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以前、この日記でも一度とりあげたあるBARの話を書きます。少し長くなりそうですが、ご容赦を(【おことわり】この日記で使用した写真と日記の内容は関係ありません)。 その店の名前をストレートに出すのは「武士の情」であえて控えますが、とある有名BAR出身のバーテンダーが独立した店のことです。ことしの春、相当の覚悟を持ってそのBARに行きました。以前から思っていたことをマスターに伝えるために…。 数年前に開業したそのBARでは、飲み代(酒代)とは別にいわゆる「チャージ」という料金を500円~700円くらいとります。チャージ自体は、日本では他のBARでもとる店がほとんどなので珍しくはないのですが、この店ではチャージとは別に、10%のサービス料がかかったり、かからなかったりします。チャージやサービス料がいくらかはその時によって微妙に違うので、どれが本当か、私にもよくわかりません。 「今宵も、BARへ--『私的』入門講座20章」でも書いたように、私は個人的には、全世界を見ても日本だけの独自のシステムである「チャージ」という曖昧な料金制度・システム(請求)には批判的で、「チャージ」については「不要論者」です。(チャージについての詳しい論考は、2006年12月2日の日記をご参照)。 客商売の世界なら、「チャージ」という曖昧な名前ではなく、本当にサービスに自信があるなら、堂々と「サービス料」と銘打って取るのが筋だと思っています。まぁそれはさておき、「チャージ」(という名の「サービス料」)を取ること自体は、その店の経営方針なので、私がとやかく言うことではありません。日本では「チャージ」をとる店が多数派なので、「チャージ徴収」を理由にBAR巡りをやめたら、BARでは飲めません。 店側は、「チャージ」をとるからにはそのチャージ料金に見合ったサービスを客に提供するのは当然のことですし、実際、「チャージ」に見合う価値のある店なら、私は「サービス料」だと思って、気持ちよく支払っています(チャージを取りながら、別に10~20%のサービス料をとる店もありますが、これは別の次元の議論なので、詳しくは上記の「06年12月2日の日記」をお読みください)。 さて、この日記の本題ですが、私の以前からの疑問は、今回の日記でとりあげたそのBARが、「チャージをとるのに、おつまみ(付き出し、チャーム)の一品すら、まったく出さない」ということでした。「チャージに見合ったサービスとは何か」は人によって見解は分かれるでしょうが、チャージをとる場合は何か一品を添えるのは、オーセンティックBARでは「最低限の客への礼儀(義務)」だと僕は考えています(私以外のBAR愛好家でも、この点に異論のある人はほとんどいないでしょうし、実際、日本国内のオーセンティックBARの99.9%では何か一品が添えられているはずです)。 このBARのマスターの師匠の店ではちゃんと「おつまみ)」が付いてきます(チャージ500円です)。彼も独立後はしばらく「おつまみ」を出していたのですが、間もなくして「チャージを取りながら、おつまみは一切なし」というスタイルに変えました。そこで、スタイルを変えた理由をマスターに尋ねたいと思ったのです。私「チャージやサービス料をとるなら、何か一品を出すべきじゃないの?」 マスター「ちゃんとした付き出しを作れるスタッフもいないんで…」(3月からはサブのスタッフが増えたので、説得力ある理由ではありません) 私「凝ったものでなくていいんだよ。かわきもの程度で十分だよ。貴方の師匠の店ではちゃんと出していたじゃないか」 マ「中途半端なものなら、出さない方がいいかと…」 私「それなら、ノーチャージ(&ノーサービス料)にすべきじゃないか。じゃぁ、貴方の店のチャージって、何に対する対価なの? ※※※(盛り場の名称)で貴方の店のように、チャージをとりながら、何も出さないというBARがあったら、教えてくれる? 私も※※※で結構いろんなBARへ行ってるけど、そんな店は見たことも、聞いたことないよ」マ「………」 私「私の友人も同じことを言っていたけど、貴方の店は、本当に酒を愛する人を、BARを愛する人を大事にしようとしているのか、それとも(彼の店に多い)金払いだけはよくて文句は言わない同伴客の方を大事にしたいのか、よく見えないよ」 マ「う~ん、僕は…どっちのお客さんも大事に思ってますが…」 私「そう思うなら、酒呑みに対する本当のサービスは何か、チャージとは何かを、もう一度考えた方がいいよ。