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エジンバラからロンドン・ヒースロー空港に着いたのは午後2時頃だった。迎えのJTBの人と合流して、車(バン)でホテルへ向かう。「ホテルまでは1時間くらいかかります」とのこと。 今回の旅はスコットランド中心だったので、(実質2日しか滞在しない)ロンドンのホテルはあまり重視していなかった。「まぁ、そう遠くなければどこでもいいや」くらいしか考えなかった。(写真右=ロンドンの街並み。赤いレンガが美しい) 前回も旅行社任せで、大英博物館の近くという良いロケーションのホテルだったので、今回も安心して旅行社任せにしていた。 しかし今回僕らの泊まったホテルは、市内の東端にあった。最寄りの駅は「オールド・ストリート」と言うが、ホテルから歩いて約10分もかかる。 そこから中心部のピカデリー・サーカス、オックスフォード・ストリートまでは約30分、ハロッズなどデパートがたくさん集まるナイツ・ブリッジの駅まではさらに10分ほどかかる。 旅の時間を有効に使うには、ホテルのロケーションはとても大事な要素だ。買い物する機会が多いロンドンのような都市の場合は、ホテルが近いと、晩飯前にちょっと荷物を部屋に置きに行くこともできる。 結果的に今回の旅では、ホテルのロケーションがハンディとなり、貴重な時間を食って、後悔することになった。次回はホテルのロケーションにもっと気を配りたい(写真左=ロンドンに進出したユニクロ。お値段は“ロンドン価格”です)。 さて、本題に戻る。ホテルのチェックインを終えた僕らは、早速、「まずハロッズへ行こう」ということで、地下鉄を乗り継ぎナイツ・ブリッジへ向かった。 ロンドンの地下鉄路線は2012年の夏季五輪準備のために、現在大がかりなリニューアル工事の真っ最中。ホテルに送ってくれたJTBの方からも「予告なしに工事のために遅れたり、運休したりするから駅の案内に注意して」と言われた。 幸い、この日僕らが使う路線では運休はなかった。ただ自動券売機で、初乗り4ポンド(約1000円)という目の飛び出るような値段の高さには驚かされる(写真右=ハロッズ本店)。 五輪用の工事費用の捻出かどうかは知らぬが、いくら何でもという感じ。しかし幸い、5ポンド10ペンス払えば、1日乗り放題の「One Day Ticket」(カード式)がある。2回乗れば元が取れるので、僕らはこちらを買う。 それにしてもロンドン地下鉄(写真右下)の車両は小さくて、車高が低い。大阪で言えば「鶴見緑地線」、東京なら「大江戸線」のような感じ(車両両端の出入口は極端に狭い!)。背の高い英国人には大変だと思うんだけど、乗ってみるとみんな結構器用に低い天井をかわして乗りこなしている。慣れたら順応できるということか。 ハロッズに着いた僕らは、とりあえずあちこち売り場を見て回る。度肝を抜かれたのは、ハロッズ1階の重厚な雰囲気の食料品売り場の一角に、「スシ・バー」があったこと。日本の寿司文化が今やここまで席巻しているとは。 余談だが、ハロッズの1階玄関内のロビーには、今はなきダイアナ妃と最後のボーイ・フレンドだったドディ・アルファイド氏の2人の像が飾られている(写真左上)。ご存じのように2人は10年前、パリでパパラッチ(カメラマン)に追いかけられた末、ともに自動車事故で亡くなった。 碑文には2人は「アクシデントで殺された(Killed in the accident)」とある。ドディ氏の父は言わずと知れたハロッズのオーナー。父は「事故ではなく英国政府の謀略による殺人だ」と主張して、今も再捜査を求めている。碑文にはそんな父親の執念を感じる。 さて、残念ながらハロッズに僕らの探している品物はなかった。近くにある他の老舗デパート、ハービー&ニコルズやセルフリッジなども回ったが、なかなか色とかサイズとかは、うまくいかない。 仕方なくピカデリー・サーカスにある三越ロンドンに向かう。三越ロンドンは決して大きなデパートではない。デパートというよりは普通のショップという感じ。 でも、品揃えがわりと充実していて、衣服から食料品、雑貨までまんべんなく揃えていて、日本語が通じるのが良いところ。日本への直接発送もしてくれる(写真左=オックスフォーフド・ストリート周辺)。 今回のロンドンでは結局、この三越に結構お世話になった。僕らは自分自身への買い物や友人や家族らへのお土産もあれこれまとめて買った。VATというEUの付加価値税の還付手続き(帰国後に17%が返ってくる)も手伝ってくれるのが嬉しい。 買い物を終えた僕らはピカデリー・サーカス(写真右下)やすぐそばにあるソーホー地区を散策。ソーホーは映画館、劇場、飲食店などが数多く集まる、大阪で言えばキタ・エリアのような雰囲気かな。 さて、そうこうしてる内にそろそろ晩ご飯タイム。ロンドンでは初日の夜は中華。2日目の夜はインド料理と僕らはあらかじめ決めていた。 大英帝国の過去の植民地政策の結果、ロンドンには中国人とインド人(&パキスタン人&バングラデシュ人)が多数住み着いて、それぞれがしっかりしたコミュニティを形成している。 それゆえ、チャイナタウンと呼ばれる地区には中華料理店が数多く集まり、一方、インド料理店もソーホー地区など市内各所にたくさんある(300店以上とか)。 食のバラエティに関してはやはり、ロンドンとニューヨークが世界中で一番かもと思う(パリやローマは少し劣る。むしろ大阪や東京の方が世界のいろんな料理が食べられるかもしれない)。 そう言えば、ロンドンのホテルで一緒になったある日本人夫妻は「外国旅行をしても現地の料理はあまり食べない。日本食を食べられる店を探す」と言っていた。こういう人ははっきり言って、旅の楽しみを半分自ら放棄しているのかもしれない。 その夫婦の奥さんは、「怖いから(ロンドンの)地下鉄にも乗らない」とも言った。ならば、わざわざロンドンまで来なくてもいいのにと思う。食や行動についての好奇心をなくしてまで旅をして、どれほど意味があるのだろうか。 さて、そういう訳で初日の夜は、中華。チャイナタウンをあちこち歩いて、はやってそうな店を探す。悩ましいのは、チャイナタウンはもともとロンドンの人気観光スポットでもあるので、中華料理店はどこもそれなりに賑わっている。 そういう中で旨い店を探すのは至難の技かもしれない。あれこれ店を偵察した末、僕らはチャイナタウンのほぼど真ん中にある「金萬楼」という店を選んだ(写真左=チャイナタウンの楼門)。 久しぶりの中華。とくに汁麺が食べたいという気持ちが膨らんでいた。僕らは「前菜盛り合わせ」のほかに、「海鮮五目汁そば」(写真右下)と「豚肉と野菜の香味炒め」を頼む。 そばのテーブルには欧米人のカップルやグループが目立つが、おはしの使い方の上手い人もいれば、めちゃ下手な人もいる。四苦八苦した末にあきらめて、フォークとスプーンで食べてる方も。 日本ではポピュラーな「ミンチ肉炒めのレタス包み」を頼んだ欧米人は、どうやって食べるのかしばらく思案していたので、僕はジェスチャーで教えてあげた。すると親指を立てて「サンキュー」とのお返事。 「金萬楼」は味も及第点で、従業員の応対も丁寧。この店のチョイスは良かったと思う。ただし、ビールの後、「紹興酒を飲みたい」と頼んだら、「紹興酒はない」と言われたのには少々がっかり。 仕方なく代わりにすすめられた「白酒」をお願いしたが、これがアルコール度数50度くらいの強烈な酒。ストレートで供されたので、結局、飲み残してしまった。海外で中華を食べたことは結構あるが、「紹興酒はない」と言われたのは初めて。ロンドンじゃあまり飲まれないのだろうか? 店を出ると表通りはまだ観光客で大いに盛り上がっている。横浜、神戸、ニューヨーク、サンフランシスコ、そしてロンドンと、全世界でチャイナタウンは増殖を続ける。華僑パワーはやはり凄い。日本人もこのパワーだけは見習いたい。 さて、明日は文豪シェイクスピアの故郷、ストラットフォード・アポン・エイボンへ半日旅行。訪れるのは中学生以来の夢だった。遠足に行く前の子どものような気分だ。朝イチの電車で行くので寝坊しないように気を付けなければ…。 ◆英国への旅:ストラットフォード・アポン・エイボン編へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/31
