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コロナでどこにも行けませんが、それでも県内で、あまり密にならないところで、少しはGWっぽいことをしたいと思い、今日は家内を連れて刈谷市美術館で開催中の「ミロコマチコ展」を見てきました。これこれ! ↓ミロコマチコ展 私も知らなかったのですが、この人、彗星のように登場した、今をときめく・・・なんだろう、装丁家にして絵本作者にして、とにかく芸術家です。 たとえば無印とか、伊勢丹とか、大手とコラボして紙バッグやボックスをデザインしていたり、有名な作家の本の装丁をしていたり、雑誌の表紙を担当していたり、既に相当の活躍をしているみたい。 あと、絵本も大胆な色使いとエネルギー溢れるストーリーで、読めば元気が湧いてくること請け合い。これこれ! ↓けもののにおいがしてきたぞ [ ミロコマチコ ]オオカミがとぶひ (こどもプレス) [ ミロコマチコ ] それにしても、いつも思うことですが、刈谷市美術館ってのは、よほど腕のいいキュレーターが居るに違いない。例えばゴッホ展とか、ピカソ展とか、そういう大金がかかる展覧会は呼べないけれど、限られた資金の中で、面白いところに目を付けたいい展覧会をしばしば開いてくれる。今回のミロコマチコ展なんて、その好例だな。 というわけで、今日はミロコマチコのエネルギッシュな展覧会を見て、大いにインスパイアされ、GWらしい一日を堪能したワタクシなのであります。
April 30, 2021
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私の通っている道場では、今年から師範は全員袴を履くことになったため、私も今は袴を履いて稽古をしているのですけれども、やっぱり袴っていいものだなと、つくづく思うようになりました。 まず、何よりもカッコいい。道着は道着でかっこいいですけど、そこに袴が加わると、締まるというのか、緊張感が出るというのか、気が引き締まる感じがする。その引き締まり方が、カッコいいわけ。 あと、感心するのは、袴というものの構造ね。 袴って、要するに和装なわけですが、私なんかが日ごろ触れる和装って、出張かなんかでビジネスホテルに泊まった時、寝る時に着る浴衣だったりするわけですよ。 で、あの浴衣って、寝る時はまだいいとして、翌日の朝起きた時、なんかダラダラにはだけちゃってカッコ悪いこと甚だしいじゃないですか。だから、袴なんてものも、それを履いて稽古なんかしたら、ダラダラになって脱げちゃったりするんじゃないかと思っていたわけよ。 ところが、さにあらず。 実際に袴を身につけて見ると、これがね、めったなことでは脱げないし、ダラダラにならないのね。結構激しく動いても、きちっとしているのよ。 要するに、紐の締め方とかが、物理的にうまくできているんでしょうな。だから、稽古中に着崩れることはまったくない。 昔の日本人の知恵ってのは、凄いもんだよね・・・。ほんと、感心するわ。 というわけで、今日も袴姿も凛々しく、稽古をして参りました。 ま、そのカッコいい袴姿に見合うほど、技も切れればいいのですが、そこはまだなまくらでありまして。でも、ま、頑張ります。
April 29, 2021
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今日は教授会があったのですが、今や教授会は政府の意向で大学の意思決定の場ではなくなり、単に学長(執行部)が一方的に報告をする場になってしまいまして。何か発言したって、「ご意見として承っておきます」とあしらわれるだけなので、もう、誰も何も発言すらしなくなってしまった。以前の教授会では、数時間にわたって激しい討論が繰り返されたこともありましたが、今は1時間もしないで終わってしまう。 というわけで、今や有名無実化した教授会に参加する実質的な意味はなくなったので、私はテキトーに本を持ち込んで1時間弱の読書時間にすることにしております。 で、今日、教授会に行く前に研究室の書棚を見渡して、何を読もうかと思っていた時、目についたのが坪内祐三氏の『ストリートワイズ』という文庫本。よし、これなら1時間、暇をつぶすにはもってこいだ。 ま、そんな気楽な読書だったので、1ページ目から読まず、適当に開いた頁から読み始めたのですが、そうやって適当に開いた頁に、こんなことが書いてありました。 「ところで私は、都内のある女子短大で週二コマ、出版文化史についての授業を受け持っている。ジャーナリズム専攻の学生たちであるから、(中略)ベストセラーには関心が強い。しかし関心が強いといっても、今時の学生たちのほとんどがそうであるように、非常に無知である。この場合の無知とは、知識や教養がないというのではなく(それは、もちろん、そうなのだが)、「雑学」的に無知だということだ。自分が生まれる前のことは何も知らない。生まれてから十年ぐらいのことも何も知らない。いや物心ついたあとも、自分の身のまわり半径五十センチぐらいの関心事しか覚えていない。」(242-243頁) どうよ。昨日、このブログに書いたことと、まーーーったくおんなじことが書いてある。ほんと、その通りなのよね~。 で、そういう無知・無関心な世代が台頭するにつれ、ベストセラーというものから日本社会の今を占うことが難しくなってきた、という話になり、それでも強いてそこから世相を読み取るとすると・・・という話になっていくんですが、なかなか面白い考察でした。 ま、その他、あちこち拾い読みしていたんですけど、この本全体を通じての基調音として、ベストセラーから世相を斬るという側面があるんですな。で、そんな話の流れの中で、この時代にベストセラーとなった野口悠紀雄氏の『「超」勉強法』のことに触れ、こういう本が売れるということは、今、新たな教養の在り方を求める人々がいるのだろうと分析しつつ、しかし、自分としてはこの手のマニュアル本など、読まなくても内容が分かるし、自分が本当の教養と思うものはこういう本の中にはない、というような趣旨のことを書いている。 で、その後日談として、上のようなことを書いたら、「読まなくても内容が分かるとは失礼な!」という趣旨の野口悠紀雄氏からの「公開抗議」が来た、という話が続いて、そんなの相手にするつもりはなかったけど、野口氏があまりしつこいので敢えて答えるが・・・という話になる。このあたりの話も面白かったんですけど、実はこの辺りのことを書いていた時に、坪内さんは自分が「評論家」になったという自覚を持ったというあとがきを読んで、なるほどなあと。 というわけで、まだごく一部しか読んでいないんですけど、内容的に私には興味のあることばかりで、これはGWを前にして、我ながら、なかなかいい本を本棚から掘り出したなと。 そう、真の読書家にとって、自分の本棚とは、読んだ本を置いておく場所ではなく、読んでない本を掘り出す場なのよ。これぞ、積読のメリットでありましてね。 ま、とにかく、坪内さんの本、おすすめです。これこれ! ↓送料無料【中古】ストリートワイズ ええっ?! 『ストリートワイズ』って、坪内さんの代表作の一つじゃないかと思うのだけど、もう絶版になっているの???
