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必要があって、実家においてあった本を持ち帰り、名古屋で読み始めたのですが、30年前に買った本であるせいか、なんか、古本っぽい匂いがしちゃって、どうにも気になって仕方がない。 古本特有の匂いって、あるよね! 昔はそれほど気にならなかったけど、最近、何もかも「無臭」がデフォルトの社会になってきたせいか、久しぶりに古本臭い本に出くわして、ちょっと閉口しております。 で、あまり気になったので、もう、どうにでもなれと思って、その本にワシャワシャとファブリーズをぶっかけてしまったという。さて、ファブリーズは、本の古本臭も取ってくれるのでしょうか?? で、そんな話を家内としていて、家内曰く、「本専用のファブリーズって、出来ないのかな?」と。 例えば、古本臭い本を無臭にするだけでなく、かすかにいい匂いをつけるとか。バラの香りとか、フルーツの香りとか、はたまたチョコレートの香りがつくような本用のファブリーズがあれば、ワタクシのような古本好きは、買うかもね。 お? ひょっとしてビジネスチャンス? いやいやいや。そもそも古本臭い本なんかを沢山持っている人間が少ないか・・・。 ま、とにかく、ファブリーズが奏功するかどうか、本が乾くのを心待ちにしているワタクシなのであります。
June 30, 2021
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今日、大学から自宅への帰り道、なかなか素敵なものを見ました。 それは60代後半と思しき女性なんですけど、綺麗な白のスーツをお召しになられて。それも、今時のスッキリしたスーツではなく、ちょっと装飾過多な、派手派手の、でも嫌らしい感じはしない奴。で、同じくオシャレな白い帽子をかぶられて。パッと見、素人さんとは思えない、「女性社長」みたいな出で立ちで。 で、その女性が、なんと左ハンドルの「ゴルフⅠ」のカブリオレ(多分、マニュアル)を、しかも幌を下ろしたオープンな状態で、華麗に操って私の運転するクルマの前にすっと入ってきたのよ。 いやあ、なかなかやるもんですなあ! その、非日常的な出で立ちもさることながら、小さな旧車、それもゴルフⅠのカブリオレをオープンにして乗るっていうところが、なんともカッコいい。それを若い小娘ではなく、60代後半のレディがやるってところが決まってますわ。 何て言うんだろう、「スタイルがある」っていうのかなあ。自分はこういう風に生きていくっていう、確固不動のポリシーが、そこにまごう方なくあるよね。あれは、ちょっと見習いたいと思いましたねえ。オープン・カーを運転して、あそこまで魅せるってのは、日本人女性としてはかなり珍しいんじゃないだろうか。 職場からの帰路の、一瞬の出来事でしたが、なかなか印象的な光景でありました。私も、もっともっと修行して、ああいう歳の取り方をしたいものでございます。
June 29, 2021
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レイモンド・A・ムーディ・Jr.が書いた『かいまみた死後の世界』(原題:Life After Life, 1975)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、「死後の世界」について大真面目に取り上げた本としては最初のものでありまして、「死の五段階説」を唱えた『死ぬ瞬間』(原題:On Death and Dying, 1969)や臨死体験を扱った『死後の真実』(On Life After Death, 1991)で有名なエリザベス・キューブラー・ロスと同様、臨死体験系ジャンルの草分け(もちろん、オカルト系のそれは除く)と言っていいもの。 ところで、同じ「臨死」現象を扱い、死んだらどうなるかについて調査した本でありながら、ムーディの本が『Life After Life』で、キューブラー・ロスの本が『On Life After Death』であるってのは面白いですな。つまり「Life After Life」と「Life After Death」は言い方が大分違うけれども、ほとんど同意であると。 ま、それはともかく、死後の世界を真剣に扱った最初の記念すべき本ということで、歴史的には非常に価値のある本でございます。小さな一歩とはいえ、人類にとっては大きな一歩。 まず本書の内容に踏み込む前に、著者であるムーディについて紹介しておくと、まず彼は自分自身では臨死体験をしたことがなく、またオカルトとか超常現象には通じていない、ということを冒頭の「著者まえがき」の中で述べております。学歴も一風変わっていて、元々バージニア大学の大学院哲学科で学び、1969年に博士号取得、その頃、彼の興味の対象は倫理学・論理学・言語哲学だったと。で、その後ノースカロライナの大学で3年ほど哲学を講じた後、医科大学に進学し、医学哲学とか精神医学の研究を目指すようになるんですな。 で、そんなムーディが初めて「死後の世界」について知ったのは、バージニア大学時代の1965年のことで、たまたまその大学の精神医学科の臨床教授から、教授自身の体験として、「死んでいた時」の異様な体験を聴かされ、そんなことがあるのかとビックリしたのが最初。その後、ノースカロライナの大学での講師時代、プラトンの『ファイドン』を学生たちと輪読していた時、その受講生の一人から、その祖母の臨死体験を聴き、先に聞いた教授の経験談と合わせて、ムーディの心中にこのことに関する興味がムクムクと沸き起こってきたと。 で、調べ始めてみると、意外や意外、結構な確率で臨死体験をした人が存在することに気づき、そういう人達から聞き取り調査をし始めたら、たちまち150例くらい集まってしまった。この150例の中には、実際に医師から死を宣告された後蘇生した真正の臨死ケース、臨死までは行かないまでも交通事故などで臨死体験と同様の体験をしたケース、あるいはそういう臨死体験をした人の話をまた聞きで聞いたことがあるというケースなど、レベルは様々だけれども、とにかくそういう経験自体は決して珍しいものではない、ということが分かるわけ。 では、それほど珍しくない臨死体験が、これまで、あまり世間の注目を惹かなかったのはなぜか? というと、答えは単純で、「人は死について語りたくないから」。 人は、他人の死に触れたり、死について語ったりすると、ただちに「いずれ自分も死んで無になるんだ」という思いに捉われ、その恐怖ゆえにその話題を極力避けようとする。あるいは死を「眠り」(ホメロスの『イーリアス』に、「眠りは死の妹」という表現がある)や「忘却」にたとえたりして、婉曲な表現をすることで、死と直接対峙することを避けようとすると。 その一方、ネアンデルタール人の遺跡の分析で、彼らが死者を花のじゅうたんの上に寝かせて埋葬したことが判明するなど、死を来世への旅立ちと考える文化ももちろん古くからある。こちらは死を忌避するのではなく、むしろ寿ぐような死生観であるわけだけれど、とにかく死ということを巡っては、こういう二つの考え方があるばかりで、どちらが正しいと確信されているわけでもなく、そういうあいまいさゆえに、死の話題が避けられる傾向にあるのは致し方ないところがあると。 だから、「死んだらどうなる」という話題は社会的にはタブーであり、語ること自体が避けられてきたんですな。 しかし実際には臨死体験というのはさほど珍しいことではなく、しかもその体験の内容がどれもほとんど同じであることにムーディは気づき、激しく動揺するんですな。臨死のシチュエーションはそれぞれの話者(=体験者)によって異なるのに、臨死体験の内容自体がどれも同じとなると、本当に死後の世界ってのはあるんじゃね? ってことになるわけで。そこでとりあえず「伝聞」のケースは外した上で、様々な臨死体験のデータを1年ほど時間をかけて分析し、書きあげたのが本書ということになります。 では、臨死体験をした人が経験するのはどういうものなのか。ムーディによると臨死体験には共通項が15あるというのですが、その15の共通項を踏まえつつ、典型例を人工的に作ると、以下に示すようなものになるらしい: ①わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。②耳障りな音が聞え始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもしれない。③同時に、長くて暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。④それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。⑤しかしこの時はまだ、今までと同じ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。 ⑥しばらくすると落ち着いてきて、現に自分がおかれている奇妙な状況に慣れてきた。⑦わたしには今でも「体」が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることが分かった。⑧まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力を貸すために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。⑨そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊――光の生命――が現われた。⑩この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。⑪さらに、私の生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。⑫ある時点で、わたしは自分が一種の障壁とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。⑬しかし、私は現世にもどらなければならない。今はまだ死ぬ時ではないと思った。⑭この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。⑮ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。(31₋32頁、丸数字は引用者) なるほど! 人間、死ぬとこういうことが起こるわけね・・・。 ところで、一つ重要なポイントは、臨死体験をした人の多くが、「光の生命」と呼ぶ他ないような存在に出会う、ということでございます。 これね、キリスト教徒の中には、この光をもって「キリストだ」と断定する人もいる。聖書の中で、キリスト自身が「世の光」と自己規定していますから、熱心なキリスト教徒は「ああ、これか!」と思うわけ。だけど、必ずしもこれをもってキリストと断定しない人も沢山いる、というところが面白いところで、実際、キリスト教徒であろうとなかろうと、臨死体験中にこの光の生命と遭遇し、これとテレパシカリーに対話する経験を持つケースが多いと。 で、さらに重要なことは、この光の生命に導かれて、人は自分の人生を自己総括させられるのだけど、それは決して「裁かれる」という嫌な感じではなく、たとえ恥ずべき黒歴史を見せつけられたにしても、その光の生命はそれを非難せず、むしろユーモアをもってそんなこともあったね、的な感じで人生の振り返りを促してくれると。 だから、臨死体験した人の多くは、それ以前に考えていたような「天国(報酬)」と「地獄(懲罰)」の二択みたいなことをさせられるのではない、と知ってホッとするみたいよ。 ただ、この人生の振り返りを経験した人は、必ずやある種の気づきをするんですと。その気づきとは、「人生で大切なことは、他人に対する深い愛を培うことである」ということと、もう一つ、「知識の探求をすべきである」ということ。この二つを学ぶのだそうで。 で、こういう経験をしたからと言って、臨死体験者は自分が「純化」されたとか、偉くなったとか、そういう驕り高ぶりを得ることはないんだそうです。ただ、愛と勉強、これが重要なんだなということを学び、蘇生した後は、それ以前の自分よりも、そういうことを心掛けるようにはなると。 そしてもう一つ、臨死体験者に共通するのは、この体験により死を恐れなくなること、そして、もう一つは、それとちょっと矛盾するようですが、「自殺だけはしちゃいかん」と思うこと、なんだとか。 ちなみに、ムーディは、これら現代アメリカでの臨死体験者の話を集めながら、これとよく似た話が過去にもあった、ということに気づくようになります。 例えば聖書。イザヤ書26-19とか、ダニエル書12-2、などもそうですが、一番典型的なのは使徒行伝26-13~26やコリント人への第一の手紙15-35~52にあるパウロの話。あとプラトンで言うと「ファイドン」「ゴルギアス」「国家編」の3つ。それから『チベット死者の書』。それにスウェーデンボルグの諸言説。 上に挙げたようなものの中には、現代アメリカにおける臨死体験とほとんど同じ内容のことが書いてある。それは、逆に言えば、そういうのを読んでいたから、臨死状態の中でその読んだ記憶が蘇ったんじゃね?と考えることもできるかもしれないけれども、聖書・プラトンはまだしも、さすがに『チベット死者の書』とかスウェーデンボルグとかを読んでいる人は、西洋人には少ないはず、それなのに、そこに書いてあるのとそっくりのことを、臨死体験者が語っているとなると、それはむしろ、古今東西を問わず、死後の世界が存在する証拠なのではないかと。 さて、本書後半は、「疑問」とか「解釈」という章が並んでおりまして、例えば「疑問」という章では、ムーディが講演などでこういう死後の世界の話をすると、決まって聴衆から持ち上がる疑問のいくつかが取り上げられ、それに対するムーディの現時点での回答が載っております。 例えば、医者からはこんな質問が出る。「もし、こういうことが本当にあるならば、医者である私が、こういう話を耳にしてもよさそうなものなのに、私は身近でこういう体験をした人の話をしたことがない。だから、これは嘘っぱちなのではないか?」と。 で、この質問に対して、ムーディが、「この会場に居られる方で、身近な人の臨死体験を聴いたことのある人はいますか?」と問いかけてみたところ、先の質問をした医者の奥さんが手を上げ、自分の知人で夫もよく知る人がまさに臨死体験をしており、その話を自分は聴いた」と答えたと。 つまり、医者というのは、自分で「非科学的」と見なした話を実際に聴いていても、右から左へ抜けて行ってしまうものらしいんですな。だから、そういう人は実際に存在しているものを目にし、耳で聞いても、認識はしないと。 まあ、これなどは愉快な例ですけれども、その他に、「臨死体験は、昔からあるものなのか?」という質問に対し、ムーディは、多分昔からあると思うが、昔の例を探ったわけではないので、よく分からない。ただし、現代の方が臨死体験の数は増えていると思う、というのは、昔は臨死は死を意味したが、現代は蘇生技術が向上したので、臨死の後、蘇生するケースが増えたからだ、と答えている。 こういう回答を読むと、ムーディは「知らないことは知らない」と明確に言う人であると同時に、非常に論理的にものを熟考する人であることが分かります。実際、ムーディの本書における執筆態度は、いわゆるオカルトの正反対、非常に論理的で、誠実で、非センセーショナルです。死後の世界がある、などと決めつけるのではなく、ただ淡々と、こういう興味深い現象がある、ということを論理的に述べているわけ。 そのことは本書の末尾でムーディが述べていることからもうかがえます。ムーディ曰く: こうしたことをここで述べるのは、わたしが自分の研究から一切の「結論」を引き出すことを拒否し、物理的肉体の滅亡後も生命が存続するとしている古代の教義を証明しようとしているのでもないと断っている理由を理解していただきたかったのである。しかし、わたしは死後の世界の体験報告は非常に重要なものだと思っている。わたしの望みは、これらの報告を解釈するための、中間的な方法を見つけることである。つまり、科学的、あるいは論理学的な証明が成立していないことを根拠に、これらの体験を否定せず、かといって、漠然とした感情的な主張を展開し、こうした体験が死後の生命の存在を「証明」しているとする感情論にも走らない方法を見つけたいのである。(220頁) ね。至極、まともな考え方でしょ? ところが、本書は、エリザベス・キューブラー・ロスが序を書いておりまして、その序の中でロスは「ムーディ博士は今後多くの批判を浴びるだろう」と不吉な予言をしております。 つまり、死後の世界のような話題を取り上げると、たとえこれほど控えめな執筆意図の下、これほど論理的かつ誠実に書いているにも関わらず、矢のような批判を浴びることは目に見えている、と、ロスは予告しているわけね。 実際、死後の世界の話をし始めたロスは、医学界からつまはじきされることになるわけですから、この話題がタブーであることをロスはよく知っていたわけ。医者とか科学者は、死後の世界の話を・・・してもいいけど、したらその時点で医者とか科学者としての人生は終わる・・・ロスが言っているのはそういうことね。 そういうやばい世界に、ムーディは、そしてエリザベス・キューブラー・ロスは、手を出したと。 ちなみに、ロス自身は、激しい批判に晒されても、平気な顔でこう言っていたそうです:「彼ら(批判者たち)も、死ねば分かる」と。 そう、この「お前らだって、実際に死んでみれば、我々が言っていることが正しかったことが分かるよ」というのが、「死後の生命アリ派」の必殺の決め台詞なのでありまーす! ということで、論争を呼んだ本であり、かつベストセラーになったレイモンド・ムーディの『かいまみた死後の世界』、私はとても面白く、好感を持って読むことの出来た本だったのでした。興味のある方は是非!これこれ! ↓【中古】かいまみた死後の世界 /評論社/レ-モンド・A.ム-ディ,Jr.(単行本)
June 28, 2021
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世に瞬間接着剤ってあるじゃん? あれ・・・どう? いやあ、大昔、アロンアルファなる商品が出て、CMとかでも盛んにその効能をうたっていて、凄いものが出てきたなあと思ったものですが、その後の長い人生の中で、瞬間接着剤が役に立ったと思ったことがないという・・・。 逆に、私の机の中は、一回使ったものの、その後、中身が固まってしまったり、蓋が取れなくなってしまったりして、二度目に使うことができなかった瞬間接着剤の死骸の山だよ・・・。 でまた、買って一度だけ使った時ですら、指について取るのに往生したものの、肝心の役には立たなかったという記憶しかない。 こういうことを書くのも、今日、久しぶりに瞬間接着剤を使ったから。 しかも、全然くっつかなかったっていう。 瞬間とか言いながら、接着後、数時間経っても全然ヌルヌルのままで、まったく固まるつもりがない。これじゃ、ヤマトノリの方がまだマシだよ~! 何なんだろう、わしの使い方が悪いのかな? とにかく、瞬間接着剤なるものに、大いなる疑惑を抱いているワタクシ。こんなに役に立たないものって、21世紀の今日、それほど多くはないのではないかと。 そう思っているのはワタクシだけなのか? 他の人は、あれを大いに活用しているのか? そこが知りたいです。あれは、役に立つものなんですか? 誰か教えて~!
