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いや~、悔しい。完成なった拙著をパラパラ読んでいて、校正ミスを何カ所か見つけてしまった・・・。あれだけ丹念に見たつもりだったんだけどなあ。 一番悔しかったのは、「破天荒」という言葉の誤用ね。今、この言葉の誤用が割と話題になっているじゃないですか。まんまと誤用しておりました。「はちゃめちゃ」「無鉄砲」というような意味で使っていた。ひゃー、教養の無さがバレるじゃないの。まったく、恥ずかしいったらありゃしない。 それにしても、どうして校正ミスって、校正している時点では見つからないのに、実際に本が出た途端に気づくのかねえ? それ言ったら、アレもそうじゃない? 靴のサイズ。 靴屋さんで試し履きした時には、「まあ、いいかな」なんて思って買って、自宅に帰ってから改めて試し履きしてみると、やっぱり窮屈だったことに気づく、とか。 あと、料理の味見。作っている時に味見して、「まあ、いいかな」なんて思って、実際に料理として食べると、味が薄いことがすぐに分かる、とか。 不思議だよね~。 まあ、でも、もう刊行しちゃったんだから仕方がない。万が一、第2刷があるようであれば、そこで直そう。また第2刷が出るように、宣伝活動、頑張ろうっと。
September 30, 2021
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先日、地上波で放送していた鬼滅の無限列車篇、録画しておいたので、見ちゃった。 煉獄さん、良かったわ~。あのキャラはすごい! それにしても、世間からズレズレの私、今の今になって鬼滅ブームってどういうこと?! よもや、よもやですよ。 さて、煉獄さんもすごいんですけど、私もすごいよ! そう! 今度上梓した本、ついに完成したんです~、パチパチパチ! で、著者取り分が出版社から送られてきたと。 で、その本を眺めて、撫でて、さすって、愛玩しているんですけど、やっぱり自分が手掛けた本が世に出るというのは嬉しい! 何回やっても嬉しい!! もっとも実際に書店で販売されるのは今週末か来週はじめくらいらしいですけど、まあ、いずれにせよ秒読み目前ということで。 ああ、早く販売スタートしないかなあ。どういう反応が世間から返ってくるか(あるいは無視されるか)、楽しみなような怖いような。でも、今の時点では楽しみ9割だね。 ということで、今夜は新著を抱いて寝ようかな。
September 30, 2021
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今日は高齢の母を連れて、総合病院に受診に行ってきました。 で、病院でもそういうお年寄りばっかりの診療科ってのは、なかなか渋いところで、大半の患者がヨタヨタしているわけですよ。まあ、私の母だって相当ヨタヨタしていますが。 で、そんなヨタヨタさんばっかりだから、一人で通院している人は少なくて、大概、付き添いの人に付き添われている。息子や娘に付き添われている人もいるし、ご主人に付き添われている奥様もいる。でも、やっぱり一番多いのは、奥さんに付き添われているご老人ね。 で、そういう中では、奥さんに付き添われている老人というのが、一番タチが悪い。それはもう、圧倒的にタチが悪い。 まあ、今、ヨタヨタのご老人ってのは80代くらい、つまり戦後・昭和の時代に猛烈サラリーマンか何かで頑張ってきた世代なわけですよ。と、そういう人たちってのは、亭主関白が多いのか、奥さんを人とも思わないような感じの人が多いんだ。 で、自分がヨタヨタで、一人で病院に来ることもできず、あれやこれや世話を焼かれているそういうジジイがですよ、付き添いの奥さんを怒鳴りつけたりするわけよ。「お前、何やってんだ、俺は暑いんだから、上着なんか着せんでもいい! さっさと前を歩け!」みたいな。医者の先生の前では小さくなっていたくせに。 そういうのを見ると、嫌な奴だなと。お前、誰の世話になっていると思ってんだ。奥さんが居なかったら、お前なんかまともに生きていけないんだぞ。何様のつもりだよ。 はあ~。こういう輩が、ごく当たり前だった時代って、わしは嫌だな。昭和の時代は懐かしいけれど、こういうのは嫌だ。 とまあ、そんなド昭和な「夫婦の形」を目の当たりにしながら、自分が年取って、ヨタヨタになったとしても、奥さんの足手まといになるのは嫌だなと、つくづく思いました。なるべくそうならないように、足腰を鍛えて病気にならないようにしなくちゃ。そして、万が一ヨタヨタになっても、面倒を見てくれる奥さんには感謝、感謝、ありがとう、ありがとうで、可愛らしいジジイになりたいものでございます。 ま、人の振り見て我が振り直せ、ってことですな。
September 28, 2021
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今日は野暮用で新百合ヶ丘というところに行くことがあったので、自宅から電車に乗ることになりまして。 うーん、電車に乗るの久しぶり! コロナ禍に入った昨年の4月くらいから実家でも自宅のある名古屋でも、まったく公共交通機関に乗っていなかったので、2年ぶり・・・とまではいかないまでも、1年半ぶりくらいかな? まあ、とにかく、人生でこれほど長期間電車と無縁の暮らしをしたのは初めてのことですから、新鮮でした。 で、姉と一緒に乗ったのですが、車内の座席で姉の隣(そして赤の他人の隣)に座ろうとして姉に怒られてしまった。「ゴラぁ! ソーシャル・ディスタンシングはどうしたぁ!」と。そうか、なるほど。そういうことか。久しぶりに電車に乗ったので、カンが働かなんだ。すまん、すまん。 というわけで、イソップの「田舎のネズミと都会のネズミ」じゃないけど、久しぶりに都会の電車に乗って、車内のしきたりに気づかされた次第。 でも、緊急事態宣言解除間近とはいえ、なんかもう、普通に人は動いていますな。1年半前のような緊迫感はもうどこにもないね。ま、私自身、必要に迫られてではありますが、動いているわけだから、人のことは言えないけれど。 まあ、でも、前のように普通に公共交通機関に乗って移動が出来て、学会も対面で開催できて、地方に行って宿泊することもできて、っていう、当たり前の日常が、早く戻ってきてほしいですな。久しぶりに電車に乗って、思いましたわ。
September 27, 2021
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今日は、母と一緒に父のお墓参りに行ってきました。前回帰省した時は、雨が激しく行きそびれてしまったので、お墓は大分雑草が生えてしまいましたが、それらを抜き、墓を洗って花と線香を手向けて、ようやくちゃんとしたお墓っぽくなりました。墓の下の父も喜んでくれたことでありましょう。 さて、帰宅後、最近姉が読んで面白かったという老人介護本、『ボケ日和』というのを借りて一気に読了。まあ、母もまだ何とかなっておりますが、89歳ですからね。この先どうなるかわからないので、一足先に心の準備をしておこうと。これこれ! ↓ボケ日和 わが家に認知症がやってきた!どうする?どうなる? [ 長谷川 嘉哉 ] この本、著者の長谷川嘉也さんという方は1966年生まれと言いますから、私よりちょい下ですな。認知症専門医として、岐阜の方でご活躍とのこと。 で、専門医として認知症患者とその家族のことを沢山見てきた中で、家族の中に認知症患者が出た場合の心得のようなものを伝授しているんですが、長谷川さん曰く、認知症患者の介護で重要なことは、患者と家族が共倒れになっちゃいかんということだそうで。 患者の方は本人が認知症になっちゃうんだから対処しようにも仕方ないですが、仕方あるのは介護する家族の方ね。 まず認知症というのは、どういう風に発症してどういう風に進行し、最後はどうなる、という流れを、介護する側が承知していることが大切なんですな。というのも、一番症状が大変な時に、「こういう状況が永遠に続く」と勘違いし、絶望してしまうことが、介護崩壊のよくあるパターンだから。どんなにひどい状況も、大概、せいぜい2年で終わるということをあらかじめ知っていると、介護する方としては気持ちとして随分楽になれる。 あと、認知症の代表的な初期症状に、「(介護者に)お金を取られた!」と言い出すことだそうですが、これ、言われた方はショックですけど、「認知症になったら、必ずこれを言い出す」というのを事前に知っていたら、そのショックも大分和らぐらしい。まあ、そうでしょうね。 それから、現代では様々な公共ケアが使えるので、そういうのを使い倒すこと。他人に頼ることに、罪悪感なんて持ったって仕方ないよと。それに、実際、デイケアなどで同じ世代の年寄りと交流することで、認知症の進行が遅くなることもあるようだし。 それから、認知症を患うと、一時的に攻撃的になる患者もいるようですが、そういう時用のクスリも、結構いいのが開発されているようなので、そういうのを活用すること。 とまあ、そんな感じで、本書は患者本人というより、介護をする側を楽にするための知恵がいろいろ書いてある。それは患者を見放しているのではなく、介護する側が楽になって余裕があることが、患者にとってもメリットが沢山あるという、非常に現実的な観点からのことなんですな。だから、この本、高齢の親を持つ誰もが一読して損はない本だと思いますよ~。私も大いに勉強になったし。 それにしても、今は自分はまだ「介護する側」の心得としてこの本を読んでいるけど、自分だっていずれ、と思うと、なかなか苦しいものがある。まあ、そうなったらそうなったで、ポジティヴなワタクシとしては、進行を遅らせるためのありとあらゆる手段を講じると思いますけどね。 でも、なるべく周囲・・・っていうか、家内に迷惑をかけないよう、ある程度のところでぽっくり逝きたいもんですな。100歳まで元気満々で、頭も確かで、それである日突然、というのがいいな!
September 26, 2021
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不要不急ならぬ、要急な用事がありまして、今日は実家に戻って参りました。 ま、それはそうなんですが、先日もこのブログに書いたように、今、愛車のルノー・キャプチャー君が車検で入庫しちゃっているので、仕方なく家内の愛車であるフォルクスワーゲン・ポロを借りて、新東名をひとっ走りしてきたと、まあ、そういう具合。 なんですが・・・ このポロ、今年の1月に我が家に来て、私はチョイ乗りしかしてなかったのですが、今回、あらためて長距離を乗ってみて、思うことがありまして。それは何かと申しますと・・・ 重い! このクルマは何もかも重い! まあ言ってもBセグメントのクルマですから、日本車で言えばヴィッツとかフィットとか、そういう1トンちょいの車格になるわけですが、ポロの場合、体感的には2トンくらいあるように感じるという。ずっしり、ドーンと重い。その底知れず重い車体を、パワフルなエンジンでドドーーンと加速するようなイメージ。 だから軽いクルマをちょこまか、スイスイ走らせるという感じではなく、むしろ重戦車を1万馬力くらいのディーゼルエンジンでよっこらせ、と動かしている感じがする。 でまた、ハンドルが重い! 気合入れて回さないと回らない。曲がり角が来るたびに「またこれ回すのかよ~」と憂鬱になってくるという。 ひゃーーー。これはシンドイわ・・・。 ポロの前に乗っていたマツダ・デミオは、いかにもBセグ車らしく、軽いイメージの運転感覚だっただけに、ポロの重さがずしーーんと身体に響くというか。 いやはや。私はどちらかというと、軽々しいクルマよりも、しっとりと重みのあるクルマの方が好きだと思っていましたが、ポロは少々、重すぎました。 ううむ。やっぱり、クルマってある程度距離を乗ってみないと、本当のところは分かりませんな。今回、デミオからポロに乗り換えたのは、ちょっと失敗だったかも。家内よ、許せ!!
