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笑顔を見ると、爺・婆孝行に。さんさくの記 〜笑顔がでるように〜人と人との対立が目だっている。世界のあちこちでも日常的に見られる。民族間の対立からエゴの対立まで・・・ この地球上で、「人に出会わない」なんてあり得ない。いろいろな人に出会ってきたので今の自分がある。「一人ぼっちだ。つらい」と思ったことがありました。しかし、「そう思いこんでいるだけだ」と思うようになって、今では「いろいろな人に支えられている」と思っています。 地球上で人と人とが手をつなぎあえば、不幸な人はなくなります。手をつないでいないところだけが暗くなるのではありません。全てが暗くなります。人と人が触れ合うだけで、世界は変わります。触れ合うだけで「いじめ」も「暴力」もなくなり、命が大切にされます。「今日もいい日になる」「今日も一日ありがとう」と、互いに感謝できる幸せを分かち合っていきたいと思います。アースデイーに。 M.O(新中3)
2018.04.25
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折々のさんさく記 ー考えることもー勉強だけではない。日常生活でも考えることをしなければ、何事もやっていけない。気の向くまま、感情のおもむくままに生きるのは、楽しいかも知れない。社会で生きて行くのには、やはり、考えていく必要がある。自己中心的、衝動的な行動には考えることはないようだ。もし、考え、気づき、感知が少しでも出来れば、他者への心配りもできるようになる。常に子ども達に誠意で向き合っていこう。
2018.02.08
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もし考えるのが苦手なら結論を導きだすのは難しい。何でも急いで答えを求める傾向がある。考えるのが苦手でなくても思いついた答えを早々に出そうとする。こうした傾向の子どもを見る。教師が説明している時は答えられるが、本当は理解が定着していないことがある。外見だけの理解である。翌日には、もう同じ問題でも解けなくなっている。こうした子どもへの指導に何が必要か?ある人は定着するまでそこに止まっての繰り返しが必要と言う。これも正しい。他の方向もある。教科にもよるが、ある程度の理解が出来れば前に進むこともある。前に進むのは自信にもつながる。例えば、英語で「現在進行形」と「受動態」が混乱していても、前に進むやり方である。授業でわからなかったことも、いつの間にか出来るようになっていることが多い。慣れさせることである。中2のY君の場合もこれに当てはまる。今は中3の英語と国語に入っている。これも4月から彼が学校に戻ろうかと考える契機にもなっている。いい意味で自信がついてきている。明日も寒さが一段と増します。どうぞご自愛ください。
2018.02.06
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最初は「グー」で!面白いと思えば意味が分からなくても使ってみるのが子ども。瑛斗君は外遊びが好きだ。いつも外遊びに誘う。「ねえ~、いこうよ。げす!」下司とはどんな意味か分からない。「下司」は「美味しい」と同じくらい響きがあると思って面白がる。
2018.02.05
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折々のさんさく記 ー「孤立」についてー孤立しがちと見られるが、周囲に理解があれば孤立は無い。不適応状態になることは無い。発達上の問題が原因では起こらない。必要な支援の継続があって社会的自立をする。充実した生活ができる。子ども達は居場所が保証されている限り所属感を持ち、それぞれが課題に向かう。仲間とも望ましい参加の仕方をする。信頼関係ができるところに「孤立」は無い。
2018.02.04
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折々のさんさく記 ー教え教え合うのが授業の姿ー 子どもと教師の1対1の授業が良く見える。何が見えるかって?外から加えられる差別に人は敏感。自分が作り出す差別には鈍感。彼らは日常の中で差別を自ら作り出すことはない。彼らは仲間がADHDを或いはASPを抱えていても、在るがままに受け入れ向き合う。1対1で彼らが教師になる授業では良く気づかさせられる。差別は生まれない。発達に問題を抱えている彼らは、ある意味で苦しい体験をくぐってきただけに、優しさが本当に備わっている。
2018.02.03
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Lineで母が家族に送った・・・・母;今度、芥川賞を受賞した百年泥の一節。 インドで日本語教師をしている主人公が、 生徒の日本語テストで「目標」の単語を覚えているか試すために、 ガネーシャさんは何か目標がありますか?と問えば、 「私はごむいん(ゴム印)になりたいです」と。 シュールすぎる目標に合点が行かず、 「英語で答えて下さい」と。 ガネーシャさんは「public officer」と。 つまり公務員になりたいですと。 シュールさで負けないのは次男。 「幼稚園の先生に大きくなったら何になりたい」と訊かれて、 「お地蔵様になる」と答えた。
2018.02.03
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ファッションを追うのは辛い!?インフルエンザが最盛期。生徒も先生T君も風邪気味。年頃の子どもは薄着が多い。Tシャツに外套だけの日も多い。時には、臍だし背中だしの時もある。Y君に言わせると「ファッションは我慢だ!」と言う。気候に合わせた服装はと思うが、彼らにとって薄着がファッションらしい。厚着はダサイからしないそうだ。適度なのがいいのだが、臍だしルックは彼らにとって適度なのかも?それにしてもと思う。ファッションを追うのは辛い!?
