政孝氏がウイスキーづくりを始めた頃はもっとのどかな農漁村だったのだろうが、今も余市には、ゆったりとした時間と清々しい空気が流れている。 さて、前回(2年前)蒸留所内をひととおり見学した僕は、一直線で試飲もできるウイスキー博物館へ。早速、試飲コーナーで余市25年と竹鶴21年を飲み比べる=写真右。15mlずつのショットで計1300円なり。出来たて(?)のモルトを蒸留所で飲む幸せ。これだけは大阪では味わえない。 試飲を終えた僕は、ギフトショップでお買い物。「Sherry & Sweet」と名付けられた180ml瓶入りのカスクを何本か。そしてピンバッジ、ネクタイ、ウイスキー漬けの甘納豆、ウイスキーの入ったキャラメル等々を買って、宅配便での発送を頼む(写真左下=博物館でも限定カスクは買えます)。 そろそろお昼どき。前回余市に来た時は、駅前の魚屋さん直営のお店で海鮮丼をいただいたが、今回も同じでは芸がない。 で、選んだのは蒸留所内のレストラン。そのメニューのなかでとくに惹かれたのは「ウイスキー&白ワインによるラムしゃぶ定食」=写真右下。 文字通り、薄切りのラム肉をウイスキーと白ワインでしゃぶしゃぶして味わうのだが、これが想像した以上に旨い。ボリュームも結構あって、これで1200円は安い! あたりまえだが、アルコール分も入っているので、いい気分にもなる(メニューには「車で来られた方はご遠慮ください」とあった)。 さて、余市での予定を消化した僕は、次なる目的地・小樽へ。駅から再び各停に乗り、20分余。まだ午後4時すぎ。BARが開くまでにはまだ少し時間もあるので、運河方面へ歩いて、有名な「北一硝子」のお店に向かう。 「北一硝子」の「クリスタル館」という少し高級な製品を売っている店を覗いたが、僕の探しているカクテルグラスは1点もない。ワイングラスやシャンパングラス、ロックグラスは素敵なオリジナル製品がいろいろあるのに…(写真左下=余市駅前の魚屋さんの店先で。見よ、この安さ!)。 すると、「クリスタル館」の斜め向かいに「北一アウトレット館」という看板が目に入った。ダメモトで覗いてみると、なんとカクテルグラスじゃないけれど、アンティーク風のデザインのリキュールグラスがあった。 しかも1個1350円!「試作品なので、少し気泡が入ったりしていますが、お求めやすい値段になっています」とお店の方。見た目は全然問題ない。嬉しくなってつい2個購入。 さて、小樽の夜のとばりも下りてきた。BAR巡りタイムのスタート。まず1軒目は、2年前に行きたいと願っていてお邪魔できなかったBar・HATTA(写真右下)。 小樽の歓楽街は「花園」という地区にある。BARやスナック、居酒屋などはこの一帯に集中している。なかでもBar・HATTAは、この小樽にあって僕の知る限り、最高のオーセンティックBAR。 1983年のオープン。来年で四半世紀を迎えるから、小樽では老舗の部類に入るだろう。オーナーは店名と同じ八田さん。「大阪からやって来た」僕に対して、八田さんはもちろん、2人の従業員の方もしっかり笑顔で迎え、歓待してくれた。 当たり前だが、余市に近いこともあって、HATTAでは余市限定のカスクがすべて味わえる。せっかくだから、蒸留所では飲まなかった「カスク25年」をいただく。奥行きと、なめらかさ、そして上品な甘さ。ニッカは本場スコットランドに決して負けない。そんなことを改めて確信する(写真左=八田さんとのツーショット)。 昨晩の札幌のBAR巡りの話や、八田さんが親しい大阪キタのバーテンダーFさんやMさんらことなどでひとしきり盛り上がったが、札幌へ戻るまでの間にあと2軒をこなさないといけない僕は、涙をのんでHATTAを後にする。 2軒目。小樽で、ある意味もっとも有名なBARであろう「Donjuan(ドンファン)」(写真左下)へ。ここは僕の友人も「小樽へ行ったら、必ず行くべし」と言っていた。マスターのYさんは、全国にもその名を知られた「怪バーテンダー」。 