September 25, 2021
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プリンスが亡くなって早5年、今もなお、様々な音源が表に出てきておりますが、最近私が見つけたのがこの動画。「Sheer perfection personified」、すなわち、「真正の完璧の具現化」ということですが、まさにその通り。見とれるしかないです。これこれ! ↓プリンスの驚異のパフォーマンス これ、「オプラ・ウィンフリー・ショー」の一場面のようですが、1996年というと、まだオプラも痩せていて、なかなかお美しい。とはいえ、もう今から四半世紀前なんですな・・・。
September 24, 2021
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この数か月、腰痛に悩まされてきまして、それに対してポジティヴにありとあらゆる療法を試してきたわけですけれども、昨日、手の指をどうにかすることで腰痛を治す、という動画にたどり着きまして。 で、実際にその動画を見て見ると、まあ、難しいことではないのですが、ちょっと変な風に手の指を押す、というような内容で、それで腰痛に効くとのこと。 で、普通の常識人なら「嘘だ~」の一言で笑い飛ばしてしまうのでしょうが、私は普通の常識人ではないので、「ひょっとしたらそんなこともあるかも」と思い、とりあえずやってみた。 で、一夜明けたわけですよ。 どうなったと思います? 腰痛が治ったの。100%とは言わないけど、8割方。とにかく、全然楽になったのは確か。 え¨ーーー、マジか。一回の自己施術でこれだけ治ったなら、毎日やれば、ねえ・・・。完治するんじゃね? というわけで、信じる者は救われる体のものですけど、私と同様、腰痛に悩んでいる人は、一度、お試しあれ!これこれ! ↓指押しで腰痛治療
September 23, 2021
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今日は愛車キャプチャーの車検があったので、午前中、ディーラーの方に伺っておりました。 今回で2回目の車検。つまり買ってから約5年が経過したのですが、今のところ絶好調。ということで、まだしばらくは乗ってもいいかなと。 5年乗って見て、キャプチャーのいいところはどこか、と考えると、まずはデザイン。ローレンス・ヴァン・デン・アッカーの手になるデザインは、今見ても相変わらず愛嬌があって可愛い。ま、ワタクシのクルマ選びは常にデザインから始まりますからね。そこは満足。 で、ハンドリングも相当気に入っております。またエンジンも、たった1.2リッターなのに、ターボ過給で過不足ないパワーを絞り出してくれます。5年乗って、「パワーが足りないな」と思ったことないもんね。 あとね、予想以上に良かったのは、SUVであることによる座席の高さと見晴らしの良さね。たまに普通のクルマに乗ると、座席が低すぎて、乗り込む時に身をかがまなくてはならず、苦労しちゃう。そこへ行くと我がキャプチャーは、立ち位置からちょっとお尻をずらすようにして乗り込めばいいので、腰への負担が掛からない。ほんと楽よ。 ということで、今のところほとんど不満がないので、7万キロ乗ったけど、まだまだ乗り続けるつもり。 ですが・・・ 今日、車検の事前チェックをしてもらっている間、新型のキャプチャーの試乗をしませんか、なんて言われちゃってさ。 ま、そう言われて乗らないのは、据え膳を食わないようなもんですからねえ。 っつーことで、新型のキャプチャーに乗ってみたのですが、うむむ、なかなかよろしい。しっとり、どっしりした上質感はないですけど、軽く硬質な上質さはある。特にエンジンが1.2リッターから1.3リッターに大きくなったこともあって、パワー/トルクとも大幅アップしておりまして、やはりその力感は感じますね。 あとね、サイズも少し大きくなっているので、後席の余裕もかなりアップ。 だけど、一番大きい違いは、安全装備の充実かな・・・。 私の乗っている初代キャプチャーは、安全装備と呼べるようなものは一つもないですからね。それに比べて新型は、もうADAS(先進運転支援システム)の充実がすごい。すごいというか、ようやくこれで他メーカーに肩を並べるようになった、というか。そこはちょっとうらやましい。 で、デザインに関しては、初代の「ほよ」っとした可愛さが薄れ、精悍になった感じ。イケメンです。 だけどなあ、今後、新型のキャプチャーに乗り換えるつもりがあるかと言われたら、ないかな。 いやあ、自分も還暦近くになり、この先、自分のものにできるクルマの数も知れてきたからねえ。同じメーカーのものを二度続けて乗るほど、余裕ないです。もっともっと他に乗りたいメーカーがありますからね。ミニにも乗りたい、ボルボにも乗りたい、メルセデスにも乗りたい、そしてポルシェにも乗りたい。そうなると、なかなかね。 とまあ、乗り換えるかどうかは相当可能性が低いですけど、それでも新車に試乗するってのは楽しいものでありまして、今日はそれだけでもなかなか面白かった。おまけに、今回は代車にルーテシアをもらえたので、この小粋なクルマにしばらく乗れるのも楽しみでございます。
September 22, 2021
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昨日から引き続き、イアン・スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち』という本の心覚えをつけております。 さて、昨日も書きました通り、明らかに現象として観察される「生まれ変わり」について、これを信じる人(文化圏)と信じない人(文化圏)がある。 ではその差は一体どこから来るのか、ということなんですけれども、スティーヴンソンによりますと、生まれ変わり信仰がない文化圏というのは、基本、キリスト教徒、正統イスラム教徒、科学信奉者の多い地域でありまして、逆に言えば、それ以外はほぼどの民族にも「生まれ変わり」を信じる傾向があると。だから、どちらかというと信じない方がむしろ少数派・特殊なんですな。ショーペンハウエル曰く:「もしアジア人にヨーロッパの定義を聞かれる破目に陥ったら、私としてはこう答えざるをえまい。人間は生まれた時に始まり、無から造り出される、という途方もない妄想に完全に支配されている世界の一角である、と。」(51-2)。 もっとも、生まれ変わり信仰を持つ地域・文化圏であっても、(他のいかなる信仰と同じく)浮き沈みがあって、長期にわたって生まれ変わり信仰を持っていた民族・文化が、それを手放すこともある。例えばインドのイスラム教徒がその例だし、ケルト人はヴァイキング同様、かつては生まれ変わり信仰を持っていたものの、その後、大半がこれを手放したんですと。また南ヨーロッパに住んでいたキリスト教徒の一部は、553年の第二コンスタンティノープル会議までは生まれ変わり信仰を持っていたものの、その後、容認されなくなったらしい(61-2)。 というわけで、生まれ変わり現象のある地域/文化圏とそうでないところがあるわけですが、スティーヴンソンによると、生まれ変わり信仰がある文化の特徴というのは7つあると。 で、その特徴とは、①故人の思い出を大切にする。また生者は故人の、故人は生者の助けが必要だと考える傾向がある ②家族の絆が強い ③あることが起こった場合、それを「偶然」「幸運」「無作為性」の産物だと考えず、誰かがそれを願ったのだと解釈する傾向がある ④遠く離れた者同士でも交信が可能だと考える傾向がある ⑤言葉の上手下手を重視しないため、イメージ保持の能力が高い ⑥時間厳守に対する概念が低い ⑦四六時中、何かするべきことに追われていない・・・の7つ(257-8)。 ちなみに、この7つの条件をそれぞれ正反対にすれば(①故人の思い出を大切にしない ②家族の絆が弱い、云々)、それがまさしく西洋社会の特徴となるのであって、それで西洋社会では生まれ変わり事象が発生しにくいし、そういう文化を容認しないのかもしれない(スティーヴンソンはこれらの条件の保持/不保持の比較から、西洋人はアジア・アフリカ諸国人よりある面では進んでいるかもしれないけれど、その分、失ったものも多いのではないかと推測している)。 なお、生まれ変わり信仰というと、カルマ信仰(現世の行いが来世に影響する、という考え方)と結びつけて考えられがちですが、必ずしもそうではないそうで、生まれ変わり信仰を持つ文化圏であっても、カルマ的な考え方とは無縁のところも多いのだとか(66)。 とはいえ、最近では、西洋キリスト教社会でも、少しずつ、生まれ変わり信仰の存在を認める人の数が増える傾向があるそうで、例えば1968年のギャラップ社調査によると、西欧8カ国に住む人の18%が生まれ変わりを信じていることが判明しているし、翌年の北アメリカだけの調査では、アメリカ人の20%、カナダ人の26%が生まれ変わりを信じていたと。また1982年のアメリカの調査では、回答者の23%が信じていた(52)んですと。 では何故、西洋キリスト教社会でも次第に、生まれ変わり信仰が受け入れられ始めるようになったのか、ということなんですけど、例えば若い人の間で、東洋の状況についての知識(本を通じてであれ、実際に現地で生活した経験を通じてであれ)が増えてきたことや、新たに子どもが生まれる度に、神が新しく魂を造るという伝統的なキリスト教の教義に対して疑問を感じる合理的な考え方の持ち主が増えてきた(59)ということもあるかも知れない。 しかし、そうは言っても、やはり現在でも西洋キリスト教社会や正統イスラム教社会では、大半の人が「生まれ変わり」現象を認めていない(可能性すら考えたことがない)人が多いんですな。人生は一回きり、死んだらすべておしまい、というのがこの文化圏の考え方なので。 で、そういう文化圏で、仮に子供が前世を語り出したとしたら・・・当然、両親はそれを「たわごと」として一顧だにしないか、あるいは𠮟りつけたりするわけで、そうなれば子供もすぐに「こういうことは言ってはいけないんだ」と学習し、そのことについて言わなくなり、やがて忘れてしまう、ということが起こる。 また生まれ変わり現象を認める国であっても、それを歓迎していないところが多いんですな。例えばカースト制度のあるインドで、下位カーストの家に生まれ変わってしまった場合、親や暮らしぶりに対して不満を述べたり、ふさわしくない行動をとったりするため、子供が前世を語ることを親が嫌うことは大いにあり得るし、また貧しい家に生まれた子が金持ちだった前世の記憶を持っており、その金持ちが実在していた場合、金持ち側の家では、その貧しい家庭が自分たちに金銭をよこせなどと言って来るのではないかと警戒するケースもある。さらに、前世で店を経営していた子供が、お店屋さんごっこに熱中しすぎて学校に通い始めるのが遅れ、そのために以後、授業についていけずに能力以下の職業にしかつけず、生涯苦労する、ということも実際にある(191)。つまり、生まれ変わりによるデメリットというのは結構、現実的にあるわけ。だからインドなどでは、生まれ変わりを言い出す子どもを抑圧するために「前世の話をする子供は若死にする」という言い伝えがあったりもする。 だから、スティーヴンソンとしては、実は生まれ変わりというのは、それが起こる地域・起こらない地域があるのではなく、実際には世界中に普遍的にあるのだけれど、そういう各種デメリットを鑑みて、それを敢えて認めないということがあり、その禁忌の強さ・弱さによって、多く発生する地域・発生しない地域という風に色分けされるのではないか、と考えているんですな。 しかし、では生まれ変わり現象にはデメリットしかないのかというと、スティーヴンソンはそうは考えていない。むしろ、生まれ変わりがあると仮定すると、説明のつく現象というのはあるだろうと。 では例えばそれはどんなことかと言いますと、例えば「乳幼児期のいわれなき恐怖症」や「幼児期に見られる変わった興味と遊び」、「嗜癖」や「気質」、「早熟な性衝動」、「性的同一性の混乱」、「一卵性双生児に見られる相違点」、「親子関係」、「一見理不尽な攻撃性」、「妊娠中に見られる異常な食欲」、「左利き」、「母斑や先天的欠損」、「個々の人間の独自性」など(272-308)。今ここに挙げたことについては、従来、「遺伝説」と「環境説」があって、それぞれの立場に立つ人達が互いに相手の説を否定しながら論じあってきた(313)わけですが、それに代わる第三の観点として「生まれ変わり」を想定すると、案外、どれも簡単に説明がついてしまうのではないかと。 例えば上に挙げた「幼児期に見られる変わった興味と遊び」という点について言いますと、幼児期に、特定の遊びを非常に好む子供がいる。戦争ごっこが異様に好きな子とか。それはなぜかということを説明しようとすると、フロイトなんかだと「父親に対する怒りをそれによって解消している」というようなことになるのかもしれませんが、むしろ「前世で兵隊だったから」とした方がよほど簡単かつ上手な説明になっているわけですよ。あるいは幼児が与えられた人形に特定の名前を付けた場合、なぜその子はそういう名前を思いついたのか、という説明として、「前世でそういう名前の親友がいた」などと考えると、非常に納得しやすい。 ま、そんな風に考えながら子供の行動を見ていくと、表立って過去生を語らない子供でも、実は前世の記憶を持っているのではないか、否、人間は全員、そういう記憶を潜在意識の中に持っているのではないか、という気さえしてくる(して来ませんか?)。 また「性的同一性の混乱」という点について言いますと、これは最近のLGBTQ問題にもかかわることですけれども、女性として生まれたものの、心は男性とか、その逆とか、そういう人が実際に居る。ではなぜそうなのか、ということを考えた場合に、「遺伝のせい」とか「環境のせい」とすると、「では、その子の兄弟姉妹だってLGBTQになっていてもおかしくないのに、必ずしもそうなってないのはなぜか」という疑問が出てきてしまう。しかし、ここに「生まれ変わり説」を導入し、「その子は、たまたま生まれ変わる時に性別が逆転してしまったからだ」と考えると、非常に整合性のある説明がつく、というわけ。(ちなみに、この生まれ変わりにおける性転換についてもう一言付け加えておくと、前世で男だったものが女に生まれ変わってしまった、というケースが大半で、その逆のケースの3倍近くある(267)。そしてその場合、女に生まれ変わってしまった女児は、男の子に戻りたいと強く願い、男の子のような振る舞いをする場合が非常に多い。) あとね、これもスティーヴンソンが重視することですけれども、先天的欠損を持って生まれてくる子がいる。これを、西洋/キリスト教社会/科学万能の考え方で説明すると、「偶然そうなった」ということになる。DNAの組み合わせの偶然によって、たまたまそうなったと。だけど、その説明は、倫理的に見て非常に不公平なわけですな。そういう欠損を持って生まれた人は、「残念でしたね」ってことだから。 ちなみに、スティーヴンソンによれば、こういう偶然性重視こそが、西洋キリスト教社会の特徴であり、そういう風に偶然を重視することで、西洋人は責任回避をしているのだと言います。彼曰く、「平均的な西洋人は、自分の行いや自分が置かれている状況に対する個人の責任を、様々な方法を用いて回避しようとする。キリスト教は、神が人の運命を定めるという考え方から、キリストが十字架に架けられて死んだことにより人間の罪はすべて贖われたとする考え方に至るまで、さまざまな逃げ道を提供している。