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9月26日(水)。スコットランド滞在5日目。いよいよ、エジンバラ観光の華、「世界遺産」のエジンバラ城見学に向かう。 エジンバラ城(写真左=城の正面です)は、エジンバラ市内のどこからも見える岩山を利用した要塞である。 7世紀の初め頃から築かれ始め、その後、ここを居城とした王たちによって、たびたび改築・増築が繰り返されてきた。 歴代の王のなかには、あのシェイクスピアの有名な戯曲「マクベス」にも登場するマルカム3世もいる。 またスキャンダラスな生涯を送った悲劇のスコットランド女王メアリーが、息子(後のイングランド国王ジェームズ6世)を生んだのもこのエジンバラ城である。 メアリーは後年、女王エリザベス1世に謀反の疑いをかけられ、処刑されてしまうが、ここエジンバラ城でも謀略や暗殺という暗い歴史が数多く伝えられている。城内には、そんな反逆者と見なされた人たちが囚われた牢屋も残っている。 エジンバラ城は何世紀にもわたって増改築が繰り返されてきたため、実に複雑な構造になっている(写真右=城内には大砲と砲台が残る)。 あちこちに時代背景の違う宮殿などの建物や門や砲台などが点在。建築様式を見ているだけでも興味深い。 城内の宮殿内には、清教徒革命時にオリバークロムウェル軍に奪われそうになったスコットランド王家の「三種の宝器」(黄金の宝冠、御剣、水晶入りの御笏)が保管され、公開されている。 余談だが、城内の建物のなかには、近現代の英国の戦争の歴史を記した国立記念館もある。管内には当時の軍服や武器が数多く展示されている(写真左=城内は複雑な構造です)。 時間があったので少し覗いたが、かつて大英帝国が世界中に繰り広げた戦争、そして各地の植民地政策を肯定的に紹介した展示のオンパレード。 帝国主義、植民地主義などの英国の「過去」は、決してほめられない「影」の部分。それへの反省が見られないような展示というのはいかがなものか。 いまだ「大英帝国意識」が抜けきれない国民性には少々がっかりする(過去への反省という点では日本も、「他山の石」として自戒しなければならない)(写真右=城から見たエジンバラ市街)。 さて、エジンバラ城観光を終えて、そろそろ昼飯タイム。城正面の門から歩いてすぐのところにある「ウイッチャリー」(写真左下)というスコットランド料理のレストランへ。 夜は高級らしいが、昼にはお手軽なランチがあるという話を聞いて、ここに決めた。僕はラムと豆のソテー。連れ合いは鶏料理。上品な味付けで満足。パブ料理とは少し趣が変わって面白い。 昼食後は、僕はロイヤル・マイルにある「スコッチ・ウイスキー・ヘリテージセンター」(写真右下=見学受け付けロビーです)にお邪魔する。連れ合いはここでちょっと別行動して、買い物へ。 同センターでは、スコットランドのウイスキーのすべてがわかる見学ツアーがあるというので参加することに。ツアーの同行者は10人ほど。ここにもドイツやカナダ、豪など英国外からの参加者が目立つ。 僕らはまず短い映画やスライドを見せられた後、案内ガイドによるお話(ウイスキーができるまで)、そして、ニューポットやシングルモルト数種を試飲した。 最後に2人乗りの電動カートに乗せられ、ウイスキーづくりの歴史を蝋人形を使って紹介する暗い展示室を回る。まぁ、ディズニー・ランドのカリブの海賊のアトラクションのようなもの。 若干子供だまし気味の展示。スコッチ・ウイスキーの入門者者には楽しいかもしれないが、僕には「一度見たら、もう二度目はもういいな」という内容。 見学ツアーはたいしたことはなかったが、センター内のショップ(写真左)はとても充実している。スコットランドのウイスキー(モルト&ブレンディド)のほぼ全銘柄がここでは買える。 お酒以外のお土産グッズも多彩だ。ただ肝心のスコッチウイスキーはと言えば、残念ながら、ここでしか買えないような珍しい品はほとんどなかった。僕はTシャツや絵葉書、ピンバッジなどを買い込む。 ヘリテージ・センターの見学を終えた後、再び連れ合いと合流。10分弱ほど歩いて、ウェーバリー駅そばにある「国立スコットランド美術館」(写真右)に立ち寄る。 美術館は石造りの立派な建物だが、展示品の方は「どうせ英国の地方都市だし、たいしたコレクションはないんだろうなぁ」と予想していたら、入ってびっくり。良い方に裏切られた。 ラファエロ、レンブラント、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコ、モネ、セザンヌ、ゴッホ…と教科書に載ってそうな有名どころの絵がこれでもかと展示されている(入場はなんと無料!=好きな金額を募金箱に入れるシステム=さすが太っ腹の英国)。 美術館でちょっぴり教養を深めた僕らは、夕方までは新市街のデパートなどを覗いたり、あちこちでお土産物などを探して過ごす。ただし、エジンバラのデパートの品揃えはいまいち。ロンドンへ行ってから、ハロッズなどの老舗デパートに期待することにする。 さて、エジンバラ最後の夜の晩ご飯は、麺(パスタ)が恋しくなってイタリアンに決める。新市街にトラットリア(またはリストランテ)が集まる「ハノーバー・ストリート」という通りがある。 当初考えていたお店の場所にあるは、なぜかスコットランド料理の店に代わっていた。仕方なく5、6軒あるトラットリア(同)の中から、表通りから見て一番はやっている店を選ぶ。 旅先で目的のジャンルの店を選ぶ際、地元の人(=すべてが地元の人とは限らないが)で一番にぎわっている店を選ぶというやり方は、店選び成功の秘訣の一つだと思っている。実際、今回の旅でも、事前予約をしない場合はこの方法でうまくいった。 で、選んだのは「ラ・ランテルナ」(写真左上)。今夜は何と言ってもパスタ(写真右)。久しぶりの麺類が旨い! もう1品とったけれど、それが何だったか忘れるくらいパスタが旨かった。ワインは気分を変えて赤にする。 テリー・サバラス似のマスターはイタリア系の方。客とイタリア語で話していたので、僕も「モルト ブオーノ(とっても美味しいよ)」とマスターに賛辞を伝える。マスターも「グラッチェ(ありがとう)」と応じる。こうした一期一会のふれ合いも旅の醍醐味だ。 そんなこんなで、楽しかったエジンバラ滞在も今夜でおしまい。明日はいよいよロンドン。約10年ぶりのロンドンはどう変わっているのか、あるいは変わっていないのか、いろいろと楽しみだ。 ◆英国への旅:ロンドン編(1)に続くこちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/28
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【前書き:今回のきわめて短いグラスゴー滞在だけで1回分を書くのはおこがましいと思いましたが、恥を忍んで記します】 9月25日夕、アイラ島からグラスゴーに戻った僕ら。当初はすぐエジンバラへ戻る予定だったが、特急は11時台まであるので、せっかくだから少しばかりグラスゴーの街を楽しみ、晩ご飯もここで食べようということに計画変更した。 とは言っても、時間は3時間半ほどしかない。空港からバスで中心部のクイーン・ストリート駅に出る。高速道路はすいていて、20分ほどで、駅に着く。 とりあえずアイラ土産などの大きな荷物を預けようと思い、駅の手荷物預かり所を訪れる。すると駅の係員は、暗証番号式のコインロッカーを使えとおっしゃる。 「ややこしいなぁ」と思ったが、意外と簡単に扱えるロッカーだった。身軽になって、まず、中心部の観光スポット「ジェージ・スクエア」(写真左)を訪れる。 大きな広場にはジェームズ・ワット、ウォルター・スコット、ロバート・バーンズなどスコットランドゆかりの偉人たち12人の銅像が並ぶ(写真右)。 広場に面して建つグラスゴーの市議会庁舎は、街のシンボル的な存在。夕暮れどき、ライトアップされてさらに美しい。 もう一つ、グラスゴーに寄るなら、ここだけは見ておきたい建物があった。「グラスゴー大聖堂」(写真左下)。13世紀に建てられた大聖堂は、宗教改革でも破壊をまぬがれた貴重な文化財だ。 地図上ではジョージ・スクエアからは歩いて15分ほどの距離だが、途中、道に迷って、歩いている中年男性に道を尋ねた。すると彼は「日本から来たのか? シュンスケはいいねー」とお世辞を言う。 さすがセルティックの地元、グラスゴーだ。「僕も大聖堂方面へ行こうとしてたところだ。途中まで連れてってあげるよ」と言う。日本人に親切なのは“俊輔効果”かな。 ようやく大聖堂にたどり着いた頃、夜の帳(とばり)はもすっかり落ちていた。だが、ライトアップされた大聖堂は、息をのむほどの荘厳な美しさ。 建物は想像以上に大きい。内部の見学時間は当然終わっていたが、機会があればもう一度、ゆっくり訪れてみたい。 さて、グラスゴーでの晩飯はスペイン・バルでということに決めた。ガイドブックに出ていたジョージ・スクエアそばの「カフェ・アンダルス」という店へ。 人気店らしく、店に入るとほぼ満員。