June 27, 2021
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P・G・ハマトンという人の書いた『知的生活』(原題:The Intellectual Life, 1873)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。ちなみにこの本、講談社学術文庫版で本文546ページ。またまた分厚いレンガ本でした。読み切るのに大分苦労しちゃった。これこれ! ↓知的生活 (講談社学術文庫) [ G・フィリップ・ハマトン ] で、そのハマトンですが、この人は1834年生まれで1894年没のイギリス人。で、この『知的生活』はハマトンの代表作と言っていい本ですが、そもそも私がこの人の存在を知ったのは、渡部昇一氏のベストセラー『知的生活の方法』(1976)と、その続編である『続・知的生活の方法』(1979)で言及されていたから。もちろん、渡部氏がその著書に「知的生活」という言葉を用いたのは、ハマトンのこの本を念頭に置いてのことであり、その後、日本で「知的生活論」というジャンル(既にウィキペディアの項目になっている)が確立されたのは渡部さんの著書の影響が大きいので、日本における「知的生活本ブーム」は、ハマトンの著作を根っこに、渡部昇一氏の著作を茎にして茂ったものと見ていい。そういう意味では、日本における自己啓発思想史におけるハマトンの位置づけというのは、決して小さなものではない、という風にも言えるかなと。 ところで、学生時代に渡部氏の『知的生活の方法』及び『続・知的生活の方法』を読んだ時の記憶として、氏がやたらにハマトンに言及していた、という印象があったのですが、今回改めてチェックしたところ、意外や意外、両書にハマトンのことが登場してくるのはごく一部のことで、『知的生活の方法』の159頁以下に、「ハマトンの著作を読んだおかげで、時間には限りがあることを知り、古典語の習得を断念した」という趣旨のくだりがあるのと、『続・知的生活の方法』の201頁以下に、ハマトンの『知的生活』の文章をもとに、原文復元法で英作文の練習をした、という趣旨のくだりが出てくる、その2カ所でしかなかったという・・・。ふうむ、印象というのは、案外当てにならないものですな・・・。ま、それはともかくとして、この本が渡部氏にとって学生時代からの愛読書であり、またその内容を実生活の上で活かしたという事実は変わりません。つまり自己啓発本としての実効性が、少なくとも渡部さんにはあったと。 で、じゃあ、ハマトンの『知的生活』とはどういう種類の本かと申しますと、これがですね、書簡体自己啓発本だったんですねえ。つまり、ハマトンが架空の知人に宛てて書いた「書簡」をずらりと並べるという体裁で書かれている本なわけ。例えば「働きすぎの若い作家へ」「健康のすぐれない学生へ」「息子がディレッタントになりそうだと嘆いている郷紳へ」「フランスのある大学の学長へ」「記憶力が悪いと嘆いている学生へ」「金銭問題に無頓着な天才へ」「結婚を考えた若い紳士へ」「英国の若い貴族へ」「社交界に入り浸っている若い紳士へ」・・・といったタイトルの下、そうした想定相手に対してハマトンがアドバイスをしたり、論争をしかけたりする、という体裁で、様々な話題についてのハマトン流の考え方が開陳される、という趣旨の本なんですな。なお、本書の訳者の一人である渡部昇一氏による「あとがき」を見ると、本書の書簡の想定相手というのは100%架空のものではなく、実在する人物(=ハマトンの知人たち)を念頭に、その人々に宛てて書かれたものなのだとか。つまり、ある程度はモデルがある、ということですな。 一方、読者の側からすると、ここに挙げられた何十もの書簡のうち、いくつかは自分に直に当てはまると思える可能性が高い。例えば「自分は働き過ぎだなあ・・・」と考えている人にとっては、「働きすぎの若い○○へ」という書簡は、自分に向けて書いてあるのか、と思うだろうし、そろそろ身を固めるかと考えている読者からすれば、「結婚を考えた若い紳士へ」という書簡は、非常に興味をそそる書簡に見えるはず。そもそも自己啓発本の読者というのは、何らかのアドバイスを求めてこの種の本を手に取るわけだから、その点、書簡体で書かれた自己啓発本というのは、その形態として、なかなか優れた戦略の下に書かれているわけですな。事実、書簡体の自己啓発本というのは、例えばフィリップ・チェスターフィールドの『わが息子よ、君はどう生きるか』、キングスレイ・ウォードの『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』、ロジャー・モーティマーの『定職をもたない息子への手紙』など、ジャンルとして存在するので、ハマトンのこの本も、そうした書簡体自己啓発本の一つということになるでありましょう。ま、他の書簡体自己啓発本の多くが、「父から息子へ」という体裁をとるのに対し、ハマトンのこの本は、特にそうした関係性を持たないところが特徴と言えば特徴ですが。 で、肝心なその書簡の内容、すなわち、ハマトンが読者に対してどのようなアドバイスをしているか、という点から言いますと、全般的に意外にマイルドな感じのアドバイスをしているな、という印象を持ちました。 例えばちょっと前に読んだ新渡戸稲造の『修身』なんかですと、どんな逆境も、それを善用しようと思えば善用することができる、だから頑張れ、頑張れ! っていう感じで、叱咤激励的な側面が強かったような印象があるんですが、そういう「マイナスをプラスに変えろ!」的な強いアドバイスは、ハマトンの本にはあまりない。 例えば「働きすぎの若い作家へ」では、生まれつき頑健な人はともかく、そうでないならば、ぶっ続けの仕事や座りっぱなしの仕事などをしていると消耗してしまうので、健康維持のために身体が要求する程度の気晴らし的な運動をしなさい、的なアドバイスになっている。あくまで、気晴らし程度のゆるい運動をしろと。 これが新渡戸稲造大先生の『修身』とかだと、「つべこべ言わず、真冬だろうと水風呂浴びろ!」だからね。 あとね、やっぱりイギリスは階級社会とか、それに伴う社交界とか、そういうのがありますから、そういうのに付き合って時間を無駄にするのが辛い、なんて相談事がある。で、そういうことを言っている人に対するハマトンのアドバイスは、「確かに時間の無駄だから、社交界での付き合いなんか放って置いて孤高を保て!」と叱咤激励するのかと思いきや、「確かに時間の無駄だが、世間を狭くすることにも問題はあるし、孤独は必ずしも常に好結果をもたらすものではない。それに社交界を構成する貴族的な連中も、話してみればそれなりに教養があって面白いし、彼らと付き合うことにもメリットはある。それにあなたが社交界にいて、そうした貴族連中により深い教養を与えてやれば、この国の教養の底上げにつながるよ」といった大人なアドバイスになっていたりする。現状打破しろ、というのではなく、現状と上手に付き合え、という方向性のアドバイスですな。 あと、自然の景観は人間のインスピレーションを刺激する最良のものだ、と言いつつ、しかし、完全な大自然に接すると人間は圧倒されちゃうので、ある程度人間の手が入った自然、すなわち人の暮らしがちょっと感じられるような、その程度の自然に触れて置け、みたいなことが書いてあったりする。 つまり、ハマトンのアドバイスの大半は、「中庸」を守れ、というのが根っこにある。極端に走らず、適当なところで止めて置け、という。ここがイギリス流の現実主義なんでしょうな。 この種の「中庸アドバイス」は随所にあって、例えば言語習得について言うと、ギリシャ・ラテンの古典語を完璧にマスターしようとしても、そのために費やした時間に見合うほどには役に立たないので、むしろフランス語とかドイツ語とかの現代語をマスターする程度にしておけ、なんてアドバイスになっている。学生時代の渡部昇一さんが古典語マスターを断念したのは、このアドバイスのせいですな。 要するにこういう現実主義、理想に走らず地に足がついた感じがピンとくる人には、ハマトンのアドバイスは役に立つということでしょう。血気盛んな若者を駆り立てるような自己啓発本というよりは、色々わきまえた大人向けの自己啓発本と言いましょうか。 ところで、ハマトンの『知的生活』の中で、最も注目すべきは、「女性と結婚」と題された章です。 本書の中で一番面白いのがこの章であり、また現時点で言えば、一番問題視されるのもこの章。と言うのも、この章においてハマトンの女性観が強く打ち出されていて、それがまた結構、問題発言の嵐だから。21世紀の今、この章を表に出したら、とんでもないことが起こりそうな感じ・・・。 まずハマトンが指摘するのは、イギリスの教育制度の問題点。これがあるために、男子と女子では教育のレベルが違ってきて、男は知的な分野に興味を持つようになるけれども、女性はそういうものとは無縁になってしまう。そして、女性は教わることに関してはそれなりに理解力を示すけれども、自ら学ぼうという意志はないため、学校を離れてしまったら、もうそれ以上の知的進歩は期待できないと。 要するに、基本的に女性は知的なものには一切関心を持たない、というのがハマトンの女性観なんですな。 だから、女性同士が話しているのを聞くと、誰か一人が「帆船なんて、何の役にも立ちませんわ、だって、風が吹く方向に押し流されるだけなんですもの」などと言い出すと、残りの全員が「そうですわよね~」とか言って、それで終わってしまう。女性というのは、現に帆の操作によって風上に向ってジグザグと船が進んでいくのを見ても、その意味が分からないし、興味も持たないと。 だから、知的男性は、自分の知性を理解してくれる異性を見つけることが非常に困難なため、結局、見てくれや、持参金が多い女性を選んでしまい、その結果、生涯に亘って知的な会話ひとつできない悲惨な結婚生活になることが多いと。 その辺についてハマトン自身が述べているところを引用してみましょう: 「女性がたいへん無知なのは、このように自分からすすんで知識を身につけようとする気持ちに欠けているからです。人からよく教え込まれると、そのことはおぼえているのですが、自分から知識は増やさない。彼女たちにとって一番関心のあるのは神学ですが、その知識もすでに得た知識を反復するだけで、さらに新たなことを識ろうとはしません。傍からみているかぎり、女性たちが精いっぱい頭をしぼって考えているありさまは、どうも水彩画を描く時の水の働きと同じように思われるのです。つまり、水はすでにカンヴァスに塗られている色を薄くのばすことはできますが、水だけでさらに新しく何かを描き加えたり、描き変えたりすることはできません。(中略)人生で遭遇するあらゆる問題についてもそうなのです。少女時代に得た知識で問題を解決しようとし、それで解決できなければ、女性の思考の領域を超えた問題であるとしてあきらめてしまうか、さもなければ、生噛りの知識で満足してしまう。自分で問題を究明し、独力で調べ上げたことから正解を引き出そうとは決してしません。」(313) ハマトンはこの後、アルキメデスは風呂の水が溢れたことによって、複雑な形のものの体積を図る方法を見つけたけれども、女性には無理だ、と結論付けます。「そのようなひらめきを得る能力は、もっぱら男性のものであると私は思います。女性も湯があふれることには気がつくでしょうが、それはやっかいで不便なことだと思うだけでしょう。(316)」 そしてそれに続けてこうも言います。「このように女性に物事を調査し発見しようとする性向がないということは、女性が関心をもっているもの、女性にとって大切なものの中にさえ、女性による発明品がきわめて少いという事実からも納得されます。靴下を織る機械やミシンは二つとも当然女性が考えついてもよいものでした。人は自分が仕事から解放されたいし、あるいは生産の能率を上げたいと思っていれば、当然創意を働かせるものですから。しかし、両方とも男性が思いつき、男性が努力と忍耐によって実用化に漕ぎ付けたものなのです。だから私は、ピアノの改良もすべて男性によってなされたのだと信じています。女性の方が男性よりもはるかにピアノを弾くことが多いというのに。(316)」 だから、知的な男性が幸福な結婚をすることはほとんど不可能に近いのだけれども、それでも結婚するなら、せめて「子供をもうけ、家事万端を遺漏なくやり、真心をもって夫を愛し、夫の仕事に嫉妬することのないような質朴で忠実な女性と結婚する」ことが安全策だけれども、そういう女性と結婚した場合でも、やっぱり女性の無知ぶりに嫌気がさしてくるのは必定。しかし、無知な女性に何かを教えようとしても無駄なことで、多くの男性はこうつぶやかざるを得ない・・・「僕が彼女と結婚したとき彼女はなにも知らなかった。僕は彼女に少しは教えようと努力した。でもそれが彼女を怒らせてしまい、僕はあきらめてしまったというわけだ」(297) とまあ、こんな感じの言説が続きまして、結局、女性はほぼ全員無知蒙昧だから、知的な男性にとって結婚生活は地獄になることが多いけれども、それでも結婚したいというのならば、なるべく被害が少なくて済むような候補者を選べ、ってなことを結論付けている。これがハマトンの結婚に関する中庸をわきまえたアドバイスであると。 まあ、何てことでしょう! ひっどいこと言っているよね!! 女性の皆さん、ここは一つ、大いに怒ってよきよ。 っつーことで、全女性を敵に回すようなことも書いてありますけれども、とにかくハマトンの『知的生活』ってのは、こんな感じの本だったのであります。 ところで、ハマトンのエッセイはイギリスのみならず、アメリカでもよく読まれていて、かのエマソンもハマトンの愛読者だったのだとか。 一方、ハマトンもエマソンの愛読者だったらしく、『知的生活』の中でも何か所かエマソンからの引用があります。 ただ、並みの自己啓発本がエマソンを引用する場合、必ずそれを肯定的に引用するものなのですが、ハマトンの場合、むしろ否定的に引用しているのがすごい。 例えば、「現代文学を認めるある作家へ」と題された章では、こんな風にエマソンが引用されています: われわれの知っている作家や学者の中にも、自分と同時代の著者の作品に対してこの種の冷淡さを示す者が何人かいます。それはそういう作家や学者の発表した書物の中にも歴然と窺えます。私生活や習慣には、もっとあからさまに目につきますが。エマソンは、「もし、二流の作家がすべていなくなれば、たとえば英国では、シェイクスピアとミルトンとベーコン以外のすべての作家がいなくなれば、これら三人の作家の偉大な精神をわれわれはもっと深く研究でき、したがっておそらくわれわれは多くのものを得ることができるであろう」と、まじめに述べています。同じ意図からエマソン「名のある本以外は決して読んではならない」と簡単に言ってのけています。しかし、この忠告に人が最初から従っていれば、どんな本も名声をえることができなかったわけであり、したがって誰もなにも読むことができなかったのではないでしょうか。英文学で読むのは、シェイクスピアとミルトンとベーコンという三人の神聖な作家たちだけにして、あとのすべての作家はいっさい読まないようにするという考えには、読書における貴族精神があからさまにあらわれているように思えます。それはあたかも、もしエマソンの言う三人の人物意外のすべての人間を社会から締め出してしまえば、それだけ社会がよくなると勝手に決めつけているようなものです。知性の王者として栄光につつまれて今日に伝えられているこれら三人の作家の作品だけを読むことにするというのでは、自分の判断というものにあまりにも自信がなさすぎるのではないでしょうか。知識を得、ものをよく考え、想像力を働かせるために、われわれは読書をするのです。知識を広めるには、現代の最先端を行く著作を読むのが一番いいのであって、ベーコンだけでは十分ではありません。思考法は現代の方がミルトンの時代よりも正確です。またミルトンよりもわれわれのほうが経験にも富んでいます。なるほどシェイクスピアとミルトンは今でもわれわれの想像力を掻きたて豊かにしてくれます。これだけは今も昔もまったく変りありません。しかし、現代作家たちだってわれわれの想像力を駆り立ててくれます。(471-472) これを見ると、エマソンが「読書なんて、シェイクスピアとミルトンとベーコンだけ読んでいればいいのじゃ!」とか過激なことを言っているのに対し、ハマトンが、「いやいや、現代作家だって捨てたもんじゃないですよ」と反駁しているわけで、両者それぞれの自己啓発的アドバイスを比べれば、エマソンが過激、ハマトンが中庸、というのがよく分かる。 先に私が指摘したハマトンの「中庸アドバイス」がどういうものか、これを見てもよく分かるでしょ? しかし、それにしてもエマソンを否定的に引用している書物って、自己啓発本の歴史の中でもかなり少数派ではないかと。少なくとも私はこれまで、そんな本を読んだことがない・・・。そこがちょっと、ワタクシ的には面白かったかな・・・。 とまあ、そんな感じの本なんですけど、この分野を研究しているワタクシとしては、それなりに面白く読めた本ではありました。だけど、普通の人が読むには、ちょっと退屈しちゃうかもね。 ま、そういう人には、簡略版がありますので、そちらをどうぞ。自己啓発本ってのは、オリジナルだけでなく、簡略版が出回るところがまた、特徴ですからね!これこれ! ↓ハマトンの知的生活のすすめ [ P.G.ハマトン ]
June 26, 2021