ここまで言うからには、私も相当覚悟を決めて言ってることを分かってほしいなぁ…」 マ「はい、おつまみの件は、もう少し…考えてみたいと思いますので…」 残念ながら、マスターの口からは説得力のある理由は聞けませんでした。繰り返しになりますが、私は、銀座や北新地のチャージの高い店(たとえサービス料がさらに少し付いても)に行っても、払う値打ちのある、それに見合うお酒やサービスを提供してくれる店なら、いつも納得して払っています。しかし彼の店のような、意味不明の料金を請求する行為は、金額の多い少ないに関係なく、世間の「基準」では「ぼったくり」の範疇に入るでしょう。 彼がもし、「確かにうちはチャージをもらって何も出さない。しかし、このチャージは店の空間使用料や僕の接客料などトータルとしてのサービス料だ」とでも説明する自信があるなら、私にも聞く耳はあるのですが、現時点では、彼は口をつぐんだまま、意味不明なチャージをただとり続けているだけです。 当然、私の中での「Good Bar」の「基準」(条件)には、彼のような店は含まれないので、上記のようなやりとりがあった後は、行く気もなえて、一度も覗いていません。しかし先日、あるBARのマスターが自分の店の営業時間終了後に、その彼の店へ行ったら、「結構はやっていたよ」「おつまみはやはり出なかったなぁ…」と言ってました。 彼の店には、以前から同伴出勤のおっさんや「アフター」のおねえさんらが目立ったので、相変わらず、金の使い方を知らない客が多いということもあるのでしょう。結構なチャージやサービス料をとりながら、一品すら出さないのは、私の知る限り全国でも、最近では彼のBARくらいです(もちろんノー・チャージの店なら、何も出ないということはあります)。 マスターは、おつまみを出す件については、「そのうち考えてみます」と言っていましたが、その後実行に移していないところをみると、本気度は疑問です(さすがにおしぼりは出てきますが、おしぼりくらいはチャージ150円の北サンボアでも出てきます)。 何もとくに変えなくても店が繁盛するならば、彼はおそらく、そのおかしなやり方(営業方針)は変えないでしょう。彼のBARは、客が経営者(マスター)を甘やかして、おかしくしてしまう、典型的な例なのかもしれません。 ここまで言うのは、私が、彼が師匠の店に勤め始めた初々しい頃からよく知っているからで、彼のBARが、どんな客(バー愛好家)からも文句を言われないような、「まっとうなオーセンティックBAR」になることを、そして、彼自身がより素晴らしいバーテンダーになってくれることを心から願っているからなのです。「儲かればいい」のスタンスでは、いずれ客に見放されるでしょう。 彼が今後どうするのか、しばらくは見守るしかありません。彼が「目覚める日」は果たして来るのでしょうか。彼がポリシーを改めて、おつまみを出すようなればまた飲みにいくでしょうし、ポリシーを変えないのであれば、永遠に「別れる」しかありません(「決別宣言」をした後、ここ半年ほどは知らないので、最近は何か一品を出すようにはなったのでしょうか。もし反省して方針を改めたのなら、またお邪魔してもいいかなと考えていますが…。情報をお持ちの方は教えてくださいませ)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/29
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本日(11月28日)、うらんかんろのブログ「酒とピアノとエトセトセラ」は無事5周年を迎えました。 最初は、「のめり込みやすくて、飽きやすい」的な性格もあって、1、2年も続けばいいかと自分でも思っていましたが、地道(?)にやってきた積み重ね(結果)として、この5年があったのだと感じています。 ブログは、開設当初のようにアクセスが1日200件、300件を超えるようなことは滅多にありませんが、お陰様で現在でもコンスタントに1日130件ほどの訪問があります。 5年もブログが続き、BARについての1冊の本をまとめることができたのは、何よりも、飽きもせず訪れてくださるブログの友人の皆さんを始め、BAR関係、音楽関係などの皆さまのお陰です。この場を借りて改めて、心からの感謝を伝えたいと思います。 これから先、いつまで続けられるかは自分でも分かりませんが、体力と気力と好奇心が続く限り、そして訪れて、励ましてくれる人たちがいる限り、頑張っていこうと思います。今後とも、何卒よろしくお願いいたします。 2009.11.28 うらんかんろ