今夜は予約はしていないので、一瞬「やばいかな」と思ったが、普段の行いがいい(笑)僕らは、ここでも窓寄りの2人用のテーブルにすぐ案内される。 とりあえずビールを飲みながらメニューを見る。日本でもスペイン・バルにはよく行くので、メニューを見てどういう料理かはだいたい見当はつく(写真右下=カフェ・アンダルスの店内。すみません。店の中の写真を撮り忘れたので、この写真は今回の一連の日記で唯一、お店のHPからの借用です)。 なぜスペイン・バルを選んだかと言えば、英国に来て以来、コメの飯を一度も食べていない。日本人としては、そろそろコメの飯が恋しい。で、「そうだ、スペイン料理ならパエリアがある」。 でももし、ばかでかい皿に山盛りのパエリアなら他に何も食べられないので、困るなぁと思い、係の店員に聞いたらちょうどいいサイズのがあると言う。 僕らはそのパエリア(写真左)と、タパスを2品(小エビのガーリック風味と野菜とチキンのサラダ風)を頼み、もちろん白ワインも。久しぶりのパエリアは、ほんとに旨かった。グラスゴー、グラシアス! でも、お勘定は料理3品とビール、ワイン計4杯で約40ポンド=約1万円。何度も触れているけど、ポンド高のせいで、食費が高くつく。日本ならせいぜい7~8千円くらいだろう(でも現地の人にしては4千円の感覚だから、安い店なんだろうなぁ…)。 夕食を終えた僕らは、クイーン・ストリート駅へ向かい、ロッカーから荷物を取り出し、エジンバラ行きの特急に乗り込む。深夜の特急は乗客もまばら。満足した胃袋。心地よい酔い。程良い列車の揺れもあって、発車するやいなや、僕らはすぐに眠りに陥った。 さて、明日はいよいよ。世界遺産の街のシンボル、エジンバラ城を訪れる予定。天気も良さそうなのでワクワクする。良い一日でありますように。 ◆英国の旅:エジンバラ編(4)へ続く(グラスゴーでのあまりにも短い滞在のためか、中身のない日記になってしまいました。すみませーん)。
2007/10/25
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念願のラフロイグ蒸留所訪問を果たした僕。気が付けばもうお昼時。しかし、この辺りでまともな昼メシが食べれそうな場所と言えば、アードベグ蒸留所(写真左)のレストランしかないということは、日本で知り合いのバーテンダー聞かされていた。 1カ所しかないということは混雑は必至。急げ、アードベッグへ。ラフロイグからアードベグまでは、車で7~8分ほど。 この辺りまでくると道路は未舗装のところもあり、車も少し揺れる。でもアイラの道の運転にはもう慣れた僕は軽やかにハンドルを切る(笑)。 レストランはショップのすぐ横にあるが、予想通り、見学客で混んでいてほぼ満席。幸い、僕らはぎりぎり2人分の席に案内された。 レストランは40席ほどの広さだが、それにしてはフロア担当の従業員が少ない。後から来た人たちはほったらかし(タッチの差で遅れて来て、並んでいる人たち多数! 早めに来て良かった!)。 昼飯には、アードベグ名物のカリフラワーのスープ(あのクリスティーンがおすすめだった)と、ハギスのサンドイッチ(写真右)。 飲み物は、残念ながらジンジャーエール(でも、車で来てもアルコール飲んでるやつもたくさんいたぞー)。ハギスのサンドイッチは、臭みも少なくとても美味しい。あぁビールがほしい。 腹ごしらえが終わった後、アードベグのショップ(写真左)土産物を少し買った。知り合いバーテンダーから灰皿を頼まれていたが、係の女性に聞いても、「ごめんなさい。灰皿はもう売っていないの…」とのこと。 英国内では7月からレストランやパブも含めてすべての公共の場所での全面禁煙がスタートした。自分が泊まるホテルの部屋でも吸ってはいけないという徹底ぶり。 当たり前だが、喫煙を前提とした灰皿は土産物としては売りにくい(売れない?)のだろう。そういえば、ボウモアもラフロイグでも灰皿は土産物にはなかった。 アードベグ見学の次には、アードベグとラフロイグの中間辺りにあるラガヴーリン蒸留所(写真右下)にも少し立ち寄る。アイラのどこの蒸留所を行っても同じことを思うが、周りの自然環境に恵まれ、どの蒸留所の建物も、白壁がとても美しい。 こんな風景がいつまでも大切に守られるアイラ島であってほしいが、いま、島は若者の英本土への流出が続き、過疎化・高齢化が進んでいるという(まるで日本と同じだ)。 アイラという島が生み出した、素晴らしいウイスキー文化を将来にわたって、守り育てていく術(すべ)はきっとあるはずだ。僕ら日本人もできる限り協力したいと思う。 さて、僕らはこの日の夕方に再び飛行機に乗り、アイラを離れる。ボウモアまで戻って来たけれど、後(あと)はガソリンを満タンにする以外はとくに予定もない。 で、再び島のなかをドライブして時間をつぶすことにする。今度はボウモアからさらに北西を目指す(写真左下=ラガヴーリン蒸留所内を流れる川)。 そして、ガイドブックに出ていた「アイラの暮らし博物館」(写真右下)にお邪魔する。ここでは、古代から現在に至るアイラの人々の暮らしが、さまざまな生活道具とともに紹介されている。 第二次大戦中はボウモアの前の海(内湾)は、英海軍の飛行艇の基地だったという話も知った。おだやかな湾が軍事基地に使われていたとは驚きだった。 博物館の帰り道、アイラモルト蒸留所の一つ「ブルックラディック」(写真左下)の前を通りかかる。まだ時間はあったので、ショップに寄って、ここでも少しお買い物。前からほしかった陶器製の水差しなどを購入する。 ここのショップは今回訪れた蒸留所では一番大きい。他の蒸留所とは違って、限定のモルトを自分でボトルに入れて買えるのが嬉しい。しかし、場所が辺鄙なところにあるせいか、訪れている観光客は少なかった。 さて、そろそろ空港へ向かわねばならない。僕らはボウモアの街に1軒だけあるガソリンスタンドに車を止める。給油はセルフ。しかし、タンクの蓋を外し、注油するまでの手順は分かるが、タンクが満タンになったかをどうやって知るのかよく分からない(自動的に止まるのか?)。 考えあぐねている僕らを見かねて、ガソリンスタンドの経営者でもある雑貨屋の店主が代わりに給油してくれた。2日間よく走ったが、使ったのは10ポンドほど。さすが日本車は燃費がいい。給油を終えて、一路、空港へ。もうすっかり走り慣れた道だ。 午後4時半頃、空港に着いてレンタカーを返す。VISAカードで支払いを済ませ、航空会社(英国航空)のカウンターでチェックインしようとすると、なんとロビーに、あのクリスティーンが待っていた! 僕らを見送りに来てくれ、お土産まで用意してきてくれた。僕は感激のあまり、感謝の言葉がうまく出てこない。クリスティーンからは、「日本のバーテンダーたちに、よろしくねー」と、個人的な贈り物を手渡してくれるよう頼まれた。もちろん僕は喜んで引き受けた。 「かならず、もう一度会いましょう。かならず、絶対にアイラに戻ってくるから!」。僕はそれを言うのがやっとだった。ボウモアのデイビッド、ラフロイグのジャック、そしてクリスティーン。今度いつ会えるかは分からないが、彼らから受けた歓待は一生忘れない。 また来たい。近い内にまた来たい。ロッホサイド・ホテルのパブで酔いつぶれるまで飲みたい。 今回行けなかったカリラやブナハーブン、キルホーマンという蒸留所へも行きたい。もちろん、ボウモアへもラフロイグへももう一度。 僕はもう、「アイラ」という重い病(やまい)にかかった気分。アイラ島と島の素晴らしき人たちに、心から「スランジバー!(Slainte mhor)」(=ゲール語の「乾杯」)。この島は、確かに「スコッチモルトの聖地」だった。 【追記】アイラからグラスゴーまでの帰りの便。アイラ空港の機内持ち込みの検査は、今回の旅で一番厳しかった。人種に関係なく、カバンを開けさせられ、中をチェックされた(僕ももちろん)。検査は軍人でも例外ではなく、乗り合わせた迷彩服姿の英陸軍の軍人さんまでヒモ靴を脱がされていた。公平感があって、これには納得。 それにしても、行きは40分かかった飛行機なのに、帰りは気流の関係なのか、わずか20分(いくらなんでも半分の時間とは!)でグラスゴーに着いたのには少々驚いた。 ◆英国への旅:グラスゴー&エジンバラ編へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/22