8時頃お邪魔すると、「Donjuan」のマスター、Yさんはカウンター内の隅っこでお食事中。一見こわもてのスキンヘッドだが、実は優しくて、豪快な喋り方(トーク)で客のハートをすぐつかんでしまう(写真右=多彩なYさんの見事なボトル彫刻)。 Yさんに自己紹介すると、「腹も減ってるだろうから、一杯食べてよ」と、いきなりどんぶり鉢いっぱいの「アンコウのもつ鍋」を前にど~んと置いた。涙が出るほどの凝縮した旨さ! 胃が喜ぶ声が聞こえる。食い干した僕に、「これも旨いから」とでかいタラバの足2本が乗った皿を差し出す。う~ん参った! 何の酒を飲んだかよく覚えてないほど食い物の印象が強烈だった「Donjuan」だが、これだけ頂いて、お勘定は信じられないようなお値段。北海道のバーテンダーは、なんで旅人にこんなに気さくで優しいんだろう。Yさん本当に有難う! 御歳70歳というが、まだまだエネルギッシュなので、またいつか会えそうな気がする。 さて、札幌帰りの電車の時間を気にしながら、小樽の夜最後のBARへ向かう。オーセントホテル小樽内にある「Captain's Bar」のNさんに会うために。ここも、「小樽に行ったら、Nさんのところへぜひ」と大阪のあるバーテンダーから厳命されていた。 Nさんは数々のカクテルコンペで優秀な成績をおさめている、小樽きってのバーテンダー。だから、Nさんが仕切るBARが素晴らしいことは言うまでもないが、何よりも彼のオリジナル・カクテルを飲みたかった。 早速オリジナルを頼む。Nさんが選んだのは「ゆきあかり」というカクテル(写真右)。シャンパンベースで、ジン、ベネディクティン、コーディアル・ライムジュース。 ビターでしめらせた角砂糖を広口のシャンパンの中央(底)に置き、その上から、前記のカクテルを注ぐ。グラスの外側は粉糖でうっすらと覆われ、まるで霜のよう。味わいはきりっと爽やか。「旨~い!」としか言葉が浮かばない。 「また札幌に戻るので、時間があまりなくてごめんなさい」という僕に対して、「いえいえ、時間がないのにわざわざ寄って頂き、こちらこそ有難うございます」とNさんは嬉しいお言葉。「また必ず来ます」。帰り際、僕はBARの玄関でNさんと固く握手して、再会を誓った。 さて、快速電車で札幌に戻った(36分で着きます)僕。時刻は夜10時半頃。でも土曜夜のススキノも相変わらず賑わっている。僕には札幌でもう1軒行っておきたいBARがあった。 ススキノ交差点角のビルの2階にある「The Nikka Bar」。全国にNikka Barは多くあるが、「The」が付くのはここだけとか。ニッカのモルトやブレンディドの品揃えの豊富さは言うに及ばず、お値段もとても良心的な酒場である。 ここには業界でもその名を知られた菅(すが)さん(写真左上)という有名なバーテンダーがいらっしゃる。御歳80歳といい、札幌ではあの山崎達郎さんに次いで長老格という。しかし白いバーコートをおしゃれに着こなし、てきぱきと客をさばく姿はとても80歳には見えない(写真右=北海道で人気の「スープカレー」。結構ハマリます)。 とくに僕が驚いたのは、洗い物なども率先してされている姿。若い従業員は5~6人はいる。しかし菅さんはたまったグラスを黙々と自分で洗う。普通、80歳の店長のすることではないが、そんな姿勢にただただ感銘を受けた(写真左=帰途についた15日は雪模様だった)。 生き甲斐があれば人は歳をとらない。肉体的な衰えは誰にも訪れる。しかしその衰えは生き甲斐のない人よりは緩やかになり、精神的にも若くあり続けられる。そんなお手本が、僕には菅さんや山崎さんのような気がする。 【Bar HATTA】小樽市花園1-8-18 電話0134-25-6031 【Bar Donjuan】同市花園1-12-21 電話25-1399 【Captain's Bar】同市稲穂2-15-1 オーセントホテル2F 電話27-8100 【The Nikka Bar】札幌市中央区南4条西3丁目、第3グリーンビル2階 電話011-518-3344