April 29, 2021
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昨年度後期の授業アンケートっていうのが出たのですけど、これ見ると、私が行なったオンデマンド授業の学生受けのいいこと。ほぼ絶賛。っていうか、対面で授業やっていた時よりむしろ評判がいいってどういうこと? だったら、今後、ずーーっとオンデマンドで授業やった方がいいじゃん。 とはいえ、文科省がやれやれってうるさいので、今期は対面で授業をやっております。 で、オンデマンドにはない、対面授業の良さといえば、授業中に、ちょっと脱線できるところではないかと。 っつーことで、昨日のアカデミー賞の発表を受け、本日の対面授業中に、ちらっと映画にまつわる雑談を混ぜたのですが、実際にやってみると、これがなかなか雑談にならないわけ。 例えば『Judas and the Black Messiah』が候補に挙がっていたので、「ブラックパンサー」って知ってる?って聞いてみたけど、全員知らないと。じゃ、マルコムXは? って聞いたら、一人も知らなかった。キング牧師は?って聞いたら、20人中2人位知っていたのですが、「じゃ、キング牧師って何をした人」と聞くと、「演説した人」だそうで、何の演説かは知らないと。だから、もちろん公民権運動のことも知らないし、アメリカの黒人差別がいかに過酷だったかも知らない。 っていうか、今、まさに行われている「BLM」のことすら、何のことか明確には知らない。 『Mank』について、『市民ケーン』がらみの映画だけど、『市民ケーン』知っている?と聞いたら、知らないと。もちろん、オーソン・ウェルズが誰だかも知らないと。ハーストの名前も聞いたことがないと。 『アナザーラウンド』のマッツ・ミケルセンは知らないし、彼が出た『007カジノロワイヤル』も観たことないし、『ハンニバル』も知らない。この映画のタイトルの「ラウンド」が何を意味するか、もちろん知らない。レクター博士つながりで主演男優賞のアンソニー・ホプキンスのことも聞いてみたけど、知っている学生は皆無。もちろん『羊たちの沈黙』も知らない。 女優賞のフランシス・マクドーマンドは知らないし、旦那のコーエンも知らない。コーエン兄弟がどんな兄弟かも知らない。『ファーゴ』も観たことないし、『スリー・ビルボード』という映画があったことすら知らない。 ついでに言うと、アメリカにシカゴという都市があることも知らないし、シカゴで活躍したアメリカを代表するギャング、アル・カポネも知らない。カポネが収容されたサンフランシスコのアルカトラズ刑務所も知らないし、『アルカトラズからの脱出』という映画も知らない。当然、クリント・イーストウッドなんて人のことは知らない。だから『ダーティ・ハリー』も観たことがない。 サンフランシスコがらみで「アッシジの聖フランシスコ」も知らないし、彼が鳥と話せたことも知らない。 シカゴという地名は「アメリカ・インディアン」の言葉に由来すると言っても、そもそも「アメリカ・インディアン」が何を意味するかを知らず、アメリカに住んでいるインド人のことだろうと思っている。 要するに、知識ゼロパーセントなのよ。どこまで行っても、どこまで掘り下げても完全なるゼロ。 「何かを知る喜び」っていうのは、自分がもともと持っていた知識と、新たに仕入れた知識との関係性が了解され、点と点が結びついて線になった瞬間に生じるものじゃん? だけど、「もともと持っていた知識」がゼロの場合、何を足しても線にならないのよね。だから、もう私が何を言おうが「ぽっかーーーん」とした顔をして、「この人、何を言っているのだろう? さっぱり分からないけど」感アリアリで学生たちに見つめられると、もう何を言えばいいのか分からなくなってくる。 ギリシャ時代の遺跡に、「近頃の若いもんはなっとらん」という落書きがあった話は有名だし、昔から年寄りは若い連中のことを不甲斐ないと思うものだけれども、しかしねえ。どうやったら、ここまで無知になれるのだろう? 想像を絶する無知の壁を前に、なすすべのないワタクシなのであります。やっぱり、オンデマンドに戻したいな・・・。
April 27, 2021
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WOWOWでアカデミー賞の授賞式を見ていたのですけど、やっぱり下馬評通り『ノマドランド』が強かった。ワタクシはね、そこまでの作品とは見てないですけどね。 とはいえ、候補作の中で観たのはこれだけですから、他の作品がどの程度の出来かは分からない。そのうちに他の候補作も順次日本で上映されるでしょうから、それを楽しみにしましょうか。 ちなみに、外国映画賞を取った『アナザーラウンド』は、ちょっと面白そうでしたね。マッツ・ミケルセンが出るだけでも、見たくなる。日本上映は9月らしいですから、これも楽しみ。 しかし、今回、授賞式を見ていてちょっと驚いたことがありまして・・・。 といっても、主演男優賞をアンソニー・ホプキンスが獲ったことに驚いたんじゃないですよ。 そうじゃなくて、ワタクシが驚いたのは、ハリソン・フォードの老けぶり。もう、なんか、本当のおじいさんじゃないの・・・。 ワタクシが中学生の頃、『スター・ウォーズ』で初めて見たハリソン・フォードは実に若々しかったけれど、それがもう見る影もない。 ワタクシ自身、精神年齢が中学校時代からあんまり変わっていないので、自分のことは完全に棚に上げているんですけど、それにしてもワタクシが中学生だった頃、自分よりちょっと年上くらいに思っていたハリソン・フォードがあんなに老けてしまったことに大ショックですよ。 えーー。ということは、ワタクシもじきにああなるの? マジか?! ショック・・・。
April 27, 2021
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なんかこのところ、ワタクシの時計たちが受難でして。 先月の卒業式の折、ティファニーの腕時計をしていこうと思ったら電池切れ。ならばロレックスをと思ったら、竜頭が壊れてしまってネジが巻けない・・・。卒業式にスポーティーなブルガリもアレかと思い、結局普段使いの腕時計をそのままはめていったのでした。 ところが、その普段使いの腕時計がまた電池切れを起こしまして・・・。前は家の近所に時計屋さんがあったので、すぐに電池交換できたのですが、そのお店が撤退して以来、どこへ持って行けばいいのやら。コロナ禍以降、名古屋の街中に出ないですからね。 で、あれやこれやで今、とりあえず腕に嵌めているのは、なんとなんと、中学入学時に親に買ってもらったシチズンの腕時計。今から半世紀近く前のシロモノでございます。 昔はね、小学校から中学に上がる時に、儀式的な買い物ってのがあったわけですよ。 例えば、学生鞄。それから万年筆。そして、腕時計。 思い出すけど、小学校6年生の3学期。そろそろ中学だというので、腕時計を買ってもらうわけですよ。で、その買ったばかりの腕時計を嵌めてきて、俺のはセイコーだ、俺のはシチズンだと、互いに自慢しあったものでございます。 で、ワタクシはあまりメーカーにはこだわらず、デザインだけで決めたのですが、それがシチズンの腕時計で、もちろん当時はクオーツなんてありませんから、自動巻き。懐かしい。 で、中学時代3年間、ずっと嵌めていたその時計が今、急場しのぎに役に立っているというのだから、国産の時計ってのは持ちがいいもので。 なんかね、それで当座、間に合っちゃっているので、今まで使っていた普段使いの時計の電池交換が、ますます面倒になってきたという。 というわけで、なんとなく懐かしさもあって、しばらくはこの中学時代に親に買ってもらったシチズンの自動巻きを使ってみようかな、なんて思っている今日この頃なのであります。
April 25, 2021
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なんか、最近の日本のアメリカ文学畑からとれる作物って、もう、「小説を面白く読む方法、教えます」的な本ばっかりになっちゃったなあ。 最近で言うと、柴田元幸先生のこれとか。物語を楽しむ (英文精読教室 第1巻) [ 柴田 元幸 ]他人になってみる (英文精読教室 第2巻) [ 柴田 元幸 ] あるいは阿部公彦先生のこれとか。英文学教授が教えたがる名作の英語 [ 阿部公彦 ] その他、こういうのとか。英文解体新書 2 シャーロック・ホームズから始める英文解釈 [ 北村 一真 ]英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで (中公新書 2637) [ 北村 一真 ]ヘミングウェイで学ぶ英文法 [ 倉林秀男 ]オー・ヘンリーで学ぶ英文法 [ 山本史郎 ]オスカー・ワイルドで学ぶ英文法 [ 倉林秀男 ] 要するに、アメリカ文学研究で長年培った「読解力」の何たるかを、世間の人に教えてあげましょう的な。まあ、いい傾向だとは思いますよ。小説は面白くて奥深いんだから、その面白さ・奥深さを共有しましょうという方向性の本ですからね。タコつぼ的な研究よりよっぽどいい。 でも、この手の本がやたらに出るようになったということと、学会の大会で発表する人が減り、学会誌に寄稿する人も減り、どちらも「慫慂発表・慫慂論文」ばっかりになっちゃったっていうことと、根っこは同じなんじゃないかって気がして仕方がないなあ。
