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リチャード・マシスンのSF小説『地球最後の男 アイ・アム・レジェンド』の2度目の映画化。1度目は観ていないが1964年製作の『The Last Man on Earth』(地球最後の男)で主演:ヴィンセント・プライス、監督:シドニー・サルコウ。本邦未公開であった(DVDは出ている)。3度目は昨年公開されたウィル・スミス主演『アイ・アム・レジェンド』であることはご存知の通り。ストーリーは『アイ・アム・レジェンド』とほぼ同じだが、設定が若干異なる。『アイ・アム・レジェンド』では抗ガン剤にウィルスが混入し、それが世界中に感染した大規模な薬害であったが(だったよな。確か)、本作は中ソ戦争で使用された細菌兵器が原因。中ソの戦争なんて現在じゃイメージが湧かないかもしれないが、当時は軍事衝突を伴う国境紛争が勃発し、核戦争の可能性もあった非常事態であったのだ。それだけに本作は戦争・相互不信が溢れる現実世界に対するアイロニー、警鐘という点では『アイ・アム・レジェンド』以上のものがある。主人公ネビル博士(チャールトン・ヘストン)が好きな映画『ウッドストック』の台詞「町を歩くのを恐れたり、人に笑いかけるのを恐れたら、誰も生きてはいけません」が響いてくるのである。あと決定的に違うのは主人公たち以外に生き残っている「闇」の人たち、『アイ・アム・レジェンド』でいう「ダークシーカー」の描き方である。『アイ・アム・レジェンド』では完全にゾンビと化していたが、本作では単なる「光を浴びられない体質に変化した人」といった感じで、驚異的な身体能力や攻撃力は備わっておらず、生身の人間を食べたりもしない。ネビル博士の館を必死によじ登る姿は、なんだか哀れなほど。ネビル博士に機関銃で仲間を次々に射殺されても自分達は銃火器は使わない。使えば「愚かで残虐な人間と同じになってしまう」と思っているからだ。どちらが正しいのか、一瞬わからなくなる位だ(とはいえ、やっぱり異常)。このように、作品のテーマ性とか登場人物の描き方はいいと思うのだが、作品全体に流れるどうしようもないB級感。これは如何ともしがたい。同じヘストン主演作の『猿の惑星』や『ソイレント・グリーン』に比べてもちょっと厳しい。荒廃した街の光景などは『アイ・アム・レジェンド』にもひけをとらないのだが、やはり音楽が最大の原因か。あとオートバイ暴走シーンでの吹替えスタントマンもちょっと興醒め。その辺をあらかじめ承知しておけば、そこそこ楽しめる作品ではある。上記以外にも『アイ・アム・レジェンド』との違い多し。嫌われ役が多いアンソニー・ザーブが演じる(元)ジャーナリストはなかなか良い。またラストは『十戒』『ベン・ハー』といったキリスト教映画に関わってきたヘストンならではのものだが、ちょっとやりすぎか。監督:ボリス・セイガル 製作:ウォルター・セルツァー 原作:リチャード・マシスン 脚本:ジョイス・フーパー・コリントン 撮影:ラッセル・メティ 音楽:ロン・グレイナー1971年・アメリカ / 99分 / 評価:3.5点
Sep 14, 2008
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1970年代のハリウッドはパニック映画の時代であった。『ポセイドン・アドベンチャー』 『タワーリングインフェルノ』などの災害ものに始まり、『ジョーズ』『グリズリー』『スウォーム』といった動物ものや、エアポート・シリーズ等々まさに百花線乱の感があった。そして1970年代も後半になるとパニック要素を持ったサスペンス映画群が登場してくる。この中で私が「パニック・サスペンスの3大傑作」と思っているのが『パニック・イン・スタジアム』『ブラック・サンデー』、そしてこの『ジェットローラーコースター』だ。 ある晩、海岸にある遊園地でジェットコースターが脱線し死傷者が出る。政府の規格安全局検査官のハリー(ジョージ・シーガル)は清掃作業員の証言から事件性を嗅ぎ取るが、証拠は出ない。しかし後日、別の遊園地で発火騒ぎがあり、その直後全国各地の遊園地オーナー達が会合を開くという情報を得る。会合に割込んだハリーは一連の事件は同一犯が仕組んだものであり、オーナー達が脅迫されていることを知る・・・パニック要素としては『パニック・イン・スタジアム』『ブラック・サンデー』よりは劣り、パニックシーンも多くはない。しかし舞台が遊園地であることや、公開当時はセンサラウンド方式(『大地震』 『ミッドウェイ』に次ぐ)による迫力の音響効果だったので、パニック映画としての印象は強い。また犯人像は屈折したベトナム帰還兵を思わせるが、『ブラック・サンデー』ほど明確に描かれておらず、異常性という点でも『パニック・イン・スタジアム』の比ではない。それよりも、この作品で注目すべきはサスペンスとしての盛り上げ方の上手さ、構成の巧みさである。犯人への現金引渡しのシークエンスなんかは実に見事。脚本は「刑事コロンポ」シリーズを手がけた面々らしく、地味ながらツポを得た作りだ。 ヘンリー・フォンダ、ティモシー・ポトムズといった出演者も渋くて良いが、何と言ってもリチャード・ウィドマークだ。この人が出るといかにも「70年代のサスペンス映画」という感じが出てくる。ラロ・シフリンの音楽も素晴らしい。監督:ジェームズ・ゴールドストーン 製作:ジェニングス・ラング 脚本:リチャード・レヴィンソン/ウィリアム・リンク 撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ 音楽:ラロ・シフリン 1977年・アメリカ / 119分 / 評価:4.0点
Sep 6, 2008
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1980年公開の海洋アクション映画。2005年に同名の近未来SF映画が公開されたが、普通なら全く同じタイトルは避けるのでは。本作のあまりのマイナーさに、堂々と無視されたのが何とも哀しい。原作はピーター・ベンチリーで、海洋アクション3部作の最後として製作されたもの。すなわち、第1弾「ジョーズ」、第2弾「ザ・ディープ」に続く作品であったのだ(ストーリーに関連性はないが)。それは製作スタッフの豪華さを見ても分かるだろう。ストーリーは大西洋バハマ諸島に海賊の末裔が人目を避けて住んでいて、その調査にきた新聞記者メイナード(マイケル・ケイン)と子供が危険な目に遭う、というもの。海賊の末裔は近くを通るクルーズ船などを襲撃して食いつないでいるのだが、子孫を残すため女性と子供は生け捕りにしており、メイナードの子供も拉致されてしまう(メイナード自身も、かの海賊「黒ひげ」を倒した人物と同名だったため、子孫と勘違いされて軟禁される)。子供は一人前の海賊になるべく海賊の首領(デヴィッド・ワーナー)に洗脳されるが、メイナードが何とか脱出し、海賊達を一掃。親子の絆を回復する・・というのが大まかな流れ。 本作の最大の欠点は「ジョーズ」「ザ・ディープ」で見られるような、海洋アクションならではの爽やかさが感じられないところだろう。後半は父と子の物語に特化してしまい、折角のアクションシーンが生かされていない点も惜しい。ま、そもそも「あり得なさ」でいったら全2作の比でないところで、すでに決まっていたのかもしれないが。本国でもDVDは出ておらず、再びお目にかかる機会もないだろう。モリコーネ作曲のサントラ盤LPを今でも持っている。監督:マイケル・リッチー 製作:リチャード・D・ザナック/デヴィッド・ブラウン 原作:ピーター・ベンチリー 脚本:ピーター・ベンチリー 視覚効果:アルバート・ホイットロック 音楽:エンニオ・モリコーネ 1980年・アメリカ / 113分 / 評価:3.0点
Aug 31, 2008
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名作『明日に向って撃て!』(1969)の姉妹編。もっとも、ラストで二人は露と消えているから続編ではなく、主人公二人の若い頃、つまり『明日に向って撃て!』の冒頭までを描いたもの。前作のシナリオを書いたウィリアム・ゴールドマンが製作総指揮にまわり、監督はリチャード・レスターが務めた。若き日といっても二人とも既に小悪党であり、その二人が知り合い、妻子も捨てて(サンダンス)、無法の道を突き進んでしまう様子が描かれる。当然ながら二人の友情を軸に進められており、それはそれで良いのだが、時代の無情さというか、悪の道を進まざるを得ない宿命のような部分はちょっと弱い。この点だけならロバート・ベントンの『夕陽の群盗』の方が数倍勝る。とはいえ、下手すればスベリかねない続編物やスピンオフ作品の中では成功した方であろう。ブッチとサンダンスの役はポール・ニューマン(当時54歳)、ロバート・レッドフォード(同42歳)では年齢的にもギャラ的にも無理で、新人のトム・べレンジャー(同30歳)とウィリアム・カット(同28歳)が演じた。そんなに違和感がなかったのを覚えている。前作はバート・バカラックの音楽が洒落すぎていたが、本作では純映画音楽家のパトリック・ウィリアムスが担当し、西部劇らしい普通の音楽となった。監督:リチャード・レスター 製作:ガブリエル・カツカ/スティーヴン・バック 製作総指揮:ウィリアム・ゴールドマン原作:ウィリアム・ゴールドマン 脚本:アラン・バーンズ 撮影:ラズロ・コヴァックス 音楽:パトリック・ウィリアムズ 1979年・アメリカ / 112分 / 評価:4.0点
Aug 23, 2008
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お盆も終わり、8月も終わりに近づいているが、私の夏休みはもう少し先。子供も部活が休みなしなので、どうせ旅行なんかもできないし、暇となった妻はレンタルDVDを観まくっている。一部は私も一緒に見たので、最近観た作品についていくつか。『ライラの冒険/黄金の羅針盤』The Golden Compass原作は有名なファンタジー小説とのことで、子供向きとしては勿体無いくらい豪華。舞台となる世界(パラレルワールド)の設定が特異で、そこを評価する人もいるが、私はどうも中途半端に思えてならない。出演者は悪くないと思うが、クライマックスの戦いが今ひとつ迫力に欠ける(夜だからかもしれないが)。まあ長い話の途中なので仕方ないのかもしれない。(2007年・アメリカ/評価:3.5点)『魔法にかけられて』Enchanted劇場で予告編を観た時、スベり気味だなあと思ったし、まるで期待せずに観たのだが、意外と楽しめた。主演のエイミー・アダムスも嫌味が無くてよい。ミュージカル・シーンに新味はないが、セントラルパークのロケは効果的で、ちょっと『パジャマゲーム』を思い出してしまう明るさだ。ディズニー実写物の良さが感じられる作品で、子供には特にお勤め。(2007年・アメリカ/評価:4.0点)『魍魎の匣』『姑獲鳥の夏』もそうだったが、原作を読んでいないので、何とも評価しがたい。題名から想像されるオカルト要素はなく、手の込んだ推理サスペンスであるが、映像描写は結構ハード。実際に猟奇的殺人事件が多発する現在、悪影響を与えないかと心配したりする。終戦直後の東京のセットをよく作れたな、と思ったら上海での口ケだった。雰囲気は上々で出演者も豪華なのだが。(2007年・日本/評価:4.0点)『ピューと吹く!ジャガー』 これは私が観たかったからレンタル。少年ジャンプ連載の原作漫画は欠かさず見ているし、単行本もすべて持っている。といっても映画化に期待していたわけではなく、つまらないであろうことは百も千も承知なのだが、やはり観てしまった。結果は原作漫画の第41笛「夏祭り・がっかりイリュージョン」のごとく、ひたすらガッカリするだけのものであったが、それは予想通りだから不満はない。昔の映画『俗物図鑑』(筒井康隆の名作小説を映画化した1980年の作品)のようなC級(D級か)感覚が味わえる。出演者は珍妙で、主人公の要潤はまあまあだが、白川高菜役は原作どおりもっと清楚系美人の方が良かったか。ハマー役の小木博明(おぎやはぎ)に要潤が素で笑ってしまっているところは面白かったが。これならアニメ版の方がまし。(2008年・日本/評価:2.0点)
Aug 23, 2008
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DVDのジャケットや邦題は、まるで『トップガン』か何かのようだが、ちょっと変わった戦争物である。ジョン・ミリアス監督による1984年の作品で、当時の若手スターが多数共演していることでも知られる。198×年秋のコロラド州カリュメット町。授業中の高校の校庭に突然パラシュート部隊が降下してきた。何事かと校庭に出て行った教師は一撃で射殺される。部隊はソ連軍だったのだ。実はその頃、米ソの対立は頂点に達していた。ソ連は対米戦争を決意し、先手を打って空挺部隊を送り込む。ジェッド(パトリック・スウェイジ)たちのいる街はロッキー山麓の田舎町だが、近くに大陸間弾道ミサイル基地があるために狙われたのだった。ソ連軍はアラスカ経由で米北西部へ侵入しており、ソ達の影響で共産主義化した中米諸国も同調。キューバ軍はテキサスに上陸、二カラグアもメキシコ経由で米南西部に侵入した。街はソ連・二カラグア軍の共同管理下に置かれ、反抗的な市民は「再教育施設」(と言ってもただの捕虜収容所みたいな所)に送られていた。ジェッドたち6人は山奥に逃げ、持ち込んだ食料が尽きると鹿などを狩って食いつないでいた。しかしある日、山に来たソ連兵に発見され、止む無く返り討ちにしてしまう。またその報復で自分の父親達が銃殺されたのを知ると、ジェッドたちはソ連軍に対しゲリラ攻撃を開始する・・・。前半は「突然戦争に巻き込まれたら、君ならどうするか?」「特異な状況に置かれた若者たちが困難にどう立ち向かうか」という「もしも」のストーリーのように思えるのだが、話が進むにつれ、「ソ連が攻めてきたら、君は戦えるか?」という愛国精神を問う内容に変わってくる。さすがは夕力派監督ミリアスである。ソ連陣営が崩壊した現在ではあり得ない話だが、1980年代の制作当時は中米危機が深刻化し、第三次世界大戦を思わせる緊迫した時期であったのは確か。例えば同じ年に公開された『2010』にもその辺の事情が色濃く反映されていた。とはいえ、本作の設定は余りにも唐突だ。特にただの高校生が対戦車ミサイルを易々と扱い、百発百中の正確な銃撃を行なえるのはどう見ても無理があろう。自国軍による救援や反撃が皆無なのも極端だ。面白いのは相変わらずミリアスならではの世界観、特に自国観で満ちているところ。ミリアスによるアメリカ(人)観は既に他の作品で登場しており、1975年の『風とライオン』ではブライアン・キース演じるセオドア・ルーズベルト大統領に「アメリカは孤独」と言わせ、灰色熊がその象徴としている。本作では共産主義諸国と戦っているのはアメリカだけで、欧州諸国は中立し傍観しているという設定になっているし、主人公たちは誰の援助も受けず(といっても米空軍少佐が一時参加)孤独な戦いを続けている。さて、出演者はパトリック・スウェイジの他にトム・ハウエル、チャーリー・シーン、リー・トンプソンらの若手から、ベン・ジョンソン、ハリー・ディーン・スタントンといったベテランまでなかなか豪華である。しかし若手スター競演という点ではコッポラの『アウトサイダー』(スウェイジ、ハウエルも出演)に先を越されてしまった。『地獄の黙示録』で負けてしまった(?)ミリアスはここでも勝てなかった。さぞ悔しかったことだろう(それで『戦場』を撮ったのか?)。 結構派手な戦闘シーンもあるのだが、設定が特異すぎて今一つ盛り上がりに欠けるのが残念。銃器や戦車・戦闘機にはそこそこ凝っており、さすがは全米ライフル協会重鎮と感心する。監督:ジョン・ミリアス 製作:バズ・フェイトシャンズ/バリー・バッカーマン/フレディ・フィールズ 脚本:ケヴィン・レイノルズ/ジョン・ミリアス 撮影:リック・ウェイト 音楽:ベイジル・ポールドゥリス 1984年・アメリカ / 114分 / 評価:3.5点 / 子供:○
Aug 2, 2008
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ジョン・ヒューストン監督による歴史フィクションの佳作。監督らしく男のロマンをカラッと描いたもので、公開当時(1975年)の流行とは一線を画していたが、今観ても十分鑑賞に耐えうる作品である。原作は『ジャングル・ブック』で知られるノーベル賞作家ラドヤード・キップリングの小説。1800年、大英帝国がアフガニスタンを保護国とした頃の話。インド駐留の英国軍を除隊したトラヴォット(ショーン・コネリー)とカナハン(マイケル・ケイン)は地元の英字新聞社の記者キップリング(クリストファー・プラマー)を訪ね、壮大な計画を打ち明ける。アフガニスタンより更に北、まだイギリスの支配が及んでいないカリフィスタン地域(現在のタジキスタンあたりか)で一旗上げ、王となって財宝をくすねてこようというのだ。呆れるキップリングにお構いなく、トラヴォットとカナハンは誓紙(王になるまで酒と女には手を出さない)を交わし、早速北へ向かった。アフガニスタンの北、険しいヒンズークシ山脈を越えた二人は、ある集落が他の部族に襲撃されている場面に遭遇。襲撃者を撃退すると集落に招かれた。集落には流浪してきたグルカ兵(インド駐留英国軍の指揮下にあるネパール人)がおり、二人を集落の王ウータに紹介。ウータから早速他部族への復讐を依頼された二人は、集落の男達を訓練して軍隊を結成。瞬く間に他部族を制圧した。英雄となったトラヴォットはひょんなことから「神の子」として崇められ、集落は大きな国へと発展していく(ウータは部下に見放され殺される)。やがてトラヴォットは宗教界の長老に呼ばれ、本当に「神の子」であるかを試される。当地には古代から「いつの世かアレクサンダー大王の子が現れる」という言い伝えがあったのだ。またまた偶然が起こり、トラヴォットは正式に神の子として認められたのだが・・・題名は『王になろうとした男』だが、「王」を飛び越え「神」の領域に踏み込んでしまったことで、運命が狂ってくる。この辺り、二人の性格の違いが出発時の誓いと結びつき、なかなか面白い展開を見せる。カナハンは冷静沈着で計算高く、「神の子」の財宝を持ってサッサとインドに帰ろうとするのだが、愚直なトラヴォットは一連の偶然が必然であったように錯覚し、本当に王になろうとしてしまう。対照的な二人だが、人間くさいトラヴォットの方が監督お気に入りのキャラクターであることは歴然。ヒューストン監督と親しいジョン・ミリアスの映画にも出てきそうな感じだ。ある意味、これも一種のカーツ大佐なのかもしれない。一度は別れようとしたカナハンも、最後は友情を示し男を見せる。そして最後まで忠義を尽くすグルカ兵もなかなか泣ける。『ロイ・ビーン』など、この頃のヒューストン作品はどれも好きなのだが、本作は特にスケールが大きい。舞台となった中央アジアの大自然の迫力は大したもので、かつての歴史大作にも引けをとらない(実際には大部分をモロッコで撮影し、雪山の場面はアルプス山脈でのロケであった)。冒頭とラストに登場する、クリストファー・プラマー扮する新聞記者の存在が効果的で、こんな冒険物語があっても不思議ではない時代のひとコマといった感じがよく出ている。そしてラストの落ちは『ロイ・ビーン』や監督は違うが『レッド・サン』なんかも思い出す。歴史物がお好きな方にお勧めできる作品。監督:ジョン・ヒューストン 製作:ジョン・フォアマン 脚本:ジョン・ヒューストン/グラディス・ヒル 撮影:オズワルド・モリス 音楽: モーリス・ジャール 1975年・アメリカ / 127分 / 評価:4.5点 / 子供:○