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ホンダ・シビックが11世代目の新型を出したということで、クルマ好きの間では一応、話題になっております・・・ が! 私の目には、「ホンダ、どうしちゃったの?」という風にしか映らないという・・・。 11世代目のシビックは、どう見ても10世代シビックのキープ・コンセプトにしか見えない。だけど、ならば10世代シビックは売れてたの? っていうね。売れてないじゃん。売れてないクルマのデザインを踏襲して、何か意味あるの?? かつて「ビガー」を愛車にしていた往年のホンダ党の私としては、もう歯がゆいというかなんというか・・・。 そのこともそうですが、このところホンダをめぐるニュースはヘンテコリンなものばかり。 例えば世界初となる「レベル3」の自動運転技術を盛り込んだレジェンドを鳴り物入りで発表した途端に、その生産終了を発表、とかね。同時にかつてのドル箱で新型になって間もない「オデッセイ」の生産終了も衝撃的だったし。またトヨタ・ミライのライバルでもあった燃料電池車「クラリティ」も、あっさり見捨てたらしい。 見捨てたと言えば、F1に復帰して、苦労して苦労して、ようやく今年、年間タイトルに手が届きそうとなった時点で、F1からの再度撤退って・・・。ホンダ・スピリットの原点でもあるレース活動も見捨てるのか・・・。 そこそこ売れているのは軽自動車だけ。稼ぎ頭だったフィットも、新型になってデザインの悪さゆえに全然売れなくなっちゃった。新型化したヴェゼルも、なんだかトヨタのRAV4の二番煎じみたいで、独創性ゼロ。かつてHR-Vという画期的なデザインのクルマを出した時のホンダの志は一体どこへ消えたのか? ヴェゼルと言えば、旧型は変速機がDCTだったのに、新型になってCVTにしちゃったんだよね・・・。なにこの迷走ぶり? そもそもエンジンの良さを売り物にするホンダが、その良さを殺してしまうCVTを採用すること自体どうかと思いますが、どうしてもCVTにせざるを得ないのなら、せめてトヨタやダイハツの新型CVTみたいに、少しはダイレクト感を増すような工夫をすればいいのに、特にそういうこともなし。技術屋の名前が泣くよね。 結局、肝心のクルマが売れていないから、こういう迷走につながるんでしょうけど、なんでこのところホンダのクルマが売れないかと言えば、デザインが悪すぎるからですよ。ヘンテコなクルマばっかりなんだもん。 最近ホンダが出した車で唯一、デザインが秀逸なのは「ホンダe」のみ。なのにそれはEVのみで、しかも庶民には手の届かぬ値段。最初から売る気がない。 いやあ、もし私がホンダの新社長だったら、ホンダe こそ「新型(11世代)シビック」として売り出すけどなあ! 「プジョー208」と同様、エンジン車とEV車を同型・同デザインにして、ユーザーに選ばせるのに。 昔はビックリするようなメカを、センスの良いデザインのクルマに搭載して一世を風靡したホンダ車。それが今は、エンジン作りへの情熱とデザインの良さでマツダに負け、燃料電池技術やハイブリッド技術、それに圧倒的な販売力でトヨタに負け、e-Powerという売り物を持つ日産に負け、安全技術でアイサイトを持つスバルに負け、インドという巨大マーケットを押さえつつ、小規模ながらキラリと光る車を作る気概でスズキに負け、結局、全方位でライバルに負けるメーカーとなってしまった・・・。 しかし、そうはいってもホンダはホンダ。方向性さえ見失わず、いいデザインのクルマを出し続ければまだ立て直せると思うのだけど、ここへ来て新社長となった三部氏は、社長就任に際し、いきなり「脱エンジン」の方針をぶち上げるっていう。 そこじゃないだろっ! おいっ!! ひょっとして、ホンダは本当にダメになったのかもね。 あー、ホンダの社長になりたい。私が社長になったら、すぐに立て直してあげるのに。
June 25, 2021
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コロナの影響で5月以降、市の柔道場が使えず、お休みが続いていた柔術の稽古ですが、今日からようやく再開されまして、久しぶりに一汗かいてきました。こういう芸事は、常に稽古していないと技がなまるもので、今日の稽古ではあらゆる技がダメダメでしたけど、それでも久々に体を動かすのは気持ちのいいもので、道場仲間との再会も含め、楽しいひと時を過ごしてきた次第。 ところで。 このところ、私、なぜかずっと膝が痛くてですね・・・。 歩いたり走ったりするのには支障はないのですが、正座にせよ椅子に座った状態にせよ、しばらく固定した状態からおもむろに立ち上がろうとしたりすると、右の膝裏あたりが妙に強ばって、痛みが走るんですわ。 歳のせいで、軟骨がすり減ったとか、そういうことなのかなと思いつつ、日常生活の中でしょっちゅう「あ、いたたた・・・」となるのがカッコ悪いというか年寄り臭くて、嫌だなあと思っていたわけですよ。 柔術の稽古ですと、座り技と立ち技があるので、座り技をしばらく稽古した後、さて、立ち技の稽古に移ろうとするときなど、例によって「あ、いたたた・・・」となってしまう。 で、今日もそういう症状が出てしまったのですが、たまたま師範のA先生が近くにいらしたので、そのことを訴えると、A先生曰く、「それ、膀胱経を伸ばすと良くなるかもしれませんよ」と。 で、そのやり方を教えていただいたのですが、まず足を肩幅くらいに広げ、やや爪先を内側に向けて(内またで)立ちます。そこから胸を張り、その胸を張った状態を維持したまま、鼠径部を折るようにして上体を折り、前屈するわけ。頭は上げたままね。 そうすると、腿裏から膝を通ってかかとまで、一本の筋がピーンと張るような感じがして、かなりの激痛が走ります。その激痛を我慢しながら、上体を折れるところまで折り、その状態をしばらく維持する。すると・・・ あーら、不思議! さっきまでの膝痛が見事に消えたじゃあーりませんか! ほう、これが膀胱径への刺激の入れ方ですか! 効くわ~! ということで、私に関してはこの運動、かなり有効だったようです。しばらくこの運動を続けて、様子を見てみようかなと。 ま、私と同年代の御同輩の中で、私と同様、膝痛に悩んでいる方、おられましたら、ぜひ一度、お試しください。ひょっとしたら、永年の悩みが解消するかも、ですよ~。
June 24, 2021
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ジャーナリストの立花隆さんが亡くなりました。享年80。つい先日、ちょっと必要があって立花さんの『臨死体験』という本を読んで、このブログでも読後感を述べたばかりだったので、あらまあ、という感じ。 この人に対して、私は特にファンであるとか、そういうことはないのですが、それでも関係性が全くないということでもなく。 まあ、最初に「立花隆」という人のことを意識したのは、「田中角栄」がらみですわなあ。私が子どもの頃、「今太閤」とか「コンピュータ付きブルドーザー」などと言われ、日中国交正常化などに貢献した田中角栄首相を、退陣に追い込んだ人として。 で、その時は、世間的には「巨悪に立ち向かう正義のジャーナリスト」的な扱いだったように記憶しておりますが、田中角栄ファンだった私としては、むしろ「巨善の大政治家の小悪を事揚げしていい気になっている人」っていう感じを持ちました。田中角栄がやった程度のことをダメというなら、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、問題外っていうほど全部ダメなんじゃないの?っていう。 まあ、その辺は難しいところですので、これ以上は。 その後、大学生になって、文章系の賞金稼ぎになっていた私は、「二十歳の読書感想文」的なコンクールで、立花氏の『「知」のソフトウェア』なる新書本の感想文を書いて見事入選、賞品のカシオのワープロをゲットし、それで卒論を書いたのでした。これこれ! ↓【すぐに使えるクーポン有!2点で50円、5点で300円引き】「知」のソフトウェア (講談社現代新書) 【中古】 ところで、この『「知」のソフトウェア』という本で、立花さんはご自身の知的生活術というか、仕事上のノウハウを公開しているのですが、それによると立花さんは自分が調べたいテーマが決まると、神保町に出向いてそのテーマについての本を新本・古本問わずあるだけ買い漁るというのですな。で、その買い漁った本を資料として読むのですが、その際、自分のテーマに係るところだけ読む。つまり、本を端から端まで読まず、目次や索引で自分のテーマに関係ありそうなところだけ選んで読んで、あとは捨て置くと。そういう読み方をするから、一日の内にそれこそ十冊も二十冊も読めるというわけ。で、そのテーマについての研究が終わったら、使った資料はごっそり売り払ってしまって、次のテーマに取り掛かると。で、そういう趣旨のことを、ちょっと意地悪な言い方をすると「得意気に」書いているわけ。 で、この本を読んだ時、私はそういう立花さんの方法論にビックリしましてね。なにせ私は文学の徒ですから、立花さんのようなスタイルで本を読んだことはない。本って、自分にとってはもっと神聖なものであって、内容を端から端まで味読するのはもちろんのこと、その本の体裁も含め、オブジェクトとして愛玩するものですらあったわけよ。だから、はあ、世の中にはそういう風に本を扱う人が居るんだ~っていうことは、かなり新鮮な驚きであったんですな。 そのことについて、なるほど、立花さんのようなお仕事をしている人にとっては有効な方法論であろうとは思ったけれど、自分としては納得できなかった。もちろん、私だって長じてからは、仕事上の必要から、資料となる本を立花さん的な方法で読むことは沢山ありましたよ。だけど、そういう時ですら、私はそれを恥じた。本来ならこういう読み方をするべきではないと思いながら、「後ろめたい」思いで資料を「使った」。そこが、「得意気」な立花さんと私の違いでありまして。 角さんを巡る一件についてもそうだけど、立花さんと私とでは、どうも色々、違うところが多いなと。 とまあ、そういう思いがあるものだから、私はあまり立花さんの良き読者ではないのですが、それでも『宇宙からの帰還』という本だけは、テーマ的にも興味深かったし、また内容もよく書けているのではないかと思います。あれは、立花さんの本の中で唯一、あまり抵抗なく読んだものだったかな・・・。これこれ! ↓【中古】 宇宙からの帰還 中公文庫/立花隆(著者) 【中古】afb そして、たまたまですが、この『宇宙からの帰還』という本は、今、私が研究していることと多少関係があったもので、初読から三十年近く経った今年、私は自分の論文の中で、この本の内容にチラッと触れたのでした。 そして、この論文に続き、次に書く予定の論文の資料として必要があったので、私はつい最近、立花さんの『臨死体験』という本を読んだのでありまして、このところ、(宿敵たる)立花さんと私の間には妙な縁ができていたわけよ。そんなこともあって、このタイミングで立花さんが亡くなったというのが、私にとっては、多少なりとも驚きがあった。 もっとも、その『臨死体験』という本については、私はあまり高くは評価しないんですけどね。相変わらずの立花節というか、すごい気合で書いてはいるんだけど、肝心の臨死体験というものについて、妙に科学者的な(といって立花さんは科学者ではないのだから、実のところ「似非科学者的な」なんだけど)立場から書いているところがあって、臨死体験という興味深いテーマの核心のところには迫れていない。 それはさ、要するに、本を「資料」としてざっと読んで、読み終わったら捨てちゃうような研究スタンスでは、迫れないものがある、っていうことなのよ。特に文系のテーマでそれをやったら、こぼれ落ちる部分が多すぎる。何十年も研究してきて、そのことに立花さんは気づかなかったのかな・・・。 だから、私に言わせれば、立花隆という人は、どこまで行っても「ジャーナリスト」に過ぎないわけ。決して「研究者」ではない。もちろん「知の巨人」では絶対にない。単なる物知りのおじさんですよ。 ま、物知りのおじさんだから悪いということはなくて、立花さんは立花さんなりに、一生懸命物を知ろうとしたわけで、実際、色々なことに詳しくなったんだから、本人としてはいい人生だったのではないでしょうか。 ということで、希代のジャーナリスト・立花隆さんのご冥福を、お祈りしたいと思います。合掌。
June 23, 2021
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計画中の恩師追悼本ですが、出版社の方から「表紙デザイン、どうします?」という問い合わせが参りまして。 うーーーん、来たか!! 本の出版に関し、私が一番ワクワクするのは、表紙デザインを決める作業でございます。何と言っても、表紙ってのはその本の顔だからね! この顔をどう決めるかによって、ぶっちゃけ、本の売り上げにも大きく影響してくる。だから、ここはどうあっても間違いたくないわけよ。 で、出版社の方では、とりあえず何人かの著名な装丁家の名前を挙げ、各人の装丁サンプルを送ってきてくれて、この中の誰に頼みたいか? ということを私に問うているわけですけれども、それぞれ独特の作風なもので、目移りしてしまう。うーーん、迷うなあ~・・・。 ところで、今回の本は私の本というよりは、恩師のエッセイ集なんですけど、もちろん私もそこに追悼的な文章を載せているので、基本路線として大きく分類すれば「追悼本」ということになる。私が恩師を追悼している部分に関しては、紛れもなく「亡き人の思い出の記」であり、また恩師自身が知人の死を語っている部分については「亡き人が、亡き人についての思い出を語っている」ことになるわけだから。 となると、今決めなければならないのは、「追悼本の表紙とはどうあるべきか」ということになってくるわけよ。 で、私が思うに、追悼本の表紙は、タイポグラフィックなもの(=文字だけが表紙に書かれているもの)はふさわしくないだろうと。具体的に言えば、菊池信義とか平野甲賀的な表紙ではないだろうと。菊地信義の表紙 ↓【中古】決壊 下/ 平野啓一郎平野甲賀の表紙 ↓【中古】 武装島田倉庫 新潮文庫/椎名誠【著】 【中古】afb では、絵画は? うーん、絵画を使った表紙でもないような気がする。絵画を使った表紙例 ↓[書籍のメール便同梱は2冊まで]/わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11[本/雑誌] / わかな/著 そう考えていくと、結局、写真を使った表紙がいいのではないかと。例えばこんなのどう?ヘンリー・ロス『眠りと呼ばんか』 ↓ 初めて見る風景なのだけど、なぜか、どこかで見た記憶があるような風景ってあるじゃん? そういう風景を映した写真を使った表紙って、なんとなく「追憶」っていうコンセプトと合うことない? わしだけかな、そう思うのは? っつーわけで、今の時点では、そんな路線の表紙を考えているのですが、まあ、これからいろいろと人に意見を尋ねてみて、じっくり考えていくことにしましょうかね。 悩ましいけど、楽しいねえ・・・。
June 22, 2021
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まあ、強いね、井上尚弥。 昨夜、実家から名古屋の自宅に戻ったのですが、その間、気がかりだったのはラスベガスで行われた井上尚弥のタイトル戦。戦前の下馬評では、挑戦者に勝ち目無し、ということでしたけれども、そこはそれ、トップ・プロ同士の対戦ですから、偶然にせよ一発当たればどうなるか分からない。無敵の井上が破れることだってあるかも知れない・・・ ・・・と思ったのですが、自宅についてから録画しておいた試合の映像を見て、すべては杞憂であったことがわかりました。 っていうか、これ、本当にタイトル戦? と疑問符が付くほどの圧倒的な実力差。もう、格下相手にスパーリングでもやっているのかと思われるほどの、無様な試合でございました。 もちろん無様なというのは、相手から見ての話で、井上選手側から見たら、ほぼ完璧な内容。 もう1ラウンド目の後半あたりから、相手選手の腰が引けちゃって、見るも無残。2ラウンドあたりからは、もう、相手が可哀想で、まるで井上選手が「弱い者いじめ」かなんかしているんじゃないかと思われるほど。「もう、そのくらいにしておいてやれよ」とか、声を掛けたくなっちゃった。 しかし、それにしたって相手はリーチのある長身のサウスポーですからね。普通だったら、左を食わないよう、相手の右腕の外側へ回るように、つまり相手に対して時計回りの要領で左へ左へと回り込む動きをするのがセオリーだと思うのですが、井上選手はそういう回り込むような動きを一切しない。相手の左ストレートを気にすることなく、真正面から入っていって打って、その後、パッと後ろに下がる。出て打って下がって、出て打って下がっての繰り返し。しかもそれが速い! さらに相手が右でジャブを打ってくると、それに合わせてカウンター気味に左フックをお見舞いする。1ラウンド半ばで井上選手のカウンターフックを食らった相手は、もう、右のジャブすら怖くて打てなくなってしまった。もう、手も足も出ない状態です。 後は右アッパーでのけぞらせて、右脇が開いたところに左ボディーをバスンっ! で、おしまい。鍛え上げた一流プロの選手が苦悶に顔をゆがめてのたうち悶絶するボディーって、何なんだろうね。 しかし、これほどの試合を見てしまうと、逆に、前に井上選手をピンチに陥らせたドネア選手がいかに強かったか、ですな。あの試合だけだもんね、ひょっとして井上選手が負けるのではないかと思った試合は。 さてさて、そのドネア選手は、ビッグマウスのカシメロ選手との試合が決まったようですから、この二人のどちらかが井上選手と統一選を争うことになりそう。 しかし、前の時より、井上選手はさらにスピードもパワーも増しているようですから、ドネアとカシメロと、どちらが相手になろうとも、多分、いい試合で統一を果たしてくれることでございましょう。 日本ボクシング界の至宝、井上選手の活躍には、まだまだ期待できそうです。すごい!!