April 24, 2021
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往年のボーイズ・グループ、ベイ・シティ・ローラーズのボーカルであったレスリー・マッコーエンが亡くなりました。享年65。 私は小学校5年生の時に、明確に「これからは洋楽一本に絞ろう」と決意して、当時洋楽でヒットしていた曲、例えばポール・マッカートニー&ウィングスやスタイリスティックス、キャプテン&テニールやダイアナ・ロス、クイーン、バリー・マニロウ、ロバータ・フラックあたりに夢中になる一方、邦楽とはほぼ絶縁した経緯がありまして、邦楽なんか聴いている同級生たちのことは鼻で笑っていたわけですよ。 ところが中学生になった頃、ベイ・シティ・ローラーズの大ブームが日本でも巻き起こり、同級生たちまで洋楽を聴き始めた。 で、洋楽に関しては3年ほど先を行っていたワタクシ的には面白くないわけでありまして、お前ら何を騒いでおるのだと。ベイ・シティ・ローラーズ?? そんな素人みたいなバンドの曲聴いて面白いのか? たとえばクイーンと比べてみたって、実力が違うではないか。っていうか、そもそもこんな素人バンドを聴く前に、まずビートルズの全アルバムを聴いてからモノを言えと。 まあ、鼻もちならない、嫌なガキだよね! しかし、ともかく当時13歳のワタクシとしては、こんなチャラチャラしたバンド、どーでもいいわ、と当時は思っていたんですけど、しかし、それでも日本はおろか世界中でタータン旋風を巻き起こしただけあって、「サタデー・ナイト」とか「バイバイ・ベイビー」とかはポップス系ロックとしてよくできた曲ではありましたね。それに、あの曲を耳にすると、何はともあれ、自分自身のティーン・エイジャーだった頃の感覚が、痛いように蘇ることは確か。それは認めざるを得ない。 それにしても、ワタクシが13歳だった頃のレスリー・マッコーエンって、二十歳そこそこだったんですな。もっと年上だと思っていたけれども。ちょっとお兄さんくらいだったのか・・・。 当時はあまり関心がなかったけれど、日本に洋楽を定着させたという点では大きな貢献があったレスリー・マッコーエン氏のご冥福をお祈りいたします。合掌。これこれ! ↓ウルフマン・ジャックがローラーズを紹介!バイバイ・ベイビー
April 23, 2021
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今、アサヒ・スーパードライの「生ジョッキ缶」というのが話題だそうで。 私もCMで見て、これは面白そうと思って買ってみようと思ったのですが、もちろん、同じことを考える人が多かったらしく、とっくの昔に売り切れと。 しかし、アレだよね。缶ビールなんて、もうこれ以上、発展のしようがないだろうと思っていたけど、あるんだねえ・・・。缶の開き方を劇的に変えるって、目の前にあることなのに、今まで誰も思いつかなかったんだからねえ。そこに目を付けたってのは、大したもんだ。 ま、それでビールの味まで美味しくなるのかは、飲んで見ないと分からないですけど、とりあえず一回は試してみたいな。 文学研究だって、まだまだ面白い視点ってのはあるはずなんだけどなあ。それも、どこか遠くにあるのではなく、目の前にあるんだろうからね。それを見つけられるかどうか。 生ジョッキ缶でも飲みながら、考えようっと。
April 23, 2021
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前に実家で蕎麦を食べた時、作ってくれた姉が「どうよ、どうよ」と言うので、「いや、旨いよ」と言うと、最近、「久原のあごだし」というのにはまっているとのこと。そう言われて味わうと、確かに旨い。 蕎麦つゆとして使うには、4倍に希釈するだけでOKとのことですが、その他の料理にも色々使えるらしい。 で、名古屋に戻ってからも、姉からお土産に持たされたこのだしを使って、家内があれこれ料理をしてくれるのですが、先日も、なんか今日の汁物は旨かったな、と思ってそう言うと、実は久原のあごだしをちょこっと入れた、なんて種明かしがされたりなんかして、あ、これ、ほんとに旨いんだと思うことしきりでございます。 ってなわけで、このだし、教授の熱烈おすすめ! でございます。マジで使ってみて!これこれ! ↓久原醤油 あごだしつゆ 500ml
April 21, 2021
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今日はまた、恩師の未見の文章を見つけちゃった。 恩師の別な文章を読んでいたら、「このことは年鑑にも書いたことだが・・・」みたいなことが書いてありまして。 年鑑? 先生は年鑑に執筆していたのか? そんなの見たことないぞ?! で、年鑑にも色々あるけれども、どうせ『朝日年鑑』に違いないと見当をつけ、1970年代後半の『朝日年鑑』を見たら、「アメリカ文学」についての年間動向を記してある項目があり、読むといかにも恩師の文章。しかも巻末の執筆者一覧を見ると、先生の名前が載っている。 なるほどね。先生はこの時期『朝日年鑑』にその年のアメリカ文学の動向を執筆していたんだ・・・。 っつーことで、またしても恩師の業績を一つ、付け加えることができたのでした。ここまで来ると、もう執念だよね。 さて、話は変わりまして、アホな学生のお話し。 今期、翻訳の授業が一つあって、文学作品を実際に自分で翻訳してみるという課題を出し、出てきたものを全員で検討して最良の訳をつける、というのをやっているんですけど、第一回の授業でこういうことがありました。 まあ、かなりダメダメな訳が一つ出たわけですよ。訳もいい加減だし、原文にあることを端折って訳したりしている。 で、それに加えて「です・ます調」で訳してあったので、「大人向けの小説を翻訳するのに、です・ます調はないんじゃない?」と指摘すると、「それがどうしていけないんですか?」と。 で、「でも翻訳ものの小説で、です・ます調のものなんか読んだことないでしょ? それにあなたの訳だと、まるで子供向けの童話みたいだと思わない?」と言うと、「翻訳ものの小説を読んだことがないから分からないけど、そういう訳があってもいいのではないですか? 文学に答えは一つじゃないんでしょ?」と。 答えは一つじゃないから、傍から見て変な訳に見えても、私がこれでいいんだからそれでいいでしょと。それの何がいけないんですか? っていう。 嫌なこという女だねえ・・・。 そりゃね、もちろん「正しい訳が一つだけある」というものじゃないですよ。色々な可能性があり得る。だけど、その中で、原文の意味合い・ニュアンスを上手に日本語に移し変えるにはどうすればいいか、あーじゃないこーじゃないってさんざん悩みながら、それでも今の時点の自分の考えではこれが最善、という暫定的な答えを出しあって、それを他の人の訳と比べたりしながら、更に改善点はないかどうか検討する、そういう努力の積み重ねを、今、しようとしているわけじゃん? つまり、答えが一つに定まらないからこそ、考えに考え抜いて、最善を目指して暫定的な解を出す努力をしているわけよ。 それをだよ、いい加減でヘンテコリンな訳を作っておいて、「答えは一つじゃないから、どうして私の訳が間違っていると言えるんですか?」なんて、よく言えるよなあ・・・。こいつは、「答えは一つじゃない」ということを「免罪符」に使って、努力をしないで済む口実にしているだけじゃん。 若い人が、こういう知った風な口のきき方をするのって、ホント嫌よ。
April 20, 2021