2018.02.01
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10年前のことが反省とともに思い出す。生徒が、「先生、毎日同じ事をしていて飽きない?」と聞く。例えば、もし10年間、些細なことでも継続すれば、それなりの進展が見られ成果を得る。何でもいい継続することだろう。言い換えれば、伝達神経の強度化も見られる。クラムジーと言われる彼らの不器用さも消失したように動きがスムーズに。ウオーキングを始めてからもう10年。もし、ウオーキングを続けていなかったら多分、目標の世界を歩くことは適わなくなるだろう。ウオーキングを続けて「地球を歩こう」が私の目標。地球を歩くために昨年から日本中を旅行し始めた。九州・東北・関東と。「才能は辛抱強く諦めないこと」とは名言だ。この年になって、身にしみて感じたことなどだが。
2018.01.30
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今社会で「優しさ」は? 思うに、「優しさ」は情緒的なものだけでなく、実存的に考えれば、自分を変える力になる。子どもの優しさが通らないのは社会に罪がある。例えば、子どもが全ての存在は平等であると知り、生活の中に優しさを取り込んでいこうとするが、不平等さに気づき、優しさが歪んだ社会では辛抱強さも必要になる。子どもの本来の姿がそのまま通らない社会は間違っている。
2018.01.29
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「いつも何事も」は肩が凝る 自分に自信があって何時も何事にも前向き、積極的で情緒的に安定している。こんな子どもはドレダケとなる。昔々のゆったりした時代、そんな子どもはいたのかもしれない。急ぎ足のクイック・ライフ、自分を振り返る余裕はない。子どもにも大人にも。なのに、「子どもは『はやくはやく』と叱って育つ」と言う人もいる。叱っていい子など誰もいない。子どもの言い分を聞いて子どもの言い分を認めて子どもの気持ちを知れば、子どもを叱らないですむ。工夫が足らないのでは?気持ちに余裕がないのでは?例えば「腹を立て手を出す前に、私と話そうね」「いつでも聞いてあげるよ」「あなたは大事な子どもよ」と。
2018.01.28
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『折々のさんさく記』 子どもの笑顔はエンジェル 子どもは笑顔が「優しい」。屈託無い笑顔が励まし勇気をもたらす。笑顔は人々の優しい心を目覚めさせる。優しい子どもの笑顔は人々の心の痛みを解き放つ。癒やしエンジェルは子どもの笑顔。子どもの優しく屈託のない笑顔は心の中にエンジェルが住んでいる。
2018.01.27
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「一日一文」からMさん(中2)の成長です。 「感謝の言葉ありがとう」 今、私は「ポジティブ」な自分を持っています。昔は、「ネガティブ」でした。少ししたことでシュンとなったりしていました。 ある日、一冊の本の中の『何事にも、良い方にとりましょう。』という文を読み、毎日寝る前、「今日も色々なことをしてくれてありがとう。」と言うようになっていました。 何か変なことを言われても、「この人は私を強くしてくれているんだ。ありがとう。」としか思わなくなりました。 神様は絶対にいじわるはしません。それはあなたがそう思い込んでいるだけです。「足が動いてありがとう。手首が動いてありがとう御座います。」 「いやだ」と思うならやらないで、「できると」と思って信じ、実行した人だけが『素晴らしい心の持ち主』となるのです。 「ありがとう」を伝えましょう。みんな幸せになれるよ。 「ありがとう」は魔法の言葉。 「ありがとう」は笑顔の薬を作らせます。 大丈夫、あなたなら絶対できると信じています。負けないでネガティブに、心はいつでもあなたのそばにいるのですから。(原文のまま) M.O 中2です。多感な思春期です。悩み、感じ、信じ、自分と他者の関わり、不安と希望の交錯、・・・・自分を振り返り、自分らしさを見つけていきます。すごいです。一人ひとりの人生を敬います。
2018.01.26
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『折々のさんさく記』 すっきり なるほどと教えられた。いろいろなことから学べるものだ。録画していたNHKの土曜ドラマ「フルスイング」は面白い。野球が好きだからたっぷりあるこの時間に視聴した。子ども達へ、いや誰ともの関わりで大切な基本姿勢を学んだ。「ああではない、こうではない」と考えていたことを端的に教えてくれた。大きい耳小さな口優しい目これを当てはめて考えてみよう。きっと先が見えてくる。久しぶりに琴線に触れた。あらゆる場面の生きた言葉になる。もし教師が、もし為政者が、もし政治家が、もし経営者が、もし医師が・・・・・・そして親たちが・・・姿勢の基本に「大きい耳、小さな口、優しい目」で・・・・