2009/11/28
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Bar・Mで、僕のピアノでいつも素敵な歌を聴かせてくれたスタッフのMさんが先月末、店を“卒業”しました。 「奇跡を望むなら…」「Everything」「Motherland」「ハナミズキ」「かざぐるま」「Automatic」「Story」「雪の華」「ORION」「未来予想図2」「恋の予感」「異邦人」「喝采」…、それに、エゴ・ラッピン、スティービー・ワンダー、アリシア・キーズ、モニカ、R・ケリー、クレイグ・デイビッド、ジャズのスタンダードの数々……。Mさんとこの6年余、一緒にコラボした歌の数々が、脳裏によみがえってきます。 彼女ほど歌唱力と表現力のあるスタッフには、これまで出会ったことがありませんでした(ライブハウスやクラブで歌っているだけに、その実力は折り紙付きでしたが…)。 彼女がひとたび歌い出せば、騒がしかった店内(客)もシーンとして、みんな思わずじっと聴き入ってしまうほどでした。アイ・コンタクトだけで安心して歌伴ができるので、とても楽しく、充実感が得られるシンガーでした。 「ひょっとしたら、土曜日だけ復帰するかも…」とMさんは言っていましたが、今はもういません。心底悲しいです。淋しいです。 Bar・Mでは、いつか彼女くらいの歌唱力あるシンガーとまた出会えることもあるでしょう。しかし、彼女くらい表現力ある歌姫と出会えることはもうないかもしれません。そう考えると、今は…本当に悲しいです。
2009/11/26
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前回、「オーナーによる建て替えのため、ことし12月29日をもって一時閉店する」とお伝えした大阪・曽根崎の「北サンボア」の続報です。 本日、北サンボアへいって諸々のことを確認して参りました。マスターや奥様によれば、再開後のビル(?)は2階建てになるそうです。 そして、北サンボアの店内の一部(店に入ってすぐ右、壁側のテーブル席の一部)をつぶして2階への階段ができるそうです。だから、再開後の店は少々残念なんですが、テーブル席が半分ほどに減って、少し狭くなります。 しかし、嬉しいことに、昭和20年代の雰囲気をそのまま残す現在の内装は、可能な限り、再開後の店でそのまま使うそうです! ほんとに、こんなに喜ばしいことはありません。 しかも僕は、1年以上も店はお休みすると思っていたのですが、「来年5月中には再開できると思う」という話です(だから、お休みは約半年間で、仮店舗はつくらないということです)。 どうです? 北サンボア・ファンの酒呑みの皆さん、安心したでしょ? これからも北サンボアを愛してあげてくださいね。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/25
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サンボア・グループと言えば、関西屈指のバー・グループ(※経営上は各店それぞれオーナーがいる)だが、そのなかでも、創業当時の雰囲気を一番よく残し、僕も一番好きな「北サンボア」(写真)=06年11月18日の日記 参照=が、今年12月29日をもって一時閉店することになった。 「北サンボア」は1930年(昭和5年)に創業。1946年(同21年)、焼け跡の闇市がひしめいていた「お初天神」そばの現在地で営業を再開して現在に至っている。BAR好きに愛されている店の内装は、ほぼ戦後の再開当時のままで、60年以上の歳月の重みがにじむ。 一時閉店は、店舗のある土地のオーナーが、ビルに建て替えることにしたためだ(現在の店は一戸建て)。幸い、「北サンボア」は建て替えられるビルで再開する予定だが、気になるのは、このレトロな雰囲気をとてもよく残したバック・バーや内装がどうなるのかだ。 再開する「北サンボア」がまったく真新しい内装の店になってしまったら、興ざめだ。できればこの雰囲気をそのまま保存したような内装にしてほしい。近くお邪魔したら、マスターにその願いを伝えようと思う。 他にも、再開はいつになるのか、再開までの間、どこかに仮店舗をつくるのかなども気になる。