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恩師の文集を編纂していて、壁にぶち当たっているのですが、恩師の文章の載った新聞記事のコピーは持っているのだけれど、その新聞が何新聞なのかが分からないという。 ヒントは、題字です。 恩師の記事は、その新聞の文化欄に載っているのですが、その文化欄の題字として、福田清人という作家の揮毫による「文化」という字が書いてある。 で、福田清人とは何者か調べると、どうも児童文学の作家らしい。 ということで、では、1976年か1977年に、児童文学者「福田清人」が「文化」という文字を揮毫している文化欄を持っていた新聞は、一体何新聞なのか? 万が一、万が一、このブログをお読みの方で、「それは〇〇新聞だ!」と、ピンとくる人がいらっしゃいましたら、コメントしてください! どうぞよろしくお願いいたします。
April 19, 2021
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明らかにコロナ第4波が到来しているようですけど、その対策として中途半端なマンボウなんかでいいんですかね? むしろ非常事態宣言より強力なロックダウンとか、した方が良くない? 大学も、文科省が対面やれやれっていうので、私も今期は対面でやっているんだけど、教室を埋める学生見てると、全員がコロナ・ウイルスに見えてきて恐怖だよ! 未曽有の危機にあるんだから、大学の授業も2年間はずっとオンラインで行こうよ。それを望んでいる学生も多いって話じゃないの。 ま、それはともかく。 例の恩師の文集を作るので、50年くらい前の新聞・雑誌等に載った記事を探しているんですけど、これがね、結構、難しいんですわ。 例えば50年くらい前に開かれた学会のプログラムとかを見たいと思っても、どこにもないの。たった半世紀前の話だよ?! もちろん、物持ちのいい個人がそれを持っている可能性はあるけど、公的機関にはそれがない。国会図書館にもないし、学会自体が持ってないっていうんだから、もうどこにもない。わずか半世紀前のことが、もう分からなくなっているっていうわけよ。 いやあ、文明国でそんなことってあるの? っていうか、少なくとも歴史的観点から見た場合、半世紀前の記録すら残っていないこの国は、文明国なの? 半世紀前のことと、石器時代のことと、あんまり変わらないっていう。半世紀前のことは、すでに考古学の守備範囲だっていう。それがこの日本という国なのよ。 半世紀前のことが考古学なんだから、それよりもうちょい前のこと、例えば南京大虐殺は本当にあったのかとか、731部隊というのが本当は何をやっていたのかとか、従軍慰安婦ってのは本当はどうだったのか、なんてことが、今、正確に分からないっていうのも、さもありなんだよね! ちゃんとした記録が残っていれば、「そういうことは確かにありました」と言うか、「単なる根拠のないデマです」と言うか、どちらかハッキリできるのにね。 天変地異の多い我が国は、「記録なんか残しておいても意味ない、どうせ定期的に焼け野原になったり、津波や洪水で流されたりするんだから」ってな感じで、歴史に対する信頼が伝統的に薄いわけですけれども、しかしねえ。わずか半世紀前の記録がちゃんと残ってないんじゃ、近代国家としてどうなの?って思いますよね、思いません? 文科省も、コロナ禍でも対面やれ、とか、そんなアホなことばっかり言ってないで、国の中の出来事の記録をちゃんと取って置くという、当たり前のことをちゃんとやってほしいわ。
April 18, 2021
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親友のTが面白いといい、ついで家内が面白いというもので、ついに私まで読んでしまったギョーム・ミュッソの『パリのアパルトマン』。本国フランスでは、『その女アレックス』のピエール・ルメートルと並び称されるほどの人気作家の作品とのこと。 まあ、サスペンスものなので、あまり細かいことは言えませんが、一応簡単に小説の冒頭の粗筋を言うと(ネタバレ注意!)、アメリカの人気劇作家ガスパール・クタンスと、イギリスの女刑事マデリン・グリーンが、それぞれの事情を抱えてパリに滞在することになり、双方アパートを借りたら、そのアパートがダブルブッキングで、同じアパートで鉢合わせすることになった、というところから話が始まります。なんか、安っぽいテレビ・コメディみたいな始まり方です。 で、これが安っぽいテレビ・コメディだと、この後二人は喧嘩を繰り返しながらも仲良くなって・・・という展開になるわけですが、本作の方ではどうもクタンスとマデリンの相性がことのほか良くないらしく、最初から本格的な喧嘩ばかり。 ところがそんな二人を、意図に反して離れられない状態にしたのは、二人が借りたアパルトマンの元の持ち主、天才画家のショーン・ローレンツであったと。 元ニューヨークで地下鉄やら何やらにグラフィティを描いていたショーンですが、彼にとってのミューズたるペネロープに出会ってから作風が一新。それによって才能開花し、その絵が高額で取引されるような高名な画家になってしまうんですな。 ところがここである不幸が起こる。彼の幼い息子ジュリアンが誘拐され、母親ペネロープの眼の前で惨殺されるわけ。で、息子を溺愛していたショーンは、以後、絵を描くことをやめ、ペネロープとの仲も悪化してしまう。そして心臓病にも襲われて、結局亡くなってしまったと。 で、そんなショーンの過去を知るほどに、クタンスもマデリンも、ショーンの作り上げた芸術の虜になってしまうんですな。 そこへもってきて、絶望して絵を描くことをやめていたはずのショーンが、実はその最晩年に再び絵筆をとっていたということが判明する。 では、その彼が最後に描いた絵は一体どこにあるのか。そしてなぜ絶望していたはずのショーンが、再び絵筆を執る気になったのか。 この最初の謎が解けた時、クタンスとマデリンの運命もまた、思わぬ方向に向かうことになる・・・ ・・・ってな話。 ま、読み物として面白いですよ。最後の結末なんて、おそらく誰も想像しないようなものですしね。 だけど、うーん、どうだろう。ワタクシ的には・・・ピエール・ルメートルの方が好きかな。 しかし、それはともかく、ルメートルとミュッソを読んで、フランスの刑事もの、サスペンスものの感じが少し分かってきました。ちょっと猟奇的なニュアンスを入れ込むってところが、なんか共通しているというか。 ところで、ミュッソの代表作としてはもう一つ、『ブルックリンの少女』というのがあるそうなので、ついでだから、これも読んでみようかな。これこれ! ↓パリのアパルトマン (集英社文庫(海外)) [ ギヨーム・ミュッソ ]ブルックリンの少女 (集英社文庫(海外)) [ ギヨーム・ミュッソ ]
April 17, 2021
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さっき、WOWOWで小津安二郎の『東京物語』を10回目くらいに観たんですけど、何度観てもいいねえ。こういうのが「映画」だよね。これに比べたら、最近観た『ノマドランド』なんて話にならない。素材だけで、料理になってない。まだ若い監督さんだけど、もうちょっと過去の名作映画を勉強してもらわないと。 閑話休題。 さて、今計画している本のために、1970年代の新聞を漁って読んだりしているんですけど、目指す記事を探す間、たまたまそこに載っている記事に目がいって、つい読んでしまったりする。すると、これがまた、驚くべきことが書いてあったりするのよ。1970年代半ばって、今から半世紀ほど前ってことになるわけだけど、世の中の様子が今とは大分違うわけ。 例えば、その頃の朝日新聞の読者投稿欄にこんな話が載っていた。 投稿者の奥さんは、密かにずっと日記を書き続けていたのだけど、もちろん日記だからごくプライベートな思いとかを書きつけてあるのであって、誰にも見せたことはない。 ところがある時、自分の夫にその日記の存在を嗅ぎつけられたと。 で、その夫が、それを読ませろといい、奥さんは嫌がったのだけど、その夫は奥さんから力づくで無理やりそれをもぎ取ると、奥さんの目の前で勝手に読み始めてしまった。で、奥さんは読まれたくないことまで読まれてしまって恥じ入るばかりだったと。 で、長時間読み続け、全部読み切ってしまった夫は、「お前にも苦労をかけたね」と優しい言葉をかけてくれたんだそうで、それが奥さんにはとても嬉しかったと。 つまり、この記事を投書した奥さんは、これを夫自慢として、いわば美談として、これを世の人々に伝えたかったんですな。 いやあ・・・。半世紀前には、これが美談になるんだ・・・。 これ、もし今だったら、夫が妻の日記を、本人が嫌がっているのに無理やりもぎ取って読んでしまうなんて、パワハラというのかモラハラというのか、トンデモない話であって、そんなの美談になるはずがないじゃん? そういうことがありました、なんて、ブログとかにアップしたら、非難ごうごうでしょう。 半世紀前の日本て、これが美談になるような、そんな感じだったっけ・・・。 まあ、ちょっと昔の新聞読み返すと、こういう感じの違和感がすごいよ。逆に、その違和感があまりにもすごいので、つい、怖いもの見たさで読みふけっちゃうんだけど。 パワハラだ、モラハラだって、あまり騒ぎ立てる今の風潮もアレだけど、夫による妻の日記強奪事件が美談になるような社会も、それはそれでイヤなもんですなあ。