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アイラ島滞在2日目の25日(火)。天気はほぼ快晴。空気も清々しいので、いつもより早く目覚める。きょうはボウモアと並ぶアイラ・モルトの雄で、島の南部にあるラフロイグ蒸留所を訪れるのがメインテーマ。 さらに、ラフロイグから比較的近くにある、アードベグ、ラガヴーリンという有名どころの蒸留所にも少しお邪魔するつもりだ(アードベグでは、蒸留所内のレストランで昼食をとる予定)。 さて、出発前にまずハーバー・インで朝食。朝7時半、1階のレストランに向かう。すると、従業員は「朝食は8時からだ」という。島の一流ホテルにしては、遅いスタート。いや、「ここ(アイラ)まで来たら、そんなにあわてずのんびり朝食をとりなさいよ」ということなのか。 レストラン隣の海を望むティー・ラウンジで、置いてあった本や写真集などを見ながら少し時間をつぶす。すると予定より早く、10分前(7時50分)に「もうOKだよ」と席まで案内してくれた(写真左=レストランの窓辺には、スコットランドの国花「アザミ」の花が)。 朝食はメインの料理とサイドオーダー、それにパン。コーヒーや紅茶、ジュースなど飲み物はセルフで好きなだけ飲める。 僕らはスモーク・サーモンと卵(スクランブルエッグ)の料理、タラのスモークと卵(同)の料理、それにブラック・プディング(豚ミンチを豚の血で固めてハンバーグ状にしたスコットランドの伝統料理)=写真右=を頼む。 昨夜のディナーも美味しかったが、ハーバー・インの料理はさすがという高いレベル。上品かつ繊細な味わいで、実に美味しい。パンにも手抜きはなく、温かい状態で出してくれるのが嬉しい。ここを宿にして、つくづく良かったと思う。 ちなみに、ハーバー・インの料金は僕らの場合、1泊朝食付きツインルームで120ポンド(約3万円=2人分の料金です)。ここに来る前は、アイラ島のホテルのなかでは一番高いホテルと聞いていた。 だが、部屋もわりと広くて綺麗で、辺境の島のホテルとしては設備も申し分ない。従業員の応対も親切で、料理のレベルも考えたら、決して高いお値段ではないと僕は思う。 アイラ・モルト充実のパブが有名なロッホサイド・ホテルも決して遜色ないが、1泊だけなら、僕はハーバー・インをおすすめする(家庭的な「B&B」に泊まりたいのなら、ロッホサイド・ホテル近くの「ランベス・ゲスト・ハウス(Lambeth Geust House)」が人気とか)。 さて朝食を済ませて、僕らは再びレンタカーに乗り込み、一路、島南部の中心都市(と言っても町だが)・ポート・エレン方面へ。ラフロイグ蒸留所(写真左上)はポート・エレンからさらに東へ車で10分ほどのところ。 見学ツアーは午前10時15分に予約している。初めて走る道だが、とんかく行き先表示通りに走れば、迷うことはまずないのがアイラの道だ。 余談だが、アイラではすれ違う車のほとんどすべてが軽く手を挙げて挨拶してくれる。みんなとてもフレンドリーだ。僕もつられて挨拶を返す。これがやってるうちに楽しくて、自然とできるようになる。 僕らは遠くからやってきた旅人じゃなくて、もうすっかり住人のような気分。ポート・エレンの町には、ボウモアから約30分弱で着く。 旧ポート・エレン蒸留所(写真右上)を利用した製麦工場の横を抜けて、さらに走ると写真などで見慣れたあの緑のサイン、ラフロイグのマークが道路脇に見えてきた。)。 ここが、あのラフロイグ蒸留所への入り口。「サインは見つけにくいので気を付けて」と言われていたが、そうでもなかった。右に折れて、私道を100mほど行くと蒸留所の正面に出る(写真左=ボウモア同様、ラフロイグも海のそばに建つ)。 10時頃、蒸留所に着いて、僕らはビジター・センターへ向かう。すると、中年男性の従業員が僕に、「Mr ****? How are you? I‘m Jack」と声をかけてきた。 見学予約者に日本人の名前が入っていて、それが僕らだと思ったのだろうが、声をかけて迎えられて実に嬉しい(日本から予約しておいた甲斐があった)。 ジャックはこの日の見学ツアーの案内役もした。ツアー参加の総人数は11人。英国内だけでなくカナダ、オースラリア、ドイツなどさまざまな国からやってきた「ラフロイグ・フリーク」が、ツアーのスタート場所であるショップ(写真右)に集っている。 そういう僕も「ラフロイグ・フリーク」の1人。実は、ラフロイグの公式HPからリンクできる「ラフロイグ友の会(フレンズ・オブ・ラフロイグ)」の会員になっている。 この日のツアー客にも、僕以外に3人の会員がいた(写真左=ラフロイグのポットスチル。ボウモアよりは大型で数も多かった)。 この「友の会」に登録すると、ラフロイグ蒸留所内の「30cm四方の土地のオーナー」に認定してくれて、一代限りの「土地の権利証」をくれる。 そして、その「権利証」には、「あなたがラフロイグ蒸留所を訪れた際には、1杯のラフロイグを差し上げ、その土地にご案内します。よければ野鳥よけの防具(衣服)もお貸しします」とある。 念願叶ってラフロイグにやってきた僕は早速、ジャックに「実は僕はフレンズ・オブ・ラフロイグの会員なんだ」と日本から持参した証明書を誇らしげに見せる。今回のラフロイグ訪問では、「自分の土地」に立って、そこで1杯のラフロイグを飲むのが何よりも夢だった。 ジャックは「後で、(ここへやってきた)証明書を発行しよう。君の土地の場所も教えるよ。記念に国旗を立てるがいい」と嬉しそうに言い、各国国旗の小旗が準備してある物置のような場所に案内した(写真右=ラフロイグのピート。そばにいるのがジャック)。 見たところ、約30カ国くらいしかなかったが、幸い日本の国旗はあった。僕はツアーの後、国旗を立てることにして、とりあえずみんながいるショップに戻る。 見学ツアーは格段変わった内容のものではなかった。約2時間ほどで終了した。ボウモアの時とは違って一般客と一緒のツアーだったので、特別な場所を見せてもらえるということもなかった。 最後に、ビジター・センターのショップに戻った僕たち見学者に、ジャックはラフロイグのクォーター・カスクを振る舞った。 レンタカーで来た僕は当然飲めないので、連れ合いが飲む1杯を少し舐めるだけにとどめた。ジャックは車で来ている運転手(僕も含めて)には、代わりにミニチュア・ボトルをくれた。 「友の会」の会員には「訪問証明書」(写真左上)と、ミニチュアボトルをもう1本をくれた。さらに嬉しいことに、後でホテルに帰ってプレゼントの袋の中を見たら、僕らの袋にはショットグラスが2個、別に入っていた。 日本からはるばる来た僕ら2人への、ジャックからの心からの「歓待の証(あかし)」と思うと、とても嬉しかった。 帰り際、僕は事務所で教えられた「僕の土地」のある場所へ向かった。現場は、見た目は草原のようだが、歩くと想像以上にぬかるんでいる。 「僕の土地」と言っても、境界線が引いているわけでもなく、僕は「だいたいこの辺かな」という場所に日の丸の小旗を立てて、連れ合いに写真を撮ってもらった(写真右)。 さて、ラフロイグ蒸留所見学を終えた僕らは、「アイラ2日目の昼ご飯はここで」と事前に決めていたアードベグ蒸留所へ向かう。 ◆英国への旅:アイラ島編(4)へ続く。
2007/10/19
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僕がスコッチモルト・ウイスキーを本格的に飲み始めた歴史は意外と浅い。90年代の後半になってからだ。その醍醐味を教えてくれたのは、単身赴任していた徳島のBARのマスターだった。 最初に飲んだのがアイラ島という島で蒸留されたモルトだった。名前は「ボウモア」とか「ラフロイグ」と言った。他にも「アードベッグ」「ラガヴーリン」「カリラ」というモルトも味わったが、一番強烈に印象に残ったのは最初の二つだった(写真左=空港のすぐそばにも羊がいっぱい)。 スモーキーでソルティでスパイシーで、そして強烈なヨード香。こんなウイスキーはそれまで経験がなかった。それは「島の風土と人が造り出すマジック(魔法)だ」と教えられた。以来、「いつかアイラへ」が僕の夢だった。 そんな夢が2007年9月24日、ついに叶った。午前9時15分。僕は確かにこの足で、アイラの地に降り立った。レンタカー(日産車)のハンドルを握り、一路ボウモアの街を目指す(写真右=ボウモアの街のシンボル「ラウンド・チャーチ」)。 アイラ島の車道は日本と同じ左側通行。道はほぼまっすぐな一本道だから走りやすいし、迷うこともない。信号は走っても走っても、見あたらない。島にはおそらく、一つもないと想像する(島のすべての道を走ったわけではないが…)。 天気は小雨が降ったり止んだりと不安定。当然車のワイパーを使う。すると、ワイパーと思って入れたスイッチは方向指示器。ワイパーはハンドルの右側にあった。つまり日本車なのに日本と逆。左ききが多い国民に合わせたためか。 ボウモアへ行く途中、左も右もほとんどが牧草地。時々、羊が道路を横切る。こちらの羊は顔が黒くて可愛い。羊ばかりだと思っていたら、牛も結構たくさんいる。でも人はあまり見かけない。おそらく人の数より家畜の数の方が多い? 