2007/04/20
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北海道・札幌市。日本有数の大都市であり、「ススキノ」という大歓楽街を抱え、歴史と伝統のあるBARも多い。 日本全国のBAR巡りを続けている私だが、大都市の中でも、まだほとんど足を踏み入れてなかった街だった(写真左=札幌最大の歓楽街「ススキノ」のシンボル、ニッカのヒゲのおじさんのネオンサイン)。 そんな札幌に、先週末お邪魔してきた。札幌を訪れるのは3度目だが、過去の2回はBARを巡る余裕がなかった。「この地のBARを訪れずしてはBARフリークとしての名がすたる」。そんな思いを長年ずっと抱いてきた。 で、満を持しての札幌のBAR巡りである。1軒目として選んだのは泊まったホテルからも程近い、Bar・Adonis(アドニス)=写真左下。 マスターのTさんは、同じススキノの「ラルセン」という老舗BARで修業された後、1991年に独立された(写真右=BAR巡りの前にはまず腹ごしらえ。豪華な海鮮丼で腹一杯!)。 聞けば、僕同様、全国のBAR巡りが好きな友人とも顔見知りで、僕が大阪でよくお邪魔するBARのマスターとも親しいということで、親近感がぐっと沸く。 BAR巡りのスターターの一杯はいつものように、ジン・リッキー。旨いジン・リッキーは気持ちを爽やかに、そして気分を高揚させてくれる。 「今夜は何軒回るの?」と聞かれて、「少なくとも5軒が目標です」と言うと、「頑張ってね。札幌の夜を楽しんでよ」との優しいお言葉。迷わないようにと、行く予定の店々の地図まで書いてくれた。 店内の「音(音楽)」が温かい感じだなぁと思っていたら、真空管アンプだという。「お客さんが作ってくれたんですよ。その棚の上の樽のスピーカー(写真右)も」とマスター。 なるほど道理で、普通のアンプの音ではないと思った。「いいBARにはいいお客さんが集う」ってことの証かも。 2軒目。Adonisからそう遠くないビルの5階。迷わずにたどり着けた(Adonisのマスターの地図に感謝!)、目指すBARの名は「PROOF」=写真左。 優しい笑顔が自慢のマスターのNさんは、札幌の老舗中の老舗BARである「やまざき」のご出身。大阪からBAR巡りに訪れた旨を告げ、きょう訪れる5軒のBARの名を口にすると、「5軒の中に選んでもらって光栄ですよ」との嬉しいお言葉。 Nさんも独立されたのが90年で、Adonisとは1年違い。しかし、わずか17年で風格ある本格BARに育てあげられた(写真右=Bar PROOFの壁に掛かる油絵はなんとBarやまざきの山崎さん作)。 時間が早く、客は僕一人だったこともあって、Nさんはずっと僕の相手をしてくれたが、とにかくよく喋る、喋る。客をとことん歓待しようというホスピタリティにあふれた人だ。 「Nさんはどちらかと言えば、大阪のバーテンダーっぽいですよね」と言うと、嬉しそうに笑った。気さくな人柄に馴染んで、時間を忘れそうになったが、まだ予定があるので、後ろ髪を引かれる思いで、店を後にする。 さて、3軒目。そろそろ8時過ぎ。先ほど少し触れた札幌を代表する老舗BAR「やまざき」(写真左)にお邪魔する。 1958年(昭和33年)の開業。マスターの山崎達郎さん(写真右)は御歳、87歳だが、とてもそんな歳には見えない。耳は少し遠いけれど足腰は丈夫で、歩くスピードは40代の男性と変わらない! 「やまざき」の名物は、山崎さんの特技でもある「顔のシルエットの紙切り絵」。白い画用紙をはさみ1本で巧みに切り抜き、客の横顔の造っていく。 シルエット絵は2枚重ねの紙で切り抜かれ、1枚は黒い画用紙の台紙に張って客にプレゼントしてくれる。 そして、もう1枚はお店のアルバムに保存される。アルバムに張る1枚には「名前を書いといてね」とペンを渡された。