Jul 26, 2008
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「ジャンゴ」と言ってもフランコ・ネロではない。トーマス・ミリアン主演の1966年の作品で、主人公はジャンゴとは無関係。非常に風変わりな作品で、他のマカロニ作品とは趣が異なる。いや、マカロニ、西部劇というよりも、金(きん)にとり憑かれた人間達が織り成すホラーと言ったほうがいいかもしれない。アメリカ人とメキシコ人の混成強盗団が米軍輸送隊を襲撃。まんまと大量の金塊を手に入れるが、すぐに仲間割れが始まり、メキシコ人グループはアメリカ人グループに皆殺しにされてしまう。奇跡的に生き残った「名無し」(トーマス・ミリアン。役名がないので「名無し」としておく)はネイティブアメリカンに助けられ、近くの町へ向かう。一足先に町に到着したアメリカ人グループは強盗であることが露見。町民たちの凄惨なリンチに遭い、次々に殺されていく。最後まで雑貨店に立て篭もったアメリカ人グループのボスを倒したのは「名無し」だった。「名無し」はしばらくこの街に逗留することにしたが、何やら異様な雰囲気だ。それもそのはず、強盗達が持っていた金塊は町の有力者テンプラー(ミロ・ケサダ)とハガーマン(パコ・サンツ)が二分し着服していたのだ。さらに、金の匂いを嗅ぎつけた大牧場主ソロ(ロベルト・カマルディエル)が介入。ソロはテンプラーの息子エヴァン(レイモンド・ラブロック)を誘拐し、金塊を渡せとテンプラーに迫るが、テンプラーが逡巡しているうちにエヴァンはソロの手下に弄ぱれ、ショックで自殺してしまう。一方、町ではテンプラーがハガーマンに撃たれて果てた。「名無し」はハガーマンに用心棒として雇われたが、ソロに捕まってしまう。ネイティブアメリカンに助け出された「名無し」はソロと手下を一掃すると町へ戻る。しかしそこに見たものは猛火に包まれたハガーマンの家。精神を病んでいたハガーマンの妻が火を放ったのだ。ハガーマンは戸棚に隠していた金塊を出そうと戸を関けたところ、溶け出した金が頭上から降り注ぐ。ハガーマンは全身金まみれとなって絶えた。すべてを見届けた「名無し」は町を去っていく・・・。この作品には颯爽としたアクションや男の友情といった要素が全くない(唯一ネイティブアメリカンと名無しの間に友情らしきものは感じられる)。マカロニならではの痛快さがないのだ。第一、主人公が弱い。銃の腕前を見せたのは雑貨店でアメリカ人のボスを倒したのと、牧場主ソロを倒した場面くらいで、結構すぐ捕まってしまうし、□を割るのも早い。一方でハガーマンの妻へのアタックは早く、旦那に気付かれながらも逢引に耽るなど、従来の西部劇の主人公とはかけ離れている。だが、そこが本作の狽いで、シュールさ・奇抜さが売りだったらしい。特に目立つのが残酷描写で、町の住人によるリンチやネイティブアメリカンが頭の皮を剥がれるシーン、牧場主の手下を一掃するため馬にダイナマイトをくくりつけて走らせ、馬が吹っ飛び内臓が飛び散るシーンなど、さすがイタリアというか、少々ドギツい。今見れぱ大したことはないのだろうが、当時は衝撃的だったようで、本国イタリアでさえ一部カットしなければ公開できなかった(なぜか我が国ではノーカットだった)。印象的なのは「名無し」に蜂の単にされた瀕死状態のボスの弾丸摘出手術のシーン。体内に残っている弾丸が黄金製と知らされると、手術を見守っていた町民達が我先にと傷口に手を突っ込み、奪い合う。そのためボスは死んでしまうのだった。マカロニでは、金のためなら人の命など何とも思わない、なんてシーンは多いが、この場面ほど直接的なのは観たことがない。しかも撮り方がアッサリしているので、確かにシュールではある。何となくマリオ・バーヴァのホラーを連想してしまう。それにしても、全くもってスッキリしない作品である。予備知識なしで観たらビックリするだろう。マカロニもあらかた観尽くして、何か変わったものはないかという時に観るような作品。後にジム・ジャーメッシュは本作をアレンジし『デッドマン』を撮った。監督:ジュリオ・クエスティ 脚本:フランコ・アルカッリ/ジュリオ・クエスティ 撮影:フランコ・デリ・コリ 音楽:イヴァン・ヴァンドール 1966年・イタリア / 116分 / 評価:3.0点 / 子供:××
Jul 19, 2008
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久しぷりに観た。スピルバーグの名を知らしめた1971年の小品。TV用映画だったが、我が国などでは劇場公開され、好評を博して制作された続編『続・激突/カージャック』(1974)が監督の長編映画第一号となった。商用で車を走らせるデビッド・マン(デニス・ウィーバー)。やがて前方に旧型のタンクローリーが姿を現す。ノロノロ走っているので追い抜いたが、タンクローリーは猛スピードで抜き返してくる。闘いの始まりだった・・・。 日常が突然非日常となってしまった状況を描いたもので、『トワイライトゾーン』と同じ趣向である。物語の背景や登場人物を簡素化したことでリアリティが増し、明日、自分の身に起こっても不思議ではない、独特の世界を出現させた。特に秀逸だったのが、タンクローリーとその運転手の描写。タンクローリーはまるで生き物のように描かれ、ラストの転落でも爆発したりすることなく、まるで息絶えたようにタイヤが回転を止める。ホースから滴るガソリンは血液だ。そして運転手は最後まで顔を見せず、腕と靴しか見えない。運転手の異常性を際立たせると共に、ドライプインのシーンを盛り上げるのに効果的であった。 主演のデニス・ウィーバーが警部マックロードとは正反対の小心者を演じていたのが印象的。今でも数年に一度くらい観たくなる作品である。田舎のおばさん役といえばこの人。ルシル・ベンソン。同監督の『1941』でも同じような役で出ていたが、何といっても『大陸横断超特急』である。監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:ジョージ・エクスタイン 原作:リチャード・マシスン 脚本:リチャード・マシスン 撮影:ジャック・A・マータ 音楽:ビリー・ゴールデンバーグ 1971年・アメリカ / 90分 / 評価:4.5点 / 子供:○
Jul 12, 2008
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新作『石内尋常高等小学校 花は散れども』の公開を控え、新藤兼人監督がメディアに登場することが多くなっている。その際、代表作として『ハチ公物語』が挙げられることが多いのだが、そうではないだろう、と思ってしまう。『ハチ公物語』は原作・脚本のみで監督はしていない。もちろん、人それぞれ思い入れのある作品は違うだろうが、新藤監督および監督と一体である独立プロ近代映画協会の歴史からしても、この『裸の島』こそが代表作である。瀬戸内海に浮かぶ非常に小さな島。ここには夫婦(殿山秦司、乙羽信子)と男児2人の1世帯だけが住んでいる。一家は島の斜面を耕し麦や野菜を作っているが、島には水がないため、近くの島に水を汲みに行っては急斜面を登り上から撒く。夏の間は毎日が水汲みの往復であった・・・。ドキュメンタリー風を狙ったこの作品にはセリフがない。もちろんサイレントではないので音楽や効果音はあるが、主役二人が発するのは殿山の「よいしょ」(子供を抱きかかえるシーン)と乙羽の泣き声だけ。当時としては珍しい実験的作品と言えるが、実際、毎日同じ繰返しの生活においてそんなに会話があるものでもなかろう。過酷な日々が描かれるが、たまには楽しみもある。ある日次男が釣り上げた大きな鯛を持って尾道に出向く一家。魚屋で買い取ってくれたので、久しぶりに外食をし、千光寺山にロープウェイで登る。こういう明るいシーンがあるだけに、その後の子供の死が衝撃となる。さすがに上手い。監督はリアリティを追求し、主演二人は現地入り後すぐ天秤棒で桶を担ぐ練習に明け暮れた。桶には水が入るので半端なく重い(ちゃんと天秤棒がしなっている)。その練習光景を島の人たちは最初笑って見ていたが、肩の皮がむけ血が滴っても練習を続ける二人を見て、静かになってしまったという。しかし、ただリアリティに徹した作品ではなく、ちゃんと映画としての計算がされている。晩秋の麦踏みのシーンでは、非常に慣れた感じでリズミカルに麦を踏んでいるが、あくまでもイメージとしてある麦踏のリズムで麦を踏んでいるのであって、実際とは異なるそうだ。また、夏の炎天下に汲んできた水を撒くなんて実際にはあり得ず、陽が陰ってから撒くのが普通。しかしそこをあえて炎天下にしたことで効果を狙ったのだ。 制作当時は、数多かった独立プロが経営不振で次々と姿を消し、監督率いる近代映画協会も解散寸前であったと言う。それならば最後にやりたいことをやって終りたい、として取り掛かったのが本作だった。「制作費5百万円。スタッフ13人。役者2名」というギリギリの制作であったが、モスクワ映画祭でグランプリを受賞(その他各国でも数々の賞を受賞)したことで各国からの引き合いが殺到し、制作費の20倍以上の利益を上げ、協会は立ち直ったと言う。だからやはり本作が代表作にふさわしい。新藤監督の思想的な面にすべて賛成はできないけれど、職人としての映画作りへの執念にはただただ敬服する。映画歴67年を誇り日本最高齢の監督であるが、真の映画を撮れる数少ない一人であろう。本作はその特異性から、現在では一般受けすることはないだろうが、監督の代表作として語られないのは実に寂しく、つい長々と書いてしまった。 舞台となった宿祢島。佐木島の北にある周囲400mほどの小島である。監督:新藤兼人 製作:松浦英策/新藤兼人 脚本:新藤兼人 撮影:黒田清巳 美術:新藤兼人 音楽:林光 1960年・日本 / 95分 / 評価:4.5点 / 子供:○
Jul 5, 2008
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何ともふざけた邦題だが、中身はそのまんま。原題はBubba Ho-Tep で、Bubbaは米南部辺りの気のいい男を指し、Ho-Tepはミイラのこと。当然コメディか、と思いきや、一概にそうも言えない雰囲気。監督が『ファンタズム』シリーズのドン・コスカレリだからホラーの要素は強いし、不思議な作品である。テキサスの田舎町にある老人ホーム。そこに入所しているセバスチャン・ハフ(ブルース・キャンベル)は実はプレスリーの老いた姿だ。プレスリーは人気絶頂の頃、スターを演じ続けることに嫌気が差し、プレスリーものまね芸人ハフと入れ替わったのだった。ハフは死んだが、プレスリーはスターに戻ろうとせず、そのままセバスチャン・ハフとして生き、余生をこの老人ホームで過ごしていた。ところが最近、入所の老人の変死が相次ぐようになった。ハフも大きなスカラベ(昆虫)に襲われる。入居仲間のジャック(オジー・デイビス)と調べていくうちに、昔、近くで展示されていたミイラが何者かに盗まれていたことがわかった。ミイラが生き続けるには人間の生気が必要(生気を奪われた人間は当然死ぬ)。老人ホーム入居者の生気は新鮮ではないが、抵抗は弱いし、死んでもすぐ次の入居者が来るので餌には困らないのではないか、というのが二人の推理だ。そして、ついに二人とミイラの対決が始まる・・・コメディと思って観始めるが、映像は非常に醒めており軌道修正を迫られる。ハフもジャックも老齢から体が不自由なため、ハンデを負っての戦いには無情感すら漂っており、監督は異なるが、ジョン・カーペンターの世界に近い雰囲気もある。またミイラやスカラベなどが登場する老人ホーム内のシーンは『ファンタズム』(1作目)のような一種のクールさが感じられる。『ファンタズム』シリーズのレジー・ヴァニスターも出演ただ悪く言えば、コメディではないし、ホラーにしてはインバクトが弱すぎる(そもそも観客にショックを与えることを目的としていないと思われる)ので、中途半端な感じは否めない。この映画は約30年『ファンタズム』シリーズ以外はほとんど手がけなかったコスカレリ監督久々の作品と言うことで制作時から一部では話題となったが、我が国では公開されず。2006年になって、2週間限定かつ単館上映という極めて限定的な公開により、ようやく陽の目を見たのだった。観に行きたかったが、これでは到底無理。昨年『ファンタズム』シリーズ全作品と共にDVDがリリースされたので、ようやく観ることができた。90分ちょっとと短いので、気が向いた時にちょこっと観るには最適だが、一般的にはウケないだろうなあ。来年あたり続編の制作に入るらしい。監督:ドン・コスカレリ 製作:ドン・コスカレリ/ジェイソン・R・サヴェージ製作総指揮:ドン・コスカレリ 原作:ジョー・R・ランズデール 脚本:ドン・コスカレリ 撮影:アダム・ジャネイロ編集:ドナルド・ミルン/スコット・J・ギル 音楽:ブライアン・タイラー 2002年・アメリカ / 92分 / 評価:3.5点 / 子供:△
Jun 28, 2008
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故ロバート・アルトマン監督がハリウッドを痛烈に皮肉った傑作。とある殺人事件が本筋だが、様々な映画ネタや多彩なゲストでブラック・コメディに仕上がっているのがミソ。ある映画会社の脚本担当重役グリフィン・ミル(ティム・ロビンス)はイライラしている。社長がライバルの20世紀フォックス社からプロデューサーのラリー・リーヴィー(ピーター・ガラハー)を企画担当役員として迎え、ナンバー2の地位が脅かされるようになったからだ。それに加えて匿名の脅迫状が頻繁に郵送されてくるのにも悩まされる。差出人は以前シナリオの採用を断った脚本家のデイヴィッド・ケヘイン(ヴィンセント・ドノフリオ)であろうと目星をつけたミルは単身ケヘインに会いに行く。ケヘインは脅迫状については否定したが、二人は口論となってしまい、勢い余ってミルはケヘインを殺してしまう。翌日、早速脅迫状が届いたが、ケヘイン殺害を見たことをほのめかす内容であった。ロス警察刑事(ウーピー・ゴールドバーグ)の捜査も始まり、焦るミルだが、ケヘインの同棲相手だったジューン(グレタ・スカッキ)に癒され、やがて愛し合うようになる。しかし事件を目撃したという女性が現れ、首実検にかけられることになるのだが・・・サスペンスものとしても十分通用し、警察の追及、それをかわすミルの攻防も面白い。ラストのオチも効いている。特に刑事達に嘲笑される警察署での尋問シーンは異様で、印象に残る。しかしそれよりも、ポイントは非情な映画界・ハリウッドを痛切に皮肉った点にあり、その趣旨に賛同してハリウッドスターが大挙出演したことである(規定の最低のギャラで応じた人が多い)。 ブルース・ウィリス、ジュリア・ロバーツ、ジェフ・ゴールドブラム、アンジェリカ・ヒューストン、シェール、ジョン・キューザック、スーザン・サランドン、パトリック・スウェイジ・・達に加え、オールド・スターでは、バート・レイノルズ、エリオット・グールド、ジャック・レモン、マルカム・マクダゥエル、ニック・ノルティ、ピーター・フォーク、そしてジェームズ・コバーン、ロッド・スタイガーにハリー・べラフォンテ、つい先日亡くなった監督のシドニー・ポラック等々・・何とも凄まじい顔ぶれである。アルトマン監督ならではだろう。 ほとんどはワンシーン程度の出演ではあるが、私は「オールスター競演」が大好きなので、一人一人探すのも楽しい。「オールスター競演」ものの金字塔は『名犬ウォントントン』(1976)であるが、それに劣らぬ豪華さである。本作にも出演しているロッド・スタイガーとジェームズ・コバーン(『夕陽のギャングたち』のコンビ!)が出ていた『ラブド・ワン』などハリウッド風刺ものは昔から数多いが、本作はその中でも最高の一本。口では芸術といいながら、大衆受けさえすれば何でもOKの映画会社。方や芸術性ばかりを追いかけて、ヒットや採算性など全く眼中にないライターたち。どちらも極端に描かれているが、そこに映画産業の本質を見る思いである。また、小ネタが面白く、脚本家がミルに売り込んでいる企画『卒業2』(ベンジャミンとエレンは結婚し、エレンの母ロビンソンを引き取って3人で暮らしているが、老齢のロビンソンが意地悪を始める)には笑ってしまう。冒頭の異常な長回しが有名だが、ラストの展開も非常に凝っていて、何でもハッピーエンドにしないと気が済まないハリウッド映画界を強烈に茶化している。様々な登場人物が絡み合う構成も見事。興をそぐので、とても詳細は書けないが、ぜひ一度ご覧頂きたいものである。監督:ロバート・アルトマン 製作:デヴィッド・ブラウン/マイケル・トルキン/ニック・ウェクスラー 製作総指揮:ケイリー・ブロコウ 原作:マイケル・トルキン 脚本:マイケル・トルキン 撮影:ジャン・ルピーヌ 音楽:トーマス・ニューマン 1992年・アメリカ / 124分 / 評価:4.5点 / 子供:×
Jun 13, 2008
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このタイトルで主演ニック・ノルティとくれば、軽めの戦闘アクション映画のように思われてしまうが、中身はまるで趣が異なる。太平洋戦争中のボルネオ島(現カリンマンタン島)のジャングルに潜んでいた脱走米兵を主人公にしたフィクションであるが、監督ジョン・ミリアスの思想・嗜好が色濃く反映されている珍品である。太平洋戦争末期の1945年春。ボルネオ島北部のジャングルに英陸軍のフェアボーン大尉(ナイジェル・ヘイバース)と通信兵のテンガ(フランク・マックレー)が潜入した。目的は未開の現地住民を組織し日本軍にゲリラ攻撃を仕掛けること。二人は現地の部族に捕らわれ集落に連行されたが、そこにいた部族の王はなんとアメリカ人のリーロイド(ニック・ノルティ)であった。 リーロイドから王になった経緯を聴き、また彼が意外にも平和主義者であることを知ったフェアボーン大尉は王に興味を抱き、やがて尊敬するようになる。だが、それはフェアボーンの目的とは相容れないものであった。連合軍最高司令官マッカーサーから戦後の自由を保障する旨の一筆を取り付けたフェアボーンは王に報告。ついに王と部族は日本軍に戦いを挑むのだが・・・ この作品はコッポラの『地獄の黙示録』との関連で語られることが多い。『地獄の黙示録』の原作はコンラッドの「闇の奥」であるが、それを基に脚本を書いたのはミリアスであった。ミリアスはジョージ・ルーカスを監督にして映画化しようと考えたが実現せず、後に脚本の映画化権はコッポラに渡った。しかしコッポラは脚本に満足せず、大幅に改変したためミリアスは相当の不満を表明していた。本作の原作はピエール・ショーンドルフェールであるが、登場人物の配置は『地獄の黙示録』と酷似している。狂言回しの役は陸軍の大尉であり、主人公はジャングルの「王」になった脱走兵である。ただ本作では両者の間には友情が芽生えるが、『地獄の黙示録』では畏怖と敵対の関係である。だが逆に見れば、これこそが『地獄の黙示録』のオリジナルの形であったのかもしれない。文明社会を飛び出して王となり、戦い続ける男と、それに共感する男の友情物語として。 また、『アラビアのロレンス』の太平洋戦争版という見方もできるだろう。あらすじはソックリだし、戦後の挫折もよく似ている。ただ本作の結末はハッピーエンドに近いもので、ここだけはジョン・ブアマンの『エメラルド・フォレスト』のラストを彷彿とさせる。夕力派のミリアスは男の戦いだとか武器には格別の思い入れがあるようで(全米ライフル協会の重鎮でもある)、本作にも象徴的な場面がある。日本軍の三田村大佐が王に降伏した時に、日本刀を差出すシーンがそれ。日本軍による村民虐殺の場面などもあるが、三田村大佐個人は教養ある立派な軍人として描かれており、その象徴が日本刀であったのだ。思えばミリアスの名作『風とライオン』でも主人公ライズリ(ショーン・コネリー)と敵のドイツ軍大佐(アントワン・セント・ジョン)の対決は剣であった。故にライズリも敵にトドメを差さず、一分の敬意を表したのである。 そういえば、『風とライオン』には『王になろうとした男』を監督したジョン・ヒューストンも出演していた。またリーロイドがボルネオに漂着した時の海の大波や、ラストの波は『ビッグ・ウェンズデー』も思い出す。いろいろと他の作品との関連性が感じられて面白い。ただ予算の関係なのか、美術面などがイマイチなのが惜しい。現行のDVDでも、1989年の制作なのにこの画質はないだろう、と思う。集落のつくりも何だか真新しく、広場のトーテムポールも取って付けたようだ。この辺りはサスガに『地獄の黙示録』のカーツ王国の迫力にはかなわない。ほとんど触れられることのない作品であるが、ナカナカ興味深いのである。安っぽい邦題はどうにも頂けないが、もう少し顧みられてもいい作品ではないだろうか。 監督:ジョン・ミリアス 製作:アルバート・S・ラディ/アンドレ・モーガン 原作:ピエール・ショーンドルフェール 脚本:ジョン・ミリアス 撮影:ディーン・セムラー 音楽:ベイジル・ポールドゥリス 1989年・アメリカ / 117分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Jun 6, 2008