30分ほど走って初めて緩やかな左カーブに出合った。するといつか写真で見たことのあるボウモアの円い教会が視界に入ってきた。そして教会の前にたどり着き、坂道の下の方を望んだら、やった! ボウモアの街だ!(写真左上)やっと来たぞー! 夢にまで見たボウモアの街に、僕はとうとうやって来た。まだ午前11時すぎ。ボウモア蒸留所のツアーは午後1時半に予約している。僕らはとりあえず、今晩泊まる予定の「ハーバー・イン」(写真右上)というホテルにチェックインの手続きだけを済まそうと訪れる。 ホテルはまだお掃除の真っ最中。レンタカーをホテル前の駐車場に置かせてもらい、昼飯に出かける。目指すは、日本の馴染みのバーテンダーから勧められた「ロッホサイド・ホテル」のレストラン。ボウモアの街には単独のレストランはない(実際、1軒も見かけなかった)。だからホテルのレストランくらいしか、ご飯を食べる所はない。それも、このロッホサイド・ホテルとボウモア・ホテルくらい。 ロッホサイド・ホテルのレストランでランチを食べた僕らは、その後、街のショップを覗いたり、メインの交差点側にある観光案内所(写真左上)にお邪魔したりしながら時間をつぶした後、いよいよボウモア蒸留所のビジター・センターへ。 ボウモアの街は小さい。端から端まで歩いても15分もかからない。泊まったハーバー・インからボウモア蒸留所までは徒歩2分ほど(写真右=白壁が美しいボウモア蒸留所)。 ビジターセンターの受付で「予約している****です」と告げると、「ツアーは2時からなので、しばらくお待ちを」とすぐ横のサロンに案内される。 ビジターセンター(写真左下)は最近改装されたらしく、見学者サロンの展示も見やすく、美しい。ショーケースには当然のように、ブラックボトル、バイセンテナリーなどファン垂涎の歴代の稀少ボトルが並ぶ。そして広い窓からは海も望めて、とても心地よい。 サロンで待っていると、デイビッドという男性従業員が僕らの前に現れ、「ハロー、ボウモアへようこそ」と挨拶してきた。デイビッドは若くてイケメン。まだ30歳前半かな。そして、ただちに「後へついてきてください」と言った。そして、デイビッドと僕ら2人、計3人だけの見学ツアーがスタートした。 他の一般観光客と一緒のツアーで案内されると思っていた僕らは、少々面食らった。僕ら2人だけが「特別扱い」されているために、他のツアー客は「あいつら何者?」と不思議そうに、羨ましそうに見ている。 フロアモルティング(製麦・発芽)、キルン(乾燥塔)でのピート焚き、糖化作業(マッシング)、発酵桶、蒸留釜(ポットスティル)など、モルトができるまでの過程を見るのは普通のツアーとほぼ同じ中身だが、やはり、少人数で丁寧に案内されるのはいい気分。 デイビッドは一生懸命、僕らに対して説明してくれるのだが、残念ながらスコットランドなまりの英語なので、聴き取りにくい。デイビッドは時々、「僕、早くしゃべりすぎているかい?」と聞いてくれるのだが、早さの問題じゃなくて、スコットランドなまりの問題なんだけど、それは言えない。 デイビッドはツアーの最後に、「通常のツアーでは見せない場所」にも連れていってくれた。そこはモルトの樽の貯蔵倉庫で、なんとその場で、樽出しのモルト2種(シェリー樽&バーボン樽)とニューポット(貯蔵前の出来たてのモルト)まで味わわせてくれた(ちなみに、デイビッドは「ニューメイクス」と言っていた)(写真右上=案内してくれたデイビッドと)。 車はハーバー・インに置いてきたので心おきなく飲める。だが樽出しモルトは57~62度くらいだから、さすがにキツい。少々酔っぱらった気分)。でも、デイビッド、ほんとに有難う! こんな歓待は予想していなかったぞー!。 ボウモア蒸留所で至福の時を過ごした僕らは、ホテルの部屋で酔いを少しさました後、再び街を散策。土産物店などを覗いていたところ、日本で写真で見たバンが通りのスーパーの前でとまっているのを目撃した(写真左=ボウモアでのフロアモルティング作業)。 バンの側面には「Lady Of The Isles」とある。アイラで知らない人のない観光ガイド、クリスティーンの車だ。実は、日本を発つ前、「アイラでクリスティーンにもし会ったら、手紙を渡してほしい」とあるバーテンダーから頼まれていた(写真右=倉庫の中の樽から直接飲ませてもらえるなんて!)。 僕はスーパーの中にクリスティーンがいるんじゃないかと思い、店に入って中を探した。すると、いた!というより、クリスティーンの方から、「コンニチワー!」と僕に声をかけてきた。クリスティーンは日本人を案内する機会が多くて、日本(大阪にも!)にも来たことがある親日家。だから、カタコトの日本語を知っている。 僕も日本を発つ前、クリスティーンとメールのやりとりを少ししていたが、本人と会うのは初めて。名乗った僕をすぐに思い出してくれたクリスティーンは、大感激してくれて、強~いハグで歓迎してくれた(写真左=クリスティーンとの出逢いを喜ぶ)。 初めてのアイラ訪問。本来なら、僕らは彼女にガイドを頼んでもよかったのだが、気ままに動きたかったので今回はレンタカーを借りた。それでも、クリスティーンは「遠い日本からはるばるアイラまで来てくれてほんとに有難う。嬉しいよ」と喜んでくれた。僕らは日本での再会を約束して別れた。(写真右=スコットランドの公用語は英語とゲール語。街のスーパーの表示はゲール語も併用)。 さて、そろそろ晩飯の時間。泊まったホテル「ハーバー・イン」のレストランを予約している。「晩飯を食べるなら、少し高いけどハーバー・インが美味しいよ」と、これもあるバーテンダーのオススメ。 確かにハーバー・インは美味しかった。生牡蠣のボウモアがけ(写真左)、アンコウ(モンクフィッシュ)のソテー等々、素材が新鮮なこともあるが、スコットランドの島のレストランとは思えない洗練された味わい。 従業員に「シェフ(彼=him)にエクセレントだと伝えてくれ」と頼むと、「彼女(She)だ」と応じた。ハーバー・インの女性シェフに乾杯! 美味しいディナーの後は、歩いて数分のロッホサイド・ホテルのパブへ(写真右)。このパブは、アイラのモルトのすべてが味わえると言っていいほどの品揃えを誇る。 パブには毎晩、地元の人だけでなく、世界中からモルトを愛する人たちが集い、幸せな夜を過ごす。この夜もカナダ、ドイツ、ニュジーランド…と国際色豊かだった。日本から来た僕らもその輪の中に加わり、一緒に素敵な思い出を刻んだ。 ◆英国の旅:アイラ島編(3)へ続く。
2007/10/16
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スコットランド滞在3日目の24日(月)。いよいよ今回の旅の(僕にとっては)メーンイベント、アイラ島へ旅立つ日だ。午前5時、エジンバラの夜はまだ明けていない。空は真っ暗、天気は雨模様。眠い目をこすりながら起きて、旅支度を調える。 朝が早すぎるのでホテルの朝食はパス。温かい紅茶を1杯だけ胃袋に流し込む(「紅茶文化の国」の英国は、ホテルの部屋に必ず湯沸かしポットが付いているのが嬉しい)。 5時半すぎにエジンバラのウェーバリー駅(写真左)へ向かう。ホテルからは徒歩数分とめちゃ近い。駅に向かう朝の通勤客もちらほら見える。始発の特急は5時52分発。切符は前日のうちに買っておいたので安心。 ウェーバリー駅の構内には軽い軽食をテイクアウトできる店もあるが、聞けばほとんどが6時開店とか。あきらめてホームを確認し、列車まで向かう。グラスゴーまでは約50分の旅。グラスゴーは終点だから乗り過ごすこ心配はない。一眠りしている間に、「まもなくグラスゴー・クイーンストリート駅に到着です」というアナウンスがあった。 昔、アメリカで列車に乗った時は、発車ベルも「次は***」という案内放送もまったくなく、なんと不親切な国だろうとあきれたことがあったが、今回は小さい音ながら一応発車の合図はあったし、駅名の案内放送があった(スコットランドなまりの英語だが、真剣に聴いていればなんとか分かる)。(写真右=僕らの乗ったグラスゴー行き特急) グラスゴーには予定より早く6時45分頃到着。早速タクシー乗り場へ向かう。ようやく夜が明け始めて少し明るくなってきた。アイラ行きの飛行機は8時半離陸。7時半までに空港に着けばいい。空港までは20分ほどと聞いているので、十分間に合うと思っていた。 駅のタクシー乗り場には1人先客がいて、僕らは2番目。しかし先客が乗った後、なかなか次の1台が来ない。待てど暮らせど来ない。時間は刻々と経ってゆく。やばい…少々焦り始める僕。ようやく7時5分頃、2台目のタクシーが来てホッと一安心。 年配の運転手は、僕らが若干あせっているのを感じ取ってくれたのか少し飛ばして、わずか15分ほどでグラスゴー国際空港まで送ってくれた。