現代科学は、偶然という概念を用意しているが、この考え方は、賭博師や保険業者から始まったものであり、科学者の創始になるものではない。(中略)ひとりひとりの人間がそれぞれ特有の特徴を持っているのは、大半が、本人の両親の生殖細胞に染色体がランダムに振り分けられた結果だということになる。同じ概念について私たちは、これまで、不慮の出来事とか幸運とか宿命などという言葉を用いてきたし、今でも用いている。名称がどうであれ、その考え方のおかげで、我が身に降りかかったことに対する責任を、その一端にせよ負わずに済む。ほとんどの西洋人は、偶然という考え方に多少なりとも魅力を感ずると思うし、その分だけ、生まれ変わりという考え方に違和感を覚えるのかもしれない(355)」 この件に関し、「生まれ変わり」を前提に考えると、起こったことは偶然の出来事ではなく、ちゃんとそれぞれ理由がある、ということになるので、たとえ先天的な欠損を持って生まれてきたとしても、少なくとも不公平さは無くなります。だって、その欠損は前世での自分自身の行いの結果そうなっているのであって、ある意味で自業自得なのだから(必ずしもカルマという考え方をしなくても、そういうことになる)。しかも、現生のすべての状況を来世に持ち越すわけではないので、来世ではその欠損なしに生きられるかも知れないという希望も生まれてくる。 とまあ、そんな具合に、「生まれ変わり」を認めた場合、現実の状況を考える上で、より納得のいく説明が出来るようになるわけですよ。それって・・・要は、「より良い現実感の獲得」ということだから、自己啓発思想だよね。私はそう思うのだけど。 で、その「より良い現実感の獲得」という自己啓発思想的な側面からこの生まれ変わり現象を見ると、例えば、前世での失敗から学んで、現世をより良く生きようとする人が居る、というのですな。 で、そうなると、ことは哲学的な生まれ変わり説と一致してくるわけでありまして、例えばプラトンは『国家』の中で、生まれ変わろうとしている魂は生まれ変わる先を選択していると述べていて、過去生で何らかの技術を身につけた者は、そうでなかった者より、来世で素晴らしい人生を送ることが出来ると考えていた(68)のですが、実際に生まれ変わり現象の例で、幼少期から、前世から受け継いだ特殊能力を発揮する子どもというのが居るんですな(282)。 とまあ、そんな感じで、過去生での行動や記憶が現世での生き方の指針(あるいは現世での特殊才能)になるのだとしたら、それは素晴らしいことであるわけですよ。スティーヴンソン自身、そういうことを考えると、自分もクラリネットの練習を始めようかなと思うことがある(361)、などと言っております。 っつーことで、スティーヴンソンは、「生まれ変わり」というのは、それが存在すること自体、疑い得ないし、ひょっとすると特定の子供だけにそういう現象が起こっているのではなく、普遍的に人類というのは全員が生まれ変わっているのかも知れない。その上その考え方は、この世の様々な現象を説明するのに従来の説よりもよほど矛盾なく説明することが出来るという点で、非常に興味深い仮説だ、と考えているんですな。ただ、それは現状、手持ちのデータを眺めた上で、そう考えるのが一番矛盾がないと自分には思える、と言っているだけで、それが真実だ、などとは一言も言っておりません。後は、読者がどう思うかだと。 とまあ、本書はそんなことを述べている本なんですけど、実に面白い!! 私には非常に知的で、興味深い、啓発的な本でありました。いやあ、色々な点で勉強になったわ~。ということで、もちろん、教授のおすすめ! でございます。前世を記憶する子どもたち [ スティーヴンソン,I.(イアン) ]
September 21, 2021
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イアン・スティーヴンソンという人の書いた『前世を記憶する子どもたち』(原題:Children Who Remember Previous Lives, 1987)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 イアン・スティーブンソンという人は、ヴァージニア大学精神科の主任教授だった人ですが、一言で言いまして、学者として本格派。本ブログでは、臨死体験の研究者として、レイモンド・ムーディー・ジュニアとかケネス・リングなどの著書についても報告してきましたが、そんな連中の「研究」なるものが児戯に見えてくるほど、この本は本格的でございます。 「生まれ変わりの研究」などというと、眉唾な超常現象を扱った「トンデモ本」なんじゃないかと推測される向きもあろうかと思いますが、これは違う。要するに、これはアレですよ、本格的な文化人類学の本だと思えばいい。「生まれ変わり」という現象が世界各地で報告されているのだから、その実態を現地で詳細に調べ上げ、1ケースごとに厳密に検討し、信憑性のあるものとないものにふるい分けした上で、信憑性のあるものがあるのならば、それは一体どういうことなのかを考察する。その調査と思考の産物がこの本なのであって、ケネス・リングのオカルト本とは天と地の差でございます。 まあね、そうは言っても主題が「生まれ変わり」ですからね。信じるか信じないかは人によるし、信じない人はこの本を手にとりさえしないでしょう。それはもう、どんなに厳密な証拠を提示しても信じない人ってのはいるわけですよ。本書にも書いてあるのですが、ある田舎に住むアメリカ人の農夫が、友人に無理強いされて動物園に行ったと。で、そこでラクダを初めて見たんですが、しばらくジーっとラクダを見たあと、くるりと背を向けて、「こんな動物いるわけない」と言ったとか(339)。つまり、頑なな信念は直接の経験をも打ち破る可能性があるわけ。 しかし、かのドクター・ジョンソンが「仮に人影が現れて、『お前は悪いことばかりしているから悔い改めよ』と言ったとしたら、それは自分の良心から出た幻影である可能性が高い。しかし、どこからともなく『誰それがどこでどうして死んだ』というような声が聞こえてきて、そのことをまったく予期してもおらず、またそれを知るすべもないのに、しかも後で確認して状況が全くその通りだったと判明したら、超自然的な知的存在の実在を信じざるを得ない」とボズウェルに語った(406)ごとく、生まれ変わり現象の実在を証明する事象に出くわしたら、少なくともその可能性を検討せざるを得ない、というのがスティーヴンソンの立場でありまして、それは科学者の態度として(私は)納得できる。逆に、明らかに生まれ変わったとしか思えないような事象を前にして、「そんなことあるわけないじゃん!」と、端から検討すらしようとしないとしたら、それこそ科学者としてどうなんだと。昔、ガリレオ・ガリレイが「地球が太陽の周りを回っている」と言い出した時に、多くの科学者たちは「そんなことあるわけないじゃん!」と言ったのでしょうが、それと同じことなわけであってね。 さて、本書によると、そもそも「前世を記憶している人がいる」という話は、古代からあって、「ピタゴラスとアポロニオスの例」という二例があるけれども、これはあまり信憑性がない。一方、哲学的な考察から生まれ変わりの存在を確信するに至った一連の哲学者もいて、例えばプラトン、ショーペンハウエル、マクタガート、ブロード、デュカッスなどがその例(55)。しかし、これは考察ですからね。本当に生まれ変わり現象というものがあるのかどうかを検討する材料になるものではない。 では、大昔の伝説とか、哲学的思考の帰結とか、そういうのではなく、もっと現代的な意味での「生まれ変わり」現象の報告の中で信頼性の高いものとしては、ムガール帝国の皇帝アウランジーブが18世紀初頭に調査したインドの事例が最初なのだとか。で、その次に19世紀初頭の日本の勝五郎の例(ラフカディオ・ハーンの報告)が続く。その後は1898年にビルマで採取された事例6例まで長いブランクがあった。その後1900年から1960年までの60年間に、インドの生まれ変わり事例が心霊主義関係の雑誌などで報告されたんですと。 で、本書の著者スティーヴンソンは1950年代にこの現象を知り、興味を抱いて、それまでに発表されていた事例報告を集め、その比較検討を始めたところ、信憑性のある事例が44例見つかったと。で、1960年にこれらの中から7例を挙げた短い考察を論文にまとめたんですな。 で、これが呼び水となったのか、翌1961年、研究助成が出て(生々しい!)スティーヴンソンはインドに飛んで現地調査することができるようになったと。で、やり始めて見たら、あーた、見つかるわ、みつかるわ、予想外に「生まれ変わり」が普通に起こっていることが判明した。先ほど述べた44例は、35年間かけて集められたものだそうですが、スティーヴンソンが現地に行って5週間もしないうちに25例が見つかった。つまり、生まれ変わり現象というのは、数が少なかったのではなくて、報告が少なかっただけだったと(196-200)。で、以後25年間にわたってスティーヴンソンは研究チームを組んで研究を続け、インドのみならず世界各地(8文化圏)で事例を採取し、2000例を越すデータを集めることに成功するんですな。 ちなみに、一般に西洋人は「生まれ変わり」などというアホなことを信じているのは、文化の遅れた東南アジアの(ヒンドゥー教及び仏教を信仰する)諸民族だけだろうと思っているわけですけれども、実際に調べて見ると、生まれ変わり現象(信仰)を持つ民族というのは世界各地にある。 例えば北インド(チベット)、スリランカ、ビルマ、タイ、トルコ中南部、レバノン、シリア、西アジアに住むイスラム教シーア派の人々。キリスト教やイスラム教に完全に改宗していない西アフリカや東アフリカのいくつかの民族。ブラジルの一部の部族(アフリカの部族から持ち込まれたものらしい)。北アメリカ北西部に居住する先住民族。トロブリアンド諸島の住人。オーストラリア中央部の諸部族。北日本のアイヌ民族(51/149)。(著者は日本については調査していないが、調査すれば日本人にも生まれ変わり信仰はあることが判明するだろうと予想している)。あと、ドゥルーズ派の信者は、生まれ変わりを信じるどころではなく、故人が誰に生まれ変わったかを探り当てたいという強い願望を抱くのが普通、というようなケースもある(233)。 また、生まれ変わり信仰というと、カルマ信仰(現世の行いが来世に影響する、という考え方)とタイアップして考えられがちですけど、必ずしもそうではないんですって。生まれ変わり信仰を持つ文化圏であっても、カルマ的な考え方とは無縁のところも多いらしい(66)。 さらに、前世と現世の間の中間生について言うと、前世で死亡してから生まれ変わるまでに中間生に逗留していたと語る子供はいるのだそうで(173)、特にビルマやタイにそういうケースが多いらしい。逆にドゥルーズ派やジャイナ教徒のように、人間は死んだらすぐに生まれ変わると信じている文化圏では、中間生を想定していないんですと。で、中間生を体験した子供の証言によると、その世界では人々はゆったりとした着物を着、豪華な食事もあるが、別にそれを食べなくてもいいのだとか。 しかし、その中間生が事実であるかどうか、確認されていない(262-6)し、スティーヴンソンとしても、それを実証する方法が分からないということで、この点については深入りをしておりません。ただ、それでも前世の記憶を次に繋ぐ媒体が必要であるということはスティーヴンソンも理解していて、そのため「中間生」という仮説の代わりに、彼は「心搬体(サイコフォア)」というものがあるのではないか、という仮説を提唱しております(359)。 なお、生まれ変わり現象を信じる文化圏と信じない文化圏の間で、この件に対する対応は非常に異なるのだそうで、例えば著者が研究助成をもらって生まれ変わりの研究をしているというと、西洋人の研究者とアジア/西アフリカの研究者の間で同じ反応――「そんなことにお金を無駄にするなよ」という非難するような、憐れむような表情――が見られものの、前者の場合は「馬鹿だね~、そんなあり得ないことを研究してどうするんだよ・・・」という意味、後者の場合は「馬鹿だね~、そんなあったりまえのこと研究してどうするんだよ・・・」という意味なのだとか(341)。 さて、スティーヴンソンは世界各地で生まれ変わり事象が報告されると、そこへ通訳を連れ、現地スタッフも雇った上で調査に向かうわけですが、彼は自分がこの主題で調査をするに当たって、具体的にはどういうことをしたのか、その「調査方法」の実態を細かく明らかにしておりまして、それを読むと、まあ、この種の調査としてはほぼ完ぺきと思われる方法を採用しております。 それによると、まず生まれ変わりであるという本人へのインタビューはもちろんのこと、その親へのインタビューや、親戚や近所の人など、本人が生まれ変わりであるという話をし出したのを直接聞いていた人たちの証言もとってクロスチェックし、さらに調査が可能であれば、前世で住んでいた村などを尋ねたり、文書に当たって本人の発言の当否を調べる。そして、そうして集めた証言のうち、意図的なものであれ、無意識的なものであれ、ウソが混じる可能性(例えばトルコでの調査で「息子はジョン・F・ケネディの生まれ変わりだ」と言い張る親が三人もいたという)もできる限り排除し、「生まれ変わり」の証拠として確定してよいものとダメなもの、さらに最終的な確認はとれなかったものの相当に信憑性の高いものに分類する、といった手法で、まさに石橋を叩く要領でデータを採取していくんですな。例えば、ある家に、殺人事件で殺された男の記憶を持った子供が生まれた場合、他のすべての証言が生まれ変わり事象の正当性を証していたとしても、仮にその殺人事件が当事者の家から比較的近い場所で起こっていた場合、報道や噂話でその殺人事件のことを両親(あるいは本人)が耳にした可能性は否定できないし、たとえそのことを両親が忘れていたとしても、心のどこかに残っていた事件のデータがテレパシーで子どもに伝わったかも知れないので、これは生まれ変わり事象の証拠としては採用しない、という程の厳密さで、信憑性の低い事例を考察対象から排除していくわけ。 なお、本ブログでも前に扱ったように、「生まれ変わり」現象言説の一つとして「退行催眠」によってそういう現象の存在が発覚した、というのがあるわけですが、スティーヴンソンは、退行催眠によって過去生の記憶を獲得する、ということについては非常に批判的です。そういうのは、「過去生リーディング」同様、インチキの入り込む隙が大きすぎると。ですから、スティーヴンソン自身は退行催眠には一切かかわらないのですが、有名なヴァージニア・タイの事例(バーンスタインの著書『ブライディ―・マーフィーの捜索』で明らかにされたケース)については、退行催眠によって過去生が証明された数少ない例の一つだと認めています(71-78)。 で、それだけ厳密にデータを選別し、インチキ臭い例を排除していっても、やっぱり、どう考えても前世の記憶を持って生まれてくる子供がいる、という例が残っていくわけですよ。で、スティーヴンソンは、そうした絶対確実という例だけを取り上げていく。 で、その絶対確実だと思われるケースに絞って考えた場合でも、スティーヴンソンは必ずしも最初から「生まれ変わり」という現象を無批判に当てはめているわけではないんですな。 例えば「生まれ変わり」という考え方を採用しなくとも、「潜在意識」とか「記憶錯誤」などによってこの現象が説明できるのではないかとか、「遺伝」によって過去の記憶が伝わったのではないかとか、そういうこともちゃんと検討しているわけ。あるいは超感覚的知覚(要するにテレパシー)によって情報が伝わったのではないかとか、霊が「憑依」したのではないかとか、そういうことも検討している。