April 16, 2021
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昨夜レイトショーで今年度アカデミー賞最有力候補とも目される『ノマドランド』を観て来ました。以下、ネタバレ注意です。 アメリカの西の方、ネバダ州のエンパイアという町は、かつて石膏の産地として栄えたんですけど、時代の変化と共に産業として成立しなくなってしまった。企業城下町の中心であった会社は無くなり、社員は全員解雇、町は寂れ、ついには町の郵便番号すら無くなってしまう。つまり一つの町全体が消えてしまったと。こうなると、「エンパイア(帝国)」という町の地名も、皮肉に聞こえます。 そんな中、今は亡き夫との思い出ゆえにこの町を離れられず、代用教員をしたりしながら辛うじて生計をたてていた主人公・ファーンも、ついに町を出なくてはならなくなる。そこで彼女は家財道具一式をバンに積んで季節労働者となるんですな。クリスマス・シーズンになればアマゾンの倉庫で発送業務に携わったり、夏になれば国立公園のトイレ清掃係になったりしながら、そうした一時仕事を求めてアメリカ西部を放浪する。もちろん彼女とて定職に就きたいんですけど、年齢や資格の点で問題があり、そういう一時的な仕事をノマド的に渡り歩くしかない。 で、そうやってノマド生活をしていると、アメリカには同じような暮らしをしている人たちがいっぱいいる。そういう人達が集まるコミュニティーもあって、そこでは同じ境遇同士、助け合いをしながらの交流がある。ファーンもそういうところに参加するようになって、少しずつ「ノマド仲間」ができていくと。 で、またそういうノマドの人々には、それぞれ、そうならなくてはならなかった背景の物語ってのがある。幸福な家はどこも同じようだけれど、悲しい家にはそれぞれ個性的な事情・物語がある。ノマドの連中は、そうしたそれぞれの事情を背負って、放浪しているわけですな。そういうのが、映画の展開と共に少しずつ明かされていく。 中には、ノマド生活を卒業する人もいます。例えば、あまり父親らしいこともできずに疎遠になっていた息子夫婦から呼ばれて、家族で一緒に暮らすようになる人とか。そうやって、中には再び自分の定住先を見つける人もいる。 で、ファーンにもそういうチャンスがないわけでもないんですな。彼女がそれを望めば、もう一度、何らかの形で定住生活をするチャンスは何度かある。 だけど、ファーンはその道を選ばない。生まれ持った性格というのか、貧しくとも、不都合な暮らしを強いられても、それでも自由がある方がいい、というのもある。それと同時に、やっぱりまだ夫と暮らしたエンパイアの町の日々が忘れられないというのもある。ファーンには、まだ背負ったまま捨てられないものがあるわけ。だから彼女は、今はまだ、定住する気にはなれない。新しい生活に入ったら、古い生活を捨てなくちゃいかんわけですからね。それをするだけの心の準備が、まだファーンにはできてない。 そうして、彼女は、最後にもう一度、廃墟となったエンパイアの町を訪れ、幸福な時を過ごした社宅を今一度訪れ、長年、その家のベランダからさえぎる物なく見ていた山並み、その山並みを目指してバンのハンドルを握る。 ま、そんな話。 主役のフランシス・マクドーマンドにはぴったりの役柄だし、アメリカ西部の風景もきれいで、小細工なしのドキュメンタリー的なところも説得力があって、面白いことは面白いです。現代アメリカの、貧しい方の一側面も、リアリティをもって描かれているし。それにアメリカ伝統のロードムービーの趣というのか、ノマドの立場から見ると、逆に定住している連中の生活がつまらなそうに見えてきたりして、貧しいから可哀想という感じにはならないところもいい。ある種の人たちにとっては、ノマド生活の自由さの方が性に合っているんだ、ということもよくわかる。 ただ、二回観る映画ではないかな、と。それは、例えば『ゴッドファーザー』が100回観ても面白く、観る度に何か新しいことを発見する、というようなのと比べると、本作はそういう類の映画ではないと思う。 だからね、もしこの映画が今度、アカデミー賞の作品賞とか監督賞を獲るようだと、ちょっとね、それはないんじゃないかなと、ワタクシは思います。映画って、もうちょいそれ自体の物語(フィクション)があるもんじゃないのか、と。『ノマドランド』は、ちょっとノンフィクション過ぎますよ。 女性監督、しかも中国系ということで、本作がそういう主要な賞を獲る要素はありますけど、そういうところで罪滅ぼし的に時代に阿ったようなことはしないで欲しい。監督の性別とか国籍とか、そういうのは無視して、作品自体の内容で判断し、もしアカデミー賞の基準に達しなかったら、「該当作品なし」にしてほしい。 それが映画の殿堂の誇りというもんじゃないの?これこれ! ↓ノマドランド予告編
April 15, 2021
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最近、YouTube で見つけたこの動画にはまっておりまして、仕事に飽きると見ています。これこれ! ↓I didn't poop. I peed! 小さい子供って、面白いね! しかも、お父さんが笑い過ぎて涙を流すのを見て「悲しいの?」と心配するあたり、こんなに小さくても思いやりがあるんだなあと感心するばかり。
April 14, 2021
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元関脇・麒麟児が亡くなりました。享年67。引退した力士ってのは、どうしてこう、早死にする人が多いのでしょうか。 麒麟児は、いわゆる「花のニッパチ」ですから、北の湖と同い年。しかし、憎々しい面構えの北の湖とは異なり、麒麟児はまるで相撲人形のようなベビー・フェイス。しかもその相撲は、勝っても負けても清々していて気風が良く、当時私は小学校高学年でしたが、好きな力士の一人でした。 麒麟児は突き押しの人、突き押しだけの人でしたが、従来の突き押しタイプの力士とちょっと違って、突っ張りの回転が速かった! 扇風機のようにきれいに速く回転する突きで、相手を防戦一方に追い込む相撲は、キレがあって気持ちのいいものでした。四つ相撲が取れない人ですから、関脇が最高位でしたが、名関脇と言っていいのではないでしょうか。 で、麒麟児の時代、先輩にやはり突き押しの鬼、富士櫻というのが居て、この両者が対戦する時は、互いに突き押し自慢ですから、とにかくポンポン、ポンポン、ひたすら突き押しだけで勝負をつけようとする。観客もそれが分かっていますから、この二人の対戦は本当に盛り上がった。 特に盛り上がったのは、昭和50年夏場所の天覧相撲の時。これこれ! ↓麒麟児対富士櫻の天覧相撲 昔の相撲は、「今場所は誰が優勝するか」ということだけでなく、中堅力士同士のライバル関係とか、下位力士同士のライバル関係ってのがあって、それぞれレベルでの面白さがあったものでございます。いい時代でした。 そんな風に、私が子供の頃、華やかに土俵を盛り上げてくれた名関脇、麒麟児のご冥福をお祈りいたします。合掌。
April 13, 2021
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先日、ニトリで買い物をした時、枕を買ったんですわ。そしたら、あーた、これがまさに「お値段以上」。これこれ! ↓ホテルスタイルまくら 標準(Nホテル2) ニトリ 【玄関先迄納品】 【1年保証】 〔合計金額11000円以上送料無料対象商品〕 なんつーの? 肌ざわりのしっとり感といい、頬ずりしたくなる柔らかさといい、いい感じです。それでいて、柔らかさの中にも芯があると言いましょうか。「ホテルスタイル」とはよくぞ言った、という感じ。高級感あります。 これでこのお値段なら文句なし。教授のおすすめ!です。
April 12, 2021