7時20分過ぎ、僕らはただちにBA(英国航空)のカウンターでチェックイン。 機内持ち込みのカバンだけという身軽な格好だったので、チェックインはすぐ済んだ。とりあえず何か昼飯を食べようと、空港ターミナル内のサンドイッチ屋で腹ごしらえ。 するとサンドイッチ屋のそばに、あの「セルティック」のオフィシャルグッズ・ショップがあるではないか。早速僕らは時間を惜しんで、あれこれお土産用の小物を買い込む。だが、僕らの目当ての俊輔グッズは品切れなのか、探してもほとんどない(写真左=俊輔グッズはなぜか葉書しかなかった)。 グラスゴーで絶大な人気がある俊輔なのに、なぜグッズの品揃えがこんなに悪いのか。これも国民性か。愛想のない若い店員に「日本からわざわざ来たのに、もうちょっとちゃんと揃えておけよ」と心の中で悪態を付いて、もうあまり時間もないので出発者用セキュリティ・ゲートへ。 ことし爆弾テロがあったばかりグラスゴー空港ということで、機内持ち込みのチェックは厳しいと覚悟していたのだが、X線検査をクリアしたら、後はカバンを開けさせられることもなかった。 それにしても、やはり朝イチのアイラ島行きの飛行機に乗るには、エジンバラ前泊は、綱渡り過ぎてキツい。今回は幸いなんとかうまくいったが、どこかの計画(ダイヤなど)が狂ったら、飛行機に乗り遅れてしまう。次回アイラへ行く時はグラスゴー前泊にしたい。 さて、アイラ行きの飛行機はBAが窓口となっているが、実際はローガン・エアというローカル航空会社が運航している。機体はスェーデン製のサーブで、34人乗りのプロペラ機(写真右上)。しかし乗客はわずか8人。これではロンドンからの直行便就航は採算的に無理かなぁという感じ。 午前8時35分すぎ、飛行機は定刻から約5分遅れで離陸。「ほんとにすごく揺れるからねー」と事前に聞いていたので、覚悟はしていたが、上下左右に揺れる、揺れる。雨が降ったり止んだり、風も結構強い悪天候。でも、乗務員は「スコットランドではこんな天気は普通よ」とでも言いたげで、平然としている。 しかし、飛行時間は40分ほど。驚いているヒマもないくらいの時間で到着し、ついに憧れのアイラ島の土を踏む。アイラ空港(写真左上=空港のターミナルビル)は驚くほど小さい、田舎の空港っていう雰囲気。周りにもほとんど家はなく、牧草地の中に空港がポツンと存在している。 僕らは早速、空港ビル(と言ってもコンクリートの平屋だが)の前にある、島で唯一のレンタカー会社(日本で事前にFAXで予約しておいた)を訪ねるが、事務所らしきものがない。仕方なく空港ビルのロビーにもう一度戻ってみると、若い女性が「ミスター****?」と声をかけてきた。 予約確認のFAXを見せると、国際免許証をチェックされ、クレジット・カードの番号を控えられた(念のために、日本の免許証も見せたが、係の女性は「(日本の免許証は)別に必要ない」と一言)。さらに、心臓病になったことがあるか?過去3年間に交通事故を起こしたことは?免許を取って何年か?などの簡単な質問も受けた。 料金は1日35ポンド+返却時のガソリン代(満タンにして返す)。決済はVISAカードである(JCBはダメと言われた)。車種は、「できればオートマチック車で」と事前に頼んでおいた通り、オートマの日産車。しかも右ハンドルだから安心だ(写真右=写真を撮ったのは泊まったホテル「ハーバー・イン」の前です)。最後にキーを渡され、いよいよ島の中心地ボウモアへ向けて出発! ◆英国への旅:アイラ島編(2)へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/13
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エジンバラ2日目について、もう少しお付き合いを。幸運にもスコットランド・プレミアリーグの試合を観ることができた僕らは、スタジアムを後にして再び街の中心部へ向かう。 帰途、途中まで2階建てバスに乗る。初乗り1人2ポンド(500円)。高い!と思うが、ここは英国。1ポンド=100円くらいの感覚なんだと自らを納得させる。中心部のプリンスィズ・ストリート辺りまで来て降りる。 晩飯まではまだ時間があるので、エジンバラ中心部のグラスマーケット(写真右)という地区へ。中央部が石畳の広場のようになっているこの場所は、かつては公開処刑場だったという恐ろしいところ。 しかし現在では、パブやレストラン、骨董品屋などが建ち並ぶおしゃれなエリアとなっていて、過去の忌まわしい歴史は感じさせない(写真左=グラスマーケットにあるパブ「ホワイトハート・イン」。「螢の光」の作者として有名な詩人ロバート・バーンズも通ったことで知られる)。 僕は骨董屋で、アンティークのグラスを物色したが、気に入ったものはなかなか見つからない。ワイングラスのような形のものはあるのだが、カクテルにでも使えそうな形のグラスはほとんどない。あっても値段がとんでもなく高い(200ポンド以上も!)。「安くて買える掘り出し物を見つける」が僕のモットーだから、ここはあきらめる。 さて、2日目の晩飯はと言えば、日本出発前から決めていたのだが、ムール貝などのシーフード料理やステーキで有名なレストラン「マッセル&ステーキ(Mussel&Steak)」へ(写真左下)。昨日空港に迎えに来てくれたJTBの人も「あそこは美味しくて人気がありますよ」と言っていた。 実はこのお店のオーナーの奥さんはユイさんという日本の方。そしてユイさんはお父さんが大阪・守口市で「呂仁(ロジン)」というBARを営んでいて、僕も何度かお邪魔したことがあった。 しかしユイさんとは会ったことがなく、この日が初対面。「人気店なので、事前に予約をしておいた方がいい」と聞いていたので、とりあえずお店へ。連れ合いは店の前で待たせて、僕は店内の受け付けにいたアジア系の女性に、英語で「今晩の予約をしたのだけれど、7時に2人いけますか?」と聞く。 すると彼女は「6時半か7時半でないと空いていないんですが、どちらにされますか?」とのお返事。で、外にいる連れ合いにドア越しに日本語で「おーい、どっちにする? 6時半か7時半だって」と声をかける。 すると、その女性が「あ! 日本の方だったんですか」。僕が「ユイさん?」と聞くと、「はい、そうですよ」とユイさん。この女性がユイさんでした(とても可愛い感じの素敵な方です)。 「お父さんの店にには何度かお邪魔したことがあって、『エジンバラに行くなら、ぜひ娘さんの店に』と知り合いのバーテンダーさんからも勧められました」と話す僕に対して、「遠いところを有難うございます」とユイさん。 僕らが阪神間に住んでいるという話を聞くと、「私、関学(関学は阪神間の西宮市にある)に通ってたんですよー。イギリスに留学するために中退してしまいましたけど…」とユイさん。遠くエジンバラまで来て、身近な日本の方に出会えるなんて、なんか凄い縁を感じてしまう。 さて、肝心の料理の話を。ユイさんの店の名物は店の名前にもなっている「ムール貝」の鍋蒸し(写真右上)。深めの鍋にムール貝をいっぱいに詰め込み、ソースやスパイスをかけて蒸しあげるといういたってシンプルな料理だ。ソースはバジル、クリーム、ガーリック、チリ、チョリソーの5種から好きなのを選べる。 鍋の大きさはフルポットとハーフポットと2種類あるが、ハーフでも約50個の貝が入っているというから、当然、ハーフポットで頼む。待つこと20分ほど。腹ペコの僕らは早速、がっついて食べ始める。旨い! 適度に歯ごたえがあって、味が濃厚で旨みが凝縮されたような味わい。 50個も食べると普通は途中で飽きてくると思ったが、なぜかどんどん食べられる。キリッと冷えた白ワインとまた相性が抜群に合う。あぁ、とても幸せな気分。 それにしても、お客さんのほとんどがこの料理を注文している。(僕らも含めて)どのテーブルでもこのムール貝の鍋にがっついている姿は壮観だ。僕の隣の男の2人連れはフルポットで3杯(つまり約300個!)もたいらげている。 僕らはムール貝のほかに、ユイさん発案のラビオリを使ったしょうゆ味の春巻き風料理=写真右=などを堪能した(ワインを1杯ずつサービスまでしてくれた。ユイさん有難う!)。持つべきものは異国の知り合い。知り合いが一人でもいれば、旅はより楽しくなる(でも、お店がチョー忙しくて最後ユイさんと一緒に写真が撮れなかったのが返す返すも残念…)。 エジンバラ2日目もこうして無事終わって、明日(24日)はいよいよアイラ島への旅。朝5時50分発の始発特急に乗ってグラスゴーに向かい、さらに飛行機に乗り換える。朝寝坊はできないので、早めにホテルへ引き上げる。明日もいい天気でありますように! ◆英国への旅:アイラ島編(1)へ続く。【Mussel & Steak】110 West Bow, Grassmarket, Edinburgh, Scotland 電話0131-225-5028 営業時間&定休日は聞き忘れたのでお尋ねください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/10