2018.01.25
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折々のさんさく記「突っ込み」と「ボケ」 我が夫婦には「突っ込み」と「ボケ」があるから面白い。突っ込みとボケは関西独特のもの。これを授業にも生活のあらゆる場面で生かさない方はない。とにかく我が家では「突っ込み」と「ボケ」の会話が多い。「突っ込み」と「ボケ」は常に明るい雰囲気を作る。だからリラックスさせてくる。リラックスするとホンマに頭が回転し、チャレンジしようとなる。関西人の逞しさは此処が原点だったのでは?突っ込みとボケが勿論食卓を賑わす。私「今日の夕ご飯も美味しかった。日々に美味しくなるね」。妻「朝飯前よ」と。続けて妻は「嬉しいわ!美味しいと言うは朝飯前」と。「突っ込み・ボケ」語録ができてしまう。
2018.01.24
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『子どもは変わる』杖をつき腰を曲げて歩く「おばあさん」を見て「あのおばあちゃんちかれての~?」と息子(3才の時)言う。幼子が言うことには可愛さと可笑しさがある。でも、中・高生はどうだろう。研究所を訪ねて来る人に関心を持つのはいいとして、誰か来たと教えてくれるのはいいとして、「先生!借金取りが来た~!」(高校生)「焼き芋屋のおっさんが来た~!」(中学生)「ストーカーだ!」(小学生)はないね。思ったこと感じたことをすぐに口する。でも、子どもは変わる。「学んだことの一つの証しは、変わること」。彼らはこれから学んでいくのだから。
2018.01.23
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『見えてくる課題の一つ』彼らが中学生になると学力差が何故目立つか?中学校の子どもへの把握力の差では?小学校と子どもへの構えに差があるからでは?小学校では見られなかった担任や特別支援コーディネーターへの教師間の見方にも差があるのでは?変な「平等感」から抜けきらないからでは?「彼らだけ特別扱いはできない」「彼らを甘やかすことになる」「大勢の子どもを同じく見なければならない」と。個別教育がシステム的に考えられなくなっているからでは?課題を平板に説明し、次に類似の課題を与え「やりなさい」の指示だけでは?学力差は埋まらない。彼らを益々勉強嫌いにさせる。何しろ、彼らを失敗させることになる。彼らに社会性が身につくことも停滞。「停滞」は彼らにとって「手痛い」。
2018.01.22
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折々のさんさく記 寒風の中「花水木」も空を目指す昔も今もそうなのかも知れないが、大人の都合で子どもに対応していないだろうか?大人は子どもを従わせようと不自然な愛になってはいないか?条件付きの愛だったり、金品を与えることが愛と錯覚したりと。この世のシステムもそうさせてしまうのだろうが、家庭の教育力が低下している。学校も教育力が低下している。との指摘を耳にする。家庭も学校も強圧的に規制や規範を押し付けているのかも?例えば某中学校。校則に「下着は白のブリーフ」とある。そして、女子も男子も下着検査をされると。違反者のために白のブリーフを学校で売っている。子どもの自律を考えると、「画一的な厳しい規則」だけで、正悪の分別をつけさせようとしても問題解決にもならない。もっともっと子どもの主体性を尊重し、子どもを信頼し、大事に思う心をと言いたい。
2018.01.21
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折々のさんさくの記どう育てる「思いやり」子どもが信頼を寄せる人は、子どもが自分の行為を受けとめてくれる人では?子どもは受けとめられていると自信が育つ。信頼を寄せる人の態度に同化する。子どもは大人から守らている経験から人を「思いやる」ようになる。そして、着実なる対人関係につながる。子どもに「思いやれ」と言うだけでは、ルールや規範を言葉だけでは、「思いやり」は育たない。子どもは自分を大切だと「思いやる」大人の気持ちを経験して育つ。
2018.01.19
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折々のさんさくの記』ADHDであれASPであれ、適したケアを!A君(中1)はADHDの基本症状が見られるが、周囲からの働きかけに応答が少ない。そのため、某病院でASPと最近診断された。私の見解では彼はASPとは言い難い。敢えて言うならADHD疑いであろう。誤診されたままの子どもも多い。しかも某病院は診断はするがケアをしない。ケアをしない病院なので、間違ったプログラムと対応がなされなかった。却ってそれが幸いな場合もある。A君は周囲との関わりに不器用さがあり、話題がA君の関心領域であっても他者との接触を嫌い勝ち。この辺りがASPと診断された一因か?しかし、彼にはASPの持つ偏狭性は微塵もない。ADHDにはADHDの対応を。ASPにはASPの配慮を。まだまだ現場ではこれが難しい。