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近年、黒澤明(1910-1998)の過去の名作のリメイクが相次いでいる。現在は『隠し砦の三悪人』のリメイク『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』がヒットしてるらしいが、<続きはコチラ>
May 30, 2008
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1978年以来続いている『ファンタズム』シリーズの4作目。―作ごとの間隔は長めで、前作『 III 』から約5年を経ての登場となった。監督はもちろんドン・コスカレリ。今やライフワークと化している。トールマンとの戦いを続けるマーク(A・マイケル・ボールドウィン)とレジー(レジー・バニスター)。マークは謎を解明するためレジーと別れ、南西部に向かう。現れたトールマンに「お前を長く待っていた」と言われるマーク。砂漠に忽然と現れた異界への入口を通ったマークが見たものは・・・。(ここから先はネタバレ)前作のラストで無数のシルバー・スフィアに襲われたレジーは、何故かトールマンに見逃され、窮地を脱出(『 III 』に出ていたティム少年は残念ながら今回は登場しない)。マークは自分自身に隠された謎とトールマンの正体を暴くため、独りで「死の谷」へ向かう。現れたトールマンはマークを殺そうとはせず、マークがトールマンの過去を探るのを黙認する。異界への入口を通ったマークは南北戦争時代にタイムスリップし、若き日(といっても初老だが)のトールマン、ジェバダイア・モーニングサイドに会う。ジェバダイアは科学者で死後の世界を研究していたのだ。教えを乞うジェバダイアから逃げるようにして元の世界へ戻るマーク。そして前作で明らかになったマークの頭部の中にあるシルバー・スフィアを狙うトールマンとの戦いが始まる。 前作は登場人物を増やし、ストーリーの新展開が見られたものだったが、本作はこれまでの整理というか、広がってしまったストーリーを連結し収拾する、悪く言えば辻棲合わせのために作られた作品と言っていいだろう。従って、いきなり本作を観られた方にとっては訳がわからない、ということになる。 一方、一作目から観てきた方であれば、『 I 』での古い写真の意味がわかる(南北戦争で軍医として従軍しているジェバダイアのシーンが印象的)など、これまでの謎解きが楽しめる。今回はレジーの出番が少ないが、例によってスケベ心を起こし、危ない目に遭うなど相変わらずだ。いざ対決という時に、昔やっていたアイスクリーム屋の服を着、『 II 』で自作した4連発式ショットガンを携えるのが、本作の位置づけを象徴すると共に、泣ける。 右:無人の都会。『アイ・アム・レジェンド』?トールマン役のアンガス・スクリムは当時73歳。歳のせいか柔和になった感じがするが、撮影時はひどい扁桃腺炎で大変だったようだ。過去のシーンで「普通の演技」を見せるのが新鮮。次回作『 V 』は現在撮影中のようだが、一体どんな結末が待っているのだろうか。監督:ドン・コスカレリ 製作:ドン・コスカレリ/A・マイケル・ボールドウィン 脚本:ドン・コスカレリ 撮影:クリス・コミンSFX:クリス・ハンソン/ジジ・ポーター 音楽:クリストファー・L・ストーン1998年・アメリカ / 95分 / 評価:3.5点 / 子供:×
May 23, 2008
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家族がレンタルしてきたので一緒に観た。本邦公開は昨年末。こんなに早くDVD化されるようになると、映画館で封切りを観ようという人は更に減ってしまう気がする。もちろん映画館でないと味わえない迫力というものはあるのだが、この作品はどうかというと・・ちょっと微妙であった。2009年(来年だ)。ガンの特効薬として承認された薬品が人体内でウィルス化し、感染された者は凶暴化し人を襲うという事象が発生。被害は瞬く間に広がり、3年後には化学者のロバート・ネビル(ウィル・スミス)の他に生存者は見当たらなくなったのだが・・・。原作自体が既に2回映画化されているが、同種の近未来ものは昔から数多く存在し、どうしても観る側は比較せざるを得ない。いろいろ突っ込みどころも多いが、私の好きな作品『12モンキーズ』『遊星からの物体X』『ゾンビ』あたりと比べてしまい、さすがに若干見劣ってしまう。人気者ウィル・スミスの作品としてはシンネリしていて珍しいと思うが、『ゾンビ』ほどの絶望感・厭世感や、『遊星からの物体X』ほどの悲壮感が感じられなかったのは残念。キャラクターの所以か。上映時間が短めなので、手軽に観れるのはいい。販売用DVDには別ヴァージョンのエンディングがあるそうで、ちょっと気にはなるが、それよりは同じ原作の過去の映画化作品『オメガマン』をもう一度観たくなった。監督:フランシス・ローレンス 製作:アキヴァ・ゴールズマン/ジェームズ・ラシター/デヴィッド・ハイマン/ニール・モリッツ 製作総指揮:マイケル・タドロス/アーウィン・ストフ/デイナ・ゴールドバーグ/ブルース・バーマン 原作:リチャード・マシスン 脚本:マーク・プロトセヴィッチ/アキヴァ・ゴールズマン撮影:アンドリュー・レスニー 編集:ウェイン・ワーマン 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード 2007年・アメリカ / 100分 / 評価:3.5点 / 子供:○
May 20, 2008
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1930年代に人気を博したフレッド・アステア(1899-1987)&ジンジャー・ロジャース(1911-1995)のコンビが10年ぶりに共演したMGMミュージカル。1946年の『ブルー・スカイ』を最後に一旦引退したアステアだったが、復帰を求める声があまりにも強く(1万通以上の署名が集まったという)、1948年の『イースター・パレード』でカムバック。好評を博し続けて制作されたのが本作であった。ショービジネス界のおしどり夫婦ジョシュ(アステア)とダイナ(ロジャース)は基本的には円満なのだが、ジョシュは一種の完璧主義者であり.ダイナが反発することもしばしば。新しいショーの初日、夫妻は後援者のパーティに呼ぱれたが、そこでダイナは新進の劇作家兼演出家のジャック(ジャック・フランシス)に見初められ、自分の舞台に出てほしいと打診される。ダイナはいい気分になったがジョシュが愉快なはずがなく、夫妻の間に隙間風が吹き始める。やがてダイナはショーを自ら降板しジャックの舞台に出演。二人の亀裂は決定的となるのだが・・・ 当初、ダイナ役は『イースター・パレード』に続いてジュディ・ガーランドが務める予定だったが、薬物の過剰摂取で体調を崩し、かつてのパートナーであるジンジャーが急遽呼ばれた。1939年の『カッスル夫妻』以来の共演(通算10作目)となったが、二人の息はサスガにビッタリで、劇中劇などで繰り広げられるダンスの数々は、以前の作品と比べても遜色はない。チャリティ会場でのエレガントなダンスも良いが、リハーサルでのアップテンポなタップ"Bouncin' the Blues"が最高である(このシーンは『ザッツ・エンターテイメントpt2』にも収録されている)。 当時アステア50才、ロジャース38才。アステアのお歳が少々高目だが、倦怠期の夫婦を実に自然に演じており、反発しつつも通じ合う微妙な心情を上手く表現していた。アステアはこの頃が第2のピークであり、以後も『土曜は貴方に』『恋愛準決勝戦』『バンド・ワゴン』や『絹の靴下』などコンスタントに映画出演があり、1970年代まで息長く活躍した。ロジャースはその後活躍の場をTVに移し、1990年代まで姿を見せていた。二人の他では、夫妻の友人でもあるショーのプロデューサーを演じたオスカー・レヴァント(1906-1972)の見せ場が多い。特にチャリティ会場でのチャイコフスキーの演奏はコンサートピアニストでもあったレヴァントの本領発揮で、少々長いながらも見応え(聴き応え)のあるシークエンスであった。 監督:チャールズ・ウォルターズ 製作:アーサー・フリード 脚本:ベティ・コムデン/アドルフ・グリーン 撮影:ハリー・ストラドリング 音楽:アイラ・ガーシュウィン/レニー・ヘイトン/ハリー・ウォーレン 1949年・アメリカ / 109分 / 評価:3.5点 / 子供:○
May 16, 2008
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『ジーザス・クライスト・スーバースター』と並ぶロック・ミュージカルの傑作。原作は2人の俳優の手によるもので、小劇場で好評を博し、1968年にブロードウェイに進出。そして1979年に映画化されたのが本作である。音量にご注意ください1960年代、ベトナム戦争中のアメリカ。クロード(ジョン・サベージ)は徴兵に応じオクラホマから二ューコークヘやって来る。入隊まで2日間余裕があるので名所めぐりでもしようとセントラルパークに来たが、目に入ったのは奇抜なヒッピーたち。最初は怪訝に眺めていたものの、ヒッピーの一人ジョージ・バーガー(トリート・ウィリアムス)と何故か気が合い、彼らと行動を共にする。金持ちの令嬢シーラ(ビバリー・ダンジェロ)への一目惚れやパーティの馬鹿騒ぎ、セントラル・パークでの集会などで翌日はあっと言う間に過ぎ、クロードは徴兵事務所に出頭する。数ヵ月後、ネヴァダ州の訓練施設にいるクロードからの手紙を読んだジョージたちは、クロードのシーラヘの思いをかなえるためシーラと共にネヴァダに向かうのだが・・・ 公開当時にサントラ盤を買ったが、映画自体は観なかった。何しろ中学生のガキだったし、内容にも興味が湧かなかったからである。初めて観たのはほんの数年前。ロックミュージカルならではのパワーは感じられるもののドラッグやフリーセッ○○といったヒッピー文化には抵抗があるので、感情移入することはなかった。しかし、ずっとサントラ盤を聴いていたせいもあるが、音楽は実に素晴らしい。詞はともかく曲がいい(詞は一部事情もあって現行DVDでは翻訳が割愛されている箇所がある)。オクラホマから夜行バスでニューヨ-クに向かうクロード。車窓の風景が森林・畑から住宅地に変わり、摩天楼が現れる。バックに流れるのは名曲「アクエリアス(水瓶座)」。この場面でもうやられてしまう。他にも「エレクトリック・ブルース」や「グッド・モーニング・スター・シャイン」「ホエア・ドゥ・アイ・ゴー」など素晴らしいナンパーか多い。バレエのミハイル・バリシニコフの影響を受けているトウィラ・ザープによるダンスも見事ではあるが、どちらかというと歌主体のミュージカルと言えるだろう。 "Where do I go"。ギリアムの『フィッシャー・キング』のセントラル駅のシーンの元と言われる。また、観直して見ると単に「反戦・自由至上主義」の作品ではないことが判る。ベトナム戦争は1968年の舞台化時にはリアルタイムの題材であったが、映画化はそれから10年後。その間、1975年に戦争は終結し、人々の関心も薄れはじめた。同世代の若者の中でも帰還兵(戦った者)とヒッピー(戦わなかった者)の対立が見られ、後者は急速に数を減らすこととなる。徴兵制も1973年には廃止された(登録制度は現在でも残っている)。つまり10年を経たことで、ヒッピームーブメントと1960年代を冷静に振り返ろうとしたのではないか。そんな意図が感じられるのかヒッピーの一人、ジェニーの存在である。ジェニーはジョージら仲間の思想に賛同し、子供を宿すが父親は仲間の誰であってもいいと考えている。というか深く考えることができず、仲間と一緒にいたいだけで、今の状況がずっと続くと思っているようだ。しかしそんなジェニーもジョージがシーラと仲良くしているのをみて、ふと考える。そしてクロードに徴兵回避ができるからと結婚を迫るのだ。この辺りからのジェニーは哀れだ。仲間のハッド(ドーシー・ライト)の婚約者と子供が現れるシーンもそう。仲間達はいずれ普通の生活に戻る。実際に当時のヒッピーたちもブームが去ると元に戻った。しかしジェニーは子供を背負っていかなけれぱならないのだ(一応ラストで別の仲間が父親になっている様子なので、少し安心する)。ラスト近くのどんでん返しが有名だが、私はこの辺りのシークエンスの方が印象に残る。監督がフォアマンだから、個人的な過去の体験の反映とか、前作『カッコーの巣の上で』との関連もあるのだろうけど。オリジナルの舞台から少々趣きが変わってしまっているかもしれないが、ブロードウェイで商業ベースに乗った時点で既に変わっていたのかもしれない。映画が製作中だった1976~77年頃といえば、フィリピンでコッポラが『地獄の黙示録』を撮っていた時期。主旨は全く違うが、ベトナムへ飛び立ったジョージがその後あの地獄を体験したのだとするとピッタリ繋がる感じがする。レンタルDVDあり。今、主人公と同じ年代(10代後半から20代)の人が見たら何と思うのだろうか。遠い別世界の話で訳がわからないか。重いし、受けは悪いだろうなあ。監督:ミロス・フォアマン 製作:レスター・パースキー/マイケル・バトラー 原作:ジェローム・ラグニ/ジェームズ・ラドー 脚本:マイケル・ウェラー 撮影:ミロスラフ・オンドリチェク 音楽:ガルト・マクダーモット 1979年・アメリカ / 120分 / 評価:4.0点 / 子供:×
May 9, 2008
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10年ほど前までアメリカで「この前の戦争」と言えばベトナム戦争だった(現在なら湾岸戦争)。ベトナム戦争が同国にもたらした影響は計り知れず、映画も沢山作られたが、その最高峰は未だにこの『地獄の黙示録』だろう。1980年2月の公開時に観て、その迫力に圧倒された。ちょうど翌3月にスピルバーグの『1941』が公開されて「2大戦争巨編の競作」なんて言われ方もされていたが、全く異質の作品であり比較にならない。 マーティン・シーン/ロバート・デュバル迫力云々は前半、特にキルゴア中佐率いる騎兵隊がベトコンの村を奇襲する戦闘シーンなどを指すことが多いようだが、私はむしろ後半の方に迫力を感じる。「難解」と言われる部分であるが、それは制作現場の混乱がもたらしたもので、コッポラたちは事前に結末を決めることなく、とにかく撮りまくり、十分な編集も手直しもできないままプレミアを迎えるという状況であった。したがって非常に荒削りではあったが、それが却ってカーツ大佐の神秘性を高め、「王国」はまさに人間の心理の奥底に相応しい雰囲気を醸し出していた。「ベトナム戦争」云々はあまり意味がなく、それよりは、太古の昔から人間(というか動物)の中には原始的殺人本能があり、それは決して拭い去ることはできず、戦争のような狂気を経ると示現してしまう恐ろしさ、どうすることもできない恐怖・・・が監督の意図したテーマだと思っていた。私が好きなド・ラン橋のシーンしかし2002年に公開された『特別完全版』を観ると、必ずしもそうではなかったことが判る。この辺については他で色々書かれているので参照して頂きたいが、上述のような観念的なテーマよりは、戦争に翻弄される人間自身を描きたかったのだろう、ということになる。『特別完全版』で追加されたシークエンスで最も長いのはクリスチャン・マルカン演じるフランス人のプランテーションの部分だが、このプランテーション自体も一種の王国であり、それだとカーツ王国の存在感が薄れてしまう。また、カーツ大佐のTシャツ姿。これでは神秘性は感じられず、普通の軍人でしかない。 プランテーションでのウィラード大尉と未亡人の情事のシーンと、慰問後のプレイメイト達とのシーンがちょっと息抜きとなってしまうのも惜しい。本作の場合は、どちらかというと最初から最後まで緊張しっ放しの方がいいと思うのでちょっと残念だ(ただ、プレイメイトとの情事の際、横に死体が転がるのにはギョッとするが)。ストーリーは好きな方を選べば良いが、迫力ある映像は同じである。制作中に降り注いだいくつものトラブル・・・主演者の交代・台風によるセット崩壊・制作費の高騰・・・から来る苦悩とその克服が画面から気迫となって滲み出る。これほど強く迫ってくるスクリーンは滅多にない。フリードキンの『恐怖の報酬』もなかなか迫力のある映像だったが、これには到底及ばない。また王国の住人は実在のフィリピン山岳民族をそのまま起用しており、水牛殺しの儀式も彼らが実際に行っているものだとか。カーツの王国。圧倒される。ウィラード大尉役はスティーブ・マックイーン、アル・パチーノ、ジェームス・カーン、ロバート・レッドフォード、ジャック・ニコルソンにオファーしたが何れも断られた。マックイーンとニコルソンにはカーツ役もオファーし、マックイーンからは一旦OKがでたものの、結局ジャングルでの長期ロケを嫌われ、出演は流れたという。もし実現していたら一体どんな作品になっていたのだろう。その後ハーヴェイ・カイテルの降板を経て選ばれたマーティン・シーンは、過労で倒れながらもこの難題を見事にこなし、代表作となった。一方、ブランドは肥満、ホッパーは薬物申毒で満足な演技ができず、監督は大変苦労したらしい。 ヴィットリオ・ストラーロの撮影は相変わらず秀逸で、色調が実に素晴らしい。音楽ではドアーズの「ジ・エンド」があまりにも有名だが、コッポラの父カーマインのスコアもナカナカだ。当初、音楽は冨田勲にオファーがあり、実際に冨田氏は現地入りまでしたが、結局実現しなかった。残念である。その他、いろいろ書くとキリがないが、今見ても色あせていない稀有な作品であることは間違いない。私の映画ベスト10の一つである。コッポラ、ストラーロたちもカメオ出演。監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作:フランシス・フォード・コッポラ/フレッド・ルース 原作:ジョセフ・コンラッド 脚本:ジョン・ミリアス/フランシス・フォード・コッポラ 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 編集:ジェラルド・B・グリーンバーグ 音楽:カーマイン・コッポラ1979年・アメリカ / 153分(オリジナル)・203分(特別完全版) / 評価:5.0点 / 子供:×