June 21, 2021
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今日は父の日、なのかな? 我が家の場合、まさに今日が父の祥月命日でありまして、そういう意味ではまさしく父の日でございました。 で、母や姉と父の話をしていたんですけど、話題がたまたま父がガンと診断された時のことになった。 ま、父は何度か胃がんをやっておりまして、その時々で思い出が異なるわけ。 で、最初の時は、私はまだ小さかったせいか、全然覚えていなかったのですが、姉が鮮明に覚えていた。 その時、何故か母方の祖父母の家にいたんだそうですが、父と母が何やら深刻な話をしていると。で、これは何かあるなと思って、あとで姉が祖母に何事かと尋ねると、祖母曰く、あんたのお父さんがガンになったけど、いざとなればこの家に来ればいいから心配するなと。 で、そう言われても安心できなかった姉が母に尋ねると、「大丈夫、最悪の場合でも、私(母)が(父の勤め先の)玉川学園の図書館の司書になってでも養ってあげるから心配しないで。小原先生(玉川学園の創立者)が私たちを見捨てるはずないから、きっと雇ってもらえるはず」と気丈なことを言ったのだそうで。 へえ~。そんなやりとりがあったんだ・・・。それは知らなかった。 今、89歳の母に聞いたら、「え、あたし、そんなこと言ったかしら?」ですって。そんな昔のこと、すっかり忘れてしまったらしい。 で、2回目の時は、これは私の思い出でありまして、私が高校生くらいの時に、父が家の最寄りの駅から電話をかけてきて、ちょっと迎えに来てくれと。で、私が急いで行ってみると、父が駅のホームのベンチに力なく座っていて、何事かと思ったら、人間ドックで胃がんの診断を受けたと。それで、意気消沈して力が抜けてしまったんですな。それで、私が父の荷物を持って、肩を貸して、それで一緒に帰宅したことがあった。 ま、この最初の2回の時は、発見が早かったので、内視鏡でガンを取っただけで済んだのですが、その後、私が名古屋の大学に赴任した直後、3回目に胃がんになったこともあって、その時は胃を3分の1ほど切りました。 この時は父が入院していた時に、私が名古屋から戻って見舞いに行って、何やかやと話をしていた時、ふと父が私に向かって「何か、いい話はありませんか」と言ったのをよく覚えています。「何かいい話」というのは、つまり「お前、就職もしたことだし、そろそろ結婚したらどうか?」という意味で、要するに死ぬ前に私が結婚して身を固めるのを見たいということだったんですけど、その時はまだまるで当てがなかったもので、申し訳ないなと思ったことをよく覚えています。 しかし、そういうのも、今思えば親心だよなと。病気してちょっと気弱になって、そんな時にただ一つ望むのは、息子がちゃんと所帯を持って幸せになってくれれば、ということだったんだから。 それにしても、改めて思うに、父は偉かったなと。私だったら、そんな3回もガンと診断されたら、その都度、もっと激しく落ち込むんじゃないかと思いますからね。大したもんだ。 ってなわけで、今日は父の日らしく、「父よ、あなたは偉かった」という話をして、いい供養になったのでした。
June 20, 2021
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このところ続けざまに読んでいるポール・アダムの「ヴァイオリン職人シリーズ」第三弾、『ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器』を読了しましたので、心覚えを漬けておきましょう。以下、ネタバレ注意ということで。 これまでのこのシリーズ同様、本作で事件解決に走り回るのはヴァイオリン職人のジャンニと、その年少の友人にしてクレモナ警察の警察官グァスタフェステ。で、今回の事件は、二人の故郷にして世界中のヴァイオリン職人の聖地たるイタリアのクレモナに、北欧から若く有望なヴァイオリン職人のリカルドがやってくるところから始まります。 実はリカルドは20年ほど前学生時代、クレモナのヴァイオリン製作学校でジャンニに教えを受けた教え子なんですな。学生時代のリカルドは北欧美男子の特権を活かした女たらしで、常に何人もの女性をとっかえひっかえしていたのですが、職人としての腕はなかなかのもので、卒業後は故郷のノルウェーはベルゲンという町に帰り、その地で職人として頭角を現しつつあった。 で、今回、活躍中の職人ということで、リカルドは母校から招聘を受け、久しぶりにイタリア・クレモナにやってきて、そこで講演をすることになったんですな。もちろん、ジャンニは(前二作で付き合いの深まった)マルゲリータとジャンニと共にこの講演を聴きにいくことにする。 講演でリカルドが取り上げたのは、ヴァイオリンによく似た北欧楽器の「ハルダンゲル・フィドル」についてのものだった。ノルウェーのお祭りなどで使われる民族楽器で、ヴァイオリンの名器のように高値で取引されることはないけれど、象嵌を施した装飾的なその楽器は、見ようによっては面白みのあるところがある。特にリカルドがわざわざノルウェーから持ってきた彼の愛用のハルダンゲル・フィドルは、ネックのところに愛らしい女性の頭が装飾として彫られていて、なかなか興味深いものではあった。しかも、フィドルの中にロケットを収める空洞があり、そのロケットには、ブロンドの髪がひと房入っている。何か曰くありげなものなんですな。とはいえ、リカルドはこのフィドルを入手はしたものの、その来歴を知らず、自分でもネットで調べているところ、とのこと。 ところが、その講演のあった夜、リカルドは殺され、彼のフィドルが盗まれたことが判明する。 そして事情を知る者として、高級ヴァイオリン・ディーラーで、リカルドの同国人であるイングヴァル・オーンダールが疑われるのですが、彼は市場がなく、ディーラーとしてはまったく旨味のないハルダンゲル・フィドルなど、自分が手を出すはずもないし、ましてや人を殺害してまで手に入れたいものではないと疑惑を否定、しかも十分なアリバイもあることが判明する。 しかし、そのオーンダールも、帰国後、ノルウェーで何者かに殺害されてしまう。 高級ヴァイオリン市場の観点から見るとほとんど無価値とすら言える民族楽器ハルダンゲル・フィドルにかかわった人物が次々と殺されるこの事件、一体、犯人は誰なのか、またその殺害の理由や動機は??? 殺されたリカルドの元先生であったジャンニは、リカルドの恨みを晴らせるのか??? ジャンニとマルゲリータ、そしてグァスタフェステは、事件の真相を探るため、太陽の国イタリアから、雨と寒さのノルウェーへと飛ぶ! ・・・というようなお話。 まあ、今回もヴァイオリンがらみの話ですが、作者のポール・アダムは相変わらずその辺、よく調べていて、読んでいてそっち関係のことに詳しくなれます。今回は主たる舞台がノルウェーということで、ノルウェーの国民的作曲家グリーグとか、同じくノルウェーが生んだ天才ヴァイオリニスト、オーレ・ブルのことが、事件の進展とともに詳しく語られている。特にオーレ・ブルは、自身、美貌の人たらしであり、彼に泣かされた女性も多く、また彼の夢のような計画に騙されて被害にあった人々の数も少なくない。そんなオーレ・ブルの姿が、現代の女たらしのリカルドと重ねあわされていくところが、まあ、作者の腕の見せ所でありまして。 また、本作で主人公のジャンニとマルゲリータの関係がいよいよ深まってきた(とはいえ、二人はともに60代ですから、若い恋人同士のような性急さはないのですが)ことに加え、前二作では女っ気のなかったグァスタフェステが、殺されたリカルドの妹であるアイナとちょっといい関係になりそうになるというところが見どころの一つで、果たしてこの二人はこの先、どうなるんだろうというのも、シリーズ物の読者としては気になるところ。 ま、相変わらず面白い推理モノでした。 だけど・・・ポール・アダムの作品を三冊立て続けに読んだため、彼の書くパターンが大分見通せる感じになってきて、ちょっと飽きてきたかな、というところもあるかな・・・。とはいえ、水準には達しているので、興味のある方はぜひ。でも、どうせ読むなら、最初の作品から順に読んだ方が面白いですよ。これこれ! ↓ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器 (創元推理文庫) [ ポール・アダム ]
June 19, 2021
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母がいよいよコロナ・ワクチンの接種をするというのと、父の祥月命日が重なったので、実家に戻っております。 で、午前中は母を連れて地元の区役所の特設会場へ。 行ってみると、まあ、丁寧かつ万全な対応が取られておりまして、迷うことなく1時間もしないうちに受付から予診からワクチン接種から15分間の様子見まで、一筋の導線で済ますことができました。年老いた母への気遣いも大変なもので、対応に当たられた皆さんには感謝の一言しかございません。 が! これほど万全にやってもらった上でこういうことを言うのもなんですが、ちょっと万全過ぎないかなあ? 戦後のDDTの噴射ほど雑じゃなくてもいいけど、コロナ・ワクチンくらい、もっと気軽にホイホイ注射しちゃえばいいんじゃね? 会場まで足を運んでワクチン打ちに来た時点で、元気な証拠なんだから、予診とか、もうそんなのいいから、いきなりブチュ、ほいきたブチュって感じで、ジャンジャン打ちまくれば、これほど時間がかからないんじゃないかなあ? 今のやり方はもう、完璧なまでに丁寧過ぎて傍で見ているだけでも疲れちゃう。実際に担当されている方は疲弊しきるんじゃないかしら。ありがたすぎて、申し訳ないなと。もっと簡単な手続きでいいような気がしますけどね。 まあ、とにかく、壮大な国家的プロジェクトって感じでしたわ。 さて、午前中は母のために時間を使ったので、午後は父のために墓参りに行ってきました。 GWには行けなかったので、結構、雑草が生えてしまって大変。とりあえず大汗かきながら草刈りをし、墓や花受けを洗い、花を手向け、線香を手向け・・・ってなことをやっていたら、これまた結構時間掛かっちゃった。 で、今回はもう一つミッションがありまして。父はアジサイが好きだったので、行きにホームセンターに寄ってアジサイの苗を買い、それをお墓の脇に植えたんですわ。アジサイもそろそろ終わりなので、いい苗が残っているか、不安だったんですが、幸い、いい色(明るい水色)のが残っていたので、それを買って行って植えたところ、なかなかいい感じになりました。これが根付いて、毎年、咲いたら、親父も墓の下で喜ぶかなと。 とまあ、今日はほとんど一日、親孝行で過ぎたのでありましたとさ。自分で言うのもなんだけど、孝行息子だよね・・・。見上げたもんだ。
June 18, 2021
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先日、某出版社から印税の支払いが来まして。きゃっほー、でございます。 ま、それはいいのですが、当該の本は、通常の紙媒体のものと同時に、電子ブックとしても市場に出ている。つまり、キンドルとかでも読めるようになっているわけ。 で、電子ブックというのは、通常の紙媒体のものより、著者にとってはありがたいところがある。それは印税が2倍だということ。通常、紙の本だと、印税って定価の8~10%あたりが相場ですけれども、電子ブックの場合はその倍、20%くらいが相場となる。 つまり、紙の本として売れるより、電子ブックで売れてくれた方が、印税率は遥かにいいわけですよ。 しかし!!! 今回、印税をもらって驚いたのですが・・・紙媒体の方はそこそこ売れているけど、電子ブックの方の売上は笑っちゃうほど少ない。うっそ~!っていうほど、電子ブックとして買ってくれた人が少ない。 「これからはみんな電子ブックになってしまって、紙の本は廃れる」なんて言われたことがこれまでに何度かあったけれど、そんなのウソウソ! キンドルとかで本を読んでいる人の数なんて、紙の本の読者と比べたら微々たるものでしかない。 ま、もちろんこれは自分の本での経験からそう言っているだけですけれども、私の本だけそう、ってことはないでしょ、多分。やっぱり、みんな紙の本買って、物理的にページをめくりながら本を読んでいるのよ。 で、思うんだけど、今、「電子ブックとして著書を出しませんか?」的なお誘いの電話とかDMとかが来ることがあるけど、あれは、ほぼ詐欺だね。手数料として何十万だか、何百万だか、著者からふんだくって、確かにキンドル本として市場には出るけれども、それは形の上ではそうだとしても、実際にはほとんど売れないので、印税なんてほとんど発生しない。だから、「印税20%ですよ!」なんて言われたって、こういうのに引っかかってはいけません。 こういうことを言うのも、実は最近、元同僚の先生(女性)が立て続けに何冊もキンドル本を出していることが判明しましてね。 噂によると、この先生、宗教がらみで洗脳され、大学も辞めさせられただけでなく、教祖様に騙されていい金づるになっているらしいんですけど、そっちで身ぐるみはがされた上に、キンドル本詐欺にも引っかかってるらしいとなると、何とも気の毒だなあと。 ま、それはともかく、電子ブックってのは普及しないんだ、というのが今回、非常によく分かりました。紙の本、万歳!ですな。
June 17, 2021
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今日、出勤前に市役所に寄って市民税・県民税を納めてきたんですけど、支払う税金を下ろすために市役所内のATMを使おうとしたわけ。 ところが、そのATMを、私の母親くらいの年齢の老婆が占拠しておりまして。おばあさんは何やら送金をしようとしているらしいのですが、何をどうやっていいのか分からないらしく、ためになかなか手続きが終わらない。ATMの順番を待つ人々の列が段々長くなり、当のおばあさんはまったく気づいてないみたいだけど、後ろに列をなす人々の苛立ちが次第に上昇していくのが、並んでいる私にも感じられるほどになってきた。 で、市役所の案内係の人が見かねておばあさんの手伝いをしようと飛んできたんですけど、おばあさん自身、何がしたいのか、何をどうするつもりなのかがあまりよく分かっていないようで、助けようにも助けられない。仕方なく「ちょっと後の人がつかえてしまったので、一旦、譲りましょう」と係の人に諭されて、どこかに連れていかれましたけど、その一連の流れをすぐそばで見ていて、気の毒でね。 気の毒っていうか、明日は我が身、というか。 まあ、今の時点では私もまだ何とか現代社会の流れに一応はついていける状態で、パソコンもスマホも使うし、ATMも使える。しかし、あと10年、20年したら? その時の社会の在り様に、果たして私はついていけるのだろうか? まごまごしちゃって、周りの人達からの苛立ちの眼差しを集めることになっていたりするのではなかろうか? 昔は電車に乗るんだって、駅の係員に直接「どこどこまで、大人一枚」とか言えば、切符が買えたもんですし、銀行の手続きだって、窓口で相談すれば、担当の人間が親切に教えてくれた。どんなことでも、人間相手に手続きができた。そういう、昔の日本が懐かしいですわ。 さて、「昔の日本」つながりなんですけど、今日私が読んでいたのは、『安藤昇の戦後ヤクザ史 昭和風雲録』という本。これ、先日読んでいた坪内祐三さんの『昼夜日記』で、ツボちゃんが絶賛していて、ちょっと興味があったものだから。 安藤昇という人については、その名前はちらほら聞いたことがある程度でしたけど、今回この本を読んでみて、なるほどそういう人だったかと納得。 安藤昇は大正15年生まれだから、私の師匠とほぼタメで、それを昭和史の裏面と言うかどうかはアレとしても、とにかく、これもまた貴重な戦後昭和史と言えることは確か。 じゃ、安藤さんはどんな人生を送ったのかというと、もうちょっと敗戦が遅れていたら、潜水艇で米艦に爆弾もろとも突っ込んでいたというような状況から復員し、19歳以後の人生は余生と考えた安藤さんは、戦後の闇市での商品横流しによる荒稼ぎから始めて渋谷の愚連隊を率いるリーダーとなり、群雄割拠のヤクザ社会の中で頭角を現していき、安藤組という、当時のヤクザの一般的な組織形態とは大分異なる近代的(?)な新しいタイプの組織を育て上げ、表稼業・裏稼業で大立ち回り。もちろん、あまり褒められたようなことではないのですが、戦争直後の混乱した社会の中で、例えば「戦勝国民」となった外国人の横暴が横行していた中、日本の弱小商店などを守る自衛組織として、警察も場合によってはヤクザ組織に応援を頼むこともあって、当時のヤクザ組織は、よく言えば「必要悪」みたいなところもあったんですな。 そうした中、たまたま義理のからみ合いの中で、当時、派手に売り出し中で、後にホテル・ニュージャパンの火災事故で大きな被害を出す横井某への襲撃事件を首謀することになり、安藤さんは逮捕されてしまう。で、6年ほど食らって、出所後に安藤組を解散するんですけど、その後、今度は映画の世界で俳優として生きることになり、本物のヤクザからヤクザ俳優になるという数奇な運命を辿る・・・。 と、まとめてしまうと、全然面白くないですけど、そういう切った張ったの世界での様々な人との出会い、様々な事件との遭遇が次々と語られていくと、それはもうすごいドラマの連続で、まさに波乱万丈とはこのことかと。そんな世界で生きていて、安藤さんは89歳の長命を保ったんだから大したもんだ。この本が書かれた時、安藤さんはもう80代だったはずですが、その記憶やら語り口はまったく年寄りっぽくなく、まるで昨日のことのように語っていて、面白いの、面白く無いのって。 横井氏襲撃事件にしても、安藤氏側から見ると、まあ、この横井というのがとんでもない食わせモンで、経済界の風雲児ではあったのだろうけど、人として見たら最低の人物。そこに義理が絡んで、襲撃せざるを得ないような立場になった安藤さんもむしろ気の毒というか。 そんな中、安藤さんに味方してくれる人も居たりして、そういうところから人間性というのが見えてくるもんだなと。 横井某の他にも、安藤さんとのからみから、力道山がどんな人だったか、三船敏郎がどんな酒乱だったか、山口洋子がどんな女性だったか、色々な組の親分さんたちがどんな人だったか、なんてことが色々分かって、さながら昭和人物図鑑の趣あり。面白いもんでございます。 っつーことで、確かに坪内さんの言う通り、非常に面白い本でした。数年前に『浅草博徒一代』という本を読んで非常に面白かったことがありましたが、時代的に言って、あの本で描かれたヤクザ社会のその後を語っている安藤さんのこの本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓安藤昇の戦後ヤクザ史昭和風雲録 /ベストブック/安藤昇/安藤昇/ベストセレクトBB*Big birdのbest books【中古】afb
June 16, 2021