いずれにしても、この歴史と伝統ある「北サンボア」がなくなってしまわず、しかも現在で再開できることは、この上なく喜ばしい。 「北サンボア」の現在の素晴らしい空間を堪能できるのも、あと1カ月ほど(再開すれば多かれ少なかれ、ある程度雰囲気は変わってしまうだろう)。この極上の酒場をまだ知らない人は、一時閉店までの間にぜひ一度お越しください。【北サンボア】大阪市北区曽根崎2丁目2-14 電話06-6311-3654 午後5時~11時 日祝&第2土休 JR大阪駅または阪神、阪急、地下鉄御堂筋線梅田駅から徒歩約5~10分こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/21
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岡山、広島と相前後して、松山へも久々の出張がありました。で、当然のことながら、仕事の後はBAR巡りなのだ。 今回は現在愛媛県に住んで仕事をしている友人と一緒。まず1軒目は、友人お勧めのお店「MARINECCO(マリネッコ)」=写真左。 ダイニングBARとアイリッシュ・パブとイタリアン・バルを足して3で割ったような不思議な酒場。「マリネッコ」っていうネーミングも面白い(聞けば、フィンランドの家具メーカーの名前とマスターの奥さんの名前を合わせて、もじったのだとか)。 メニューを見てびっくりしたのは、和洋のいろんな種類の酒がほとんど網羅されている! お勧めはワインだと言うが、とりあえずキルケニーのビールを味わいながら、マスターのYさん自慢のフィッシュ&チップスで腹ごしらえ。フード・メニューもパブ料理やイタリアンなど充実してるのが嬉しい。 Fさんとは初対面だが、ワインについての様々な知識(産地、銘柄、ヴィンテージ、味わい等々)が豊富なことに驚かされる。さすが「ワインを売り」にしているだけはある。こうなれば、やはりワインも頂かない訳にはいかない。 お任せでみつくろってもらったワインは、赤は果実香豊かで、白はきりっとフルーティで美味。おまけにアテに頼んだドライ・イチジクがみずみずしくて、めちゃ旨い(写真右=MARINECCOの店内)。 「1杯サービスしとくよ」とマスターはさらに3杯目(別の銘柄)をくれる。きょうは1軒目から嬉しいなぁ。お返しという訳でもないのだが、御礼に拙著「今宵も、BARへ…」を1冊差し上げる。店はキャパも広く、明るい雰囲気でグループでも楽しめそうだ。マスターの歓待に感謝し、再訪を約束してお別れする。 さて2軒目は、やはり松山へ来たらここは外せないという老舗の「Bar 露口」=写真左。徳島在住時に出会って以来、このBARは何度訪れても、居心地良くてほっこりした気分になれる。それは、露口貴雄さん・朝子さんご夫婦の温かい人柄が大きな要因だろう(とくに奥さんの朝子さんの笑顔を見たら、悩みも疲れも吹っ飛ぶ)。 実は、露口は昨年創業50年を迎えた。なんと半世紀!である。創業50年以上のBARは全国にいくつかあるが、2代目、3代目というケースが多い。1代で(しかもご夫婦で営んで)50年以上続いた店というのは、この露口くらいではないだろうか。 松山という地方都市で半世紀も続いた理由は簡単だろう。露口さんご夫妻の明るさ、温かさ、そして真面目にこつこつとハイボールをつくり続け、良心的なお値段で提供してきた誠実さが、いつの時代も客の心をしっかりつかんで離さなかったからである。 「接客・サービスにおける誠実さ」と「真面目にこつこつ」という基本を忘れている昨今の大都会の(一部の)BAR経営者は、Bar露口に学ぶべきだろう(写真右=露口さんご夫妻と記念写真。こんな素敵な笑顔で迎えてくれます)。 僕は、約2年ぶりのBar露口に行く途中に、1年遅れのお祝いの花束を買った。そして、店に着いてすぐ、朝子さんに「去年の50周年に来れなくて、すみません」と手渡した。実は偶然だが、大阪・十三トリスのマスターEさんから、「約1週間前にBar露口を初めて訪れたよ」という報告を聞いていた。 同じサントリーBARチェーンの仲間として、「露口さんがいつも、大阪へ出張される人にうちのお店を紹介してくれるから、一度ご挨拶したいとずっと願っていた」のだという(写真左=使い込んだカウンターで、いつもハイボールをつくる部分はすり減って勾配になっている。だからボトルもグラスも少し傾く)。 Eさんはおまけに、僕の「今宵も、BARへ…」を1冊露口さんへプレゼントしていた。