2018.01.18
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不登校児は優しい心を持っている 不登校児は学校で孤立しがちとはよく聞く話。研究所でよく観られたことは、彼らは友達をそれぞれが大事にしていることだ。研究所の学習ルームで見かけることは、高3生が中3生の勉強のお手伝いを、丁寧にしかも優しい接し方でしているのが日常。受験が迫った1月にも、子ども達の友達を大事にする場面が見られる。 そこで、私からの今日の言葉。「自分にして欲しいことを他人に、柔和で謙遜が和らぎに」。
2018.01.17
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折々のさんさくの記「教師の意見は一様であるべき」と強制されるほど子ども達を不幸にする教師間の意見は多様性があるべきだと思う。健全な教育には多様性が不可欠。子どもを画一的に見ようとするのは教師が一様性を強制されると生れる。教育に明かりが見えないのはその辺にあるのでは?長男が10歳のときだったからもう20数年前になる。小5・6対象の「保健」の教科書の著作と編集をして、文部省検定済みの「保健」の教科書を出版した。しかし、今でも思うのが検定制度は思考の一様性を強制する元凶となる。そして、この検定制度が教師の創意工夫も損なわせることが多くなる。
2018.01.16
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年の瀬の雑感現代人は刺激なしに時を過ごせないらしい。少しの間(ま)も取れなくなったのか?黙って笑って何もしないとはならなくなった。何もせずに「ボッー」と出来ない。「退屈だあ」と嘆く声が聞える。テレビ・ラジオ・新聞・PCやスマホなしには過ごせない?日がな一日、縁側に何もせずに座っていた昔人が懐かしい。(今は間の空間と言われた縁側のあるうちは皆無に?)「無為と沈黙の時間」を推奨した先人は誰だったか?年の瀬に、「無為と沈黙の時間」を意図的に作ってみる。何もしない時の流れを享受してみる。「じっくり・ユックリ・のんびり」とがいい!
2017.12.30
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儒学者「顔淵」に学ぶ自戒をこめてだが。子どもを支援しようと、儒学者から学んだことは多い。言いたいことを言えず、口ごもりがちな彼らが、あるいは、思いが正しく伝わらない彼らが、ふと漏らす言葉にも教えらる。彼らと共に居るだけでも学びはあると敬い慈しむ。(孫たちと今日の別れに際して)
2017.12.29
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休養、気分転換が必要この忙しいのにと言われるかも?が、忙しければ忙しいほど休養や気分転換が必要だと思う。朝の寒さに、寝床に少しでもとグズグズ。この時期、不思議なことに私の場合、作業が進まない。せいぜい夜の間に読書が関の山。と思うが、上に4枚、下は3枚の重ね着。寒さ防ぐが、ついうとうとと。
2017.12.28
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物覚えが弱くなった。そして忘却が進んでいる。とは言っても、貝原益軒の「養生訓」は85歳からの作品。大したもんだ。そう考えると、老境人が記憶力を持続していることは高く評価されるが、物を忘れることも逆に人を幸せにすることは確か。忘れることで、新しきに挑戦意欲が湧く。過去の懐かしさにいつまでも話題にするより、未来の生き方を考えるようにしたい。そうすることで、「孫の空の巣症候群」に陥らないのでは・・・。
2017.12.27
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機先を制されると嫌な気分になると言う不登校をしているA君(中2)。冬休み入ってホッとすると言う。それまでは、外出も考えて放課後の時間帯にしていた。休みの日は何時でも外出できると思っていたら、外出先で同級生と偶然あうことがある。これも嫌な気分になると。なぜかって?彼らは必ずのように声をかけてくる。「元気そうだ」「新学期から来れる?」等々・・・。気にしてくれるのは分かるが、声をかけられると、心秘かに新学期からは登校しようと思っていたが、見透かされた気になり登校意欲が急に萎む。微妙な心の中をまだ整理できないと言うA君。
2017.12.26