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飯田史彦さんの書いた『完全版 生きがいの創造』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。スピリチュアル系(死後の世界系)の自己啓発本ですな。 ちなみに今回私が読んだ本は『完全版』でありまして、そうじゃないオリジナルの『生きがいの創造』というのは、1996年に出ているのね。だけど、その後、この本や飯田さん自身が有名になっちゃって、著書も200万部くらい売れるようになっちゃったので、オリジナルの本に色々と付属や尾ひれがついて、完全版になっちゃったと。完全版ともなると、総ページ数が935頁と、千ページにあわや届かんというところまで膨れ上がっちゃった。前書きだけでほとんど100頁近く行くからね。完全に、今言うところの「レンガ本」です。・・・なんか最近、レンガ本ばっかり読んでいるなあ・・・。 さらにちなみにですけど、著者の飯田さんというのは、私とほぼタメの年齢(向こうが一つ上)、しかも地方の国立大学(向こうは福島大学)の教授だったという点も同じ。もっとも、今はもう福島大学は辞められたようですが。・・・ということはつまり、国立大学の給料なんかとは比べ物にならないくらい、稼いでいらっしゃる、ということなんでしょう。 で、前書き読んでひゃーと思うんですけど、この飯田さんって、元々は経営学の学者だったと。で、主たる研究テーマは、企業人のモチベーション・・・まあ、日本語で言えば「生きがい」ですわなあ・・・を上げるにはどうしたらいいか、だった。というのも、燃え尽き症候群じゃないけど、会社に入った後、何らかの理由でモチベーションを見失ってしまう会社員ってのは多くて、それが会社の経営の足を引っ張るもんだから、それをなんとかできないかと。 で、そういう中、たまたま「死後の世界」とか「生まれ変わり」とか、そういうスピリチュアルな研究があるということを知り、またそういうスピリチュアルな概念を想定し、それを踏まえると、なぜか不思議と「生きがい」が生まれるという、いわば「現世的なメリット」があることに気づいた飯田さんは、1995年、福島大学の紀要『商学論集』に「『生きがい』の夜明け:生まれ変わりに関する科学的研究の発展が人生観に与える影響について」という論文を発表してみたと。それも論文の末尾に、「ご希望の方には(本論文を)無償でお送りいたします」という一文を添えて。 で、国立大学の紀要に「生まれ変わり」などというスピリチュアルなテーマの論文を載せるということに対して、当初飯田さんは、同僚や世間からの非難ごうごうを予想して相当おっかなビックリだったらしい。で、実際、相当陰湿な嫌がらせを受け、多くの友人を失ったと。 で、ここまで読んだ段階で、私なんぞは相当、ビビるわけですよ! そうなんだ、国立大学の教授がスピリチュアルなことをテーマに論文を発表すると、多くの友人を失い、陰湿な嫌がらせを受け、非難GO! GO!! なんだ・・・。 やっべーー! めちゃくちゃ、やっべーーー! それ、まさにわしがこれからやろうとしていることじゃん!! 恐ろしいねえ、日本という国は・・・。げに恐ろしい。そうなんだ~・・・。 しかし、アレだよね。国立大の紀要(=論文集)に「希望者には抜き刷りを無償で送る」なんてメッセージをさ、付けるかね普通? 相当な山っ気がないと、それはやらないな。私だったら、というか、私ですらやらない。だから、飯田さんという人は、山っ気のある人なのよ、ワタクシ以上に。多少の非難は受けるだろうけれども、大向こうに居る無垢なる善男善女は喜ぶだろうというのを、最初っから狙ってんのバレバレじゃん。 で、実際、この論文は各方面から引っ張りだこになり、飯田さんは自費で増刷し、なんと半年で7000部も送付したと。 で、この論文を元に翌年、オリジナルの『生きがいの創造』を出したらこれが50万部のベストセラーになり、さらにその後、「飯田の生きがい論」というのを掲げて次々本を出すようになって、トータル200万部のベストセラー・ライターになっちゃった。で、ここまでくれば大丈夫、というわけで、冒頭にも述べたように、飯田さんは国立大教授なんて肩書はあっさりと投げ捨て(もちろん「元国立大教授」の御威光は保ちつつ)、今は「生きがい論」の権威として、著述に、講演に、カウンセリングに、「光の学校」なるサイト運営に、精を出しておられると。 いいね~! 国立大なんかでせこせこ働いているより、ずっと面白そうだし、お金も儲かりそうだし、「生きがい」がありそうだ!! ということで、私が読んでしまったこの『完全版 生きがいの創造』ともなると、もう、アレだよ。内容も盛り沢山過ぎて、例えば飯田さんが作詞作曲された「ツインソウル」という歌(冒頭の歌詞はこんな感じ:あの日 ふいに 出逢った時/ぼくらは 恋におちた/ 時を重ね いつのまにか/深く愛し合っていた・・・)とか、そういうのも載っているし(多分、CDとかも買えるはず)、講演依頼だったら、このアドレスに連絡下さい、なんて情報も載っている。それどころか、この生きがい創造運動に協賛される方は、是非寄付をどうぞ、寄付先はここでーす!みたいな情報まで載ってますからね。 要するに、飯田史彦は、もはや「生きがい産業」の経営者と言っていいでしょう。 いや、別にそれが悪いとは一言も言ってませんよ。だけど、先ほども言ったように、山っ気のある人だよね、っていう私のカンは確認されました。 あーーあ・・・。もうなんだか・・・、ま、いっか・・・。 さて、本題に戻りまして、この本の内容はどういうものかと言いますと、先ほども要約したように、「死後の世界」論、「生まれ変わり」論の、現世的活用論でございます。 飯田さんは、賢くも、死後の世界があるとか、生まれ変わりという現象があるとか、そういうことを調べたり、主張したりは決してしないのね。ただ、そういう研究をしている人がいると。それも、インチキ臭いスピリチュアル・ライターとかそういうのじゃなくて、ちゃんとした大学、ちゃんとした研究所に所属しているちゃんとした科学者の中に、そういうことを研究している人がいて、彼らのちゃんとした研究成果によると、死後の世界を見てきた人たち、あるいは生まれ変わりをした人たちというのが存在していると。で、そういう人達は、異口同音に、「中間生」というものがあって、死んだ人間はそこに行って、次に生まれ変わるタイミングを待っているということを言っておると。 で、このことの真否については飯田さんは一切触れません。ただ、真面目な科学的研究成果によって、そういうことが明らかにされているのは事実だよと言うだけ。 その上で、仮にこの状況が「真」だと仮定したら、そこからどういう人生観が生まれるかな? ということを問題にすると。 仮に、もし中間生とか、生まれ変わりということがあるのだとすると、人がそれぞれの人生で出くわす様々な苦難の意味が説明できてしまうわけですよ。 つまり、人が生まれ変わるのは、すべて修行のためだと。何かを学ぶためであると。そのために、中間生にいる魂は、それぞれの課題を果たすために、自らの意志で、自ら状況を選択した上で、生まれ先を選んで生まれてくる。つまり、全部が全部、自分自身が仕組んだことだ、ということになる。 例えば、今、親子関係が崩れていて、それに悩んでいる人がいるとする。なんで俺の親はこうも物分かりが悪いんだ!と。 これ、生まれ変わりを前提に考えると、答えは簡単です。自分はそういう親をわざわざ選んで生まれてきて、そういう親に対処する勉強をするために今、ここにいるんだ、ということになるわけ。だから、そういう親をもったその人は、まさに人生順調そのものです。だって、自分で仕組んだ課題を果たすための絶好のシチュエーションがまさに目の前に来たのだから。だから、「よーし、まさに予定通りだ! この扱いの難しい親とどう付き合うかが、今生の俺の課題なんだから、それをうまく果たそう!」ということになり、ネガティヴな人生は、たちまちポジティヴな学びの場に変わりました! この伝で行けば、人生の苦難は全部ポジティヴな課題になるよ。 「なんで自分はハンディキャップをもって生まれたんだ?」→「ハンディキャップのある人生を歩むということこそ、自分で計画した学習プランだったのだから、まさに人生順調! さあ、ハンディキャップを乗り越えて力強く生きていこう!」 「何で俺は働いても働いても貧乏なんだ? 高校の同級生のあいつは、今はIT企業の社長で天下とっているのに?」→「清貧に暮らすというのが、元々計画していた人生プランなんだから、まさに人生順調! 予定通りだ! この貧乏の中、どうやって楽しく生きていくか、腕が鳴るなあ!!」 ね? どんな苦難だって、自分が計画した人生のプランだと思えば、その苦難の中にいること自体が順調の証、ということになり、不満は一切なくなるどころか、この苦難を乗り越えて、自分で自分に課した宿題を果たせば、また一歩霊的に成長できる! やった~!ということになるわけですよ。 この発想・・・というか、この発想の転換こそが、飯田さん言うところの「ブレイクスルー思考」であり、つまりはそれが「生きがいの創造」であるわけね。 ちなみに、これはちょっと重要なんだけど、飯田さんの「ブレイクスルー思考」は、いわゆる「プラス思考」とは違います(794頁参照)。 「プラス思考」というのは、なんでもかんでも、不幸でもなんでも、それを無理やりプラスに解釈する、というもの。「失敗しちゃった。でも、これをプラスに考えて、いい勉強になったと思い、次に活かそう!」というのがプラス思考ですけど、これはさ、やっぱり無理があるわけですよ。失敗は失敗なのであって、その屈辱(マイナス)をプラスに変えるとなると、相当な力業が必要だし、無理をしている分、どこかにひずみがくる。 だけど、「ブレイクスルー思考」だと、失敗そのものが、自分自身で最初から計画していたことであって、その失敗を克服するのが今回の人生のミッションだから、失敗したことは順調の証、ということになる。もともと失敗自体が計画通り、すなわち「プラス」の価値を持ったものだから、それをさらにプラスなものにすることに関して、無理・ゆがみがない。そこが、単なるプラス思考と、飯田さんのいう「ブレイクスルー思考」の違いになります。 で、とにかくブレイクスルー思考で人生の状況を考えると、幸も不幸もすべて順調、あとは自分で課した宿題に如何によく答えていくか、ということになるわけですけど、その宿題の果たし方だって、単純なものです。つまり、「その状況でも、人に優しくしなさい」ということに尽きるわけだから。そして人に優しくしたことは、必ず自分に返ってくる(これも飯田さんの生きがい論のテーマの一つ)ので、いつか必ず人からも優しくされるようになる。人に対して優しくし、人からも優しくされたら、もう、その時点で地上に楽園が生まれたも同然。 ま、本書『生きがいの創造』が主張していることは、そういうことですな。 もっとも、「死後の世界」とか「生まれ変わり」という、若干エキセントリックなことを経由しているので、その点で新しい部分はあるけれど、結果的に言うと、先日読んだ新渡戸稲造の「善用論」と同じことになるんだけどね。物事、すべて善用する道がある。不運・不幸もそれを「善用」すれば、いいことが起こるよ、っていうことだからね。 まあ、こんな風に「飯田史彦の生きがい論、見抜いたり!」とか言っても一文にもならないけど、飯田さんはこれでひと財産築いているわけでしょ。果たして私が賢いのか、それとも飯田さんが賢いのか、自ずと分かるというものでありまして。 さ、あとは業務連絡だけど、飯田さんが準拠している先人たちを列挙していくと、もちろんレイモンド・ムーディやエリザベス・キュブラー・ロス、スタ二スラフ・グロフ(国際トランスパーソナル学会初代会長)は言うまでもないとして、あとはブライアン・L・ワイス、カール・ベッカー、グレン・ウィリストンの名前が出てくる。特に最後のグレン・ウィリストンの名前がよく出てくるので、この人のことは知らなかったので、ちょっと要チェックかな。でも、現時点ですら、飯田さんより私の方がより多くの「死後の世界」「生まれ変わり現象」の文献を読んでいると見た。 あと一つ、後でちょっと試してみようと思ったのが、故人に会う手っ取り早い方法ね(490頁参照)。これ、レイモンド・ムーディの開発した「鏡視法」というのだそうですが、外部の光が入らず真っ暗になる部屋を用意し、そこに大きな鏡を高さ90センチの位置に設置する。で、その鏡の前に安楽椅子を置き、角度をつけて、自分自身が鏡に映らないようにする。で、小さな電気スタンドを椅子の背中側に置く。この状態で、椅子に座り、鏡の奥の暗闇をじっと覗いていると、早い人で数分、遅い人でも数十分すると、いきなり故人の姿が鏡に現れたり、鏡から故人が出てきたりするんですと。貞子かっ! ちなみにこの場合、自分が会いたい人が出てくるというよりは、向こうが会いたいと思って、出てくるんですと。 これはちょっとやってみたいねえ。4年前に死んだ親父に会えるかもしれない。 ということで、この本、色々面白いところはありましたが、さすがに霊感のある飯田さんが、いきなりインスピレーションを得て、見ず知らずのよその家に行き、そこの奥さんに、死んだ旦那さんからのメッセージを伝えに行く、といったようなドラマチックなエピソードとか読まされると、わしは一体何を読まされているんじゃ、という気にはなります。そういうのがお嫌いではない、というのであれば、自分の人生を全肯定できるようになるこの本、おすす・・・おすす・・・まあ、そんな感じです。これこれ! ↓完全版 生きがいの創造 スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ PHP文庫 / 飯田史彦 【文庫】
June 15, 2021
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作曲家の小林亜星さんが亡くなりました。享年88。 数々のCMソングの名曲が浮かびますなあ。ブリヂストンの『どこまでも行こう』、日立の『この木何の木』、日本生命『日生のおばちゃん』、レナウン『わんさか娘』、明治製菓『チェルシー』、エメロン『ふりむかないで』、大関酒造『酒は大関心意気』、ライオン『ブルーダイヤ』等々。 私は昭和のCMが好きで、時々、仕事に疲れた時など、ネットで昔の昭和のCM集を見るんですけど、昭和の頃のCMで扱われる商品って、たいてい歌を伴うわけですよ。飴にしても、「キャンロップ」の歌があり、「ライオネス・コーヒー・キャンディー」の歌あり、「純露」の歌あり、と言った調子で。その中に亜星さんの「チェルシー」の歌もあった。そうやって、商品が、それぞれ特有の歌と共に頭の中に焼き付いている。 今、なかなかそういうのないもんね・・・。クルマのCMにしたって、昔は日産スカイラインと言えば、「愛のスカイライン」の歌があって、あの歌のイメージと車本体が完全に一致していた。ホンダの「シティ」の歌とかも懐かしい。それに比べて今、「プリウスの歌」とか、「フィットの歌」とか、ないでしょ。 そういう意味で、商品に歌がついていた時代って良かったなと思うし、そういう意味でのCMの名曲を、亜星さんは随分沢山作っていたんだなと思うと、やっぱり、昭和の作曲家っていう感じがする。 それに、亜星さんの歌って、亜星さん本人のイメージ(っていうか、寺内貫太郎的なイメージ)とは裏腹に、かなり繊細だよね! チェルシーの歌なんて、ほんとにイメージの中のイギリスの草原が目の前に浮かぶもんね。 また、亜星さんのもう一つの側面は、今言った「寺内貫太郎」ですけど、あのドラマもね、昭和だったなあ。そして向田邦子も死に、西城秀樹も死に、加藤治子も死に、悠木千帆(樹木希林)も死に、そしてついに小林亜星も死んだわけか・・・。 ほんとに、少しずつ昭和が遠のいていく感がありますなあ。 まあ、でも、いい人生だったんじゃないでしょうか、小林亜星先輩。いい曲を沢山、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
June 14, 2021
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林望先生の食エッセイ『大根の底ぢから!』を読みました。 林先生は、ご自宅でとるほぼすべての食事をご自身で用意されるほど、食べることや食べ物を作ることに関心もあれば腕前もある方で、かつ、外食するとなれば、旺盛な好奇心と探求心とこだわりを示される方ですから、従来から食をめぐるエッセイは多いのですが、本書もそんなリンボウ先生の食エッセイの最新作と言っていいでしょう。 食に関するエッセイってのは、どの道、難しい話になることがなく、気楽に読めるからいいよね! で、本作においても、古の文献に出てくる食物のこともあれば、子供の頃に食べた懐かしい味の思い出もあれば、インスピレーションを得てリンボウ先生が独自に作り方を考案した食べ物の話もあれば、食べ物が出てくる俳句の話も出てくる。色々なアプローチの仕方で様々な食べ物の話が出てくるもので、飽きることなく、次から次へとページをめくっているうちに、一気に最後まで読んでしまうというシロモノでございます。 いやあ、しかし、食べ物の話だったら、誰でもある程度は書ける・・・と思うのは間違いで、「どこそこであんなものを食った、こんなものを食った」程度の話なら10個やそこいらは書けるとしても、なかなかバラエティに富んだ話にはならない。やはりその辺は百戦錬磨のエッセイストにして、日本の古典文学に通じたリンボウ先生くらいの筆がないと、難しいのではないかと。少なくとも、私には書けないな。 っつーわけで、このところ面倒くさい本を立て続けに読んだ後、ちょっと頭を休憩させるためにはいい読書体験となりました。リンボウ先生のこの本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓大根の底ぢから! [ 林 望 ]
June 13, 2021