May 2, 2008
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海音寺潮五郎の有名小説を映画化した角川作品。原作は上杉謙信の生涯を描いたものであり、クライマックスの川中島決戦はじめ、武田側ではなく上杉側の視点で語られたのは珍しかったが、映画化に当たってはかなり手が加えられた。私は上杉派なので(深い意味はない)『風林火山』などよりも好きなのではあるが、映画としてはかなり残念な仕上がりである。映画では物語を謙信の越後統一(1550年)から第4次川中島合戦(1561年)の間に絞っている。謙信を演じたのは榎木孝明。当初は渡辺謙でスタートしたが白血病で降板し、次いで松田優作に白羽の矢が立ったが、やはり病気で実現しなかった。謙信はおなじみの僧形ではないが、実際に出家したのは1570年であり、史実に近い。その他、多少史実に反する場面はあるが、クライマックスの川中島合戦はほぼ史実どおり。というか、このシーンのために作られた映画と言っていいだろう。上杉軍を黒、武田軍を赤にはっきり分けたのは視覚的にも優れているが、乱戦でどっちがどっちだか判らなくなるのを防ぐ意味もあろう。もちろん実際にはこんなにはっきり分かれてはいなかったはずであるが。 この決戦シーンは大量のエキストラを導入し、CGでは味わえない壮大さがある。騎馬隊の進軍などかなりの迫力。しかし肝心の戦闘アクションがどうもイマイチなのだ。騎乗のまま戦うのは実際非常に困難だとは思うが、どうも気が抜けるというかテンポが良くない。そういえば似たような映画があった。1970年のイタリア=ソ連合作映画『ワーテルロー』である。旧ソ連軍の全面協力で再現されたワーテルローの戦いは、大軍勢の行進などは迫力満点であったが、戦闘シーンとなると具体的な描写に乏しく、拍子抜けだった。それが本作にも当てはまってしまう。 上杉家中きっての猛将・柿崎景家/筏に乗って現れる村上義清隊助演者にもあまり恵まれず、津川雅彦の信玄は軽すぎ。渡瀬恒彦の宇佐美定行(謙信の重臣だが裏切る)も今ひとつ煮え切らない出来だった。せっかく室田日出男、夏八木勲らクセのある役者がいるのに活かされていなかったのが残念。また、音楽もミスマッチ。小室哲哉では仕方ないか。音楽だけ聴けばそれほど悪くはないのだが、映像に合うかはまた別。ただ、ロケ地は素晴らしかった。場所はカナダのカルガリーで、妻女山に見立てた山が特異で目を惹く。実際にはこんなに峻険だったわけではないだろうが、映画的でなかなか良い。妻女山へ向かう上杉軍。標高高すぎ。 この映画の凄いところは興行成績。歴代23位(日本国内。洋画含む)となる100億円も稼いだのだ。『インデペンデンス・デイ』や『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』『ダヴィンチ・コード』よりも上だから驚く。かつての角川映画のパワーを見る思いである。現在の川中島古戦場監督:角川春樹 製作:角川春樹/大橋渡 原作:海音寺潮五郎 脚本:鎌田敏夫/吉原勲/角川春樹 撮影:前田米造 美術:徳田博 編集:鈴木晄 音楽:小室哲哉1990年・日本 / 118分 / 評価:3.0点 / 子供:○
Apr 25, 2008
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ベルトラン・タヴェルニエ監督の代表作とも言われる1984年の作品。1900年代初めの田舎町に住む老人の一日を綴っただけのものではあるが、実に丁寧に作られた佳作である。原作者のピエール・ボストは『禁じられた遊び』を書いた人。フランスの田舎町。老画家ラドミラル(ルイ・デュクルー)は広大な敷地をもつ屋敷に独り暮らし。住込みの家政婦は遠慮がないが、出て行かれては困るのでいつもラドミラルの方が折れている。日曜日の今日は息子ゴンザグ(ミシェル・オーモン)の一家が遊びに来る日。子供達は屋敷に着くなり悪戯し放題。息子はラドミラルそっくりの堅物。そういえば嫁も同じだ。しばらく歓談するとやがて昼食。その後は午睡に。静寂を破ったのはラドミラルの娘、ゴンザグの妹であるイレーヌ(サヴィーヌ・アゼマ)だった。パリから車で駆けつけた彼女はゴンザグの子供たちにも人気で、屋敷は途端に賑やかになる。しかしイレーヌには彼女なりの悩みがあった。パりに戻ろうとするイレーヌを引き止め、ドライブに連れて行ってもらうラドミラル。イレーヌはいつもアトリエの隅ばかり描く父に、もっと人間を描くように勧める。楽しいひと時を過ごすが、やはりイレーヌは帰ってしまう。夜になり、息子一家も帰った。アトリエに入ったラドミラルは新しいカンパスを立てると新作の構想を練るのだった・・・。田舎と言ってもパリから汽車で1時間、車で45分と言っているので、そんなに遠くはないのだろう。東京からだと高尾あたりのイメージか。パリよりは南方らしく、並木や芝の緑がきれいだ。息子一家、妹(独身)ともかなり頻繁に実家を訪れているようだが、老父は芸術家ゆえ繊細でもろく、寂しさに耐えられない。特に皆が帰ってしまった後の静寂は無理からぬもので、これは誰でも多少経験があるだろう。息子も嫁も自分に似て堅物。娘はやや奔放。未婚だからかもしれないが、やはり娘は放っておけないラドミラル。僅かだが自分の殻を破ろうとするラストがほほえましい。中流よりも上の家庭をひたすら情感を込めて描いた作品であり、いろいろ揶揄されたこともあったそうだが、何もヌーベルバーグのように斬新なものばかりが良いわけでもなく、洋の東西を問わない普遍的な要素がこの作品にはあるのだろう。外見がちょっと藤原釜足に似ている舞台出身のルイ・デュクルーは73才にして映画初出演であったが、サスガに上手い。イレーヌ役のサヴィーヌ・アゼマも娘・妹・叔母・経営者・恋愛中の女性という様々な面を自然に演じ分けていて良かった。セザール賞の主演女優賞を取っている。少々物足りなさはあるが、なかなか心に染みる作品である。波長が合えばだけど。監督:ベルトラン・タヴェルニエ 製作:ベルトラン・タヴェルニエ/アラン・サルド 原作:ピエール・ボスト 脚本:ベルトラン・タヴェルニエ/コロ・タヴェルニエ 撮影:ブリュノ・ド・ケイゼル 音楽:ガブリエル・フォーレ 1984年・フランス / 95分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Apr 18, 2008
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『ポーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』(1976)|で少年たちの日常を情感たっぷりに描き、好評を博したドン・コスカレリは、その2年後、『ボーイズ・・』の主演マイケル・ポールドウィンを用いて、少年の目から見た恐怖をヴィジュアル化したホラー『ファンタズム』を発表。現実と非現実の境界を取り払った新鮮さが評判となり、アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭(ファンタジーやホラーが対象)で審査員特別賞を受賞した。一躍有名となったコスカレリは以後『ファンタズム』シリーズ専門のようになり、1作目から9年後の1988年に『ファンタズムII』を発表した後、1993年『III』、1998年『IV』と5年ごとに続編を送り出した。そして2008年、ついに5作目が登場する予定である。アメリカではそこそこ知られたシリーズであるが、我が国では極めてマイナーであり、3・4作目は劇場公開されなかった。それが昨年全作品DVD化され陽の目を見るようになったことは、長年付き舎ってきた身からすれぱ嬉しいような、そうでないような、複雑な心境である。 それはともかく、『III』である。冒頭、『I』と『II』を上手く編集してこれまでのあらすじか流れる(観てないと判りづらいだろうが)。特にもう絶対無理と思われた前作ラストからの強引なつながりには感服。ここで主人公マイケルがマイケル・ポールドウィンにすりかわる。言うまでもなく1作目から13年ぶりの登場であり、ストーリーの進行(1作目から10年後の設定)と一致していて違和感がないのがいい。前作『II』のヒロイン、エリザベス(ポーラ・アーヴィン)があっけなく殺されてしまったのは残念だったが。『ファンタズムII』のポーラ・アーヴィン前作から完全にアクション映画となったので、今回も助っ人が必要である。レジー(レジー・バニスター)は年齢の割には頑張っているが、肝心なところで頼りなく、また例によってスケベ心を起こして失敗したりするので、相棒役が欠かせない。今回は何とまだ幼い少年のティム(ケヴィン・コナーズ)。小学生くらいなのだが、両親のいなくなった自宅を守って強盗達と戦ってきたキャリアがあり(父親が保安官だったので銃器類は充実)、侵入してきた強盗や悪人は容赦なく殺害する。『ホーム・アローン』なんて甘ちょろいものではない。このティムと途中で出会った元兵士の女性ロッキー(グロリア・リン・ヘンリー)が仲間となり、宿敵トールマンに拉致されたマイケルも途中から加わるが、マイケルには何か隠された秘密がありそうで、重荷を負っている感じ。ちょっと『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドのようだ(奇しくも本作のサブタイトルは「Lord of the Dead」と言う)。今回は1作目で死んだマイケルの兄ジョディ(ビル・ソーンベリー)も別の姿で現れ、彼らの手助けをする。まるで『スター・ウォーズ』のオビワンか『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉親父か、と言ったところだが、生死を超えた兄弟愛がミソであり、何だかホロっとする。結論から言うと『I』には及ばないものの、『II』よりは上出来だと思う。アクション・シーンは『II』と同じぐらいだが、物語全体の骨格が整ってきており、また恐怖の球体スフィアや手が変形したクリーチャーなどの出来栄えもよろしい。グロさも『II』より低い。因みに本作で一番グロテスクなのは、強盗をティムが倒すシーンである。 おっと、忘れてはいけない、宿敵トールマンは今回も健在である。演じるアンガス・スクリムは当時既に67歳。多少の衰えは仕方がない。現在は82歳になっているが、新作『V』にも出演しているようだ。監督:ドン・コスカレリ制作:ダック・コスカレリ/ドン・コスカレリ脚本:ドン・コスカレリ撮影:クリス・チョーミン編集:ノーマン・バックレイSFX:ケヴィン・マッカーシーオリジナル音楽:フレッド・マイロー/クリストファー・L・ストーン1993年・アメリカ / 95分 / 評価:4.0点 / 子供:×
Apr 11, 2008
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今夏、約20年ぶりに「インデイ・ジョーンズ」が復活する(『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』)。主演のハリソン・フォードは既に66才。以前のようにはいかなくともそれなりにアクションシーンもあるようで、期待される反面ちょっと不安もあるような。ハリソン・フォードと言えばジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』で一躍有名となりましたが、同作品にはもう一人主演男優がおりました。言うまでもなく、ルーク役のマイク・ハミルですが、『スター・ウオーズ』後はあまり目立った作品はなく(『光る眼』位か)、近年はTVドラマなどでいやらしい中年の役を演じたりしているとか。そんなハミルの代表作にあげられるのがこの『最前線物語』です。米陸軍第一歩兵師団に所属する一分隊。4名の二等兵(マーク・ハミル、ロパート・キャラダイン、ボビー・デ・シッコ他)は古株の軍曹(リー・マーヴィン)と共に北アフリカに上陸する。作戦時には必ず先鋒を命じられるので4名は不満を持ちつつも次第に成長し、どんな激戦でも生き残るため『四銃士』と呼ばれるようになる。分隊は北アフリカから欧州へ。ドイツ軍の抵抗は激しいが、部隊は一歩一歩駒を進めていく・・・ 原題の「The Big Red One」は米陸軍第一歩兵師団の別称で、同時にその肩章を差します。本作は師団所属の一分隊の第二次世界大戦中の足跡を綴った内容ですが、若輩4名がベテラン軍曹に鍛えられ徐々に逞しくなっていく、人間ドラマとしての比重が大きくなっています。といってもいきなり超人になる訳ではなく、様々な経験を通じて少しづつ成長するので、印象はかなリ地味です。北アフリカ上陸~シシリー島上陸~ノルマンディー上陸~アルデンヌの戦い~チェコ進入というそれぞれ大きな作戦を舞台にしているので、戦闘シーンもそれなりに迫力はあるのですが(特にノルマンディ上陸は『プライベート・ライアン』には負けるものの、かなりの迫力)、基本的に少人数の小戦闘なので、昔のTVシリーズ『コンパット』を思い出します。 またリー・マーヴィンだと『特攻大作戦』も連想しますが、本作でのマーヴィンは第一次世界大戦にも従軍した老軍曹という設定であり、『特攻大作戦』のように無茶苦茶をしたり、部下を激しくしごくということはありません。指示は厳しいものの口数は少なく、若手のよき理解者といったところ。後半は軍曹のヒューマンな側面がさらに強調されてきますが、第一次大戦時の出来事がよい伏線になっており、嫌味はありません。チェコのユダヤ人収容所で、大量の焼殺体を見たハミルが呆然となって敵兵の死体に延々と弾を撃ち込むシーンがあるのですが、普通なら軍曹は「もう止めとけ」と止めるでしょう。でもここでは「もっと撃て」と静かに予備の弾倉を渡すのです。軍曹の優しさと過去への想いが滲み出てなかなか素晴らしいシーンでした。そして軍曹が肩車に乗せた少年の死。このシーンは短いですが強く印象に残ります。ハミルは準主役扱いなので他の3人よりは見せ場があります。ロバート・キャラダインはキャラダイン兄弟の末弟。ボビー・デ・シッコは当時「80年代のアステア」と呼ばれたダンスの名手で『1941』にも出ていました。マーヴィンが語る兵士の極意「生き残ることだけが真の栄光」が耳に残ります。安直な反戦映画など吹っ飛んでしまう本音の映画。といってもただ重いわけではなく、娯楽性も兼ね備えているのでなかなか大したもの。かなりお勧めできる作品。渋いです。監督:サミュエル・フラー 製作:ジーン・コーマン 脚本:サミュエル・フラー 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:ダナ・カプロフ 1980年・アメリカ / 110分 / 評価:4.5点 / 子供:○
Apr 4, 2008
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フランコ・ネロにとって『続・荒野の用心棒』に続くマカロニ主演作。兄弟による父親の仇討ちの話で、原題の「さらばテキサス」はラスト近くの弟の台詞。それをエンドクレジットでドン・パウエルが歌い上げ、哀感を誘う。メキシコ国境に近いテキサスの町ウィドーロック。保安官のパート・サリパン(フランコ・ネロ)は親の敵シスコ・デルガード(ホセ・スアレス)を探すために休職し、メキシコに旅立つ。兄を慕う弟のジム(コール・キトッシュ)も後を追う。二人が最初に立ち寄った町トラモントは異様だった。町長ミゲル(リビオ・ロレンツォン)は軽い罪の者でもすぐ銃殺にし、町民の姿もまばらでいつも何かに怯えているようだ。パートは弁護士(ルイージ・ピスティッリ)から町はシスコによって暴力的に支配されていることを聞く。武装蜂起を計画している弁護士から参加を求められたが、パートとジムは二人でシスコの元へ向かった。目的地に着き、シスコの屋敷で軟禁状態にされてしまうものの、何故か歓迎される二人。やがてパートはその理由を知る。ジムの実の父親はシスコその人だったのだ・・・よくあるお決まりのバターンとの批評もあるが、奇をてらわずオーソドックスに仕上げているのでかえって好感が持てると思う。奇想天外な仕掛けや小道具は登場せず、ちょっと地味ではあるが、昔の時代劇ドラマのように安心して観られるし、意外としっかり作られているので、今でも鑑賞には耐えられるだろう。ガトリング砲は出てこないものの、アクションシーンもそれなりに充実しており、拳銃捌きなども結構見せる。ネロは弟が親の敵の息子と分かり苦悩するあたりを渋く演じ、ジャンゴ役や『豹/ジャガー』の時とはまた違った面を見せた。個人的には『夕陽のガンマン』でインディオの部下を演じ、『続・夕陽のガンマン』ではテュコの兄役だったルイージ・ビスティッリがいいと思う。ネロはクリント・イーストウッド.ジュリアーノ・ジェンマと共にマカロニ三羽鳥と呼ばれたが、イーストウッドのマカロニ出演作は僅かだし、ジェンマは少々辛気臭い役が多かったりする。マカロニ最大のスターと言えばやはりネロだろうし、本作は代表作の一つに挙げてもいいだろう。監督:フェルディナンド・バルディ 脚本:フランコ・ロゼッティ/フェルディナンド・バルディ 編集:セルジオ・モンタナーリ撮影:エンツォ・バルボーニ 音楽:アントン・アブリル 1966年・イタリア=スペイン / 92分 / 評価:3.5点 / 子供:△
Mar 28, 2008
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ホメロスの一大叙事詩「オデュッセイア」を映像化。ストーリーは整理され簡潔にまとまっているが、それでも延べ約3時間。監督はアンドレイ・コンチャロフスキー、プロデューサーはコッポラだ。スパルタ軍と共にトロイア攻略に向かったイタケ島の王オデュッセイア(アーマンド・アサンテ)は戦いには勝利したものの、海の神ポセイドンを軽視した発言で怒りを買い、イタケ島には戻れず部下と共に永遠に海を彷徨う罰を課せられる。 オデュッセイアの行く手にはさまざまな神や魔物が現れて試練を与える。一向にイタケ島には戻れず十数年の歳月が経とうとしていたが、そのイタケ島では王が不在であることに目をつけた諸侯が続々と押し寄せ、王国と王妃(グレタ・スカッキ)を我が物にせんとしていた・・・ 実はこれTV映画である。昔レンタルビデオで観たきりだったが、最近また観たくなったので探したら、いつの間にかレンタルDVDが出ていた。スタッフやキャストでわかるとおりTV映画といっても非常に豪華な作りで、制作費も通常の映画並みかそれ以上にかかったろう。ストーリーは欧米ではおなじみの昔話であり、トロイの木馬をはじめ、良く知られたエピソードが次々と出てきて飽きない。SFXもなかなかのもので、凶暴な魔獣スキュラやカリュブディスのシーンなんかはかなりの迫力だ。 しかしこの話は何といっても、帰還した王が簒奪者たちを一掃するクライマックスに尽きる。王の留守に、諸侯が傍若無人な振る舞いを繰返していたことで、この復讐が際立ってくる。主役以外の出演者も豪華で、オデュッセイアの母にイレーネ・パパス。老侍女役はジェラルディン・チャップリンだ。他にクリストファー・リー(預言者テイレシアス)、イザベラ・ロッセリーニ(女神アテナ)、ヴァネッサ・ウィリアムズ(女神カリプソ)なども登場。風の神役のマイケル・J・ポラードが懐かしい。 子供の頃よく観た「シンドバッド」シリーズや『アルゴ探検隊の大冒険』などのレイ・ハリーハウゼン物を思い出すが、それよりは大人向きか。何れにしてもTVでありながらこのスケールには驚く。監督:アンドレイ・コンチャロフスキー 製作:ダイソン・ラヴェル 製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ/ニコラス・メイヤー他 脚本:アンドレイ・コンチャロフスキー/クリストファー・ソリミン 撮影:セルゲイ・コズロフ 音楽:エドワード・アーティミエフ 1997年・アメリカ / 175分 / 評価:3.5点 / 子供:△