僕の横顔(写真左)が「やまざき」の歴史の1ページに残されると思うと嬉しい限り。 最近はほとんどシェーカーを振らないと聞いた山崎さん。だが、この夜は、「オリジナル・カクテルを何かお願いします」と頼むと、「インバネス」という名のカクテルをシェークで作ってくれた。 スコッチウイスキー・ベースにドライ・ベルモット、アクアヴィット、ブルー・キュラソーを加え、ボディのしっかりした爽やかな味わい。滅多に振らない山崎さんのシェークを間近で見られた僕は幸せ者かも。 山崎さんはこの夜、すこぶる機嫌が良かったのか、カウンターの上で、もう一つの特技(僕は知らなかったが)であるトランプ手品まで披露してくれた。札幌のバーテンダーはとにかく客を喜ばせる術を知っている。 幸せな気分に包まれながら、次なる酒場に移動へ。4軒目は、ススキノのメインの交差点角のビル8階にある、Bar・コオ(KOH)=写真左。ここも老舗BARの1軒と聞いていた。 扉を開けると、週末の夜9時半すぎとあって、超満員の賑わい。従業員の皆さんも大忙し。幸い、カウンターに1席空いたとのことで、腰を落ち着けることができた。きょうはどこを回ってもツイている。 73年のオープンで、ススキノの盛衰をずっと見てきたマスターOさんは、白いバーコートがよく似合う、柔和な感じのベテラン・バーテンダー。店も明るい雰囲気で、ノーチャージというから嬉しい。 この夜は超満員とあってかマスターのOさんは接客で忙しく、あまりお話はできなかった。帰り際、「お構いできなくてすみません」と見送ってくれた。まぁ、BAR巡りをしているとこういうこともある。「コオ」の雰囲気を味わえただけでも良かった。 さて、札幌の第一夜の締めのBARは、「やまざき」出身で、バーテンドレスでもあるNさんが開く「ドゥ・エルミタージュ」へ(写真右)。 82年に独立されたNさんは、おそらくは、札幌のバーテンドレスのなかでも先駆者だと思うが、身のこなしでも、風格があふれる。もう夜の11時近くだが、ここもほぼ満員(写真左=Nさんと記念のツー・ショット)。 「タクシーで帰っても千円くらいのところにみんな住んでいるから、安心して飲めるんですよ」と、あるマスターが言っていた。地方都市なら分かるが、札幌は大都市なのに、羨ましい限りだ。 店は「コオ」とは逆に、ライティングは極力抑えた、大人のムード。カウンター席にはだから、カップルも多い。そんな中で、僕はこの夜の締めの1杯目にまず、モスコー・ミュールを頼む。 Nさんに「大阪から来て、BAR巡りをしてまーす。5軒目です」と言うと、「5軒も!凄いですね。お酒強いですね」と笑って一言。自分では、顔にも出るし、決して「強い」とは思わないが、結構長くしぶとく飲めることは飲める。 2杯目にはアイラのヴァッディド・モルト(写真右=モルトも充実!)を飲みながら、Nさんと、お師匠である山崎さんのことや、ご主人が営むという仙台のBARの話などで盛り上がって、夜は更けていった。 札幌のバーテンダーの皆さんはとにかく、気さくで親切。ひと言で言って、旅の人間をもてなす「ホスピタリティの固まり」という人たちばかりだった(お値段も随分サービスしていただいて感謝感激!)。 翻って、銀座や大阪・北新地のBAR(バーテンダー)はどうだろうか。他の土地から訪れた旅人たちに、「いい思い出」を持ち帰ってもらう努力を十分やっているだろうか(老舗でも、不快な印象を与えがちなBARもある)。札幌の業界人に学ぶところが多いと思った夜でもあった(写真左=最後の締めには、やはり味噌ラーメン。「三極」というお店。結構好みの味でした)。 【Bar Adonis】札幌市中央区南四条西5丁目、第4藤井ビル4F 電話011-219-0456 【Bar PROOF】同南三条西3丁目、都ビル5F 電話231-5999 【Bar やまざき】同南三条西3丁目 克美ビル4F 電話221-7363 【Bar コオ】同南四条西3丁目、すすきのビル8F 電話531-2801 【ドゥ・エルミタージュ】同南三条西4丁目、南3西4ビル10F 電話232-5465(営業時間、定休日等は各店へお問い合わせください)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/16