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エジンバラ2日目の23日。ホテルの朝食(写真左)を終えた僕らはとりあえずまずエジンバラの有名な観光スポットの一つ、ホリルードハウス宮殿を目指す予定だったが、その前に行かなければならない場所があった。 市内中心部から北東へ20分ほど歩いたところにある「イースターロード・スタジアム」。地元エジンバラのサッカー・チーム「ハイバーニアン」(スコットランド・プレミアリーグ)のホームスタジアムである(写真右下=スタジアムの周辺)。 実はこのハイバーニアンがこの日午後2時から、グラスゴーの「セルティック」を迎えて試合をするという情報を、事前に日本で得ていた。 セルティックと言えば、中村俊輔である。僕らは、当日チケット(ハイバーニアンのHPによると、どの席も均一料金で26ポンド=6500円ほど=という)を手にいれようとまず朝イチで出かけた。 ところが、スタジアムのチケット売り場のお兄さんから言われたのは、「当日券はない。すでに予約で完売している」「前売り券も、ファンクラブの会員か以前に買って登録している人しか買えない」というつれない一言。 英国のサッカースタジアムと言えば、5万人くらい収容する巨大なものを想像するけれど、ハイバーニアンのホームはサッカー専用の球技場にしては席数も約1万8千人と少ない。 「どうしたら手に入れることができるのか?」と無茶な質問をさらに窓口のお兄さんにぶつけた僕だったが、「(チケットを)持ってる奴から買ったら?」との遠回しなお答え。すなわち、ダフ屋から買えということか。 オフィシャルな窓口では無理ならば、ダフ屋から買うしかない(この時点で倍までは払う覚悟をした。それ以上の値段だったらあきらめようと決めた)。とりあえず試合開始前にもう一度出直すことにして、僕らはホリルードハウス宮殿(写真左)に引き返すことにした。 さて、宮殿のことに触れる前に、エジンバラという街について少しおさらい。スコットランドの首都であるエジンバラの人口は約40万人と意外と少ない(スコットランド全体の人口は約500万人)(写真左=ホリルードハウス宮殿)。 スコットランドは1999年、独立した議会を持つことが認められ、グレートブリテン=連合王国に属しながらも、自治権が拡大された。独自の法律の制定権や税率を3%まで増減できる権限などが与えられたが、軍事・外交、社会保障などの権限は依然として英国政府・議会が握っている。 ユネスコの「世界遺産」にも指定されているエジンバラの街は、中世以来の歴史的建造物があふれる旧市街と18世紀以降に計画的に造られた新市街から成る。旧市街のシンボル「エジンバラ城」は、市内のどこからも見える丘の上に建ち、ギリシャのアテネにも似た雰囲気(そう言う僕だが、まだアテネに行ったことはない…)。 観光スポットが多いのは、言うまでもなく旧市街である。エジンバラ城とホリルードハウス宮殿を結ぶ東西方向のメインストリートを現地では「ロイヤルマイル」と呼んでいるが、僕らの泊まったホテル「Jurys Inn」はちょうどそのロイヤルマイルの中間で、横道にそれたすぐのところ、観光には絶好のロケーションだった。 さてホテルから宮殿までは徒歩10分程度。宮殿はスコットランドにおける英王室の宮殿として現在でも使われており、王室が滞在するときは公開されていない(写真右=中世の街並みとは対照的に超モダンな外観デザインのスコットランド議会議場。宮殿のすぐ向かいに建てられたために建設計画発表時には反対の声も上がったとか)。 宮殿の主(あるじ)として一番有名なのは、スコットランド女王にして、最後はエリザベス1世の暗殺を企てたとした処刑されたことで有名なメアリー。メアリーの波乱の生涯を書くにはスペースが足りないので省略するが、ご興味のある方は映画「エリザベス」をご覧になると時代背景がよく分かると思う。 建物は中世の宮殿の面影をとてもよく残しており、城の中のギャラリーには歴代スコットランド王89人の肖像画も展示されていて、圧巻(でも、土産物ショップの中で、一番場所を占めていたのはもちろん、現エリザベス2世と故ダイアナ妃関連のグッズでした)。 宮殿をじっくり見学してそろそろお昼時。きょうのお昼もパブで食べようと思っていた。で、昨日行ったTassのすぐ向かいにある「The World’s End」へ(写真左上)。シェパード・パイを食べようと思ったのだけれど、お昼のメニューには残念ながらなかった。仕方なく「ベーコン&トマトのサンドイッチ」と「シーザー・サラダ」。パブならやはりビールだよねということで、ハーフパイントのエール2杯を頼む。 お昼時のパブは超満員。実はこの日はエジンバラではサッカーだけでなく、スコットランド対ニュージーランド(オールブラックス)というラグビーのビッグゲームが開催される(午後4時~)ということで、街は黒のTシャツやポロシャツを着たオールブラックス・サポーターでいっぱい。このパブにもサポーターが目立ち、試合開始前から盛り上がっている(写真右=街にもオールブラックスのサポーターがいっぱい)。 でも、僕らはラグビーよりはサッカー。昼食のあと再び、イースターロード・スタジアムを目指す。朝訪れた時はまだ閑散としていたスタジアムへの道中は、近づくにつれて両チームのサポーターの姿が目立つようになり、フーリガン警戒の警官たちの数も増えてきた(写真左下=騎馬警官もいます。路上には当然馬の***も)。 両チームのサポーターたちは何かの歌を歌いながら歩いたり、途中のパブの店先でビールをラッパ飲みしたり、といやでも雰囲気は盛り上がる。さて、目当てのダフ屋はいるかな?と思ってスタジアムまであと200mほど近づいた頃、いた、いた! ダフ屋らしき連中が何組か、路上でスタジアムに向かう人たちに声をかけている。 とりあえず最初に目が合った中年のおじさんに声をかける。「いくらだ?」と聞いたら、「2枚で52ポンド」と言っている。チケットを見ると、セルティックサイドの席。「窓口の値段と同じでいいのか?」と念押ししたが、「余っているから同じでいい」と言う。雰囲気的にセルティックのファンクラブ関係の方のようだ。 ほんとに本物のチケットだろうか? 偽物じゃないだろうか? いや偽物にしては精巧すぎる。とりあえずここは、このおじさんを信用して賭けてみる。という訳で、こんなに簡単にチケットが、しかも通常の値段で手に入って、無事スタジアム入場OKとなった。こんな幸運があっていいのという感じ(これも僕の普段の行いがいいからかなぁ(笑))。 と、ところが、試合開始前のモニターテレビで紹介されたセルティックの先発メンバー発表を見ると、「シュ、シュンスケの名前がな、な~い」。ガビーン! ベンチ入りのメンバーにもまったく名前がなーい。 つまり今回のエジンバラのアウェーの試合に同行してこなかったということ。せっかくチケットが買えたというのに…。なぜだ!俊輔!(帰国後で聞いた話では、18日の欧州チャンピョンズリーグの試合で左ひざを痛めたからだという)。 しかしまぁ試合を見られただけでもよかったと思い直して、セルテック・サポーターとともに応援に参加する。席はゴール裏斜め後ろの前から4番目という最高の場所。周囲にいるサポーターたち(写真右上)の応援する怒鳴り声がガンガン、腹にこたえるくらいに聞こえる。 サポーターたちは、試合そっちそけで相手チームサポーターをののしり合う。何を言ってる分からんスラング。「Fuckin’***」という言葉だけはかろうじて分かるが、かなり下品な言い回しなんだろう。 ののしりは相手サポーターだけでなく、相手チーム選手にも。とくにゴールキーパーは距離が近いので聞こえない訳がない。頭に来たとことを言われたキーパーが時々スタンドに向かって言い返す場面もあって面白い。 隣の席にいた若いスキンヘッドのサポーターに「日本から見に来たんだけど、俊輔が出てないのでがっかりだよー」と言うと、「俊輔はいい選手だよ。でもきょうは調子が悪くて出られないんだ」と彼(その意味は帰国後に分かった)。 でも、俊輔はここエジンバラでも後で訪れたグラスゴーでも知らない人がないくらいの有名人。同じ日本人としてちょっと誇らしい気持ちになる。 ところで試合の方は、セルティックとハイバーニアン両チームが激しく点を取り合う展開。ハイバーニアンというチームはまったく知らなかったが、今シーズンはセルテックとリーグで2・3位を争っている強豪チームという。 2-2の同点で迎えた後半の終了間際。ハイバーニアンが3点目をあげてそのまま終わった(写真左上=ヘディングで挙げたセルティックの2点目のゴール)。終了間際にはスタジアム内に警官がたくさん入ってきた。敗れたセルテックのファンがフーリガンと化するのが怖くて、僕らは終了少し前にスタジアムを後にした(写真右=幸運にも手に入れた当日のチケット!)。 俊輔は見られなかったけれど、プレミア・リーグのサッカーを間近で見れて、本場サッカーの雰囲気を味わえた幸せを、僕らはしみじみとかみしめた。 ◆英国への旅:エジンバラ編(3)へ続くこちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/07