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オリヴァー・ロッジ卿が書いた『レイモンド』(原題:Raymond or Life and Death, 1916 )という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 さて、その前にオリヴァー・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge)ですが、この人は1851年の生まれで1940年没。イギリスの物理学者ですね。物理学者ったって、そんじょそこらの物理学者じゃないよ、電磁波検出器「コヒーラ」の発明者で、点火プラグの発明者でもある。つまり、無線電話とか、自動車とかの発展は、すべてこの人の貢献によるものなんですな。つまり、超一流の物理学者であった、ということ。元々リバプール大学で教鞭を執っていたけれど、その後バーミンガム大学の初代学長にまでなってますからね。そりゃ、「サー」の称号も付きますわな。 で、そんな超一流の物理学者にして、心霊研究の第一人者でもあった、というので、心霊研究サイドとしては頼もしい味方、ということになる。だって、「心霊研究なんて、バッカみたい」って言われた時に、「へーえ、素人はそういうこと言うんだ。でも、超一流の物理学者にしてバーミンガム大学の学長のロッジ大先生が、心霊の世界はあるって断言してるもんね!」と言い返せますからね。だから、心霊研究者サイドとしては、何かというとロッジ卿がこう言っておられる、的なことを言いたがるわけよ。 この辺の詳しいことは、ウィキペディアの「オリヴァー・ロッジ」の項目でも読んでもらうといいのですが、とにかくロッジ卿は、我々が「現実世界」と思っているこの世こそ幻影で、本当の世界というのはこの宇宙の内奥にある。今我々が触っている物体だって、エーテルが凝固したものに過ぎない。死んであの世に行くというが、本当はあの世の方が実体なのであって、むしろこの世にいることの方が奇蹟である、という考え方の大科学者なんですな。もちろん、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの三人の学寮長によって設立された「心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research, SPR)」の主要メンバー(第6代会長)でもあります。なお、SPRの支持者としては詩人のアルフレッド・テニスン、ルイス・キャロル、アーサー・コナン・ドイル、哲学者のC・D・ブロード、分析心理学のカール・ユング、フランスの哲学者でノーベル賞受賞者のアンリ・ベルグソン(第11代会長)などが有名。 ちなみに、イギリスのこれに刺激されてアメリカでウィリアム・ジェイムズ(第3代SPR会長)などによって設立されたのが「米国心霊現象研究協会(ASPR)」で、ここは1890年からイギリスのSPRの正式な支部となり、マーク・トウェイン、それにデューク大学の超能力研究者、J・B・ラインなんかもこのメンバーでした。 こうしてみると、錚々たるメンバーが、当時、心霊研究に打ち込んでいたってことになるわけだよね! さて、で、そんなロッジ大先生ですから、1880年代から既にテレパシーなんかの研究を始めており、そのあたりからスピリチュアルな方向に向かうわけですけれども、やっぱり決定的にそっちに方に行っちゃうのは、息子のレイモンドが第1次世界大戦で戦死してから。その辺は、同じく息子を第1次世界大戦で失ってからスピリチュアルな方に突っ走るアーサー・コナン・ドイルと同じで、実際、ロッジとコナン・ドイルは親しい友人同士でした。 死んだ息子があの世でちゃんと生きていて、今もなお会話が出来ると信じたことからスピリチュアルに向かうロッジとコナン・ドイル・・・もう、涙なしには語れないじゃないですか。でも、結局、そういうことなんじゃないの? そういう切ない思いから宗教に向かう人も居れば、それが科学者の場合は、スピリチュアルに向かうと。で、科学的にあの世が実証できると信じれば、科学者は同時に普遍的な意味での宗教家ともなるわけで。実際、オリヴァー・ロッジ卿が「クリスチャン・スピリチュアリスト」と呼ばれるのは、そういう意味ですからね。 で、本題に戻りますが、ロッジ卿が書いた『レイモンド』という本は、第1次世界大戦で名誉の戦死を遂げた息子レイモンドと、交霊会で霊媒を通じて語り合った経験を実証的に記録したものなんですな。 そのレイモンドですが、ロッジ卿の末子で、上に兄が二人、姉も居る。顔つきは父親似だったそうですが、肖像写真を見ると、映画『ハムナプトラ』でヒロインの兄を演じた俳優ジョン・ハナーにクリソツ。バーミンガム大学で機械学・工学を学んでいたが、1914年9月に自らの意思で志願兵となり、ただちに南ランカシャ第二連隊の少尉となって、1915年9月14日、塹壕戦を戦っている最中、敵の榴散弾により重傷を負い、その数時間後に死亡。 ところがですね、ここが本書のポイントの一つなんですが、ロッジ卿は、レイモンドの死をあらかじめ知っていた・・・と言うと言いすぎですが、少なくともそれを予言するような連絡を、正式な陸軍からの連絡の前に受け取っていたんですな。 というのも、アメリカの有名な霊媒師であるパイパー夫人(ロッジ卿は、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズから紹介されて、パイパー夫人とは1889年から知り合いであり、1906年からはさらに親しく連絡を取り合っていた)を通じ、既にあの世に行ったSPR仲間のフレデリック・マイヤーズ(SPRの創設者の一人で、超有名な人。1901年没。ウィキペディアをご覧あれ)から、何らかの不幸が起こることを予告されていたから。これ、パイパー夫人の家でロビンズという女性が交霊会を開いていて、リチャード・ホジソン(この人もSPRの初期メンバーで、もちろんロッジともお友達。ウィキペディアをご覧あれ)と交信していた時に、急にマイヤーズが割り込んできて、ロッジにある種の警告をしたんですな。 じゃあ、それがどんな具合だったかといいますと、以下の通り:ホジソン:さて、ロッジ、私達は昔のように一緒にいない。つまり全然そうではないが、通信を交えるには差支えありません。マイアーズはあなたが詩人の役になる、そしてマイアーズがフォーヌスの役になるというのです。フォーヌス。 ロビンス嬢:フォーヌスですって?ホジソン:そうです。マイアーズ。保護します。あの人(ロッジのこと)は分かるでしょう。言い分がありますか、ロッジ君。立派な仕事。ロビンス嬢:あなたは、アーサー・テニスンのことを言ってらっしゃいますの?ホジソン:いいえ、マイアーズが知っています。そうです。あなたは面食らっていらっしゃる。しかし、マイアーズは、詩人とフォーヌスのことで間違ってはいないのです。(38頁) ま、こんな感じ。明らかに、マイアーズはあの世からロッジ卿に対して、子息の戦死を知らせております。 ・・・って、どうやったらそう解釈できるんだよっ!!! 実際、ロッジ卿もいささか面食らいまして、「これは一体どういう意味じゃ? マイヤーズは一体何を知らせてきたんじゃ?」と思い、この一連のやりとりをヴェロール夫人という人(よく分からないけれど、多分、古典文学の学者さん)に問い合わせたところ、ローマ詩人のホレース(ホラティウス)の「カルミラ第二編第17、27行ー30行」に「呪うべき幹は、余の頭を打ちて、余を殺さんとしたりき。されど、マーキュリイの友を守る強きフォーヌスは、倒るる半ばにして、その打撃をさえぎりたりき」とあるので、このことではないかと回答してきた。 つまり、ロッジ卿に木の幹が倒れてきて、あやうく彼を殺そうとしたのを、マイヤーズが危ういところで助けたと。 で、この通信を受けた時(1915年9月初頭)、ロッジ卿は何か自分に金銭的な危機(破産とか)が迫っているのかと漠然と考えたそうですが、その数日後に、陸軍から愛息レイモンドの戦死の報が来て、ああ、マイヤーズが予告してきた大きな打撃とは、このことだったのかと。 どう、これ。納得できる?? ま、我々が納得するかどうかはどうでもよくて、少なくともロッジ卿は納得したんですな。で、この辺りから彼は、やたらに交霊会に参加するようになり、死んだレイモンドと対話をしようと試み始めると。 ちなみに、この交霊会ってのも今一つよく分からないんですけれども、霊媒師というのが居て、これがあの世の人との仲立ちをするのかと思いきや、そういうわけでもなく、もう一人、間に挟むらしいんですな。で、レイモンドの場合は、インドの少女「フィーダ」というのがレイモンドの伝言役らしく、レイモンドがフィーダに伝える、フィーダが霊媒師に伝える、霊媒師がロッジ卿に伝える、という伝言ゲームをやるらしい。あるいは、もっと直接的にレイモンドがテーブルを揺らすか何かして、その揺れの数をアルファベットに置き換えるか何かして、それでレイモンドが直でメッセージをロッジ卿に伝えるという方法もあるらしい。まあ、とにかく、どっちにしてもかなりまどろっこしい形で、あの世とこの世で通信が行われ、ロッジ卿(それとロッジ卿の奥さん(つまりレイモンドの母親)や、レイモンドの二人の兄たち)なんかが、やったー、レイモンドからメッセージが来たぞーー!とか言って喜ぶと。 でまた、レイモンドってのがお母さん思いな息子で、霊媒師の口から「お母さん、心配しないで」とか、「お母さん、僕はこちらで楽しくやってます」なんてメッセージを受け取る度に、ロッジ夫人は狂喜すると。 うまいのお、霊媒師とやらも・・・。 一方、レイモンドの兄たちは、若干懐疑的なのか、兄弟だけが分かる(つまりインチキ霊媒師とかには分かるはずのない)家族の思い出とかをレイモンドの霊に言わせようとして、なかなかいい結果が得られない、なんてエピソードもある。 っていうかね、まあ、本書に書かれているレイモンドからの交信なんて、漠然としたものばかりで、第三者が見たら、とても「これは確かにあの世にレイモンドが実在している証拠になる」と判断できるものなんかほとんどないよ。例えば、「こっちの世界で、お父さんも知っているAという人と知り合いになったよ」などとレイモンドが言ってきた場合、ロッジ卿は「おお、そうか、アルフレッドもそっちにいるのか!」的な反応をするんですけど、そりゃねえ、大抵のイギリス人は、長い人生の中で「A」という頭文字の男と知り合うことはあるんじゃないの? そういう類のことをもって、確かにこれはレイモンドからの交信だ、と言い切れるのかどうか・・・。 ま、強いて言うと、本書の中に登場する、そしてロッジ卿が「これは決定的」と判断するエピソードが二つあって、一つはレイモンドが死ぬちょっと前に、軍隊の仲間で写真を撮った、という話: ロッジ:お前は、写真のことを何か思い出せますか?フィーダ:そのとき、他に幾人も一緒に写したようですって、一人や二人でなくて、幾人も。ロッジ:みんなお前の友人かね。フィーダ:友人もありますって。あの方(レイモンドのこと)は、みんなの人を知っていなかったのです。そうよくは。けれど中には知っている人もあったの。聞いていた人もあったの。みんなお友達ではなかったのです。ロッジ:写真ではどんな様子をしていたか記憶していますか。フィーダ:いえ、どんな様子だったか覚えておりません。ロッジ:いえ、いえ、立っていたかというのです。フィーダ:いいえ、そうは思わないようです。まわりに立っている人もありました。あの方は座っていて、後ろに何人か立っていました。立っている人もあれば、座っている人もあった、と思っています。ロッジ:みんな軍人でしたか。フィーダ:混じりです。Cって人もありました。Rって人もありましたーーあの人の名ではない、他のRですの。K、K、K、ーーあの方はKのことで何か言っています。あの方はそれからBで始まっている人のことを言っています。けれどもBは止め。ロッジ:私はその写真のことを尋ねている。まだそれを見ないので。ある人がそれを送ってくれようとしている。私達はそれがあるということを聞いた。ただし、それきりです。フィーダ:それには十二人くらい写っています。十二人ですって。多くっても。フィーダは、きっと大きな写真なのだと思いますわ。いいえ、あの方はそう思わないのです。大勢が一緒に固まっているのですって。ロッジ:杖をもっていますか。フィーダ:それは覚えていません。あの方は、誰かが後ろから寄りかかろうとしているのを覚えています。けれど誰かに寄りかかられて写したかどうかは確かでないのです。けれど誰かが寄りかかろうとしたのを覚えています。さっき、あの方が言ったもの、Bと言ったものは、その写真では、どっちかというと目立っていましょう。それは写真師のところで撮ったものではありません。ロッジ:戸外ですか。フィーダ:ええ、実際は。(60-62頁) こんなやり取りがあった後、その写真がロッジ卿のところに遺品として送られてきて、見ると戸外で兵隊仲間と写した写真(ただし12人ではなく21人)で、レイモンドは座っていて、後ろの人から寄りかかられている(ようにも見える)。これはまさに、レイモンドがこの写真のことを言っているに違いないと。 うーーん。そうか? 兵隊として軍に所属していたら、皆で集合写真の一つも撮るでしょうしねえ・・・。これを持って、「確実」と言えるのか?? あともう一個は、「孔雀のジャクソン君事件」:ロッジ:お前は家の庭の鳥のことを覚えているかね。いや、大きな鳥です。フィーダ:ええ、覚えています。ロッジ:では、今度は何か他のことに移りましょう。私は鳥のことであれを困らせたくない。ジャクソン君を覚えていますかと尋ねて下さい。フィーダ:あの人は、いつも毎日その人に会いに行きましたって。毎日。(中略)その人は倒れたと言っています。自分で怪我をしたのです。ロッジ:家族の友人でしたか。フィーダ:いいえ。いいえ、ですって。あの方はフィーダに転がるような感じを与えます。またまるで――あの方は笑いました。それでも、家族の友人ではないといっています。その人の名を言わない日なんぞありませんでしたって。あの方は冗談を言っているのですよ、きっと。フィーダをからかっているのですよ。ロッジ:いや、あれの言うことをみんな話してください。フィーダ:あの方は言いますの、その人を台の上に置くのですって。いえ、皆さんが台の上に載せたのですって。あの方は随分妙なことだと思いました。(中略)フィーダにはあの方が、その人と鳥をごたまぜにしているように聞こえましたの。だって、その最中に「鳥」の話をなんだか始めるのですもの。ジャクソンさんのことを言っている最中に。(273-275頁) 実はこの交霊会の前に、ロッジ家で飼っていた孔雀の「ジャクソン君」が死にまして、それを剥製にするという話が持ち上がっていたと。で、そのことをレイモンドはあの世で知っていて、それを話題にしたんだ、と、ロッジ卿は判断したと。それも、まるで仲立ちするインドの少女フィーダをからかうような調子で話している感じが、いかにも茶目っ気のあるレイモンドらしい、と。 そうです・・・か。 まあね、とにかく、ロッジ卿と今は亡き子息レイモンドとのあの世とこの世の間の通信というのは、上出来の部類で以上のような感じであったと。 あと、このほかにロッジ卿がレイモンドのあの世がどんな感じかを尋ねていて、それに対してレイモンドがあれこれ答えるのですけど、それによると、あの世でも男女の区別はあると。で、男女間にはそれ相応の愛情も存在するのですけど、あの世で子どもが生まれることはないそうです。 食べ物もこの世のものとは違って、あまり食欲はわかないと。ただし、モノを食べている人は見かけるそうなので、食べても食べなくてもいいみたい。葉巻を吸ったり、酒を飲むことも出来るようですが、あまり嗜好性はなく、何回か経験すると、もういらない、という感じになるらしい。 あと、あの世では誰も出血しないようで、血を見たことがない、とレイモンドは言っております。また地上で大怪我をして死んだ場合も、あの世で少しずつ癒されるようで、片腕を無くした人も、新しいのが生えてきたそうです。とにかく、地上での完全体が、あの世で再現されるようで、ただ内臓の働きは、地上でのそれとは少し異なるらしい。ーーつまり、どうやら地上でのアイドルと同じような感じで、あの世ではトイレにはいかないでいいみたいですな。 あの世の家はレンガで出来ているみたいですが、レンガの作り方もこの世と違って、なにか地上から発散してくる原子(アトム)みたいなものが昇ってきて、それが段々固まってきて、レンガになるらしい。手触りはレンガそっくりらしいですけどね。またレンガに限らず、地上から昇ってくるエーテルから、あの世では固いものをあれこれ作るらしい。 それから地上では腐る者も、あの世では腐らないし、全て地上のものは匂いを発する香のようなものとしてアチラに行き、その香から、それぞれ、元のものに応じた何かが精製されるんですと。 あと、天界は何層かに分かれていて、今レイモンドがいるところがまだしも地圏に近い第三圏(サマーランドと呼ばれているらしいーーそう言えば昔、八王子の方に「東京サマーランド」ってあったなあ・・・)だそうで、更に上に第四圏、第五圏、第六圏、第七圏と言った具合に進級していく。第五圏くらいになると、すべてのものがアラバスターで出来ている殿堂でもあるかのように真っ白らしいです。で、あちこちに色々な色の光があって、例えばピンク色の光は愛、あおい光は精神を癒す光、オレンジ色の光は智の光、とか、それぞれ決まっていて、自分の望むところに行ってそこに立つことになると。 ちなみに、それぞれの圏は、一つ次元の低い圏の周りにあって、回転しているらしいですが、その回転の速さにも違いがあって、円周が大きくなるにしたがって回転も速くなると。 それから、レイモンドは向こうの世界、それも一度だけ上の層の世界に行って直接キリストさんにも会ったらしいです。曰く「クリストはどこにでもおられる、一人格としてではないと。けれど、クリストは居られます。そして高い圏に住んで居られます。僕がお目にかかることを許されたのが、そのクリストです」(239頁)。で、レイモンドはそのキリストさんから、何か使命を与えられたそうですが、それが何だったか、ちょっと忘れちゃったと。忘れちゃったけど、一語一語、はっきりと言われた。それは地圏の近くにいて、みんなの助けになるように、という内容だったらしい。 こうして見ると、アレですね。レイモンドが語るあの世の仕組みは、スウェーデンボルグが語るあの世とそっくり、ということが出来そうですな。もちろん、ロッジ卿がスウェーデンボルグのことをよく知っていたことは言うまでもありませんが。 まあ、本書の内容を紹介すると、ざっと上のような感じになります。 ちなみに、本書を翻訳しているのは、かの野尻抱影大先生(1885-1977)でございます。冥王星の命名者ですね。星のことに詳しいばかりでなく、「日本心霊現象研究協会」の発起人の一人。その意味で、まあ、この本を翻訳するのは適任と。 で、本書には高橋康雄という人の解説(「死後はあるか」)がついていまして、これが結構、辛辣というか、割と批判的に心霊現象のことを解説している。 でも、その批判的な言の中に、面白いことも色々書いてあって参考にはなる。 例えば心霊研究に対して批判的だった人としてG・K・チェスタトンや、『ヘンリ・ライクロフトの私記』で名高いギッシングが居た、とかね。 ロシアで心霊現象を吹聴して回ったのはアクサコフで、彼がロシアにおけるスウェーデンボルグの紹介者であったらしいですが、有名な心霊家D・D・ボームもロシアに二回も行って心霊現象ブームを巻き起こしていて、彼はアクサコフの遠縁の親戚と再婚したりもしている。で、これに反応した「ジャーナリスト」のドストエフスキーは自分の目で交霊会の何たるかを見聞し、これはインチキだと思ったとか。 あと日本ではロッジ卿について、夏目漱石とか柳宗悦とかが反応し、漱石は『行人』の中でメーテルリンク(『死後は如何』が日本で評判を呼んだそうで)の論文を読んでつまらん、との感想をしるしていると。 あと福来友吉という人が、心霊実験に失敗して、東大教授の座を追われるということ(大正二年)もあったとか。 また大正十年頃は日本でも心霊現象が話題になって、『カリガリ博士』が話題になったり、フランスの天文学者で心霊学者でもあるフラマリオンの著作が話題になったりし、それを佐藤春夫や谷崎潤一郎(「ハッサン・カンの妖術」)、稲垣足穂や富ノ沢麟太郎(「あめんちあ」)なんかが盛んに論じたりしたものなのだとか。浅野和三郎の『死後の世界』が出たのが大正十四年。 その他、芥川龍之介の「妖術」「魔術」、内田百閒の「冥途」、稲垣足穂の「一千一秒物語」、梶井基次郎「Kの昇天」、正宗白鳥「影法師」など、大正年間にはいろいろ、心霊主義的な小説が出た。 ・・・とまあ、色々なことが書いてあるわけですが、とにかく20世紀最初の十年、二十年というのは、この種のスピリチュアルが欧米でも日本でも、盛んに人の口の端に上ったと。心霊現象がインチキかそうでないかは別として、これが話題になるような状況は、この時代、確かに生じていた。 ま、そういうことがあれこれ分かったということも含め、この手の話の流れの中で必ず言及されるオリヴァー・ロッジ卿の『レイモンド』がどういうものか判明しただけでも、この本を読んだ甲斐があるというもの。 ま、誰にでもおススメできるシロモノではありませんが、興味のある方は是非。とはいえ、今、そんじょそこらで売っている本ではないですけどね・・・。
June 12, 2021
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勤務先大学に赴任して、早29年になりますが、この間、午後5時半になると、共同研究室でコーヒーを飲むという習慣が続いておりまして。 で、その際、コーヒーを淹れるのは、当初助手だった私の担当で、以来29年、私が淹れ続けることになってしまった。その辺の喫茶店のマスターより、私の方がよほどベテランだよ! で、「喫茶・釈迦楽」とも呼ばれたこの午後のひと時の催し、初期の頃は科の先生方がほぼ全員参加してましたから、5人とか6人とか、それは賑やかなものでございました。 ところが、年長の先生方が定年で次々と抜け、今やワタクシのコーヒーを飲んでくれるのは私を含めても2人か3人に。そしてその内2人が、今年度一杯で定年を迎えるので、来年度からは私一人になってしまうという。 はあ・・・。寂しいですのう。っていうか、マスター一人じゃ「喫茶・釈迦楽」どころじゃないよね・・・。 いや、もちろん、今も「同僚」は何人かいるのですが、その同僚たちは私とは専門があまりにも違う。以前私が所属していた科は数年前におとり潰しになったので、ここ数年、私の同僚になった人達というのは、専門も趣味もまったく異なる先生方ばかりで、彼らには「一緒にコーヒーを飲みながら、会話しよう」という文化がない。下手に誘おうものなら、「別に参加したくもない茶話会に来ることを強要された」とか言って、パワハラ扱いされかねない。 つまり、来年度から、私には気心の知れた同僚は一人もいない、という感じになるわけですな。 どうしよう。「おいしいコーヒーとお菓子があります。遊びに来てください」とか看板を掲げるか。それで誰も来てくれなかったら、もうそれは「泣いた赤鬼」の世界じゃないかっ!! かくいうワタクシだって、定年まで残すところ数年。こんなに寂しい晩年になるとは思わなかったねえ・・・。