Mar 21, 2008
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イタリアン・ホラー中興の祖と呼ばれるマリオ・バーヴァ監督の1962年の作品。本邦未公開でビデオ化に際しヒッチコックばりの邦題がつけられたが、主人公は「少女」ではなく(タバコも洒も嗜む)、20代前半といったところか。ホラーというよりもスリラー、サスペンスと言った方がいい。推理小説マニアのノラ・デイヴィス(レティシア・ロマン)はローマに住む知人の元で過ごすためアメリカからやって来た。しかし到着した晩にその知人が急死。ショックのあまり家の外に飛び出したノラは引ったくりにバッグを奪われて転倒し昏睡。目が覚めると近くの家の前で女性が殺害されている。再び気を失うノラ。謎の男が近づいてきてノラの口に酒を流し込む。そのため警察に保護されたノラは酩酊して幻覚を見たものと決め付けられてしまう。知人の葬儀に参列したノラは知人の友人というローラ(ヴァレンティナ・コルテーズ)の家に世話になることに。推理小説マニアゆえ犯人を突き止めようとするノラ。知人の主治医だったマルチェロ(ジョン・サクソン)も協力するが、次々に不可解な出来事が起き、それは数年前の連続殺人事件と関係があるらしいことがわかってくる・・・よく出来たストーリーで、冒頭から次々と謎めいた事件が起こり「一体どうなっちやうんだろう」と引っ張られる。伏線とその帰結のバランスが良く、特に最初と最後のシーンを結びつけるところなど、上手い。ドギツい場面は皆無なので、純粋にミステリーとして楽しめる。そして何よりも特筆されるのは、後輩ダリオ・アルジェントの諸作のルーツが垣間見える点である。まず冒頭、主人公が単身飛行機でローマ空港に到着するシーンであるが、場所や天候の違いこそあれ『サスペリア』の冒頭と同じである。主人公のペッドの枕元にある摺りガラスに人影が映るシーンも『サスペリア』の寄宿舎で校長エレナ・マルコスの影が映るのと同じだ。 右:『サスペリア』知人の主治医の登場シーンは『インフェルノ』の執事とソックリ。突然強風で窓が開くシーンも音楽学校の講堂の場面にあった。そういえば主治医役のジョン・サクソンはアルジェントの『シャドー』に出ていたっけ。 右:『インフェルノ』そして最も影響が大きいというか、非常に似通っているのが『サスペリア2』である。これは『サスペリア2』を観た方なら、すぐ判るはず。犯人や家族の設定もそうだし、犯人の遺留品をこっそり持ち出すところなんか『サスベリア2』で主人公マークか図書館の本のページを破いて持ち出すのを思い出す。そして決定的なのは犯人が用意するテープレコーダー。『サスペリア2』と同じように子供の唄が・・・。 右:『サスペリア2』こんな具合に類似点を探すのも面白い。他のバーヴァ作品もそうだが、ダリオ・アルジェントヘの影響はかなりのものがある。あとあまり関係はないか、ノラとマルチェロがローマ観光に出かけるシーンは『ローマの休日』に似ていてなんかおかしい。映像的も凝っており、カメラワークなどもとても45年前の作品とは思えないほど。一見の価値あります。監督:マリオ・バーヴァ制作:マッシモ・デ・リタ 脚本:マリオ・バーヴァ/エンツォ・コルブッチ/エンニオ・デ・コンチーニ他 撮影:マリオ・バーヴァ 音楽:ロベルト・ニコロッシ1963年・イタリア / 84分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Mar 14, 2008
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スペースシャトル「エンデバー号」が打ち上げられた。またぞろSF映画が観たくなるが、こんな作品があったのを思い出した。NASAの探索船パロミノ号はブラックホールの引力圏に漂う巨大な宇宙船を発見する。それは20年前に消息を絶った超大型船USSシグナス号。まるで幽霊船のような船内に入ってみると中には黒衣をまとったヒューマノイドたちとそれを指揮するラインハート博士(マクシミリアン・シェル)の姿があった・・・。これは制作がディズニーで、当時の金額で56億円もの費用を掛けたとして話題にはなった。『スター・ウォーズ』~『スター・トレック』の流れでソコソコお客も入ったように記憶している。しかしDVDが出ていないのでも判るとおり、内容はちょっとお粗末であった。(本国ではDVDは出ている)ストーリーの盛り上がりに欠ける上、設定がイマイチ。「『スター・ウォーズ』のマット絵監督も参加!」という触れ込みだったが、特撮もそれほどではなく、今観たら見劣りが激しいだろう。公開時のキャッチコピー「現代科学最大の神秘に挑むSF巨大作品--もうすぐ宇宙は発狂する」は大袈裟すぎだ。だが、この頃のSF映画ならではの雰囲気があって、そこが捨てがたい。現在の完璧なSFXもないし、際立ったキャラクターもいない。A級とも(制作費だけ見れば立派なA級だが)B級ともつかないような不思議さが何とも言えない。何だかロボコンみたいなロボットもご愛嬌だ。シグナス号の造形はスケルトンタイプの空母みたいで結構気に入ったが、それとロボットのアンバランスなこと。そして出演者もユニーク。マクシミリアン・シェルにアンソニー・パーキンス、ジョセフ・ボトムズにアーネスト・ボーグナインと。なかなかない組み合わせだ。ただいかんせん見せ場が今ひとつなので、活躍するのはボーグナインとロバート・フォスターぐらい。ジョン・バリーの音楽はなかなか良く、当時サントラ盤も持っていた。もう10数年前にビデオで観たきりで細かいところは覚えていないが、もう1度観たい気もする。監督:ゲイリー・ネルソン 製作:ロン・ミラー 脚本:ジェブ・ローズブルック/ゲリー・デイ 撮影:フランク・フィリップス 特撮:ピーター・エレンショー 音楽:ジョン・バリー 1979年・アメリカ / 97分 / 評価:3.0点 / 子供:○
Mar 11, 2008
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アメリカでは大統領選の予備選が白熱化しているが、「アメリカの大統領」で思い出すのは『合衆国最後の日』と『風とライオン』、そしてこの『インデペンデンス・デイ』だ。クリントン元大統領のお気に入り作品である。ある日、途方もなく巨大な飛行体が地球に接近する。やがてそれは6つに分裂し、世界の主要都市の上空に停滞した。飛行体が発信する電波を解読したデヴィッド・レヴィンソン(ジェフ・ゴールドブラム)は元妻で大統領の補佐官をしているコンスタンス(マーガレット・コリン)に連絡。信用されず話を聞いてもらえないためホワイトハウスに乗り込み、何とか大統領(ビル・プルマン)に事情を説明。大統領たちと共に専用機で間一髪脱出した。その機内で大統領は地球外生命体の極秘研究施設エリア51の存在を知らされる・・・非常に分かりやすいストーリーで、子供でも十分楽しめる。いや、子供の方が楽しめるかもしれない。私の子供もお気に入りだ。SF映画としては設定が甘いから、目の肥えた方(そうでなくても?)の鑑賞には耐えられないだろう。突っ込みどころは数多いが、最も気になってしまうのはデヴィッドが所有するノートパソコンが異星人のシステムに難なく接続できてしまうという点。OSは何なのか?やはりUSB接続なのか?と、どうしても引っかかってしまう。イラク空軍とイスラエル空軍が同じ基地にいるのも何だか変だ(共同作戦をとるくだりは、その後の国際情勢を考えればそれなりに感動的ではあるが)。なので、この映画は細かい点を気にせずに観るに限る。特にSFXなどのビジュアル面はかなり凄く、公開当時はその迫力に感嘆したものだ。特にラストで炎上する飛行体はなかなかの出来栄えだと思う。ジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミスの主演者二人も順当な人選でまずまず。ビル・プルマンは『スペースボール』のローンスター王子から大出世でめでたい。総攻撃前の演説シーンはアチラの映画館では柏手喝采だったのだろうなあ、と想像。元大統領がお気に入りなのも、この辺りかもしれない。この春公開予定の監督の最新作『紀元前1万年』はどうなのだろうか。監督:ローランド・エメリッヒ 製作:ディーン・デヴリン 製作総指揮:ローランド・エメリッヒ/ウテ・エメリッヒ/ウィリアム・フェイ 脚本:ディーン・デヴリン/ローランド・エメリッヒ 撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ 編集:デヴィッド・ブレナー 音楽:デヴィッド・アーノルド 1996年・アメリカ / 145分 / 評価:3.5点 / 子供:○
Mar 7, 2008
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この前市川崑監督が亡くなられたので、市川作品をどれ位観たのか数えてみたが、非常に少なかった。約100本もの監督の膨大な作品のうち1割ちょっとしか観ていないのではないか。しかもほとんどが金田一耕助ものだ(リアルタイムだからしょうがない)。他では『吾輩は猫である』(1975)がお気に入りではある。『プーサン』(1953)も昔何かで観たような記憶があるが、伊藤雄之助がキャベツを茹でて食べるシーンくらいしか覚えていない。さて、市川監督の金田一耕助もの(石坂浩二主演シリーズ)は1970年代後半に怒涛のように制作された。横溝正史の原作群は戦前からたびたび映画化されてきたが、1975年に高林陽一監督が『本陣殺人事件』(金田一役は中尾彬)を発表し、翌1976年に市川監督が『犬神家の一族』を撮ると以後大ブームとなった(『本陣』で映画界に進出した角川春樹の戦略にもよるが)。制作されたのは次の5本。『犬神家の一族』(1976年10月)『悪魔の手毬歌』(1977年4月) 本作『獄門島』(1977年7月)『女王蜂』(1978年2月)『病院坂の首縊りの家』(1979年5月)2作目と3作目の間なんか3ヶ月しかない、驚くべき早撮りである。4作目と5作目の間はさすがに1年以上空いているが、監督はこの間に難題『火の鳥』(1978年8月)を撮っているから恐れ入る。さてこの5作品のうち、最も回数を観ていないのが『悪魔の手毬唄』だ。他の作品は10回以上は観ているが、これは3回くらいしか観ていない。それはなぜか。 右:「日本のおばあちゃん」の代名詞、原ひさ子(1909-2005)金田一シリーズの魅力は、ミステリーだから謎解きや犯人探しも当然そうなのだが、古い日本の因習(家長制度・ムラ社会)と女性の情念を絡ませ、そこにユーモアをも織り込んでいるところにあると言えるだろう。従って犯人はほとんどが女性であり、その境遇に同情せざるを得ない場合も多い。もちろん本作にもそういう要素はちゃんとあって、閉鎖的な鬼首村(岡山県)での旧家同士の争い、結婚事情、転入者の辛い境遇、などが伏線になっている。旅館の一人息子・青池歌名雄(北公次)と結婚が決まっていた旧家・由良家の娘が惨殺され、別の旧家・仁礼家の当主・嘉平(辰巳柳太郎)は自分の娘と結婚するよう歌名雄の母・青池リカ(岸恵子)に迫るが、由良家の娘も仁礼家の娘も、そして別所家の娘も実の父親は恩田(=青池)という一人二役を演じていた悪い男。つまり兄弟で結婚させるわけにはいかないので、その真実を知る者が連続殺人を犯してしまうわけである。 この辺の事情もまずまずよく描かれており、陰鬱な鬼首村の風景とか、青池リカにほのかな恋心を抱く磯川警部(若山富三郎)の設定とか、なかなか良いのだが、これを台無しにしてしまったのが、北公次たちの演技である。若者役だから仕方がないのかもしれないが、どうも「絶叫」がサマにならない。絶叫は感情表現としてはあまりにも単純すぎるので、まるでTVドラマのようになってしまう。旅館での若者同士の喧嘩シーンなんかもチトお粗末な気がします。そしてラスト。「嘘だあ~!!」はないだろうと。ひたすら泣きじゃくるとか、叫ぶんなら意味不明の言葉を叫ぶとか、もうちょっと工夫して欲しかったと思う。アイドルの限界なのだろうか。 他の役者は常連と言っていい面々であり、安定感がある。加藤武/三木のり平/大滝秀治/小林昭二/草笛光子は5作品皆勤で、どの作品のどこに出ていたかを思い出すのも楽しい。多々良放庵役の中村伸郎が上手い。伊丹十三の『タンポポ』でもそうだったが、この人は意外と悪役が似合う。そして今回の主役とも言える岸恵子である。旅芸人あがりの旅館の女将というには垢抜け過ぎているが、女の情念を体当たりで演じていてサスガであった。ただ個人的には『女王蜂』での家庭教師役の方が適役だとは思う。さて「悪魔の手毬唄」は本作の僅か16年前にも映画化されていたのだった。監督は渡辺邦男で、金田一役はなんと高倉健。一度観てみたいものである。 監督:市川崑 製作:田中収/市川崑 原作:横溝正史 脚本:久里子亭 撮影:長谷川清 編集:小川信夫/長田千鶴子 音楽:村井邦彦 1977年・日本 / 144分 / 評価:3.5点 / 子供:×
Feb 29, 2008
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マカロ二三羽烏の一人、ジュリアーノ・ジェンマとマカロニには欠かせない大物リー・ヴァン・クリフが共演した1967年の作品。音量にご注意ください娼婦の子として生まれたスコット・マレー(ジュリアーノ・ジェンマ)は、町の人々から蔑まれ、辛い生活を送っていた。そんな彼の数少ない味方が育ての親で馬小屋(馬預かり所)を営むマーフ(ウォルター・リラ)。マーフはスコットに拳銃の扱い方を教え、スコットは天才的な腕を持つようになったが、マーフは一抹の不安を隠せない。ある日、町にやって来た中年のガンマン、フランク・タルビー(リー・ヴァン・クリフ)の拳銃捌きに感嘆したスコットは弟子入りを希望し、タルピーの後を追う。タルビーのピンチを救ったことで認められたスコットはタルビーの若い相棒として町に戻ってくる。これまでの鬱憤をはらすかのように町の人に当り散らすスコット。タルビーを敵と狙うパーキンス一家をタルビーと共に殲滅したことで、町の人々はスコットのカを認めるというよりは恐怖心を抱くようになる。タルビーは45歳となりガンマンとしてはそろそろ限界のため、隠棲しようと酒場を開業して町に住み付くことにした。判事や銀行頭取など町の有力者たちはタルビー排除を企てるが、自分たちの不正蓄財をタルビーに知られており、逆に強請られてしまう。タルビーは次第に勢力を増し銀行頭取や保安官を始末するとついに判事もタルビーの軍門に下り、町はタルピーの支配するところとなった。だが抵抗する者が現れる。それは馬預かり所のマーフで、彼は昔タルビーと対決したことがある保安官だったのだ。タルビーとマーフの板ばさみになり悩むスコット。新しく町の保安官に任命されたマーフは町民全員の銃器所持を禁じるが、タルピー一味の凶弾に斃れる。そして遂にスコットはタルビーと対決することになるのだが・・・イーストウッドの役といえば賞金稼ぎだが、ジェンマは復讐者という設定が多い。本作も復習物の面を持つが、タルビーとの師弟関係が敵対関係に変わるあたりのプロットに重点が置かれている。リー・ヴァン・クリフも冷徹な表情の中に、弟子の成長を喜ぶというか驚くような面を時々垣間見せて、単なる悪役に終っていないところが良い。ジェンマも育ての親と師匠の間で苦悩する若者を自然に演じていた。上映時開の制約のためか、登場人物の心境の変化などか十分描ききれていない感じはあるが、娯楽アクションとしてのポイントは巧みに押さえてあり、心憎い。マーフがスコットに残す拳銃が、話に出てくる「ドク・ホリディの伝説の拳銃」だった、なんて仕掛けは泣かせる。そして何と言ってもクライマックスの対決で、ジェンマが師匠に教わったガンマン心得10か条を復唱しながら敵を倒していくところだ。「他人を信用してはいけない」「銃口と標的の間に立ってはいけない」「傷つけた相手には必ずとどめを刺すべし」・・と一つ一つ実践していく。まるで『大江戸捜査網』の「隠密同心心得」や『帰ってきたウルトラマン』の「ウルトラ5つの誓い」の元祖のようだが、大いに盛り上がる。そして禁断の最終第10条。これはラストシーンに関係する。ちょっとペキンパーの『わらの犬』を連想してしまう、印象的なラストシーンだ。珍しいライフル+騎馬による決闘当時、数多く制作されたマカロニの中では、まず上質の部類に入るだろう。監督はセルジオ・レオーネの弟子トニー・ヴァレリ(『荒野の用心棒』『タ陽のガンマン』で助監督を務めていた)。地面スレスレのローアングルが多用され、師匠レオーネや黒澤の影響が感じられる。ベニート・ステファネッリやアル・ムロックなどレオーネ作品の常連も姿を見せる。リズ・オルトラーニによる音楽もインパクトがあって素晴らしい。私はこの主題曲のイントロを携帯の着メロにしているが、非常にうるさいので顰蹙を買ってしまう。監督:トニーノ・ヴァレリ 脚本:エルネスト・ガスタルディ/トニーノ・ヴァレリ 撮影:エンツォ・セラフィン 編集:フランコ・フラティセリ音楽:リズ・オルトラーニ 1967年・イタリア=ドイツ / 115分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Feb 22, 2008