けれども、そういう様々な可能性を検討すると、やはりそれぞれに説明の出来ないところが出てくる。例えば「過去に死んだ霊が新生児に憑依した」とすると、ある程度生まれ変わり現象を説明することはできるけれど、(後述するように)多くの子供が8歳以降、前世の記憶を失うことの説明がつかない、とかね(238)。何かの理由があって憑依したのなら、そのままその子が成人した後までずっと憑依してればいいじゃないか、というね。 で、そうやってあらゆる可能性を検討した結果、最後の最後に、こう考えると無理なく現象の説明がつく、というのが、「生まれ変わったのだ」という考え方だったと。 つまりスティーヴンソンは、安易に「生まれ変わり」という現象を認めているのではなく、様々な可能性を検討した挙句、この考え方が一番、現象を無理なく説明できるという意味で、「最後に受け入れるべき解釈(242)」として採用しているわけ。 で、本書にはそういう確実な生まれ変わり事象の例が幾つも上がっているのですが、これがまあ、実に面白い。 過去生の記憶を語る子供というのは2歳から5歳までがほとんど(162)で、以後、5歳から8歳くらいまでの間にその記憶が薄れていき(168)、その後は過去生のことをさほど語らなくなるそうですが、逆に2歳以前、すなわちまだ言葉が話せない時点で既に、過去生からの影響が見られる子供がいる。例えば、家族の中に今までそういう子が居なかったのに、その子だけ異様に水を怖がるとか、川に連れていくと火が付いたように泣くとか、そういう行動を取る子がいる。で、その子が言葉が話せるようになると、かつて自分は〇〇という名前で、その川のその辺りで溺死した、などと言い出したりすると。で、実際に調べて見ると、確かにかつてそこで死んだそういう名前の子がいたことが判明する。 ま、そんな調子で、いたいけな子供が、過去の記憶を語ったり、その影響を受けた行動を取るわけですけど、例えば、誰から言われたわけでもないのに、その辺から木の小枝とかを集めてきて箒を自作し、やたらに家の周りを掃除し始めたりする子がいるというのですな。で、何かと思ったらかつて自分は掃除婦だった、などと言い出すとかね。 あと酒好きの男の生まれ変わりの少年は、2,3歳の頃から「酒持ってこい~!」などと言い出して親を困らせるとか。前世でナイトクラブを経営していた幼児が、自宅でクラブを開こうとするとか(182)。あと、ハイティーンの頃の死んでしまった少年の生まれ変わりの幼児は、幼児なのに性欲満々で、年頃のお姉さんに抱き着いてはあらぬことをしようとしたりして困らせるとかね。あと、前世でビスケットやソーダ水を売るお店を経営していた子供が、お店屋さんごっこに熱中しすぎて学校に通うタイミングを失し、以後、公教育の中で落ちこぼれてしまって成人してから苦労する(191)というようなこともあるのだとか。 あと、戦後ビルマに生まれた子供で、かつて日本人の兵隊だった、と前世を語る子供がいるそうで、そういう子供の前でイギリスとかアメリカの話をすると、烈火のごとく怒ったりする。前世の日本人も、本当は日本に生まれ変わりたかったでしょうけど、戦争中に戦地で戦死するという特殊な地理的要因で、そういうわけにもいかず、仕方なく現地の子供にうまれかわっちゃったんでしょうな。 あと、インドの場合、違うカーストに生まれ変わる場合もある。例えば元バラモン階級の人が、下位カーストの家に生まれ変わった場合など、幼い子供が家人が触った食器が汚いといって手にしようとせず、あやうく餓死しかけるとか(190)。あと、家の手伝いをさせようとしても、「そんなことは召使のやることだ、俺を誰だと思っているんだ!」とはねつけるとか。あと「あーーあ、前の家の時は裕福で良かったのに、こんなクソみたいな家に生まれ変わっちまって情けねーなー」などと不満を言い続け、家人から総スカンを食らうとか。逆に、バラモン階級に生まれたのに、下層階級的な嗜好を表明して家族の総スカンを食らうケースもある(182)。 それから、生まれ変わりの場合、前世の嗜好が反映するらしく、これは南アジアのケースですけど、家族の中に他にそういう者がいないのに、その生まれ変わりの子だけ、ある特殊な麵料理を食べたがる、ということがあったりして、調べて見るとその麺料理は、その子が前世で住んでいた地域の名物料理であることが判明したりする。またそういう場合、その子のお母さんも、妊娠中にどういうわけかその麺料理を食べたくなるようなことも起こるのだそうで。 その他、ようやく言葉を話せるようになった幼児が、(普通は、「ママ」とか「パパ」とか言いそうなものなのに)開口一番「ぼくはここで何をしているんだ。港にいたのに」と言い出すとか(166)。この子は前世が港湾労働者だったんですな。 ちなみにこの港湾労働者のケースは、たまたまこの労働者が職場で眠りこけていた時に、同僚の不注意で大きな荷物をこの労働者の上に落としてしまって死んでしまい、その後、生まれ変わったのですが、このように「非業の死」を遂げた場合、生まれ変わることが多い(あるいは、死んだ状況のことを覚えていることが多い)ようで、先に述べた「溺死」のケースのように、生まれ変わった後に水を極端に怖がるとか、あるいはナイフで刺された場合は刃物を、また銃で撃たれて死んだ場合は銃器を怖がる子供として生まれ変わることが多いらしい。中には、自分を殺した相手の名前を憶えていて、復讐したいという強い意志をもって生まれ変わってくる奴もいるのだとか(225)。 そうそう、それを言ったらね、例えばナイフで刺された人が生まれ変わった場合、その赤ん坊には、ちょうど刺された体の場所に母斑(あざ)があることがあって、それも生まれ変わりの一つの指標になるらしい。 ちなみに 生まれ変わりのタイミングですが、文化圏によって異なり、レバノンで6カ月、トリンギット族で最長48カ月というのがあるけれど、前世で死んでから3年半未満で生まれ変わるのが大半で、中間値をとると大体死んでから15カ月で生まれ変わるのだそう(184)。意外に短いサイクルで生まれ変わりが行われていることが分かります。あと、前世を記憶する子どもの過半数(62%)は男児(247)なのだとか。 とまあ、「生まれ変わり」現象というのは、実に興味深いのですが、しかし、先にも言ったように、これを信じる文化圏と信じない文化圏というのがある。その差は一体何なのか。また、「生まれ変わり」現象を、本当にあるものと仮定すると、そこからどういうことが起こってくるのか、ということについて、スティーヴンソンは順次語っていくわけですが、ここまで大分長くなりましたので、この先のことについては、また次回に回すことにいたしましょう。これこれ! ↓前世を記憶する子どもたち [ スティーヴンソン,I.(イアン) ]
September 20, 2021
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そもそも漫画読まないし、加えて多くの人がいいというものはとりあえず見ない方針で生きているので、『鬼滅の刃』って今まで全然関心がなかったんですけど、なんか最近、よくテレビで放送しているでしょ。ということで、なんとなく観ちゃった。 で、なるほど、と。なるほど、これが噂に聞く鬼滅か・・・。 思っていた以上にグロくて(いくら相手が鬼とはいえ、あんなに首落とす画像ばっか子供に見せていいのかい?)、と同時に、思っていた以上にギャグ・マンガっぽい話なのね。 ちなみに、私はあの中で誰が一番好きでしょう? そう、答えは伊之助。馬鹿っぽいし、へんなの被っているから。 あと、もちろん禰豆子もかわいいけど、あれはさあ、どうなんだろう。男が「禰豆子が好き」とか言ったら、フェミニズム的にどうなんだ?っていう。だって「出しゃばらず黙っていて、小さくなれと言えば小さくなる女がいい女」って言っているのと同じようなもんじゃん? さるぐつわ嚙ませておけばいいっていう。それは、私には言えんな。フェミニストだから(ほんとかよ!)。 あと、噂に聞く「全集中! 水の呼吸!」っていうのも初めて聞いて面白かった。 まあ、今まで内緒にしていたけど、実は私は人間ではなく、森の妖精だからね。私だったら「森の呼吸!」だな。 「全集中! 森の呼吸! 一の型:ドングリ頬張った栗鼠」とかね。どう? 強そうでしょ。そうでもないか。 というわけで、今までまったく無関心だったのに(だっただけに)、次のテレビ放送が妙に楽しみになってきたワタクシなのでありました、とさ。
September 19, 2021
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先日、某テレビ番組で「マルハニチロ」の冷凍食品を扱ったのを見まして。 それによると、同社の冷凍食品は相当によくできているらしい。プロの料理人もビックリというレベルで。 まあね、昭和を生きた人間からすると、不味い冷凍食品というものを嫌というほど食べた経験があるわけですよ。だから、冷凍食品なんてものは、何等かの事情によって仕方なく食べるものであって、好んで食べるほどのものではないという経験値がある。 だから、スーパーの一角を彩る冷凍食品コーナーを見ても、さほど心を動かされないというか。 そんな私の偏見を打ち破る一助となったのは、味の素の冷凍餃子でした。あれは、正直、旨い。下手な餃子専門店より旨い。 というわけで、ごく最近、私の根強い冷凍食品への偏見にようやくほころびが生じかけていたわけですな。 で、そこへもってきて今回のマルハニチロ特集番組。うーん。そうか。ならば試してみよう。 というわけでまず試したのは、同社の冷凍チャーハンね。で、その結果は・・・「そう・・・でもないかな」ってな感じ。不味くはないけど、敢えてこれを食べたい、これが食べたいっていう気にはならなかった。 で、第二段として今日のお昼に食べてみたのが、「横浜あんかけラーメン」という奴。すると・・・ うまーーーい! これは旨い! これはまた食べたくなる味だわ~!これこれ! ↓[冷凍]マルハニチロ 横浜あんかけラーメン 482g | ラーメン 中華麺 フローズンアワード 入賞 マルハニチロ 横浜あんかけラーメン マルハニチロ ラーメン 冷凍ラーメン ラーメン あんかけラーメン あんかけ なるほど、確かにモノによっては、冷凍食品のレベルも相当なものになっていたのね。 ということで、「横浜あんかけラーメン」は合格。 これが合格となったとなると、もうちょいこの道を探索したくなるのも道理。さてさて、次のマルハニチロ・シリーズはどう出たものか。あれかな、あんかけ焼きそば、行ってみようかな・・・。[冷凍] マルハニチロ 五目あんかけ焼そば 346g | フローズンアワード 入賞 太麺 モチモチ オイスターソース ランチ
September 18, 2021
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なんか最近、体が衰えてきたなあ、という実感がありまして。 私は昔から実年齢より若く見られる方で、だから自分でも「自分はいつまでも年を取らないんだ」と思っていたのよ。 ところが、ところが。このところ、体が重いなあという、今まで感じたことのない感覚に襲われるようになった。 まずね、膝が痛い。右膝が。で、それを無意識的に全身で庇うものだから、座った状態から立ち上がる時に妙にバランスが悪いわけ。だもので、つい「よっこらしょ」っていう感じになってしまう。重力に逆らっている、という自覚を伴いながら立ち上がるなんて、今までになかったことですわ。あと、最近では腰も痛くなってきて、それも体の重さの一因になっている気がする。 とまあ、膝と腰が痛いものだから、正座から立ち上がる、椅子から立ち上がる、そういう行為が、なんだかとっても重たいんですな。ほんと、正真正銘のジジイみたいですよ。 いやあ、まさか自分がそんな風になるとは思わなかった・・・。例えばさんまさんみたいに、60代半ば越えても、まるで若手のように軽々と立ち回るだろうと思っていたのに、完全に当てが外れてしまった感じ。 でもね、まだそういうジジイみたいな自分を受け容れられないのよね~。 そこはそれ、やはり「The Positive」と呼ばれるほど前向きなワタクシ。「私に限って、そんなはずはない」と思っているわけ。今はたまたま膝や腰の調子が悪いからそうなんだろうと。 というわけで、今、重い体を軽くするために、ありとあらゆる手段を講じております。 まずはね、神社に行きました。家の近くに、足を治す神社があるのよ、たまたま。そこでお賽銭奮発して、「右膝を直してください~!」って散々お願いして参りました。 そして毎日のランニング。膝が痛いから動かさない、という風にしたら、もっと動かなくなるだろうと思い、多少膝が痛かろうが、毎日30分くらいは走る。もちろん、スクワットなども取り入れて。 それから、電動のマッサージ器で膝裏や腰の辺りを毎日マッサージ。血流を良くすれば、色々、良くなるんじゃなかろうかと、これはまあ、素人考えですけどね。 それから、膝や腰の痛み止めの軟膏を風呂上りにスリスリ。神頼みだってするんだから、薬学に頼ったっていいでしょう? そうそう、後はツボ押しね。 とまあ、自分として出来る限りのことをやり尽くして、状況の改善に努めております。 歳をとるのは仕方ないこと。私も結果としてどうしようもないことなら受け入れます。だけど、まだ結果が出ていない段階で、そのまま受け入れるんじゃ面白くない。それを一つの挑戦と受け止め、自分として出来る限りあがく。それが、ポジティヴ人間のワタクシの生きる道。 まあ、見ていて御覧なされ。いずれ復活し、軽々と動き回れる自分を取り戻しますって。
September 17, 2021
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最近、思うのですが、最近のスーツって、上着の襟が広いよね! 昔、結構広い襟のスーツが流行って、その後、どんどん襟が細くなって、その方がカッコいいなと思っていたんですけど、最近また太い襟が流行してきているんじゃないかなと。 それ言ったら、ジーンズもちょっと前までローライズ一辺倒だったのに、最近は股上が深いよね! スーツの太い襟と股上の深いジーンズ・・・それって、バブルの頃のファッションちゃうのん? え、まさかこの先、肩パッド復活とか、ダブルのスーツが流行るとか、そういうのもあるのかね。 そうそう、ダブルのスーツまではまだ行ってないかもしれないけど、最近、3ピースのスーツを着ている人も多いもんね。いやはや、流行は繰り返すっていうけど、ホントだね。 あと最近、オーバーサイズ・ブームじゃん? あれも、どうなの? かつてユニクロの「M」サイズって、私を基準に作っているんじゃないかと思うほどワタクシにぴったりだったのに、このところの「だぼっと着る」風潮のせいで、必ずしもそうではなくなってしまった・・・。いや、流行に合わせて大き目のMサイズを着ればいいという話なんですけど、どうもね、この年で流行に合わせるというのもどうなのかなあって。 まあ、流行り廃りがあるから、アパレル産業が成り立つんでしょうから、仕方ないのでしょうが、そういうの面倒臭いなと思うワタクシのような人も居るのではないかと。 そう考えると、あれじゃね? ユニクロもさ、「エルダー・ユニクロ」っていう店舗を作ればいいのに。「わしはもう十年一日でいい」というジイサン方向けの、しかし、ある程度はファッション性もあって、スーパーの二階で売っているじいさん・ばあさん用衣類ほど老け込んでいない服を売るっていうコンセプトの店。 そういうのがあったら、わしはもう、何はともあれMサイズ目指して買いにいくで~!