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皆様、大変お待たせいたしました。英国への旅日記スタートです。まずは、スコットランドの首都・エジンバラから。 英国は約10年ぶりです。前回はロンドンだけだったので、今回は、まだ行ったことのないスコットランドへも足を伸ばしたいと考えていました(写真左=関空発のKLM機)。 前回はロンドン直行便だったのですが、今回は最終目的地がエジンバラということでヨーロッパ内での乗り継ぎとなりました。 旅行代理店(JTB)に頼んだのは往復の航空機とホテルだけが付いて、現地では終日自由行動ができるタイプのツアーです。現地での行動を何かと制約される団体旅行は大嫌いなので、僕らはいつも必ずこのタイプを選びます(団体ツアーのお仕着せの飯は美味しかったためしがありません)。 ただしこのタイプのツアーには、空港からホテルまでの送迎サービスが付いているかいないかで大違いです。だからこの点だけは確認してから申し込みました(写真右=スキポール空港には「スシ・バー」もありました!)。 さて出発した22日、関空発午前11時10分発のKLM機は約10時間半でアムステルダムに到着しました(フライトの間、100本くらいの映画から好きな映画が楽しめたのであまり退屈はしませんでした)。アムステルダム経由は初めてだったので、もちろんスキポール空港も初体験。 2年前のイタリア旅行での乗り継ぎで降りた独フランクフルト空港も結構大きかったのですが、オランダ・スキポール空港は桁外れにでかいです。 エジンバラ行きの飛行機の搭乗ゲートへ移動するだけでも15分以上歩かされ、大変でした(写真左=ホテルの窓から南側を望む。手前はエジンバラ・ウェーバリー駅)。 エジンバラまでは1時間半ほどで無事に到着。ヨーロッパ各国間の近さを実感するとともに、すぐに隣国に行けるEUの人たちを羨ましく思いました。 エジンバラ到着時刻は、時差の関係で同じ22日の午後6時45分。空港で迎えにきてくれたJTBの方=男性(といっても契約で仕事をしている現地の日本人の方ですが)と合流しました(写真右=スコットランドと言えば、やはりキルト。観光客向けのショップがたくさんあります)。 空港で英ポンドの少額紙幣&コインに両替した後、早速出発。ホテルまでは30分余のドライブです。それにしても、ポンドが高いです。1ポンド=250円(前回来た時は180円だったのに…)。しかしこれでも、現地の人の感覚では1ポンド=100円らしいです。だから、「高い、高い」とあまり腹を立てると精神衛生上よくないそうです。 ホテルまでの途中、JTBの方が「何か聞いておきたいことはありますか?」というので、「あす(23日)開催されるスコットランド・プレミアリーグのサッカー(地元のハイバーニアン対セルティック=中村俊輔目当て!)を見に行きたいのだけれど、チケットの手配はできますか?」と尋ねました。 JTBの方は「いやぁ、最近セルティックは人気があるのでちょっと難しいですねぇ…」というつれないお答え。事前に予想はしていたものの、「チケットが手に入るだろうかなぁ…」という不安がよぎる。でも、まぁここは当日競技場まで行けばなんとかなるだろうと楽観的に考えることにする(写真左=初日の夜に訪れたPub「TASS」。寒いのにタンクトップの従業員も!)。 ホテルは幸い市内中心部、メインの駅「ウェーバリー駅」からもメイン・ストリートの「ロイヤルマイル」からも、歩いて数分というの最高のロケーション。部屋に荷物を置いた僕らは早速、エジンバラの街に繰り出す。土曜の夜でまだ8時すぎ。「ロイヤルマイル」が盛り上がるのはこれからだ。 事前に目星を付けていたパブのうちの1軒がホテルのすぐ近くだったので、とりあえずそのパブ「TASS」にお邪魔する。地元の人たちや観光客でほぼ満員状態だったが、幸い2人用のテーブルが一つ空いていたのでそこに落ち着く。 注文はもちろんビール。しかし、種類がめちゃくちゃ沢山あって、しかもギネス以外は初めて聞くような銘柄ばかり。とりあえず適当にエールを2種類とフィッシュ&チップス(写真左)を頼む。ビールは銘柄にもよるけれど、1パイント(約560ml)で3~5ポンドくらい。現地の人にしたら安いんだろうなぁ。 前回英国を訪れた時も思ったけれど、英国のパブで呑むビールは、気候的なものもあるのだろうが、ぬるくて、あまり冷えていない。ぬるいビールははっきり言ってあまり美味しくない(ジン・トニックとかを頼んでも、彼らは氷の小さいのを2~3個しか入れない)。 しかしエジンバラでは、緯度が高くて肌寒いせいか、ロンドンよりもビールは冷えているように感じる。「これなら、まぁ許せる」と僕らは満足(写真右=ギター・デュオのライブもやってけれど、知らない曲がほとんどでした)。 ちなみにパブは原則キャッシュオン・デリバリーで、チップ社会の英国でもチップが要らない数少ない場所。だから、一般市民(大衆)が心おきなく楽しめる貴重な空間だ。日本もチャージ不要のこういう気楽な酒場がもっと増えてほしいなぁと思う。 それにしても、パブの料理(一皿)は量が多い。フィッシュ&チップスも日本では言えば、2人前くらいあって、皿からはみ出しそうな大きさ。こんな油の多い料理をたくさん食べていたら、太るはずだよねと納得(たまたま、「スコットランド人はアメリカ人に次いで世界で肥満度第2位」という記事が現地の新聞に出ていました)。 僕らはビールをもう一種類お代わりして、ライブも楽しみながら、スコットランド初日の夜のパブを満喫。翌日に備えて、ホテルに帰って早めに就寝し(と言っても現地時間の11時近くだったけど)、時差ぼけの解消に務めました。 ◆旅行記その(2)へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/04
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長らくご無沙汰いたしました。スコットランド&ロンドン&ストラットフォード・アポン・エイボンという7泊9日の旅から、ようやく帰ってまいりました。 エジンバラ城、サッカー観戦、アイラ島のウイスキー蒸留所巡り、グラスゴーの大聖堂、シェイクスピアの生家、ロンドンのソーホー&チャイナタウン等々、素敵な思い出をいっぱい持ち帰ってきました。 旅行中、小さなハプニングはいくつかありましたが、(普段の行いが良いせいか?)幸い大きなトラブルはなく、体調もOKで無事に旅程をこなせました。 今回の旅の主な移動経路だけ(何とあわただしい移動だと我ながら感心です)を先に、簡単に紹介しておきます。 22日 関空発のKLM機でまずアムステルダムへ。エジンバラで乗り換えて22日午前エジンバラ着 23日 終日エジンバラ 24日 早朝エジンバラから列車でグラスゴーへ。グラスゴーから空路アイラ島へ。午前9時過ぎアイラ島着(アイラで1泊) 25日 アイラ島観光の後、夕方再びグラスゴーへ、深夜列車でエジンバラへ戻る 26日 終日エジンバラ 27日 昼頃エジンバラを発ち、空路ロンドンへ。 28日 早朝、列車でストラットフォード・アポン・エイボンへ。午後4時頃、ロンドンへ戻る 29日 昼KLM機でロンドン発、アムステルダム経由で関空へ(30日午後帰国) それぞれの滞在先で何を見て、どう過ごしたかは今後ブログで順番に、詳しく紹介していきたいと思いますが、帰ったばかりで、まだ何から書こうかという整理もついていないので、スタートは何卒しばらくお待ちください。 PS.皆様がこれからスコットランドやアイラ島やに行かれる際の実用情報もしっかり仕入れてきましたので、ご期待ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/10/01
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