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今朝はこんな夢を見た。 何か、琥珀色の液体が入ったアンプルを私は手にしているのだけれど、なんの薬品か分からない。 それで、とりあえずアンプルの首をポキッと折って見たら、中の液体が不用意にページの開いた雑誌の上にパッと飛び散ってしまった。 で、あ、しまったと思って、液体に濡れてしまった雑誌をつまんで、液体を払おうとしたら、なんと、雑誌に印刷されていた様々なフォントの文字が、それこそ音を立ててパラパラっと床に落ちた。 それで、ああ、この液体は、書かれた文字を落とす液体だったんだ、と気づいた。 すると、誰か知らない人が、「それ、ほくろにも使えるよ」と教えてくれたので、たまたま近くにいた人のほくろにその液体をつけて見たら、やはりほくろがパラパラっと床に落ちた。 なるほど、顔に書かれた文字も落とせるのかと納得。そして、ならばこの液体を美容用に売り出したらいいんじゃないのか? きっと売れるぞ! と皮算用を始めたところで、目が覚めた。 夢の中でも金儲けかよっ! 一体どこまでわしは亡者なんだ! さて、現実のワタクシは、今日も今日とて金儲けにならないことを一心にやっておりました。 そう、恩師本の推敲ね。まったく、何度目の推敲かわかりゃしない。世の中に、これほど何度も書き直す人っているんだろうか。 でも、さすがにこの段階になってくると、作業自体はそれほどイヤではない。というのも、推敲に推敲を重ねていくにつれ、段々、文章の精度が上がっていくのが自分でも分かるから。今のところ、精度97%っていうところかな。あと一息、あと一息だよ。 ま、あと一息のために、まだあと20回くらい書き直すんだけどね。 それでも、この調子だと4月中には、本文の方は何とかなるかな。後は、業績リストの方だけど、これはまだ難関があって、5月一杯かかりそうな気がする。でも、そうしたら入稿だ。今年中には確実に本になる。 ま、そういう楽しみがないとね。こんなシンドイこと、やってらんないよ。
April 11, 2021
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先日、実家に帰っていた時に父のお墓参りで多摩墓地に行ったのですが、たまたま道の脇に白い花をつけたタンポポが目に留まりまして。 タンポポと言えば黄色いものと思っていたもので、これはどうせ外来種なのだろうと多寡をくくっていたんですけど、とんでもない、あとで調べたらこれは立派な日本古来のタンポポで、四国や九州では当たり前にあるものなのだとか。なーんだ、そうなのか。その時テキトーに写真に撮って置いたのを、「これは珍しい純国産のタンポポなんだ」と思って眺めると、黄色い普通のタンポポよりもむしろより可憐に見えてくるという。 ま、ただそれだけの話ですけど、特に関東地方では珍しい白花タンポポを見たとなると、なんかラッキーな感じがしてきます。墓参りをしたもんで、父が我々に返礼をしてくれたのかな? ところで、まったく話は変わるのですが、これまた最近、岡崎武志師匠の『読書の腕前』という新書を読んでいて、『我が名は、ジュリー』という中公文庫の存在について教えられまして。 これ、エッセイストの玉村豊男さんが、36歳当時の沢田研二さんにインタビューした、そういう聞き書きタイプの半自叙伝のようなんですが、中公文庫にかつてそんな本が入っていたということ自体、知らなかった・・・。 っていうか、そもそも私は玉村豊男ファンなのであって、彼の書いたエッセイは大概読んでいるし、この種の聞き書き自叙伝(例えば矢沢永吉の『成りあがり』とか)も好きで、さらに同世代で一時代を築いた芸能人の自伝(山口百恵の『蒼い時』や、杉田かおるの『すれっからし』など)、割と興味があって読んでいる方なんですよ。だからこの三条件が全部ミックスした『我が名は、ジュリー』は、私の最も好むところの本であるはずなんですけど、今の今までこの本の存在自体を知らなかったという。 存在に気付いてしまった以上、読みたーーーい! だけど、今、この文庫本は絶版で、古本で買おうとすると最低でも1万5千円、高いのになると90万円ですからね。 90万円の文庫本! そんなの買えるわけないじゃん! もう、アレだ、中央公論新社に頼んで、この文庫を復刊してもらうしかない。中公さん! どうか『我が名は、ジュリー』を復刊して!
April 10, 2021
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今日はワタクシの誕生日! 誰かおめでとうって言って! さて、誕生日が来てもあまり嬉しくない年代に入っているワタクシではあるのですが、一応、今日はちょいと豪華にフレンチで外食してきました。なにせお店も8時で閉まってしまうので、早めにね。 で、もうこの歳になると、誕生日プレゼントがどうのこうのというアレではないのですが、それでもなんかちょっとでも買うかということになり、いいもの買ってもらっちゃった。 何かと言いますと、保温スープジャー。そう、広口で350ミリリットルくらい入る保温容器ね。これこれ! ↓スープジャー で、新学期の始まりに際し、これからはこのスープジャーに、例のデトックス・スープを入れて大学に持って行き、お昼にそれを飲もう(食べよう)という狙い。 先日、このブログでも紹介した脂肪肝を改善するためのデトックス・スープ、あれからずっと、ほぼ毎日飲んでいるんですわ。今年こそ、徹底的に脂肪肝を治そうと思っているもので。実際、これを飲んでいるせいか分かりませんけど、結構痩せましたよ。多分、既に3キロくらい痩せたのではないかと。 というわけで、来週からはこのスープジャーにデトックス・スープ詰めて出勤! これがワタクシのこの春に備えての準備というわけでございます。
April 9, 2021
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最近、「文学ユーチューバー」なる人たちの存在に気づき、なるほど、そういうのが成り立つのか、と、ちらちらとYouTube を見ております。これこれ! ↓スケザネ本棚 ま、他にも種類はあるのかもしれませんが、私が見ているのは、結局、本棚自慢というか。自分が買って所蔵している膨大な量の本を見せるというのが基本。 確かに、他人の本棚を見るというのは、興味深いところはある。実際、そういう本もありますからね。知識人の書棚・書斎を写真で見せる類のムック本とか。かく言うワタクシもそういう本、何冊か持ってますし。 だから、自分の書棚の自慢のコレクションを見せ合うというタイプの YouTube があるのは、一応、分かるわけですよ。 で、思ったんだけど、学会も最近、つまらない発表ばっかりだし、いっそ、研究発表なんかやめて、それぞれの研究者が自宅・研究室のコレクションを自慢するとか、そういうプログラムにしたらどうなんだろうと。 あるいは、学会の全国大会とかで、研究者同士、古本の即売会を開くとか。あるいは交換会とかね。お前の持っているその本と、俺の持っているこの二冊の本、二対一トレードしないか? とか、そういうの。 そんなのをやったら、少しは学会にも活気が出るんじゃないかと。定年間際の老先生が、蔵書の大量処分するよー、とか。 ま、少なくとも、最近の活気のない学会は、文学ユーチューバーたちに負けているよね。そこ、なんとかしないと。
April 8, 2021
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先日、家の近くで一昔前の新書版ベストセラー、即ち『人は見た目が9割』『バカの壁』『生物と無生物のあいだ』をそれぞれ110円でゲットし、前2冊については既に感想もブログに記したのですけれども、ついに3冊目の『生物と無生物のあいだ』も読んじゃった。 で、読む前には、これは書下ろしの新書で、生物学者の福岡さんが、何か啓蒙的な意図をもって何等かの生命現象なり、新しい発見なりを解説している本なのかと思っていたのよ。でも、読んでみたら全然違いました。そもそもこの本は、講談社の販促雑誌である『本』に長期連載されていた生物学エッセイをまとめたものなんですな。だから、何か一つの意図をもって一直線に何かを解説しているというのではなく、福岡さんが生物学の最前線で仕事をしてきた、その仕事の内容やそれにまつわるエピソード、時にはその背景となる歴史的経緯などを、素人にも分かるように面白く語った随筆なわけ。その意味では、別に新書の体裁をしている必要はなく、むしろ単行本として出版されていてもいいくらい。 それはともかく・・・ 先日読んだ『バカの壁』があまりにもレベルの低い内容であったのとは打って変わって、福岡さんの『生物と無生物のあいだ』は、名著でした。 