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呆けないためにも (パート2)「一日一文」を書くのを常とする。「一日一文」を読み考えることを常とする。多分にボケ防止のためか?「口論」について今日は考えた。口論は相手が間違っていることを示そうとして起こることも。子どもの中ばかりでなく、大人の世界でも日常的に見られる。その効果や結果は別にして、これも人間の永遠の命題となる。口論の効果は自他に何が正しく、何が間違っているかの合意がある程度なければ、口論しても意味がない。そこに教育などの必要性もあるのだが、これがうまく行かないのが現実であり、口論だけですまなくなっていることも見られる。
2017.12.25
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そう言えば「忘年会」も社会の倣わしとしてしたもんだ!昨今の忘年会はどう変化しているのだろう。。10年前の忘年会はこういうものだったが、午前10時からだったが、相変わらず定刻には始まらない。10時までに10人。11時までに3人が新たに参加。11時30分に最後の1人が参加。ケーキ、サンドイッチ、から揚げ、菓子類。いただいた沖縄の「金つば」から北海道土産のチョコ、さらに圧巻は「豚マン」。飲み食べながら懇談しきり。そのあと、トランプ「大富豪」の納会をしてからプレゼント交換。プレゼントは700円前後の品を各自が一つ用意した。ひとしきり盛り上がった。二次会は「カラオケ」へ。13名参加。ラップ調の歌を中心に2時間。あまりカラオケはどうかなと思っていた子どもが何曲も熱唱。Y先生とF先生は盛り上げにラップにあわせて、手で調子をとり体を揺らす。そしてとうとう、これまで一度も皆の前で自分から歌ったことも、みんなに混じるのも消極的だったM君(高2)が、Kさん(中3)のうまい誘いに乗って、中央に進み出て体を振り振り、ジェスチャーたっぷりに「トリ」を歌いきる。あっと言う間の2時間だった。
2017.12.24
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「呆けと死ね 」は彼らの共通語だった想い出した。10年前の今日の忘年会&See You Party。授業最終日。明日から冬休み。中3と高3年生の受験組みは冬季集中開始。遣り残したことはたくさんある。例えば、小6のA君と中2のB君の漫才コンビの場合。とうとう「呆けと死ね」の口癖は終業できなかった。二人とも可愛い子どもだ。でも、彼らに似つかわしくないハメを外した言葉遣い。二人は「呆けと死ね」言葉を楽しんでいる。二人の間では「呆け死ね」は挨拶言葉になっている。そして「先生、呆けとんとちゃう?」と口に出る。が、いつまでも「呆け死ね」言葉が続くわけではない。他の子どもは誰も使わなくなっている。せいぜい今だけだ。そのうち気づくだろう。「トボケとボケ」の違いもこの二人は分からない段階。「イジメとけじめ」も分からない段階。追い追い、トボケながらケジメもつけるように指導しようと思っている。今日の忘年会では「カラオケ」に行くと子ども達は楽しみに。「呆け漫才コンビ!?」のA君もB君も、かなり前からはしゃいでいる。じっくり彼らの様子を笑いながら観察出来る。腹の底から笑って年忘れを楽しもう。
2017.12.23
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対応について一つ二つ子どもがその人を好きになっていなければ、子どもがその人を信頼していなければ、子どもがその人を同一化しようとしなければ、そして、子ども自身が受けとめられていると実感できなければ、子どもを主体として受けとめ教え・導くことはとてもとても。例えば、他の子が遊んでいる玩具を取ってしまう子ども。「そのおもちゃ使いたいのね」と、子どもの「こうしたい気持ち(欲求)」を受けとめながら、「でも、〇君それで遊んでいたね。使った後にしようね」。「後にしてくれたら嬉しいな」と、大人が願っている方へと、子どもを主体として受けとめながら導く対応がいい。勿論、言語理解ができることが条件だが、そうでなくても、そのときの毅然さと優しさを子どもに示すことだろう。実際子どもも方向が理解できて安心するのだが。同時に、「〇君のものよ」と所有についても教えて行きたい。
2017.12.22
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子どもらしいと言えば子どもらしいスケボーの話になった。A君(小5)が「スケボーを2台持ってる」と。すかさずB君(中2)が「5台持っている」と。いつもの自慢話。誰かが何台あると言えば、すかさず相手が何々台持っていると誇らしげに言う。よく耳にする遊びと聞く。他愛のないことだが、ちょっとでも目立ちたいのだろうか?それとも負けず嫌いなのだろうか?ただちょっと優位にとつい口から出てしまうのだろうか?聞いていて思わず笑ってしまうやり取り。案外、周りを笑わせるための彼ら独特の話し方なのかも。(そう言っておくのが無難)いい漫才コンビになれる。
2017.12.20