September 16, 2021
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今年度をもって定年退職される先輩同僚のK教授、まあ、本ブログでは通称「アニキ」で通っておりますが、そのアニキが、今、研究室の整理でおおわらわ。来年3月までには空にしないといけないので、溜まりに溜まった本やら書類やらを必死に処分しておられます。 で、そのアニキ曰く、研究室を整理していると、やたらに古い写真が出てくると。 つまりね、昔、これまた先輩同僚のH先生という方がおられて、この先生が写真好きだったんですな。で、何か大学でイベントがあると、いつも愛用のカメラを持ってこられてパチパチ撮られ、あとで焼き増しして関係者に配ってくださっていたわけ。 で、そういう風にいただいた写真を、いただいた時にはさして重きも置かずに(失礼!)研究室の机の引き出しか何かに抛り込み、それがそのまま溜まっていったと。で、いざ、研究室を片付けるとなった時に、そういう昔の写真が次々と出てきたというわけなんですな。 で、そういう昔の写真を見ると、これが懐かしい! しかも、20年くらい前の写真なんかだと、そこに映っている人の中にはすでに物故された方とかもチラホラいたりして、そういう意味でも懐かしいというか。 でまたね、そういう写真に自分も映っていたりするんですけれども、我ながら若いわけよ。髪なんて黒々と艶やかで、そこから比べると、もう、自分自身の劣化が激しくて、とても直視できないという。 しかし、昔は、こういう感じの「写真」というのが、普通に出回っていたよなあと。 だって今はもう写真撮ってもいちいち印刷しないもんね。だから当然、焼き増しとかもしない。当該の写真はそれぞれのカメラとか、最近ではスマホの中に雑然と入っているだけで、「焼き増しした写真を、全員で共有」などという古き良き習慣は廃れてしまったものなあ。そもそも、今の若い人からしたら、「焼き増しって、何?」って感じでしょうな。 だから、今後は、机の引き出しの奥から懐かしい写真が出てくる、なんていうハプニング自体が無くなるわけだ。考えてみれば、それって、結構、寂しいことだよね・・・。 というわけで、アニキから数枚もらった「昔の写真」を眺めながら、ことさらに古き良き時代のことを思い出しているワタクシなのでありました、とさ。
September 15, 2021
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十月頭に出す予定の拙著の、カバー付き束見本が出たということで、出版社の方から写真が送られてきました。 カバーの図案は前に見せて貰っていたのですが、それが束見本に巻かれた状態で見ると、やっぱり、よりリアリティが感じられて、いよいよ出るんだなあという感慨がありますね。表紙のベースの色は深緑。そこに、オレンジ色の帯が巻かれますので、その色のコントラストがビビッドでいいですわ~。 しかも、今度の本は、ページ数が多くて、380ページ位ある。今まで私が出した本の中では断トツで一番分厚い。だから、背表紙の迫力も凄くてね。書店の棚に配架された場合、すっごく目立つと思う。 とはいえ、実際問題として、この本、売れるのか? そこはちょっとわかりません。私も書いていますが、大半は私の恩師が書いた本ですからね。それを、現代の読者がどこまで受け入れてくれるかというのは、さすがに私にも分からない。 ただ、私にはこの本に関して「仮想敵」がありまして。 それは、私の恩師と同世代で、同志でもありライバルでもあった故・大橋健三郎先生のエッセイ集『心ここに』という本でございます。これこれ! ↓心ここに(エッセイ集) [ 大橋健三郎 ] これ、大橋健三郎先生が、雑誌などに書き散らされたエッセイをまとめて本にしたもので、いわば、私が今度出版しようとしているものに趣旨が非常に近い。ついでに言うと、ページ数も値段も近い。 だからね、私としては、この本を仮想敵・・・「敵」というと言葉が悪いので、ライバルと言いなおしましょうか、仮想ライバルにしているんですわ。で、評判及び売上の点で、この本を越えることを目標にしているのよね~。 まあ、願わくば。願わくば、まずは新聞でも雑誌でも何でもいいから、書評に取り上げて欲しい。もし、一つも書評が出なかったら、新刊本の洪水の中で、抹殺されてしまう。だから、一つでもいいから、どんなメディアでもいいから、書評が出てほしい。当面の目標は、それだね。 では、今度の本は書評に値するのか? するな。値する。 なぜなら、わしが出しているからじゃ! わしは、値打ちのない本など、一度として世に問うたことなどないのじゃ! ということで、強気なのか弱気なのか分かりませんが、とにかく早く世に出て、書評が出てほしい! 実際に本が世に出るまで、あと1カ月。ジリジリしながら、待つことにいたしましょう。
September 14, 2021
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今日、大学で同僚と話をしていて、偶然、かつての同僚で、もう四半世紀以上も前に他大学に移られたF先生の話題になりまして。 このF先生、ご専門が国語学で、私とはまったく専門が違うのですが、何というか、さすが大阪出身というか、お若い頃から妙に太っ腹かつ大物感があり、ズケズケと辛辣なのに人を遠ざけないところがあるというのか、とにかく異様なリーダーシップがありまして、当時、うちの大学の若手研究者を糾合し、月一くらいで勉強会を始めたんですな。題して「一升瓶の会」。 専門は関係なく、とにかくやる気のある若手なら誰でも参加でき、順番に研究発表をするんですけど、一通り発表が終わった後、聞いていた専門外の参加者からめちゃくちゃにけなされるというのがお定まりで、まあ、完膚無きまで批判される。 で、そうやって凹ませた後は、持参した一升瓶から茶碗酒を酌み交わし、後腐れなく大いに談笑して解散すると。まあ、そういう会だったんですな。もちろん会の立ち上げから運営まで、F先生が中心となっていたのですが、会の当日は本当にF先生が一升瓶を持ち込み、それを会場(学内の空き教室)の真ん中にドーンと置いた状態で始まるのですから、今ではちょっと考えられない。 でまあ、かく言うワタクシも、赴任早々、この世にも恐ろしい「一升瓶の会」に誘われ、なかなか面白い経験をさせてもらったものでございます。 でも、あの頃はまあ、いい時代でした。「学際的」とか、そんなお飾りの空虚な言葉など端から必要ないほど、野蛮なまでに「学問をしよう」という空気がビリビリと学内に漂っていて、文字通り若手同士、学問分野も何も関係なく、勉強しているかどうか、研究しているかどうかだけを判断基準に切磋琢磨しあっていたものですよ。 ところが私がこの会に入ってから二年かほど経った頃、会の中心だったF先生が滋賀県の大学に移籍(その後、さらに大阪の大学に移籍)されてしまった。まあ、元々関西人なので、郷里に近いところに戻られたということなのでしょうが、ために会は求心力を失い、加えて他の参加者の中にも他大学に移籍する人が続いたりして、いつの間にか自然解散となってしまった。 やっぱり、こういう会というのは、カリスマ的なセンターが必要なんですな。 それから幾星霜。今やうちの大学には、あの頃のようなギラギラした、学問・研究への情熱とかそういうのがたぎっている状態など想像すらつかないほどになってしまいました・・・。 で、そのF先生なのですが、今日伺ったところによると、なんとなんと二年ほど前に亡くなったのだそうで。私より数年年上でしたから、多分、60歳をちょっと超えたくらいのところだったのではないかと思うのですが。 で、亡くなったということ自体、もちろんショックだったのですが、その亡くなる前の状況というのがまたすさまじいものだったんです。 まず結婚されなかったF先生は、生涯お一人。またご実家・ご兄弟とも折り合いが悪かったようで、そちらとはもう一切縁を切っていたと。だから天涯孤独の身の上で、すべてを学問・研究に捧げていたんですな。 で、癌に侵され、余命一年と言われた。 でも、「自分は学問をやる人間だから、死ぬのなんてぜーんぜん怖くない。それに一年あれば、今やっていることを本にする時間はある!」とポジティヴに捉え、その言葉通り、病室にパソコンを持ち込み、命の最後の力を振り絞って本の執筆に明け暮れた。私の同僚は、その頃F先生のことを病院にお見舞いに行かれたそうですが、「もう体力がなくてトイレにも行けない。だから看護師さんにおむつを替えてもらうのが恥ずかしくて」と笑いながら、意気軒高に執筆中の本のことを語っていたそうです。 で、実際、F先生はそれから本を2冊出した。一冊は国語学の研究書、もう一冊は、先生が長年温めていた戯曲(創作)だったそうです。 で、その戯曲の方を寄贈してもらった私の同僚は、それを読んだそうですが、すごく面白いものであったと。それで、その感想を書き送ったところ、既に亡くなった旨の連絡が来た。 先にも言ったように、F先生はご実家とも縁を切っていたので、葬儀というようなことはせず、ただお別れの会のようなものを開いたとのこと。で、その会を取り仕切ったのは、F先生の本を数多く出版していた国語学専門の小出版社の社長さんだったのですが、F先生は自分が研究者として長いこと世話になったということで、その出版社に遺産を全額寄贈したのだそうで。 ううむ。すごい人生の仕舞い方じゃありませんか・・・。 もし自分がその立場だったら、余命一年と言われて、心穏やかに本の執筆なんかできるだろうか。絶望的な気持ちになって、心が乱れて、とても書けないんじゃないだろうか。 そう思うと、猶更F先生のすごさが分かります。いやあ、凄いな。 というわけで、たまたま雑談の中で知ったことですが、かつて、私が今の職場に赴任した当時、短い時間ながら「一升瓶の会」を通してお付き合いのあった方の壮絶な死の話を伺い、何とも、心がぞわぞわするような、そんな気持ちにさせられてしまったのでした。 最後まで高く研究者魂を持ち続けた・・・というか、大阪風に言えば「どてらい奴」だったF先生のご冥福をお祈りいたします。合掌。まあ、そんな神妙なことを私が言えば、F先生から「あんたなあ、そんなしょーもないこと言うてる暇に、勉強せいや!」とかなんとか、叱られそうですけどね。
September 13, 2021
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今日は9月末締切の書評に取り組んでおります。この間書いた書評は800字未満という字数制限が災いして書くのに苦労しちゃったけど、今度の奴は1200字。ま、少しは楽だけど、やっぱりこの字数では書けることは限られるなあ。 でも、まあ、頑張ります。 ところでその書評なんだけど、私の知人で、よく書評を頼まれる人が居るのよ。まあ、よく出来る人というか、そつのない人でね。頼まれればどんな本でも書評しちゃう。 ところがね、その書評というのが、まあ、つまらない書評なのよ。 どうつまらないかっつーと、とにかく熱がない。書評対象の本の上を、さーっと一陣の北風が通り過ぎました、みたいな書評なの。 そつがないから、その本の押さえどころはちゃんと押さえてある。だけど、淡々とした機械的な文章で、読んでいて何にも面白くない。面白くないから、対象となった当該の本までつまらなく思えてくる。結果、書評内容としては褒めているんだけど、全然その本を手に取りたくなくなるという意味では、まさに逆効果っていうね。 そういうつまらない書評を読む度に、わしはもっと面白い書評を書こうって思います。 要するに、熱だよ、熱。書評に熱がなかったら、どうしようもないじゃん。その意味で、私が参考にするのは「ジャパネットたかた」です。 ジャパネットたかたのCM見てると、やっぱ熱があるよね! 声も大きいし。製品として素晴らしいんです! 値段もおっそろしく安いんです!! しかもおまけ付き!!! 分割手数料・送料、みんなたかた持ちなんです!!!! 今がチャンス!!!!! っていうね。 わしはあれを、書評でやりたい。なんだったら、ビックリマークふんだんに使って。 っつーわけで、現在、奮闘中。北風とは真逆の、南からの熱風を吹かせて、大いに褒めちぎってやろうと思っとります。
September 12, 2021
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長らく読みかけだったギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』をようやく読了したので、心覚えをつけておきましょう。 そもそもね、なんでこの本を今、私が読んでいるかっつーことなんですけど、その理由を・・・忘れてしまったっていう(爆!)。何で読んでいるんだっけなあ? マジ忘れた。 なんかね、やっぱり仕事がらみっていうか、この本もまた「自己啓発本」として読める、的なことをどこかで読んだはずなんだよね。で、「そうだったっけ? ならばそのうち再読してみよう」とか思って、それから大分経ってから読み始めたので、きっかけが何だったか忘れちゃった。 で、今回、中学生か高校生の時以来、再読してみたんですけど、非常に面白かったです。多分、中学とか高校の時には読んでも分からなかったであろう面白さが、今回はよく分かった。 そりゃそうだよね! この本、初老の男が自分の敗北続きの激闘人生を振り返る本だから。そんなの、若い盛りの、大望を抱いてこれから青年になろうなんて年頃の人間が読んで分かるはずない。自分自身が初老になって、そろそろ自分の人生の総括をしなきゃっていう年齢にならないと、分かるはずないですよ。 さて、では今回、この本を改めて再読したポイントなんですけど、まず元々の「自己啓発思想」とのからみで参考になった部分があったかと言いますと、それがね、実はあんまりなかったのよ。この本の一体どこが自己啓発思想なんだろう? しかし、強いて言いますと、19世紀の終りから20世紀初頭にかけて、一方ではダーウィンの進化論が出て、科学万能説というか、「科学でこの世のことは大概説明できるし、科学で説明できないことはもう知らないよ~」的な風潮が出てくる一方、その反動として神秘主義なるものが登場するというようなことが(少なくとも英米では)あったわけですけど、その辺りの「科学万能説 vs 神秘主義」といった状況についての言及がこの本(この本の出版は1903年)にある、ということかな。つまり、そういう「時代精神」についての知識人の証言が、この本の中から得られるというわけ。神秘思想は、自己啓発思想につながる側面があるのでね。 例えばこんなことが書いてある: 科学的実証主義に対する、いろんな浅薄な形の反動は、注意してみるとなかなか面白いものだ。ダーウィンの勝利は、不可知論者という巧みな言葉の発明によって、いっそうはっきりしたし、この言葉が非常な流行をみたことは周知の通りだ。しかし不可知論は、一つの流行としては、あまりに理屈っぽくて長続きしなかった。そこへ東洋の魔術の話が評判になった(いかに世界はしばしば同じことを繰り返すことか!)。するとほかにいい知恵のない連中は、だれもかれも早速「秘密仏教」がどうのこうのといい始めた。この「秘密」といううまい殺し文句が客間ではなかなか好評を博した。(中略)すると、われわれになじみ深い、昔ながらの「こっくりさん」や降神術も科学的な立場からの再考察されうるのではないか、という人もでてきて、その着想は直ちに人々の採るところとなった。