June 11, 2021
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先日からちょこちょこと読み進めていた坪内祐三さんの『昼夜日記』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 これ、要するに坪内さんの日誌みたいなものなので、2011年の年初から2016年7月あたりまで、坪内さんがどんな感じで日々を過ごしていたかの記録になっている。まあ、個人的な覚書みたいなものだから、それの何が面白いの? と思うかもしれませんが、実際には面白いです。 まあ、とにかく坪内さんは行動する人なのよ。まあ毎日のように新本や古本を買い、図書館で調べ物をし、映画を観、演劇を観、パーティ(文学賞の受賞パーティなど)に行き、相撲観戦し、人に会い、そして何よりも色々な人と一緒に食事をし、バーに行って酒を飲む。ええ? こんなに外食して外で酒を飲むの??って驚くくらい酒を飲む。しかも、そういうことを毎日のようにしている中で、とんでもない量の仕事をし、文章を書くわけでしょう? 『昼夜日記』の中には、仕事の話、原稿を書いている、というような話は一切出てこないですが。 よくまあ、そんなことができるな、と。その驚異的なタフさには驚くばかりですわ。 でまた、いろんなものを読んでいるんですなあ。例えば、私が驚いたのは、2013年6月23日の日誌に「朝、きのう五反田で入手した『大橋吉之輔先生・大橋健三郎先生に聞く』と『佐伯彰一先生に聞く』(いずれも東京大学アメリカ研究資料センター刊)を読む。面白い。同シリーズの『橋本福夫先生に聞く』や『中野好夫先生に聞く』も読みたいけどどこに行けば読めるのだろう」などと書いてある。ここに出てくる大橋吉之輔ってのが私の師匠で、今度私が出す本も、この師匠についての本なんですけど、それにしてもこんな資料、アメリカ文学の専門家だってそうは読んでないだろうに、それをわざわざ入手して読んじゃうなんて、もう、驚く他ない。 で、そんな感じで本書の中で坪内さんはとにかく様々な本を大量に買い、面白かった、というようなことを書かれているのですが、それを読むと、私もつい、その本を読みたくなってしまって、本書を読んでいる間、アマゾンのカートに買うべき本がどんどん積み上がって行くという。つまりこの本は、坪内さん流の「読書案内」にもなっているわけね。っていうか、私にとってはそれが一番大きかったかな。 それにしても、これだけ毎日のように出歩いていて、それで一カ月、ほぼ毎日が締め切り日、というようなペースで原稿が書けるものだなと。そこがもう、すごすぎる。 聞くところによると、坪内さんというのは、原稿で詰まるということがほとんどなくて、書こうと思ったらスラスラ~っと何でも書けてしまうらしい。だから、毎日が締め切りというような、普通に考えたら地獄のような状態でも、ぜーんぜん苦にしなかったらしいんですな。もちろん、スラスラ書けるったって、クオリティの問題があるわけで、そのクオリティを高止まりにしたままで、という意味ですけどね。 いやあ、坪内さんと比べるのもおこがましいですけれども、私にはとてもそんな芸当はできない。そんなスラスラ、書いたことがない。スラスラ書いたって、それを100億回くらい書き直すから、結果、とんでもなく時間がかかるので、毎日が締め切りなどという状態をサバイブできるはずがない。 やっぱり、そこは才能なんでしょうなあ。天性の物書きという。 あと、それだけ飲み歩くにしても、一緒に飲む人が居るのだから、人脈もすごいんだよね・・・。 でまた、どこどこのバーに行ったら、だれそれが居たので合流して飲んだ、というような話も多々出てくるのですが、東京って、そんなに人と人とがやたらに出会う場所なの? 地方に居て、大学と自宅の往復をしているだけのワタクシなんか、誰とも会わないよ? そこは、大都会・東京に住んでいる人の特権なのかな・・・。実際、私も多少は存じ上げている東大のアメリカ文学者の阿部公彦さんとか、坪内さんとよくバーで出会って一緒に飲んでいたみたいですからね。東京の大学人だと、そういうこともあるのか・・・。 となると、もう、東京に住むか、地方に住むかで、圧倒的に人脈が違ってくるじゃん。まあ、そういうもんか、昔から・・・。文化はすべて東京から生まれるのか・・・。ミネルヴァの梟は、東京の夜にだけ飛ぶのか・・・。クヤシ――! ま、それはともかく、このところ、ちょっとした坪内ブームのワタクシ。次はいよいよ、『ツボちゃんの話』でも読むかな。昼夜日記 [ 坪内祐三 ]ツボちゃんの話 夫・坪内祐三 [ 佐久間 文子 ]
June 10, 2021
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今日は授業もなく、会議もなかったので、大学からお休みをいただき、一日、蒲郡・形原に遊んできました。 というのは、今、形原温泉の「あじさいの里」でアジサイ祭り開催中だから。昨年はコロナで中止になりましたが、今年はコロナ対策を十分に行った上で開催になったんです。 で、アジサイ祭りなんですけど、その前に腹ごしらえ。 ま、2年前にこの辺りで遊んだ時は、「やおよし」という有名店であさりをたっぷり使った「ガマゴリうどん」を食して、それはそれで美味しかったんですけど、今回はさらにディープに地元の味を楽しもうと思いまして。そして選んだのがここ!驚愕の食堂! ↓これが港湾食堂の外観だ! これ、地元の魚市場に隣接した食堂なんですけど、パっと見、食堂だということは分からない。いや、パッと見どころか、1メートルまで近づいても、多分、知らなかったら、これがどのような意味であれ、お店であることを判別することは出来ないでしょう。 しかし! これが驚くべき名店だったのであります! 食べられるのは数種の定食なんですけど、どれも税込み500円也。そしてご飯はおかわり自由(おかわりしなくてもどんぶり飯が出てくる)。 で、私は「メンチカツ定食」を、家内は「魚フライ定食」を選んだんですけど、どちらも熱々で実に旨い! 揚げたてだよ。メンチカツなんて、頬張れば肉汁ぶっしゃーって感じ。魚フライはサクサクのふわふわ。飾り気はないけど、旨い! そして店のおばちゃんたちも親切! なにげなく親切! 味といいサービスといい、実に気持ちのいいものだったのでした。港湾食堂、教授のおすすめ!です。 で、お腹がくちくなったところで、形原のアジサイ祭りに向かい、今年も全山を彩る様々な色・様々な種類のアジサイを堪能したのでした。 今日はまるで夏のような暑い一日でしたが、一足先に夏休みを堪能したような感じで、実にいい気分転換が出来ました。また明日から研究頑張るぞ!!
June 9, 2021
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新渡戸稲造の『修養』を読了した後、このタイミングで読むしかないだろうと思いつつ、読み始めたのがこの本、ハマトンの『知的生活』。ハマトンってのは、1834年生まれ、1894年没ですから、新渡戸さんより30年くらい年長の人ですけど、イギリス版修養みたいなもんだろうと思って、この際。ページ数も500頁以上あって、この点でも『修養』と似ている。今でいう「レンガ本」です。 しかし、それ以上に、この本、渡部昇一さんのベストセラー『知的生活の方法』の・・・元となった、というわけではないけれど、渡部さんはハマトンのこの本を読んで発奮して英語学者になったようなものでありまして、そういう「自己啓発本の連鎖」という点でも興味深いわけよ。 それにしても私が渡部さんの『知的生活の方法』を読んだのは、確か大学の1年生くらいの時だったから、本来だったら、その時点でハマトンのこの本に手を出してもよかったわけだ。それが、ようやく今ごろ読んでいるわけだから、40年ほど宿題をするのが遅れたってところですな。まあ、英文科の学生だった頃、まさか自分が自己啓発本の研究を始めるとは思わなかったですけれども。 で、まだ読み始めたばかりなので、全容は全然つかめていないんですけど、一つ、驚いたことがある。 ハマトンの『知的生活』という本は、「書簡体」の本だったんですな。知らなかった・・・。わたしゃ、てっきり、普通の本なんだと思っていた。そしたら、書簡体だったのよ。 は、はーーーん。なるほどね。OK。上等だ。 何が上等かと言いますと、実はですね、自己啓発本には、「書簡体で書かれた自己啓発本」という一ジャンルがあるのよ。つまり、この本は、そのジャンルの本として扱えばいいんだ。 例えば、日本で言うと、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』ってあるじゃない? ちょっと前に大いに話題になった奴。 あれはさ、「おじさんのノート」っていう部分がキモなんだけど、あの部分を中心に考えると、『君たちはどう生きるか』もまた、書簡体自己啓発本ということになるわけさ。 ま、そういうことよ。ハマトンの『知的生活』は、そういうものとして扱えばいいんだ。 それが分かっただけでも、興味が出てきた。これで、500頁超のレンガ本も、一気に読み下せる視点が出来た。 っつーわけで、40年来の宿題と対決する覚悟を固めた、今日のワタクシなのでありました、とさ。これこれ! ↓知的生活 (講談社学術文庫) [ G・フィリップ・ハマトン ]
June 8, 2021
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先週末、恩師本の改稿に精を出し、出版社に送付しておいたところ、今日、担当編集者の方からゴーサインが出て、これでようやく本当の脱稿となりました。1月にお話をいただいてから今日まで、この本に賭けてきたので、まあ、ホッとしました。 今後は、まずゲラが出て、校正作業を何度かやって、表紙デザインなどの検討をして・・・という一連の作業に移ります。 そうなってくると、残る問題は・・・売れるのか? っていうことでありまして。 どうかねえ? まあ――売れないだろうねえ。 でも、この本に関してはね、いいの、それでも。この本は、売れることではなく、出すことに意義がある本だから。 恩師が新聞や雑誌に書き散らした文章、それは、放って置いたらもう完全に闇の彼方に消え去るからね。だけど、私がそれをまとめて本にすれば、少なくとも歴史には残るんだから。そして、恩師の文章、少なくとも最晩年の私小説的エッセイ群は、歴史に残す価値はあると私は思っているので、それを本の形に残せたらその時点で勝ちよ。 まあ、だから、この本に関しては、本として出版できたら私はもうそれだけで本望。 ちなみに、これで大学時代の恩師二人にまつわる本をそれぞれ出したし、私を今勤めている大学に採用してくれた恩義ある先輩同僚のエッセイ集も私が編集して出版したし、私自身の父親と母親の句集もそれぞれ私が編集してISBN付の本として出したし、とりあえず恩のある人たちには全員、恩返しした。 893として生きるというのは、受けた恩義を返して生きることだからね。まあ、これで893としての義理はきっちり果たしたかな。 いや。忘れていた。もう一人、小学校時代の恩師がいた。この人がいなかったら、今日の私はなかったという人が。 まあ、この先生への恩の返し方も考えてあるので、最後の仕事として、それを果たすといたしましょう。
June 7, 2021
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5千円札の人、新渡戸稲造(1862-1933)大先生の書いた『修養』なる本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 『修養』と言えば、1900年(明治33年)に流麗な英文で発表した『武士道』と並ぶ新渡戸大先生の代表的著作でありまして、1911年(明治44年)に出版されてから、昭和9年6月までに堂々148版を数えた大ベストセラー。もう一つ、『世渡りの道』という本も大正元年出版で93版を数えたというのもあって、新渡戸さんというのは、この時代を代表する自己啓発ライターだったんですな。 ま、『東西相触れて』(1928年・昭和3年)という著書の序文に、「この本は福沢諭吉先生の『西洋事情の精神を汲んだものである」という趣旨のことを書いていることから推して、本人にも自覚があったみたいですけど、要するに新渡戸という人は、福沢諭吉路線をさらに押し進める者だったと。 それはどういうことを意味するかっつーと、要するに、「民衆の教育者」であるという自覚があったということでございます。 まあ、元から官職についたことのない福沢諭吉と比べて、新渡戸稲造なんてずっと官学で過ごしてきた人なわけですよ。『修養』を書いた後には、東大法学部教授と兼任で一高の校長になってますからね。日本のエリートの指導者だったわけだ。 だけど、新渡戸はそれだけでは満足できなかった。で、増田義一が1900年に創業した出版社、実業之日本社から「働く青少年の精神修養と人格鍛錬への力添え」をと頼まれて同社の編集顧問ともなり(1909年)、また同社から『修養』をはじめとする自己啓発的な本を次々と出すようになる。 「働く青少年の精神修養と人格鍛錬」云々というと、『自助論』を書いたサミュエル・スマイルズの執筆動機とまったく同じだよね! もっとも、このことについては、相当、世間からのバッシングがあったようで、「学者たるもの、そんな大衆相手の本を書くべきではない」とか、「売名行為」だとか、「そんなに金が欲しいのか」とか、批判の嵐だったらしい。それにも拘わらず、己の信じるところの従って『修養』みたいな本を書きまくったわけだから、新渡戸という人の心には、そうした批判をものともせぬだけの「民衆教化の大悲願」があった、っちゅうことですわな。 その悲願の元は何なのかと問うに、おそらく、新渡戸稲造のクエーカー教徒としての信仰があったんじゃないでしょうか。 そう、新渡戸稲造って、クエーカー教徒なんですよね。嫁さんのメアリーもそうだし。 クエーカー教徒ってのは、通常のキリスト教徒とちょいと違って、「心のうちの光」というものを重視する。信仰の礎石は教会にあるのではなく、個々の人間の心の内に神から与えられる光にある、という考え方。これって、あれじゃん、スウェーデンボルグの神学と共通するものがあり、かつ、エマソンのトランセンデンタリズムにも通じるところがある。 つまり、この考え方からすると、すべて道徳・倫理の根拠もまた、(教会のような)外部の権威にあるのではなく、自分自身の身の内にあるということになるわけさ。となると、自分を活かすも殺すも自分次第ということになる。逆に言えば、自分の思惑と心がけ一つで、どういう方向にも伸びていけるっていうことですな。 ほれ、これはつまり、自己啓発思想が根を張るには恰好の土壌じゃん。 で、新渡戸稲造もまたそう思って自分自身を陶冶し、励まし、凡夫ながらそれなりの地位につけるところまで来た。ならばそれと同じ方法を、世間の人に伝えれば、それは彼らにとっての福音ともなり、また日本という国全体の民度アップに貢献するではないか。新渡戸稲造は、おそらく、そう考えたんでしょうな。だとしたら、批判の嵐だろうが何だろうが、己の信じるところを進むのみ。 ということで、彼は『修養』みたいな本を書いちゃったと。 ちなみに、『修養』はそれ一つでこの世にあったわけではありません。この本が出た当時、すなわち明治の末頃から大正時代を通過して昭和初期頃までの日本ってのは、全般的に言って「修養ブーム」だったんですな。実際、先に述べた実業之日本社の創業者である増田義一自身も『青年と修養』という本を1912年に出しているし、1928年には『婦人と修養』なんて本も出している。あと、講談社の野間清治も1931年に『修養雑話』なんて本を出していますが、「修養」という言葉は、当時の流行語でもあったわけ。 これは何ごとかと言いますと、結局ね、日露戦争での勝利ってことが背景にあるのね。 日露戦争に勝ったことによって、日本は国際的に名を挙げ、国際社会の一員としてしかるべき地位と責任を負うようになった。事実、新渡戸稲造は1920年、国際連盟の発足に際して「事務次長」の要職に就くわけですから。だから、当然、国際社会に恥じない民度が要求されていた。 その一方、日露戦争勝利がもたらした国家的浮かれ気分は、日本人に弛緩と驕慢をもたらすことになり、それは一方では頽廃を、別な一方では私利私欲への猛進を促すことにもなる。 これじゃいかんのや! と、心ある人は思ったでしょうなあ。 「心ある人」って誰? 教育関係者。つまり、新渡戸稲造。 ・・・っていうね。そういうことだったんじゃないかと。 で、じゃあ、その新渡戸稲造の『修養』って、どんな感じの本? ということになるわけですが、私が一読した印象から言いますと、一言で言って、いい本です。自己啓発書として、とてもよく書けている。 まず、難しいことが一つも書いてない。ごく卑近な例を引き、およそ文字の読める人なら誰でも理解し、納得するであろうという感じで書いてある。特に、自分自身の経験をしばしば例に挙げ、それも「凡夫の例」として挙げ、「こんなダメダメな私でも、こうやったらうまく行ったんだから、是非皆さんも!」というスタンスになっている。そこが、本書を極めて親しみ易いものとしているんですな。 で、本書の内容を、きわめて大雑把にまとめるならば、この本の言わんとしていることは、すなわち「物事の善用」、この一語に尽きます。 長い人生、誰にも浮き沈みはあるだろう。しかし、たとえ不運なことがあったとしても、その不運を善用すれば、将来必ずいいことがある。また、仮に順風満帆だとしても、それを驕ってしまったら、それは幸運の悪用になる。だから、順風満帆の時こそ驕らず、高ぶらず、それをさらに善用せよと。 雨が降れば不都合であるが、農民からすれば同じ雨が恵の雨と映じる。物事は己の考え方次第、受け取り方次第である。だから、不運があれば、考え方・受け取り方を変えろ。そうすれば、その不運もまた善用できる。 ま、そんな感じで、身に降りかかるすべてのことを善用すること。これこそが、新渡戸稲造の修養と世渡りの術のアルファであり、オメガであるわけね。 あとは、まあ細かいことね。例えば、職業を選ぶ時は、自分の好きなことを選べよ、同じ努力をするのでも、好きなことに努力すれば、進度が違うから、とかね。名誉は人の誰でも欲することだけど、それによって失敗することも多いから、名誉を望むなとは言わないけれど、出来るだけその気持ちを抑えろよ、とか。目標や計画を立てることは、きわめて重要だぞよ、とか。克己の気を養うには、最初から高望みせず、最初はちょっと我慢すれば出来ること(例えば健康のための冷水浴とか)から始めるのがいいんでないの? とか。一日、5分でもいいから、「黙思」する時間を作って見よ、大分違ってくるぞ、とか。 まあ、外国での生活がそれなりに長い人ですから、西洋人と比べて日本人はここが弱い、だから、西洋人のこういう心がけを真似してみたらどうだろうか、というようなアドバイスもちょこちょこあるかな。 あと、日本の自己啓発本からの引用という点では、圧倒的に多いのが『菜根譚』からの引用ね。よほど好きだったんじゃないの? あと佐藤一斎からの引用もところどころにある。佐藤一斎って、『言志四録』の人。あと、西郷南洲の言葉もちらほら。外国人だとフランクリンとかゲーテとか。 ま、過去の自己啓発本からの引用があるところも、まさに良き自己啓発本の証! とにかく内容的には普遍的なので、別に明治時代だけに当てはまることではなく、令和の青年がこれを読んだとしても、随分、ためになると思いますよ。いや、私だって、読んでためになるなと思うことが多かったですから。 ワタクシがこの本を「いい本であった」と言うのは、要するにそういうこと。 だ・け・ど。自己啓発思想的観点から言って「よく書けている本」であっても、批判しようと思えばいくらでも批判できる。どんな物事でも善用できるんだから、逆に言えば、どんな物事でも悪用もできるわけでありまして。 例えば綱澤満昭さんという方の「新渡戸稲造と修養」という論文をチラ読みしたら、これ、結構いい論文ではあるんだけど、意外に批判的なことが書いてあって、こんなの、社会の底辺で蠢いている人たちを慰めこそすれ、助けにはならなかった。要するに、社会的強者が弱者を懐柔し、彼らの不満を吸収せんとする試みに過ぎなかった、という評価なんですな。 はい。これね、自己啓発本に対する典型的な批判ね。自己啓発本は「あなた次第で、いくらでも出世できる」と言うけれども、それはまた「出世できなかったのも、あなた自身のせい」ということでもあって、これは出世できなかった人に、その人生の失敗のすべてをその人本人に帰することになる。要は社会的不満を抑えるためのものとして、為政者に利用されやすいものである! というわけ。 これね、もっともらしい自己啓発本批判なんだけど、これやっても、あんまり意味がないんだよね。それはね、宝くじ批判と同じ。 宝くじだって、批判しようと思えばいくらでも批判できるでしょ。でも、世界から宝くじは無くならない。実際に宝くじで金持ちになった人なんてほとんどいなくて、たいていはお金をすってしまうんだけど、それでもやっぱりなくならない。宗教だってそうだよね。そんなもん、信じたって、一体世界で何人の人が実際に神様からよくしてもらったのか。それを考えたら、宗教もまた、民衆の不満を抑えるための為政者の罠、と言うことだってできる。 でも、宝くじも宗教も無くならない。なんで何で無くならないの? そこをね、考えないと意味がないの。存在意味があるから、存在するのであって、そこを考えずして、「こんなもの存在する意義なし」って言っても、まったくナンセンスよ。 というわけで、新渡戸稲造の『修養』、立派な自己啓発本でありました。教授のおすすめ! でございます。これこれ! ↓修養 (タチバナ教養文庫) [ 新渡戸稲造 ]