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前回からかなり経ってしまったが、ミュージカル名場面集の第二弾。相変わらず個人的な好みだけで選んでいるので、ご承知おきを。(画像クリックで各記事へジャンプ)『錨を上げて』Anchors Aweigh (1945)より「The Mexican Hat Dance」監督:ジョージ・シドニー主演:ジーン・ケリー、フランク・シナトラトムとジェリーのジェリー・マウスと踊る「The Worry Song」の方が有名だが、何てことのないこんなシーンが意外に良かったりする。 『私を野球につれてって』Take me out to the ball game (1949)より「The Hat My Dear Old Father Wore upon St. Patricks Day」監督:バズビー・バークレイ主演:ジーン・ケリー、フランク・シナトラ『錨を上げて』でコンビを組んだ二人が野球選手役で復活。主題歌はあまりにも有名だが、ダンスならこのシーンか。『ベルズ・アー・リンギング』Bells Are Ringing (1960)より「Jusy in Time」監督:ヴィンセント・ミネリ主演:ジュディ・ホリディ、ディーン・マーチン若くして亡くなったジュディの明るい楽しさが溢れる傑作。ミュージカル衰退期に制作されたためか、わが国では未公開だった。『星の王子さま』The Little Prince (1974)より「A Snake in the Grass」監督:スタンリー・ドーネン主演:リチャード・カイリー、スティーブン・ワーナー歌主体のミュージカルだが、ボブ・フォッシーの蛇の踊りは圧巻。『掠奪された七人の花嫁』Seven Briges for Seven Brothers (1954)より「Barn Dance」監督:スタンリー・ドーネン主演:ハワード・キール、ジェーン・パウエルこちらは歌よりもダンスが主体。アクロバティックなダンスにはただ圧倒される。『アニーよ銃をとれ』Annie Get Your Gun (1950)より「There's No Business Like Show Business」監督:ジョージ・シドニー主演:ベティ・ハットン、ハワード・キール劇中2度唄われ、バックにもしばしば流れるこの名曲がやっぱり一番。主演2人に加えルイス・カルハーンとキーナン・ウィンも楽しい。『恋愛準決勝戦』Royal Wedding (1951)より「I Left My Hat In Haiti」監督:スタンリー・ドーネン主演:フレッド・アステア、ジェーン・パウエル部屋をぐるり一周するシーンが有名だが、華やかなハイチのシーンが良い。『トミー』 Tommy (1975)より「Sally Simpson」監督:ケン・ラッセル主演:ロジャー・ダルトリー、アン・マーグレット一つ毛色の変わった作品を。ザ・フー原作のロック・オペラの映画化で、エリック・クラプトン他豪華キャストが集結。エルトン・ジョンの「Pinball Wizard」が一番有名だろうが、ここは敢えて「Sally Simpson」を入れておこう。『雨に唄えば』 Singin' in the Rain (1952)より「Good Morning」監督:ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン主演:ジーン・ケリー、デビー・レイノルズあまりにも有名で、あまりにも名場面が多い。「Moses」も「Make 'Em Laugh」も、もちろん「Singin in the Rain」も素晴らしいが、私は「Good Morning」が最も好きだ。『バンド・ワゴン』The Band Wagon(1953)より「Louisiana Hayride」監督:ヴィンセント・ミネリ主演:フレッド・アステア、シド・チャリース普通なら「Dancing in the Dark」か「That's Entertainment」だろうが、ナネット・ヘブレイの陽気なパワー全開のこのシーンは捨てがたい。ルロイ・ダニエルズとの「A Shine on Your Shoes」も。名場面だらけ。
Feb 15, 2008
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バレンタイン・デー商戦で盛り上がるこの時期。クリスマスが『サンタが殺しにやってくる』なら、バレンタインはこの映画で決まり。ある炭鉱町。ここではバレンタイン・デーを祝うのはタブーとされていた。20年前、炭坑の落盤事故で生き埋めとなって発狂した男が、バレンタイン・デーの夜に連続殺人を起こし「バレンタインを祝うな」とのメッセージを残して姿を消したからだった。しかし20年も経ったということで、盛大にバレンタインを祝うことになり、若者たちは大はしゃぎ。しかし・・・例によって昔レンタルビデオで観ただけなので、ほとんど覚えていない。ただ、犯人は実に意外で、そこだけは強く印象に残っている。しかしこの作品はそんなプロットよりもバレンタインのチョコの容器の中に人間の心臓が入れられているという、そのシーンだけが有名だ(ホントに有名か?)。こんなもの貰ってもねえ・・(一応モザイクかけときました)殺人鬼は炭鉱夫の姿。すなわち作業服に身を包み、防塵マスクをかぶり、ツルハシを持って人を襲う。もちろん『13日の金曜日』の亜流である。制作側も当然承知の上だったようで、事件が起こるバレンタイン・デーは2月14日の土曜日という設定だった。公開当時はホラー映画が多かったので、本作はあまり話題にならず、レンタルビデオも消えうせた現在では見ることは困難。アメリカではDVDが出ているらしい。『サンタが殺しにやってくる』といい、カーペンターの『ハロウィーン』といい、アチラには季節物ホラーが多いですね(そういえば『地獄の謝肉祭』なんてのもあった)。ちなみにアイルランドのロック・バンド「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」の名前はこの映画から取っております。監督:ジョージ・ミハルカ 製作:ジョン・ダニング/アンドレ・リンク/スティーヴン・ミラー 脚本:ジョン・ベアード 撮影:ロドニー・ギボンズ 音楽:ポール・ザザ 1981年・カナダ / 91分 / 評価:対象外 / 子供:×
Feb 8, 2008
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公開当時、タイトルとポスターから「ホラーかサスペンスか」と思ったが、純然たるファンタジーであった。M・ナイト・シャマラン監督が前作『ヴィレツジ』から2年を経て再びプライス・ハワードを主演に撮った作品。フィラデルフィアのある賃貸マンション。管理人のクリーブランド・ヒープ(ポール・ジアマッティ)は、最近いつもプールが汚れているのに気付く。夜間の利用は禁止しているはずなのに誰かが泳いでいると睨んだクリーブランドは、ある深夜、とうとうその犯人を見つける。しかしそれはストーリーという名の若い女性(ブライス・ダラス・ハワード)で、しかも何かに怯えているようだった。とりあえず自分の部屋で休ませることにしたが、そこでクリーブランドはストーリーから信じられない話を聞く・・・シャマラン作品は意表を突くストーリー展開が身上なので、ここで書くことはしないが、今回は前作にもまして特異な前提がある。太古の昔より人間界とは別に水中に住む人々がいて、地球上に危機が生じると人間界に警告に来る、という伝承だ。何が危機なのかは明確にはされていないが、ストーリーが必要とする「器」が作家であり、その作品が将来の大統領に影響を及ぼす・・・といった話の中におおよその内容を想像することはできる。ストーリーの警告の内容、そしてその事態に至らないようストーリーが住人たちに残すもの・・監督の主旨はわかりやすいのだが、どうもその肝心な点よりも、人間界に来たストーリーをどうやって水中の一族の元へ帰すかという点が話の中心になってしまい、それはそれで面白くはなる。物語はすべてマンションの敷地内(といってもちょっと高級そうなマンションなのでかなり広い)で進んでいくので、非常にこじんまりとした印象を受ける。個性的なマンションの住人の中に「守護者」「癒し手(ヒーラー)」「ギルド」といった役割を持つ者が見出され、ストーリーを敵から守ることになるのだが、何だかRPGみたいだ。どうしても既存作品の影響が感じられてしまう部分も少なからずあって、妻子を失っているというクリーブランドの設定は『エンド・オブ・デイズ』や『チェンジリング』に似ているし、敵であるモンスターやラストに出てくる大鷲はどうやっても『ロード・オブ・ザ・リング』だ。ストーリー自体も『スプラツシュ』を連想させなくもないが、ここはサスガ、プライスーハワードの存在感が大きく、本作独特の雰囲気を醸しだすことには成功している。シャマラン作品はほぼ全部観ているが、何度も繰返し観たいと思える作品は少ない。ストーリーは確かに奇抜だが、何か物足さが残る。本作も『サイン』と同様、ラストで「これで終わりかよ」と叫んでしまったが、住人たちのその後とか、もう少しふくらませば良かったような気がする。シャマラン作品ではやはり『シックス・センス』が未だに一番かもしれない。こんなようなことを評論家たちが言うもんだから、監督は映画評論家が嫌いなのか。それがストレートに出ているシーンが面白かった。監督自身の出番も多い。監督:M・ナイト・シャマラン 製作:M・ナイト・シャマラン/サム・マーサー 脚本:M・ナイト・シャマラン 撮影:クリストファー・ドイル 音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード 2006年・アメリカ / 110分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Feb 1, 2008
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もう1月も終わってしまうが、お正月関連の映画を。パニック映画の古典的名作としてあまりにも有名な作品だが、津波で転覆した豪華客船の中では新年を祝うパーティの真っ最中だった。だからこれは元旦の日のお話。地中海を進む豪華客船ポセイドン号。船長のハリソン(レスリー・ニールセン)の表情は冴えない。船主の命令で不安定な航海を続けざるを得ないからだ。おりしも大晦日の晩。盛況なニューイヤーパーティの会場を抜け出したクルーたちは海底地震による大津波の壁を目前にする。非常警報を鳴らす間もなく船は転覆。パーティ会場は阿鼻叫喚と化す。生き残った人たちには、その場を動かず救援を待つという意見が多かったが、スコット牧師(ジーン・ハックマン)率いる一団は海上(=船底)を目指し、浸水や爆発で遮断された船内をひたすら上に登っていく・・・リメイクもされたポピュラーな作品なので御存知の方は多いだろう。船の航海シーンはミニチュアによる特撮だが、当時はあまり目立たず、違和感もなかった。それよりも逆さになった船内のデザイン(特にパーティ会場やトイレなど)が斬新だった。登場人物もユニークで、刑事のロゴ(アーネスト・ポーグナイン)、その妻で元娼婦のリンダ(ステラ・スティーブンス)、老夫婦(ジャック・アルバートソン、シェリー・ウィンタース)、孤独な雑貨商(レッド・バトンズ)、歌手(キャロル・リンレー)など、それぞれ結構しっかり描写されている。なかでも印象深いのはハックマンの自己犠牲精神ではなく、やはりシェリー・ウィンタースの活躍だろう。劇中「昔は痩せていた」と言っているが実際にその通りで、昔の作品では細身の小娘役が多かった。この時にはすでに堂々たる体躯となっていたが、水中シーンも見事にこなし(飛込みがなかなか見事)、感動的だった。この年のゴールデングローブ助演女優賞を受賞している。 本作のヒットによりパニック映画ブームが本格的に到来。『大地震』『タワーリング・インフェルノ』『エアボート75』など続々と公開され、本作の続編『ポセイドン・アドべンチャー2』も作られた。製作者アーウィン・アレンにとっても本作と『タワーリング・インフェルノ』が絶頂期。私はこの2作品が非常に好きで、今でも年に1回は必ず観る。しかしその後『スウォーム』『ポセイドン・アドべンチャー2』と下り坂になり、『世界崩壊の序曲』でダメ出ししてしまった。監督:ロナルド・ニーム 製作:アーウィン・アレン 原作:ポール・ギャリコ 脚本:スターリング・シリファント/ウェンデル・メイズ 撮影:ハロルド・E・スタイン 特撮:L・B・アボット 音楽: ジョン・ウィリアムズ 1972年・アメリカ / 117分 / 評価:5.0点 / 子供:○
Jan 25, 2008
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黒渾明監督による重厚な歴史ドラマ。『デルス・ウザーラ』以来5年振りに撮った作品で、制作費が膨張し、途中何度か制作打切りの噂が流れたのを思い出す。戦国時代。徳川領の野田城を攻略中の武田信玄(仲代達矢)は城兵の狙撃を受け落命する。「3年間は喪を伏せよ」という遺言に従い、信玄の弟・信廉(山崎努)はかねて用意してあった影武者(仲代達矢・二役)を立てる。ただの小泥棒に過ぎなかった影武者は機転でピンチを乗り越え、よくその任を果たしたが、公の場で信玄の愛馬・黒雲に乗れなかった姿を晒してしまい替え玉であることが露見。追放されてしまう。直ちに後継者となった勝頼(萩原健一)は徳川領の三河に向け出陣するのだが‥・概ね史実通りであるが、戦闘スペクタクルや時代劇アクションというよりは、人間ドラマである。それは冒頭のシーン、信廉が信玄に影武者を紹介する、まるで密室舞台劇のような場面で明らかであり、派手な戦闘シーンを期待すると肩透かしを食らう。クライマックスの長篠合戦でも、織田・徳川連合軍の防衛陣地(馬防柵)に突進していく人馬の姿は映っても、戦ったり撃たれたりするシーンはない。突撃後の屍が累々と連なる設楽原が映し出されるだけである。あくまで時代に翻弄された一人の男を描くことが主眼なのだから、それはそれでいいのだろう。冒頭で信玄が「血の川が流れるこの乱世を静めたい」と言うのを聞いて感服し、影武者となることを決意した男が、ラストで血の川に流されるのは何とも皮肉である。信玄=影武者役は勝新太郎で制作が進んでいたが途中降板し、黒澤作品常連の仲代に替わった。成功だったろう。仲代だとグッと舞台劇風になるので、海外受けは良かったのではないか。他の出演者では山崎努が信廉(実際に信玄の影武者だった)を渋く演じていたが、目立っていたのは古参の侍大将・山県昌景役の大滝秀治。当時はまだ55才で乗馬もこなしていたようだ。武田家家臣はベテラン俳優(室田日出男、清水紘治等)を用い、他の戦国大名に無名の新人をあてたところも面白い。その後有名になったが仲代の弟子・隆大介が織田信長を演じ、徳川家康には油井昌由樹、上杉謙信は清水利比古で、この3人は結構リアルだ。そして黒澤作品の元祖常連、志村喬も姿を見せる。 武田信玄の影武者(仲代達矢)/武田信廉(山崎努) 織田信長(隆大介)/徳川家康(油井昌由樹) 上杉謙信(清水利比古)/山県昌景(大滝秀治)映像面では監督ならではのこだわりが見られ、どの場面も実に見事に構成されている。夜の場面はちょっと見づらいが、高天神城攻略戦の描写など、地形の特殊さもあいまって現代劇のようでユニークだ。三河へ出陣する時の海岸(湖岸?)の光景はまるで絵のようで、『夢』の第6話を思い山す。この作品はカンヌ映画祭でパルム・ドールを取ったが、元々単独受賞の予定だったところ、審査委員長カーク・ダグラスの「辺境の国がグランプリとはとんでもない」との横槍で『オール・ザット・ジャズ』と並んでの受賞となった。授賞式で司会者が「オール・ザット・ジャズ!」と発表するとブーイング、「そして影武者!」と告げると大きな拍手が起こったというから、本命であったのは間違いないのだろう(もっとも、カンヌでは複数作品の同時受賞の例は多い)。監督:黒澤明 製作:黒澤明/田中友幸 製作総指揮:フランシス・F・コッポラ/ジョージ・ルーカス 脚本:黒澤明/井手雅人 撮影:斎藤孝雄/上田正治/宮川一夫(撮影協力) 美術:村木与四郎 編集:黒澤明 音楽:池辺晋一郎 1980年・日本 / 179分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Jan 18, 2008
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ネズミが主人公のアニメは沢山あるが、実写ものは少ない。ハムスターなど一部を除いて、ネズミはやはり嫌われるのか。そんなネズミ実写映画の代表格と言えるのが『ウィラード』(1971)と続編の『ベン』(1972)。しかし現在どちらも観ることは困難なので、リメイクである『ウィラード』(2003)について触れてみよう。高齢の母と二人暮らしをしている青年ウィラード(クリスピン・グローヴァー)は、亡父が共同経営者だった機械メーカーに勤務しているが、仕事の要領が悪い上に暗い性格のため、現社長のマーティン(R・リー・アーメイ)からネチネチといじめられている。ある晩、地下室のネズミを駆除しようとしていたウィラードは小さなハツカネズミを見つけ、すっかり気に入ってしまう。そのネズミに「ソクラテス」と名づけ、毎晩一緒に寝るほどだったか、その他のネズミも大繁殖をはじめ、ウィラードはその大群を調教し始める。「入れ」「出ろ」「噛め」といった命令をきかせることができるようになったが、特に一匹の巨大なドブネズミの力は信じられないほどだった。そのネズミをウィラードは「ペン」と名づけるが、不気味なためソクラテスだけを可愛がるのだった。ウィラードの母親(ジャッキー・バロウズ)がネズミの大群を見たショックで死亡してしまうと、マーティンのいじめはエスカレート。ウィラードは解雇を言い渡され、また会社の倉庫に隠していたソクラテスがマーティンに殺されてしまうとウィラードの怒りは頂点に達し、ペンをリーダーとするネズミの大群を会社に運び込むのだが・・・おおむねオリジナルに沿ったストーリーで、メジャーな会社の作品にもかかわらずB級テイストが濃く、評価できる。当然ながらSFXの進歩により、ネズミの迫力は格段にアップしており、ネズミ嫌いの人は見ないほうがいいだろう。オリジナルと異なるのは「ベン」の扱い。オリジナルの続編『ベン』では青年とベンの交流が描かれていたが、本作のベンはもはやモンスターである。ウィラードとソクラテスが寝ているベッドにいつの間にか来ているシーンが怖い。 ソクラテス/ベン窮鼠猫を噛むじゃないけれど、ストーリーだけをとると非常に哀れな話であり、結末も悲惨だ。そのためか、ところどころに笑えるシーンが入っているのだがが、これがバランスを崩していると見るかどうかで評価が別れるだろう。残業でパソコンを操作しているマーティン。絶対、マウスの代わりに本物のマウスを掴むな・・と思っていたら案の定だった。面白かったのは、ウィラード邸に入った猫がテレビのリモコンに触れて電源が入いり、画面(ミュージックチャンネルのようだ)から『ペン』の主題歌が流れるところ。この主題歌はマイケル・ジャクソンによるもので当時少々ヒットしたのだった。本作のエンドクレジットでは主演のクリスピン・グローヴァーが唄っている。社長、それ違いますぜ。そのクリスピン・グローヴァーは適役。常にオドオドした態度は見ているこちらも歯がゆくなるほど。憎い社長役は前作のアーネスト・ボーグナインの方が強烈だ。ローラ・へニング演じる派遣社員のキャサリンがウィラードを庇ってくれるあたりはやや救われたような感じ。オリジナルを観た方も、そこそこ楽しめるのではないだろうか。監督:グレン・モーガン 製作:グレン・モーガン/ジェームズ・ウォン 製作総指揮:リチャード・ブレナー/ビル・カラッロ/トビー・エメリッヒ 原作:スティーヴン・ギルバート 脚本:グレン・モーガン 撮影:ロバート・マクラクラン 音楽:シャーリー・ウォーカー 2003年・アメリカ / 100分 / 評価:4.0点 / 子供:△
Jan 11, 2008