科学者の中にも文学的センスのある人はいて、例えば日本だと古くは寺田寅彦とか、その弟子の中谷宇吉郎とか、最近だと『春の数え方』を書いた日高敏隆さんとか、美しい随筆を書く人がいるわけですけど、この福岡伸一という人も明らかにその系譜。文章が美しい! 文章が美しいということは、世界をそれだけ深く観ているということでもあり、だからより一層、優れた科学者だということになるのだろうと思うのですが、福岡さんの筆にかかると、ロックフェラー研究所の静かな廊下も、ニューヨークの街の喧騒も、ボストンの静謐も、千葉の新興ベッドタウンの身替りの速さも、それぞれの趣の違いこそあれ、まざまざと、それこそ読者の目や耳や鼻に情景や音や匂いまで伝わってくるほどに、描き分けられてしまう。見事の一言。この人は文才あるわ~。 で、そのおそるべき文才を縦横に使いながら、なぜ人は生物と無生物を瞬時に見分けるのか、という大きな問いへの答えを福岡さんなりに探っていく、そのうねうねとした道筋が描かれていく。その途上には、同じ問いへの答えをさぐらんとして奮闘した過去の科学者たちそれぞれの生き方も描かれ、あるいはまた科学の最前線でライバルよりも一足先に答えを出そうと日夜研究を続ける緊迫の実験競争の描写もあり、そしてまた生物や細胞の世にも不思議な生態の解説もありといった具合で、読者をまったく飽きさせない。 で、最後の方で、とある実験が期待された成果が出ずに終わるのだけど、その失敗した実験によって、むしろ生命の驚くべきあり方に触れる、というところがあって、そこはちょっと感動的だったりもする。 いやあ。これはちょっとビックリするほど面白い本でした。これは売れてしかるべきというか、大いに読まれるべき本でございます。科学者を目指す中学生くらいが読んでもいいし、科学とは無縁の文系の読書好きが読んでも絶対に面白い。この本のレベルを10とすると、『人は見た目が9割』はレベル2、『バカの壁』はマイナス30、っていう感じでございます。もちろん、教授のおすすめ!よ!これこれ! ↓【中古】生物と無生物のあいだ /講談社/福岡伸一(新書)
April 7, 2021
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相変わらず恩師のエッセイ集の編纂に汗を流しております。 ところで、我が師匠・大橋吉之輔先生には、大橋健三郎先生という戦友がおりまして、アメリカ文学界では「W大橋」として名高かった。 で、その大橋健三郎先生が、晩年(最晩年ではない)の1998年に『心ここに』という本を出しておられまして。これ、二分冊になっていて、片方は「文芸批評集」、もう片方は「エッセイ集」となっている。どちらも結構分厚い本であります。 となると・・・当然、私としては非常に気になるわけですよ。だって私が今計画している大橋吉之輔先生の学術的エッセイ集に非常によく似たものを、健三郎先生の方はもう既に出しておられるというのですから。 っつーわけで、ライバルの情報を偵察すべく、私も健三郎先生の本を入手して、ちょいと研究してやろうと思い立ったと。 で、アマゾンで買おうと思ったんですけど、えらく高い値段がついていたので、ヤフオクで落札することに。だって、ヤフオクでは二冊あわせて600円で売ってたんだもーん。もう、貧乏人にはヤフオクでしか本は買えません。 で、私が落札したその二冊の大部な本が今日届きまして。早速繙いてみた。 で、この本が成立した事情が分かったのですが、どうも大橋健三郎先生の御弟子さんの一人が松柏社という出版社にこの本の企画を推薦し、松柏社がこれを受けたことで企画が成立、あとは健三郎先生が三十年間に書き溜めた文章を貼り付けた15冊のスクラップ・ブックをもとにご自身で収録する文章をセレクトし、出版社の協力の下、現在ある形に落ち着いたと、まあ、そういうことらしい。 なるほどね。要するに、羨ましいくらい、すいすいとことが運んだわけだ。 それに引き換え、私のこの苦労は一体何?(涙) しかし、こう言っちゃ悪いけど、多分、この本、あんまり売れてはいないと見た。アマゾンにレビューは一つもなく、読書メーターにもない。カーリルによると、東京の図書館ですら、この本を所蔵しているのは10館ほどしかない。 よーし。まだ戦える。わしの編む本は、売上げの点で必ず大橋健三郎本を越えて見せる。 というわけで、偵察の結果、ますます鼻息荒くなってきた今日のワタクシなのでありました、とさ。これこれ! ↓心ここに(エッセイ集) [ 大橋健三郎 ]心ここに(文芸批評集) [ 大橋健三郎 ]
April 6, 2021
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昨夜、WOWOWで2010年の映画『ナイト&デイ』を観ちゃった。 この映画、もう数回は観ているんですけど、何回観ても面白い。私はトム・クルーズ映画の中でも三本の指に入れてもいいと思っているんですけど、一般には失敗作と思われているようで。意味が分からん。アクション映画として断然面白いじゃないか! ところで、問題はこの映画のタイトル、『ナイト&デイ』なんですが。 「ナイト」の方は分かるのよ。トム・クルーズ演じるFBIエージェントのロイ・ミラーの本当の姓が「Knight」だから。だから『ナイト&デイ』のナイトは分かる。 じゃあ、「デイ」は何? 映画の中でトム・クルーズの相手役となるキャメロン・ディアスの劇中名は「ジューン・ヘイヴンス」で、「ジューン・デイ」ではない。ならばなぜ「ナイト&ヘイヴンス」ではないのか? もちろん「night & day」という日常語を踏まえているのは当然ですけれども、なんだかしっくりこないなあ・・・ ・・・と思っていたんですが、その時パッとひらめいた。 キャメロン・ディアスの「ディアス(Diaz)」はスペイン語の「日(dias=day)」という意味だからだ! だから「Knight」がトム・クルーズを、「Day」がキャメロン・ディアスを指すんだ! それで『Knight & Day』なんだ! ・・・と思うんだけど、これ、ひょっとして常識? 気付いてなかったのはワタクシだけ? まあ、そうかもしれないけど、とにかく謎が解けたのはいい気分。なるほどね~!これこれ! ↓【中古】初限)ナイト&デイ エキサイティングバージョン BD&DVDセット 【ブルーレイ】/トム・クルーズブルーレイ/洋画アクション
April 5, 2021
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世はレモンサワー・ブームだそうですが、実は我が家でもにわかにレモンサワー・ブームが湧き起こっておりまして。 その一つのきっかけは YouTube の番組である「ごちそうさまチャンネル」で、料理研究家の栗原心平さんがしょっちゅうレモンサワーを飲んでいて、それがいかにも美味しそうだった、ということがある。これこれ! ↓ごちそうさまチャンネル ま、それはともかく、レモンサワーですよ。今、世の中には無数のレモンサワーが出回っておりますが、その中で自分にとって一番美味しいのはどれなのか。それを突き止めたいなと。 で、最初に飲んでみたのは、「氷結」ね。まあ、とりあえずフムフムと。 次に評判の「檸檬堂」(一番ベーシックな奴)を飲んでみた。これはねえ、ちょっと甘すぎるかな。 そしてサッポロの「レモン・ザ・リッチ(ビターレモン)」を飲んだのですが、うーむ、これは割と好きかも。 次に飲んだのはサントリーの「ストロングゼロ ビターレモン」。これはちょっと苦みが強すぎたかな・・・。 とまあ、今のところそんな感じなんですけど、これまでのところではサッポロの「レモン・ザ・リッチ」の圧勝。これこれ! ↓サッポロ レモン・ザ・リッチ ビターレモン 350ml缶 バラ 1本【在庫限り】【リニューアル前品】 とはいえ、まだまだ種類が沢山ある。今後も少しずつ試してみて、自分好みのレモンサワーを開拓していく所存。またいずれ、すごいのに出会ったら、報告します。
April 4, 2021