これにはびっくり。僕もこの日さらにもう1冊を持参し、プレゼントした。朝子さんは「最初、誰やろなぁ…、このうらんかんろさんってと言うてたんです。やっぱり、**さんやってんねー。うわぁー、嬉しいわぁ!」と顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。 Bar露口のもう一つの良さは、マスターご夫婦と客との間だけでなく、客同士の距離がとても近いことだ。店に集う客は皆、友だちか家族のようにたちどころに打ち解けてしまう。あまりの緊張感のなさは、都会のオーセンティックBARならひんしゅくを買うかもしれないが、松山のような地方都市では、こういうアットホームさがBARという空間にとても似合うのである。 さて、あんまり長時間露口にいると、居心地が良すぎて、名残が惜しくて腰が重くなりそうなので、断腸の思いでご夫妻にお別れする。露口さん、また来るからねー! 3軒目は、これまた友人お勧めの「Bar・JuJu」=写真右。実は、うかつにもこれまでその名を聞いたことがなく、大阪のあるBARで教えてもらった店だ。しかし友人は何度か行ったことがあり、すでにマスターのFさんと懇意だった。 JuJuではシングル・モルトやワインの品揃えが充実して、松山で唯一、生ギネスが飲め、フード類も生ハムを始め、素材にこだわるイタリアンやフレンチも評判だ(料理は主に奥様がつくるという!)。 あいにく店は、ほぼ満員で大繁盛。僕らはカウンターの端にようやく2席をつくってもらった。店はオープンしてまだ10年ほどと言うが、この賑わいようを見ると、もうすっかり松山に根を下ろして、不動の人気を得ているようだ。 Fさんの下で働くスタッフのきびきびとしたサービスもいい。次回JuJuを訪れる時は、もう少し暇な時間帯に来て、Fさんとゆっくり話したいなぁと思う。 さて、4軒目はどうしようかと友人と相談。「St.Bar(セント・バー)=写真左上=に行ってみたいな」と僕がぽつりと言ったら、「あぁ、あそこには腕のいい女性バーテンダーがいるんだよ」と案内してくれた。が、あいにくその女性バーテンダーはお休みで、あぁ残念。仕方がないので1杯だけ呑んで、次の店へ。 5軒目は、友人がなぜ僕をそこへ連れて行ったのか記憶が定かではないが、「Bar OLD NEW」という店=写真右。いいスピーカーから静かなジャズが流れ、暖色系のライティングの落ち着ける空間だった。お値段も良心的で嬉しい。でも、確かに名刺はもらっているマスターとは、何を話したのかよく覚えていない(おい、大丈夫かぁ?)。 さて、これでホテルに帰れば良かったのに、最後に松山でなんとしても顔を見ておきたいマスターがいるBARがあった。「Bar 信天翁(あほうどり)」=写真左。マスターのTさんとは3年ぶりかな。 「お久しぶりです。すみません、いつもここにたどりつく頃にはすっかり気持ちよくなってて…」と苦笑いして詫びる僕。Tさんは「久しぶりやね。元気だった?」といつもの明るい調子で応えてくれる。 「信天翁」は露口にも、JuJuとも違った雰囲気がある。それは気さくで、おしゃべり好きでTさんの人柄を映すものだろう。地方都市のBARのマスターというより、どちらかと言えば、大阪のBARのマスターみたい(そう言えば、最初にこの「信天翁」を教えてくれたのは、大阪・北新地のBar・KのマスターMさんだったなぁ…)。 この夜の締めくくりとして、最後に呑んだのはソルティ・ドッグ。二日酔い防止のつもりで頼んだのだが、翌日はやはり二日酔いだった。でも、今回も素敵な思い出を刻めた松山のBAR巡りを思うと、少々の二日酔いなんて、苦にはならない。 松山のBARのマスター、バーテンダーの皆さま、本当にお世話になりました。美味しいお酒と料理を有難うございました。またの訪店を楽しみにしておりまーす。【MARINECCO】松山市大街道3丁目1-3 大三ハウス1F 電話089-935-5896 【Bar 露口】同市二番町2-1-4 電話921-5364 【Bar JuJu】 同市一番町2-4-2 モナ-ク2 電話932-4536 【St.Bar】同市二番町2-5-8 KONCHIビル2F 電話986-3567 【Bar OLD NEW】同市大街道2-2-1 電話921-4406 【Bar 信天翁】同市二番町1-3-1 電話932-0668(営業時間、定休日等は各店へお尋ねください)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/18