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年末は忙しいからか?気が焦るのか?師走の寒風のなか、言葉汚く幼児を怒る母親。様子から、しょっちゅう怒っている母親らしい。子どもに罵声を浴びせる。尋常さが感じられない。感情コントロールできずに精神的に不安定になっている。子どもが母親に怯え、母親の顔色をチラチラと伺っている。視線をあわせずに親子の実感が薄くさえ感じる。通常、子どもは「こうしたい・欲しい」と自分の欲求を前に出し、実現して満足を得るなかで、意欲・好奇心・自信や自尊心を育む。そのためにも、子どもは信頼できる大人が必要。特に親を。信頼できる大人と気持ちをつなごうとする。それが実現されることで自信と安心感を育み、社会化もスムーズになるのだが・・・。あの母親の罵声に子どものうつろな顔は忍び難かった。
2017.12.20
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寒いときにはお花を召し上がれ?温暖化とは、気象の地域的差の激しさもあるのかも。今年の冬は一際と寒さが感じられる。曇り空で陽が射さないからだけではなさそうだ。世界的規模から、身近な目の前のことまで異常気象が感じられる。何か寒くなっているか?利害にからんで流れが信じられない方向に。例えば再生エネルギーを起業しても送電線が使えないとか、利害関係に地球を汚す独占電力会社の利害がブレーキに。国の政策にも政府のエコ活用がぶれてエゴが目だつ。寒い日には花が心を潤すが、世界の方向性からエネルギー政策がどうも後ろ向きに。これでは花自身が寒さに震えることが続く。
2017.12.19
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プライドが高いと、所見も間違うことも公共放送の「子ども電話相談」だった。たまたま聴いてしまった。ある方がお孫さんのADHDについて相談されていた。回答者は著名な精神科医。医師は言う。「10歳から11歳の小学校高学年になると多動傾向はなくなりますから大丈夫です。」「集中力もついていきます。今でも好きな事には集中してやれますね。」と。その場しのぎの話をされていた。相談者は「今、そしてこれからの対応をどうしたらいいか」を聴きたかったのに、医師は発達障がいに自分の固定した考えを押し付けていた。残念ながら言葉遣いは優しいが、臨床をあまりしない評論家になっていた。よく出演しているTVワイド番組のコメンテーターを、主な仕事をしているだけではと感じた。これでは相談されても得るもの参考出来るものは無いのでは?さらに、医師は「ADHDには良くお話を聞いてあげましょう。」と。不幸ですね、発達障がいの臨床をしていない方に相談すると、余計混乱したままとなる。考えが主観的に固定してしまうと周りに間違った方向を示す。そしてこういうプライドだけが高くなっていると、「これでいいのか」と自らを問わない。
2017.12.18
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手元に「一日一文」集がある。初めて「一日一文」を欠いた教え子の中には、当初に書いたのは3行。それが、自分の想いをドンドン書くようになった。今では懐かしい彼らの心の軌跡を大事に保管し、読むことが出来る。内観療法というのがあるが、書くことで自分を見つめ直していく。どこか「一日一文」は内観に似ている。Y君(中2)の心の裡である。 「 出席簿 」俺は学校へ行ってない。俺は先生が大嫌いだ。ある先生を除いて。俺は中学に入学して、クラブを何にするか悩んでいた・・・。バレーボールを習っていたのでバレー部に入ろうとしていた。でも、ラクビー部の先輩にすすめられてラクビー部には行った。ドキドキしながらミーティングに行った。デカイ先生が立っていた。「おい、はよ座れ!」と言われてカンジワルと思って座った。先生が話し始めた。「お前らよう聞けよ。ラクビーはな、死がつきもんや!!死にたくなかったら今の内やからな」と言った。あの時は本当に腹が立ったが、初めての練習はけっこう楽しかった。夏のある日に先生に呼び出された。「何ですか?」「お前3年生の試合に出てみろ。多分大丈夫やろ」と言われ、3年生の試合に出ることになった。でも、その試合は俺のせいで負けた。俺が落込んでいると、「お前ようがんばったわ」と先生が言ってくれた。俺はほめられたことがうれしくて、もっとがんばろうと思って合宿も精一杯がんばった。が、不登校になってからは、毎朝家に先生が「一緒に学校に行かんか?」と言いに来た。やがて来なくなったが、友達から聞いた話では、「社会」の時間にいつも出席簿の俺の名前を読んでいると。まだ来ると信じているのだろう・・・・・・・・・・。俺はその先生のために学校に戻ろうと思う。できれば・・・・。 Y.H (原文のまま)
2017.12.17
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雨が降り出した途端に偏頭痛が取れた。気圧の急激な変化に「偏頭痛」となった証でしょう。今日は午後にはママがパートから帰ってくるので、爺は孫守りから離れてノンビリと英気を養うつもり。ここずうっと一日おきに玄米食。体質改善のためのメンケン反応で、「偏頭痛」がでたのではと思った。玄米(発芽させての)を圧力鍋で炊くと、土鍋の白米より美味しくなる。偏頭痛があっても食欲旺盛。玄米食にしてから11月の定期検診でも正常値だったが、急激な気圧の変化には過敏になっている。