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遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も時々更新していきますので、よろしくお願いいたします。さて、今年は子(ねずみ)年ということで、鼠が主人公の映画を。昨年の干支である亥(いのしし)は映画に出てくることが非常に少なく、『もののけ姫』『ライオンキング』くらいしか思い浮かばなかったが、鼠はさすがに多い。特に以下の3大キャラクターは人気者だ。【ミッキーマウス】1920年代に誕生した誰でも知っている超有名ねずみキャラクターであり、登場作品は数知れず。映画ではやはり『ファンタジア』が最高か。【ジェリーマウス】 1940年代にスタートした、ハンナ=バーべラによる「トムとジェリー」の鼠のほう。当初からミッキーマウスの対抗キャラとして制作され、映像作品も非常に多い。またミッキーマウスの利用権が得られなかったMGM社が契約し、同社のミュージカルにも登場。ジーン・ケリーやエスター・ウィリアムスと共演している。 【トッポ・ジージョ】私の世代には懐かしい、イタリア生まれの人形劇のキャラクター。トッポはイタリア語の鼠。海外ではいまだに根強い人気があるようでDVDも結構出ている。 他に割と新しいキャラクターではスチュアート・リトルがいる。E・B・ホワイト原作のアニメ化で、続編が2つ作られているからそれなりの人気があるのだろう(観てるけどね)。因みに第一作の脚本はM・ナイト・シャマランであった。 やはりアニメキャラクターが多いが、もちろん実写ものもある。それはまた次回。さあ、『ファンタジア』である。この映画を観たのは非常に遅く、生まれた子供に観せようと思ってビデオを購入したのが14年ほど前。結局、子供はあまり関心を示さなかったが、制作から50年以上も経っているのに、それほどの古さを感じさせないクオリティに感嘆したものだ。 制作のコンセプトが「目で見る音楽。耳で聴く映像」というだけあって、アニメーションと音楽の調和が素晴らしい。演奏はレオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア交響楽団で録音には2ヶ月以上を費やしたという。曲目は次のとおり。バッハ/トッカータとフーガ 二短調チャイコフスキー/組曲「くるみ割り人形」デュカ/魔法使いの弟子ストラヴィンスキー/春の祭典ベートーヴェン/交響曲第六番「田園」ポンキュルリ/時の踊りムソルグスキー/禿山の一夜シューベルト/アヴェ・マリアこの中では、やはりミッキーが活躍(?)する「魔法使いの弟子」が一番だろう。ストーリーはもとより、ミッキーの表情がユーモラスで、音楽もピッタリだ。もともとはこの部分だけを短編映画にするつもりだったらしい。大人でも楽しめるが、やはりお子様の情操教育に最適の逸品である。動画監督:ウォード・キンボール/ベン・シャープスティーン 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:ジョー・グラント/ディック・ヒューマー 音楽監督:エドワード・H・プラム音楽演奏:レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア交響楽団 1940年・アメリカ / 122分 / 評価:5.0点 / 子供:◎
Jan 5, 2008
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イギリス・チューダー王朝後期の宮廷内の愛憎劇で、有名なヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブーリン(1507? - 1536)の短い生涯を描いた作品。日本で言えば戦国時代の初期である1526年。ある夜の舞踏会で、ヘンリー八世(リチャード・バートン)は正妻キャサリン(イレーネ・パパス)の侍女アン・ブーリン(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)を見初める。キャサリンとの間に後継者となる男児ができなかったヘンリーはアンに迫るが、アンは女癖の悪いヘンリーを信じられず、どうしてもというなら正妻キャサリンと離婚するよう逆にヘンリーに迫る。当時イギリス王室はカトリックであり離婚は禁じられていたのだ。悩むヘンリーを後押ししたのは側近のトマス・クロムウェル(ジョン・コリコス)。ヘンリー8世自身をイギリス国教会の長とし、カトリックと決別させ、教会勢力の弱体化を狙ったのだ。狙い通りヘンリー8世は国教会の長となりキャサリンを離別。晴れてアンは王妃となった。しかし・・・ 王妃となったアンは女児を出産するが、男児を期待していたヘンリー8世は落胆し、今度はアンの侍女ジェーン・シーモアに手を出す。急速に王のアンへの寵愛は薄れ、アンは離婚を迫られてしまう。クロムウェルの奸計もあり姦通罪等の罪を着せられたアンは、ついに断頭台で30歳の生涯を終えてしまう。ヘンリー8世の「6人の妻」で有名なこの話はイギリスでは誰でも知っているのだろうが、宗教事情も絡み、日本では馴染みが薄い。しかし英国国教会確立の原因となっただけでなく、アンの娘エリザベスは後にエリザベス1世となるなど、歴史的には大きな事件であった。もともとはブロードウェイの舞台劇であり、ヒットしたらしい。アメリカ人の王家もの好きが窺われるが、イギリスの王室ものはブルボン朝などのフランス王室ものに比べると華やかさに欠け、雰囲気的にはイマイチ暗くなってしまうところが残念。 ハリウッド資本だが監督はイギリス人のチャールズ・ジャロット。やはり自国人でないとだめなのだろう。バートンもイレーネ・パパスも堂々としていて良かったが、やはり当時25歳のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドだろう。堅い表情が似合う人なので、こういう役はもってこいのような気がする。ビジョルドは何と言っても『まぼろしの市街戦』が最高だが、サスペンスの『コーマ』などもなかなか良い。他の出演者では『チェンジリング』などにも出ていたジョン・コリコスが相変わらずアクの強いところを見せて印象的。随分前に見て、細部をよく覚えていないようなこの作品を採り上げたのは、今日が本ブログ開設1000日めだったから(失礼)。最近忙しさにかまけてあまり更新していませんが、ボチボチやって行きたいと思いますので、来年もよろしくお願いいたします。監督:チャールズ・ジャロット 製作:ハル・B・ウォリス 脚本:ブリジット・ボランド/ジョン・ヘイル/リチャード・ソコラヴ 撮影:アーサー・イベットソン 音楽:ジョルジュ・ドルリュー1969年・アメリカ / 145分 / 評価:3.5点 / 子供:○
Dec 31, 2007
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もうすぐクリスマス。昔からクリスマスの映画は多い。多くは子供向けやアニメだが『ホワイト・クリスマス』(1954)、『戦場のメリークリスマス』(1983)なんかもある。クリスマスの日を舞台にしたものでは『ホーム・アローン』(1990)など多数。クリスマスの主役であるサンタクロースを主人公にした映画もたくさんあって『ある日どこかで』の監督ジュノー・シュウォーク(ヤノット・シュワルツ)によるファンタジー名作、その名も『サンタクロース』(1985、上の左)が有名だが、ディズニーの『サンタクローズ』(1994、上の右)も続編が2作も作られるほど当たった。しかし「サンタ」と付く映画でどうしても忘れることが出来ないのが、このC級ホラー『サンタが殺しにやってくる』である。年少期に母親とサンタクロース(の服装の男)の性交を見てしまったハリー(ブランドン・マガート)はサンタクロースに異常な執着心を持つようになる。成長したハリーは玩具会社に勤めるが、サンタ・マニアのため周囲から奇異な目で見られるようになってしまう。そしてクリスマスの日。サンタの衣装をまとって街に出たハリーは、サンタを信じる良い子にはプレゼントを渡し、自分を馬鹿にする大人は容赦なく殺してしまう・・・ストーリーを書くだけでも馬鹿馬鹿しくなるが、昔レンタルビデオ店で見かけ、タイトルの凄さについ借りて観てしまったものだ。その時1回観ただけなので詳細は覚えていないが、大体こんなところだったと思う。ラストはなかなか物悲しいものがあったような。ビデオ廃版後は密かに語られるだけの存在となっていたが、DVD時代が到来し『聖し血の夜』という、これまた凄い題名の映画(とはいえ中身は結構良いらしいが)とカップリングで発売されていた。しかしこれもすでに生産中止。入手は困難となっている。本国アメリカでは20ドル程度でDVDが入手可能だ。レンタルで見つけられるならもう一度観てもいいか・・・ウチには来てほしくないな。監督:ルイス・ジャクソン 製作:バート・クライナー/ピート・カムロン 製作総指揮:ジェロルド・ルビンスタイン 脚本:ルイス・ジャクソン 撮影:リカルド・アロノヴィッチ 音楽:ドン・クリステンセン/ジュリア・ヘイワード/ジョエル・ハリス 1981年・アメリカ / 95分 / 評価:対象外 / 子供:××
Dec 21, 2007
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動物を主人公にした映画はおおむね受けがよく当たりやすい。子供を主人公にした映画も同様で、動物+子供だとほぼ間違いなく当たる。公開中の映画『マリと子犬の物語』はこれに実際におきた災害まで取り入れているのだから、もう反則技と言ってもいい位で、かなりのヒットとなるのだろう。昔から犬を主人公にした映画は数え切れないほどあるが、その中の一つが西村寿行の同名小説の映画化である本作である。北海道の中標津付近の山中。東京から来たハンター(倉石功)がヒグマに襲われ救急車で搬送。飼い犬のゴローは置き去りにされた。その頃、付近を彷徨っているサラリーマン風の男が二人。一人は通産雀課長の永山(夏ハ木勲)、一人はブラックジャーナリストの大橋(三谷昇)だ。大橋はある商社が東南アジア某国に売った船舶が実は軍艦に改造可能であり、そのことを通産省は黙認したことを突き止め、永山を脅迫していたのだ。しかし船舶の商談の背後にいる人物が二人の命を狙い始めたので、やむなく一緒に逃亡生活を送っていたのだった。やがて大橋は追っ手に殺され、永山は一人になってしまう。そんな時永山はゴローと出会い、共に北海道を放浪するが、東京に残してきた妻子が殺されたことを知り、ゴローと共に東京へ戻って黒幕を突き止める決意を固める・・・。と、よくあるサスペンス物のようだが、永山ではなく犬が主人公であるところがミソ。永山は途中で殺し屋・田沼(地井武男)に射殺されてしまうからだ。永山は船舶商談の証拠となるマイクロフィルムをゴローの首輪に隠しており、犬は帰巣本能で東京に向かう。事件に立ち向かうのは刑事の安高(鶴田浩二)。しかし警察庁上層部を通して圧力がかかる。安高はゴローの飼い主・北守礼子(島田陽子)と共にゴローを追うのだが・・・海上保安庁が協力したと言う洋上でのアクションシーンや茨城辺りの廃坑での対決など見せ場もあるが、ストーリーやアクションよりもキャストで評価が別れる作品だろう。夏八木勲は適役として、ポイントは主演の鶴田浩二である。安高刑事ははみ出し者と言って良く、その捜査は非常に強引だ。殺し屋の配下は容赦なく撃ち殺すし、永山の上司・阿形部長(岡田英二)の追求に至っては監禁した上、鞭(ベルト)で叩きのめすなど、ハリー・キャラハンの上を行く。しかし、鶴田浩二の演技は悪くないのだが、台詞まわしでいささか迫力が落ちてしまうのだ。阿形を脅し、自白をテープに録る安高。「遠沢(黒幕の名前)がやったんだな!」と迫り、阿形部長は無言で頷くが、それでは録音できていないじゃないか、と突っ込みたくなる。主役以上に目立っていたのが殺し屋・田沼役の地井武男。見かけはチンピラ同然なのが少々いただけないが、不死身のような頑強さでしかも残忍極まりない。たまたま居合わせた無関係の人だろうが、自分の部下だろうがお構いなく殺してしまうし、女性と見ればすぐ暴行を加える。現在の保険のCMからはまるで想像がつかない悪役ぶりだ。他にもハナ肇、森田健作、菅原文太など豪華な顔ぶれで、これが一番の売り。 個人的に気になったのはラストの対決の舞台となった廃坑。巨大な禿山の急斜面を殺し屋の部下が多数の猟犬と共に滑降してくるのだが(凄くしんどそうだ)、場所は一体どこなんだろう。鶴田浩二なら同時期のTVドラマ『男たちの旅路』の方が良かったか。監督:山根成之 製作:武田敦/大岡弘光 製作総指揮: 徳間康快 原作:西村寿行 脚本:白坂依志夫/加藤盟 撮影:椎塚彰 美術:福留八郎 編集:白江隆夫 音楽:大野雄二 1979年・日本/132分/評価:3.5点/子供:××
Dec 17, 2007
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"New York, New York, a helluva town."の歌だけで楽しくなる、ジーン・ケリー~フランク・シナトラ~ジュルス・マンシンの3人組が活躍するMGMミュージカル。3人の水兵が24時間の休暇を貰い、それぞれガールフレンドを見つけ、騒動があって、そして休暇が終わる、ただそれだけのストーリーであるが、佳曲とダンスのスピーディーな展開で飽きることのない傑作である。非番となり早朝ニューヨークに上陸した3人の水兵、ゲイビー(ジーン・ケリー)、チップ(フランク・シナトラ)、オジー(ジュルス・マンシン)は早速1日楽しく過ごすためのパートナー探しに出かける。地下鉄車内で"ミス地下鉄"のポスターを見たゲイビーは一目惚れ。たまたま駅でミス地下鉄ことアイビー(ヴェラ・エレン)を見つけ、後を追うが見失ってしまう。ゲイビーのアイビー探しに付き合うチップとオジーはその途中でそれぞれパートナーを得る。ゲイビーもようやくアイビーを見つけ、3組のカップルで夜のミュージック・ホールに繰り出すのだが・・・ とにかくスピーディーで無駄がない。ストーリー的にはやはりケリーとシナトラが共演した『錨を上げて』に似ているが、こちらの方がテンポ良く、ダンスシーンも圧巻だ。(とは言っても『錨を上げて』も好きなのだが) (左)さすがのアン・ミラー/(右)ベティ・ギャレットそして本作の特徴は、初めて現地ロケを大々的に取り入れた点である。街中で3人が歌う遥か後ろに野次馬が鈴なりになっていて、臨場感があるが、摩天楼の上からの景色や夜のコニー・アイランドなど風景も楽しめる。(マンシンは高所恐怖症とまでは行かなくとも高いところが苦手だったらしく、高層ビルの屋上のシーンでは心なしか不安げ。ビルの端を避けているようだ。)水兵役3人は『私を野球に連れてって』の余勢を買っての再登場であり、相変わらず楽しい。当時ケリー37歳、シナトラとマンシンが34歳。ケリーがダンス、シナトラが歌、マンシンがお笑いと、役割分担もハッキリしている。ダンスのシーンでは"先史時代人"が楽しいが、迫力があるのは"A Day In New York Ballet"。このシーンにはキャロル・ヘイニーが出ている。 (左)クレジットはなかったがキャロル・ヘイニーのデビュー作でもある。公開から60年経とうとしているが、十分楽しめる作品。多少の古臭さは許容範囲だ。主演ケリーはじめほとんどが亡くなっているが、チップを追い回すブランヒルド役のベティ・ギャレットは未だ健在(88歳!)で、今年も何がしかの映画に出ているらしい。ブランヒルドのルームメイト役アリス・ピアースの珍演も見もの。 ミュージカルは楽しくなくちゃ。監督:ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン 製作:アーサー・フリード 脚本:アドルフ・グリーン/ベティ・コムデン 撮影:ハロルド・ロッソン 音楽監督:ロジャー・イーデンス/レニー・ヘイトン 1949年・アメリカ / 98分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Nov 16, 2007
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言わずとしれたヴィム・ヴェンダース監督の名作。もう何度観たことか。冒頭の「子供は子供だった頃・・」というピーター・ハントケの詩をノートに書き綴るシーンから2時間惹きこまれてしまう。何故か中年男性姿の「天使」が人間の女性に恋をし、地上に降りるという話であるが、そこに悩み・恋愛・死・希望・・・といった人生の-コマーコマを詩情たっぷりに散りばめ、何ともいえない魅力的な映像世界が繰り広げられている。音量にご注意ください ドイツ統一前のベルリン。大ティーアガルテンの中央に聳え立つ戦勝記念塔ジーゲスゾイレの上から地上を見渡す天使のダミエル(ブルーノ・ガンツ)。彼ら天使の姿は子供にしか見えない。彼らは人間が考えていることを独り言のように聴き取ることが出来るのだ。ある時は孤独な老人、あるときは事故で瀕死の男性、ある時は落ち込んでいる女性の傍らに立ち、独り言を聴き、そっと肩を抱いたりする。しかし、彼らは温度を感じない。色彩もないモノクロームの世界である。ある日、ダミエルはサーカスの空中ブランコ乗りのマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)を見かけ、恋をしてしまう。しかし触れることは出来ても温もりを感じることは出来ず、マリオンに自分を見てもらうことも出来ない。ダミエルは天使であることをやめて人間となる決心をするが、それは無限の生命を捨てるこになるのだった・・・。天使はダミエルのような中年男性ばかりでなく、女性もいる。たまに友人のカシエル(オットー・ザンダー)と情報交換をしたりもする。特に天使界に不満があるというわけでもなさそうなのだが、マリオンへの思いは断ちがたく、とうとう人間として地上に降り立ってしまう。この映画は結果的にベルリンの壁崩壊を予見するものとなったが、ダミエルの天使側を東とすれば、マリオンの人間界は西。ライブハウスのバーでの対面シーンはまさに東西融合を表すものだった。この本筋以外の様々な人間界の描写、これが素晴らしい。人間たちは声には出さない独り言をブツブツ言っているのだが、それがまるで詩のように聞こえてくる(外国語だからかもしれないが)。そこに被さるユルゲン・クニーパーによるサウンドトラック。静かな前衛クラシックとも言うべき音楽なのだが、重厚で実にいい。またライブハウスではニック・ケイブ&バッド・シーズとヴェンダース監督お気に入りのクライム&シティ・ソリューションが姿を見せ、独特の雰囲気を醸しだしている。 ニック・ケイブ&バッド・シーズ/クライム&シティ・ソリューション音量にご注意ください主役のブルーノ・ガンツが好演し代表作となった。元ヴェンダース夫人であるソルヴェーグ・ドマルタンも素晴らしかったが、残念ながら2007年1月に急逝してしまった。オットー・ザンダーは本作の続編『ファラウェイ・ソー・クロース/時の翼にのって』で主役となる。 そして何よりも自分自身の役で登場したピーター・フォーク。ヴェンダースの世界に意外と合っている。儲け役だ。ピーター・フォークも『ファラウェイ・ソー・クロース』に出演している。 決して難解ではなく寧ろわかりやすい作品で、暗いようでいて希望を感じさせる映画である。この辺が公開時、異例のロングランとなった理由かもしれない。しかし実際の世界はそんな明るい面ばかりではない。その暗い面を描いたのが『ファラウェイ・ソー・クロース』であり、二つは一対の作品。本作だけ観たのでは片手落ちだろう。監督:ヴィム・ヴェンダース 製作:ヴィム・ヴェンダース/アナトール・ドーマン 製作総指揮:イングリット・ヴィンディシュ 脚本:ヴィム・ヴェンダース/ペーター・ハントケ 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ユルゲン・クニーパー 1987年・西ドイツ=フランス / 128分 / 評価:5.0点 / 子供:?