June 6, 2021
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私は古本が好きで、学生の頃は神保町に入り浸っていたものですし、家には古本が沢山あるし、古本についての本も沢山ある。 例えば坪内祐三さんの『昼夜日記』というのは、決して古本にまつわる本ではないんですが、この本の冒頭に「『人間通になる読書術』を二百円で二冊も見つけてしまったよ」という章があって、坪内さんが五反田の古書展で、大学院時代の恩師、松原正氏の『人間通になる読書術』という本を二百円で二冊買った、という話が出てくる。この本、希少本なのか古書価が高く、通常は二万円くらいするのが普通なのに、そんな本が二百円売っているのを見つけ、ついでもう一冊、やはり二百円で売っているのを見つけ、思わず二冊買ってしまった、というエピソードが語られているんですな。標題の「・・・見つけてしまったよ」の、最後の「よ」というところにいかにも「してやったり」感があって、古本好きにはぐっとくる話なわけ。 で、今日、久しぶりにこの本を手に取り、そんな一文を読みながら、ふと、最近、古本屋に行ってないなあ、と気づきまして。 まあ、ブックオフ的なところには、たまに行くことはあります。しかし、本格的な奴というか、いわゆる古本屋さんには、それこそコロナ禍が始まってから一度も行ってないんじゃないかと。 はあ~。そうだよなあ。行ってないよなあ。 長いこと探していた本とか、絶版となって久しい文庫、そんなものを、意外なほどの安値で見つけた時のあのワクワク感! 多分、渓流釣りとかやる人が、山奥の急な沢で大物のイワナとかを釣り上げた時のワクワク感とかに近いのではないかと想像するのですが、そういうワクワク感を長く味わってないなあと。そんなことを考えてたら、無性に古本屋に行きたくなってきた。 気が付いたら、急に禁断症状が出てきた! 古本屋、行きたい~!! まあ、そうは言っても、我が家の周りに良い古本屋なんか一軒もないし。また緊急事態宣言が出ている愛知県下では、あまり遠出もできない。ううむ。 しかし、アレだね。坪内さんの本をチラ読みしながら思うのだけど、物書きには、本屋や古本屋に入り浸ることが必要だし、そうやって生の本を触り、生の本を買い、生の本に囲まれていることが必要だし、そういうことをしてない人は、そうしてる人に勝てっこないな。そういう意味で、地方に住んでいる物書きは、東京の真ん中に住んでいる物書きに対して、大きなハンデを負っているような気がする。地方に住んでいたって、ネットで新刊本も古本も買えるけど、やっぱりネットで買うのと実際に自分自身で探して買うのでは違う気がするもんなあ。そこは同じ本でも、天然モノと養殖の冷凍モノの差くらいな大きな差があるような気がする。 坪内さんは、都会人だったし、やたらに本屋に行って自分の目で本を選び、実際に大量の本を買ったそうですが、そういうことを常日頃していたことが、彼の書くもののクオリティを保証していたんでしょうな。 ま、とりあえずワクチンでも打ち終わったら、足を延ばしてどこか、大きな古本屋でも行って、思う存分、古本ハンティングでも楽しみたいものですなあ。昼夜日記 [ 坪内祐三 ]
June 5, 2021
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先日、恩師の思い出を綴った本を脱稿した、ということを書きましたが、その後、それを読んだ編集者の方から幾つか修正案・・・というか、「ここをこうした方がいいのでは?」というアイディアが出まして。 これこれ。これだよ。商業出版と自費出版の違いがここにある。 自費出版の場合、基本、自分の書いたものがそのままの形で出版されてしまいますが、商業出版の場合はそうはいかない。出版社の方でも、これが売れるか売れないかによって、利益の出る・出ないの差が出ますからね。向こうも真剣だ。だから編集者が、こちらの書いたものに口を出すのは当たり前。 その意味で、商業出版の本ってのは、著者と編集者のコラボ、合作なのよね~。 で、ワタクシはその辺のプライドとかこだわりは一切ないので、編集者のアドバイスは大概、100%受け入れます。だって、向こうは向こうでプロなんだから。プロが読んで、ここがおかしいと言うならば、それはおかしいんですよ。だから、そこはこだわりなくすぐに折れて、書き直す方がいい。 というわけで、昨日・今日と、編集者のアドバイスに従っての改稿作業に没頭しておりました。 でね、実際、アドバイス通りに書き直してみると、やっぱり新バージョンの方がいいんだよね! 改稿したことによって、オリジナルよりもよほど良くなった。ありがたや、ありがたや、だよ。 というわけで、とりあえず書き直し自体は終わったんだけど、しかし、すぐに返送するのは芸がない。ちょっと寝かして、時間を置いてからまた見直して、編集者のアドバイスをうまく取り入れられたかどうか、もう一度確認してから、返送することにいたしましょう。まだ明日・明後日と、十分な時間もあるしね。
June 4, 2021
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先に同じポール・アダムが書いた『ヴァイオリン職人の探求と推理』が面白かったので、その続編となる本作も読んでみました。以下、ネタバレ注意です。 前作同様、本作でも主人公は腕のいいベテラン・ヴァイオリン製作者/補修者のジャンニ。またジャンニの年若い友人にしてクレモナ市の警察官のグァスタフェステも再度登場して、この両者による事件の捜査が中心になります。 本作は、冒頭、物々しい護衛団と共に、クレモナにあるジャンニの工房に18~19世紀の天才ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニが愛用したヴァイオリンの名器、「イル・カノーネ(大砲)」こと「グァルネリ・デル・ジェス」が持ち込まれるところから始まります。この名器、前作を読んでいる読者にはお馴染みで、かのストラディヴァリと並び立つヴァイオリンの傑作であり、見た目はストラディヴァリに劣るとはいえ、音の響きの力強さではそれを凌駕する、この世に二つとないものなんですな。で、今は博物館に飾られ、世界的コンクールの覇者だけが年に一度、ここクレモナ市で開催されるコンサートで演奏することが許されているという。 で、そのコンクールの覇者となったロシアの若き天才、エフゲニー・イヴァノフがそれを今宵、演奏することになっているのですが、直前になって肝心の「デル・ジェス」に瑕疵が見つかった。実はエフゲニーの不注意で壊してしまったんですけど、その故障個所を今宵のコンサートに間に合うよう修理する、というのが、ジャンニに依頼されたことだったと。 まあ、この時点で、前作の読者はもう満足するわけね。だって、前作であれだけ繰り返し言及されていた伝説のヴァイオリン、「デル・ジェス」の実物を、我らがジャンニがその手にするのですから。で、ジャンニは見事、故障個所を修復し、エフゲニーはコンサートで素晴らしい演奏を披露することができたと。 ところが、ここから事態は急変します。 コンサートの翌日、コンサートの客として来ていたパリの美術品ディーラー、ヴィルヌーヴの死体が、クレモナにある某ホテルで発見されるんですな。そして、ホテルの金庫にのこされたヴィルヌーヴの持ち物として、見事な黄金細工を施した箱が発見される。この箱、パガニーニの愛人であった高貴なる女性(ナポレオンの妹)からパガニーニに贈られたプレゼントだったことが後に判明する。 当初、クレモナ警察は、この箱の鍵が開けられなかったのですが、パガニーニ宛の贈り物であったことから、文字ダイアルの暗証番号は音楽関係の符合が使われているに違いないと踏んだジャンニが、見事、暗証番号を割り出し、開封に成功する。 ところが、中身は空。しかし、その箱にしつらえられた窪みから、どうやらその箱が超小型のヴァイオリン・ケースであったことが推測されるんですな。では、この箱に入っていたはずの、その超小型のヴァイオリンはどこへ? 一方、この謎が登場してきた折も折、若きロシアの新進ヴァイオリニストのエフゲニーが、コンサート・ママの厳格な監視を逃れて失踪するという事件が起こる。しかも、失踪の直前、エフゲニーはウラジミール・クズネツォフという、ロシアのエージェントに付き纏われていて、演奏家としての契約を促されていた。 果たして、パガニーニの黄金細工の箱の中に入っていたと思しき小型ヴァイオリンの行方は? そして天才演奏家エフゲニーの運命は? パガニーニの人生の紆余曲折、その後の時代の紆余曲折などを含みながら、人の手から人の手へ、次々と持ち主を変えていった謎の小型ヴァイオリンの数奇な運命を、ヴァイオリン職人のジャンニと、警察官グァスタフェステの二人が解明していく! その過程で更なる殺人事件が! そして消えたエフゲニーは無事なのか??!! ・・・ってな話。面白そうでしょ? 実際、面白いんです。 殺人事件の謎を解くには、失われた小型ヴァイオリンをめぐる謎をまず解かなくてはならないのであって、ここにヴァイオリン職人・ジャンニの出番があるわけなんですけど、警察の力だけでは決して解けなかったであろう謎を、ジャンニが次々と解き明かしていくのが実に痛快。また彼と年少の友人・グァスタフェステとのチーム・ワークがまたいいのよ。 またジャンニは長年連れ添った妻を亡くし、その意味では寂しい老後を迎えていたんですけど、その寂しい老後を明るくしてくれそうなマルゲリータという女性が前作に登場しておりまして、そのマルゲリータとジャンニとの関係が、今作では一層、深まってきたことが窺われ、そういうジャンニの私生活の上向き加減も、前作からの読者としては、実に歓迎したいところなわけ。やっぱりね、イタリア人なんだもの。人生を楽しまなくちゃ! そうそう、人生を楽しむという点では、前作・本作とも、時々食事シーンというのが出てきて、それはレストランでのこともあり、あるいはジャンニが、忙しい警官であるグァスタフェステのために作ってやる軽食のこともあるんですが、そういうシーンがまた美味しそうで、それを読んでいると読者の側も何か食べたくなってくるという。そういう楽しみもあります。 まあ、しかし、これ、イタリアを舞台にした物語をイギリス人の作家が書いているんですけど、歴史的なことも含めて、よく調べてあるよね・・・。大したもんだ。もちろん、創作部分もあるはずですけど、パガニーニの伝記的な部分など、当然、本当のことが大部分を占めているはずで、その本当の歴史と創作した歴史の上手な組み合わせが、歴史好きの読者をも唸らせると言うね。なかなか知的な読み物であり、しかも、難解ではないというところがすごくいい。 ということで、ポール・アダムという作家のファンになってしまいました。教授の熱烈おすすめ!です。このシリーズではもう一冊、残っているので、今後はそれを読んでみようかな。これこれ! ↓ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密 (創元推理文庫) [ ポール・アダム ] こちらは一作目ね。こちらを先に読んだ方がより楽しめます。 ↓ヴァイオリン職人の探求と推理 (創元推理文庫) [ ポール・アダム ]
June 3, 2021
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ロバート・ゼメキス監督の映画『マーウェン』を観ました。以下、ネタバレ注意ということで。 例によって「実話に基づく」という奴なんですけど、女性の靴に異様な執着を持つイラストレーター、マーク・ホーガンキャンプが、その靴への執着がもとでバーでヘイトクライムに遭い、それ以前の記憶や技能を失うほど瀕死の重傷を負うんですな。で、回復後もPTSDに悩み、イラストも描けなくなってしまうのですが、その代わり、フィギュアを使った物語性のある一連の写真を撮るようになり、これが評判となって展覧会が催されるほどになる。 しかし、展覧会と同時期に、彼を襲撃した5人の無法者たちを裁く裁判が行われておりまして、彼らに厳罰を下すためにも、この裁判に出席することがマークに求められるんですな。とはいえ、PTSDゆえに、彼らの顔を見ただけでパニックに陥ってしまうのですから、マークとしては、裁判への出席はかなりハードルが高い。 さらに、マークは近所に引っ越してきたある女性に恋をし、彼のフィギュアを用いた写真群にも、その女性を模したフィギュアが頻出するようになってくるんですが、人生をやり直すつもりで彼女にプロポーズしたら、あっさり断わられてしまうと。 さて、襲撃と女性にふられたことからくる二重の心の傷から立ち直り、裁判に出席することは出来るのか? そして彼の展覧会は成功するのか?? ってな話。 実写撮影とフィギュアを使ったCG撮影を組み合わせ、マークの心中を実写とフィギュアの両方で表現していく手法が面白く、それなりに面白いなと思って観ていたんですけど、観終わった後、イマイチ、大きな感動がなかったという・・・。 おもちゃが動き出し、それぞれの物語を演じる、という意味では、『トイ・ストーリー』にちょっと似たところもあるんですけど、『トイ・ストーリー』の方は、それぞれのおもちゃが、それぞれの事情と性格を持っていて、その多面的な絡み合いが面白いのに対し、『マーウェン』の方は、すべてのおもちゃがマークの心の中の状態を反映する鏡でしかない。その辺がシンプル過ぎてつまらないというのと、もう一つはマークが抱えた悲劇が、まあいわば単純なもの(行きずりの不良に一度しこたま殴られただけ)に過ぎず、根の深いものでないこともあって、物語に深みが作れないところがある。ま、そこがね、この映画が、手法としてはとても面白くなりそうなのに、イマイチ、奥行きがなかった、ということの理由なのではないかと。 要するに、「実話に基づいた」っていうところに限界があるわけですよ。実話なんだから、マークの事件も、それがどうやって片付いたかも、事実としてあるのであって、それに即さなければならないとなると、物語の広がりにも箍がはめられちゃう。 例えば『市民ケーン』とか、一応、モデルとしての新聞王ハーストが居たとしても、ハーストにまつわる事実だけでなく、オーソン・ウェルズは想像も加えて独創的な物語を作り出したわけじゃん? そういうことをしないで、ただ「事実に基づい」て、それに乗っかっただけでは、物語としての広がりは得られませんよ。 っつーことで、映画『マーウェン』、面白く無くはなかったけど、むしろ残念な感じが残ってしまったのでした。点数をつけるとすれば・・・57点かな。これこれ! ↓マーウェン【Blu-ray】 [ スティーヴ・カレル ]
June 2, 2021
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声優の若山弦蔵さんが心不全で亡くなりました。享年88。 まあ、いい声の人でしたねえ。バタ臭い声というのか、ちょっと日本人離れした深みのあるバリトン・ボイスという意味では、これも先日亡くなられた森山周一郎さんと双璧を成すものだったのではないかと。二人を比べると、森山さんの方がやや擦れた味、ギャングのボス的なやくざ味があるのに対し、若山さんは声に艶があって、007的な洗練されたスパイの声がお似合いだった。ショーン・コネリーの吹き替えなんて、若山弦蔵さん以外には考えられないし、むしろコネリー本人の声よりも若山さんの声の方が007的ですらありましたらかね。 そういう声優としてのご活躍に加え、昭和のラジオをこよなく愛していたワタクシとしては、「若山弦蔵ショー」なんて番組は懐かしいですなあ。あれはラジオ関東でしたか。あともちろんTBSラジオの「おつかれさま5時です」ね。「東京ダイヤル954」のことを言う人が多いけれど、私の世代としては、むしろ「おつかれさま5時です」の方が懐かしい。この二つのラジオ番組は「小沢昭一の小沢昭一的ココロ」のベース番組だったこともあり、よく聞いていました。 非常勤講師をやっていた頃、このラジオを聴きながら八王子とか厚木とかにあった勤務先大学からクルマで帰宅するんですが、夕日を背に受けながら夕方のラジオ番組を聴いていると、何とも言えないやるせなさ感があってね・・・。今となっては懐かしいけれど。 声優とかラジオ・パーソナリティーとか、「耳でつながっていた人」っていうのは、もちろん直接には存じ上げないんだけれども、なんだか妙な親しみがあるもので、あの懐かしい声でつながっていた若山弦蔵さんが亡くなられたというのは、ああ・・・、という感慨があります。あの時代が終わったんだな、っていう。 私を含む日本中の人々の耳に心地好い滑らかで艶のある低音を聞かせてくれた若山弦蔵さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
June 1, 2021
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