迷信は学者先生然とメガネなどをかけて威張りだし、実験所を作り、いかめしい研究報告書をだす始末となった。日ごとにその領分は広がった。催眠術は摩訶不思議を追っかけまわす連中にてごろな材料を提供し、あやしげなギリシア語の述語の行列――ちょっとむずかしくてうまくしゃべるのには練習を要するのだが――が続いて現われた。述語をつくるのに妙をえている人間は、"Psychical"(心霊的)という言葉を巧みにあみだした(この言葉の "p" は、発音する人の趣味や好みに応じて響かせても響かせなくてもかまわない)。すると、科学時代の先端をゆこうという連中はこれですっかりいい気持ちになってしまった。そして、曰く、「何かがなければならないはずなんだ。どうしても何かがなければならない、とわれわれはいつも感じていたんだ」と。読んだものから判断すれば、心霊「科学」なるものは今や中世の魔術と巧みに手を組んでいることが分かる。当今は小さな声で何かをぼそぼそいったりささやいたりする妖術師にとっては金もうけの好機だという。貧民窟や村落などで時折実施されているように、上流社会においても運命占いを禁止する法令が厳重に実施されるならば、それこそどんなに面白い事態が生ずることだろうか。だが霊感術の教授先生を起訴することは困難だ。そういうことをすれば、いい宣伝だと彼らが喜ぶことは必定なのだ。 もちろん、こういうむずかしい述語を巧みにあやつっている人々が、皆が皆まで同じ一つの仲間に属さないことは私も知っている。健康なものであろうと病的なものであろうととにかく、人間精神の研究は行われなければならぬし、それはそれとして、良心的に力強く行われている他のどの研究にも劣らず、充分な尊敬に値する。ときとしておっちょこちょいやいかさま師の利用するところとなるからといって、もともとまじめな思想の傾向に反対するいわれはない。われわれが尊敬してやまない人々が心霊学上の研究に深く没頭しているが、彼らは、自分たちが普通の常識的な生の諸法則では説明できないいろんな現象ととりくんでいる、という確信をもっている。私もそうあることを望む。彼らは感覚をこえた世界でまさに新しい発見をしようとしているのかもしれない。ただ私自身に関していえば、この種のあらゆるものが単に私の興味をひかないのみか、むしろ強烈な嫌悪の情さえ催させるのである。あらゆる不可思議な物語が心霊研究会によって究められ、その真実性を示す明々白々な証拠が私の目の前につきつけられたとしても、私の気持ち(偏見と呼ぶならそれもよかろう)には少しの変化もきたさないだろう。(170-2) なるほどね。まあ、この辺りが、教養ある常識的なイギリス人の心霊ブームに対する反応だったんでしょうな。以前、このブログでもご紹介したD・ブラムの『幽霊を捕まえようとした科学者たち』が、心霊学に夢中になった著名な科学者たちのことを、その人たちの側の心情を中心に綴ったものであるとするならば、『ヘンリ・ライクロフトの私記』は、同じその事情を、同時代の常識人の立場から綴ったものであると言えましょう。物事を、両面から捉えるというは重要だからね。その意味で、当時の心霊ブーム・神秘主義ブームに対する常識人の見方をこの作品から知ることが出来たのは、結構大きな収穫だったかも。 さて、今、「教養あるイギリスの常識人の見方」と言いましたが、要するにこの本は、この「見方」だけで成り立っている本なんですな。だから、読んでいると、「ほう、教養あるイギリスの常識人はそう考えるのか~」と思わされることが多い。 例えば、イギリス式君主制の在り方と、民主主義というものへの考え方、とかね。 この本の中で、ヴィクトリア女王の即位60周年を祝うシーンが出てくるんですが、それを機にヘンリ・ライクロフトは――ということはつまり、ジョージ・ギッシングは、ということになるわけですけど――イギリス式君主制について思いを巡らす。それも、肯定的に。 イギリスの教養ある常識人からすると、一国には「王様」というのはどうしても必要だ、と考えるらしいのね。王様のいない国というのは考えられないと。だから君主制は必須なのね。 だけど、君主制にも色々あって、例えば絶対王政みたいになってしまうと、これは圧政であって、庶民としてはたまったものではない。 そこでイギリスでは、王様と庶民がうまいこと調整して、君臨し統治しているようでそれほど威張らない王様と、その王様に服従し敬意を抱いているけど、あまり無理難題を課されたら黙ってはいない庶民から成り立つ、ちょうどいい塩梅の君主制の在り方を見つけ出したと。だから60年に亘ってヴィクトリア女王が君臨しつつ、そのために庶民が迷惑をこうむることの少ない、非常に特異な君主制を続けることができた。だから、その60周年を王様と庶民が共に祝うことには意義があるんだ、と。 はあ~。なるほどね~。イギリスの教養ある常識人は、そう考えるわけね~。面白いわ~。 でね、更に面白いと思ったのは、イギリス人の「民主主義」なるものに対する考え方ね。 イギリスは王様がいるくらいだから、貴族もいる。庶民とは違う、高貴なる立場の人たちがいる。要するに、身分制があるわけですな。 だけど、ヘンリ・ライクロフトはこの「貴族」なるものを肯定するのね。その存在を、必要なものと考える。 貴族というのは、高貴なる理想、高貴なる道徳、高貴なる勇気、高貴なる生活の象徴なのね。それら一つ一つは、それだけとったら単なる「思想」に過ぎず、絵に描いた餅でしかない。しかしそれらを体現する存在として「貴族」がいるから、それらは実体を伴ったもの、目に見える存在物になる。だからそれがあることを信じられると。 よく「ノブレス・オブリージ」というけれども、それはこういう思想を背景に持っていたものなのね! 貴族がいなかったら、どんな高貴な思想も、存在できないじゃないかと。 もちろん、それはすべての貴族がそうした高邁な存在だ、ということを意味するわけではないんです。よくよく実態を調べたら、低俗な貴族だっているでしょう。だけど、「貴族ってのは高貴なもんだ」というのがあるから、庶民の道徳も保たれる。イギリス人全体としての民度の高さを維持できると。 で、そういう立場からすると、アメリカ的な共和制は、イギリス人には理解できない、ということになる。貴族がいない社会で、国民の道徳をどう維持するのか? そんなの出来るわけがないじゃないかと。その辺り、引用してみましょう: このような気質の国民にとって、民主主義への運動は特別な危険をはらんでいる。ものの感じ方が一般に非常に貴族的なイギリス人は、貴族階級のうちに、社会的優越性とともに道徳的な優越性まで常に認めてきた。イギリス人にとって高貴な生まれの者とは、立派な生活について彼らがいだいている理想を形づくるいろいろな可能性や美徳の生ける代表者なのである。昔から貴族と庶民との間に結ばれてきた心からなるよしみは実に意義深いものがある。一方においては、誇りにみちた服従があり、それは他方の勇敢な擁護者としての責任に応じるものであった・こうやってこの二つの階級は自由のためにともども戦ってきたのだ。貴族の権力と光栄を維持するために、庶民の側において払われた犠牲がどれほど大きなものであったかはともかく、その犠牲は喜んで支払われたものであった。これがイギリス人の宗教であったし、生まれつきの信仰であったのだ。(中略) 海の彼方の新世界で、新しい民族、イギリスの分枝が生じたが、彼らは世襲の貴族制度などはおかまいなしに、その生活をつくった。そして時間がたつうちに、この意気洋々たる共和国は母国の理想を揺るがせはじめた。表面的には似ているところも多いが、その文明はイギリス的なものではない。それをはるかにすぐれたものだと考えたがる人にはそう考えさせるがよい。ただわれわれがいいたいことは、それが古いものへの崇拝熱から解放された場合イギリス人が自然にとる傾向をすでに大体示しているということである。(中略)由緒古いこのイギリスにおいては、民主主義は、われわれのいろんな伝統や我々の中に深く根をおろした感情からはかなり縁遠いものであり、ためにその発展の方向は単なる破滅の道のように今まで見られてきた。民主主義という言葉そのものに、われわれをたじろがせるなにものかがある。その言葉は、全国民をあげての変節行為、つまりわれわれが光栄をかちえた原動力ともいえる信条の蹂躙、をまさしく意味するように思われる。民主的なイギリス人は、もともとその性質からいって、あぶなっかしくてみていられない人間なのである。そういう人間は自分の粗野で、放埓で、わがままな本能をおさえつける目安としていた理想を失った人間を意味する。高貴な生涯に生まれついた貴族を引きずりおろして、おそらくは、あらゆる種類の卑俗さを生まれながらに身につけた、一介の平民を理想としてかかげた人間を意味する。声高な自信にみちた威勢のよさにもかかわらず、彼は内心の疑念に悩まされていよう。 われわれの前に横たわる課題はけっして生やさしいものではない。当の貴族階級を失いながら、しかもその階級が身をもって示していた理念を維持することができるであろうか。つねに物質的なものに深く支配されてきたわれわれイギリス人は、貴族階級とのあの古いつながりから脱却して、しかも精神生活の面において貴族的なるものを維持していくことができるであろうか。古ぼけた象徴をもはや尊敬の目をもって眺めなくなったわれわれが、ねずみ色の服を着た庶民大衆の中からある人を選び、「全能の神から直接に高貴のしるしを受けている」人としての貴族よりも高い尊敬を払うことができるであろうか。(134-6) ふうむ。イギリスの常識人から見ると、アメリカの大統領制なんてものは、実現するとは思われないような類のものだったのね・・・。 とにかく、こうした文章を読むと、なるほどイギリスとは、イギリス人とは、そういうものだったのか、という認識を新たにしますな! 勉強になります。 あとね、個人的に「なるほど!」と思ったのは、ヘンリ・ライクロフトの「ターナー観」ね。 ヘンリ・ライクロフトのターナー観というのは、次のようなものであります: ターナーが長い間認められなかった一つの明らかな理由は、彼の天才が真にイギリス的なもののようにみえなかったという事実に基づく。ターナーの風景画がわれわれのみなれた風景を描く場合にしても、彼はそれをわれわれに親しみのあるものとして示していない。そのため、芸術家も教養ある素人も満足しないのである。彼は壮麗な幻をわれわれに提供する。われわれもその壮観さは認める――けれど本質的と思われるなにかがそこには残念ながらないのである。ターナーがイギリスの田園を味わったかどうか疑問だ。英詩の精神を彼が体得していたかどうか、われわれが美しいと呼んでいる平凡な事象の本質的な意義が、はたして彼の魂に啓示されていたかどうか、これまた疑問だと思う。このような疑問が、色彩と形象の詩人としての彼の偉大さに影響をおよぼすものでないことは明らかである。しかしこれが、イギリスがずっと今まで彼を愛しえなかった理由ではなかったであろうか。聡明な識者だと私がかねてから思っている人が、自分はむしろバーケット・フォスターを好むと私にいったとしたら、私は微笑するだろう――しかし、その気持ちはよく分かるのである。(160) いや、実は私もターナーの風景画というのは疑問で、あれのどこがいいのか、さっぱり分からなかったのですが、やっぱりイギリス人にもあれは理解できないものだったのね。ターナーというと、「イギリスを代表する」画家のように、巷間、言われているような気がするけれど、それは間違いだ、ということがよく分かりました。 とまあ、本書を読んで色々、蒙を啓かれることが多かったのですが、実はそういうことは本書の本質的な部分ではありません。 本書の主人公ヘンリ・ライクロフトは若い時から売れない文筆家として赤貧洗うがごとき生活をし、有名にもなれず、苦労していたのよ。それが初老と言われるほどの年齢になった時、たまたま知人から遺産を譲られ、晩年をイギリスの田舎に借りた家で、有能かつでしゃばらない理想的な家政婦と静かに暮らす特権にあずかることになり、それまでの苦闘の人生から卒業しちゃった。で、天から与えられたこの僥倖を堪能しながら、彼が残り数年と思しき人生を味わう様を描いたのがこの作品で、そんな初老の男が、家の周囲の自然の在り様を堪能したり、季節の移り変わりを愛でたり、静かな読書に打ち込んだり、昔の苦労を懐かしく思い出したりっていう日々の描写そのものを楽しむというのが、本書本来の在り方なんですな。 だから、アメリカのグランド・キャニオンのような壮麗な大自然に圧倒される的なのではなく、ただどこにでもある道端の雑草の可憐な花に目を休める的な自然の味わい方こそ、ライクロフトの日々行っていることであり、そういう風情が日本人にはよく分かる。そういう意味で、この作品は昔から日本人にも人気があったと。まあ、方丈記みたいなものですよ。 というわけで、そういう方丈記風なエッセイ集としても、この作品はとてもいいです。あとね、この本の中で、ライクロフトが色々な本を読み、その感想を述べたりするんですけど、それは一つの読書指南として非常に役に立つ。この本を読んで、「へえ、そんな面白そうな本があるんだ~」と思って、アマゾンで注文してしまった本が何冊もある。 ただね、ヘンリ・ライクロフトって、設定としては「54歳」なのね。それで「自分の人生、あと数年あればいいな」なんて言っている。それを読んでいる58歳の私はどうなるんだ、っていうね。そこがね・・・おいおい、っていう感じがしてこないでもない。 でも、この本を書いていた時、ジョージ・ギッシングってさらに若い44歳とかそのくらいで、しかもこの本を出してからすぐに亡くなったらしい。ギッシングもヘンリ・ライクロフトに負けず劣らずの苦労人で、しかも重婚していたものだから、二人の妻を養わなければならず(何ソレ?!)、生活は大変だったみたい。ある意味、ヘンリ・ライクロフトの苦闘の人生は、ギッシング自身のそれだったのかもね。ギッシング自身、作家としてはダメダメで、この作品しか売れた作品はなかったみたいだし。自分のダメダメな人生の中で、苦労して苦労して、その果てに「急に誰かから遺産が転がり込んだら、きっと幸せだろうな・・・」なんて想像しながら、この物語を(わずか7週間で)書き上げたのでありましょう。 ま、とにかくね、この作品、面白かったし勉強にもなりました。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫) [ ジョージ・ロバート・ギッシング ]
September 11, 2021