2017.12.16
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いつものウオーキングコース。すっかり葉っぱのフレデイも、冬の装いの準備が整っていまいた。遊歩道は落ち葉が敷き詰められ、真っ赤に染まっていた。池もセコイヤの葉に覆われ、孫の走り回る声だけが広い公園に。
2017.12.15
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寒いと偏頭痛も起こる!気圧の変化に過敏反応する。飛行機での離着陸が苦手だったり、等圧線が狭まると途端に身体が変調きたす。昔からだったが、一昨日からは右目の奥から痛みがズシズシ。右側の歯茎が浮いたように痛む。脚腰も同調するようにズキズキ痛む。これじゃ孫の子守りもできない。妻曰く。「この急激な寒さに偏頭痛が反応したのよ」と。確かに気圧が急激に変わると、今まで酷いクシャミだった。寒さに気圧が変わった今回は、酷い偏頭痛と脚・腰の重さに。こうなると、昼寝を楽しむ孫たちが羨ましい。彼らは成長するによく眠り良く甘える。爺はSNSのレスポンスも何も出来なくなる。皆さんも体調を崩さないように。この時期、油断大敵ですね。
2017.12.14
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聴覚は超々!際立って聴覚がいい。授業中、A君は先生の問題の解説より、離れた場所で話す同級生の声に反応する。A君にとって、自分がしている勉強より周りの雑音が気になる。興味が湧くと聴覚センサーは敏感に働くが、平板に音を拾うために、話題の中心から逸れた雑音をキャッチする。この耳の良さをうまく活用できないだろうか?「ちゃんと聞きなさい」だけでは勿体ない。
2017.12.13
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オリバーストーン監督の映画「プラトーン」をTV視聴した。時は1067年。ベトナム戦争。古参兵エリオスの一言が強烈だった。「アメリカは横暴だった。やがて罰が当たる」と。今も変わっていない。とんでもない横暴な人を大統領に。そして日本の首相もその横暴の傘の下に。唯一の被爆国でありながらICANの提言を拒否している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3
2017.12.12
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見えない対人状況を見えるようにするために、結構効果的なのは、異年齢少人数でのトランプゲームだった。少人数なので指導しやすい。異年齢なので、年長者への対応の仕方を学ぶ。年少者へのいたわりの心学ぶ。遊びながら集団力動でのルールを学ぶ。こうしたことからも、自己評価を向上させるのに役立つ。特に、昼休みを子ども達は楽しみにしている。学校でも昼休みをトランプゲームをなどしたらどうだろう?
2017.12.11
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優しさ”を捨てない今の時代“優しさ”は大切。為政者にはかけらも見られない。Mさん(中2)は優しさ故に不登校に。優しさ故に他者への気遣いが自分の心を痛める。優しさは大きな重荷を背負うこともある。しかし、人として大切な“豊かで温かいもの”。 一人ひとりの違いこの宇宙には、さまざまな星がたくさんあり、そのさまざまな星の中には、小さな魂がいっぱいつまっています。そしてそのさまざまな星の内の一つが、地球という星なのです。この地球にも、多くの魂があります。私も魂を持っている者です。その他、木や家・動物・花なども魂を持っています。それぞれが「夢」や「希望」を持っています。魂は同じですが、「夢」や「希望」はそれぞれが違っています。だからいいのです。「学校の先生になりたい」と言う人もいれば、「芸能人になりたい」と言う人もいます。一人ひとりが違うのは良いことだと思います。宇宙にぽっかり浮かんでいる星も、同じだと何か大変なことになるかも知れません。一人ひとり違うことが、一番良いのです。 M.O (原文のまま)
2017.12.10
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発達障がいの定義に、「非進行性の脳の高次機能障害が、18歳未満の発生期に生じる」と。大事なのは、脳に機能障がい(わけの分からない)があってもなくても。非進行性であっても、彼らだけでなく、人間誰しも活性的な生き方を準備し、愛ある教育を継続することが必要なのでは?それは日常的に子どもへの接し方が重要となるが?