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中国路でのBAR巡り、後編は広島。前回の日記でも書いたように、うらんかんろの「エリア別BAR紹介」では、これまで広島県は、福山市のBARしか名前を挙げていなかった。 そこで今回は、中国地方の中心都市、広島市のBAR巡りである。残念ながら日帰りだったので、2軒しかお邪魔できなかったが、広島は近いうちにまた出張がありそうなので、おいおいと紹介できるBARの数は増えていくと思う。 で、広島でまず目指したのは「OLDIES」=写真左=というBAR。ここも以前から訪れたいと思っていた老舗の一つで、大阪の何人かのマスターからも勧められた店だ。 店は広島市の歓楽街「流川」エリアの、雑居ビルの2階にある。ステンドグラスの入った重厚な玄関ドアを開けると、そこには想像以上のレトロで、風格ある空間が広がっていた。 マスターのOさんに自己紹介をする。共通の知り合いがいるので、打ち解けるのに時間はかからない。店は今年で26年という。「えっ?! たった26年ですか? 店の中の雰囲気を見ると、もう50年以上も営んでいるような感じです」と驚く僕。 このBARは、元々は旅館オーナーが敷地内の駐車場だったスペースにお客をもてなすために増築して造ったという。店内にあふれるアンティーク家具はおそらくは、客をもてなす雰囲気づくりのために集められたのだろう。 雑居ビルの2階に、まるで個人の住宅の応接間があるような不思議な空間。通りの喧噪はここまで聞こえて来ず、静かな店内にいると、歓楽街のど真ん中にいることを忘れてしまう。お値段も良心的で嬉しい。待ち合わせに使うもよし、隠れ家的に呑むのもよし。使い勝手のいいBARに間違いはない(写真右=風格あふれるOLDIESのテーブル席)。 さて、2軒目はこれも以前から一度お邪魔したいと思っていた「Bar・Slaintheva(スランジーバ)」=写真左下=へ。「OLDIES」からは歩いて数分のところにある。 途中、夜の街ですれ違う人たちには外国人が目立つ。観光客だけでなく、ショットBARでたむろする在住外国人も数多く見た。広島は今や世界の「HIROSHIMA」であることを実感する。 スランジーバとはゲール語で「乾杯!」という意味。店では、マスターのEさんが迎えてくれた。カウンターには年輩の先客が一人。僕はとりあえず、デュワーズ(スコッチ・ウイスキー)でハイボールを頼む。Eさんは、新しいボトルを取り出したが、なぜかキャップがめちゃ固くて回らない(開かない)。ソムリエナイフまで取り出して、悪戦苦闘すること約5分。「こんなに固いのもあるんですね」「欠陥品かなぁ…」と笑いも起きて、場はなごやかになる。 この店も大阪の親しいマスターが、「**さんもきっと気に入りますよ。広島に行ったらぜひ」と教えてくれた酒場だ。ハイボールの造り方にも唸った。メジャーカップに5mlほど残しておいて、完成したあと最後に上から残ったウイスキー(原酒)をかける。心憎いやり方だ。 店はオープンしてもう30年近くになるというから、広島でも老舗の部類に入るだろう。Eさんはソムリエの資格も持っていて、店ではワインも手頃なお値段で飲めるというから嬉しい。先ほどから座っていた先客はマスターと馴染みのようだ。見れば、どこかで見かけたような記憶がする。 「ひょっとして、佐久間さんですか?」。僕は思いきって尋ねた。「ええ、佐久間です」とその客。驚いたことにその方は、僕が以前同じ広島県の福山で訪れていた「Bar・さくま」のマスターだった。79歳とは思えない若々しさで今もカウンターに立っておられる。僕は、再会を祝って佐久間さんと固い握手を交わす。 「きょう、お店の方は?」と僕。「いやねぇ、きょうは広島でS社のウイスキー・セミナーがあったので、店は若いもんに任せて、セミナーが終わった後、こうして飲み歩いてるんですよ」と笑う佐久間さん。 佐久間さんも、大阪で僕の親しいバーテンダーと懇意なので、より親近感が沸く。「ここで会ったのも何かの縁ですから」と僕から1杯ご馳走させていただき、Eさんに、僕のカメラで一緒に記念写真を撮ってもらった。 長年BAR巡りをしていると、こういう不思議な出逢いや再会をしばしば経験する。きっとバッカス(酒)の神の思し召しだと思う。だからBAR巡りはやめられないと自らの言い訳にしながら、今日も呑んでいる。皆さんも広島へ旅される際は、ぜひ「OLDIES」と「Slaintheva」にお越しを! 心からくつろげる時間と空間が待っています。【Public House OLDIES】広島市中区堀川町4-8 ウコンビル2F 電話082-241-5102 午後7時~午前2時 日休 【Bar・Slaintheva】同市中区胡町3-9 レインボービル2F 電話541-2255 午後7時~午前2時 日休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/15