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あまり他人に教えたくないBARというのは、BAR好きの人なら、1軒や2軒はあるはず。大阪ミナミにあるこの「J」という酒場も、僕にとってはそんな大好きな「隠れ家」の一つ。 80年代後半くらいからの付き合いだから、通い始めてもう結構長い。このBARに知り合いを初めて連れていくと、たいてい驚く。 「ビルの5階にあるんだけど、エレベーターは4階までしかなくてね。申し訳ないけど、あとは非常用のはしごを登るから」と言うとみんな目を丸くする(もちろん冗談!)。 実際は、4階から外階段のらせん階段を1階分上がる。頭上には屋根はなく、都会の狭い夜空が見える。そして5階にたどり着くと、そこには和の雰囲気を漂わせた素晴らしい空間が広がる。 暖簾をくぐると、小さな坪庭が出迎えてくれる。店内は、空間と言っても4人掛けのテーブル席が2つ。カウンターは6席ほどという実にこじんまりしたもの(でも幸い、僕はまだ満席で追い返された経験が一度もない!という不思議な酒場)。 ミナミの騒がしい喧噪も、ここまでは上がってこない。程良く暗い、温かいライティングも、気分をなごませてくれる。 僕が通う他の行きつけのBARと唯一違うのは、この店のオーナーといまだ面識がないまま20年近く通っていること。 カウンターの内側の店長(?)が数年おきに違う顔になるから、個人的にあまり親しくなることも少ない。 もっとも、あまり親しくなりすぎると、友人と密会する「隠れ家」としては使いづらいから、そんな付き合いでもいいのではないかと思っている。 日記でBARを紹介する時は、いつも最後に店の住所や電話番号などを付記するのだが、今回は、大好きな「隠れ家」の雰囲気を守りたいがゆえに、あえて記さない。 どうしても行きたい方は、ご自分で探して行ってほしい(ミナミのどこかのBARのマスターに尋ねてみれば、教えてくれるかも)。でも、苦労して探して行くだけの値打ちはある酒場だと、僕は信じている。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/12
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素人ピアノ弾きの僕にとって、メインの活動の場になっている大阪キタのピアノBar「M」で、レギュラーでピアノを弾いていらしたM先生(偶然イニシャルは同じ!)が6日(金)を最後にして、Bar「M」を辞めることになりました。 6日夜は、Bar「M」の常連メンバー(みんな、半端じゃない素人ミュージシャンばかり!)が店に集まって、M先生も参加しての大セッション大会(ジャズやフュージョン、ロック、ポップス等々)となりました。 M先生とはもう6~7年くらいの付き合いですが、僕にとっては「ピアノの師匠」のような存在で、かなわぬ目標でもありました。 レパートリーの幅の広さは言うに及ばず、どんな歌い手さんの無理な注文にも、あらゆるキーにも即座に対応できる腕前はさすがプロ中のプロと言えるものでした。 そんな先生が「突然なんだけど…」と言って、Bar「M」を辞めてしまうのです。辞める理由はそれとなく聞いていますが、ただただ残念というしかありません。 M先生は、同じキタの別のお店に移られるのですが、先生曰く「ラウンジなんで、ね。こういうセッションも、もうできないだろうし…」と少し淋しそうでした。 まだまだ教えてほしいことがいっぱいあった僕は、本当に悲しい気持ちでいっぱいです。