2017.12.09
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NHKラジオ深夜便の今月の歌。ふと、希望の党の哀歌に聞こえる。作詞は五木寛之氏、作曲は谷村新司氏。両巨頭の味のある詩と旋律だが、私には凋落激しい「希望の党」を揶揄した歌に聞こえる。こんな詩で綴られていた。 希望と言う名の 夢を 追いかけて やっとここまで来たけど 明日が見えない 今日は 昨日の続きじゃないと わかっているけど 心が折れそうに だけど もう一度 歩き始めよう きみの あの言葉(排除する)を 思い出しながら Keep on !哀歌というより挽歌か? (やがて落ちて散る黄葉のように)
2017.12.07
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こだわりが強すぎると融通が利かなくなり、柔軟に考えるのが難しいこともある。こだわりの強い子どもが多角的な見方ができるようにと、少しずつだが 分かって 欲しいと、いろいろ工夫する。そんな思いもあって、一つの教材「熟語交差パズル」なども。彼らは最初にイメージした漢字を交差点に入れようと拘る。一つの漢字にいつまでも拘る。ヒントになる他の漢字を無視し、目に飛び込んだその子の思い浮かぶ漢字に引きずられる。ついには小パニックを起す子どもも。でも、ゆっくり ゆっくり こんな漢字はどうカナ?今度は下の漢字に当てはめようカナ?「カナ カナ カナ」療法の手を使って指導。そうすると、その子に適した漢字熟語レベルであれば四方から見ようとするようになってくる。社会の事象も友達付き合いも、四方から見れるようになればと。うまく漢字交差熟語が完成すれば満足感に。そして、一段と自信もつくようだ。教材に熟語交差パズルも面白いというお話でした!
2017.12.07
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「人にはそれぞれ責任がある」とは山本周五郎の教え。「この世に生きている以上、自分や家族の他にも負うべき義務と責任がある。家族が揃って平安な生活は誰にも大切。平安な家庭にはその家庭の家風がある。それを毀したり失ったりするのは誰にも辛い。然し、それが大切であればあるほど、その秩序が薙れたり破壊されたりすることは防がなければならない。これは人としての義務でもある」。 —「花筵」より抜粋ー
2017.12.06
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K君、就職する!かかわりあったK君が、この12月に大手スーパーに正式採用に。嬉しい電話があった。久しぶりに聞くK君の声。一回りの成長を伺わせた。本当に嬉しい。K君の声も「嬉しい」と弾んでいた。社会に巣立つようになったK君。ご両親の努力があった。辛抱強い優しい対応があったからだろう。(辛抱強いと書けば、多分ご理解いただけると思う)こうした電話報告が、励みになり勇気付けられる。
2017.12.05
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「会話も書く」ことで工夫一日一文を奨励している。意図的な手法だが、必要な人がいる。例えば、会話のやりとりが苦手な場合、会話は書くことでイメジーができるようにもなる。一日一文は、文章として体裁をきれいにする必要はない。文字化することで、言いたいことを整理できる。文字が理解しやすくさせる。文字を見ると落ち着いた対応ができるようになる。そして、適切に自己主張が出来るようになる。内容の修正にも気がつく。さらに、感情が安定するから会話が成り立つ。一日一文の習慣化の効用が会話にも現れる。そういう意味でもFBは良い!
2017.12.03
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言葉だけが踊っている。実質を伴わないのは今も昔も。踊る言葉は真実がない。踊る言葉は重みがない。踊る言葉はズレがある。踊る言葉は傲慢がある。踊る言葉は虚飾がある。そんな踊る言葉を好むのはエリートばかり。 エリ-ト政・財・官に。そして詐欺・暴力が社会には蔓延・・・・真意の伝わらない国会のやり取り。真心の伝わらない国会のやり取り。そんな言葉は要らない。防衛の問題も、原発の問題も、少しも変わっていない。あやふやにされたままでは?特に国会は政治屋と言われる為政者の利権を貪っている。正義と良心と奉仕の気持ちが消えているのでは?虚しく言葉だけが踊る。
2017.12.03
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