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今日は久しぶりに床屋に行って、伸びすぎた髪を切ってきました。 なんて書くと、そんなこと報告するほどのことかとお思いでしょうが、床屋嫌いの私にとって、床屋に行くというのは、実に実に、一仕事なのであります。何日も何日も「そろそろ髪を切らないとなあ・・・」と悩み続け、その悩み続けた果てに、ついに我慢と社会生活上の限界に達したと感じてからでないと、なかなか行く気にならないのよ。 しかし、一昔前まで床屋と言えば、髪を切るのみならず、洗髪したり、髭を剃ってもらったり、肩まで叩いてもらったりして、それこそ小一時間ほども時間が掛かったものでありますが、最近、私が贔屓にしているのはいわゆる「10分カット」のお店でありまして、もう、この業務形態の床屋が出来てからというもの、床屋に行く面倒臭さ・気の重さが大分減り、本当にありがたいことと思っている次第。 さて、ではそれほど床屋嫌いの私ですから、床屋というものに興味がないのかと言えば、実はそんなことはない。いや、むしろ、床屋さんの仕事に対しては、非常なる興味と非常なる敬意を抱いているという。 実際、床屋で順番を待っている時など、私の前で人が髪を切られているのを見るのは、実に楽しい。理容師の人が実に手際よく、見事に調髪していく様ほど、専門職の人間の持つ技量というものに感嘆させられることって、なかなかないのではないだろうか。 特に最近は、鋏だけでなく、電気バリカン的なものを使い、アタッチメントを適宜替えながら、ものすごく上手に、かつ素早く、髪を刈り上げていく理容師さんとかがいて、アレを見ていると、自分でもやってみたい!と強く思うわけですよ。 まあ、そんな風に考えるのは私だけではないと見え、ネット上には「床屋動画」がたーくさん上がっている。私もそういうのを見るのが好きで、仕事の合間に見ては気分転換にしております。これこれ! ↓床屋動画 あとね、自分で自分の髪を切る動画も好き!これこれ! ↓自分で髪を切る動画 実際、もし可能であるならば、私は見よう見まねで、自分で自分の髪を刈ってみたい。自分で刈る分には、失敗したって迷惑がかかるわけでなし。 まあ、今はまだ現役の社会人ですから、そうそう虎刈りで表に出ていくわけにもいきませんが、これで定年を迎えて、今以上に家にいることが多くなったら、もう、自分で髪を刈ろうかな、なんて。あるいは家内に頼んでやってもらうとか。アメリカの俳優でも、もう何年も自分でバリカンで髪を切っているという人がいましたよね? とまあ、とにかく、今日はこのところの懸案だった床屋を済ませて、ホッとしているワタクシなのであります。
September 10, 2021
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今、仕事の合間にギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』を読んでいるもので、なんとなく古き良きイギリスが頭の中にイメージとしてあって、それでこのところ、NHK/BSで放送している『シャーロック・ホームズの冒険』の再放送を楽しみに観ております。 それにしてもジェレミー・ブレットが演じるホームズってのは、もうホームズそのものですな! これほど原作のイメージにぴったりな俳優って、なかなか居ないのではないだろうか。グラナダ・テレビ制作のこの番組を観る度に、つくづくそう思います。 でまた、ホームズが生きた時代のイギリスってのがね、また優雅でいいのよ。移動も馬車だからね。アガサ・クリスティーのポワロだと、もう移動は自動車だけど、ホームズは馬車。そういう時代に、天才探偵として、自営業で活躍するなんて、いいなあ。理想だよ。理想の人生。だって、仕事上、退屈ってことがないんだから。もっともホームズ自身は、事件の合間は退屈で、すぐに麻薬をやり始めるんだけれども。 ホームズの(というか、ホームズを演じるジェレミー・ブレットの)衣装がまたね。とてつもなくカッコいい。私も、定年になったら、普段着はユニクロ、なんて言ってないで、ホームズ/ブレットのような、19世紀的な、格好をしようかな・・・。日本でやると、ある意味、山田ルイ53世みたいになっちゃうかもしれないけれども。 ま、ヘンリー・ライクロフトを読みながらジェレミー・ブレットのホームズを見、ホームズを見ながら、今度はまたヘンリー・ライクロフトに戻りましょうかね。後もう少しで読み終わるもので。
September 9, 2021
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なんだかどうも、石破氏ってのは、迷走しまくってますな。「菅さん支持・総裁選には出ない」と言ったかと思うと、菅さんが出ないと聞いて「白紙」だと言い出し、ならば出るのかと思ったら、今度は「河野さん支持」とか言い出して。もちろん、それで河野さんから歓迎されるのなら別、実際には河野さんから「迷惑だ」みたいな反応をされて面目丸つぶれじゃない。 そういうとこだよ! 河野さんの後ろには麻生氏がいるんだから、河野さんが総裁・首相になったとしても、石破さんが選挙の時に「河野支持」してやったからとて、それで厚遇されるとはとても思えない。 ならばさ、もう腹をくくって、総裁選出ればいいのに。「安倍(麻生)・菅(二階)政権が犯してきた罪の数々を、俺が全部まとめて糾弾してやる! 最後の最後まで森かけ問題追及して、取るべきヤツに責任取らせる!」的なこと言ってさ。そしたら、少なくとも「森かけ問題は、やっぱり不問に付します」とか言い出した岸田氏を圧倒できるじゃないの。 仮にこの人が総裁・首相になれるチャンスがあるとしたら、今こそ、なんじゃないのかね?? それなのに、分かってない人だねえ・・・。 「自民党をぶっ壊す!」と言って長期政権となった小泉さんのケースもあり。今こそ、「安倍(麻生)・菅(二階)政権のたまりにたまった垢を落とす!」人に出てきてもらいたいもんですわ。それができるのは、少なくとも安部・麻生・菅・二階に関わりのない人なんじゃないの?? で、今、総裁選に出ると言っている人たちは、全員、安倍・麻生・菅・二階のうちの誰かの息のかかった人ばっかりでしょ。だったら、今こそチャンスじゃない。 さっさと目を覚ましなさい。
September 8, 2021
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このところ根を詰めていた再校作業が終了し、今日、原稿をクロネコに託しました。併せて、某新聞社から依頼されていた書評の校正(これはごく簡単)も終わったので、今日はもう解放感横溢! っつーことで、今日は午後から地元の市立図書館で、ちょいと調べ物をしながらまったり雑誌などを楽しもうと思っていたのですが・・・ ガーン! 緊急事態宣言で臨時休館ですと! まあ、仕方がない。 とはいえ、なんかまったりしたいという気持は抑えられず、結局、家内とコメダに行ってお茶をすることに。久しぶりにシロノワール食べたけど、おいしいわ~。で、コメダ備え付けの雑誌とかをむさぼり読んで様々な情報をゲット。へえ、この近くに新しくカフェが出来たんだ~とか、そのレベルの情報ですけどね。 ま、いいのよ。ひと仕事終わったんだから。このね、ひと仕事終わった後の、グダグダ過ごす感じ。これがたまらん。 とはいえ、もう一つ書評を書かなければいけないし、まだまだ自分の仕事も山積み。とりあえず書評を片付ける方向で、あすからまた頑張ります。
September 7, 2021
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そうか、いよいよ河野さんが総理か・・・。 河野さんって、ワタクシの中学時代の後輩なんだよね! どうだろう、ここは一つ、昔のよしみで、総理就任の暁にはワタクシを文部科学大臣とかにしてくれないだろうか。そしたらこの国の文部行政は劇的に良くなると思うよ! すなわち、大臣の権限で就任当日に「文科省自体を解散!」する。アホなことしかしてこなかったこの国の文部行政が、これで一気に改善するよ~! 閑話休題。 この頃なんだか「ケンタッキー・フライド・チキン」が食べたいなーって。なんか、そういう時ない? で、今日の夕食はケンタにすることにし、私が大学からの帰り道に4ピースパックを買って帰ったわけ。 で、それを買う時に思ったのよ。「4ピースで足りるかな?」と。家内と半分ずつだから一人2個だもんね。2個・・・夕食としてはちょっと少ないんじゃないかなと。 でも、まあ、いいかと思って、そのまま買って帰り、食べてみた。すると・・・ ひゃー、2個でも持て余す~! ううむ、そうか~。ジジイとなったワタクシには、もはやケンタ2個は多い位なのか・・・。いやあ、ちょっと前まで、2個くらいペロリだったような気もするのだが・・・。 ってなわけで、すごく久しぶりにケンタッキーを食べて、思いのほか我が身の衰えを感じてしまった今日のワタクシなのであります。カーネル軍曹! あなたのチキンは、若者向けだったのねー・・・。
September 6, 2021
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今、拙著の校正作業で忙しいのですが、この忙しい最中、まる一日半もかけて私が何をやっておったかともうしますと・・・ 母の第二句集の編集でーす、ガーン! 前からどうしよう、やろうかやるまいか、考えていたんですけど、考えるだけ面倒臭いからもうやることにした。 今、母は89歳。っつーことは、来年の2月で90歳。卒寿ですわ。ならば、それをお祝いするのに、二冊目の句集を作ってあげるのが一番喜ぶんじゃね?というわけで。 母も今はコロナでどこへもいけないし、動かないから体力も落ちてしまって、近所のスーパーに歩いていくのがやっと。今、そんな状態だと、この先、旅行なんかも行けやしないでしょう。そんなことをしているうちに、介護ホーム行き、なんてことになったら、もう人生の楽しみなんかありゃしない。 一方、句集を出すとなれば、例えば収める俳句をどれにするとか、表紙はどうするとか、本のタイトルはどうするかとか、そういうことを考える時間、よほど楽しいじゃないですか。90歳の誕生日まで、それを楽しんだら、それだけで結構有意義な時間を過ごせるというもの。 とはいえ、4年前に第一句集を作った時より大分、気力・体力が衰えた母のことですから、ゼロ発信で企画をスタートさせるのはちょっと骨。 ということで、今回はもう私の方で9割方作ってしまって、母には微調整だけ頼もうかなと。 ま、そんなことを考えて、昨日と今日で9割方編集を一気に終わらせちゃった。 まあね、第一句集を編んだ時に、候補作リストを作っておいたのよ。で、そこから第一句集の俳句をとったわけですが、まだ残りが結構沢山あった。だから、今回はその残った奴をガッツリ使ったという次第。 で、今回は卒寿祝いなので、句集自体を90ページで編集することにし、「あとがき」まで入れてきっちり90ページになるようにする芸の細かさ。そこはもう、抜かりない。 さて、とりあえず大まかなところは完成したので、今度、帰省した際にでもチェックしてもらって、年内くらいには表紙まで含めて完成させようかなと。 1日半、めいっぱい、全集中して作業していたので、疲れちゃったけど、まあ、これもかあちゃんのためだ、えんやこーらってことで一つ。
September 5, 2021
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10月に出す新著のカバーと帯が出たのですけど、これがまた、まあーーーーーカッコいいんですわ。 ワタクシもね、これでイッパシ、「表紙デザイン研究家」っていう肩書も持っているもので、本の表紙には五月蝿いのよ。だから、自分の本の表紙デザインともなると、「おまかせ」なんてことはありえない。 っつーことで、今回は某・有名装丁家の方にお願いすることになったのですが、その装丁家だって、「この人のデザインが好きだから」という理由でその人にお願いしているわけだし。 で、さらにその方には、こちらの希望として「こういう色ベースで、こういう感じで」というのをちゃんと伝えておいたわけ。自分の好みのデザインをいくつか見本としてお渡しし、こういう系の方向性でお願いします、というところまで、ちゃんとお伝えした上で依頼しておいたと。 で、そういう経緯を経て今回、表紙(案)が出てきたのですが、まあ、これが。こちらの思惑を十分汲んでいただいた上に、さらにその上を行くセンスの良さ。もう、超絶カッコいい。あー、やっぱりこの方にデザインを依頼してよかった~、って感じ。表紙だけで、魂持って行かれそうよ。 で、その表紙には帯が付くのですが、その帯がまたね。実にいいのよ。でまたその帯に、とある有名な方に惹句を書いていただいたのですが、それもまたカッコいい。 もう、今日はこの表紙と帯の見本を、1時間置きに眺めては、悦に入っております。ま、あと一か月でこの本も書店に出回りますから、その時はね、皆さんもご覧くださいませ。 ということで、最後の校正作業にも力が入るというもの。あともう一息、頑張ります。
September 4, 2021
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今朝は面白い夢を見ました。 どこかのビュッフェ形式のレストランに家族で行くことになり、私と家内が一台、母と姉と義兄と姪が別の一台という具合に、別々のクルマでそのレストランに向ったわけ。 で、私と家内が先に着いたのですが、最初のうち他の客が居なくて、あらまあ、貸し切りかと思っていたら、次第に混み出した。で、次々と席が埋まって行って、両隣のテーブルも他の客に取られてしまった。 で、母たちは遅いなあ、これじゃあ、空いたテーブルが無くなってしまうではないかと思い、私も家内も注文もせず、会話もなく、無言のまま、ソワソワ、もじもじしていたんですな。 で、隣のテーブルに年増のマダムと30代くらいの若い男のカップル(どういう関係?)が座ってビュッフェを楽しんでいたのですが、その年増のマダムの方が、私と家内の方をチラッチラッと見てくるわけ。特に家内のことを。 で、そのうち、そのマダム、相手の男に耳打ちをし、その男が席を立ったなと思っていると、なぜか戻ってきたその男が抹茶アイスの大きなパフェを一つ、私の家内の前にドンと置いた。 で、我々が驚いていると、そのマダム曰く、家内に対して「もう最初から言うことは決まっているでしょ」と。そう言うと、マダムとその連れは立ち去って行った。 どうもね、そのマダムは、我々が別れ話をしているんだと思ったらしいのね。 で、えーーーー、違うよ~と思ったところで目が覚めた。もうなんだか可笑しくて、笑いながら起きちゃった。 ま、それはともかく。 今日、もうひとつ「えーーーーー」っと思ったのは、「神保町の三省堂が営業終了」という悲しいニュース。 ウソ!! マジか・・・。 私が大学生になって神保町の(古)本屋街に出入りするようになった頃、だから1983年とか、そのくらいだと思いますが、その頃、まだ神保町の三省堂は完成したばっかりのピカピカでしたけどねえ。今から40年近く前のことですが・・・。 あの頃、神保町で新刊本を買おうと思ったら、三省堂か東京堂、冨山房、書泉グランデ、岩波の信山社、まあ、ざっとその辺りでしたなあ。この中では冨山房がなくなり、信山社がなくなり、そして今度は三省堂か。書泉はちょっと実務的というか、さほど趣がない書店なので、こうなると東京堂が頑張ってくれているのが唯一の救いですな。 東京堂と言えば、昔、凄い店員さんが居て、「〇〇という本、ありますか?」と訊ねると、それがどんな本であれ、一直線に「ここにあります」と案内してくれたもんですわ。あと、東京堂の昔のエレベーターは乗り心地が良くてね。 三省堂は・・・、そうね、趣という点ではさほど思い出はないですけど、でもまあ、あの辺では断トツに一番大きな書店でしたから、頼りにはなる書店でした。東京堂や冨山房に当たって、それでも探している本がない時は三省堂、みたいな。 それがねえ、老朽化で建て替えか・・・。 まあ、そりゃそうか。当時、紅顔の大学生だったワタクシも、今じゃ定年間近のおっさんだからね。膝が痛いだの、肘が痛いとか言ってるわけだし。 でも、建て替えってことは、また新たにあの場所に新しいビルで出店するってことなのかな。 まあ、三省堂のない神保町ってのも、あまりにも寂しいので、出来ることなら新しいビルとして、またピカピカのお店を出店してもらいたいものでございます。