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昨夜見た夢はなかなか面白かった。 友人と話をしていたら、その友人が「ドミノの論文ピザ、もう食べた?」というので、「論文ピザ? なにソレ?」と尋ねると、「え? まだ知らないの? 自分が書いた論文って、今、ピザになっているから注文できるんだよ」と。 論文がピザになる?? どういうことだろうと思いながら、とりあえず自分が大昔に書いた論文をドミノに注文してみたところ、しばらくしてそれが届けられた。配達員曰く、「はーい、1989年に書いたオコナー論のピザでーす」。 で、開けてみると、やけにシンプルで具のない、チーズばっかりのピザだった。クワトロ・フォルマッジォ的な。食べてみると、ピザ生地の耳のところがやけに硬くて、大昔、スーパーとかで売っている冷凍ピザってこんな感じだったなあと。 ともかく、自分の論文をピザとして注文できることはこれで分かった。とすると、もっと最近に書いた論文はもう少し具の豊富な、美味しいピザになっているのかな? 今度はそれを注文してみよう! と思ったところで目が覚めた。 どう? 斬新な夢じゃない? でも、やけに鮮明な夢だったので、起きてからそのピザになった論文を改めて取り出して、読み直しちゃったよ。 そしたら、まだ院生だった頃の論文なもので、まあ、生硬なこと! 当時は、とある作家の一つの小説だけを取り上げてあーでもない、こーでもないと論じていた・・・つまり、古いタイプの小説論を書いていたんですけど、今、改めて読み直すと、あんまり面白い論文でもないなと。院生の頃(あるいは、大学に就職してからしばらくの間)は、こんな感じで書いていたんだ~。 それから比べると、やっぱり多少なりとも私も成長したというのか、少なくとも面白いものを書こうという意識と腕は上がったのかな。 ということで、変な夢を見たおかげで、つい自分自身の古きを尋ねてしまった今朝の私だったのであります。
April 3, 2021
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ベストセラーを、今更ながら読む、という個人的な企画で、先日の『人は見た目が9割』に続き、『バカの壁』を読んでみました。 で、読む前にビックリするんだけど、この本、430万部とか、トンデモナイ数売れているのね。すごいね。どうやったらそんなに売れるんだよ。 で、実際に読んでみても色々ビックリ。 まず驚いたのはタイトルの意味。わたしゃてっきり、「世の中にはバカが多くて、その馬鹿が邪魔するおかげで、本来、こうすればいいのになーっていうことがなかなか実現できない」っていうことを指摘した本なのかと思っていたのよ。だけど、全然違いました。そうじゃなくて、ふつう人は、自分に理解できる範囲の中だけで生きている、っていう話なのね。で、その自分に理解できる範囲と、その外側の仕切りが「バカの壁」だと。 『人は見た目が9割』もそうだけど、ミスリーディングなタイトルをつけるってのが、ベストセラーの必須条件なの? どうなんだろうね。 ま、それはともかく、そこから先の話なんだけど、例えば世の中に流布している、いかにもな言説の一つに「個性が重要だ」「個性を伸ばすようにしなきゃいかん」というのがあると。だけど、本来、個性ってのは伸ばすも伸ばさないも、もともとあるもんだし、しかも個性自体、日々変化している。「諸行無常」といい、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」といい、昔の日本人はそれを知っていた。ところが現代に入って、日本人はそのことを忘れ、すっかり近代的個人、すなわち「確固不動の自己」みたいなものを想定するようになってしまった。それゆえに現実の身体性のある人間の形から離れて、頭で想定した人間として生き始めてしまったと。それは、人間の情報化であって、これが諸悪の根源。 で、その結果、身体を持った人間だったら当然持っているべき同胞に対する思いやりとか、そういうのが無くなってしまったと。だから、昔の「共同体」だったら、めったなことでは村八分なんかにしなかったし、仮にしたとしてもちゃんとアフターケアをして、最終的には共同体の内部に誰もがいられるようにしていた。だけど、今はそういうのがないから、会社なんかにしても平気で社員をリストラしてしまったりする。 で、共同体が崩壊すると、頼るもんがないから、脳が作り出した「神」とか、そういうのに頼り出して、そうなると一神教にならざるをえないから、プロテスタントとイスラムの戦いとか、そういうのも出現してくる。日本なんか昔は八百万の神で、みんな仲良くしていたのに、そういう世界が崩壊したので、オウム真理教なんかに騙される若者が増えたりすると。 だから、個性を伸ばそうなんてアホなこと言っている前に、人として当然の思いやりを持とうよとか、そういう教育をした方がいい。 とか。そういう話になっていく。 ま、この本は、そういう内容の話ですね。 で、それを脳科学者的な知識をからめて語るので、なんとなく煙に巻かれるんですけど、言っていることはごくごく平凡というか、還暦くらいのおっさんが飲み屋で人生論語るのとほぼ変わらないっていう。しかもね、平凡というのは、おっさん的観点からの平凡なので、今だったら、色々問題のある発言もあるよ。 たとえば、昔、養老さんが学生時代に、赤線が廃止になることになって、仲間同士で「廃止になる前に一度、女を買いに行こうか」という話になったと。実際に買う買わないは別として、そういう体験をしてみようと考える、そういう好奇心こそ重要だと養老さんは言うわけ。 まあ、私も道学者じゃないから、言わんとしていることは分かるよ。だけど、これはおっさんが居酒屋でたまたま隣に座った草食系の男の子をつかまえて、うだうだ説教することであって、本に書くことじゃないよね。 あと、電化製品の発達で主婦のオバサンたちはやることがなくなって暇が出来たもんだから、まあ、元気にあちこち出回っているけど、あれは、本来、家電製品を作る前に、暇になったオバサンたちにやらせるべきことを考えておかなくてはならなかったのに、それをしなかったからこういうことになった。平和でいいけど、これが本当に幸せの実現と言えるのか? なんて書いてある。 これもさあ、2003年の本だから許されるようなもんであって、「オバサン」というカタカナ表記もそうだけど、女性蔑視じゃないの? 結局、森元首相と同じ発想なんだよね。それってつまり、養老さんのバカの壁でしょ。居酒屋で男同士でオフレコでゴタゴタ言っているだけならいいけど、表に出したら即アウトだよね・・・。 というわけで、この本、養老孟司という人がいかに月並みなおっさんかっていうことを図らずも暴露した本でありまして、読んで為になることなんてほとんどないよ。養老さんっていう人は、脳科学の知識は若干あるのかもしれないけど、知的ではない。知的でないから、下品でつまらないんだよね。 これが430万部???!!! どうなってんの? ベストセラーの仕組みって、分からないな。例えば『窓際のトットちゃん』がベストセラーになるのは分かる。あれは、黒柳徹子という人のユニークさと、それを受け容れたトモエ学園の小林宗作校長の人柄とか、非常にあたたかいものがあるからね。だけど、『バカの壁』みたいなのがベストセラーになるのは分からない。 ま、既に読んでしまった430万人の善男善女はもう仕方がないけど、まだ読んでない人は、敢えて読むほどの価値のあるものとはとても思えません。教授のおすすめは、なーしーよ。
April 2, 2021
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私の所属する日本アメリカ文学会の機関誌が届いたのですが、今年の号はついに掲載論文なし(英文号の方はそれなりに充実)。いきなり書評から始まって、それで終わってしまったという。 私もこの学会、30年くらい会員ですけど、掲載論文ゼロってのは、記憶にないなあ・・・。長期低落傾向が続いていたとはいえ、千数百人の会員がいてですよ、それで年に1本の論文も出ないってのは、どうなんだろうか。学会として機能しているのかなあ。 もう、あれだね。文学研究ってのは、コンテンツとして終わってるんじゃない? とはいえ、私自身は全然そんな気がしてなくて、今でも面白くて仕方がないんだよね! で、その自分が面白いと思っていることを、本にして発信している。面白いことを書いているんだから、私の本は面白いのよ。圧倒的に。 ところが、学会ってところは、面白い本は学術的じゃないと判断するらしいんだなあ。だから、私の本は、学会に寄贈しても、研究書書目にも入れてくれないという。新書は研究書じゃないと、はなから門前払いらしいんだよね。先に出した新書本は、ある特定のジャンルの文学作品の通史として、またその再解釈として、相当、いいとこ突いていたはずなんだけどなあ。 それを認めないんだから、もう、私がこの学会に居ること自体、あんまり意味ないよね。もう辞めちゃおうかな。 ま、そんな学会、凋落するならすればいい。もう、私は本当にこの学会にはほとほと嫌気がさしました。
April 1, 2021
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