幸い、「(新しい店での仕事が終わった後の)夜中12時過ぎには、『M』に必ず客として来ますので、また遊んでください」というお言葉でした。 この夜のセッションは、ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、ヴィブラフォン、トランペット、パーカッション、アコーディオン(時々)、ヴォーカル(複数で時々)…という構成で、弾き手が入れ替わりしながら午前3時過ぎまで延々と続き、その後、みんなで深夜メシ&飲み直しに繰り出して、久々の朝帰りになりました(あー疲れた!)。 ちなみに、僕はこの夜、ピアノやギターよりも、なぜかビブラフォン担当をすることが多かったのです。初めての経験でしたが、コードとスケールを(だいたい)知ってる強みもあって、結構上手く叩けたかなと自分で自分を再発見してしまいました(ゲイリー・バートンになった気分(笑))。 M先生が辞めたことで、Bar「M」のひとつの時代が終わりました。後任は決まっていません。マスターがどうするのか、どうしたいのか、は僕にはまだよく見えません。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/07
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一昨日(1日)から我が家はADSLから光回線(フレッツ光プレミアム)に切り替わりました(電話も「ひかり電話」になりました)。 屋外工事は近所の25mほど先の電信柱から電線に沿って光ケーブルを引っ張ってくる(高所作業車も登場!)、結構大がかりなものでした。 屋内工事は、光ケーブルを電話口から屋外の電話線取り出し口まで敷設するのですが、電話線類を通すための壁裏の配管が家庭用の小さな口径(当たり前!)なのでNTTの人も苦労していました(最終的には上手くいきましたが…)。 で、「光」に変わったパソコンは、画面上で見る限り、ちょっと速くなったかなぁという程度。「変えて良かった」という実感(恩恵)はまだありません(少々拍子抜けです)(写真左=「フレッツ光プレミアム」のテレビCM。長澤まさみちゃんが出ていますね。 (C ) NTT西日本HPから ) それはともかく、これまでうちで使っていたFAX専用機が「光回線に対応していない」ということで、使えなくなりました(94年以来13年間使ってきたのに…。ほんとにご苦労様)。という訳で、我が家のFAXは当分、ありません。 「ヨドバシで(光対応の)新しいFAXと買い換えようか」という僕に対して、連れ合いは「なくてすぐ困るものでもないし、ボーナスまで待ったら」と言います。逆らうと、また面倒なので、あと1~2カ月、FAXなしの生活です。 それにしても、「光」への切り替えを電話で勧めてきたのはなぜかプロバイダーで、NTTではありませんでした。たぶん、NTTから何か「キックバック」があるのでしょうね。 ちなみに切り替え工事費は、光プレミアムが約7000円(21000円割引き!)と「ひかり電話」の約3000円と合わせると約1万円。月額の光プレミアム利用料は4カ月間無料+さらに7カ月間1050円割引、1年後からは月々4,515円(消費税込み)です。 「ひかり電話」の基本料(ADSL時代の1785円が525円に!)と合わせると、総費用は約5000円、ADSL時代よりは800円ほどアップするということです(ただし、ひかり電話の通話料は全国一律3分8.4円という嬉しいメリットも)。 さて、5月以降の請求書はどうなっているでしょうか、見るのはちょっと怖いような気もしますが、ちょっぴり楽しみ(?)です。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/03
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