September 3, 2021
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海野弘さんが書いた『癒しとカルトの大地』(2001)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、「カリフォルニア・オデッセイ4」とあって、前の3冊(『LAハードボイルド』『ハリウッド幻影工場』『めまいの街』)に続き、まだこの後に『ビーチと肉体』『ハイウェイの誘惑』と続くカリフォルニア・オデッセイ群の一端をなすものらしい。カリフォルニアをテーマに、よくまあ、これだけ精力的に書くものですなあ。 で、本作『癒しとカルトの大地』で扱われる話題は、神智学&ニューソート、シャーリー・マクレーン、サイエントロジー、ビートと禅、ブルース・リー、エサレン研究所とビッグサーといったテーマで、まあ、私にとって興味のある主題ばかり。ということで勇んで読み始めたのですが・・・。 うーん。どうかなあ。 まあね。面白く無くはないんです。いや、相当面白い。面白いんだけど、ちょっとまとまりがないかな。情報は有り余るほど盛り込まれているんだけど、どれも散発的というか、あれもこれもの総花的過ぎて、うまく一つのストーリーに収斂していかないというか。だから、この本を通読しても、何か一つのことを学んだという印象が持てない。その意味で、料理を提供されたというより、素材を見せられた、って感じですね。 っつーことで、以下、いずれ自分の料理を作るための素材を箇条書き風に挙げておきましょう。〇『チベットの死者の書』のヴェンツの師匠、マダム・ティングレーは、本名キャサリン・ティングレーという。〇1875年にブラヴァツキーは神智学協会を作るが、この同じ年、メアリー・ベーカー・エディは『科学と健康』を出版史、クリスチャン・サイエンスを興している。〇「ブラヴァツキーは、古代から、宇宙と人間の秘密についての知が、賢者たちによってひそかに伝えられてきた、という。それをもとにして、各時代にさまざまな宗教がつくられた。しかし、それらの元が一つであることが忘れられてしまった。今こそ、あらゆる対立を捨て、共通の根源にもどらなければならない。神智学協会はその普遍的な知を学ぶ機関なのである。その目標は、人種・宗教・身分のちがいをこえた友愛精神、あらゆる宗教の比較研究とそこに共通する知の提示、各人の内にひそむ神的な力の開発、といった三つを中心としている。」(16)〇1891年にブラヴァツキーが没し、神智学協会の分裂が始まる。ヘンリー・S・オルコットとウィリアム・Q・ジャッジが対立。インド系神智学はオルコットとアニー・ベザントによってアディアルで続けられ、一方アメリカに残ったジャッジは、キャサリン・ティングレーを後継者とした。〇1896年、ジャッジが死没し、アメリカの神智学のリーダーはティングレーとなる。ティングレーは理想郷を作るべく、カリフォルニアはサンディエゴのロマ岬に330エーカーの土地をもとめ、1897年からそこに本部を建設。世界中の特長的な建物が立ち並ぶ、いわばハリウッド的なものとなった。ティングレーはここにコロニーをつくったが、その後、各種スキャンダルもあり、ティングレーがこの地を離れると、ロマ岬のコロニーは崩壊。ティングレーも1929年に没している。〇カリフォルニアがカルトの牙城になるのは、1900年頃から(29)。カリフォルニアがカルトに選ばれたことには様々な理由があるが、その一つは、ここが霊的なパワースポットであるという認識があったためで、その理由として、カリフォルニアこそ失われた「レムリア大陸」の端であるという伝説があるから(30)。〇アトランティス大陸については、プラトンが言及するなどの例があるが、こうした古代大陸の話題は、1880年代に復活し、20世紀に入って盛んになる。その震源の一つがブラヴァツキー夫人。彼女は『シークレット・ドクトリン』において、アトランティス人の理想国家について語っていた。神智学にとってアトランティスは理想郷だった。後にエドガー・ケイシーがアトランティスについて語るのも、神智学の影響と考えられる(31)。アトランティスは大西洋にあるので、太平洋にも幻の大陸が必要となり、それがレムリア大陸となった。〇レムリア人は4つのコロニーをつくったとされる。それがサンノゼ、サンタバーバラ、カーメル、シャスタ山。よってこの4つが、カリフォルニアの中でも特に聖地とされている。レムリア人は黒い女神カリフィアを崇めていたといい、そこからカリフォルニアの名がついたという説がある(32)。〇20世紀に入ると、神智学と共にもう一つ、ニューソートがカリフォルニアに入ってきた。もとはニューイングランドはボストンで発生したので、ニューソートはもともと「ボストン・クレーズ」とも呼ばれた(40)。(その後、クインビーやエディの解説あり) キャリー・マクウィリアムズによるとニューソートがカリフォルニアで流行するのは1915年から(42)。要するに1870年代のボストンの状況が、1920年代のカリフォルニアの状況に流れ込んだ(55)。〇神智学は魂を導くマスターを求めるのに対し、ニューソートはあくまで個人の中の潜在能力を重視するものだった(43)。〇で、この神智学とニューソートのカリフォルニアへの導入が、その後、この地がアメリカ中のカルトを呼び寄せる要因となった(45)。1930年代には南カリフォルニアに300から400のカルトがあった(57)。〇ナサニエル・ウェストの『イナゴの日』は、1930年代にカリフォルニアにカルトを求めて大挙してやってくる人々の話、という風にも読める(99-100)。〇オルダス・ハックスリーがカリフォルニアに来たのは、W・H・ベイツの視力トレーニング法を試すためだった(101)。ベイツ・メソッドは、眼鏡をはずし、裸眼を鍛えるというものだったが、それは視力の弱いものからすれば、外界を断ち切って内面を見ることに他ならない。ハックスリーは元々物理療法だったベイツ・メソッドを通じて、内なる光を見つめる精神的セラピーへと転換した(101)。〇サイエントロジーはカリフォルニア的、ハリウッド的カルト。SF作家のロン・ハバートが考案したこのカルトだけに、ネーミングも巧みで、当時流行の『サイバネティックス』をおそらく模したであろう『ダイアネティックス』(1950)なるベストセラーを自分たちの聖書として発展。SFと宗教のミックス(152)。〇サイエントロジーは、心を「分析心」と「反応心」に分け、前者は未来へ向かう創造的な力、後者は過去の精神的トラウマの呪縛を受けたものと考える。反応心(エングラム)を脱し、分析心によって新しい自分に変身するというのがサイエントロジーの目的となる。その際、より解放された、自由な状態を「クリア」と呼び、一つのクリアに達すると、次のクリアを目指すことになる。またエングラムを脱するには、過去にリターンし、傷を辿る必要がある。そのためにオウディティングというカウンセリングを受けることになる。一つのクリアに到達すると、次のクリアを目指すというのが、ゲーム感覚で、これに上達することが、信者を夢中にさせる。また、当初は『ダイアネティクス』を読めばその要領が分かるため、自己流の信者が増えたことから、ハバートは免許制にした。かくして、宗教的なサイエントロジーが生まれた。全コースを修了するには数百万円かかるなど弊害もあったが、ハリウッドのお金持ちなど、個人的で豊かな知的エリートを惹きつけた(156)。〇ちなみにハバートによると、人間はかつてセタンという不死の神々の種族であったものの、今はその記憶を失って堕落している。したがって本来の人間、セタンに戻らなければならない。そのためにオーディタ―に導かれ、原始の記憶を取り戻して現在の呪縛を脱し、クリアに達するべきであるという(161)。〇一方、同じカルトでも、ガイアナの虐殺を引き起こしたジム・ジョーンズの「人民寺院」は、サイエントロジーと逆で、黒人など、差別される人々のためのカルト(ただし、上層部は白人で固められるなど、矛盾もあった)で、ジョーンズも元は真面目な宗教家であり、例えばハーヴェイ・ミルクをバックアップする活動などもしていた。〇1962年に、うお座の時代が終わり、みずがめ座の時代になると言われていた(166)。〇チャールズ・マンソンは一時、サイエントロジーに夢中になっていた時期がある(169)。〇西海岸に仏教の拠点が出来たのは、大陸横断鉄道の建設で中国人労働者が大挙してこの地に来たため。当時は浄土宗が中心だった(187)。〇1893年のシカゴ万国博の時、世界宗教会議が開催され、若き鈴木大拙がアメリカに紹介され、11年にわたって仏典を訳し、その解説書を書いた。そして1950年代に再びアメリカに戻り、禅ブームを起こす(187)。〇「なぜ禅仏教はこうもアメリカ人を魅了したのであろうか? たぶん、アジアにおけるのと同じ理由からであろう。すなわち禅が、自己鍛錬や瞑想や教えによって、自己の存在を精一杯活かし、人生に充足感を見出すべきであるという教えを打ち出していることに。禅は現在に生きるべきことを説くが、これはまさにアメリカ人の多くが共有している考え方である、禅仏教徒にとっては、今・ここの体験の質が最も重要なものと考えられている。禅の悟りは、日々の体験の奥深い意味の発見にある。こうした生き方は、たとえその人自身の宗教を守り通したとしても、受け入れることのできるものだったのである――マドゥ・バザーズ・ワング『仏教』より」(187)〇ケルアックの『ダルマ・バム』は、この時代の自称修行僧の好例と言える(188-9)。〇1960年代に入ると、日蓮宗がアメリカに広められる。日蓮宗の信者は、自らの知恵と慈悲と生命力をのばしてゆけば、次第に存在のより広い次元にまでそれらが及んでいくようになると信じている(マドゥ前掲書)。(189) つまり禅から日蓮宗への変化は、ヒッピーからニューエイジの変化に対応する。〇1965年、アジア人排除法が廃止されたため、アジアの宗教家がアメリカに行くことが可能になった(その逆もある)。さらにチベット問題で中国がチベットを併合し、さらに文化大革命によって宗教を弾圧したため、チベットの高僧がアメリカに亡命した。またカンボジアでも協賛主義政権のクメール・ルージュが宗教弾圧した。これらがあいまって、アジアの宗教家がアメリカに逃れることが多かった(190-1)。〇アメリカ最初の禅センターは、1920年代のカリフォルニアとニューヨークに開かれた。第二次大戦後、ニューヨークに「ファースト・ゼン・インスティテュート・オブ・アメリカ」が解説され、ケルアックやスナイダーなどのビート詩人に影響を与えた。また1959年、鈴木俊隆が曹洞禅の桑港寺の第六世住職となり、こことサンフランシスコ禅センターで1971年に没するまで禅を指導した(193)。〇またビッグ・サー近くのタサハラにタサハラ・ゼン・マウンテン・センター(禅心寺)が1966年に完成し、温泉と自給自足の野菜を使った精進料理を出して評判となる。また『タサハラ・ブレッド・ブック』『タサハラ・クッキング』という本が出てベストセラーとなった(193)。〇ハックスリーは1937年にヴァカンスでアメリカを訪れ、気に入ってそのまま居ついた。視力の回復にカリフォルニアの気候が良いと思われたから(206)。またロサンゼルスの北、オハイにはクリシュナムルティが居て、ハックスリーは親しかった。というのも、クリシュナムルティは絶対的な師弟関係を否定しており、教団や結社に興味がなく、それはハックスリーと同じだったから(207)。〇ブルース・リーの妻リンダによると、ブルースは、ノーマン・ヴィンセント・ピール、ナポレオン・ヒル、W・クレメント・ストーン、ギュラ・ディーンズ、マックスウェル・マルツの信奉者だった(214)。ゆえに彼のクンフーは、自己啓発と重なっていた。また彼はアラン・ワッツのファンで、ワッツのラジオ・テレビ番組を録画し、弟子に見せたりしていたという(219)。〇ブルース・リーのジークンドーが、クンフーとボクシング、柔道や空手を統合したものであったように、その理論には中国哲学のみならず、そこにヒル、ワッツ、クリシュナムルティなどの思想を取り入れたものであり、彼にとってのタオ(道)は、60年代のヒッピー的、ニューエイジ的な背景の中で形成されたものであった(217)。また彼は歴史上、誰よりも多くの西洋人の目を東洋に向けさせたのみならず、20世紀後半のハイパーフィットネスのボディ・カルチャーを先取りしていた(218)。〇パールズのゲシュタルト療法は、過去に原因を求める精神分析とは異なり、「今・ここ」に目を向けさせるものだった(263)。〇マイケルらがスレート温泉に目を付けた頃、温泉の管理をしていたのは、『ヘルズ・エンジェルス』『ラスベガスをやっつけろ』で名高いゴンゾー・ジャーナリスト、ハンター・トンプソンだった(264)。 ・・・とまあ、こんなところかな? こうして自分にとって面白かったポイントを並べてみると、結構タメになったなと。 っつーわけで海野弘さんのこの本、この種のことに興味があれば、という条件付きですが、教授のおすすめ、と言っておきましょう。
September 2, 2021
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恩師本、当初は9月中に出る予定でしたが、諸々の事情により、10月半ばの刊行が決定した模様。ということで、現在は再校の校正作業中。 今回は再校をもって著者校了となるので、もし誤りを正すのであれば、これが最後のチャンス。というわけで、慎重に慎重に作業を進めておりますが、原稿執筆の時点からしてあれだけ何回も読み直し、間違いのないようにしたつもりだったのに、初校校正を潜り抜けたケアレスミスが幾つも見つかり、その度に命の縮まる思いをしております。 今回、一番縮み上がったのは、人名の記載ミス。「シュプーン」という人名を、私は「シュプール」などと誤って記述したまま、再三にわたる見直しにも気づかなかったという。なに「シュプール」って。スキーか?! まあ、でも、これだけ読み直して、さすがにもう直すべきところはないかな。(あったりして・・・) 今回の本は、主として恩師が雑誌や新聞に書き散らした文章を私が取捨選択して編纂したものなんですけど、今回、再校として読み直してみて、その取捨選択の部分に関しては、自分は正しい選択の仕方をしたという自信が出てきました。その点に関しては、前々から「恩師の文集として、恥ずかしくないものになっただろうか」という疑問に付き纏われてきたんですけど、今回、「なった」という結論に至りました。これで過不足ない、これ以上足すこともないし、引くこともできない、という自信を持つことができた、と言いましょうか。そこは今回、再校として読み直しての、収穫だったかな。 さて、本文に関しては、ほぼ見直しが終わったのですが、実はここからが再校の目玉でありまして、そう、著作目録のチェックをこれからやらなくてはならないの。これは細かい作業になるので、ちょっと骨。だけど、一応は研究者の端くれとして、目録に誤りがあると学術的な価値が下がるからね。ここは一つ、気合を入れないと。 ということで、明日から数日はその作業に忙殺されることになるでありましょう。ま、仕事的な側面から言えば、これがこの夏休みのハイライトかな・・・。
September 1, 2021
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