Oct 27, 2007
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イタリアン・ホラー中興の祖と呼ばれるマリオ・バーヴァ監督による正統派ゴシック・ホラー。もう40年も前の作品なので古くささは拭いきれないが、なかなかどうして、侮れない作品である。良く似た題名の映画にレイ・ミランド主演のハリウッド映画『呪いの家』(1944)があるが、当然無関係である(『呪いの家』は名曲「星影のステラ」で有名)。1850年頃のイタリア。鄙びた田舎村に一人の医者ポールがやって来る。実はこの村で少女変死事件が起こり、その検死のためクルーガー警部に呼ばれたのだ。しかし馬車の御者は村の中に入ろうとしないし、村人は皆何かを恐れている様子。この村は幼くして死んだグラープ家の長女メリッサに呪われているというのだ。迷信など信じないポールは検死を行うが、死体の心臓から銀貨が発見される。一方、原因はグラープ家にありと読んだクルーガー警部はその屋敷に向かうのだが・・・オーソドックスなストーリー展開に加え、残酷なシーンがほとんどないので刺激を好む方には向かない。しかし雰囲気重視の方にはピッタリである。ロケなのかセットなのか判らないが、特異な建物の宿屋や古い屋敷、まるで地下通路のような村の小道など、不気味ながらも神秘的な情景描写が素晴らしい。まさにゴシック・ホラーの王道的作品である。デジタルリマスターでもしたらさぞ素晴らしい映像になるだろう。そして見逃せないのが、後のイタリア・ホラー映画、特にダリオ・アルジェントヘの影響である。前に『血みどろの入り江』でも触れたが、アルジェントは自身の『インフェルノ』の1シーンをバーヴァに任せたり、遺児ランベルトのデビュー作『デモンズ』のプロデュースを引き受けたりと親交が深かった。本作の冒頭、少女が屋敷から飛び出してくるところ、これはモロに『サスペリア』で再現される。宿屋の少女もどこかジェシカ・ハーバー似だ。中盤に出てくる不気味な人形は『サスペリア2』か『フェノミナ』かといったところ。そして屋敷の螺旋階段で見られる赤・青(緑)の原色を同時に配した独特の照明は、後にアルジェントが『サスペリア』『インフェルノ』でさらに徹底していくものだ。俳優は知らない人ばかりなのだが、村の女性悪魔祓い師(?)ルースを演じたファビアンヌ・ダリが美しい。このルースが最後に事件の正体と対決するわけだが、実は単に死んだ少女の怨念で起きた事件ではない、というところがミソである。ただこのラストの対決部分がちょっと薄すぎ、盛り上がりにかけるのは残念。『サスペリア』などと比較しながら観ると面白い。ファビアンヌ・ダリ監督:マリオ・バーヴァ 製作:ナンド・ピサニ/ルチアーノ・カラナッチ 脚本:ロマノ・ミグリオリーニ/ロベルト・ナタール/マリオ・バーヴァ 撮影:アントニオ・リナルディ 音楽:カルロ・ルスティケリ 1966年・イタリア/ 84分 / 評価:4.0点 / 子供:×
Oct 19, 2007
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シリーズ第一作。『フレンチ・コネクション』と共に1970年代のアメリカ映画を代表する刑事もの。いや刑事ものとしてだけでなく、ニューシネマとハリウッド娯楽作品両方の要素を併せ持つ過渡期的作品としても価値がある。音量にご注意くださいサンフランシスコの高層ビル屋上のプールで女性が射殺される。現場に駆けつけた市警のハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は向かい側のビルの屋上で犯人(アンディ・ロビンソン)からのメッセージを見つける。それは現金10万ドルを用意しないと更に殺人を重ねるという警察への挑戦状とも言える内容だった。ハリーは新しい相棒のチコ(レニ・サントーニ)と共に捜査を進めるが、犯人はそれを嘲笑うかのように少女を誘拐する・・・身代金の受け渡しからスタジアムでの対決、そしてラストの再対決へと、テンポ良くストーリーが進み飽きさせない。一級のポリスアクションとして他の追随を許さないが、この映画の凄みはそれだけでなく、当時の社会・世相を鋭く突いている点にある。ハリーとチコが張込みを行っている時に、マンションの1室で乱交バーティらしき光景を見かけ、ハリーが「こいつら全員逮捕したい」と言うのだが、まさに1950~60年代の繁栄が一区切りとなりベトナム戦争の影響を受けた混沌とした世の中になっていたのだ。そんな状況の中で本作の異常な殺人鬼スコーピオは登場したのである。ここが『フレンチ・コネクション』との大きな違いで、単にニューヨークとサンフランシスコの違いではない。ドキュメンタリー性は『フレンチ』の方が高いと思うが、それは犯罪捜査に関してであって、『フレンチ』では当時の社会を描いているようなシーンと言えば麻薬中毒の少年が交通事故死するシーンとバーでの手入れのシーン、不良少年達の車はがしのシーンくらいしか思い浮かばない。本作は上記のほか、夜の公園に出没しハリーに言い寄る男娼(?)や頻発する銀行強盗などが出てくる。そしてそれよりも、法律にばかり固執して事件の本質を見ようともしない司法当局や興味本位の報道ばかりするマスコミ、何事にも及び腰で解決能力に乏しい市長はじめ警察本部・・等々。これは現在でもあまり変わっていないのだろう。さてレオーネのマカロニ3部作で一躍スターとなったイーストウッドは、本作以後このハリー・キャラハン刑事が代名詞となった。型破りな点では『フレンチ』のハックマンも同様だが、カッコよさではイーストウッドの方だろう(だが私が好きなのはハックマンの方)。同じドン・シーゲル監督の『突破口』も印象的だったアンディ・ロビンソンはまるで実際に本人も異常なのではないかと思わせるような徹底ぶりが見事。同じく『突破口』に出演していたジョン・ヴァーノンも市長役で姿を見せる。『ダーティー・ハリー』シリーズは全部で5作あるが、やはりこの第一作が最高。監督:ドン・シーゲル 製作:ドン・シーゲル 製作総指揮:ロバート・デイリー 原案:ハリー・ジュリアン・フィンク/R・M・フィンク 脚本:ハリー・ジュリアン・フィンク/R・M・フィンク/ディーン・リーズナー/ジョン・ミリアス撮影:ブルース・サーティース 音楽:ラロ・シフリン 1971年・アメリカ / 103分 / 評価:5.0点 / 子供:×
Oct 12, 2007
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あるひなびた「入り江」の周りの住人たちに襲い掛かる連続殺人事件を描いた、マリオ・バーヴァ監督による現代ホラー。日本では劇場未公開であるが、以前ビデオで初お目見えした。入り江一帯を所有する伯爵夫人が自宅で夫に殺される。しかしその直後に夫も何者かに殺されてしまう。やがて付近の住人、入り江のリゾート開発を計画する事業者、無断で人家に入り込んでふざけていた若い男女4人などが次々に犠牲となっていく。犯人は誰か?何が目的なのか?・・・・ 当然、これ以上のストーリーは書けないので、見所だけ触れておこう。まずはとても1970年の作品とは思えない、ショックシーンである。串刺しにされたり、首を切り落されたり、蛇で顔を割られたり・・。現在のホラーを観ている方には何でもないのかもしれないが、当時ではとてつもなくショッキングだったろう。なにしろまだ『工クソシスト』も『オーメン』も『サスペリア』もない頃なのだ。作り物であることは明らかなのだが、それが却って妙に生々しい。個人的には蛸に絡まれた死体の描写が不気味で印象に残った。因みに話の中盤以降はまんべんなくショックシーンがちりぱめられており、そのテンポの良さ(?)から「コメディタッチ」と言われることもあるそうだが、決してそんな感じは受けない。 次に後続の作品への影響度である。本作はバーヴァの作品としてはゴシック色の無い、現代を舞台にした作品で、遺作の『ザ・ショック』(1979)と雰囲気が似てなくもない。海辺(入り江)の描写や家の中の撮り方、小道具のアッブなどはそのままだ。そしてそれは後輩のダリオ・アルジェントにも継承されている。そういえばバーヴァの最後の仕事はアルジェントの『インフェルノ』における水没した部屋のシーンの撮影だったのだが、本作には水中から死体が浮かび上がり、泳いでいた女性にぶつかるシーンがあって、実にそっくり。 そして叙情的な(?)入り江の風景と美しい音楽も忘れられない。バーヴァは撮影監督出身だから画像が優れているのは当然として、『ベニスの愛』『コンコルド』などの名作曲家ステルピオ・チプリアーニのスコアが地味ながら素晴らしい。左は『夕陽のガンマン』『続夕陽のガンマン』でおなじみのルイジ・ピスティッリ。右はクローディーヌ・オージェ。さて話の結末であるが、これはもうビックリ仰天である。ダリオ・アルジェントの『シャドー』は話の前半と後半で犯人が異なるという設定だったが、観客にはわかるようになっていた。しかし本作は更に複雑な設定で、まるで誰がどうなったのか、わざとわかりにくくしてあるとしか思えない作りなのだ。実は「入り江」自体が犯人だと言わんばかりに。犯人探しがお好きな方は試してみるといいかもしれない。監督:マリオ・バーヴァ 製作:ジュゼッペ・ザッカリエーロ 原案:ダルダーノ・サケッティ/フランコ・バルベリ 脚本:マリオ・バーヴァ/ジョセフ・マクニー/フィリッポ・オットーニ 撮影:マリオ・バーヴァ 音楽:ステルヴィオ・チプリアーニ 1970年・イタリア / 86分 / 評価:4.0点 / 子供:×××
Oct 6, 2007
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今からもう30年前、1977年に公開された大林宣彦監督の怪作。今なお熱烈なファンがいらっしゃる。山口百恵=三浦友和の『泥だらけの純情』と2本立てで公開されたが、予備知識なしで観たら度肝を抜かれたことだろう。あらすじを書いても意味はないが、夏休みに田舎の叔母(南田洋子)の家に遊びに行った女子高生7名が次々に叔母の家に「食べられて」しまう話である。発想の元は『ジョーズ』あたりらしく、大林監督の娘さんが「鏡に映った自分に襲われたら怖いだろうな」と言ったのがキッカケとなった・・と現行DVDの特典映像で監督が述懐している。とにかく映像の洪水を見るべき作品で、まるで日本のケン・ラッセルか。ただし監督はホラー映画ではイタリアのマリオ・バーヴァに傾倒していたらしく、そのせいか叙情的なシーンが目立つ(いやらしい?シーンも)。 主演の女子高生7人の中では池上季実子・大場久美子・神保美喜あたりが有名か。私的には大場久美子が贔屓で、理由は出身地が私の家の近くだったから。当時中学生だった私は友人と大場久美子の実家を遠巻きに眺めに行ったりしたものだ。どのシーンもユニークだが、小林亜星のスイカ屋と先生役の尾崎紀世彦(バナナの山に変身する不条理さ!)のシーンやその小林亜星と共に音楽を担当したミッキー吉野とゴダイゴの面々が登場する東京駅のシーン、ラスト近くの血の洪水のシーン(『シャイニング』なんてもんじゃない!)あたりの印象が強い。ラーメン屋に現れる熊の店員は『地下鉄のザジ』にインスパイアされたのだろうか。 さて、他の大林監督作品のうち、本作に類似した作品として忘れられないのが1983年の『麗猫伝説』である。これはTV映画で「火曜サスペンス劇場」100回記念として制作されたもの。TV放映をリアルタイムで観たのだが、よくもまあこんな不条理な作品をゴールデンで流したものだ、と感心したのを覚えている。こちらの舞台は尾道。昔、化け猫映画で有名だった元女優・竜造寺暁子は、かつての監督とともに瀬戸内海の小島にひっそりと暮らしている。そこへ化け猫映画リメイクの企画を持ってやってくる脚本家。しかしその脚本家が見たものは・・・というストーリー。元女優役は入江たか子・入江若葉母娘が演じ分け、監督役は大泉滉、脚本家は柄本明だった。詳細は覚えていないが、脚本家が見つけた死体のインパクトが強かった。なにしろ試写室で映画のフィルムが回っているのだが、映写機から伸びたフィルムは死体の口から入り「下」から出てきてまた映写機につながっていたのだ。何ともグロテスク。あと覚えているのは、撮影所の用務員らしき千石規子が密かに慕っていた映画監督(薩谷和夫)が去った後、渡し舟に乗って新監督(佐藤允)が登場するところか。なぜか『皇帝密使』のサンダー杉山のように勇ましく登場する。その他、大部分は覚えていないので何とか観たい作品である。 監督:大林宣彦 製作:大林宣彦/山田順彦 原案:大林千茱萸 脚本:桂千穂 撮影:阪本善尚 美術:薩谷和夫 音楽:小林亜星/ミッキー吉野 1977年・日本/ 88分 / 評価:4.0点 / 子供:×
Sep 28, 2007
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第二次世界大戦のヨーロッパ戦線。1944年12月に行われたドイツ軍の大規模な反抗作戦「ラインの守り作戦」を扱った戦争スペクタクル映画。監督はケン・アナキン、出演者は地味目のオールスターだ。音量にご注意くださいノルマンディ上陸以降進撃を続ける連合軍だが、ドイツ本国への突入を目前にして戦線は膠着状態となっていた。マーケット・ガーデン作戦の失敗で兵士の士気も緩みがちだ。そんな状況下、ドイツ軍のルンテシュテット元帥は乾坤一擲となる作戦を立案する。南北に伸びた連合軍を分断すべく機甲軍団による奇襲を行うというものだ。目的地はオランダの港湾都市アントワープ。主力となる戦車連隊を率いるのは歴戦の誉れ高いへスラー大佐(ロバート・ショウ)。戦車は最新鋭のタイガー2戦車が与えられた。ただ難点は燃料補給で、十分な蓄えがないために行程の途中で連合軍の給油基地を奪取する必要があった。一方、連合軍はドイツ軍は既に衰弱しているものと考え、油断していた。米第一軍所属のグレー将軍(ロバート・ライアン)は、刑事出身の情報将校カイリー中佐(ヘンリー・フォンダ)の警告にも耳を貸そうとしない。そして冬の悪天候を狙ってドイツ軍の奇襲が始まった・・・他の映画との関連で言えば『遠すぎた橋』(1977)の後の出来事を描いたもので、『パットン大戦車軍団』(1970)と一部重なるということになる。概ね史実に即していて、作戦の一部であるグライフ作戦(英語に堪能なドイツ兵が米兵になりすまして後方を撹乱する。下の画像)や捕虜虐殺事件「マルメディの虐殺」も出てくる。一方、主演のヘンリー・フォンダ演ずる情報中佐は実在したのかどうかはわからないが、この中佐、少々超人すぎである。この人がいなかったらドイツ軍は勝っていたのだから。ヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアンの他、連合軍側でダナ・アンドリュース、チャールズ・ブロンソン、テリー・サヴァラスなども出ているが、最もインパクトがあったのはヘスラー大佐役のロバート・ショウであろう。後半のやや狂信的となっていくサマも迫力があったが、やはり戦車長たちと軍歌「パンツァー・リート」を唄うシーンが忘れがたい。そして何と言っても見ものは大戦車戦である。使用されている台数でみれば当時としては画期的だった。雪のアルデンヌ高原で忍び寄るようにして現れるあたりの迫力はナカナカ。後半の広い台地での戦闘もスケールが大きかったが、ロケ地がスペインだったため、雪はキレイに消えてしまっていた。残念なのは使用されている戦車がタイガー2戦車ではなく、米シャーマン戦車(おそらく後期モデル)であったこと。タイガー2は俗にキングタイガーと呼ばれ、タミヤの模型などでもお馴染みだったが、やはり本物でないと違和感がある。タイガー戦車は残存数が少ないそうだから仕方はないのだろうけど(『戦略大作戦』に登場するのはタイガー1型である)。劇中適度に色々なエピソードが入っているので、まずます飽きずに楽しめる。なにしろインターミッション付きで3時間弱。時間の余裕のあるときに楽しみたい。ベンジャミン・フランケルの音楽も秀逸。 監督:ケン・アナキン 製作:ミルトン・スパーリング/フィリップ・ヨーダン 製作総指揮:シドニー・ハーモン 脚本:フィリップ・ヨーダン/ミルトン・スパーリング/ジョン・メルソン 撮影:ジャック・ヒルデヤード 音楽:ベンジャミン・フランケル 1965年・アメリカ / 175分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Sep 22, 2007
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現在のサッカーブームをさかのぼること約25年。1980年代にもサッカーブーム、というか少年サッカーの大ブームがあり、1981年には漫画「キャプテン翼」の連載が開始された。私は当時高校生だったので「キャプテン翼」は見なかったが、話題となっていたこの映画は見た記憶が残っている。確か1981年暮れのお正月映画だった。第二次世界大戦中の1943年。ドイツ国内のある捕虜収容所には英米兵が収容されていたが、ドイツ軍の見張りは厳しく、脱走はなかなか成功しない。彼らは昼間はサッカーなどに興じていたが、それを目にしたのが収容所を訪問中だったドイツ軍のシュタイナー少佐(マックス・フォン・シドー)。捕虜の中に英国ナショナルチームの選手だったコルビー(マイケル・ケイン)がいるのが分かると親善試合を申し込む。コルビーは応諾したが、これを伝え聞いたドイツ軍の上層部はこの試合をプロパガンタに利用するため、パリのサッカー場で大々的に開催することを決定してしまった。一方、捕虜のリーダーたちは選手一行のパリでの脱走計画を立案。そのため米特殊部隊出身のハッチ大尉(シルヴェスター・スタローン)がチームに入り込むのだが・・・ サッカーと脱走をミックスした映画は珍しい。似たような設定の作品に『ロンゲストヤード』があるが、脱走を企てているわけではなかった。本作でのシャワー室からの逃亡とパリへの潜伏あたりは脱走ものの定石ともいえるストーリーでまずまず良く出来ている。パリでのレジスタンスとの接触あたりのムードも良い。ただ脱走兵の頭数をごまかすための人形には笑ってしまったが。それよりも本作の魅力となったのは、脱走を取るか試合の続行を取るかという選択を迫られるシークエンスだろう。ここでのスポーツマンシップの高揚が泣かせる。そしてフェルナンデス兵長(ペレ)のシュートが決まった瞬間、敵であるシュタイナー少佐も思わず立ち上がって拍手を送るあたりのポイントは、さすがジョン・ヒューストン監督、しっかりと押さえている。 当時ロッキーシリーズで人気のあったシルヴェスター・スタローンが主演とされているが、やはり当時オファーの多かったマイケル・ケインも主演と言って差し支えない活躍。そしてマックス・フォン・シドーが意外な善人役で得をした。ペレはトリニダード出身の英国兵と言う設定で、その他の選手も有名なサッカー選手が演じていたらしい。またパリ・レジスタンスのシーンではカロル・ローレと『恐怖の報酬』が印象的だったアミドウが登場。なかなか存在感あり。ラストの詰めが少々甘いような気がするものの、結構楽しめる作品である。 監督:ジョン・ヒューストン 製作:フレディ・フィールズ 原案:ジェフ・マグワイア/ジョルジェ・ミリチェヴィク/ヤボ・ヤブロンスキー 脚本:エヴァン・ジョーンズ/ヤボ・ヤブロンスキー 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:ビル・コンティ 1980年・アメリカ / 116分 / 評価:4.0点 / 子供:○
Sep 7, 2007
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監督・山田洋次~主演・ハナ肇のコンビによる第一作。「戦車」は「タンク」と読む。タイトルどおりのストーリーで、村の中で変人呼ばわりされていた男がついにブチ切れて村中を戦車で暴れまわる。後の山田洋次作品には見られないようなシンプルかつダイナミックなコメディであるが、その中にもムラ社会の風刺がハッキリ現れている。東京湾の房総半島寄りで釣りを楽しむ会社員(松村達雄、谷啓)相手に船頭(東野英治郎)が昔話を始める・・・近くの日永村にサブと呼ばれる男(ハナ肇)が住んでいた。戦争中は少年戦車兵だったのだが復員後は農機具の修理業を細々と営んでいた。サブ一家はその貧しさと変人ぶりから除け者状態であり、粗暴なサブは豪農の仁右衛門(花澤徳衛)と年中小競り合いをしていた。そんな一家に訳隔てなく接していたのが仁右衛門の娘・紀子(岩下志麻)。長く病床にあった紀子の快気祝いの席にサブは出席したのだが、紀子があらかじめ仁右衛門に話をつけていなかったためにサブは満座の中で罵倒され追い出される。破れかぶれになったサブは大立ち回りを演ずるがついに警察に逮捕されてしまった。その後サブは釈放されて家に戻ったが、ある日納屋に隠していた戦車に乗り込むと村を暴走し始めた・・・ 船頭の昔話として扱われるのがいい感じ。そんなに大昔の話ではないのだが、なんだか本当のおとぎ話のような気がしてくる。村人役で常田富士男が出ているので、なおさらそう感じるのか。戦後の農地解放後の時期であるが、村は依然として豪農や村会議員(菅井一郎)を頂点としたムラ社会であり、人とはちょっと違うようだとすぐ変人扱いされてしまうのだ。特にサブの家は耳が遠い老母(飯田蝶子)や知恵遅れの弟(犬塚弘)がいるので、何か不審な出来事があるとすぐサブの一家のせいにされてしまう。これは別に過去の農村でなく現在の町や村でも変わりはない。わが国は昔から国全体がムラ社会のようなものだから・・・ということを無言のうちに訴えているのだ。それだけに後半の戦車による大暴れは一種の爽快感もある。こういう役だとハナ肇はピッタリだ。戦車は本物なのか複製なのか分からないが良く出来ている。キャタピラだとUターンが非常に素早いことを再認識。ただ、良く考えれば無茶苦茶な話で、ちゃんとサブにも罰が待っているのだ。破天荒なストーリーではあるが、終盤、実に素晴らしい部分がある。戦車による大騒動の翌朝、消えた戦車を追って村人(田武謙三、常田富士男、天草四郎)と村の巡査(穂積隆信)がキャタピラの轍にそって走り始める。轍は丘を越え、海に向かう。それでも4人はひたすら走る・・・このシークエンスは「どうしちゃんたんだ?」という位素晴らしい出来。海の中に消えた轍をイツまでも眺める4人の姿が印象に残る。でも村では時間が経つとこんな事件があったこともすぐ忘れられてしまうのだ。ここにも監督の痛烈な皮肉がある。ハナ肇にはうってつけの役であり、好演。村人達(上記の他に渡辺篤、小沢昭一など)も個性豊かで面白い。昔の村ってこんな感じだったのだろうか。監督は本作の後もハナ主演で『いいかげん馬鹿』『馬鹿まるだし』といういわゆる「馬鹿3部作」を撮り、1966年には『なつかしい風来坊』を発表する。そしてこれが姿を変え『男はつらいよ』シリーズに発展していく。そういった点ではマイルストーン的な作品なのだろう。監督:山田洋次 原案:團伊玖磨 脚本:山田洋次 撮影:高羽哲夫 美術:佐藤公信 音楽:團伊玖磨 1964年・日本 / 93分 / 評価:4.5点 / 子供:△
Aug 31, 2007
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ニューヨークのダウンタウン(ロウアー・イーストサイド)を舞台としたアクション映画。公開時に観ただけなので詳しいことは覚えていない。ある日、ロウアー・イーストサイドにトミー(ジャン・マイケル・ヴィンセント)という船乗りがやって来る。トミーは船内で揉め事を起こしてクビになり、次の職が見つかるまでこの町にいることにしたのだ。しかし、雑貨店主エイブ(アート・カーニー)からこの町はチンピラ・ギャングに牛耳られていることを聞く。トミーはあまり関心がなかったが、エイブがチンピラにボコボコにされたり、密かに好意を寄せていたマーシャ(テレサ・サルダナ)の家が荒らされたりしたことに激昂し、チンピラ数名を殴り倒してしまった。そのうちトミーに新しい勤め口が決まり、出港することになったのだが、トミーが親しくしていたワッコ(レニー・モンタナ)がチンピラたちに殺されてしまう。ついにトミーは一味のボス、エンジェル(ルディ・ラモス)との対決に臨むのだが・・・何分25年以上も前なので、ひょっとしたらちょっと違っているかもしれない。今観直そうにもDVDは出ていないし(本国アメリカでも同様)、レンタル落ちのビデオさえ見かけない。話題に上ることもまずないし。ニューヨークが舞台でストリートギャングものというと『ウォリアーズ』をまず思い出すが、趣は随分と違う。「主人公が流れ者(船乗り)」「ほのかな恋愛」「男同士の果し合い」・・とまさに日本の「渡り鳥」シリーズなのだ。実際に監督ジョン・フリンは日本の任侠映画や時代劇のファンで、この作品はモロにその影響が出ていることを認めていた。だから見ていて何だか懐かしい感じがしたものである。ジャン=マイケル・ヴィンセントはこの頃が一番良かったと思う。アート・カーニーは元ボクサーという設定だったかな。ラストで町の人たちと一緒に立ち上がったような気がしたが。ルディ・ラモスは『ダーティー・ハリー3』位しか印象に残っていないんだけど『ビバリーヒルズ・コップ2』なんかにも出ていたんですね。知らなかった。とにかく何とかもう一度観たい作品である。監督:ジョン・フリン 製作:ウィリアム・S・ギルモア/ジェリー・ブラッカイマー 製作総指揮:ロバート・J・ワンシュ 脚本:トーマス・マイケル・ドネリー 撮影:リック・ウェイト 音楽:ドミニク・フロンティア1980年・アメリカ / 103分 / 評価:4.0点 / 子供:△
Aug 29, 2007
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