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うらんかんろのブログのトップ・ページにある「エリア別BAR案内」をご覧になっても分かるように、中国地方のBARの数は少ない。これまでは、広島県福山市のBARしか名前が挙げられていなかった。 中国地方のBARには、これまでもそこそこはお邪魔しているのだが、このブログを始める以前が多かったので、きちんと写真を撮り、取材をすることもあまりなかった。 最近、岡山と広島へ相次いで出張があったので、それぞれ2軒ずつ訪れてきた。2軒というのは、「出張先では5軒がノルマ」を自負している(笑)うらんかんろにしては少ないが、単に日帰りで時間がなかっただけのことである。 という訳で、まず岡山。目指したのは「Bar・SAMSARA」(サムサラ)=写真左。ここは以前から訪れたいと思っていたBARの一つ。岡山では今や老舗の部類に入るBARである。店はビルの2階にある。玄関ドアの横の小窓にあるカクテルのディスプレーが粋だ。ドアを開けると、まだ客は誰もいなかった。 何よりもこのBARを特徴づけるのは、オーセンティックBARでは少々珍しい、深紅の色をしたカウンターだろう。なぜ赤なのか尋ねるのは忘れたが、呑み助の気分を高揚させてくれる効果は十分だ(笑) 長身のマスターのYさんは、20代の頃、バーテンダーの全国コンクールで総合1位になったというほどの実力派でもある。今年で40歳とのことだが、穏やかな物腰、とても丁寧な話しぶりもあって、年齢よりもかなり落ち着いて見える。 店名の「SAMSARA」とは、サンスクリット語の「輪廻転生」(りんねてんしょう)に由来するという。「世の中のあらゆるものは生まれ変わる」。なにやら奥深い、哲学的な名前だが、「一期一会」な出会いの場であるBARにとてもふさわしいネーミングだと思う。 温かい接客に満たされた僕は再訪を約束して、店を後にする。2軒目は、「Utena(ウテナ) Bar」=写真右=という、これも少し変わった名前の酒場。店にはまだ客はおらず、マスターのFさんが笑顔で迎えてくれた。 店内はダーク・ブラウンの色調で統一されて、とても落ち着いた雰囲気。基本はオーセンティックなのだが、内装の所々にはモダンで、スタイリッシュな工夫もされている。 カウンターは幅広でゆったりしていて、道路に面した側は全面ガラスになっているのが心地よい。FさんはSAMSARAのYさんと同じ世代。Yさん以上に物腰が柔らかくて、話し方がめちゃ丁寧でこちらが恐縮してしまう。初めての客への接客としては満点だ。 Utena・Barを紹介してくれた大阪のバーテンダーさんは、Fさんとも知り合いなのだが、そのことを告げると、「あぁ、Hさんとは同じ元・高校球児なんですよ」と意外な一面を明かしてくれた。「甲子園へは行けなかったけれど、3年間頑張ったことはこの仕事にとても役立っています」とも。 「Utena」とは、あの化粧品会社とはまったく関係なく、マスターのご出身地である愛媛県今治市大三島の台(うてな)という地名に由来するという。故郷を忘れず、縁あって居着いてしまった岡山で今、Fさんはその温かい人柄を生かして、しっかり常連客をつかんでいる。Utena Barは、僕にとっても「また訪れたい1軒」として、その名が胸に刻まれることは間違いない。【Bar・SAMSARA】岡山市北区田町2-1-1 木村ビル2F 電話086-221-5396 午後7時~午前3時 日休 【Utena Bar】同市北区錦町8-11 フェリスビル3F 電話231-3327 午後5時~午前1時 日休 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/11/14
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